ここに僕がどう受け止めたかを書く。
お気持ちをどう捉えるかは国民個々人に任せられたものであるからして、これは僕個人の受け止め方です。
あなたがたがどう思うかは分からないが、書かずにはいられないので書く。
「もう高齢だから引退したいよ」という話でもなければ「憲法があるから言いたいこと言えない」という話でもないので、陛下を尊敬する国民として重く受け止めたい。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160808/k10010626811000.html
本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
ツイッターなどを見ていて、陛下のこのお気持ちの表明に対して「憲法があるから遠回しに表現したんだね」的にとらえている人が多いように思いますが、僕はその理解では陛下のお気持ちを半分しか分かっていないのではないかと思います。
陛下は以前から、そして今回のお気持ち表明で「象徴」や「天皇という立場」に強いこだわりを表明されています。
憲法があるから思っていることをストレートに表現できないのではありません。違います、たぶん。
このお気持ちの表明をよく読み返せば、陛下が「象徴天皇」であることを誇りに思われていることがわかるかと思います。
現状とこれからの問題点に対して「私はこうしたい」や「こう変えるべき」ということを言わず、憲法と民主主義(国民と国民の選んだ政治家)に委ねることこそ象徴天皇のあるべき姿であるという強い意思を感じました。
憲法があるから思っていることをストレートに表現できないのではありません。違います、たぶん。
私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。 私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。 天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。 こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。 皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。
陛下は、ここで『天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。』と仰られています。
ここは僕の解釈ですが、「直接的・短絡的な存在意義を問いにくい存在」である象徴天皇とは何のためにいるのか、自分に何ができるのかを陛下が自問し、求道者的・修行者的とでもいうべき数十年があったように感じました。
「日本国の天皇とは」ではなく「象徴である天皇の存在意義とは」を強く意識されてこられたのだと思います。
繰り返しになりますが、現状とこれからの問題点に対して「私はこうしたい」や「こう変えるべき」ということを仰らないのは、それが憲法で縛られているからでなく、自らが象徴であることを『天皇として~幸せなこと』と感じられているからであり、「象徴天皇の自覚を育て続けてきたから」という陛下のご意思であると僕は受け止めています。
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。 また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。 しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
ここは重要な件です。
単にご公務を減らし、皇太子殿下や秋篠宮殿下に任せるのでは「行うべき仕事をしていない人が象徴というおかしな状態になる」、天皇の存在意義が問われると陛下はお考えであると僕は受け止めました。
僕個人は陛下がご公務を減らしても天皇としての存在意義は揺るがないと思いますが、陛下は上記のようにお考えなのではないでしょうか。
象徴天皇は、その歴史的権威だけではなく、憲法や法律によって成り立っています。
血筋でなるのではなく国民に存在を認められるからこそ象徴でい続けられる、陛下はそこまでお考えなのではないでしょうか。
代理やご公務の削減をしているのでは、「行うべき仕事をしていない人が象徴」では国民の理解と敬愛を得られるはずがないという強いご意思を感じます。
天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。 更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。 その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。 こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。
ツイッターなどで「我々国民の負担を考えてくれる陛下マジ陛下」的な受け取り方をした人が多いようで、僕もそう思いました。
これは僕の勝手な推測ではありますが、陛下はご自身の力が及ぶうちに皇太子ご夫妻へバトンを渡してサポートしたいとお考えなのではないか、ということです。
残念なことに、世の中には皇太子ご家族を悪くいう国民がいます(国民が良し悪しを評価するのではなくサポートするべきではないのかと思いますが…)。
陛下とともに歩んでこられた皇后美智子さまも60年台から90年台にかけてバッシングをうけたことがあります(wikipedaあたりを読んでください)。
両陛下と秋篠宮殿下や皇室全体で皇太子ご夫妻の即位後をサポートしていくことで次世代と継承をより良いものにできるとお考えなのではないかと、勝手ながら僕はそのように感じ取りました。
始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。 そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。
陛下はご自身が『象徴天皇』≒『権能を持たないEMPEROR』であることを誇りに思われているのだな、と感じる件です。
あくまでも、お気持ちを我々と我々の選んだ政治家に委ねられているのですから。
国民の理解を得られることを、切に願っています。
天皇陛下がですよ、大君・大王でありEMPERORたる陛下がですよ、『国民の理解』を、『切に願って』いるんですよ。
何度も言いますが、陛下は「こうしたい」とも「こうしたらいいんじゃないかな」とも仰っていません。
ただ、お気持ちをお話になられ、それが我々と我々の選んだ政治家がどうするかに委ねていらっしゃるのです。
日本の象徴。 はっきりモノを言わない。 しかし今は2016年。 「私が生前退位すべき3つの理由」ぐらい言わないと伝わらないよ。
我々国民に天皇陛下がお気持ちを伝えてくださった。 ここに僕がどう受け止めたかを書く。 お気持ちをどう捉えるかは国民個々人に任せられたものであるからして、これは僕個人の受...
宮内庁のお気持ちのページに内容と無関係のフリー写真素材が挟まれてるのを想像してしまった。
(このお言葉は約11分で読めます)
はっきり言っておくが、はっきり言わないのレベルが陛下はお前らなんかとは違う あそこまではっきりとはっきり言わず、なおかつはっきりした意思表明はそうそうできるものじゃない ...