はてなキーワード: 保育園とは
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 127 | 10525 | 82.9 | 35 |
01 | 149 | 10133 | 68.0 | 42 |
02 | 59 | 8248 | 139.8 | 59 |
03 | 29 | 1901 | 65.6 | 32 |
04 | 26 | 9570 | 368.1 | 101 |
05 | 33 | 5462 | 165.5 | 44 |
06 | 12 | 2416 | 201.3 | 61 |
07 | 24 | 3405 | 141.9 | 50.5 |
08 | 56 | 4405 | 78.7 | 35.5 |
09 | 79 | 9644 | 122.1 | 48 |
10 | 126 | 11377 | 90.3 | 33.5 |
11 | 157 | 12500 | 79.6 | 38 |
12 | 175 | 26482 | 151.3 | 55 |
13 | 142 | 12011 | 84.6 | 37 |
14 | 133 | 11626 | 87.4 | 49 |
15 | 176 | 15675 | 89.1 | 50.5 |
16 | 111 | 8006 | 72.1 | 34 |
17 | 150 | 17491 | 116.6 | 40 |
18 | 249 | 23957 | 96.2 | 48 |
19 | 220 | 14791 | 67.2 | 37 |
20 | 199 | 18812 | 94.5 | 44 |
21 | 205 | 24971 | 121.8 | 52 |
22 | 180 | 25904 | 143.9 | 51.5 |
23 | 170 | 15789 | 92.9 | 44.5 |
1日 | 2987 | 305101 | 102.1 | 44 |
本震(7), トンボ鉛筆(7), 差別扇動(8), 余震(10), レイピスト(4), 二重思考(5), 難民受け入れ(6), 井戸(44), ウイグル難民(3), ロリキメセク(15), チンポコ(8), 地震(70), ウイグル(19), イスラム(13), 不謹慎(21), チョコ(22), 毒(44), 天皇(29), ジョーク(11), バイデン(32), 扇動(9), 男女平等(12), 新自由主義(11), ガイ(8), 電通(9), 森(14), 性別(29), 差別(113), 貧乏人(14), 真(13), オリンピック(17), デマ(13), リベラル(28), 不足(20), 目指す(12), 通報(16)
■女が生きづらい理由を考えてたらチンポコが欲しくなってきた /20210213182808(51), ■差別・不謹慎発言OKのSNS欲しい!(追記) /20210214105151(47), ■「マンションの営業が旦那の方しか見ない」の男女逆バージョンを保育園で受けた /20210213230410(24), ■シン・なんとかがクソださい /20210214030507(22), ■自分は「女性を蔑視する人間」である。 ただ、それを口に出して言わないだけだ。 いい人ぶっているだけだ。 /20210214102123(16), ■大体の日本人の人生における真の敵って貧乏人や一般国民だと気が付いた /20210214144448(16), ■女尊男卑となった日本で、これからどう生きていこうか /20210213233431(15), ■こんばんは、トンボ鉛筆の佐藤です。改めて地震の方は大丈夫でしたか? /20210213231335(15), ■で、おねロリキメセク天皇は差別扇動したの? /20210214122118(14), ■anond:20210214091752 /20210214091853(12), ■なぜ左翼勢力が解党的ダメージを受けて8年もの自民一強になったのか。 https://wedge.ismedia.jp/articles/-/22145 /20210214184437(10), ■お金持ちの街での子育てが最高だった /20210213004109(10), ■anond:20210214173711 /20210214175056(8), ■男女差別をなくすには /20210214190714(8), ■技術職辛すぎワロタ /20210214181531(8), ■障害者だけどやっぱ女性は弱者に対してすげぇ冷たいと思うよ? /20210214222805(7), ■「絆」のように最初ネガティブな言葉だったのにポジティブに使われて /20210214094916(7), ■人権問題を提起することと難民の受け入れはなぜセットなのか /20210214125031(7), ■バレンタイン全然関係ないんだけど、自転車買ったんだよね /20210214180236(6), ■セクハラってどうやってかわしたらいいの? /20210214180908(6), ■ウイグル問題と難民受け入れをリンクさせるな /20210214170326(6), ■あらゆる場所で煽りや憎悪の増幅をしてきた俺の各サイトのレスバ力診断 /20210214152329(6), ■コミュ力がある人の例 2-3ヶ月だって言ってるだろ /20210214131142(6), ■もう人生終わりかも /20210214204333(6), ■無色だったがマイニングが儲かりすぎて働く意欲なくしつつある /20210213225839(6)
今日は午後から嫁が実家の近所の美容院に、2歳の子供を実家に預けてから、行くことになった。馴染みの知り合いの美容師さんに我が子を見せたいらしい。
久しぶりに数時間だが、一人を満喫出来るかと思ったが、保育園の文集を作らなくてはならなく、その内容を考えてくれと頼まれて、あまりゆっくりも出来なくなった。今日みたいな一人になれる時に限ってここぞとばかり何か用事を言いつけて来るので、笑顔で引き受けるが、内心たまったものじゃない。まあ、それでも一人になれるのはそれなりに落ち着く。
夕方に嫁が帰ってきた。
髪の毛を後ろでくくっており、美容院に行ったわりには、あまり変わってないように見えた。ここで「あれ?美容院に行ったんじゃないの?」とでも言おうものなら一気に不機嫌になるので、ここはそっとして触れないでおとこうと思った。
俺は夕飯の支度をしている途中だったので、キッチンに立っていたが、嫁が嬉しそうな顔をしながら、手に持った紙袋を広げて「子供服もらった!」と言ってきた。
俺はその時、もらった?誰に?と脳裏によぎり、すかさず「誰にもらったの?」と聞き返した。
すると嫁の表情が一気に険しくなり、「誰にぃ〜?誰にもらうのぉ?」と言い返してきた。
俺は一瞬えっ?と思ったが、「○○さん?」と知り合いの美容師さんの名前を出した。
すると嫁は「はぁ〜?」と呆れたようにため息をついて、肩を落としながら向こうに行ってしまった。様子からどうやら実家の母親にもらったらしい。「子供服もらった」の一言から誰からもらったか理解できない俺に呆れたようだ。義母は孫の洋服をちょくちょく買い溜めしては、事あるごとに渡して来ることは知っている。それならそうと「お母さんにもらった」と一言言えば分かるのに、嫁は会話の主語を言わないことが多い。それを尋ねるものなら不機嫌になるので会話がとても疲れる。
もうここからは夕飯の間も一切会話も無し。こういう時は何を言っても無駄なので、夕食もさっさと済ませ、無言になった嫁を尻目に風呂にはいった。
いつも風呂には、スマホを持ち込んでSNSやらを見ている。嫁にバレると小言を言われるので、バレないようにこっそりと持ち込む。程なくして、スマホに嫁からメッセージが飛んできた。その文章をそのままここに転記する。
『服もらったって言っても無反応。
よその旦那さんは、色々反応してくれるのに。
前、お母さんに何か買ってもらった時に「そうか、お礼言わないとね」ってすぐ言ってくれた時、変わってくれたって思だけど、やっぱり前と同じ無反応。
髪を切っても無反応。
あなたといても寂しい』
夫婦喧嘩になった時や今日みたいになった時は大抵スマホでこんな感じのメッセージが一方的に飛んでくる。
返信は一切しない。
返信しても、それに輪をかけたような文章が大量に送りつけて来られるからだ。もっと面倒なことになるので最近はそっとしておくことにしてる。
ほんとなんとかして欲しい。
明日は何も起こりませんように。
わたし男だけど「標準的な夫婦の役割分担」から逸脱するとこんな苦しみがあるのかと興味深く読んだよ。
ウチの子は保育園に入れないで嫁とそこそこ近くに住んでるお義母さんで世話して幼稚園入れる時も嫁だけが入園の手続きに行ったけど何の腹立ちも無かったな。
正しくは、ほぼほぼ関係のない大昔の知人、多分相手は自分のことなど覚えていないと断言できるほどの知人の近況を興味本位で検索したら知ってしまった。
件の子は、保育園に通っていた頃はずっと一緒に遊んでいて、仲が良くて、今でも自分が本名を覚えているくらいには印象に残っている。
眼鏡をかけた真面目そうな、笑顔が印象的な女性だった。なにか、疲れてくたびれたような雰囲気もあったような気がする。
保育園から小学校に上がるとき、学区の関係で顔を会わせなくなったが、それでも小3、小4くらいまでは交流があったと思う。
中学校は幸い一緒だったので、再開をちょっと心待ちにしていたのだけど、中学校で会った彼女は自分の知っている彼女とは結構、だいぶ変わっていた。
髪の毛は茶髪で、制服は着崩していて、化粧をして、口うるさい教師から面倒くさそうに目を反らして髪先をいじっていた。
確かクラスが一度一緒になったけれど、滅多に教室にはいなかった。
クラスでも彼女のことを話題にすること自体がそもそも少なかったはずだ。
少なくとも友人という枠で括って会話することはなかったと思う。
「あの荒れてる子」
「どこ高に彼氏がいるらしい」
そういう、確実に憧れではないトーンで、ひそひそと囁かれていた。
腫れ物に触る、といえばよいのか。
周りは荒れている彼女しか知らないから、そういうトーンで話をするんだなと思っていたけれど、自分はどうしても、保育園の頃の彼女を知っているので、聞くたびに違和感があったのだと思う。
修学旅行の班分けをして、彼女と一緒の班になったとき、彼女がたまたま教室にいたので、「修学旅行、一緒の班だけど」とかなんとか、話しかけに言った。
すごく印象的で覚えている。話しかけられた彼女はちょっと瞠目して、そのあとに「いや、行かないから、大丈夫」と返した、はずだ。
親しみのある表情ではなかったし、目も合わなかったけれど、特段冷たくもなかった。
あ、そう。なら大丈夫。と会話を終わらせて自分の班に戻ったけれど、ちょっと安堵したのを覚えている。
不良と言われていて、他の子からも腫れ物のように扱われている彼女は、もしかしたら自分の知らない子になっているのかもと思っていた。
けれど、少なくともあの瞬間だけは、普通の、自分の知っている彼女だった。
班に戻ってから「何普通に話しかけに言ってんの!?」と小声で問われて、その安堵もじくじくとしたなにかに変わってしまったが。
確かに、彼女は特段変わっていなかった。変わっていなかったけれど、自分と一緒ではないのだとも一方で強く思った。班の子の問いかけで、より自覚させられたのかもしれない。
問いただしてきた班の子には、自分は彼女と保育園の頃の友人だったので、別に怖くもないし、相手も自分のことをたぶん知っているはずだと返した。
AV女優になるまでに色々あったみたいだが、(名前も変わっているし、どうやら整形をしているようで、顔を見ただけでは正直本人かどうかの確信が持てなかった)、Wikiを見たらだいぶ出演作品が多かった。
自分はこちらの業界に詳しくないけれど、なにか賞ももらっているらしいので、天職なのかもしれない。
ツイッターのフォロワーもわりとついている。そもそもWikiがある時点でちょっとすごい。
動画があったので(そういう動画ではなく、Youtubeで活動をしていたので)声を聞いたら、あの若干舌っ足らずの話し方に聞き覚えがあった。加工をしていない動画の表情は、整形をしているとしても、自分の知っている彼女の面影のあるものだ。
ああ、本人だな、とそこでやっと確信が持てた。
動画のなかの彼女は、楽しそうに話していた。少なくとも自分が会話をしたときより、いきいきして見えた。
AVという産業に偏見を持っているわけではないと思うけれども、そういう仕事をしている彼女に対して、嫌悪感が沸かなかった。不思議なものだ。
むしろストンと、そこならあるべき自分でいられるんだろうなと納得した。
どうか元気で。
残念だが保育園はそんなもんだよ
説明会に保育者がいなかったのならどちらかは子どもを見てないといけないのだし、二人とも聞くのは無理じゃないの
どちらかが見られるときは預けることができない
だから君が参加してても特に何も変わらない。話し合って対応を決めるのは家でできます
なので説明はどちらかが聞いていればいい
ちょっと前にネットで話題になったやつだ。マンション購入の意思決定が旦那にある前提で営業が旦那にばかり話すので妻がキレるやつ。
その逆バージョンだ。
夜になっても全然ムカついて寝れそうにないので書く。
入園の説明会をするから来てくれと言われ、土曜だし仕事も休みなので夫婦と娘の3人で行った。
別に珍しい話でもねーだろ。親子でお世話になるし2人の娘だ。そりゃ夫婦で話聞くだろうが。
保育園着いて開口一発目が
「じゃあ奥様にご説明しますんで、旦那様はあちらでお子様と一緒に遊んでてください」
だよ。
娘が積み木に飽きたぐらいで「なんかおかしくね?」ってなって。俺ここに遊びに来たんだっけ?入園の説明聞きに来たんでは?って。
そしたら
・登園は出勤時刻が遅い方に合わせる(俺8時出社、妻9時出社なので、俺が家出るタイミングで預けるのはNG)
・土曜保育は実施してるけど俺らは使えない(妻は土曜勤務だが俺は休みなので一人で見なさいってこと)
俺は聞く価値ないと思われてる?
そのくせ土曜は父親ワンオペで当然面倒見ろって?いやワンオペぐらいできるけどさ。舐めんな。でもそういうことじゃねーのよ。
そりゃ手続き関連は妻にやってもらったよ。書類の名義は妻だよ。俺平日仕事でいねえし、育休中で平日役所に行きやすい妻に頼むよ。そんなおかしいことじゃねーだろ。
だから名義人の妻に説明すりゃOKってか?旦那は物見遊山で来てるだけだからほっとけばOKってか?
あーまじでムカつく。
こちとらイクメン()みたいな生半可な気持ちでやってんじゃねーんだよ。
家のことも子供のことも、お互いが不得意なことを補いながら一緒にやってきた。相手が辛いときは支え合ってやってきたよ。
妻にはめちゃくちゃ感謝してるよ。妻が俺に感謝してくれてることもわかってるよ。偉そうでもなんでもねえ。一緒に真面目にやってたらそんなもんだろうが。
職場と激揉めしながら1ヶ月育休も勝ち取ったよ。でも別に立派なことじゃねーだろ。
俺らの世代で普通にしてかなきゃいけねーことだろうが。激揉めしてる時点で時代遅れなんだよ。
そんくらいの気持ちでやってんだよ。
でも一番ムカつくのはよ、俺自身だよ。
相手の開口一番で舐められたってわかったはずなのに、すぐにキレ返せなかったのよ。
そんで帰って妻と話して励ましてもらって、それでも足りなくてこんなところにグチグチ書いてるのよ。
あのときキレ返してたらこんなに重たい気持ちになってないのよ。
てかキレる必要さえなかったのよ。
「僕も一緒に話聞きたいんですけど横座ってていいですか?」
これだけ言えばよかったのよ。喧嘩腰になる必要もない。波風も立たずに誰も不幸にならなかったのよ。
それがなんでできねーのよ。
あーまじでムカつく。日本死ね。
私は今まで大きな思い違いをしていた。
田舎より、中途半端な都会より、そんなものより文教地区のタワマンが立ち並ぶ街(かといって若者の商業施設が立ち並ぶわけではない街)の方が何倍も、人に対してフラットなものの見方をしているということに気づいた。
いわゆるそこは環境の良い比較的お金持ちの街だった。本当にそこのママたちはフラットだった。
例えば子どもが保育園に行く家も、普通の幼稚園に行く家も、お受験をする家も、インターに行く家も、ほとんどが同じ割合でいたので、あらゆる家が“普通“だった。
0歳から保育園に行くと言っても誰も「可哀想」なんて言わない、幼稚園受験をすると言っても「そんな小さいときから…」なんて言わない、インターにいっていても「じゃあ英語しゃべってw」なんて言わない。
誰かの家に遊びに行く時も「うちはあそこのタワマンだよ、来てね」「うちはその横だよ」「いいなー、うちは賃貸だよー(笑)」そんな感じで誰も「うわ、タワマン?金持ち〜っ」なんて言わない。
旦那さんが医者でも弁護士でも社長も普通のサラリーマンでもどれも全く珍しくない。
お昼ご飯に、コンビニ弁当を食べていようか、2000円のステーキ弁当を持ってこようが誰も気にしない。「わー!お肉美味しそう!それどこの?」「あ、それコンビニの新商品!?セブン?明日それにする!」というような感じだ。
この街に引っ越す前、私は別の地に一軒家で住んでいた。文教地区でもなければ、近くに受験幼稚園もない、昔ながらの土地に最近子育てが世代が多く入るようになったような地域だ。
その時に散々言われた。
家の前を通った顔も知らない人たちに「うわっでかい家!金持ちはいいな!」「はぁ…金持ちが」
子どもを学区外の学校に通わせると「金持ちいいな」「ボンボンw」「うちは普通の家だから、そんなお金ないし」「あそこはお金持ちだから」
そんな事を散々言われた。
引っ越しをして本当に心が穏やかになれた。もう周りから差別されない、どんな家庭環境でもそれを“普通”と受け入れて貰える。それがこんなに尊いこととは。
子育ての話がぼかさなくても出来る、子どもの誕生日プレゼントに何をあげたいか相談出来る、息抜きにホテルランチに行こうと話が出来る、高いから無理!と笑いながら断れる、幼児から習い事をしていても「教室楽しい?いいね!」と子どもに話しかけてもらえる。
工場勤務で暇な時期はほぼみんな17時定時で帰ってるとこで働いてた。
ほぼみんな妻子持ちのおじさんで、家族大好きだからさっさと帰って家の手伝いしてると言ってた。あるいは帰る途中で買い出しとか、保育園のお迎えとか。
飲み会はあまり好きじゃないらしくて、夏のBBQと忘年会と新人歓迎会(年1あるかどうか)位しか無かった。飲み代と帰りの運転代行が会社負担なのに。
https://yt3079.hatenablog.com/
◎日本人は毎年数十万人単位で急減の一方で、移民(外国人住民)は毎年増加(コロナ渦で数年はずれるが)を続ける
→日本人と移民の人口比逆転は時間の問題「40年後の40才以下の3人に1人は移民?」
(出生率に変化がなければ、将来の人口動態もほぼ推計通りになる)
◎約90年で人口が半減するスピード(しかも子供が少なく老人が多い)。人種単位の持続性の観点では有事であり、危機的非常事態。それなのに対策は後手後手
→例えば、ウイルスの蔓延は現在進行形で悪化のスピードが早く、人権を制限してでも効果的で思い切った対策をとる機運も生まれやすいが、少子高齢化はダメージの時間的スピードが遅いために、切迫感が低く、結果、対策が「常に」後手に回る。
◎現状の育児支援中心で自由意志に期待した少子化対策は30年以上、毎年失敗の連続。政府自治体の対策の対象世帯である「産みたくても産めない人。結婚したくてもできない人」はどれだけ存在するのか。被害者感情に流される対策は効果が出ていないのが現実。
→本当はお金ではなく、大変だから子作りをしたくない。面倒だから結婚したくない。だから育児支援で保育所をいくら作っても、育休を増やしても結婚に結びつかず、子供は増えない。(平均年収の倍で待機児童のない東京都千代田区の出生率は全国平均以下)
◎出生率低下の要因は未婚率の上昇と多産の減少。その原因とされる「格差拡大説」はどこまで正しいのか。
→独身に低所得者が多いのは「原因ではなく、結果」。1970年代までは、低所得者(年収200万円以下)でもほぼ結婚して子供がいたが、現在は戦時中よりもはるかに低い出生率。日本を含む先進国は生活が多様化しており、コスト要因の結婚の必要性と優先順位の低下により、低所得者から結婚を回避するようになった。
◎子作りしたい人への環境支援ではなく、子作り「したいと思っていない人」に子作りを促す対策が重要
→既婚者の完結出生児数は約2人であり、現実として子作りをしたい人は支援に関係なく、子供を作っている。問題は出生率低下の要因である未婚者の急増であり、結婚を諦めている人、意欲に乏しい人にどう働きかけるかがカギ。結婚は個人の自由だが、その自由により、社会の持続性を大きく損ねている。
◎動機に働きかけ効果だけ求めた少子化対策は次の通り。「3大義務同様に子作りの努力義務化の指針」「第3子以降に1000万円超など、多産ボーナス」「子作り負担のなく福祉を受ける40才以上の独身は増税(実質的独身税)」
→早婚に金銭的メリットが生じて、相手の理想ハードルが下がり、これまで結婚できなかった層も結婚相手の対象に。育児放棄など社会問題の増加より、少子化放置で起こる社会問題の方がはるかに深刻。消費性向の高い育児世帯と若年人口が増えれば内需が復活。
◎少子化対策の失敗は、効果でなく倫理的視点(受け入れられやすい育児支援のみ)で選ぶから失敗する。本来、負担の大きい子作りに対し、反発のない対策は効果も期待できないはず(作用反作用の法則)。先祖の多大な負担があったからこそ、現代人が存在する。現代人が身勝手な倫理やモラルで負担回避を正当化すれば、将来世代は先細りの一方。
→目的(少子化解消)は手段(人権に問題があるが効果を見込める対策)はを正当化するのか。メリットがデメリットを上回れば導入すべき(人が減り続ける悲惨な社会になっても、子供を作らない自由意思尊重が大事なのか? 倫理観や同義性の遵守より、手段が受け入れ難くても「問題解決を優先」すべき)
★本稿のポイント
少子化対策の「思い込み=(人権やモラルは少子化解消よりも重要)」を解消し、少子化対策にのみ人権やモラルを我慢すれば、効果的な対策を実行でき、少子化問題は解決可能。昔の子沢山を成立させていた周囲のプレッシャーや後継、労働の担い手などの子供が生まれる要素が無くなった現在、「法律一本の施行」で制度を作り、子作りに動機を与えて出生率の上昇に繋がる具体策を提案する。それを実行するには、いかにしてハードルとなる人権や倫理観を我慢してもらうのかの説得が少子化対策の本質にして、本稿の最大のテーマだ。少子化が解消し子供が増えれば、内需が復活し日本経済も回復する。本書では、このままの少子化状況が続いた場合の日本人に訪れる悲惨な運命とそれを回避するための、効果を優先した対策を提案、解説する。
〜〜〜〜〜〜
近代社会学の祖オーギュスト・コントは「国の未来は人口構成で決まる」と見抜いたそうな。人口を減らしながら常に高齢者が多い逆ピラミッド状の人口構成では、衰退は避けられません。合計特殊出生率1.36(2019年)と低迷を続ける日本。このまま人口が減り続ければ、国の発展以前に現日本人が将来的に存続できなくなります。存続できない可能性が高いのではなく、日本人の出生率が2を切り続ければ将来的に存続できなくなるのは物理現象です。それに対し、どこか他人事の日本社会と政治に問題意識を投げかけたいと思います。
問題は解決するより、発見する方が困難です。個人も組織も、自ら気づかない潜在的な問題により、傾いていきます。少子化問題は極めて深刻な問題にも関わらず、政府の少子化対策関連予算は先進国の中でも総予算に占める割合が低く、口では声高に危機感を高めていると言っても、財政支出の観点からは本気度が極めて低く、問題視していないレベルと明確に言えるでしょう。2019年末に決まった26兆円(真水4.3兆円)の経済対策でも少子化関連には1円も使っていません。使い先は電線の地中化など。。
現状の少子化対策は育児支援など環境整備の観点しかなく、30年間も同じような方向性の政策しかとられておらず、改善の兆しが全くないのに、「地道にやるしかない。環境整備が大事だ」と言い続けています。一方、日本人が減り続ける中で、近年の政府は実質的な移民政策に大きく舵を切りました。100年後の日本列島は日本人と移民の混在する国になっています。さらに、それ以降も出生率が大幅に回復しない限り、容赦無く日本人は減り続ける一方で移民の割合は増え続け、その時の日本国籍のルーツは海外由来になっている可能性が物理的に極めて高くなります。公用語が中国語などに変わっている可能性も十分あるでしょう。
そうはならない為の少子化対策。現状の育児環境改善策以外にも、視点を変えれば効果のある対策はあるはずです。出産育児は個人の権利に関わる問題ですが、残念ながら環境支援だけで結婚、子作りの有無を自由意志に委ねた現在の少子化対策では増えていない現実があります。それを改善するためには、より、子作りの動機付けに導く政策が必要であると考えます。しかしそういった対策は、個人の自由意志に反する可能性のある対策であり、モラルや倫理観の問題で実行に大きな障壁があります。しかし、動機付けの対策に有効性があって少子化が改善される可能性があっても、現代人のモラルや人権を優先すべきなのでしょうか。その優先順位がどうあるべきか、問題提起したいと思います。
少なくとも現状の育児支援中心の対策より、効果が見込めそうな対策を、モラルや現代人の自由や権利を理由に放棄してもいいのか。現代人のモラルや価値観はその人種の存続や持続性以上に重要な価値観なのかーー。
このように、少子化対策の具体策だけでなく、タブー視される少子化対策問題に対し、「どう向き合って、どう考えるべきか」。そういった観点を問いただすような内容になります。現在出尽くしている対策や論点とは違った観点と具体的な対策を提案し、実効性のある少子高齢化対策に繋げたいと思います。
【要点・トピック】
現状の少子高齢化が改善しないまま、実質的移民の外国人労働者を受け入れ続けると、いずれ日本人と移民が「人口比で逆転」する事になる。日本人の為の日本ではなくなり、多民族国家に変わる。日本人と外国由来の国民・住民の人口構成逆転に繋がる現象はすでに進行しており、人口構成比の逆転は時間の問題。不可逆になる前に手を打つべき。
政府、自治体の育児環境支援ばかりの少子化対策は結果が出ておらず、失敗との結論付けが必要。国民の自主性に任せれば、少子化は進行する一方。少子化の構成要素である未婚率の高まりは少子化現象の原因ではなく結果。日本を含む先進国が直面する少子化の原因は文明化による価値観の多様化で、結婚と子作りの優先順位が下がった事による晩婚化、非婚化が進んだ影響。現状の育児支援中心の対策の方針を「大幅に変えないと」今後もさらに日本人は減り続ける。子作りの動機付けをアメとムチの両面でやるくらいでないと解決は難しい。効果的な対策を打てば「翌年から」出生率は著しく反応する事が過去の事例からも分かっている。子供が増えだし、出生率が2を越えれば、日本の将来は明るい。
モラルや倫理観、自由意志を優先して、負担感のある少子化対策をせず、現状の効果が上がってない対策をなおもやり続け、その結果このまま滅びるか、逆にモラルや人権をある程度我慢して、有効性のある対策を実行し、安定した持続性のある社会にするかーー。
続きは以下にて
https://yt3079.hatenablog.com/
◆このまま人口が減り続けると、どうなるのか
政権に関係なく、労働や消費の担い手不足という現実問題に対応するため、政府や経済団体は、外国人労働者という形態で、実質的な移民(国連の定義では1年以上住む外国人)の受け入れをさらに推し進めるようになるだろう。実際、2018年の「骨太の方針」でも外国人労働者受け入れ拡大の方針が決まり、2019年4月には改正入管法が施行された。彼ら外国人が高齢者になった時、どうなるか。もちろん追い返す事はできず、いずれは外国人移民の高齢化問題も出てくる。
このまま、日本人の人口減少分を外国人で補おうとすると、コロナ渦で数年はずれ込むだろうが、基本的には時間の進行とともに、日本人と外国人の比率が相反し、やがて逆転することになる。この点ははるか先の未来の事として、ほぼほぼ論じられていない。このままでいいのだろうか。すでに東京都内ではかつて外国人が多かった街は新大久保と観光地くらいだったが、今や主要繁華街で昼夜問わず、その割合は静かに増え続けている感がある。
◆出生率の数字は「人口が減っていくかもしれない」危険指数ではなく、数値が2.0を下回る状況が続けば「いつまでに人口がゼロになるか」の確定年数を導ける指数。内戦中のシリア、アフガンや北朝鮮より先行きが危ない少子化日本。
出生率を人に問うても、いまひとつ危機感が薄い。出生率低下と言っても、「人口がゼロになる事は無いだろう」「単なる警告信号のような数字だ」と、漠然と認識する人は多い。しかし、出生率の1.41という数値は男女2人の親から約30年後の次の出産サイクル時の出生数は1.41人しか生まれてこない計算だ。これを分かりやすく1人に置き換えると約0.7人になる。1年間の出生数が87万人(2019年出生数)だとすると、この世代が、第一子を生む頃の30年後は87万×0.7の約60万人、その30年後は約42万人。その30年後は約30万人とどんどん減り続ける。そんなバカなと思うかもしれないが、実際、第二次ベビーブームの1973年は209万人の出生数で、彼らが出産適齢期になった30年後の2003年あたりは不景気の影響もあって、出生率が1.26程度まで減っており、その結果、113万人と親世代の半分程度の出生数に落ち込んでしまった。団塊ジュニア世代は就職氷河期世代で不況と重なる運の悪さがあったが、現実的に、出生率が2を切ると、容赦なくその数値の割合だけ、出生数は減り、人口が減り続けるのである。
この危機感の無さには、「出生率」と言う単語にも問題があるのではないか。2018年に国会を通過した「働き方改革」も「残業代カット改革」なら法案は通らなかっただろう。それほど名前は大事だ。言葉は悪いが「人口半減期」のような数字で、出生率を人口が「半減する期間」で示した方が分かりやすいのではないか。例えば、今の出生率が続くと人口の半減期はおよそ80~90年だ。つまり、2100年ころには日本の総人口は6000万人に半減している計算だ。今の出生率が続いた場合に、半減するまでの期間を書いた方が、危機感は伝わり易いだろう。
内戦のシリアやアフガン、独裁政権下の北朝鮮ではいずれも出生率が2を上回る。いくら、内戦や政治不安で経済状態が悪くても、それにより大規模な内戦に発展しない限り年間1万人も死亡する事はない。しかし、日本では団塊世代が平均寿命を迎える2030年頃は年間170万人程度の人口減を経験することになる。そして、今後70年かけて日本の総人口が6000万人に減少すると予測されている。結果的に早く滅びる国がいい国と言えるのだろうか。
◆現日本人が外国人(実質的移民)に徐々に置き換わり、日本人はやがて少数派に転落して、いずれゼロになる・・・100年後に純粋な日本人は消滅へ。アメリカではすでに16歳未満で白人が過半数割れ。
「移民が来ても、混血化するから日本人の血は残るはず」というのは大きな誤解である。出生率が2を割っていれば、人口減少は続き、その減少を補うために、時間の進行とともに、外国人移民が入り続け、日本人の血はゼロになるまで混血化しながら希釈化され続けていく。
2020年6月には国勢調査局の統計を基にAP通信がまとめた情勢によれば、アメリカではすでに16歳未満で白人人口が初めて半分を割ったという。流入が急増するヒスパニックや黒人、アジア系に対し、白人人口が増えなかったためだ。アメリカでは1990年に75%だった白人の割合は2020年現在は60%に急減。たった30年で約20%も人種割合が低下したことになる。さらに2045年までに白人人口が半分を割るという推計がある。白人の出生率が2を切り続けて増えず、白人人口がゼロに向かい減っていく一方で、ヒスパニックとアジア系の流入がその穴を埋めているためである。アメリカの出生率は2を上回っているが、それはヒスパニックを中心に移民の出生率が高いためである。現在、アメリカは多民族国家だが、そのうち白人が減り、やがて黒人とヒスパニックだけの国になり、逆に多様性は少なくなっていく可能性が高い。
子供を阻害する要素を取り除く政策だけでは増えないよ。保育園を増やしても育休を増やしても、実際は出生率向上へはほぼ影響を与えていない。
人が行動しない原因を不満の存在に求めるのではなく、動機の欠如に求めるべきだと思う。独身税で動機を高めるのは有効だと思う。
田舎の、保育園~中学までさほど面子の変わらないような狭いコミュニティ。
同じ地域に私含め4人の女子がいたが、私だけ登下校の際にハブられていた。
校内でも同じグループだったのに、いつの間にか私だけ除け者にされていた。
主犯のM子はあらゆる年代のコミュニティで私を除け者にするという行動をとった。
私をグループに誘っては、あとから除け者にして楽しそうにしていた。大人になった今でもM子の事は許していない。
大学の時に付き合っていた彼氏の携帯から女の声で電話がかかってきた。
どうやら付き合っていると思っていたのは私だけだったらしく、彼女だと自称する女にめちゃくちゃ罵られた。
社会人になってから、同棲していた彼氏に振られた直後、妊娠何ヶ月だかという女と結婚したと知らされた。他にも何故か分からんが何度か浮気をされてすぐ気がついてしまった故に有耶無耶にされたり振られたり振ったりした。
今日は友達数人とカフェに行った先で、彼氏(昔付き合っていた人だったが)がほかの女とイチャついているのを見てしまい、心臓バクバクで席に戻るとそこにはM子ほか当時のグループメンバーがおり、私の席はなかった。彼女達はニヤニヤしていた。
先日は現在付き合っている彼氏に「お前は遊び、本命がいる」と罵詈雑言つきで言われ、私とは正反対のタイプの女子と手を繋ぎ去っていく夢をみた。
起きたら隣に彼氏がいて、手を繋いだまま寝ていたけれど寝汗は酷いし、フラッシュバック的な恐怖が湧いてきて、声を殺して泣いた。
こんな感じで、いじめ(除け者にされる)や浮気の夢をこの10日間で4-5回は見ている。
夢をみていない、覚えていない日があったとしても約半分はトラウマ経由の悪夢。
別にいま誰かに除け者にされている訳では無いし、彼氏はほぼ毎日会っているので浮気していないと思うがなぜ今更こんな夢をみるのか分からない。
少なくとも最後に浮気されたのは3年前だし、除け者にされていたのなんて小中の話だ。
またいやな夢を見るのが怖い。
身近で大切な人の言動が曖昧になっていく、そんな体験って自分だけなのだろうか。
すごく概念的な書き出しになってしまったけど、具体的に言うとすれば
この時の「身近で大切な人」っていうのはたぶん「自分」から見て「一定期間交流のある親しい人」のこと。
これを読む貴方にとって、それはもしかしたら幼稚園、保育園、小学校、中学校、高校、専門学校、大学のころからのあるいはまったく不思議な縁でできた友人かもしれない、父母かもしれない、祖父母かも、娘息子か、恋人か、妻か夫かもしれない。
要は自分にとって、大切な人。あなたにとって、自分をおぼえていてほしいと思う人。
何年もかけて蓄積してきたお互いの記憶が、だんだん曖昧になってきているのだ。
例えば、
ぼくの「この時〇〇だったよね」という回想に「そうだっけ」と返されることがある。
テレビをみて「あのときのあれ……あれだよ……」とその人が共通で認識できる思い出や名詞を思い出せないことがある。
こんな状況はぼくだけ?
そんなことはない。
世間一般的な言葉にあてはめてしまえば、それらは「わすれっぽい」とか、「ど忘れ」だとか「認知症」といった枠組みのなかでおさめることができてしまうかもしれないし、「そんなこと気にすることじゃない」と「もっと苦しい思いをしている人もいる」と思う人もいるだろう。
それはもちろんそうだ、この世に人はごまんといるし、似たような状況が身近に存在する人なんて日常茶飯事、こんなこと気に留めていたら……なんて人もいると思う。でもそれはそれ。ぼくはぼくなのだ。ぼくがその状況の当事者となった際の心境を記させてほしい。
では当事者となったぼくといえば、まだその状況を受け止めることができていない。
受け止めることができなくて、その人の言動に一喜一憂させられている(喜んでいるのかな?)
その人の言動が曖昧になる、自分との記憶が思い出せていない瞬間に立ち会うたびに、言いようのない、泣き叫びたくなる感情に襲われるのだ。
「そうだっけ?」「わからない」、何気ないひとことがすごくくるしい。
たとえばその人と過ごした時を同じくするのがぼくだけではない場合、第三者がいるとして、その人に対して「なんで覚えていないの?」「どうせ忘れてしまうもんね」「こう言ったじゃないか」と当たり散らしている。そういった負の連鎖が生まれてしまう状況もあった。
大切な思い出を忘れてしまう、その人が全面的に悪いわけではないと思う(もしかしたら記憶力を低下させてしまう程生活習慣が悪かったりするかもだけど)。でも、自分との思い出が失われることが悔しくて、意固地になってしまう。その人のせいじゃないのに強く当たってしまう。ついつい「わすれてしまったの?」と意地の悪いことを言ってしまう、非難して、ぼくが被害者面をしてしまう。
虐めたいわけではないのに、その人を追い込みたいわけじゃないのに、
ただただ、さみしい。
わすれないで、ぼくのことを。
こんな状況、自分だけなんだろうか。
去年の年収1200万超えてたし、落ちる前提で一番近い認定こども園を第一志望にして申請したらあっさり通った。
嫁さんの仕事復帰自体もどうでもよくて、預けられないんだったら「まぁそこ落ちたら延長かな?勤めてる会社もコロナのインパクトもろに食らってるし無理は不要」って言ってた。
自治体の議員のTwitterとかでは「収入がそれなりの人は認可外じゃないと無理」って言ってて「ふーん」て感じだったのだけど。
クジ運とかもあったのだとは思うんだけど、これやっぱり税金たっぷり払ってる人は多少優遇あるよな、としか思えないんだよね。
仕事は適当にやりがいがありつつ適当に楽してこなして、子育ては保育園にも手伝ってもらいつつ適当にやって、旦那はガッツリ稼いできてお金には困らない。
専業主婦だった頃もあるけれど、今の方が断然楽だなー。
妻は発達障害だし、結婚した当時は割と重めにうつ病だったし、そこにパニック障害もあった。
そもそも、結婚したのはもちろん「この人となら~」とか「愛しているから~」とか、そういったことはあるけど、それ以上に、それ以上に医療・福祉面で家族でないと介入できないことが多すぎたから...という事情が大きい。
まず、彼女は分離不安が強い特性があった。だから、私が1人で仕事に行っている間、不安からパニックになることもあった。
それを薬と、それから認知療法的に...居なくなっても必ず帰ってくるという実績を積み上げて自信につなげていく...1年くらいかかったかもしれない。
次に、些細な失敗でもパニックや過度な不安、落ち込み、希死念慮につながる。
家に帰る前に「洗濯物をしておいて欲しい」と電話した。妻は洗濯した。けれど、洗剤を入れ忘れたことに気がついた。
家に帰ると泣きながら寝込んでいた。次の日にも泣いていた。
それを自分でやり直しながら「そんな落ち込むことじゃない」と教える。。。これも1年くらいかかっただろう。
とてもとても不快な発作から彼女は逃れようと、手元にある薬を何錠も何錠も飲む。
それを防ぐために、朝・昼の薬は分けて渡す。他は自分が持って会社へ行く。。彼女の心の支えを奪うのはいささか気が引けた。
けれども、パニックは改善しないし別の問題を引き起こす以上耐えるしか無い。パニックはいつも耐えるしか無いのだ。
パニックの頻度は減り、パニックとの多少マシな付き合いを覚えた妻はODしなくなり薬を任せられるようになった。
分離不安は、不安なときは自ら「ちょっと話せないか?」とこちらの都合も考えながらも、必要最低限の支援でやり過ごせるようになった。
失敗も...失敗はいっぱいだけど笑って「ごめんなさい」と言うまでになった。
そんな成長は次の段階になる。
「家にいるのはもう嫌だ」
「独りぼっちで家にいるのはもう嫌だ寂しい」
僕はひどく混乱し落胆した。
家にはきちんと帰っているから寂しい思いはさせていないつもりだったし、なにより「家にいるのはもう嫌だ」と、それが何よりも傷ついた。
妻はどうして家を拒絶するようになったのだろうか。
居場所がなかった妻に居場所を精一杯作ろうと努力したし、独りぼっちも極力回避してきたつもりだった。それなのに...と。
僕と妻は何度も何度も話し合った。
「親離れの時期だ」と。
幼児はいつかまだ見ぬ世界を求めて、親の腕から離れて歩き始める。
最初は1歩だけ。怖くなって帰ってくる。けれども次の日には2歩。。。と。それが結果的に保育園でも良いし幼稚園でも良い。
いつしか、親の居ない時間を自分だけで過ごして新しい世界を謳歌していく。
妻にもそんな時期が来たのだ、と。
とはいえ理解は必要だし...。と、物は試しに就労継続支援を利用することにした。
これが効果覿面だった。
不安でパニックも再発した。それでも理解のある職員さんに支えられながら着実に通える日を増やした。
いつしか、朝の送り迎えは不要になった。妻は自分でバスに乗って通うようになった。
そこまで来ると妻にも私にも分離不安なんていうことは過ぎらなかった。
落ち込む日には落ち込む理由を探せるようになった。天気、昨日の出来事、体調...etc
着実に妻は成功と成長を重ねた。
それが結婚2年目の話。
そして3年目。
今までのこと以外にもなんやかんや色々とあった。
妻の家庭(実家)に、余計なことと思いつつ介入しある程度正常化したり、
時には眠れない妻に付き合い一晩起きたり。
何より妻以上に不安だったのは私だった。
「良くなるのか」
そんな葛藤の日々だった。
頼れる人も少なかった。
それでも、ここまでの私の苦労は人並み以上だったようだったらしい。
時には、、、あるいは1年目なんてほぼ毎日、、、お酒で寝てしまっていた。
「なんでこんなことになってしまったんだ」
気がつくと、私は妻にたくさんたくさん泣きついていた。
そんな日々で今までの自分と妻を振り返った。
「本当に大変な子育てだったね。ごめんなさい。お疲れ様でした。
今この瞬間、僕は娘と別れた。
そして改めて妻と2人で歩もうと決めた。
ひとまず一緒に自分の体をしっかり癒やそう。
いっぱい端折りました。推敲もしていなくてごめんなさい。
今日、インターネットでだれかの幼稚園の頃の記憶を読んで(思い出というには悲しい話だった)「すごくよく覚えているんだな、私はこんなに覚えてない気がする」と感心しつつ不思議に思えた。そして同じ歳の頃の自分はどうだったかな、と記憶を掘り起こしたので、思い出されたものを記したい。
*
私は保育園育ちだけど、多分3回ほど引っ越している。記憶に残る一番古い友達とのやりとりは、4〜6歳を過ごしたはずの最後の保育園でのことだと思う。
その時、たぶん私は5歳くらいで、教室のなかで輪になって座り、友達数人とごっこ遊びをはじめる相談をしているところだった。
みんな女の子で、初代セーラームーン全盛期だったので、当然セーラームーンごっこをするのだ。
だれがどのキャラの役をするのか、まずは女の子同士で話し合って決めていたようだった。
セーラームーンごっこには暗黙の了解があって、その場でなんとなく強い女の子から人気のキャラになれる空気感があった。
*
(以下の感覚は5歳のときには表現する言葉をもってなかったので、当時の感覚に今の言葉を当て嵌めて表現する)
一番人気は断然セーラーマーキュリーだ、大人っぽくて知的で一番お洒落な感じがして青いところもまた良かった。次はセーラームーン、ちょっとバカっぽいとこはマイナスだけどまっすぐだし何より主人公だし悪くない。次はビーナス、あんまり魅力はないけどまぁ悪くはない。セーラーマーズは人気がないのでやだな、なんかダサい、赤いパンプスとか特にダサい、なんでブーツじゃないの?一番不人気だったのがジュピター、マーズもダサいけどジュピターは超ダサい、緑ってカッコよくないし可愛くもないし、髪型もなんか魅力がなくて微妙。
そんな風にみんななんとなく思ってるから、その場で強い子か、それかそろそろこの子に決めさせてあげないとね、みたいな子からマーキュリーを選べるんだ。
*
ここまで思い出して、ルッキズムというのはこんな幼児でも感覚的に発生しているものなんだということにすごく驚いている。
それはセーラームーンのキャラクターの話だけじゃなくって、当時の5歳の私たちの間では、強い子とは、つまり可愛い子だったのだ!
それは5歳くらいでお互いの顔の美醜を判断していたし、しかもどっちが可愛いとか可愛くないを考えた上で、可愛い子が偉いという感覚をなんとなくみんな持っていたのだ!
わたしは記憶を掘り起こして当時の感覚に言葉をつけながら文にして驚いてしまった。
みんなはどうだった?なんのキャラが1番人気だった?そのときの気持ちを覚えてる?
当時の記憶に言葉をつけたら、子どもというのは表現する言葉をもたないだけで、案外大人と同じくらい感じて考える心情をもっている侮れないものなんだなと考えてしまった。