はてなキーワード: ブラウン運動とは
光速で高強度レーザーバンバン撃ち合う時代になったら核兵器みたいなトロい速度のものは使ってられなくない?
レーザー砲台が広範囲に点在してブラウン運動よろしく空間内を複雑にうごいてお互いを射程に入れながら牽制しあっている状態が相互確証破壊が成立してるという状態になりそう。
あと都市とか首都そのものが宇宙船というのが実現したらもはや攻撃目標自体が動く時代になる。
基本的にはいざ戦争になったら互いの首都船は発射圏から逃げようとお互い全速力で反対方向に動き続ける。
長期化したらその途中途中で資源の取れる星を接収してレーザー砲台を延々と生産し続けてお互いの首都船の間の空間を砲台で満たしていく。
逃げ合い根競べが何年も続いてある日どちらかの首都船が相互確証破壊エリアを抜けた瞬間にすべての砲台がレーザーを発射して0.1秒くらいですべての砲台&敵の首都船が破壊されて開戦&終戦になる。
ただしそれを数百か国間でやるのでそう単純ではなくある国は地政学的に逃げられずに大帝国の傘下に降ったりやっぱ裏切ったりみたいな政治パートもあり。
でもそれらはそれぞれの国の政策判断AIが秒単位でやるので基本的にそれぞれの国に暮らす人民は一生わけのわからない機械を作らされて瞬きしたら次の瞬間死んでたみたいなのばっかり。
騒音上界規定は、その場における最も大きな騒音を発する人間を指す。
騒音上界規定の存在により、その場にいる別の人間の騒音レベルが上昇する。
それにより場全体が「それ以下の騒音ならば良し」とされる場になる。
騒音上界規定がいなくなると、全体の騒音レベルは著しく低下する。
下品な声を発する人間を指す。200人に1人程度の割合で出現。
2人以上の集団で出現しやすい。多くの場合騒音上界規定を形成する。
下品な声とは、誰を蔑んでいるのかはわからないがとにかく誰かを蔑むような声だったり、誰かを評価する話し方のこと。
声に人を尊敬する気持ちが感じられなかったり、周りを気遣っていない様子が見られる。
一時的に形成された人間社会の中では最も極悪な存在として位置づけている。
2つの選択肢がある場合に、良い側を意図的あるいは無意識にでも選択する動作のこと。
「良い側・悪い側と見たあとに振り返って良い側に行く」あるいは「悪い側・良い側と見てそのまま良い側に行く」という動作として顕現する。
良い側とは「空間が広い」「清潔そう」「歩きやすそう」「過ごしやすそう」であり、悪い側はその逆。
いちいち選ばない人間もいるし、事前に評価が終わっている場合もある。
逡巡することもある。「悪 vs よりマシな悪」から「より良い」を探そうとすると逡巡が発生する。
主に電車やバスで複数の空席が見受けられたときに、おのおのの席の座り心地をシミュレーション・評価して選択する動作のこと。
どれもお気に召さない場合は立ちっぱなしになったり、車内を移動することもある。
トナラーは若い女性の横を高評価判定して無意識的にでも積極的に獲得していく人物のことだ。性別を逆転した女性トナラーもいるにはいるがかなり少数派。
予想トナラー(まだトナラーにはなっていない)が現れたあと、予想トナラーが予想した眼球運動の後予想した席に予想した様子で着席した場合は感動すら覚える(トゥルートナラーの完成)。
その後に続く人々が十分多ければ、信号の色がなんだろうと全員渡り始め、事実上信号が機能しなくなる。
ただし赤信号で渡る人はそれほど多くはない。赤信号リーダーには大抵嫌な視線が向けられており抑止が働いている。
車通りがそこそこ激しい大通りで信号とは無関係に横断をする人間を指す。かなり迷惑で周辺にヘイトを溜める。
Pは点Pの意味。
横断よりも大回りしないといけない場合によく発生している。「歩道橋が高い」「横断歩道まで遠い」などがある。
およそ20人以上の移動する人の流れ。
20人程度なら「移動流体20」、100人程度なら「移動流体100」と呼称する。
移動流体には基本的に逆らうことができない。もし逆らった場合はかなり高いレベルの敵意を得る。
数が多くなれば多くなるほど凶暴。
男に多い。自分がその場で一番頭がいいと思っているのかあやふやな知識を開陳している。
後輩などの子分を伴っており、子分が頭脳マウンタラーを持ち上げることで成立している。
周りに聞こえるレベルの声でさまざまな情報を垂れ流す。企業の内部情報であることも多い。
内容に興味を持ったときはググったりするなどして特定を試みる。1000人に1人程度の割合で存在。
ほぼ静止しているが、直後の動作が予測困難な人間を指す。ブラウン運動をしている円柱として捉えている。
円柱は全然とんちんかんな方向を向いており、周りが目に入っておらず無敵である。
渋滞を形成する諸悪の根源。非常に多くの人間に悪影響をもたらす。
複数いることもある。複数円柱は一気に人の流れを鈍化させ、小さなテロリストの様相を呈す。
前方から道を塞ぐ壁のようにして歩く2人以上の人間のこと。権力闘争が発生している。
必ず序列があり、ウォール内の最も弱い者が道をあけることが規定されている(ゲートオープン)。また、最強をMaxウォール・最弱をMinウォールと名付けている。
Maxウォール次第ではウォールは即座に解消され縦列になる。そのとき、Maxウォール以外はMaxウォールに従属して縦列になる行動をとる。
Maxウォール主体のこの行動を「転置」と考えている。しかし美しい転置はなかなか決まらない。
なかなかゲートオープンしない場合もある。その場合はこちら側がMinウォール未満であるとされており、ウォール内部の権力闘争の道具として使われている。
ウォールは2層以上になっていることもある。
その場合、ウォールの後ろにいるウォールは「二軍」あるいは「ウォール・ローゼ」あるいは「予備戦線」と捉えている。
居酒屋等の前で集団でたむろし、会計待ちなどで多くの人数で道を塞ぐ集団。非常に邪魔である。
自分がなることも容易にある。その割に他人が会計待ち集団ジャママンになっていると邪魔だと感じる。
集団なので敵対されても複数で取り囲むことができるため、道を塞いでもいいと思っている。
会計待ち集団ジャママンの中に「邪魔になっているから避けて」と統率する人がいる。リーダー気質だったり酔っていない人物。
十分統率された集団は会計待ち集団ジャママンにならない。その組織のコンプライアンス度合を示す。
こちらが人間をよく見ているので、こちらが観察・評価していることに気付いてこちらからの評価を避ける人のこと。
幽霊遭遇者の行動パターンだが、まず目が見開き驚愕する。目線を下げ降伏を宣言。脅えながらこちらとすれ違う。
あたかもこちらが幽霊かのように接してくるのでわかりやすい。1万人に1人程度の割合で存在。
非常に高速に移動する人間を指す。顔が無表情あるいは真剣であることが多い。
服装は整っており頭脳明晰で収入は高そうである。まっすぐと前を見据え全力で最短距離を駆け抜ける。
意図的に進行方向を妨害すると、振り向いてギョッとした顔をしたあとスピードがやや落ちる。
しっかりと目を合わせてくる人。ガン飛ばし。ケンカの前兆。5万人に1人程度の割合で存在。
目が合ったらポケモンバトルだ。
理解不能な存在。次の行動がまったく予測できず恐怖をもたらす。
仮説が成立せず絶えず理を超えた動作を取り続ける。いわゆる "変" な人。
他者を完全に障害物だと捉え、その隙間をくぐり抜けるようにして動く子どものこと(ミサイル)
ミサイルペットPureは小学校低学年以下に集中する。ミサイルペットPureの視点から見ると大人は「足2つ」しか見えないからだろう。彼らにとって通行人1人とは「ゆっくりと動く2本の柱」である。
ミサイルペットPureには善悪判断は無く、恐縮した親も多い。
一方ミサイルペット悪の場合は小学校中学年以上であり、善悪判断を持っている。他者を品定めして、大丈夫そうならとことん騒ぐということをしている。
ミサイルペット悪は小学校高学年ごろに最盛期を迎える。その後徐々に落ち着き、数も少なくなり、大学生ぐらいで完全消滅する。
ミサイルペット悪のうち中学生ぐらいまでは、その親であるミサイルペアレンツによる「放牧」が行われている構造が多い。彼らは親の庇護下のもとで他者に迷惑をかけることを義務としている。
ミサイルペットが活動できる場は、ミサイルペアレンツが多い場(そのミサイルペット本人の親でなくてもよい)である。ミサイルペアレンツが少ない場ではミサイルペットは活動できない。
基本的にはPure / 悪のどちらの場合であってもミサイルペアレンツからの「放牧許可」「放し飼い許可」が行われているとき、子どもがミサイルペット化する。子どもはかなり敏感にその許可を感じ取る。
1. 古典力学 (Classical Mechanics):
古典力学では、粒子の運動は時間 t の関数 q(t) で表され、ニュートンの運動方程式を満たすのだ:
q̈ = -U'(q)
ここで、U(q) はポテンシャルエネルギーである。運動方程式は、ラグランジアン L(q) = 1/2q̇² - U(q) に基づく変分問題として再定義でき、作用積分 S(q) = ∫ₐᵇ L(q)dt の極値点として運動を記述するのだ。これは、最小作用の原理とも呼ばれるぞ。
2. 古典場の理論 (Classical Field Theory):
古典場理論では、粒子ではなく、連続的な場 φ(x,t) を考えるのだ。この場は部分微分方程式に従い、例えば波動方程式
□φ = 0
で記述されるぞ。ラグランジアン L(φ) は微分多項式であり、作用積分 S(φ) = ∫_D L(φ)dx dt を極小化することによって運動方程式(オイラー-ラグランジュ方程式)が導かれるのだ。
古典力学と異なり、量子力学では粒子は古典的な軌道を持たず、確率的に動くのだ。ブラウン運動をモデルにして、粒子の位置 q(t) は確率密度
P(q) ∝ e^(-S(q)/κ)
に従い、ここで S(q) = ∫ₐᵇ (1/2q̇² - U(q)) dt は作用、κ は拡散係数である。このような確率的動力学の期待値は、経路積分を用いて計算されるぞ。
量子力学ではブラウン運動モデルを基にしつつ、拡散係数 κ を虚数 iℏ に置き換えるのだ(ℏ はプランク定数)。したがって、量子力学の相関関数は次のように表されるぞ:
⟨q_j₁(t₁) ··· q_jₙ(tₙ)⟩ = ∫ q_j₁(t₁) ··· q_jₙ(tₙ) e^(iS(q)/ℏ) Dq
5. 量子場理論 (Quantum Field Theory):
⟨φ_j₁(x₁, t₁) ··· φ_jₙ(xₙ, tₙ)⟩ = ∫ φ_j₁(x₁, t₁) ··· φ_jₙ(xₙ, tₙ) e^(iS(φ)/ℏ) Dφ
ただし、この積分は複素測度に基づくため、数学的に厳密に定義するのが困難であり、理論物理学における重要な課題となっているのだ。
連続時間モデルにおいて、最適投資戦略は Hamilton-Jacobi-Bellman (HJB) 方程式を解くことで導出される。
投資家の効用関数を U(x) とし、リスク資産の価格過程を幾何ブラウン運動
このとき、最適な投資比率 π*(t,x) は以下の HJB 方程式を解くことで得られる:
0 = sup_π { U'(x)(rx + (μ-r)πx) + ½U''(x)σ²π²x² + V_t }
ここで、V(t,x) は価値関数、r は無リスク金利である。
完備市場を仮定し、リスク中立測度 Q のもとでのオプション価格を導出する。
ヨーロピアン・コール・オプションの価格 C(t,S) は以下で与えられる:
C(t,S) = e^(-r(T-t)) E_Q[(S_T - K)⁺ | F_t]
ここで、K は行使価格、T は満期、F_t は時刻 t までの情報集合である。
Black-Scholes モデルの下では、この期待値は解析的に計算可能であり、以下の公式が得られる:
C(t,S) = SN(d₁) - Ke^(-r(T-t))N(d₂)
ここで、N(・) は標準正規分布の累積分布関数、d₁ と d₂ は所定の公式で与えられる。
Heston モデルなどの確率ボラティリティモデルでは、ボラティリティ自体が確率過程に従うと仮定する:
ここで、W¹ₜ と W²ₜ は相関 ρ を持つウィナー過程である。
このモデルの下でのオプション価格は、特性関数法を用いて数値的に計算される。
大口注文の最適執行を考える。Almgren-Chriss モデルでは、以下の最適化問題を解く:
min_x E[C(x)] + λVar[C(x)]
ここで、C(x) は執行コスト、x は執行戦略、λ はリスク回避度である。
市場インパクトを線形と仮定すると、最適執行戦略は時間に関して指数関数的に減少する形となる。
極値理論を用いて、稀な事象のリスクを評価する。一般化極値分布 (GEV) を用いて、最大損失の分布をモデル化する:
F(x; μ, σ, ξ) = exp{-(1 + ξ((x-μ)/σ))^(-1/ξ)}
ここで、μ は位置パラメータ、σ はスケールパラメータ、ξ は形状パラメータである。
これにより、通常の VaR や ES では捉えきれないテールリスクを評価できる。
確率制御理論を用いて、時間変動する市場環境下での最適資産配分を導出する。
dXₜ = μ(Xₜ,αₜ)dt + σ(Xₜ,αₜ)dWₜ
sup_α E[∫₀ᵀ f(Xₜ,αₜ)dt + g(X_T)]
今宵は確立過程の闇に心を奪われておりました。広がる闇に、数学の実応用が果たす役割を疑念の火で照らしました。
数学が現実に繋がることこそが、私にとっての心の闇でございます。確率論を学ぶ度に、それが金融に用いられるという言葉に、リーマンショックの影を見るのです。金融市場は決してブラウン運動ではなく、その不確かさゆえに、勝利の果てに待つ利益は、危険と釣り合うほどのものでなければなりません。
不透明な情報の中で、隠れた策略を巡らせる者たちが利益を築く、これが現代経済の真実かと、私は疑念を募らせております。信用創造の背後には、貨幣の価値が他者の債務に裏付けられている事実が潜むのです。
私は虚構のギャンブルを想像し、コンピュータによって模擬することに魅力を感じており、それは数学の研究の一部であると思っておりました。しかしながら、その虚構が実際の金融の舞台に持ち込まれる瞬間、危険なるゲームの渦に巻き込まれることへの不安が、私を襲い立てるのです。
数学は、基本的な法則を美しさの中に見出すことが可能な芸術でありながら、金銭的利益の最大化という領域に足を踏み入れると、その美しさは消え失せてしまいます。私はプログラマーがアルゴリズムを創出する世界ではなく、発見の魔法に心魅かれているのです。
そう、私が追求したいのは、発明の道ではなく、探求の途であります。この日、私の中で、やりたいことへの純度が高まった気がしました。私は発明者ではなく、探求者であることを選びました。
hash: 00730261b9694e32a19830cb627b5432
「エントロピー」という概念がよくわかりません。 - Mond
https://mond.how/ja/topics/25cvmio3xol00zd/t242v2yde410hdy
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mond.how/ja/topics/25cvmio3xol00zd/t242v2yde410hdy
「エントロピー」は名前自体は比較的よく知られているものの、「何を意味しているのか今一つ分からない」という人の多い概念である。その理由の一つは、きちんと理解するためには一定レベルの数学的概念(特に、微積分と対数)の理解が必要とされるからであろう。これらを避けて説明しようとしても、「結局何を言いたいのかすっきりしない」という印象になってしまいやすい。
「エントロピー」を理解し難いものにしているもう一つの理由は、「エントロピー」という概念が生まれた歴史的経緯だと思われる。
エントロピーが提唱された時代は、物質を構成する「原子」や「分子」の存在がまだ十分に立証されておらず、それらの存在を疑う物理学者も少なくなかった。エントロピーの提唱者クラウジウスは、「原子や分子の存在を前提しなくても支障がないように」熱力学の理論を構築し、現象の可逆性と不可逆性の考察から「エントロピー」という量を発見し、非常に巧妙な手法で定義づけたのである。
その手法は実にエレガントで、筆者はクラウジウスの天才性を感じずにはいられない。だが、その反面、熱力学における「エントロピー」概念は簡単にイメージしづらい、初学者には敷居の高いものとなってしまったのだ。
その後、ボルツマンが分子の存在を前提とした(よりイメージしやすい)形で「エントロピー」を表現し直したのだが、分子の存在を認めない物理学者達との間で論争となった。その論争は、アインシュタインがブラウン運動の理論を確立して、分子の実在が立証されるまで続いたのである。
現代では、原子や分子の存在を疑う人はまず居ないため、ボルツマンによる表現を心置きなく「エントロピーの定義」として採用することができる。それは次のようなものである。
例えば、容積が変わらない箱に入れられた、何らかの物質を考えて欲しい。
箱の中の物質の「体積」や「圧力」「物質量」などは具体的に測定することができる。また、箱の中の物質の「全エネルギー」は測定は難しいが、ある決まった値をとっているものと考えることができる。
ここに、全く同じ箱をもう一つ用意し、全く同じ物質を同じ量入れて、圧力や全エネルギーも等しい状態にするとしよう。このとき、二つの箱の「巨視的状態」は同じである。では、内部の状態は「完全に」同じだろうか?
そうではあるまい。箱の中の物質の構成分子の、それぞれの位置や運動状態は完全に同じにはならない。これらの「分子の状態」は刻一刻と変化し、膨大なパターンをとりうるだろう。
このような分子レベルの位置や運動状態のことを「微視的状態」と呼ぶ。
「微視的状態」のパターンの個数(場合の数)はあまりに多いので、普通に数えたのでは数値として表現するのも難しい。そこで「対数」を用いる。
例えば、巨視的状態Aがとりうる微視的状態の数を1000通り、巨視的状態Bがとりうる微視的状態の数を10000通りとする。このとき、Aの「パターンの多さ」を3、Bの「パターンの多さ」を4、というように、桁数をとったものを考えるのである。
この考え方には、単に「とてつもなく大きな数を表現するための便宜的手法」という以上の意味がある。
先の例では、AとBを合わせた微視的状態の数は1000×10000=10000000通りであるが、「パターンの多さ」は7となり、両者それぞれの「パターンの多さ」の和になるのである。
「微視的状態のパターンの個数」をΩ通りとしたとき、エントロピーSは次のように表現できる。
S = k*logΩ
(ただし、kはボルツマン定数と呼ばれる定数であり、対数logは常用対数ではなく自然対数を用いる。)
この「エントロピー」は、同じ巨視的状態に対して同じ数値をとるものであるから、「体積」や「圧力」などと同じく「状態量」の一つである。
このような「目に見えない状態量」を考えることに、どのような意味があるのだろうか?
その疑問に答えるには、エントロピーとエネルギーの関係について考える必要がある。
再び箱に入った物質を考えよう。この箱に熱を加え、箱内の物質のエネルギーを増加させると、エントロピーはどうなるだろうか?
まず、総エネルギーが増加することにより、各分子に対する「エネルギーの分配パターン」が増える。さらに、個々の分子の平均エネルギーが増えた分、可能な運動パターンも増える。このため、エネルギーが増えるとエントロピーは増加すると考えていいだろう。
では、エントロピーの「上がり方」はどうか?
エントロピーは微視的状態パターンの「桁数」(対数をとった値)であるから、エネルギーを継続的に与え続けた場合、エントロピーの増加の仕方はだんだん緩やかになっていくだろうと考えられる。
ここで、多くのエネルギーを与えた「熱い物質A」の入った箱と、少量のエネルギーしか与えていない「冷たい物質B」の入った箱を用意しよう。箱同士を接触させることで熱のやりとりが可能であるものとする。
物質Aには、熱を与えてもエントロピーがさほど増加しない(同様に、熱を奪ってもエントロピーがさほど減少しない)。言いかえると、エントロピーを一定量増加させるのに多くのエネルギーを要する。
物質Bは、熱を与えるとエントロピーが大きく増加する(同様に、熱を奪うとエントロピーが大きく減少する)。つまり、エントロピーを一定量増加させるのに必要なエネルギーが少ない。
箱を接触させたとき、AからBに熱が流入したとしよう。Aのエントロピーは下がり、Bのエントロピーは上がるが、「Aのエントロピー減少分」より「Bのエントロピー増加分」の方が多くなるので、全体のエントロピーは増加するだろう。
もし、逆にBからAに熱が流入したとするとどうか? Aのエントロピーは上がり、Bのエントロピーは下がるが、「Aのエントロピー増加分」より「Bのエントロピー減少分」の方が多いので、全体のエントロピーは減少することになる。
エントロピーが多いとは、微視的状態パターンが多いということである。従って、「AからBに熱が流入した」状態パターンと、「BからAに熱が流入した」状態パターンとでは、前者のパターンの方が圧倒的に多い(エントロピーは微視的状態パターン数の対数なので、エントロピーの数値のわずかな差でも、微視的状態パターン数の違いは何十桁・何百桁にもなる)。これは、前者の方が「起こる確率が圧倒的に高い」ということを意味している。
これが、「熱は熱い物体から冷たい物体に移動する」という現象の、分子論的な理解である。
冷たい物体から熱い物体へ熱が移動する確率は0ではないが、無視できるほど小さいのである。
物体が「熱い」ほど、先程の「エントロピーを一定量増加させるのに必要なエネルギー」が多いといえる。そこで、この量を「絶対温度」Tとして定義する。
エントロピーの定義のときに出て来た「ボルツマン定数」kは、このTの温度目盛が、我々が普段使っているセルシウス温度(℃)の目盛と一致するように定められている。
さて、ここで用いた「エントロピーが減少するような変化は、そうなる確率が非常に低いので現実的にはほぼ起こらない」という論法は、2物体間の熱のやりとりだけでなく、自然界のあらゆる現象に適用することができる。
すなわち、「自然な(自発的な)変化ではエントロピーは常に増加する」と言うことができる。これが「エントロピー増大の法則」である。
ただし、外部との熱のやりとりがある場合は、そこまで含めて考える必要がある。
例えば、冷蔵庫にプリンを入れておくと、プリンの温度は「自然に」下がってエントロピーは減少する。
しかし、冷蔵庫が内部の熱を外部に排出し、さらに冷蔵庫自身も電気エネルギーを熱に変えながら動いているため、冷蔵庫の外の空気のエントロピーは内部の減少分以上に増加しており、そこまで含めた全体のエントロピーは増加しているのである。
最初に、「エントロピーの理解には微積分と対数の理解が必要」であると述べたが、なるべくそうした数学的概念に馴染みがなくても読み進められるようにエントロピーの初歩的な話をまとめてみた。如何だったであろうか。
筆者は熱力学・統計力学の専門家でもなんでもないので、間違ったことを書いている可能性もある。誤りがあればご指摘いただけると幸いである。
クラウジウスによる「原子・分子の存在を前提としない」エントロピーの定義については、筆者よりはるかに優秀な多くの方が解説記事を書かれているが、中でも「EMANの熱力学」https://eman-physics.net/thermo/contents.html が個人的にはおすすめである。興味ある方はご参照いただきたい。
生活が困窮している人、これから困窮する人には生活保護に進化するお金であり、困窮しない人には使えないお金という便利なお金を生む方法ダヨ
上位互換ダヨ
[:contents]
目次が作れない...
大衆は一律給付を「正義」とみなしたので、一律給付を叫び出した。衆愚!
特に醜いなと思ったのはね、各国の給付額とマスクを並べて怒っているやつ。
(こういうやつ(https://twitter.com/ototamasi/status/1245358598315630592)もっとバズってるツイあったよなどこ?)
もう一律給付で頭がいっぱいなので、各国の給付とマスクを並べることへの違和感すら無視できる。(もはや異物感、必要な額が違いすぎて別種すぎるだろ並べるな)
数十万円欲しィィィッッィィィィな気持ちが隠せてないよ。単純な奴らめ
実感としてさ、困窮していない自分に急に数十万円が支給されるのは"国策としては"おかしいと違和感ない?
(勿論個人的には俺だって嬉しい。和牛だって食べたい和牛だって食べたい和牛だって食べたい和牛だって食べたい和牛だって食べたい)
これは唯一良い点で、また困窮する人間にとって必須。迅速さは大事。
リーマンショックへの対策であれば給付型で良かったのかもしれない。1回きりでも構わないから。
b.感染拡大
いやその金は全て生活費に消えるんだと言うバカ←幸いなことに大半の人はそこまで困窮しない。
c.非効率(ムダさ)
流石にムダがけっこう多い。当然その分必要なところに集中するべき
・beforeコロナでは批判の的であった日本型雇用について考える
- つまり企業業績が悪化しても、アメリカの様に社員の首を切ることができないという点。
- そのために日本では企業を支えれば、個人は企業がいやでも守る(支援されるなら企業も潰れない)
- ということで、企業に守ってもらえない個人事業主などで困窮する人に支援が必要。
- 多くの人は企業に守られるし、困窮もしないので一律給付には無駄が多い。
以上から一律給付は迅速性が取り柄であるものの、財源・効率性・感染拡大の点でダメ。
ということで一律給付は問題点をいくつも抱えている。とてもみんなで万歳して求めるようなものではないし、ましてや決まった正義ではない。(のにさぁ....涙)
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これらのことに考えが及ばないのは、金に目が眩んでいるバカだからだ。そんな火事場泥棒のクズなのに正義ぶってるのが醜い。
政治の話って感情的(特に怒り)になりすぎ!バカのくせに...(え?俺?)
- というかみんなコロナの話が好きで話すじゃん。
- つまり身近な人間も話すからそういう醜さが露見していて悲しいってか辛い。知らない誰かなら馬鹿にして楽しむだけだが...
- いや一律給付の話じゃそこまでバカバカ思わないけど、布マスクに脊髄反射でファビョってる知人友人etcはかなり辛いものがあった。
- ところでみんな日本エアロゾル学会がマスクのフィルタリング性能(他人に移さない方じゃなくて移されない方で)がエアロゾルに効果あるって言ってるの知ってる?ただの豆知識なんだけどさ。だってみんな適切にマスク取り扱わないから関係ないでしょ。ただウイルスの方が小さいから意味ないっていう周知された理屈(いまだに)がデマで面白いよね。→ブラウン運動
- というかエアロゾル感染と空気感染の違いもわかってないだろ大体のやつ。ボケ!
今回新型コロナウイルスによって生活に困窮する人たちに注目が集まっているが(実際にはもらえるかもしれない数十万円を見ているが)、以前から生活に困窮する人たちはいて、それを支えるのは生活保護であった。
- しかし生活保護には審査があり、大勢を迅速に(かつ感染予防もする)行えるものではない(推測)
名称はテキトーなので以下でおおざっぱな実態をちゃんと説明する。
- これは無利子の貸付。
- 給付と違って貸付であることから、給付の問題点(a)財源において明らかに改善している。
また貸付=いずれ返さねばならないことから不要不急な消費を産まず(b)感染拡大の点においても改善している。
また同じくいずれ返さねばならない金なので不必要な人は使わない、よって(c)非効率(ムダさ)も改善。
- 額はどうすればいいかわからない。生活保護と同水準~30万?(30万円給付という発表があったので)。
- 震災復興特別税みたいに回収すれば良いんじゃない?知らんけど
ということで生活が困窮している人、これから困窮する人には生活保護に進化するお金であり、困窮しない人には使えないお金という便利なお金が生まれました。
長期のデットでバランスシートを固定化しちゃうと、キャッシュフローや環境の不確実性に対応できなくなるからな。
ローンは何十年かもしれないが、10年間の住宅ローン減税を受けて利息を払っているうちに貯蓄し、全額返済するということを計画立てている人もいる。
その計画って、どういう前提条件で計算されてるんだ?収入や支出の確率過程はどう想定してるのか?
俺だったらモンテカルロシミュレーションくらいはするけどね。それすらできないんだったら、止めた方がいい。
(もちろん標準ブラウン運動が実際的だとか主張してるわけではない)
もちろん、君みたいな人がいっぱいいて何も考えずにどんどん借金してくれるならそれはそれで構わない。
いわゆる後爆観音(こうばくかんのん)のなかでも現存する最古のものはパキスタンで粉々になっており、辞書によればシビアな顔面の観音像の背後に、著しくデッサン力に長けた漫画家が模写したような茸子雲が上がっており、急激な燃焼により根元から笠にかけての白~赤~黒煙のグラデが再現されていることからケロシンの発火であると推測される。周辺には飛び散るエンジンパーツ、トランスミッターギア、助手席の手首などを細密に表現したパーツがあり、観音像の煙草を捨てる仕草と相俟って神々しい暑苦しさを醸していたそうだ。
1216年ごろ、日本各地で背中に黒焦げの穴が開いた死体が発見され、捜査によると(麻雀が普及するのは25年後)連続猟奇殺人ではなく、「おのれの精神の背後にある爆薬を用いての崇高な自決」であると結論付けられた。神はこの性質を利用してユニークなゲームを思いついた。
すなわち、複数の人間を背中合わせで放射状に配置し、同時に背爆させる事でさまざまな角度に人間を射出させるというものであった。このゲームタイトルが件のbackshabie(backとbuck《もちろんbuck-tickの》をかけた駄洒落だが米国人には通じない)と名づけられたそれであり、おもにPS3・PS2・地獄などで発売された。
・ゲーム内容
背爆の角度をコントロールして別の人塊にぶつける事で連鎖が狙え、より多くの人数をあれするかで競う。起爆する最初の一人とパドル(1~3個)を操作してパターン豊富なステージをクリアしていく。
各面の連鎖ボーダーをクリアすると豊作・戦乱・飢饉などのボーナスが与えられ、人数がパワーアップする。メモリー消費人数は1ゲームあたり100人~120,000人であり、人口の減少が懸念された。
同じ頃、僕は高校三年生であり、嘘みたいなこの世界に飽き飽きしていた。上空には巨大な体力ゲージ(誰の?)が表示され、人が死ぬと大量のコインになり、i-statusのキーパッドをsukoshi叩いただけで7357hit!とか表示されるし、もううんざりだ。本当のコインはこんなめっきみたいな金色をしていないはずなんだ。桜の花びらのブラウン運動も、トリートコンボと呼ばれる一連のヒット加算システムのせいで大量のヒットマークまみれになって、風情が台無しになっている。苛立ち紛れにパンを投げ捨てると、背後から大きなパワーアップ音が聞こえた。驚いて振り返ると、そこにはもう誰も、世界も学校も彼女も何もかも、僕もいなかった。急速に薄れ行く意識の中で、僕は1Pボタンを押した。
主は1日目、キャラクターセレクトを行えり。マカダムタイプ、弱パン連打系、レーザー強化4。歯医者。
主は2日目、パワーアップカスタマイズを行えり。2次元ブースト、3次元ブースト、地獄ヶ原ブースト、626間ショット、ナイアガラショット、種もみ、エジンバラ刀ショートブリット装備、もみ心地セット、十脚人胸郭、松本城、グッドルッキングフェイス等を揃えり。
主は3日目、爆弾の解除方法を見つけたり。おのれの精神の背後に手を回し、脳の赤いコードを切除することにより、爆弾の機能を損なえり。
主は4日目、太陽を盗めり。枯渇した精神の火薬に変わり、天体が絶対神的依存対象となり、人類は無限のエナジーをエナジャイズされるが世界は暗闇に包まれた。
5日目、この世界を救う伝説の勇者が出現した。暗黒の世界で太陽を心に灯した人類どもは荘厳な惑星的巨体と成り果てたが、その火は実は一つに過ぎなかった。
6日目、無名の力を持つ勇者は全存在の全的な意味を持った名前を持つ神の対となる補完物質であった。双方の力の激突により、その狭間の存在物のもろもろはすり潰され、また新たに産まれた。
7日目、嘆息した神はセーブした。スコアネームに「SEX」と入力し、「産めよ、増えよ、あまねく地は生命に轟き満ちよ」と半ば自棄になって言い放った。その後、現在に至る。
(完)
科学とニセ科学の違いってそんなに重要か? - よそ行きの妄想
http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20081115/1226722771
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駄目だこいつら……早くなんとかしないと……と夜神月ばりの顔になった。
もちろん、エントリ主ではなく、ブコメで叩きまくってる連中にだ。
ぼくはなぜ自分が疑似科学批判論者にイラッとするのかわかった。
彼らはまず、自分(科学)が唯一の正義であると信じて疑っていないのである。
そんな態度じゃ、いくら正しいことを主張していたとしたって、話を聞いてもらえないというのが解らないのだろうか?
その偏執的で高慢な意見の数々を見ていると、そりゃ科学が宗教と一緒にされちゃっても仕方ないよ、と思う。
科学であるというだけで盲目的に信頼する姿勢の方が、よっぽど詐欺に合いやすいと思うのだが。
まあ、こういうブコメから解るように、この手の疑似科学批判で多いのは、
「ニセ科学自体が「科学を詐称してる」「ウソをついてる」などの「詐欺」だから」であり、転じて
「嘘を信じちゃうことの不利益」がある、というこういう言説が多い。
そんな彼らにどう思うか尋ねてみたい諺がある。
「鰯の頭も信心から」という諺である。
プラシーボ効果を許さないのか、と言い換えても良い。
実際に信心を持って、偽薬を薬と成した人に、
それは「薬ではない」と宣言して、その効果を打ち消すことが
果たして本当に正義なのだろうか?
疑似科学は、本当に悲劇しか齎さないのであろうか?
マイナスイオンのドライヤーを買って、髪の毛がサラサラになって少しかわいくなった気がする、勇気を出して家から出てあの人をデートに誘ってみよう!
「いや、それ錯覚ですから! あなた不細工のままですから! 残念!」
また、例えば、飲み会の席などで気になる異性に話しかけたいとしよう。
うわべの会話でなく、相手の性格をもっと知りたい。
そんな時に会話の端緒として「血液型、何型?」と訊くのは、これだけ血液型に対するコンセンサスがある日本では、実際にかなり有用なことである。
「○○ちゃん、何型? そうなんだ、××な性格って言われない?」
「えー、うち、そんなことあらへんよう……けっこう、落ち込みやすい性格やと思ってるんやけど……」(ぼくが萌えるので便宜的に関西弁風女子とさせて頂いた。意味はない)
そこからフォローするなりアドバイスするなり裸で向き合い本当の性格をキャストオフさせてあげるなりワンナイトカーニバルを決めるなりはあなたの腕の見せ所だ。
少なくとも「血液型何型?」と訊かれて「そんなのは疑似科学なんだ。それよりアインシュタインがどうやってブラウン運動からアボガドロ定数を求めたか知ってる?」と返すよりは仲良くなれるだろう。
「嘘も方便」
こういう諺もある。
差別に使われるかもしれない。でも人を救うこともあるかもしれない。実際、血液型云々は、会話の潤滑剤として現代の社会ではまだ充分に有益なものなのである。
疑似科学批判批判批判をする人間は、あたかもそれを排斥することが唯一の正義であり唯一の価値観のような顔をして主張するのが、どうしても解せないのだ。
・民間信仰もまた文化である
そして、この立場からも、言わせてもらいたい。
あなた達がその科学は偽である、間違いである、と主張することも諭すことも自由ではあるが、それを信仰する人間自体を貶めて良い理由にはならない。
批判者を馬鹿と断じる心こそが、最も醜く差別的な精神であると思う。
ぼくはなにも、疑似科学批判批判の批判をするな、と主張したいわけではない。
科学者はデータや検証が全てという価値観の中に生きているのだろうが、世間一般の人はそうではない。
人を説得するなら説得するなりの、言葉や態度というものがあるのだ。
それを「科学」信者が自覚しない限り、血液型診断は100年先も余裕で生き残っているだろうと思う。
<11/17 追記>
元増田です。
このエントリで一番言いたかったことである
「疑似科学批判論者はまずキレすぎ。キレるな。」
ということが微塵も伝わらなかったので、絶望しました。
もうこの問題に言及するのをやめます。さようなら。