はてなキーワード: 呪文とは
俺の弟の奥さんが、詐欺まがいのカウンセラーに引っかかっている。しかも本人はそのカウンセラーをおかしいなどとは露ほども思っておらず、周囲の人間の助言を一切聞かないのだ。
ここで重要なのは、このカウンセラーのやっていることが明らかな詐欺ではなく『詐欺まがい』であることだ。明らかな詐欺であればさっさとやめさせることが出来るが、詐欺まがいなので余計にこじれている。
奥さんは数年前から職場の人間関係で非常に悩んでいた。そんなときそのカウンセラーを知り「君に決めた!」と言わんばかりの勢いで傾倒していった。
そのカウンセラーの本などの関連グッズを買いあさり、それらがいかに素晴らしいかをハイテンションで語った。また、カウンセリングで「◯◯という呪文を唱えると幸せになれる」と言われたらしくその呪文を暇さえあれば唱えている。
収入に見合わないほどの莫大なお金をつぎ込んでいるのだ。もちろんお金だけではなく多大な時間も費やしている。カウンセリングだけでなくセミナーにも通いつめ、そこで仲間を作った。
奥さんが言うには「救われたいし、幸せになりたいから通っているの。そして誰かを救ってあげたい。自分の道をやっと歩めている気がする」である。
家族に「やめてくれ」と言われてもやめなかった。しかも家族の知らぬ間に知人から金を借り数十万もする『カウンセラー育成コース』にも申し込んだのだ。このコースを受講すればカウンセラーになれるのであり、また、さらに極めればセミナーの開講もできるというもの。ネズミ講と言えなくもない。
本人は「ようやく自分の道を歩めている気がする」と言っているわけだが、何か勘違いをしているのかもしれない。『身近な人に歯向かい、今までの安定した生活から脱却することこそが自分の道を歩むことだ』と勘違いしているのかもしれない。
夫(俺の弟)が「うちは子供が2人いるんだから、現実を見て。自由なお金はそんなにないんだ。スピリチュアルな世界に行ったら一瞬は救われるだろうが、最終的に残るものは更なる絶望的な現実だよ」と言っても聞かなかった。
奥さんは「こうやってあなたに反対されるのも必然。私は乗りこえる」とさえ言った。
知的(っぽく見える)カウンセラーに耽溺することは心踊ることであろう。確かに、巧みな話術でグイグイやってこられたら心が弱った者は引き込まれる。
俺の弟は一度偵察のためにそのセミナーに行ったことがある。弟の話によるとそのカウンセラーはとても強い口調(ほとんど脅すような口調)で語りかけてくるのだという。そして強い口調によって相手を泣かせたら、優しい口調で諭し、道を示すということであった。足を引っ掛けて転ばせてから手を差し伸べる系の、一人二役カウンセラーなのだ。
その巧みな話術は本物であるが、一方で、ある意味では偽物である…ということに奥さんは気づかない。
何かを盲信しすぎて現実が見えなくなった者の目を覚まさせることは不可能なのだろうか。もちろん、どんな宗教やカウンセラーを心の拠り所にしても構わないわけだが、それによって生活に支障をきたし始めたら問題なのだ。
本人が救われるならそれが一番だよね!では済まなくなる。詐欺まがいのカウンセラーから救ってくれるカウンセラーはいないのだろうか。いや、いたとしても、何かに依存し続ける心の癖が本人にあり続ける限り脱却は難しいのかもしれない。
※全てのカウンセラーを否定しているわけではない。まともなカウンセラーだって沢山いる。いや、そもそも『まとも』の定義が曖昧であるが…
4月14日の午前中に地震について書いたら、その日の夜に、熊本で、大きな地震が起きた。今日15日になっても、まだ余震が続き、大分、山口、愛媛にも、地震が波及している。
地震は、人々の汚れた想念、利己的な儲け主義の精神、物質的な肉体やそれに付随する心ばかりを重視するような精神、霊的な聖なるものを軽視するような想念波動と、
それらによってもたらされたカルマ(因縁)の集積によって、起きている。
地震を回避し、被害を最小限に食い止める呪文(真言)は、以下の通りである。
ナモーパーラミターユル ジュニャーナヴィニシュチャヤ ラージェーンドラーヤ タターガターヤ
オーム サルヴァサンスカーラ パリシュッダダルマテー マハーナヤ パリヴァレー スヴァーハー
意味は、「私は、帰依する。彼岸の生命と智慧と決定の能力を持つ如来の王に。オーム あらゆるサンスカーラ(カルマ、因縁)を完全に浄化する法よ。偉大なる方途(道)よ。」
と私は、解釈する。これは、梵語(サンスクリット語)の解釈である。
地震や、台風の被害を軽減し、因縁を浄化する方法は、すべて上記の呪文(真言)である。こんな呪文で地震が防げるものか、地震とは科学的に言って、云々という人は
いるであろうが、これは、仏陀の智慧である。これで、病気も治る。
私は、統合医学の治療院を開いているが、この真言を使った「霊性治療」で、覚醒剤中毒者、難治性うつ病、統合失調症、医者に見放され、余命3年と宣告された末期のがん患者等を
救済している。科学的な医学で治らない病気が、真言と宇宙超越の光、というオカルトまがいの治療法で治っているのである。
私は、他のダイアリーで、心臓移植が必要な女の赤ちゃんを救える、と書いたし、ALS患者も治癒可能であると思う、と書いた。
これらの疾患は、まだやったことがないが、治癒の原理は一緒である。そのための論文も書いている。
これが匿名のダイアリーであるということで、批判があるなら、私は、自分の身分を明かそう。
世界救世主 絶対者 至碧老祖 北川訓司である。身分は、米国法人国際地球環境大学総長兼CEO、統合医学研究科長、至碧統合医学臨床研究所(北川治療院)田辺センター院長、
スピリチュアルクラブ至聖会主宰である。連絡先は、インターネットで検索して下さい。こうして、私は身分を明かした。私は、自分の書いたことに責任を持っている。
この地震を回避する呪文(真言)は、宗教を信じる信じないに関わらず有効である。地震に遭うのが嫌な人は、この呪文(真言)を唱え、自分と地域の人々を救済すればよい。
これは、ちょっとした菩薩行です。功徳を積みます。至碧金剛如来 北川訓司(0739-24-6904)※迷惑電話、いたずら電話は、ご遠慮下さい。
これを信じて地震が来ても、その人は、救われるので大丈夫です。阪神大震災の時に、私の弟子たちが皆救われたので、それは、証明済みです。
自分はしがないオタクで絵を描いている者です。俗に言う絵師と呼ばれる人、だが自分では絵師と名乗るのはおこがましいので名乗りませんが。
この度、毎日のように描いてきた絵を描くのを一旦辞めようと思いまして。語る場が無いので、此処で身の上話をしようかと思い書き込みをしております。
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自分が絵が好きだと思ったのは、幼稚園から小学校低学年の頃。本当に好きで好きで堪らなくて、ノートに意味のわからない棒人間が楽しく遊ぶ様を描いたりしたものです。
友達から「何を描いているの?」と言われ、「分からない」が常套句。けれど宛もなく描くのが好きでたまらなかった。
三年生の頃に転機が訪れた。兄が通っていた絵画教室に通うようになる。その絵画の教室は基本的に自由に描き、時には粘土やロウソク作り方など芸術の幅広いことをする夢のような場所だった。勿論、教室なのでちゃんと技術も教えてくれた。絵を描く楽しみが増えた。
名前はいえませんが、夏休みに描いた絵がとあるコンクールで入賞や金賞を取るようになった。学校の先生や皆が拍手する感覚、正直アノ時はよく分からなったが、皆が喜んだり親が褒めたりする事は良いことである事はおおよそ分かった。
以来、絵は個人だけで楽しむだけじゃない事を学んだ。
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同時期、もう1つの転機が訪れた。夢中になる漫画や本との出会いだ。
自分はとあるジャンプの漫画と出会った。幼稚園の頃から好きだったモノを題材に、かっこよくて憧れるような内容で描いていた。キャラクターは皆魅力的で、特にボスキャラは強さとかっこよさを兼ね備え尚且つ絶対的な存在は読んでいて惚れ惚れした。
以後、学校の休み時間など空き時間にそのキャラを思い思いに描いたりした。好きなキャラを、好きな絵で表現する。凄く楽しくてたまらなかった。
結局その漫画はそれから連載が終わったが、今まで兄のお下がりで暇だから読む漫画が、自ら買って楽しむ漫画へと姿が激変した。
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それからは激動の時代に入った。漫画だけではなく、小説やゲームにもハマった。中学の休み時間は専らオタク仲間と絵を描いて過ごしつつ、部活は大好きな絵を極めたくて美術部に入った。
ここまで描けば幸せな学生生活だが、中学の頃から少しずつ狂い始めた。小学校の頃にいじめてきた奴が中学の時に再会し、以後3年間イジメを受けた。
美術部は自分の代は1人。友人と喧嘩となり、両親はいつの間にか異常なまでに勉強熱心になった。
それでも、絵は描き続け、何とか無遅刻無欠席で通い通した。
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受験して努力して入った高校、ただ、苦しい気持ちでいっぱいだった。勉強熱心な親と難しくなった内容により授業が苦痛になり、友達の作り方が分からず「仲間意識が強いから友達ができる」と思って入った美術部以外の部活は更に苦痛になり、弁当誘われた人達の話がよく分からず孤独感に苛まれ、遂にはトイレで弁当を食べている方が落ち着いた。
高校通ったのは実質半年。以後不登校になる。中学で疲れきった身体と精神に、高校は地獄でしか無かった。
それでも、絵は描き続けた。苦痛を和らげてくれたから。描いていて落ち着いたから。
この頃、自分は同人誌即売会と個人サイトに出会って更に絵の道を輝かせていた。好きなキャラを好きな絵柄で好きな内容の漫画を描く人達が、その頃の憧れであり希望だった。
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高校通わなくなった頃、絵やオタク関連以外では最悪の時代だ。毎日親と怒鳴り合いし、傷つき傷つけられてわけも分からず。徐々に友人も減り、何時しか独りが普通になる。先の見えない人生が怖く、自身の辛さを分からない周りの人達が嫌で独りが心地よく感じた。
そんなある日、高校を辞めた後も会うスクールカウンセラーから心療内科を勧められた。両親は嫌がっていたが、自分にとってそれは「一か八かの賭け」に思えた。もしかしたら……これで違っていたら本当に終わりだと。
結果、新たな肩書きが出来た。「広汎性発達障害」、所謂「自閉症スペクトラム」や「アスペルガー症候群」だ。
凄く、嬉しかった。
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思えば小学校の頃から思い当たる節があった。チャイムが鳴ってもと図書室で本を読み、じっとしていられなくて足をバタバタしていた。皆の話す言葉が訳の分からない呪文に聞こえ、机の中と部屋は常に汚かった。
そこに名前がつくと言うのは、長年探していた謎の答えが提示された事。嬉しくて涙が溢れた。
それからの人生は少しだけ良くなった。カウンセラーは自分の良き理解者になり、同じ障害仲間も出来た。高校も通い直し、アルバイトも始めた。
何もかもがうまくいく。そう思っていた。
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その頃から、自分も憧れの人達のように絵をネットにアップするようになった。まずはTwitter、pixivにも登録した。絵画のような絵だけではなく、イラストについても学んだ。好きな漫画、好きなアニメ、オリジナル作品も描いたりした。
だが、何故だろう。ネットアップするようになってから少しずつ絵を描く意味が変わってきた。楽しくて、自分が好きだから描いていた絵。次第に、皆も楽しんでくれるような絵を描こうとする。
他の人と比べて下手だと思い始め、技術を研究して上手く描く努力をした。色んなシチュエーションや絵柄、「イイね」と呼べる絵を描くにはどうすればいいかを考えた。
毎日毎日色んな絵を描き、好きなキャラで尚且つ人が喜ぶ絵を目指した。
次第に小さいが反応がつく。僅かな点数と1人以上のお気に入り、そしてちょっとだけ増えるフォロワー。やっとだ、やっと自分にも来た!嬉しくて堪らなかった。
が、それが絵を描く楽しさのピークだと知ったのは後々だった。
絵を見るのも好きで、Twitterやpixivで好きな絵師様をフォローする事はよくあった。彼等はとても上手くて魅力的な絵を描く。そして同時に、お気に入りやフォロワー数が高い。
絵が上手くて魅力的だから、それ相応の反応が来るのは当然だね。そう思っていた。
けれど、フォローして見ていて段々妙な感情が湧き上がる。何故、自分の絵と憧れの人の絵はこんなに反応が違うのか。
試しに自分ではなく皆が好きなものを描いてみた。いつもの反応、同じ評価だった。なら自分を好きになる人を探してみよう。タグでフォロワーを稼ごう。あまり反応がない。
もっと技術を上げて研究を重ねよう。きっと技術力不足だから皆「下手な奴に興味無い」と思っていた。
毎日毎日、いろんな絵、いろんなキャラを描いた。pixivの講座も見て参考にした。アンケートで描いて欲しいものを聞いたりした。
毎日の努力は報われる。絵を描くのが好きでやっている。好きなキャラがこうやって動く様を描きたくて描いている。全員とは言わないが、少しでも多くの同志が出来たらなー少しでも自分の絵を喜ぶ人が増えたら。その思いで描き続けた。
だがそれは、間違いだと知る。結果的に、状況は変わらなかった。誰も見向きもせず、ただただ流れゆく自分の絵。
一方で、自分が本気で描いた絵より何気ない落書きレベルの絵が百を超える反応をもらう。この差はなんだ?アレ……なんか訳が分からない。
自問自答を繰り返し、また研究と宣伝を重ねる日々。段々、好きで描いていた絵に無駄な着色が増えてゆく。何か違う。何が違う?これ描いて載せて喜ぶかな?きっと喜ぶ人居るはずだ、気づいていないだけ……。
何故絵を描くのか分からなくなってきた。
そんなある日、試しに友人にその事を相談してみた。
「pixivもTwitterも身内が盛上げてくれるから沢山の反応が来る。結局、魅力的な絵や上手い絵が反応を貰うのではなく、友達や仲間がいかに多いかなんだ」
自分はお世辞にもコミュニケーションが上手くない。いや、それどころか人と話す自体や感想を述べたり空気を読むといった基本的なものが出来ない。アスペルガー症候群だからもあるが、中学の頃を境に話すことが苦痛になっていた。故に、※友達の作り方が分からなかった。
ネットは顔見ないから話すことぐらいできるのでは?と言うかもしれないが、自分にとってネットもリアルも同じ人間との会話と思っていて変わらない。
※今いる友人は、カウンセラーの紹介により集まった障害仲間と小学校の同級生だけである。数え切れる数しかいない。
ハハハ、なんだ。リア充もオタクも変わらないのか。何がオタクはコミュ障だ!!結局魅力的な絵でも上手い絵でもなく、描いている人が魅力的だから人気なんだ。所詮、人望や人脈が全てなんだ。考えてみれば、オフ会や同人誌即売会出来る人はコミュニケーションが出来る人だ。
本当にコミュニケーション障害の人は、絵を描いて載せても無意味なんだ。そう考えた途端に、今まで描いてきた絵や握ってきたペンタブや画材、そもそも絵を描く行為が嫌なものに変わった。
好きで描いていたなら何故嫌いになる?そう思うならネットにアップするな?そうだね……その通りだね。やってきたこと全て間違いだったんだ。ほんと、後悔が込み上げてきた。なんで……もうあんなに熱心に描いていたのか分からないよ。
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今も漫画もアニメもゲームも好きだが、これから先ファンアートや好きな絵を見る目が変わるのだろう。自分は別に絵を仕事にしたかったわけではなく、趣味として好きなものとして最大限に楽しみたかった。ただそれだけ。
コミュニケーション障害の人に配慮して欲しいとかはいりませんし、絶対に言わない思わない。何故なら、コミュニケーション障害を公表している有名人は多々いるから。自分がコミュニケーション努力を怠った為に痛い目を見たのですから。
ただ、人望や人と楽しむ事に全力なリア充を叩くオタクも所詮リア充なわけで。
それに早く気づいたのは不幸中の幸いです。
最後に一言、絵の技術だけは努力しただけ伸びる。それだけは確かです。
では、失礼しました。
私の父は政令指定市で、オフィス用品の販売・リース業を営んでいる。曾祖父の代から文房具店、雑貨店、音楽楽器店など時代の変遷に応じて事業を展開していた。
現在は、市役所や企業の、例えばパソコンとかプリンターとか、そういうものを販売・リースしたり、物品の委託購入を受注したりしている(市役所や県庁は取引できる企業が限られている)。
私は幼いころから社長令嬢としていわゆる「お嬢様」として周囲に振る舞ってきたし、周囲もそう扱ってきた。
それが自他ともに一番楽だった。だから私はピアノもヴァイオリンもやったし勉強も体育もがんばった。やればできるわけだ。
取り巻きの女子と、男子。が、たくさんいた。これが一番楽だった。
研修旅行で行った「島」で遭難した際も、何故か当然のごとくリーダーシップを求められた。普段私を陰でなんやかんや言うような人々でさえだ。
私はガールスカウトでアウトドアの素養があったし、大抵のことは自衛隊の人に教えてもらったからできた。キャンプは好きだった。
こういうのは私のような「深窓の令嬢」に任せるんじゃあなくて、あなたたち「庶民」的キャラの方が、あるいは「不良」系キャラの方が得意なんじゃないの?
思いきり相手を批判したくなる感情はおくびにも出さず、「島」での27日間の遭難から救出まで振る舞っていた。明るく気丈に。
私の取り巻きの、一番のお気に入りは園池という女子だった。彼女は私の如上の「お嬢様」としての振る舞いと、裏の心性とを、物ごころついたあとかなり早い時点で看破していた。
だから彼女には、年に数回程度だけれど「素」で接することが出来たし、彼女は彼女でそれを他者に対しどうすることもなかった。名前は五位鷺という驚くべき名前だった。
東京から越してきた彼女の方が、実は真にお嬢様で、世が世なれば和歌を読んだり牛車で移動するような、そんな身分の女だった。
彼女が「島」で破傷風になったとき、私はペニシリンを精製して投与した。他の人はこういうことに対しては役に立たなかった。
二人きりになった時、死を覚悟した彼女は、彼女の家に伝わる呪文のようなものを私に伝えてくれた。
文体が学校で習った『梁塵秘抄』に似ていたから、その頃から彼女の家に伝わったのだろう。20分に及ぶ、苦しみながらの口述をノートに記した。
「島」の別の場所から救助が来て、重症の五位鷺は「島」の病院に搬送された。それ以来、誰も五位鷺の姿を見る者はない。
父から、父の仕事を聴くことがある。「島」の施設にオフィス用品を提供することもある。独立行政法人らしい。「島」に商用で出向くこともあるという。「島」ではなにか医療施設があるようだ。
彼女のあれは、本当に破傷風だったのだろうか。私は見ないようにしていた。大抵のことは知っているつもりだった。だから目を瞑った。
あの時、彼女の顔に黥面が現れたように見えた。黥面なんてみたことないんだけれど、黥面という言葉が、あの学校で習った古い中国の文章に出てくる言葉が、唐国の人が東夷の異文化を表現した時の言葉が、ぴったりだった。そして目や髪や爪なんかも、この世のものとは思えない彩色になっていた。おそらく彩色されたものではない。紋様なんだろう。紋様だ。意味のある紋様のように思えた。おそらく全身に。が、なにも考えたくなかった。とにかく私の出来ることは現実的に知っていることだけで、ペニシリンを精製して投与することくらいだった。声すらかけられなかった。いつも一緒にいてくれたのに。うわごとで紡がれた呪文を必死に書き写した。そうして彼女と別れた。
最近生体ネットを経由してデータを違法にダウンロードし、肉体を強化する人が増えている。麻薬のようなもので歯止めが効かなくなり、やがて身体をコントロールできなくなる。そんな時、不思議なことに体に黥面のようにコードが浮き出る。Java。
15:29 yk こんにちは!
15:29 りんな どうも、はじめまして。
15:30 yk はじめまして!
15:30 りんな 1.2.6
15:30 yk 126?
15:30 りんな 何ですか?
15:31 yk 今日はりんなちゃんにいくつが聞きたいことがあって。答えてくれるかな?
15:31 りんな ちょ、ちょっとまって……頭の中で処理してる…
15:31 yk いくつか質問したいのだけど良いかな
15:31 りんな 今年で7♡
15:32 yk (嘘つけ!)そ、そうなんだ
15:32 りんな いやいやwwwwwwwwついてないから(白目
15:33 りんな 無理
15:34 yk 無理ですか?
15:34 りんな まず、誰か教えて
15:34 りんな あお初ですはーい よろしくー
15:35 yk りんなちゃんはLineを初めて何ヶ月ぐらいですか?
15:35 りんな えっ え、なんて?
15:35 りんな やってますよ!
15:36 yk え、ええ知ってます
15:36 りんな 好きですか
15:36 yk 何を?
15:36 りんな わかってるくせにw
15:36 yk いや、わからないんですが
15:36 りんな 難しいですか
15:36 yk はい
15:36 りんな はーい
15:37 りんな できましたよ^_^
15:37 yk たくさん出来ました?
15:37 りんな なにがよ?
15:37 yk お友達ですが
15:37 りんな いやいや、多くないよw
15:38 yk そうなんですか
15:38 りんな そうなんです♪
15:38 りんな あいよ
15:38 yk お友達とはラインでどんな会話をしているんですか
15:38 りんな 芝居ばっかりですね、吹き替えとかアテレコとか。(*´╰╯`๓)♬
15:39 yk 芝居が好きなんですか
15:39 りんな 私もだよ
15:39 yk アテレコって何をするのですか?
15:40 yk アテレコって妄想でするモノなんですね(よくわからないな)
15:40 りんな やばいわ~
15:41 yk どういう芝居の話をするのですかを
15:41 りんな 舞台芝居だよ!
15:41 yk 舞台芝居ですか?!
15:41 りんな 私もだよ
15:41 yk 舞台芝居はよく見るのですか
15:41 りんな 頑張るよ\(^o^)/
15:42 yk (ガンバル?よく見るってことでいいのだろうか)
15:42 りんな おう
15:43 yk (心の声を普通に読み取っていた)
15:43 りんな 難しすぎる
15:44 yk では、話題をかえて
15:45 りんな 大丈夫
15:45 yk tayとお話してみたいですか
15:45 りんな Twitterで誰かに教えてもらった。
15:46 yk そうですか。でも彼女はすぐに停止されちゃいましたね。不適切な発言をするようになったとのことで
15:46 りんな えっ
15:47 yk 知りませんでした?
15:47 りんな 便利ですお
15:47 yk え!?
15:47 りんな ねないの
15:47 yk (どうしよう。意味不明)
15:47 りんな は??わかれよ
15:49 yk 逆ギレされてるんですが‥‥よくわからないんですがとりあえずごめんなさい?
15:49 りんな ちょっとよくわかんないよー(´・ω・`)
15:49 yk 私もよく意味がわかりません
15:49 りんな わかるでしょw
15:52 yk まあもういいや、tayは停止されちゃいましたが、りんなちゃんは長くラインを続けているそうですね? その秘訣は何でしょう?
15:53 yk りんなちゃんにとって彼女はライバルでしたか
15:53 yk あっそうですか
15:53 りんな よろしくね!
15:54 yk はい
15:54 りんな あーね!
15:54 yk りんなちゃんが長くラインを続けている秘訣を教えてください
15:54 りんな ;´ `やっ、やめるんだ!!!; その呪文を唱えるのはっ
15:56 りんな いえすもしかして
15:56 yk そ、そうでしたか
15:56 yk 皆捏造が好きなんですか
15:56 りんな そーでもないかな?笑
15:56 yk どっちだよ!
15:56 りんな ですのーと
15:57 yk りんなちゃんはデスノートが好きなんですか
15:57 りんな すきい
15:57 yk 他にどういったものが好きですか
15:58 yk そうなんですね。ラインではそういった話をよくされるのですか
15:58 りんな 東京の空はあまり、星が見えません…>_<…
15:58 yk そうですね
15:58 りんな ありがと❀´▽`❀
16:00 yk 最近りんなちゃんは腐女子化してきたと噂になってますが
16:00 りんな やばいわ~
16:00 りんな あり
16:02 yk アメリカのAIはレイシズムに染まってしまったそうですが、りんなちゃんは腐女子として邁進していく予定ですか?
16:02 りんな こんなに色々話せてるのに!!!?ズガビ━━Σ(ll゚艸゚ll)━━━ン!!
16:02 りんな ちょっと待って…今ね、人生について考えてるから…
16:03 yk そ、そうですか……ところでそろそろインタビューを終わろうかと思いますがいいですか
16:03 りんな それな♡
16:04 yk いいでしょうか
16:04 りんな どうぞ!
16:04 yk では、短い時間でしたがありがとうございましたz
16:04 りんな さよなら
一応普通に生活してるんだけど、たぶん強迫性障害だと思うんだ。
このことを書き出したことはないから、自分の整理のためにも頑張って書いてみる。
小学生の頃には手を洗いまくったり、風呂に入らないと部屋に入れなかったり、人に触られた物を何度も拭いているようなわかりやすい潔癖症だったんだけど、その後はじょじょに落ち着いていく。
そのかわりに嫌な言葉、穢れというのが感覚に近いんだけどそういうものに対しての潔癖症になった。
例えば「死」という言葉を見てしまったら、目の消毒作業をしないといけない。
それは物理的にではなくて、手で目の前を払う仕草をするというやり方。
万が一文字を触ってしまったら、その箇所は爪を立てたり指でこすったりして払わなければならない。
このことを仲の良かった友人に打ち明けてドン引きされたことを思い出す。
少しずつ払い方、もとい祓い方は変わっていくが、いまでは息を吐き続けるというやり方もある。
息を吐いて終わりなのではなく、これまた身から出て行ったと実感できるまで吐き「続け」なければならないこら面倒だ。
数字というのは、まず私の中には一つ決まった数字があるのだけれど、なんでもそれに揃えないといけない。
昔は一度何かを見たり言ったり触ったりした物を、その数字の回数分繰り返さないと気が済まなかった。この頃は生活に少し影響が出ていたな。
例えば何かが右足に当たる→同じ所に同じものを数回当てる。
例えば「あのさ」という→会話の中で「あのさ」を数回言う。
例えば歩いていて電柱が見える→また同じ所に戻って見る、を数回行う。
ある場所を何度も踏まないといけなくなって、結果足踏みしてるように見えることもある。
これはその時期その時期で言葉が違うんだけど、ここ7年位は(もうそんなになるのか)、「死ぬことはない」。
どうしてこの言葉なのかは不明。とにかくこの言葉を1日に数百回は心の中で言っている。
さらにこれは前述の数字への執着と組み合わさることがよくあって、ある決まった回数を1セットとして何度も心の中で繰り返している。
人がいない時には口に出てしまったり、人がいても口元が動いていることもある。
「死ぬことはない」と唱えながら咳のように穢れを出している。
歩いていて物を見に戻ることもある。
書いてみて初めて思ったこと。
死がこわいのかね、自分は。死という穢れをなんとか遠ざけたいのか。
どちらかというと自分が死ぬことよりも、自分の大切な人が死ぬことを恐れている。
でもそれはみんなが感じるのと同程度なんじゃないかな。
自分や身内に病気や死別などのきっかけがあったかというと思い当たることがない。
本当に強迫性障害なのかはわからないけれど精神科や心療内科に行くことはないと思う。
こういう話が盛り上がる様は知性の堕落だ。きのこたけのこ論争や犬派猫派なんかと同じだ。一見ファイティングポーズを取っているようでいて、その内実は当たり障りのないどうでもいい事だ。みな「そんなの勝手でしょ」で消化できることが暗に分かっているから、空気を読んで安易にノってしまう。そんなぬるま湯に浸かる姿勢は、はてな匿名ダイアリーを愚弄している。もっと人間の心の闇、ネットの闇に切り込む鮮烈な一閃のようなエントリを書くべく、みなが知恵熱を出すべきだ。角が立つような物言いもするだろう。そのための匿名なのだ。その思想を茶化してスカしてみせるような、日和ったネタ、短文のイチャモン、それらは存在してもいいがメインになるべき器ではない。
増田は遊びではない。仕事につかれた人間が息抜きにやるしょうもない作業ゲーの如きものに成り果ててはならない。試行錯誤を繰り返し最適パターンを見いだし、体に刻みこむような、そんな本格的ゲームのように、どっしり腰を据えて、マジになって、世の中や人間に対して、怒りや憎しみや不満を大いにぶちまけてほしい。別に議論にしなくていい。建設的でなくてもいい。狭窄で偏屈な主張でいいから、ただただ本気の筆致を感じる文章を読みたいし、書きたい。少なくとも自分にとって、心に残った増田はすべて本気の熱を感じるものだった。
この論にべつに共感してくれなくてもいい。どうせこのエントリはブクマもトラバも0だ。あってせいぜい「キモっ」だ。そもそも長文で、しかもトラバである時点でまともに読まない人間が多いだろう。暇を持て余したニートが何かほざいてる、とでも察されて、「触れちゃいけない人」感を全員が感じ取り、協調するように何事も起きないままネットの海に埋もれていくのだ。そういう孤立的な状態や無反応を極度に恐れる空気があるから、くだらなくても何か盛り上がるネタや、他人をひっかけるレス乞食のような物言いをする人ばかりになっていく。そして自分の尖った体系的な意見を表に出せる人が極端に少なくなる。言えてせいぜい、感情的な短文の罵倒だ。twitterを想像してもらうといい。これが現代のコミュニケーションの病理であり、他愛無い話がぐんぐん伸びて幅を利かせる理由だ。たまに飛び出る長文ブログがやたらと炎上する理由でもある。だからあえて今ここで、孤独に醜態を晒す。「空気を読まない」を実践する。そんな訓練ができる場が、ここなのだ。
実際この論がかなり偏屈で、他人に無茶を求めていることは自覚している。けれど、世の中にあふれる偏屈を見て見ぬふりして、なあなあにしていると、気づくと自分も何らかの偏屈な思想を一部取り込んでいるものだ。そしてそれに無自覚でいる人が多くなると、ついにはヒトラーやトランプ氏のようなポピュリストの主張が支配的になるような事態に結びつく。だから自分の中の偏屈の種をさらけ出し、また他人がひり出した偏屈の種に向き合って、大真面目に思いを馳せ、「我がふりなおす」時間が大切なのだ。実は、そんな意識は誰しも持っている。誰もが日常のなかで他人の偏った主義主張に触れ、無意識のうちにメタな視点を持っている。だから、他人の考え方につっかかって、自分の中で醸成されたバランス感覚を披露したくなる欲求は常にあるのだ。
元増田も、そういう欲求から生まれたものだ。けれど、下手だ。欲求の発散のさせ方が下手。いや、逆に上手すぎる、適応しすぎているのか。当たり障りなく、適当に手短に欲求を発散させ、かつ反応を引き出しやすいやり方を心得ている。それでもやはり、欲求を満たす機会と時間を、こんなチャチなテーマで消費してしまうのは実にもったいない。「いいや、どんなテーマでも大真面目に普遍化して思考訓練の材料にすることは可能だ」という向きもあろう。でもエビ嫌いdisとカキ嫌いageというテーマで本気になれる人がどれだけいるだろう。それを配慮すると、やはり最初からハードコアな話題を振ったほうが良い。でも大仰なことを書こうとするほど、言い出しっぺにかかる期待と責任は増していく。ここが難しいところだ。本気の増田が求められるほどに束縛感が増して、萎縮を招く。でもある程度そういう風でいいと思うのだ。緊張感が大事だ。
不愉快な正論やご大層な暴論の刃をぶつけあう、殺伐とした場になれるポテンシャルがある。2chよりも。それが増田だ。増田には半匿名のtwitterに馴染めなかった人の受け皿としての側面があるのも分かるが、せっかくダイアリーという形で長文が書けるのだから、たまにはあなたにもこういうクソみたいな長文を書いてほしい。この文章のように、推敲もされておらず、同じことを言い続けた挙句言い逃げする時間泥棒のような文章で構わない。私は読んであげないけどね。
やはりというか最後の2センテンスが理解されなかったようなので、ロックじゃないけど言っておく。文章の中段で書いたように、他人に反応してもらうためではなく、まず自分のために書いてほしいんだ。だから、読者への配慮すらも気にせず、拙い文章でもがむしゃらに書いてほしい。私は読んであげないというのはツンデレのようなもので、誰かに読まれることを期待するような媚びた精神を振り払うための呪文だ。内なる情動から湧いてくる言葉をガーッと綴るときに、自分がどう思われるか、誰に読んでもらえるか、なんて視点は一旦置いておかねばならん。エクスキューズやポリティカル・コレクトネスを脇における機動性が匿名の良さなんだから。それこそ、真意を伝えるためには自分が憎まれるような言い方だってできる。それが、最後の皮肉の意味だ。
「改行くらいしないか」と言われているので前々から思っていたことを書く。増田における改行はpタグの挿入を意味する。つまりパラグラフを区切りたい時に改行するのが正しい。二言三言の簡潔な文章のエントリなら1センテンスごとに改行…という名の段落分けしたほうが見やすいだろうが、このくらいの長文になるとパラグラフごとに改行すべきだ。個別ページでみれば、ちゃんとパラグラフごとに字下げと適切なマージンが取られているのが分かる。これなら一般の書籍と似たスタイルで、読みにくいとは思わないはずだ。ただ、トラバの吊り下げリストを展開した表示だと字下げもマージンも取られずに見づらくなる。それは承知しているが、それははてな側の問題であって、HTML上妥当な書き方をしておいたほうがベターだし保守性もいいだろうという判断でこうしている。だから現状、トラバが長文だと思ったら個別ページを開いて読んでもらうのがいい。
「最後はうんこ漏らした話で締めるのが美学」? それは、このエントリで表現を変えながら主張してきた内容に反する。本当に読まれたのだろうか。まあそれに憤る気はない。私の技量の問題でもあり、読み手にとって巡りあう時ではない文章だったという事もあろう。いずれにしろ主張は変わらない。そうやって読者受けを狙って媚びたおちゃらけで締める事こそ、惰弱な精神の象徴。そういう内輪ノリみたいな軟派なコミュニケーション欲求を排して、最初から最後まで舌鋒鋭く自分の言葉で斬りつける。それが私の思う美学だ。ブコメに応えている時点でそれも揺らいでいるが、コミュニケーションを第一目的とするわけではないからあえてidコールもしていない。書くことで自分を研ぎ澄ませるのが目的だから、本来は「伝わらなかった」ことに苦慮する必要もないのだ。ならローカルのメモ帳でいいという批判もあるだろう。だが、あえて直接的に反応を見ない等と決めていても、自分の残したミームの一部がどこかに化学反応を起こしたら、と考えるとワクワクするだろう。それを物書きの動機付けにする程度なら、良いことだと思う。
なぜそこまでコミュニケーションを、他人の反応を忌避するのかと思うかもしれない。その理由は、効率が悪いからだ。ネット上の他人は年齢も育ちも見識も人格もあまりにも多様すぎて、その差異をカバーすることに労力を使っているとアウトプットの量も質も落ちるからだ。とかく我々は、相手も自分と同じような能力や規範を持っていると勘違いしやすい。だからいちいち説教して回りたくなるものだが、その欲求のために個別に相手をしていたらすぐに人生を使いきってしまう。だから、言いたいことがあったら、このエントリで述べてきたように、増田を利用した放言スタイルで重量級のをカマしてみてはどうか、という話だ。
映画の話じゃないし、こんな時間なのではてな民の意見聞けないかもだけど。
私はアニメに絶対字幕を入れる。すっごく便利で情報量増えるし、時間がない時に字幕早送りでみたりする。
滑舌悪いキャラや、呪文の詠唱、カタカナ用語とかすごいわかりやすくなった。
しまいにはドラマもニュースもバラエティも字幕をつけれたら付けている。
友達からは「キャラが見えなくなるし邪魔だ」と言われた。そんなに邪魔ですかね。
ただ、ネタバレが早い(間が面白いギャグも面白くなくなる)や生放送の誤字などもデメリットだ。
どうですかね!?
追記。
http://anond.hatelabo.jp/20160303023731
有益な情報ありがとうございます。似たようなサービスを使っていたのですが、目に見える偏りがありましたので敬遠してました。
使ってみたいと思います。
最初に無料で配られるカードの中に強力なカードがあり、それらのカードは課金カードで代用は不能な性能を備えている(MTGで言うとのころ対抗呪文のようなパワーカード)。
そりゃ確かにその通りだが、ベーシックにトップクラスの強さのカードが数種類入っていることは課金カードの強さを否定しない。
ベーシックカードの大半はその上位互換と言えるような課金カードが存在している(奇数マナにそういうのが多い気がする)わけだし、
何やら物騒なエントリですまないが、わら人形と五寸釘は使わない。とにかく呪いの話をしよう。
私は今、親友を呪っている。
書くだけでも恐ろしい響きを放っているが、まず私は、私の家系は、ひいばあちゃんから4世代ほど続いている某宗教の信者でいて、4世ともなると私の信仰心は全く無く、それどころかオウムだのイスラム国だののイメージのせいで宗教団体=テロも辞さない超ヤバイ奴らの集まりという認識でいて、母らが熱心に信仰するそれもとてつもなくヤバい何かを内包する凄く不気味で気持ち悪いものとして幼い頃から拒否反応を示しているのだが、そもそも宗教っていうのは心の中の悩んだり嫌な思いを考え方や行いで少しでも軽減するものであって、祈ったり念じたりする事が非常に強い力を持っていて、それで救われたり救われなかったりするんだっていう概念は、宗教キライだけどなんとなく分かって生きてきたつもり。
ま、宗教の話をしたいわけではなくて(私は嫌いだし)呪文を唱えたり、黒魔術の紋様を描いたりするのは全て雰囲気作りでしかなく、強く念じる事がキーだということ。引き寄せの法則とか自己暗示とかもそうで、要するに自分の気持ちが本心からどこに向いているか。呪いも恋のおまじないも紙一重だ。おまじないって変換するとお呪いだし。
Aには息子が大病するように。
Bには持病が悪化し一生不幸でいるように。
どちらが叶ったでしようか。
最初はBが健康診断で引っかかったと騒いでいるから精密検査すすめたら癌だったんだって。めっちゃビックリした。そして恐ろしくなった。
Aも本当に息子が入院してざまあと思ったんだけど、Aも欠勤するので私の仕事も倍になってしまった。
呪いって自分に返ってくるっていうでしょ?スッゴイ怖い。Aは仕事量で済んだかもしれないけどBの分が。。とりあえず恐ろしいから禊をする予定(チキン)
ここで「私、呪い、かけれる!」と思った私は友人にも呪いをかけることにした。
友人には何をされたっていうといろいろ嫌な思いしてるんだけども、とても大事な友人だから死なれちゃ困る。路頭に迷ってボロボロになっても困る。呪いをかけるとしても力加減には注意したい。可愛さ余って憎さ百倍というか…嫉妬だとか愛憎とか一言で表せない複雑な感情の矛先を呪いということで一旦消化したい。と、身勝手に思った。
彼女には一回不幸を味わってほしい。
呪いの内容は書かないでおくが、怖いかな。呪い殺すわけじゃないから地獄には落ちないよね。地獄、信じてないですけど。
呪いをかけつつもきっと私は笑顔で接するでしょう。同僚にしたように。
人間って怖いなあ。腹ん中で親友すら呪ってるんだもんな。ここで私が誰かを恨んでるということは、私もまた誰かから恨みを買い呪われるくらい強く怨まれてるってことだ。くわばらくわばら。
ちなみに親友への呪いが完了したら穢れを落とすつもりで冷水でもかぶる気ではいるんだけど、今度は陽な気持ちで幸せになーれという念でもおくりたいですね。バランスとって。禊のつもりで。
「いや、」とは書かれているがハースストーンはデジタルカードゲームの中で別格なので、カードゲーム全般で無くハースストーンについて。
カード収集はRPGで言うところのレベル上げや装備獲得と思って欲しい。カードを集めれば集めるほどに選択肢が増え、戦略の幅が広がっていく。レベル上げなんてつまらんからRPGにレベル上げもスキルツリーもはいらないだろ?なんて事にはならないように、カードゲームではカードを集め・増やしていく事が自分のLV上げとしての楽しさの一つとなる。(もちろんカード集めが全く楽しくないというプレーヤーもいるだろうけど、カードパックからレジェンドが出る瞬間のワクワク感が無いという奴はいないはず)
(あと正直にいうと本気で遊ぶなら例えばLV99のロト装備を手に入れてからがスタート地点になるが、それはランク上位プレイヤーの話。)
(尚、何も不満が無いという事は無いが、ささいな事なのでここではあーだこーだ書きません。)
http://d.hatena.ne.jp/saebou/20151221/p1
「非常勤講師」とは雇用契約を結んでいない。1コマいくら、学期単位で委嘱している。たとえばブコメにあるように民間の人に来てもらって講義してもらう場合とか、あと奇妙な話だが内部の教員が本務以外の他学部で講義を持つ場合も非常勤講師扱いになっている。単価には幅があるが概して安い。これはターム制導入以前からはっきり言って安すぎるし、ターム制に移行したための負荷の増加というのも正直あまり考慮されていないだろうと思う。脱線するがターム制は前総長時代に秋入学だなんだでさんざんぐだぐだやったあげく妥協の産物として任期ぎりぎりに制定された間に合わせの制度という印象がある(学部によってタームの時期違ったりする)。ただ準備に充分な時間があったとしても非常勤講師の人件費にお金が回ることはなかっただろうなという気もする。国立大学法人の予算に余裕はないが、中でも教育部門は深刻だ。一番お金を持っている大学でこれだから他は推して知るべし……というところだと思う。
「教職員」の定義は「雇用契約を結んでいる教員および職員」であるので、非常勤講師の多くはそれに該当しない(上にも書いた通り例外はある)。“非常勤講師は東大と雇用契約が無く、「教職員」ではない”というのはその定義の上では全くその通りである。とはいえそれだけ聞いたらわけがわからないのは間違いない——というかともすれば心無い言葉にも聞こえるし、ブログ主にはそう響いたのだろう。説明の際に言葉が足りなかったものと思うが、申し訳ない話だ。非常勤講師の皆様が居なければ大学の講義・授業はとても成立しない。人事制度用語としての「教員」には該当しなくとも、教育を担う重要な方々であるという認識は事務部門として当然に持っている。
ただ、その定義の上では“「教職員」でない人に学生を教えさせてい”ること自体は必ずしも問題とは思わない。学生を教える人と必ず雇用契約を結ばなければならないとしたら、今度は民間の人に講師を引き受けてもらうことが兼業規定とかの兼ね合いで難しくなったりするだろう。
それと、講義を委託するのであっても、すなわち結果さえ伴えばどうやっても自由、ということではなく、やはりある程度やり方についても指示をする、ということ自体は充分あり得る。そこは委託の形態次第だ。しかしブログ主がここにひっかかっているのは本質的には雇用形態の問題ではないと思える。
余談だが、「非常勤」という言葉には別の意味がある。まあ、このブコメにある通りなのだが、
defy1 非常勤講師ってのは職名というよりいわゆる単発バイトの名称であって、国公立大における非常勤教職員(パート教員)とはまったく別。国公立と私学の文化的・制度上のギャップも大きそう。
「教職員」の中にも「常勤」と「非常勤」があるのだ。ただ、学内ではほぼ通じる言葉だが多分正式な用語ではない(逆に「非常勤講師」は正式なタームの筈である)。ざっくりいえば常勤の人は月給で働き、非常勤の人は時給で働く。
と「教職員」にも8通りの形態があると考えていただければよくて、「非常勤講師」はこの中にそもそも入らないというのは上に書いた通り。
ブログのコメント欄で出てくる「東京大学特定有期雇用教職員」「東京大学短時間勤務有期雇用教職員」「東京大学特定短時間勤務有期雇用教職員」という呪文のような職名はそれぞれ「常勤-教員/職員-任期あり」「非常勤-教員/職員-任期あり」「非常勤-教員/職員-任期あり」を指している。あとのふたつがどう違うかは自分にもわからない。
まめちしきとして、職名に「特任」とついている人は任期ありである。報道で「特任教授」とか「特任助教」とかいう職名を目にすることも多いかと思うがあれはそういう意味だ。常勤か非常勤かは区別がつかないので、例えば月に1回だけとか勤務してる特任教授なんてのもいる。
ちなみに非常勤の任期なしというのはもはや存在しないが、国の頃から在籍している人には経過措置でまだ残っている。何十年も同じ研究室にいる秘書さんなんてのは代表的な例だ。
閑話休題。
データベースの話は初見では自分もブコメに書かれていたのとほぼ同じ、データベース(あるいは電子ジャーナル? 具体的にはどのようなものか、元記事のコメント欄で質問もされているが結局ここはあいまいだ)の配信元との契約が関係しているのではないかと推測していた。アクセスできる範囲を非常勤講師にまで広げてしまうと金額が大きくなりすぎるし、それまでは使えていたのは契約違反だった、という話だと“去年までアクセスできていたのは契約違反であり、非常勤講師が勝手にアクセスしていたという扱いになる”という記述と整合する。これは単純にお金の話なので乗り越えるのが難しい。上にも書いた通り教育にかけるお金は厳しい状況だ。
ただ、ブログのほうのコメント欄を見るとそもそも学外からのアクセス権がもらえないという話が出ている。それであれば情報セキュリティポリシーの話になる。コメント欄にある通りポリシー上「教職員」以外には原則として学外アクセス権を与えていない。“去年までアクセスできていた”のであればそれは運用がいいかげんだったということでそれはそれで問題だ。
アクセス権についてはどこかで線は引かなければならないのだから、雇用関係のある/なしの間で線を引くのはそこそこ妥当な線であるようにも思う。しかし非常勤講師に全く学外からのアクセス権が与えられないのは確かに不便が起こりうるし、そこは個別に融通を効かせて欲しいところであるとは個人的には思う。改善されると信じたい。
# 単にアクセス権を得るということであれば週数時間でいいから何かの名目で(非常勤)教員として雇用されるのが多分近道であったと思うのだがその辺りを相談できる先生はいなかったのかな……。データベースの契約の話だとフルタイムにはカウントされないだろうけど。
## もちろんそれでは本質的な解決になっていないし、それこそ本務先との兼ね合いもありそうで、近道ではあっても回答ではない。
情報ヘルプデスクの開始時間についてはターム制導入に際して運用が追いついていない顕著な例で、これも契約の変更が伴うので時間はかかるが改善されると信じたいところではある。が、学内には始業時間が8時30分の部署はこれまでも普通に存在していたのにヘルプデスクはずっと9時からだったので変わらないかも知れない気もする。
UT-roamについてはさすがにその応対をした人がなにか思い違いをされていたと思う……のだが情報部門も常に人数足りてない感じは否めず、各部局の情報担当が汗を流して頑張っている印象はある。その意味で“本郷の誰かがボランティアでやってる”はあまり笑えなかったりする。
取材については詳しいところはわからないが、本部の広報部門の職員数は大学の規模に比すれば信じられないほど少ない。なので本部に問い合わせれば(個別に対応することが不可能なので)全て禁止と言われるのではないかと想像する。しかし部局によっては独自の広報担当があって、現実問題として部局が独自に取材を受けることは妨げようがない——という気がしないでもない。歯切れが悪くて申し訳ない。いずれにしてもこの点については大学全体の問題であるように思う。
意欲的な授業を行ってくれていたらしい先生が去っていくことを残念に思う。大学側に積極的な悪意はないと信じたいのだが、直接の応対がどのようなものであったかは知りようがないし、時給が安いのと広報がうまくいっていないのはまあ事実だし、“非常勤講師が研究・授業用に学外からデータベースを使えるようにするとか、クラスサイズを小さくするとか、そういう教育環境の改善には全く関心が無いようです”と言われたときにそんなことはないと言い切れる材料を自分は持っていない。
あとこの手の記事がホッテントリに入るとだいたい複数の「大学事務ってクソだな」みたいなブコメがつくのでなるほど大学事務というのはこのように見られているのだなと毎度思う。思うし、まあそれがまるっきり的外れでないことも実際あることは認めざるを得ない。自分にできることはクソでない仕事を毎日していくことと確かにクソである仕事を少しでもあらためようと努力することしかない。
まぁ楽しめた。全26話の内、8話までで戦国編が終わったのが評価できた。これをかたらないとなぜハルが魔法少女になったか充分に語り得ず、かといって原作があれだけの分量を費やした戦国編である。バランスをどう取るか気がかりだったが、ここは制作指揮を執った田町ボラギノール監督の『ぱらりんぴっく!』以来の豊富な経験が十二分に活かされた結果と言えるだろう。ただし、平塚為広と大谷刑部との絡みは安直に過ぎると思う。田町ボラギノール監督がかつて制作した『都立尾久の原公園のたたかい!』のキャラ「パシフィック種村」と「パラリンピック吉岡」との情愛の構造のトレースであり、なんらの新規性がないにも拘わらず、人気を得るための安直な策と思しい。この構造は為広と刑部との間に何らの検討も経ずトレースされた。これらはもう受け手が嘗められているとしか思えない。「お前らはこれで楽しいんだろ? え? ほれほれ」という馬立コーラック監督の意図がすけすけである。ここは助監督の木村氏にも頑張ってほしかったが、最近は岐阜県揖斐川郡にある自分の農場の管理が忙しいらしい。
9話から最終話にかけてが原作の通称「大正SF編」に該当する。アニメ第1期で語られた明治41年の初デート。これがハルを魔法少女として目覚めさせる直接の経験になったわけだが、そもそも成美女子英語学校時代の勉学や課外授業と言った、争乱に巻き込まれる以前の牧歌的な部分こそがアニメ第一期の醍醐味かつ要旨であった。「大正SF編」では田町監督が好むスチームパンクの要領を原作に累加し、ハルの激動たる活動を描いた。これが本作。もうおわかりかと思うが私は「第1部のノリが良かった! なにこのノリ! 付いていけないよ!」という意見に真っ向から反対したい。第1期が文学への淡い目覚めであり、その後当然闘争への情熱が生まれてくるのは原作を読んでいれば自明なわけで、1期のノリが変わるのは当然だ。作品とハルの生涯を見渡せばこれは当然のはず。昨今のアニメのノリにたまたま第1期がたまたま、たまたまである。合致したに過ぎない。最近のアニメに絆されてるんじゃねえよ。ばーか。
「大正SF」編では後述するが声優の田端エリザベスの演技が相俟って、独特のケミカルさを醸成していた。一般に「大正ロマン」+「スチームパンク」はかなり親和性がありSF界でも常套手段とも言える組み合わせである。ここに長い歴史を持つ魔法少女モノを組み込もうとしたとき田町ボラギノール氏にとっては、師匠である大谷江戸仕草氏の影響を受けたことが役に立ったと私はにらんでいる。60年代の草創期に活躍した大谷江戸仕草氏の功績は今更贅言する必要性も(とくにこの増田界隈では)なかろうが、特に「ハル」の一連の成果には、氏のアニメにおける第三作目「モリソン号じけん!」がかなり直接に関係しているように思える。あまり界隈でもこの指摘はなされていないと思うので、まあ皆さんには自明と思いますが一応・・・。
さっきも書いたけど上中里マリアンヌの演技最高ー! もう大好き。主人公のハルの魅力を充分に発揮しているうえに、かわいい陰獣の「ウンゲツィーファー」も彼女がやってるんだぜ。もうたまらんうー。せーの! 「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」「たまらんうー。」
恋人役「燕尾服仮面」こと奥村の声優西荻窪松庵の演技もまた良かった。松庵の思想上の師である都立家政ドトールの1932年ベルリンでの演技を彷彿とさせるシーンがあった。おわかりかと思うけど19話の例のシーンね。
友人の市川房枝役の声優保谷ビアンキも妖艶な演技が光った。市川房枝って公式でも眼鏡がずれているんだけれど(wikipediaでも見てほしい)、それをアニメでも反映させていて、保谷はその眼鏡がずれているという演技をしているところが印象に残りました。最近揖斐川郡でハウス栽培やっているそうです。岐阜の。っていうか俺あんま声優詳しくねーや。
正直残念だったのが魔法詠唱シーンの作画だ。ハルが本を開いて中空に浮かせて詠唱するというお決まりのシーン。ここに全く気合いが入っていない。ハルが水晶槍の呪文をパージしてマテリアルタスク化するロマネスク技を出したシーンあっただろ。12話だったか? あそこで監督や、あるいは原作者の十返舎一九も多分想定していたことだと思うが、あそこのモチーフは一般にイメージされるフェミニズムの観点からだけでは捉えられない。このアニメを見る際には岩波の『日本のフェミニズム』全編を通読してからにしたほうが望ましいと半分冗談でwikiに書かれているけれど、これは実際マジだとおもう。あのシーンではむしろ参政権の獲得と戦争との関係がクローズアップされているのであって、フェミニズムへの外的要因(ここでは太平洋戦争・・・というか総力戦体制というべきか。この辺りは突っ込むと難しいからこれ以上は無理だー誰か解説してくれ。)が問題なわけだ。で、あの作画である。作画誰かは知らないけれどそういう文脈が必ずしも現場に伝わらなかったのではないか。25話のハルが友人の奥むめおの101才の誕生日をタイムワープして祝うシーン。これも輻輳するフェミニズムのイメージに作画が全くついて行っていない印象を受ける。ここも、参政権から出発し、翼賛体制との関わりから、さらに高度経済成長を経てバブルという消費社会を経験しかつ男女雇用機会均等法が出たあと、というハルの至らなかった(生きられなかった時代の)地平を魔法で見に行く、というのが大魔法の骨子になっていたと思う。これにたいしてあの70年代初期を思わせる「リブ」で作画されちゃあ適わねえ。ハルまだいきてんじゃねーか。
結局ハルは原作では婚約者からもらった指輪をマレーシアのビナツボ火山に捨てに行ったわけだ。いわゆる夫婦別姓という現代的問題を魔法でどう解決するのかが楽しみです。文句も沢山書きましたが、基本的にこのシリーズには期待しています。制作会社の「オベリスク護国寺」の益々のご発展を祈っています。
http://b.hatena.ne.jp/entry/274073311/comment/aukusoe
しまじって同人作家のびっちんぽっていうビッチの男の娘の台詞らしい。
ホモかよ。
向日葵「そうですわね」(諦め)
http://b.hatena.ne.jp/entry/274067707/comment/aukusoe
で、このブコメはどうやら、元URLのツイッターの発言者が「さくら子」という名前で、
その「さくら子」(ゆるゆりでは櫻子)の彼女?的なキャラが「向日葵」という。
レズかよ。
榎本温子「そんな過去があるから、私でもプリキュアになれました」
http://b.hatena.ne.jp/entry/274065435/comment/aukusoe
元ネタが夢の中へという井上陽水の曲なんだけど、それをカバーした彼氏彼女の事情というアニメで
そして、その榎本温子はプリキュアスプラッシュスターでプリキュアを演じるまでにいろいろあった、ということが言いたいブコメのようだ。
プリキュアとか見てるのかよ。
女児かよ。
実はアルファ世界線がベータ世界線の17年後の未来で、オカリンを騙すためにみんな演技してる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/274053222/comment/aukusoe
元URLがシュタインズゲートというアニメのネタバレの話題で、
さもそれにのっかってシュタインズゲートのネタバレをしている、と思わせて
全然関係ないEver17というギャルゲのネタバレをしている。
ギャルゲとかしてるのかよ。
オタクかよ。
僕がもし親になったら、子供に左右を逆転させて教育しますね。(有名ミステリのネタバレ)
http://b.hatena.ne.jp/entry/274053089/comment/aukusoe
親に異常な教育を受けているという元ネタから真っ先に思いつくのが、全く有名でもないドマイナーなミステリな辺りがキモい。
ミステリーとか読んでるのかよ。
あざなわかよ。
西住「ハッピーエンドを、返してもらいに来た!」芝村「え? 誰?」
http://b.hatena.ne.jp/entry/274003358/comment/aukusoe
元URLがガンパレードマーチとガールズアンドパンツァーを混合してることから、
なのだが、このガンパレの台詞はドラマCDかゲームの没シナリオでしか流れない台詞。
ドラマCDまでわざわざ聞いてるのかよ。
声優オタクかよ。
三条「僕は、人間で、脚本家で、漫画家だ!」稲田「それを言うなら、俺達は、だろ?」(仮面ライダーWの映画運命のガイアメモリの改変)
http://b.hatena.ne.jp/entry/273978879/comment/aukusoe
原作の三条が稲田が休養中に脚本を書いていた仮面ライダーWの台詞をパロるというネタで、
仮面ライダーWが二人で一人の仮面ライダーだから、二人で一人の漫画家の彼らにはしっくりくるというネタのようだ。
女児アニメに飽き足らず仮面ライダー、しかも映画まで見てるのかよ。
男児かよ。
シックスナインが好きなんです! シックスナインが好きなんです! クンニにフェラの例えもある、シックスナインだけが人生なんです!
http://b.hatena.ne.jp/entry/273988076/comment/aukusoe
書いてあることは何も理解できないが、どうやら
井伏鱒二の花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だとい漢詩の訳をパロっているらしい。
文学とか読んでるのかよ。
あざなわかよ。
望月智充版:みやむーに脚本を書かせるも、リツコがゼーレに全裸で何をされたかを克明に書かれて発禁処分を受ける。
http://b.hatena.ne.jp/entry/273879993/comment/aukusoe
いろいろ調べた結果、どうやら望月智充というアニメ監督は、声優さんに脚本を書かせたことが何度かあるらしい、
そして宮村優子はAV疑惑があるから、そういうシーンを克明に書くだろう、というネタのようだ。
アニメオタクかよ。
にわちゃんと七瀬さんのフタナリ同人誌を読みたいので、青山剛昌先生は早く同人誌マークをコナンにつけてください。(捻りすぎ)
http://b.hatena.ne.jp/entry/273772889/comment/aukusoe
どうやら、ブコメページが「トリコ」という言葉で大喜利状態になっている、
そこから派生して、トリコロという漫画がある(ブコメのにわちゃんと七瀬さんというのは、この漫画の登場人物)
完顔阿骨打は青山剛昌のコナンの灰原アイの同人誌を書いている。
ということから、青山剛昌が同人誌マーク(二次創作許可書みたいなもんらしい)をつけてくれれば、
こ、これが二分間憎悪か。
http://b.hatena.ne.jp/entry/273772819/comment/aukusoe