はてなキーワード: 三題噺とは
毎度のお運び、ありがとうございます。
今年も相変わらず「三大○○」なんてのが流行りましたな。
それにあやかりまして、「三題増田」なんてのをやってみたいと思います。
寄席なんかでやられる「三題噺」の 増田版 っていう趣向でございます。
ブコメが 3つ付きましたら、私がそれを見て、「あぁ いかにもそんなブコメが付きそうだな」っていう本文を、後から書かせていただきます。
それでは、お題をよろしくお願いします。
ただ、赤より緑色のほうが似合うと思うなあ。
承認欲求強すぎでしょ
それはパワハラというより、猫腹。猫だけに。
気がついたら4つあったので、四題ってことにしました。
もうすぐ父の還暦を迎える。
年末年始に家族が集まるので、少し早いけどささやかながらお祝いをすることになった。
いろいろと準備をしているのだが、さっそく問題が出てきた。
俺と母が 赤いちゃんちゃんこを調達しようとネット見ていたら、
父がやってきて「そんな恥ずかしい物は着ないぞ」と言い出した。
還暦といっても今の60歳は元気だ。父もまだまだ現役で働いている。
父の言い分はもっともなのだが、母は「縁起物だから」と こっそり注文してしまった。
「当日になれば着るしかないでしょ」と言っている。
そして会場探しだ。
弟は「どこも混んでるから」と家でやりたがっている。
父も(母のことを考えて)外食がいいが、肉料理は胃にもたれるから嫌だと。
トイレでワシも考えた。
ネタに困ったら試してみてね。僕はやってないけど。
○一次蒐集篇
a)小説を読む
b)新聞を読む
d)折り込みチラシをくまなく読み込む
f)辞(事)典類の適当なページを開いてみる
i)本屋の寄ったことのないコーナーで、ディスプレイを眺めてみる
q)Wikipediaのリンクを辿ったり、ランダム表示を利用してみる
s)イタコ式発想術:頭の中に浮かんできた言葉を一心不乱にノート(エディタ)に書き続ける
何も思いつかないなら「何も思いつかない」と書く
それすら書けなくなったら「ああああああああいいいいいいえええええええうんこうんこうんこ…」のような無意味な文字列を書き続ける
t)無限の猿定理法:キーボードをめっちゃくちゃにぶっ叩き、意味のある文字列の出現を待つ
u)ワードサラダ法:google日本語入力のサジェスト機能だけで文章を作ってみる
○お助けソーシャル篇
w)はてなブックマークを読む
x)google検索やtwitterのトレンドキーワードを追う
z)twitterのフォロワーのフォロワーのフォロワーの……よく知らない誰かのタイムラインを追ってみる
○ディフォメーション篇
a)~x)までで得られたキーワードを元にさらなる変形を加えていく。
α)しりとり
β)連想法ちゃん
δ)属性列挙・マンダラート・SCAMPER・オズボーンのチェックリスト……
ε)逆・裏・対偶
η)タロットカード
――――以上を繰り返すと、否が応でも「自分なりの考え」というモノが産まれてくるので、それを人に話したり、文章化してみたりすればよい。
さて、未来は読めないというのが基本姿勢にあるリアル志向の皆さんコンニチハ。
たまに「まあライターも金稼ぎたいしな」みたいな記事があがるな。
「ウルフ・オブ・ウォールストリート」は観たか?
マーティン・スコセッシの映画はクセがあるのでファミリーにはオススメできねぇが、
ウォール街とはつまるところ「相手に買わせる」プロの集団に尽きると喝破したのが素晴らしい。
まず、資産運用の話をするときに「余裕資金で」とか言うものは捨てて良い。
例えば、このご時世幸運にもボーナスで30万ほど「使うあてのない金」が入ったとしよう。
この金を「余裕資金だし、今話題のソシャゲ会社の株に」とあやふやな理由でツッコむ。
まあ、2/3になったあたりで撤退できれば上出来だな。
「負けた」10万円は、夫婦2人で2泊3日のグアム旅行ぐらいは行けたカネだ。
恐ろしく高いと感じるアニメのBlu-rayボックスも、2~3個買えたな。
それはオマエの稼いだ身銭だ。
お金に色はないので、食費も教育費も娯楽費も、結局のところ同じ日本銀行券だ。
商社で小麦の輸入でもしてりゃ胃に穴が空くぐらい理解してるだろうが、日本銀行券の価値は上下する。
昭和ヒトケタの1万円と、今の1万円の価値が違うというのは、なんとなく判るだろ?
これは、つまるところ「タマゴの価値は下落し続けている」というのと同じだ。
小規模な養鶏家が、集約され大規模化され超高効率でスーパーに届くことで「価格」が同じに見えるだけだ。
つまり、今月の給料は、10年後にも同じ価値を持つとは限らない。
ごく当たり前の話をするが、中小企業を立ち上げて運転するには、カネがかかる。
土地を借りる、機械を借りる、種や苗を買い入れ、水をやり肥料をやり虫を取り育て、収穫して、より分けてパッキングして出荷する。
つまり、スタートしてから実際にモノが売れてカネが入り始めるまで、タイムラグが有る。
大抵の企業間取引は現金決済しない。普通は納品後2ヶ月遅れで入金されたりするもんだ。
で、だ。
未来に間違いなく収入があって、しかもそれが定期的な収入になって返済できる、と思った場合、銀行はカネを貸す。
なぜ貸すか。カネを増やしたいからだ。それが利子(利息)というやつになる。
そして、中小企業側も、利益は収入を増やす方向にツッコンだ方が、当然儲けも増える。
Amazonはあんなに儲かっているのに常に赤字だが、これは稼ぐよりも多く拡大しようとするからだ。
これを「設備投資」と言ったりする。
つまり、「将来カネを増やすためにカネをツッコム」事を投資という。
資金を投じるワケだ。
例えば普通預金。
利子、ついてるだろ?すごく少ないが。
あれは「投資」のアガリだ。儲けだな。超少ないが。
預金保険機構、まあほぼ日本政府が1000万までは保証してくれてるから気にすることは基本無いな。
じゃあ例えば、知らねえ奴が鯛焼き屋の開店資金として200万貸して欲しいと言ってきたらどうする?
息子が必死の顔でやってきたら、話ぐらいは聞くかもしれない。
それが、銀行のやってる「投資するに値するか検討する」つまり「与信管理」だ。
資産、あるか?
まあ、流動資産(預金など、即カネになるもの)と、固定資産(現金化に手間がかかるもの)とに分けられる。
企業では1年以内に換金可能かどうか、1年以上保持するかいくら以上かみたいな細かいことあるが忘れて良い。
ローン組んで家買ってる?おめでとう。それは固定資産&長期負債だ。
コンバインは資産だが、銀行に残ってるローンは負債だ。借金だな。
中小企業がカネを借りて運転するのはフツーだという話もした。
投資してないつもりでも「銀行預金」ってのは「投資」だって話もした。
と、なるとだ。
資産運用というのは、つまり「流動資産」を「投資」することだ。
1000万未満だし政府保証もあるしで「銀行投資」というのも1つだ。
が、その「投資」、例えば友人から持ちかけられたものならどうだ?
「オレの英会話に投資しない?3年後に給与アップするし年利2%で50万貸してくれよ」に、無条件で出すか?
担保はあるか、返す当てはあるのか、そもそも3年後に給与アップって甘くないか?とか与信審査するだろう。
そう、「サラリーマンの資産運用」とは、つまり「オレ銀行」が投資先を精査して与信管理することだ。
オマエがカネを貸し付けるんだよ。
銀行がそのカネを何に使うかは政府保証のお陰で考えなくて済む。
この銀行への貸付を引き上げて、他にカネを貸して、カネを増やす。
貸す前に審査して、貸した後に予定通りか確認するのが「与信管理」であり「運用」だ。
例えばTOPIX連動のETFを定期的に買う、それも良いだろう。
銀行と違って、個人はカネを一度貸したら貸し剥がしみたいな引き上げが難しかったりする。
貯蓄型の保険とか、貸したカネを何十年か立つ前に返せって言うと、ずいぶん減る貸付先もあるな。
(前回集計http://anond.hatelabo.jp/20071126102502)
終了。
漏れがあったらごめんなさい。
実話に見せかけた創作、みたいなややこしいのは知らん。
創作に見せかけた実話、とか、コピペとか混じってるかもしれないけど気にするな。
今年の4月に晴れて大学生になったわけだが、思い描いていた楽しい大学生ライフなど気が弱く、面倒くさがりで根暗で対人恐怖症の僕には微塵も用意されているはずもなかった。大学生になればきっと変われると思っていた自分が馬鹿だった。
理系の大学のせいか、必修授業や実験などで4,5人の班に分かれることが多かった。まさか大学生になってこんなにも班行動をさせられる羽目になるとは誤算だった。当然、僕はあまり者の班になり、その中でも浮いていた。
そしてもう一人浮いていたのがアズマだった。アズマとは別にウマがあったとか趣味が同じだったとかではなく、集団からはじかれはじかれしているうちになんとなく一緒にいることが多くなったってだけの関係だった。少なくとも僕はそれ以上の関わりを持ちたいとは思っていなかった。
1時間目の有機化学の講義の後に、いつの間にか後ろの席に座っていたアズマが
と、唐突に言った。
最初は何のことか分からなかったが、そういえば来週までに実験のレポートを出さなければならなかったことを思い出した。
それじゃよろしく、といってこちらの返事も聞かずにそそくさと教室を出て行ってしまった。少し様子が変で気にかかったのだが、実験のレポートで分からない所があったし友達のいない僕には好都合だった。
2時間目、3時間目はアズマとは別の講義を取っているので顔をあわせる事もなく過ごした。そして4時間目の解析力学、アズマもこの講義を取っているはずなのに出席していなかった。
自分から言っておいてすっぽかすつもりかよ。僕はちょっと苛々しながらアズマに電話をかけようかどうしようか思案しながら二つ折りの携帯電話を開いたり閉じたりしていた。結局、電話をかける決心もつかないまま教室には僕一人取り残されてしまった。どうせレポートの提出日はまだ先だし、明日もアズマと同じ講義があるから今日は帰ろう。そう思い教室を出た。
そこには、まるでアニメの主人公がつけていそうな真っ赤で馬鹿げたくらい大きなリボンをした美少女がそこに立っていた。いや・・・正しくは青年なのだが。
その馬鹿げたリボンさえ似合ってしまっている清楚で可憐な立ち姿は女にしか見えないのだが、ほんのり薄く化粧された顔は、どう見ても絶望的にアズマだった。アズマは体が華奢で、すっとした顔立ちをしていたし長髪だったたので中性的な雰囲気は持っていた。・・・持ってはいたが、信じられない。顔は確かにアズマだと認識できるのだが信じられない。あまりの衝撃に相当長い間固まっていたと思う。
「あ、あの・・・僕はこういう趣味があるんだ。で、でも、女装が趣味ってだけで好きなのは女性だし、そっちの趣味はないから・・・」
「そ、そうなんだ・・・」
ようやく言葉を発することは出来たが、まだ頭の中は固まったままだった。
固まった頭に追い討ちをかけるようにアズマは続けた。
「今日これから少し付き合ってもらえないかな?」
「は? えと、その前にこの状況がまだ理解できてないんだけど・・・」
「ネットで知り合った女装が趣味の人たちとオフ会をやるんだ。」
「ちょっとまって。ちょっとまって。無理だよ。他をあたってくれよ。」
「他って・・・他に頼める人なんていないよ。分かるでしょ?」
確かに、ここ数ヶ月同じ大学で過ごしてきたんだ、僕同様アズマにも友達がいないことぐらい分かっていた。アズマはネット友達に彼氏がいると嘘をついてしまったらしい。その辺の詳しい経緯はどうでも良かったが、もう後には引けない状況なのだそうだ。僕も最初は本気で断ったし半ばキレ気味だったと思う。しかし、こともあろうにこのアズマという男、女の武器を使ってきやがった。他に頼める人がいない、本当にフリをするだけでいい、これっきりにするからなどと泣いて懇願してきたのだ。頭ではアズマだと分かっているはずなのだが、目の前にいるのはどう見ても泣き顔の美少女なのだ。とうとう僕は負けてしまった。もう半分以上やけっぱちで了承してしまっていた。
数時間後、僕はもうどうにでもなれという自暴自棄な気分でカラオケボックスで3組のカップルがそれぞれの彼氏を紹介しあっている風景をながめていた。
にこにこと屈託のない笑顔でアズマは僕を紹介した。
自分の名前を呼ばれ否応なしに現実に引き戻された僕は、事務的に
「どうもニシノです。」
と言って、軽く会釈した。そして、初めて他の4人の男の顔を確認した。この時急に、この4人の男に僕がアズマの彼氏だと思われていることを実感し、足つぼマッサージをされているかのような痛みがぐりぐりと僕の心を襲い、その痛さに身もだえして声が漏れそうになるのを必死に我慢した。
「楽しもうね!」
「世の中」もまた、「セケン」の集合体である
「世の中」と「世間」は、同じだ。辞書を見れば、それは分かると思う。
「世の中」と「世間」は同じだ。集合体とか、そんなものではない。だから、「セケン」と片仮名で書いて、新しい本当の意味であるように魅せている。が、この「セケン」を「文化」に置きかえれば、ただの「文化」の説明文へと化すだけである。というか、「文化」の説明が 新しい「世間」=「セケン」 の説明に化けているだけだ。
目を覚ませ、ここにある「セケン」は確かに「世間」では無いが、「文化」ではあるのだ。
つまり、
「世の中」もまた、「文化」の集合体である
と言っているのに等しい。ただ、「世の中」を「文化」を使ってあらわしているだけである。日本の「文化」やアメリカの「文化」が集まって、世の中を作っている。その日本が「セケン」でできているなら分かるが、その日本もオタク「文化」や、武道など古くからある「文化」が集まった「文化」なのだ。
ここ文「文化」だけが「セケン」に化けているわけではない。
私は確かに「あの」「セケン」から出たが、それは別の「セケン」に所属しなおしただけであって、「セケン」というものそのものから出たとはとても言えない、そもそも「セケン」がなければ評価が発生せず、評価がなければ収入も発生しないのだ。
は
私は確かに「あの」「文化」から出たが、それは別の「文化」に所属しなおしただけであって、「文化」というものそのものから出たとはとても言えない、そもそも「文化」がなければ評価が発生せず、評価がなければ収入も発生しないのだ。
が化けているのだ。
彼は、彼が言うには厳しい学生「文化」から、甘い日本、もしくは世界の社会という「文化」に移った。所属しなおした。
そして、どこが「そもそも」なのかは分からないが、「文化」がなければ評価は発生しない。それは当然であり、あえて言うことでもない、周知の事実である。日本の「文化」圏で誰かとであったときに「こんにちは」といえば評価されるが、アメリカで「こんにちは」といっても首を傾げられるだけで、「Hello」という必要があることは中学生にでもなればほぼ全員が知っている。
「一生モノの文化」があればそういう人生も可能なのだろうが、そんな文化を見つけるのは、今や億万長者になるより難しそうだし、そういう世間に生まれ落ちるのはさらにありえない僥倖だろう。
すでにセケンは文化に直してある。世間はそのままだけど。
「一生モノの文化」を日本などの国で手に入れることはできない。義務教育内の学生「文化」と社会と呼ばれる大人たちの「文化」の差がはっきりできている。
文化はあなたを変えるが、あなたもまた文化を変えるのだ
やはりもうセケンは文化に置き換えてある。
文化に置き換えても、まさにその通りで意味も変わらないのである。日本の「文化」で育つかアメリカの「文化」で育つかはで、食べるものから考えかたまで、かなり人間が変わる。「文化」の外見や内面も変わる。例えばトヨタやソニーの創業者は日本という「文化」の見られ方をかえた。オタクたちは「小文化」の集まりである日本の「文化」にオタク「文化」をくわえた。2ch的にいえば、日本板に新ジャンル「オタク文化」というスレッドを立てたのだ。しかし、「文化」で変わることはできても、こんな大きな「文化」を変えるのは難しい思うかもしれない。でもそんなことはない。もっと小さく考えるのだ。あなたでも○○家、○○校、○○会社の文化は簡単に変えられるだろう。
彼の言う「セケン」=文化 というのはこれで証明できたのではないか。
結局、彼、弾氏は、カタカナ語をたくさん使って自分を高く魅せている人達のように、「文化」を「セケン」と置き換えて、あたかも新しい言葉のように説明して自分を高く魅せているだけのように私は見える。
この意見に反論したり、弾氏の言う「セケン」と「文化」を分ける線を引けるものなら引いてみろ。負けない自信はある。