はてなキーワード: 企業戦士とは
あえてエアトラバ。
「昭和の男にはマッチョイズムがあった」とか噴飯物の文章があったので一言。
同じ昭和でも昭和一桁台生まれの男なら、「戦争が起きたら自分が家族を代表して戦場に行くことになる=国と家族を守るのが役目」という今の右翼さんが大好きな価値観もあったかもしれない。
女性を性的に搾取することもある意味それが免罪符となってたと言える。
しかし戦後の昭和男たちは、そうした一世代前の男の背中を見て育っただけの戦争を知らない僕達世代なのでそもそものマッチョイズムがものすごく薄い。
「企業戦士」とかかっこいい言葉をつくって、戦場と生ぬるいサラリーマン生活を同じに考えるところがもうおかしい。
会社に勤めて文句も言わずに上司の言うことに従うことが家族を守ることとか本気で思ってた。
自分が戦場に行くかもしれないという危機的なリスクもなく、ただ働くことが偉いことみたいな価値観で妻や子供を前にちゃちなプライドでふんぞり返ってただけ。
教科書には、第一次世界大戦から総力戦になったとか書いているだろうが、戦国時代から既に総力戦になっている。戦国時代後半には足軽という非正規雇用が進み、職業軍人だけで戦争をしているわけではなくなった。安土桃山時代には、鳥取の飢え殺し(かつえごろし)という事件が起こっている。兵糧攻めでも降伏しなかったので、領民までもが餓死し、共食いも起こったらしい。死体を食ったようだ。
経営者や管理職が自己や組織の対面を維持しようとすれば、非正規雇用から犠牲になる。戦争ともなれば、兵士でなくとも犠牲になる。
桃山時代には刀狩りが行われ、つまり民間人に対する武装解除が行われて、職業軍人の時代に再び戻された。
今でも、兵士と民間人を区別して、「民間人を巻き込むな」と批判することは一般的だ。しかし現実には、民間人は普通に兵士として使われる。
「大東亜戦争」では、通称「赤紙」が乱発されるが、これは民間人に対する徴兵。軍事工場を普通に空爆しても、そこで非戦闘員が労働している。学徒動員とかいうのは、職業・学生を軍事産業に就労させたわけであり。さらにクソ愚かなことに、竹槍持たせて戦闘訓練をしたりとか、焼夷弾で空爆されるのにバケツリレーで消火しようとか、これが現実じゃなければ爆笑ものである。
全国民が一丸となって戦おうとか言うと、もしかするともしかして美談に聞こえたりもするのかもしれないし聞こえないのだろうけれど(笑)、一般人を犠牲にしてでも体面を維持して、少しでも有利な条件を引き出そうとする卑怯な、組織の論理だぞ。しかしこの手法がまともに通ずるのは前近代の戦争までさ。
前近代の戦争ならば、敗戦するのにも一矢報いて有利な条件を引き出そうとしたわけさ。例えば戊辰戦争にしても箱館に立てこもって楯突いたのがいたわけで、戊辰戦争後には、既得地位を奪われた人々に対して北海道を知行するという補填が行われている。そうして大名が移住して開拓したり、下級士族が屯田兵に転職したりしたわけさ。けど、こういうのは前近代的な、取引としての戦争だ。
絨毯爆撃して沖縄戦しても屈服しないうえに、特攻してくる連中見て、アメリカ人はビビったんだが、ビビったからなおさらに無差別に殺戮してきたさ。そいで、広島と長崎は原爆の実験台にされたんだぜ。結果、敗戦したうえに、天皇制維持をかろうじて死守しただけだろ。交渉になっていない、むしろやればやるほど失われたってこと。同胞を捨て駒にして、なんの得も無かったんだから、実に、実に、クソバカだ。
歴史に学んでいない。歴史を学んでいないんだろう。今も学んでいないのだろう。教えられる奴も居ないんだと思う。まだまだおんなじことやり続けるんだろうね。今でも、人は国家社会の歯車だろ。会社人間とか企業戦士とか、そして社畜とか、丁稚奉公の時代から変わっていないしな。丁稚奉公の時代だから未だに毎年数度は「帰省ラッシュ」が起こるだろ。滑稽で笑われるような現象だけど、異常だという自覚すらないようだね。休日を国家が決めていて、皆それに合わせないと生きていけないとかいう(以下略)(笑
景気が悪化し続けるのも当然で、国家のために増税したり、企業のために人件費削ったりして、組織構造を優先して、所得や雇用を減らすことばかりやっているからね。遣えるカネないんだから、消費は増えない。採算をとるために人件費削るのに必死で、企業すら多くは遣えるカネ無いしね。建前では戦争やってなくて平和ってことになっている今も、実質的には戦時中だな。
今の世の中って、専業主婦/夫を増やしたほうがいいんでないの。
なんでわざわざ男も女も全員仕事しようとすんのかね。
企業としてはいっぱい雇うためには低賃金に抑えるしかないじゃん。
ていうか逆じゃん。路頭に迷ってる奴がいっぱいいるから、
低賃金でも仕方なく働こうとするわけ。ブラック企業大躍進なわけよ。
で、単身男性も単身女性も金がないわけ。だから結婚もしないわけ。
結婚しても金ないし子ども作らないじゃん。少子化も進むわけ。未来真っ暗なんよ。
もうやめようや。女性の社会進出の名の元に、社会みんなで首絞め合うの。
男もさ、女性が稼ぐから専業主夫やってくれって言われたら、嬉しい男も実は結構いる時代だろ。
別に『社会に出て自己実現!』とか言ってる人を止めたいわけじゃないよ。
そういう人はもうバリバリ働いて欲しい。後顧の憂いを専業主婦/夫が受け止めようや。
っていうかそもそも主婦/夫が社会に進出してないとは思わないけどさ。
国としては、今はこの話と全力で逆方向に進んでて、
女性の社会進出支援だとか、子育て支援だとか、すげーお金使ってるじゃん。
それで税金足らなくて増税してんの。で、低賃金で働く若者から徴収するわけ。
若者搾取する上に少子化って。日本無理じゃんこんなの。ほんとに死ぬじゃん。
中世の奴隷が未来に希望を持てないせいで子供を作らなかったって話を知ってるか。
どんどん働く人数減らしてこ。そしてブラック企業は潰れろ。
欲を言えば、今の共働き家庭の賃金が一人で稼げるくらいの賃金になってほしいね。
まぁ無理なんだけど、だからその部分をしばらくは国がサポートすればいいと思うんです。
やっぱりまずは専業主婦/夫の価値を知らしめないといけないよな。
単に家事の価値とかじゃなくて、専業主婦/夫こそが雇用を創出するんだ。
『俺が働かないことで、俺の代わりに誰か一人が職を持てる。
俺はそういうことに幸せを感じるんだ。』
特に専業主夫。肩身が狭いとか、世間の目が気になるとか、今はそういう風潮なのも確かだ。
この辺りをぜひ、国を上げて意識改革して欲しい。
分かりやすいのはカネだよな。20代、30代で専業主婦/夫になったら給付金くれ。
特に専業主夫。期間限定でいいからさ。トータルで得するなら増えるぞきっと。
今なんて家電は便利だしネットにレシピや掃除のポイントなんて山程載ってる。
今こそ草食系男子が立ち上がる時かもしれんな。
稼ぎはないけど家事できるやつが出てくる。マッチングしやすいよな。
さらには結婚してどちらかが専業主婦/夫になれば、補助金ももらえる。
雇用は不足していないし、むしろ企業戦士向きの奴が増えて、賃金も増える。
可能なら、子供が増えれば増えた分、補助金が出ればいいんだけどな。
専業だと仕事側が倒れるのがリスクだから、万が一の病気には保険で備えてくれ。
でも、長い目で見た時の最大の解決策は少子化対策だと思ってる。
そのためにまずは若いやつに金を稼がせてやってくれ。お願いだ。
まぁ最大の問題はガソリーヌ山尾みたいな女性社会進出系議員だけどな。
専業主婦/夫支援の法案なんて出したら白目剥いてツバ撒き散らしながら
『ジョセイサベツ』『ダンソンジョヒ』しか喋らなくなるだろう。
うっせーな。専業主夫も増やせって言ってるだろ。
元増田の
の部分が
ということ?
Markdownとは、はてなブログでも採用されている表記法のこと。
# こういう見出しを書いたり 1. こういうリストや 1. こういうリスト …を書くといい感じに表示されるやつね。
これをカタカタ打ち込んで投稿すれば、キレイに装飾されたブログ記事ができあがる。
似たようなものだと「はてな記法」やPukiWikiの記法も流行ってたけど、なぜだか今はMarkdown一択の時代。
なぜMarkdownだけが勝ち残ったのか? というと諸説あるかと思うけど、Markdownには他の表記法と決定的に異なる点がある。それは「メールで慣例的に使われていた書き方そのものである点」。
第二営業部 **様 いつもお世話になっております。第一営業部 永尾です。 お忙しいことは重々承知しておりましたが、またこのようなメールをお送りすること、何卒ご容赦ください。 第二営業部の皆様にはお忙しい中、当営業部長の退職送別会にお付き合いくださり誠に感謝しております。 さて、このたび当営業部では再度同送別会を開催する運びとなりましたので、改めてご案内申し上げます。 記 ■「澤井部長を送る会2」要旨 日時:3月25日(金曜日) 17時30分〜 場所:801会議室(今回はご参加頂きやすいよう社内にいたしました) 会費:0円 ※アルコール有り ■ 連絡欄 ・出欠:「 」(出席または欠席) ・欠席の場合、理由:「 」(自由記入・必須) 恐れ入りますが、明日3月24日までに返信にて出欠をお知らせください。 (重ねて申し上げますが会費は無料です) 幹事 永尾完治(第一営業部 内線118)
しかしこれはMarkdownではない。「日本人にとってのマークダウン」を考えるに、それは「■」や「・」、全角空白で構成された表記法のことを指すのだろう。ゆえに日本人はMarkdownの利点を享受できない──。
要するにMarkdownは「普段使いの書き方をいい感じに整える方法」であり、「覚えて使う表記法」ではなく「すでに知られている表記法に意味を持たせたもの」と言える。だから同じ見出しに書き方が二通りあったりする。他の表記法にこういった重複はない。
そういうわけで「リアルタイムプレビュー」なんて機能を欲しがるのはMarkdownの利点を理解してないというか、Markdownでさえ「意味不明な表記法」と見なすことになってしまう。そうじゃないんだけど。
1歳の娘をバギーに乗せ、3歳の娘の手をとりながら、私は横断歩道の前で待っていた。
住宅地にあるバス通り、それなりに交通量は多いが、信号機はない。
朝の通学時間帯には、地域の父母が旗を持って立ち、子どもたちの通学の安全を守っている。
結局、スピードを落とすことなく走り去る自家用車やタクシーを十数台ほど見送った後、やってきたバスが横断歩道の手前に停車してくれた。
3歳の娘は危なっかしく傘を肩に預けながらも笑顔でバスの運転手に手を振り、私は軽く会釈をしながら横断歩道をようやく渡り終えた。
自宅への道を急ぎながら、娘は「みんな、なかなか止まってくれないよね」と、ぽつりと呟いた。
つくづく、この国で子どもを産み育てていくのは大変なことだと思う。
出産費用にはじまり、医療費に教育費はもちろん重くのしかかる。
家族が増えれば住居の広さも必要になり、自炊するにも食材が増えた分だけ、食費の増加は避けられない。
年に一度くらいは遠方の祖父母に子どもと会う機会をつくろうと思えば、交通費もかなりのものだ。
子どもを育てるコストを負担しつつ、自分たちの老後に備える必要もある。
問題は、その原資となる収入だが、今や雇用の安定など私たち20代や30代には望むべくもない。
成熟し、縮小していく社会において、高度成長期のような右肩あがりの成長に伴う給与上昇は考えられない。
となれば、椅子取りゲームで競争に勝ち、立場と給与を力づくで手に入れるしかない。
勝利しなければ、生き残らなければ給与の上昇を見込めないどころか、今の仕事すら失うかもしれない。
そしてその競争に参加するには、子どもの存在は重たい足かせになる。
家に帰って子どもの世話をするために、そして週末には子どもに時間を使うために、働く親たちは必死の思いで自らの仕事を効率化する。
だがそれでも、突発的なトラブルがあり、夜遅い時間に設定される会議があり、そして就業時間後のコミュニケーションが命運を握る社内政治がある。
子どもを持つ親は、子どものいない同僚たちと対等に競争に参加することは難しい。
この国のビジネス社会は、仕事にすべてを捧げ、集中する覚悟と実践を要求する。
この競争は、ブラック企業だろうと、優良企業だろうと、実はさほどの違いはない。
では、夫婦の内の片方が仕事に全力を注ぎ、もう片方が子育てを一手に引き受ける分担をすればいいのだろうか。
私たちの親世代で一般的だったように、企業戦士と専業主婦という分業により、家庭を経営していけばいいだろうか。
答えはノーだ。
なぜなら、私たちの親世代と私たちでは直面しているリスクの大きさが違いすぎるからだ。
かつて、日本企業は滅私奉公を要求するかわりに、少なくとも正社員として働く男性たちの雇用を守ってきた。
そのしわ寄せは、結婚によって退職する若い女性社員や、パートタイム労働者が負っていたが、彼らは主たる生計者ではなかったから、それでも「雇用の安定」というお題目は守られていた。
今は違う。
主たる生計者が期間限定の雇用に甘んじている状況は珍しくない。
正社員ですら、いつ競争に敗れ、仕事を失うかわからない危機感に常にさらされている。
どちらかが仕事を失っても、次の仕事を見つけるまで、家計を支えるためだ。
競争に勝たなければ所得の上昇が望めない社会で、成長し、お金を必要とする子どもたちに応えるためだ。
そのためには、母親である私は急いで仕事復帰しなければならなかった。
数が足りない認可園に入れないリスクに対処するために、先着順の無認可園を徹底的にあたって予約金も支払った。
秋生まれになるように調整したのは、産休明けにシッターを利用して急いで仕事復帰し、認可保育所選考のポイントを加算するためだ。
11月生まれで1月後半からシッター利用で復職、生後半年を待たず0歳で認可保育所に入園できれば、私たち夫婦の収入でも対処できる。
本当は4月や5月頃生まれの方が、0歳入園でもほぼ1歳に近く、子どもとの時間を持つことができるが、それでは約一年も仕事を離れることになり、復職のハードルが高すぎる。夏から翌4月までをシッターで乗り切るのはあまりに経済的負担が大きかったので、断念せざるを得なかった。
結局私は2人の娘を産んだが、仕事を離れていた期間は通算で一年に満たない。
そこまでして復職しても、いわゆるマミートラックからは逃れられないが、それも甘受するしかない。
「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログが話題になったが、ネットで何を叫ぼうと誰も助けてはくれない。
同情の言葉くらいはもらえるかもしれない。数年先には状況が変わるかもしれない。
それでは目の前の子ども、不運にもレールに乗れなかった家庭には手遅れだ。
誰もが自分の生きる場所を守り、しがみつくことに精一杯の世の中で、他者に手を差し伸べる余裕がある者などほとんどいない。
保育園に入れないのも自己責任だと切って捨てられる、それが現実だ。
ちなみに、そこまでして入った保育園も、子どもが体調を崩せば利用できない。
行政が提供する病児保育のサービスはあまりに貧弱で、フルタイムで働く私たちには使いこなせる余地がなかったから、いざという時には高額な病児ベビーシッターサービスも活用している。
そこまでしてでも、母親が正社員という立場を守って働き続けなければ、子どものいる家庭を守ることはできない。
少なくとも私はそう考えている。
母親は一度仕事をやめ、子どもが手を離れる年にまで育ったら、再び仕事を探して働けばいいという識者がいる。
そういう人は、十分な学歴と意欲があり、健康な体を持ち、自分自身以外に面倒を見るべき存在がいない若者ですら、安定した仕事を得ることが難しい社会の現状を知っていて、そんなことを言っているのだろうか。
誰もがいつ仕事を失うかわからない、そして失業した際のセーフティネットがあまりに貧弱なこの国の仕組みを理解していて、言っているのだろうか。
ひとり、あるいは複数の人間を新生児から社会人まで育て上げる責任の重さを、親になったからには背負わなければならない。
それも親になるという選択をしたのは自分たちなのだから、自己責任の範疇である。
費用も、機会も、制度をいかに利用して乗り切るかも、すべて親の才覚にかかっている。
それでも、私は自分たち家族が驚くほど細い綱渡りをしていることを自覚している。
もし娘たちや私たち夫婦の誰か1人にでも何か不慮の事故や病気があれば、この綱渡りを続けられる保証はない。
ここまでは、物質的な話だ。
子どもを育てるには、物理的金銭的に大変な努力が必要なのはもはや否定できない。
次に、親になる者が直面するのは、精神的な困難だ。
公共交通機関に子どもを乗せるなという論争が、日々至る所で巻き起こっている。
冒頭、娘が呟いたように、横断歩道をゆっくりとしか渡れない幼い子どもを連れた親は、道を渡ることすら容易ではない。
必要なしつけはしているつもりだし、公共の場でのふるまい方を教育するのは当然親の務めだと考えている。
それでも、子ども連れでいることで向けられる世間のまなざしに、どうしようもなく辛い思いをすることはある。
一人だったらとくに気にすることもなく車の間をぬって渡ってしまえる道も、子どもが一緒だから、安全を確認するまで辛抱強く待つ。
走り去る車をじっと見つめる娘の澄んだ瞳と、だんだん冷たくなっていく小さな手のひらに、どうしようもない心の痛みを感じながら、私は待つ。
もちろん、指定席を子どもも含めて人数分取っているが、たまたま私たちの近くに乗り合わせたビジネスマン風の男性は、あからさまなため息をつき、はしゃぐ娘たちを見て舌打ちする。
大きな声はださせない、椅子にはきちんと座らせる、そして食べ散らかすような菓子類は与えない。
飲み物はこぼさないようにストローやマグを準備し、それでも万が一に備えてタオルや着替えは常備する。
万全の準備をしているつもりでも、子どもの機嫌が悪くなることがある。
だが、帰省シーズンともなれば、指定席車両のデッキも自由席券の乗客で溢れ返り、苛立つ彼らは泣きじゃくる子どもを抱えて現れた親を睨み付け、ため息をつく。
一体、子を持つ親はどうふるまえばいいのか。
子が公共の場所で泣かず、疲れたとわがままを言わないようになるまでは、外になど出るべきではないのか。
容赦なく投げつけられる批判のまなざしを、せめて子どもが直接こうむることがないよう、親は細心の注意を持って配慮し、矢面に立つ。
自分で選んだ生き方なのだから仕方がない、これも自己責任だと言い聞かせ、今日もぐっと奥歯をかみしめる。
仕事を持ち、愛するひとと結ばれ、子どもをもうけて家庭を築き、社会に参加する。
本当に幸せなことだ。
川の字に並んで眠る夫と娘たちの寝顔を見る時、私は自分の歩んできた道が間違ってはいなかったことを自覚し、そしてたとえようもないほどの幸福感に満たされるのを感じる。
だが同時に、ひどく不安にもなる。
私はこの先も、この幸せを守り続けていけるのだろうか?
家族の健康を守り、仕事を守り、娘たちの未来を保障し、自己責任をまっとうできるだろうか?
身の丈に合わない幸せを追い求め、手にしてしまったのではないかと悩むことがある。
本当は、私のようなごくありふれた個人がまっとうできる責任など、自分ひとりが生き抜くくらいのことなのかもしれない。
仕事に集中し、結婚も出産もしなければ、私がとるべき自己責任の対象は私1人分でよかったはずだ。
ただ、保育園に子どもをいれられなかった親が怒り、子どもの障害とともに生きる親が絶望してしまうこの世の中で、ありふれているはずの家庭を持つ親が何を考えているのかを伝えたかった。
今、この国で子どもを持つということは「自己責任」の範囲を子ども全員にまで広げるということだ。
それでも子どもが欲しいなら、産み育てる責任をまっとうしてほしい。
…ありふれた幸せに憧れているだけなら、残念ながらお勧めできない。
だが、各論では真逆であり、子どもを持つことはリスクであり、ペナルティでしかない。
私たちは誰もが自分の幸せを自由に追求する権利があるが、子どものいる幸せは非常に高価だ。
子どもを持っても、誰も褒めてはくれないし、助けてもくれない。まして見返りなどないし、批判にさらされることが増えると覚悟してほしい。
それでも子どもを持つのは、子どものいる幸せがそのリスクやペナルティを度外視させ、高価さに見合う以上の精神的な充足をもたらしてくれるからだ。
私は正直、覚悟が甘かったから、今でも時々こんな風に心を痛めたり、迷ってしまう。
まだまだだな、と思うばかりである。
優秀な女性が社会進出すればするほど男の市場的価値は相対的かつ全体的に下がる。
底辺層はもちろん結婚できないしできたとしても頭の悪い女としか一緒になれない。
普通以下の男性は結婚後に要求される経済力を満たせない&同じクラスの女性には見向きもされない。
なぜなら普通以下の女性にとって同ランクの男性はゴール対象にならないからである。
優秀な女性は優秀な女性で、同レベル以上の年収と性格の良い男性を求めるが、そんなものは存在しない。
(高年収で仕事できるのに自分より年収低い女性が主導権を握っても平気な男性?そんなものは存在しない。恋愛のタイミングも逃してるでしょ。)
そもそも優秀な男性にとって必要な女性は年収の高い女性ではない。
優秀な女性は優秀な男性を求めるが、優秀な男性は優秀な女性を求めていないから結婚できない。
普通以下の女性は優秀な男性を求めるが、優秀な男性は数が少ない。この層が一番婚活が盛んなシンデレラ。
それは、昔ならば女性を年収で選ぶような真似をしなかったから経済力がなくても
普通以下女性の層が婚活で頑張りオゾン層を形成してしまったために、
その結果、結婚後の家庭の経済能力は普通以下×2の値が必要に迫られる時代になった。
そのため女性が普通以下の男性をゴール設定することができなくなってしまったのだ。
その結果、女性にとって自分の現在の生活水準を維持してくれる男性は、
高年収の男性というごく僅かな人間に限られてしまったというわけだ。
自分自身たちの運動で極度なアッパー調整をくらい、結局そこに多くの者たちが無事にたどり着けず、
あげくは全て男のせいにしていく様は何と悲劇的、いや喜劇なのだろうか!
つまりは男しか社会進出も企業戦士も許されなかった時代というのは、
常に女性にとって男性が永久就職というゴール対象として穏やかにかつ平等に設定されていたということだ。
勿論DVされても離婚できないなどの問題もあったかもしれないが、
それは現代でもよくあることだしそのおかげでDVが減ったという報告もない。
DVはする男性の素質のようなものなのだからDVの発生自体は止めようがない。結婚する前に気づけ。
とにかくDVと引き換えに平等なゴールを捨てたのだ。なんという男気溢れる開放戦士たち。
このような状況をみてもまだまだ衰えることを知らないフェミニストという皮を被った反知性主義たちは
これからも女性を真の不幸に陥れるために日夜問わず戦い続けるであろう。
戦え!開放戦士たち!
1人でも多くの女性を
貧困に落とすために…!
~Fin~
職場で現在プチ流行中の言葉にITC(意識高いカフェ)というものがある。個人経営のカフェであり入口にはメニューの黒板。おちついたボサノバっぽいBGM。ラテは豆乳もあるよ(ソイラてっていうんだよ)。670円で高い。ランチは白いプレートに乗ったもので野菜とか魚が少しずつ乗ってるよ。スマホでソシャゲやってるお客さんはいなくて、たいていは主婦2人組(お金持ってるっぽくて観劇や展覧会の帰途多し)か、外回りのクリエイティブ系サラリーマン(プレゼン帰りで議論していることが多し)か、Macbook開いてる自由人っぽい人間(大きなヘッドフォンでセルフレーム眼鏡)だよ。黙って座ってるとこちらを笑い殺しにするようなステキカイワが聞こえてくるので、職場では伝説の息抜きスポットになってるよ。「俺はカラーパンフみてRGB値を当てられるんだ」みたいな自慢を三十分してるとか。
このITCは特定のカフェを指す隠語なんだけど、そのほかにSITC(少し意識高いカフェ)ってのもあって、これはチェーンなんだけどイシキタカイっぽいカフェのこと。おまえのことだCAFFÈ SOLARE。得意技はメニューにアボカドとかフランクに投入すること。アボカドって言っておけば許されるあの雰囲気はまさにSITC。こっちは子どもずれのママ友(三人もしくは四人組)多し。オープンテラス席で「幸せな母親」を社会に見せつけるプレイに余念がない。
なお別種の存在としてDMCC(泥水コーヒーカフェ)ってのもあってうっすい香りのしないコーヒー一杯を、部下のリストラ数の勘定をしてる企業戦士や銀行に頭を下げるマシーンと化した古参兵や競馬新聞を聖書のように携えた壮年の信徒が、ひとっこともしゃべらずに世界の悲嘆を共有する無言の空間で摂取してる。こっちはこっちでカウンター席でラップトップ(傷だらけの古いLenovo)を広げ、青年時代の罪の告白のようにコードを書いてる中年もいるよ。クリエイティブってなんなんだろうね。
別に一緒に住むわけでもないしどうでもよかった。
んでこっちも就職・結婚・転職してそれなりにまっとうな人生を過ごした。
義母は娘が一人いたけど当初は結婚してなかったからうちの子に対して季節イベントで贈り物とかはなく下手すると忘れられてた。
でもそれはどうでもよい。
結婚した時は地域の風習が違うから相手方が思ってる結納金と準備した結納金の額が少なくて自分で補填した。
父に言えば気を悪くするだけだし以前、義母にお金に関しては行ったところで緩くとりなしてはくれないってわかったから。
書いては見たもののこれも別にどうでもよい元々自分で出すつもりだったし好意で半額準備してもらえたと思えばなんちゃない。
連絡も精々2~3か月に一回程度のすればいい方頻度。
ま、大学時代に事故で入院したりとか多少なり世話になった気はするから母の日と父の日、父誕生日程度には贈り物をしてた。
疎遠って程でもないけどまめに連絡を取り合うって程でもない。
元々、再婚してから家に戻ったこともないし関東から義母の生まれが近い関西圏に引っ越ししてしまったしでこっちは土地勘もないし実家って言う雰囲気もまったくない。
こっちとしては俺もなんとか独り立ちできたし再婚してから第二の人生適当に過ごして位しか思ってなかった。
それが義母の娘が結婚して孫が生まれた途端、自分ちにしたいが故なのかこっちにイベントごとになんか送り付けてくるようになった。
。。が寄る年波による体調不良は誰にでも出てくる。
やれ目眩が、やれ疲れやすいや。。。ま、この辺は適当に聞き流しとけばいいと思ってた。
なら行かねーよ。めんどくさい。
ってことでもう次は適当に流してればよいかと考えた。
そしたら今度は入院。
次は股関節にウィルス入ってちょっと矢場目で1か月ほど通院から急きょ入院。
こっちは元々、知らせがないのは元気な証拠をモットーに今まで過ごしてきたのにいきなり「1か月以上入院してるのになんで連絡してこない!」ときたもんだ。
いやいや、エスパーでもないし連絡なければ知りようがない。
正直、他でも入院してるようだけど聞いてみると「心配かけたくないから連絡しなかった」だった。
普通、父がどういおうと母的立場の人が子供に連絡なりするもんじゃないの?
そういうのあって「なんで、見舞いも連絡もない!」ってがられるならともかく「お前たちが俺を気遣って連絡してくるのが普通」ってどうなん?
そんな超能力あったら今頃、一稼ぎしてるがな。
ま、それはともかく知った次の日はさすがに仕事の都合もあるから翌日(平日)に新幹線で片道5時間かけて見舞いだけの為に日帰りしたさ。
義理立てはあるから義母の方も見舞ったしあっちは小さな手土産も出したよ。
んで父とこ行ったら父姉(よく知らない)もおってからこっちは特に話すこともなく老人特有の昔話を聞いたさ。
話くらい聞いとかないとね。
んで、義母はともかく父の病状は安定して回復してるって言質取ってから帰ることにその時は1週間に1度くらいは連絡くれって言うから生返事で帰ったよ。
毎週は俺も話題ないから妻にも協力してもらおうとお願いして「メール位ならOK」って感じだった翌週。
現役世代は慶弔事や日々のごたごたで1週間なんてあっという間。
俺も嫁もついでに俺姉兄も見事に忘れてた。
さてそろそろ連絡一つでもと思いだした2週間後、事件は起きた。
「2週間連絡一つない、お前ら何考えてる!義母も俺が可哀想だと泣いてるぞ!!」だっそうだ。
言う前にこっちに直接、連絡してこりゃ相手位できるのに。
ま、連絡しなかったのはこっちも悪いからそのお小言は甘んじて受けましょう。
だが、「忙しいとかの言い訳はつまらん。1週間に一度は俺には電話、義母にもメール送れ。思いやりとかお前足りないだろ!」
こっちの都合ガン無視の言い分に怒りが込み上げてきた。
。。。が実父なんでここは我慢。
俺は素直なんで言われた通り経過確認のメールも義母に送ったさ。
実際に見舞行って経過は良好で退院の見通しがあるって聞いて2週間しかたってないのに
「連絡しないのはお父さんが可哀想」?
「見舞い後、大変でした」??
はい?
通り魔的な喪に刺されたとかならともかく先にも書いたけど入院時に連絡一つせずに自身の体調不良に気付いてて特段理由もなく悪化させて入院騒動を起こし
悪いと思って1日潰して見舞行った後にそれですか?
第一、兄姉の近所か、うちの近所に入院するならともかく自分で遠方に住むことを選択したんだからこういう事態の時にこうなるのあたり前だろ?
子供と疎遠なのは今更だし育て方間違えてないって言い張るならそれはそれで育ち方間違ってごめんなさい。
きちんとした病院に金銭面の不安もなく入院し回復傾向にあるなら心配なんてしません。
あなたが俺と変わらない年齢の時は仕事って言う非常に都合のよい言い訳で家にいなかったしそのせいで(故)実母は宗教ハマって俺もある程度連れまわされたからか
その後の準丸走時代の事故歴でなのか姉兄とは少し人生観って言うか生命観持っててすごくその辺ドライなんだよ。
宗教的に言うなら「死は怖くない、すぐ隣にあるものです。」とかって感じか?
ま、いいや。
上にも書いたけどちょっと世話になった程度の義母の心配なんて特にしてないし正直どうでもいい。
実父に関しても回復傾向である以上、入院生活が暇で構ってちゃんなんだろうなーっとしか思わない。
心配かけたくないなら最後まで貫け。当事者がまともに連絡もしなかったくせに問題が大きくなってから逆切れすんな。
どっちにしても死んだら悲しいと思うけど心配なんてしないよ。
今のところ人はいつか絶対に死ぬんだから心配したってしょうがない。
ってか実父は実子に対して義母に配慮しろとか文句ばっかで全く配慮というか味方感ないな。むしろ敵だ。
子は親を映すのであれば今まで自分がしてきたことが今まさに帰ってきてるんだよ。
それから近くに住んでる妻側の義両親にはそれなりに「思いやり」をしてるからうちの子は大丈夫。あんたが口出しする話じゃない。
次は実父には連絡するけど我の女の機嫌も取り切らんでまた文句言うなら成人するまで育ててくれた礼を言ったうえでうちにはイベントごとのお祝いとか不要宣言して連絡しないかな。
文字にすると少しは整理できるかと思ったけどすっきりせんな。
さて、姓の変更の仕方でも調べるか。
サービス残業が好きだ
泊まり込みが好きだ
休出が好きだ
早出が好きだ
社訓が好きだ
上司が好きだ
自宅で カフェで
出張先で 客先で
閑職で 派閥で
コピペ提案が競合他社を退けるのが好きだ
悲鳴を上げて明かりの消えないビルから飛び出していった中間管理職を
懲戒処分した時など胸がすくような気持ちだった
恐慌状態の新卒が、既に息絶えた同期を何度も何度も横目で見る様など感動すら覚える
哀れな遵法者達が雇用契約書を手に健気にも立ち上がってきたのを
モンスタークレーマーに滅茶苦茶にされるのが好きだ
必死に守るはずだった案件がご破産になり、責任者が降格人事の憂き目に遭うのはとてもとても悲しいものだ
新興企業に追いまわされ、斜陽産業の様に地べたを這い回るのは屈辱の極みだ
君達は一体 何を望んでいる?
更なる仕事を望むか?
情け容赦のない、糞の様な仕事を望むか?
法令違反の限りを尽くし、中央線が敗北主義者を殺す、嵐の様な仕事を望むか?
よろしい。ならば裁量労働制だ。
クリスマスとは無関係に平日を過ごされている皆さん、お疲れ様です。
さて、ハイスコアガールから恋愛要素を完全に引いた形で青春を過ごし、
過去の殺伐とした記憶が上書きされるくらい身悶えするような甘ったるさを
完全に枯れたジジイの目で暖かく見守っていたファンも多かろうと思います。
「ああ、これ売れ残ったらオレが買わされるんだろうな……」と寒空の下、
声を張り上げるコンビニの売り子よりは幸せだと思う貴方に送る怪文書です。
末端価格は同じなのに、街の小さな本屋と、都市部の大型書店とで、卸値が違います。
カネとモノの流れは取次が超高効率で仕切ってますが、営業は出版と本屋でほそぼそと行います。
そして、膨大な作業量の割に、日本の商習慣が結晶したようなビジネス機構で動いています。
つまり、口約束が多く、事なかれ主義で、担当者の約束は会社のソレと一致しなかったりします。
(このあたり「真吼えろペン」が誇張や脚色も入って適度に生臭くてオススメです)
が、産業になるにつれて官僚的でビジネスライクになっていきます。
ローカライズや世界展開が早かったこともあり、まあ、普通になったと言って良いでしょう。
法律を守り契約書を作り、それなりにガチでやりあうこともある世界です。
任天堂の法務は世界一との評判も名高い、それなりに蓄積のある業界です。
引用を理解するには、ミッキーマウスを漫画に登場させるにはどうすべきか?を想像するのが早いでしょう。
例えば、夏目房之介さんは法律上認められた引用を漫画に対して行い批評をすることで有名ですが、
これが有名なのは、慣習的に絵の引用は相手の許諾をもらってから、という業界の風習に切り込んだからです。
また、逆に他からネタを持ってくることは「コピーしない」範囲内において普通に行われています。
水木しげるのようにうまく取り込むこともあれば、久米田康治のようにパロディーにすることもあります。
しかし、アイデアのパクリやトレースなどに対しては、自粛も含めて相当に敏感です。
ここでのポイントは、法律とは全く無関係の慣習で業界が動いていることです。
ジャニーズは異様に著作権管理にうるさいことで有名ですが、それはそれで正しい訳です。
また、過去のドラマシリーズの出演者に連絡がとれず、ソフト化出来ない、なんてのも良く聞きます。
一方で、アニメに関しても、「これぐらいなら良いだろう」という甘えが見える分野もあるにはあるわけです。
有名なところでは「ワクドナルド」でしょう。デニーズやロイヤルホストにそっくりな店舗も良く見ます。
(象徴的な「あの花」のインタビューを張っておきます。http://toyokeizai.net/articles/-/18789?page=2)
また、古くは企業戦士YAMAZAKI、最近でもへうげもの等に、実在の芸能人がそっくりな形で登場することがあります。
今のところ、闇のイージスにリュック・ベッソンがクレームを入れたとの報は入ってきておりません。
ただまあ、ムダヅモ無き改革もハリウッドで映画化されたら、意外に国際問題になるかもしれません。
さて、ゲーセンでカツアゲされた記憶のある人なら覚えはあるだろうSNKの筐体。
ハイスコアガールでもわりと重要なエピソードに絡んで登場します。
どっちがビッグサンダー・マウンテンに多く乗れるか勝負だ!みたいな使い方をしていれば、
第一生命やオリエンタルランドからクレームぐらいは付くかもしれません。
が、劇中に登場するのはSNKの対戦格闘ゲームで、残念ながらSNKは倒産しました。
そして、版権管理業務を行うプレイモアがSNK破産時に知財を取得し、SNKプレイモアに商号変更しました。
「NEO GEO X」でドライにライセンス契約を解除した件で記憶している人も多いでしょう。
つまり、牧歌的な時代を引き継いで緩い企業も多い中、ワリとガチな企業なわけです。
さて、今回ハイスコアガールに関して、刑事になったことに驚いたゲーム関係諸氏も多かろうと思います。
なぜなら、普通に考えてSNKプレイモアって企業は、取り扱い注意系の企業だと認識しているからです。
パチスロメーカーのアルゼとやりあった裁判は相当に有名で、1件は4億で和解しているものの、
現在もガチガチにやりあっている、いわば「あそこ怖いよね」という企業なわけです。
本事案、田中圭一が本宮ひろ志にぶちギレ金剛されたのとは違い、ビジネスライクな話です。
つまり、あまり言いたくは無いのですが、ルーズな出版業界が一般的な法律の世界に疎かったという話になります。
「は?普通にまず侵害をやめて頂いて、被害額の算出、それから著作権使用料の支払いと慰謝料ですよね?」
というのが、世間一般の日の当たる企業にお勤めの皆様の感覚なわけです。
菓子折り持って七重の膝を八重に折り、許諾頂ければお金の話は儲かってからで、みたいな感覚と違う世界ですね。
時系列で見てみましょう。
至る現在。と言う状況ですね。
9番の、連載停止差し止め回収からはちょっと厳しんでは、というのは、だいぶ感覚が毒されてます。
版権で食ってる会社の版権を勝手に使ってるので、まずは不快感を示されるわけですね。
ここはまだ法律的・金銭的にどうのではなく、商習慣として信義的にありえんでしょう、から始まってるわけです。
あと「聞いてくれるな、聞くのならば不許可」という会社も居ます。
商業誌でまんまジバニャンをバリバリ出してどこにも話し通してないとか、ちょっと想像つかないでしょう?
12番の部分ですが、この辺は「600円で累計100万部なら、ウチが半分で3億ですかね」の可能性も微レ存な状況です。
まあ、いずれにせよ「役員は把握していた」としないと、普通書類送検時に起訴相当と意見はつかないので。
18番のスクウェア・エニックス側が民事で「著作権を侵害していないことの確認」を大阪地裁に提訴したのは、
恐らく金額でケリをつけたいから、なんですよね。
チョット不可解に見えるかもしれませんが、この辺はロジカルなんです。
万が一、著作権侵害無しとされれば丸儲け。
よしんば著作権侵害有りとされても、どの部分が侵害していて、全体の何割、という具体例の把握になるわけです。
SNKプレイモアは、「著作権侵害なんかねーよ」と言われているので反論しないといけないわけです。
つまり、「このコマとこのコマとこの部分、全体で3割だね」みたいな形でスクウェア・エニックス側は敗訴するわけです。
すると、販売価格600円のうち、出版社利益が3割で、そのうち3割がSNKプレイモアの版権物のおかげになって、108円です、
100万部なんで、5千4百万円で手を売って下さい、みたいな形になるわけです。(+通常の著作権使用料。この辺は慣習が考慮される)
ここまでいけば、どのコマかは明確なので、修正&再販売&アニメ化にはいけるわけです。
そうガンガンとドル箱作品は生まれないので、これでも損益分岐点を割らないと踏んでの行動でしょう。
たらればいってもしかたがないんですが、本事案に発展するまでに、いくつも止められるタイミングがありました。
ご協力願えませんかと声をかけていって、OKでたところだけでやる。
「もやしもん」がビール会社との協賛してましたね。あれは金銭発生してないと思います。
(例えば脱衣麻雀を描くならスーパーリアル麻雀は外せないハズだが、作中には出てこない。セタ解散してるけど)
PCエンジンを描いた6-CREDITは、ほぼ改変せずに書き写しなので、これは民事にはならない(と判断する弁護士が多い)ハズ。
引用の要件を満たしていなくても実質的にカネが取れる民事訴訟は避けることが出来るというグレーで行けた。
あそこで、対外的な理由はなんとでもつけてよくて、「連載休止」「回収」「アニメ化は未定」にするだけでずいぶん違った。
日本の司法は実は「十分な反省」「真摯な態度」など、「情」を重視するので、誠意ある態度と見なせる行動を起こすだけで違ったはずです。
法人の著作権侵害は意外に重くて、刑事罰は最高3億です。ただし、刑事罰は故意の侵害時のみなので、
法廷戦略として「著作権侵害の認識はなかった。誰かが許可を取ってると思っていた」は徹底するよう弁護士から言われてるハズ。
おそらく刑事で「過失によるもので故意ではない」として刑事罰は無し。
平行して民事で侵害部分が特定されて、損害賠償と慰謝料で和解。
ハッピーケースで、著作権使用料を払って漫画は再開、再販売。アニメ化。
ベターケースで、SNK関連を削ってスト2を主軸に据えてアニメ化。漫画はリブート。
いずれにせよ、5,6回で結審、控訴せずに1年未満で決着、と言ったところではないでしょうか。
民事でケリをつけるべきなのに、刑事から入るの良くない、みたいな声明が出てますが、
版権持ちからとりあえず連載止めろと言われている時に、ド直球で「真サム」と「KOF95」を題材にして、
日高とハルオとの対戦を描けば、そりゃ刑事告訴もされるだろうよ、相当悪質だろうよ、とは思います。
(ただSNKプレイモアも嫌な裁判慣れをしているので、引っ張れるだけ引っ張るつもりかも知れませんが)
裁判では不利に働くであろう捜査期間中の連載を40-creditまで強行したのは、
社内の法務部門でも「許諾されない場合の再販売は難しいだろう」と判断されていたからでしょう。
逆に言えば、その態度(2014 vol.07まで連載継続)が家宅捜索にまで発展してしまったわけです。
単行本組は残念ですが、連載組はギリギリ、一応の区切りまでは観ることが出来ています。
ファン「し、新刊1冊ずつ下さい!」
私「1200円で~す」
脱サラして幾星霜、同人サークル『おティンティンらんど』は立派な壁サーに成長した。
コミケ、COMIC1、各オンリーイベントで同人マンガを頒布している。筆は早い。
数十部の新刊(『エントリープラグ挿入 1人目の綾波編』)がすべて捌けた。
ホールに響く井上陽水を聴きながら、感涙を堪えるのに必死だった。
劇的なその感動がなければ、きっと筆を折っていただろう。
日中は企業戦士として働き、夜は同人作家として執筆に勤しむ毎日が始まった。
コツコツ努力することは性分に合っている。描くほどに絵はうまくなり、新刊の頒布数は倍々ゲームで増えていった。
私の野望は尽きない。
持ち出し超過だった中国人向け(学生・社畜時代、寸暇を惜しんで語学を修めたのだ)オタグッズ輸入代行業は軌道に乗りつつある。
また、日にペラ2枚のノルマを課し、ライトノベル(『ぴんくいろモザイク』 ※18禁)も書いている。成人向けゆえ、新人賞ではなく編集部持ち込みになるが、『おティンティンらんど』のネームバリューがあれば門前払いされることはなかろう。
最近イソターネッツ経由で知ったのですが、日本人の前世は大概アトランティスの戦士とか。皆さん、前世の戦友を探しているそうです。
近所の山田さん(仮)に確認してもそうだったから、正しいんでしょう。
しかし、よく考えてみればおかしな話です。なにがって、アトランティスって、そんなに戦士の需要が多かったのでしょうか?
私も詳しいことは知らないのですが、アトランティスは超古代文明とかいって、とても発達していたそうです。
たぶん、目的地を音声入力しただけで自家用車が自動運転してくれたり、オートバイが空を飛んだり、海底にドーム状の大都市があったり、そこまで透明チューブ上のトンネルを走るリニアモーターカーで移動したりするぐらい高度な文明だったのでしょう。
山田さん(仮)の家のお爺さんもそう言ってました。最近ボケてきたらしいですが、ボケても昔のことは鮮明に覚えていると言いますので、やはり昔のことであるアトランティスについてのお爺さんの話は信憑性があります。
戦士の需要が多かったということは、普通に考えればアトランティスでは戦乱が多かったということになります。そんな場所に高度な文明が成立したとは思えません。
私、一生懸命考えました。考えて考えて、夜も眠れず朝起きれないぐらい考えました。
で、ようやく気づきました。
「アトランティスの戦士」って、要はハイテク業界の企業戦士だったのですよ。
アトランティスの高度な文明は、高い技術力で支えられていたはずです。その「高い技術力」は、現在のIT業界のように技術者の激務の上に成立していたのではないでしょうか?
同じ釜の飯(買出し担当がまとめ買いしてきたホカ弁)を食べ、同じ屋根の下(タコ部屋の隅の寝袋)で寝て、理不尽な作戦(営業のムチャ振り)に泣き、多くの屍(逃亡者)を越え、作戦終了(カットオーバー)に安堵する。
よく言われる日本人の勤勉さも、この前世の影響と考えると納得できなくもありません。
アトランティスの戦士の中では「光の戦士」が有名らしいですが、きっと光通信か何かのエンジニアだったのでしょう。
ようやく腑に落ちました。