はてなキーワード: 敗北主義とは
サッカーW杯日本順調な時点から「逆転負け」がトレンド入りするのが日本人の国民性ってつぶやき見て共感しかない。
調子がよければ良いほど、喜ぶ準備より「がっかりの予習と保険作り」ばかりやる。
自分もそう。石橋を叩き壊してでも自分のツイてなさを立証したい欲がある。
なんだこれは!
敗北主義なんだろうな。どうせ、どうせ、というイジけによって獲得した「安寧」を何よりも愛しているし、そのイジけの中でしか発揮できない「尊いなにか」があると信じてる。信じなきゃ2秒後に氏ぬ。
そーいう切迫感。
でも実際そーいうメンタリティのヒトだけが作れる価値ってあるよ。
余裕あるヒトが上から目線で「お、これ使えるじゃん」って、負い目まみれであなたが作ったものを拾ってくれる。そんで手柄も権利も全部見つけたヒトのもん。
そんな、なろう系序盤の主人公ポジみたいなのが一生続くのが日本国民の普遍的リアリティ。
ちょっと Kubernetes やら Terraform といった応用の話題をすると、わらわらと「日本企業は遅れている」などと言いたげな増田民が K8s なんてついていけないなどと泣き言を言う敗北主義者しかいないし、未だに人工知能が「全知全能の神」のような日本人を平等に裁いてくれるものという、たまたま私刑されなかった敗戦国民の末裔である所作のようなエントリーが受けるこの国の、負けることが板についた人民の哀れな思想が発露する様は、役所や企業が悪いのではなく、国民全体が悪いのではないかと思うようになった。もう、この際に中国共産党によって、アメリカが核を打ち込んで日本をメタメタにしたように、何らかの手法で日本をブリーチングしたほうが、この国は変われないのだろう。
「ムクゲノ花ガ咲キマシタ」は敗北主義文学の金字塔よ。あれは、エエぞ。
((ダブル・ショーテジ・イズ・デバイスショーテジ))暗黒メガコーポの参謀、ムダグチ専務は常にこの古の経営哲学をニューロンの淵に添えていた。
「中国地方への進出は実際ムリです。」「土地勘もない、輸送手段もない、食料もない。実際ジャングル」
センタ試験で高いスコアを取ることしか能のない無能な部下達にムダグチ専務は口を開く。
「ザッケンナコラーッ!!」「「アイエエッ!?参謀=サン!?」」
「本来日本人は奥ゆかしく草食ダッコラーッ!!ジャングルなら全てが実際食料ダロッコラーッ!!輸送手段がない?ならバイオバッファローに運ばせ倒れたら食す、これぞ古事記にも記されたアブハチトラズに則ったジン
ギスカン・プラン!スッゾオラーッ!!「「アイエエエ!!アイエエエエエエ!?」」ナムアミダブツ!なんたるピクチャ・ライスケーキか!平安時代の無慈悲なリアルニンジャですらそのような無謀な要求はしないであろう!
「敗北主義的態度は更迭ダッコラーッ!!南方支社送りのケジメシロッコラーッ!!」「「アイエエエエエ!?ヨ、ヨロコンデー!!」」ナムサン!日本人のDNAに刻み込まれた死よりも恐ろしい極刑、シマナガシだ!コワイ!
日本共産党が「きゃっきゃ」しているので、マルクスの共産党宣言を読んでみたりして考えてみた結果、共産主義というもの事態が成立しないと思ったので、書き込むことにした。共産党のメリットを活かせる条件は、今の日本に「存在しない」と思うのだ。
嘘です。資本主義の陣営が勝った理由は、有権者に「不景気でも負けない」理由を提示できたからだ。真面目に共産主義をしたら、資本主義を「超克」するのに時間が必要だとマルクスはエンゲルスの共著で書いてある。マルクスの頃はともかく、今は信用経済が通貨を規定している。つまり、通貨は「信用がなくなったら再度、信用を勝ち取る手法は無い」のだから、インフレーションを起こしてでも、信用を保とうとする。信用を失った場合は、デノミ、ってやつをするけど、それよりもマシやろ?、っていうのがケインジアンをはじめとするマクロ経済学の根本の主張だろ?「通貨を安くする、それでもしないよりはマシ」という詭弁を、ケインズは中央銀行という「通貨発行益」というマシーンを介在することで、可能とした。それで、ニューディール政策といった手法で西側の連中が勝ったのは歴史の事実だ。つまり、共産主義よりも高速な市場介入する装置をゲットしたのさ、あの当時は。
無いです。たとえば、共産主義の連中を試すときに「無限に生産性を上げた」ときに、どうなるのか説明させたい。資本主義の場合、ケインジアンがいじめられる根拠は、ここ。たとえば、余剰電気なんか、捨てる以外ないしね。そんなときには、ハイエクですよ。需要の無い供給は「生まなければ良い」という理論です。
以上から、僕ちんは共産主義は敗北主義の思想だと思います。よって、ケインズとハイエクのダブルで資本主義は共産主義に勝てると言える時代に生きてます。というわけで、共産主義は信じる理由になりません。
おわりに、日本共産党については、共産主義のシンパのうちでは比較的に穏和な集団だと思いますよ。だけれども、その温和さが「いちばん共産主義のメリットを殺している」という事実からして、共産主義が暴力を否定する先にあるものが何があるかというと、本当に何もないと『資本主義の犬』を自称する僕ちんは思うのです。まだ「池田大作」とか書いて無効票になるほうが、自民党が焦りそうで、ウケるのですよ。
日本共産党は、社会変革の道すじにかかわって、過去の一時期に、「敵の出方」論という説明をしてきましたが、その内容は、(1)選挙で多数の支持を得て誕生した民主的政権に対して、反動勢力があれこれの不法な暴挙に出たさいには、国民とともに秩序維持のために必要な合法的措置をとる。(2)民主的政権ができる以前に反動勢力が民主主義を暴力的に破壊しようとした場合には、広範な国民世論を結集してこれを許さないというものです。それは、どんな場合でも、平和的・合法的に、社会変革の事業を進めるという日本共産党の一貫した立場を説明したものにほかなりません。これをもって「暴力革命」の「根拠」にするなどということは、まったく成り立つものではありません。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-08-06/2021080607_01_0.html
『暴力革命唯一論』者の議論は、民主主義を擁護する人民の力を無視した受動的な敗北主義の議論である。しかし、反対に『平和革命』の道を唯一のものとして絶対化する『平和革命必然論』もまた、米日支配層の反動的な攻撃にたいする労働者階級と人民の警戒心を失わせる日和見主義的『楽観主義』の議論であり、解放闘争の方法を誤まらせるものなのである。
1964-1970年
革命が平和的か暴力的かは敵の出方による。現在の国家権力がたやすく権力を人民に譲渡するとは考えられない。
革命への移行が平和的となるか非平和的となるかは、結局敵の出方によることは、マルクス・レーニン主義の重要な原則である。
ちなみに不破さんは2006年まで共産党議長をしていた方なので共産党お得意の「アレは分派が勝手にやった(言った)事と言い訳するのも無理