はてなキーワード: 調理現場とは
日本のTV局と日本人の料理人が「間違った」日本食を出す海外のレストランにダメ出しするみたいな番組あるじゃん。
俺の出張先にいるアメリカ人から聞いた話で、そいつの親戚がやってるシカゴの寿司バーに、そういう番組の取材が来たらしい。
その店は例に漏れず、アボカドとかチーズとかを使った、日本人からしたら「これは寿司と言えるの?」っていうアメリカナイズされた寿司を提供してる店だったそう。
そんで調理現場とか料理を見て、日本人の寿司職人がボロクソにこき下ろし、その様子をカメラマンが撮影。
最後に寿司バーの店長のコメントをもらう段になったので、店長がこう言った。
「ひとまず俺が君たちに言えるのは、とっとと失せろ、っていうことだけだな。日本の伝統なんか知ったこっちゃねえ。
俺は20年間この場所でこのスタイルでやってきた。お客さんもこの寿司を食べて満足してくれている。それの何が悪いって言うんだ?
日本人だってインドのカレーやイタリアのスパゲッティを日本人好みに改良しているだろう。それと同じことだろ。
店のことを日本人に知ってもらえると思って取材を受けたが、こんなクソみてえな企画だとは思わなかったな。
さあ、撮影が終わったんなら荷物まとめてさっさと帰ってくれ!」
結局、その店で撮った映像全部お蔵入りになったらしい。
っていう、今思いついた作り話。
詳細な指摘ありがとう。いくつかは参考になった。ただ誤読されたところもあるようなので反応を返させてほしい。
包丁を買ったときの、包丁を見つけるまでに遭遇した苦労を愚痴っているのだよ
後銀三やVG10が欲しいんだったら最初からそれで探すわ。8AとかDSR1K6とかを正直に書けよって不満なんよ
まあ銀三やVG10でも探しはしたけど
その上で、そうはいっても硬度に差がありすぎる場合はステンレスの方が研ぎやすいと言ってる。
家庭用なら刃持ちを妥協して硬度の低いステンレスを選べば研げるぞと言っているのだから
鋼の良さを語られても「知ってるが?」としか言えない
次に錆びの問題だが、これも難しく考えることはない。いちいち油塗布したり油紙巻いたりとか調理現場ではやっていない。
どうするかというと、新聞紙の一週間分くらいをまとめて折ってダンボール箱に入れたり輪ゴムで縛って、そこに洗った包丁をぶっ刺しておくのだ。
これもまあ知ってるっちゃ知ってるけど、今の人新聞も雑誌も紙では買わなくない?
和包丁の柄の腐りや汚れも買ったものをそのまま使わずに、アマニ油やオリーブ油を塗布し、ふき取ってから使うと汁も吸い込まないし腐りも発生しない。
他の人がツッコミを入れてくれているけど、ここは明確に間違ってると思う。
亜麻仁油は重合する。なので手入れ油としてはいいけど、これは塗装としては弱いので手触りとかを別にすれば他の塗料を使ったほうが良いし、
エポキシとかで固めるなら朴の木である必要は当然ないし、そもそも最初から塗装して売れよって話だ。
オリーブ油は重合しないが、サラダ油も実用上はほぼ重合しない。塗料としては無意味で、
無垢材の家具とかの手入れに使う人はたまに見るけど、「塗り過ぎなければ害はない」くらい。
どんな油でも鋼の包丁の中子の腐食は防げないし、そもそもこんな不便なハンドル使ってられねぇというのが俺の意見なので
「サラダ油じゃ駄目なので注意してほしい」と言われてもだな。
特に黒皮が付いたままの安い鋼包丁は切ったものが剥れやすいし、切れ味落ちたら直ぐにガシガシ研いで、研ぐのも簡単だし、数年で八寸の柳が五寸や四寸ぐらいになる。高級料亭などでなきゃ料理屋で使われているメインはこれだよ。
黒皮は盲点だった。というか包丁にこだわらない料理屋は牛刀や筋引でやってるか、食洗機前提でオールステンレスに統一してるかしてて、
鋼の包丁を使うとこは専門学校なりで自前の包丁を一通り揃えた人しかいない偏見があったわ。
すし飯の扱いは間違ってると思う。
すし飯は炊き立てじゃなきゃ酢を吸わないが、その後一度常温になるまで置いておくと粘度が高くなる。すると粘度は安定して握りの最初と最後では水の量が違うって事もなくなる。その前に握っても形を保持しない。
だから粗熱を取るだけじゃ不十分で常温程度まで十分放置する。でも冬などに放置しすぎると粘度がまた落ちて味も落ちてしまう。
粗熱取りも団扇でどうこうって言われるが、めんどくせえことしないで扇風機で冷ましちゃった方が早い。
表面の粗熱が取れたらひっくり返すように返してまた放置。手早く冷ました方が美味い。
この時、扇風機のホコリが飛んで飯に付着すると食中毒になるので扇風機は掃除してから使う。
鍋でご飯炊くときに水分量間違えて焦がしちゃう人いるじゃん?あれも途中で蓋開けるなっていうのを愚直に守ってるからそうなるんで、蓋開けて水分見て補充しながらやれば味は落ちるが失敗しない。難しい事して失敗するより成功の経験積む方が大事。だからすし飯も扇風機でいいんだよ。
寿司桶の機能に保温性を挙げたのは、シャリは人肌くらいが美味しいと聞いたからだ。
寿司屋のマナーとして握ってもらった寿司はすぐに食べるってのがあるけど、板前のブログで「寿司が冷める」って書いてあるのも見た。
人肌というからには常温よりは高い温度だろうということで、30~40℃を維持するもんなのかなと思ってたんだが、
ただ確かに、寿司屋行って握ってもらってもそんな粉ミルクみたいな温度の寿司が出てきた記憶ないんだよなという実感はあって、訝しんではいた。
今までは50℃弱くらいまでは扇風機で冷まして、そこからはなるべく保温と言う気持ちでいたが、次やるときは試しに20℃台まで冷やしてみようと思う。
あと、血合い骨の処理で毛抜きが出て来ないのも疑問。これも難しく考えずに毛抜きで抜いちゃえばいいやん?
血合い骨をいちいち処理したくないって書いたやん。普通血合い骨の処理って言ったら骨抜きじゃないのか?
これは真面目に聞いてみたいんだが、どこをどう読んだら俺がステンレス包丁を持っていない(または捨てる)という推測に至った?
https://anond.hatelabo.jp/20220331202909
こだわりがある増田に無用なアドバイスかもしれないが、色々難しくし過ぎているきらいがあるので指摘させてくれ
まず包丁だが、文化包丁や洋包丁タイプの握り手のステンレスが欲しいが材質の表示がテキトーで不満なんだよね?
だったら鋼材名で検索すればいいんだ。「V金10号 柳」で検索してみてくれ。v金10号は武生特殊鋼製の刃物用鋼材で一般的なやつだ。
モリブデンバナジウム鋼とか表示されるのはちゃんとした刃物鋼かどうか不明だから手を出さない方が良い。工具鋼を使っている場合もある。
Amazonの検索性は酷く、緒元もちゃんとしてないしメーカー品番も書いてない場合もあって込み入った買い物には向いてない。検索で引っかかったメーカーのダイレクト販売や刃物屋から買う方がいいと思われる。
近かったら浅草かっぱ橋に行くのもお勧めだ。今は外国人が少ないので丁寧な接客と説明が期待できる。
次に、刃持ちや研ぎやすさをHRC硬度だけで判断してるのはちょっと違う。
ステンレスというのは鋼よりHRC硬度は落ちるが、粘りがあるんである。故に加工が難しい。
これは研ぎでも然りで、鋼は結構サクサクと研げるのだがステンレスはなかなかカエリが出ないという事になる。つまり鋼は元増田が考えているよりも研ぎやすい。
研いだ直後のステンレスの切れ味は鋼に劣るが、この粘りのせいで長切れする。切れ味がちょい落ちた状態がずっと続くって感じ。
だから純鋼の白紙の方が切れ味は落ちやすい。こういう特性に持久力を与えたい時はタングステンやクロムを添加する。これが青紙だ。
自分は青紙包丁研いだことがないのだが、これは研ぎにくいはずだ。
次に錆びの問題だが、これも難しく考えることはない。いちいち油塗布したり油紙巻いたりとか調理現場ではやっていない。
どうするかというと、新聞紙の一週間分くらいをまとめて折ってダンボール箱に入れたり輪ゴムで縛って、そこに洗った包丁をぶっ刺しておくのだ。
または少年ジャンプとかチャンピオンとかの安手の紙質の漫画雑誌でもいい。
すると水はザラザラした紙に吸われ、油性のインクが包丁に付着して錆びないのだ。(インクで指が汚れたりするだろ?)
高級料亭などでなければどこでもこういう扱いをしている。
和包丁の柄の腐りや汚れも買ったものをそのまま使わずに、アマニ油やオリーブ油を塗布し、ふき取ってから使うと汁も吸い込まないし腐りも発生しない。
これはサラダ油などではダメなので注意して欲しい。酸化重合して固まるからだ。アマニ油やオリーブ油は重合しないのだ。
この異常に安い、4桁円で買えるが白1鋼という包丁
は見た目は悪いが使いやすい。特に黒皮が付いたままの安い鋼包丁は切ったものが剥れやすいし、切れ味落ちたら直ぐにガシガシ研いで、研ぐのも簡単だし、数年で八寸の柳が五寸や四寸ぐらいになる。高級料亭などでなきゃ料理屋で使われているメインはこれだよ。
すし飯の扱いは間違ってると思う。
すし飯は炊き立てじゃなきゃ酢を吸わないが、その後一度常温になるまで置いておくと粘度が高くなる。すると粘度は安定して握りの最初と最後では水の量が違うって事もなくなる。その前に握っても形を保持しない。
だから粗熱を取るだけじゃ不十分で常温程度まで十分放置する。でも冬などに放置しすぎると粘度がまた落ちて味も落ちてしまう。
粗熱取りも団扇でどうこうって言われるが、めんどくせえことしないで扇風機で冷ましちゃった方が早い。
表面の粗熱が取れたらひっくり返すように返してまた放置。手早く冷ました方が美味い。
この時、扇風機のホコリが飛んで飯に付着すると食中毒になるので扇風機は掃除してから使う。
鍋でご飯炊くときに水分量間違えて焦がしちゃう人いるじゃん?あれも途中で蓋開けるなっていうのを愚直に守ってるからそうなるんで、蓋開けて水分見て補充しながらやれば味は落ちるが失敗しない。難しい事して失敗するより成功の経験積む方が大事。だからすし飯も扇風機でいいんだよ。
以上の訳でお櫃の保温性っていうのは必要が無い。温度が高いすし飯なんか酢でむせちゃうだけだよ。
あと、血合い骨の処理で毛抜きが出て来ないのも疑問。これも難しく考えずに毛抜きで抜いちゃえばいいやん?
牛タンの刺身っていうのもかなりおいしいよ。柳で薄く切って山葵醤油がひじょうに合う。
鋼の包丁の事ばかり書いたけど、ステンレス包丁も持ってないとダメだよ。
鋼包丁ででチルド状態の魚の身を切ると細かく刃こぼれしてしまう。直すには荒砥から研ぎ直さないといけないので大変だ。
砥石は面が面一(つらいち)が必須なので面直し砥石は必須だ。実は包丁研ぐので一番面倒で大変なのはこの面直しだ。兎に角面倒なので金剛砂とかもあった方が良い。ない場合はクレンザーを使う。
ごらんのように私はあまり映画に入れ込んでいない。詳しくない。ほとんど地上波でしか見ない。なのでカットシーンがあってもあまり気にしない(シャドウゲームは流石にダメだった)。
そんな私も見る前はちょっとわくわくしていた。面白いらしい映画だとふんわり耳に入ってきていたし、料理映画がいくつか好きだったからだ。
フードトラックのシェフも好きだしレストランのシェフも好きだし、まあレミーのおいしいレストランも嫌いじゃない。同じく南極観測所の料理人シーンがある大統領の料理人も面白かった。というかああいう雰囲気を期待していた。
閉じたシチュエーションのドラマというなら王様のレストランも好きなのさ。本気だぜ。
ところが、だ。
今私は悪態をつきたいががためにこうして筆を取っている。珍しいことだ。つまらない映画なら録画から消して終わりが常なのに、この映画は私の貶したい心をくすぐってきた。だから以後は批評でもなく単純な文句を書くのである。
なお原作があるらしいことは知っていた。しかしドキュメンタリーではなくしっかりとフィクションの映画として味付けしていることを期待していたので、原作がこうだったから。は考えない。
観測所に居る人物は計8人。男だけというのはヒロイン(恋愛要素)が好みではない私には好印象だった。
しかしいきなり全員の紹介をナレーションで済ますのにはガッカリきた。これだけで長い共同生活の中でキャラクターを深掘っていくという期待はもてなくなった。裏切られることも期待したのだが…。
彼らはほぼ所属も役割も異なるメンバーであり、その中の一人、調理担当の西村がこの映画の主人公だ。
そんな彼らが南極で何をするか。
…何をしてたんだろうな?
こいつら、まあそろえば喋るし一緒に騒いだりもするのだが「一緒に何かしている」シーンか「一緒に居るがすごい無関心」なシーンばかりが記憶に残っているのだ。
「一緒に何かしているシーン」、野球や豆まきのの場面はそこだけを切り取られているから、誰と誰が仲がいいとか、趣味が合うとか関係性が見える会話がかなり少ない。ほぼ全員好き好んで南極に来たわけではないのでゼロフラットな関係から嫌い・好きに振れていくはずがそういう機微が無い。
じゃあ既に仲がいいのかと言われれば会話の節々で間があったりかみ合わなかったり意を汲まれなかったりととにかく思いやりが無い。
面会を拒否するが置かれた飯だけは直ぐに取る
盗み食いによる欠品を何とかするように夜に起こして懇願する(盗み食いが発覚してもまず食べ物の不味さを告げる)
などなど、見ていていじめとしか思えない気分が悪い展開が続く。これ、後々のための伏線などではないからね。
会話が空回る空虚な時間はわざと大量に作られていて誤用の共感性羞恥が襲ってくる。監督の頭がおかしい。
じゃあ逆に仲が悪いのかというと大して衝突や大きな騒動も描かれない。無関心か?後半、長期の閉鎖環境のストレスから数名が暴走するが、錯乱の範疇で人間関係が主要因ではない(要因ではあるが)。
そしてその騒動のとばっちりを受けるのは当然無実で何も悪くない西村君である。脚本によるいじめか。
閉鎖環境であるにも関わらずキャラクターに魅力がない。キャラ同士の相互作用が生まれない。絡んだと思ったらかみ合わなさを見せ付けられる。
中盤からはなんでこんな中年男性を見させられているんだろうと至極うんざりしていた…。
それぞれの職域のスペシャリスト性が出ていればまだ性格に難アリの低関心職人肌集団と見ることもできそうだがそれらのエピソードも取ってつけた薄っぺらいものだ。
(あと早く帰国したいとか来たくなかったとかもまあ分かるのだがそこはサバイバルや刑務所内のドラマと比べれば格段に自由なので分かるは分かるが刺さらないんですよね)
数少ない女性陣についても貴重な遠距離通話でとにかくギクシャクした会話が続き、ついに一人は好きな人ができたと捨てられる。
西村君の家族の妻と娘は大根役者とはとても言えない明らかに演技指導として不快な演出がなされている。単身赴任の打ち明けや任地をあざ笑うシーンなど、ここにも思いやりがなく自己中心的なキャラクターだ。
娘に対して元気が無い母親に料理を作ってあげたらと提案したシーンにはなぜこんなものを作ったのかとかなり泣きそうになった。ハートフルな部分を見せるのかと期待を持たせ一瞬で叩ききる名シーンだと思う氏ね。
エンディングは帰国した西村君一家のシーンだが、まったくもって意図がわからなかった。なぜ私をこんなにラストのラストまで不快にさせるのだ?混乱するほどわけがわからない。わかるのはラストのセリフぐらいだよ。
あと、先述した騒動のとばっちりを受ける無辜の西村君。そのショックで引きこもってしまいます。料理人が居ないからしかたなく残りのメンバーで作るしかないのだが…
って書くとドラマが生まれそうじゃん?揉めあって失敗するのか、西村君が手助けしてハッピーエンドなのか、西村君にはどう謝罪するのか…。罪悪感をどう表現するのだぁ。
ないからね。そんなの。
今までの描写を見るにコイツら、腹が減って料理人が居ないから自分でただ作ってるだけだからね。悪気も無いよ。当然謝罪も。調理現場見てあまり反応もない西村君含めてなんだよこいつら。西村君が風邪で寝込んでしまったから代わりに料理してますでも成立するからね。これ。風邪引かないんだけどさ。南極だからさ。
そんなわけで完成品のマズい(映画冒頭に妻が作ったのと同じ)から揚げを食って西村君が感極まるシーンも理解できなかったよ。
好意的に頑張って考えれば妻を思い出してホームシックな涙なのかなー。それとも自分の代わりに頑張って作ってくれた仲間への感情なのかなー。とは思うんだけどさ。
妻へも仲間へも視聴者の私の感情は冷え切っているから「被害を被ったうえに勝手に調理場を荒らされ謝罪もなくクソ不味い料理を食べさせられてそれが雑に扱ってくる妻を思い出させられて心が折れた」と受け取ったね。素直に。
もしこれが地上波放送によるカットの弊害であったとしたら編集人に拍手を送りたい。もし映画全体を見れば大いなる勘違いだったとしたら、まあ、その、すまん。
よい料理(と食べる)描写とは何かはわからない。孤独のグルメなどは独特に良いと思えるが、詳細な言語化・対比は難しい。
だがそれでも、観測所の最初の食事シーン。私はそこでかなり拒否反応がでた。
きたない。
ガツガツしたややオーバーな食べ方やすする音。それらは私には美味しそうに食べる場面には写らなかった。
しかしそれは我慢できるのである。なぜなら舞台は1997年。人は中年男性。汚らしさはそういうものと受け入れられるまだ。
ロクにうまいとも言わない無反応な男たちもそうそう居るよね。と受け入れられた。
ただ、続くエビフライのシーンで心は折れた。
伊勢海老をどう調理するかでなぜかエビフライが激推しされ、もったいないという西村君は自分を殺し創意工夫も施し伊勢海老をエビフライにしたて上げた。
先述したが、その自分たちが押し通したエビフライという調理法を現物を前にして違ったとぼやくほかのメンバー。ままま!それもすごく効果的に私にストレスを与えられている!と解消への前置きに受け取れたのだが…
いただきますのあと、(西村君を除く)全員が同時に皿に乗せられていた伊勢海老の頭をテーブル上に退けた。
はぁ?
はぁ?なにそれ?は?面白いと思ってやってんの?監督?他の自由に食べるシーンと比べて明らかにタイミングを合わせた演出としてのギャグシーンだよな?は?何も面白くないんですけど?
調理法に折れた西村君にさらに完成品に文句を言って追い討ちをかけた上でのギャグ?まじかよこれがうれしい観客がいるのかよ。
この登場人物たちには、否この監督には料理にも料理人にもリスペクトがない。この映画は「南極料理人」ではあるが、料理にも料理人にもスポットが当たってなどいない。
これは私が悪いのか?ちょうど今話題になっている「大怪獣のあとしまつ」。絶対見ないだろうが、これも私も「怪獣のあとしまつ」がテーマだと思っていたので感想を読むにもし映画を見ていたら同様の怒りを覚えていたこと必死だ。
これを予告や監督から予期できるのだから批判は的外れ(not for you)だとする向きもある。南極料理人というタイトルだけで見始めた私にも同様のことが適用されるのだろうか。
だとしてもこの怒りは収まらぬわ。せめてこんな映画の何を事前に期待して見ろというのか。原作未読者がよぉ!
盛り付けられた料理は美味そうだが作る経緯も食べるキャラも気にくわねぇぇぇ!
自分が夜な夜な勝手に食ったせいで切れたラーメンを懇願して作らせた手作りラーメンにも!
作る!過程に!食う!姿に!私の!心を!入れられ!ないんだよ!
どんなに美味そうに食おうが!お前の目の前の料理人が毎日頑張って作ってくれている料理を尻目にお前が勝手に作って切らしたラーメンの尻拭いを!料理人を差し置いて勝手に作って食っていたモンの尻拭いを!その料理人にさせてんだからな!
私は!情報を!食ってるんだ!
こんな!クソ胸糞悪い!情報を!食えるかっ!!!!!!!!!!!!
あとですね、付け加えるとですね。閉鎖環境での食事ってめちゃくちゃ大事だと思うんですよ。実体験はないですけども。
毎日何が出るかウキウキ。代わり映えしない毎日の唯一の楽しみ。刑務所の中の描写とかでもみる話です。
一年以上の長丁場で、料理のそういったありがたみが(受け入れらないラーメンのくだり以外)ぜんぜん感じられないのがなんかもう見事に物語に料理が関係してなさすぎてなんのドラマティックさもなかったですはい。
ふぅ。ここまで大体ひたすらないがしろにされる料理人の西村君の姿にヘイトをためてきたわけだが…。
中盤を過ぎたころから西村君もキャラが掴めなくなって気持ち悪くなってくる。
まずコイツ、怒らない。
家族に無碍に扱われても大事なものを失っても料理が冷めそうでも仮病で面会拒否されてさらっとメシだけ掻っ攫われてもラーメン盗み食いされてもバター丸かじりされても夜中に起こされても怒らない。大事なものは寝込んだけどさ。
会話がかみ合わなくて空虚な時間が流れる半分は彼のリアクションが無いせいでもある。
そんなこんなで彼のキャラクターが掴めない。
おさらいしておくと、彼は海上保安庁の所属で同僚のアクシデントで急遽望まぬ南極行きを無理やり承諾させられた人物だ。
南極では料理は丁寧に仕事をこなし、あまり我を出さずニコニコ。仕事の文句も言わない。
はて、彼のスタンスはなんだろうか。
料理人といってもいろいろあるだろう。
たくさん食べてもらいたい人。お残しは許しまへん人。自己満足できる料理を作りたい人。美味しい料理を美味しく食べて欲しい人。調理場に入ってほしくない人。材料にこだわりたい人。解説したい人。食事をコントロールしたい人。美味しいといわれたい人。
まだまだあるだろうがいろいろな属性を少しずつ持ってたりするものだ。
劇中の彼はどうか。料理は冷めて欲しくないし伊勢海老は刺身にしたい。うん。まぁ、それぐらい、かな。(後半につれながら見なのでかなり怪しいのだが)
あとおにぎりに当たりを入れるちゃめっけも見出せるかな。なんか普通の人の感性内じゃないですか。
料理人としての面がそんなに料理にも会話にも出ない。ま、まともな会話のキャッチボールができる人物も居ないのですが。
不本意な任地で作り甲斐の無さそうな人たちに料理を振舞っている彼の内心が見えてこないのだ。
では本国に居るときと南極に居るときの対比を見てみようとすれば…彼は南極以外で料理をするシーンがないのだ…。
あるのはただ妻のから揚げに文句をつけるシーンだけ。家族ゆえの気軽さを差っぴいても職業料理人の夫が妻に食事を作らせて事前にアドバイスもせずに文句をいうというのはあまり性格が良いとは言えない。
そして南極の食卓では黙ってニコニコ。彼がわからない。わかります?
普段の料理人の彼がわからないので南極の彼の心境が、あるいはあの打たれ強さや我慢強さがすとんと腹に落ちない。
私の怒りとシンクロしてくれない西村君。料理が好きなのか誇りを持っているのかもわからない西村君。あんな妻や娘が好きな理由がわからない西村君(嘘。家族だから好きなんでしょうね)。
そんな理解不能な彼も他の登場人物同様好きじゃないです。わけわからなくてキモい。
それと、わざと無言で間や動きで伝えようとする描写が好きそうな監督。
なんか、あなたが好きそうなもののことごとくが私は嫌いでした。
まあ、この作品は賞をとってますし聞こえも良い。次作のキツツキと雨も同様。
あとあれですね、半年以上一緒に暮らしているのに朝のおはように返事をしない奴に執拗に返事を要求する奴とか、子供二人居る家庭の妻のから揚げに文句をつける夫とか、いまさらかよって描写も鼻につきました。
あ、書いていて思ったけどから揚げは単身赴任するから妻が料理の勉強中だったのかな。見落としていたらすいません。
監督で傾向を判断するというのは監督にチャレンジがなく作風が固定されるきらいがありあまり好きではないのですが、まあそんな感じなので今後は避けようかと思います。
堺も生瀬も好きなのにこうなるのかぁ。という点は新鮮でした。
この個人的にエンターテインメント性も低い。コメディ・笑いも低い。ドラマティックさも低い。カタルシスも感動も低い。クライマックスの盛り上がりも低い。だけど評価が高い。そういった映画、いや邦画を私は知っています。
そもそも私は地上波オンリーでもさらに邦画はかなり見ない方なのでなにも語れないのですが…。
是枝作品は賞を取ったりでなんどか地上波で拝見したのですが、これのどこが面白いんだ?が続き、これのどこが賞を取ったんだ?(だけど心にちょっと残りごくごくたまーに見たくなる)で終わるものでした。
私自身エンタメ作品しか愛好していないことは重々承知しておりますが、まあ是枝作品が評価されるならこの作品も評価されるわな。とは思いました。是枝作品嫌いだし、ならこの作品も嫌いだわな。
それぐらい、上手く言葉にできませんが私が嫌いななにかしらの邦画要素がたっぷり詰まった作品なんだと思います。邦画らしい邦画を久々にうかつにも見てしまったと言う点はよくないけどよかったです。
ただ是枝作品ほど心には引っかかりませんでした。大統領の料理人もすっきりしない作品でしたが、あれは面白かったです。やはり料理人のこだわりの有無でしょうか?あれは面白かったけどこれはダメでした。あとチョコレートドーナツ(映画)も好きですしお辛い非エンタメ映画全般がダメというわけではないです。これはダメでしたけど。
あーだこーだ書きましたがもう二度と見ない映画にこれほどの時間を捧げさせたのですから、名作と言ってもいいんじゃないでしょうか。しらんけど。