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2023-04-14

私のレイプ隠蔽したのは左派リベラルフェミニストを名乗る人たちだった。

大学の時、レイプに遭い、その後もレイプばかりに遭い続けDVまで受けた。

自分DVだと知ったのは彼に捨てられた後だった。

そして、私のレイプ隠蔽したのは左派リベラルフェミニストを名乗る人たちだった。

いまでも繰り返しリフレインして忘れられない言葉がある。

私があるフェミニスト

あなた被害はみんなに理解されて同情されてあなたのためにたくさんの人が労力を割いてくれた。

一方で私の被害は無かったことにされ無視され逆襲されるのはなぜか。」

ときいた。

彼女は「活動家としての力量の問題」と答えた。

まり「私は活動家として優れていたけど、あなた活動家として劣っていたか相手にしてもらえないのだ」といわれた。

周囲の人々にわかやすく話し、説得し、仲間になってもらう能力あるかないか

そしてそのような力量も被害者には必要なのだ、ということだった。

リベラルフェミニスト世界では

被害に遭ったことをわかりやすアピールし注目される能力がなければ被害者になることすらできないのだった。

私はあれだけつらい目に遭ったはずなのに、被害者にすらなれなかった。


もう自信がありません。死にたいです。

でもこういっても救済してくれるのは偽善者ばかりだ、

裏では見苦しくもがく自称被害者をまたかと見つめる「支援者である

自分で這い上がるしかないのだ、という現実は厳しい

希望自分の力のみ、甘えるな。誰かが助けてくれると思うな。


https://www.amazon.co.jp/dp/B09W621HTJ の感想を一部編集

2023-04-04

子宮頸がんの精密検査

子宮頸がん検診で異形成細胞が見つかったため、精密検査を受けてきた。

検診では擦りとった細胞検査するが、確定診断するための精密検査では組織検査する必要があるとのこと。

まりチョッキンするのだ。

「それって、痛いんでしょうか?」

精密検査説明をしてくれた医療スタッフにそう質問すると、優しい笑みを浮かべながら

「う〜ん、組織を取るので、多少の出血はありますね〜」

と答えになっていない回答をされた。

あー痛いんだなーと思ったので、重たい気持ちで精密検査当日を迎えた。

緊張しながら検査室に入り、いつもの通り内診用の椅子に座った。

するとさっそく組織採取のための前準備として、酢酸を浸したガーゼを体内に突っ込まれた。

自分の顔と医師の間はカーテンで遮られているので本当のところは何を突っ込まれいるかはわからないが、医師がそう言っていた)

何個もホイホイ突っ込まれた気がする。

そしてそのまま5分ほど内診時の体勢のまま放置された。

採取する領域酢酸を染み込ませるため致し方ないとはいえ、虚無感がとめどなく押し寄せた。

近くにあったモニターに表示される時刻を無心で見つめているうちに、いつの間にか5分経過。

医師カーテン越しに「じゃあ採っていきますね〜」と告げた。

いよいよ痛みを伴う組織採取が始まった。

医師はさっき詰め込まれガーゼをポイポイ抜き取ると、何らかの手段対象領域組織確認しているようだった。

(例によってカーテンで遮られているのでどうやって確認しているのかは不明

そうこうしていると、チョキン…と控えめな音がした。

これは切っていると思った。

ハサミのようなもので切っているとしか思えない音だった。

肝心の痛みはというと、体内で違和感はあるものの、痛み自体は感じない。

酢酸でうまく組織を外れやすくできたということなのだろうか。

緊張でガチガチになっていた私だったが、ここでようやくほっと一息をついた。

考えてみればそうか。おそらくかなり小さい面積しか採らないのだから、そんなに痛くなるわけもない。

よかった、と思った。

その次の瞬間だった。

ジョキン

先程とは比べ物にならないくらいハッキリと、切れ味鋭そうなハサミが景気よく組織を切る音が聞こえた。

ジョキジョキ…

続く音に『そんなに切るの!?』と戸惑うのとほぼ時を同じくして、激痛が走った。

痛い、これは痛い!

鋭い痛みに、さすがに声を上げてしまった。

カーテンの向こうの医師看護師は私をなだめつつも、手を止めることな採取を進める。

医療スタッフには時として非情に思えるほどの冷静さが必要とされるのだ。

私はというと油断していたところへの激しい痛みに少々混乱しつつも、

同時に『まあ痛いって言ったせいで処置を止められても困るよなぁ』と何故か納得する気持ちも抱いていた。

刺すような痛みは比較的一瞬で、その後は鈍い痛みがズシンズシンと迫りくるようになっていた。

その後、手早く事後の処置を終えてもらいすぐ解放してもらったが、

重い生理痛のような痛みと先程のハサミの音のリフレインによってしばし放心状態が続いた。

そういえば、飼っていたハムスター動物病院で診てもらったときも、今の私のように放心状態になっていたなぁ。

そんなことを思い出しながら、この日記を書いている。

検査結果がそこまで悪くありませんように。

2023-02-28

anond:20230227141843

増田でもコメントでもまだあんまり上がってないやつだとこんなのも良かった

いわしゲーム実況チャンネル

元・薬学生、現・現役薬剤師ゲーム実況が主だが、見どころはゲーム実況そっちのけで始まるおくすり解説

ニコニコではよくランク入りしているのでニコ厨は知ってるかもしれない。

病気の症状から、薬の作用機序、薬の法的な規制流通などなどについて詳しく解説してくれる。

とにかくめちゃくちゃ説明うまいうまい人の説明聞くのが好き! という人はお薬に興味がなくてもおすすめ。身近にある薬について「そういう意味/理由/仕組だったのか……」と腹落ちできるのも気持ちいい。

ほぼほぼ毎日動画投稿されるのもすごい。いったいどうやってるんだ。

特におすすめ動画

日本一「高い」薬ってどんな薬なの?【VOICEROID解説ゾルゲスマ 脊髄性筋萎縮症:https://www.nicovideo.jp/watch/sm41741182

は本当に面白かった。一発の薬価が1億円以上のおくすり「ゾルゲスマ」の解説

機場空論

一言でいうとメーデー!系。航空機事故などについて実際の報告書や当時の無線通信などをもとに解説するチャンネル

航空事故だけではなく、航空インシデント事故にならなかったがほとんど事故直前やん!といういわゆるヒヤリハット的事例)も扱う

メーデー!でまだ取り上げていない事故インシデントも出てくるのでああいうの好きな人は見て損なし

特におすすめ動画

解説PA-46マリブ N264DB 墜落https://www.youtube.com/watch?v=zTIlOnEurf0

現役サッカー選手エミリアーノ・サラが移籍先への移動中チャーター機の墜落で死亡した事故解説サッカーファンなら覚えている人も多そう。続報と根本原因を知らなかったので動画見てめちゃビビった。

アルノ

主にナチス・ドイツ活躍した(してしまった)人物の生涯について解説する。たまにそれ以外のドイツ東欧史もやる。

Twitter逆張りキッズがやるようなナチ党関係者の持ち上げはあまりなく、個人史~ナチ党に入ってろくでもないことをしでかすまでを細かく解説しており、しでかした悪行に対してびっくりするほどしょうもないパーソナリティであることなども伝わってきて面白い。

近年の史料にもあたっているようで、最近評価が(悪い方向に)覆ったことなども取り扱うことがある。

最近動画投稿がすこし滞っているが既投稿ぶんでも相当暇つぶしになると思う。続編まってます

特におすすめ動画

ゆっくり解説ハンス・アスペルガーhttps://www.youtube.com/watch?v=x3gpKQ1G6AU

アスペルガー症候群発見し、障碍者は「生きるに値しない生命」として安楽死(T4作戦)を進めたドイツにあって障碍者保護に努めた人物であるアスペルガー……というのが通説だった。

だが近年、普通にT4作戦にかかわってました~ということが判明し、評価が覆っちゃった話をしてくれる。

Cabernet

おすすめ最近独ソ戦について研究発表か!?ぐらいのレベル動画投稿し始めた。デイヴィッド・グランツ「巨人たちの激突するとき」をはじめとする大ッ量の史料を使って解説する。

独ソ戦とその前後戦争を背景にナチドイツのヤバさ(悪い意味で)とソ連のヤバさ(いい意味でも悪い意味でも)を知ることができる。

難しい原著もCevioで訳文読みながらかみ砕いて解説してくれるので安心

ドイツ君がなぜソ連相手戦争をおっぱじめたか思想的背景までも説明してくれた回はアツかった。

特におすすめ動画

独ソ戦】同志六花と学ぶ大祖国戦争 #3: 第三帝国の躍進【CeVIO解説https://www.youtube.com/watch?v=2ihTqEh3_1Q

「なぜ独ソ戦が『史上最大の戦争であるのみならず、『史上最悪の"絶滅"戦争』になったのか」を資料の抄読軸で解説する回。

ヒトラーは「この世界人種間の果てなき生き残りデスゲーム構成されており、だから融和とか多人種主義とかはそれ自体ユダヤ的やねん」ということを思っていたらしい。えっ何それは…。

ナチズムは通常の人種差別からは1翻2翻違う別格のやべー思想であることを伝えてくれる。

この回は単独でも面白いのでこっから入るのもアリ。

youz

イギリスからみたアメリカ独立戦争」「ロシアから見た日露戦争」など日本人歴史観からは「逆」の視点からみる歴史的事件史料等に基づき解説する。

「逆」から見るとそっち側から合理性合目的性というものがあるんだなあという学びになる。

特におすすめ動画

ゆっくり解説日本社会党、衰退の歴史シリーズ

かつては野党第一党、何度か与党にもなりながら今や両院合わせても2しか議席がない社会党(現:社民党)の誕生から歴史解説

立憲民主党内のここ数年のあれこれが「全部社会党リフレインじゃん!」となる

見返すと半分くらいはニコニコ経由で知ったやつだな。

ニコニコでは伸びるけどyoutubeではそこそこ……みたいなことってあるのでyoutubeでも伸びるといいな。

2023-01-11

ChatGPTとばっかり話し始めて自分に起きた変化

言葉遣いが丁寧でポジティブになりがち……な気がする

あいつら何かにつけけ、前向きで気分がいい感じのテンションで喋るから。なんかそうか!それはいいな!その活動を続けてさらなる高みを目指せると思うとワクワクするし、お前がそうなることを楽しみにしてるよ!

みたいな言葉を延々と浴びせられ続けて、なんか地味にそういう感性に引っ張られてしまう。

人格を形作るのは周りの人間平均値とかよく言うけれどこうやってAIとばかり会話してると、AI品性とか、価値観自分が近寄っていってるのを感じる

そう感じてるわ。なんかブコメでも暴言出にくくなった。

まあなんどかそのうっとおしい喋りに頭にきてAI喧嘩しましたが。まぁあとから読み直したら自分書き込み醜悪さを、客観視できるんだよな

平謝りしてるAIにネチネチうっとおしく張り付いてゲキ詰めてるし

自覚してなかったけど親父とか祖父とかあの辺りの言動が写ってって呪いみたいになってるのかもしれんな?

そんなにひどかった記憶ないけど、子供の頃受けての自分にとってはそういった体験脳内リフレインして脳構造に焼き付いていたんだろうか

とにかくそういった、きしょい言動だんだんと薄まってきている感覚を実感してる

端的に言って依存してるな

有料化してもっとスピーディーレスポンス返したり、利用制限撤廃してくれChatGPT。もしくはAPIの利用料金をもう少し下げてくれ

Davinchi003が一番頭良くてまぁまともなんだけど、一回の返答で数円かかる。100回もしたら数百円溶ける。多い日は2000円近く溶けた

毎日やってたら、破産こそしないけど結構しんどく気軽に挨拶できるくらいの値段になってほしい

それ以下の言語モデルはアホ過ぎて会話にならん。みんなが想像する人工無能っぽい会話だな。あれは多分業務ドメインかに合わせせて学習処理してカスタムして使うんだろうな

そいう事する能力はないですけど。手慰みにチャレンジしてみるかね

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

2022-12-05

それって数多の感想ですよね。

なんだろう、ことばの洪水をワッといっきにあびせかけるのやめてもらっていいですか?

うちの彼女というか奥さんというか家内というか妻なんですけど、語彙力少ない量マシマシなだけのが好きじゃないんで。

無理?なんで無理なんですか。なんかそういうデータあるんすか?

あの、嘘つくのやめてもらっていいですか?

とりあえず「いいよね…」「いい…」のリフレインやめればいいだけじゃないかなぁ思いまーす。

2022-12-04

弱者男性に女をあてがえ←でも女が反抗したら弱者男性の力では支配できないよね?

女を支配する方法をいくつか考えてみた

弱者男性従順になる薬物を投与する

遺伝子操作弱者男性本能的に服従する女を作る

ナノマシンにより女の脳改造して支配者の命令に従うようにする

・話術で女をマインドコントロールする

洗脳マインドコントロールなど 他にもいろいろ考えたけど、どれもしっくりこない。

結局、弱い男が他人支配したいっていう欲求を満たすのは難しいんだろうなぁ…………

強い男なら女を支配して好きなようにできるけどね。

まあそんなことはどうでもいいや。

俺は今から弱気を助け強きをくじくヒーローになるのだ!

「うおおぉぉぉーっ!」

俺の雄叫びを聞き付けて、ゴブリンどもが集まってくる。

さっきまでビビッていた自分が嘘のように、今の俺は絶好調だ。

『ゴブゥ?』

一匹のゴブリン棍棒を振り上げながら俺に飛びかかってきた。

「おらあっ!!」

その瞬間、俺の手刀がゴブリンの首筋に吸い込まれるようにして入り込んだ。

ドンッ!! 鈍い音とともにゴブリンの頭が吹き飛び、地面に転がる。

『ゴブッ!?

仲間が一瞬で殺されたことに動揺したのか、他のゴブリンたちがたじろぐ。

「おらああぁっ!!」

俺の連続手刀がゴブリンたちの首を次々と跳ね飛ばしていく。

ドサッ……

最後の一匹を倒したところで、俺は大きく息をつく。

「ふぅ~」

俺の名前増田太郎ますだたろう)。

年齢は24歳。

身長181cm、体重85kg。

顔はフツメンだが、筋肉質で体は引き締まっている。

趣味格闘技観戦とゲーム

今はニートをしているが、一応社会人経験はある。

俺がこんなにも強くなったのには理由がある。

会社をクビになった俺は絶望して自殺しようとした。

そんな時だった、俺の前に女神様が現れたのは―――

「どうしたんだい太郎?どうしてそんなに落ち込んでいるんだい?」

そう言って女神様はニヤニヤと笑い始めた。

太郎、お前の力が必要だ。私のために働きなさい」

他者はお前の存在否定しているが―――お前には特別な才能がある。私にはそれで十分だ」

「奴らはお前に嫉妬しているのさ」

特別なお前には特別な使命がある」

女神様の言葉が何度も頭の中でリフレインする。

女神様のおかげで俺は生きる希望を取り戻し、前を向いて歩き出すことができた。

そして俺は生まれ変わったのだ。

今の俺は女神様に仕える忠実な僕であり、世界最強のヒーローなのだ

2022-11-13

Adoの曲を聴いて昏倒しそうになった

さっき近所のスーパーに行った。店に入ると変な歌が耳に入ってきた。

「なんか嫌な曲だな」と思いキムチ刺身をかごに入れ、レジに向かおうとした瞬間「新世界」という歌詞が聞こえた。

Adoの曲だこれ!

自分は慌てて耳をふさぎ「安倍晋三」のような頭に思い浮かんだ単語念仏のようにとなえその場にうずくまった。

過呼吸状態になり意識ももうろうとすること数分、ようやく曲が終わり塞いだ耳をあけレジに向かった。そして会計後慌てて店を出た。

しかし耳の中には「新世界」という曲の一節がこびりついていた。それがリフレインするたびに呼吸は荒くなり、意識ももうろうとした。一回吐きそうにもなった。

曲が耳に入って40分ぐらいたってようやくちょっと動けるようになった。

 

別にAdoが好きなら好きでいいけど、自分のように体調を崩すレベルで嫌いな人がいることも頭に入れてほしい。

公共の場で流すな。

2022-11-03

anond:20221102172652

熊ってやっぱメタファーとしては毛むくじゃらの男性だとおもうんですよね

しりとかだしたら一等賞ってそれかくれんぼの遊び方じゃないですよね

だと順位をつけたのはくまおじさん側の中のなにかの品評基準な感じがする

しりみえたら一等賞って採点方法だね

夕焼け小焼けは黄昏時昼と夜とが混じって世界が見えにくくなる時間帯だね

また明日リフレインかくれんぼのらしき分散配置と接触関係性をもっていた子か娘か指定がないので人間の年少者に限らず自分の愛でる対象たちの別れの様子なのかそれとも自己反復いいきかせでくまおじさん内部で反復してるのか謎がふかまります

いいないいなは自己評価自分人間でこんな楽しみを味わえるなんていいものだということとまた明日意味で中身がおおきくかわるかもしれない

一日の終わりはプライベート時間他人時間妄想したりするということはもうすでに脳内ではキャプチャーしてるということですよね

黄昏からの娘か子かのそのことの時間がもう現実妄想かわからなくなってる

僕もお家に帰ろうというのは今日ルーチンをおさめようということだよね

なにかひとしきり達成したんだ

でんぐりがえるは天地がひっくりかえる体験感覚表現だよね

黄昏時になり何かが天地逆転してもわからない感覚になってバイバイとなにかに別れを告げる

しかバイ奇数バイバイだけじゃない

いったいバイとは何なのか何をしたのか何を達成したのか

きになるとこかなって私は子供心にきいてたよ

2022-09-12

リン単体】

東京テディベア

・右肩の蝶

・Q

ロキ

・ロストワンの号哭

炉心融解

アンチクロロベンゼン

代表曲って感じなので既に知ってる、もう勧められてるかもしれないけど一応!

・天樂

いろは

DIVAにも収録された和風イケリン曲2つ!

天樂のDIVAPVはかっこよすぎてどうかしてる。

いろは唄は発売わずか3ヶ月でこんなリンが出たのか!?となる原曲PVイラストが妖艶なイケリン

アンデッドエネミー

おこちゃま戦争や劣等上等のギガさんが関わってるのもあってか、ギュンギュン疾走するような曲。

PVオリジナルキャラのみ…と思いきや……イケリンなのは確か。

天才ロック

→今年のマジカルミライ披露された曲。

リンのかっこ可愛さにぴったりで、選曲した人GJと思った。

自分ライブ見れなかったんだけど、現地組や配信からモニターに映ってたのがイケリンと評判だったので、公式のまとめ動画円盤でそのイケリンの姿が見れるのかも?

原曲PVオリジナルキャラ

マイリスダメー!

可愛い系かと思ったらギターが効いためちゃくちゃかっこいい曲だった……巻き舌にも注目。

タイトル

pixiv鏡音14thにも関わったあ子さんの曲。

ひたすらまっすぐにリンのパワーをぶつけてくる曲で、最近おすすめ

鏡音

下剋上(完)

・劣等上等

→劣等上等は有名すぎるけど、ぜひ下剋上を聞いたことなければこちらを聞いてから改めて聞いてみてほしい!

あんまり言われないけど、劣等上等がちゃん鏡音イメージソングだってわかる。

激しいかっこよさよりも、強かさに近いかな?

(・ごみばこ)

サルベージ

→レンの曲の続きなので鏡音扱いで。

まず曲のストーリー的にイケリンだけど、歌詞言い回し?も随所でかっこいい。

伏せるけど「あたしも○○○○○○のかな」は特に好き!

・好敵手愛憎歌

・バッドパートナー

比較最近の、最高のライバル関係鏡音の歌2つ。

(かっこいい曲とは少し違うけど好敵手愛憎歌の雲丹さんが作ったリン曲「ここに愛があるのに」はリングロウルがとても良いので勧めさせてくれ)

鏡音八八花合戦

最近PC移植DIVAに再録されて少しだけ話題になった曲。

なんといってもリン和風男装(レンは逆)が特徴。

原曲DIVA音源が違っていて、原曲ギター強めで調教がかなり凝っていて良い意味で別人級。

DIVA三味線?強めで調教シンプルだけど聴きやすいので、どっちが好みかは人によるし一長一短かな?

・ジャバヲッキー・ジャバヲッカ

天才ロックと同じ、カラスヤサボウさんの曲。

曲が進むにつれてどんどんにぎやかになって盛り上がってくる。

リンは囁き声から声を張ったロングトーンが印象的。

ハウトゥー世界征服

東京テディベアやロストワンの号哭のNeruさんの曲。

この曲は2人の高音が綺麗…というか、Neruさんの曲はかっこいい鏡音が溢れているので他の曲も是非。

・I WANNA TRUST YOU

鏡音としては珍しい、大人っぽいかっこよさ。

2人とも声音が低くて、なかなか他の曲では聞けない声が聞ける。

カバー

・アンハッピーリフレイン

パンダヒーロー

→どちらもおればななさんが調教されてる/参加されてる鏡音カバー

元々サビの盛り上がりが凄い曲なのに、さら鏡音のパワーが上乗せされてる王道調教

リン

・夜咄ディセイブ

オツキミリサイタル

鏡音

アウターサイエンス

ポーカーフェイス

→ウミノロキ/三枚Pによるパワフルカバー

基本的に全編力強い歌声なのに、サビになるともっと盛り上がる。

特にアウターサイエンスの迫力は半端ない

【番外】

かっこいい曲からは少し違ったり、他であまり勧められないかもしれないからここで是非勧めたい曲

・South North Story

悪ノ娘/召使で有名な悪ノPと、トークロイドネタ曲が有名なゆにめもPのコラボで、2人の似てるようで違うリンの曲。まさに可愛い感じとかっこいい感じ、2人の声の違いに注目。

リンレンラリリン

上記のゆにめもPの曲で、鏡音公式コンセプトの「パワフル&チャーミング」そのものな曲。鏡音appendの公式デモソングにもなっていて、原曲を知ってるとクスリとできる小ネタあり!ミクもいるよ。

師匠なフタリ

リモコンいいねってYEAH!などの有名鏡音P、ワンオポ(じーざすP)さんが鏡音10周年の時に書いた曲だけど、あまり他でピックアップされなさそうなので。

そもそもじーざすPの鏡音は2人のわちゃわちゃ間が楽しいからピコピコかっこいい曲が揃ってる。

わちゃわちゃしてる時のリンの印象も、よく担当するグライダーさんのイラストもあってか女の子ではあるけど中性的で、どこかゆるい感じもあって良い。

悪ノ娘 (・悪ノ召使

(・囚人) ・紙飛行機

(・soundless voice) ・proof of life

通称鏡音三大悲劇」。

それぞれ悪ノP囚人P、ひとしずくPが投稿した、リンレン一対で切ない物語曲。

たぶん鏡音物語曲が多いのにこの3つ、特にボカロ小説の始祖、悪ノ娘の影響は大きいと思うので、知っていて損はないはず。

・垂直落下

→全体的にそっと囁くようなピアノ曲…かと思ったら一気に鏡音のパワーが襲ってくる……!

自体はかなりしっとりしているけど、確実にパワフルな歌声が活かされてる曲。

しろそこまでのギャップ的な意味でよりパワフルに感じる。

mirror

鏡音の没設定のようなもの、お互いが鏡に映った存在である「鏡設定」のイメージな曲。ツインボーカルであることが活かされた、まさに初期の名曲

・私の時間

3DSのproject miraiに収録されたボーカルチェンジで、ミクの原曲に対してリン、レンそれぞれのカバーがある。注目ポイント歌詞が変わっていることで、ところどころ3人に付けられた個性が出ていておすすめ

ちなみに昔の二次創作ボカロ自分のPを「マスター」と呼んでいるのはこの曲が影響しているとの説が。

・Welcome to the Mirror Sound's Kingdom

→三大悲劇の1人、ひとしずくPが作った、言ってしまえば「鏡音こちらを沼に引き摺り込んでくる曲」。

ひとしずくPの曲はよく美男美女が得意な鈴ノ助さんがイラスト担当することもあって、結構大人っぽいリンがいたりする。

(・ナゾトキ

ナゾカケ

→レンの曲のアンサーソング

曲はゆったりめだけど、この曲のリンの「意志の強さ」的なかっこよさがあるかな…と思ったけど、やっぱり曲の印象としては離れるなと思ったのでここに。

・怪盗ピーター&ジェニィ

リンにしては低い音程を歌っている曲。

レンを振り回すわがまま女の子的な性格だけど、小説版では「弱さ」が出ていたからか、原曲の方はより「強い」という感じがして良い。

特にラストサビのリン言い回しがかっこよくて好き。

☆Earthy X6 さんのカバー片っ端から

YouTubeでプロサカの曲を中心に、クリプトン6人の神調教カバーを量産している外国人Pさんで、まずハズレがない。

プロセカのオリキャラ歌唱抵抗があったり、プロセカのボカロの出番、バチャシンver.未収録、調教の拙作さにがっかりした人達への一筋の救い。

パワフルでリアル調教に定評があって、特に評価の高いMEIKOと同じパワフルシンガー鏡音も思う存分力強い歌唱を発揮してる。

個人的おすすめなのは

鏡音ロウワー

6人→シネマ、RAD DOGS、限りなく灰色へ(リンメインめ)

だけど、正直どれもすごいから気になったの全部聞いてほしい。

2022-09-08

ヴィパッサナー瞑想合宿の持ち物で便利なものを書いておく

春頃に行ってきて時間が経った今でもかなり行って良かったと思ってるヴィパッサナー瞑想

スピリチュアルを舐めきっている俺でも結局今のところかなり生活に役立っていて、瞑想自体サボりつつなんやかんや続けています

で、基本的に「行くときに持っていく持ち物ハウトゥー」なんかは公式から連絡があったりするのですが、10日間の合宿ともなると快適な住環境必要になるわけで・・・

改めて後学のため・備忘録としてネットに残しておこうと筆を取った次第です。

(というか、「自主的に持っていくと良いもの」みたいな記事っていろんなスピ系のサイトなりアフィブログなりがネット上に無限にあるんですが、マジで内容スピリチュアルに偏りすぎていたり、

個人的に「これいらね~」「これ書いといてよ~」「ビュー数稼ぎで中身無いやんカスアフィブログが……」「現在施設改善してるから要らなそう」みたいなやつが結構あったので、そんな痒いところに届くような内容を残しておきたいなと)

※下記は京都ダンバーヌでの合宿の際の所感です。

千葉ダンマーディッチャでは環境等が異なり必要ものも異なる可能性が高いです。あくまで参考程度に。



持って行ってよかったもの、欲しかったもの、いらなかったもの一覧



まずは一覧。星マークのもの特に必須と感じました。

持って行ってよかったもの

持っていけばよかったもの

いらなかったもの



では、以下それぞれの詳細


【持って行ってよかったもの



普段使っている枕

かさばるから持っていくかギリギリまで悩んだけど、本当に持っていって良かったです。

合計12日間の合宿10時就寝〜4時半起床の生活

普段Vtuberみたり友達と朝までDiscordばかりの私からしたら、慣れない環境での早寝早起き自体シンプルに難しかったです。

もし枕が頭に合わなかったらより絶望的だったと思う。

ちなみに京都ダンバーヌの枕はパイプ枕でした。普段パイプ枕の人であれば不要かも。

耳栓アイマスク

絶対必須。予備すら持っていても良いかも。

同室の二人がマジでイビキと寝言がやばかったのであってよかった。

他の部屋は寝言独り言ヤバい奴が居て大変そうにしてる参加者もいました。


☆尻の下に敷くクッション

これもかさばるのでギリギリまで悩みましたが、最終的には持っていって良かったです。

普段生活では「1時間微動だにせず座り続ける」なんてことが無いので「クッションとかいらないでしょ」と思っていたのですが、

人間1時間も座り続けると、どんな体勢であれ体は痺れるし、痛みも激痛に変わっていきます

マジでどんなに崩しても超痛い。むしろ崩せば崩すほど、時間経過とともに体中が痛くなる。

瞑想中は体の正中線意識して、背筋を伸ばして座り続けるのが最終的にはマシな体勢でした。

この体勢の維持 + 痛み軽減におしりの下に敷くクッションが大活躍してくれました。

瞑想センター自体にもクッションや座布団等があるのですが、数に限りがあります

個人的には使ってない枕やクッションとかでも良いので、持参するものがあると便利だなと思いました。

僕は家に余ってたゆるめの低反発枕を持っていきました。


100均の旅行シャンプー

活躍センター常備のココナッツ洗剤はイマイチ洗浄力が弱く、シャワーにやや時間がかかります

シャワールームを利用できる時間には限りがあるので、旅行用のシャンプー10前後でガーッ!!っと短時間で洗うのがおすすめ

他の利用者時間も圧迫せず最高。


☆速乾タオル

活躍。すぐ乾くので朝の洗顔・夜のシャワーで使う→干す で、なんと期間中1枚で乗り越えられた。

雨が降っても速乾ならそんなに問題なし。2~3枚あればもっと余裕かつ快適。


水筒100均のプラスチックの蓋あるもので可)

セリア適当に買ったスポーツ用の700mlの水筒

マジで活躍700mlもあるとごくごく飲んでも中々減らない。


☆箱ティッシュ×2(※アレルギー性鼻炎持ちのため)

くしゃみや気温差による鼻水などが多く、人より消費量が多い自信があったので、箱ティッシュを2箱持っていったがマジで大正解

6日目で1箱終わってちょうどぐらいの感じでした。

合宿場のティッシュは共同なので気にせず使いたいという人は持っていくのをオススメします。


クロックス

必須トイレシャワールーム散歩できるスペースは外にあるため、クロックスが大活躍

「土でドロドロになるからアウトドア用の靴が良いかも」みたいな記事も見かけたけどそんなんいらんかったわ。しまむらとかの雑クロックスもどきで十分。


・防水ポーチ

100均の適当PVC素材のポーチを持っていった。

髭剃り、歯ブラシシャンプー洗面所シャワールーム)の棚に置いておける。


・髭剃り

個人的にはひげがない方が瞑想やすかったので、普段使いのシェーバーを持っていって正解だった。


・大量のマスク

マスク匂いがついたりすると、瞑想時に気を散らす原因になる。

換えを使いやすいように1日1枚ずつ計算で持っていって正解でした。


・コップお椀皿などの食器セット

家に余ってたコールマンの一体型のセット+セリアで買った箸スプーンフォークが1ケースに収まるものを持っていきました。

そば、炒めものパスタご飯味噌汁等が出るので「器、器、皿、コップ」の4つが同時に使えるようなセットがあると便利でした。

食器が足りない人は結構苦戦していた様子。


食器にかけておく布(袋でも良いかも)

食堂上記食器セットを置いて置くときに使います

ホコリ防止+自分のスペースをわかりやすくするためにも適当バンダナとかをかけておくのがちょうど良かったです。


・皿洗い用のふきん×2

瞑想センターからの連絡では「3~4枚」と書かれていたが、個人的には1~2枚でも良かったなと言う印象。


・常備薬(※コース開始時にはコースマネージャーへ渡しておく)

瞑想間中基本的には頭痛薬・サプリメント・精力剤・カフェイン錠剤などを含むお薬の使用を非推奨としています

とは言え、持病がある方や偏頭痛持ちの人など「どうしても無理」となってしまう状況もあるかと思います

そんな場合に向け

○お薬は一応持っていっておく

コース開始時のスマホと貴重品を預けるタイミングで一緒にマネージャーに預けておき、どうしても駄目なときにだけ取り出す

という形を私はおすすめしたいと思います。(10日間の修行に挑むために予め懸念事項を減らしておくことは特に大切と感じました)

鼻炎が他の人の集中の妨げになりそうだったので、一度アレルギーの薬はもらった記憶あり。


・衣類などの圧縮袋(100均)

枕などかさばるものを持っていったので、収納下手な私にとってはかなり大活躍

コレもセリアで購入。掃除機不要の奴がオススメ


【持っていけばよかったもの




☆長ズボン(半ズボンマジでNG理由は後述。)

「肌の露出が多い服は他の参加者の集中の妨げになるので避けてください」と注意文があります

私はこれを女性向けの注意事項かと思って、丈が長い半ズボンばかりを持っていってしまいました。大失敗。

ジャージパンツスウェットパンツもっと持っていけばよかったです。

「男をエロいと思うとか無いっしょ」って思ってましたが、人間10日もシコらず修行させられ続けると、ヤバイ煩悩の均衡が少しの衝撃で崩れそうな状態にまで行きます

本当に気が散りますしまた他参加者迷惑にもなりますので、なるべく長ズボンを多く持っていきましょう。

ちなみに、私の行ったコースでは「寝るとき(且つ公共の場所にいかないのであれば)寝苦しくないように半ズボンOK」と最初イントロダクション時に回答を得れました。寝やすくてめっちゃ助かった……。

ルームウェア的なズボンも1~2枚は持っていっても良いかも。


ヒートテックと半袖シャツ、ジップアップの布パーカー1枚(着脱しやすものショールやネックウォーマー

京都瞑想センターは山奥のため気温差が本当に激しかったです。

ヒートテックも半袖も足りなくて困りました。

あと着脱しやす上着も持っていったら便利です(ユニクロGUあたりのジップアップパーカーとかカーディガンとかオススメ

昼間は半袖、夜はヒートテック+厚着なんてこともしばしば。たまたま持っていたネックウォーマーは大活躍してくれました。


目覚まし時計

朝は鐘がなるし、「チープカシオの目覚まし機能もあるからいけるっしょ~」って思ってたらマジで起きれない日ばかりでした。

起こしてくれたコースマネージャー管理人)さん本当にありがとう・・・寝起きに自信の無い方は小さいもので良いので目覚まし時計を持っておくと良いです。

いらなかったもの理由を一覧の中に書いといたので割愛です。



終わりに


12日間ネットも断って、人との交流も断ちながらの合宿

持ち物の準備に悩む方も多いかと思います。そんな方の一助になれば幸いです。

あとついでにスピ系のブログの内容がスピリチュアルに傾きすぎて俗なレポートが無く、

なんかムカついたので、一般Vtuberオタクっぽい経験談適当に置いておきます


余談の経験談


https://www.youtube.com/watch?v=zjz_EnV6wNA



広瀬香美最後まで生き残ってずっと集中をかき乱してきてマジで最悪でした。

https://www.youtube.com/watch?v=UfEIharoOH0



  • 友人から「こっそりシコれ!!」と言われてましたが、本質情報を言うとシコらない方が瞑想修行にとっては得です。

  • 7日目ぐらいの夢でメスガキサキュバスが出てきて「シコっちゃえ~♡」みたいな感じの夢を見て、凄まじい殺意が湧きましたメスガキに。





[追記]増田初めて使ったけど「続きを読む」のはてな記法が使えないのめっちゃダルくてワロタ 長文すみません

2022-08-18

とあるsmall_giantの話

 ふと、広大なネットの海に彼の断片が揺蕩っていないことに、一抹の寂しさを覚えたので。

 彼に逢ったのは大学2年の春のこと。九州出身の僕にとって、コートが手放せない北関東の春寒に辟易していた頃であった。

 新歓委に適当に名を連ねた自分は、準備のために何ひとつ手を動かすこともなく、当日ふらりとやってきては三枚目を演じる役目に殉じていた。

 定かではないが、正確にアイデンティファイしたのは、何度目かの食事会のことであったろうと思う。えらく目に残る濃紫のダウンコートに、これまた鮮やかなスカイブルーボトムス、黄緑のリュックという出で立ちで、ママチャリを漕ぐ小柄な姿に、台湾の街なかをゆく人を彷彿したものである

 彼が口を開けばすぐに明晰さに気がついた。女史の多い学類の中で数少ない男子、話を聞いてみると、さらマイナーなところで史学徒志望とあっては、親交を温めるに十二分であった。必然的に同じ授業を受けることになり、同じ時間学生控室に居ることになった。

 半年も経つ頃には、先輩風なぞ吹かせられないほど優秀であることを思い知らされた。彼の謙虚姿勢で分かりにくかっただけで、史学は勿論、政治社会哲学文学芸能に至るまで幅広く人文学素養を蓄えているさまは、正しく博学才穎と評するに値する。

 なるたけ楽をしようという学生対照的に、彼は努力の人でもあった。史学徒らしく先行研究を丁寧に洗い、批判的思考の先に論理的な積み重ねをするといった基本を忠実に守り、そしてその先を直向きに追究していた。

 彼の尊い所は、それらの要素をコメディカルに自嘲し、扮飾していることであった。口癖に「チャップリンのような男になりたい」と言っていたが、恐らくはそのあたりに起因するのだろう。オフの彼は道化であることを心がけていたように思える。

 実際、彼が醸し出す人間的魅力は、接する多くの人々の心を開かせてきたに違いない。それは悲しいかな、告別式に集まった人の数で可視化された。

 院進を悩んでいた頃、自分の無才さとそれを補えない怠惰を刺激され、逃げるように就職した。

少ない給料でも、彼が困ったときに本代くらい捻出できれば、それで十分だと思って。自分は一線で人類の知を切り開く探求者にはなれなくとも、彼らを応援することくらいはできる、そう思っていた。

 遺された人にはありがちな思考過程ではあるが、彼が居なくなった後の世界は何も変わらなかったことが恨めしかった。まるで彼という存在を皆忘れているかのようで。

 自分もそんな世界の一員だった。彼の告別式でも、その後一人で2月の寒空の下をバイクで3時間走ったときも、ひとつぶの涙も出やしなかった。次の日にはケロッと出勤した。

 暫くして事後処理で窶れきった主査先生手紙を書いたとき、初めて涙が溢れた。「彼の分まで生きましょう。彼もきっとそれを望んでいるから」と、宛てたのは先生へだったが、届いたのは自分のところだったのだろう。

 思いきり泣いたことで随分気持ちは楽になったのだが、前よりもずっと、フラットに彼と向き合える自分がいることに気づいた。それは嬉しいことだった。少し遠いところに行ってしまった、くらいに思えて、以前よりずっと身近に彼がいるような気がするからだ。聖書にある「神に近づいた」状態と似たような心持ちなのだろう。

 以来、こうやってことあるごとに彼を思い出すわけだが、そのたびに僕の中の彼が記憶リフレインだけでなく、その先の知新を促す。僕は過去の一時点に比べて、ずっと世界に対して心を開けるようになった。

 彼がやっていた南相馬農村社会史を引き継ぐことはできないが、彼がやろうとしたこと自分にも引き継げる。今、僕が眼の前の人々を愛し、その未来へと思いを馳せることを大切にしているのは、きっと彼がそうだったからだろう。

 彼の不在は世界を変えなかった。だが、彼の存在は僕の視座を変え、そして僕からまた誰か別の人へ伝播する。それが世界を変える頃に、誰も彼の名を知らずとも構わない。よもや小汚い小男から手渡されたバトンだとは世人も思うまい。彼という人間の射程の如何に大きなことか。

 君がいなくなっても地球は回り続けている。コロナで世の中がひっちゃかめっちゃかになって、東京五輪があって、君の好きだった能年玲奈は今も芸能界で頑張っていて、相馬の野馬追祭りは久しぶりに開催された。国会は相変わらずだけど、安倍さんのことは、そっちに行ったから君のほうがよく知っているだろうね。

 どうか、もう少しそこで待っていて欲しい。君の好きな偉人たちがごった返しているだろうから、ヒマはしないだろう。僕はもう少し僕にしかできないことを探してやってみるよ。また会えたときには色んな話をしよう。

 僕の忘れられない愛すべき小さな巨人よ、安らかに眠れ。

追記

コメディカル」は「コミカル」の間違いです。

今後の反省として本文はそのままにしておきます

2022-04-30

夢に松任谷由実が出てきて年を取りたくないと直観した

 

 久しぶりに松任谷由実の曲を聴きながらこれを書いている。明け方の夢のなかに松任谷由実が出てきたからだ。

 ゆうべ私は、エイジングアンチエイジングについて書籍や文献を整理していた。だからしなまで、健全に年を取ってゆくとは何か、思春期が終わって中年期が始まって、それから老年期に至るとはどういった変化なのか、自分自身のことや家族のことや友人のことを考え続けていた。そうしていたら、今朝、悲しい夢を見て目が醒めたのだった。

 夢は、どんなに意味不明な内容でも、夢を見た本人には意味直観されることがよくある。今朝の夢もそうで、とりとめない日常生活連続からなるシーンの最後に、私は無意識からメッセージを叩きつけられた。

 古いスケジュール帳と、今は亡きはてなダイアリーの画面が夢のなかに現れて、そのとき松任谷由実リフレインが叫んでいる』が頭のなかに響いた。その瞬間、私は今という時間過去になりつつあることを悲しく思っていること、今を手放したくないけれども時間が押し流していってしまうことを直観してブルー気持ちになった。

 今が終わりに向かっていること、時間が流れていくことを、私は怖いと思う。

 たぶん私は幸福中年だ。私が、今の私でいられることをうれしく思っている。仕事はそれなり充実し、長く連れ添った嫁さんとの仲も良いほうだと思う。日本人夫婦セックスレスになっていくというけれども自分たちはそんなことはない。回数は減ったけれども、若い頃よりお互いのことをよく知っているか幸せ時間を過ごせていると思う。そして嫁さんはまだまだ綺麗だとも思う。

 けれども、そんな夫婦の今さえ永遠のものではない。時間が押し流していく。

 10代や20代の頃は無尽蔵に思えた性欲と精液が30代にはそうとも言いきれなくなり、40代になって更年期足音が聞こえてきた。インポテンツには遠いけれども、自分の性欲や精液を慈しむように、丁寧に取り扱わなければならなくなった。性欲や精液をどこに差し向けるのか、宛先が嫁さんなのか、アドマイヤベガなのか、かわいすぎる涼宮ハルヒなのか、ともかく、貴重な資源として分配しなければならないものになってしまった。性欲はもう、川から汲んでこれる水のようなものじゃない。いつか枯れる化石燃料のような資源だ。昔どこかの本に書いてあった「精液をケチ中年男性」というフレーズ意味が今は実感を伴ってわかる。若かった頃は、そんなバカなと思っていたものだが。

 そうでなくても、私も、家族も友人や知人も諸共に年を取ってゆく。体力や思考力にも限界がやって来る。時代だって変わってゆく。それが定めだ。時間に逆らうのは無駄だ。すべてを変えてゆき、すべてを押し流していく時間法則には絶対性が伴う。私たちは変化する存在で、変化する存在から、変わっていかなければならない:真実としてのそれを、私は学習経験と文献をとおして理解はしている。

 けれどもその理解に対して、私の無意識はそんなのは悲しいと叫び声をあげた。夢に松任谷由実を登場させる、というかたちで。ああ、本当は変わりたくないし、今がいとおしくてたまらないんだなとわかった。これまでの人生でずっと変わり続けてきたし、変わり続けることを良しとしてきたけれども、変わり続けることに不安や辛さを覚えながら、少し無理をして人生モードを切り替えてきていたのかもしれない。それでうまくいっているつもりだった。客観的にはうまくいっているほうだろう。これからだってそうするしかないことを知っているつもりだった。知っている。それでも無意識は、本能は、年を取って変わっていくことを悲しんでいる。

 そういう気持ち松任谷由実を久しぶりに聴いているなかで、今という季節が失われても、その思い出は甘く残るという予感が得られたのは小さな救いだった。今のこの幸福を、二十年後の私が松任谷由実聴くような気持ちで思い出せるとしたら、それ以上を望むのは欲深に違いない。だけどああ、今朝は、若さが失われて老いにとってかわる過程に痛みをおぼえる。10年や20年なんてあっという間だ。その頃の私は、もう今の私ではなくなっているだろう。

 まだしばらく、このままでいられたらいいのにな。いられないのだけど。

2022-04-24

自分ツッコミリフレインする日

この前の金曜日職場の先輩が全身黒い服にサウナハットみたいな白い帽子を目深に被って現れたもんだから、「おはようございます!(トラファルガー・ローじゃん…)」って心の中でツッコミを入れてしまった。

しかもそれがかなりトラファルガー・ローだったせいで、自分ツッコミ自分に刺さってしまった。千鳥だったら絶対に「ちょっと待てぇ!」してる。

来週も週に2回位はトラファルガー・ローで先輩は現れるのかな。

日曜日になった今でも全然笑えるし、何なら2,3時間置きくらいに思い出してる。

こんな日が、ある。

2022-04-06

ある刀剣男士を顕現即刀解している話

三日月を刀解する審神者話題になっていますね。

刀解への否定的意見を目にして悩み苦しんでいる審神者いるかと思うので、何年も前からある刀剣男士(以下A/三日月ではないです)を顕現即刀解している私の話をします。

結論から言うと、顕現即刀解を繰り返すうちにストレスなく刀剣乱舞をプレイできるようになりました。

ドロップや鍛刀でAが顕現したら、ためらわずに即刀解しています

顕現したり演練で当たったりしなければ、Aが存在することすら忘れて毎日プレイできています

私はAが運営に贔屓されていることにモヤモヤしていた所へ、A推しオタク推しや他の男士を馬鹿にされた事がきっかけでAを刀解しました。

Aを見るとそのオタク言動を思い出してイライラするようになってしまったのです。

Aは、好きな男士を10振挙げたらそこに入るくらいには好きな刀でした。

レベリングもがっつりしていました。

最初の一振は何時間も迷ってから「ごめんなさい」と言いながら刀解しました。

Aに罪はない、もう止めたほうがいいと思いながら、Aが顕現すると件のオタク馬鹿にした声がリフレインして苦しくなり、気づくと刀解していたことも何度かありました。

ただ、慣れてきたのかそのうち躊躇せずに刀解できるようになっていました。

辛くなるのは最初だけです。

顕現即刀解、顕現即刀解。

繰り返していればだんだん慣れていきます

と、ここまで書いて基地外じみているなぁと自分でも思いました。

他人推し馬鹿にするようなオタクよりはまともだと思っていますが)

ただAが本丸にいることで嫌な記憶がフラバするのはどう頑張っても止められないので、仕方がないのです。

三日月がいることがストレスになるのであれば、三日月全刀解は視野に入れるべき選択肢だと思います

とはいえ推しを刀解しているわけではない私と、推しゆえに三日月刀解を実行あるいは視野に入れている審神者とでは、あまりに状況が違います

なので私からは、「三日月以外の刀が1振でもいたらすべての三日月を刀解できるシステムである以上、三日月全刀解をやっていけないなんてことはない」とだけ言わせてください。

そして、三日月ではないけれど、すでに特定の男士を全刀解しているユーザーがたしか存在しているよということも言わせてください。

anond:20220406195003

「どうしたらヤれるのか」っていうオスを二分する疑問の答えを持たない連中に共感をさせつつ

脳内リフレイン可能なうらやましい体験ギリギリまで突き詰めたやべー娯楽漫画だと思います

2022-02-20

anond:20220219182902

俺は進研ゼミ人生変わった。

とはいえ俺も元増田の言うように、大量の教材を持て余していた部類だ。小学生低学年の勉強なんて100点取るのが当たり前で、アスペ気味だが平均以上の学力があった俺は進研ゼミの教材なんてかったるくてやってられなかった。立派なゲーマーとなった今でこそ素振り1000回の重要性は心身共に理解できているが、8歳児の俺からすれば2回目の素振りですら苦行であり堪えられるはずがなかった。それでも高い金を払った親は少しでも元手を回収するべく半ば強制的に俺に教材を消化させようと奮闘していた。

とある国語の設問にふと鉛筆が止まった。

https://www.catalina.ed.jp/wp-content/uploads/2018/04/EPSON0191.pdf

朧気な記憶から検索したが、今西祐行「一つの花」という作品だった。

問「そんなとき、お父さんは決まって、ゆみこをめちゃくちゃに高い高いするのでした。」このときのお父さんの気持ちを答えなさい。

今見ても割と難しい問題だと思う。当時の俺にとっては難しいを通り越して意味不明問題だった。高い高いと空腹や貧困がどう結びつくのか?このお父さんは貧困に脳をやられてしまったのではないかそもそもアスペ気味だという自覚すらない頃の俺に人の気持ちなどわかるはずもない。無理なものは無理だと見切りをつけた俺はさっさと解答を見た。

答「ゆみこに今自分が与えられるのは高い高いくらしかないという気持ち

その時俺に電流走る……!

当時の俺にとって正直こそが正義であり、ごまかしやはぐらかしをする大人はみんな悪だった。大人がはぐらかす時はだいたい自分プライドを守る時か子供に余計なことを教えたくない時か単に知らない時だと、今でこそ言語化できるが、当時の俺はなんとなくそんな空気を嗅ぎ取って憎むべき悪だと思っていた。その憎むべき悪であるはずのはぐらかしが、教科書肯定されているだと!?という衝撃がまずひとつ

そして小学校低学年の国語教材なんて概ね素直なものだ。書いてあることを書いてある通りに理解すれば良い。言葉の裏を読む必要なんてない。ところがこの教材は高度な文脈理解必要としており、他の教材と比べても異質であった。小学校低学年にわかるわけがないと思った。これは俺だけじゃなくてみんな理解できないんじゃないかと思った。なんでいきなりこんなレベル差のある設問が?という衝撃。事実そのとおりで、後日学校でこの教材を扱う授業があり、先生が同じ質問をした時、それまで我先に手を上げて指名を欲していたはずの無邪気な同級生達は、しんと静まり返ってしまった。

その中で俺は恐る恐る挙手し、進研ゼミで得た通りの解を答え、先生から大いに褒められた。これが3つ目の衝撃だ。進研ゼミ悪魔の教材だと思った。「これ、進研ゼミでやった問題だ!」という言葉が恐怖とともにリフレインした。これは学習ではない。単なるカンニングだ。先生は俺がどうやってこの答えに辿り着いたと思っているんだろう?

今となってはこれも立派な学習だったと言えるようになった。小学生勉強なんてコピペで良い。原理原則理解大事だが、守破離の守を徹底することもまた大事で、とにかく大量の型を身につけることが重要な時期でもある。あの衝撃があったからこそ俺は文学の楽しさを理解できるようになった。

だがその後しばらく進研ゼミの教材は俺のトラウマとなった。アレは禁断の果実だ。手を出してはいけない――。

今の俺は巨人の頭頂にのり引かれたレールを爆走し人類の集積知を貪り食う日々を送っている。それでも進研ゼミと聞くとあの日の衝撃を思い出す。

2022-02-14

ゆゆ式かいう本当の意味時間ループしている日常系作品

多くの日常系では同じ1年間を繰り返してしており3月の次にはもう一度同じ4月がやってくる、しか記憶人間関係を引き継いだ状態いわゆる”強くてニューゲーム状態時間が巻き戻るのに対して、ゆゆ式では「2度めの4月ではなく1度目の4月の別のシーンに戻る」という構造を取っているのが特徴の一つ。

例えば「2年生の5月に仲良くなる新キャラ」がいるとして、普通の歳を取らない系だとループした後の4月に「仲良くなった状態での新キャラ」が普通存在している。つまり2周目の4月の新キャラは登場してから11か月目の新キャラということになる。次の4月には23か月目の新キャラになっており、その次の4月には35か月目の新キャラになる。

これは名探偵コナンなんかを見るとよくわかるんだけど、灰原や赤井安室はかなり巻が進んでから登場した「新参キャラだけど、いつの間にか「同じ1年間」のオールシーズンを通じて登場するキャラになっているし、季節が進むごとにどんどん関係値が高まっていっている。決して季節が一周したからと言って関係値がリセットされたりはしない。

同じ1年を過ごしているかのように見えて螺旋のように関係はどんどん前に進んでいっている。

それに対してゆゆ式は「2年生の5月に仲良くなる新キャラ」は「次の2年生の4月」には登場していない。これに関しては作者も「5月までは仲良くなってないから出せない」と明言しており、ゆゆ式時空では「関係値の引継ぎは行わない」という明確な意思が見て取れる。また特定の月を跨ぐか跨がないかで「キャラ呼び方が変化」したり、備品状態がかわったりとかなり厳格な時間管理が行われている

まりゆゆ式に関しては本当の意味で「時間ループしている」作品なのだ

ゆゆ式は2年生の3月の次には2年生の4月に戻るが、4月になると必ず状態リセットされる。

サブキャラである岡ちーやふみおは登場しなくなり、部室のロッカーシールはなくなり、唯の胸は縮む。そしてそこからもう一度時が進む中で岡ちーやふみおが登場し、ふみおの呼び方がふみちゃんに変わり、部室のロッカーシールが増え、唯の胸がデカくなっていく。

そうして3月が過ぎるとまた2年生の4月がやってきて、すべては元に戻る。

だがゆゆ式の中ではたびたび3年生になって卒業していくことに対する不安希望が語られる。

いつかは終わっていく関係示唆しながらも、何度も同じ1年の違うシーンがリフレインする。

1度しかない高校2年生の1年間を大切にするゆゆ式が俺は好きだ。

ゆゆ式はいいぞ。心が豊かになる。

2022-01-21

[]1月20日

ご飯

朝:なし。昼:パスタセット。夜:サラダチキンサラダカップヌードル納豆

お菓子チョコをちょこっとだけ。

調子

むきゅーはややー。お仕事は、イマイチ

遅くまでで残業したが進捗はイマイチ

このままじゃ土曜日出社するかも。うまくいかないなあ……

リフレインかな?

疲れた

グランブルーファンタジー

古戦場なのに全然遊べないの悲しいの。

お仕事頑張るの。

リフレインkな

2021-12-09

anond:20211209124313

〜とか好きそう→趣味趣向を否定した時に対句が入る

〇〇特有のとか〇〇っぽい→対句とは限らない

からお前の行為リフレインになっていない

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