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はてなキーワード: 前近代とは

2024-03-02

anond:20240302203713

前近代においては主に中華から近代においては広く外国から言語表現を借用し、改造して日本語として用いているのが日本語の豊かさの一つでしょうに。

器が狭いわ。

2024-02-25

国税職員志望の学生だけど俺殺される為に勉強してるのかな

まあこれのことね

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AB%E3%83%8E%E6%B2%A2%E4%BA%8B%E4%BB%B6

俺は税務署バイトしたり職員の方と話をしたりして、是非この職場で働きたいと思ってた準備してきたんだけど、↑で暴力を賛美・面白がってるコメが多くて普通に身震いしたよ、これ憎悪扇動でしょ。


一般納税者税務署の事を嫌悪してるんだろうなというのは分かってたし、罵詈雑言受ける覚悟はしてたんだけど、自分達の死が娯楽になる程とは思っていなかった。

まあ俺はただの一志望者だし、受けない・行かないという選択をして部外者でいる事もできる。ただ税務署で知り合った方々がこれ見たらどう思うかと考えたらひたすら苦しい。(上級国民でも徴税マシーンでもない、自分家族生活がある普通サラリーマンだよ)


徴税役人スケープゴートにされるなんて前近代社会しかない。民主主義国家主権者なら頼むから合法的手段で変えてくれよ。

2024-01-29

anond:20240129011301

( ^ω^ )

現代に続くハイヒール起源の説はいくつかあり、定説は定まっていない。

紀元前400年代アテネで、背を高く見せるハイヒール遊女間に流行した。これは男性も履いていた。

15世紀からイタリア、及びスペインで、チョピンというファッションオーバーシューズ貴族女性や高級娼婦流行する。

16世紀末に欧州現代に続くハイヒール生まれる。

町に溢れる汚物を避けるために生まれたという説もある。

ルイ14世は背を高く見せるために愛用していたなど、前近代から近代初期にかけては男女を問わず履かれていた。しかし、ナポレオン戦争が始まり各国で国民軍が創設されると、戦場を駆け回るために男性機能的な靴を選ぶようになったため、ハイヒール女性の履物と見なされるようになった。」

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%AB

2024-01-14

安倍幹部の立件断念について

政治家裏金を作って責任を取らないなどありえない。検察には頑張ってもらい、事実であれば公民権停止まで持って行ってほしかった

一方でブコメ論調についても疑問に思う

例えば以下のページ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20240113/k00/00m/040/061000c

r-west ふざけるな、立証困難じゃなくて、証拠隠滅完了するまで泳がせてたんだろうが!いつも平民にやってるように取り敢えずみんな逮捕しておけばこんな事なるわけない


根拠無き証拠隠滅の指摘、軽率逮捕扇動

punkgame やっぱりな。選挙で決めるとか言うけど、その選挙が金で動いていたっていう仕組みを是正しないまままたやったところで結果は同じだろうに。もう選挙民意なんて反映してない。あとは一揆でもするしかない


民主主義否定内乱扇動

photosome 何千万脱税しても横領しても自民党政治家無罪なんだ。零細企業にはインボイスで数万円の税金逃れも許さないって息巻いてるくせに。この30年は自民党を太らせるための政治だったんだな

証拠無き横領の指摘(今回の件は裏金であって横領ではない)、別制度へのWhataboutism(そっちこそどうなんだ主義)、この30年内は民主党政党政権を取った時期がある(自民以外の政党が作った利権も指摘されている)

gaka48 少なくとも、関係者を身柄拘束すべきだったと思うがなぁ。どう考えても、証拠隠滅やら口裏合わせやら、やっちゃうでしょ。如何にもやられそうな案件だし、やりそうな連中だし。


超法規的措置による身体拘束、見込み捜査扇動

neko2bo あーあ届かないか...責任者が勝手にしたって事なのかな?んな訳ないじゃんって思うけど、そういう事にして本丸はしれっと議員を続けるのね。どんなに白々しくても尻尾を掴ませなけりゃセーフですか。前近代だね。


確たる証拠が無ければセーフは普通に近代的。思い込み逮捕されるのは江戸時代とか、ソ連ロシアみたいな独裁

以下はセーフ

ono_matope安倍氏の死去後に当時の事務総長だった西村氏や、下村氏、世耕弘成前党参院幹事長派閥幹部会計責任者対応複数回協議。同8月還流継続が決まったとされる。』これでなぜ共謀に問えないのか。

このくらいは市民の素朴な疑問といえるレベル

これがトップは、僅かな良心が残っているとも言えそう

現在一般的な法の感覚を持つユーザーが多数だけれど、狂ってるユーザーも随分多いねという印象

自民文句を言いたいけれど、法と論理無視する者の集団には近づきたくないなあ

理性を持って、フラットダメものダメと言える政治活動ないかなあ(身内はOK相手OKぽくても叩くところはいらない)

2023-12-11

anond:20231211003406

戦隊(とくせんたい)とは、軍隊において自軍部隊を後方から監視し、自軍兵士命令無しに勝手戦闘から退却(敵前逃亡)または降伏投降)する様な行動を採れば攻撃を加え、強制的戦闘を続行させる任務を持った部隊のことです。

戦隊は、戦線の後方に展開し、自軍兵士敵前逃亡阻止等の任に就きます戦闘継続させるためならば、敗走する自軍兵士容赦なく攻撃し、殺害することもあります。

戦隊は、もともと兵士らが自発的戦闘に出ることを期待するのが難しかった前近代時代戦争に主に使われた手段です。ナチスドイツ旧ソ連は第2次世界大戦当時までこうした部隊運営悪名を馳せました。

2022年11月4日英国防省は戦況分析で、ロシア軍が「督戦隊」と呼ばれる部隊ウクライナ国内に展開し始めたとの見方を明らかにしました。逃亡を図る自軍兵士を「射殺する」と脅し、無理やり戦闘を続行させるのが役割だと述べています。

2023-05-01

全ての意見ポジショントークで、そのそれぞれが対等で、だからこそ対立生まれる。

政治本質はその対立を調整する事。

って考えてるけど、根底にはニヒリズムがあるんだろうなって思う。

全ての意見が対等なのは、対等に理屈立った根拠が無いから。

皆さんの大嫌いな「お気持ち」を排して、大好きな理屈客観性「だけ」で考えていったら、当然ニヒリズムに辿り着く。辿り着かないのならどっかで事実規範混同してる。

どんなべき論も、「それはなぜ?」を10回ほども繰り返せば理屈では言葉に詰まってしまう。理詰めでタマネギの皮を剥いでいったら何も残らなくて、「それがいいと思うから」という素朴な感性依拠した価値判断が露わになる。

ただどんな意見もオッケーですよだとカオス状態なので、どこかで線を引かなければいけない。そこで、理屈ではないけれどまあ大多数の人が素朴に共感するであろう、個人領域尊重しましょうねという人権思想的な宗教が一応公理とされている。前近代宗教という便利かつ絶対的な真理があったけれど、今やそれはない。便利過ぎて回帰したりもしているけれど。

個人主義という土台をスタート地点にして、そこから社会をやっていきましょうや、という事になってるものと捉えてる。私は。

でもニヒリズムとか言うと条件反射的に厨二病冷笑野郎だ!死ね!って言う人がいるんだよなあ。

まあ確かに全てに価値が無い!総体的に辛いだけの人生なんて苦行だあ泣みたいな人もいるのかもしれんけど。

からといって自殺とかする覚悟も無いし、じゃあ別に理屈なんか求めず内から発する納得に依拠して生きればええやん、というニヒリズムもある訳で。ニーチェもそういう事を言っていた訳で。

無意味でええやん。そこに意味なんか求めちゃいけない、なんて思える超メンタル人間もいるのかもしれない。ゴータマ・シッダールタがそうだったらしい。

ともあれ、全てに意味はないんだぜ~と言ってアナーキストを気取るのに鼻白むのはわかるけど(私は別にそれでもいいと思うけど。一線超えたらしばかれるだけだし)、理屈で考えたら全てが無価値なのを否定するのは違うじゃんって思う。

この世に神様が作った正義なんて用意されてないけど、じゃあ作っていきましょうよ。って言うなら分かる。

でも人権思想はこの世の真実なんだ!政治真実正義を追求するものなんだ!それを笑う者は許さん!みたいなんも割と多いようだなあって思う。怖いよあたしは。

デュルケーム曰く、罪人とは共同の価値に傷をつける不届き者の事を言うらしい。

前近代神様侮辱するもの死ぬまでしばかれた。現代では、個人領域侵害した者がしばかれる。死ぬまでしばかれる事も時々ある。

と共に、人権思想も「神」と同格の共同の価値になってるんだなあって。

人権思想なんて言うけれど、よく考えたらそんなもの宗教等価フィクションに過ぎない。そう人々が思ってその価値が揺らいでしまうよりも、だったら絶対あるという事にしてしまった方が良いと考えているのかもしれない。そんなもんなくね?という異端者はインターネット火炙りに処す。

でもそういうのよりも、フィクションからこそ、それを薄々自覚しつつも崩れ落ちないように守る方が健全だと思いますよ私は。

2023-01-22

多くの人が同担拒否理解できない理由

anond:20230121222629

興行でやっているキャラクター実在人物は、多くのファンを構築してサービスの対価でお金を稼ぐ。

同担拒否はこれに真っ向から対立する感覚だ。

衆人に愛される存在とせず、自分けが対象を愛したい。

ここには多くの人が不可解に感ずるであろう点がふたつあるように思う。

一つ目は多くの人に発信をしている対象を、ある1人が独占できるわけがないこと。

二つ目はその人間対象を独占した時に経済的に支えられないこと。

同担拒否はこの辺りの想像力が欠如した稚拙な態度だ。

ただ、誰しもがちょっとは「あの人を独占したい」と心の中で思うことはあるだろう。

そして、それと同時に「うん、そんなのは無理だな。みんなと一緒に応援しよう」と想像する。

同担拒否は程度の差こそあれその辺りの想像に何らかの短絡が起こっている。


ただ可能性はある。

前近代旦那たちは遊女を身請けした。

すなわち面倒を見ることを前提に買い取るのだ。

同担拒否を貫徹するのであればライブで隣に同担が被るとかどうとか細かいことは放擲するべきだ。そんなことは気にすんな。

堂々と事務所に行って金か石油有価証券わからんが支払って身請けすればいいのだ。

そうすれば究極的な同担拒否権発動である

社長になって金を稼いで身請けすればいい。

同担拒否とは本来こういうスケールのでかい話を言うのではないだろうか。

2023-01-11

anond:20230111153145

それこそ前近代政略結婚みたいだな。

ある貴族武将正室は高貴な出身だったが子供は産まなかった

夫に対してあまりにも高齢or年少で結婚したのでおそらく夫婦の契りもなかったであろう

みたいな

2022-08-25

anond:20220824200210

この手のエントリに対しては何度も同じこと書いてるが

少子化近代個人主義のせいでもフェミのせいでもなく

産業構造の発展と比例して進行してきた

https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/images/01-01-01-07.gif

http://honkawa2.sakura.ne.jp/images2/5240.gif

これは日本だけでなくどこの国も同じ

お金をかけて子供学校に行かせず

12、3歳そこいらで農業だの漁師だの個人商店だのの家業のため働かせる

前近代農村社会に戻れば必然的関係なく子供は増える

途上国は今もそう

でもアフリカでさえ経済成長と比例して合計特殊出生率は下がってる

https://ecodb.net/country/CD/fertility.html

https://ecodb.net/country/GH/fertility.html

https://ecodb.net/country/KE/fertility.html

から先進国が今さら産業社会を捨てられるかって話

高いGDPスマホコンビニのある高度産業社会人口減はトレードオフなの

精神価値観だけ前近代男尊女卑に戻したっていっさい無駄

つうか儒教文化の根強い韓国台湾カトリックの根強いイタリアのほうが

伝統的価値観の束縛がゆるい北欧だのフランスより少子化が深刻

2022-07-20

我々はなぜ統一教会が嫌いなのか

近代合理主義者と化した保守

安倍晋三暗殺事件きっかけに統一教会世界平和統一家庭連合)に注目が集まっているが、保守系(反リベラル、反ポリコレ反中韓)に分類できる文化人のなかで、はっきりと統一教会批判を行なっているのが旧2ちゃんねる(5ちゃんねる)関係者ひろゆき山本一郎なのは興味深い

一説によれば、旧2ちゃんねるは一時期、統一教会に乗っ取られかけたという噂がある。この点を抜きにしても、基本的1970年代まれ以下の世代は、保守愛国を唱えていても頭の中は近代合理主義者で、土着的・伝統的な家族観とか道徳観はちっとも好きではないのだ。

無論、1970年代まれ以下の世代でも立場はさまざまだ。

東浩紀1971年生)は統一教会を「カルトかどうか判断できないだけ」と述べてひんしゅくを買った。ただ、これは統一教会擁護というより、スターリニズム連合赤軍のような原理主義的なドグマに陥ることを恐れるあまり、「二項対立に囚われないように判断保留する」というポストモダン思考原理主義的なドグマにしてしまった模様。

一方、三浦璃麗(1980年生)は、何やら統一教会利害関係があるらしい。

https://twitter.com/333_hill/status/1300961546693083137?s=12

http://japanhascomet.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-e4d640.html

東や三浦はさておいても、高度経済成長期以降に育ち、冷戦体制崩壊後に成人した団塊ジュニア以降の世代は、基本的統一教会的なものが嫌いだろう。俺もな。

今では忘れ去られているが、2000~2006年ごろの2ちゃんねるでは、韓国中国民主党だけでなく、森喜朗代表される体育会系マッチョ価値観自民党重鎮も不人気で、平然と皇室コケにする書き込みだって多数あった。非合理的宗教団体は嫌われ、前近代的な家制度の束縛とかブラック企業的な上下関係肯定する主張は評判が悪かった。

かつて2ちゃんねるに大量にいたネトウヨことネット右翼は、なぜ韓国人や中国人を嫌悪したのか? 戦前戦中の日本に対する非難自分個人への非難のように思えた点に加えて、韓国人や中国人の振る舞い(声が大きい、言動が粗暴、上下関係がきびしい等)に「前近代」の臭いを感じ取っていたからではないか

ネットでは保守愛国を主張して戦前日本を賛美ながら、平然と「中国韓国儒教国家からダメだ」と言う人間が少なくない。お笑いである戦前までの日本だって支配階級の基本思想儒教だった。幕末尊王攘夷運動が起きたのは江戸時代朱子学が普及して、「幕府天皇から権力を奪っているのは忠義に反する」という考え方が広まった結果だ。明治維新後も、明治天皇教育係の元田永孚西洋嫌いの儒学者で、名君の教科書として唐代の『貞観政要』を読ませたし、教育勅語は儒教価値観産物だ。

だが、どうやら団塊ジュニア世代以下のネトウヨの頭の中にある理想日本は、最初から西洋価値観近代国家だったらしい。彼らには古代中世日本伝統価値観を本気で学ぶ気などなく、和歌能楽歌舞伎浄瑠璃より、漫画アニメゲームが好きなのが本音だろう。そういえば橋下徹も、平然と文楽予算を削減しようとしてたな。

保守愛国を唱えながら近代合理主義何が悪いの?」と言う人もいるだろう。世の中には、何も悪いことをしてない人間にも病や死や不幸が降りかかったり、不合理がいくらでもある。何でも理性で解決できると思い、現代から見れば非合理な考え方に従っていた古代中世人間を愚かとしか見なさないのは、思い上がりだ。そうして過去時代の人々という他者への想像力を持とうとせず、過去世代が積み重ねてきた道徳観への敬意がなくなると、経済的な損得ばかりが最優先の価値観になる。「皇室の維持は国費の無駄から天皇制反対」と言い出す者も出てくるかもしれない。

そうなれば、単に力(財力、権力情報発信力)がある奴が勝ちだ。日本でもドナルド・トランプのような男が国家元首になるかもしれない、トランプならまだ人物的に面白味があるが、竹中平蔵ワタミ大統領になったら本当にイヤだぞ。

共産主義統一教会環境産物

統一教会2015年世界平和統一家庭連合改名した。団体名に「家庭」とつくのがポイントだ。自民党による憲法改正案で、第24条に加筆された「家族は、互いに助け合わなければならない」という一文は、統一教会の主張と同じだといわれる。また、「こども庁」の名称が「こども家庭庁」となったのは統一教会の影響という説もある。

https://twitter.com/izumi_akashi/status/1548537253018103808

まり統一教会はとにかく家族の重視を唱える。彼らの教義は、俗流キリスト教と、家父長の権威先祖供養を重んじる東アジア的な儒教道徳の混合物で、教祖の故・文鮮明をお父様、その妻の韓鶴子をお母様と呼ぶ。このような教団組織という大きな家族への絶対服従を唱える思想が、皮肉にも結果的山上徹也個人の家庭を破壊した。

週刊文春7月21日号では、橘玲が「リベラル化した社会に敗れた男の”絶望”が暴発した」と題して、安倍晋三暗殺した山上徹也のことを論じている。現代は家制度の束縛などが機能しなくなった「自由」な社会だが、それゆえに自力自己実現できなかった孤立した人間が増えているといった内容で、その極端な暴発例に2008年秋葉原通り魔事件や、2019年京アニ放火事件を挙げている。指摘自体はおおむね間違ってないだろうが、なぜそのような世の中になったか説明が抜けている。

リベラル思想以前に、社会構造の変化がある。そもそも伝統的な家族観、家父長の権威とか、早く結婚して何人も子供を産むのが良いことだという考え方は、近代以前の農村社会が前提だ。農家個人経営で、家父長のもとで妻子が一緒に農作業し、働き手として子供の数は多い方が都合よいから多産が奨励された。そして、農地という生産手段継承するために血統の存続が重視され、先祖から連続性が意識されていた。漁村商家も同様に家族経営が基本で、船や商材を継承するため家制度が重視された。

ところが、産業革命期以降になると、農村の余剰人口都市に流れて工場労働者となり、先祖代々の土地と家から離れて生きるようになる。労働者はみんな家庭外で雇用され、子供家族から切り離され、父親母親子供も(昔は各国で児童労働が横行していた)ばらばらに働くようになり、自宅の窯でパンを焼いたり時間をかけて食事することもできなくなった(『世界歴史 第25巻』(中央公論社)270p)

統一教会のような反共主義者は、「左翼リベラル思想伝統的な家族観破壊した」と主張するが、この解釈因果関係が逆転している。共産主義は、工業が発達して伝統的な家庭を成立させる農村社会から切り離された都市労働者が世にあふれた結果からまれ思想だ。マルクスより先に、経済的利益のために伝統共同体解体して蒸気機関工場労働者を世に広めた資本家がいたのである

逆に、農村社会に戻れば前近代的な家父長制は復活するだろう。だったら、商工業全否定して国民農村強制移住させたポル・ポトカンボジアこそが理想かよ?

先進国では工業社会さらに進むと、世の中は第三次産業中心になり、庶民はみんな勤め人の都市生活者となっていった。これは産業社会要請によるものだ。以前も書いたが、(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20170522/p1高度経済成長期に中卒や高卒都市工場商店就職していった女性は、左翼リベラル思想に影響されて社会進出し勤め人は世襲家業ではないから、妻子が家に従属する必要はない。リベラル思想関係なく、前近代的な家制度の束縛が弱くなるのも当然だ。生まれた時からこういう環境に慣れきって育った世代が、家父長の強い権威やきびしい上下関係を嫌うのは必然だろう。

こう書いている自分も、会社員の家の次男坊で、実家従属する義理はないか上京以来ろくに親元に帰らない。長男長男だった兄まで、ついに生活のためやむなく父の墓がある土地を離れてしまった。先祖代々の土地家業を持ってるのではないのだから仕方ない。

統一教会のような保守派は、家族大事だと主張するけれど、口先の精神論ばかりで上記のような社会構造問題にまったく踏み込めていない。

信者にとってのカルト宗教の魅力とは何か?

困ったことに、農村社会や家制度のような伝統的な中間共同体が力を失うと、その代替物として、一足飛びなナショナリズムカルト団体帰属意識を求める者が増える。

エマニュエル・トッドは、『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(文春新書)で、宗教伝統が衰退すると代わりに排外的ナショナリズムが台頭すると述べていた。何でも、ドイツでは19世紀から1930年代昔ながらの教会を中心とした農村共同体が弱体化した代わりに反ユダヤ主義が台頭し、ナチス支持につながったという。

統一教会をめぐる報道で、山上徹也の母のように財産すべて差し出す信者気持ち理解できないという人は多い。しかしながら、外部から見ればいか狂信的な団体でも、内部の信者には何らかの「魅力」がある。

先に述べたように、世の中にはいくらでも非合理的なことがある。それまで合理主義者だった人間が、病や死のような自分の力に直面していきなりオカルト宗教に走った例は少なくない。帝国海軍の名参謀だった秋山真之や、アップルスティーブ・ジョブスのような英才も、最期近代医学に頼らず怪しげな方法に頼って病を治そうとして、かえって早死にした。こういう極端な思考に走らないためにも、世の中は理性で解決できないこともあると頭の片隅に置いて、合理的ものへの免疫をつけておくこと必要だ。

そこまで追い詰められなくても、「大きなものにつながりたい願望」を抱く人間は多い。人には何かに帰属することによって得られる充実感というものがある。これは左派陣営団体も同じだ。

こう書けば左翼リベラル派は激怒するだろうが、世の中には男尊女卑や家父長制に身をゆだねることに安心感を抱く者もいる(俺自身は嫌いだが)。いか社会制度近代化しても、誰もが自立した個人になれるわけではないのだ。

あの気持ち悪い集団結婚式にしても、なまじ自由恋愛の時代になると結局誰も選べずに結婚相手が決まらず、いっそ超越的な立場第三者一方的に決めてもらう方が安心、という人間も世の中には一定数いるのかもしれない。

これも以前に述べたが、カルト宗教などが行う洗脳とは、命令に従わせることではなく、被洗脳者が自発的洗脳する側に忖度するように”誘導”することであるhttps://gaikichi.hatenablog.com/entry/20121101/p1)。

その手段として「場の空気」の力がものを言う。場の空気を使った洗脳はじつに簡単だ。こんな話がある、皆さんはカップ入りアイスクリームを食べるとき、どこから食べるだろうか? たいてい最初カップの縁にスプーンを入れるだろう。あるとき数人の集団で、1人を除いた全員があらかじめ示し合わせて、みんなカップの真ん中にスプーンを入れて食べ、残った一人を「端っこから食べるなんてセコいなあ」と言ってからかった。仲間外れにされた1人は本気で、自分の方が異常で、アイスクリームは真ん中から食べるのが世間常識だと錯覚したという。

これと同じように、閉鎖的な教団内では容易に「みんな多額の献金をしてるんだから、そうしない自分の方がおかしい」と思い込むように仕向けられる。宗教団体も、ネットワークビジネスも、会員制オンラインサロン商法も同じだ。

信者教祖や教団幹部個人命令に従っているというより、信者集団の「場の空気」によって献金しなければならない気になっている。周囲にいる人間が競い合って同じことをしているのに、自分だけそれをやらないと自分の方が変だと思い込んでしまうのだ。そりゃ「空気を読む」ことが至上の美徳という価値観で育った日本人なら従ってしまうだろう。

思想だけで世の中は動かない

2022年現在の状況では、まだまだ自民党に対する統一教会の影響力は強そうだ。しかし、このまま上記に述べたような近代社会構造が続くのであれば、20~50年ぐらいの長期スパンで見た場合統一教会的なるもの――家父長制バンザイカルト宗教は徐々に人気を失っていくだろうと考えられる。

実際、100~200年ぐらいの視野で見れば、左翼リベラル陣営はずっと勝利し続けている。世の中は、近代的な商工業が発達すればするほど、上下関係は緩くなり、男女は平等に近づき、セクハラパワハラは嫌われ、体罰理不尽校則廃止される方向に進んできた。

ただし、それは必ずしも自由平等人権といったリベラルイデオロギーの魅力による勝利ではない。単に文明の発展によって、人間が図々しくなっただけだ。

近代以前はあらゆる労働が筋力中心だったから、無条件に成人男性が一番偉くて、女子供は成人男性に従うものだった。しかし、そのような価値観は、スマホコンビニAIドローンの普及と引き換えに後退しつつある。あるいは、汗臭い筋肉労働人件費の安い海外アウトソーシングしたり国内視野から消し去っただけだ。外国人技能実習生世界では、依然として日本相手なら許されないパワハラが横行している。

いか自由平等人権といったリベラルイデオロギー字面が美しくても、思想だけで世の中は動かない。民主主義古代ギリシャにもあったが、あらゆる労働が人力の時代だったから、ついぞ奴隷制廃止されなかった。19世紀に入るとイギリスアメリカ奴隷制廃止したが、それはリベラル人道主義者の主張より、奴隷を使うプランテーション農場比較して工場経営のほうが儲かると判断されるようになった影響が大きい。

統一教会による霊感商法、巨額の献金要求は許しがたい犯罪行為で、自分もこういうカルト宗教は大嫌いだ。ただ、統一教会的なもの嫌悪する自分たちは、たまたま土着的な農村社会崩壊して家制度の束縛が機能しなくなった時代に生まれ育ったから、統一教会的な家父長制価値観へのPermalink | 記事への反応(1) | 23:06

2022-03-20

どうして弱者男性定義程度でそう揉めるんだろうね。

そもそも歴史的な話として封建時代の「男系長子相続社会」みたいなモデルを「男子優遇社会」だと社会学者なんかが判断したのが始まりっしょ。それはそれで間違ってない、なぜならこの社会において女性財産相続権がないわけだから

んで、この社会は「男子優遇社会なのはそれはそれでいいんだけど、じゃあすべての男子がそうなのかといえば違う。具体的には長子以外の男子相続権がないし、長子のスペアとして自由やら権利やらが制限されてきた。つまり男子優遇社会」の中で相対的弱者だった。これが前近代封建社会における弱者男性だよ。

上記の話は歴史上の話であって直接的には現代社会には関係ない。のだけど、現代自由主義社会を作るに当たって、その恋愛観や男女観を形作るときに、騎士道物語的なロマンチック・ラブイデオロギーを利用したってのはある。女性人権なんざ薄っぺら封建主義から人道人権重要近代主義に移行する仮定で、女性尊重するに当たっての「物語」として男性女性を守るべしみたいな価値観が挿入された。

でもそれって「物語」であって「価値観」だから色んなものがごっちゃになって濁って導入するしかなかった。物語って多面的ものから仕方ない。

「男は女を守るべきだ、それが男の甲斐なのだ」みたいな価値観日本で言えば文明開化から戦後昭和に至るまで、そういうのが繰り返されてきた。ジャンプ漫画だってその影響は強くある。それは細かく精査すれば、男性側の労力的精神力的あるいは財産的な「持ち出し」にあたる行動規範だ。

しかし、前述したように封建的だった時代から男性女性よりも優遇されてきた。最終的には優遇をなくして同権社会を作ればいいんだけど、一足飛びにそこにはいけない。社会が混乱するし下手したら壊れる。なので、男性優遇社会優遇分を「再配分」するために、男性側が持ち出して女性を遇するという文化要請された。

時代が進み現代になっても、この文化はあちこち根付いている。卑近な話で言えばデート料金をどっちが持つかって話にもなるだろうし、専業主夫にたいする風当たりの問題もあるだろうし。

現代社会においては「男系長子相続」が強要されているわけではない(※日本でも一部田舎家系ではそういう文化が残っていたりして話を面倒くさくしてるんだが)。だからそういう意味でもう僕らの社会個人主義自由主義の社会だ。

にもかかわらず、再配分文化の名残で、男性その男性の能力財産とは無関係に、何らかの持ち出しを続けなければならないとすれば、それは再配分を超えた搾取であるのだから弱者搾取ではないか? これが現代弱者男性でしょ。

別に難しい話じゃないし、明快な話なのに、なんでこんなに混乱してるんだ。

2022-01-10

anond:20220110145557

手頃なところで Wikipedia の「近世」の項目を見てみると、   

英語圏も、近世を「early modern」として、近代(modern)と分けている。字義的には「初期の近代であるが、現代歴史学では、「modern」と「early modern」は峻別される。また、「Premodern」(前近代)という時代概念が用いられる場合普通「early modern」は中世古代と共に「premodern」側に統括され、

    などと書いてある。

2021-11-28

日本だんだん、主力産業前近代化している

情報通信や、生命科学イノベーションを起こせない。なぜなら優秀な人材があつまらないし、集められる環境もない。もっとも大きな会社は今もむかしも工場で鉄くずまみれになって巨大機会を組み立てて輸出する産業だ。ベトナム中国のほうが人件費が安いころは、こういうことを日本人がやらなくてよかったが、失業率が上がって給料を下げてでも工場労働者を増やすしかなくなり、効率化をやめて、人力でものづくりを続けている。給料ベトナム中国よりも安くなっていき、日本にくる外国人はいなくなる。日本のものが、限界集落地球儀の端の限界列島になるのだ

2021-11-06

anond:20211002022333

今までいろんなメディアを含めて世間のこの件に関する言及垣間見てきましたけれど、その中であなた意見いちばんまともで腑に落ちました。

前近代の食うか食えないか時代には、皇室って超特権階級だったかもしれないけれど、豊かな社会になってからはその性質が変わったことを国民が気づいていなかったのかもしれないですね。

国体は護持されたぞ、朕はたらふく食ってるぞ」なんて時代は、遥か昔です。

伝統的な皇室行動様式に従っていれば、国民尊敬されるけれど、その「人間」性を表に出てくるとこの扱いです。

それはまるで皇室は、国民の高級な「おもちゃ」なのかと認識していると、錯覚してしまうくらいです。

「開かれた皇室」というけれど、開いた先には、血は高貴かもしれないけれど、それぞれが一人一人の人間であることを、国民もっと再確認するべきだと思います

象徴としての天皇制と、皇室の人々の「人権」の折り合いについて、考えなければならない時代にきたのかもしれないですね。

2021-07-23

anond:20210722163355

現代を題材にしたゲームデリケートすぎるから出すのは難しいだろうね

でも逆に言えば前近代テーマなら本当にデリケート問題(例えば光栄信長の野望は一度も朝鮮出兵を扱ってない)を除けば普通にゲームに出来ると思うよ

ゴーストブツシマモンゴルから文句が付いたりしてないし、アサクリが歴史認識炎上したこともないでしょ

2021-03-18

anond:20210317235416

違うんだよ。

表現批判自由にされるべき。

だけど、その『批判の理路』が間違っていれば、当然それは批判される。

フェミニズム勢の表現批判が、アカデミックものに至るまで多くのケースで間違っているのは、

差別でないものに対し差別であるかのような仄めかしを多用して、その表現の取り下げを求める点なんだ。

明確に誰かの人権侵害されていないものに、差別レッテルを貼る。

性的消費」とか「性的搾取」と言い換えても同じだよ。

実在の誰かの人権侵害されていなければ、それは差別ではない。

小賢い連中は、「性的消費を"助長する恐れがある"」とか保険をかけるけど、そんな主観的な恐れで取り下げの要求をするようでは、前近代カトリックの振る舞いと変わらない。

またやみくもにTPO問題にする連中もいるが、まずその表現にどういう問題があるかが明らかでなければ、そのTPOという基準自明のものではない。

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(2)

戻る→anond:20210301080105

倉橋由美子聖少女

まり男性女性がとは言いたくないのだが、女性作家の描く知的早熟少年たちというのは、エルサ・モランテの「アルトゥーロの島」なんかでもそうなんだが、男性が描くときはまた違った魅力を発する。サリンジャー知的論理的自分を追い詰める子供たちとはまた別の硬さがあってよい。新城カズマサマータイムトラベラー」の高度に知的でありながら情緒は年相応な少年少女もいい。

さておき、これは近親相姦お話なのだが、印象に残っている描写は次の通り。主人公たちの仲間に大食漢の男がいて、しばしば生肉弁当の代わりに食らっている。回りの女子生徒たちも面白がって彼に餌付け(?)していたのだが、ある女子生徒がブルマーを入れていた袋の中に隠していたウサギを、生きたままで彼に与えた。血まみれで凄惨な場面でありながらも、大食漢は実においしそうに平らげていた。

例の文学少女から薦められて読んだことでも思い出深い一篇。

ミラン・クンデラ存在の耐えられない軽さ」

頭が良くてモテる男が主人公なのでいけ好かないモテること、たくさんセックスすることこそが人生の目的になっているような奴は理解できない。なんか知らないやつにいきなり人の部屋をのぞきまれ、「お前の人生にはエロスが足りない!」と叫んで出ていかれるような気分がする。しかし、これもまた祖国を追われた人間が、知性と皮肉現実適応しようとした姿なのかもしれないのだ。

それと、この本で感謝しているのは、さまざまな政治的活動に対して感じていた居心地の悪さを、「キッチュ」をはじめとしたさまざまな言葉言語化してくれたことだ。ポリコレを正しいと信じているのに、そこにあるどうにも解消できない居心地の悪さが気になる人が読むといいんじゃないかな。

あとは頭が良すぎて、多くの人が無視したり忘れていたりしていることが見えてしまい、幸せになれない著者みたいなタイプが読むと幸せになれそう。イワンカラマーゾフとか御冷ミァハみたいに、頭が良すぎて不幸になるというか、自分の知性をどこか持て余してしまタイプキャラクターが好きだ。

メアリーシェリーフランケンシュタイン

死体から作られた怪物がただただかわいそう。容貌醜悪なだけで化け物として追われ、創造主からも拒絶された彼の孤独を考えるだけで悲しくなる。まったく同じ理由で「オペラ座の怪人」も好きだ。どちらも間違いなく殺人者ではあるのだけれども、容姿馬鹿にされたことがあるのなら共感せずにはいられないだろう。関係ないけど、オペラ座の怪人ヒロインから振られたことを受け入れられたのって、やっぱり正面から振ってもらったからだよな、と思う。音信不通フェードアウトされたら怨念はなかなか成仏しない。

それと、これはSF的な感覚かもしれないが、人間離れした(時としてグロテスクな)姿を持つ存在が、非常に知的であるというシチュエーションがとても好きで、その理由から後述の「時間からの影」や「狂気山脈にて」も愛好している。

ロード・ダンセイニ「ぺガーナの神々」

架空神話ショートショート形式で述べられていく。ただそれだけなのにこんなに魅力的なのはなぜだろう。彼の作品基本的に短く、しょうもないオチ作品も割とあるのだけれども、時に偉大で時に卑小な神々の物語は、壮大な架空世界に連れて行ってくれるし、すぐ隣に隠れているかもしれない小さな妖精魔法も見せてくれる。

テッド・チャン「息吹」

あなたの人生の物語」とどっちにするかやっぱり迷った。映画メッセージ」の原作が入ってるし、増田で盛り上がってるルッキズムテーマ作品だってある。だが、寡作な人なのでこの2冊しか出していないし、片方が気に入ったらきっともう片方も読みたくなる。

表題作は、意識を持ったロボットのような存在がいる宇宙お話なのだけれども、そのロボット自分の脳をのぞき込んでその複雑な仕組みに心を打たれる。そして、世界を観察することで、何万年も経てばこの世界は滅んでしまうことを悟る。人間とは全く似ても似つかないロボットたちだが、やっていることは人間サイエンス、真理の追求という営みと本質的には同じだ。何かを知ろうとする営為の尊さについて語っている。得られた知恵で、自分たちも世界もいつかは終わってしまうと知ることになろうとも、知識を求める崇高さは変わらないのだ。

イワンセルゲーヴィチ・ツルゲーネフ「初恋」

学生時代自分女性に冷たくされる文学が好きだった。からかわれたりもてあそばされたり馬鹿にされたりする作品のほうが好きだ。そのほうがリアリティがあったから。寝取られ文学が好きなのもそれが理由だし、谷崎潤一郎作品も同様の理由で好きだ。

自分馬鹿にしていた少女が突然しおらしくなり、自分に近づいてくる。いったいどうしたことか、と思って期待しながら読んで、絶望に叩き落されるがいい。

イサク・ディネセン「アフリカの日々」

ライ麦畑」でホールデン少年が感動した本。アフリカ植民地で暮らす女性視点からその生活を書いている。友人のイギリス人が亡くなったとき、まるで故郷をしのぶかのように墓が深い霧に包まれたシーンがとても美しい。

個人的には、当時の基準からすればアフリカの人々に対して丁寧に接しており、評価も概して公平であるように感じた。ところどころ「有色人種特有の」といった表現があったり、アフリカ前近代社会とみなしたり、古い進歩史観は見られるし、植民地支配者側から視点批判的に読まなければならないが、色眼鏡比較的少ない観点に心を動かされてしまったのは事実だ。

植民地時代アフリカって、宗主国以外の人もたくさんいたこともわかって面白い。当時は英領東アフリカだが、そこにはスウェーデン人もいればノルウェー人もいる。古くから貿易相手としてのインド人だっている。独立後、彼らは日本人満州朝鮮半島台湾などから引き揚げたように、撤退したのだろう。植民地について理解するためにもおすすめ

J・R・R・トールキン指輪物語

はまった。十代の頃にとにかくどっぷりとはまった。今でも表紙のエルフ文字を使って誰にも読まれたくないことをメモするレベルではまった。

かに話の展開は遅い。重厚に過ぎる。設定を語るためのページも多い。しかし、この長大小説を読むことで、開始数ページで読者をひきつけなければならない現代小説からは得られない、長い旅をしたという実感を得られるのは確かだ。小説家には良き編集者の助言は必要だが、今のように急ぐ必要のなかった時代もあったことは忘れたくない。

中島敦「狼疾記」

李陵」や「弟子」や「山月記」じゃなくてなんでこれなのか、という声もするのだけれど、自意識過剰文学少年の思っていることをすべて言語化してくれているので推さずにはいられなかった。十代の頃の感受性は、何よりもこうしたものを求めていた。親の本棚にこれが積んであったのは幸運だった。

これは「三造もの」と呼ばれる中島敦私小説的の一つであり、世界の滅亡や文明無意味さに対する形而上学的な恐れや不安意識の片隅にある人間なら確実に刺さる内容だ。最後説教パートもさほどうっとうしくない。なぜなら、きっと文学少年文学少女たちは、その言葉無意識のうちに自分に投げかけてきたからだ。

ウラジーミル・ナボコフロリータ

膨大な知識と華麗な文体を背景にして、あらゆる性的な乱行を正当化してしまうのがナボコフ作品の一つの特徴である。語り手ハンバート・ハンバートは十代前半の少女を性の対象とする中年だ。自分初恋の思い出がどうこうとか述べているが、それだって言い訳だ。

しかし、この作品はただの小児性愛者の物語ではない点が油断ならない。少女ロリータはただ性的搾取されるだけの存在ではなく、自ら性の冒険に乗り出す。清純で清楚な少女という幻想は、最初からハンバート夢想の中にしか存在しない。ハンバートにはロリータ内面や考えなど最初から見えていなかったし、見ようともしてこなかった。

ただのスキャンダラスな本ではない。これは一人の身勝手男性心理の解剖である

新美南吉「屁」

ごんぎつね」の作者として知られるが、こんなふざけたタイトルの話も書いている。しかし、これは「自分は常に正しい、正しく道徳的であらねばならない」としてきた子供挫折を描いた小説であり、この社会弱者にあらゆる責任を擦り付けている様子を全く卑近話題から告発した話なのだ自分がした屁の責任かぶらされた、いつも屁をこいている少年への同情と軽蔑は、僕らの弱者への姿勢のものじゃなかろうか。

短いし、青空文庫で読めるのでオススメ

https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/3040_47823.html

仁木稔「グアルディア」

遺伝学の発展が少し早かったパラレルワールド未来舞台にした愛憎劇であり、変身ヒーローものでもある。ただのSFと違うのは、さまざまな文化が変容を受け、再解釈を受けて受容されることまでもプロットの一部として組み込んでいるところだ。さらには疑似科学陰謀論社会関係も描いている。今、読まれてほしい作家の一人だ。

仁木稔作品は僕の好み、ストライクど真ん中なんだけど、世界史や文化史、自然科学物語論の素養がないと(かじるレベルでいい)作者の構想を味わい尽くすのが難しいので、滅茶苦茶売れる作品にはならなそうだというのは認めざるを得ない。現に舞台ラテンアメリカ日本人になじみが薄いし、シリーズの別の作品中央アジアだ。それでも、伊藤計劃と並んで、社会学なんてつまらないって誤解を解いてくれた大きな恩がある作家だ。早くこのシリーズ最新刊が出ないか、今か今かと待っている。

イザベラ・バードイザベラ・バード日本紀行」

明治一年日本都市から農村を実際に歩いて見聞した手記である。率直に衛生状態の悪さやはびこる迷信批判している箇所はあるものの、その率直さが当時の日本がどんなだったか身びいきなしに教えてくれる。現代日本人が近隣の、例えば東南アジア諸国を見聞して不満がる、偽ブランドの横行や衛生状態の悪さ、家畜との同居や騒々しさなどが明治日本ではごく普通だったってことは知っておいていいと思う。

著者は北海道にも足を延ばした。アイヌ民族について日本人よりも好意的に描いている場面もある。しかし、当時の西欧人の感覚でよくわからないのだが、「粗野な外見だけどとても優しい目をしている」と褒めた民族のことを、別のところでは「将来の可能性を閉ざされ民族である」と書く点だ。もしかして、かつての人々が持っていた、文明と野蛮の間にある壁・差異イメージは、僕らが直観するよりもはるかに深刻な差別意識内包した、強固な偏見に根差しものだったのかもしれない。単純な軽蔑どころではない、もっとひどい無理解に基づいた恐ろしい何か。同じように、キリスト教によってこそ日本の悪習は絶えるという発想がどこから来たのか。そういうことを考える意味でもおススメしたい。

ハン・ガン菜食主義者」。

とても面白かった。父の暴力を遠因として、あらゆる動物的なもの嫌悪するようになった妹と、ただやり過ごすことで生きてきた姉を軸に描かれた三連作。壊れた夫婦描写に優れる。

妹は最後には精神を完全に病んで、何も食べられなくなるのだけれども、彼女が持つ植物になりたいという妄念が、本当に精神病の患者さんを観察したんじゃないかってくらい、細部にリアリティがある。

姉はおとなしいのだが、自分はただ忍従し、やり過ごしてきただけで、自分人生を全く生きていなかったのだと、夫の裏切りによってやっと気づく。夫は夫で、そのおとなしい妻に対して息苦しさを感じている。他の家庭のように、怒鳴り散らしてくれたらどれほど楽か、と嘆くのだ。

韓国ってよく叩かれているけど、日本と同じように家族のしがらみとかとかで苦しむ描写が多いので、意外とわかりやすい気がする。

進む→anond:20210301080225

2021-01-23

モルカーくそまらんていうかきもい

子供向けにしたって設定が粗雑すぎる。

つーか動物虐待じゃん。

モルカーは明らかに生物として描写されてんのに駐車場は吹き曝しで日光が直射。

死ぬだろ。

前近代家畜より扱いが悪い。

これは複線で最終話ではモルカーが一斉蜂起して人類を滅ぼすなんて展開になるのかね?

2021-01-02

anond:20210102233202

年賀状も判子もムダ。判子をなくさんから紙もなくならん。

勤怠管理すら判子でやってる前近代企業だが、業務ひとつITに置き換えるとその何倍も紙を消費してそれに判子。

バカみたい。っていうかバカ

2020-12-04

新疆ウイグル自治区を「ウイグル」と略すな

繰り返す、新疆ウイグル自治区を「ウイグル」と略すな。

ウイグル」は民族名だ。地名じゃない。「新疆」とか「東トルキスタン」とか「ウイグリスタン」ってのが地名だ。

ウイグルひどいことが起きている」のように「ウイグル」を地名のように扱うのは見ていて恥ずかしいので即刻やめろ。何もわかっていないのが丸わかりだ。「ウイグル人にひどいことが行われている」のように民族名として扱え。

アイヌ」と同じだ。「アイヌ」という民族はいるが「アイヌ」という土地はない。「北海道」や「アィヌモシㇼ」が地名であって、「アイヌ」は地名じゃない。

北海道アイヌ伝統的なサケ漁が禁じられていることを「アイヌ漁を禁止された」と言ったらおかしいだろう? 「アィヌモシㇼで漁を禁止された」か「アイヌ漁を禁止された」と言うべきだ。

チベット」や「モンゴル」は民族名でも地名でもある。「日本」や「朝鮮」と同じだな。「朝鮮弾圧が起きた」でも「朝鮮人が弾圧された」でもOKなように、「チベット弾圧が起きた」でも「チベット人が弾圧された」でもどっちでもよろしい。

話をウイグル人に戻すと、「新疆ウイグル自治区」ってのは「新疆」にある「ウイグル人の自治区」って意味だ。

中国民族区域自治採用しているから、少数民族が集まって住んでるところには「○○(地名)・××族自治州」みたいなのが設置されている。その一番でかいやつ(省と同格)が自治区だ。

からたとえば、内モンゴル自治区の外にモンゴル人が大勢住んでいるところがあれば、そこは「○○・モンゴル自治県」のような行政区域になる。

新疆ウイグル自治区にはウイグル人以外の少数民族もそれなりに住んでいるので、新疆ウイグル自治区の内側にはイリ・カザフ自治州があり、さらにその内側にはホボクサルモンゴル自治県というのがある。これを「カザフ」や「モンゴル」とするのは間違いだ。それはあくまでも「イリにあるカザフ人の自治州」「ホボクサルにあるモンゴル人の自治県」であって、土地名前は「新疆」にある「イリ」や「ホボクサル」だ。

仮にサンフランシスコ日本人が自治権を獲得して、「サンフランシスコ日本自治区」ができたとして、それを「日本」と呼ぶのはどう考えてもおかしいだろう? 「新疆ウイグル自治区」を「ウイグル」と略すのも文法的にはそれと同じことだ(ウイグル人は日系アメリカ人と違って先住民族なので政治的には大違いなのだが、そこはひとまず措いておく)。

世界国名の中には、「○○人の国」という意味国名がいくつもある。英語で考えてみると、東欧スロバキアSlovakiaで、スロバキア人はSlovaksという。Slovakの国だからSlovakiaなのだ。Croatsの国だからCroatiaで、Scotsの国だからScotlandだ。これは、日本朝鮮琉球のように、「○○」という国がまずあって、そこの国民から「○○人」、という名付け方とは真逆になる。

日本語ではそこを考えず「スロバキア人」「クロアチア人」「スコットランド人」としているわけだが、いくつかの民族については、日本語でも厳密に民族名と地名区別している。

わかりやすい例を挙げると、「アラブ」がそれだ。「アラブ人」の土地からアラビア」なのであり、「アラブ諸国で」「アラビアで」とは言うが「アラブで」とは基本的に言わないはずだ(ところで、言語名が「アラビア語」なのはよくよく考えるとおかしいと思う。言語土地じゃなくて民族にくっついてるんだからアラブ語」だろうJK)。

そして、中央アジアでは、このへんきちんと区別されている。カザフタンの基幹民族カザフ人だ。民族名の「カザフ」に「~の土地」を意味する「~スタン」をつけて「カザフタン」だ。同様に、トルクメン人の国だからトルクメニスタン」で、ウズベク人の国だからウズベキスタン」で、歴史的テュルク系民族がいっぱい住んでた土地からトルキスタンなのだ

ウイグル」もこれに当てはまる。「ウイグル」は民族名であって、地名に使うのは間違いだ。「ウイグル人の土地」と言いたければ「ウイグリスタン」、中国語で「新しい土地」と言いたいなら「新疆」、「歴史的トルキスタンと呼ばれてきた地域の東半分」と呼ぶのなら「東トルキスタン」だ。

ウイグル問題に関心を持つ人が大勢いるのはとても良いことだ。東トルキスタンで起きているジェノサイドは許されるべきではないし、中国政府の所業は大々的に糾弾されるに値する。だが、もうちょっと正確な語法を使ってもらえまいか。少し事情を知っている者からすれば、「ウイグル弾圧が起きた」のような文章を見ると「書き手ウイグル問題の基礎知識理解できていないのでは?」と不安になってしまうのだ。せめてそれが民族名であり、地名ではないことくらいは意識しておいてもらいたい。

ブコメにお返事

ウイグル自治州は新疆ウイグル自治区の外にはないのかな。回族自治州はけっこうあちこちにあるけれど。

自治州・自治レベルだと新疆の外にウイグル人の自治領域はないっぽい。これはウイグル人が新疆に集住してるという事情があるからだと思う。ていうかウイグル人(テュルク系)が集住してるからトルキスタンっていうわけで。

回人の自治州が寧夏の外にもあちこちにあるのは、彼らが散らばって住んでるからだよね。モンゴル自治州があちこちにあるのと同じ。この2民族歴史的経緯から居住地が広範囲にわたっている。

チベット自治州は青海省とかチベット自治区の周りに集中してるけど、これは自治区チベット人の居住地に比べて狭すぎるからだよな。あのへん、前近代清朝ガンデンポタン勢力圏が重なり合う地域で、現在中国行政区画はそういう曖昧領域の多くを自治区から外してるから自治区の外にたくさんのチベット地域が取り残された形になってる。

2020-09-22

ムハンマドって最初の妻ハディージャとは彼女40歳ムハンマドが25歳の時に結婚してて

この辺は割とリベラルな気もするんだけど。

あとWikipediaだと「これに対して、前近代人類社会では有力家系の子女が10前後結婚することはありふれており、このこと自体歴史的事実として確認されている、という反論がある。類例の場合は、結婚が成立してもおおよそ初潮後の適齢になるまでセックスは行わないのが通例であった。ムハンマドのケースにおいても、インドイスラーム学者ウラナ・ムハンマド・アリーはアーイシャムハンマド初夜を迎えた年齢は15歳であったと主張している」

って書かれてるし、イスラム学者から見ても9歳とのセックスとか有り得ないって認識の人はいるんじゃないの?

2020-09-12

anond:20200912083908

銀英伝の男女観への擁護として

「あれは未来に見せかけた前近代19世紀世界観から」という論法があるけど

それだと現実前近代19世紀世界観

専業主婦

なんて本当にごく少数だったんだよね

大多数の庶民農業とか漁業とか個人商店とかの「家業従事者だから

しろ20世紀後半以降とは別の意味で、女も働いてるのが普通

野良仕事や店番や漁の道具の手入れの片手間に赤ん坊の世話してた

個人偏見だけど、なんか銀英伝にはそういう生活臭が感じられねえんだよ

未来に見せかけた前近代19世紀世界観にしても

なんか中途半端20世紀後半っぽいというか

2020-08-23

女嫌いが治らない

 「治らない」という病気の語彙を用いることが適当かをさておき、自分の中で「女嫌い」がもはや一つのテーゼとしてあらゆる判断の場面で幅をきかせてくる。どのような言動を取るか、といった直接の状況から、なんらかの創作物に対する評価まで、全てを男性的・女性的に分類し、女性的なものへの称揚があればそれだけで正直ウッとくる。(まあこれ自体別に珍しい話ではないはずだ。元々性二元論から出てきた価値判断だろう。全てに男性的・女性的という分類がなされるのであれば、男性の中のある性質女性であることもあり、逆もまた然りということになるので結構事態は複雑になる)

 とりあえず上野千鶴子なんか読んで素直に啓蒙される女が理解できない。「女嫌い」の仕組みを解明されたくらいで、その論理自分肯定するために援用できるようなその女性らしい逞しさ。自分の中で女嫌いはもっとパブロフの犬のごとく根底に根ざす反射といって差し支えないもので、例えば最も凡庸な例を挙げれば「あっ感情的になっているぞ、女性的だ、きついきつい」というように。それが馬鹿げていますよと言われたところで矯正不可能な域にある。

 そしてこの反射にある一定の信頼を自分でも置いている。結局市民未満のところから出発した性にとって最も困難となるのは、利他を身に付けることなのではないか。「泣いてはいけない」「女の子を泣かせてはいけない」「自立しろ」というように叩き込まれる機会なく甘やかされて幼少期を過ごす女。共同体が温存する性差特権だけはシレッと享受しながら平等の為に連帯したりする近代の女。

 

 匿名ダイアリーからこそ自分語り(なる女性行為)を多少せねばズルいだろう。自分の女嫌いの始まりは、ピンクのもの持ちたくない、男子サッカーしてたい、女同士のおしゃべりができないだとかしょうもない些末な好みの問題もあったが、決定的だったのは男教師から軽めの体罰をくらった時だった。顔を引っ張られてたまたま元々皮膚が弱かった部分から出血して、女クラスメイト複数人メチャクチャ自分を庇ってくれた。ありがたくはあったが、その無邪気な連帯に引いた。男子への体罰問題化されないにも拘らず、私の為だけに教師がタジタジになっているのだ。なんだこの二重三重屈辱は。勘弁してほしかった(体罰は今程でないにせよそこそこ問題化されていた時代だったが、そこに今回触れるつもりはない。私が男子から嫌がらせを受けたという発端が女子達の擁護点だったが、結局双方ふざけて追いかけっこ状態となり、配膳中だったこともあり両成敗された流れなので、当時の校風と状況から鑑みてある程度公正な処罰だったと思える)。男子とつるんでも平等に扱われることは絶対にない。仮にどんなに「リベラル」な箱庭を作って篭ろうと、文脈平等を許さない。

 アンチフェミ男性とつるんで、いかに女が劣った存在であるか聞かされ続けることにーーそして劣っていることを知っている、マシな劣った存在であるという自意識を育てることにーー抑鬱的な安寧を見出していた時期もあったが、そうやって自虐までも他者に委ねることこそ「メンヘラ」なる女性性質だと気付きやめた。そもそも女嫌いの男や、男嫌いの女というものは、自分身体憎悪から遠い安全圏に置ける時点で信用ならないところがある。やるんなら己に対する加害者としての憎悪から始めるくらいの気概が要るだろう。

 

 マジで、勘弁してくれ。本当はジェンダーの話なんかしたくない(その為に増田に来たのだが)。にも拘らず社会生活を送る上で、例えば酒席で脱げと冗談を言われたり、「女の子には難しかたかな?」と話を振られたりする度に、「女だから不当に損をした!」というなんのひねりもない想念が立ち上がって来てしまうことがある。たまたま「脱げ」という語彙が用いられただけで、下品冗談は女以外でも全ての固有の身体を持ちうる人間が晒されるものであるし、たまたま女の子には難しかたかな?」という語彙が用いられただけで、他者から舐められうることは女に限らない。それよりも「女だからフェミニストで当然ですよね?」とすり寄ってくるフェミニスト(男女問わない)をかわすことの方が、いまや困難にして価値があるはずなのだ。少なくとも自分にとっては。

 

 しかフェミニズムに逆張りした時に、そこに立ち現れてくるイメージ吐き気を催す前近代的である。なんてことだ。「女」という要素さえあれば私は近代前近代も全て憎むことができる。では私にとって「女」とは何なのか。おい、お前フェミニストみたいなこと言っとるぞ。やめろやめろ、やめだ。

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