2016-08-03

https://note.mu/ohanhan/n/nb4c6e4657b25

是非は別として、この書き手が明確に見間違えている、あるいは見落としていることについて

1)現実(日本)VS虚構(ゴジラ)のキャッチコピーについて

この映画は「ゴジラという災害」と「日本」の戦いであり、明らかにそれを意識した作られ方をしているということ。

まり登場人物は誰一人ヒーローではない。フィクショナルな意味でのスーパーヒーローは出てこない。

作中でも語られる通りに代替可能キャラクターであり、しかし彼らが活躍するからこそ「一人の英雄」ではなく「日本」が見えてくるのだ。

さんざん指摘されているように、ヤシオリ作戦の内容は「ヤシマ作戦」と酷似している。

(①敵がエネルギー充填のため停止中 ②空撃は自動的に追尾破壊日本中が集結)

シン・ゴジラ」の作中に明確なヒーローヒロインがいれば、エヴァンゲリオン同様に世界シンジ綾波笑顔に集約されてしまう。

熱く盛りあがりたければ自己犠牲を出せばいい。感動的なBGMを流せばいい。スローモーションをかければいい。

感情移入を誘発させて、画面に向かって叫ばせればいい。むしろ観客を感動させようと思うのなら、こんなに簡単なことはない。

それを「ないかダメ」ではなく、「なぜそうしなかったんだろう」という疑問を持って本作と向き合ってもらいたい。

そのうえで、内容が気に食わないのなら仕方がない。自分の好きなものと違うからだめ、という見方はあまりもったいない

2)キャラクター家族について

兄弟恋人家族。当然いるだろう。

矢口、カヨコ共に親の七光りであることは強調されているし、なによりあるキャラクターの薬指には指輪が光っている。

だが本作で書かれているのは理想国家であり、登場するのは理想公務員たちだ。

ゴジラが本性を発揮し、津波地震原発とその表すものが明らかになっていくうち明快になるが、

言ってしまえば彼らは「こうあってほしかった」とされる東日本大震災原発事故対応する日本国家だ。

から彼らには徹底的なリアリティ必要とされ、ストイックさが求められる。

悲劇に立ち向かうたびに恋人電話して、励まされて頑張る、だとか

田舎に帰って親に説教されて立ち直る、とか 死にゆく前に子供の顔を思い出す などの

よくある展開に飲み込まれない、強靭でありながらステレオタイプに寄り過ぎない国家公務員からだ。

書き手が疑問に思っている「出世の野心」についてはもっと明快で、これは彼らの軽口にすぎない。

「国のため!」「私たちがやらなければ誰がやるんですか!!」といったような言動安易ナショナリズムを刺激し、

また誰もが聞き慣れており、その言葉は嘘と虚飾にあふれている。なにより非常に陳腐なのだ

それこそ書き手が「言わせるなよ」と評した「ゴジラより怖いのは人間」といった表現と同じように。

詳しくはゴジラ(1984)をご参照願いたい。

3)スクラップアンドビルドへの違和感

震災直後のテレビ報道を見てもらいたい。

朝起きれば津波。昼休みに流される車。倒壊する学校。鳴り止まないサイレン

街が泥水に覆い尽くされ、数えきれない人々が瓦礫の山と共に砕かれていく。

バラエティ番組自粛CM自粛、連日の黙祷、増え続ける犠牲者行方不明者。

確かにこの頃「何度でもやり直せる!全然OK」等と唱えていたら、書き手同調する人は多かっただろう。

だが震災より既に5年半が経過している。また先日の熊本震災、あるいは津久井やまゆり園の例に見るように、

悲しみは絶え間なくやってくる。

そういった中で明るい展望見出し、これからの立ち直りを示唆することが悪いとは到底思えない。

また繰り返すように、本作は理想国家公務員たちが作り上げた理想災害対処である

4)作戦微妙

「うまくいくのかいかないのか」は勿論重要煽りポイントだ。

書き手が腐るほど見てきたという作品群は、恐らく以下のようなカタルシスの産み方を目指していたものだろう。

対立相手作戦説明

→②主人公が対案説明

→③話が折り合わず決裂。主人公が対案を実行に移す

→④予期せぬアクシデントが発生する

→⑤とっさの機転で切り抜ける

→⑥無事に悲劇回避する

→⑦対立相手に認められる

が、本作はその点を利用していない。しようとしていない。それは映画を見ればわかる。

まずは②にあたるものが本作にはない。作戦目的以外、つまりどう実行するか?の点について、

本作では最後まで伏せられている。

本作では、作戦自体カタルシスなのだ

自衛隊ゴジラ誘導し、

新幹線在来線爆弾としてゴジラにぶつけ、

発破をかけたビルゴジラを押しつぶすという作戦を観客に提示する、その絵だ。

ビル鉄道に「日本技術力、ひいては日本のもの」を読み取るのもいい。

(今までゴジラ破壊されてきたものの逆襲という背景を深読みしてもいい)

もし書き手が少しでも頭を使って本作を見ていれば、流石にゴジラ東日本大震災と重ねているはずだ。

そこから何も読み取ろうとせずに、フィクション世界物差しで本作を「ご都合主義だ」と言っているのであれば

読み取り方を完全に間違えている。

本作はリアリティを追求しつつ、観客に「これは東日本大震災メタファーですよ」「そして彼らは非常に有能な公務員たちですよ」と

前半までに否応なしに畳み掛けることで、

本作の、少しでも間違えたら全てのシーンが冗談になってしまうヤシオリ作戦について「嘘」を認めさせるという高度な作り方をされているのだ。

最後

書き手は「私は震災家族を亡くしている」などという設定があれば、

「ごく自然ゴジラ震災や核と重ねることもできる」という。

仮に本作がゴジラ映画初体験だったとしてもだ。

上陸した第二形態に押し流される車

・押し潰される団地

炎上する東京

・頻出するガイガーカウンター

・明確に原発封鎖を目的としたコンクリートポンプ車に似せたゴジラ沈静化作

ここまでされても「ごく自然ゴジラ震災や核と重ねることもでき」ないのであれば、

ここまで書いた文章はすべて無駄で、純粋リテラシー問題だ。

褒める褒められないの視点に立ててすらいない。

問題文が読めていないのだから、出した答えが正解しているわけがない。

もちろん、書き手否定した文章すべての答えが正解であるはずもない。

からもちろん、こういう人にこそブルーレイを買って何度も見なおしてもらいたい。

映画は何回も見れば見方が変わるものだし、繰り返し話すことで理解は当然広がっていくはずだ。

一回で全てを理解してしま自分の中に全てを落としこんでしまった人よりも、この書き手は本作を何倍も何倍も楽しめるのだから

監督が語った「見終わったら、ぜひみなさん議論してほしい」というのは、恐らくそういう意味なのだ

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