はてなキーワード: リフレインとは
「人生の平手打ち」の後の話。その置屋のベトナム人の女の子を、その後もお持ち帰りした。
ちな1回US$5で、持ち帰りはUS$20だ。
持ち帰りしたのは下條さんがお歳がお若い下條さんのお気を「僕ね、あの子持ち返っちゃうよ」と、
なんか重大な決断をしたかのように言って、「増田君も、持ち帰ったら。ほら、友達だし」とワイにも勧めてきて、
断る理由も無いし、置屋の女の子は外出が楽しみだから、ワイも持ち帰ることにした。
部屋着のシミーズを着替えてお出かけ用の黄色いTシャツとジーンズで出てきた。
ホテルまでバイタクに3人乗りして移動。それからどうしたっけ。
下條さんは「僕は、これからちょっと。へへへ。また後で」と、女の子と部屋に消えていった。
僕はどうしたっけかなー。少し昼寝して、女の子も昼寝したかなー。
2時間くらい寝て、寝ぼけ眼でいちゃいちゃして、ベッドで裸になって、
一緒にシャワー入って身体を洗い合って、勃起してるちんこをびんびんして笑われて、
こっちが女の子の股に手を伸ばして触るときは、直立不動で感情を我慢してるような。
おっぱいを揉んで乳首を触っても、笑ってほっぺたつねられたり。
脚を広げて、クンニした。最初は「そんなとこ舐めるなんて変」みたいな感じで笑ってた。
ずーっと20分くらい舐めた。おっぱいを揉んだら恥ずかしそうにした。
手でまんこを弄ってると、女の子は目を閉じてて口を少し開けてて、
その時にキスをすると昼間の「ちゅっ」というキスを超えて舌も絡めるようになったけど、
コンドーム取って、着けて、対面座位みたいな感じでちんこを挿れる。
僕は挿れるところを見てたけど、女の子は僕の顔をじっと見てた。
奥まで挿れても、女の子に変化は無い。「あんっ」とか「入った」とか、
置屋の女の子の精神の防衛方法なのかな。せっくすに思い入れしないんだろうな。
ちんこの出し入れの単純動作より、キスとおっぱい揉む方が楽しかった。
なんかの気分の高揚で射精して、それからコンドームの中身を見たり、
トイレ行ったり、ついていったり、裸で部屋の中で過ごした。
なんかジェスチャーと片言の英語で「友達見に行こう」と言うから、
服を着て下條さんの部屋のドアを叩いた。
下條さんは腰にバスタオルを巻いて出てきて、
僕の女の子が入っていって、なんか話してた。
「これからディスコにでも行こうって。一緒に行こうよ。15分待って」
待ってる15分間、抱き合ってほっぺたくっつけてキスしてたかなー。
そのときにもしかしたら「またエッチしたくなった?」みたいなことを女の子は言ったかもしれないけど、
「こっちのほうがいい」みたいな返しをしたのかなー。
エレベーターに乗った時、僕が中国語で「この人は子供が好きなんだよね」と言ったら、
僕の女の子が笑って、下條さんの女の子にベトナム語で言って、その子も笑った。
下條さんは「多分僕の悪口言ってるんだと思うけど」と当たらずや遠からず。
僕の女の子は中国語喋れるんだ。下條さんが「いま台風が来てて外は大雨だから行けないかなー。
Outside is very rainy, storm, can not go to disco maybe」と言うと、
女の子たちは「I go! I can go!」とすごく行きたそう。
僕が「没有問題(めいよううぇんちー)」と言うと、女の子も「めいよううぇんちー!」
ホテルのドアを開けると土砂降りだった。タクシーも走ってない。
「うーん、どうなんでしょう?」「女の子たちは歩いて行くって言ってるみたいだけど」。
女の子たちは二人して腕を上下に動かして「ディスコ!ディスコ!」と言ってたら、
雨が小ぶりになった。大通りにでて乗用車のタクシーに乗って、ディスコに行った。
「やってるかなあ」と思いとは別に、ディスコはやっていて盛況だった。
この国はちょっと姿を消さなくてはいけなくなった台湾のヤクザの流刑地なので、
ディスコのお立ち台ではサングラスをかけたおっさんが激しく踊ってる。
ここからがこの話の本題で、場内がストロボライトで0.5秒毎に真っ暗から真っ白に光る。
そのストップモーションの視界の中で、女の子が僕の顔を見ながら、
と流れてる曲のリフレインを繰り返し僕に言った。
ちょっと目が回る感じがして足元がふらついた。
一緒に帰ってきて、女の子は友達と一緒に朝の4時くらいにお店に帰った。
その時流れてた曲を知りたいんだけど、まず思いつくのがボン・ジョヴィのIt's My Lifeなんだけど、
この曲の発表は2000年5月で、この話は1999年10月の話なので、
その曲のメロディも知らないし、そこのリフレインだけだから何の曲かなんて無いのかもしれないけど、
ボン・ジョヴィ曲はダサい。ボン・ジョヴィは演歌だからな(Livin' on a Prayerしかり)。
せっくすなんて、せっくすなんて。せっくすをとても重要なものにしてて、
それはそれで楽しいのだけど。女の子の前でおなにーしててもいいけど、
他の男となんかしてるのは、平気。知らなければそんな問題無いことだから。
「私も他の男の子と遊んじゃおうかなー」「別にいいんじゃないでしょうか」
女の子も服を脱いで裸になるとき、恥ずかしそうに「裸になるのは増田君にだけなんだからね」と特別感を出す場合、
「別に裸は恥ずかしいものじゃないし」と女風呂より恥ずかしくない風を出す場合、
僕も同じ感じに合わせると、でもちんこは真横に立ってて、それを見てからかうのか、
全然見ないで話題にも出さない女の子。「乳首立ってる」と言うと、カーっと顔を恥ずかしそうに、
「増田さんだって立ってるじゃないですか!」と言い返してくる。
2回射精してもいちゃいちゃしてるとまた大きくなるわけで、
射精すると勃起しなくなるのは間違いで、射精しにくくなるか、何も出なくなる、のだ。勃起はする。
だけど勃起するとまたせっくすしたくなったみないな感じで、そうじゃないから恥ずかしいんだけど、
大人しめの女の子が「何回してもいいですよ。増田さんの全部私で出して欲しい」って言って、
挿れたままいちゃいちゃして「すごくいま幸せー。言葉が変だけど、合体!とか結合!してるって感じで、
■センター効果「キュートデュエット(ステップ&メイク)」について
キュートタイプのアイドルのみ編成されたユニットで、キュート楽曲のLIVEをおこなった時、全員のダンスアピール値とビジュアルアピール値がアップします。
【例】
「ミューチャル」と「コーディネイト」を編成し、重複して発動している状態の場合
→ 「ミューチャル」のスコアダウン効果は適用されず、「コーディネイト」のスコアアップ効果のみが適用されます
【例】
SSレアの「ミューチャル」、および「チューニング」「オールラウンド」を編成し、LIVE中、「チューニング」「オールラウンド」双方が1度でも発動した後に、「ミューチャル」が発動した場合、「ミューチャル」は、最も高いCOMBOボーナス効果である「オールラウンド」のCOMBOボーナス効果を更に極大アップして適用します。
[心ふれあえば]佐久間まゆ
※[心ふれあえば]佐久間まゆは、9月5日 15:00より、「祝!6周年アニバーサリーパーティーガシャ」の<期間限定アイドル>として登場しております!
※「デュエット」「ミューチャル」をもつアイドルは、今後も順次追加予定です。
※「デュエット」については、タイプおよびアップ対象アピール値の異なる組み合わせのセンター効果を、今後も順次追加予定です。
日々のつらさに耐えかねたのび太は、出木杉くんに相談を持ちかけた。出木杉くんはその協力要請をこころよく承諾し、のび太にこう助言した。
*
剛田武くんは少し乱暴な子として職員室のあいだでも有名であった。しかし、公立小学校には様々な問題を抱えたクラスや複雑な家庭事情を持った生徒が数多く在籍しているため、教員たちは剛田武くんの言動にいちいち構っている暇はなかった。
いじめ慣れしている剛田武くんはひとの目に付かない暴力や強奪がうまく、クラスで大きな問題になることはこれまで一度もなかった。それは彼のいじめっ子としてのセンスのよさであり、また「剛田武は少し乱暴な生徒」というレッテルによって彼の乱暴性を個性として許されてきたところがあった。
のび太くんの声なき声を出木杉くんが拾い上げたのは、彼の中にある揺るぎない正義感に加えて、政治的な意味で次第に声が大きくなっていく剛田武くんに対して個人的に嫌気が差し始めていたからだった。のび太くんはそのことも承知の上で、助かるならなんでもいいという気持ちであった。
「でも、どうすればジャイアンに勝てるんだろうか」と弱気になるのび太に対して、出木杉くんはエリートらしい得意げな笑みを浮かべながら、もうひとつ踏み込んだ助言をした。
「ジャイアンに勝ちたければ学校を動かすしかない。学校を動かしたければ、世論を動かすのが有効だ。そして世論を動かしたければ、メディアを動かすんだ」
*
出木杉くんはあくまでもクラスの内戦に過ぎないこの紛争を、"学校ごと"に格上げさせる方針を示した。
まず出木杉くんは友人である朝日くんに情報提供を行った。朝日くんは学校新聞の編集長で、学校新聞の編集室の中でもっとも発言力を持っていた。
出木杉くんはこれまでの剛田武くんによる悪行をまとめた資料(以下、デキスギ資料と呼ぶ)を朝日くんに手渡した。朝日くんはデキスギ資料に目を通しながら、出木杉くんに対してこう言った。
「確かに剛田武くんの行いは非人道的かもしれない。だけど、これくらいのことはどこのクラスにもよくあることだよ。それに、大きな声では言えないけど剛田武くんを敵に回すことは我々にとっても得策じゃない。我々学校新聞が報道することに意義を感じないね」
出木杉くんはその反応が返ってくることをわかっていたかのようにうんうんと頷く。
「確かに。朝日くんの言う通りだ。5年2組のちょっとした暴力なんて、学校にしてみれば裏庭で起きている猫の諍いみたいなものだろうね」
「じゃあどうして持ちかけたのさ、出木杉くんらしくないぜ?」
出木杉くんはその言葉には応えず、にっこりと爽やかに微笑みながら席を立った。
「とにかく、これからも連絡はするよ。記事にしたくなったらいつでも言ってくれ」
*
のび太くんはこれまで殴られた回数や奪われたおもちゃの数を数えて、デキスギ資料をより具体的な数字で補強していた。それはもちろん出木杉くんの指示であったが、出木杉くんはそんな数字よりももっとセンセーションなものの必要性を感じていた。
出木杉くんはデキスギ資料の改訂版を何度か朝日くんに送っていたが、この日はたった一文だけを載せて送った。
「来週の朝礼で、野比のび太氏が剛田武氏に宣戦布告をします。」
毎週月曜に体育館で行われる朝礼では、校長先生のあいさつと各委員会からの報告が行われる。出木杉くんはのび太の所属する美化委員からの報告時間を巧みにハッキングすることで、のび太に宣戦布告を告げる機会を与える作戦に出た。
校長先生の定型的なあいさつが終わり、学級委員会から順に今月の報告が行われる。美化委員会の順番は最後であることは出木杉くんにとって都合がよかった。続いては美化委員会からのお知らせです、という進行役の声を合図にして、のび太くんが全校生徒の前に立った。
のび太は美化委員として、校舎前の花壇が何者かに破壊されていたことを報告した。本来であれば報告はここで終わりだが、のび太は続ける。5年2組の剛田武くんが教室の備品を勝手に持ち出したり、箒とちりとりを剣と盾に見立てて遊び、すぐに掃除用具を壊してしまうことを報告した。そして、剣のように振りかざされた箒によって、自分の肩や腹に青あざができていることを、お気に入りの黄色いカットソーをめくって見せた。体育館内がざわつく。
のび太の手足は緊張で震えていた。声も震えていた。しかし、出木杉くんにとってはそれも計算済みであった。全校生徒はのび太の震えを見て、緊張ではなく剛田武くんへの恐怖心を連想するはずだと確信していた。のび太の震えは、今まさに剛田武くんから殴られてきたかのようなリアリティを持たせていた。また、のび太の弱々しい外見が同情を引き寄せることも計算に入れていた。
教員たちが異常事態に気づき、近くにいた教員がのび太の近くまで駆け寄ってくる。だらだらと演説している時間的な余裕がないことを察したのび太は、演説の最後に剛田武くんを象徴する3つの行為「モノを奪う行為」「モノを壊す行為」「人に暴力をふるう行為」をまとめてこう呼ぶのだと強く訴えた。
「これはジャイアニズムだ」
*
朝礼は中断され、それぞれのクラスがぞろぞろと体育館を出て教室に戻っていく。その道中、全員が校舎前を通る。つまり、破壊された花壇を見るのだ。そして全員のこころの中で先程の言葉がリフレインされる。
「ジャイアニズム」
実際に花壇を破壊したのは出木杉くんであった。しかしあの朝礼が終わったあとに全校生徒が目撃する象徴的なものを壊すことによって、それが剛田武くんによる破壊行為であるかのように印象づけられる。それに、一見は百聞にしかずという言葉があるように、報告を耳で聞くよりも実際に破壊されたものを見てもらうほうが印象に残ると考えたからだ。
次の日には、学校新聞がのび太の演説をトップ記事として伝えた。ジャイアニズムというキャッチーな見出しもさることながら、これまで出木杉くんがデキスギ資料として学校新聞に送っていた剛田武くんの悪行が記事内容に厚みを持たせていた。のび太の演説と破壊された花壇は全校生徒が知っている。それ以外の皆がまだ知らない情報が載っていることにニュース性はある。新聞が貼られた廊下の前で、あれもこれもジャイアニズムだったんだと誰もが語り出した。メディアが動いたことで学校の話題は剛田武くんの悪行に一気に傾くのをのび太は感じた。
「ジャイアニズム」という言葉はあっという間に一人歩きをし出した。具体的な事実であろうがなかろうが濫用され、よくある単なるケンカではなく、ジャイアンという特別な力による暴力であると印象付けることに成功した。
剛田武くんは怒りに震え、一度教室でのび太の胸ぐらを掴んだことはあったが、周りの目が明らかに自分を悪者として見ていることに居心地の悪さを感じ、それ以降はのび太を無視するようになった。クラスだけでなく学校中から悪のレッテルを貼られた剛田武くんが廊下をとぼとぼ歩いていると、教頭先生が「剛田くん。放課後、校長室に来なさい」と声をかけた。しょんぼりしながら小さな声で返事をする剛田武くんの背中はこれまでにないくらい小さく見えた。
のび太はその様子を遠くから眺めていた。気が付くとのび太の隣には出木杉が立っていて、ふたりで剛田武くんの背中を眺めていた。
最初にのび太に助言したときのように、出木杉くんはエリートらしい笑みを浮かべながら言った。
「でも間違った情報もあった。ぼくがジャイアンや妹の悪口を言ったがばかりに殴られたこともジャイアニズムとして処理されてしまったし、それに、花壇を破壊したのは出木杉くんだろう?」
「花壇を壊したのがジャイアンだなんて一言も言ってないよ。君の読み上げた原稿にも書いてないし、学校新聞にも書いてない。みんなが勝手に誤解したんだ。でもまあ、実際に剛田武くんが花壇を踏みつけたり蹴り飛ばしたり姿を見たことがあったんだ。後日誰かがきれいに整えたので、ぼくは破壊されたときの様子を忠実に再現した。つまり演出したんだ」
「危なっかしいね」
「そうさ。情報の誘導の仕方次第では、世論はどちらにも傾く可能性があったんだよ」
「でもきみは上手に情報を操作することで、クライアントであるぼくを勝利に導いた」
「ジャイアンに勝つにはそれしかないんだよ。ジャイアンが実際の暴力を行なってくるのであれば、きみは虚構の拳を振るわなくちゃならない」
「虚像の拳か。情報は武器になる、っていうのはこういうことなんだね」
感心するのび太の顔を見ながら、出木杉くんは微笑んでこう言った。
「いいかい、のび太くん。情報を武器に仕立て上げる何者かが、その背後には常にいるんだよ。仕掛ける必要のなかった戦争、次世代通信規格の主導権争い、あるいは新型コロナウイルスのワクチン接種まで、情報を武器に扇動する者がいることを、もっと意識しなければならない」
<おしまい>
※この記事はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。のび太やジャイアンといったキャラクターたちは実在しますが、記事中のような人格ではありません。ジャイアンお誕生日おめでとう。
結婚式行くたび、「家族と仲がいいこと」「信頼できる異性のパートナーと生涯共にする約束をしていること」の圧倒的正しさに当てられて、死にたくなる。
家父長制の正しさ、やばい。いままで聡明で自立してると思っていた女友達たちが、結婚式でキラキラしてる様を見ると、ああやっぱりそっち側だったのかって悲しくなる。でもそりゃきれいにして愛されてることをみんなに誇示できるんだから、結婚式、楽しいよな。そりゃそうだ。
結婚式を挙げられない側の敗北感をこれでもかと味わう3時間のための、3万円、プラス、ドレス代と美容院代と交通費。泣けちゃう。遠方だったら合計6万円くらい。いい旅行かよ!!!しかも最近はコロナのリスクもあるんだぜ。
でも友人のことは好きだから、祝いたいよ。祝いたいから行くよ。でも死にたい。結婚式いくたび、わーーー死にたいーーーーって頭の中でそればかりリフレインする。
ボカロの歴史についてはドにわか…というのもおこがましい、ドシラソファミレドにわかだ。
初めて聞いたボカロは覚えていないが姉がイカサマライフゲームを聞いていたのが最後の記憶
昔、学校でミクが流行っていたから初音ミクプロジェクトミライを買ってもらった。
今思えばこの頃の環境が一番オタクに優しかったな、カースト上位が全員オタクだったから
やってみて好みだなって思ったのがささくれPとピノキオPだった。これが出会いだな。
母親に頼んでスマホを貸してもらって、ピノキオピーのマイリスを見たそのときの最新投稿が頓珍漢の宴だったのをよく覚えている。
ピノキオピーは曲が多いから、アルバムのクロスフェードで大体の位置を記憶していた。
個人的には漫画が好きだ。comic and cosmicの発売がすごく嬉しかったのを覚えている
引っ越しで環境がかなり変わったことがあって、そのときは、ちょっと周りにトゲをばら撒くような歌詞が自分の心を守ってくれるような気がした。
だからはっぴーべりーはっぴーとか、人間なんか大嫌いが好きになった。
このあたりの曲は言葉を選んで強いことを言っているから、言ってやった!感が強くて、歌っていて気分が良い。
うっせぇわが流行ってるのってそういうところあるんだろうなって思う。
関係ないけどadoはマジで歌が上手いから消費される歌い手にならないでほしいし、語彙がちゃんとしている上で言葉の強い歌を歌ってほしい
それからしばらくして、生活に少し慣れてきたときには何気ない歌に励まされた。
あと本当に辛いことがあったとき、今でもネガポジを歌ってしまう。
最初期ピノキオPの何気ない素朴な歌詞がすごく好きだ。今も。それが強い気はする。
ピノキオピーの好きなところはやっぱり歌詞だ。曲調も好きだが。
いろいろあるんだけどレアノの毎分毎秒毎時間感動してられないものとかブラックホールヶ丘商店街のアイスの棒のあたりとかの素朴さが好きなんだ。
そういう歌詞の身近さが、最近のピノキオピーでは少なくなってるきがしてさみしい
どうしてちゃんのテーマとかどうなのって言われそうだが最近のピノキオピーの歌詞のリフレイン率はヤバい 体感だけど
404もリアルにぶっとばすも愛されなくても君がいるもちょっとキャッチーじゃなくリフレインしている、その隙間にもっと、もっと自我をさらけ出してほしいと思っちゃうのはオタクのキモくてイタい欲求なんだとは思う
でも正直言ってさんさーら!では感動した、ARuFaを表現する言葉の巧みさに脱帽した
全部好きだけど、友達百人できる?できないのところが彼らしくてやっぱり好きだなと思った。
彼の夢と希望と少しの諦めと内輪ノリがないまぜになったような言葉遣いは沁みる。
インターネット上の元気いっぱいバカ真面目バカARuFaを体現した歌が良かった。
MeiMeiみたいなユルさとはじめまして地球人さんを聴いたときのワクワクが同時にきて、ちょっと嬉しかった。
俺としては一番ピノキオピーがとっつきやすいキャッチーさとひねくれ感と共感を上手く歌にできているのがはじめまして地球人さんだと思ってて、本音を言うとこの時期にコンパスの楽曲提供を依頼されて欲しかった この欲求は無茶すぎるけど
でしゃピノもよかったピノキオピーが調整する声が好きだがね、可愛くて聞き取りやすくて
今ちょっとマイリス見に行ってらリアルにぶっとばすが99作目だった、マジ!?100作目は祝いたい
散文すぎるが次100作目ってわかったらもう言いたいことなくなった、とにかく大好きだピノキオピー…アンタのポップな曲調、内面に迫ろうとしたり、どうでもいいことを急に言ったり、たまに説教臭いことも言う、距離が近いけど頼れる先生みたいな歌詞が好きだ。これからも作曲していってくれ…頼む…生きて作曲してくれてありがとう
「世紀の対決」と注目された春天の見せ方は1期ジャパンカップのリフレインだった。
王者のような1人気が居て、いかにも勝ちそうな雰囲気なんだけど、レースは地の利を得た2人気の馬が直線で突き放し、1人気の馬は必死に追いかけるけど突き放される一方、という。
違ったのは、テイオーがしっかり5着に敗れていたこと。1期のジャパンカップはブロワイエ(モンジュー)が2着に見える演出になっていて(実際は4着)あくまで2強ムードで押し切ったけど、今回は実際の成績から逃げなかった。テイオーは挫折と復活の物語だから負けることにこそ意味がある、ということなのだろう。
次走は調整に失敗し7着に惨敗した秋天だが果たしてどう描かれるのか。
アニメウマ娘は主役級の馬に目標を掲げさせるところに特徴がある。スペシャルウィークなら「日本一のウマ娘」、サイレンススズカなら「見ている人に夢を与えられるようなウマ娘」、メジロマックイーンなら「メジロ家にとっての悲願である天皇賞(春)親子三代制覇」。
トウカイテイオーは1期から「(カイチョーと同じ)無敗の三冠ウマ娘」を目標に掲げていた。骨折でその夢が破れ、代わりに掲げたのが「無敗のウマ娘」。しかし今回でそれも叶わなくなった。夢をひたすら追いかけてきたテイオーのキャラクター性を踏まえるなら、秋天の惨敗は「」の中に入れる目標を失ってスランプに陥ってのもの、という描かれ方になるだろうか。いずれにせよ秋天からジャパンカップへの流れは相当に燃えそうだ。
ところでレース後、マックイーンはテイオーに「あなたがいたから今の私になれた」と言った。これは2期全体における大事なセリフになるだろうなーと思った。
「宿敵が強さをくれる」(byタマモクロスCM)ってやつなんだけど、その実テイオーとマックイーンはこの春天でしか戦っていない。宿命のライバル、と言うにはなかなか難しい関係だ。でもこの「あなたの存在が私に強さをくれた」という関係に昇華していくなら実際に戦うことがすべてではなくなる。そしてそうなっていくだろうな、という予感もある。怪我で先に引退したのはマックイーン。テイオーの2回目の有馬記念における激走はマックイーンに強さを貰っての形になるかもしれない。
2期は1期に増して周りの馬たちにもスポットを当て、そしてライバルムードを盛り上げていっている。特にフォーカスされているのはミホノブルボンとライスシャワーだ。ライスちゃんは今のところブルボンのストーカーでしかないが、この流れなら恐らく菊花賞で「極限まで削ぎ落とした体に鬼」を宿してくるだろう。こっちも楽しみだが、上手くライスちゃんのキャラを掘り下げないとブルボンが負けて悔しいだけのレースになりかねないのでちょっぴり怖い。
とはいえ2期は既に、神がかり的な仕上がりだった1期に肉薄してる感がある。制作スタジオは変わったが、及川監督を始めとしたコアスタッフがうまく調整してくれてるのだろう。引き続き期待。
単調なビートというか、反復を繰り返しながらメインのメロディだけをどんどん発展させるアプローチはそれこそジェームスブラウンだかの時代のファンクソウルからポップスに定着してる。
誰でも知ってるマイケルジャクソンの「スリラー」や「スムースクリミナル」もトラックだけ見れば1つのリフレインだけで出来てるし、それ自体は目新しいことでもない。日本でもオザケンの「ラブリー」等、局所的にそういうものがヒットすることはあった。
ただRandBやヒップホップといったブラックミュージックの色合いが強いこのスタイルが、アリアナグランデやジャスティンビーバーといった白人中流層に支持されるポップスターや、J-popのYOASOBIや瑛人のヒット曲に取り入れられたというのは時代の潮目なんだと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=tcYodQoapMg
https://www.youtube.com/watch?v=8EJ3zbKTWQ8
ビートが一本調子というのはNiziUやモーニング娘。の新しい曲でも見られる特徴なのでより一層こういうものが主流になっていくのかもしれない。
(反復っていうのはテクノもそうだけど、テクノはミニマルすぎてポップスに転用できる音楽ではない。電気グルーヴにしてもChemical Brothersにしても歌もの要素が大きくなるにつれテクノ本来とはやや趣が変わっていった。)
https://www.youtube.com/watch?v=a6QT0acJFQE
https://www.youtube.com/watch?v=Ty0dkunCvNw
宇野さんが崇拝に近い持ちあげ方してる宇多田ヒカルもかつてからループさせることへの意識が高かった。
First Love時こそ「稀代の歌姫」として売り出そうというレーベルの意向もあってか、ディアンジェロ風の粘っこいドラム等といった当時のトレンドを表面的になぞっただけで、アレンジ面では当時のJ-popとそこまで違いはなかった。しかし「Distance」以降はRandBからの影響が強い宇多田ヒカル本人の意向が反映されだしたのかどんどんアレンジがミニマリスティックになっていった。
注意深く聴けば20年前の「Addicted to you」や「Can you keep a secret?」のころからすでに16ビートをキープしながらコード進行は8小節ほどで完結してしまっていることがわかる。
(このころはジャム&ルイスの手腕によるところも大きいのだろうが)
さらに言えばセルフプロデュースに切り替わってからロンドンに拠点を移すまでの2005~2015年あたりの宇多田ヒカルはいかにも宅録、DTM然とした手作り感あふるる音を時折鳴らしていなかっただろうか。
マスタリング等のポスプロによってある程度計算ずくで仕上げられたものにしても、Keep tryin’のパッドシンセはあの曲にしては音が厚すぎてややアンバランスだし、Kiss & Cryのホーンはモジュレーションであることを隠そうともしていない。しかしながらそんなことは取るに足らないことだった。
あのころはまだDTMそのものが新しくて費用が掛かる手段だったこともあって、宇多田ヒカルの孤高なイメージをより強固なものにしたし、なにより彼女が自宅にこもって自分の感覚だけで作ったものが、ダイレクトに自分のコンポやミニプレイヤーに届いてきたようなあの距離感がファンにとっては痛快だったんじゃないか。
「Ultra Blue」や「Heart station」時特有の浮遊感のあるきついリバーブや密室感のあるピアノの音像は、宇多田ヒカルの心象世界を垣間見ているようだったし、私生活でのラフな顔を晒してくれている様でもあって一つの魅力になっていた。
DTMはこの20年でどんどんハードルが下がっていったし、ネット上での音楽のコミュニティも成熟してきてる。今のアーティストを取り巻く環境ってあの頃の宇多田ヒカル周りの雰囲気とちょっと似てる気がする。ライブはあんまりやってなくてひたすら曲を書いてブログを書いていたのが宇多田ヒカルだった。
米津玄師にしろ須田景凪やヨルシカにしろ、宇多田ヒカルが敷いたものの上に立ってるんじゃないかな。立ってるというか宇多田さんは彼らのようなことを前時代にやりとげてしまったのかもしれない。
宇多田ヒカルの「traveling」は「夜に駆ける」に似ている。4つ打ちでビートに統一感を出している点や、トニックから長七度上(一度下)への移動が含まれる4小節ほどのコードパターンをひたすら繰り返している点、代理和音や経過音でコードに飽きがこないよう細かく配慮していることやフィルインの多さ、歌メロの譜割の細かさ…と共通項は多い。あの頃は幼くて単にかっこいい曲だなと何も考えず聴いていただけだが、当時の宇多田ヒカルはやはり規格外の存在だったんだなと今にして思い知らされる。
https://www.youtube.com/watch?v=x8VYWazR5mE
負のループだった。
終電で帰って、自宅に帰るまでの夜道、俺はフラフラと下を見ながら歩いていた。
仕事で失敗する。そして、寝てしまうと明日が来るから、寝たくならない。
すると睡眠不足になる。
頭が重くて、どうしようもなかった。悲しいことばかりが、嫌な未来ばかりが頭に湧いた。
この無間地獄から、俺は抜け出せる気がしなくて、死んでしまったら楽なんじゃないかと思って、
スマホをつけて、でも画面ではなくて道路を見ながら歩いていた。
そんな時だった。
胸が急にジンジンと熱くなった。
なんだ。これは。
そしてボーっと理由がわかる。
師走の冷たい夜の風は、それなりに着込んだ服を貫通して、俺の乳首をビンビンにしていた。
その時だ。
『つまらないこと考えすぎたな。俺の乳首はこんなにビンビン丸なのに』
という、謎の声が頭に響いた。
なんだよビンビン丸って。
俺の歩調は、少し確かなものになっていた。頭の中の声は響き続ける。
『なんとどうしようもない世の中だろう。乳首ビンビン丸だというのに』
厳つい知らないおっさんが朗らかな顔で、俺にそんなことを語りかけるイメージが頭を駆け巡った。
誰だお前。
俺は生きている。
乳首だって感じている!ビンビン丸だ!乳首ビンビンでこんなに感じているのに、死にたいなんてことがあるものか!
自分で自分に語りかけて、『乳首ビンビン丸』という単語がリフレインして、下らなすぎて笑っていた。
その時、俺はもう俯いていなかった。
明日も生きていこうという気持ちに満ちていた。スマホに『乳首 感じる 理由』と打ち込んでいた!
冬の夜風よ、ありがとう。感じやすい乳首よ、ありがとう。俺は明日も頑張る!
俺を救ってくれた乳首を弄りイクッ!
暗い場所、なんか精神世界みたいな場所で誰かと誰かが邂逅するシーンが好き。以下、ネタバレを含みつつそれらのシーンを解説していく。
エヴァの最終話近辺も似たような感じのシーンあるけど、あの辺は演出としてかっちりし過ぎているのでそこまで好きではない。
物語終盤において、主人公兄弟である高倉冠葉と高倉晶馬は、真っ暗な空間において隣り合う二つの独房にそれぞれ入れられている。飲み水も食べ物も見当たらないその場所で、二人は飢えていく。なお、二人の姿は物語中の青年の姿ではなく幼少期の頃の姿を取っており、したがってこのシーンが、現実ではない抽象化された世界の出来事であることが示唆されている。
お互いに独房から励まし合いつつも、飢えてかつえていく二人であったが、やがて兄である冠葉が叫ぶ。
「あった!」と。
「何が?」と晶馬が疲れ切った声で問うと、冠葉は「林檎があった。今まで気付かなかったけれど、独房の隅に落ちてた」と晶馬に伝える。「晶馬の方にも落ちているかもしれない、探してみろよ!」
暫くの間晶馬は林檎を自分の独房で探すものの、そこに林檎はない。やがて諦めを含んだ声で晶馬は言う。「僕の方には無かったよ。おめでとう、冠葉は選ばれたんだ」
この「林檎」はこの場合、「両親からの愛情」のメタファーである。晶馬は幼少期において様々な事情により、母性的愛情が欠落した生活を送っていたのである。冠葉はその乾き切った晶馬の言葉に愕然とするのだけれど、自らの手で林檎を二つに断ち割り、そしてその一方を、独房の鉄格子越しに、晶馬の方へと差し出すのであった。
先程、愛情の例えになっていると説明した林檎であるが、同時にこの林檎は、旧約聖書における「善と悪の知識の実」のメタファーにもなっている。
ピングドラムにおけるキャッチコピーは複数あり、その内の一つが「僕の愛も、君の罰も、すべて分け合うんだ」である。愛と罪を共有する、というテーマが、この暗闇のシーンにおいては描かれているのである。
「『列車』はまた来るさ」
飼い猫「レノン」の後を追って、寮が併設されている学校の敷地内を走る主人公。その主人公の目の前に、幼い頃の主人公の心の支えとなり、今もなお親友として日常を共有する棗恭介が現れる。夜の暗い中庭において、恭介はレノンを腕に抱えていた。これまで、レノンは度々メッセンジャーとして主人公を翻弄していた。その尻尾に結び付けられた何者かのメッセージが、時に主人公を誘ない、時には誰も知りようのない個人的な秘密を示唆しもしたのである。
そしてその夜、いつものように主人公の理樹を誘なったレノンが最終的に辿り着いたのは、親友である恭介の元へであった。それを追ってやって来た理樹は、これまでレノンを介して自身にメッセージを与え、様々な示唆を与えてきた人物が恭介だったことを悟るのである。恭介はこれまで理樹に対して、「この世界には秘密がある」とレノンを介して度々伝えてきた。そのメッセージを目にした理樹は半信半疑ながらも、示唆に従い様々な問題の解決などを手伝う羽目となっていたのである。
全ては恭介の悪戯であったと悟った理樹は、「結局世界の秘密とは何だったのか」と冗談めかして尋ねるのだが、「世界の秘密は本当にあるんだ」という思いもしなかった答えに直面する。
「それは形而上学的に存在していたとされる世界のことか何かなの?」「そんなものは存在しないよ。この世界には秘密なんてない」そう困惑しながら言葉を返す理樹に対して、恭介は笑いながら身を翻し、闇の中へと消えていく。結論から言うと、恭介の言った言葉は本当であった。彼の言う世界の秘密とは、恭介を含めた理樹の友人の一切は全て故人だったというものである。その事実に直面することで、主人公が精神的に廃人となってしまうことを避けるために、超自然的な力を用いて恭介は理樹に対して幻影を見せ続けていたのだ。
原作版ワンパンマン第106話、類稀なるエスパーとしての才能を見出され、施設に半ば幽閉されることとなったタツマキは心の調子を崩し、超能力の発揮を躊躇するようになる。その結果研究員たちによって部屋に監禁されるタツマキであったが、やがて研究施設で飼育されていた実験動物の暴走事故が発生し、あわやタツマキもその犠牲になろうとしていた。
そんな時やって来たのが、後にヒーロー界を席巻することになる「ブラスト」である。ブラストは危なげなく暴走中の実験動物を抹殺すると、タツマキに対して自身が趣味でヒーロー活動をしていると告げる。普段は働いているのだけれど、これはあくまで趣味なのだと。
とは言えブラストの強さは圧倒的である。彼はタツマキに「何故能力を使わなかった?」と問いかける。当時十歳の幼児だったタツマキは、一時的に心身の不調で能力が使えなくなったと釈明するも、ブラストはその言葉が嘘であり、自身を根本的に人間扱いしてくれない施設の研究員に対する、自己主張の一環であることを看破していた。「今後の君のために一つだけ教えておくよ」
「いざという時に誰かが助けに来てくれると思ってはいけない」
ブラストはヒーローであり、誰かを助ける側の人間ではあるものの、自らが異常者であることを自覚していた。つまり普通ならば、人は人を助けなどしないのである。タツマキは幼いながらにその事実を突きつけられ、やがて自身も職業的ヒーローの道へと進むことを決意するようになる。誰も人を助けようとしないのであれば、自らが助ける側に回るしかないという事を彼女は悟ったのである。
他にもるろうに剣心追憶編の、剣心が巴を手に掛けるシーンで、巴の墓前の幻影を見る剣心のシーンとかも好き。
そのシーンに至るまでに、巴のこれまでの記憶が暗闇の中でリフレインするシーンとかもかなり好きである。
これらのシーンに限らず、「暗闇の中での邂逅」は多くの場合その作品におけるハイライトと直結している場合が多い。凝縮された幻影とも言うべき、強烈なシーンとして、これらの暗闇は描かれるのである。恐らく、これらのシーンを描く作家の、作家性の極地が、これらのシーンには反映されていると言っても過言ではないとも思われる。
なぜ貴重なアクティブユーザーを増やす機会をわざわざ自ら潰すのか。
先日終了したミリシタとデレステのコラボイベントでは、デレステからゲストとして一ノ瀬志希と宮本フレデリカ、そして2人の楽曲クレイジークレイジーがミリシタに実装された。普段のミリシタでは珍しい煌びやかでおしゃれな雰囲気の中で、イベントに参加している人数がここ半年くらいのイベントと比べて明らかに多いことを走りながらにして実感できたため、確かにコラボに意味があったことに安心していた。
しかし、せっかくコラボでついた新規にとって実質初めて触れることになるミリオンライブの曲となる次のシアターの楽曲を、よりにもよってNO CURRY NO LIFEにしたことにとても失望している。これでは新規を戸惑わせるか最悪の場合すぐに離してしまうことになる。
まず、コラボで増えたミリシタ新規層は基本デレステに軸を置いている層であり、彼らに少しでもまたミリシタを触ってもらえるように次のシアター曲は言い方が少し悪くなるが、彼らが普段デレステで触れているものより強い魅力を持ったものにすべきだと真っ当に考えれば思いつくであろう。
次に、コラボ相手は志希とフレデリカだったことを考慮して、できれば彼女たちに近い性格や性質を何か一つでも強く持つアイドルをメインとしたイベントにすることも考えるだろう。
そして、コラボによって注目度が以前より高まっている今の時期に出す曲が、ミリシタ、ひいてはミリオンライブというブランドのイメージに強く影響することも理解してもらえるはずだ。
以上の3点をふまえると、"次のシアターで"NO CURRY NO LIFEを出すことがいかに悪手かよく分かるだろう。どうしてもミリオンライブの楽曲群の中では魅力が低く、杏奈や莉緒、可奈に志希PフレPを惹き付ける要素が特別あるわけでもなく、またミリオンライブのイメージがややおちゃらけた感じに寄ってしまうからだ。「ミリオンはやっぱ普段は微妙なんだ」と後ろ指を指されても何も言い返せない。
今回このシアターの枠に入れるべきだった楽曲は、人気が高く志希やフレデリカのようにマイペースなアイドルがメンバーにいるDecided、エレナを連投させてミリオンの中でも屈指の甘美でセクシーな楽曲であるEmergence Vibe、ガシャやWORKINGのテーマにあって新規Pでも多少馴染みがある天使モチーフでやはりマイペースなアイドルがいるHELLO, YOUR ANGEL♪、直近のシアター事情を踏まえて星座曲縛りにするとしてもセクシー系寄りで人気の高いリフレインキスや落ち着いた雰囲気を持つP.S I Love You、永遠の花があっただろう。
それらを押し退けてまでNO CURRY NO LIFEが抜擢されたのは、ミリシタ運営が杏奈や莉緒、可奈に対して新規を引き留める力を過信したか、もしくは先日のコラボ相手がレイジーレイジーではなくポジティブパッションだったと勘違いしたかの2択しかありえないだろう。それとも、さすがにないとは思うが、この普段の面白い(オブラート)ミリオンライブが外野にウケると思っていたりするのだろうか?
総括として、ミリシタ及びミリオンライブ全体の運営は、もう少し新規ユーザー及び外野への印象に対して気を配るべきではないだろうか。もちろん全力で羽目を外すコンテンツも魅力の1つではあるが、今回のように、弁えるべきところでも構わず内輪ノリを持ち出す所がミリオンライブの衰退の一因ではないかと不安でたまらない。