はてなキーワード: 日本国とは
良かったね。外面が優先される諸外国ではホモ婚(Same-Sex Marrige)なんぞ認めるのが進歩的もしくはリベラルにみられる理由で次々とホモ婚が制度化されてるけど、日本ではタイトルのとおり、婚約にしろ結婚にしろ婚という文字が女篇に含まれている。つまり、女性が介在しない男性同士の配偶者制度、戸籍の更新を認めるかどうかの議論は、漢字圏の使用者が内在する無意識的的な反発を押し切って、ホモ婚容認側がホモ婚の圧倒的な正しさ・メリット・普遍性を多数派に説得しなければ進展のしようがないのだ。
この点、アルファベット圏ではmarrigeにしろmatrimonyにしろ文化的には女性との結婚が普通ではあるものの、漢字圏の結婚や婚約から感じられるような女性が介在しなければ結婚もくそもないだろという感覚が薄く中立的だ。語源的には、marrigeラテン語のmaritareに以来し、maritareとは女神アプロディーテー-マリの庇護の下に結合すること、とちょこっとだけ調べたら出てきたが、日本語のようなへばり付くような感覚はmarrigeからないだろうと思うのだ。
よってホモ婚推奨精力がどれだけ水面下で努力しようが、ホモ婚に違和感を持つ人間が圧倒的で、かつまともに機能している限り日本ではホモ婚は永久に制度化されない。制度化されるとすれば、国民のほとんどが違和感をおぼえつつも国連加盟国でホモ婚制度化が支配的な版面をホモ婚推進精力が形成してしまってやむを得ず日本国も追随にまわる、これくらいしかホモ婚が国会で審議されれ両院を通過するとは思えないし思いたくない。
なおホモ婚の賛否についてWikipediaどのような議論があるか調べ直してみるのは真っ当ではあるが、「同性結婚」の記事については「この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。」と提起がなされるとおり中立的どころかホモ婚推進精力によるバイアスがかかっていると注記させてもらう。
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追記)
日本国は、いまや世界最大級の盗聴国家であり、恐怖政治国家だ。
なぜなら日本には盗聴法があり、年間1万件以上の盗聴捜査が警察官によって実施されているからだ。
理屈の上では、組織犯罪幹部を逮捕するために盗聴するという当初の立法者による「大義」があり、立法目的がある。
しかし、「結果」や「実績」はその正反対の事実を証明している。
内閣の国会報告によれば、2014年1年間に実施された1万3778回の盗聴捜査で逮捕された人数はわずか72人しかいない。
しかもそのほぼ全員が組織犯罪の幹部ではない一般犯罪で、組織犯罪の幹部の逮捕は皆無だった。
しかも72人という数字はあくまでも逮捕者数であって、起訴された数ではない。
盗聴されて逮捕されても、起訴されない人もいるし、有罪にならなかった人もいるし、実刑にならなかった人もいる。
盗聴捜査は組織犯罪壊滅につながらないという批判は、もはや警察捜査成果として現実のものとなったのである。
麻薬の売人の運び屋や送金屋を何人逮捕したところで、犯罪組織にはなんの影響もないし、市民生活の犯罪に脅かされる市民社会は少しも良くならない。
これは警察がなまけていたからではなく、そもそもそういう制度を作ったことが誤りだったのである。
政府は、1年間で1万3778回の盗聴で対象となった事件数も公表した。
正解はたったの10件だ。
たったの10件の事件のために、無関係の無実の市民の通話が、たった1年間で1万回以上警察官に聞かれていた。
しかも、盗聴されていた事件のすべてが重大組織犯罪というわけではない。
たまたま手に入れた薬物をオバカなチンピラが売ったような突発事犯で盗聴捜査が成功しても、本物のヤクザ組織はびくともしない。
つまり、盗聴法による盗聴捜査は、捜査の実態結果から見た場合、
その捜査はわたしたち無実の市民の通話(電子メールやネット電話を含む!)に対して向けられている。
そもそも犯罪のプロの幹部たちが電話などで犯罪計画を連絡しているはずがない。
盗聴法による盗聴捜査のターゲットは、わたしたち無実の市民の携帯電話、電子メール、ネット電話であって、
そういう批判は法律制定前にもあったが、その批判はいま安倍政権のもとで現実のものになった。
「盗聴事実を当事者に知らせているから盗聴ではない」という批判が、盗聴法を作る側の警察官僚の側にはある。
たしかに盗聴法は、盗聴法によって盗聴された通話当事者に対して
盗聴記録が裁判に使われる場合にだけ、盗聴したという事実を当局が告知することになっている。
しかし、盗聴が犯罪と無関係で、盗聴記録を裁判の証拠として使わない場合は、
盗聴された人には盗聴事実の通知はされない。
つまり、事件化されない大多数の盗聴捜査で盗聴された無実の一般市民は、
盗聴されたことを知らないまま警察官に盗み聞きされ、
誰のためになんのためにどのようにに盗聴通話が使われているのかは、警察の闇の中だ。
盗聴法には、無関係な通話を盗聴させないようにするためと称して「立会人」という制度がつくられ、
「だから安心してください」と、盗聴法を作るために与党入りを決めた公明党指導者は訴えていた。
当時の政権批判野党だった公明党には、政府に盗聴されたくない犯罪陰謀事件などの弱みがあったと言われている。
過去には公明党は盗聴事件や脅迫事件なども起こし確定判決も存在し判決は公開されている。
盗聴される側ではなく盗聴する側になれば安心だという公明党の判断なのだろう。
「立会人」は盗聴法の規定により盗聴会話を聞くことができない。
だから、警察官が盗聴したり録音したりしている電話の内容が犯罪の理立証に不可欠な証拠かどうかを判断することは100%不可能。
しかも「立会人」は、消防士の事務職や警察OBなど、治安関係のお仲間が担当している。
だから、警察が違法不当な盗聴をしていても問題になることはない。
そもそも「立会人」は、立ち会うだけの義務しかなく違法な盗聴捜査の中止を命令する「制止権」が無いから、
「立会人」はお金をもらって隣の部屋でお菓子などを食べながら意味の無い時間をすごすだけの人になっている。
違法な盗聴捜査や意味の無い危険な盗聴捜査の「歯止め」としてまったく機能していない。
おそろしいことに、日本では盗聴法による傍受礼状が無くても事実上の盗聴ができてしまうことがある。
会話を録音して裁判の証拠として使うためには盗聴法を使わなければならないが、
録音しない場合、会話を裁判の証拠として使わない場合は、警察組織は傍受令状なしにいくらでも盗聴してもよいことになっている。
逆探知は誘拐などのときに使うものだと一般市民には信じられているが、実際はそうではない。
官僚組織などに質問や意見の電話をかける市民団体の参加者に対して、電話をかれられた側の官僚たちが、
電話をかけた者がどこの誰かを特定するために、当局に「行政執行暴力事件」として内偵を依頼し、
たとえば沖縄では基地問題をめぐってたくさんの沖縄県民が「暴力組織犯罪の容疑者」とみなされ
もちろんそれらの事件は、盗聴法によらない「通話者特定」だから、
盗聴法による報告はされないし、情報公開法による公開も除外規定により公開が制限されている。
このようにして、一般市民は「盗聴されているかもしれない」という事実によって管理され、
支配され、恐怖の統治を受けて公民権や言論は萎縮していくのである。
むしろその逆に、組織犯罪に必要な人的・予算的・組織的なリソースを縮小させ、
成果をあげる捜査のプロ刑事には、盗聴権限など不要というのが常識である。
盗聴捜査の対象は、罪の無い一般市民が大半であるという事実から、
市民の通信活動に対する不要な萎縮が起り、基本的人権である通信の秘密が破壊される。
したがって、盗聴法を制定した当初の立法者意思や立法目的は、完全に破綻した。
制定当時に言われていた「安心材料」は、結果的にすべて否定された。
問題は、このようになんの意味もなく成果もあげなかった盗聴制度を永久に維持させるために、
安倍政権は組織犯罪ではなく一般犯罪に対しても警察権力に「盗聴権」を付与させ、
そしてなにより盗聴法には、公務員犯罪を取り締まるために使うことができないという制約がある。
警察官や自衛官や刑務官による密室暴行、それらの密告を監視するために盗聴法を用いることはできない。
盗聴法は完全に破綻した。こうした恐怖政治のための危険な道具を日本は持つべきではない。
だが、いまはまさに「バカが刃物をふりまわす」状態になっている。
危険だ。日本国は、いまや世界最大級の盗聴国家であり、恐怖政治国家である。
それでも盗聴法を維持させなければならないのなら、政権交代を実現し、
盗聴法に賛成してきた自民党幹部と公明党幹部を有罪にする実績をつくればよい。
テレビで彼らの処刑を中継をやってもよいだろう。
そうすれば、「それはやりすぎだ。盗聴法には歯止めが必要だ、警察権力の強化は危険だ」という正論が出てくるに違いない。
そのとき「だったら盗聴法を廃止してしまいましょう」と議論してもよいだろう。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150206/k10015260271000.html
上川法務大臣は6日の閣議で、捜査当局に携帯電話などの傍受を認める「通信傍受法」に基づいて、去年1年間に違法薬物の密売など10の事件で通信傍受を実施し、これまでで2番目に多い72人を逮捕したことを報告しました。
平成12年に施行された「通信傍受法」は、違法薬物の密売など組織的な犯罪を捜査する際、ほかの手段では事件の解明が難しい場合に限り、捜査当局に電話や電子メールの傍受を認めるもので、捜査の行き過ぎを防ぐため、通信傍受を実施した件数や逮捕者の数などを、毎年、国会に報告するよう政府に求めています。
上川法務大臣は国会への報告に先立って、6日の閣議で去年1年間の実施状況を報告しました。
それによりますと、去年は、違法薬物の密売や拳銃の所持など10の事件で、携帯電話の通話を合わせて1万3778回傍受するなどした結果、これまでで2番目に多い72人を逮捕しました。
この結果、法律の施行後、通信傍受を実施した事件での逮捕者は525人となりました。
通信傍受を巡って法務省は、新たに振り込め詐欺や組織的な窃盗、それに誘拐事件などの捜査でも行えるようにする通信傍受法の改正案を、今の通常国会に提出する方針です。
ド素人には誰がどういう考えの(自称)経済学者で、なぜそういう主張をするかなかなかわからんので、ざっくりと立場を伝え合うのになんかいい質問・回答集でもないかなあとかぼんやり考えてみた。
例:自分、人類全員、日本国社会、日本国政府、世界主要国政府、日本国企業、日本国労働者、日本国母親、日本国次世代など
例:全員資産平等、現状、1980年日本社会程度の格差、上位10%、下位50%、その他、がだいたい同じ総資産を持つ、など
例:中央銀行の強力な金融緩和、2年間の金融引締め、対ドルの円安、ドル高、
例:最近自分は円安歓迎とみられているが、1ドル=120円がバランスいいと思っているだけでこれ以上の円安ドル高の亢進には反対だ。などなど
やっぱ良質の質問集わかんねえや、誰か考えてくれないかな
the_sun_also_rises 光市母子殺害事件はどらえもん弁護があまりに荒唐無稽だったから日本国中から総ツッコミをうけたのだと思うよ。それと南京事件問題とを同じとみなし汎化するのは早過ぎた一般化(http://goo.gl/HHDCnK)だね。論理的でない。
kurotokage id:the_sun_also_rises さん もうあの件について書きたくないので当時危機感を覚えて書いたエントリでも参考にどうぞ。http://d.hatena.ne.jp/kurotokage/20070624/1182692975
http://nogawam.blogspot.jp/2015/02/1.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/nogawam.blogspot.com/2015/02/1.html
上記URLより、id:the_sun_also_risesとid:kurotokage という2人のブコメのやり取りを見ていて思ったことを書きます。
殺人を犯した者がひどく精神的に未発達だったり、知的・精神的な障害をもっていた場合、「ドラえもんが生き返らせてくれる」と考えながら犯行に及んでいた可能性がある。
これはなにも光市母子殺人事件のことじゃなくて、たとえば今後「ドラえもんが生き返らせてくれる」という心理状態で殺人をおこなう者があらわれるかもしれない。もしそうなれば裁判でそのことが論じられ、そのとおりの全貌が明らかにされるべきだ。
もしかしてthe_sun_also_risesは、「被告が犯行にいたる動機、犯行時の精神状態は、裁判でいちいち明らかにする必要がない。そんなものにかまわず死刑にしろ」という意見なのだろうか? さすがにそれだと日本の司法を否定することになると思うのだが……。
「被告は死者が生き返ることを信じていた。それほど幼稚な精神状態でこの犯行に及んだ」
という可能性を否定しきれていなかったと思う。
弁護団が言っているように被告は精神の発達がかなり遅れていたのかもしれず、もし本当にそうだとすれば、「ドラえもんが死者を生き返らせてくれる」と心のどこかで信じたまま犯行に及んだのだとしても不思議ではない。
私には真実がどうだか分からなかった。というよりも、被告の人間像を何も知らなかったのだ。生い立ちや人柄・性格についての報道は無かった。マスコミでいつも報道されているのは事件の残酷さとか、少年法や死刑制度の是非とか、あとは被害者遺族の苦しい感情ばかりだった。そのため私にはあの弁護団の主張を肯定も否定もできなかったわけだが、この事件に深入りしていって詳細を調べる気がおきなかった。
ところが世間の反応は違っていた。the_sun_also_risesが言っている総ツッコミ、もとい総攻撃が始まった。
それはあまりに最悪で野蛮なものだったが、世間の人々がどんな感想を持とうが勿論自由だ。「被告が言っていることはウソくさい」「あの弁護団の主張はさすがに信じがたい」という評価が出てくるのも仕方がないと思う。
ただし当然のことだが、「ウソくさい」「信じがたい」というのは、「その可能性を無視してよい」という意味ではない。かなり疑わしくて嘘っぽく聞こえるからといって、完全には否定しきれない主張というものが存在する。裁判ではその点がしっかりと検証されなければならない。
当然とも言うべきこの原則が、世論の圧力によって捻じ曲げられそうになっていることを私は大変危惧していた。
すでに判決が下っている現在ならば、「あの弁護団の主張は間違いだった」と断言を述べても差し支えないだろう。しかし判決がでる前にそう決めつける人たちが目立っていた。そのほとんどは弁護側の主張を熟慮どころか一瞥もしておらず、ろくな内容を伴わないまま凄まじいバッシングになっていた。そのせいで裁判が捻じ曲げられそうなのが私には恐ろしかった。
もっと酷いものだと、「弁護団が悪意をもってウソをついた」とか「被告にむりやり嘘を言わせている」という誹謗中傷があった。それ以外にも「被害者を侮辱するために"ドラえもん"を持ち出した」とか「裁判を死刑廃止のアピールに利用している」とか、そういうことが盛んに言われていたと思う。
しかし、それには確かな証拠があったのか?私はそれらが単なるデマや憶測で、司法に対する無理解・不勉強のために騒がれていたものだったと記憶している。
このとき橋下徹(※当時は政治家じゃなくてタレント弁護士だった)が「懲戒請求を出せばよい」とテレビ番組で視聴者を煽ったことがあった。そして実際にたくさんの懲戒請求が提出されたらしいが、それにもかかわらず懲戒された弁護士は一人もいなかった。
the_sun_also_risesはこういう誹謗中傷があった現実にたいし、あまりに無頓着だと思う。あなたが死刑判決を支持するかどうかは問題ではない。まさか誹謗中傷の横行を"総ツッコミ"と呼んで正当化するつもりか。そして「"ドラえもん"弁護をおこなった弁護士たちを懲戒するべきだった。それができなかった日本の弁護士会は腐ってしまっている」とでも主張するのか。
最後に一つ言っておくと、懲戒請求をやれと煽った橋下徹でさえ、
「あの弁護団はフザけている。裁判中に『ドラえもんが生き返らせてくれる』と主張するのは被害者への侮辱だ」
なんていう非難はしていなかった。
最初のころはどうだったのか知らないけれども、懲戒請求を煽動したことが訴訟沙汰になって以来、橋下のスタンスは慎重で回りくどいものになった。
http://hashimotol.exblog.jp/6545710/
弁護団が記者会見を開いて説明していたような犯行態様の事実の詳細を公表することは、
被害者遺族をかえって傷つけることになるし、世間もそんな情報は求めていなかったのであり、
公表をしてはいけなかったのです。です。
犯人の手が順手か逆手か、そんなことを必死に説明しても、世間が求める情報ではありませんから、
当然メディアでも取り上げられません。
世間が求めていた情報は、疑念は、差戻し審で主張の変更をあそこまでするのであれば、
1審、2審は何をやっていたのか?ただ一点それに尽きます。
被害者遺族も、そこに一番悔しさや虚しさを感じ、
世間も刑事裁判は何をやっているんだ?との大きな疑念を抱いたのです。
そうであれば、1審、2審の弁護活動の不十分さを徹底的に公表し、
そして僕も含めてでありますが、弁護士全体の責任問題ととらえ、
ただし、刑事裁判制度を維持するために、主張の変更をさせてもらいますと、
一番迷惑をかけることになる被害者遺族に対して頭を下げて、謙虚に世間に訴えればよかったのだと思います。
(中略)
散々失敗してきて大批判を受けててきた僕が、もし光市母子殺害事件の弁護を引き受けるようなことがあれば、
最高裁の期日を欠席するのであれば、まずは被害者遺族へ直接出向いてお詫びをし、
欠席する理由の説明を徹底したでしょうし、主張の変更を行うのであれば、
1審、2審の弁護活動がいかに不十分だったかを被害者遺族や世間に説明します。
そして1審、2審の弁護人に責任追及を徹底して行い、何も動かない日弁連に徹底的に悪態をつきます。
そして差戻し審集中審理後の記者会見を開くにしてもあのような記者会見にはしなかった。
それも絶対にやってはいけないこと。当事者同士の私的な争いの民事裁判とは全く異なるのです。被害者遺族が存在するのです。
被告人の利益のためだけ、そして自分たちの主張の正当性を示すことしか考えていなかったのではないでしょうか?
今枝弁護士が事件の詳細、弁護団の主張を公開したことで、世間は何を理解するのですか?
何を納得するのですか?
今枝弁護士の事件の公開は、自分たちの主張の正当性を示すための公開で、
被害者遺族のそして世間の疑念を晴らすための公開ではありません。
被害者遺族や世間の疑念は何かを真摯に考えれば、事件の詳細の公開など不要です。
1審、2審の弁護人が何をやっていたのか、なぜそのときに、差戻し審のような主張が出てこなかったのか、
差戻し審の弁護団と被告人はどのようなやり取りの中で、今回のような主張が形成されてきたのか、
もちろん、世間の多くは、現弁護団の主張が荒唐無稽だと怒っているのでしょう。
しかし、なぜそのような荒唐無稽な主張が今になって出てきたのかをきちんと説明し、
1審、2審の弁護士も含め、弁護士全体の責任問題だという認識で、被害者にご迷惑をおかけすることをお詫びし、
しかし、被告人の供述が法廷に出ていない以上、刑事裁判制度を維持するために主張の変更をさせて頂くと
世間に頭を下げれば(自分たちの責任ではないにせよ、弁護士全体の職務懈怠だし、
刑事裁判制度を維持するのもそれが正義だ、俺様は偉いんだの姿勢ではなく、
刑事裁判制度を維持することが弁護士の職責であることを謙虚に思えば、頭を下げることなどどうってことないはず)すれば、
ここまでのバッシングにはならなかったでしょう。
ようするに橋下徹は、弁護団があのような主張を法廷内でおこなうことは容認しており、"ドラえもん"の件を含めてその弁護方針を非難するつもりはなかったらしい。
そのかわりに彼は弁護団が法廷外でおこなった行動を非難している。つまり「法廷内でやっていることに問題はないが、法廷外において被害者遺族や世間への説明・配慮が足りていない。記者会見のやり方もよくなかった」というスタンスであるようだ。
あと他には「1審、2審の弁護人が何をやっていたのか」とか「弁護士全体の責任問題」とか、彼の非難はこの弁護団とは関係ない方向にも向いている。
なるほど、これならこれで橋下の意見には一理ある。しかしその場合、橋下に煽られて懲戒請求を出した人たちは一体何だったのか。あのとき懲戒請求を出した人たちは、まさに橋下が容認している弁護方針(ドラえもんetc)に怒り心頭になって懲戒請求をやっていたのだ。
ここでこれ以上に橋下徹を論評することは控えるが、いずれにせよ光市母子殺害事件の弁護団が法廷内で行っていたことやその弁護方針は、あの橋下でさえも非難せずに(できずに)容認したものであったことは記憶しておきたい。
あなたのように複雑なグラデーションで事態を見れる方に向けた批判ではないつもりなのでご理解下さい
最早日本国としては責任は負えないことは明確で、彼らがいかなる活動であろうとも日本人としては脱法行為をしていると言わざるを得ないことは確かです
そういった筋の通った、自己責任論なら納得できるのですが
元増田の様に捕虜となった方を貶めることで心情的に切り離そうとする向きが安易な自己責任論で増幅されている状況に居た堪れない気持ちを抱えています
胸の痛みを振り払うように唱えてる者から全く何の思慮も無く掛かる手間暇を無駄な迷惑と捉えてる者まで様々でしょうけど、切り捨てる痛みまで無かったことに帰結しようとする風潮は否定していきたいのです
ストレスなくして成長はありません
ジャーナリズムの有り方も、それらに対する政府権力側の扱い方もまだまだ暗中模索だと考えます
悲惨な結果にはきちんと心を痛め、もっと事前に出来ることはなかったのかと問う情緒がジャーナリズムを消費する大衆側から沸き続けるような社会で有るように願っています
大人気ないというか、どんだけ党本部動揺してるんだよ
あんな経済制裁したり会合に出席させないイジメ染みた、まるでパククネや習近平のような露骨な嫌がらせをすれば
ましてや沖縄選での大敗は地方を顧みない中央集権の弊害なわけで、寧ろ落ちるべくして落ちた。
自民党が今後やるべきは何処の誰であろうと公平に期すべきで、器の大きさを見せる事で、
前の選挙を反省して次の選挙では必ず自民系に入れようと県民にアピールできるチャンス。
逆に経済制裁なんてチンケな事をしては県民を余計怒らせて収拾が付かなくなってしまう。
ましてや日本国の代表たる総理大臣が一地方選で見せる一挙手一投足に皆が注目してる中で
子供じみた、とても総理大臣の器に見えない凡庸さを見せると国内外に示しが付かないじゃないか。
最近の韓国批判は酷いもので、ネットも書籍もとりあえず韓国を批判しときゃいいだろみたな風潮である。
そんな中ふと、このネトウヨの嫌韓はいわば宗教みないなもののように思ったので書き出してみる。
「私、K-POPが好きです。」という書き込みをネットで見かけた。しかしその後のネットの反応たるや誹謗中傷の嵐である。
「頭おかしいんですか?」
「奴らはクソだ。奴らを肯定するお前もクソだ。」
しかし日本では個々人の趣味趣向は自由のハズ。なんで好みを言っただけで、国民であることや彼女(多分女性)自身が否定されなきゃならないんだろうか。
そしてふと何かに似ているような気がした。
そうだ「イスラム国」だ。
ご存じの通りイスラム教はアッラーを唯一神とし、教えはコーランに準ずる。そしてイスラム国は自分たちの思想以外は認めない。思想が違えば「悪魔(異教徒)の手先」として殺される。十字架を持っている?悪だ。殺すべし。
ネトウヨにとっての思想・教義は「韓国は敵だ」ということだろう。それに従わない場合は容赦なく攻撃する。それが趣味や好みの範疇だろうが関係ない。教義に反したのだ。それはつまり悪であるということだ。悪なら攻撃して問題ない。キムチが好きだ?悪だ。死んだ方が良い。
宗教全般にそうだが、人生や生活への不安を神と共にあると信じることで和らげ、心の拠り所にする。
ネトウヨは韓国を批判することで、心の平穏を保つ。例え自分が将来に何の可能性を感じない底辺な存在だろうが、自分は日本国人、彼らはそれより下。そう信じることで自尊心やアイデンティティを維持する。
イスラム教では日々神に祈りを捧げることにより、神を身近に感じ、心の平安を得ている。
ネトウヨは日々韓国の悪口を書くことで、ストレスを発散し、仲間の同意を得て教義を再確認し、心の平安を得ている。
イスラム国の戦闘員たちに、いくら「神様なんていないんだ」と説明しても通じない。科学や論理など意味をなさない。彼らにとってコーランが世界の法則であり、その歪曲解釈が正義なのである。
ネトウヨにとって「韓国が敵」であることが世界の法則で、韓国の批判こそが彼らの正義。彼らは根拠のない根拠や出所不明なデータ、使い方を誤った統計データ、そして完全な主観を繰り広げ韓国を批判するが、しかしそんな内容など実はどうでもいいのだ。教義に準じていればそれで良い。客観性やソースへの批判?それは教義に反する悪だから無視して良いのだ。
イスラム教には「異教徒を殺しても良い」という教えは含まれていない。しかし過激派は教育を受けていないので本が読めず、勝手な解釈をして乱暴な手段を講ずる。
韓国政府のやり方は褒められない点も多いが、イコール韓国全体・韓国人全体の批判には結びつかないハズだ。しかしネトウヨは無知なので、嫌韓の教えを無抵抗に信じ歪曲解釈をして乱暴な手段を講じる。
そのうちどこかでテロが起きるんじゃないだろうか。
なんかフランスの事件で、「風刺画で中傷されたら風刺画で返せ!」とか、「確かに下品な風刺画だが、人殺したらいかんよ」
みたいな意見がよく見られるけどさ。結局それってフランス、もとい西欧のルールなんだよね。
それが通じない人達がいる(今回で言うならISIS)ということの自覚が足りなさすぎるんじゃねえの?
「こっちは風刺画しか書いてないんだし、あっちも風刺画でしか対抗してはいけない」って、野球やってる連中に
俺らはサッカーやってるんだから、お前らも手を使っちゃダメー!はい今つかった空爆ー!」みたいな雰囲気感じるんだけど。
勿論、こっちの論理としては確実に向こうさんが悪いとは思う。フランスに居る以上、フランスのルール守れって感じだけど、
それすらもこっちのルールでしかない。向こう的にはこちらのほうが未開で野蛮人だしな。
この前ノーベル平和賞貰った奴(ママラだっけ?)の記事を見ても思ったんだけどさ。「女にも勉強させましょう」みたいな。
大変立派な意見だと思うが、結局それも西欧のルール。向こう的には
「女は勉強なんぞしなくてしなくてよろしい。そんなことは野蛮人(西欧)のルールだ!お前は未開人に毒されている!
だから殺す!」となるわけだ。
この根本的な解決方法って、こっちかあっちかどっちか消えることしかないよね。
消えるのが現実的でない以上、どうするか?偉大なる徳川将軍が400年前に通った道しかない!そう、鎖国である。
坂本龍馬だの薩長だの、彼奴らが行った行為こそテロではないのか?日本は鎖国してから200年以上もの間、平和にやって来たのだ。
それが開国した途端どうだ?100年も立たないうちに戦争で焼け野原ではないか。
いざこざの大半は民族の、宗教の流入から始まる。日本が他国に比べて秩序が保たれている理由は(ほとんど)日本人しかいないからだ。
何が言いたいかって言うと、人が分かり合うことなんて絶対に無理なんだから移民には絶対反対しましょうということだ。
少子化でいいではないか。座して気高い死を待とう。
http://anond.hatelabo.jp/20090112230518
あれが絶賛されていて、これこそあるべき父親の姿!と連呼されているのはいいんだけど、まーどう考えても要求水準が高すぎるというか、人間のある特定方向の能力に特化しすぎだよね。
こんなものが「あるべき水準」として要求されるのが子育てなんだとしたら、少子化解決なんて絶対無理に決まってるよね。
みんな大好き受験の話で例えるなら「センター試験9割以下は日本国民として認めません!」→「日本国の人口が減って困っています!センター試験9割得点できる人間が少なすぎるのです!」みたいな。
そりゃ無理だよね。どうしたらいいんだろうね。
例年思うが社の奥でふんぞり返ってりゃ黙ってても金持って来てくれんだから結構な話だわ。特に、企業参拝の連中とか礼儀正しいから扱いも楽だし。
しかし、企業参拝の連中が持ってくるその大金ってのは、下っ端雇われ社畜どもがこの不況の中で必死こいて会社の為に稼いできたものを経営者が無造作に社外に持っていくものなわけだし、加えて仕事初めから神社参拝だの何だのの名目で午前中丸々潰して昼には社の経費で美味いもん食って「仕事したで!お札貰ってきたで!」みたいなドヤ顔して午後から会社に戻ってくるわけなんだから、つくづく会社の雇われ社畜連中からしてみれば、正月の企業参拝なんざ馬っ鹿馬鹿しい話だよなぁ。日本は経営者天国という言葉の意味がとてもよくわかりますね><
ま、とはいえ。
偉い奴ほど腰が低いってのは事実ではある。これは偉そうな連中大勢見てきて確かにそう思う。
より厳密には、“自らに対し上位者・監視者を持っている最高責任者は、強い”と表現した方が正確かも知れない。
ビジネスで油断しねえから強いんだろうな、とは思うけど、だがわざわざ最高責任者になってまで気を張っていたくないのも人情だろう。
自分の上位者・監視者として神を位置づけておきたいから、わざわざ正月に神社来て大金がっぽがっぽ納めていくんだろうなこいつら、とは思う。
そんな不器用で非効率でハイコストな方法取らなくても自らを戒める方法なんていくらでもありそうなものだがとは思うが。まあ日本国の日本人のやってる日本企業だからね、しょうがないね。
今年の初笑いはこれ。
聖職者様「(…保線?こんな単語が例えで出てくるとか、JR関係の仕事でもしてんのかね)美しいに、保線の保ですね」
参拝者母「ホセンのホです」
参拝者母「あの、フネの」
_人人 人人_
> ほせん <
 ̄Y^Y^Y^Y ̄
ネトウヨおよび在特会の格好のネタなのに、マスゴミはおろかネトウヨや在特会の連中の誰も政府批判に乗り出さない。
民主党政権時代には仙谷由人が中国漁船を中国に送り届けたってだけで物凄い非難を浴びたもんだ。
これと同じ事を自民党なら許されるんだろうか。
http://blogos.com/article/98135/
この質疑を読むに、この議員は決して女性に職業選択の自由を与えるなとは一言もいっていない。
質問はおおむね以下の4つ。
”当法案も「女性の職業生活における活躍」にのみスポットを当て、その対象を自らの意志によって職業生活を営む女性に限っています。「すべての女性が輝く」ために国がやるべきことは、女性らしく生活するための選択肢を増やし、その選択に自信と責任を持てる環境づくりです。
が、当法案は逆に女性の選択肢を狭めて、ライフスタイルを上から押し付けるものです。本法案で女性の職業生活における活躍のみを対象にしたのは何故か。有村女性活躍担当大臣にお聞きします。
現在、若い女性の間で専業主婦を希望する人が増えています。民間の調査で、未婚の女性の半分以上が、出産後は専業主婦になりたいと回答しています。20代の専業希望は58.5 %と特に多いという結果が出ています。また、「自らの意志によって職業生活を営む女性」と法案には書かれていますが、実際に地元を回って、お母さん方と話すと「本当は家で子育てに専念したい。でも収入が少ないので、働きにでなければいけない」と言った声が多く聞かれます。正に「自らの意志に反して職業生活を営んでいる女性」が多く存在します。 ”
”平成15年に制定された「次世代育成支援対策推進法」。この法律は、10年の時限立法として、それまでの少子化対策の取り組みに加え、男性を含めた働き方の見直しや社会保障における次世代支援といった柱を掲げています。本法案と同様に、国の指針を設け、それに基づいて行動計画の策定をすべての自治体などに義務付けたものです。対象を「次世代を担う子供たち」とするか「職業生活を営む女性」にするかの違いはありますが、自治体や企業が策定する具体的な計画まで下りてくると、多くの部分が重なると思われます。有村大臣、先の通常国会で平成37年度末まで延長する法改正が行われたこの法律と、本法案の違いを「次世代育成支援対策推進法」のこれまでの成果と実績をあわせてご説明ください。 ”
”我が国は、昭和60年に締結した「女子に関するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」に基づき、国連委員会に対し、政治的、社会的、経済的および文化的活動に女性が男性と平等に参加することに対し、残っている障害を克服するための処置を報告しなければなりません。これは本法案で、自治体や企業に課している女性の採用比率や女性管理職比率などの定量的目標設定といった内容と一致しますが、国連に勧告されたから本法案を作ったのですか? ”
”この法案といわゆる女子差別撤廃条約、そしてそれを基に策定された男女共同参画基本法との関係をお訊ねします。本来日本は、男女の役割分担をきちんとした上で、女性が大切にされ、世界で一番女性が輝いていた国です。女性が輝けなくなったのは、冷戦後、男女共同参画の名の基、伝統や慣習を破壊するナンセンスな男女平等を目指してきたことに起因します。男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想です。女性にしか子供を産むことはできない。こんな当たり前のことに目を背けた政策を続けた結果、男性ばかりか当の女性までが、女性にしか子どもが産めないことをネガティブにとらえる社会になってしまいました。 ”
”いつから女性は弱者になったのか。国の施策において、やたら主語に「女性」を持ってくるようになって以来、どんどん女性が弱者として扱われるようになりました。「男女差別撤廃条約」の破棄、男女共同参画基本法の撤廃を行い、男女がお互いに尊重し合える社会を取り戻すことを日本国の皆さんにお誓いして、私の質問を終わります。 ”
”女性が輝けなくなったのは、冷戦後、男女共同参画の名の基、伝統や慣習を破壊するナンセンスな男女平等を目指してきたことに起因します。男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想です。”
”男女共同参画の考え方についてお尋ねがありました。男女共同参画社会とは、男性、女性、共に社会のあらゆる分野において活動、参画する機会が確保されて、均等に社会的利益を享受することが出来、共に責任を負うべき社会であり、男女の区別を否定したり、国の伝統文化を否定したりするものではありません。
いわゆるジェンダーフリーにつきましては、平成17年に閣議決定した「第二次男女共同参画基本計画(※PDF)」において、「ジェンダーフリーという用語を使用して、性差を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして、人間の中性化を目指すこと。また、家族や雛祭り等の伝統文化を否定することは国民が求める壇上共同参画社会とは異なる」と明記をされており、この見解に変わりはございません。”
冷戦後の話なのに戦前が良かったのかとかいう見当違いのブコメや法案の中身の話なのに男女共同参画社会という言葉から、らいてうがどうとか言っているブコメに辟易したので増田に残す。
ちゃんと、人の話は聞きましょう。
返答させて頂きます。
で、「先天性で分けるとは言ってない。」とのことですが、すると何を根拠に「性の根本的なところの'差異'」と断じているのでしょうか?
こちらですが、「性の根本的なところの'指向の差異'」の間違いですね。申し訳ないです。
元増田は特に法的な問題を重視しているようですので、その点では確かに他の性的嗜好との差異はあるのでしょうが、それは差別問題の一部に過ぎず、そこに基準を置くのはあまり良くないように思えます。
スカトロは「強迫神経症などの病気の症状のひとつ」、ロリコンは「障害名を作った上で差別や迫害に対して運動していく」という言及とも矛盾を感じます。性的嗜好は「好奇心の延長」と書いていますが、先天性で分けるのではないなら、好奇心の延長でLGBTになる人も多いのではないですか?
「スカトロは強迫神経症などの病気の症状」については、「食糞しながらじゃないとセックスができない人間」がいた場合と書いたように、スカトロなしでは生きられない人が万が一いた場合の仮定です。
事実そんな人はまわりにいませんし、一度も聞いたことが無いので、要するに「スカトロは嗜好のひとつ」という意味合いで書いています(悪魔の証明はさせないでくださいね)。
スカトロは嗜好であり、'根本的な指向'ではないですよね、という意味が伝わればと思います。
ロリコンについては、たとえ幼女とオッサンの両者が合意したとしても様々な法律に違反します。スカトロとは違い、日本国で禁止されていますよね。
その禁止によって耐え難い苦しみがあったり、非常に生きづらいと感じる方もいると思います。
もしその苦痛が本人の意志でどうにでもできるレベルではないとき、アスペルガー症候群などの発達障害のように、治療で解決する手段もあるかと思います。
そういう意味でスカトロのように自由な嗜好と異なり、ロリコンは障がい者として治療する方向性を書かせて頂きました。
なおLGBTに関しては、現在は様々な国で法律が変わっていると思いますので、障がいとして治療する必要は薄くなっていると思います。
ロリコンと違い法律で規制されなくなると、本人たちが生きやすい社会になるとともに病気にカテゴライズする必要性が特になくなります。
LGBTに障害名をつけよう、などと言い出すのが典型的な差別発言だということには異論はないと思いますが、元増田の中ではどのように両立しているのでしょうか?
はてな村のはずれで、性的指向(LGBT)と性的嗜好(スカトロやSM)も
同じような性的マイノリティなので差別するな、という話が出ていたのでひとこと。
性的指向の問題は生まれながらの場合が多かったり、小さい頃から苦しんでいるケースも多く、
性の根本的なところの'指向の差異'であり、結婚ができないなどの法律的な問題も出てくる。
一方で「性的嗜好」は本人が選択した行為だったり趣味のようなものが多く、只の好奇心の延長である場合が殆どだ。
※もし万が一、「食糞しながらじゃないとどうしてもセックスができない!」というガチな人がいた場合、
それはスカトロが生まれながら好きというより、強迫神経症などの病気の症状のひとつで、スカトロ自体は本質に関係ない。
そのように「性的嗜好」は誤解を恐れず言うと「セックスへの変わった趣味」に近いので、性的指向の真面目な話をしているときに
「スカトロの差別もなくしたい!」とか「スカルファックの差別もなくそうぜ!」とか、「ゴキブリSMプレイをしてた事を誇りに思う!」などと言うと、
一般的には馬鹿にされたと思い、相手を怒らすか傷つけてしまうだろう(それは想像できるよね?)
※もちろんスカルファック好きなLGBTの人も世界のどこかにいると思うが、そういう話はそういう場所で。
ここで出てくるのが、「だが小児性愛は趣味じゃないし、まさに差別されてるんぜ?」というロリコン(ペド)の問題だけど、
生まれながらに大人の女性に一度も興味が出たことがなく、ガチの小学生女児しか性的対象にならない性質だとしたら、
それはスカトロなどの性的嗜好(趣味)とは異なり、性的指向に近い問題になってくる。
結婚できないし、法的に性交もできないという苦しみから逃れられないし偏見もうける。自ら選択した趣味ではないにも関わらず。
もしかするとADHDやアスペルガーみたいに治療やカウンセリングが必要なケースもあるかもしれないし、
障害の名前を付けてもらえると本人の苦悩が開放される場合もあるので、障害名を作った上で差別や迫害に対して運動していく必要があるかもしれない。
・・・そんな障害名を付けられるなんてまっぴらだ!という意見も当然あるだろうけど。
で結局何が言いたかったかというと、LGBTの話をしているときに「スカトロも差別されないようにしたいね!」と言うと相手が怒ったり悲しんだりする反応は想像すべきだし、
さらにその反応に対してダメ出しするなんてヒデェ話だし、スカトロに関しての後付けの苦しい言い訳なんかしないで、
素直に謝った方が良かっただろうねってこと。そんでロリコンはまた別の問題。
・・・生きにくい世の中になってきたなぁと思うか、生きやすい世の中になっていってるなぁと思うかは、わかれるところだろうがな。
■追記1
ロリコンについて誤解を受けそうな内容だったので追加。
「ロリコン行為」は当然犯罪だし、判断能力のない相手に対する暴力になるので、実際に行為に移した人間は刑務所に行ってくださいって前提で話をしている。
今回言っているのは「行動には移していないロリコン」に関してで、ロリコンカップルを容認したい論じゃない。
彼らは障害名をつけてカウンセリングされるのがいいと、個人的には思うよ。
■追記2
aklaswad
誤読させてスマンが、自分は "生まれながらの場合が多かったり、小さい頃から苦しんでいるケースも多く、" と書いてるように、多いケースがあるだけで先天性で分けるとは言ってない。
あとオタク差別の話に何故結びつくのか知りたいが、オタクが結婚できなかったり法的な不利益受けるような被差別ケースを知らないので、その具体例を教えてくれ。
Pi7 指向と嗜好とロリに単に恣意的な定義付けをして「指向と嗜好は別、一緒にすんなクソ。でもこの理論ではロリが説明できないからそれも別な」と言うクソ論理
というかブコメを見てバカだと思うのが、本当にLGBTと性的嗜好を一緒の問題だと思ってるの?ってこと。
もっと言うと、あの"自称スカトロジスト"が「差別と闘う!」と言って、本気にしてるの?w
あの内容を本気にしてるなんて、ば~~~かじゃねえの?って話。
青山正明っていうスカトロ専門雑誌を編集してたサブカルライターがいるんだけど(亡くなった)、
彼は障がい者・スカトロ・ドラッグなど、様々な変態的な行為に興味がある人だった(し、それをネタにしていた)。
で、彼みたいに変わった嗜好の人はいろんなプレイをしていて、大抵スカトロ以外も興味がある(腹ボテとかNTRとかね)。
そんな多趣味な変態が「スカトロジストを差別するな!」と言っても、おかしいでしょ?
スカトロっていう彼の中のチャレンジのひとつを誰も糾弾しちゃいないし、法的なデメリットもない。
勝手にやるぶんには何の問題もなく、ヤりたきゃヤっとけと思うだけ。
誰もお前を差別なんかしちゃいねーよ(生理的嫌悪がある人はいるかもしれんがね)。
もっと言うとどう考えてもウケ狙いで"スカトロジストを誇りに思う"と言ったのに、謝罪せずに定義とか複雑な問題に持っていき、
それに見事にハマったブクマした人間の阿呆さが滑稽だよなぁって話で〆る。
ちなみに青山正明の方はスゴイ好きだ。
■追記3
あるだろw
ブコメかどっかで見たが、「性的嗜好」は「たばこの嗜好」とかにも似てるかもね。
周りに迷惑かけない範囲なら権利は侵害されないし、お好きにどうぞってやつ。
ただその行為を好意的にみる人もいるし嫌いな人もいるってだけのお話。
ごめん、何言ってるかわからない。
ちなみに、嗜好に関しても、もしそれによって理不尽な対応や差別を受けることがあれば、撤廃すべきだと思ってるよ。
「アニメが好きというだけで部屋を借りられなかった」とかの事例が万が一あれば、叩くべきと思う。
「LGBTと嗜好はわけて話すべき」であるが、どちらも差別されるべきじゃないというのは補足しておく。
■追記4
で、「先天性で分けるとは言ってない。」とのことですが、すると何を根拠に「性の根本的なところの'差異'」と断じているのでしょうか?
こちらですが、「性の根本的なところの'指向の差異'」の間違いですね。申し訳ないです。
(本文も直しました)
元増田は特に法的な問題を重視しているようですので、その点では確かに他の性的嗜好との差異はあるのでしょうが、それは差別問題の一部に過ぎず、そこに基準を置くのはあまり良くないように思えます。
スカトロは「強迫神経症などの病気の症状のひとつ」、ロリコンは「障害名を作った上で差別や迫害に対して運動していく」という言及とも矛盾を感じます。性的嗜好は「好奇心の延長」と書いていますが、先天性で分けるのではないなら、好奇心の延長でLGBTになる人も多いのではないですか?
「スカトロは強迫神経症などの病気の症状」については、「食糞しながらじゃないとセックスができない人間」がいた場合と書いたように、スカトロなしでは生きられない人が万が一いた場合の仮定です。
事実そんな人はまわりにいませんし、一度も聞いたことが無いので、要するに「スカトロは嗜好のひとつ」という意味合いで書いています(悪魔の証明はさせないでくださいね)。
スカトロは嗜好であり、'根本的な指向'ではないですよね、という意味が伝わればと思います。
ロリコンについては、たとえ幼女とオッサンの両者が合意したとしても様々な法律に違反します。スカトロとは違い、日本国で禁止されていますよね。
その禁止によって耐え難い苦しみがあったり、非常に生きづらいと感じる方もいると思います。
もしその苦痛が本人の意志でどうにかできるレベルではないとき、アスペルガー症候群などの発達障害のように、治療で解決する手段もあるかと思います。
そういう意味でスカトロのように自由な嗜好と異なり、ロリコンは障がい者として治療する方向性を書かせて頂きました。
なおLGBTに関しては、現在は様々な国で法律が変わっていると思いますので、障がいとして治療する必要は薄くなっていると思います。
ロリコンと違い法律で規制されなくなると、本人たちが生きやすい社会になるとともに病気にカテゴライズする必要性が特になくなります。
LGBTに障害名をつけよう、などと言い出すのが典型的な差別発言だということには異論はないと思いますが、元増田の中ではどのように両立しているのでしょうか?