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2014-04-07

ふつうじゃないと思っていること

最近、「これはもしかして社会人として普通ではないのかもしれない」と思う事が多いので

意見をお聞かせいただけると嬉しいです。

 

スペック 30代前半 女性 独身

実家北関東です。

現在都内一人暮らし、働いていますが低収入です。

帰省は年に3回、盆暮れ正月GW(帰省しないときもあります)、お盆休み

私が普通じゃないと思っているのは以下の通り。

 

1) 正月お年玉をもらう(両親・祖父母から)

2) 母に化粧品などを買ってもらう(数百円のものから1万円程度のものまで)

3) 実家からトイレットペーパーや洗剤、ティッシュペーパー、米が送られてくる

4) 私が帰省するときは父が母を乗せて車で送り迎えをする

5) 食事代などは両親が必ず出す

6) 両親に仕送りお小遣いをあげたことがない

7) 年の離れた弟(学生)にお年玉をあげたことがない

8) 両親の誕生日を祝ったことがない(今年、小学生以来初めて安いですがプレゼントをあげました)

9) 稀に両親のボーナス時期になると、私の口座に3万円程度の入金がある(好きに使いなさい)

(10) 私の貯金10数万円しかない

 

(1) はテレビで昔、千秋さんが27歳になってもお年玉を貰っている、と言っていて

それを聞いた私は「ありえない!!!」と思っていました。

実際に両親からまだお年玉をもらっています

 

(2) は私の友達帰省などして買い物に行くと買ってもらうことがある、と言っていたので

女性では珍しいことではないのかもしれません。

(3) は学生だったらまだしも、こちらも生活が苦しいながらも社会人なのでちょっとどうかと思っています。、

(4) は父がドライブ好きなので、高速道路に乗るのが好きなのかもしれないです。実家までは車で3時間ほどです。

(5) は私が転職前は数回に1回程度ごちそうしていましたが、今はムリです。

帰省時に手土産(数千円のお茶菓子等)を必ず持っていきます

(6) こちらは収入にかかわらず1度も行ったことがありません。

(7) 高校生の頃、バイト代で弟にベビー服を買ってあげたことがありますが、

母に「弟に何かしても将来戻ってこない、何もしなくていい」と言われたのでしていません。

この頃の母はノイローゼ真っ最中だったと思います

(8) 実は、母の誕生日を今年まで知りませんでした。月はわかっていましたが、日があやふやだったので…。

家族で両親の誕生日を祝うという習慣がありません。

私も中学生から誕生日クリスマスのお祝いはありませんでした。

(9) これもお年玉と同じく、奇妙な気持ちになります

(10) 中央値でも30代の貯金は60万と聞いているので少なすぎると思いました。

 

成人してから「あんたは遠慮深すぎて可愛くない」と言われて、お小遣いなど遠慮しては失礼に当たるのかと思い

そのままもらってきたのですが、30歳を超えた今、普通感覚とは違う気がして不安です。

 

実家は裕福ではなく、私が小さいころはとても貧乏で、トイレの水も3・4回おしっこを貯めてから流しなさい、と言われていました。

また、小さいころは母が弟の子育てと、父の低収入による育児ノイローゼだったため

ネグレクトに近いことを行われていました(暴力放置等)。

私が高校生くらいの頃から暴力はなくなりました。

高校生からお小遣いはなく、アルバイトをしていました。携帯電話を持っていましたが、名義が父だったので、

母に料金を支払っていましたが、その時必ず端数を切り上げて支払っていました(8569円だったとしたら、9000円または1万円を支払う)。

これは特に言われたわけではなく、私が小銭を用意するのが面倒だったので多く支払っていただけです。

 

また「うちはうち、よそはよそ」と幼い頃にたくさんのもの(運動靴や文房具など)を諦めさせられてきた経験があります

弟は私と同年代の頃は比較貧乏から脱却していたので、欲しいものは必ず手に入れていました。

ゲームボーイなどはポケット、カラーと合わせて4台持っていました。

私は持っていません。

 

「うちはうち、よそはよそ」で私はこのままでも良いのでしょうか?

それとももっと凄いご家庭もあるのでしょうか?

普通感覚が知りたいです。

ふつうじゃないと思っていること (自己保存用)

最近、「これはもしかして社会人として普通ではないのかもしれない」と思う事が多いので

意見をお聞かせいただけると嬉しいです。

 

スペック 30代前半 女性 独身

実家北関東です。

現在都内一人暮らし、働いていますが低収入です。

帰省は年に3回、盆暮れ正月GW(帰省しないときもあります)、お盆休み

私が普通じゃないと思っているのは以下の通り。

 

1) 正月お年玉をもらう(両親・祖父母から)

2) 母に化粧品などを買ってもらう(数百円のものから1万円程度のものまで)

3) 実家からトイレットペーパーや洗剤、ティッシュペーパー、米が送られてくる

4) 私が帰省するときは父が母を乗せて車で送り迎えをする

5) 食事代などは両親が必ず出す

6) 両親に仕送りお小遣いをあげたことがない

7) 年の離れた弟(学生)にお年玉をあげたことがない

8) 両親の誕生日を祝ったことがない(今年、小学生以来初めて安いですがプレゼントをあげました)

9) 稀に両親のボーナス時期になると、私の口座に3万円程度の入金がある(好きに使いなさい)

(10) 私の貯金10数万円しかない

 

(1) はテレビで昔、千秋さんが27歳になってもお年玉を貰っている、と言っていて

それを聞いた私は「ありえない!!!」と思っていました。

実際に両親からまだお年玉をもらっています

 

(2) は私の友達帰省などして買い物に行くと買ってもらうことがある、と言っていたので

女性では珍しいことではないのかもしれません。

(3) は学生だったらまだしも、こちらも生活が苦しいながらも社会人なのでちょっとどうかと思っています。、

(4) は父がドライブ好きなので、高速道路に乗るのが好きなのかもしれないです。実家までは車で3時間ほどです。

(5) は私が転職前は数回に1回程度ごちそうしていましたが、今はムリです。

帰省時に手土産(数千円のお茶菓子等)を必ず持っていきます

(6) こちらは収入にかかわらず1度も行ったことがありません。

(7) 高校生の頃、バイト代で弟にベビー服を買ってあげたことがありますが、

母に「弟に何かしても将来戻ってこない、何もしなくていい」と言われたのでしていません。

この頃の母はノイローゼ真っ最中だったと思います

(8) 実は、母の誕生日を今年まで知りませんでした。月はわかっていましたが、日があやふやだったので…。

家族で両親の誕生日を祝うという習慣がありません。

私も中学生から誕生日クリスマスのお祝いはありませんでした。

(9) これもお年玉と同じく、奇妙な気持ちになります

(10) 中央値でも30代の貯金は60万と聞いているので少なすぎると思いました。

 

成人してから「あんたは遠慮深すぎて可愛くない」と言われて、お小遣いなど遠慮しては失礼に当たるのかと思い

そのままもらってきたのですが、30歳を超えた今、普通感覚とは違う気がして不安です。

 

実家は裕福ではなく、私が小さいころはとても貧乏で、トイレの水も3・4回おしっこを貯めてから流しなさい、と言われていました。

また、小さいころは母が弟の子育てと、父の低収入による育児ノイローゼだったため

ネグレクトに近いことを行われていました(暴力放置等)。

私が高校生くらいの頃から暴力はなくなりました。

高校生からお小遣いはなく、アルバイトをしていました。携帯電話を持っていましたが、名義が父だったので、

母に料金を支払っていましたが、その時必ず端数を切り上げて支払っていました(8569円だったとしたら、9000円または1万円を支払う)。

これは特に言われたわけではなく、私が小銭を用意するのが面倒だったので多く支払っていただけです。

 

また「うちはうち、よそはよそ」と幼い頃にたくさんのもの(運動靴や文房具など)を諦めさせられてきた経験があります

弟は私と同年代の頃は比較貧乏から脱却していたので、欲しいものは必ず手に入れていました。

ゲームボーイなどはポケット、カラーと合わせて4台持っていました。

私は持っていません。

 

「うちはうち、よそはよそ」で私はこのままでも良いのでしょうか?

それとももっと凄いご家庭もあるのでしょうか?

普通感覚が知りたいです。

偉大なる先増田

http://anond.hatelabo.jp/20140407103012

アーカイブ

http://archive.is/pIpNd

2014-03-23

おれもMacの昔話を書いてみよう

ここらへんでおれもMacの昔話を書いてみよう。

おれが最初Macintoshに触ったのは、91年の4月だった。配属された研究室Macintosh IIsiがあったのだ。OSは、漢字talk6.0.7.1だったように思う。

このころのソフトウェアに対するユーザー意識はひどいもので、不法コピーがあたりまえだった。今だから、そして、おそらくどの研究室なのかばれないと思うから書くが、使用するソフトはすべて出所の怪しいものだった。

エクセルマックライトII (Iを使っていたという話を聞いたことがない。マイナーだったのだろうか)、マックドロークリケットグラフコピーでなかったのはテキストエディタと端末ソフトだけだったのではないか。

その使い勝手はとにかくすばらしかった。マックライトIIの威力は、学会の要旨(一段組と二段組が混在すると当時の一太郎ではプレビューしないとま出来栄えがわからなかった。WYSIWYGという概念がなかったのだ)を書くときに思い知った。

それに貼る図は、クリケットグラフで書き、マックドローで修整してから貼り付けていた。これがほんの一年前には、一太郎で書いた要旨に手書きの図を貼り付けていたという。物理的にセロテープで貼っていたのである

…だが、それでどのくらい時間の短縮になったかというと、実はかなり微妙だった。そう、爆弾マークが出るからである

当時は何をやっても爆弾マークが出た。日本語入力英語を切り替えても出たし、ソフトを切り替えるときも出た。放置しているだけでも出た。ひどい時は、セーブしようとしたら出たときもあった。いったいどうしろというのか。

使い始めてすぐ、漢字Talk7が発表になった。なんだかもっさりして、爆弾が出る比率もそんなに替わらない印象があったが、漢字Talk7.1に糸井重里がつけた愛称おにぎり」はあまりにださすぎるので今でも忘れられない。そんな名前で呼んでるやつ一人も見たことないよ。

それとほぼ時期を同じくしてMacintosh classicやLCが販売されるようになった。classicは1000ドルパソコンといわれ、貧乏学生のおれも思わず買ってしまおうかと錯乱するほどの魅力的な商品だった。もっと日本では二十万円台後半だったように記憶している。

このあたりからApple社の迷走が始まる。

LC系やclassicは順当に性能向上を繰り返していたが、ハイエンドはひどいもので、92年にはCDROMを搭載したMacintosh IIviというモデルを発表しているが、これはなんとMac IIciよりCPUクロック数が低く、CDROM(当時はまだ使い道がなかった)を搭載したため無駄馬鹿でかく、もちろん定価もすごく高いというしろものだった。

「これを買うくらいならLC系を買うよねー」という人がおおかったのかMacintosh IIviは売れなかったので、数か月して価格改定されたらしい。らしい、というのはそのころパワーマックの噂が出始めて、68系のハイエンドマシンへの需要はかなり減少していたのでおれの記憶あやふやなのである

そして94年になると、いよいよパワーマックが発売されるのだが、これがまた遅い、高い、馬鹿かいという端にも棒にもかからない代物であった。

その他にもレーザーライターNTX-Jがなんと定価120万円で発売されていたり、フォント関係ライセンスのひどさはちょっと混沌としていすぎていた。

まあ、色々と書きたいことはあるのだがおれはおじさんであるのでここらへんが体力の限界だ。

誰か有志がおれのあとを継いでアップルのこっちの足元を見たぼったくり体制を批判してくれ。

それではおやすみなさい。

ローンのお話

ローンを組んで家を買うって恐ろしいことだと思いませんか?

例えば35年ローン。誰が35年間払い続けられると確約できるのですか?

そんなあやふや未来に淡い期待を託すのは、非常に怖いことだと思いませんか?

そもそも一坪に何百万の価値なんかあると思いますか?

あんな土に何百万の価値を見出せる感覚理解できません。

ローンは自分を縛って身動きを取れなくするロープのようなもの

それでも買っちゃうんだね。

買うことにどれだけの魅力があるのか、全くもって疑問である

ところで.....私の職業不動産業です。

2014-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20140310161143

別にわざわざ教えなくたって、コミュニケーションなんて集団生活してたらある程度する機会があるもんだろ?それで試行錯誤しながら、自分なりのコミュニケーション術を体得すりゃいい。万人に通用するコミュニケーション方なんて無いし、たとえ増田にとってすごく有効方法があったとしても、それが俺に当てはまるかって言ったらそうじゃないだろ。そんなあやふやなもん、どうやって教えるんだ?誰が教科書作るんだよ。

何でわざわざ学校で、しかも主に恋愛の為に学ばにゃならんのだ。

2014-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20140225091724

滑りが他の上位選手よりも図抜けて素晴らしかたから、みんな賞賛してるだけだよ。

採点は基準があやふやだし(ホントはよくないが)地元びいきもあるから、すでに絶対的価値基準を表すものではないとみんな分かってきているから、尚更浅田真央の演技を賞賛しているわけだ。

世界中トップスケーターたちですら浅田真央賞賛しているんだから普通に考えりゃわかるだろ。

てか、増田みたいな奴は、勝った選手賞賛しててもそれはそれで難癖つけそうだよな。

勝てば官軍でみんなもてはやして宗教みたい、とかw

2014-02-24

http://anond.hatelabo.jp/20140224004111

チフス蔓延してたか衣服の消毒に使った部屋らしいが

髪の毛も虫がつかないように切ったもの

殺して焼却するだけなら髪の毛のこす必要ないだろ

ほとんどの死因は病死餓死

直接殺したのも銃殺ばかりで毒ガスでやったかあやふや

2014-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20130829181150

批評家ワナビーって自分のことかよw

あと長ったらしく書いてるけど「新しいものが好き、新しけりゃなんでもいい、これは古い、だから嫌い」って書けばいいだけじゃない?

まあ〜〜〜〜〜だ そっちの方が 潔くて「個人主義」を考えてる気がするわ

自分の「好み」を言ってるだけやからな。

あとシンプルだしな。

コイツのはただの意見押し付け+統一主義やんけ。 あげくの果てには「お前らも見なくていい」だからな。 これはカス認定。

しっかし「新しけりゃなんでもいい」のかよw ダサすぎ

ぐーぐるぐらすってガッチャマンクラウズ放送時より半年後の2014年はじめでも未だ広まってないし広まるかどうかもわからないしせめて広まる気配ぐらいあればいいけどそれも未だ見えてないし

そんなあやふや立ち位置機器2013年半ばに出してもガッチャマンクラウズテーマひとつである「個々人の心・思考」ってのは表現できねーんじゃねーか?

そんなあやふや現実味のない機器感情移入できねーよ ひっこめカス

まー新しけりゃなんでもいいってやつは、んなペラい考えしか出ねーんだろーけどw もう一度言おう()ダサすぎ。 統一主義害悪

2014-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20140108193448

こんな馬鹿でも教授なのか。。。

もう単なる宗教家と同レベルだよね。

適当データ作って適当にあとづけして適当でっち上げて見せるだけ。

その中でたまたま後々にも当たったものがあれば、ほら当たった、とかほざき、

外れたらあとづけ条件を付け足して(そもそも前提条件があやふやすぎるので後から操作がいくらでも出来る)

さもそのハズレさえも予想していたかの様に見せる。



教授とかやらないで、きちんと占い師とか霊媒師とか、そういうアヤシイものですよ、っていう名刺の元活動してもらいたいものだ。

2013-12-26

増田サードブロガー批評

本人が見てるか見てないかも分からないのに批評して楽しいのだろうか

というか増田しか見てない自分からすると誰だよこいつらって感じだな…

流石にイケダハヤトとかは覚えたけど、そもそもイケダハヤトってサードなん?アルファなん?それすらあやふや

2013-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20131221190739

いや、SNSとかネットの無い世界の、クローズドゲームならその理屈で正しいと思うよ。

でも実際には、それだとゲーム部分についてコミュニケーションしようと思っても

Wikiに書いてあるとおり、最適編成はこうで、最適装備はあれだから」で終わっちゃうじゃん?

多少の隠しパラメータなんかプレイヤー側のマンパワーであっという間に解析されちゃうんだから

装備の効果あやふやになるくらい乱数でぼかすしかないんでないの。

その結果として「数をこなすのが一番」という状況になるのは痛し痒しではあるけど。

 

この手のアクション要素のないゲームで付きまとう話ではあるけれど、

ゲーム性を強くすれば強くするほど、最適行動をとる廃プレイヤー

あっさりコンプリートしてやることが無くなるわけで

艦これ場合ゲーム性を落として乱数の影響を極端に高めることでコンプまでのプレイ時間延命してるんでしょ。

 

んで。

東方だってネット流行ってるのは弾幕STGゲーム性が評価されてるからというわけでもないでしょ。

二次創作してる人のほとんどはextraのボスに辿り着けない人ばっかりでしょ。

艦これ流行ってるのは普段からPCに貼り付いてる人が片手間にやるのにちょうどよかったからじゃないの?

艦これUIはもうちょっと片手間でやるのに最適化されるべきだとは思うけども。

2013-12-11

頭の良い人が難しい話を分かりやすく説明できる理由

まず始めに言うが難しい話、主に技術系の高度に専門的な話は簡単ではないから難しいのだと言っておく。

難しい話を簡単に説明する方法など存在しない。

そんなものがあったら、そもそも難しい話になどならない。

しかし、そういう難しい話を「分かりやすく」説明できる人は確かにいる。

そしてそういった人々を「本当に頭のいい人」などとちやほやする風潮がネット上に流れている。

だが、繰り返すが、専門的な知識は本当に難しいか価値をもつのである

そんなものを本当に「分かりやすく」説明することなどあると思うか?

ネットでちやほやされる「分かりやすい」説明とは、

「本当に頭のいい人が、

説明する相手のバカさ加減を完全に見切って、

分かったと勘違いできる程度にくわしく、

矛盾あやふやな点は残るがそれに気づかない程度に嘘を交えた例え話」

のことである

一方話が難しくて分かりにくい人とは、難しい話を本当に、自分の理解しているのと同じような理解度で理解してもらおうと思って話す人である

相手を見くびらず、話せば分かると信じて、自分の飯の種を種明かししようという誠実な人である

しかし、同時に不器用な人でもある。

話が分かりにくいと言われる人は、もっと相手を見くびった方がいい。

どうせ変なごまかしをして、後でトラブルになったとしても、その原因を究明することなどできはしないのだ。

「分かりやすい」説明をして、自分のいいように相手を操ったほうがいい。

その方が相手も喜ぶし、自分も楽だ。

2013-11-27

程度問題と恥の暴力

世の中には「程度問題」という単純なことが分からない人が沢山いる。オールアナシング、白黒でなんでも考えてしまう人。程度によって話が違ってくるのが分からない人。

認知を簡略化することでストレスを軽減しているのだろう。言うなればストレス社会家畜。おのれストレス社会めと貴方がたは武器を手に立ち上がるべきだ。

一方で「恥の暴力」という特徴的な現象も日本にはある。日本は「恥の文化」と言われるが、それは恥が大きなパワーを持つ国ということでもあるんだよ。

まり、相手が恥ってことにしてしまえば勝てる。これが恥の暴力であり、村八分Google八分原理である

で、実は「程度問題」と「恥の暴力」って相性がいいんだよ。「程度問題」って要するに解釈ねじ曲げじゃん?

「カネないか毎日カップラーメン食ってるわ」と聞いて「カップラーメン買えるとか金あるだろ」と突っ込むようなマヌケは居ない。

でも「疲れたかゲームしてた」と聞いて「疲れてるなら寝ろ」「ゲーム時間もやるとか疲れてないってことじゃん」くらいのねじ曲げであれば、世間でいくらでも散見される。

程度のねじ曲げって便利で、テンプレに当てはめることさえできれば簡単に相手を陥れることができる。良い子は真似してはいけない。

我々のライト日常感覚からしてもねじ曲げの問題が多発するのだからもっとデリケートなことになるとそりゃもう大変で、

イジメとかセクハラとか夫婦喧嘩とかもっと哲学的なことでもいい。簡単に程度のねじ曲げが発生してしまう。

もはや程度の数値化で解決できる話ではない。なるほど一見あやふやなことでも数値化できるケースは多いが、じゃあ数値化のプロセス自体に客観性はあるのか?そこなんだよ。

中途半端しか勉強しなかった理系とか一切文系を受け入れないようなガチガチ理系に多いけど、

数値化した時点でそこから先は完全に客観的な話になった、もう主観的なことは考えなくてよいと錯覚やすい。

しかしその場合「何が」客観的になったかが問題なのだ。なるほど数字客観的だ。数値化すれば客観的になる。

でもその数字は何を表しているのか。何が客観的になったのか。そういうことを考えないから、すぐ程度問題のワナにブチあたり、争いの余地が生まれるんだよ。

貴方がたも心あたりあると思う。理系学会なんかでも、くだらないねじ曲げあいの応酬が見られたりするね?

これが文系だともっと簡単で、相手の主張に表面的であれ反していそうな文献を掲げて、読んだことはあるのか問い詰める。

読んだことがない=恥であるから日本文系は延々とそういう喧嘩をやっているのだね。

争いは同レベルしか起きないという名言があるけど、本当にその通り。似たものどうしでしか争わない。

本当に異質なものどうしでは、自然と離れてしまう。いじめのように一方が暴力をふるっているならともかく、

双方が更格廬のようにボクシングしているのは、これはもう完全にお互い同類としか言いようがない。

向上心ということが世の中では重んじられるけど、それは支配の道具として用いられているだけであって、

実際に本当に文字通向上心のある人は少ないものだ。上を見ているなら横の対立は気にならないはず。斜め下からの攻撃も、隣人の目も気にならない。

自己啓発では目標設定が強調されるけど、これもくだらない支配者の論理であって、本当に脇目もふらずに目標を目指している人はごくごく僅かだ。

で、日本人のいう「恥」というのも斜め上にいるみんなから足蹴にされているという妄想だけれども、これも真上が見えているなら気にならない。

でも真上って何?そこが問題なわけ。上には雲がたちこめてて真上にあるはずの星が見えない。そういう世の中だから

から意識して真上を見ようとする。そうすればたまに真上からから差してくるのに気付く。

そうでもしないと恥の暴力に巻き込まれる。暴力する側かされる側になる。それくらい恥の暴力は強い。なぜなら程度問題と密接だから

程度問題というのは言葉曖昧性の問題とも言えて、さらに言い換えると先ほどの上空に立ち籠めている雲でもあるのだ。

例えば、人に嫌な態度をとられて止めさせたいときについつい余計な嫌味を言ってしまう。相手を恥の暴力に陥れてしまう。

仕事には必ず一番いいやり方が存在するのと同じで、こういう時ももっとも良い言い方(星)があるのに、その星に気付かない。

嫌な態度という「言語=雲」にとらわれて、その曖昧さを都合良くねじ曲げてしまうから、正解である星が見えない。

本当はスッと上空全体を見ることができれば、見ようとすれば、ふいに正解が見えるものなのに。それをしないから、恥の暴力が生まれてしまう。

2013-11-16

ひろゆきうまいなあと思うのは、なんとなく、あやふやに書くことによって、「これはこういう意図に違いない!」って、読み手解釈の幅を持たせてるところ。

「いや、ひろゆきはそんなこと言ってないだろ!」→「それならお前の意見だってそうじゃないか!」

なんにせよ、炎上したりまとめられたりして、フィリピンが大変だってことと、どこに寄付したらいいのか考えることが広まってよかったね。

2013-11-08

僕とEM善意の人々 -とあるEM活動家の子供の懺悔

今更ながら、「米のとぎ汁乳酸菌」というのを知った。

http://togetter.com/li/163894

米のとぎ汁をペットボトルに入れて蓋をして一週間放置する。できたものが臭かったら失敗、酸っぱいにおいなら「米のとぎ汁乳酸菌」の出来上がり、というものらしい。これを飲んだり部屋に撒いたり庭に撒いたりすると、この中に含まれる光合成菌が放射能を分解するのだそうだ。

僕は一応理系人間なので、まずは「マジありえない、馬鹿馬鹿しい」と思った。と同時に、似非科学批判をかじった人間なので、「これ信じる人も結構いるんだろうな」とも思った。「米のとぎ汁乳酸菌」の記事を読み進めると、「EM」という言葉が出てきた。有名で代表的な疑似科学だ。僕は苦々しい気持ちになった。

EMについては、すでに沢山の方々が批判を書いておられるので、ここではEMの非をあげつらうことはしない。以下に書くのは、僕とEMとの、個人的でささやかな、しかし長い期間の関わりについてだ。EMコメのとぎ汁乳酸菌についての検証や批判を読みたい人は、このページを閉じて別のところに行った方がいい。

初めて「EM」に触れたのは、僕が中学生の頃だった。母がどこからEMというのを仕入れてきた。世の中の割と多くの母親が、「化学」や「合成」よりも「自然」「天然」を好むのと同じく、僕の母もそういう人であった。母は毎晩米をといで、とぎ汁とEM菌糖蜜ペットボトルに入れて蓋をし、家族が入り終わった後の浴槽に浮かべるようになった。そうして出来上がった汁を「発酵液」などと呼んでいたが、母はそれを庭やトイレに撒くだけでは飽き足らず、洗濯にも使うようになった。洗いあがったタオルを触って、母は「柔軟剤使ってないのにふわっとしてるでしょ?」と訊いてきた。言われてみればふんわりしているような気がしないでもなかったので、「うーん、そうだね」などと曖昧な返事をした。しかし、菌は菌である発酵液の臭いは、糖蜜の甘いにおいに何とも言えない酸っぱいにおいが重なっていて、あまり嗅ぎたい臭いではなかった。その上、僕の家では入浴剤を入れた風呂の残り湯を翌日の洗濯に使っていたので、洗いあがった洗濯物は他所では嗅げない独特の臭いがしていた。僕は小学生のころから洗濯だけは自分のものを分けて洗っていたので、服についてはEM洗濯の被害を免れたのだが、EM洗濯をはじめてから自分専用のタオル類も自分で洗うようになった。

EMを使っている母は楽しそうに見えた。環境に良いコトをしているのがうれしかったのかもしれない。僕はそんなにEMのことは好きになれなかったが、楽しそうにしている母を見るのは悪くなかった。その後僕は(EMとは無関係のところで興味を持って)生物学を学べるところに進学した。進学が決まったころ、母が「学校で習ったら、菌のこと教えてね」と言ってきて、僕は快く返事をした。

僕が進学して、非リアながらも楽しいスクールライフを送っているあいだに、母はEMを個人の趣味から団体での活動へとシフトさせていった。僕と違って母は顔が広く、何人かの知人女性たちと一緒にEMの活動を推進しはじめていた。

進学してからしばらくして、母が僕にEM関係の頼みごとをしてきた。自治体に提出する、EMの影響について実験したレポート添削してほしいという事だった。僕は菌の種類やBODなどについてようやく学んだところで、教科書図書館の本を参考にしてレポートを読んでみたが、そのレポートは、凡そ科学とはかけ離れたものであった。実験といっても、比較対象もなくデータ単位あやふやデータ数も少なすぎた。未熟ながらも科学者としては、「この実験からは何の結論も言えない」としか言えなかった。だがレポートの結論は「EM有効」と決まっていた。それで僕は、「この実験からEM有効であるという結論は導けない」ということをオブラートに包みながら母に言った。母を失望させるのはしのびなかったが、科学者(の卵)としての良心にも嘘はつけなかったので、これが僕の当時の精一杯の対応だった。しかし結局そのレポート議会承認されたのか、母のEM活動はさらに拡大していくことになった。

やがて僕は一人暮らしを始めた。高速のインターネット環境を手に入れ、ネットの海をひとしきり漂った挙句とある疑似科学批判のコミュニティにたどり着いた。僕は一応科学者の端くれを自認していたし、マイナスイオンなどの詐欺的な疑似科学的言説に憤りを感じてもいたから、コミュニティに参加(ROM専だったけど)し、そのなかの議論を観察し続けた。当然ながらそこには、EMに対する批判もあった。

僕はそれまで、EMが批判されていることを知らなかった。僕自身はEMを胡散臭く感じていたし、好んでもいなかったけれど、たとえEMで川が綺麗にならなかったとしても汚くなることもないだろうし、多少なりとも良い点があるのならば別にいいんじゃないか、と思っていた。母が推進しているEM活動に対して、きっぱりと批判の対象にしてしまうのが怖かったのかもしれない。少なくとも、他の疑似科学みたいにお金を儲けたり人を殺したりしているわけじゃない、と。

でも僕は知ってしまった。疑似科学と人の善意が交わると嫌なことが起こったり、困ったことになったりする。しか善意から、批判しにくいこともあるし、批判された方も自分善意を否定されたと感じて素直に受け入れられない。特に子供がかかわってくると問題は複雑になる。

時々は実家に帰る。風呂場には今もEMペットボトルが転がっているし、食器洗いを手伝うときEMを混ぜ込んだ茶色い食器用洗剤を使う。台所の隅には生ごみコンポストがあり、蓋を開けるとあの何とも言えない異臭が漂う。母は一時期、電磁波遮断するというEMブレスレットをつけていたこともあったし、あの有名な「水からの伝言」を持っていたこともある。そういうものを見かけるたびに、皮肉を混ぜ込んだうえオブラートで包んだ僕の意見を伝えてきた。そのためかわからないが今では母はもう僕にそういうものを勧めてくることはなくなった。

母は知人にEMを配布したりしているのだが、それに同行したことがある。その知人には一人暮らしを始める娘さんがいて、母は彼女にもEMを渡していた。彼女笑顔で受け取り、「これを入れるとトイレが本当に臭くならないんですよね」と言った。僕よりも若い娘さんが、一人暮らしの部屋でEMを使う。そのことを考えると、とても奇妙な心地がした。

僕は今も母のEM活動を静観しつづけている。EM母の日常に完璧に溶け込んでいる。そしてもはや母一人の活動ではなく、親戚や知人や自治体さらに周辺の自治体や団体にまで影響範囲は拡大している。僕にはそれを止める力はないし、母との関係を悪くしたくもない。

ネット疑似科学を叩けても、母には何も言わなかった、僕は卑怯者かもしれない。

だけど今の僕には何もできない。

2013-11-07

http://anond.hatelabo.jp/20131107145457

注※極論を書きます

例えば結婚相手に求めるものが『料理が上手いこと』だけの男の場合

料理上手の嫁さんはその人にとって「100点の女」になります

たとえ掃除ができなくても、金遣いが荒くても、エッチが下手でも問題ない。

だってその男にとってそれらの要素は『どうでもいいこと』だから

ただ、現実でそこまで極端な男は少数だろうから他に

感性が似ている』『美人』…みたいに女に求める要素が増えれば増えるほど

該当する女は少なくなっていく。

でも神様みたいな女よりはずーっとたくさんいるはずだ。

問題は自分が嫁に求める要素は何なのか?って所だと思う。

そこがあやふやから自分にとって100点の女の条件”で探すことができず

世間にとって100点の女の条件”で探すことになり、後々後悔するんじゃないか

ちなみに俺の条件は『料理上手』『性格がまっすぐ』『金銭感覚が同じ』だったか

割とすぐに見つかったな。

俺にとって嫁さんは100点の女だよ。

2013-11-06

http://anond.hatelabo.jp/20131106003702

これって、俺が最初に書いたことと一緒じゃん。

バッシングは当たり前だけど、罰しなきゃいけないことはない」っていうのが最初の話。

お前の定義矛盾ありまくりからおかしいんだろ。

まず、最低限自分の中では言葉定義を統一しとけよ。

天皇陛下手紙を渡したこと」は、失礼とかマナー違反とか言う意見はいろいろあるかもしれないけれど、少なくともおおっぴらに批判できるようなことではない。

って書いてるよな?

上ではお前は「バッシング」と「罰」は違うものだと書いてる。

そのままこの文章を読めば、お前は「失礼やマナー違反という意見」をいうことはバッシングで、

おおっぴらに批判することは「罰」ということになるがそれでいいか


じゃあ、「失礼やマナー違反だ」ということとおおっぴらに批判する、ということはどう違う?

てか、「大ぴらに批判」の方が「バッシング」よりむしろ軽い意味だと言うのが一般的認識だと思うが、

お前の中で、「バッシング」ってなんなんだよ?

まず、その辺整理してからでないと読む方も読み間違える。読み間違えたのかどうかすらよく分からん



しろ、この行為に対して懲罰を与えてしまうと、日本国憲法矛盾や、天皇制矛盾とかそんな話をあぶりだすことになってしまう。

ここで、天皇云々を言い出して本気で言ってる様な人達は、特に左右どちらかに傾いている人で、

他の人は、ただただ、彼の行動を国会議員に相応しくない行動で不快だとして批判してるだけだろ?

これが園遊会からこういう話題になったけど、他にも書いたけど、招待された成人式だとか学校行事とかでいきなり原発どうこうの批判を始めたらそれに対しても同じ様なバッシングをするぞ?

ただ、その場合は左右の人達からの議論が来ないだけで、一般から来る批判は同じ。

勿論、園遊会のがインパクトがでかいから、どこぞの地方小学校でやったりしてもそれ程話題にならないかもしれないけど、テレビが来るような成人式でやればこれ以上の話題にもなるかもな。

で、その一般の人達も含め、そのような輩のやった行動にさらに難癖が付けられるならいくらでも付け加えるだろ?

それが今回「天皇政治利用」という分かりやすものだった、というだけ。




ただ、これを「政治利用」というのはちょっと違うのではないか。なぜなら、「利用」というのであれば、利用する側にもそれなりの権力、あるいは実行力を伴うことが必要であって、単に手紙を渡したことを政治利用というのは難しい。言えるのはせいぜい、「政治利用意図が込められている」くらいだろう。

から政治利用意図が込められてたら駄目だろ。その時点でアウト。

国会議員自分の政策に関する事柄を天皇に伝えようとする時点でアウトだろ。それくらい分かるだろ?

一方で

天皇には実質的な力などないと割りきった上で、政治に利用する」自民党政治家たちに向けられるべきで、

この部分は同意するし、お前らが言うなよ、と言う様な人達も居る。五輪なんかは酷かった。

だが、だからといって彼の行動を肯定するものではない。

五輪の件だって、あれで東京都がなんかやらかしたり裏で何かしてた、とか明るみに出たら、

天皇利用も含めたかたちで批判されるだろう。

ただ、五輪の招致というかその組織天皇家に近い人間が居ることがまた問題をあやふやにさせたりするかもしれないが。。。





山本太郎の行動が、いろんなところで批判されていること自体はもっともだし、もっとやれば良いと思う。ただ、批判の方法を間違えないように。「天皇手紙を渡すなんて失礼」という人間と、山本太郎と、どちらが、天皇の偉大な力を信じているか・・・、そんな非生産的な議論に首を突っ込むのはゴメンだ。

最もだと思うなら、「おおぴらに批判」されることも最もだろ?別に刑事罰を与えて懲役刑しろ、とか、天皇への侮辱犯罪だ、なんてのは一般的には言われてない(言ってる右もいるけども)

単純に、これまでの行動から見ても、彼の国会議員としての資質に疑問をもってやめさせるべきだ、という程度の批判は何もおかしなことではないだろう。

天皇手紙を渡すなんて失礼」と言う人間山本太郎、どちらもどうでもいいし、お前が勝手に首突っ込んでるだけだろ。

現実は、一部の左右の人間がそこを大きく話題にし、

他の一般人は、また山本太郎やらかした、いいかげんにしろ、と思ってるだけの話。

そこに分かりやす天皇政治利用とかがあるなら、もう辞めさせる事が出来るならそれも話題にしても何もおかしくない。それは大げさなことではないし、正しいこと。

お前はその部分も根本的に勘違いしてる。

天皇」に対する不徳かどうか、そう言った思想的な議論をしてるのはお前を含めた左右の人間だけ。他の一般人はそれを利用してるだけ。そこをいい加減理解しろよ。

2013-11-05

自動車の運転下手を克服する

自動車の運転が下手だった。

今でも上手とは言えないけれど、ましという水準にはあると思う。

心がけたことはものすごく基本的な事だが実践しようとすると難しい。

当然のことをできない人は運転が下手ということなのだけども。

踏力だけではなく踏むタイミングもすごく大切。

カーブの手前で減速する。ハンドルを切りながらブレーキをかけない。

前の交差点が赤信号なら早めに減速して、速度が十分に落ちてからブレーキをゆるめにして停止。

一定あるいは徐々にブレーキを強めていくような操作は、同乗者にとっては怖いことがある。

カックンブレーキでは乗り心地も悪いし乗り物酔いもしやすいし。

シートの背もたれを起こす。シートベルト機能した際の安全にも関係する。

ブレーキペダルを思い切り踏み込んで、足がぎりぎりで伸びきらない程度にシートを調整。

腕が伸びきらず、ステアリングホイールを抱え込まない姿勢にする。

頭が天井すれすれになるまでシートを高くするのが個人的な好み。

運転する自動車全長と全幅と全高についておおまかな数値を覚える。

あやふやでもいいか自動車の四隅を掴もうと意識する。

信号で止まった時や駐車場に停めた時にはドアミラーで車体と白線の位置関係を確認する。

  

何に乗っていたっていいのだけど、プリウスはよろしくないと思う。

他にも運転しづらい自動車はあるけれど良く売れているので挙げてしまう。

ハイブリッドシステム回生ブレーキはがくがくする。

楕円のステアリングホイール違和感がある。

Aピラーが寝ているので見切りが悪い。ハッチバックなので後ろも見えづらい。

もちろん何であろうと慣れてしまえばどうということはない。

2013-09-26

仕事辞めることにした。

仕事辞めることにした。

入れ替えは「協力会社」くらいなもの離職率は低い職場なんだけれど、3年程働いてたが全然水が合わなかった。

そもそも、職場に来た初日に直属の上司から周りに挨拶もなく「席はここ、しばらくコレやっといて」と課題みたいなのを出されて、周りの人ともイマイチ溶け込めない、みたいなスタートからして怪しかった。

隣の席の人とくらいは簡単に自己紹介くらいはしたが、全然わけもわからず、その後も「個人でよくわからない役に立つかも知らない作業を黙々とする」という状況が続く。

後になって、割り振りたい案件が上手く進まずに、採用したもののさせることがない状態だった、みたいなのを何となく理解したが、ほとんど誰と話をすることもなく黙々と作業して帰る、みたいな日々が続いたのはキツかった。

今思えば、最初から「合わない」のはわかってたんだけど。

んで、担当させられるであろう案件がボヤッとしたまま、何もすることが無いのもつまらないので、自分企画書いて出してみたり、社内の新企画コンペに参加したりしてみた。

何度かそういう自分で出したアイデア仕事作ろうとしたんだけれど、進んでいた話が知らない間にフェードアウトしていたり、上司の手の中で死んでいたり。前も後ろもわからん職場で、自身のアイデアを強く推進するようなコミュ力なんて持ち合わせてないし、そのまま生きるでもなし、死ぬでもなし、たまにちょっと出来る細かな作業をこなして時間つぶしになる、という日々が続いた。

ちなみに、これくらいの時期に、恐らく俺と似たような状況に置かれた人間があと2人いて、その2人は同じくらいの時期に退職していった。その2人が、最後に見た退職した人だと思う。

そのまま1年半が過ぎ、ようやく進み始めたメインで振り分けられるはずだった案件がちゃんと進み始めて、やっと「仕事してる」と実感できる毎日がやってきた。しかし、それも長くは続かなかった。

誰がイニシアチブを握ってるのかまったくわからない会議体。

方向性の定まらないバラバラのステークホルダーたち。

何か言ってもまったく響かないので、発言する気力も失せてしまった。

そして、どう贔屓目に見ても競合他社と比較してまったく競争力のないものであることは明らかなのに、予算もないし納期が決まってるからと走り出してしま案件

気がついたら、予算がないからと「協力会社」の一員みたいな立場押し付けられていた。

立場の強い社内の人間が導入を検討していた「新しいやり方」を試す実験台としてその案件が利用されることになり、まったく慣れない内容に右往左往して、連日終電まで働く「協力会社」の面々と、俺。しかも、「新しいやり方」の導入準備で作業開始が1ヶ月くらい遅れてるんよ。

わざわざ仕事を面倒に作り変えたり、定例ミーティングと称した「みんなで考えよう会」みたいなのが毎日2~3時間あったり。スケジュール毎日のように引き直されて。

若い頃は月間残業200時間だろうがなんだろうが平然とこなしていたけれど、信頼関係もなくモチベーションも薄い状況では無理だった。じわじわと体力を奪われ、毎日トラックに轢かれたら楽になる」みたいなことを考えていた。

軽口で嫁にそういうことを言ったら、酷く怒られた。そんな軽々と命を捨てたい人とは将来を考えられないって。謝って、許してもらったけど。深夜に帰ってきてテレビ見たらちゃんと笑えたし、クソみたいな状況に対する怒りの感情もちゃんと持ててたし、カジュアル心療内科行って話しても大丈夫しかたから、鬱じゃなかったとは思う。

連日終電ギリギリで、さすがにちょっと疲れたから適度にキリ良いところで22時くらいに帰ろうとしたら「こんな時間に帰られたら困る」みたいなことをプロジェクトマネージャー的な人が言ったのは笑った。クソが、死ねと思った。

そのことで口論してたら、その隣のソイツの子飼いが机蹴飛ばして出てったのには笑った。バーカ、死ねと思った。

そうこうしているうちに完全に納期に間に合わないスケジュールになって、それでもうちの会社(=協力会社にとってのクライアント)に対して「間に合わせるのが私達の仕事です」とか言って俺とPMの部下に過剰な長時間労働させてたのはゴミだと思った。間に合わないなら腹切るのがお前の仕事だろ、部下にしわ寄せしてるんじゃねえ。

まりの横暴だったので、さすがに付き合い切れなくなって「案件から外してくれ」ってうちの会社の違う人に頼んだら、「私も酷いと思うから改善するように言っておく。もう少し付き合ってやって」という結論に達したので、結局リスケ1週間も含めて土日終電まで付き合って、燃え尽きた。

んで、しばらく後に「あの状況は酷かった」みたいな話を直属の上司に話をしたら「お前がひっかき回したから酷い状況になったんだから、受け入れて当然」みたいな話になってた。あ、責任おっかぶせられてた。

そういう感じで出来上がったモノからは、当然利益ほとんど上がっておらず、依然として赤字垂れ流し状態。「納期短縮」「コスト削減」を標榜して導入された「新しいやり方」も、結局作業開始を遅らせただけで、その案件継続して採用されているわけでもなし。

職場内の人にも、メインで担当する案件にも良い塩梅で幻滅しつつも、売り上げの悪いのをなんとかしたいと思ってはいたので、その後も改善案出したり細かな実働部隊サポートでなんとかならんものかと、奮闘とは言えずとも仕事を続けていたわけなんだけれども。

結局、担当案件も将来に渡って黒転する見込みが見えず、方針もあやふやだし周囲にもやる気が感じられないという状態なので、ここ数ヶ月じわじわモチベーションを削られていった結果退職を決意することにした。

仕事自分で作れ」みたいなことを散々上司は言ってたけどさ、それなりにやってた自負はあるけど限界はあるし、そもそもこの状況で自分仕事作って意識高くバリバリ働けるようなスーパーマン、俺の知り合いにいるけどトップアスリートのような鋼の男だぞ。豆腐みたいなメンタルの俺には無理だわ。

いや、そういうスーパーマンになりたいと思う心はあるんだけれど、この3年間で何度「なろう」と決意しても無理だったんだわ。

周囲はまったくそういった仕事のしづらさみたいな素振りを見せてないし、この業界には珍しく21時にはデスクほとんど空だし、平穏無事に楽しい仕事ライフ送ってるんだろうなとは思うんだけど、俺には無理だったってことなんだろうね。

書いた文章読めばわかると思うけれど、自分自身が十分なクズで世の中をナメきってるところがあるのは自覚してる。

20歳くらいの時に別れた彼女から最後に言われた言葉は「貴方みたいな自分勝手わがままな人は、一生一人で生きていったほういい」だったっけ。

スーパーマンどころか、どうしたら真人間になれるのかわからん

とにかく、まず「自分から何かを言い出す」ことが苦手。

考えていることはあるんだけれど、言い出せない。「言い出せない」が「言わなくてもいい」に変わって、後に「言うべきではない」に変換されている。

それが積み重なって「何を考えてるんだかわからない」「何も言わず勝手に何かを始めている」に変わって、自分に跳ね返ってくる。

あとは「自分の都合、気分が最優先」なのがいけないんだろうな。自分以外の幸せを本気で願わない限り、真人間になれないのかな。

嫁さんとの間にまだ子はいなくて、自分の子ができれば変わるかなと思ったけど、たぶんこのままじゃ変わらないな。

不幸な結末になる前に、なんとかしないと、とは思ってるんだけど。

2013-09-11

器用貧乏

最近気がついたというか、しみじみ感じるけど、自分はあまりから教わらないで生きてきたと思う。

全くない訳じゃないんだけど、きちんと一から丁寧に教えてもらわなくても勘が良いので、それなりにやれてこれた。

余程のことがないと自分努力して学ぼう!とはならないので、仕事に限らずだけど結局いろんな事があやふや

いい年になって、基礎ってやつがないんだなって気がついた。

なんとなくはやってこれたけど、これじゃいけないんじゃないかなって思ってる。

でも、自分でがんばって学ぶぞ!って気力がない。

自分精神状態とか色々あるけど、今までもやってこなかったんだから、そう簡単には変わらない。

人はそんなに簡単には変わらない。

2013-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20130910141615

Twitterと対比させたのでアジア発的な意図はあったんだけどそのへんあやふやなのはすまなかった

2013-09-05

炎上事件に対するネット自警団制裁とかの件

冷蔵庫に入るのは、どれほど重たい罪なのか。

http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20130904/1378297680

↑とか読んでて思うんだけどさ、そんな難しい話にゃなってないと思うんだよね。

罪だとか罰だとか、裁くとか正義とか、そんなたいそうな話には"まだ"なってないと思うよ。

いつもの日本と同じく、責任を負いたくないから出てくる対応ってやつだろ。

昔の話。裁量の範囲内でのうやむや。

パトカーに昇って写真撮ってたバカが炎上してただろ。

あれで、おまわりさんが「気がつかなかった」って言ってんだけどさ、

そう言うこともあるかも知んないけど、ありゃあ「なあなあ」ってヤツだろ。

オイコラ警官ってのは嫌われるけどさ、バカは一発殴って小一時間説教ってのがまあまあ効いてた頃もある。

軽犯罪にひっかかったり、器物破損になるようなモンだって説教で済んでたりした。

まあ、現場裁量ってヤツだ。

何が言いたいかって言うと、

昔っからバカはいたけど、それは見えてなかったわけじゃない。

昔っからバカはいたし、町内ではそいつがバカだってのも見えてた。

単に、周りが寛容で、ま、殴ったり殴られたりでもそれはそれでうまくいってた。

今の話。裁量を越え、責任が取れなくなる。

で、だ。

バカが「こうなご云々予告」で捕まったりするだろ。

あれが「バカの可視化」とか「ネット正義感が」でどうのってのは、違う。

例えば学校から警察に対して通報があったとする。

被害届があったとしたって、捜査する義務はない。(告訴とは違う)

でもだ、じゃあそのとき本当に学校無差別殺人が起こったらどうなるだろうか。

そんな判断を一警察官は出来ない。それは裁量を越えている。

目の前でバカが「こうなご!」って騒いでりゃ、バカ扱いして説教すりゃ済む。

だが、学校から被害届が出れば、それは捜査しなければならない。

バカの可視化が問題でもなければ、周りが不寛容なわけでもない。

正式なルートに乗った場合、それに「対応しない」のは「対応しなかった責任」が生じる。

まり、「正式なルートに乗っている場合は、正式に対応する」のが正しい対応だ。

飲食店の話

今の冷蔵庫醤油差しなんかの飲食店の話も全く同じだ。

顧客からクレームが来る。

それに対して対応しないというのは「あの店はアレを許す店だ」と認めたことになる。

それにクレーム係が責任を取れるだろうか。広報は?法務は?株価責任を持つ経営陣は?

なら、どう対応するか。

消毒をするだろう。入れ替えるだろう。返金にも応じるだろう。

それらに「対応しなかった責任」が生じるからだ。

誰もが責任なんか取りたくない。

から対応する。

全く逆の話

じゃあ、全く逆に、裁量で握りつぶせる場合はどうなるだろうか。

例えば、あやふや情報での「あんたんとこの社員割れ厨だ」みたいな通報

飲酒告白喫煙自慢のバカに対しての、学校側への通報

未成年者の飲酒喫煙も罰則はなくても明確に法律で禁止されている。

でも、あんまり処罰されて無い。

それよりも、明確にはどの法律違反しているか判らないような、バカ行為大学が謝罪して処分したりしてる。

これらも全く同じで、「あの大学はあれを許す大学だ」ということが公になったとき責任を取りたくないからだ。

まとめ

まだメディアの力は強いよ。

Twitterでバカが騒ごうが、それに対してクレーム入れようが、別に対応する義理は無い。

内々でなあなあに済ませたって、別に何の問題もない。

でも、

『その後「事実関係の裏取り」をされて「クレームを入れたがなしのつぶてだった」と報道されたら、どうなるか?』

と、企業側が考えたらどうなるだろうか?

1人2人がブログで騒いでたって、まだまだたいしたこた無い。

それをネットメディアが記事にして、それを元に新聞社が動いて、ワイドショーあたりでネタになったら終わりだ。

から、それに対してインセンティブのある(売り上げ低下、株価下落、担当者処罰責任を取りたくない)者が、行動を起こす。

ひらたくいや、「訴えが正式ルートにのった」ってのが可視化されるようになったのが、問題の本質だと思ってる。

まだまだ正義だのネットで裁くだのって話にゃなってないよ。

結局の所、関係者から正式ルート対応依頼が飛ばない限り、面倒ごとは無視される。

飲食店小売店炎上騒ぎに敏感に反応するのは、飯食う人間や買う人間がみんな関係者からだ。

そして(例えそれが愚かだったり感情的だったとしても)一定数の関係者が嫌がってれば、メディアニュースバリューがあると判断する。

そして、企業対応する。

正義道徳だって言うよりゃ、まだまだ生臭くて泥臭い勘定責任逃れのお話だよ。

2013-08-26

きな子上履きを舐めたことがある

あれは小学校ときか。高校ときもやった。

その後も夢の中で何度も舐めた気がする。

もはや現実の思い出と夢の中での妄想がごっちゃになってもはや本当にやったかどうかすらあやふやな状態。いややったんだけど。

正直おいしいものじゃなかった。

想像する通りの味だよ。ちょっと苦いだけ。あとプラスチックっぽい味?だけ。

残念ながらにおいフェチではなかったから単なる好奇心の杭はすぐに打たれた。

体操着とかには手を出そうと思わなかったのになぜか上履きというレベル飛ばし変態性に挑戦した自分が何を考えていたんだろうと思うと、好きな子に近づきたかったっていうそれだけだと思う。

舐めることによって相手との距離がゼロになるんだよね。

間接足の裏舐めと同じだし。

手もつなげなくても舌と足の裏でつながっている関係

単純なつながりよりもよっぽど深いものを感じるよね。

自分が粘膜、相手が足の裏っていう一方的な関係もまた特別なんだと思う。

本来なら出会うことのない二人が出会ってしまたかのようなときめきがそこにはある。

大人になってラブホで相手の下着を履いてみたのも同じ感覚なんだろう。

密着、同一化といったような、より高次のつながりを求めていたんだ。

人間はどうしたって孤独だ。

相手とどうにかして近づきたい、一緒になりたいと考える。

その手段の一つとして上履き舐めるという行為があるんだと思う。

期間限定で、心に甘く、舌に苦いだけの経験

増田を読んでる小中高の学生がいたら是非好きな子上履きを舐めてみてほしい。

そのほろ苦さが君を新たな次元に導くだろう。

――それが、青春の味だよ。

http://anond.hatelabo.jp/20130826063711

しかに、実体経済と金市場は密接に結びついてるけどイコールじゃないわけで。

そこんところがあやふやで、この議論を無意味にしてる気もしてきた。

まぁ、金融市場のみを力技で系として考えると「閉じた系」にする(マネーサプライ供給を断つ)ことも可能なわけで。

でも、そうやっても結局人間実体経済暮らしてるから今度はその「系」の設定が無意味存在になるだけで、

やっぱあれか、どうやってもエントロピー概念経済概念をくっつけるのは無理臭いわけか。

ところで、金融市場へのマネーサプライ供給を徹底的に断って

かつ、同時に新規発券も徹底的に取り締まり「今在る紙幣外地球にはない」って状態を作り出したら

その時、マネーエントロピーは果てしなく増大に向かうんだろうか。

この思考実験自体に意味がないな、物々交換になるだけか…。

2013-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20130817125113

情報が本人の弁しか無い状態であやふやな事言ってたらそりゃ何かしらの疑義は問われるでしょ。

特に日傘ネタ最近良く出るトピックから時事の報が持つ普遍性あやかろうとしてるのでは?

と思われる事自体は仕方ない。

元の匿名記事に意図が無い分わざわざ証明する必要も無いとは思うけど寛容求めすぎるのもどうかと。

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