はてなキーワード: ふなっしーとは
通じないかもしれない年齢を「起きたのが11歳以下である」とする、なぜならインターネットに触れてないだろうから
若者を、中学生(14歳)高校生(17歳)大学生(20歳)新卒(22歳)とする
裸になってなにがわるい
(いつやるの?今でしょ!)
(倍返しだ!)
(バカッター)
(ふなっしー)
STAP細胞は、ありまぁす!
ンァッ! ハッハッハッハー! この日本ンフンフンッハアアアアアアアアアアァン!アゥッアゥオゥウアアアアアアアアアアアアアアーゥアン! コノヒホンァゥァゥ……アー! 世の中を……ウッ……ガエダイ!
どうして解散するんですか?(小学4年生)
まな板にしようぜ
あぁ^~心がぴょんぴょんするんじゃぁ^~
(ポケモンGO)
このハゲーーー!
わーい! / たーのしー! / すごーい!
止まるんじゃねぇぞ…
さてはアンチだなオメー
NHKをぶっ壊す
シャミ子が悪いんだよ
密です
特に2011年は、地震自体は高校生でもうっすら覚えているらしいけど
また2014年は大学生◯ですが、ぶっちゃけ通じないほうが圧倒的に多いです
そう考えると怖いですね
私も今の部署に移動してからたまに自社キャラの中の人担当になって正直めっちゃ楽しい。
他の着ぐるみ見る機会があると盗める動きがないか目で追うようになったり、自分が思ってる三倍くらい大袈裟に動かないと着ぐるみとしては地味に見えるんだなとかいらん知見を得たり。(中の人目線で見るとふなっしーの運動量はマジでやばい)
専属じゃないからたまに同じ着ぐるみに別の男の人入るときもあるけど、それ見てると着ぐるみ側からガッツリ子供にハグしにいってたりしてて、その辺の距離加減どの位が適切なんだろうとか考えたりもする。
うちはクリーニングは専属の業者さん行きだけど、元増田洗濯まで任されてなかなか大変そう…素材的にもあれだけど外に干して中の人身バレとかは平気なんだろうか?
「あのさ、できたらでいいんだけど」
「突然なんだけど、明日◯◯ちゃん(市のご当地キャラ)の中に入れたりする?」
うちの旦那は市役所職員なのだが、どうも祝日にイベント対応する人が調整しきれなかったらしい。
うちのご当地キャラはかわいい。めちゃかわいいのに、あちこちのイベントに貸し出されては、ぼやーっと棒立ちしてるのをよく見かけていた。
中に入るのはプロではなく、イベント担当課の若手職員らしい。しょうがないよねとは思いつつ、◯◯ちゃん大好きな私としては、「◯◯ちゃんは、本当はもっとかわいいのに!」というモヤモヤを感じていた。そこにやってきたこんなチャンス!乗らない訳がない。
「いいよ!やるよ!」食い気味に返事をすると、「え?いいんだ?」と逆に旦那が驚いていた。
イベントは明日である。すぐに「着ぐるみ、動き、かわいい」などのワードを検索しまくり、イメージの◯◯ちゃんの動きを固める。着ぐるみに入ったことはないが、高校、大学と演劇部だったのだ、手は抜きたくない。
イベント当日、生まれて初めての着ぐるみ。上手く言えないが、着るというより装着するといった方がいいような作りである。パーツを、ひとつずつ身につけ固定する。最後に装着した頭は大きくバランスをとるのが難しい。視界も悪い。また想像以上に手足の可動域が少なく、身体との密着感も悪いため、動きも伝わりにくい。
突然着ぐるみになった妻を案じて、アテンドの旦那が会場まで丁寧に手をひいてくれる。こんなやさしくリードされるのは10年前の結婚式以来である。
そしてやっとこ会場に到着したのだが、到着した瞬間から私の気持ちはもう完全に◯◯ちゃんである。
身体を左右にはずむように揺らし、短い手をぶんぶん振り、頬に手をあて首をかしげる。小さなこどもと握手し、一緒にぷよんぷよんと飛び跳ねる。待機時間であっても棒立ちはせず、身体を左右にゆらしルンルン♪♪とかわいさを表現する。会場のあちこちから「かわいい〜!」と歓声があがる。
途中、楽しさのあまり、リアクションがふなっしーに寄ってしまい「え!動きすごっ!!」ってツッコミが聞こえた。危ない。
また、◯◯ちゃんと同化しすぎて、「なんかさ、ときどき「えっへへ♪」とか小さい声が中から聞こえるから」と注意された。完全な無意識である。怖い。
体力も相当使った。真冬だというのにぬいぐるみの中は暑い。毛皮着てダンスしてるようなものなのだ。ようやく脱がしてもらったときには、濡れたボブの髪から汗がしたたり落ちるような状態で、「うわっ、中から米津玄師でてきた!」と旦那が変な驚き方をしていた。
私のやった◯◯ちゃんは大変に好評で、「次回もこんな動きを期待されたらどうしよう。役場にそんな人材いない。」と心配の声が出るくらいのデキだったらしい。満足である。
たくさんの人とたくさん遊んでもらった◯◯ちゃん。今は洗濯されて、我が家のベランダに干されている。偶然の機会がめぐってくることがあったら、また一緒に遊びたい。
飛島の全2名の生徒(A君と彼の姉のMさん)のためにふなっしーその他が運動会に参加した24時間テレビの放送で、運動会終了後Mさんがふなっしーを指して「友達が出来たみたいで嬉しかったです」って言って泣いてるところ映されてた。やっぱ精神的には友達いないって過酷だったんだろうな〜。http://john173.blog.fc2.com/blog-entry-757.html?sp
ふと昔のVに関する記事を追っていたら2018年の以下の記事が見つかった。
Vtuber市場、供給過多で早くも飽和気味 : 市況かぶ全力2階建
https://kabumatome.doorblog.jp/archives/65925486.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/kabumatome.doorblog.jp/archives/65925486.html
当時のコメント欄が未来を見通していたり、あるいは全く外れていたりして面白かったのでコメントをとりあげて語ってみたいと思う。
・順調にセカンドライフ化していってる。
セカンドライフとの比較が結構見られた。確かにこの時期はいろんな企業が独自にVを立ち上げたりしていたので、そう感じたのもわかる。実際マネタイズがうまくいかなくなって消えていった事務所も見てきた。
潜在需要をうまくマネタイズできたのがえにからやカバーなのだろう。
・んで比較対象にセカンドライフ?あれはオンゲーでしょ?Vtuberはどういうものか皆ちゃんとわかってる? / だからyoutuberの枝分かれした1ジャンルに過ぎない言うてんのに何勝手に大きな期待して勝手に失望してんの君ら。
この見方は正しかったと思う。自分も動画製作者・配信者・ストリーマーのバリエーションのひとつと見てる。そしてここ数年でこのジャンル自体が大きく成長したのだと思う。
・結局先行者だったキズナアイとソレに続いてクラスタ分けされた、シロ・アカリ・ルナ、あとはこれらの環境をはじめて一人でやってしまった元祖バ美肉のじゃおじ、くらいしか生き残らなさそう。
・新しい文化はゆっくり醸造していくものだからな。今はガートナーのハイプサイクル的には失望期に向かってる。あと5年は掛かるんじゃね/現状は素材提供する受託側が儲かる状態/四天王と委員長は絶対安全圏だな
泣いていいか?
この頃には既に流れが来ていたが、2018年以降生配信の2DのVが業界を席巻するようになり、四天王は相対的に影響力を弱めていくことになる。
コメント欄で全く言及もされていないホロライブがここまで伸びると予想していた人はいたんだろうか。
・Vtuber総数は推計5000人、に驚愕。そりゃ多過ぎだな…もっとも、YouTuber自体がレッドオーシャンの極致なわけだが…。/企業が本気でコンテンツ制作に取り組んでくれるのは、官製「クールジャパン」よりよほど良いと思う。
・まさにレッドオーシャンですね
・パイ全体が小さいから、参入が増えると一瞬でレッドオーシャン化。利益度外視の趣味でやってる個人ならともかく、時間当たり人件費が明確な企業がペイできるだろうか?
・要は10数年前に流行したバーチャルネットアイドルのガワを売れないyoutuberに被せただけのもんなんだからこうなるのは自明だったと思うんだがブルーオーシャンだと思われてたのか・・・大丈夫か広告業界
・つぶしあえー(オッさん声で)/ここはブルーオーシャン、って乗り込んでみたはいいが死屍累々って構図すごく好き。傍から見る分にはエンターテインメント。中はきっと大変だろうけど。
とうとう2万人突破したぜ。
VTuber(バーチャルYouTuber)、ついに2万人を突破(ユーザーローカル調べ)
https://www.userlocal.jp/press/20221129vt/
上の記事にあるトップ10のうちキズナアイ以外は2018年にはいなかったことを考えると、まだ全然ブルーオーシャンだったのかもね。(追記:フブキもいた)
今年はぶいすぽっ!が急成長していたりと、売り方によっては出来ることはあると思う。(コミケのグッズ販売で300分行列はびっくりした)
先人の開拓のおかげでパイはだいぶ大きくなったと思うが、それでもまだ小さいとは思うので今後も期待。
黒船というか、ホロENとかにじENが海外市場の広さ・強さを証明していて強いなぁ…とは思った。
VShojoはどうなのかな。
・ゆるキャラめいてきた
・金かけられるなら中身おっさんより本物美少女のほうがコストそんなに変わらない割にマス受けするわな・・・Vtuberは見るものじゃなくてなるものやろ
・女子ウケしないものが流行った試しがない。女性には、中がオッサンってバレバレだから、Vtuberなんて誰も近づかないし話題にすらしない。
・「中の人がオッサンでも組織力でバックアップ」の強みが「PVが伸びなくても人件費がガンガン出ていく」弱みに。これソシャゲの悪いパターンじゃね
今だと「中身おっさんが〜」というのはあまりにも無見識だけど、2018年当時は本当によく言われていた。
女性ウケについては、努力の甲斐あったのか最近は女性リスナーが増えたなと思う(少なくともにじさんじは)
えにからのIRだとリスナーの男女比率は半々くらい。実際にじフェス(リアルイベント)を見てる感じ、肌感覚とも合致している。
・vtuberもそろそろ終わりか。
・スーツにネクタイ締めた連中が金目当てで参入しはじめたらそらもう終わりよ
・Vtuberかぁ、三次元モデルに喋らせたり踊らせたりして配信してるのかなと調べないでいる内にもう下火になってきてた。コンテンツの消費が早すぎる。
・騒がれ始めてからのコンテンツの消費速度が凄かったしこんなものでは。現状人気あるものとバ美肉おじさんみたいにコミュニケーションツールとしてVR使ってるのぐらいしか残らないかもね
・京都出身の某若手映画監督・脚本家の人のツイキャスを見てたときに「飲みの席で某広告代理店の人から『Vtuber、勉強しといたほうが良いよ』と言われた」という話を聞いて、嗚呼、炭鉱のカナリアが死んだと思いましたね
・酷い業績でこれをやれるハートの強さ 同人イベント(コミケなど)で人気がない事を知り、ステマに近いゴリ押し事業なんだと悟った。供給過多にもなるし、飽和状態にもなりますわ。
オワコンと言われ続けて早4年、コミケのジャンルではVtuberが最大手になりました。炭鉱のカナリア、死ぬには早すぎたな。
プリコネに限らずサイゲは割と積極的だったよね。ゴルシとか既に誕生してたし。
・全員追ってた人がどうなったか気になるね…
確かにどうなったんだろう。
・ニコニコ動画の時からいい続けているけど、ネットの面白さってアマチュアの面白さだから、お金かけてプロの面白さにしても、アマチュア特有の雑味や体当たり感が失われて重しrくなくなることがざらにあるのよねぇ…
わからないでもないが、アマチュア特有の雑味や体当たりをしてみたら炎上するようになって、色々と世の中変わってきたのを感じる。
・ゴールデンウィークのぽんぽこ24時間生放送の後ぐらいをピークとしているの実感と符合する(わからない人にいっておくとvtuber史に残るイベントです)(vtuber視聴者としての意見です)(由持早く喉がよくなるといいね)
ぽんぽこ24時間も恒例イベントになって久しいけれど、見る視聴者は割と固定されてる感じはするんだよな。
当時は界隈のファンみんなが見てた気がするんだけど。
指摘の通り、人気者を技術力で魅力的に表現する機会は増えたが、技術力で人気が出ることはない。
・一時期のビットコインみたいになってきた。今参入しちゃだめだ。
この頃のBTCは1BTC=6,400ドルくらい。大暴落を経ても今日は16,566ドルくらいだから、参入しておけばちょっとは儲かったな。
原初、バーチャルYouTuberは“着ぐるみ”であったように思う。
黎明期にはよく「ふなっしー」にも例えられていたが、ディズニーランドのミッキーマウスでもいい。彼らが着ぐるみであり中にアクターが入っていることは誰しもが認める事実である。しかし彼らを目の当たりにしたとき、中に入っているアクターの存在を意識することはまずない。ディズニーランドでミッキーマウスに出会ったら「“ミッキーマウス”に会えた」と素直に嬉しくなるのが自然な反応だろう。事実として認識することと、それを日頃の場面で意識するかどうかはイコールではないのだ。
バーチャルYouTuberも同様の構造を持っていた。彼女たちにはキャスト、所謂「中の人」が存在する。それはファンだってみんな分かっているが、見ないふりをしているしそもそも意識することもなく、もっと言えば意識“させられる”こともない。ミッキーマウスが自分からアクターの存在を示唆するような言動を取ることはない。そういう暗黙の了解と微妙なバランスの下で成り立っていたのが、かつてのバーチャルYouTuberであったと思う。
…「彼女たち」が“着ぐるみ”を脱ぎ始めたのはいつ頃からだっただろうか。たぶん、ある人気VTuberが引退をして、そのキャストが生身の配信者として活躍し始めたことがきっかけにあると思う。それ以降少しずつ、VTuberのキャストがバーチャルではなく生身の配信者として活動しているのを目にするようになった。
彼女たちからすれば一種の逃げ場なのだろうと思う。VTuberとしての活動はとかく制約が多く、強いられる仕事もあり、キャラクターの“着ぐるみ”を着ている以上常にある程度の嘘をつき続けて活動せねばならない。それでいてファン数の増大に伴って誹謗中傷に晒されることも増えていく。そんな彼女たちにとって、本来の「自分」としてありのままの姿で居られる生身での活動は、少なくともVTuberとしてのそれよりは気楽で休息になるものなのだろうと感じる。それでいて生身の活動にもファンがついてくることは偉大な先例が証明してくれている。それらを踏まえて、キャストが生身での活動を加速させるのは至極懸命な判断であると思うし、その判断や活動を責める気は毛頭ない。
しかし、私はオタクとして、“着ぐるみ”としてを好きになったのだった。確かに、人格という本質的な概念は“着ぐるみ”もその“アクター”も完全に同一である。それでも、私が好きだったのは“着ぐるみ”だった。そこに究極的には理由はないと思ってもらっていい。好きという感性には突き詰めれば理由など存在しない。
ミッキーマウスのアクターが、着ぐるみを脱いで生身でミッキーと同じようなグリーティングを始めたらどうだろう。見ないふりができていた事実を否応なしに意識せざるを得なくなり、アクターはもちろん「ミッキーマウス」の方だってもう今までと同じように捉えることはできなくなるのではないかと思う。端的に私の身に訪れたのはこの現象であった。
私はVTuberのオタクをやめた。いや、VTuberのオタクで居ることができなくなった。中の人を強く意識してしまうようになってしまっては、もはやVTuberをVTuberとして見ることができなくなってしまったのだ。本当はずっと応援し続けたかったし、何とか戻れないかと思考実験を繰り返したが、最後に残ったのは「受け入れられないものは受け入れられない」という理由のない感性からの拒否であった。
もちろん、これは私自身の感性の問題である。キャスト名義のアカウントにVTuberとしてのファンが多くコメントしていたりフォローしていたりするのを目にして、よく平然と受け入れられるなと私は正直驚いた。しかし考えてみればそちらの方が自然なのかもしれない。先に述べたように人格という本質はVTuberとしてもキャストとしても完全に同一なのだから、VTuberとしてを好きになった人が全く同じ意味合いでキャストとしての方も応援するのはむしろ当たり前とも感じる。ただ、私にはそれがどうしてもできなかったのだ。それは私の感性の問題であり、あるいは“着ぐるみ”という形にこだわるというある意味で古い価値観を持っているせいとも言えるかもしれない。いずれにしても、原因は私自身のみに存在することは間違いない。
VTuberのオタクをやめることは…推しから離れることは本当に辛かった。好きな趣味をやめることがこれほど辛いことだとは思わなかった。それでも、あれほど愛した推しが、界隈が「not for me」になってしまった今、そこに身を置き続けることが不可能な私が進み得る道は他になかった。そうしてやめて数か月たち、最近になってようやく心が落ち着いてきたところだ。それでも時折思い出しては胸が締め付けられることもあるが、それはもうこれから一生背負っていかなければならない十字架なのだろう。
繰り返しになるが、この文章を読んで貰った人に勘違いしてほしくないのは、「彼女たち」は全く悪くないということである。自分の置かれた環境や周囲の事例を判断し、自らの幸福追求のために人生の選択をしている。それを尊重することは憲法でも保証されているくらいだ。VTuberオタクをやめたのは、あくまで私自身にすべての原因がある。
この文章を書いた目的は別になく、ただの自己満足に過ぎない。自分の身に起こった経験を文章にまとめ、インターネットの海に放流することが、私にとってVTuber趣味に対する送別式なのだと理解してもらいたい。哀れなオタクが居たものだとご笑覧いただければ幸いである。
最後になるが、今でもVTuberの「彼女たち」のことを嫌ってなどいないし、むしろ今でも好きである。もう応援することは叶わないが、「彼女たち」の成功と幸福を心から願っている。