はてなキーワード: フィンチャーとは
エイゼンシュタイン:教科書枠 モンタージュの人 戦艦ポチョムキンは展覧会の絵のプロムナードを何回繰り返すねんと思った
ヒッチコック:教科書枠 技術的に色々斬新だったらしいが、その後洗練されたフォロワーの現れた今観ても……感は否めない 鳥は割と面白かった
キューブリック:一点透視図法の人 映像に生活感がなくてなんか観てて不安になる 半ば教科書枠のようだけど、普通に面白い
ゴダール︰「ヌーベルバーグ」の人らしいが、ヌーベルバーグが何なのかを知らん
スピルバーグ:エンタメ映画の大天才 かと思えばシンドラーのリストなんかも撮れちゃうのが凄い
ルーカス:スターウォーズ 𝗕𝗜𝗚 𝗟𝗢𝗩𝗘 SWとインディジョーンズの小道具についてのムック本読んだけど、ディテールへのこだわりが病的だと思う
ティムバートン:空想家って感じがする それを映像に起こせるのが凄い 悪趣味とおふざけにセンスがあるけど、それはそれとしてビッグフィッシュみたいなのも撮れちゃうのも凄い
スコセッシ:デ・パルマとごっちゃになる ダメ人間を描くのが上手い気がする
デ・パルマ:アクションで印象的な画を撮るのが上手い気がする miの宙吊りとか水槽ガム爆弾とか
イーストウッド:監督もやるらしいけど観たことないな、と思って調べたらハドソン川の奇跡も撮ってたの知らなかった 手広いな たけしみたいだ
コッポラ:ゴッドファーザーと地獄の黙示録しか観てないから、なんか長い映画の印象 ロッキーのエイドリアンは妹らしい モンタージュが好きらしい
リドリースコット:ブレードランナーとエイリアンの人 怪しい漢字と酸性雨のサイバーパンクの父らしい
ジェームズキャメロン:タイタニックの印象が強いけど、エイリアン2めっちゃ面白かった SFと続き物の2作目に強いらしい
フィンチャー:どんでん返しに定評があるイメージ どんでん返してから更にもう一歩踏み込むのが良い
ノーラン:小難しいけど、エヴァみたいに難解というより単に(意識的な)説明不足なだけでは……と思う でも面白い
タランティーノ:忍殺読んで欲しい 読んで映画化して欲しい 香港ズームがかっこいい
コーエン兄弟:ノー・カントリーめっちゃ良かった なんかドライな感じ
サム・ライミ:完全にスパイダーマンの人という認識 元々ホラーの人らしい
ジョーダン・ピール:黒人差別×ホラー 毎回動物が意味深に出てくる
アリアスター:怖すぎ
あとこれはあんまり関係ないけどフィンチャーのドラゴンタトゥーの女とか見た後高熱で寝込むくらいよかった
間をとってフィンチャーでいいですか?
真女神転生Ⅲ
安倍公房
シルバー事件は大好き、killer7は積んでましたすいません。
呪みちるは入手できる範囲で単行本揃えてる。谷口トモオは未読。
早く完結して下さい。
>宝石の国
原作もアニメも見ました。市川先生なら25時のバカンスが一番好き。
>Hollow Knigth
横スクはあまりやらないけれど、LIMBOやINSIDEみたいに世界観が少しずつ分かるタイプなら興味あります。
オカ板に浸っていた時期があったもので懐かしいワードがチラホラあって楽しかった。
>鬼哭街
>Undertale
7巻のホラー回を見るにあの人は相当"溜まっている"。
>Pony Island
exe.シリーズにハマっていた時にプレイ動画を見てしまって後悔してる。ああいうのはプレイしてこそなのに。
>portal1・2
>ナウシカ
>DEADSPACE
2までは名作2までは。
>よるくも
1巻読んだ→なんじゃこりゃ?完結したみたいなので続き読みます。
>寺山修司
なんかうまく言えないけど少し好みから外れる。
>砂ぼうず
最近寝る前にネットフリックスで映画観るようになったんだけど。
今まであんまり映画館に通う習性がなかったからオールタイムベスト級の作品でも見てないのが多くて、ウォッチリストに作品が溜まる一方。
だから厳選して映画を観たいんだけど、厳選した結果観た映画でも私にとってはどうでもいい映画も多くて。
ここ最近で言うと「ファイト・クラブ」とか「ウォッチメン」がそれで、
パラニュークとアランムーアの原作を読んでたから(多少の改変はあれど)原作通りのストーリーに途中で飽きちゃった。
原作をなぞるだけの映画はそれとわかるように印をつけておいてほしいなと思う火曜日。
(追記)
けっこうブクマついてて驚いた。
そうじゃなくて原作の内容をなぞるだけなら別にどうでもいいなと思うんだけど。
例えば「ハドソン川の奇跡」なんかは「筋書」が誰にとっても既知のものだけど、映画ならではの視点の切り替えを使って「映画」らしく見せてる。
多くの原作モノはそういうメディアの変化による「違い」を見せているけど、
上に挙げている2作はそれ出来て無くない?
思いつく順に列挙すると、
(1) 今の人生がとにかくつらくて、悩みを解決する処方箋が欲しかった。
(2) ジブリ作品、フィンチャー作品、『資本論』を観たり読んだりしたせいで(+周囲の人間を見ていて)、消費社会・競争社会の価値観に疑問を持った。それ以外の価値観が欲しかった。
(3) 本屋で偶然、内村鑑三(高校日本史で不敬事件の当事者として出てくる)の聖書注釈に出会ってこれが分かりやすかった。
(4) ニーチェとドストエフスキーを読んだせいで、神を否定するとヤバいことになると漠然と思っていた。
(5) マクグラスの『科学と宗教』を読んだことで、現在の科学水準でもキリスト教を否定し去ることはできないということが分かった。
(6) 何より、読んでみたら聖書の一節一節が心に刺さりまくった。
辺りかな。
[追記]
(8) (4)と関連するけど、植松聖の事件を見て、「結局重度障害者が生きる意味(≠殺してはいけない理由)はあるのか」という問いについて、神なしではうまく答えられないことに気付いた(異論はあるだろうが)。
いろいろあってキリスト教徒になりました。
んで気づいたんですけど、日本人って無宗教の人が多いじゃないですか(主語がでかいですか、すいません)。
そうすると、拝金主義とか消費社会に対する批判に触れる機会が文学や映画ぐらいしか無いんですよね。
小説ならバルザックとかトルストイ、漫画なら岡崎京子とか青木雄二、映画ならフィンチャーとか。あとはまぁマルクスですか。
でもこれらって大人になってからじゃないと読めないじゃないですか。岡崎京子とかナニワ金融道は子どものころに読んでるかもしれないですけど、その根底に消費社会・拝金主義批判がある(岡崎京子ならたぶんゴダールの影響、青木雄二なら自身の経験に加えてマルクスの影響)って気付ける小学生ってなかなかいないと思うんです。
拝金主義や消費社会批判に幼いころから触れないもんだから、金こそ全てみたいな価値観が蔓延しやすくて、よくないと思うんです。増田に毎日投稿される労働者の苦悩みたいなの見てると切に思います。
その点聖書って子どもでもよく分かる話で「金が全てじゃないんだよ」って教えてくれるんで、いいと思います。どうですか増田見てるお父さん方(布教)。
そういやこの前、カイジを読んだ学生で、利根川の演説に感動したって言ってる人がいました。利根川さんはその思想に基づいて行動した結果、焼き土下座させられてるんですけど、いいんですかね。
最近の僕は20年とちょっと生きてきて、仕事もしなければ一日中生きてるか死んでるかわからん生活を続けて、まだこんなショーモナイことで悩んでいる。しんどい。
欲望が無い。
エネルギーが無い。
生きる意味も無い。
目的意識も無い。
なぜみんな、平気な顔して生きていられるんだ。
夕日は綺麗だ。
空は青い。
「素敵な瞬間」はありふれているように思える。
そして、その「素敵な瞬間」以外の面倒なことが多すぎる。
なぜこんなにも面倒なことばかりなんだ。なぜあれもこれも考え続けなきゃいけないんだ。
阪神を応援していても、ゲームをしていても、恋愛していても、勉強していても、みんなと飲んでいても、いつも僕を襲ったあの感覚。
「なにしてんだろ、俺。」
結婚しても、子供をもっても、なにしてもこの感覚が付きまとうであろうことを考えると、生きるのが億劫になる。やれやれだぜ。
大半の人はいま目の前にあることだけに集中して、人生の意味なんてテキトウにでっちあげて折り合いをつけてるだろう。
おそらくそれが大人になるってことなんだろうし、生きるってことなんだろう。
何も自分は特別ではない。こんな風に思ってる人は少なくないはずだ。おそらく全体の2割ぐらいは悩まされてるのではないか。
だから教えてほしい。
http://anond.hatelabo.jp/20160207235315
ミステリー、軽妙、映像、そしてタラ以降なんかがキーワードかと思って選んでみました。長くなった!
まずはタラ以降の直系で『クライム&ダイヤモンド』で。ラインナップ見る限りとりあえずこれは外さない安牌かなぁ。
タランティーノ繋がりで言えば、居候エドガーライトの『ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!』。ポップなテンションと連続殺人のミステリーがいい具合に融合して弾けてる快作。たまにカットが細かすぎるけど映像も面白い。
あとは面白映像とか好きかも知れないので、ネヴェルダイン/テイラーの映画。ステイサムさんの『アドレナリン』なんかどうでしょう(インパクト重視なら二作目のハイボルテージからでいいかも)。アドレナリンを出し続けなければ死んでしまう主人公がアドレナリン出し続けるおはなし。ハイボルテージでは巨大化したり下らない! もし気に入れば『ゲーマー』も。
映像で言うと、多分見てると思うけどフィンチャーも。『ファイトクラブ』『ゴーンガール』『セブン』『ソーシャルネットワーク』、オチに怒るかも知れない『ゲーム』なんかも。
魚眼や琥珀色の映像が気に入ったら美術で組んだジャンピエールジュネ監督の『ロストチルドレン』『エイリアン4』『デリカッセン』なんかも観るといいかも。
個人的にはあまり好きじゃないんだけど、映像ならダニーボイルも外せないのかなぁ。岩に腕挟まれて長いこと苦しむ実話『127時間』、薬中映画『トレインスポッティング』など。トレスポは今観るなら主題歌のPVの方が収まりがいい気がする。
タラの推し監督で、パクチャヌクのサスペンス『オールドボーイ』『親切なクムジャさん』。
韓国映画は全般アツイので、コミカル復讐ミステリー?の『殺人の告白』、ブラックコメディ『最後まで行く』とか重厚な『殺人の追憶』、カットのセンスがいい『チェイサー』なんかもおすすめ。
『SAW』以降のジェームズワンの映画は、ヒマな深夜にレンタルするのに実にちょうど良くて外さない面白さでおすすめ。『デッドサイレンス』『狼の死刑宣告』『インシディアス』『死霊館』。
実は小品でこそいい手触りを見せた爆発野郎マイケルベイの『ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金』。実際あった馬鹿な犯罪をポップな映像でアッパーに描いてかなり面白い。ハデな爆発と死体損壊も見たくなったら『バッドボーイズ 2バッド』(ほとんど猟奇映画)。ジマー音楽炸裂の『ザ・ロック』も。
小品で言えば『ノッキンオンヘブンズドア』『キスキス、バンバン LA的殺人事件』『ディナーラッシュ』『ベティサイズモア』『オープンユアアイズ(バニラスカイ)』なんかが気にいるかなあ。
丁度よく面白いものをつくってくれる監督だと、最近はハウメコレットセラ。『フライトゲーム』『アンノウン』『エスター』。
少し前ならデヴィッドエリス『デッドコースター』『セルラー』『スネークフライト』。
『インセプション』が好きなら、夢と言えばこの人、テリーギリアム。『12モンキーズ』『未来世紀ブラジル』『フィッシャーキング』辺りからが観やすいかな。
デヴィッドリンチフォロワー?な『ドニーダーコ』も気怠くていいかも。『-less』も不気味でいい雰囲気。
あえてザッピング系?恋愛ものなら映像も面白い『エターナルサンシャイン』『(500日の)サマー』などもいかがか。
ズーイーデシャネルが可愛く思えて仕方なくなったら『イエスマン』を観て癒されよう。
語り口の面白い映画も好きそうなので、ここであえてシャマランの『サイン』。これもラストで怒るかも知れないけど、でもあとで絶対思い出し笑いができるからお得な映画です。ずっこけ『ヴィレッジ』、俺的激泣映画『アンブレイカブル』も勧める。
監督作ではないが『デビル』は普通によくまとまった作り。シャマランの映画は、深夜にテレビつけたらやってたってノリで観ると本当に面白すぎる。
同じくずっこけラストだけどすごく幸せになれるアランパーカー『バーディ』。最後だけ何回も見返してる。
映像でいえば夜の陰影とライトアップが美しいアレックスプロヤス監督のダークヒーロー『クロウ 飛翔伝説』、マトリックスの元ネタ『ダークシティ』も推したい。
ブコメにあったコーエン兄弟なら手のこんだバカ話の『ビッグリボウスキ』、めちゃかっこいいマフィア映画『ミラーズクロッシング』、軽さが楽しい『オーブラザー!』。他もいい映画ばっかりだけど、とりあえず変さが魅力の『ファーゴ』、乾いた緊張感の『ノーカントリー』、ねっとり嫌な『バートンフィンク』。『未来はいま』『ブラッドシンプル』も。
デパルマならまずは『ファムファタール』が合いそうかな?『スカーフェイス』『ファントムオブパラダイス』『キャリー』『ミッドナイトクロス』。
個人的にはファントム〜よりロッキー派なので傑作ロックミュージカル『ロッキーホラーショー』も!
あとはポールトーマスアンダーソンの安定期の映画も。『ブギーナイツ』『マグノリア』『パンチドランクラブ』『ゼアウィルビーブラッド』。
古典の名作サスペンス・ミステリーをもし観てないなら、ワイルダーの洒脱な『情婦』『サンセット大通り』『第十七捕虜収容所』、ヒッチコック『裏窓』『サイコ』『めまい』『北北西に進路を取れ』などは是非。
『穴』『十二人の怒れる男』『スティング』、個人的に『カプリコン1』『サブウェイパニック』なんかも気にいるんじゃないかなあと思う。
最後に、これは邦画だからルール違反だけど、洒脱な語り口でかなりタランティーノ以降のアメリカ映画っぽい、内田けんじ監督の『アフタースクール』『運命じゃない人』も勧めたい。
日本は宗教に寛容な国であるので、境界線もあやふやで、曖昧だったりする。
例えば、イスラム教徒のことをムスリム(Muslim)と呼ぶということは知っていても、
その認識は、回教徒と呼んでいた頃から変わっていなかったりすることが多い。
襲撃を受けたフランスの新聞が、ムハンマド(Muhammad)を風刺画に書くことの何が問題か、
できるだけ、テロとは距離をおいた形で、少し話してみたい。
イスラームの話をする前に、我が身を振り返ってその曖昧ぶりを思い返してもらいたい。
まあ、宗教のテクニカルな話をすると、はてな村のギーク達は「あとで読む」を付けるだろうから、ちょっと例えてみよう。
まず、仏教には「世界はこういうものだ」という物理層がある。輪廻だとか解脱だとかだ。
モノリシックカーネルもマイクロカーネルも、OSの設計思想も、
結局のところ、ノイマン型アーキテクチャを基にした世界観の上に構築されているわけだ。
宗教とは、目の前に存在する「現実」をリバース・エンジニアリングしている。
その構造分析の結果、あるモデルにピッタリハマれば「悟った」と言われる。
般若心経は、Z80の手書きのニーモニック表と同様だと思えば、親しみも湧くだろうか。
さて、「現実世界」は中々簡単にディスアセンブル出来ないので、
できればインテルから直接、回路図なんかの技術資料をもらうみたいに、
「現実世界」を作り上げたり、その内部構成を知ってる相手に教えを請いたい。
その教えを請うことに成功したのが、預言者であるムハンマドだ。
大天使ジブリールに出会い、アッラーフの啓示を受けたとされている。
電気屋で悩んでたら嶋正利さんにCPUの論理設計について教えてもらえた、みたいなものだ。
まあこのへんでやめとくが、この教えてもらった世界の仕組みを書き留めたものが、クルアーン(コーラン)だ。
血なまぐさい話になるのでさらっと流すが、まあ日本でも大覚寺統と持明院統とが大揉めに揉めて南北朝同時成立したりしてたわけだ。
さて、「現実世界」を理解しハックしたのがムハンマドってことは、クルアーンに従って生活するのが良いわけだ。
つまり、本質的に宗教は「現実世界への関わり方」を示していることになる。
(残念ながら注釈でしか読んだことがなく、その美しいアラビア語による原典に触れたことはないが)
世界への関わり方は、時として人によって酷く違った解釈をされることがある。
デヴィット・フィンチャーの「セブン」という映画を観たことがあるだろうか?
キリスト教の七つの大罪をモチーフにした連続猟奇殺人事件と、それを追う刑事達の物語だ。
フィクションでは分が悪いと思うのであれば、エド・ゲインを思い出しても良い。
母親が狂信的なキリスト教信者であり、女性は悪魔だと教わって育ったと言う。
彼らは、その教えを忠実に守り、どちらかと言えば善意からその行為を行っている。
こうした連続殺人を観て、キリスト教信者をなじったり、キリストを風刺するのは、あまり面白いとは言えない。
彼らは、キリスト教信者ではあったかもしれないが、本来の教えとは異なる解釈をした、単なる犯罪者だからだ。
まあ、現代でもキリスト系のパロディー映画には苛烈な抗議文が届いたりするようだが、
過去、キリスト教会に対する風刺や批判は、即刻刑罰の対象になっていた時代が確かにあった。
「聖☆おにいさん」を書いたら暗殺され、それを民衆が支持する時代だ。
これは信教の自由と、表現の自由の、長い戦いの歴史がもたらした冷戦構造でもある。
表現者は、今回のフランスの新聞社への襲撃は、反対の異を唱えるだろう。
端的に言えば「オマエの意見には反対だが、それを主張する権利は命がけで守る」だ。
疎い人ほど、「ムスリムはそういう過激な宗教の人なんでしょ」という理解をする。
また、「その風刺はいかがなものか」と「表現の自由を守る」が、矛盾なく同時に主張できると判らない人も居る。
そうすると、「表現の自由を尊重しない宗教が、テロに走った」と捉えられてしまう。
「表現の自由を守るためには、テロに屈せず、また風刺画を描く」のが正しいと思われてしまう。
人は理屈ではなく感情で行動するので、こうした時に、出来る事はほとんど無い。
淡々と、「その風刺は侮辱なので訴えます」とフランスの法律の範囲内で行動するしかないのだろう。
ブリジット・バルドーは、何度もそうやって訴えられ、フランス司法はキチンと刑罰を下している。
(またフランスはユダヤ人に対する人種的差別には敏感で、割とちょくちょく出版社に罰金刑を出している)
日本人が日本を馬鹿にした出版社を襲撃する事件があれば、その日本人を非難し、襲撃された出版社側に立つだろう。
その後、日本を馬鹿にした出版社の表現の自由を守りつつ、淡々と法律に則って侮辱されたとして訴えるしかない。
今回、欧州の各種ムスリム団体がテロ行為を非難している事は、忘れてはいけないと思う。
Je suis Charlie(私はシャルリー)とつぶやく前に、Je suis Ahmed(私はアフメド)として呟いたムスリムの言葉も聞いて欲しい。
I am not Charlie, I am Ahmed the dead cop. Charlie ridiculed my faith and culture and I died defending his right to do so.
罪の意識を感じている。
刑法に引っかかるような罪を犯したわけではない。誰かに訴えられるような罪を犯したわけではない。
けれど。自分は今、ロクでもないことをやっている。それが恐らく原因となって、今自分は罪を感じている。
体に現れるのは、胸が痛む、というよりも胸が縮んでいる感覚。
縮んだ胸から発せられる締め付けるような動悸と悪寒。体がそれを嫌がっているのが自分でも驚くほど分かっている。
そう、明確に嫌だと分かっているのだ。それでも私はそれを続けなければならないのか?
私は今、誰かのためだと言いながら、その実全く誰かのためにならないことを行っている。
それはニュースになるような類の活動では断じてない。が、しかし、私はその欺瞞に耐えがたい。罪を犯していると感じてしまう。
そのような欺瞞は、巷にも溢れかえっていることは知っている。
けれどいざ自分の身に降りかかると戸惑いを隠せない。
私の戸惑いを上司に言えば首が飛ぶ。首が飛べば今のような生活は送れない。
それを甘んじて受けるのか。フィンチャーのファイトクラブのように?
私はどうすればいいのか。
罪を犯し続けることに慣れれば良いのか。
それともきっとすぐに終わると思い看過すればよいのか。
自分の弱さと断じればよいのか。
下らんと切り捨てればいいのか。
自己責任だと思えばいいのか。
懺悔すればよいのか。
許しを請えばいいのか。
運動をすればいいのか。
友人と話せばいいのか。
大学の授業で、映画論を学んでいたんだが、そこで先生がよく問いかけていたのは、
青春時代から20歳あたりまでのピークを頂点に下り坂に入る山形なのか、
もしくは生まれた瞬間から下り坂なのか、ということだった。
(イメージ図を入れようと思ったんだが、いろんな壁に阻まれて断念)
これが主題ってわけじゃなかったんだが、こうした考え方も踏まえて
デイヴィッド・フィンチャーの「ファイトクラブ」とか「ゲーム」、
デイヴィッド・リンチの「ワイルド・アット・ハート」とかいろいろ観た。
(きょう公開のフィンチャーの「ベンジャミン・バトン」なんか、まさにドンピシャなテーマ)
自分なんかは、華やかな青春時代を経験したわけでもなく、色恋沙汰に現を抜かしたわけでもなくて
人生のピークって言われてもいまいちピンとこなかった。だからか、自分の経験でいえば人生平坦、
もしくは、自分の苦手分野をつぶしていくっていう後ろ向きな前進みたいな生き方からゆるやかな
上り坂なんじゃないかと思っている。
授業を受けていて思ったのは、人生お先真っ暗な人生観がメジャーな考え方なのか?ということだ。
先生の個性が大いに発揮されていた点も影響あるだろうが、その映画を観た後の学生から寄せられるエッセイも
どれも暗澹たる思いを滲ませた文章が並べられていたんだが、多くの人は人生は下るものだと思ってるのか?
そうした思いを持ちつつ授業を受けていたわけだが、まあ、そんなの個人の感じ方の問題であって自分が
どう思うって主張したところでなんもならないんで、特に何もせず放っておいた。
で、なんで今この文章を書いているかっていうと、今さっき父ちゃんがテレビで黒沢明の「七人の侍」の
ラスト場面を観てて、
「この終わり方がすごい。洋画(「荒野の七人」しかり)では、真似できない黒沢のすごさだ。」
みたいなことを言ってて、はっと思ったからなんだ。(ちょっと乱暴だけど洋画=ハリウッド映画な)
「そうだ、洋画はいつも尻すぼみなんだ」
と、ひとりごちたわけなんだ。
けど、黒沢的なすごさとは全く違った凄さで、ある意味投げ出した感じの終わり方なんだ。
もちろん、それだけで映画全体の評価にする気は毛頭ないんだが、なんかあまりにも最後が雑だなあと
気付かされたんだよな。どこがどうなんだっていう解説はめんどくさいからしないんだが、
映画を観たことある人は、「ああ、あれね」と思ってもらえるんじゃないかと思う。
で、それがどうしたって・・・?
自分でもいろいろ考えて書いてたうちに、よう分からんようになってしまったんだが、
要はカタルシスとかドラマチック要素を求めすぎる現代社会の風潮と、
ピーク型とか下り坂型人生観に、なんか類似性があるんじゃないかなあってこと。
へー( ゚д゚)