はてなキーワード: あやふやとは
認知症になる前から訪問ヘルパーとかを利用してる老人は、ある程度以上おかしくなってくるとヘルパーが気付いてケアマネージャーに相談したりできる。
そういうのも使ってない人は、俺の知る範囲だと、民生委員というのが定期的に訪問してたりするよな。
俺の実家も今は年取った父親一人なもんだから、自治体から時々ちょっとしたお知らせと称して人が来るようだ。
父親はまだ元気なのでそれ以上の事は特にないが、そこで何かおかしいようなら、自治体が再度人を送ったりしてもう少し話が進んだりするのかもしれない。
民生委員の権限は大して大きくないようなので、認知症の自覚がなくて身体的に元気な人を施設に入れるのは難しいだろうが、そういう人が地域にいると周囲が知ってて定期的に巡回していれば、急死以外は最終的には病院に流れ着くんじゃないか。
独居認知症老人が転倒骨折(あるいは病気で倒れるなど)→民生委員が発見→救急車で入院→病院から施設を探す(もしくは病院でそのまま亡くなる)、みたいな流れで。
何しろ救急車ってのは通りのすがりの他人でも呼べて、一気に入院まで持っていけるシステムだから、この流れは強い。
LGBTの方に質問です。「異性愛をノーマルと呼ぶこと」及び「同人… - 人力検索はてな
なんでもやっとするかというと、「ノーマル」って一体なんだかよくわからんから。
私の性自認は一応女で、昔から自分が直接、性的な主体もしくは客体となる関係性にあまり興味がなく(性欲はある程度ある)、さいわいモテなかったのでまあ一生ひとりで生きるのかなあと思っていたら生まれて初めてモテた相手が男性で今その人と付き合っているので多分ヘテロセクシュアルなのだろうけど、生まれて初めてモテた相手が仮に女性だったらそれはそれでそのようなお付き合いをしていたような気がするけど女性にモテたことはないのでよくわからない。
これが「ノーマル」なのか、そうではないのか、そうしてそうであったりなかったりすることにそもそもどんな意味があるのか、よくわからない。
ついでに言うと腐女子だけど男女カプも百合も好きだ。男性向けのエロも好きだ。
そういうあやふやつーか雑食つーか、な状態の人間から見ると、アンケートの選択肢は、なんかそんなぱっきり分けられるもんではないのでは、って気がしてしまう。
あと、男女のカップルだから「ノーマル」ってそもそも主語でかすぎだよなとか、現実の性的指向と創作(における性的ファンタジー)は別物じゃないでしょうか(個人的には腐ネタで男同士のカップルを「ホモ」と呼称するのにも違和感ある)とか、質問をひっくり返して「異性愛者の方に質問です。『異性愛以外の性的指向をアブノーマルと呼ぶこと』及び~」みたいにするとどうなるんかねとか、「ノーマル」という言葉が「正しさ」と結びついているように感じられてしまうのももやっとする一因かなあ本来は関係ないと言い切ってもいいのかなあとか思った。結論はない。というかそもそも「ノーマル」が何を意味してるかよくわからんので、自分としては差別的かどうかも判断しようがなかった。
日本は宗教に寛容な国であるので、境界線もあやふやで、曖昧だったりする。
例えば、イスラム教徒のことをムスリム(Muslim)と呼ぶということは知っていても、
その認識は、回教徒と呼んでいた頃から変わっていなかったりすることが多い。
襲撃を受けたフランスの新聞が、ムハンマド(Muhammad)を風刺画に書くことの何が問題か、
できるだけ、テロとは距離をおいた形で、少し話してみたい。
イスラームの話をする前に、我が身を振り返ってその曖昧ぶりを思い返してもらいたい。
まあ、宗教のテクニカルな話をすると、はてな村のギーク達は「あとで読む」を付けるだろうから、ちょっと例えてみよう。
まず、仏教には「世界はこういうものだ」という物理層がある。輪廻だとか解脱だとかだ。
モノリシックカーネルもマイクロカーネルも、OSの設計思想も、
結局のところ、ノイマン型アーキテクチャを基にした世界観の上に構築されているわけだ。
宗教とは、目の前に存在する「現実」をリバース・エンジニアリングしている。
その構造分析の結果、あるモデルにピッタリハマれば「悟った」と言われる。
般若心経は、Z80の手書きのニーモニック表と同様だと思えば、親しみも湧くだろうか。
さて、「現実世界」は中々簡単にディスアセンブル出来ないので、
できればインテルから直接、回路図なんかの技術資料をもらうみたいに、
「現実世界」を作り上げたり、その内部構成を知ってる相手に教えを請いたい。
その教えを請うことに成功したのが、預言者であるムハンマドだ。
大天使ジブリールに出会い、アッラーフの啓示を受けたとされている。
電気屋で悩んでたら嶋正利さんにCPUの論理設計について教えてもらえた、みたいなものだ。
まあこのへんでやめとくが、この教えてもらった世界の仕組みを書き留めたものが、クルアーン(コーラン)だ。
血なまぐさい話になるのでさらっと流すが、まあ日本でも大覚寺統と持明院統とが大揉めに揉めて南北朝同時成立したりしてたわけだ。
さて、「現実世界」を理解しハックしたのがムハンマドってことは、クルアーンに従って生活するのが良いわけだ。
つまり、本質的に宗教は「現実世界への関わり方」を示していることになる。
(残念ながら注釈でしか読んだことがなく、その美しいアラビア語による原典に触れたことはないが)
世界への関わり方は、時として人によって酷く違った解釈をされることがある。
デヴィット・フィンチャーの「セブン」という映画を観たことがあるだろうか?
キリスト教の七つの大罪をモチーフにした連続猟奇殺人事件と、それを追う刑事達の物語だ。
フィクションでは分が悪いと思うのであれば、エド・ゲインを思い出しても良い。
母親が狂信的なキリスト教信者であり、女性は悪魔だと教わって育ったと言う。
彼らは、その教えを忠実に守り、どちらかと言えば善意からその行為を行っている。
こうした連続殺人を観て、キリスト教信者をなじったり、キリストを風刺するのは、あまり面白いとは言えない。
彼らは、キリスト教信者ではあったかもしれないが、本来の教えとは異なる解釈をした、単なる犯罪者だからだ。
まあ、現代でもキリスト系のパロディー映画には苛烈な抗議文が届いたりするようだが、
過去、キリスト教会に対する風刺や批判は、即刻刑罰の対象になっていた時代が確かにあった。
「聖☆おにいさん」を書いたら暗殺され、それを民衆が支持する時代だ。
これは信教の自由と、表現の自由の、長い戦いの歴史がもたらした冷戦構造でもある。
表現者は、今回のフランスの新聞社への襲撃は、反対の異を唱えるだろう。
端的に言えば「オマエの意見には反対だが、それを主張する権利は命がけで守る」だ。
疎い人ほど、「ムスリムはそういう過激な宗教の人なんでしょ」という理解をする。
また、「その風刺はいかがなものか」と「表現の自由を守る」が、矛盾なく同時に主張できると判らない人も居る。
そうすると、「表現の自由を尊重しない宗教が、テロに走った」と捉えられてしまう。
「表現の自由を守るためには、テロに屈せず、また風刺画を描く」のが正しいと思われてしまう。
人は理屈ではなく感情で行動するので、こうした時に、出来る事はほとんど無い。
淡々と、「その風刺は侮辱なので訴えます」とフランスの法律の範囲内で行動するしかないのだろう。
ブリジット・バルドーは、何度もそうやって訴えられ、フランス司法はキチンと刑罰を下している。
(またフランスはユダヤ人に対する人種的差別には敏感で、割とちょくちょく出版社に罰金刑を出している)
日本人が日本を馬鹿にした出版社を襲撃する事件があれば、その日本人を非難し、襲撃された出版社側に立つだろう。
その後、日本を馬鹿にした出版社の表現の自由を守りつつ、淡々と法律に則って侮辱されたとして訴えるしかない。
今回、欧州の各種ムスリム団体がテロ行為を非難している事は、忘れてはいけないと思う。
Je suis Charlie(私はシャルリー)とつぶやく前に、Je suis Ahmed(私はアフメド)として呟いたムスリムの言葉も聞いて欲しい。
I am not Charlie, I am Ahmed the dead cop. Charlie ridiculed my faith and culture and I died defending his right to do so.
さて、未来は読めないというのが基本姿勢にあるリアル志向の皆さんコンニチハ。
たまに「まあライターも金稼ぎたいしな」みたいな記事があがるな。
「ウルフ・オブ・ウォールストリート」は観たか?
マーティン・スコセッシの映画はクセがあるのでファミリーにはオススメできねぇが、
ウォール街とはつまるところ「相手に買わせる」プロの集団に尽きると喝破したのが素晴らしい。
まず、資産運用の話をするときに「余裕資金で」とか言うものは捨てて良い。
例えば、このご時世幸運にもボーナスで30万ほど「使うあてのない金」が入ったとしよう。
この金を「余裕資金だし、今話題のソシャゲ会社の株に」とあやふやな理由でツッコむ。
まあ、2/3になったあたりで撤退できれば上出来だな。
「負けた」10万円は、夫婦2人で2泊3日のグアム旅行ぐらいは行けたカネだ。
恐ろしく高いと感じるアニメのBlu-rayボックスも、2~3個買えたな。
それはオマエの稼いだ身銭だ。
お金に色はないので、食費も教育費も娯楽費も、結局のところ同じ日本銀行券だ。
商社で小麦の輸入でもしてりゃ胃に穴が空くぐらい理解してるだろうが、日本銀行券の価値は上下する。
昭和ヒトケタの1万円と、今の1万円の価値が違うというのは、なんとなく判るだろ?
これは、つまるところ「タマゴの価値は下落し続けている」というのと同じだ。
小規模な養鶏家が、集約され大規模化され超高効率でスーパーに届くことで「価格」が同じに見えるだけだ。
つまり、今月の給料は、10年後にも同じ価値を持つとは限らない。
ごく当たり前の話をするが、中小企業を立ち上げて運転するには、カネがかかる。
土地を借りる、機械を借りる、種や苗を買い入れ、水をやり肥料をやり虫を取り育て、収穫して、より分けてパッキングして出荷する。
つまり、スタートしてから実際にモノが売れてカネが入り始めるまで、タイムラグが有る。
大抵の企業間取引は現金決済しない。普通は納品後2ヶ月遅れで入金されたりするもんだ。
で、だ。
未来に間違いなく収入があって、しかもそれが定期的な収入になって返済できる、と思った場合、銀行はカネを貸す。
なぜ貸すか。カネを増やしたいからだ。それが利子(利息)というやつになる。
そして、中小企業側も、利益は収入を増やす方向にツッコンだ方が、当然儲けも増える。
Amazonはあんなに儲かっているのに常に赤字だが、これは稼ぐよりも多く拡大しようとするからだ。
これを「設備投資」と言ったりする。
つまり、「将来カネを増やすためにカネをツッコム」事を投資という。
資金を投じるワケだ。
例えば普通預金。
利子、ついてるだろ?すごく少ないが。
あれは「投資」のアガリだ。儲けだな。超少ないが。
預金保険機構、まあほぼ日本政府が1000万までは保証してくれてるから気にすることは基本無いな。
じゃあ例えば、知らねえ奴が鯛焼き屋の開店資金として200万貸して欲しいと言ってきたらどうする?
息子が必死の顔でやってきたら、話ぐらいは聞くかもしれない。
それが、銀行のやってる「投資するに値するか検討する」つまり「与信管理」だ。
資産、あるか?
まあ、流動資産(預金など、即カネになるもの)と、固定資産(現金化に手間がかかるもの)とに分けられる。
企業では1年以内に換金可能かどうか、1年以上保持するかいくら以上かみたいな細かいことあるが忘れて良い。
ローン組んで家買ってる?おめでとう。それは固定資産&長期負債だ。
コンバインは資産だが、銀行に残ってるローンは負債だ。借金だな。
中小企業がカネを借りて運転するのはフツーだという話もした。
投資してないつもりでも「銀行預金」ってのは「投資」だって話もした。
と、なるとだ。
資産運用というのは、つまり「流動資産」を「投資」することだ。
1000万未満だし政府保証もあるしで「銀行投資」というのも1つだ。
が、その「投資」、例えば友人から持ちかけられたものならどうだ?
「オレの英会話に投資しない?3年後に給与アップするし年利2%で50万貸してくれよ」に、無条件で出すか?
担保はあるか、返す当てはあるのか、そもそも3年後に給与アップって甘くないか?とか与信審査するだろう。
そう、「サラリーマンの資産運用」とは、つまり「オレ銀行」が投資先を精査して与信管理することだ。
オマエがカネを貸し付けるんだよ。
銀行がそのカネを何に使うかは政府保証のお陰で考えなくて済む。
この銀行への貸付を引き上げて、他にカネを貸して、カネを増やす。
貸す前に審査して、貸した後に予定通りか確認するのが「与信管理」であり「運用」だ。
例えばTOPIX連動のETFを定期的に買う、それも良いだろう。
銀行と違って、個人はカネを一度貸したら貸し剥がしみたいな引き上げが難しかったりする。
貯蓄型の保険とか、貸したカネを何十年か立つ前に返せって言うと、ずいぶん減る貸付先もあるな。
その中の義伯母(義父の姉)親子っていうか、
義伯母の息子夫婦(夫には従兄にあたる)がうざい。
義伯母は明るくて子供好きで、いい人。
年に1〜2回しか会わないうちの娘や私のことを
「こんなお孫ちゃんほしいわ」とか
「こんなお嫁さん羨ましい」とか
人前で褒めてくれるし、
お年玉もたくさんくれるし、
こっそり私にもお年玉くれたりするし。
笑顔で話はするけど、上っ面。
もっとお姑さんを見習って気を使えばいいのに、
うちの娘の名前も年も覚えてない。
以前、それをちらっと夫に言ったら、
年に数回しか会わないんだし、
夫には娘1人しかいない。
義姉みたいに3人も子供がいるならあやふやでも仕方ないけど、気遣いが足りないと思う。
きっとみじめだろうから、可哀想な人なんだと思って、
その時は我慢した。
今年の1/1、義父母の家に義姉一家とうちで集まった時、
すぐに電話をかけたら、義伯母が出て快く来ていいよと言ったのに、
本当だったら、去年のうちに向こうから招待すべきなのに連絡もなく、
こちらから連絡してあげたら断るとか
本当常識を疑う。
あんまり気にしてなかったっぽい。
もう付き合いたくない。
思想的な話をすると、大きな金額を稼いだ人、高所得者は自発的に所得を放棄できる、つまり自発的に低所得者になれるのです。つまり「税金が高くなるのをわかってて勝手にいっぱい儲けた」。だからその儲けを奪っても問題ない。現在の税制哲学ではそういう理論になってます。まあ建前ですけどね。
本音のところをいいますと、制度制定は多数決で行われます。民主主義ですね。ですから圧倒的多数の低所得者が多数決という数の暴力で高所得者の私有財産をうばいにきてるんですよ。それが善だとか悪だとかは関係ありません。レスで「人間の価値はその所得ほどに差はない」なんておっしゃってるひともいますけど、そもそも人間の価値だなんてのは時代によっても文化によっても変わるあやふやなものです。自分らのやってる収奪をごまかし、自尊心を慰撫するための欺瞞でしかないです。要するに「おれたちが多数派なのでお前らは言うことを聞け」以上のシステムではありません。つまり暴力です。
人間世界は相克する暴力の応酬でしかないので、高額所得者は、高額所得者なりの経済的暴力で低所得者を蹂躙するとよいでしょう。低所得者は多数決という数の暴力で簒奪を図ってきますので、そこまでして初めて暴力vs暴力でフェアになりますね(というかもともと世界は弱肉強食という意味でフェアなのです)。
こういう記事を書くと「社会には法というものがあって」とかいう人がいますが、そもそもその法自体が参加者の合意(多数決の理論)でつくられてる暴力だという自覚が足りないだけです。だからこそある業界や分野が規制(=不遇)されたり規制緩和(=優遇)されたりするのですね。法制定(政治)の分野は基本的には数の論理でうごいてますが、まあその辺は高所得者も金をばらまくロビー活動とか経団連とかを使ってうまい具合に自分に有利な法をねじ込むべきです。また法の範囲内で自分に有利な運用をする、たとえば資産を海外に転移したり、会社組織にして税金を回避したりするとよいでしょう。
日本では資産家や高所得者に対するヘイトが高いですし高まっています。べつだん自分のことを嫌い攻撃してくる低所得者に、高額所得者が卑屈になる必要なんてないのです。できる範囲で反撃したり殲滅してください。人数が圧倒的に違うのですから、低額所得者の人生を数千人単位で破滅させても問題がありません。要するにやるかやられるかです。
別に、はてな民に相談したいと言うわけじゃないが、自分の頭を整理する為にメモ。
何回かデートして、キスも済ませて、ようやく僕のアパートでいい雰囲気でベッドインと言うところまでこぎ着けたところで、ズッコケた。
彼女とベッドの上で服を着たままイチャイチャスキンシップをしていると、彼女が急に真っ青な顔になってトイレに駆け込んだんだ。
吐いたと言えば、吐いたような感じだったが、胃液しか出てなかった。
なんとか、背中をさすったり、白湯をあげたりして、落ち着かせた。
どうも、彼女が言うには、僕とイチャイチャしている時に、昔のイヤな思い出がよみがえったらしいんだ。
といっても、僕は大したことをしてない。
彼女が『自分の性感帯はニブいかも』的なことを言ったので、それを否定して、
「きみって、じゅうぶん鋭いと思う……」
と言っただけなんだ。(それを言った瞬間は、彼女の身体を触っていなかった)
その言葉が、昔のイヤな思い出を思い起こすセリフだったらしい。
とはいえ、男関係の思い出ではなく、同性の友達に関わる話だと言うんだ。
不正確な部分もあるかも知れない。
(イヤな思い出なんだから、話し辛かったんだろう)
彼女が高校生のとき、二人の親友(仮にA子とB子としよう)と一緒に合計3人で、自殺を図ったらしい。
結局、A子と彼女は命が助かった(つまり自殺未遂に終わった)が、B子は自殺して、帰らぬ人となったらしい。
で、このB子の口癖が『わたしって、じゅうぶん鋭いと思う……』だったらしいんだ。
自殺未遂直後、彼女は入院していたため、B子の御葬式にも立ち会えなかったらしく、
それもあってB子の死を受け入れられてないのだろう。
ま、気持ちはわからないでもないが、生き残ったことで永遠に十字架を背負う必要は無いと思う。
それに、彼女が言うには、自殺するときに使った薬(毒薬みたいなもの)は、
B子がメディケアで自作して、他の二人に渡したらしいんだ。そんなヤツに負い目を感じる必要は無いよなあ。フツー。
そのトラウマを忘れさせてあげる為にも、もう一度セックスに持ち込もうと、
『わたしはあなたの手がしていることに耐えられない』
って捨て台詞を吐いて、キレながら僕のアパートから出て行っちゃったんだ。
確かに、一発抜いた今の僕なら、デリカシーに欠けてたことは分かるけど、その時はどうしても堪えられなかったんだ。
う〜〜ん。どうやって謝ればいいんだろう。。。
「ツッコミスキルを鍛えたい!」と世の中のみんながそう思ってる。何故だ?何故なんだ?ツッコミなんてお笑い芸人だけのものだろう?それともあれか、合コントークに使うのか?
いやいや。ツッコミというのは「人心掌握術」なのだよ。人を感動させ賛同させるためのな。生きていく上で必要不可欠な存在、それがツッコミスキルなのだよ。
え?「なんでや!ツッコミはそんな大層なもんじゃないやろ!」って?ノンノン、ツッコミは凄いんだ。大層なものなんだ。なのに「ただの間違いの訂正と誤解されている」んだ。
例えば。「なんでや!阪神関係ないやろ!」っていう間違いの訂正。違和感の訴えとも言えるが。まあ、芸のあるツッコミとは言えません。
この場合は相手がツッコミ待ちだからマシだけど、そうじゃない場合には?ツッコミって体(てい)で間違いを訂正したら嫌な顔されたなんてオチが見えますねえw
だから間違いの訂正に間違いの訂正をしたい。そんなんじゃねえよツッコミってモンはよ、ってね。これツッコミじゃなくてガチダメ出しなw
もひとつ例をあげようか。んーそうだな・・・例えば「人すくな!」。こういうツッコミってどうなんだ?誰にでも言えるよな?見れば誰でも分かる違和感を口にする意味ってなんだ?代弁とか?おもに代弁だな。
でもタイミングが難しい。速すぎても遅すぎてもだめ。特に遅すぎないのが大事。遅れて「人すくな!」と言うと「見りゃわかるわ」と言われるのがオチ。これではツッコミのつもりがボケになっちまうw
みんなが「人少ないな」と思いかける瞬間に「すくな!」と代弁するから賛同される。
なぜ俺はこんな話をしたのか?ちょっと考えれば分かる分析を披露するため?いやそうじゃなく、ツッコミは単なる違和感の訴えなんかじゃないってこと。それが言いたかった。
違和感を訴えるだけなら、どのタイミングで「人すくな!」と言ってもよいはずだ。訴えるだけなら簡単なもんだ。そうじゃないって。ツッコミは鋭くないといけない。
鋭いツッコミとは、人々の違和感をスッキリさせるツッコミだ。そのために絶妙なタイミングで違和感を訴えてるだけで。訴えるだけならサルでもできる。
もう分かっただろう。ツッコミは間違いの訂正でも違和感の訴えでもない。ツッコミは違和感からの解放。人々のモヤモヤをスッキリさせるから「人心掌握」できるのだ。だから人生の必須スキルなのだ。
みんなそのことを多かれ少なかれ分かってるから「ツッコミスキル鍛えたい!」と思ってる。でも間違いの訂正や違和感の訴えを頑張ってもダメなんだ。それではツッコミスキルが鍛えられない。
ここまで読んだ読者にはもう分かっただろう。ツッコミスキルを鍛えるには、違和感に着目すればいい。常日頃感じた「違和感をメモする」ことから始めてみては。
ただーし、文句を言うのではない。違和感の解決が目的だ。文句ばかり言ってたら違和感が強まるだけ。これはつまらないお笑い芸人になる罠である。
ツッコミスキル鍛えるつもりが文句スキルを鍛えてたなんて笑えない。笑えないし笑わせることもできない。これは文句たれるだけのつまらん人間から脱却するチャンスでもある。
じゃあ違和感はどうやって解決すればいいのか?秀逸なツッコミはどんな具合に違和感を解決していたか思い出してみよう。
フットボールアワー後藤のツッコミ集botをここに置いておきますね。 https://twitter.com/gotosmart_bot 好みが合わない場合は各自用意するように。
秀逸なツッコミというのは例外なく「的確すぎるwww」と笑いたくなるだろう。ただ違和感を表明するのではなく的確に表現するから「たしかにwww」と笑いたくなる。
しかも、ごく当然のことを的確に言いながらも斬新さがあるでしょ?つまり、みんなが思ってる違和感に対して、斬新な視点から的確に言ってのける。だから「たしかに!」と感動され賛同される。これが鋭いツッコミってやつ。
言い換えると、あやふやな説明しか与えない既存の認知をくつがえし、そしてスッキリした枠組みを与えることで、人々の違和感を解決する。それが鋭いツッコミ。
言われてみると当たり前だけどこれがツッコミスキルを鍛えるために重要なんよ。
ここでFAQに答えると、「世の不条理を的確に表現するだけなら批評家でもできるじゃん。でも笑えないこと多いじゃん。」そう思った?
笑える批評もあるよ。映画や音楽の評論家に多い印象があるな。批評が笑えないことが多いのは、抽象的な不条理は「みんなの違和感」として共有するのが難しいから、
視点の斬新さは必ずしも必要ないから、的確さといってもインパクトある的確さにすると暴論になりがちだから、だな。
もひとつ。「詩はユニークで的確な表現を使うけど、だからって笑えるわけじゃない。笑いなんて理屈で説明できないんだよ。」そう思った?
これはそもそも違和感がたりない。詩は美を表現するものだ。違和感が表現されることもあるが、そればかりでは美しくならない。そういうことだ。
大事なことなので2回言います。「みんなが思ってる違和感に対して、斬新な視点から的確に言ってのける」。これが面白いツッコミよ。
となれば、ツッコミスキルの鍛え方はもう完全に分かっただろう。
まず違和感をメモする。メモする時は文句にならないように。これはもう言った。普段から「おや?」と引っかかる物事にアンテナを拡げておくのがいいな。
次に、違和感を的確に表現する練習。これも愚痴にはならないように。表現に斬新さは必要ない。ここまで読んだ君なら、表現を奇抜にするだけじゃ無意味だって分かるだろ?
斬新さが必要なのは視点だ。単に表現が斬新なだけで視点がありきたりなままでは、違和感は解決されない。ありきたりな視点で解決できるならみんな違和感にモヤモヤしてない。
さて、1つの違和感に対して的確な表現を模索してると、突然頭がピカッと光ることがある。新しい視点のひらめきだ。
この回路を鍛えるために練習するのよ。1日に何十回もピカッとするようになったら人生(QOL)も変わる。
最後に、新しい視点集めをしよう。違和感とか関係なしに、新しい視点だなと思ったらメモする。自分にとって新しければどんな些細なことでもいい。
むしろ些細なことのほうがいい。エロ画像集めてると後で見たらあんまエロくないのに保存しちゃうことがあるだろ?興奮してると些細なエロでもエロく感じる。
それと同じで日頃から些細な新しさでも積極的に興奮していこう。派手な新しさの中に本当の新しさは少ない。些細な新しさの中にこそ可能性がある。
だから新しさの感度を高めていくのだ君達。ただし、フェイスブック式の機械的な「いいね!」にはならんように。それでは逆に感性が鈍くなる。
ちゃんと新しいと感じることが大事。ほんのわずかでも新しいと感じてるのを確認してからメモする。
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いやあ、みんなありがとう。以下返信。
まず「なるほど」「こういう能力が欲しい」ってコメントしてくれた人達。ありがとう。
本エントリをツッコミ待ちと解釈した人達、ツッコミ入れた人達。バレちった?w皮肉じゃなく本心なら半分正解。なかなか鋭い。
>「秀逸なツッコミ」は「秀逸」だと気付かれないツッコミです。ツッコまれた人だけが「あ、なんか話しやすい」と思えるのが理想です。目立ちたがりのツッコミは存在がうるそうなる。
確かにそういうものかも。気付かれないほうが気付かせることができる。そう思うんだ。人にツッコむときは気をつけたい。
なるほど。そういう役割もあるね。いろいろ考えてみる。桂枝雀にも興味もったよ。ありがとう。
> 要は、何か違和感のある空気となった時、違和感へ触れることがタブーな雰囲気になる前に即ツッコミをいれてフラットな雰囲気に戻す事ができる能力=ツッコミ力ということでしょうか。
あぁ、場のみんなが違和感に触れやすくする役割もあるのか。他に、触れやすくても言葉にしにくい違和感を代弁して解放させる役割もある。両方ツッコミだけど想定してたのは後者。
> 例えツッコミが復活してきたのって、流れとしてはツッコミのボケ化だと思う。ボケはほんとセンスでやる行為だから真似できない、でもツッコミは例え上手くすりゃ形は真似できる。しかし本当はそっからが大切なんだ
面白い見解だね。ボケ的センスを加えたツッコミ。高圧的に間違いを訂正するツッコミから、ボケて違和感を解放してあげるツッコミへ。
> ツッコミキャラの自負持ってる奴はたいがいクソだと思うけどね
> ツッコミは、別に鋭くなくて、場が和めば、それでOKだという考え方もある。
いやそれは本当にそう思う。「鋭いツッコミ」ってある意味鋭くないものだよな。
> フリスビーをどこに投げても取ってくれるのがツッコミなのであって、違和感だの非常識だのは関係ないな・・と思ってるのでツッコミを鍛えたいなんて思ってなくて、だから関東の人の会話はフリスビーが飛び交ってる。
なるほど。確かに相槌に近いところがある。どんな暴投でも拾ってくれる相槌。拾う気があればスキルなんて鍛える必要ないとも言える。違和感というよりもっと広く「興味」でどうだろう。
> 笑いの話でいうと、司会者気取りでつまらん無茶振りをしてくるやつが不快。ボケをやりたがる人って少ないよね。
たしかにね。ツッコミが暴力装置になっててボケは損な役回り。だからツッコミの再定義が必要。また、意図せぬボケをしても関西風に「おいしい」と思えるかどうか。
> 日常生活で「面白いツッコミしよう」って思ってる人は、99%がスベッてる。自分の周りの『面白い人』を思い浮かべてみれば、無理に面白いこと言おうとしてないでしょ
うん。身体に染みついてないとな。ツッコミは笑いの道具である前に認識様式でないと。本読む時ツッコミ入れながら理解するけど、そのとき無理してるか?って話。
> 長いよ!自称Sですと同じニオイがする
> ツッコミは多分普段からのキャラの方が重要だと思うけどな。いじられる要素持ってたら言葉に何も説得力を持たないから。
そう。世間ではツッコミキャラ=いじり役になってる。それに目指す価値があるかってことだと思う。
> ツッコミスキルで一番重要なのは、望まれないツッコミはしないということではなかろうか。
批判的ツッコミは危ないね。人々の否定感情を代弁する批判的ツッコミも誰かを傷つけうる。
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補足。
ツッコミには愛が必要って話が出たので補足。本文に沿えば愛あるツッコミとは「違和感からの解放」。一方、文句(に近いツッコミ)ってのは「常識の反復」なんだよな。
例えば、友達が何かに文句ばっかり言ってたとしよう。その人は何かに対する違和感を抱えこんでる。その違和感を直接解決するには、違和感に的確な理解や表現を与えないといけない。
だから、常識や固定観念でしか考えられないでいると、なかなか違和感を解決できないことが多い。違和感を解決できないから、文句を周りにブーブー垂れる。
また、違和感だけでなくその背後にある問題もなかなか解決できない。常識にとらわれて理解が不足し視野が狭くなってるからな。
そう考えると、文句ばっかり言うのは、SOS信号を出してるともみなせる。視野の広い人による愛あるツッコミ待ちってこと。
世の中には文句に近いツッコミが得意な人が沢山いるけど、そんな人では救えない。文句では文句への没入は救えないし、常識では常識への没入は救えない。
全録の会見動画を見たので、見るのが面倒くさい人向けに。箇条書きで。ちょっと適当だけど。
はてなブックマーク - 赤ちゃんに毎日保湿剤 アトピー減 NHKニュース
ここでされているいくつかのツッコミへの回答も会見で出ていたし。
※自分は素人です。間違った理解をしている可能性がボチボチあるので、ちゃんと確認したい人は会見を見るか、読めるならオープンアクセスになってる論文をどうぞ。自分は何回かアクセスしていたら見れなくなったよ。見たところでほとんど理解できないのだが。
括弧書きのところは私見や、わりとあやふやな理解で書いた部分。
それと最初に言っておくと、アトピーを既に発症“した”人が肌の乾燥を防ぐのは効果的である、ということとはまた少し違う話です。
http://www.ncchd.go.jp/center/information/topic/images/topic141001-1.pdf
http://www.ncchd.go.jp/center/information/topic/images/topic141001-2.pdf
(敬称略)
昨日噴火した御嶽山の山頂の写真を、噴火1分前にツイートした @setori_ 。
https://twitter.com/setori_/status/515695458128101376
噴火後、 @setori_ からのツイートはない。そのため、安否が気遣われている。
しかし、今日の未明に @setori_2 (以下、別アカ)がツイート。
この別アカは、@setori_ と同一人物によるものなのか、それともなりすましなのか。いま出ている情報では判断しかねる状況だ。
@setori_ の仮アカウントです。 避難の際、スマートフォンを紛失してしまい パスワードを忘れた為、ログインできなくなりました。 現在はPCからのログインです。
とは言うものの、Twitterはパスワードを再発行できるため、@setori_ にログインできない証拠としては弱い。
たしかに、再発行できることを知らない、もしくはやり方が分からないという可能性も考慮すべきだ。
しかし、なりすましである可能性の方が高いだろう。理由はいくつかある。
なりすましではなく本人だという可能性もあるが、ここではなりすましということにしておく。
で、なりすましだとすると、 不謹慎であることを心のなかで詫びつつ、@setori_ は一種の都市伝説になり得るのではないかと妄想を抑えられない。
今回の件で、噴火1分前の画像付きツイートとともに @setori_ は人々の印象に強く残った。
そして、なりすましに対して、驚くほど多くの人が無事を喜んでおり、なりすましと主張するユーザーを非難する光景すら見られる。
もしも、の話。最悪の事態に至ってしまったと仮定すると、 @setori_ からのツイートは途絶え、Twitterアカウントとしての @setori_ の安否情報はこのまま明らかにされないことも十分想定される。
そうすると、 @setori_ の存在が、シュレディンガーの猫よろしく箱を開けるまで不確定の状態に陥り、そして、その箱が開けられる日はやってこない。周囲の人間にとって、@setori_ が実体を伴うアカウントなのか、そうでないのか分からなくなってしまうのだ。
一方で、なりすましを本当の @setori_ だと信じる(信じたい)人々が現れている。見たいものを見るのが人間の本性で、信じるに足る根拠がないものを信じてしまうのも人間の性だ。
このまま、なりすましの別アカを「なりすまし」であると断定することができなければ、 彼らの中で @setori は無事であるとの認識が固定される。断定できたとしても、@setori_ が無事なのか無事でないのか、見解が分かれ、全てはあやふやな場所に私たちは叩き込まれる。
こんな妄想を吹き飛ばしてくれる「無事の報せ」を受け取れることを願ってやまない。
#無事という情報あり https://twitter.com/B0reus/status/516090875655368704/photo/1
# @setori_から「皆さん、ご心配おかけしましたが、今朝無事に下山しました。このアカウントは削除します。」とツイートあり。 https://twitter.com/sakaikunlovelo1/status/516131841233801216
うーん。青二才さんなんかははてなの多数派からも叩かれてるから、believemeimaliar氏やnekora氏が消えたところでそこまで変わるとは思わないかな。
私はbelievemeimaliar氏には「はてなの多数派の空気に流されてる人に冷水を浴びせる」的な役割を(勝手に)期待してた。例えば、believemeimaliar氏の「池沼」を使ってるのを批判してたdobonkai氏も、青二才関連のブックマークには「豚まんじゅう」ってタグつけてた。で、それはいいのかとbelievemeimaliar氏に突っ込まれてたような記憶があるけど(細部は忘れたのであやふや)、あんな風に良識的にふるまっているつもりの人が青二才さんに対しては「豚まんじゅう」とかタグづけしちゃうのって、はてなの多数派の空気に流された結果だと思うんだよね。なので、believemeimaliar氏が「豚まんじゅう」タグに突っ込みを入れてるのを見て、多少安心した。(彼が特定の人を池沼呼ばわりしてたのを擁護するつもりはないけど。)believemeimaliar氏本人がどういう意図でやってたかはともかくとしてね
繰り返しになるけど、青二才叩きとかは彼がやらなくてもはてなの多数派の人達がやることだから、そこは別にいいかな、と私は思います。
そういえばmasudamaster氏が以前 http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/219370777/comment/masudamaster で「青二才に対して言いたいことは私にもあります。ただ、青二才が雑魚キャラ・痛キャラ認定されてるから安心していじめようとする奴に対しては一言あるだけです。」と書いてて、頷けた。(このブコメはmememememiti氏とのやりとりの最中に書かれたものだけど、mememememiti氏がそうであったのかは流れをちゃんと追ってないので知らないけど、一般論としては同意)
飯を食いながら仕事に対する愚痴とか雑談を少ししたあと、将来不安ですよね~な流れになったと思ったら
いきなりファイナンシャルプランがどうとか、年収一千万にしたいとか語られて
複業(複数やるからこの字らしい)しないと勝ち組になれないとかアドバイスをもらった
そして小奇麗なおっさんの画像を見せてきて「僕は縁があってこの人からいろいろ学んでいます。この人は○○にある高層マンションの一番上に住んでいます。僕らもこんなふうになりたいと思いませんか?」と
最後に、今度そのおっさんの家に行って学びにいかないかと誘われたが、どのようなことをしているのか聞いてもあやふやな答えしか返ってこなかったので「考えておく」と返事をして解散した
そいつは一月3万~5万入ってくるらしい
なんなんだこれ・・・
Fランです。毎日すごいストレスをうけて過ごしています。もう放射線あびるほうがましです。
まわりはチャラいモラルのない生徒ばかりです。そんななか「真面目」だけをとりえにしています。
教員も正直有能ではありません。テストにでてくる問題を授業でいっちゃうレベルです。
もう劣等感しかありません。スポーツできることがとりえなやつばかりで自分はそうではありません。
進路もあやふやなまま、役に立つはずもない資格の取得に勉強時間を削られています。通学の時にほかの人達を見るととてもつらいです。みんなの目線が僕を見下してるんじゃないかと思うほどです
ストレスがいつのまにかたまっていたようです。メンヘラになりました。心療内科の薬を飲んでいますが、飲み続けていいのかわかりません。
友達が充実した生活をしているのをみるとつらいです。なんで自分だけこうなのかと頭を抱えています。
勉強をする気力がわきません。甘えと言われるかもしれないですが甘えでもいいです。しんどいです
自分がなにかへんなことを話していないかと不安になることがあります。
やめようかな
夢と魔法(物量)
こと、「男だけでディズニーランドに行ったら全力でモテた?お話 | nezu.log」の話なんだが、
このあと女の子のアドレスを聞いて再会するのでなければ、「モテた」とは言わない。非モテは「モテる」の定義を勘違いしている。
ネットで暗黙に仮定されているモテた/モテるは定義があやふやなので、勘違いもクソも無いだろと思うんだが、実は非常に示唆的だ。
も・てる【持てる】[動タ下一]《持つことができる意の「も(持)てる」から》
1 保たれる。維持される。「座が―・てない」
(1)人気があって,ちやほやされる。 「女に-・てる男」
(2)長くその状態を保つ。維持する。もちこたえる。 「共通の話題がなくて座が-・てない」
なんで1,2が逆になってるかは知らんが、クソ面白くもない定義なら「人気があって、好意的に接してもらえる」だ。
「モテる」は基本的には4つに分類できる。(異論は認めるので単なる分類法だが)
1,3は「複数の相手から」が必須だが、2,4は人数の多少は問わない。
もっと判りやすく言えば、トイプードルだのアメショーだのゴールデンレトリバーだのは、女の子にモテる。
これは「属性」に対して「好意的である」状況であって、複数人数から人気がある場合を指す場合が多い。
「モフモフとして愛らしい猫」がモテるのであって、「デン助と呼ばれるキッチンを定期的に荒らす猫」では無い。
つまり、かわいいキャラクターやアイコンとしての属性を愛されているのであって、具体的な特定対象を指していない。
「夢と魔法の王国に男で」の場合は、この「人気でモテる」だろう。
「ああっ女神さまっ」に出てくる「森里螢一」はやたらとモテるが、特に18巻のシュレディンガーのくじらの巻が判りやすい。
人語を解するくじらが出てくるのだが、同性かつ種族が異なる彼は、螢一と歌をうたう。
明確に好意はあるが、恋愛対象としてでも、人気があるわけでもない。
これは「属性」では無く「特定対象」として好意を持たれている状態を指す。人数の多少は問わない。
「子供に良くなつかれる」「男にモテる」等の場合は、この「好意でモテる」を指すことが多い。
一般的に話していてあまり認識に齟齬が生じない「モテる」がこれだろう。
この場合、実現の有無や実際の行動とは異なり、「そういう対象である」と見做されていれば十分だ。
具体的にはジャニーズやアイドル、一般人でも美男美女など、恋愛対象として見做されやすい相手だ。
ポイントは、第三者視点としてみる「不特定多数から恋愛でモテる」だ。
相手から恋愛対象として見られるのではなく、「自分が対象としてみた相手から、恋愛対象として見られたい」というのを、「モテたい」と言うことがある。
単独か複数かは問わない。つまり、「自分の恋愛対象から恋愛でモテる」だ。
ここだけ「不特定多数から恋愛でモテる」との違いが判り難いので、分類して説明する。
判りやすいが、「あの相手からの愛が欲しい」。狙った相手を落とす、等だ。
例えば具体的に言えば、「ジャニーズからモテるために女子力を上げはじめた独身31歳OL」が、
女子力を上げた結果、何故か「複数の幕下力士から熱烈な求愛を受け始めた」状態は、不特定多数からのモテるだ。
彼女は、「ジャニーズもしくはそれに近似する男性達」からモテたいとは思っていただろうが、関取なら兎も角、幕下力士からモテたいとは思っていなかっただろう。
全く逆に「複数の年上力士からちやほやされたい、既婚23歳主婦」が、「ジャニーズ顔の年下からモテる」のでも困惑するわけだ。
このように「自分の恋愛対象者複数からちやほやされたい」というのは、第三者視点でのモテるとは異なる。
「恋愛対象として見られることが絶無」の非モテにとって、「好意を向けられる」事そのものがレアだったりする。
だから、「自分の恋愛対象から恋愛でモテる」でも「不特定多数から恋愛でモテる」でも「好意でモテる」ですらなくても、
「人気でモテる」だけでも、十分に「オレラ今日モテてた」と言えるわけだ。
id:blueboyが言っているのは、実は2番と3番の中間で、この4分類の外にある「好意を向けられた個人を、恋愛プロセスに載せる」を指している。
(複数の相手と連絡先を交換したでも、相手からアドレスを聞かれたでも無いところがポイント)
大抵は曖昧なママなんとなく使っていることが多いので、別に雑談ならクソみたいな話題だが、辞書に載っている意味以外の「オレ定義」を説明せずに「定義が違う」と言う上司は嫌われる(偏見)
(上の4種類は単なる分類法だから、それに当てはまらない定義があって当然。曖昧な単語を曖昧なままやりとりするとフワフワするという意味)
「人気のモテる」「好意のモテる」「恋愛対象としてのモテる」「自分の恋愛対象からのモテる」は全て違う。
今回の「夢と魔法(物量)」は、「人気のモテる」であって、「大量のミッキー帽軍団」がモテていた。
ふなっしーが幼女とLINEアドレス交換してたら物議を醸すのと同じように、今回恋愛対象者を探すつもりで企画していたら、Twitterでの評判は違ったものになっていただろう。
ただ、4~5人のグループが「人気」で興味を持たれて、「好意」に変わることは良くあることだし、
そもそも恋愛対象外であったり種族が違っていても、友好的な雰囲気での接触は精神的な安定をもたらす。
つまり何がいいたいかというと、「異性」とここまで書かなかったように、男は女の連絡先を聞いてなんぼという昨今政治的にも正しくない昭和な価値観の奴が上から目線で「非モテ」とかdisってんじゃねえよ。
はい、いきなりはじまりましたが、一応ラノベ業界人です。エロゲ業界にもちょっと関わってたり知り合いが多かったりもします。
で、どうやばいのかというと、何がヒットするのか完全に手探りすぎてやばい。
それでも面白けりゃヒットすんだろ。だなんて仰られる方ももいらっしゃるでしょうが、面白いのにヒットしない作品もゴロゴロしててやばい。
何年か前、プロ野球史に名前を残したある大打者が、その年打撃好調だった若手に対して、「打ててる根拠がない」と苦言を呈したのと同じで、いまヒットしてるラノベの大半が、「売れている根拠がない」状態でよくわからないまま数字を伸ばしている。
もっともらしいヒット要因を挙げようと思えば挙げられはするけど、それってヒットしなかった作品にもあてはまるからややこしい。
学園ラブコメや謎部活をやらせとけばよかった時期はとっくに過ぎてしまった。
一部レーベルは萌え風味のファンタジーをプッシュしているが、あれは要するに、根強いファンがある程度存在するであろうファンタジーに、自レーベルがノウハウを蓄えている萌えをプラスすることで手堅く読者を獲得しようという守りの戦略に他ならない。
そんなんじゃブームは起こらないし業界の主流にはならない。需要に応えてるわけじゃないからね。
そういう傾向はエロゲ業界にもあって、「なんで売れてるのかわからない」状況が続いているというようなことを知人はいっていた。
「“面白くないのに”なんで売れてるのかわからない」というやっかみみたいな話じゃなく、ヒットを飛ばしている側の人間もたしかな売れてる要因を捉えきれなくて困惑気味だったりする。
よく言われる絵が良いとかヒロインがかわいいだとか、そんなあやふやなのはわからないのと一緒だよ。
だから、ラノベ業界は人気WEB小説にこぞって手を出す。たしかなものを捉えたくて。
~~だから売れている。~~だから人気がある。というヒット要因が、WEB小説は商業よりもわかりやすい。わかりやすいように見える。
いわゆる俺TUEEEだとか異世界転成だとかそういうの。
で、それらの特徴を商業でも取り入れようとしてる人たちも現われたんだけど、あんまし上手くはいってない。投稿サイト発とちがって思ってたより需要がないっぽい。
いまの商業ラノベは、つまるところ、面白い作品も面白くない作品も、売れるか売れないかが運のようなあやふやなものに左右されすぎててやばい。
それから、学園ラブコメブームに乗ったつもりであぐらをかいちゃってました。そういうのを安定して書いていけば長く食っていけると高をくくってました。
ごめんなさい。
※思ったより反響があったので追記
学園ラブコメというのはひとつの例ですけど、ヒット作を生みやすい枠があって、その枠の中でのクオリティアップやインパクトの発生に力を注いでいればそこそこ安定して売れた時期はたしかにありましたよ。
そのころの成功体験が忘れられない人たち、会得したラノベのセオリーをは見直せない人たちはだいたい苦労してますね。
実質ゼロからのスタートに戻りはじめてるのに、そこに対応し切れてない人が業界に多すぎるのがやばい。
見方を変えればチャンスなのに、オタクさんたちに間でさえラノベに対する偏見が目立ちはじめてるのがやばい。
組織に少々問題あり、兵器にも少々問題あり、それなのに結果としては戦争には勝っているようなもので、言いしれぬ不安と隣り合わせなのがいまこれからのこの業界ですよ。
下のYoutubeの渡邊社長のインタビューを聴いて、納得感があった。
「無理をすることで成長する」
「愛情」として、追い込んであげているようにもみえる。
たしかに、出来ないヤツ、は辞めればいいのであって、こういうトップは居ても良いのじゃないのだろうか。
http://www.youtube.com/watch?v=_CCSXIE82UU
なんだろう、釣りじゃなくて、Youtubeに批判的なコメントばかりが乗っていることが不思議でならない。
夢を持つこと、頑張ること自体を否定してはいけないとおもった。
自分の考えが間違っているのなら教えてほしい。
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ブコメみたけど(魚拓:http://megalodon.jp/2014-0520-0836-20/b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20140519120512)
2)「ならワタミに転職すればいい」などという、意味のない批判(この人はワタミ以外の会社すべてに転職願望があるのだろうか?)
3)議員になれば正当化されることはないなどという、コミュニケーション障害のような批判
が、ほとんどですね。
世の中のなんにでもピーピー文句言って自分を甘やかしたいクズ人間なのでしょう。
彼らは夢もって真剣に頑張ったことは一度もないんだろうなと感じました。
他の視点としては、
「少数精鋭組織の原理を大企業となっても維持しようとしたことによる歪み」との意見。
リクルート、楽天、サイバーエージェント、KDDIへの批判者と同じですね。
いわゆるマインドが強い会社が苦手で、キーエンスのようにマインドじゃなくて「金と規律」で支配する会社が善だと思ってる輩ですかね。
そんなの一つの好き嫌いの話ですよね。
「ブラック」というあやふやな定義のなかで、祭り上げられた犠牲者が渡邊美樹だと感じました。
とわいえ、ネットの一部でしか叩かれない小さな話なのでしょうね。
今回投稿してみて、いわれない批判にさらされているのだとわかり、渡邊美樹擁護派に変わりました。
ありがとうございました。
ただ、一部の世間イメージが悪いので堂々と渡邊美樹は正しいなんていえないだけだとわかりました。
◆0,艦これについて
『艦これ』が一部界隈で話題になり始めた直後にプレイし始め、継続プレイ約1年ちかく。
小規模ゲームであるにも関わらず、すさまじい数のプレイヤーが遊ぶ人気ゲームとなり、
小規模な運営も火の車状態でなんとか回している・・・という現状。
また、ゲーム内容についてもその辺のすぐに「いいから金を出せ!」という化けの皮が剥がれるゲームに比べれば
はるかによく出来ていると思う(実際私も2000円で入渠ドックを2つだけと、関連グッズ、公式書籍等何点か購入しただけで1年近く遊べている)。
しかし、元々「さっさとたたむつもりだった」(白書インタビューより)からか、1周年を迎えた『艦これ』は
いちプレイヤーから見ても「やや雲行きが怪しくなってきた」と感じる。
以下はあくまで私がいちプレイヤーとしてプレイしていて感じた点であり、
決して『艦これ』自体のアンチである、萌えミリアレルギーというわけではない。
艦娘の強さに関しては、ゲーム開始時に規定された数値が継続して使用されている。
だいたいは元になった艦種ごとにスペックを算出し、基礎値+近代改修値(合成)が限界である。
この数値はゲーム開始時に設けられたスペックを使い続けているものであり、新鋭艦でもそれほど大きくは変わらない。
それ自体はキャラゲーとして見れば許容範囲だろうが、この問題は以下で述べる2,3の問題点により構成されている。
要約すれば「新装備・レベルキャップ解放のないMMO状態」である。
現状でプレイヤーが組める最強のパーティーは戦艦・空母編成であるが、その戦艦/空母編成を遥かに越えて敵だけが
インフレしすぎている、というような問題が発生しているためこの後はもう泥沼になる様しか想像できないのである(詳しくは3で述べる)。
キャラゲーとして「好きなキャラを強くする」にも、2の問題が引っかかり数ヶ月単位の時間がかかるという延命仕様であり、
これからアニメ・グッズ展開などをかけていくにあたって「ゲーム自体が落ち目のMMOのような空気」を漂わせるというのが問題点だ。
また、平然とイベントなどで採用されるようになった「司令部レベルで敵の強さが変わるが、報酬は共通」という仕様も悪手で、
早々にプレイヤーが動かせるコマが頭打ちになってしまうので「一部の艦娘を入手し、育てたら後は司令部レベルを上げない」というのが
イベントを楽に攻略する手段だと言うのだからもはや笑うしかない状態である。
そもそも司令部レベルが高くて何故敵が強くなるのか?何故報酬が同じなのか?一切設定や「リアリティ」では説明が付かないし、
艦娘の強さは司令部レベル20でも50でも80でも頭打ちですよ、という話だ。
◆2,「新装備」が入手できない
とにかく「新装備」が手に入らないことが、先に述べた艦娘の強さの頭打ちを更に強めている。
例えば「20.3cm(3号)連装砲」は重巡を少しでも強くしたいプレイヤーにとっては欲しい装備であるが、
この装備は現状手に入れる方法はA,ランキング上位報酬 B,三隈(改)の初期装備 C,利根/筑摩(改二)の初期装備 D,衣笠(改二)の初期装備 の4つだけである。
Bは三隈を入手するというステップ自体が大型建造という全く割に合わないガチャを回すかドロップ堀り、
Cは勲章4つ(通常プレイでは2個/月でしか入手できない)、Dは非常に高いレベルまでの育成を必要とするため余程の根気が必要である。
ではAはどうなのかというと、サーバーにもよるだろうが「ランキング上位者はありえない量の戦果を稼いでいる」のである。
(参考までに述べておくと、横須賀サーバーではランキング1位は4月の集計時に6000近い戦果を稼いでいる)
これらのプレイヤーは24時間張り付いていたとしても手動では稼ぎ得ない戦果をたたき出し、その数値が他のプレイヤーからでも
参照できてしまうという状態、要するに「不正プレイが横行しているし、それをユーザーも確認できるが野放しにされている」という状況。
ほぼ現実的にレア装備を入手しうる手段であるランキング上位報酬も、多くのユーザーが不正プレイを使って優先的に取得している、という状況は
あまりにもまずい、というか普通のMMOなら大炎上不可避なレベルの事態ではあるが、『艦これ』では常態化している。
まあ、これは良い。好きなゲームだから太平洋よりも広い心で許すとしよう。
さて、このレアな装備を「先行」実装した時にははっきりと「将来的に他のプレイヤーも入手できます」と明言されているが、
上の例で挙げた3号砲が最初に配布されたのは2014年4月のランキング報酬である。
つまり、1年以上の間「先行」配信を受け取る資格を得た上位ランキングプレイヤー以外はB,C,Dのうちいずれかで
膨大な手間をかけてやっと1つ入手可能なのである。
これは他の装備(試作晴嵐)などでも同じで、ランキングに入賞できないプレイヤーは入手機会は未だに「イベント」か関連艦娘の装備だけである。
このような状況から、とにかく「自分の好きな艦娘を集め、一番良い装備をさせる」ことも非常に難しい。
元々『艦これ』が流行った要員に「キャラゲーとしての楽しみ」があるのは間違いないにも関わらず、
「好きなキャラを強くする」ことができる可能性が非常に狭められており、プレイしていてストレスに感じる。
「史実」という言葉がある。艦これに登場する艦娘は過去WWⅡにおいて建造された艦をモデルとしており、関連した能力を持つ。
これは『艦これ』というゲームの大前提であり、敵とステージもそれをある程度共有しているのが世界観としての約束であった。
この「史実」をモデルとすることによる豊富なバックボーンは多くのプレイヤーを惹きつけた要素となったわけだが、
残念なことに現在ではこの「史実」はプレイヤーを縛り付けるための方便だけに成り果てている。
『艦これ』では、プレイヤーが敵艦が跋扈する海域に突入し、連戦をくぐり抜け最終的にボスを倒す、というのが目的である。
一度でもゲームを製作したことがある方にあっては態々言うまでもなくご存知のことと思うが、プレイヤーのヘルス=敵のヘルスではない。
プレイヤーのヘルスは最後のリスポーンポイントからそこまで来るだけのバリューを持っており、リスポーン可能な敵のヘルスは軽い。
しかし、このゲームでは後半の海域に差し掛かるに連れて「味方よりも高いヘルスを持った敵」が平然と出現するのである。
『艦これ』がアクションゲームでなんとかガードを決めればどんな攻撃でもダメージ0どころか反撃できるとか、
プレイヤーの卓越した作戦でうまく行動する前に叩き潰せる等の方法があればこの構造は「ボスモンスター」として問題はない。
プレイヤーが艦娘たちの戦闘に干渉できるのは戦闘前の陣形決定ボタンを押すのみで、押した瞬間に勝敗は決するうえ、
味方の艦隊は敵陣の奥深くに切り込めば切り込むほど燃料・弾薬が減って不利になっていく。
そこで「何度も」味方のキャラクターよりも絶対的に強い敵が登場する、というマップ設計はゲーム制作素人どころの話ではない。
2-4などのようにボスとして配置するならまだわかる。
プレイヤーが使える艦娘は実質的にヘルスのキャップ値は100であるが、これら敵艦は平気で100を越えたヘルスを持つ。
更に道中で連戦・攻撃力も高い・避ける方法はなしとなればプレイヤーサイドでできる事は最早
「一番スペックの高い艦娘を並べて敵が攻撃を全部ミスすることを祈る」だけである。
先に述べたようにはっきりいって『艦これ』のゲームとしての戦略性は下の下どころの話ではない。祈るだけである。
いわば「味方を一切操作できないWizシリーズで何の対策もなしにクソ固いボーパルバニーと連戦」状態だ。
その状態でいくら「強敵」を出現させられても、「高難易度でやりがいがある」とはならずただ面倒なだけである。
そもそも、長門の2倍のHPを持ち、加賀の2倍の艦載数を不自然に一箇所に割り振られ、軽巡以上の対潜能力を持った艦とは何なのか?
帝国海軍が戦っていた相手にビッグセブンをはるかに越えたスペックを持つそのような化け物が居たということなのだろうか。
残念ながら筆者はWWⅡの時代の艦船の専門家ではないため、そのような存在がいたかどうかについては判断のしようがないのだが。
そして一方で、味方のステータス、装備はいつまでも「史実」に沿った数値のままで一向にパワーアップしない。
ケッコンカッコカリなどのシステムが追加こそされたものの、上がるステータス自体は微々たるもので
一部『if改造』の入った大井・北上は超パワーアップを遂げたという例を除けば「史実」は多くの艦娘にとって
実質的な「能力キャップ」として機能するだけのペナルティと化している。
戦艦で最強クラスの大和・武蔵が実装され、この「史実」をモデルにしている以上プレイヤーにはこれ以上強い戦艦は手に入らないのである、
それこそ大和が宇宙戦艦になったり武蔵がゲッターロボに乗るif改造でもなければ。
◆4,艦種の扱い
・大艦巨砲主義化
上述した難易度調整の結果、一部の艦以外の存在意義は非常にあやふやで、
周回して何度もボスドロップ等を入手しようというプレイヤーでなければ戦艦・正規空母以外を使う価値は非常に薄い。
そもそも強い強い敵と正面から殴りあうしか攻略が無いので、耐久と火力の高い艦以外は後半海域になると一気に出番がなくなる。
既存のマップがほぼすべて「戦艦や正規空母を含む敵と連続で会敵し、戦う」という構造を取ってしまっているため、
駆逐・軽巡などは道中に潜水艦が居る場合でもなければ入れる価値が非常に薄い、ただ大破撤退を引き起こすキャラと化している。
その潜水艦に関しても後先考えない実装をしたせいで味方の潜水艦だけは一瞬で敵駆逐・軽巡に大破させられるキャラとなっており
(対潜水艦装備をしていない駆逐・軽巡でもどんどん「敵だけは」攻撃を当ててくる)、通常マップではかなり有用性が薄い。
実際に後半海域で出番が回ってくるのはごく一部の戦艦娘や大鳳と赤城・加賀を除けば大井・北上ぐらいのものである。
一般的なMMOで「終盤MAPでジョブや装備が絞られる」というのはまだわかるが、『艦これ』のゲーム性はそこまで深くない。祈るだけだ。
艦これがウケた理由の一員である多種多様なキャラクターたちは実質的に後半海域では20人以下まで絞りこまれ、
後は後述するハンデキャップマッチのお荷物役にしかならないというのはキャラゲー部分にも影を落とす設計である。
空母が烈風ガン積みで制空権を取ったら戦艦だけが殴りあう。WWⅠどころか大航海時代レベルの海戦ゲームである。
・艦種縛り
代表的な例としては、3-2をクリアするために必要な「駆逐艦縛り」などであるが、これらマップは「史実」をベースにしたと言われている。
このキス島作戦の時点で駆逐艦を編成して突入しても普通に戦艦と遭遇し、ここをいかに中破で乗り切ってくれるか祈るだけ・・・というマップ構造になっている。
しかし、モデルになったと言われるキスカ島撤退作戦では駆逐艦は敵艦には「遭遇していない」。
これを再現しろというのはさすがに無理だが、後々の艦首縛りマップでもだいたいの場合普通に敵主力とは会敵し、撃破する必要がある。
結局のところ、この「艦種しばり」も「史実」にかこつけたプレイヤー側への一方的なハンデキャップであり、
将棋で言えば飛車角落ち、ひどくすれば金銀桂香全落ち程度にまで行くというのが実情である。
お荷物を抱えれば道中を通過しやすくなりますよ、というのが2-4以降での方針らしいが
自分の好きなキャラクターをお荷物扱いされて気持ちの良い人がいるのだろうか?その辺りの考えが非常に浅い。
駆逐艦縛りや軽巡縛りにすることで事前工作活動を行い、主力攻略を有利に進められるようなシステムであれば良いものだが、
残念ながら現状の『艦これ』の戦闘は操作不能のボーパルバニー連戦モードだけである。
また、重雷装巡洋艦は先手で敵の数を減らすまたは削れるというかなり強い特徴を与えられたのに対し、
航空巡洋艦は非常にその特徴が薄く、いつまでも劣化重巡のまま(そしてその重巡も戦艦の劣化版)である。
申し訳程度に引き上げが入ったものの、早々に"if改造"が適用された雷巡とは違い劣化重巡、ひいては劣化戦艦という色が強く、
専用装備である水上機は2で述べたようにほぼ手に入れる手段が皆無ときている。更に言えば、弱い。
開幕の爆雷攻撃で落とせるのは精々低レベル雑魚駆逐のみであり、更に潜水艦がいれば無意味な攻撃を繰り返すという仕様で
どうもこのあたりから「開発方針を決定する人のお気に入りかそうでないか」という格差を感じるのである。
どうも最近の新規マップを見る限り、開発方針は「ドラム缶でも運んでろ」という事らしいが。
このあたりの艦種縛りに使うために都合よく部分的に引用される「史実」と、
その史実から外れることができる・できないの基準が不明瞭極まる点がプレイしていて非常に不満点として持ち上がってくる、
というか2-4実装までとそれ以降で明らかに設計基準が違うことを感じるのである。
特に後に実装されたものになればなるほど「史実」を使った理不尽なプレイヤーいじめがひどく、
敵は好き放題パワーアップしていくという印象が強い。
0で述べたように艦これの運営はオーバーキャパ状態で回している。大変だと思う。
いつも新規解放などに追われていて、大変そうにしている・・・それはわかる。
が、艦これの運営新実装に関するアナウンスはいい加減で、「かろうじて嘘はついていない」レベルのものが多い。
2で述べた「先行配信」で1年以上、勲章実装時の「持っていたらいいことがあるかも・・・?」からの後出し設計図。
新装備実装の「~するといいことがあるかも?」というような物言い。
元々『艦これ』自体がかなりマスクデータの多いゲームで、プレイヤーは解析でもしない限り情報を与えられないが
(事実として公式に轟沈の発生する条件も未だに伏せられているままである)、その中で公式の物言いが
「ギリギリ嘘ではない」レベルのアナウンスを運営スタッフにさせる点はかなり不誠実な開発方針である。
「運営は大変そうだけど開発からのアナウンスがあまりにも不誠実だよね」という点は間違いなく艦これ運営の問題点だ。
なんとなく維持運営が大変そうなので心情的に同情してしまいがちだが、その影で開発からのアナウンスに関しては
後出しでイベント報酬を追加する、後出しで勲章を重要アイテムにする(うえにリアルタイム縛りにする)、
決して嘘は言っていないというレベルの適当な新装備の説明、先行実装(1年)という装備の出し渋り等、枚挙に暇が無いのである。
twitter上だとアカウントがひとつで巧妙に偽装されている上に、だいたいここらへんの不満を率先して
袋叩きにしにくる憲兵が居るので口が裂けても言えない話なのであるが。
◆まとめ
まとめると、2014年5月現在艦これはアニメ化、グッズ展開、コミック展開等をかけていくに「これから」という時に
肝心のゲーム側の鍍金がボロボロと剥がれ、末期臭を漂わせながらキャラゲーとして楽しんでいる人にまで影を落としつつある。好きなキャラが使えないのだ。
コミカライズやこれから放送されるアニメ、同人誌や関連グッズだけで『艦これ』に触れる人は良いかもしれない。
だが、その一方でゲーム本編ではどんなかわいい新キャラも潜水艦退治かハンデキャップマッチ以外に仕事がなく、
そのキャラが気に入っても全く強くすることはできず、嘲笑うかのように敵は遥かに強いものが出現する。
強い強い深海棲艦に比べあまりに艦娘は貧弱で矮小、無限にリスポーンする敵に対して一度死ねばロストという儚いもの。
肝心のゲーム部分で「艦娘」というキャラクターの価値を落とすようなことをしているのは非常に残念、というのが私の思いである。
「プレイヤーがどんなにキャラクターに愛着を持っても、開発方針がそれをシステムで
徹底的に否定するようなアプデ・イベントを繰り返すのはやめてほしい」、ただそれだけの話だ。
なかなか厳しいですね。就活してみて感じたのは、志望度高いからといって採ってくれるわけではないということ。
SEという仕事は、乱暴に言えば、仕事を発注してくれた人の業界について勉強し、
ここが魅力的だなと思います。もともと好奇心強くて、色々なことを知るのが好きだから。そして、改善点はここかなとかいつも考えている方だから。業務効率化っていう言葉に惹かれます。なんか。
あと、私としてもSEに対する志望動機と御社への志望動機は分けて考えてますよ。選考受けるときはこんなぼやっとしたこと言いません。御社が第一志望である学生として、採用HP見ながら必死で、論理的な志望動機考えます。昨日はメーカーの営業でグローバル!とか言ってても。
ただ、そんな偉そうに言うなら、企業側も実際に働くイメージが掴めるような、事業や仕事内容をもっとわかりやすく伝える努力をすべきだと思います。あんまりわかりやすくしちゃうと、学生が引いてしまうからあやふやにするんですか?
匿名じゃないと書けないのでここに。
先に書いておくと、ゆうきまさみの漫画版も映画は1も2も、横手美智子の小説も俺は好きだ。
解説というか考察なんだけど、結論を簡単に言うと、「パトレイバーという物語がまがい物についての物語だから」ということになる。Xのようで、Xじゃない、というやつだ。
例えばみんな大好き劇場版1だと、「警察官というより正義の味方」が活躍する。警察官のまがい物なわけだ。特車二課はどの媒体でも「こいつらおまわりさんです」と言われる組織で、警察官のようで警察官じゃない、でも本人達は警察官として一生懸命やっている。
劇場版1の犯人は本来「存在する人間のようで存在する人間じゃない」キャラクタであった。背景は、88年の東京のようで、88年の東京じゃなかった。こう考えると「この物語はフィクションである」という例のあれも、まがい物の物語を補強しているように思える。現実のまがい物としてパトレイバーの物語は存在する。
パトレイバーの多くに存在するテーマとして「まがい物なんだけど、どうしたらいいんだろう」というのがある。一つの例がパト2で、「軍隊のまがい物なんだけど、どうしたらいいんだろう」という自衛隊と特車二課の立場を描いている。特車二課は警察とは思えない37mm砲という物騒な武器を持っているが故に、軍隊のまがい物でもあるのだ。
あやふやでどうしようもない、それでもなんとかしなきゃ、なんとかしなくちゃ、なんとかしよう、とした結果、という物語だ。それは「クーデターのようで、クーデターじゃない」状況下で描かれる。
漫画版パトレイバーだってそうだ。「俺たち警察官のまがい物、あっ軽い人々なんだけどどうすりゃいいんだろう」というのが、22巻をかけて「正しい資質を持つ人」に成長する、パトレイバー全体のテーマを表現した素晴らしい作品だ。なお、敵は、「大人のようで大人じゃない」子どもの内海だ。
で、実写版だ。「初代のようで初代じゃない」「俺たち特車二課第二小隊のまがい物なんだけど、どうすりゃいいんだろう」というのが、おそらくテーマなのだろう。
最近の発言を見る限り、押井はどうやら、「若者はまがい物でしかなくて困っている」と思い込んでいるらしく、それに対して「まがい物なりになんとかなるんだ」という話をやりたいらしい。例えば、本田圭佑は中田英寿のまがい物として困っている、ようなのだ。彼の目からすると。そんなことないと思うけど、確かに本田はどうしたって、中田と比較され続ける。それについて、何か示したいのだと思う。パトレイバーとしても、この展開は珍しいことではなく、近頃の若いもんはと榊が文句を垂れる整備班がいる。
だから、実写版が世界観だけ流用したパラレルワールドでも、野明や遊馬を俳優がやるわけでもないのは、それこそがテーマだからだ。なんで明は野明じゃないんだ、パチモンみたいな名前を使いやがってと言われること自体が実写版パトレイバー全体の物語のスタート地点だからだ。だから、実写パトをdisりたいなら、そこをdisってはいけない。それこそ押井の思う壺だからだ。押井の大好きなジョゼ・モウリーニョが「お前は選手から非難を逸らそうとして逆に選手が非難されている!」と非難されることによって結果的に選手から非難を逸らすというハメ手を使うのと同じように(真にモウリーニョの戦術を無効化したいのなら、モウリーニョを完全無視して選手を非難し続けるしかない)、押井は完全に思える罠を用意した。お前達が三代目のまがい物性について非難すればするほど、物語の足場が固まるぞ、というわけだ。
ただ一つ疑問に思えるのは、押井がゆうきも言外に「わかってない」としていることだ。ゆうきは、少なくともパトレイバーとグルーミンで「まがい物」とか「何者にもなっていない者」が、「本物」や「何者か」になる物語を巧みに描いた稀有な人間だからだ。ああ、バーディーのあの可愛い男の子もそうか。もし、俺の考察が正しければ、実写版パトレイバーはもっともゆうき的な押井の作ったパトレイバーになるはずだ。まあこの考察が間違ってるんだろうね。