はてなキーワード: 日本国とは
ここに僕がどう受け止めたかを書く。
お気持ちをどう捉えるかは国民個々人に任せられたものであるからして、これは僕個人の受け止め方です。
あなたがたがどう思うかは分からないが、書かずにはいられないので書く。
「もう高齢だから引退したいよ」という話でもなければ「憲法があるから言いたいこと言えない」という話でもないので、陛下を尊敬する国民として重く受け止めたい。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160808/k10010626811000.html
本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
ツイッターなどを見ていて、陛下のこのお気持ちの表明に対して「憲法があるから遠回しに表現したんだね」的にとらえている人が多いように思いますが、僕はその理解では陛下のお気持ちを半分しか分かっていないのではないかと思います。
陛下は以前から、そして今回のお気持ち表明で「象徴」や「天皇という立場」に強いこだわりを表明されています。
憲法があるから思っていることをストレートに表現できないのではありません。違います、たぶん。
このお気持ちの表明をよく読み返せば、陛下が「象徴天皇」であることを誇りに思われていることがわかるかと思います。
現状とこれからの問題点に対して「私はこうしたい」や「こう変えるべき」ということを言わず、憲法と民主主義(国民と国民の選んだ政治家)に委ねることこそ象徴天皇のあるべき姿であるという強い意思を感じました。
憲法があるから思っていることをストレートに表現できないのではありません。違います、たぶん。
私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。 私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。 天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。 こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。 皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。
陛下は、ここで『天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。』と仰られています。
ここは僕の解釈ですが、「直接的・短絡的な存在意義を問いにくい存在」である象徴天皇とは何のためにいるのか、自分に何ができるのかを陛下が自問し、求道者的・修行者的とでもいうべき数十年があったように感じました。
「日本国の天皇とは」ではなく「象徴である天皇の存在意義とは」を強く意識されてこられたのだと思います。
繰り返しになりますが、現状とこれからの問題点に対して「私はこうしたい」や「こう変えるべき」ということを仰らないのは、それが憲法で縛られているからでなく、自らが象徴であることを『天皇として~幸せなこと』と感じられているからであり、「象徴天皇の自覚を育て続けてきたから」という陛下のご意思であると僕は受け止めています。
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。 また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。 しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
ここは重要な件です。
単にご公務を減らし、皇太子殿下や秋篠宮殿下に任せるのでは「行うべき仕事をしていない人が象徴というおかしな状態になる」、天皇の存在意義が問われると陛下はお考えであると僕は受け止めました。
僕個人は陛下がご公務を減らしても天皇としての存在意義は揺るがないと思いますが、陛下は上記のようにお考えなのではないでしょうか。
象徴天皇は、その歴史的権威だけではなく、憲法や法律によって成り立っています。
血筋でなるのではなく国民に存在を認められるからこそ象徴でい続けられる、陛下はそこまでお考えなのではないでしょうか。
代理やご公務の削減をしているのでは、「行うべき仕事をしていない人が象徴」では国民の理解と敬愛を得られるはずがないという強いご意思を感じます。
天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。 更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。 その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。 こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。
ツイッターなどで「我々国民の負担を考えてくれる陛下マジ陛下」的な受け取り方をした人が多いようで、僕もそう思いました。
これは僕の勝手な推測ではありますが、陛下はご自身の力が及ぶうちに皇太子ご夫妻へバトンを渡してサポートしたいとお考えなのではないか、ということです。
残念なことに、世の中には皇太子ご家族を悪くいう国民がいます(国民が良し悪しを評価するのではなくサポートするべきではないのかと思いますが…)。
陛下とともに歩んでこられた皇后美智子さまも60年台から90年台にかけてバッシングをうけたことがあります(wikipedaあたりを読んでください)。
両陛下と秋篠宮殿下や皇室全体で皇太子ご夫妻の即位後をサポートしていくことで次世代と継承をより良いものにできるとお考えなのではないかと、勝手ながら僕はそのように感じ取りました。
始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。 そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。
陛下はご自身が『象徴天皇』≒『権能を持たないEMPEROR』であることを誇りに思われているのだな、と感じる件です。
あくまでも、お気持ちを我々と我々の選んだ政治家に委ねられているのですから。
国民の理解を得られることを、切に願っています。
天皇陛下がですよ、大君・大王でありEMPERORたる陛下がですよ、『国民の理解』を、『切に願って』いるんですよ。
何度も言いますが、陛下は「こうしたい」とも「こうしたらいいんじゃないかな」とも仰っていません。
ただ、お気持ちをお話になられ、それが我々と我々の選んだ政治家がどうするかに委ねていらっしゃるのです。
2016年8月8日、天皇陛下が生前退位にむけて自身の考えを表明しました。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6210338
これは極めて異例なことではありますが、なぜそんなことをする必要があるのか、なぜ生前退位がすんなりとできないのかよくわからない人もいるだろうからわかりやすくまとめます。
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条
日本国憲法は敗戦後策定されたものなので、いかに天皇陛下をどうすべきかというのが最重要項目だったというのが想像できます。
(この辺については昭和天皇の戦争責任だ、敗戦国のなんちゃらだとかいろんな見解があります。長くなるし、本筋からずれるのでここでは述べません。)
我々一般人には馴染みがないだろうけど皇室に関わる取り決めはこちらにてより細かくまとめられています
この中の第24条に天皇陛下が崩御された時の取り決めが記述されています
法律で決められているので、なんらかの都合が悪いとなってもやらざるを得ないことになります。
例えば、想定できる内容だと東京オリンピック期間付近で天皇陛下が崩御された時、オリンピックやっているのに大喪の礼を行って良いのか、オリンピックやるべきなのかという議論が出るリスクを抱えます。
(議論が出るだけで法律で決まっているので改正しない限り、やらない・延期する・短く済ますなどの例外措置も緊急で取れません)
もし仮に、イレギュラーな措置をしたい、皇室典範は改正したいとなれば「皇室会議」を開かなければいけません。
議員十人(皇族二人、衆議院及び参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣、宮内庁の長並びに最高裁判所の長たる裁判官及びその他の裁判官一人)でこれを組織する。
となっています。
皇室典範は憲法第2条に紐付かれた重要な法律であるため、「立法」の管轄になります。これは国政となります。
の記述があるため、天皇陛下の側から皇室典範に関わる改正を直接お願いすることはできません。
あの人と結婚したいのですがよいでしょうか?と内閣総理大臣はじめとした議会メンバーに認められなければ結婚できません。
皇室典範第十一条 年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。
○2 親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王は、前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。
皇太子及び皇太孫は皇族を辞めたいと思っても離れることはできないと明記されています。
皇室典範の中には天皇陛下の即位については記述がありますが、退位については明確な記述がありません。想定されていなかったということになります。
仮に生前退位を認めたとして、元天皇陛下の立場はどうなるのか、制限はどうなるのか、崩御された時大喪の礼を行うのかどうするのかなど新たに決めなければいけないことが多い。
天皇陛下側から内閣および皇室会議にお願いすることはできません。
してしまえば、国政に干渉することになるので憲法違反となります。
そこで
こちらの記述に則って、「天皇陛下お気持ち表明」という形で「生前退位」をしたいと国民へのお願いがなされました。
天皇陛下のできる範囲で憲法違反せず、憲法や法律を変えて欲しいというお願いをしているわけですね。
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/common/pdf/leaflet.pdf
憲法を改正するには国会の2/3以上の承認を経て、その後国民投票の1/2以上で可決されます。
大雑把には決まっていますが、具体的にどう進めるのかこれを取り決めるのも大変な労力です。
天皇陛下の「生前退位」の可決は立法および国政に関わるため、国民の総意を問う必要がある。
だから、「天皇陛下お気持ち表明」という憲法違反しない形で国民に異例のお願いをするという形となった。
戦後初めて「国民投票」および「憲法改正」する重大な出来事になる可能性が高い。
国民の総意を簡略的に認めるとなれば、憲法改正の国会提出や国民投票するまでもなく、皇室典範改正をすることになります。
その妥当性があるかどうか、生前退位を認めてどうしたいのか、議長である内閣総理大臣がその重要性、意義を認めて皇室会議を招集する必要があります。
実際のところ、真新しい内容は何もない。
国事行為が満足にできなくなるのが理由というのも、この話題が出た頃からニュースで言われていた。
直接意向を示すことはできないので、理解を求めるというスタンスだったのも、大方の予想通りだった。
現行憲法に定められている通り、天皇とは日本国の象徴、国民統合の象徴である。
しかし同時に、陛下は平成という時代の象徴で、いずれ来る崩御によって平成という時代が終わる。
それに比べれば、国事行為が減るなど些細なことで(なんなら摂政にやってもらえばいい!)、
退位という形で平成に終わってもらっては困るという考えすら、心のどこかにあった。
けれども、そういう考えで、将来の国民の支持が得られるだろうか。
今後、「ただ君臨するだけ」という状況が続くことがあれば、さらにその声は増していくだろう。
仮に、共産党が政権を取ることがあれば(今は彼ら自身すら、現実的とは思っていないだろうが)、
彼らはすぐさま廃位に向けて動き出すことだろう。
是非は別として、この書き手が明確に見間違えている、あるいは見落としていることについて
この映画は「ゴジラという災害」と「日本」の戦いであり、明らかにそれを意識した作られ方をしているということ。
つまり登場人物は誰一人ヒーローではない。フィクショナルな意味でのスーパーヒーローは出てこない。
作中でも語られる通りに代替可能なキャラクターであり、しかし彼らが活躍するからこそ「一人の英雄」ではなく「日本」が見えてくるのだ。
さんざん指摘されているように、ヤシオリ作戦の内容は「ヤシマ作戦」と酷似している。
(①敵がエネルギー充填のため停止中 ②空撃は自動的に追尾破壊 ③日本中が集結)
「シン・ゴジラ」の作中に明確なヒーローとヒロインがいれば、エヴァンゲリオン同様に世界はシンジと綾波の笑顔に集約されてしまう。
熱く盛りあがりたければ自己犠牲を出せばいい。感動的なBGMを流せばいい。スローモーションをかければいい。
感情移入を誘発させて、画面に向かって叫ばせればいい。むしろ観客を感動させようと思うのなら、こんなに簡単なことはない。
それを「ないからダメ」ではなく、「なぜそうしなかったんだろう」という疑問を持って本作と向き合ってもらいたい。
そのうえで、内容が気に食わないのなら仕方がない。自分の好きなものと違うからだめ、という見方はあまりにもったいない。
矢口、カヨコ共に親の七光りであることは強調されているし、なによりあるキャラクターの薬指には指輪が光っている。
だが本作で書かれているのは理想の国家であり、登場するのは理想の公務員たちだ。
ゴジラが本性を発揮し、津波、地震、原発とその表すものが明らかになっていくうち明快になるが、
言ってしまえば彼らは「こうあってほしかった」とされる東日本大震災と原発事故に対応する日本国家だ。
だから彼らには徹底的なリアリティが必要とされ、ストイックさが求められる。
悲劇に立ち向かうたびに恋人に電話して、励まされて頑張る、だとか
田舎に帰って親に説教されて立ち直る、とか 死にゆく前に子供の顔を思い出す などの
よくある展開に飲み込まれない、強靭でありながらステレオタイプに寄り過ぎない国家公務員だからだ。
書き手が疑問に思っている「出世の野心」についてはもっと明快で、これは彼らの軽口にすぎない。
「国のため!」「私たちがやらなければ誰がやるんですか!!」といったような言動は安易にナショナリズムを刺激し、
また誰もが聞き慣れており、その言葉は嘘と虚飾にあふれている。なにより非常に陳腐なのだ。
それこそ書き手が「言わせるなよ」と評した「ゴジラより怖いのは人間」といった表現と同じように。
詳しくはゴジラ(1984)をご参照願いたい。
朝起きれば津波。昼休みに流される車。倒壊する学校。鳴り止まないサイレン。
街が泥水に覆い尽くされ、数えきれない人々が瓦礫の山と共に砕かれていく。
バラエティ番組は自粛、CMは自粛、連日の黙祷、増え続ける犠牲者、行方不明者。
確かにこの頃「何度でもやり直せる!全然OK」等と唱えていたら、書き手に同調する人は多かっただろう。
だが震災より既に5年半が経過している。また先日の熊本大震災、あるいは津久井やまゆり園の例に見るように、
悲しみは絶え間なくやってくる。
そういった中で明るい展望を見出し、これからの立ち直りを示唆することが悪いとは到底思えない。
また繰り返すように、本作は理想の国家公務員たちが作り上げた理想の災害対処である。
書き手が腐るほど見てきたという作品群は、恐らく以下のようなカタルシスの産み方を目指していたものだろう。
→④予期せぬアクシデントが発生する
→⑤とっさの機転で切り抜ける
が、本作はその点を利用していない。しようとしていない。それは映画を見ればわかる。
まずは②にあたるものが本作にはない。作戦の目的以外、つまりどう実行するか?の点について、
本作では最後まで伏せられている。
発破をかけたビルでゴジラを押しつぶすという作戦を観客に提示する、その絵だ。
ビルと鉄道に「日本の技術力、ひいては日本そのもの」を読み取るのもいい。
(今までゴジラに破壊されてきたものの逆襲という背景を深読みしてもいい)
もし書き手が少しでも頭を使って本作を見ていれば、流石にゴジラを東日本大震災と重ねているはずだ。
そこから何も読み取ろうとせずに、フィクション世界の物差しで本作を「ご都合主義だ」と言っているのであれば
読み取り方を完全に間違えている。
本作はリアリティを追求しつつ、観客に「これは東日本大震災のメタファーですよ」「そして彼らは非常に有能な公務員たちですよ」と
前半までに否応なしに畳み掛けることで、
本作の、少しでも間違えたら全てのシーンが冗談になってしまうヤシオリ作戦について「嘘」を認めさせるという高度な作り方をされているのだ。
書き手は「私は震災で家族を亡くしている」などという設定があれば、
・押し潰される団地
・頻出するガイガーカウンター
・明確に原発封鎖を目的としたコンクリートポンプ車に似せたゴジラ沈静化作戦
ここまでされても「ごく自然にゴジラを震災や核と重ねることもでき」ないのであれば、
ここまで書いた文章はすべて無駄で、純粋にリテラシーの問題だ。
褒める褒められないの視点に立ててすらいない。
問題文が読めていないのだから、出した答えが正解しているわけがない。
もちろん、書き手を否定した文章すべての答えが正解であるはずもない。
だからもちろん、こういう人にこそブルーレイを買って何度も見なおしてもらいたい。
映画は何回も見れば見方が変わるものだし、繰り返し話すことで理解は当然広がっていくはずだ。
一回で全てを理解してしまい自分の中に全てを落としこんでしまった人よりも、この書き手は本作を何倍も何倍も楽しめるのだから。
本作も庵野作品らしく、元ネタからテーマを考えると分かりやすい。以下、元ネタと目される作品・事件との比較から本作のテーマを考える。
http://anond.hatelabo.jp/20160731121447
『シン・ゴジラ』は『日本のいちばん長い日』から多大な影響を受けている。激しいカット割りは岡本喜八作品の特徴そのものであるし、日本が重大な危機に直面した際に、どう対応するのかということを題材としている点でも同一である。
しかし、そこで描かれるテーマは異なる。『日本のいちばん長い日』はポツダム宣言受諾を目前に、原爆を2発落とされておきながら、なお利権争いを続ける官僚・政治家の醜悪さが描かれる。そこでは官僚・政治家が一丸となって事態に対処するという姿勢は見られず、最終的な解決は天皇が”ただ独りで”下した「御聖断」によってつけられる。
他方、『シン・ゴジラ』では、責任逃れのために策謀を凝らす政治家・官僚が現れたりはするものの、官僚・政治家・科学者(+ドイツ・中国・米軍)が”一丸となって”ゴジラの問題に対処する。そこには、どんな重大な危機でも、みんなが一丸となって理性を行使すれば必ず解決できる、というポジティブなメッセージがある。
『シン・ゴジラ』のストーリー展開は『エヴァ/ヱヴァ』におけるラミエル戦とそっくりである。すなわち、『エヴァ/ヱヴァ』においては使徒ラミエルを倒すために全国の発電所および送電車が動員され、日本国が一丸となって協力する姿が描かれる。『シン・ゴジラ』においてはゴジラを倒すために全国のプラントおよび化学工場が動員される。
『エヴァ/ヱヴァ』においては、こうした戦いを通じて主人公シンジ君が生きる意味を見出す過程が描かれる。父に捨てられた経験から生きる意味を見失っていたシンジ君は、エヴァに乗って世界を救うことが自分の使命であると自覚していくのだ。
しかし、シンジ君はその後、使徒レリエルとの戦いの過程で、自分が乗っているエヴァがとんでもない化け物であることに気付きはじめ、続くバルディエル戦で親友トウジに重傷を負わせる(漫画版では殺害)に至って、生きる意味を完全に見失う。
そこで描かれるのは「みんなで協力して事態に対処したところでそれらは全く無意味である」というかなりニヒリスティックな結論である。
他方、『シン・ゴジラ』においてはこうしたひねくれたストーリー展開はないため、「みんなが一丸となって協力すれば危機を乗り切れる」というポジティブな結論になっている。
『シン・ゴジラ』においては初代ゴジラをリスペクトすることが明言され、ゴジラのデザインやストーリーに初代ゴジラの影響があることがしばしばインタビューなどで語られている。
『ゴジラ』のテーマの1つは、当時問題となっていた第五福竜丸事件を背景とする、反核兵器の思想である。ゴジラは水爆実験の影響で出現し、東京でゴジラがまき散らした放射線は罪のない児童にまで及んだという描写からこれがうかがえる。
他方、『シン・ゴジラ』でも核及び原子力問題がテーマとされている。ゴジラは海中に投棄された核廃棄物を喰らったことで東京に出現し、原子力エネルギーによって動いている。
しかし、『シン・ゴジラ』ではこの問題に対する姿勢はもう少し複雑なものとなっている。
まず、①原子力で動くゴジラの破壊力はすさまじく、東京は一瞬で火の海にされてしまう。他方、②ゴジラがまき散らす放射線による被害は小さいとされ、③ゴジラのエネルギー源の研究を進めれば現行の原子力発電よりもより安全でクリーンなエネルギーを調達することができることも示唆される。作中ではこのゴジラの2面性を評して「ゴジラは神の化身にして、人類に福音をもたらすもの」とも言われる。
しかし他方で、④国連安保理による核兵器投下はきわめて否定的に描かれる。
ここには、「核兵器の使用には断固として反対するが、原子力の活用については現実的に考えなくてはならない」というメッセージがうかがえる。
以上の検討から、『シン・ゴジラ』のテーマは、「どんな重大な危機でも、みんなが一丸となって理性を行使すれば必ず解決できる」ということと、「核兵器の使用には断固として反対するが、原子力の活用については現実的に考えなくてはならない」という点にある。
◇「私は好きにした。君らも好きにしろ。」は岡本喜八監督から庵野監督へのメッセージ(牧吾郎の写真に岡本喜八監督の写真を採用したのはこのせい)。「この国で好きを通すのは難しい」はこれに対する庵野監督の回答。現代における作品作りの難しさを言っている。
これを踏まえてラストの「そろそろ好きにしたらどうでしょうか」を聞くと趣深い。すなわち、『シン・ゴジラ』は、色々な制約(予算やオールドファンの批判)で自分の好きに映画を作れない監督が、それでも俺は好きな映画を作るんだ!という映画である。結局、TV版の『新世紀エヴァンゲリオン』のラストと同様、フェリーニの『8 1/2』と同じ結論になる。
◇ラスト、血液凝固剤を流し込むシーンは、一見バカバカしいと思ってしまうが、福島第一原発にコンクリートを流し込むという形で実際にやったこと。
◇ラスト、ゴジラは死には至らず、凍結されるにとどまるが、これは同じく凍結状態にある福島第一原発を模している。今後も対処を続けないと、とんでもないことになるよ、という暗喩か。
(1) 孤独な男(シンジ・牧吾郎)が、強大な力(13号機・ゴジラ)を手にして事件を引き起こす。
(2) 危機に対応するのが現実主義的な集団(ゴジラ討滅のために核の使用も辞さない人類・エヴァ殲滅のために初号機を主機として使用するヴィレ)である。
すなわち、両者ともに、危機に対する現実主義的な対応を描いている。トーンの明暗を分けたのは、視点を孤独な男(シンジ)サイドに置くか、現実主義的な集団(日本政府)に置くか、の違い。
妻を放射線で亡くしたことで反原発思想になった結果、日本の学界を追放されてアメリカへ。
国民の生活や命よりカネを優先して原発開発を続ける日本に報復するために、核エネルギーで動くゴジラを出現させた。
その結果、①多数の東京都民が疎開により生活拠点を奪われ、②いつ復活して再び惨禍をもたらすか分からない凍結ゴジラが都のど真ん中に鎮座してしまった。
ソースは http://i2.wp.com/mera.red/wp/wp-content/uploads/2016/07/1469509643379.jpg
黒塗りは [黒塗り] と表記
この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。
常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし, 保護者の疲れきった表情, 施設で働いている職員の正気の欠けた瞳, 日本国と世界の為と思い居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。
理由は世界経済の活性化, 本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。
障害者は人間としてではなく, 動物として生活を過しております。車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し, 保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。
私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活, 及び社会的活動が極めて困難な場合, 保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。
フリーメイソンからなる [黒塗り] が作られた [黒塗り] を勉強させて頂きました。戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく, 多くの憎しみを生みますが, 障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます。今こそ革命を行い, 全人類の為に必要不可決である辛い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。
世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでしょうか。是非, 安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。
衆議院議長大島理森様, どうか愛する日本国, 全人類の為にお力添え頂けないでしょうか。何卒よろしくお願い致します。
文責: 植松 聖
――改ページ――
私は大量殺人をしたいという狂気[?]に満ちた発想で今回の作戦と[?]提案を上げる訳ではありません。全人類が心の隅に隠した想いを*[?]に出し, 実行する決意を持って行動しました。
今までの人生設計では, 大学で取得した小学校教諭免許と現在勤務している障害者施設での経験を生かし, 特別支援学校の教員を目指していました。それまでは, 運送業で働きながら [黒塗り] が叔父である立派な先生の元で3年間修行させて頂きました。
9月車で事故に遭い目に後遺障害が残り, 300万円程頂ける予定です。そのお金で [黒塗り] の株を購入する予定でした。 [黒塗り] はフリーメイソンだと考え( [黒塗り] にも記載)今後も更なる発展を信[?]んじております。
外見はとても大切なことに気づき, 容姿に自信が無い為, 美容整形を行います。進化の先にある大きい瞳, 小さい顔, 宇宙人が代表するイメージそ[?]れらを[?]実現しております。私はUFOを2回見たことがあります。未来人なのかも知れません。
本当は後2つお願いがございます。今回の話とは別件ですが, 耳を傾けて頂ければ幸いです。何卒宜しくお願い致します。
精神薬を服用する人は確実に頭がマイナス思考になり, 人生に絶望しております。心を壊す*[?]に頼らずに, 地球の奇跡が生んだ大麻の力は必要不可決だと考えます。何卒宜しくお願い致します。私は信頼できる仲間と過すことを目的として書いています。
日本には既に多くの賭事が存在しています。パチンコは人生を蝕みます。
街を歩けば違法な賭事も数多くあります。裏の事情が有り, 脅されているのかも知れません。それらは皆様の熱意で決行[?]することができます。
恐い人達には国が新しいシノギの模索, 提供することで協調できればと考えました。日本軍の設立。刺*[?]を認め, 簡単な筆記試験にする。
出過ぎた発言をしてしまい, 本当に申し訳ありません。今回の革命で日本国が生まれ変わればと考えております。
――改ページ――
作戦内容
重複障害者が多く在籍している2つの園(津久井やまゆり, [黒塗り] を標的とします。
見守り職員は結束バンドで見動き, 外部との連絡をとれなくします。
逮捕後の監[?]*[? 毎日新聞では「禁」] は最長で2年までとし, その後は自由な人生を送らせて下さい。心神喪失による無罪。
新しい名前 [黒塗り 毎日新聞では「伊黒崇」] )本籍, 運転免許証等の生活に必要な書類。
想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが, 安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております。
植松(うえまつ) 聖(さとし)
[黒塗り]
http://anond.hatelabo.jp/20160727014324
(変な意味で言っているのではないのだけど)人間の形をしてさえいれば、動物よりもみんな偉いし(youtube動画からすると牛肉の牛の殺し方とか情け無用)、すべての事象は神の采配であり、その神に逆らうことは地獄行きを意味し、聖書・経典に倣えば自分は死後天国に行けるわけで、という理解は合っているかな。。
一方、日本国では「和をもって尊しとしなさい、自分たちでどうにか仲良くしなさい」だから、和の概念がない奴や仲良くする・うまく一緒にできる能力がなさそうな奴は落伍者になるんだな。
もっとも、最近は和(立場が違う人とも理解・協力しあおうとする)と、同(同一になれ(経済効果だの効率化だの)、異論は許さん)とを混同している風潮がある感じがするなぁ、私は。
言葉や習慣が違うというだけで、和するのにコストがかかるから低能者扱いされる。経歴立派な外国人に、日本語がカタコトなゆえ赤ちゃん言葉で応対する人も少し前は割と見かけたな。
http://anond.hatelabo.jp/20160724063141
ウヨが全員そうかは無論知らないが、ナマポその他で、中韓などの連中が家族を引き連れたり、母国の親戚まで家族に入れたり人数水増しして、せしめている話を聞いて、そりゃいかんといったところから、啓蒙活動していくうちに、マスコミによる歪曲や市町村議員の票田の種になっていることを知って、ナマポ自体に反対するようになったんじゃないかな、と考えている。ウヨだからナマポ反対なのでなくて、逆方向のなれの果て?
サヨも、友人や近所の人の戦禍や被差別の話などから、マスコミによる隠匿や米の陰謀につながって、日本国や米国政府のすることを何でもかんでも潰す方向になったのかと。
2chは10年近く見ていないなあ。。どこの板のことだろう?
イスラム国系のテロが仕方のないテロ、つまり、武力行使に対して武力行使を返しているだけだ、と言いたいわけだな。
そこは俺が日本国内でテロが起こった場合しか想定していなかったため、想定の範囲外だった。
そうした大きな問題にまで思いをはせる視野の広さは俺にはないものだが、正直それでお前は何がしたいんだ?何ができるんだ?
俺は日本国が平和(武力を行使しない、されていない状態を指す。武力の有る無しは問わないが、現実問題武力のない平和は無理であろう)であるように選挙権を行使することが自分にできる精一杯のことだし、それしか考えられん。
それを低脳と呼ぶなら好きにすればいい。
赤の他人の生死がかかった問題を引き合いにして気に入らない人間を攻撃するお前の卑劣さと比べたら、低脳である方がよっぽど良い。
「やめたいのにやめられないなんて、陛下の人権は?」みたいなことを言ってる人いるけど、
「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、
政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。(第14条)」とは
対極の存在だし、
まあ、だからといってすべての人権が奪われているわけでもなかろうが、
幸福追求の権利は保障されているのかいないのか、よく分からん。
人権を制限されて、「象徴」のお仕事をひたすら続ける国民の僕みたいな存在なのが
今の(日本国憲法かにおける制度としての)天皇なんだろうと思う。
現行の象徴天皇制としてはちとマズい話なので、
宮内庁の長官やら次長やらが「陛下がそのような意思を示れたことはない」と
頑なに言い張るのも、その辺のことが絡んでいるからだろう。み
一連の報道の影には、あくまで、国民がそう望んでいるんですよ、という雰囲気作りの意図を
感じなくもない。
世論を動かそうとして、天皇自らがなんらかのルートを使ってリークした、とかだったりすると
話としては面白いけれど、
にしても、陛下がおかわいそう、陛下の希望をかなえて差し上げたい、というのを突き詰めていくと、
行き着く先は「憲法を変える」とか、「天皇制を廃止する」とか、そういうことになるんだろうけど、
はたして そこまでラディカルに考えている人は、どれくらいいるんだろうか?
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/119/119tx.html
前文
第三章 国会
第四章 政府
第五章 国家財政
第六章 地方制度
第七章 司法
第八章 公務員
第九章 憲法改正
前文
天皇制支配体制によつてもたらされたものは、無謀な帝国主義侵略戦争、人類の生命と財産の大規模な破壊、人民大衆の悲惨にみちた窮乏と飢餓とであつた。この天皇制は欽定憲法によつて法制化されてゐた様に、天皇が絶対権力を握り人民の権利を徹底的に剥奪した。それは特権身分である天皇を頂点として、軍閥と官僚によつて武装され、資本家地主のための搾取と抑圧の体制として、勤労人民に君臨し、政治的には奴隷的無権利状態を、経済的には植民地的に低い生活水準を、文化的には蒙昧と偏見と迷信と盲従とを強制し、無限の苦痛をあたへてきた。これに反対する人民の声は、死と牢獄とをもつて威嚇され弾圧された。この専制的政治制度は日本民族の自由と福祉とに決定的に相反する。同時にそれは近隣植民地・半植民地諸国の解放にたいする最大の障害であつた。
われらは苦難の現実を通じて、このやうな汚辱と苦痛にみちた専制政治を廃棄し、人民に主権をおく民主主義的制度を建設することが急務であると確信する。この方向こそかつて天皇制のもとにひとしく呻吟してきた日本の人民と近隣諸国人民との相互の自由と繁栄にもとづく友愛を決定的に強めるものである。
ここにわれらは、人民の間から選ばれた代表を通じて人民のための政治が行はれるところの人民共和政体の採択を宣言し、この憲法を決定するものである。天皇制はそれがどんな形をとらうとも、人民の民主主義体制とは絶対に相容れない。天皇制の廃止、寄生地主的土地所有制の廃絶と財閥的独占資本の解体、基本的人権の確立、人民の政治的自由の保障、人民の経済的福祉の擁護――これらに基調をおく本憲法こそ、日本人民の民主主義的発展と幸福の真の保障となるものである。日本人民の圧倒的多数を占める勤労人民大衆を基盤とするこの人民的民主主義体制だけが帝国主義者のくはだてる専制抑圧政治の復活と侵略戦争への野望とを防止し、人民の窮極的解放への道を確実にする。それは人民の民主的祖国としての日本の独立を完成させ、われらの国は国際社会に名誉ある当然の位置を占めるだらう。日本人民はこの憲法に導かれつつ、政治的恐怖と経済的窮乏と文化的貧困からの完全な解放をめざし、全世界の民主主義的な平和愛好国家との恒久の親睦をかため、世界の平和、人類の無限の向上のために、高邁な正義と人道を守りぬくことを誓ふものである。
第二条 日本人民共和国の主権は人民にある。主権は憲法に則つて行使される。
第三条 日本人民共和国の政治は人民の自由な意志にもとづいて選出される議会を基礎として運営される。
第四条 日本人民共和国の経済は封建的寄生的土地所有制の廃止、財閥的独占資本の解体、重要企業ならびに金融機関の人民共和政府による民主主義的規制にもとづき、人民生活の安定と向上とを目的として運営される。
第五条 日本人民共和国はすべての平和愛好諸国と緊密に協力し、民主主義的国際平和機構に参加し、どんな侵略戦争をも支持せず、またこれに参加しない。
第六条 日本人民共和国のすべての人民は法律の前に平等であり、すべての基本的権利を享有する。
第七条 この憲法の保障する基本的人権は不可侵の権利であつて、これを犯す法律を制定し、命令を発することはできない。
政府が憲法によつて保障された基本的人権を侵害する行為をなし、またかやうな命令を発した場合は人民はこれに服従する義務を負はない。
第八条 人民は日本人民共和国の法律と自己の良心以外にはどんな権威またはどんな特定の個人にたいしても服従または尊敬を強要されることはない。人種、民族、性別、信教、身分または門地による政治的経済的または社会的特権はすべて廃止され今後設置されえない。皇族、華族の制度はこれを廃止する。称号、勲章その他の栄典はどんな特権をも伴はない。かやうな栄典の授与はあたへられた者にたいしてのみ効力をもつ。
第九条 人民は民主主義的な一切の言論、出版、集合、結社の自由をもち、労働争議および示威行進の完全な自由を認められる。
この権利を保障するために民主主義的政党ならびに大衆団体にたいし印刷所、用紙、公共建築物、通信手段その他この権利を行使するために必要な物質的条件を提供する。
第十条 人民に信仰と良心の自由を保障するため宗教と国家、宗教と学校は分離され、宗教的礼拝、布教の自由とともに反宗教的宣伝の自由もまた保障される。
第十一条 人民は居住、移転、国外への移住、国籍の離脱ならびに職業選択の自由をもつ。
第十二条 人民の住宅の不可侵と通信の秘密は法律によつて保護される。
第十三条 人民は身体の不可侵を保障され、何人も裁判所の決定または検事の同意なしには逮捕拘禁されることはない。
第十四条 何人も裁判所で裁判を受ける権利を奪はれず、裁判は迅速公平でなければならない。
第十五条 人民を抑留、拘禁した場合、当該機関は例外なく即時家族もしくは本人の指名する個人に通知しなければならない。また本人の要求があれば拘束の理由は直ちに本人および弁護人の出席する公開の法廷で明示されなくてはならない。
第十六条 何人も自己に不利益な供述をすることを強要されない。強制、拷問または脅迫のもとでの自白もしくは不当に長期にわたる抑留または拘禁の後の自白は、これを証拠とすることはできない。何人も自己に不利益な自白だけによつては有罪とされず、または刑罰を科せられない。
第十七条 被告人はどんな場合にも弁護の権利を保障され、事件の資料について精通する権利と法廷において自国語で陳述する権利とを保障される。
第十八条 どんな行為もあらかじめ法律によつてこれにたいする罰則を定めたものでなければ刑罰を科せられない。刑罰は犯罪の重要さに応じて科せられる。何人も同一の行為のために二度処罰されることはない。
第二十条 国家は裁判の結果無罪の宣告をうけた被告人にたいしては精神上、物質上の損害を賠償しなければならない。
第二十一条 受刑者の取扱ひは人道的でなければならない。受刑者の労賃と労働時間は一般企業の労働条件を基準として決定される。
女子の被拘禁者にたいしては特にその生理的特性にもとづく給養を保障し、妊娠、分娩の際には衛生的処置を保障しなければならない。
第二十二条 刑罰は受刑者の共和国市民としての社会的再教育を目的とする。受刑者にたいして合法的に科された刑罰を更に加重するやうな取扱を行つた公務員はその責任を問はれる。
第二十三条 受刑者を含む被拘禁者にたいして進歩的民主主義的出版物の看読を禁止することはできない。
第二十四条 勤労にもとづく財産および市民としての生活に必要な財産の使用・受益・処分は法律によつて保障され、その財産は相続を認められる。社会的生産手段の所有は公共の福祉に従属する。財産権は公共の福祉のために必要な場合には法律によつて制限される。
第二十五条 人民は性別を問はずすべての国家機関の公務員に選任される権利をもつ。
第二十六条 人民は個人または団体の利害に関しすべての公共機関に口頭または文書で請願または要求を提出する権利をもつ。何人もこの請願または要求をしたためにどんな差別待遇もうけることはない。
第二十七条 女子は法律的・経済的・社会的および文化的諸分野で男子と完全に平等の権利をもつ。
第二十八条 婚姻は両性の合意によつてのみ成立しかつ男女が平等の権利をもつ完全な一夫一婦を基本とし純潔な家族生活の建設を目的とする。社会生活において家長および男子の専横を可能とする非民主的な戸主制ならびに家督相続制はこれを廃止する。夫婦ならびに親族生活において女子にたいする圧迫と無権利とをもたらす法律はすべて廃止される。
第二十九条 寡婦およびすべての生児の生活と権利は国家および公共団体によつて十分に保護される。
第三十条 人民は労働の権利をもつ。すなはち労働の質と量にふさはしい支払をうける仕事につく権利をもつ。この権利は民主主義的経済政策にもとづく失業の防止、奴隷的雇傭関係および労働条件の排除、同一労働に対する同一賃銀の原則、生活費を基準とする最低賃銀制の設定によつて現実に確保され、労働法規によつて保障される。
第三十一条 勤労者の団結権、団体交渉・団体協約その他団体行動をする権利は保障される。被傭者は企業の経営に参加する権利をもつ。
第三十二条 労働の期間および条件は労働者の健康、人格的威厳または家庭生活を破壊するものであつてはならない。十八歳以下の未成年者はその身心の発達を阻害する労働にたいして保護され、十六歳以下の幼少年労働は禁止される。
第三十三条 人民は休息の権利をもつ。この権利は一週四十時間労働制、一週一日・一年二週間以上の有給休暇制、休養のための諸施設ならびに労働諸法規によつて保障される。
第三十四条 勤労婦人は国家および雇主からその生理的特性にたいする配慮をうけ、産前産後の有給休暇、母子健康相談所、産院、保育所等の設備によつてその労働と休息の権利を保障される。
第三十五条 人民は老年、疾病、労働災害その他労働能力の喪失および失業の場合に物質的保障をうける権利をもつ。この権利は国家または雇主の負担による労働災害予防設備、社会保険制度の発展、無料施療をはじめとする広汎な療養施設によつて保障される。
第三十六条 家のない人民は国家から住宅を保障される権利をもつ。この権利は国家による新住宅の大量建設、遊休大建築物、大邸宅の開放、借家人の保護によつて保障される。
第三十七条 すべての人民は教育をうけ技能を獲得する機会を保障される。初等および中等学校の教育は義務制とし、費用は全額国庫負担とする。上級学校での就学には一定条件の国庫負担制を実施する。
企業家はその経営の便宜のために被傭者の就学を妨げることはできない。
第三十八条 日本人民共和国は人民の科学的研究、芸術的創造の自由を保障し、人民のあらゆる才能と創意の発展を期し、研究所、実験所、専門的教育機関、文化芸術諸施設を広汎に設置する。
第三十九条 日本人民共和国は民主主義的活動、民族解放運動、学術的活動のゆゑに追究される外国人にたいして国内避難権を与へる。
第四十条 日本人民共和国に居住する外国人の必要な権利は法律によつて保障される。
第四十一条 人民は日本人民共和国の憲法を遵守し、法律を履行し、社会的義務を励行し、共同生活の諸規則に準拠する義務をもつ。
第三章 国会
一 内外国政に関する基本方策の決定
二 憲法の実行の監視
三 憲法の変更または修正
四 法律の制定
五 予算案の審議と確認
七 国会常任幹事会の選挙、国会休会中において常任幹事会の発布した諸法規の確認
十 会計検査院長の任命
十一 各種専門委員会の設置
第四十五条 国会は法律の定める定員数からなる代議員によつて構成される一院制議会である。
第四十六条 日本人民共和国の立法権は国会だけがこれを行使する。
第四十七条 代議員として選挙され、かつ代議員を選挙する資格は、政治上の権利を有する十八歳以上のすべての男女に与へられる。選挙権、被選挙権は定住、資産、信教、性別、民族、教育その他の社会的条件によるどんな差別、制限をも加へられない。
第四十八条 代議員の選挙は比例代表制にもとづき平等、直接、秘密、普通選挙によつて行はれる。
第四十九条 代議員はその選挙区の選挙民にたいして報告の義務を負ふ。選挙民は法律の規定に従つて代議員を召還することができる。
第五十一条 国会は代議員の資格を審議する資格審査委員会を選挙する。国会は資格審査委員会の提議により個々の代議員の資格の承認または選挙の無効を決定する。
第五十二条 国会は必要と認めた場合にはすべての問題に関して査問委員会および検査委員会を任命する。すべての機関および公務員はこれらの委員会の要求に応じて必要な資料と書類を提供する義務を持つ。
第五十三条 国会の会期は年二回を原則とする。臨時国会は国会常任幹事会の決定および代議員三分の二以上の要求によつて召集される。
第五十四条 国会は代議員数の三分の二以上の出席によつて成立する。
第五十五条 法律は国会において代議員の単純多数決によつて成立し、国会常任幹事会議長および書記の署名をもつて公布される。
第五十七条 国会は議長一名、副議長二名を選挙し、議事の進行、国会内の秩序の維持にあたらせる。
第五十八条 代議員は国会の同意がなくては逮捕されない。国会の休会中は国会常任幹事会の承認を必要とし次期国会の同意を要する。
第五十九条 国会には代議員の三分の二以上の決議にもとづき解散を告示する権限がある。
第六十条 国会の任期が満了するかまたは国会が解散された場合には、四十日以内に総選挙が施行される。
第六十一条 総選挙施行後三十日以内に前国会常任幹事会は新国会を召集する。
第六十三条 国会常任幹事会は議長および副議長各一名を選挙し、議長は日本人民共和国を代表する。
二 国会休会中政府首席による政府員の任免の確認 ただしこれについては国会の事後確認を必要とする
四 政府の決定および命令のうち法律に合致しないものの廃止
五 赦免権の行使
六 国際条約の批准
第六十五条 国会の任期が満了するかまたは国会が解散された場合には、国会常任幹事会は新たに選挙された国会によつて、新国会常任幹事会が選出されるまでこの権限を保持する。
第四章 政府
第六十六条 政府は日本人民共和国の最高の行政機関である。政府首席は国会によつて任命され、首席の指名にもとづき国会の承認をえた政府員とともに政府を構成する。
第六十七条 政府は国会にたいして責任を負ひ、国会の休会中は国会常任幹事会にたいして責任を負ふ。各政府員は政府の一般政策について全体的に、個人的行動については個人的に責任を問はれる。
第六十八条 国会が政府にたいする不信任案を採択した場合には政府は総辞職する。
第六十九条 政府は次の事項を管掌する。
一 一般的中央行政事務の遂行のために現行諸法規にもとづいて決定又は命令を発布し、かつその執行を検査すること
海外から帰ってきて、空港に到着したとき、飛行機の扉がひらいて乗客がゾロゾロと出てきて列を作った。どこまでも続くと思われる廊下をさっきまで乗っていた飛行機を横目に見ながら進むと、そこで列は2つにわかれるのだった。片方の列は日本のパスポートを持つ人、もう一方は持たない人。普段意識をしないものの、不意にこのときばかりは自分が日本人なのだなと思い知らされる。空港では様々なパスポートの色や図柄がかいてあるのを見つけるなかで、自分のパスポートには「日本国」と書いてあることが自分が日本人であることに対する、まるで唯一のよりどころに思われた。
灼熱のアスファルトをトボトボと歩き、やっと公民館の投票所へつくと汗はダラダラと吹き出していた。入り口に掛けられた蚊取り線香からかすかな香りを感じながら廊下を歩くと、老若男女とすれ違うことによって国民の誰もが選挙権を持っていることに気付かされる。整理券と引き換えにもらった小さな紙と、銀色の台に置かれた鉛筆、それからひんやりとして鎮座する投票箱。これが民主主義とやらを支えているのかと思うたびに、なんとローテクなのだろうと思いつつ、民主主義という人類の発明に思いを馳せるのだった。
「どうせ自分が選挙に行ってもなにも変わらない」という意見がある。それには全く同意だ。なぜなら、自分の意志で選挙の結果(当落)を左右できるひとは、大量の動員ができるごく限られた人たちだけだからだ。きっと自分の入れた一票は死票になる。それでも、自分はついつい選挙に足を運んでしまう。ふと隣国に目を向けると、日本とは異なった選挙のない(あるいはほとんどない)政治システムで動いていることがわかるし、世界の歴史を振り返れば普通選挙が始まったのは「つい最近」のことだった。例えばアメリカでは1970年代になってやっと黒人の多数が選挙に行くことができるようになったことが示すように普通選挙は歴史・地理的に見てそれほど普遍的なものではないと思う。選挙にいけば、教科書で見た間接民主制が目の前にある。たしかに、いま自分は間接民主制を採用する国に生きているんだなあ、というのを実感するために選挙に行っている。
今日の夜は一杯呑みながら、選挙結果を聞いて楽しむことにする。オヤジが贔屓の野球チームの勝敗に一喜一憂するように、自分は選挙速報を見ながらリラックスしたひとときを楽しむことにする。どうせ無駄とわかっていながらも投票してしまったがゆえに、その一票がどうなるのか気になって仕方がないのだ。
参院選が近くなって、恒例の改憲派と護憲派の争いがちらほら始まってるけどさぁ。
戦争反対 = わかる
自衛隊反対 = (まぁ)わかる
現行
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
改正案(例)
2 前項の目的を達するため、また自衛のためであっても、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
こんな感じ
自国に敵が攻めてきたときに、日本国はどのような対応をするのか、という点について曖昧にしてることなんだよね。
敵が攻めてきた時とかの対応で思いつくのは、
下記のような感じなんだけど
1 抵抗せずに殺される
2 抵抗はするが、軍隊は使わない
3 自衛のための軍隊で抵抗するが、攻めてきた国を攻撃まではしない
6 仲間の国が攻めらたら、攻撃する
日本国民の総意は、どの辺にあって、
それに合わせてどのように9条を改正するのかを議論しないといけないんじゃないの?
まぁ、自衛隊をどうしても持ちたくないなら、1か2を9条に明記したらいいよね。
国民みんなが、他国が攻めてきた時に、「軍隊で抵抗するくらいなら、たとえ自分や大切な人でも、殺されたほうがマシ」だと思うならそうなるでしょう。
ちなみに私は、平和主義者なので、3番かなぁ。
とりあえず、「相手から手を出されるまでは、こちらから手を出さない。追い払うだけで、それ以上殴りに行かない」的な。
たとえ、運悪く、自分や大切な人が殺されてしまったとしても、自分や大切な人が他国に乗り込んで、殺す側に回るよりはいいです。
なんで、こういう話に誰もならないのかね。
本当に腹立つわー!
◆16/07/09 2:00 追記
9条についての改憲派・護憲派の争点は、憲法が曖昧にしてきた部分によるものであり、
国防と軍隊(自衛隊)について、国民のコンセンサスをきちんととって、憲法上に明文化すべきじゃないかっていうことです。
なので、この文章をきちんと読んだ上での、真っ向からの反論だと思います。
確かに、あまりガチガチに憲法を決めてしまうと、不測の事態への対処に遅れるリスクはありますよね。
たぶん 「9 あえて曖昧なままにしておく。」を加えて、それも含めて国民が選べばいいんじゃないですかね。
・「自民草案があんな感じなのに、改憲とか言うの?」という論点
このタイミングで憲法の話をするのに、自民党の憲法草案について触れないのは微妙ですよね。
すみませんでした。
あれ、2年くらい前に読んだんですが(確か)
細かい内容は覚えていませんが、随分酷い内容だと思った記憶はあります。
なんか。某シールズみたいな物言いが嫌なんですが、立憲主義ってなんだっけ?っていう感じです。
あの草案は、「国家 > 国民」、つまり、国家のために、ひとりひとりの国民の基本的人権は、
じゃあ、「お国のために犠牲になる」ということをもう一度やるのか。
ちなみに私は、自民党について、
政権運営能力は、この党にしかないので与党であるのはやむなしと思っています。
が、今度の選挙は、全く支持していない民進党か共産党に入れます。(たぶん)
選挙では、自分が支持する政党に入れるということも大事ですが、
「自分の投票行動が、どんな政局を生むのか」ということを考えるべきだと思ってます。
この10年来、日本が失敗し続けているのは、
圧倒的多数の議席を獲得した与党が何をもたらしたかは、振り返ってみましょう。
・「周回遅れの論点」とか言う人へ
この手の意見もちらほら見えましたが、ぜひ、過去の論点と現在の論点をわかりやすく整理してください。
選挙権を「いま」持っている人たちが、
過去の論点を踏まえて、自分はどうしたいのかを考えられないといけないのではないでしょうか。
以上で、コメント終わりです。
長文にお付き合いありがとうございました。
明日の参院選ではどのような投票行動を取るか、今日一日考えたら良いんじゃないでしょうか。
選挙に行きましょう。みなさん。(なんだこのまとめ)
爺様よ
過去の投稿で爺様は鬼畜米英と述べられたが、たとえば米国在住のこのご老体は、8年前からyoutubeで扇動野郎撲滅(PropagandaBuster)というハンドル名で個人で所見を繰り返し動画配信してきております。
彼ははじめ日本が嫌いであったそうなのですが、いろいろ調べていくうちに地球上にあふれる日本国を卑下する情報に怪しい点が多数あることに気づき、世界ぐるみの扇動に世間が気づくよう、動画配信をつづけるようになりました。
感銘を受けた日本人の若者たちが、日本語へ訳すボランティアをしたり、彼を日本へ招待して講演を依頼したり、彼は日本国で書籍を5冊発刊するまでとなりました。彼の8年間の活動のおかげで米国内での反日本的活動家勢力が抑え込まれ、日本国民は知ってか知らずかずいぶんと助かったのでは?との所存です。
この米国のご老体の聡明さと活動力に敬意を感じているところでありますが、支援をしている日本の若者も捨てたものではないでしょう?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8E < 彼に関する情報
https://www.youtube.com/user/PropagandaBuster/videos?sort=da&view=0&flow=grid < 米語の原画
https://www.youtube.com/user/OUTSIDESOUND/videos < 日本語に訳された動画
「沖縄を返してください、私たちは奴隷ではないのです。」というスピーチを「痛いニュース」で読んだ。で、ずっと考えていた。なぜ、沖縄にアメリカ軍の基地があるのだろうかと。ぼんやりと調べまくって、外務省HPの1972年にある「沖繩返還協定」の条文第3条を読んだ。
この条文には
【第3条】
1. 日本国は,1960年1月19日にワシントンで署名された日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約及びこれに関連する取極に従い,この協定の効力発生の日に,アメリカ合衆国に対し琉球諸島及び大東諸島における施設及び区域の使用を許す。
(http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1972/s47-shiryou-4-1.htm)
アメリカ合衆国に対し「琉球諸島及び大東諸島における施設及び区域の使用を許す。」ってちゃんと書いてあります。要するに好きに使っていいという協定を結んでいるのだからアメリカが好きに使っているのは当然のことであって、情理や心をゆさぶる感情論で基地があるわけではないことがわかる。ではなぜ、この不利な協定をそのままにしているのだろうか?とスピーチすればいいのに、返してくださいと感情論で訴えても、ここ40年以上がそうだったように(感情論で訴え、成果がでなかった)、今回も成果は出ないのだろうなと思いました。
テコの原理の如く、どこを動かすと、どこが動くのかを理解したあとに動くほうが成果は出やすいです。
PS:
http://yugafu-uchina.seesaa.net/article/263265726.html
沖縄県民大会に価値はないのに、それを現地の知性が放置している理由がよく分かりません。その理由をお聞きしたいですね。
C.C