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はてなキーワード: 考察とは

2019-04-09

anond:20190319163457

あべみかこ だと思う。演技がうまくてシチュエーションに入っていける。

ただ、貧乳すぎてAVでよくある「見てたらエロすぎて興奮してきてしまった」的なシチュエーションには共感できない。

ふと思ったけど、貧乳相手だと付き合う→セックスの順番が逆転する可能性が低くなる気がしてきた。

これまで関わってきた貧乳ちゃんたちがとても愛想よかったのも、そういう逆転現象が起きづらくで男性不信にならない可能性が高いからなのではないか考察した。

anond:20190408143752

おもしろいね

いつもの質問厨か設定煽りかと思ったら考察リストだったしw

ドラゴンファンタジー(Grailquest)で学生時代を過ごしたおっちゃん的には「火吹き男派」だったんだけど、これ読むと確かに色々あるしそもそも物見た事ないもんなぁって思ったよ(笑)

心情的には可燃性ガス魔法強化&プロテクトとかであって欲しいか

漫画とか見ると鼻から出てる派と口から吐いてる派もあったりするよね

現実的にはコモドオオトカゲなら唾液だけで焼けつくような痛みがっ、とかありそうだし、毒性が新たに解明されたりもしてるから火のような吐息を吐く恐竜のような生物、とか居てもよかった気はする

でも恐竜の生息時代人間と被らせるのはかなり苦しいらしいから、やっぱりファンタジー遺伝子操作で新たに作るSFしかないよね

おっちゃんは一度でいいかドラゴンライダーになってみたかったなぁ…w

2019-04-08

anond:20190408180028

人が動物の上に立つモチーフイルカアシカイエイヌが、けもフレ1以後の「人間がいなくなってる世界」でそれを強調されることが視聴者にとって不快で、それを書くなら悲劇性や罪悪感も書くべきだ、との主張でしたね。誤解していました。失礼しました。そうするとリョコウバトは構わないのでは。けもフレ1でもトキ絶滅していますが、人が上に立っているわけではないので問題ない。リョコウバトも同じ扱いでいいのではと思いますしかけもフレ1でカフェを訪れるフレンズは別の鳥でも良かったわけで、トキ選択されたのは何らかの意図があるでしょう。以前に書いたような「テーマとして昇華していない程度の示唆」でとどめても善いのではと思います不快になるまで強調されるならドラマに絡めて決着を付けるべきだということですね。ならばイルカアシカイエイヌでそこまで不快になるということ自体製作者の想定外なのではないでしょうか。俺もグロテスクさは感じましたが話が入ってこないほどは気にならなかったです。「そこに居心地の悪さを感じるのは当たり前」とおっしゃいましたが、監督交代のいざこざ抜きでもそう言えると断言できますか。

ヒーローがなんか技名叫んでパワーアップ」は、戦隊ものでもプリキュアでもアンパンマンでもあるので、そうそう引っかからない

これまでそういう表現が主流だったというだけです。戦闘ときに技名を叫ぶのはフィクション的です。攻撃タイミングがバレてしまうし、叫びに使うエネルギーを拳の乗せろよ、です。詳しくないのですがハリウッドヒーロー物では技名宣言は少ないのではないでしょうか。国内で閉じるローカルルールに縛られずによりリアル表現模索したのでしょう。「サーバルの目が光ると、ビーストも同じように目が光るカットがあるので、『同じ系統のパワー』に見えるんですよね。」とのことですが、同じ系統でよいと思います。常時強制的に野生部分が開放されているのがビーストだと俺は捉えてます

私の意見は「内面世界の外への進出自体は、多くの作品共通する、いわゆる「盛り上がる」部分です。ただ、その進出の仕方に、世界現実の仕組みに矛盾しない理屈がある場合と、理屈なしでイメージが直結する場合がある。ケムリクサは前者で、けもフレ2は、後者のように見えるという話です。

俺はケムリクサの最終話での細かいつじつま合わせに納得していません。「盛り上がり」とはリンが赤い木に対峙するシーンからですよね。ケムリクサでは草周りが特に緻密に組んであるので引っかかっているのかもしれませんが、矛盾していてノリで処理するの範疇に入っていますけもフレ2でのキュルルちゃん葛藤は「盛り上がる」部分ということでいいですね。とすると問題はフウチョウよりむしろ吹っ切れた後にタイミングよく飛んでくるビーストのような気がしますが… ただそこに至るまでに作品評価は決してしまっていたし、葛藤をフウチョウという便利な舞台装置で処理したところで全体がファンタジーということにはならないのでは。むしろケムリクサは柔軟性のあるギミックやしがらみのないプレーン舞台を用意していることで矛盾をでなくしているように思います。まあファンタジー蔑称ということもないのでしょうが、多くをノリで処理すべき寓話世界観というほどには、けもフレ2は堕していないと思います

1と2の共通するクライマックス部分で、似た構図の印象的なカットを出して、共通性を感じないわけがないです。そこは制作者は気づくべきです。

しかし、たつき監督けもフレ2をやっていたらそのカット問題にならないわけでしょう。監督が代わるごとに構図被りに難癖つけられるなら、正解は作らない一択ですよ。俺は野生解放こそ失念していましたが、かの名シーンの存在は覚えていて、でもその被りには気づきませんでした。観客が悪意を持ってアラ捜ししていることまで計算に入れて作っていかなきゃならないなら、アニメ制作者が家に帰らない期間は年単位で増えていくでしょう。観ると決めたら、ある程度製作者を信用することは視聴者側の責任だと考えています

視聴者視点では行動が横暴に見える」のであれば、それは「優しい世界」「癒やしとしての芸術表現」として失敗してるのではないかと思います。...(中略)...「優しい世界」というのは、面白かった作品への誉め言葉として使われているように思えます

この先奇跡的にけもフレ2の人気が反転して評価が逆転したら繰り上がって「優しい世界」になるのでしょうか。だとすると「優しい世界」は「感じが良くて人気だった」くらいの概念になってしまうでしょう。批評文脈でそのようなものを論じるのは意味がないのでは。作品制作において(俺は関係ないですが)、優しい世界を目指すというのは単に売れるよう頑張る以上のものであって、今のところは曖昧ですが、これから更に研究していく必要があるほど奥の深い領域だと考えていますけもフレ2でギスギスが解禁されたことで、G・ロードランナーやフウチョウ、イエイヌなど、けもフレ1に収まりきらなかっただろうフレンズへの間口が開かれました。そこはメリットだったのですが他方優しい世界性は減じてしまったということです。スピリットは二作品継承されましたが、休日リピートして癒やされるのはやっぱり一期ですよね。

話が前後して申し訳ないのですが、作劇論について…

ドラマとして盛り上がる重要ポイントで誤解を与えてはいけない

なるほどこれまで俺は不備を、設定の矛盾のようなものに絞っていましたが、重く捉えてらっしゃるのはプロット上の未消化や演出上の目論見の失敗、などですね。この方面は完全に素人なのですが、胸をお借りするつもりで議論に足を踏み込ませていただきます

「おうち探し」がテーマで、「仲間と一緒のここがおうちだった」に落とすためには、通常、「おうちは見つかったが、その上で、仲間と一緒にいることを選ぶ」というプロットします。そうしたほうが「自分意志で選んだ」感が出るからです。「おうち」が見付かったけど、廃墟だったとか、「おうち」側から同胞と認められなかったとかでショックを受けて、その後、決心するとかが基本パターンですね。そこが全くないので響かないんですよね。

論理同意できません。自由意思はどちらの選択をとっても自由ときにのみ現れるものです。事実上その選択しかないのにそれを選ぶのを決心するのは意思ではなくて屈服ですよ。敗北したのではなく自分で選んだと言い聞かせるために自分発破をかけているわけでしょう。けもフレ2のキュルルちゃんは諦める必要がないときに諦めの決断をしているので、そこに確かに彼女自由意志があると判るはずです。響くか響かないかは決意の重さを事前に示しているかでしょう。リリの「会えないのはもっと嫌だ!」は赤い木を生み出した(観念的な)責任彼女にあるし、あそこで「好きに生きて」などいわれて逃されて、わかりました楽しく生きますは納得感が全く無いので、戦線復帰が可能だとわかった時点で行動は一択なわけです。でもワカバとの日々でお化けになることを怖がったり、ワカバが倒れるのを心配したりしていたので、彼女自身が消えることの怖ろしさは十分に示されてる。それでも積極的に行くところに決意の強さが見て取れるわけですよね。キュルルちゃんはそれまで三人でおうちを探して旅をしてきて最後に、それがパークのどこにもなく手がかりの絵も尽きて絶望したことが示されているので、諦めるということがそれなりに重い決定であることは判っているわけです。それで充分だとは思いますが、まあ死ぬほどの重みではない。先々週にリリの決断をみているのでそこからすると見劣るのは否定できないです。

増田さんのプロット案は面白いですね… そっちのバリエーションも観たかたかも(実はプロの人なの?)。

最初イエイヌが、キュルルを、去って行った飼い主と完全に誤解している。キュルルや他のフレンズの助けで、イエイヌが元の飼い主のことをきちんと思い出す。その時、元の飼い主がイエイヌと別れた時に、安易に捨てたわけではなかったことがわかる。キュルルはイエイヌの寂しさを受け止めつつも、今の自分に出来ることはないので、別れる。一人のイエイヌの家に、他のフレンズが遊びに来る、などとします。

でもそうするとセンちゃんアルマーさんを入れる尺がなくなりませんか。誤解させるための設定も用意しなくちゃならない。というかイエイヌちゃん完全に救われちゃってますよね。このときのキュルルちゃんが横暴に見える、とまでは俺は思っていませんが、視聴者の多くはそう捉えたようです。おかしいと思わない人はサイコパスとまで言われていました。素人考えなんですけど、あそこでキュルルちゃんが(観点的な)非道を働いてしまうことには狙いがあったのではと思いますお話の上でキャラクターが何らかのミス悪事を働いて被害を作ってしまった場合、それに悪意がなくても、天災的な事故観念的な罰を受ける。視聴者の溜飲を下ろすためなのか、そういう処遇はよくあると思います。でないと消えざるを得なかったリリ・ワカバがただひたすら不遇ということになってしまう。キュルルちゃんホテルで海に落下させるためにイエイヌ回で下げたのではないでしょうか。落ちたときニコニコ動画では「ざまああwwww」が連発されましたが、あれは制作の狙いだったと考えています。そして必然的落下からのフウチョウ説教・海底火山紹介に自然につながります

肩すかしなのは、キュルルちゃん出自と、最終話に至るドラマキャラ動機等が、特に関連しなかったからです。キュルルちゃんがキュルルちゃん本人のフレンズで、疑似不老不死だったことを眼目とするなら、それが何かと絡む必要があります

キュルルちゃん疑似不老不死説は俺の自説で、そこまでの確証はないことは一応留意してください。むしろ話の流れのメインだったのは”スケッチブック最後のページの行方”だったと思います。すべてのドラマスケッチブックに沿って展開され、最後の絵は破られていたことは最初の話で既に明らかにされていて、ホテル海上で悩むキュルルちゃんは千切られたページの跡を見つめていました。長い時を生きてミライさん時代からパークを見守ってきたイエイヌに対してキュルルちゃんが「おうちにお帰り」を言い、逆にイエイヌ彼女から送られた絵をみて(観念的に)おかえりを言うわけです(実際に口にはしてないけど、まあ立場的に)。キュルルちゃんはそのシーンを持って本当におうちに帰った、受け入れられた。それを最後のワンカットで示すのが強い、と思うのですがいかがでしょう。

通常、作品における伏線・回収は、プロット重要なメインの部分についてやるものだと思います

一般的エンタメの作劇上のセオリー評価できないというのはわかりましたが、しかしそのセオリーに従わなければいけない強い理由があるのですか。不勉強ながら俺はそれを知らなかったし、多くのファンも同じではないでしょうか。視聴者には考察班的に楽しむ人もいるし、癒やし目的カジュアルに流し見る人もいるでしょう。教科書的な表現から逸脱することで芸術進歩してきたのではないですか。

anond:20190408014023

広い意味調和し、繋がる必要はあります。さもないと単に、とっちらかった話になってしまます

けもフレ2の場合、キュルルが「みんなのことが~大好きなんだー!」と叫び、これが多分メインテーマなわけで、だとすると、「リョコウバトを絶滅させ、イルカアシカにショーをさせ、イエイヌ人間なしには生きられなくした人間の業」はメインテーマと真っ向からぶつかるアンチテーゼなわけで、その業とどう向かい合うかは、避けて通れない話でしょう。軽く触れるだけで終わらせるのは構成的に不備があります

けもフレ2のメインテーマは「おうち探し」だと思ってました。そうだとするとヒトの業はアンチテーゼとしては機能しないです。ただ、テーマについて、議論を受けて改めて考えなおしてみたのですが、それぞれ責任の取り方を示唆する決着にはなってたと思いますイルカアシカは芸のネタを与えてあげる、イエイヌは(他人ではなく)飼い主が戻ってくるのを待たせる、リョコウバトには「ひとりじゃないみんなが仲間」ということを教える。イエイヌ不憫感のある結末でしたが、あそこでキュルルちゃんが代わりの飼い主になってしまえば、視聴者は「ああ犬を捨てても誰かが拾えばいいんだ」と受け取ってしまいかねない、飼うことの責任を結果の悲しさを見せることで匂わせた、そういう意図だったのではと思います木村監督仕事受けたあとインタビューで「娯楽なので、ぶっちゃけ監督なんて誰でもいいんですよ」とお話したそうです。この言葉謙遜、およびプロとしての矜持だった、道具に徹するという意志の現れだったのでしょうが騒動で傷ついていたファンには「たつき監督への侮辱か」と受け取られてしまったようで、残念なことです。作劇のプロとしての基準がどのようなものか存じませんが、一般的エンタメ方法論の尺度では、(見得を切った割には)十分な水準に達していなかったということでしょうか。俺としてはとっちらかっているとまでは思えなかったです。

「野生解放と言わずに野生解放で急に強くなる」は、わかりやすさ優先ではなく、むしろ、わかりにくくなっています

野生解放を明言しないの目的が引っかからないようにするため。性格自己申告の目的がわかりやすくするため、と申しました。サーバルは対ビースト戦でも野生解放を使っているので、視聴者最終話のシーンでは引っかからないだろう、と考えたのでしょう。むしろ俺は貴方レベルでそれを見落としたことに驚いています。すくなくとも演出の目論見は失敗したと言っていいでしょうね。

ミドリケムリクサ自体回復できるのに、なぜ、赤を回復してしまわないか、は、複数の葉を重ねて作られた赤を「治す」ことで、元に戻してるのかもしれません。

いただいた他の論はあまり説得力を感じませんでしたが、この解釈は的を射ていると思います考察によって筋を通すことができる、それに耐えられる作品になっている。そういう信頼がたつき監督にはあり、木村監督には無かったのでしょう。見返しておられるとのことで詳しくは控えますが、あらゆるポイント伏線と回収があります。りんが記憶の草を触られて居心地悪くしているシーンは流し見るとなんかエッチ雰囲気に見えてしまますが、きちんと意味のある描写です。内面世界の外への進出、この観点で二作品の差を論評するのはいささか無理があるのではないでしょうか。俺はけもフレ2もSFアドベンチャーとして設定を考察していますしかし先に触れてらっしゃいますが、全体的な伏線-回収のスタイルには2つの作品は確かに大きく異なっています

「さぁとっとと野生解放するのです」… かの名言を忘れているとは。おっしゃる通りで返す言葉もないです。やれやれ咀嚼が足りてないですね。噛めば噛むほど味が出る、これがたつき監督けもフレ1以後の作品凄さでした。個人的には、けもフレ2もそのスピリットを色濃く受け継いでいるように思えます

ただケムリクサという作品は、全体を通して様々な伏線があり、矛盾意味不明に思えた描写が「なるほど、こういうことだったのか!」と思う瞬間が何度もありました。だからこそ、矛盾と思える部分についても「もしかして、これはこうなのでは」と考えたくなりますけもフレ2は、そういう作品ではないので、

これには異を唱えておきますけもフレ1にくらべてもケムリクサは、伏線-回収のプロセスがかなり表面に出ており、しかも草や姉妹の周りで深く・複雑に織り込まれています。流し見していると、在りし日の姉達の思い出や、草の種類など、設定開示が多すぎて雑音が多い視聴感になると思うのですが、すべてに筋を通すべく没頭してみれば、極めて大きいS/N比を持っていることが判る。他方けもフレ2では、けもフレ1の設定との整合意識しなくてはならなくて、キャラクターかぶらないようにしなければならない。ヘラジカプロングホーンは性格はごくごく微妙に違っています舞台装置の融通がケムリクサほどには効かない。遅いジャパリトラクターと海の二人のスピードの差、ホテル位置時代を重ねた末のキャラクター同士の関係性の変化。そういうことで破綻がないようにしなければならなかったわけです。ボスウォッチでキュルルちゃんを探すことができてしまうと、けもフレ1で海に落ちたボスラッキービーストは探せなかったのと矛盾が出る。伏線だけでなく視聴者の印象にも配慮しなくてはならない。最終話唐突ボートが出てくると、あれ? けもフレ1のかばちゃん出立でバスを使ったのはなぜだよ、というショックを与える可能性があるので、うみのフレンズ回で予め出しておく。”うみのごきげん”はそのタイミングで合わせて出す。パーク内でのボスウォッチの在り方は、けもフレ1では”脳みそソコについてんのか!?”というビックリ要素でしか無かったですが、バスハンドルディスプレイウォッチをかざせというようなGUIがあるところからみて、ウォッチボス形態の一つだったと考えられます。そして引き出しに大量の異型筐体のボスウォッチ。「コレを持っていって」っと手渡す。様々な疑問に筋を通す解釈を俺は見つけることができました。見逃してしまうような設定開示を考察で結ぶことができる、これはたつき監督お家芸だったはずですが、継いだ最初仕事再現できる手腕には舌を巻きます

このようにけもフレ2では設定が矛盾しないように、しかもそれを前面に押し出さず(制作が苦労している感が出ないように)背後で処理している。考察を進めると考える上でヒントになる(あるいは制限になる)情報があちこちにあるわけです。視聴時の情報の引っかからなさが、けもフレ2の優れたポイントです。キュルルちゃん出自も明示的には解決されませんでしたが、一話中心にためつすがめつしてよく見直すと推測の材料が仕込んであり、最終話Cパートですべてが繋がるわけです。キュルルちゃんがキュルルちゃん本人のフレンズなら、コレは擬似的に不老不死を実現していることになる。そうすると、けもフレ1の山頂の戦闘機にも理屈がつけられるような気がしませんか。よくある批判に、キュルルちゃんの正体が最終的には謎じゃないか、というものがありますがそれを言うと、わかばの正体も最終的には謎でした。俺から見ると、どちらも読み解くのが… とても楽しい貴方ほどのレベル視聴者にこの作品メルヘン扱いされているのは、勿体無いことこのうえないです。”義憤”や”同調圧力”などがそうさせてるとしたら… ううむ、最初の諍いのとき制作プライドを曲げてでも頭を下げて、互いに許し合うべきだった。残念です。

あのシーン(引用者注けもフレ1の全員集合シーン)を、フレンズセルリアンで再現した、けもフレ2は本当に何をしたかったのだろう……。

牽強付会ですよ。囲まれた敵に立ち向かう描写は自ずとあのようなカットか、あるいは上空から俯瞰のような見せ方になると思います。まさに悪意をもって粗をさがそう、好意的にすべてを伏線ととろう、そのような態度の差が、けもフレ2とケムリクサの評価を分けた一因なのでは。

「優しい世界」と呼ぶかは意見が分かれるかもしれません。ただ、ここで書いたようにキャラ基本的な優しさ、裏表のなさなど、けもフレ1とも共通してる作家性があり、だからこそ、全体として、けもフレファンの人にも人気が出た、くらいは言えると思います

それを仰るなら、けもフレ2も優しい世界になるでしょう。センちゃんアルマーさんもペパプに暴行を働いたりキュルルちゃん誘拐したことはあったけど、基本的には裏表はなく素直で親切心が高く、イエイヌに貢献できたことを「善いことをしたね」と振り返る。ただその在り方がひたすらにストレートなので、視聴者視点では行動が横暴に見える。けもフレ2のジャングルメンバーは互いに本気で諍いしていますが、キュルルちゃんの仲立ちもあってか最終話ではツンデレ仲良し感を醸し出しています。”キャラ基本的な優しさ”や裏表のなさを実現するのは、恐れながら申し上げますが、難しくないでしょう。人数を絞ればキャラも立たせやすいのでは。そのうえで悪役を自意識のないモンスターにしてしまえばよいわけです。その程度で「優しい世界」とみなせるならそれこそ監督なんて誰でも良くてもできるでしょう。たつき監督が立ち上げた「優しい世界概念スピリットは、けもフレ2にもケムリクサにも息づいていますが、しかし全く道半ばだと思いますけもフレ1でも博士サーバル図書館来館時に背後から頭に蹴りを加えていますし(フクロウ能力表現としても蹴るまでは不要だった)、アニサマコラボ動画では大量のフレンズ酷使して、かばちゃんを、りょうり要員として使役しています視聴者全面的エンパワメントするというか、癒やしとしての芸術表現はここからもっと発展していくべきでしょう。監督名に自動的にくっついてくるラベルにしておくのはもったいない

その上で、けもフレ2の設定や伏線に不備がない、とまでは私は言えません。

一般的エンタメ作劇論では低評価するしかない、というのは、納得できました。しかし不備があるというならそれを示していただけませんか。広義の悪意について考えたのですが「対抗心さえ悪意」のように考えると、あらゆる創作に悪意は入り込みます問題なのは「悪意が前に出すぎてて、作品として楽しみづらい」ことですよね。作品問題なのか・楽しめない理由が俺たち視聴者にあるか、判別するためには議論を重ねるしかないと思うのです(追記とはいえ、やり取りも長くなったので先は後進に託すとしましょうか?)。

けものフレンズ2の悪意とはなんだったのか

先に言っておくと、100%邪推

けものフレンズ2に悪意があったかどうかという話をする前に確認必要な3点がある。

1つは「誰の悪意か」もう1つは「誰に対する悪意か」そして最後に「悪意とはそもそも何なのか」だ。

順を追って考察していく。

まず「誰の」。

これはもっともわかりづらい。情報が少なすぎるからだ。内部の、それもかなり上流の意思決定観測できる立場人間でないと、これを多少なりとも正しく認識することは不可能だろう。

だが、一般論としてプロジェクトのものに対して作家性を出せるほど最上流に近い立場がどこなのかはわかる。監督プロデューサー原作者出資者だ。これは大雑把には後になるほど上流にいる、と考えて差し支えない。

じゃあ後の方が…と考えるのはまだ早い。上流に行けば行くほどプロジェクト全体の舵取りができる立場になるのは事実だが、それは個々の部分に手を出すことができないほど図体がでかい、という意味でもあるからだ。原作者にある権利は全てを無に帰すボタンを持っているというだけ、と平野耕太も言っている。

次に「誰に」

これは悪意の存在のもの否定するのでもなければ論を待たず、「アニメ一期」だろう。ここに「一期のファン」を含める向きもないではないが、流石にそれは被害妄想、というよりは加害者存在妄想と言っていい。そこまでを悪意の射程に収める意味がない、というか入れなくてもそれくらいの被害は出せるからだ。

その上で、考慮に入れなければならないのは一期のさらに前…すなわちNEXON時代けものフレンズだろう。言うまでもないがNEXONアプリけものフレンズはなんだかんだであまり成功とは言えず、無料化からサービス終了という結果になった。この経緯の悪あがき感、そして終了後に放送されるアニメというのを見ても関係者のデターミネイションはかなり強かったと言えるだろう。最初に立ち上げた時点での絵図自体がかなり大きかったというだけなのかもしれないが、だとしてもそれは原因であって否定要素にはならない。

ここで最後っ屁として出てきたアニメ一期が、まったく予想もしない形でとんでもないブレイクを起こした。この誤算はできれば立て直したい(夢物語)であろうプロジェクトにとっての嬉しい誤算かと思いきや、それを主軸にプロジェクト自体を立て直そうとしたら主軸にできなかった、という最悪の誤算が重なる。このたつきヤオヨロズ降板騒動に関しては詳細が全く不明瞭なので言及を避けるが、結果としてユーザーほとんどの求心力を一手に引き受けるアニメ一期は外様に置かざるを得なくなってしまった。「悪意の矛先」はこのようにして発生した。

そしで最後、「悪意とは何か」

前段の締めで違和感を感じた人もいるだろう。ここでいう「悪意」というのは、「憎悪」「害意」よりはむしろ恣意」に近い。法律用語の「悪意」であればさらに近いだろう。もちろん法的な話ではないのだが。

すなわち、「座組の上でけものフレンズアニメ1期を埋葬する必要があった」これがプロジェクト最上流においてなされた「悪意」の正体だと私は睨んでいる。この必要性の根拠は単純に言って、たつきの代わりは誰にもできないというただそれだけの話だ。たつきを外した穴を埋められるアニメ1期のようなものは(探したのかもしれないが)無かったので、別のもので蓋をしなければならなかったのである

が、にもかかわらず「サーバルプロジェクトシンボルなので絶対に主役で出せ」「一期で得られたメリットは引き継げ」というおそらくは出資者レベルから要望を取り入れざるを得なかったのだろう。特にサーバルに関する要求は確実にあったと断言できる。その結果として埋葬は生き埋めのリアルタイム実況中継となり、悪意は憎悪に化けた(ように見えた)のである

そう見えたのはおそらく視聴者だけではない。末端の現場スタッフもそうだったのではないだろうか。セルリアンが絵から現れる実験をした時にハカセセリフ(としか思えない口調)をかばちゃんが言っていた、という事案があったが、これは収録が別録りになった時など、間をはかるためにその場にいる人が代わりに台詞を言うなどの手法をとることがあり、その際に発生した音声素材ではないかという説がある。これが実放送レベルで出てくるというのは、相当チェックがザルであったことがうかがわれる。つまりそのくらい現場モチベーションは低かったのだろう。これを上流視点で見ると、「誰も言うことを聞かない」という表現になる。現場の混乱を理由に挙げる人もいるが、その現場の混乱の理由としては無理なスケジュールよりもこちらの方が大きかったのではないだろうか(というか、厳しいスケジュールが無理なスケジュールになった原因と呼ぶべきか)。

まとめると、けものフレンズ2で起きていたことの背景は「けものフレンズという企画の中核を巡るお家騒動」ということになる。あくまでもここで争っている主体はコンセプトであって、人が、つまり吉崎・たつき木村細谷お家騒動をしていたわけではない。人間がそれをやっていたのはたつき降板以前の段階で、今話しているのはその後の話だからだ。悪意説と悪意否定説が入り乱れている理由も半分はここにあるだろう。「悪意」と呼ぶかどうかが怪しいラインなのだ。私はこれを「悪意」と呼ぶにふさわしいと思うが、そうではない人も多い。

2019-04-07

anond:20190407175202

一般的な作劇として、不愉快イベントは、単体だと「単に不愉快なだけ」で終わるので、作品テーマ性として発展させ、そこに意味を持たせるわけです。...

まり関心を持ったことのないポイントなので、勉強になります僭越ながら、グロテスクさが感じられうる示唆的なシーンが、人物の行動の結果などに繋がって作品としてのテーマになるまで昇華されていなかったとしても、芸術的意味はありうるのでは、と考えています。例示していただいたアイデアのように正面からこれをテーマに据えてしまうと、作品自体目的が”説教”になってしまうので避けたが、示唆したいことは確かにあった、という可能性です。別の方の増田引用します。

動物園から人と動物関係についてあくまで人は管理者であって友達ではないという指摘があった。人の都合で檻に閉じ込めている現実から目を背けるべきではないとのこと。学習研究、人の活動によって個体数が減らされてしまった種の保存など、人が人のために他の種を管理しているのだから、あまり動物と人が対等に取り扱うことは教育上望ましくない。2期では是非そういった視点も踏まえ、動物同士がフレンズでありヒトは違うという体でお願いしたい。

"けもフレ2の脚本オーダー"への返信

動物園から制作陣への要求… もちろん、そのような体で書かれた冗談しょうが、こういう視点制作側にあったのかもしれません。

野生解放といえよ、とか、他のフレンズは野生解放しないのか、とかは、内面世界問題ではなく、脚本の不備の問題です

それを仰るなら、けもフレ1の黒いセルリアンとの戦闘でも多くのフレンズは野生解放していないです。ところで「野生解放を言わない」ということには、けもフレ制作陣の明確な狙いがあると思いますけもフレ2では他にも「ちほー」や「フレンズ」といったタームがほとんど言われません。推測ですが、これは一般受けを狙うために途中から入ったりぼーっと観てる視聴者キッズが引っかからないように配慮したものだと思われます。逆に明確に説明するようになったものもありますキャラクター性格です。「私、体が丈夫なだけじゃなくて記憶力もいいので」「私は用心深いから」… などなど、けもフレ2ではキャラクター自分性格自己申告します。作劇技術的な難度という点ではこのような表現はおそらくレベルが低く、エレガントでもないのでしょう。しかしそれが直ちに作品として悪い、ということにはならないでしょう。解りやすいというメリットは確実にあります。あざといくらいハッキリ言うので、おそらくここを起点に自分でも動物性質を調べてほしい、という願いも込められているのかもしれません。

ケムリクサに置いて、内面世界シンクロする際は、ケムリクサというギミックを使っており、SFとしての筋は通っていると考えています。ここでいうリアリティラインは高めです。

そうでしょうか。最終話の赤い木との戦いで、りんの本体の葉から水がなくなって戻ろうというときに、ミドリの核の枝と桃ちゃん継承しました。枝を肘につけてパワーアップして復帰しますが、しかミドリの枝にケムリクサを修復する機能があったのでしょうか。ミドリの葉は状態を治す・保つ事ができますわかばの腹に空いた穴や、りんの欠けた手足を補ったことはありますが、ケムリクサそのものを治したことはないです。もしケムリクサをも治せるなら、赤い木に指して倒せるのと矛盾してしまうと思います。かといって桃ちゃん自分を分裂させたという可能性もありません。桃ちゃんは、(姉妹では)りなだけが使える葉だからです。また同じく最終戦で、りんは、りり最後記憶を取り戻しますが、あのとき記憶ケムリクサが突然発動したのはなぜでしょう。直前に二回わかばが開いていますが、二度ともロック解除が必要でそれは、りくにさえできない、わかばけが可能手続きだったはずです。りんは最終戦終了後キャッチした、わかばとともに船のそこに落ちますが、そこで突然ミドリの光の柱が伸びて二人の怪我を修復します。でもミドリは葉も枝も戦闘で使い切ったのでは。リアリティラインが低い… 内面の高まりがなし崩しに外面に出てしまう。お話を頂いて頭に浮かんだのはむしろこのシーンでした。ケムリクサを万能の舞台装置、あらゆる話の粗を吸収するスポンジと捉えるなら、けもフレ2のセルリウムサンドスターをスポンジにすれば全て解決では。

悪意のあるキャラがいない、という点では「優しい世界」を継承しているでしょう。りんがわかばを警戒するのは自然なことですし、それ以外は全員が素直で、また世界破壊の原因も優しさに起因し、わかりやすい「悪役」はいない

「優しい世界」の解釈が俺らふたりの間で異なっているように思いますけもフレ1で、カバ新参かばちゃんに「パークの掟」を諭しつつも、去りゆく二人に何度も声をかけて心配しているさまを示す。ツチノコは地下迷路で口の悪い闖入者を疎んじつつも、(諦めた体で)二人に協力して出口を探すわけです。最後には絶滅していなかったヒトへの安心気持ちを口にする。サーバルかばちゃんを、「かばちゃんは…したかったんだよね?」のように道中何度もフォローを入れる。このような誰かを深いレベルで思いやる描写があちこちにあり、一方で人物間の衝突はあっても形骸化した、表面的なものしかなかった。全面的留保余地なく安心できる世界観がけもフレ1の「優しい世界」としてみんなに愛された、そう考えていますしかケムリクサではもう最初からわかばは異物扱い、いつでも落とせる、落としてやろうのような脅迫的な発言が毎回あるわけです。もちろんおっしゃる通りそこには合理性があるんですが、しかし、りくさん、あなた最後散り際にまで「こんなやつのどこがいいんだ」的なdisりをくれる必要はあったのか、あれ実はあなたも好きだったんで吹っ切るために強がったんですよね、などと視聴者の俺は解釈していますが、しかし「優しい世界」では全然ないでしょうということは主張しておきます(でもりつ姉はオアシス)。

「悪意を持って作られた創作」と言われるものは、悪意が前に出すぎてて、作品として楽しみづらいものなわけです。

設定や伏線において、けもフレ2に不備があるように思えるのは錯覚で、実態作品の狙いと得意な表現範囲の違い「へーきへーきフレンズで得意なこと違うから」、で済むレベルなのではと考えているのです。むしろ楽しむことを妨げる、エゴイズムという意味での悪意は、視聴者の俺らの側にあるのではないでしょうか。拝読した記事には総論としては同意で、いわゆる「ハンロンの剃刀」は強力なのですが、作品を論評するとき必要環境安心して自分意見を言える状況、とは現状はかなり食い違っているように思います。この空気の中での分析は、かなり注意深く精査しなければ容易に流されて最悪のケースでは誰かの筆を折らせる結果になりかねない、そう思って眉に唾をつけ考察しています

例えば一期のメインキャラが、十数人として、それが全員、根が素直で優しいとするなら、「根が素直で優しいキャラを十数体、キャラを立てて描き分ける」ことになるわけで、えらいことです。もちろん、素直なやつばっかりじゃないですが、それにしても想像すると怖くなりませんか。

ううむ、言われると、けもフレ1のサーバルコツメカワウソプレーリードッグはみんな似てはいものの、ごくごく微妙キャラが違っており、おそらくセリフに落としても区別がついてしまうでしょうね。制作陣の構成についても明るくないですが、この功績は吉崎観音さんの成果?

[] けもフレの「終わり」ってなんだろうねって話

 

 どうも。おじさんです。

 最初はてなブログに書いてたんだけどツイッターとかないし読まれくそうだったからここに書くよ。

 おじさんはけもフレ自体アプリはやってなくて1が好きだったおじさんだよ。

 2のアニメ評価は、もう言わなくてもわかるね。

 あえて言うなら「雑」の一言に尽きるよ。

 そんな2期の話は一瞬で終わってしまうおじさんが今回なんでこんなブログ始めたかというとね。

 今のけもフレの界隈に失望とさみしさの混じった気持ちを感じてるからなんだ。

 これはおじさんの気持ちをつらつらというだけの話だから

 そんなおじさんの話はどうでもいいよって人はもう帰ってもらっても大丈夫だよ。

 

 おじさんの気持ち?まぁ試しに聞いてやってもいいぜって優しい人はそのままページを下にすすめてくれるとうれしいね

 

 それでね、おじさんがまず何を思ってるかというとね。

 公式に対する暴言リプと、それを許容してしまってるほどのユーザー全体の悪意についてだよ。

 

「え、おじさん、別に俺は公式暴言リプなんてしてねぇよ」

 

「いや、あん公式なんだからあれくらい叩かれてちょうどいいだろ」

 

「むしろ早く潰れてくれ」

 

 たぶん暴言リプしてなくても、このくらいのこと思ってる人、いっぱいいるよね。

 あんな1期に対する悪意じみたアニメ作ってるんだから、これくらいの仕打ちはされて当然だって。思う人もいると思うんだ。

 

 でもさ、ああい暴言を「当然」って思っちゃう界隈って、他所から見たら、どうかな。

 

 怖いよね。

 いくらそれに正当性を持ち出されたとしても、印象としては「うわなんかキレちらかしてて怖い……ちかよらんとこ」ってなるよね。

 けもフレは終わったんだよ。って思う人もいるかもしれないけどさ。

 僕たちが好きだったけもフレは、例え二次創作の中だとしても、あるじゃない。

 たつき監督が示してくれたやさしさを、後から知る人のためにもその入り口キレイにしておきたくないかい。

 

 

 でね、これはおじさんの勝手想像なんだけどね。

 以前のけもフレの界隈の空気だったら、例え2期でひどいものを見せられたとしても、暴言に対する注意喚起っていうのはもっと広く行われていたと思うんだ。

 じゃぱりさん、っていうけもフレ考察動画投稿している人がいるね。

 たぶんこの記事を読みに来てくれるような人は知ってると思うけど。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm34681332

 

 この人のことだね。

 この人も動画内では「公式へのリプ欄とかで騒ぐのはやめようね」って言ってるね。

 こういうね、冷静に物事を見たり、判断したりする人は以前のけもフレではちらちらと、特にそういうものを漁ってないおじさんでも目に付くくらい活動が見えていたんだ。たつき降板で荒れたときとかね。冷静な電話凸とか署名活動とか、あったと思うんだ。

 https://www.nicovideo.jp/watch/sm31994753

 9.25けもフレ事件タグ動画を昔の方を漁れば、その手の注意喚起や呼びかけの動画普通にあると思う。

 

 今はどうかな。

 あん作品は潰れて当然だって言葉空気、悪意。そしてそれを黙って見ているだけの人たち。

 なんというかね。おじさんは、別に「それをするな」って言いたいというよりね。

 

 ただ悲しくなったんだよね。

 ああ。もう、優しく注意をしてくれる人ってのはけもフレ2が始まるころには離れていっちゃったのかなって。

 

 これをね、読んでくれた人へ。

 まずはありがとう。こんなお話に付き合ってもらって。

 そしてね、もしもその気が少しでも湧いたら、身近に、公式への暴言してるような人がいたら。

 

 暴言をやめろとまではいわないでもね、公式じゃなくて別のところに当たったほうがいいんじゃないかな、とか。

 そんなことするくらいならKADOKAWAテレ東自体電話とかして抗議するとか。そういう署名を募るとか。僕らができることってもっといい方法があるんじゃないかなって。

 (実際、けもフレ2のせいで1期すら見れなくなってる精神的に傷つけられた人も何人か見えてるしそういう人たちで訴えることできちゃうんじゃない?)

 

 そういう説得をできたらそれが一番いいけど。

 心に留めてもらえるだけでもうれしいから気にしないでね。

 そもそもおじさんだってこういうのはいっちょ前に作ったくせにそういう運動してないからね。「お前やってねぇじゃねぇか!」「それくらい言うなら自分でやれ!」って言われちゃう反論できないからさ。

 

 おじさん、もうけもフレに疲れちゃったんだよね。

 空気もそうだし。もうたつきけもフレも見れないだろうって諦めちゃってるし。

 だから、こういう思いをみんなに言葉として伝えるくらいしか、できないんだ。

 おじさんのけもフレに対する思いはもう薄れてしまってるけれど。

 

 けもフレ2に対するやさしさなんて思わなくてもいいけどさ。

 

 

 「けもフレ」に対する優しさを忘れないでくれ。

 

 どうか終わらせないでくれ。

 

 君たちがおしまいだって投げちゃったら本当に終わっちゃうんだよ。

 

 僕たちの怒りの声を、ただの罵詈雑言で終わらせないでくれ。

 

 

 

 ここまで読んでくれて本当にありがとう

 

 願わくば、二度とこんな、悲しいアニメが作られませんように。

 

 けもフレ2のせいで心の歪んでしまったみんなの気持ちがどこかで癒されますように。

 

 それではどうか、お元気で。

2019-04-05

三大ジョジョ信者勝手に言ってるだけなのに定説みたいになってるやつ

最初スタープラチナの射程範囲が広いのは承太郎精神が安定していなかった=スタプラ能力が安定していなかったため

「俺が医者に見えるのか」のくだりは丸ごと全部ブラフ

吉良があの時間に早人の前で名乗ることも固定された運命だった

GE感覚暴走描写されてないだけでチョコラータ戦でも発動している

ブラックサバスの矢に刺されたGEレクイエム化しなかったのはジョルノがまだその器ではなかったか

初期アナスイダイバーダウンで自分の肉体を作り変えていた

サウンドマン大統領がつれてきた平行世界サンドマン

保護色(を持った恐竜にお前を変えてやるがどんな気分)か?ランプ(の擬態)は好きか?(恐竜なので)明かりはつかないという意味だが

ジョジョリオンはすべてその場のノリだけで描かれているので考察無意味

大人は噓つきではなくまちがいをするだけ

anond:20190404064638

本文中などで疑問に思った箇所や、事実実態と異なっているように感じる箇所をさらっていたら文章が長くなってしまいました。早口になってそう。つば飛ばしてそう。

なので、レスの要点を書くと、

感想は多様としても、事実とまでも違くね?

主語を突然大きくしたのはなぜ?

・この文章レッテル貼りしてません?

の3本です。

本文中で言われている「そこに入れない者、入らない者になってる者」が「神に仇なす者」ですか?

「一期生作者に仇なしたであろう二期制作者/神に仇なす別の神に団体信者として反撃する」

信者に仇なす者に反撃する団体としての信者」は見ましたけど、

「仇なしていない/どこか否定することをしていないのに特攻する団体としての信者」があれば情報をください。

仮に「けもフレ受け入れられない」「たつきの好きじゃない」というコメントを残す人(とりあえず制作側は除く)がいても、団体としてのけもフレファン特攻したり迫害した事ってどれだけありますかね?

特に、どこか否定的な文を含まないものに対する、団体としての攻撃についてです。

ネット上などでけもフレファンからまれてる人はどこか否定する文体けもフレについて触れていて、そういうコメントしたことに対して、「同様に、どこか否定する文体でのレスポンスを個人からうけている」という風な状況として、度々見ます

また、否定的な文を廃した「けもフレ2に対する好意的肯定的考察感想」に対して、

「違う観点で見ていて面白い」とコメントされ、シェアされているのを見ました。

また、けもフレ煙草に限って言うと、戦闘になってる相手基本的には本文中の3点に加えて、

積極的他罰・他害を加えてくるもの

であることを指摘します。

本文中の「不快存在フレンズではない」に関しても、私は当時はリアタイしていませんでしたが2期にて通称ごますりクソバード」と呼ばれてるキャラが、不快な部分も含めてフレンズとして許容されていたことも指摘します。

けものフレンズ1の登場人物も、人同士の争いが無いかといえば、そもそも作中の文脈で言えば登場してる人は0ないし1ですから「人同士」という状況がないため争いがおきるはずもありません。

ただ本文中の文脈が仮に「キャラ同士」という意味だとすれば、アライさんはかばちゃんと争っていると言えます

本文を一読しただけですが、意見の箇所については個々の観点があるため意見は異なるとは言え、

事実出来事を取り扱う箇所については、ちょっと穴の多い文章かなと思いましたね。。。。

そして文頭では「一部の人たちにとって本当の神になった」と言いながら文末にかけて

ファンは〜」「〜騒動は収まるだろうし」「彼の国の安心は〜」

とずさんに主語を大きくしている点についても気になりました。

その上でわたし感想ですが、本文中の単語をあえて流用すると、本文は多様社会のフリをしながら多様性強制したディストピア的な観点を感じさせる文章だな、コメントだなと私からは見えました。

だってディストピアけもフレ全体主義けもフレナチス?それはレッテル貼りであって、批判感想考察とは異なってますよ。

けものフレンズ2批判に対する雑感

 けものフレンズ2への批判に対して少々思うところがあったのでちょっと書き連ねたい。

 筆者はこれのためにわざわざはてなID取得をしたユーザーでまた平時は長文を書くようなことはしないため読みづらい文章になると思う。またこれに限らず多量の予防線を張っているのでその点も踏まえて許容できるのであればお付き合いいただきたい。

 まず、筆者のスタンスけものフレンズ2放送前の思考等について記しておきたい。

 実はこんな長文を書いておいてなんなのだが私はけものフレンズ2は未見である(厳密には1話のみ視聴)。これは私がアニメを見る体力が落ちているためであり、正直見アニメの本数がかなり減ってきていてけものフレンズ2も1話の時点ではそれほど惹かれなかったというのが大きい。似たような理由で未視聴に終わっているアニメは他にもある(五等分の花嫁とか)。したがって見ていない理由として今巻き起こっている大批判攻勢とはほぼ関係がないことを留め置いて欲しい(ただ、もしけものフレンズ2の評判が良いというのが伝聞として伝わっていたなら見ていた可能性はある)。

 けものフレンズ1期については楽しく視聴させていただいた。自分としては大絶賛とまでは行かないが間違いなく良い作品だと思った。ただ、2期の制作が発表された時は正直あまりいい顔をしなかった。というのも私は「1期の内容が良かったからと言って安易に2期を求めるべきではない」という思想を持っており、特に物語がきれいに完結している場合はこのあとに何付け加えるんだ、蛇足になりはしないか?と思ってしまタイプである

 次いで、たつき監督が2期の監督でないことが発表された時、「これは2期で何をやるか本当にわからなくなったな」と思った。というのも元々けものフレンズ2が1期の継承をやるものだという風には絶対視していなかったし、仮に1期の内容を継承したとしても確実に面白くなるとも思っていなかったからで、たつき監督降板はこの考えに拍車をかけるものであったからだ。この時点での私は継承しろ変革にしろ面白作品ができることを純粋に祈っていた。

 ちなみに、よく聞く「他の人々がたつき監督の功績を奪って自分たちのものにした」という批判?に対しては、我々は当事者ではないし話し合いのテーブルにいたわけでもないので実際にどういう事情があったか推し量れない。従ってこれは仮にそういう可能性があるにしても邪推である基本的に信じるべきではないと考えている。同様に「たつき監督搾取されていた」という言説もたつき監督がどういう契約形態を取っていたのか不明であるという理由否定的である

 要するに何が言いたいかというと、けものフレンズ2を批判する人々と私とは思想的前提条件等に大きな隔たりがあると思う。仮に今からけものフレンズ2を見ても批判者の人々ほど不愉快な気分にはならないだろう。精々不可解な場面に首を傾げたりしかめっ面をする程度ではないかと推測している。

 さて、いよいよ放送が始まったわけだが1話のみを見た感想は「まだよくわからないな」だった。まあ当然だ。強いて言うならキュルルはかばちゃんよりも頼りなさそうだな、と思ったくらいである。それからしばらくは先に述べた理由けものフレンズ2の視聴はしていなかったのだが話数が進むにつれ否定的な言説もちょいちょい見かけてはいた。が、ツイッターで同時に考察をする人もRTによる又聞きではあるが見かけていた。

 やはり、一番大きなパンデミックが起きたのは9話であろう。爆発的に批判が増えた。私は暇つぶしテリトリーとしてソシャゲを別とするとツイッターニコニコ動画を主に利用しているのだが、特にニコニコ動画で見かけた作中のキャラあるいは製作者を吊し上げ、叩きのめさんとするタイトルサムネイル動画は大きなストレスを与えた。これらの動画を開くことはしなかったことは言うまでもない。しか無視しても目に入るというのはとても精神衛生に悪かった。ツイッターでも口汚く罵るツイートが目につくようになる。漏れてくる情報からキュルルが不可解で”不愉快”な行動を取ったことはわかったが、かと言ってこれらを許容できることはなかった。所謂盤外戦の話も流れてきたが私はひどく粘着されて否定的言葉を浴びせられ続けられたらそれは人間壊れるだろうな。と思った。作品の出来や公人であることを以て発言を許すべきでないという意見も見たが許されない部分はあるにせよ人間として不自然な反応ではないと思っている。自分が同じ立場なら酷く陰鬱な気分になることは相違ない。

 ニコニコにはオリジナルキャラを作った動画も出てきて人気を集めていたが、非常に嫌な気分になった。うまく説明できないが制作陣がどういう意図けもフレ2を作っているかからないにせよ、それを冒涜する行為だと感じた。アレは呪いだ。間違っても高潔ものなんかじゃない。少なくとも私にとっては。

 しばらくしてケムリグサ11話が放映されその出来に最終話が出る前に今すぐそれまでの話を見るべきだ、という趣旨ツイートが相当数流れてきたが(ケムリグサも未視聴だった)私は見る気になれなかった。そのツイートの中にはけもフレ2を散々にこき下ろした人間も混じっていたから。私はどの口でそんな事を言うのかと思った。感情に任せて作品を殴りつけるような行為をする人間が勧めるような作品を見たくなかった。ケムリグサが良い作品だとしてもそれを礼賛する人間の一部の行為によってケムリグサにも泥がかかったように見えた。

 そしてけものフレンズ2最終話が放映され、ニコニコ放送アンケートが酷い結果を叩き出し、また様々なレッテルを貼られた。曰く「榊遊矢に勝った」だの「けもフレ1を抹殺した」だの。見るに堪えなかった。物見遊山のつもりで批判ツイート連続してRTしたユーザーがいてフォローを外したりした。その一方でけもフレ2に対する別視点から批評も見た。タイムラインに流れてきたのを読んだだけなのでURLは覚えていはいないし、仮に貼って批評を書いた方に迷惑をかけてはいけないと思うので参照元差し控えるが、それによると「元々アプリからアニメ1期の時点で断絶は発生していた」という論評もあったし、「はじめからけもフレ2は1期を踏襲するつもりはなく、ヒトとケモノ関係について1期と明確に差別化し新たな形を提示しようという意図があった。うまくいっていないにせよ私はこのタイプ作品が好きなので評価したい」という批評もあった。あまりの叩かれ様に婉曲的に苦言を呈する人もいた。直接的に苦言を呈した人もいた。炎上した。炎上した人を見てどうして火の中に飛び込むような真似をするのかと言った人がいた。ねとらぼ記事中立的で良い記事だと思ったがそれにすら文句をつけている人がいて救えないと思った。

…もううんざりだ。私は一連の騒動辟易している。情報収集のためのツイッターストレスが流れてくる。暇つぶしのための動画サイト巡回に気を使う。私は嵐が過ぎるのをじっと待つより他ない。


ここまで言っても「制作陣を援護するような利敵記事だ。聞くに値しない」などと言われるであろうことが容易に想像できて嫌になる。

anond:20190405105643

ならば解説しよう。今期の監督ミスリードを狙ってくるのが特徴だと思っている。「このシーンはこういう意味かな」→「全然違ったww釣られたww」のような展開があちこちに散りばめられていて、スリリングな視聴体験を得られた。大量のボスが引き出しに入っているだと? でもよく見ると全部、筐体の形が違うぞ! かばんさんがつけていたのは正方形ボスだった。正方形ボスには見覚えがある! キュルルちゃん継承したのはそのボスだ! でも「『これ』を持っていって」… 長年連れ添ったボスを「これ」よわばりだと!? → その後かばんさん、しれっと正方形ボスをつけて再登場。つまり唯の端末でした。クッソwww

> "スリリングイラつかせるのを混同してはいけない"(anond:20190405114602)

感想押し付けないでくれ…

正方形ボスを別のボスが大量に入っている同じ引き出しに入れるかなあ(https://anond.hatelabo.jp/20190405124725)

ボスたちの中から偶然に(運命的に)正方形のを選び出した、という印象を受けた。演出の狙いもそこにあったと思う。(ただ、あの描写のために「ボスの充電問題」という厄介な考察ポイントが生まれしまった)

2019-04-04

[]コトノハ〇×の「複垢連投オヤジ」のまとめ

複垢連投オヤジ」に関して投稿するのは久々である
詳しくは以下の記事を参照してもらいたい。

今まで、これらの記事複垢連投オヤジ問題行動について述べてきた。
最近コトノハ〇×は時々閲覧する程度で、ほとんどフェードアウトしている状況であるが、依然として無断転載や他のウェブサイトでの粘着という形で複垢連投オヤジから迷惑行為を受け続けているので久々に触れることにする。

結論を述べると

複垢連投オヤジに対してはこれしか言えない。
本来ならばここまで汚い言葉遣いは慎みたいところであり、言いたくないが言わせてもらう。

複垢連投オヤジ人間の姿をした、ただの汚物である。」

私が複垢連投オヤジに対して思っていることはこうである
私は今まで苛めを受けた経験があり、それ以外にも苦手な人も見てきた。
しかし、複垢連投オヤジほど人間として最低最悪な人間は全く見たことがないのである

複垢連投行為マナー

コトノハにおいて、複垢使用や連投行為規約禁止されておらず、その禁止を訴えるのは一部のユーザーである複垢連投オヤジの登場以前から複垢や連投行為を行うユーザー自体存在しており、これに対しては以前から賛否が分かれていた。コトノハでは自分のコトの投稿数と回答数による投稿規制存在するため、複垢連投オヤジのような大量連投行為を行うためには必然的複垢必要である。この規制が敷かれるようになったのも上記の連投行為迷惑である運営に苦情が入ったかである
まず考えて欲しい、コトノハにおいて連投行為がなぜ迷惑と言われるのだろうか。2つ3つの連投行為は誰しも行ってしまうことがある。しかし、大量連投は折角他のユーザー投稿したコトを沈ませる原因になり、そのコトは回答されぬまま流されていくことになる。折角何かを主張しても無意味のまま終わるのである本来コトノハSNSであり、多種多様意見が交わされることが理想的であるが、それが1人の偏った意見のみになり、SNSとしての意味をなさなくなってしまう。それが連投行為によって生じる問題である
連投行為ルールではなく、コトノハSNSとしての性質考慮したユーザーマナーモラルによる問題が大きい。

承認欲求

承認欲求というのは、「認められたい」と思う気持ちのことで、人間なら誰しも持っていることであり、複垢連投オヤジけが特別ではない。しかし、人から承認されるためには、まずは相手承認することが必要不可欠で、相手否定するばかりでは人から認められることはまずない。
コトノハ場合は、自分でコトを投稿するだけでなく、他のユーザーのコトに回答し、更にコメントを行うことが「承認」に相当する。

こう考えてみると、複垢連投オヤジは極端に承認しない人であり、自分価値観押し付けることしかしていないのである
これを箇条書きで纏めると次のようになる。

このような人が他人から承認されることなんて有り得ないのである
複垢連投行為に対する意見複垢連投オヤジ本人に対する意見を受け入れてもらいたいものである

人を馬鹿にして、自分が優れていると思いたい

特に最近複垢連投オヤジコトノハでの言動で分かってきたこである
私は別に難関大学卒業大企業に勤めているようなエリートでは全くない。
しかし、中堅私立大学卒業で、大学院まで出ており、中小ではあるが正社員として定職に就いている。
その大学工業高校卒ということもあり浪人して苦労して入学した。
これも実際は指定校を受けていれば現役で入学できたはずで、一応併願で合格していた大学もあった。
しか第一志望は私の高校には指定校は全く無く、現役で合格できなくても第一志望のために併願校を入学辞退して浪人して今の母校であるその大学入学した。
人によれば浪人すること自体難関大学でもないのに浪人したことは不可解に思うかもしれないが、私は浪人という選択は全く後悔しておらず、寧ろ浪人中に得たことや大学生や院生の頃に得たことが非常に大きく大正解だと思っている。

しかし今までの投稿を見る限り、複垢連投オヤジ40代である定職には就いておらず、本当かはわからないが5chやテンプレブログ等で晒された大学も聞いたことがないような大学で、入試指定入学卒業たか不明という状態である
要するに人の経歴を馬鹿にすれば自分は優れているように見える、自分は現役合格から優れている、そのように言いたいように思える。
勿論、私の職に対して「奴隷エンジニア」と馬鹿にすることも同じくである
ここまで自分が惨めだと思うならばコトノハに四六時中張り付くのではなく、勉強するなり就活するなり成長してほしいもである

コンプレックスの塊

一言纏めると、複垢連投オヤジが私に対して誹謗中傷する一番の理由コンプレックスの塊だからである
私の個人情報を暴くたびに私が複垢連投オヤジよりも優位だと分かってしまう、だから馬鹿にしているのかと思う。
私は自分仕事職場のことをFacebookで一切述べたことはなく、それまではどのような仕事をしているのか、本当に就職しているのかはコトノハや今までの情報から確定付けることは難しかったはずであるが、会社技術ブログにて明らかになり、会社のことに関して色々言うようになった。

旅行の件に関しても同じである

2021年10月30~31日、コトノハオールスターズ寸又峡遠征の為活動休止します」

これは自分ワクチン2回接種したし、お前とは違いちゃん感染対策して行っていると、以前のワクチン接種前、緊急事態宣言下の関東旅行へ対してマウント取りたいための投稿だと言える。
本当に寸又峡へ言ったのかは不明だが、旅行へ行く報告にわざわざ他人名前を出してこのように書くことは普通の人ならばしないと思う。

要するにコンプレックスの塊。
定職に就けていない複垢連投オヤジはひたすら私が定職に就いていることを気に入らないのであり、コトノハ私怨による悪評を書くことにより無理矢理でも解雇に導こうとしているようだが、飽くまで一人がそのようにしたところでという気はする。
逆にコトノハが原因で解雇されたり、今後転職したり大学大学院へ再度進学する時に不利になったりした場合は実害となり、明らかな名誉毀損罪が成立し、被害届を出したり警察に訴えたりするのも容易になる。

複垢連投オヤジはこの数年はコトノハに張り付き、それ以前も含めて約40年間つまらない人生を歩んできたことは容易に想像できるが、そうなったのも複垢連投オヤジ責任であり、悔しいならばコトノハや人の監視をするよりも自分のことを考えて前向きに生きて欲しいものである

anond:20190404165952

それはまだ良心的な同人ゴロでは・・・・。

本物の同人ゴロは、そんな無駄努力はしないで、人気作品転々とし

作品考察もせずに出てくるキャラクターエロシーンばっかり描いてるイメージ

anond:20190404115552

DQ11も作者の女性観が透けて見えるんだよな

具体的にはマルティナの扱い

作中でのイベントでの性格は真面目で潔癖なのに、戦闘中スキルとしてはお色気技を使う

思い詰める性格なだけで潔癖とかはないぞ

男は汚いとかそんなこと言ってるシーンあったか

社会底辺犯罪者でもある盗賊カミュにも特に抵抗示してない

なので主人公ぱふぱふ屋行けば怒り、

特別な執着対象である実質的に溺愛する弟に対する姉目線だぞ

仲間のスケベ爺さんがエロ本持ってるだけで怒るのに

王に相応しくないからであり自分保護者だった実質的父親にたいする娘目線だぞ

戦闘中は敵にも主人公にもその爺さんにもぱふぱふする、と言う最早二重人格状態になっていて

そもそもあのヤベエ爺に連れられて諸国放浪する少女時代だぞ

あの時代放浪者や旅芸人というのは世間的なモラルから比べるとめっちゃ破廉恥で正解

路銀稼ぎに踊り子バイトぐらいしてたかも知れない

プレーヤーにも性格変わり過ぎとか矛盾してると言われまくっていた

そんなこと言ってるやつァごく一部であって殆どは喜んでたぞ

他のキャラと比べてマルティナだけ設定が妙に雑

いや他のキャラも同程度に雑だろ

これはさすがについマジレスになるわ

全部のキャラが変だよ

でもドラクエってずっとそうだよ

あの設定だけの幼馴染でプレイヤー視点ではさしたる思い出も思い入れもない女の子結婚させるのとかやめてほしいわ

あのガバガバゲームでマルティナだけが雑ってお前マジで政治思想のせいでメンタマがゆがみ切ってるよ

邪推すると、当初はもっとキャラ数が多い予定だったそうなので

元々は他にお色気担当キャラがいたけど削られてマルティナに統合されたんじゃないか、と思っている)

それはねえわ

あの人数でもとっちらかってるのにそれは多すぎ

あと過去シリーズも含めてそんな「お色気特化」キャラってほぼいない

人物を配置してから誰か選んで後からお色気を盛るんだと思う

堀井雄二って、女性ちゃんと一人の人間として人格設定してキャラ作れる人だと思うんだけど

そうかあ

一度「こいつはエロ担当」と認識するとキャラ崩壊を厭わずエロい事をさせても違和感ない人でもあるんだろうな、と思う

サービスってそういうものじゃねーか?

中年老年男性作家にはよくある事だけど

あの爺はキャバクラ好み丸出しのほうをどうにかすべきだろ

おもしれーからいいけどさ

あの爺の欲望ダイレクトに感じたのはそれぐらいで

マルティナとかはノルマ的なサービスしか感じられねーわ


っていうかマルティナがお色気方面に育てるとエロいことしまくるのは

ブギー様編で一応説明あるじゃん

過酷な生い立ちや姫としての自覚のせいでああいうきりっとしたペルソナがあるだけで

内側には享楽的堕落的なドSねーちゃんみたいな別の側面があるのだと

からデビルマルティナとしてそれが統合されていくんじゃん


なんていうか女性差別がどうのこうのって言う奴って

大概こういう風に物の見方が貧しくて浅いんだよな

から頭悪い奴がたとえばリベラルパラダイムを得て

なんかすごい刃物を手に入れたみたいにいろんなものをその角度で斬ってあーだこーだ言ってる感じ


頭悪くない人は作品を楽しむ上で

そういう頭悪いリベラルの何十倍もいろんな角度やいろんな考察妄想作品をしゃぶってるのにさ

頭悪いと全部同じなまくら刃物で同じ切り方で調理して同じようなけしから無さを発見してそれで終わり

脳が貧しいのよ要するに

2019-04-03

増田人口はせいぜい300人

ぐらいだと思う。

それで、時間によってアクティブ100人くらい。

たまに1000超えるブクマがあっても、それははてなブックマークという外部サービスから来た人たちでさ。

 

まり、クッッッソ狭い世界だということだよ。マストドンみたいなもんだわ。

こんな狭いとこで匿名にしがみついてる俺らは一体なんなの?

もう逆に匿名じゃなくなってほしい。そしたら絶対友達になれるやついるから、そいつリアルで酒飲みにいって、イケハヤ悪口とか、フェミさんのあるべき姿についての考察とか終電までしたい。

フレンズメソッド

考察が出ると「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」

簡単にクソアニメにできるメソッドです。

anond:20190403162835

ダークソウル2って対人厨には評価されてね?武器種類多いし対人関係アップデートが多いし。

ダークソウル2酷評してるのは考察厨だと思ってた。

塔を登るとマグマの海だとか、マップ移動がエレベーター多様だとか。

けもフレニコニコ

ニコニコ動画けものフレンズ2についての感想やらなぜダメのかみたいな考察MAD批評するの流行ってるけど完全にここでいうアイドル増田と同じだな

オタクって人種プラスにもマイナスにも感情を昂らせるフリするけど特にそれが強いやつらがこぞって動画あげて「自分はこんなにけものフレンズを愛していて2がこんなものになって悲しい!自分はこんなに愛していているのに!(チラッチラッ)」っていう自慰行為しか見えないわ、大半の人間たつき降板って知った時から諦めてるのに

2019-04-01

ジオシティーズ読み返して思い出したこと

好きなジオシティーズ小説サイト最期に見返していたら、すごく好きだったサイトの内容がそんなにたいしたことなくてクスっとした。

でも当時は琴線に触れる胸躍らせる内容で、量的には少しでも数日おきにアップされていて本当に楽しみだったんだ。

これと比較したら、なろう上位のあの文章量で毎日のように更新するの、やっぱり果てしなくすごい。

とにかく、ジャンルは違えど、その作品がツボにはまるものなら、更新がとっても待ち遠しいんだよね。

ジオシティーズ流行り出した2000年くらいのころ、ふと検索した二次創作ジャンルが最盛期で

二次創作サイトが雨後のタケノコのように現れては消えたり、更新停止になっていた。

私はそこまで好きな作品じゃなかったんだけど二次創作の量がとにかくあって読み応えがあって、気付いたらはまっていた。

個人サイトお気に入りフォルダに入れて、右クリックフォルダ内のサイトを全部開いて更新確認をするのが日課になってた。

短文やポエム、出だしだけすごくて続きが書かれない話とかいろいろあったけど

毎日ちょこちょこ更新されてぜんぜん終わらない連載ものが好きだった。

ハーレクイン小説みたいなノリを求めていたのかもしれない。

もちろん裏サイトを探すためにタグを覚えた。

ジャンル内にカップリングでの争いもたびたびあったそうなんだけど、私はイベントに行くほどではなかったし

当時は個人の不平不満や暴言などは表に出る物ではなかったんでまったく気づかなかったw

いくつも個人サイトが現れては消えるうち、きづいたらバケモノみたいな人たちが現れていたりした。

圧倒的な語彙力、あと三回ぐらい転生してもかなわなさそうな知識量、

多忙なはずなのに「今日イベントに合わせてさっき書きました」という早筆。

原作厨も唸らせる考察力、指摘厨をねじ伏せる説得力、「お金出すから続き書いて」と言いたくなるほどの内容。

まあ、そんな感じで「読ませるのを書く人」がちらほらいた。思えばあのくらいが黄金期だったんだな。

でも原作が終わると人気も下火になってジャンル全体の人数が減ってくようになる。

やがて、生活環境の変化だとかで更新が途切れがちになって、だいたいの個人サイト放置になった。

バケモノ文章力を持つ人たちもどこかに行ってしまった。

またあの文章(新しく書かれたやつ)読みたいけど、今みたいにSNSがなかったから次のジャンルわからん

元気にしてるかな。

そんな、昔を思い出させる個人サイトが昨日たくさん消滅した。

現在、そのジャンル文章書きは片手くらいしかいないかも。

稼働中個人サイトはもうないんじゃないかな。

それでもたまにPixivに出てきたりするんで、私は検索する。

2019-03-29

わかばが復活した理由

ワカバ船長自分が復活することを最初からわかってた。

例えばワカバ自体ケムリクサ本体からまれた端末に過ぎなくて、定期的に自分の複製を作るようにできていたとか?

この点に関しては理由が全くわからなくて、どうしても突飛な考察なっちゃうなあ

2019-03-28

anond:20180609161151

感想をもらう方法

 

(1) 読者が感想を書きやす構成する

読者の感想作品が完成するくらいの「足りなさ」のある未完成状態でわざと投稿します。

例えば、

・続きが気になるところで終了して読者に「この先、どうなるの?」と言わせる

クライマックスを途中で切りあげて別のシーンにする。一番おもしろいところは読者の想像力で補わせる

・小さいボケを繰り返してからむちゃくちゃな大ボケで終わらせて読者にツッコませる

二者択一選択で終わらせて「私ならこっちがいい!」「いや、こっちのほうが」と読者同士を討論させる

・ある世代では非常識だが、別の世代では常識となるジェネレーションギャップを描く

・謎と謎を解くヒントは書き、謎の答えは描かない(考察好きの読者を狙う)

etc

 

(2) 感想を書きやすい内容(テーマ)か?

・読者は他人から「こんなもの読んでるのぉ?」と後ろ指さされるような作品には感想を書きたくならないものです

流行ものを描くのは安牌。鮮度が命です

・人には大事なことが何かしらあるはず。刺さるテーマを選ぶ

 

(3) 感想を書きやす空気をつくる

・読者の中のヘビーユーザー友達になっておく

・読者に名前を覚えてもらう。名前を忘れるほど長い期間を空けない

自分の「好き」を読者に問いかけるというのを何度も繰り返す。作者の性格を覚えてもらう

特定のひとりの読者のために作品を作る(その人からは必ず感想がもらえるように)

 

(4) 「読者のために書く」ということの大変さを理解する

・作者が楽しいと思って書いたものは、読者にはウケないことが多い

 「描写リアルにできた」「起承転結キレイにまとめられた」といった作者の楽しさは創作者の目線であって、読者の目線ではない

創作知識ノウハウを身につけると、読者の目線から遠ざかる可能性が高まる

 読者の目線を追求することが「読者のために書く」ことにつながる

創作の楽しさ≠読者の楽しさ

自分の中で意識して「創作の楽しさ」と「読者の楽しさ」を切り替えられることが大事

 自分がただの読者だったときに何を楽しいと思っていたか?を思い出す

 

個人的創作経験上で、ぱっと思いつくのはこれくらいです。

書いてて思ったけど、これだけじゃないな。もっとたくさんありそう

他に方法あったら教えてクレメンス

スプラトゥーン2と、依存症と、私

自分ゲーム依存のようになった話をしてみようと思う。

そのゲームソフトハードを購入したのは2017年の後半。

ゲームハード機を買うのは約10年ぶりだった。

とりあえず人気のゲームをいくつか購入した。

その中には2017年ベストゲームと呼ばれているオープンワールドゲームもある。

特に私がハマったのはイカシューティングゲームの2作目。

2017年にはPUBGなどオンライン対戦型のTPS系も少しプレイし始めていたので、特に気に入った。

プレイするのは仕事が終わった夜間と休日だったが、ゲーム性質上、3分〜5分で1試合が終わる仕様なのでゲームテンポが良い。

イカゲームの開発会社はどの作品でも小学生の子供でもプレイできるようなゲーム作りをしているので、飽きずにプレイできる様に設計しているので試合時間を短くしているのだと思う。(PUBGは生き残れば1試合30分はかかる。)

また、PUBGとの違いはウデマエと呼ばれる強さのランクがあり、勝てば上がり負ければ下がるランクづけシステムがあることで、負けた時の悔しさが大きく、ウデマエをあげるために必死プレイし続けていった。

その後、生活に思わぬ影響が出てしまう。

仕事が終わった夜間にプレイしていたのだが、ゲームテンポが良いためかやめるタイミングがつかめ

ずるずると夜遅く、朝方までプレイするようになってしまった。

寝不足仕事をするようになった。

仕事ミスが増えはじめ、パフォーマンスが落ちて行ってしまった。

仕事関係者にも「体調でも悪いの?」と聞かれたこともあるが、ゲームのせいなんて言える訳もなく、適当ごまかした回答をした。

それでもやめることはできず、続けていると今後は体への影響も出て来た。

病院へ行った

病院精神科ではない)に行き薬を貰い、ある程度回復したが、それでもプレイをやめることはできなくなっていた。

やめなければまた病気悪化するかもしれないという恐怖よりも体が勝手ゲームに向かってプレイするようになっていた。

薄々感じていたが、病気になってもプレイがやめられなかったことで

自分もしかして依存症なのではないか

と思う様になった。

しかし、依存症は簡単にやめられるものではなかった。

そもそも、そのゲームプレイして楽しいという気持ちはそれほどなかったのである

ただ、ウデマエをあげたいという気持ちだけでプレイを続けていた。

自分意識の中でそのゲームは「勝った喜びよりも負けてイライラする方が遥かに大きいゲーム」という印象だったからだ。

イライラが大きいならやめればいいだけなのだが、なぜか続けてしまう。

しかしたら大手ゲーム会社は皆このような「ハマる」ノウハウがあるのかもしれないが、頭ではデメリット理解しつつもやめられないことが不思議だった。

世にある依存症といえば、酒・タバコギャンブル・買い物・SNSなどだが、私はこれまでそれらを体験しても依存レベルでハマるという段階にはいたらなかった。

スマホソシャゲプレイしたことはあるが、ガチャを含めて課金したこともなく、依存症というレベルにはならなかった。

からこそ自分ゲーム依存になるなんて全く予想もしていなかった。

ひょんなことから依存から離れられた

数ヶ月後、依存症を克服できるような状況の変化が起こった。

コントローラーが壊れたのだ。

私は面倒くさがりで節約家なので、コントローラーが壊れても買うのが面倒でもったいないと思い、プレイ自体をやめざるを得ない状況になった。(元々はゲームハード機とソフトもある程度プレイしたら売るつもりだった)

そして私はゲームをやめることができたのだ。

コントローラーが壊れただけで、依存から抜け出すという何て滑稽な奴だと思われるかもしれないが、事実プレイをしなくなった。

ただ、コントローラーを買いたいという気持ちわずかにあるので依存から完全に抜け出せたのかわからないが、

現在プレイをやめたことにより、なぜ私が依存状態になったのか冷静に振り返ることができるようになった。

これまでの人生、様々なゲームプレイしたもの生活には影響が起きず、今回イカゲームだけはやめられずに危険状態になったのか。

依存症になった原因を振り返って考察してみる

依存基本的に脳の報酬系への影響により起こると言われているところと、このゲーム仕様を合わせて推測すると

1) 1試合が短く、ゲームテンポが早いので簡単に脳への刺激が得られる

ゲームスイッチONにしてすぐオンライン対戦が始まり勝敗も5分で出るという手軽さは今までハマったゲームにはなかった。

2) 運次第で勝ったり負けたりするガチャ要素

オンラインマッチングで4vs4のチーム戦という仕様で味方と会話もできないので、どんな味方とマッチングするか運で勝敗が大きく分かれる仕様になっていることで

→ 運良く強い味方が来たり、敵がたまたま弱くて勝利したとき脳内が、モバイルゲームガチャでたまに当たりを引くのと同じ快楽が得られることで、やめられなくなったのかもしれない

ガチャを何度も引き続けてしまうのと同じ状況に陥っているのかもしれない。

→ 勝つために運よりも立ち回りやプレイ技術必要なPUBGにハマらなかったのは運要素が小さいからかもしれない。

(PUBGでも物資アンチの運という要素もあるが、ある程度立ち回りでカバーできるので今回ハマったゲームほど運要素は必要ない)

3) 連勝した後はほぼ必ず連敗するシステムなので、勝ちすぎて飽きないようにできている

ガチャ要素の部分と似ているが、勝ち過ぎず負けすぎずというようにマッチングの調整を行っているように思える。

子供ターゲットゲームなので飽きない様な仕組みを作れているとも言える。

4) プレイヤーをランク付けすることで、上を目指したくなる

ソシャゲ課金と同じでランクを上げたいという射幸心を煽られると人間はなかなかやめられない。

依存経験して学んだ事

自分には依存症になんてならないと思っていても依存する事はある、とても身近な病気であるということ

・一度患ってしまうと理性で依存から抜け出すのはかなり難しいということ

依存症になったと思ったら病院へすぐに行ったり、環境を変えるべき

自分コントローラーが壊れるという外部環境の変化で運良く抜け出せたが、もし酒タバコギャンブルならそうもいかなかっただろう)

ゲームスマホなどのエンタメは脳から快楽物質を出させるので、今後もゲーム依存ネット依存はより社会的問題になるだろう

2019-03-27

anond:20190327204018

おめでたい花畑なのか、本当の天才なのか、考察するくらいの頭がないから、そんなこと書けるし、そんな程度だからそこに配属されてるんだろ。

anond:20190320002956

頭が悪い人の気持ちがわからない程度の人の事を頭がいいと言うのか知識ありすぎて知識のない人のことがわからないという事はその有り余る知識の中にあたまのわるい人のサンプルはないのか知らないけど

あたまがわるくて知恵がないから怒るというところまでの一連の流れに近い位置にいるなら、もっといえばその怒りの結果まで見届けることができる位置にいるならどうしていいのかわからなかったりどうしてなのかを考察できないわけではないか知識は蓄積し解決方法熟成されていくんじゃないの?

それを理解しようとしていない原因は「妻のあたまがわるい」という評価結論になって結果から考察手段選択し取り組むがなされていない、レッテルはる作業完了したら僕の作業は終わりだと言ってる所なのではないかと感じるんだけど

妻と同じ目線にたって妻の視野から見た世界では障害物がとんでもなく大きく迂回ができずだれかに大声で訴えないとその障害を乗り越えられないと思い込んでいると分かれば迂回路を教えられるんじゃないの?

から見て左だ左にまわれいいからそこからみえてなくてもこっちからみていればみえから左に迂回しろいからだまって考えずにとりあえず従え、といったようなアドバイスが壁しかみえていない妻にとどくと

壁をみつめてるこっちの気持ちもわかれよ人の話をきけよ左とか行けねえんだよだまって助けろ思いやれ、と思ったりしてるかもしれないじゃん?正論述べて正解教えただけで解決しそうかどうか妻視点視野でみないとわかんないじゃん?

それを対面でおまえがとかこっちがあわせてやるしかとか対処って形で寄り添うことがなければもうだめじゃない?

あたまのいい人ってバカの使い方を知ってるわけじゃなくてバカ思考回路バーチャルで組み立ててそれになって見てその再現リアルからその先を一度ためして先回りして誘導できるところなんじゃないの?

バカをどうしたらいいか、なんて解決方法を考えるのはバカのすることじゃない?

2019-03-26

ケムリクサはスルメだと思っていた

ケムリクサを勧めたいのと考察したい気持ちをここに吐き出す。

長くなるので大まかな話と主文を先に書きます。3部構成です。

1.ケムリクサは複数回視聴に耐えられる作品
2.ケムリクサは視聴コストが高い(と思っている)
3.売れるDVD/BDとは何なのだろう

何かと功罪織り交ぜて記載しますが、最終的には

ケムリクサが好き」

という1文ですべて収まります

1.ケムリクサは複数回視聴に耐えられる作品

これはけものフレンズにも言えることですが、全話見た後に1話から見直すと新しい感情で話を楽しく見ることができる作品になっています

今回はそれに加えて、単話単位でも複数回視聴ができるような構成になっています。ここからネタバレ記載しますが、伏せ字するのでご了承。

おそらく一気見の方は気付いて無いのかなと思うので、一気見の方は該当箇所見直すとエモいです。

5話:まんまるを探す話だが、始めの方からよく見るとまんまるが落ちるシーンがある。
9話:AがBを使って9話で発生した問題解決しましょうと言ったときに、CがDをなだめてその案にためらい無く賛成しているのだが、Cは怒っても良いシーンなのに不思議である
   実は、Cが9話で発生した問題について知恵を絞ろうという話を上記の前にするのだが、その際に一人しか画面に写っていないにもかかわらず目を左に向けている。その先にはBしかない。
   Cは既にBを使う方法について気付いていたがそれを口に出さなかっただけ?
10話:αとβがγをしない行動を取ったのだが、そのちょっと前のシーンでαとβが何やら画面後ろで談話している。

こういうアハ体験がたくさんあります

ケムリクサでは、1話から3話までで登場人物達がどのような思いを持ってどのように行動するのかを細かく示しています

それ以後については、これまでの行動と矛盾する物があった場合は何かしら直前にやってたり理由が後から分かったりします。

2.ケムリクサは視聴コストが高い(と思っている)

1.みたいなのがままあるため、

1回目は普通に見る

2回目は1回目で気になった点を重点的に見る

3回目は考察勢が言ってた部分を見る

という感じのことを9話あたりから実施するようにしています。はっきり言って集合知に頼らないと分からんこと多い。

ケムリクサは複数回視聴に耐えうる作品でもありますが、どちらかというと複数回視聴を強要する作品だと思っています

なので、ケムリクサの11話は、それはそれは素晴らしい回なのだが、今から一気見してケムリクサを楽しめるのかという点についてはかなり疑問を抱いていました。

特に1.に記載した9話の話は目配せだけで心情を分かってねと言っているものしか初見時は気付きようがない)で、視聴者を信用しすぎでは?私は気付かなかった。

ただし、どうやら杞憂だったようで、一気見でも十分に楽しんでいらっしゃる方々もいるようで、結構驚いています

すごいな、たつき監督。どうやったんだ?

ただ、ケムリクサって言うほどじゃないよねと言われた時に、

「実はちゃんとこんな風に理由つけてやってるんだよ」と言いたくなる気持ちもあるものの、

「そりゃ分からないよね」と言いたくなる気持ちのほうが勝ってしまう。難しすぎやしませんかねケムリクサ・・・・・・

情報洪水だったり、集合知でなんとか話についていくという点を考えると、私は「ヘボット!」というアニメを思い出します。

3.売れるDVD/BDとは何なのだろう

いきなり毛色が変わりますが、何も考えなくても見ることのできる作品といえばきらら枠。今回で言えばわたてんが該当するのでしょうが、1回見て満足した人ってのはその作品DVD/BD買わないのよねという話。

各話1回しか見ないという条件で言えばケムリクサはわたしの中でかなり下位に入ってくると思っています。わたてんはかなり上位。

でも、DVD/BDを買う人って少なくともそれを2回以上は見たいと思う人が買うと考えると。

となると、何度でも見たくなる、見る度に新しい発見がある作品のほうがより売れるのではないだろうかというのはあるとおもうんですよ。

このあたりが信者を作りやす構成にもなっていると思います

蛇足

スルメの話が出てこなかったので、

スルメ(曲)とは

最初聴いた時にはあまり印象に残らないが、何度か聴くうちに次第に曲の良さや深みを感じられる曲のこと。

一口目ではあまり味がしない」けれど「噛めば噛むほど味の出る」スルメに例えられこのように呼ばれる。

比較的地味だったり、落ち着いた曲調の曲にスルメ曲が多いとされる。(ニコニコ大百科より)


では、最後ネタバレにならない12話予想をして締めたいと思います





































12話ED後にどん兵衛CMが出る。

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