はてなキーワード: あやふやとは
たぶん1ヶ月くらい?で視聴できなくなるので、今のうちに見て思った内容を書き留めておく。
2015/11/12 『「南京事件」とは何か 3論客の見方相互検証』 【前編】
http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/day/d151112_0.html
2015/11/12 『「南京事件」とは何か 3論客の見方相互検証』 【後編】
山田氏は、紅卍会の4万、崇善堂の10万、日本軍による揚子江に流した数千以上を根拠にしていたが、
崇善堂の記録は鵜呑みにできない事は歴史学者でも多数だと思うので、それを本気で根拠だと思うなら
当時の南京の人口は135万、ここから80万が脱出し、それに中国軍人も加えて60万はいたと推定していた。
ここだけ若干歯切れが悪かったような印象、陥落時の人口問題は確かな史料が無いからそうだろうねえ・・・。
それ以外は終始無難なやりとり。
これまで南京事件論争ではあまり名前の出てこなかった人だけれど、この中では一番若いせいもあるかもしれない。
秦氏は山田氏と違って、まぼろし派に対して攻撃的な発言が目立った。
やはり笠原氏らと共に長年論争の中心にいたため、特に学術的態度の悪いまぼろし派に対しては
色々と思うところがあるようにみえた。
推定数は4万と明言していた。
著書の「南京事件」は、後の増補版にて「4万をずっと下回る」と追記しているが、
積極的に「4万よりずっと少ないはず」と主張する気はないようだ。
幕府山事件の捕虜処刑について、「長勇がやっちまえって言ったから、軍民まとめた殺しちゃったんだ」
長勇みたいな勢いで幕府山でも処刑しちゃったんだ、って意味で語ったのかもしれないけど、あの流れでは誤解されちゃう。
(ひょっとしたら、秦氏は最近南京事件の研究から遠ざかっていて、記憶があやふやになってるのかもと個人的印象)
藤岡氏は相変わらず。
南京の陥落時人口は20万でほかは無人だったから30万は無理説の古臭い論法。
秦氏が「無人なわけない、日本軍が入った時はみな隠れて様子を伺うんだから、みてないのは当たり前」というツッコミにも、
藤岡氏は「入った時に人はいなかったって日本兵が言ってんだから」で押し通していた。
秦氏のツッコミも城内の安全区外が無人かどうかに終始していたのは残念だった、虐殺の多くは城外なので。
ベイツら安全区委員会が残した具体的被害記録も、死者はゼロなんだと主張するお決まりの詐術を使っていたが、
それは中国人から聞いた死者は伝聞だからノーカウントという、まぼろし派の恣意的フィルタをかけているからだ。
安全区内、金陵女子大学の程瑞芳が記録した日記についても「日記に記した死者はゼロ」と強調していた。
だが程瑞芳日記は女子大学という性質もあって、日本兵による強姦が多く記されているが、藤岡氏はそれには意図的に触れない。
こういうやり方はやはり学術的に不誠実な態度であると言わざるをえない。
現在では一番確定的史料の残っている幕府山事件については、さすがにもはや自衛発砲説について触れる事はなかった。
しかしこの幕府山事件、山田氏・秦氏共に歯切れが良いのに対し、藤岡氏は最初言い訳を考えるのにしどろもどろの印象だった。
最終的には拘束後の処刑も「戦闘中ですから問題なし」と強引に解釈する論法で突破を試みていたが、
それに対してはさすがに司会者も「え?戦闘終了後ですよね?」とごく当たり前な反応をみせていた。
「あれは戦闘中なんだ」と藤岡氏が強弁する横で、秦氏と山田氏は「そんなわけないだろう」
という表情で顔を見合わせていたのも印象的であった。
各氏、番組に出てもらってるので、あんまり番組上で論破して面目を潰してしまうようなマネは
下着売り場が目立つ場所にあることの是非論で見たし、それ以前にも似たような話題でしょっちゅう見るんですけど。
「生殖活動だの、生理だの、泌尿器やトイレだの、下着だの、授乳だの、そういうのは性的なものでない、エロいものではない。エロいと感じる方が知識・理解不足だったり妙な歪みがあるだけだ」
みたいな意見あるじゃないですか。
あれを言ったり賛同したりする人って本気なんですかね。
まあ本気なんでしょうが。
じゃああの人らにとって、文句なく性的でエロくて欲情するのが相応しいものってなんなの?
性器?
でもろくでなし子とか、或いはあんな過激なパフォーマンスせずとも「性器もただの体の一部でしかない」とか言う人いるし性器もダメなんじゃないの。
互いの身も心も人間性も理解し、尊重し、愛しあい、合意を取った上で発生するセクシーな雰囲気、その帰結としての欲情やエロティシズムこそが正しく、そこにのみ真の性の喜びがある、みたいな話なんでしょうか? まあこれは冗談ですけど。
なんかもう、お互い顔も見えないローブを着て性器だけ接触させて正常位をし、できるだけ快楽を得ず射精したら即離れるセックス以外は異常、みたいな話になってきそうだなってああいうの見ると思うんですよ。
どっちかと言うと、全てが正しい欲情かな。
アヌスに興奮しようがおっぱいに興奮しようがチンコに興奮しようが唇に興奮しようがホクロに興奮しようが虫さされに興奮しようがウンコに興奮しようが、それでいいんですよ。
人は何を好きになってもいいんですよ。
結局、「~にエロを感じるのは認識や知識に歪みがあるから」みたいな意見は、「受け手が嫌がったらセクハラ」みたいな感覚で「受け手にとって不本意な部分や状況に対する欲情は正しくない」ってのを知的っぽく言おうとしてるんだと感じるんですけど、人が人に向ける好意悪意劣情愛憎にまで、正常異常の判断を下すことはすべきでないと思います。
欲情については、むしろ「する側が欲情したらそれは妥当な欲情」でいい。
意図せぬ部分について欲情されること自体が不快な人は結構いるし、私も知人にオナペットにされてたと知った時はオワーッとなったけど(知人がわざわざ私にそれを教えて楽しんでたわけではないので知人に罪はない)、そりゃあもう仕方ないよ。
嫌われるのが不本意だからって、他人が自分に抱く嫌悪や憎悪に「正しい嫌悪・間違った嫌悪」と裁きをくだすのはおかしいでしょう。
いや個人レベルでは「あいつに嫌われるのはまあわかる、筋が通ってる。逆にあの野郎が嫌ってくるのは不条理だ、誤解だ、おかしい!」とか思って当たり前ですけど、そういうんじゃなく、社会的に、一般論として「こういう嫌い方はよくてこういうのはダメ」なんて主張するのは変だ。
「博士の異常な愛情」なんて言葉は、映画タイトルという一種のポエムだから魅力的なのであって、真面目に人間の行動と心の善し悪しを議論する時に使うもんじゃあねえと思いますし、それが愛情じゃなく欲情でも一緒です。
論点がズレててよくわからないと言われたので補足しておきます。
メインは前半で、「生殖や性器が性的なものでない」という見方に納得できないということです。
じゃあそういう人らにとって文句なく性的なものの定義ってなんなのよ、と疑問を投げています。
後半は、「生殖や性器が性的なものでない」と考える人は「受け手にとって不本意な部分や状況に対する欲情は正しくない」という気持ちを秘めてそうだと推測した上で、正しい欲情も間違った欲情もないのだと反論しています。
なので後半は、「受け手にとって不本意な部分や状況に対する欲情は正しくない」という気持ちが背景にないタイプの「性器≠性的」説には関係ない話ですね。
私は、ある人の性的な興奮を喚起させるものである、ということがその人個人にとっての正しい「性的なもの」の定義だと考えています。
世の中には色々な人がいるので、ほぼ全てのものが誰かにとっては性的なものになりえます。逆に、あらゆるものが性的でない、そそらないものにもなりえます。
で、個人の感覚の集積、つまり多数決によって、社会通念としても性的だとみなされるものが曖昧に決まるのでしょう。
ある人にとって赤く見えることが「赤いもの」の定義であり、人間の多くが赤いと感じることで社会的にもそれは赤いとされる、みたいな感じです。
なので、本文では異常な愛情や欲情などないと言ったけど、マイナーな欲情の仕方は、社会通念や常識からはなんとなく異常として扱われてしまうことは残念ながらありえるとは思います。
社会通念のあやふやさが表れたどうも尻座りの悪い部分ですが、仕方ない。
私が納得できないのは、
「生殖活動だの、生理だの、泌尿器やトイレだの、下着だの、授乳だの、そういうのは性的なものでない、エロいものではない。エロいと感じる方が知識・理解不足だったり妙な歪みがあるだけだ」
という意見の口ぶりが、エロいと感じる個人の感覚・性的好みを愚かで間違ったものだと断じているように見えることです。推測ですが。
後半はそのものズバリですし、前半も「(誰にとっても)性的なものでない(べきだ)」というニュアンスを感じます。
間違った好みなどない、というのが私のスタンスですから、反対します。
それとも、ああいう意見を言う人たちは社会通念に焦点を当てているのでしょうか。そのつもりで解釈してみます。
「生殖活動だの(略)、そういうのは性的なものでない、エロいものではない(と考える人が多いから、社会的には性的なものではないと扱われている)。エロいと感じる方が(少数派の感性を持っていて、世の中に対する)知識・理解不足だったり妙な歪みがあるだけだ」……みたいな。
多数決で負けた感覚がおかしいとされちゃうことを私はあんま歓迎しないんですが、現実社会としてはそうせざるをえないですからね。
でもこれだと、本当に列挙されてる物事が社会から性的と扱われてないかはあやふやなものになってくる気がします。
多数決と繰り返してますが実際に決をとるわけでもないですし、それに少数派と言っても三割票くらい取れてれば一応認められたりしそうですし。
生殖活動や生理や下着に興奮するのがそんなに少ないかどうかは非常に微妙なところですね。それを少しははっきりさせるためにこの手の論争が役立つかもですが、まあ所詮ネットというコップの中の嵐。
……やっぱり社会的な話ではないのかもしれない。
推測ばっかしててあれなんですが、更に推測で話をします。
元々の本文では欲情されることが不快だから性的さを否定してるのではないか、と書きましたが、一方で実用的な理由で性的さを否定する人もいそうです。
生殖や生理や下着が社会通念として性的だと認められると、隅に隠せと言われて、大変息苦しい思いをすることが予想されるので、それをさけるため性的さを否定する、みたいな。
でも私は、個人が何を性的と感じるかを裁くべきではないと思ってますし、ということは自由にされた個人の欲情の集積である社会通念としての性的認定をコントロールするのも難しいだろうと考えます。
とはいえ世の中の息苦しさが増えるのは私も好ましくないですから、「性的に感じる人が多いかもしれんけど、便利だから堂々と下着も売り買いするし産婦人科にも入るし学校でうんこもするしゴムも買うし夢精もするんだよ!」と開き直り、その方向で社会に働きかければいいのではないでしょうか。
性的に感じる人が本当に多かったら、そういう姿に欲情されたり、ましてオカズに使われたりするかもしれませんが、それは犯罪行為に至らないのであれば甘受したほうがいいと思います。
性的なものを隅に隠せという主張は、「私の好みとしてついつい性的に感じてしまうのに、性的に感じることはよくないとされてるから、目につく場所におかれるとこっちも目につく場所でよくない欲情をしてしまって困る、隠せ」という理由があったりもします。(単に周囲の雰囲気に合ってないから隠せ、なんかグロいから隠せ、などもありますがそれは置いておく)
性的に感じることを無理に禁じようとし、欲情を悪徳とするから、性的とされかねないタイプの欲情をそそるものを排除してくれという声が上がるのであり、逆に「堂々とディスプレイするよ、でも性的に見てもそっちも堂々としてていいよ」とすれば許しあいになってくれるんじゃないでしょうか。その思想を広めるのに多少時間がかかるとは思いますけれど。
もし、性的に感じる人が一定数いるある物を、堂々と見せても咎められない社会であってほしい、けれど性的に見られたり欲情されたりするのは嫌……という全てを望むんだとしたら、それはやはり片っ端から精神的去勢をし、欲情能力を物凄く限定するしかないような気がしますし、私はそれには反対です。
むかし 文章を書いた。 それは、記憶をもとに想像や脚色をくわえて。
実際には言葉のやりとり、意思疎通に困難な関係であった。 しかし、普段は難しいやり取りをすることが
なったのであまり問題にはならなかった。ただお互いの考えを知る必要があった際には困難を極めた。また相手がいいたくない、迷いやはなせないという気持ちや行動が少しでもあれば情報の送受信が
うまく機能しないのは自明の理であろう。たぶんお互い相手の考えや意志を確認したい場面で相手が声を発するのを非協力的な態度で迎えてしまったことが度々あったように思う。
実際には状況をほとんど理解していなかった。大切な情報を受け取ることは私はできなかった。
一緒にいる時も他の異性と道端で話し込むこともあったし、対岸の歩道を歩く人に手を振ることもあった。
基本的に明確に正常なパートナーのいる方は回避する傾向にある。
以前とは違う状況確認も困難を極めた、上記のために。おそらく自分も相手にそういうことがあったと思う。
何か示唆するようなものが私以外の誰かが私に向けられているようだが、私がはっきりと認識しているものはほどんどないと言える。現実に私が持っている情報は実に少ないのが現状である。
少ない情報をもとに膨らませたあやふやな風船のようなものをわたしは空間へ放った、それは時間をかけて色や形を変えて私のもとへ帰ってきて受け皿のように受け止めようとしている手のひらのうえでしぼむ。
とても小さく。
わたしはしぼむ前の風船のなかの空気を儚く思う。
なんとなくこの増田を見てて思い出したというだけで直接的には関係ないんだけれども。
だいぶ前にテレビのドキュメンタリー番組でどこかの辞書を作る人々を取りあげていたのを見た。名前は忘れたけどそれなりに信頼のある系の辞書の。
新人が四苦八苦したり、ベテランが街を徘徊して言葉の新しい用例を発掘したりとかする姿を紹介してるんだけどその中でいくつか気になるシーンがあった。
(ちゃんと覚えていないので適当な例になるが)
先輩「『エッジ』の意味はなんだ?」
新人「端っこ、先端、とかでしょうか…」
先輩「本当にそれでいいのか考えてみろ」
新人さんはいろんな人に話を聞いたり、世間でエッジが効いていると言われるジャズを聴いてみたりして「エッジ」という語に対する説明を完成させていったわけです。めでたしめでたし。
このエピソードからわかるのは、辞書に書かれている説明というのは語の由来や正しい用法とかそういうのを無視して、現状使われている用例やニュアンスを集めたモノってことになるじゃないですか。(もちろん収録されているすべての語がそうだとは思っていない)
「言葉は生き物なので変化します」とか言う議論の文脈でも、変化する現代語と対比される形で本来の意味を確認するという目的で「辞書にはこのように書かれているが」と引用されることも多いけれど、辞書の記述内容がこのようにあやふやで不確か(逆に言えば柔軟で現状に即した)ものになっているのならば、「時代には合っていないかもしれないが正当な形としては」の参照先として辞書を使うことはできないなあと感じた次第です。
バンドマンだったりアニメキャラだったり映画の登場人物(俳優というより役)だったり色々だけど、こうなりたいっていう憧れが強い好きを感じることは少なくない。
何故か異性が多い。さらに言えば中性的だったりセクマイだったり、異装趣味だったり。
異性装がしたいかと言われれば否定しないが今の性でいたくないという方が強い。異性にもなりたくない。性を無くしたい。
勝手にそんなこと思って憧れてても、描かれない目の当たりにしないだけでなりたい対象の人物もキャラクターも恋愛したり性行為したりしているの知ってるし、それはそれで構わない。
佐野さんの件、完全に悪と判明して安心してフルボッコしてる現状がこわい・・・
でも自浄作用がないところでは周りがこうやってやんないと風化するばっかりだしなあ
ネットがこんだけ普及してなかったらもっとあやふやなまま終わってたと思うし
佐野さんとオリンピック委員会、小保方さんと理研ってなんか構図似てるなー
東京オリンピックは競技場も含めてほんと日本の恥部だらけだよ・・・
恥ずかしすぎるわ
金30とれなきゃやめさせられる人がでてくるとかさ・・・
チキンでしょぼい国民でしかない俺ですらもう恥ずかしくて穴掘って埋まりたいわ
なんでお偉方はあんなに開き直れるんだろう
むしろあれくらい度胸がないとあそこまでのぼりつめることはできないってことなんだろうな
ほんと恐ろしいわ
死んだ方がマシだ
今更無理なんだろうけどマジで辞退したほうがいいと思う
ファンデーションの前にお粉をふるって
ファンデーションを定着させる化粧品ってのも謎だ。普通はパウダーと言うのでは。
増田は化粧したことがないのでは?
女性なら「ファンデーションの前に日焼け止めを塗って、下地を塗って、コンシーラーを場所に応じて数種類使って」とか書きそう。
更に「ファンデーションの後にパウダー使って、ハイライトとシャドーを入れて」と続けられる。
とにかく大量の商品を売っていた、という事を印象付ける目的の文章だからこの方が良いし。
化粧に興味ない女性でも、女性誌の化粧特集なんかを見た事あればこれくらい書けるよね。ああいうのは商品宣伝兼ねてるから大量に使ってるもんね。
実際そこまでやってる人は昔から少数派だろうけど。
BBクリームも「何かよく分からんけどあれ一つで全部の化粧が済むやつ」くらいに思ってるみたいだけど、あの上からファンデやパウダー使う人は普通にいるのにね。
ってのも謎だ。
アットコスメなんかは高い化粧品の話ばっかりであそこに書き込むオタク層はBBクリームなんて興味ないんだ、とでも思ってるの?
実際はBBクリームが一つのカテゴリとなっていて大量の口コミ投稿されているのに?
乳首を見せたくないからブラトップ着るわけで、全然違うでしょ。
これも実際にブラトップ着た事なさそう。ブラトップ通して乳首が立つってどんな鋼鉄の乳首だよ。
就寝用ブラは今でもあるし、ブラトップやノンワイヤーの普通のブラを就寝用にしている人もいるから
就寝専用のやたら高いものは売れない、ってだけでしょ。
あと12年前よりずっと前から業界にいるみたいだからもう中年の筈だけど、その割に文章が幼いし。
12年前の若い女性と現代の若い女性は違う人である、と言う認識もないようだし。
「女性っぽい文章」を心掛けたけど、年齢設定はあやふやなのか。
それだけ「女性」は皆同じだと思ってるんだろうな。
女性の社会進出が進み企業の内部に女性が増えたのと、客に対してもマーケティングが重視されるようになったのとで
こういうダサピンクなオッサンが独りよがりで考えた商品だけではなく、本当に女性が欲しい商品が出て来るようになったから
ダサピンクオッサンの考えた商品が売れなくなった、ってだけだわな。
先にはてなブログを登録していたものの鳴かず飛ばずで、なんとなくはてなブックマークも始めて、なんとなく匿名ダイアリーを覗くようになっていた。
アノニマスダイアリーだから増田と呼ぶのだということすら、当時はまだ知らずにいた。
好き勝手なことばかり書いてあるみたいで、なんとなく、自由がここにあるような気がした。
ブクマがついた。
嬉しかった。
それから、日常のどうということない思いつきや、過去のあんなことこんなことを少しばかり脚色して書き込んだ。
ブクマがつかないこともあるけれど、それなりにたくさんのブクマをつけてもらえることもあった。
調子に乗った。
実体験であること、日記であることを心掛けていたつもりだったけど、少しずつ箍が外れてきた。
できるだけおもしろくなるように、できるだけ共感してもらえるように。
時には煽るように。時には見下すように。
こういうエントリーはあの人なら好きなんじゃないかな。
こういう変化球はどうだろう。
自分の日記、記録として書き始めたはずが、いつしか、ブクマカの人たちにいかにしてブクマしてもらうか、という目的意識に変化していた。
怖くなった。
「はてな匿名ダイアリー」には、無数の、多様なエントリーが並んでいる。
私のエントリーもその中に溶け込んでいる。
もはや私が書いたものか、他の誰かが書いたのか、見分けがつかない。
私が書いたわけでもないのに自分が書いたように錯覚することもあれば、
自分が書いたエントリーでも自分が書いたという実感がないものもある。
私の日記の一覧を見ることもできるけれども、本当に私が書いたものなのかあやふやな文字列ばかりがずらずらと並んでいる。
時に夫であり、時に妻であり、時に上司であり、時に部下であり。
私が増田になってゆく。
人感センサー式の電灯は大概、まだここにいるのにもかかわらず消えてしまう。
トイレの手洗い場とかで蛇口の下に手をかざすと水が出てくるタイプだとなかなか水が出てこない。
自動ドアが開いてくれないこともよくあるし、
ちゃんとチャージしてあるTOICA が反応しなくて改札を通れないこともある。
駅の券売機や銀行のATM でもなんだか反応が悪くてイライラする。
スマフォなんか持ちたいとも思わない。
店の会員登録みたいなのでタブレットを使って記入させるところがあったけど、文字が書きにくくて苦労した。
あんな不便なものをよく使い続けることができるものだと感心してしまう。
もしかしたら自分は機械に存在を認められていないのではないかと疑念を抱くことがある。
自分はここでこうして生きているつもりだけれども、実は存在していないのではないか。
機械的なセンサーの類では感知しにくい、あやふやな存在なのではないか。
人間が支配している世界だと思って生活しているけれども、実は電脳ネットワークが創り出した幻なのではないか。
web ブラウザの向うには広大なインターネットの世界が広がっているように思えるけれども、
本当はM.A.S.U.D.A. (Mother Advanced Super Ultra Dynamite Agent)によって狡猾に形成された虚構の世界なのではないだろうか。
・ワ・
埼玉生まれ、埼玉育ち。大学と就職は東京。で、転勤で大阪に住んだ。
これがまずあやしすぎる。
元増田の書いた内容で、関東について詳細な記述がろくになさすぎる。
あったとしても比較対象がおかしかったり、首を傾げる内容だったりする。
関東圏については知ったかぶりの知識で語ってる可能性が非常に大きい。
少なくとも、住んでた期間は大阪の方が圧倒的に長そう。
住んでみて、よかったところ、悪かったところ、イメージが変わったところ、ああ、大阪だと思ったところなど多々あったんで、つらつら書いておく。
これもデマカセなんだよね。
住んでみて悪かったところなんて全然あげてない。
あれは全部大阪を褒めてるだけ。
意外に街がきれい
綺麗なところだけ取り上げててアンフェアさがすさまじいよねこれ
あと、やっぱり大阪城はいい。高層ビル街の前に立派な天守閣が見えるのは、すごい日本的で、自分が外国人観光客だったら大喜びだ。 やはり東京よりコンパクトにまとまっていて、暮らしやすい。 ああ、やっぱ関西私鉄って存在感あるんだなあと感じた。
「やっぱり」「やはり」「やっぱ」
この辺りの表現って、もともと関西の方に軸足が無いと出てこない視点での語りなんだよねこれ。
なのでこの立ち位置の語りで関東生まれ関東育ちとか、絶対に嘘だと思う。
あったとしても元からかなりの大阪かぶれ、大阪信者だったとかでないと説明がつかない。
で、ちゃんと通りごとに住居表示が変わっているのにちょっと感動した。 「淀橋」を「西新宿」にしてしまった東京なんかよりずっといい。 谷崎潤一郎が好きなオイラは、鵙屋春琴の実家の薬種商がある「道修町」が、いまでも道修町で、製薬会社があったりすることに、ちょっとあがった。
通りごとの表示と、過去と現在の名称変更を比較していたり、比較対象がやはりおかしい。
あと最後の行の自分語りは単なる趣味の話でむりやり大阪を持ち上げてるだけなので、あのエントリ内ではただのノイズ。
やはり東京よりコンパクトにまとまっていて、暮らしやすい。 しかも、街が平らなので、自転車でも楽々。
コンパクトとか耳障りが良い言葉を使ってるだけで、ただ単にスケールが小さいだけじゃねえか。
この理屈を突き詰めると、山奥の小さな村がコンパクト最強伝説だかんな。
したら、埼玉の実家から都内に行くより近いくらいじゃんよ。
ここが一番違和感を覚える。
「じゃんよ」もあやしいけど、「したら」も怪しすぎだろ。
どちらも関東人が使う言葉じゃないので、出身地がさらにあやふやになる。
そもそも、転勤するような年齢の人間が使う言葉ですらねえじゃん。
私鉄が強い なぜ、阪急の梅田駅はあんなに立派なのだ。南海の難波もそうだが、デパートの建物に味があることもあって、ああ、やっぱ関西私鉄って存在感あるんだなあと感じた。 それでも、国鉄時代を知っている年配の人に聞くと、ずいぶんJRになって変わったらしいが。
こんなとこ関東の人が気にするポイントじゃないというか、そんなとこに注目するのは関西モンの特徴というか。
なぜ素直にお国自慢ができないのか。東京人に褒めてもらわないと胸を張れないのか。
ほんとこれな。
何かを褒めるときに、何かを貶す必要はないってどっかのブコメで最近見たが、
まさにこれな。
自分達の住んでるところが素晴らしいって思うなら、純粋にそのことだけを表明すれば良いんだよ。
関西人、特に大阪人と京都人の関東とりわけ東京へのコンプレックスはいつになったら解決するんだよ。
関西からやたらと目のカタキにされるけど、関東人は関西なんて基本アウトオブ眼中なんで
関東から注目してもらいたいが為に関東disを大声で主張し続けてるとしか思えないわ。
広瀬すずさんをdisったり、追い打ちをかけたりする意図は毛頭ないんだけれども。
近頃、謝罪をする際に「誤解を与えた」という表現を安易に使いすぎではなかろうか。誤解ではなく、発言の真意をしっかりくみ取った上で、それに腹が立ってるというケースも多々あると思うのだが。
「誤解を与えた」という表現は、「こちらの言い方が悪くて誤解を与えてしまったが、発言の真意はそこにはないのだ」という場合に限るべきだ。
そして「誤解を与えた」と言ったからには、発言の真意がどこにあったのか、きちんと説明してほしいところだ。
例えるなら「逆に」と冒頭に言ったものの、話の内容が全然逆になってない時のような、そんなあやふやな使い方が増えているのではないか。問題発言を謝罪するときはとりあえず「誤解」と言っておけ、みたいに。。。
ここまで書いてみて、「お世話になっております」という挨拶に「別に世話してねーよ」と返すような、そんな偏屈っぷりを自分に対して感じないこともない。
が、「誤解」という表現には、「私はそのような意図で話したのではない」という若干の自己弁護が混じっており、それは非常に鼻につくことがある。
ほら、男性の中に何割か痴漢がいる、という現実はこんなにも争いを生む。
まともに生きている男性は「関わらなければいいや」で済む。
まともに生きている女性はまんべんなく被害に合うので、戦わなければいけない。
(その脅威は、男性は娘を授かったときに初めて意識する人も多いみたいだ)
女性はまともな男性と痴漢をわけて戦えればいいけど、「お前痴漢だろ」といってターゲットにするわけにいかないので、男性全体に向かって呼びかける。
まともな男性はそうだね、と聞いてくれつつも、あまり言われると面倒だな、というメーターも上がっていく。
かわいそうだとは思うけど、自分を犯罪者みたいに扱うなよ、女性は気にしすぎ、という意見が出てくる。
相容れない。
たとえば、自分の恋人や娘が、目の前で痴漢にあったらさすがに助けるだろう。
痴漢に対して腹も立てるだろう。
でも残念ながら、男性と共に行動している女性を痴漢が狙うことはないので、それはあまり無い状況だろう。
対峙して慌てるのはせいぜい、自分より上位と感じる男性に対してだろう。
だからまともに生きている男性が、痴漢を否定するのが一番効果的だと思う。
痴漢冤罪についてだと、逆の事が言えると思う。
痴漢冤罪を実行する女性が居るのだとしたら、女性はより強く、その行為を否定しなければならない。
なぜなら痴漢という行為の存在を、あやふやにするやっかいな事案だからだ。
しかし何よりも、満員電車という状況が痴漢を生み出している。何よりも。
私からしたら、こんなものに乗らなければ生きていけない社会の方が、絶対的な悪だ。
男性に痴漢被害について、もう少し理解を示して欲しいと思うものの、「日常でないものに対して日常的に考える」なんてそんなもの無茶だとも知っている。
無理にとはいわない。真摯に生きている男性が「女性は思ったより日々痴漢被害にあっている」という認識をもってくれるだけで、私は今のところ充分だと思う。
努力して、変わっていっている面もある。
女性専用車両の導入で、少なくともそこでの痴漢発生率はゼロだろう。痴漢冤罪発生率もゼロだろう。
痴漢を見つけたら、他人でも助けてくれる男性だってきっと皆無ではないはずだ。
痴漢を憎んではいるけど、具体的にどうしていいかわからないだけの男性だってきっと居る。
痴漢冤罪については、認知度が上がって、そういう場合もあるという考えが定着しているように思う。
それは冤罪を起こさせないストッパーになって、認知されなかった時代よりは、多少は機能しているはずだ。
女性は痴漢被害について、こうやって世の中に発信できるようになってきた。
きっと、社会だって少しずつ良くなろうとしている。ただ歩みがゆっくりなだけで。
それにしても。
俺みたいな人生どうしようもなくなったピータパン症候群のオッサンが共感するような歌だと思うんだよなあれ。
まず出だしからして
「
乱反射する眼差し
鏡越しに誰かが見てるの?
ビロードの重い空
ざわめく風が昨日までとは違うのよ
」
だぜ?
単語の意味を知ってもそこからイメージされる滑らかで儚く冷たくそれでいてどこかドッシリとした質感が分かるのだろうか。
薄く重々しい布に天蓋のように自分の世界を覆い尽くされたかのような感覚が幼女先輩に分かるのだろうか。
昨日とは違う特別な今日、その閉じられた世界から解放される日が訪れるような錯覚を幼女先輩は感じたことがあるのだろうか。
「
声を聞かせて 姿を見せて わたしを逃がして
ねえ、鍵が壊れた 鳥籠の中ひとり ずっと
」
何者か分からない誰かにすがり、もはや逃げ出す方法も分からない場所から連れだされることを望むのだろうか。
それが本当は己の中にいるはずの勇気を持った自分自身であることを知っているのか。
本当に来るとは思わないヒーローの登場を望むのか。
「
夢を彷徨ってる 待ちくたびれた顔の 硝子の瞳がふたつ
もうやめにしたいのに 終わりが怖くて
またくりかえすの
」
自分を縛るものが己の生み出した幻であるという感覚を幼女先輩は理解できるのだろうか。
酔生夢死の日々の中、鏡越しに映る鎖になど縛られていない自分が呆れた顔で自分自身を見つめ返す感覚。
それを終わらせたい自分の気持ち、恐怖とのぶつかりあい、そして敗北する勇気、何万回も負け続ける心の戦い。
「
引き裂いて欲しいこの世界ごと
窓を打つ雨音に
耳をすまして朝の気配を探してる
」
終わらない夢を打ち切るための知らせ。
それは何でもいい、どんな無機質なものでももはやかまわない。
ただその時が来るのを待ち続ける。
終わらない夜と降りしきる雨の中でただ時が過ぎるのだけを待ち続ける。
「
夜は明けるの? 時は満ちるの? あなたは来ないの?
ねえ、錆びた扉が 光を連れて来るわ 今日も…
」
夜明けはこない、時が過ぎても問題は解決しない、誰も助けてはくれない
「
永い物語ね 深い森の奥で目覚めて眠りにつくの
夢にたゆたうように 守られていることも 守られていないことも
全部わかっているけれど 本当はどこか安心している
」
それが他人との関わりの中で成り立っているのは分かっている。
それが他人と関わっていないからこそこうなっていることも分かっている。
だけど抜け出せない。
「
ああ、このままここで朽ちてしまえたなら…
うらはらに何故 消せない予感
旅立つわたしがいる、いつか
」
このままを続けて人生の終わりまでたどり着きたい。
本当は踏み出したい。
本当は踏み出したくない。
「
夢を彷徨ってる 待ちくたびれた顔の 硝子の瞳がふたつ
もうやめにしたいのに 終わりが怖くて
またくりかえすの
」
あやふやな人生を終わらせたいと願っている自分が心のなかで背中合わせに立っている。
それでも踏み出せない。
積み上げすぎた惰性に埋もれた人生から抜け出せないままいつかそこから抜け出す自分を夢見る感覚が。
自分の殻の中でニヒリズムとセンチメンタルに浸って少しだけ優雅な気分を味わうことで無聊を慰めるのか。
なんなんだ幼女先輩は。
文系の院入学は”入院”、すなわち後戻りできない病院での長期”入院”と近しい意をもち
引き返せなくなるところまでは決して行ってはならぬ
というお達しをどこかで聞いた。
実際、大学院に進学して今年で三年。
この三年間で、色々なことに気づくことができたと個人的には思っている。
まず、上にはいくらでも上がいるんだろうなという
当たり前のことを、授業の度に痛感した。
文系院生の肩身の狭さは、まるでそれが社会貢献として役に立つのか立たないのかあやふやなままに
ただひたすらに大量の資料を読み、文章を書き続けなければならないという事実にあるだろう。
これ一体何の役に立つの?
と自問したとき、答えが返せないという恐怖と戦うために
ゼミの度に教授の語学力の高さに圧倒され、自分の能力に絶望、ゼミが終わるたびにトイレで泣き暮れる日々が続く。
また何より学部のころと比べて随分、笑いの数が減った。
周りの友人が社会人となって卒業し、大学院での友人もこの春卒業を迎え、残された今
そして研究室の隣の席には、論文が書けず、ずっと休学したままの先輩がいる。
彼の机には山積みの資料がどっさりと置かれていて、毎日毎日それを読み漁っている。
しかし議論の場になると、その人の言っていることは何やらさっぱりわからない用語を繋げた謎々みたいで
挙動からも、精神状態が徐々に崩れているのが明らかにわかり始めた。
そのような姿を横目で見ていると、さていよいよ
自分達がやっていることが、あまりに”他者”のいない閉鎖的な営みであることに気づかされて、ゾッとする。
普通に就職していれば、その倍以上のお金が、同じ時間で稼げたというのに。
さらに言えば、理系とは異なり、就職口は進学によって減るばかり。
どう考えてもこの選択、常軌を逸した愚か者の所業としか言いようがない。
そう確信したのは、去年の秋で
嗚呼、疲れた、もう大学出たい、文献読めない、いやだ、十分だ、どうして進学したんだろう、やだ、と
ぐるぐる考えてばかりいた。
諦めの境地に至ったのかもしれない。
今更、どうにもならない。
どうせ選んだ道ならば、のんびりやろう。
よく考えれば自分のことだから、大学院に進学しなければ、これほど社会と繋がることの大切さを意識することもなかった。
今後、誰かのためにという気持ちで働くための動力源に変えていければいい。
そのためにも今できることをやろう。
あれほど苦労していた英文献の講読が、それほど苦にならなくなったことも
大きいかもしれない。
文献が読めると、知識も広がり、やりたいことが増えていく。
もっともっとと欲も出てきて、開き直り、最近ではまだ勉強したいなと思うこともある。
そして何よりも
いつも冗談ばかりを言っているその姿からは学部時代、想像することもできなかったが
呆れ顔を浮かべながらも
ちょちょいと頭の中で辞書を広げるように、色々な助言を次から次へと加えていく恩師の姿を見て
世の中には本当に、恐ろしいくらい頭の良い人間がいるものなんだな、と思いつつ
あと十年二十年、学び続けることができたのなら
私もいつか
こんな風に楽しそうに、学びを得ることもできるようになるのかしら、と夢を見つつ
元増田です。
そう。自主性に任せるだけでもうまくいかないし、だからと言って指導者の目指す方向に全体を誘導した結果自主性が崩れるのも問題なわけで、おそらく心ある指導者はそこのバランスに一生悩むんだと思うんです(バンドに音楽的技術指導のみをするプロの指導者は別)。
「生徒の心をケアする」のと「生徒の心をコントロールする」の境界線って想像以上にあやふやなんですよ。
女子高で男性の顧問だと生徒との距離感が凄く難しいなんて話も昔聞きましたしね(結構惚れられやすいらしい)。実際女子高生の指導でセクハラが発覚して捕まった指導者(全国的に名の知られた人)もいました。
生徒を「命令を聞いて懸命に練習することに喜びを覚える兵士」に仕立て上げるのは吹奏楽と言う演奏形態上非常に効率のよい結果の出し方ですが、それが生徒の教育として良いかと言われればノーでしょう(強豪と呼ばれる学校がそうだ、というつもりはありません。そこまで実態は知らない)。
でも、その辺の境目って本当に危うくて、モヤモヤする問題なんですよ。教育と洗脳の境目ってどこだろうっていうね。
正直高校生にもなれば、最終的に顧問の音楽性に反発するやつくらい出てきていいし、そういう生徒を育てられる指導者が望ましいと個人的には思うし、でも「現実」を考えるとそれだと「効率が悪い」んですよ。だからすげーモヤモヤするの。
実際、県大会銀賞くらいの学校でも、演奏の技術的評価としては全国大会出るような学校に劣っても、「いい演奏」を聴かせてくれることって結構あるし、それを全国レベルの学校出身者が技術的部分だけことさら取り上げて凄くひどい言葉で蔑むのも聞いたことあるし。どいつもこいつも音楽なんか聴いてやいねーじゃねーかよ!って気分になることも多々あったりとかして、こう色々ほんとに難しいんですよ。だから、その難しいところを多少なりとも描いている原作には敬意を覚えます。
滝先生は、「少年漫画(少年漫画にも色々あることは百も承知であえて使いますけど)的な圧倒的に正しい師匠」としては描かれないんですよね。
http://anond.hatelabo.jp/20150502164612
音楽きかず
小学校高学年
ミスチルにハマる。
父親にLed Zeppelin セカンドアルバムもらう。聴く。ハマる。
父親に雑誌ロッキングオン(日本のじゃなくて洋楽の)を教えてもらう。
Nirvana直撃。ハマる。
Radiohead直撃。ハマる。OK Computer、KidA、アムジーニアック辺りは良さが分からず放置。二年後くらいにハマる。
ロックンロールリバイバル特集で、strokes,White Stripes,リバティーンズとかやってた気がする。
メタリカ、ガンズ、レッチリ、クラプトン、レイジアゲインストマシーン、ビョーク、BECK、NIN、シガーロス、Muse今でも聴く。
グリーンでイ、リンキンパーク、ハマるがすぐ飽きた。もうあまり聴いていない。
エミネム、ボンジョビ、ジェフBECK、ディラン、Who、ボブマーリ、全然ピンとこず。今でもあまり聴いていない。
コールドプレイ、ハマる。2nd聴きまくり、今でも2ndが一番すき。
オアシス、ハマる。1st,2nd以外評判よくなかったが、実際聴いてみても微妙だった。1st,2ndは凄い。
ネットで名盤ランキングみたいのがあったら、そっからアルバム借りて聴いていくスタイルに。
ミスチル熱はまだあったので、全アルバムを買うが、気がついたら全然聴かなくなる。
なんかかっこつけたくなり、クラシック100というベスト盤を借りる。
ピアノ好きだなーと思い、ショパン集める。ついでに有名なんでモーツァルト集める。
なんかかっこつけたくなり、ジャズを聴き始める。ジャズ雑誌やらジャズ本やらで知識を集めて、ジャズの名盤を20枚くらいツタヤで借りる。ハマる。
アニメを見る奴を見下していたが、アニメにEva破でハマる。アニソン少しずつ聴き始める。アニメのサントラ、ゲームのサントラとかも。
大学で中学高校のときハイスタ流行ったよなーとか、の話題についていけず。一応そこらへん後から聴いたけど、悪くないけど、ハマらず。時代かなあ。
ホルモンとかエルレガーデン、ワンオクなんかは好きかも。でも、好き止まり。ハマらず。
あーアニメのMADでよく使われてたPerfumeとかハマった。capsuleも。カプセルのほうが好きかも。メロディーしっかりしてて。
ゆらゆら帝国とかナンバガとか国内バンドの有名なのは、今度借りてみようかなあと思ってるが。。
音楽より優先順位がアニメやらサッカーやらになったため、手つかず。
ああ、サッカーのプレイ動画って洋楽かかってるから、そっから発掘したりも。
あーあと、今の売れ線?リアーナとかアデルとかニーヨとかそういうの?は正直こない。カーペンターズみたいなもんかね。Youtubeの再生数凄いよね。
プログレはフロイド、クリムゾン、イエスと良さが分からなかったが、ジョジョのアニメで使われていて、ちゃんと聞き出したらイエスにハマる。これは割と最近か。
あとは、好きだけどそこまで聞き込まなかった。プログレじゃ一番イエスがキャッチーで聴きやすい。
好きなバンドを挙げよと言われたら、
Led Zeppelin,Nirvana,Radioheadかなあ。ベスト3。全アルバムがっちり好き。Radioheadの直近の一枚は苦手だが。
洋楽どうこうより、ハードロックが好きなのかも。Led Zeppelinに耳をかえられた。T.Rexとかブラックサバスと凄い好き。クリームとか。
そういう好きな音楽はこれ!!っていう軸があるからか、中学のときに聴いた音楽が一番で、それ以降はそれを超えるものには会えないよ、とかいうのとは無縁。
音楽に関しては。ゲームなんかは青春時代のやつが一番で、今のゲームに面白さを感じなくなった。
最近だとDeep Purpleベスト盤とライブ盤しか持ってなくて、なんてつまらない単調なロックなんだと見下していたが、普通のアルバム聴いたら凄いよかった。
あと、イギリスのロックの方が好き。アメリカのは苦手なことがわかった。ボンジョビとかスプリングスティーンとか。ああいうの。
ここ最近のバンドで好きなのは、Vintage Trouble,Alabama shakes。たしか、、はてなのどっかのブログで見てハマった。
iTunesには全部で17000曲。評価1-5で5評価は5000曲。その5000をメインに聴く。
こんな感じですかね。
少しおっさんになりかけな年齢なので、記憶があやふやなんで時系列ぐちゃぐちゃかも。
ああ、質問ちゃんと見ないで答えてたわ。
ソウルミュージックならオーティス、マービンゲイ、アレサフランクリン。
レゲエならボブマーリ、あんま合わなかったけど。
エレクトロにか、プロディジー、プライマル、マシッブアタック、クラフトワーク、ジャスティス、ベースメントジャック、ポーティスヘッド、ディスクロージャ、アニコレ、オウテカ
アンビエントだと、ブライアンイーノ、オーブ、ピーターガブリエル
なんつーか、有名どころばっかロッキングオンで紹介されるし、アルバムランキング100とかから聴いていくから、有名どころばっかだね。いいのかわるいのか。
http://anond.hatelabo.jp/20150416201757 へ
増田の悩みはとっくに解決済みなのだ。たった一行で解決方法を書くことができる。しかしいきなりそれを書いても素直には受け止められないだろうから、先にこんな話を紹介しよう。
「俺は入門する前から上手かった。とても上手かった。上手すぎて誰も俺の落語を理解できなかった。
稽古した結果、俺は下手になった。下手になったおかげで、客は俺の落語を理解できるようになった。
だが下手じゃ悔しい、下手なままじゃいけないと思って、もっと稽古した。そのおかげで、俺は人並みになった。
今俺は、人並みでいるために稽古している」
真剣に勉強すればするほど、自分の知識があやふやであいまいなものであることに気づく。実は自分が何も知らなかったことに気づく。
どんな分野でも、第一級の大家と呼ばれる人はみな、驚くほど謙虚なものだ。
それは彼らが、自分の業績が先人の膨大な遺産の上に成り立っていることを知っているからであり、未解決の課題が山のように広がっていることをありありと眼前にしているからだ。
http://anond.hatelabo.jp/20150325195625
とてもいいことです。
何年か前、大阪の御堂筋線で自分も同じようにカバンを置き忘れた。
それは日曜日の夜で、中身はたいしたものじゃなかったしお忘れ物センターの時間も終わっていたので
かなり年配の方が対応してくださって、荷物の特徴や日時を伝えると倉庫っぽい所へ入って行った。
しばらくしてもどってきて、届いていないみたいですね、と。
今度も年配で昨日とは違う方が対応してくれた。
同じように倉庫のほうへ向かわれて、しばらくするとあのカバンを持って現れた。
手続きが終わったあとに、これはいつからここに届いていましたか?とたずねると
月曜からだと。
実は最初の日に対応してくれた方の態度が悪く、倉庫のほうへ行ったときも意外とすぐにもどってきたからだった。
そういうのってちゃんと態度にあらわれるよね。
荷物がみつかったときにそのことを伝えたが、まぁまぁといわれあやふやになってしまった。
この「まぁまぁ」ってよくないよねほんと。問題がはっきりとそこにあるのに。
いままでそういう仕事の仕方をしてきたのだろう。
市営地下鉄はやってるのかどうかわからないけど、お忘れ物市ってあるじゃないですか。
自分のこの経験があってからこのお忘れ物市が信用できなくなった。
と思うんだけど、どうだろう。
俺が通っていた大学は、少々特殊で、1~3年までは、恋愛非推奨。
大学内で色々な活動をして、たくさんの人と関わったけど、大学運営の中心部にいけばいくほど、3年までは恋愛しないほうがいい、っていう考えの人が多かった。
ただ、やっぱり恋人がいる人は居る。
彼はイケメンな上、頭もいい。
スタイルだっていいし、おしゃれな上、部屋だって綺麗で、気配りもできる。
彼がストイックすぎるので、尊敬できる人、というのはかなりハードルが高いのだが、こいつならそういう人が見つかってもおかしくない、とも思う。
中々難しいもんだ。
おお、トラバついてた。
すまん。書いてなかったけど、いないとは言ってないんだ。
男に対して極端に少なくね? ってことなんだ。
超美人で、誰とも付き合ったことのない身持ちの堅い娘もいたし。今は知らんが
高スペックの定義はあやふやだけど、見た目がいいとか性格がいいとかそのへんかな。
恋愛の話になったら今まで付き合った人数とかの話にならない?
何人とどれぐらい長く付き合ったか、とか。そういうのでわかると思うんだけど。
そういう話の距離感が近い人ばっか周りにいるのか、それとも嘘つかれてるのか、
そもそも俺の周りに居ないだけなのか
というか、まともな経済学史はガン無視して、需要と供給の観点から
その結果、経済的新自由主義と呼ばれるものが世界を席巻したわけ
レーガンとかサッチャーとか、まあ、おっさん世代には懐かしい名前だよね
内容としてはサプライサイド経済学という名前からして供給に重点を置いた考え方だ
・民間投資を阻害したり非効率な経済活動を強いたりする規制の、緩和・撤廃(規制緩和)
・財政投資から民間投資へのシフトを目的にした「小さな政府」化
([wikipedia:サプライサイド経済学])
ようするに、ときどき増田にも出てくる、金持ちを優遇したほうがいんじゃね、というあれ
お金持ちはお金をもうけるのが得意なんだから、より多くお金があればより有意義に投資をして
イノベーションやなんかを起こして経済を活性化するから結局みんなが幸せになると
確かにこれは旧共産国や途上国ではかなり上手くいった。少なくとも最初のうちは
もともと、こういった国では計画経済やなんかのせいで供給がぼろぼろだった
だから、需要はたっぷりあって、供給側の企業を税金面などで優遇して、邪魔な規制を
撤廃してやれば、どんどん供給が増え、増えたものはちゃんと売れて、みんな豊かになった
(実際には、きちんとした資本を整備するというのは、もっと繊細な仕事で、そこらへんは
そして、このころ、いわゆる伝統的な金融政策というものが強固になった
・景気が良くてインフレが加熱してきたら金利を引き上げる⇒企業はお金を借りにくくなり
経済活動を減速させる
・景気が悪くて困ったら金利を引き下げる⇒企業はお金を借りやすくなり、経済活動を活発化する
ちなみに、これも、読んでわかるように供給側(企業)に注目した政策だね
もちろん、この政策を実行した国は格差が拡大したし、途中から不調に陥る国もあった
ただ、格差自体は経済の問題ではないし(トリクルダウンが起きるはずとか)、汚職や教育に
由来する問題が足をひっぱているだけだと思われていた
社会問題として改善の余地があるが、経済政策としては問題ないはずだった
バブル崩壊以降、日本はサプライサイド経済学で頑張ろうとした
でも、景気は回復しなかった
確かに、金融機関は不良債権で困っていた。でも、優良企業には貸さないと業績が上がらない
ところが優良企業は借りてくれなかった
でも、景気は回復しなかった
規制を緩和した。もりもり緩和した
金融ビッグバン、非正規雇用、大店法、酒タバコ医薬品販売、タクシー台数制限撤廃にいたるまで
でも、景気は回復しなかった
それでもサプライサイド経済学のひとは、うまくいかないのは政策が徹底していないからという
ただ、ここまでくれば、もういくらなんでもおかしいだろうと思われだした
サプライサイド経済学が正しければ「セイの法則」が発動するはずだった
もういちどさっきの例を書いてみる
お金持ちはお金をもうけるのが得意なんだから、より多くお金があればより有意義に投資をして
イノベーションやなんかを起こして経済を活性化するから結局みんなが幸せになると
もう、みんな答えを知っている
減税や人件費の圧縮で作り出された資金は、イノベーションへの投資ではなく値下げ競争に使われた
だって、それが市場の出した答えなんだもん。イノベーションへ投資した企業は死んだ
需要のない市場で資本を優遇しても、溜め込まれるか値下げに回る
そりゃ企業も売れる見込みもないのに、投資もしないしお金も借りない
ここに至って、今まで供給の付随物と軽視されていた需要が景気のカギになると認識されたわけだ
さて、どうやら需要が景気の動向に大きな影響を与えるらしいということがわかったけど
そこで登場したのが期待インフレ率
需要が多ければ、商品をほしがる人が多いので、値上がりしてインフレになるだろう
需要が少なければ、売れ行きが悪くて、値下がりしてデフレになるだろう
なにより素晴らしいのは、金利とあわせることにより、以前の経済学に需要を接続することができた
期待インフレ率が高ければ、たとえ金利が高くても、将来的にお金の価値が下がるので返済は楽
期待インフレ率がデフレなら、たとえゼロ金利でも、将来的にお金の価値が上がるので返済は苦しい
さて、じゃあ期待インフレ率を上げるのはどうしたらよいか
確かに、個々人の購買力が需要につながるので、究極的な需要の制約条件ではある
しかし、財産を多くもつ高齢者が金を使うかというとそうではないように
本当に有効な使い道を官僚や政治家が決められるのか。汚職や財政規律の問題がある
まあ、ほかに人口動態のせいとかで、そもそも需要上げるの無理という人もいる
そんなこんなで最終的に期待インフレ率が貨幣に結びついているのを利用することにした
つまりお札を刷って物理的にインフレを起こし、需要を上げやすくお金を借りやすくした
あえて書くまでもないかもしれないけど、第一の矢はリフレ政策だけど
第三の矢は昔ながらのサプライサイドの政策に近く、あまり期待できない
というか、需要を重視する立場からは足を引っ張るだけと思うので止めてほしい部類だ
消費税が需要の足を引っ張るのは長引く「反動減」で、もううんざりするくらい明らか
この3月が消費税の納付期限なので企業業績がどうなるかで場合によってはリストラや
倒産などひどい影響が出るかもしれない(出ないことを祈るが)
消費税が消費への罰税であるのと同じように法人税を企業活動への罰税と思ってる人もいるが
端的にそれは間違い
設備投資や人件費など経費にはかからないのだから、利益が出たのに事業を拡張しない
ことに対する罰税なんだ。働かないことに対する罰税ね
また、一部の人は法人税が節税のための無駄な投資を生むから良くないという
しかし、良くないというのはやはり供給から見た視点で、需要から見れば特に問題はない
というか、推奨すらされる
それに対し法人税の減税は、何もしない溜め込みに有利に働く。これは最悪
ここから伝統的な金融政策に代わる理想的な経済政策が考えられたりする
つまり、期待インフレ率が高いときは法人税を下げて消費税を上げ
まあ、実際には税金をいじるのは大変なので、最低限、消費税を上げるなと
それだけ
サプライサイド経済学はもうやめよう
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2015-3-10追記
皆様たくさんコメントをいただきありがとうございます
財政出動の項で話としてややこしくなるけど出しといたほうがいいか迷った点
id:cider_kondo これを完全反転させた「全部ケインズが悪い流れ」も割と簡単に書けるよなー、と思った。散髪行くから書かないけど(嘘
ある日機会があって会うことに。お互いセックス目的であり、待ち合わせして会話もそこそこにホテルへ向かった。
体の関係だけでなく、ご飯、買い物なども行くようになった。いわゆるデートだ。セックスだけではないデートもするようになった。
彼は私を“パートナー“と呼び、良く尽くしてくれる。
すっかり私もその気になった。
ところが彼は既婚者だ。
彼は否定も肯定もしなかった。タブーかなっと思ってその場はすぐ流したが、
その時の私は割り切った関係だからどっちでもいいや。と本心から思っていた。
彼も隠しているのだろうと思ったし、今後とも言わない方向性だろうと理解していた。
あきらかにお子さんがいるという確証に繋がる物を持っていたりする。
隠す気ないのか?それとも、「察して」というサインなのか?
「あえて自分の口から既婚ですとは言わないけれど、察してわきまえてね」ということなのか!?
私はだいぶ悩んだ。
言う気がない、隠してる、のだとするとそれらはあまりにも不注意すぎた。
ならばやはり、察してということなのか。
そして触れるなと。
なんだそれは。
いや、なんとなく、想像することに、
私が彼に本気になってしまい、果ては結婚してと言い出すかもしれない。
そうすると、既婚の彼と勘違いした私とで揉めるかもしれない。そうなると大変面倒くさい。
だから、「察して」と。
彼の献身的な尽くす体勢により、それに彼のパートナー宣言もあり、かなり彼にのめり込んでいた私はその事実をことあるごとに意識するようになっていた。彼には決まった相手がいる。それも“妻“。オンリーワンだ。かけがえのない存在。愛するたったひとりの女性だ。
確実に事実だが、真実は知りたくない聞きたくないと思っている自分もいた。
原因は、やはり彼の不注意であった。
彼の名前が書いてあるものをうっかり私の前に出してしまったのである。
彼はその件には特に触れなかったが、あきらかに私の目に触れていた。
見てないかのように振る舞ってしまった。
この日一日は思考の外に出して過ごした。いや、それから数日は考えないようにしてたかもしれない。
悲しい?ようなー
その時の彼の返答はなんだったか。
その時の会話はどうだったか。
あまりはっきり思い出せない。あやふやにされたんだろうか。私が自らあやふやにしたのだろうか。
そして私の感情は遅れてやってきた。
この人に夢中になってはいけないと。のめり込んではいけないと。
遊び相手と思わなきゃいられないと。もうかなり好きだが、ほどほどにしないといけないと。
彼にぐちゃぐちゃと当たり散らした。
私が何故取り乱しているかは本人には言えないのでそこはふせて、
それでも彼は優しく、私の言葉に悲しみ、私を好きだと言ってくれた。
私は再度割り切ることにした。
彼は偽名だけど私にとっては彼を表す名前であることに違いないし、
何か事情があるのだろう。それは私の知るところではない。
でもいつか教えてくれたらその時には喜べるからいい。
既婚なのも万が一の時に私が不利にならないよう逃げ道を作ってくれてるのかもしれない。
それにもしかしたら奥さんにできないことを私にしてるのかもしれない。
そうでなくてもいい。彼が私と会う日、彼がセックスしたい、遊びに行きたい、ご飯を食べたい、と
何を考えているの?としょっちゅう思っていたし聞いたりもしてたけど、
それもいつしか止めていた。
今は私も楽しい。
それでも彼にはもっと気を付けて欲しい。
隠してる事が不注意で知られてしまうことは良くない。
それに私もこれ以上真実を知りたくない。
先日起きっぱなしのスマホの画面に女の人と赤ちゃん、らしき画像が見えた気がするが、
私の見間違いだということにしておいてる。
もっと警戒するべきだ。
もっとも、前述の通り、察して欲しくてわざと見せてるのでなければ、だけど。
たまに、急に、彼に対していわれもない不安が沸いてくることがある。
私はにそれをぶつける場はなく、そっと飲み込み落ち着くのを待つ。
実行し終えた時でないとそれは分からない。
いつかくるであろうその日を楽しみに
今日も彼を想って眠りにつく
大好き