一応普通に生活してるんだけど、たぶん強迫性障害だと思うんだ。
このことを書き出したことはないから、自分の整理のためにも頑張って書いてみる。
小学生の頃には手を洗いまくったり、風呂に入らないと部屋に入れなかったり、人に触られた物を何度も拭いているようなわかりやすい潔癖症だったんだけど、その後はじょじょに落ち着いていく。
そのかわりに嫌な言葉、穢れというのが感覚に近いんだけどそういうものに対しての潔癖症になった。
例えば「死」という言葉を見てしまったら、目の消毒作業をしないといけない。
それは物理的にではなくて、手で目の前を払う仕草をするというやり方。
万が一文字を触ってしまったら、その箇所は爪を立てたり指でこすったりして払わなければならない。
このことを仲の良かった友人に打ち明けてドン引きされたことを思い出す。
少しずつ払い方、もとい祓い方は変わっていくが、いまでは息を吐き続けるというやり方もある。
息を吐いて終わりなのではなく、これまた身から出て行ったと実感できるまで吐き「続け」なければならないこら面倒だ。
数字というのは、まず私の中には一つ決まった数字があるのだけれど、なんでもそれに揃えないといけない。
昔は一度何かを見たり言ったり触ったりした物を、その数字の回数分繰り返さないと気が済まなかった。この頃は生活に少し影響が出ていたな。
例えば何かが右足に当たる→同じ所に同じものを数回当てる。
例えば「あのさ」という→会話の中で「あのさ」を数回言う。
例えば歩いていて電柱が見える→また同じ所に戻って見る、を数回行う。
ある場所を何度も踏まないといけなくなって、結果足踏みしてるように見えることもある。
これはその時期その時期で言葉が違うんだけど、ここ7年位は(もうそんなになるのか)、「死ぬことはない」。
どうしてこの言葉なのかは不明。とにかくこの言葉を1日に数百回は心の中で言っている。
さらにこれは前述の数字への執着と組み合わさることがよくあって、ある決まった回数を1セットとして何度も心の中で繰り返している。
人がいない時には口に出てしまったり、人がいても口元が動いていることもある。
「死ぬことはない」と唱えながら咳のように穢れを出している。
歩いていて物を見に戻ることもある。
書いてみて初めて思ったこと。
死がこわいのかね、自分は。死という穢れをなんとか遠ざけたいのか。
どちらかというと自分が死ぬことよりも、自分の大切な人が死ぬことを恐れている。
でもそれはみんなが感じるのと同程度なんじゃないかな。
自分や身内に病気や死別などのきっかけがあったかというと思い当たることがない。
本当に強迫性障害なのかはわからないけれど精神科や心療内科に行くことはないと思う。
悪いことじゃないと思えばいい。
間違いなく典型的な強迫性障害です。 受診を強く勧めますが無理強いは出来ませんね。 自分で出来る療法としては、単純ですが、 『強迫行為をとにかく頑張って我慢する』 という方法...