2021-02-07

娘との別れ

自分には結婚して3年になる妻がいる。

妻は発達障害だし、結婚した当時は割と重めにうつ病だったし、そこにパニック障害もあった。

まり自分は「理解のある彼氏くん」というやつだった。

そもそも結婚したのはもちろん「この人となら~」とか「愛しているから~」とか、そういったことはあるけど、それ以上に、それ以上に医療福祉面で家族でないと介入できないことが多すぎたから...という事情が大きい。

当時の妻の家族、両親にはそれを求めるのが難しかった。

そういう事情での結婚生活大袈裟ではなく子育てだった。

まず、彼女は分離不安が強い特性があった。だから、私が1人で仕事に行っている間、不安からパニックになることもあった。

それを薬と、それから認知療法的に...居なくなっても必ず帰ってくるという実績を積み上げて自信につなげていく...1年くらいかかったかもしれない。

次に、些細な失敗でもパニックや過度な不安、落ち込み、希死念慮につながる。

家に帰る前に「洗濯物をしておいて欲しい」と電話した。妻は洗濯した。けれど、洗剤を入れ忘れたことに気がついた。

家に帰ると泣きながら寝込んでいた。次の日にも泣いていた。

それを自分でやり直しながら「そんな落ち込むことじゃない」と教える。。。これも1年くらいかかっただろう。

そして、パニックODにつながる。

不安から、落ち込みから、色々なことから発作につながる。

とてもとても不快な発作から彼女は逃れようと、手元にある薬を何錠も何錠も飲む。

それを防ぐために、朝・昼の薬は分けて渡す。他は自分が持って会社へ行く。。彼女の心の支えを奪うのはいささか気が引けた。

けれども、パニック改善しないし別の問題を引き起こす以上耐えるしか無い。パニックはいつも耐えるしか無いのだ。

...と雑に書けばそんな結婚前~だいたい結婚1年目。

僕と医療と妻で頑張ったことが多少報われた。

パニックの頻度は減り、パニックとの多少マシな付き合いを覚えた妻はODしなくなり薬を任せられるようになった。

分離不安は、不安ときは自ら「ちょっと話せないか?」とこちらの都合も考えながらも、必要最低限の支援でやり過ごせるようになった。

失敗も...失敗はいっぱいだけど笑って「ごめんなさい」と言うまでになった。

そんな成長は次の段階になる。

「家にいるのはもう嫌だ」

「家にいてももうすることない」

「独りぼっちで家にいるのはもう嫌だ寂しい」

僕はひどく混乱し落胆した。

家にはきちんと帰っているから寂しい思いはさせていないつもりだったし、なにより「家にいるのはもう嫌だ」と、それが何よりも傷ついた。

妻はどうして家を拒絶するようになったのだろうか。

場所がなかった妻に居場所を精一杯作ろうと努力したし、独りぼっちも極力回避してきたつもりだった。それなのに...と。

僕と妻は何度も何度も話し合った。

そして、1つの結論に辿り着いた。

「親離れの時期だ」と。

赤子はいつか歩き始めて幼児になる。

幼児はいつかまだ見ぬ世界を求めて、親の腕から離れて歩き始める。

最初は1歩だけ。怖くなって帰ってくる。けれども次の日には2歩。。。と。それが結果的保育園でも良いし幼稚園でも良い。

いつしか、親の居ない時間自分だけで過ごして新しい世界謳歌していく。

妻にもそんな時期が来たのだ、と。

とはいえ理解必要だし...。と、物は試しに就労継続支援を利用することにした。

これが効果覿面だった。

最初数ヶ月、妻は自分から「行きたい」と行った割に拒んだ。

不安パニックも再発した。それでも理解のある職員さんに支えられながら着実に通える日を増やした。

いつしか、朝の送り迎えは不要になった。妻は自分バスに乗って通うようになった。

そこまで来ると妻にも私にも分離不安なんていうことは過ぎらなかった。

パニックになりそうなとき自分から休憩するようになった。

落ち込む日には落ち込む理由を探せるようになった。天気、昨日の出来事、体調...etc

着実に妻は成功と成長を重ねた。

それが結婚2年目の話。

そして3年目。

今までのこと以外にもなんやかんや色々とあった。

妻の家庭(実家)に、余計なことと思いつつ介入しある程度正常化したり、

時には眠れない妻に付き合い一晩起きたり。

何より妻以上に不安だったのは私だった。

「良くなるのか」

自分のしていることは正しいのか」

そんな葛藤の日々だった。

頼れる人も少なかった。

今では当たり前のように幸せな人並みの夫婦生活がそこにある。

それでも、ここまでの私の苦労は人並み以上だったようだったらしい。

私の身体悲鳴を上げていた。

時には、、、あるいは1年目なんてほぼ毎日、、、お酒で寝てしまっていた。

ストレスから不眠だったし髪も抜けた。

その悲鳴に気がつく余裕ができてしまった。

妻の成長は自分身体悲鳴をより強調した。

「なんでこんなことになってしまったんだ」

「なんでもっと早く自分悲鳴に気がつけなかったんだ」

自分のことを後回しにした自分が悪い」

気がつくと、私は妻にたくさんたくさん泣きついていた。

そんな日々で今までの自分と妻を振り返った。

「本当に大変な子育てだったね。ごめんなさい。お疲れ様でした。

今日から夫婦になろう。一緒に頑張ろう」と、妻が言う。

今この瞬間、僕は娘と別れた。

そして改めて妻と2人で歩もうと決めた。

ひとまず一緒に自分の体をしっかり癒やそう。

かなり早い第二の人生スタートはそんな感じ。


いっぱい端折りました。推敲もしていなくてごめんなさい。

ひとまず今日書きたかたことをしたためておきました。

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