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2019-03-26

ケムリクサはスルメだと思っていた

ケムリクサを勧めたいのと考察したい気持ちをここに吐き出す。

長くなるので大まかな話と主文を先に書きます。3部構成です。

1.ケムリクサは複数回視聴に耐えられる作品
2.ケムリクサは視聴コストが高い(と思っている)
3.売れるDVD/BDとは何なのだろう

何かと功罪織り交ぜて記載しますが、最終的には

ケムリクサが好き」

という1文ですべて収まります

1.ケムリクサは複数回視聴に耐えられる作品

これはけものフレンズにも言えることですが、全話見た後に1話から見直すと新しい感情で話を楽しく見ることができる作品になっています

今回はそれに加えて、単話単位でも複数回視聴ができるような構成になっています。ここからネタバレ記載しますが、伏せ字するのでご了承。

おそらく一気見の方は気付いて無いのかなと思うので、一気見の方は該当箇所見直すとエモいです。

5話:まんまるを探す話だが、始めの方からよく見るとまんまるが落ちるシーンがある。
9話:AがBを使って9話で発生した問題解決しましょうと言ったときに、CがDをなだめてその案にためらい無く賛成しているのだが、Cは怒っても良いシーンなのに不思議である
   実は、Cが9話で発生した問題について知恵を絞ろうという話を上記の前にするのだが、その際に一人しか画面に写っていないにもかかわらず目を左に向けている。その先にはBしかない。
   Cは既にBを使う方法について気付いていたがそれを口に出さなかっただけ?
10話:αとβがγをしない行動を取ったのだが、そのちょっと前のシーンでαとβが何やら画面後ろで談話している。

こういうアハ体験がたくさんあります

ケムリクサでは、1話から3話までで登場人物達がどのような思いを持ってどのように行動するのかを細かく示しています

それ以後については、これまでの行動と矛盾する物があった場合は何かしら直前にやってたり理由が後から分かったりします。

2.ケムリクサは視聴コストが高い(と思っている)

1.みたいなのがままあるため、

1回目は普通に見る

2回目は1回目で気になった点を重点的に見る

3回目は考察勢が言ってた部分を見る

という感じのことを9話あたりから実施するようにしています。はっきり言って集合知に頼らないと分からんこと多い。

ケムリクサは複数回視聴に耐えうる作品でもありますが、どちらかというと複数回視聴を強要する作品だと思っています

なので、ケムリクサの11話は、それはそれは素晴らしい回なのだが、今から一気見してケムリクサを楽しめるのかという点についてはかなり疑問を抱いていました。

特に1.に記載した9話の話は目配せだけで心情を分かってねと言っているものしか初見時は気付きようがない)で、視聴者を信用しすぎでは?私は気付かなかった。

ただし、どうやら杞憂だったようで、一気見でも十分に楽しんでいらっしゃる方々もいるようで、結構驚いています

すごいな、たつき監督。どうやったんだ?

ただ、ケムリクサって言うほどじゃないよねと言われた時に、

「実はちゃんとこんな風に理由つけてやってるんだよ」と言いたくなる気持ちもあるものの、

「そりゃ分からないよね」と言いたくなる気持ちのほうが勝ってしまう。難しすぎやしませんかねケムリクサ・・・・・・

情報洪水だったり、集合知でなんとか話についていくという点を考えると、私は「ヘボット!」というアニメを思い出します。

3.売れるDVD/BDとは何なのだろう

いきなり毛色が変わりますが、何も考えなくても見ることのできる作品といえばきらら枠。今回で言えばわたてんが該当するのでしょうが、1回見て満足した人ってのはその作品DVD/BD買わないのよねという話。

各話1回しか見ないという条件で言えばケムリクサはわたしの中でかなり下位に入ってくると思っています。わたてんはかなり上位。

でも、DVD/BDを買う人って少なくともそれを2回以上は見たいと思う人が買うと考えると。

となると、何度でも見たくなる、見る度に新しい発見がある作品のほうがより売れるのではないだろうかというのはあるとおもうんですよ。

このあたりが信者を作りやす構成にもなっていると思います

蛇足

スルメの話が出てこなかったので、

スルメ(曲)とは

最初聴いた時にはあまり印象に残らないが、何度か聴くうちに次第に曲の良さや深みを感じられる曲のこと。

一口目ではあまり味がしない」けれど「噛めば噛むほど味の出る」スルメに例えられこのように呼ばれる。

比較的地味だったり、落ち着いた曲調の曲にスルメ曲が多いとされる。(ニコニコ大百科より)


では、最後ネタバレにならない12話予想をして締めたいと思います





































12話ED後にどん兵衛CMが出る。

anond:20190326154005

アドリブが効かない(ので答えにたどり着いてしまえば簡単)」「フロムにしては考察プレイヤーの立ち回り方に自由度がない」という、Amazonだと☆2、クリア後のテンションのままなら3をつける感じだ。

その答え探し自体楽しいゲーム体験であり、

プレイヤーの立ち回りから自由度を省いたからこそアクション自体面白いものになっていたと思うから

前提となる認識は全く同じだけど結論が全く違うという意見ちょっと面白かった。

たつきを信じてわかったこ

俺はけものフレンズだとかケムリクサだとか、たつきだとか、吉崎観音だとか、そういうの本当にどうでもいいんだ、と思った。

けものフレンズ1期を見てて嬉しかったのが、

目に飛び込んでくるけものフレンズに関するニュース、どれもがけものフレンズ肯定するニュースだったのが気持ちよくて、ラリってたんだ。

ラリラリになって盛り上がってる所にいきなり、たつき監督けもフレアニメから離れるというバッドニュースが流れてきたら、おもちゃを取り上げられた子供のように泣き喚き、たつきについていけばまた熱狂できると思っているだけだった。

 

ケムリクサ。はっきりと面白いし、入ってくるニュースもだいたいは肯定だ。

まぁけもフレほどの熱狂には支配されていないし、物足りない。

 

SEKIROというゲームが発売された。

自分アクションゲームが苦手だけど、パターン作りでだいたい突破できたので、今は二週目の序盤の敵のパターン作りに四苦八苦している。

クリアした時の感想としては、「アドリブが効かない(ので答えにたどり着いてしまえば簡単)」「フロムにしては考察プレイヤーの立ち回り方に自由度がない」という、Amazonだと☆2、クリア後のテンションのままなら3をつける感じだ。

はっきり言ってブラッドボーンDLC込まなくても)に遠く及ばない。

けど、多くのフロム信者は多分こういう意見に対して「おまえはわかっていない」「お前の意見おかしい」「アドリブが効かないとかエアプか?」という。てか、最後のは匿名掲示板で言われた。

「あ、きっと彼らは好評以外の意見はエアプで、好評意見けが真のレビューなんだろう。

彼らの頭の中の感情こそが全てで、周りもそうではなければならないのだろう。」

と、憐れんだ。

 

でも、気がついたら俺の「たつき」もそうなのだろう。

たつきが何をしてきた人なのかもわからない。脚本がすごいと思っても脚本知識がないので具体的なすごいを言い表せない、そもそもアニメ業界に詳しくない。

そんな人間が「たつきを信じたい」と思っている。

それは、きっと自分が信じているもの肯定されると、頭が幸せになってラリるんだ、と。そして、否定されると頭が醒めるんだと。(頭は醒めるが酔は醒めないのがミソ)

結局俺も理屈を並べて「俺は間違っていない」と思いたいだけなのだろう。

NGT問題徒然

新潟市民として徒然に。

NGTそもそも新潟根付いてないから。

初代リーダー新潟市北陸新幹線で来るって言った時以来、新潟市民敵に回してるから

うちの嫁いわく、「フランチャイズファストフード店新潟で失敗したようなもんでしょ。さっさと撤退すれば良いのよ」だと。

特定店舗バイトテロやらかして、その店潰れてグループ全体に損害が出てる、それと何が違うの?と。

オレ個人は若干考え違って、バイトテロで潰れるのは地域密着からだけど、NGTそもそも地域密着じゃなく首都圏オタクの金を新潟に落とすのが目的だろ、と。

今回の犯人だってそもそも新潟の人じゃないんでしょ?勝手新潟イメージ下げるなよと。

新潟市民はNGT外資系だと思ってるし、地域密着っていうなら古町どんどんとか食の陣とかに参加するのが当たり前だろと。

まあ、NGTコケても新潟市民はなんとも思わない、というか新潟にとってなんのメリットもなかったね、で終わりかな。

今回の被害者NGTを抜けて新潟密着アイドルとして再出発するなら、応援する人はいると思うよ。

でも新潟県警に悪いイメージを持っているなら残らないだろうねえ。

県警については、確かに起訴で本当にいいのか問題はあるものの、多くの考察がされている通り、

加害者被害者(ここが運営側になっている構図が最大の問題)の利害が一致すれば、警察は何もできないのが現状で、新潟県警じゃなかったら起訴できたんですか?って話。

将来AKS新潟から潰れた、と言われるんだろうけど、それは勇気ある被害者新潟活動してたから、という良い意味で伝わってほしい。

2019-03-25

ハウルの動く城」の泣き所

ハウルの動く城を見たのは何回目だろうか.初めて観たときからこの映画にたくさん泣かされてきた.

https://mao.5ch.net/test/read.cgi/comicnews/1533929590/

この人の考察を読んで,なぜ泣けるのかが言語化できた.

はいつも4箇所で泣いてしまうから,それを時系列順に書いてみる.あと,合っているかからないけど,新しい発見もあったのでそれについても書いてみる.

その前に上の人の考察を共有しておく

さて本題に触れる.

泣き所1. ソフィーが星の湖でお茶を飲むシーン

ソフィー名前の通り,理性が先行してしまいいつも自分感情を押し殺してしまう.そのため,ソフィー帽子屋継がなければならないというしがらみに縛られている.そんなソフィーが老婆の姿になりそんなしがらみから解放された.広く,ぽっかりとひらけた星の湖はそんなソフィーの心情と重なる.抑圧から解放を思い泣けてくる.

泣き所2. 「私なんか、美しかたことなんか一度もないわ!」とソフィーが言うシーン

ハウルが「美しくなかったら生きていたって仕方がない」といったときソフィーが言った言葉.心から本心解放し若返った姿で雨の中泣く姿に泣けてくる.

泣き所3. ハウルソフィー花畑小屋プレゼントするシーン

黒髪の(サリマから支配から解放された)ハウル自分家族を守ろうと決心する.そして,自分がいなくなってしまう前に引越しをし,ソフィー花畑小屋プレゼントする.ハウルが幼少期過ごした小屋は,ハウルの心の奥なのではないかと思う.ハウルソフィーに心の奥へ入ることを許可している.ハウルの決意を感じ取って,こんなの絶対死亡フラグじゃん!って泣いちゃう

泣き所4. ラストのシーンでソフィーハウル心臓を戻すシーン

ラストのシーンでハウルの動く城はもはや人が乗るだけの小さな板に足がついただけのミニマルな姿になってしまった.これもハウルの心を表していて,沢山の物を削ぎ落として歩く部分しかない.でも家族が乗るだけのスペースがある.ハウルにとって何が大切な物なのかを表していて泣ける.

他にも泣いちゃうシーンはあるけれどだいたいこんな感じ.次は今回見て,発見したことを書く.

発見1. ハウルソフィー出会うのを待っており,ハウルはずっとソフィーを愛していたのではないか

ハウル少年時代アクセスしたソフィーは「未来で待ってて!」と言う.その言葉ハウルは本当に信じていたのではないのかなぁ.だからソフィーの夢の中で出てきた鳥の姿のハウルは「だって、私、あなたを愛してるの!」という言葉に対し「もう遅い」と言ったのではないか最後,疲れ果てた鳥の姿のハウルに対して「ごめんね、私、グズだからハウルはずっと待っててくれたのに。」とキスをしたのではないか.冒頭でハウルが「探したよ」と言ったときも,ソフィーを案内した指輪のように,ハウル指輪も光っていた.そう仮定すると,次の二つも辻褄があう.

発見2. ハウルの動く城ではこれまで駿監督が手がけてきた「コミュニティ間の対立をそれを融合させる存在により解決する」というテーマではない新しい主張があったと思う.それは「心の充足により,コミュニティ間の対立解決する」だと思う.

ハウルでは内面世界を描いていた.

心を失ったハウルコンプレックスを抱えたソフィ,欲深い荒地の魔女支配しようとするサリマン.みんな心の欠陥を抱えている.ハウルソフィーによってサリマから支配を逃れた.欲深い荒地の魔女最後ソフィー愛情によって,心臓を譲り渡した.サリマンは ハウルから付け入る隙を失ってハウル対立することをやめた.

心を充足させることは対立を解消することなのではないかという駿の主張だったように思う.

2019-03-24

[]浪人から大学受験勝戦

~~はじめに

 もうかなり前の話になるが,私も大学受験に失敗し,浪人をすることになった。

 (することになった,というのは,したくてしたわけではないかである。)

 人生で初めて,目の前が真っ暗になるような思いを味わった。

 どうすればいいのかわからず,途方に暮れた。

 そのとき書籍等を通じて様々な先達の経験に触れ,それに励まされてなんとか乗り越えた。

 これは遠い昔の一受験生出来事であるが,ふと思いついて,自分が励まされたように,何かの役に立てばと思って書いてみた。

 時代が変わっているので,個々の科目の勉強法等は記載していない。

 もっと大きな方法論の一例として見ていただければと思う。

 大事試験で失敗してしまい,失意の中にある人が,捲土重来を期すのに少しでも役立ってくれれば幸いである。

 人生で最も勉強をしたのは,大学受験に失敗し,浪人生活を送った時だった。

 その当時は自分なりに辛い思いもした。しかし,その分必死になって努力を行い,いかに状況を打開するかを日々考え抜き,最終的に結果を出すことができたので,得るものも大きかったように思っている。

 なお,前提として,私は小中高と地方公立学校で育った者である。塾にも浪人時代を除いてほとんど通ったことはない。

 高校時代部活をやっていたので,高2の冬までは授業を普通に受けていただけだった。志望校を決めるような段階になってからやばいと思って「受験生」になった,というのがバックボーンとしてあるので,以下の文章はそれを踏まえて読んでいただければと思う。

~~気持ちの立て直し方

 それまで特に勉強において壁にぶつかったこともなかっただけに,不合格の衝撃は当時の自分にとっては,人生のものだった。

第一志望しか受験していなかったので,選択余地なく浪人をすることになったが,仮にすべり止め合格を得ていたら,果たして浪人という選択ができたか,全く自信はない。

 それくらい,浪人するということについて,落胆していた。

 同級生のうち,現役で受かった者が嬉々として大学生活に入っていく中で,少なくともも一年,いろんなもの我慢して勉強に向かう生活余儀なくされるというのは,たまらなくつらかった。

 ひととおり落ち込み終わった後で,考えたのは,一つには,終わってしまたことを悔いても何もこの現実を変えることはできないということだった。

 現役で大学生になる身近な同級生想像し,なぜ自分はそうなれていないのかと身悶えせんばかりに考えたときもあったものの,いくらそのように思ったとしても何も現実は変わらない。過去に属してしまたことは,もう客観的には変えることはできない。そうだとすれば,今できることは,その意味付けを変えることしかないと思った。

 今身を切るように辛く感じられる大学不合格という事実も,たとえば,次の機会に晴れて合格し,20年,30年も経てば,なかったことにはできるわけではないが,その影響は極めて小さくなっているだろうと言い聞かせた。

 またおそらく世の中の評価というのは,失敗の数で評価されるわけではないとも考えた。人の失敗の数を覚えている人は多くない。そうではなくて,失敗の数があったとしても,結局のところ成功の数がいくつあるかが重要だろう。

 そうだとすれば,まだコントロール可能範疇に属している,未来を変えることで,過去出来事意味合いを変化させるしかないのではないか

 来年合格という成功によって,今年の不合格という失敗を塗りつぶすしかないと考えるに至った。

 期間はあまり覚えていないが,ここまで考えを整えるのに1か月くらいはかかったのではないか

~~戦略

 以上で考えたように,今年の不合格という意味合いを相対化するためには,来るべき「次」の受験で,必ず合格しなければならない。

 再来年では駄目だ。また実力だけ伸ばしても駄目で,仮にいくら模試の成績が良かったとしても,現実合格できなければ全く意味がない。

 このようにして,「次」の受験で,「必ず合格する」ということを目標として設定した。

 目標が定まった後,「必ず合格する」とは,どのような状態かと考えた。合格する可能性があるというだけでは駄目だと思った。可能性だけならおそらく今回もあった。「受かりうる」というだけでは足りない。「次の一回」で「必ず」合格しようと思えば,「受からないということがない」,「どうやっても受かる」という状態にまでもっていかなければならないと思った。

 自分の中では,「100回受けて100回受かる状態」というのを一つの基準としていた。

 そうなるためにはどうしたらいいのか。

 以下は,自分の中で描いたイメージである。 

 受験において,本番で出題される試験問題のものコントロールできない。

 自分が得意な問題が出るかもしれないが,苦手な問題が出るかもしれない。

 そうだとすると,たとえば100回試験を受けた際に,自分が得られる得点ないし全体の中での自分順位としては,一定の幅が生じると想定した。

 自分が得意な問題が出れば点数ないし順位は良くなる。苦手な問題が出ればその逆となる。その幅と位置自分の実力を示していることになる。

 受かる可能性があるというのは,自分の中のベストの結果のときに,それが合格ラインを超えているということだ。すなわち,上で述べた実力の幅の上端が合格ラインを超えていることであるそもそもここが合格ラインに届かないというのでは,合格確率は0なのであって,話にならない。

 自分の実力を客観的見積もったときに,現役の受験時点でも,得点幅の上端は合格ラインを超えていると思った。しかし,全体として超えているかというとそうではなく,大半は合格ライン以下に位置していたのではないか分析した。

 この状態だと,運よく自分の実力の上端付近が発揮できるような問題であれば合格という結果になるが,そうでなければ不合格という結果になる。

 以上の思考過程を経て,「必ず」合格するという状態を実現するためにすべきこととは,自分の実力を示す得点幅の下端を合格ラインより上にもっていくことだと規定した。その状態が実現できれば,どんな問題が出題されても必ず合格できる。

 このようにイメージした。

~~戦術

 次に,得点幅の下端を合格ラインよりも上に上げるためにすべきことは何かと考えた。

 ただちにこうすればいいということまではわからなかったが,とりあえず実現すべきこととしては,得点できるはずの問題を必ず得点するということだった。先のことはわからないが,最低限,このことを徹底しなければならないと思った。

 それだけでいいのかは,未知の領域なので不明であったが,得点幅の最下端を合格ラインよりも上にしようと思ったら,少なくともこの程度のことは実現できていなければ話にならないだろうと思った。

 先に述べたように,受験の本番では,試験問題コントロール範囲である受験会場に来てしまってからでは,いくら「ここを勉強しておけばよかった」と後悔しても,その時点で知らない知識は答えようがない。試験現場でできることとしては,そのときに持っている力で解けるはずの問題を確実に解くことだけである

 この視点は,いろいろなところに適用できるが,たとえば時間配分のところにあてはめると,「解けない問題時間を浪費して,解けるはずの問題を解けないということを起こしてはならない」ということであると思った。

 また,当時よくしていた勘違いなどのケアレスミスも,本来解ける問題を取りこぼす可能性があるので,起こしてはならないことになる。

 これらは,本来解ける問題をこぼしているという点では共通しており,このようなことがあってはならない。

 受験本番までは実力自体を向上させることももちろん目指さなければならないが,それと同時に,試験当日に,その時点で持っている実力すべてを最大効率得点につなげられるようにしておかなければならない。

 その観点から模試などを受けた場合の振り返りとしては,正解したかどうかはあまり気にせず,正解できなかった問題があったとして,「その時点で正解する可能性がなかったのかどうか」を入念に確認した。

 知識が足りなかったなどの理由で,そのときは正解する可能性がそもそもなかったのであれば,それはその時点ではもうしょうがないので,ただただ後日正解できるよう,知識を補充するなどして実力向上を図るというだけのことである

 一方,その時点で正解できたはずの問題を取りこぼしていた場合は,全力で悔しがるようにした。

「必ず」合格するという目標達成の観点からは,このような事態絶対に起こしてはならない。

 そのようなことをしている限り,「必ず」合格するという目標は達成できないからだ。

 その場合,正解できたはずの問題をとりこぼさないために,なぜそのようなことが起きてしまったのか,再発防止策として何が考えられるかなどを必死で考えた。

 以上は基本的自分の中だけでの問題であるが,一方で他者との比較視点も生まれていた。

 正解可能性について考察しているうちに,自分が正解できなかった問題について,他の受験生はどうなんだろうかという視点が生まれたのである

 自分が間違えた問題の正答率が高かった場合は,それだけ多くの受験生に差を付けられたことを意味するのであるから試験結果に与える影響は極めて大きい。一方,正答率が低かった場合には,大半の受験生もまた正解できていないわけなので,差を付けられた受験生の数が少なく,試験結果に与える影響は少ないということになる(極端な話,正答率が0%の問題であれば,全員が間違えているということから得点という点だけみればその問題はなかったのと同じであって,間違えたことの影響は0である。)。

 このような視点で各問題ごとに正答率を確認するようにすると,感覚的には一般的に明らかに簡単と思われる問題でも,正答率が100%ということはないということに気がついた。受験生は,ごく簡単問題でも意外と間違えてしまっているのである

 この点に気づいたときには,大げさにいえば勝機見出した思いがした。

 とんでもなく難しい問題まで正解できるようにならなければ「必ず合格」という目標が達成できない,ということだとすると,その難易度はかなり高い。

 難問というのは,どんな問題が出るかもわからいから難問なわけで,対策という意味では容易ではない。

 しかしながら,正答率が高い問題を取りこぼさない(他の受験生に差をつけられない)ということは,意識して徹底的にやりさえすれば実現できることだと思った。そして,これがきちんと実現できれば,成績的にはかなりのところまでいけそうだと思った。

 このとき受験生活の中で,初めて具体的な見通しがついた。

 時期的には,浪人になって最初の方で行われる模試の結果を分析してこう思ったはずなので,わりと早い段階でこのような確信を得られたのはありがたかった。

 以上から,正答率が高い問題を重視し,かつ,それを絶対に落とさない,ということが具体的な行動目標となった。このように目標が明確になると,自ずとそれを実現するための勉強法も明らかになった。

 自分が正解できる可能性のある領域を増やすことを目的とした勉強塗り絵に例えれば,色が塗ってある範囲を広くするようなこと)も勿論必要にはなるものの,それよりもむしろ正解できる可能性のある領域での正解率を高くする(塗り絵で言えば,色むらをなくし,より濃くするようなこと)勉強を重視すようになった。

 より具体的にいえば,復習を重視するようになったということである

 知らない問題よりも,一度やったことのある問題の方が正解率は高くできるはずで,投入する時間に対して得られる成果が高いと思われるからである

 復習は徹底的に行うようにした。特に記憶重要となる社会の科目などは,一日の勉強最初には,それまでやった学習内容をさかのぼってかならず目をとおしてから先に進むようにした。

 具体的には,使っているノート基準最初から前回勉強したところまで必ず全部目を通すということをしていた。それはその一冊のノートを使い終わるまで繰り返した。見直す時間が膨大になってもしょうがないので,時間一定を心がけていた。勉強が進むことによって見返す領域が広くなることになるが,その分見返すスピードを上げて各ページ毎の見る時間は減らして行った。

 ノート最初の方であればあるほど,何度も目にしているので,時間が短くても問題なかった。時間よりも回数を重視し,回数を繰り返すことで,記憶への徹底的な定着を図った。

 これは面倒に思うかどうかだけで,誰にでもできることと思う。そして,記憶力に個人差は多少あれど,何十回と接触した内容については,誰でも記憶には定着しやすくなる。とにかく,一度学習した内容を,二度と忘れたくなかったので,そのようにしていた。

 そのような学習法を実践していたことで,知識系の問題については,絶対の自信がついた。

 当時は,記憶違いということはほとんど起こりようがないような状態を実現することができていた。

~~結果

 以上のような勉強法を行ってきて,浪人の夏に大学別の模試を2つ受けた。

 これはその大学を受ける受験生であれば,たいてい受けるという種類の試験だったので,模試とは言え,その時点でのその大学を受ける受験生の中での位置付けを図る重要試験だった。

 浪人生活を開始するにあたって,自分の中では目標があった。

 「100回受けて100回受かる」という観点から,冬の大学模試で100位以内に入ることを目標としていた。

 当時,志望学部合格者数が600名程度であることから,少し目標としては高いかと思ったが,これくらいが実現できなければ,安全圏にあるとは言えないので,あえて高めの目標を掲げたつもりだった。

 蓋を開けてみると,夏の大学模試のうち,最初に結果が返ってきた方は,79位だった。

 自分で定めた目標クリアできたので,非常にうれしかったのを記憶している。

 想定していたよりも成績がよかったので,浪人生活全体を通して,このときが一番うれしかったように思う。

 (それでも,これは単なる模試に過ぎないので,この程度の成績で油断はいけないと自分を戒め,喜ぶ気持ちを押さえつけた。)

 しばらく経つと,もう一つの大学模試の結果が返ってきた。そちらは20位だった。全く想定しておらず,正直自分もびっくりした。こんなに結果が伴うとは思ってもいなかった。

 ただやはり,「まだ受かったわけでもなんでもないので,いくら模試の成績がよかったところで,本番に受かるという目標が達成されたわけではない,油断だけはしてはいけない,もっと取れたはずだ」と自分に言い聞かせるのに必死だった。

 その後も大きな方針を維持したまま勉強を続けたところ,冬の大学模試では13位と14位という結果だった。

 受験本番はどうだったのか,順位は発表されないので分からない。

 予備校の発表する模範解答に照らして行った自己採点結果は悪くなかったし,結果はもちろん合格だった。

 合格確認したときには,うれしいというよりは,ほっとした。精神状態としては,「受かっているかどうかドキドキする」という状態ではなく,「絶対受かっているはずだが何かの間違いで落ちてないだろうな」という気持ちだったからだ。

~~まとめ

 方法論は人に合わせて千差万別なので,以上の方法が唯一絶対ではないと思う。

 全く同じ人間が一人としていないように,誰にもピッタリと当てはまる万能の方法などというものはない。

 それを前提として,自分浪人生活のうち,成果につながった要素を抽出するとすれば,以下の点ではないだろうか。

 まず一つには,本気で結果を出したいと思っていたことだと思う。

 何事につけ,物事には障害がつきものである。そのような前提状況の中,何も考えずにただ臨めば,結果が出るかどうかは当たるも八卦当たらぬも八卦のような確率論に終わってしまう。

 「本気で結果を出したい」というのを行動に置き換えると,「受験優先順位を上げ,その他のことはどうでもいいと考える」ということである。本気でそう思えれば,遊びたいとか,のんびり寝ていたいとか,そんなことは気にならなくなる。

 それは「誘惑に打ち勝つ」ということとは感覚的には少し違う。誘惑を感じている状態は,まだ本気度が高い状態とはいえないと思う。本当に結果を出したいと思って,その状態に入ったときには,その他のことは本当にどうでもよくなる。

 「その他のことはなんでも差し出すから,とにかく希望している物事について結果を出させてくれ」という心持ちになる。そのときは,優先順位が二位以下のものごとは些事である

 そのような状態に入れると,仮に何か障害が生じたとしても,手段を尽くし,工夫を尽くして,結果にたどり着くという状態になる。

 時間しろエネルギーしろ資源が有限である以上,その中で一つの結果を確実に出そうと思えば,何が何でも結果を出したいという状態自分を持っていくことが必要になる。

 不合格という現実に直面したとき,何度も「嘘でしょ。結果を取り替えてくれないか。」と何度も思った。しかし,一度出た結果は変わらない。これが現実である

 自分の周りの環境自分コントロールすることはできないということをまざまざと体感した。

 一方で,自分はいくらでもコントロール可能なのだ

 不合格回避したいという思いを,エネルギーを,合格への執着へと昇華させることはできるはずだ。

 二つ目は,以上の状態を前提として,「結果を出す」ということを実現するためにどうすればいいのか必死で考えたことではないかと思う。

 先に記述した思考過程を経て,自分なりに結果を出すために必要な条件を考え,それを満たすためにひたすら実行した。

 小中高と地方公立学校で育ってきて,全国規模で自分が試されたことも位置づけをはかったこともなかったため,余力を残すという発想がそもそもなかったということも幸いした。

 自分みたいな遅れて必死になった者が全国レベル受験生相手に確実に合格するという状態に達するためには,とにかく妥協なく徹底的にやり切る以外にはないと思っていた。

 後にも先にもこのときほどストイックになったことはない(なお余談だが,このときにあまり想像以上に結果が出てしまったため,後になってまた別の試練に立ち向かうことになった際に,「あそこまでやらなくてもいいだろう」と無意識に思ってしまい,無駄に回り道をすることになる。何事も,やるなら最初から本気でやるべきである。)。

 当時,浪人時代灰色一色で,とても精神的につらいものであったが,きわめて得るものの多い時期でもあった。

 生活のことは親に完全に甘えられる時期であり,徹底的に勉強のことだけ考えていればよかったという意味では,むしろ幸せな時期であったともいえる。

 浪人時代を通じて,物事に本気になるとはどういうことか,結果を出すとはどういうことかなどを身をもって体験することができ,その後の人生にも大きないい影響があった。たまたま運よくラッキーで現役合格してしまっていたら,このように自分を振り絞るような努力をする機会は得られなかったの

鉄血のオルフェンズは何故迷走したのか?

機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズは何故迷走したのか?

その理由について、考察してみた。

あくま個人的見解です。

問題点対立軸がなかった

連邦vsジオン連合vsザフトみたいな対立軸がなかったため、大規模戦闘描写しにくかったのではないだろうか。もちろん00そう言えなくはないが、ソレスタルビーイングには、大規模戦闘を行う力があった。

問題点キャラの掘り下げが浅く、目的意識不明だった。

キャラが何をしたいのかが最後までわからなかった。主人公であるオルガは「火星の王」になりたかったようだが、火星の王とはなんのことだろうか。あまり抽象的で、意味不明である

また、マクギリスが実現したかたことは、ギャラルホル創設時の意思に立ち戻って、ギャラルホルン改革することと考えられる。しかし、実現したいと思うきっかけが不明である。どのような動機に基づいているのかが説明不足であると感じた。

以上、2つの問題点を挙げてみた。

筆者的にはMA戦以降の展開を、書き直してほしい。

2019-03-23

anond:20190323174816

論理的考察すると、この文章論理的に見せようとして失敗していますね。

じっさいのところ論理的ではない人間は、性別に関わらず、ある一定数は統計的存在すると思う。

支離滅裂ですよ。大丈夫ですか?

「じっさいのところ」なのに「思う」とは?統計的データは?

肝心要の「性別にかかわらず」の根拠は?

騙すために論理的っぽいキーワードを用いても、やり方が論理的でない。

論理的ではない人間は、性別に関わらず、ある一定数は存在すると思う」とするのが適切でしょう。

は、男性側の視点から女性性差別をするために恣意的物事を歪めて見ていることになる。

「思う」と「見ている」なので同列です。

2019-03-22

異世界モノが流行ってる理由、一つの考察

ふと思ったけど

今って「ある日突然ひょんなことから海外に飛ばされた」って話がやりづらいな

 

・現地の情報適当にかけない、ネット簡単に間違いだとバレる

しかもそういうの突っ込んでくるやつがうざい

調査が面倒

言葉の壁

・すぐ帰れる

・帰れなくてもネット電話があるから連絡は取りやす

ネットで見れる分目新しくない

・国をいじると色々問題戦争させるのも問題

 

昔は海外異世界みたいなもんだったが、今は海外=どこまでも現実しかない

結果的に、密室舞台を用意したり、現実とは少し違う世界を用意しなければならなくなる

素晴らしい海外文化世界観といったリソースは残念ながら使いづらい

だったら異世界をやるしかない

 

タイムスリップものもそうなんだよね

だいたい考証の甘さがバレるし、やり尽くされてるし

そういうのってちょっと昔なら「調べないのは甘え」と断じられていたが

ネット時代に成っていよいよガチ勢じゃなきゃ調べ尽くせないくらいに成ってきた

 

考えてみたら本当に「今は異世界をやるしかない」んだな

 

もっと考証が非常に甘い空想妄想にまみれたステレオタイプ中国とかアメリカとかロシアとか日本とか見たかった

2019-03-21

anond:20190321094545

多分、そういう兵器は飾っても仕方ないので(プラモになるかならないかとかではなくて、設定上は)無国籍デザインであたりまえという前提があるのではないでしょうか。

歴史上の戦車とか飛行機も、和風とか、ルネサンスとか、バロック調とか、中華風とかなかったのでは?

ギャグ調にならない為には、そのデザインになっているそれなりの設定が必要なのかもしれませんね。

かい事を考察したら、巨大ロボットって兵器として現実味あるの?という意見もあるそうですが。

からこそ俺は「言うほど~~か?」と否定する

俺は人のおすすめというものが嫌いだ。
きっかけは俺が通ぶったヒネクレ野郎かつ天の邪鬼かつ逆張り大好きマンな事なんだが、一応"スジ"は通しとく必要があるのでおすすめされりゃ触る。
でも素直に面白いだのすごいだの言えないから、粗探しして重箱の隅をつつくワケだ。そしておすすめしたやつにそれをつらつら述べて「言うほど~~か?」と否定しつつその自信を揺るがす。

でもいつからだろうな、否定目的に変わったんだ。だって逆張り大好きだもん。そして本当に人のおすすめ全てが面白く感じなくなったんだ。というか何も面白くねーのよこれが。
理由簡単だ。称賛されたりオススメされるものには粗探しと否定目的で触れるから、楽しむ気持ちも無い。設定考察ではなくガバガバなところを探すために細かく見るんだ。

そして否定行為楽しいと言われればそれもハテナだ。「言うほど否定楽しいか?」とかオウム返ししても俺は「楽しくもなんともないがやることはこれしかない」としか返せない。だからパンティーとかウンチとか言っとけ。

というわけでもう一度言う、「お前がおすすめするものは言うほど神か?言うほどすごいか?言うほど可愛いか?言うほど素晴らしいか?言うほどかっこいいか?言うほど面白いか?」、と。

2019-03-20

anond:20190319153621

異世界転生して奴隷ハーレム俺TUEEEEEEEEEE!!というなろう小説大好きな俺のお勧めは『キッチン歴史: 料理道具が変えた人類食文化』だぜ!!

いや、なろうのコメント欄ってさ。自称学者様が沢山湧くのよ。ジャガイモ警察みたいな輩が。

ジャガイモ警察知識持ってるからまだマシなほうよ?大半は「騎士キャラの行動にリアリティがない!」とか言って、その理由を聞くと「日本武士のような絶対的忠誠心が感じられない」とかい理由だったりしてもうゲンナリ

そんな学者様を眺めているうちに「実際のところはどうなんだろう?」と中世西洋文化を調べてみると、これがなかなか面白い

特に食文化は調べれば調べるほど、今まで漠然と抱いていたイメージがあらかた否定されていって知識欲の虜になりそうでヤバい

そして西洋食文化の本を何冊か読んだ中で、一番面白かったのが『キッチン歴史』。

読みやす翻訳と軽快な語り口ですいすい読める。

それになにより、うまいあい知識欲を刺激してくれそうな題材の選び方が楽しい

近代まで手づかみで食事をしていたのは他の本で知っていたけど、

大きな肉にかじりついて口に入らなかった余分な肉を手持ちのナイフカットするのが一般的作法とは知らなかった。

そして中世も終わる頃になってある貴族が「会食の場にナイフ持ち込むの危なくね?」という当たり前のことに気が付き、

先の尖っていないテーブルナイフ発明される。

テーブルナイフの刃先が徐々に丸くなり、切れ味が鈍くなっていくごとに料理も変化していった。

すなわち、大きい料理から小さい料理へ。

噛みついてナイフで切らなくても食べられるように、ひとつひとつ料理一口で食べられる大きさに変わって行った。

この料理進化の影響は遺骨の骨格にもあらわれている。

食事の仕方が変化した時代の遺骨の頭蓋骨を比べると、噛み合わせが変化しているのだ。

「大きな肉に齧りつく」行為をしなくなった西洋貴族の前歯は、元から小さい食物を箸で食べているアジア人と同じ形に変わっていった……

みたいな感じで!ページをめくるたびに「へー!へー!」ってなもんっスよ!キッチン歴史ヤバい!!エモい!!!パない!!!!!


追記

本文中の「ジャガイモ警察」は「ジャガイモ南米原産中世欧州にはジャガイモ存在しないはず!!!」という薄っぺら知識で語る人ではなく、

ジャガイモ存在するならもっと多くの人口が養えるはずだ。人口が増えればあらゆる社会形態も変わっていくので作中の小規模の都市リアリティが~」という考察ガチ勢の方々を指しています

前者には「いやここ中世欧州じゃないし」で一蹴できるけど後者には何らかのつじつまを合わせるか、考察不足を認めるか、ごめんなさいねウチゆるゆる世界観なんですよ~と開き直るしかない。

2019-03-19

anond:20190319153621

ガザニガもジグムント・バウマンも読んだことのある理系研究者からおススメ本を紹介するね

いまとなっては有名になった幻肢痛だけど、それをどうやって治療するか。

科学読み物だけど、ミステリーのように面白い

圧倒的に日本語タイトルが悪い。研究者というのは圧倒的に記録が好きだし、考察が好き。

さて、人工知能研究者である人が自身が脳の病気になったら、どう記録し、考察するか。

本の冒頭の、駐車場から家に帰る話だけでまず面白い

なんか脳の本ばかりになったので、都市の本。これは研究書ではなく、読み物だが、

都市計画の研究者47都道府県県庁所在地について、その成り立ちを簡単考察した本。

旅行に行く前に読むと、都市の読み方がわかって面白い

2019-03-18

anond:20190318164728

ネタバレNGだし、

わかる人間が見たら踊ってるのはお前だけだって一瞬でわかるよ。たぶん、普段からもうちょっと突き詰めて考察する習慣つけないとお話にならないよ。

ケンミンの焼きビーフンへの考察

ケンミンの焼きビーフンがべしょべしょになる問題について、一定の知見が得られたので記載する。

野菜を炒める時の油はたっぷり

中華料理レベル感覚で入れる。そうすると後から入れるビーフンにも油がコーティングされてパラパラになる。

◆あえて記載と逆らってビーフンをすべての具材の下にする。

根菜玉ねぎ→その他葉物系→豚肉の順で炒める。肉は赤い所がやや残るくらいで具材を端に寄せてビーフン投入。さらに端に寄せた具材を菜箸で後から合流してきたビーフンの上に退避させる。そうすると肉などが硬くならず良い。また、ビーフンのもどり不足もだいたい解消される。どうでもいいけど、豚肉を先に入れる炒め系レシピはよくわからない。肉硬くならないか

◆水の量はきっちりか少なめ

フライパンビジュアル的に不安になるくらいがベター

上記実践することで、中華料理店のようなパラパラビーフンが完成。もうケンミンの焼きビーフンを恐れなくても良い。

ただし、汁ビーフンの解法はまだ見つかっていないため君子危うきに近寄らずである

2019-03-13

黒歴史日記を消したいけどIDもパスワードもわからない

エンピツ日記のIDもパスもわからないし、

登録メールは解約したプロバイダのものだし、

もっといえばそのプロバイダ会社もう無いし

いつか方法が見つかるんじゃないかと思って

アドレスだけブクマしてるけど、本当に消したい。

オタクになり立てで

こんな考察したり(浅い)

あのキャラが好きだからここまでできる私すごい(浅い)

おしゃれにはまりたてで教えたくて仕方ない(誰でも知ってること)

オタクなのに見えないでしょ、おしゃれでしょ、すごいでしょ

イベントのために県外でるのすごいでしょ(普通だよ)

・・・っていう

イキってた頃の自分日記が多分3年分くらいある。

恐ろしくて何を書いていたのか読み返せない

あれを当時自サイトで公開してた自分正気じゃないと思ってる

自分サイト作って日記を公開するのが普通時代だった)

サイトは消したし、ブログも消した、掲示板も消した。

SNSmixiとか)の日記も消した。

あとエンピツ日記だけなんだ。

本当にどうやって消せばいいの。

2019-03-12

ちゃんねるより増田のほうが中の人が居そうなネタ

# 目的を述べる

 「○○の××は?△△は?■■する方法は?」

# 行ったことを述べる

 「調べてみました。」からコピペ

# 考察を述べる

 「いかがでしたか?」などと共感してもらうための惹句で締める。

こんな記事を量産している中の人ってどんな気持ち仕事してんの?

もしくはもはやAIなの?

研究辛いとは

実験の手順が多いから辛いのか?

実験した後の考察とか、次に何の実験をするのか考えるのが辛いならわかるけど

クラピカネオンを殺した理由考察

死ぬことなく心変わりしたは彼の嘘で実際は相手をなぶり殺しにしている

2019-03-11

アニメ業界についてとか色々考察してるんだけど

今の時代noteに書けばいいのかな?

anond:20190311081028

元増田です。とても面白い考察勉強になった。思想の自由市場はたしか日本にもあるとは思うけど、それ以上に異端排除したがるムラ社会思想の方がはるかに強固な価値観なのかもしれない。そういう意味では空気の打破として表現の自由を訴えかける事には意義があるかもしれないね。だが、それが異なる価値観を持つ人間同士が共存する為の指針になるかどうかというとひどく疑わしい、とも思ってしまう所はある。

2019-03-10

アンチだらけの作品にハマってしまった

あるCSゲーム世界観キャラを好きになってしまった。

ゲーム単体として見たら凡ゲーといったところで、グラフィックはしょぼいし、シナリオも平坦、システムは意欲的だが荒削り、でも音楽世界観キャラクター造形が良くできていて、総合したら星3つ程度の評価妥当なところだと思う。実際他人レビューでも星3か4で色々惜しいと言われていた。

このキャラクターと世界観がどうしようもなく刺さってしまい、ファンアートを描いたり考察を垂れ流していた。ただ、良作ではなく凡ゲーだという認識は十二分に持っていたので、こうだったら良かったのにとガッカリしている気持ちも当然持ち合わせている。それでも好きだと言っていたつもりだった。

発売からまだ1年も経っていないが、このゲームの話をしてる人間がとにかく少ないので本スレを見に行ったら、スレは荒れまくりディレクターへの個人攻撃が繰り広げられていた。ここアンチスレだったか

挙げられてる作品のものへの不満点はだいたい共感できるものだったが、俺の理想ゲームにしなかったディレクターはクソでキモい気持ちはわからなくもないがディレクター以外を棚上げした個人攻撃が酷い)、これを好きだと言ってる信者キモいさらには信者ヲチアピールまであって、これ本スレだよな??とげんなりした。

ログを遡っていくとファン叩きで盛り上がっていた時期があり、それが今では垢消ししてしまったフォロワーのことだというのも判明してしまった。内容と時期が完全に一致していたので間違いない。貴重な交流相手が垢消しするという実害が出ている、最悪だ。同時に好きだと発信することが怖くなってしまった。作品への不満は分かるだけに、盲目的な信者と一括りにされるのも嫌だ。信者は嫌いだ。

もっと有名なタイトルであれば、似た者同士寄り集まって騒いでいればいいじゃないかと思えたが、とにかく人口が少ない。今残っているのは未だに粘着してるアンチが大多数で、粗いゲームだったけど好きだというファンなんて全然いなんじゃないかという思考が消えない。でもこのゲームが好きだと思う気持ちは強くあって、絵を描いたり考察をやめたいとは思わない。恥ずかしい話だが、二次創作物語をかきたいと思うくらいにはこの世界観キャラが好きらしい。キャラがただ好きだから絵を描くのと、キャラが生きて動いているところが見たいという気持ちは少し違うんだなとこのゲームで初めて感じた。

……やっぱり信者なのだろう。来週公式募集した企画に参加しようと思っているが、本スレ民の目に触れることは間違いないので叩かれる不安しかない。信者何が悪いと開き直れる強さが足りない。

数日前に公式で小さな動きがあったのに本スレ書き込みが突然ぱったり止まったので、どうしたのだろうと思ったら葬式スレ活性化していた。本当にアンチしかいないんじゃないかと思った。

2019-03-08

ゼロ嫉妬魔女人格の1つはレム?

最近ゼロ見直した。

前に見たとき嫉妬魔女はレムではと思ってたので、その時の考察と見返した今の考察を。

基本全部推測なので、”かも”とかが多いです。

色んなパターンの羅列なので、それぞれの考察矛盾もあります

[前に見たとき考察]

とりあえずエミリアだとひねりがなさすぎ。仮にエミリアとしても別人格はだれか。

アニメ完了時点までだと、スバルを深く愛しているのはレムと次点エミリア

"愛"の言葉を口にしたのはレムのみ。

嫉妬は愛の裏返し。深い嫉妬の裏返しは深い愛。

アニメ完了時点では嫉妬するとしたらエミリアよりレム。

Wikipedia情報だと、レムは白鯨戦後名前記憶を奪われ抜け殻状態で深い眠り状態らしい。

どこかで名前記憶精神が戻る展開はあるだろうけど、ただ戻る展開より、例えば誰か他者の体に定着なんて展開もあるかも。

その場合、ペテルギウスが伏線的なものになるかも。

何かしらのイベントまたはレムの意思により、他者に定着。

特にレムの意思が加わるなら、かつ愛が嫉妬にどこかで変わるなら、スバルの1番エミリアベスト対象になる。

例えば、名前記憶を取り戻すイベントか何かで、とりあえず、その場にいたエミリア精神を定着させるしかないとか、エミリアと同居するうちにエミリアへのスバル気持ちを目の前で見、直に感じて嫉妬へ変わっていくとか。

[最近見た考察]

タイトルについて

1. Reと":"とレム(Rem)

Windowsバッチファイルで"REM"はコメントアウトに使われる

":"も2つ続けるとコメントアウト

"RE:"でなんとなく":"2つ分(=REM)と見えなくもない。レムを隠喩してるかも?

2. Reとゼロ

ゼロは無 => Re:ゼロ => Re:無 => レ:ム?

● その他、レム以外の考察

1. コメントアウトだとすると

REM ゼロから始める異世界生活

コメントアウトされた、本筋からは消されたが筋の書き手には記憶に残っている"ゼロから始める異世界生活"、つまりスバル記憶からは消されたスタート時点より前のゼロ地点がある?

Reには繰り返しの意味もある?ループ

2. Windowsバッチファイルで":"1つだと、その場所へ移動、セーブポイントみたいな意味がある。

":ゼロ"だとゼロ地点へ移動みたいな意味。Reを再びとすると再びゼロへ移動。

死に戻りそのものとも考えられるけど、ゼロ意味からすると、やはり話のスタート時点がすでに繰り返しなのではと思います

3. Re, :, ゼロなどの意味合いの組み合わせで他にもいろいろ考えられそう。

例えばREM(コメントアウト)しようとしたがRe:(地点移動の繰り返し)になった"ゼロから始める異世界生活"とか。

[補足]

1. 英単語サテラに近しいのはsatelliteあたり。衛星の他に従者、お供、〔権力者の〕手下、子分

近しイメージはやはりエミリアよりレム。隠喩としてならスバルあたりも

2. GLAYの曲に「Satellite of love」という曲がある。

2010年リリース

ゼロ小説投稿サイト小説家になろう』にて2012年4月より連載スタート

創案、書き始めが1年程度前として、曲が普及、作者が認知、参照するのに1年程度というのは、ちょうどタイミングはいいくらいな気がします。

サテライトからサテラでもいいけど「"サテ"ライトオブ"ラ"ブ」の全体を略してサテラと略せるような気もします。

それっぽい部分を以下抜粋

アナタには歪んだ世界

教えてよ 教えてよ 教えてよ

サテラを想起させるような?

ささやか幸せを守るため

大切な夢までも無くしたのね?

→ レムと逃亡Ifを想起させる気がする?

繋いだその指を離さないで…

せめて今日明日を聞かせて

どうかお願い…

指切りシーンを想起

2019-03-05

キング・クリムゾンとエピタフの関係についての考察

まとめ

 仮説1「キングクリムゾンとエピタフは最初バラバラスタンドであった」

 仮説2「ディアボロはキンクリを、ドッピオはエピタフを持っていた」

 仮説3「キング・クリムゾン最初一時的自分が何者から干渉されなくなる能力しか持っていなかった」

 仮説4「エピタフと同化したことでキンクリは未来を見る力と飛ばし時間の中で世界干渉する能力を身に着けた」

以上の仮説を一切検証すること無く妄想を垂れ流すだけの内容が以下の増田である

仮説0「ディアボロは臆病者である

これは間違いないことなんだよ。

なにせディアボロ自分にとって都合が悪くなるとドッピオという少年人格に全てを押し付けて逃げてしまうんだから

これが対等な関係でなく主従関係の形を取っているのも、自分自身に対してすら裏切りを恐れて完全に支配下に置こうとしている臆病さの現れなんだ。

「何か都合が悪いことがあったらひとまず姿をくらまして安全な所に引きこもる。キング・クリムゾン能力本質はこれなんだ。

銃弾が飛んできたり厄介な奴らが襲ってきたら、咄嗟自分をこの世界からくらましてしまう臆病な卑怯者の力なんだよ。

これこそが彼の本能であり、彼の心の像そのものなんだ。

困難に立ち向かうためにドッピオが産まれ

臆病なディアボロにも一つだけ分かっていたことがある。

逃げてばかりではやがて手詰まりになるということは分かっていた。

からドッピオが産まれた。

ドッピオはディアボロピンチを救ってくれるヒーローなのだ

しかし彼がヒーローであることを認めれば、ディアボロ自分が臆病な卑怯であるという事実に向き合う必要がある。

からドッピオは忠実な下僕であり、絶対的に下等な存在なのだ

そんな彼が身につけた能力が「未来直視した上でそれを乗り越える力」、エピタフだ。

ピタフは未来を見ることが出来る力であるが、そのビジョンにはときにドッピオやディアボロにとっては受け入れがたいような現実さえ映る。

そして何もしなければその未来はそのままの形でドッピオ達を襲う。

その未来を変えるには自分自身が世界干渉していかなければいけない。逃げていてはしょうがない。

逃げてしまうのがディアボロ本能ならば、ドッピオはその影となる理性の存在

キング・クリムゾンディアボロ本能ビジョンならば、エピタフはディアボロの理性のビジョンなのだ

やがて本能は理性すらも支配する

ディアボロの中にある2つの強烈な意志

逃げたいという本能と、立ち向かうという理性。

その2つはやがてひとつとなり「未来を見通した上で、ときに立ち向かいとき回避する」という力を持ったスタンドとなって現れる。

ディアボロはこの力を自分のものとして独占し、かつてはドッピオの物であったエピタフをさもディアボロが貸し与えたかのように所有権を主張する。

それが今のディアボロ達の関係なのだ

キンクリが持つ2つの側面

ジョジョフリークの間でしばし話題に上がるものに「キング・クリムゾン果たして飛ばし時間干渉しているのか」というものがある。

これについて私が建てた仮説が「キンクリはとき干渉するし、とき干渉しない」である

私はこれが言いたいがためにここまでダラダラと精神論を書き連ねたと言っていい。

飛ばし時間の中に干渉するときキング・クリムゾン過酷未来に向かって立ち向かう理性によって動き、

飛ばし時間の中に干渉しないときキング・クリムゾン過酷現実を避けようとする本能によって動くのだ。

逃げ出そうとする本能的な衝動を理性によって縫い固めたものこそが、キング・クリムゾンの繰り出す攻撃なのである

度し難いほどに臆病で凶暴な生存本能と、それによって生まれた臆病で凶暴な理性、その2つが混じり合った姿こそ、2つの顔を持つ悪魔スタンドなのである

おわり

フィクション考察かい無駄な事やめろ

お前がいくら考えても作者が実は~~~~~なんすよと言ったら全部終わりじゃねえか

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