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[B! 教育] ワークマン初のランドセルは税込8800円、「低価格・高機能・軽い」バランス重視の開発の裏側
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.fashionsnap.com/article/2024-03-05/workman-school-bag/
なんだかブコメが粗ぶっていたので、今まさに小学3年生の現役子育て世帯として、現代のランドセル事情(東京都下)についてまとめる。
高齢者は今時の常識へアップデートしてほしいし、これから出産・就学する親御さんたちの参考になれば幸い。
ここからの話は東京都下の公立小学校での話なので、私立や都心部のリッパな学校、地方の話はまた違うんだろうと思うけどね。
まぁ、あちこちで言及されているように、ランドセルと言えば本革の黒と赤、男子は黒で女子は赤、というのは全く持って時代遅れ。
もちろん黒・赤の保守層も一定割合いるが、もう半数前後かそれ以上がこの二色以外のパステルカラーやアースカラー、ブラウンなどカラフルなランドセルを使っているのがふつう。黒・赤でもアクセントカラーが入っていたりおしゃれ要素がある。
うちの子もなかなかに目立つ色のランドセルを自分でチョイスしたので、入学前は多少気をもんだが、無印のランドセルの話でも出ていたように、「同じ色の子」「あの子は~色のランドセル」などとそれぞれの種類や色が個性や識別のきっかけとして受け取られる時代であるらしい。目立つ色で孤立していじめられるとかそういうことは滅多に無さそう。嘘だと思うなら近所の小学生の通学風景をよく見てみるといいんじゃないかな。
それと、女子のピンク・パープル・スカイブルー、男子のモスグリーン・マリンブルーなどはそれぞれプリキュア・仮面ライダー等の影響を感じるのは別の意味で日本の子育てならでは。
そんなのこじゃれた東京の学校だから、と思うないなら、ランドセル大手のホームページを見てみるといい。
例えばシーズンになるとTV-CMもよくみかける「天使のはね」のセイバン
https://store.seiban.co.jp/shop/pages/instagram_user.aspx
それぞれ男の子・女の子の商品ラインナップを見れば真っ黒・真っ赤なモデルはかなり少数派、色以外の要素もめちゃくちゃ多様なのがなのがわかると思う。ふつうに古典的なランドセル型の製品だけでもこうで、さらに今回話題になったランリュック的なモデルを使ってる子もいる。そういう時代なんだよね。
よくあるのは「祖父母にリッパなランドセルをプレゼントしてもらう」って奴。
あれはほぼ子供のためよりも祖父母に対する家族サービス。
孫と一緒に買いに行って「これはおばあちゃんに買ってもらう」というシチュエーションを祖父母に楽しんでもらうイベントなわけ。
まぁ経済面で助かる、というのもあるが、安い製品は2万円台で買えて十分に丈夫で見た目も良いデフレ時代にそもそも高くて高級なランドセルを買う必要性って今ほとんどなくて、金銭面での理由付けは順位が低くなっている。
さらに、本革でオシャレなランドセルを背負わせたいという親の気持ちもわかるし、そこで親同士の見栄の張り合いとか、量産品をけなしたりする親もいるんだろうけど、それは完全に親のエゴで子供にはあまり関係ない。まぁ、都心の立派な学校にお受験するような世界ではなんか違うのかも知れんけど、自分的にはそういう世界はちょっと嫌だなと思う。
それから、子供をランドセル専門店に連れていくと、5歳児のセンスなので、当然派手なカスタムモデルや、くるくるの革細工で装飾されたモデルなんかに食いついたりする。そしてそれらは当然いいお値段になる。だから、実際に連れていくのは結構順番を慎重に考えた方がいい。「今日は色を選ぼう」とか「「ここでは買わないと思うけど見てみよう」などの予防線を張ってみるのもよいかもしれない。カタログも同様。本気で親の本命モデルがあるなら、偵察は親だけで行き、子には敢えていろいろ見せずにまっすぐ行った方がいいかもしれない。
あとは購入時期、一時期「ラン活」などと言われ、入学前年の夏ころには売り切れる、などと話題になっていたのは上記のような贈答用や見栄用の高級品の話。
それこそ一品物に近いような手造り製品からヨーカドーやニトリで買える大量生産の工業製品までピンからキリまで選択肢があるのが今の日本の豊かさと言えると思う。
量産品なら入学直前の3月に駆け込んでもまー多少選択肢は限られるけど買えないなんてことはない。
ランドセルで検索すると、先ほどのような大手メーカーから専業メーカー、皮工房など様々な製品が並ぶ。実際、幾つもショップを巡ったり子供を連れて行ったりしたが、本当に様々だし、質感や使いやすさなど今のランドセルはよくできている。
けどさ、使うのは小学一年生なわけ。ボッコボコにぶつけるし、床や地面に放り投げる、あまつさえランドセルを座布団替わりに使ったり、踏んづけたり、ソリ替わりにして斜面を下ったりしかねないわけ。
で、「だから、6年間使える丈夫な本革」というのは多分かなり時代遅れな発想で、そもそも今の量産品のランドセルは合皮でめっちゃ軽い。というかそれ以前にランドセルがデカい。
1. 教材が増えた
3. 学校に教材を置きっぱなしにできない(全くではないが)
4. タブレットやChromebookなどを持ち歩く
等の要素が大きい。
そして、ランドセル以外に手持ちで運ぶ習字セットや絵画セットも立派でデカい。
とにかく、今の小学生の荷物の量は自分ら親の世代から見ると異常なレベルで、自分の頃の倍ぐらいの荷物持って歩いてるんじゃないかな?
正直、親から見ると子供がかわいそうだし理不尽さを感じるレベル。ただ、この辺りは学区や校風等さまざまな要素で変わるとは思う。
そういう状況でランドセルに求められるのは「収納力」と「軽さ」なんだよね。そこで「本革は時代遅れ」という話に繋がっていくわけ。大きいほど重くなる本革は今のランドセルの要求仕様に向いていない。
もう一つ、ランドセルの使い方でポイントになるのはランドセルカバーの使われ方。
学校や自治体・学区によって変わるだろうけど、低学年はランドセルに黄色い安全カバーを付けさせられる学校が少なからずある。
そしてその延長線上で、黄色いカバーがなくなると、様々なデザインのオシャレカバーを付けるという話が出てくるんだよね。
ランドセル自体もカラフルだから、おしゃれ要素としてカバーを付けていても全然違和感が無いので、当然女子の間では「~ちゃんが~なカバー付けてる」みたいな話がでてきて、友達と仲間外れも気の毒だから親も買わされるわけ。そんなところもランドセルの多様性に繋がる。逆に、ランドセルと言うフォームファクターが決まっているからできる要素ではあるかもね。
ランドセルは本当に乱暴に使われる、乱暴に使わせないのが躾だというかもしれないが、まぁ、そういう家は頑張ってお受験してよい学校に行けばいいのではないか?
上で述べたように、今のランドセルは軽くて丈夫だしデカい。なので、6年間はまぁ使われても問題ない強度だと思うのだけど、一方で安い製品は本当にお手軽価格で買える。
なんで、そもそも6年間1つのランドセルを使い続ける、という事自体発想が古いのではないかと思うんだよね。
ここまで説明したように、皆で同じものを最後まで使う、という均一なコミュニティの時代ではなくなっているのだから、ボロボロになれば、高学年になれば新しく買い替える、ランドセルを止める、というのができる時代になっていると思う。
そもそも、小学6年生まで大きくなればほぼ中一なわけで、その背丈でランドセルもおかしくね? って子も出てくる。
ランドセル専門店のカタログを眺めていると、6年間大事に使ったランドセルを海外に寄付しようとか、リフォームして思い出のアクセサリーに、なんて話も色々載っていて、それはそれで楽しいね、とは思うけど、例えば中一になった男子がそんなこと考えると思う? たぶん、それはそれで親の楽しみなんじゃないかな、と思うんだ。
だから、これからランドセルを買わなきゃという親御さんも、そんなに気張ったり焦ったりする必要はないんじゃないかなと思う。
やりたい風にすればいい、色々なやり方がある、今の日本は多様性と選択肢があることを喜ぶべきなんじゃないかな?
ランドセルを作る側にしたって、色々なアプローチを試してみればいいと思う。売ってみて売れなければ撤退すればいいじゃない? 安いランリュックでいじめられたら買いなおせばいいじゃない? 外野がとやかく言うような話じゃないと思うよ。
立方体で構成されたレトロなグラフィックの、しかしどこまでも広がる広大なフィールド。ログインすると他のプレイヤーたちが作り上げた街があって、道は石で舗装され、各自の土地に自宅が、中心地にはでかい城が建っていた。
街から出ると広大な小麦畑。知識のなかった自分はダッシュジャンプで畑を荒らしながらひたすら走り、湧き潰し用の松明を勝手に拝借して人の手の入っていない土地を目指した。森を抜け、砂漠を抜け、誰かが乗り捨てたボートで海を渡った。
一際高い山があったので登ると、カルデラ湖のような地形が形成されていた。しかし雨が降り出して、もう真夜中で、空腹だしゾンビに追われてどうにもならない。地面に穴を掘ってシェルターにして夜を明かした。
暗い土の中から這い出すと、目の前にはカルデラ湖とその中心に浮かぶ小島。空がオレンジからスカイブルーにじんわりと変わっていく。やけに感傷的なBGMが鳴り出す。
心底、美しいと思った。
美麗グラフィックでもなんでもないカクカクの風景がなぜこんなにも心を打つのか不思議だった。俺はその場所に居を構えることにした。岩の壁を掘り、丸石で崖に埋まった豆腐ハウスを作った。
wikiを参考にしながらインフラを整え、ブランチマイニングを覚えてダイヤモンドを探し、他のプレイヤーが作ったゲートでネザーに迷い込んで全ロスした。
生きてるって感じがした。
俺にとっての「マイクラ」はこれなんだよな。
これをもう一回やりたい。
その後バージョンが上がるに従って馬が出てきたり木材の種類が増えたり、RS回路も複雑になっていろいろ自動化もできるようになって、モブも増えてマイクラの世界はどんどんにぎやかになっている。
最初は発表の度ワクワクしていたアップデートだったが、そのうちについていけなくなってマイクラ自体をあまり起動しなくなってしまった。加齢のせいか、飽きてしまったのか。
ふと、広大なネットの海に彼の断片が揺蕩っていないことに、一抹の寂しさを覚えたので。
彼に逢ったのは大学2年の春のこと。九州出身の僕にとって、コートが手放せない北関東の春寒に辟易していた頃であった。
新歓委に適当に名を連ねた自分は、準備のために何ひとつ手を動かすこともなく、当日ふらりとやってきては三枚目を演じる役目に殉じていた。
定かではないが、正確にアイデンティファイしたのは、何度目かの食事会のことであったろうと思う。えらく目に残る濃紫のダウンコートに、これまた鮮やかなスカイブルーのボトムス、黄緑のリュックという出で立ちで、ママチャリを漕ぐ小柄な姿に、台湾の街なかをゆく人を彷彿したものである。
彼が口を開けばすぐに明晰さに気がついた。女史の多い学類の中で数少ない男子、話を聞いてみると、さらにマイナーなところで史学徒志望とあっては、親交を温めるに十二分であった。必然的に同じ授業を受けることになり、同じ時間に学生控室に居ることになった。
半年も経つ頃には、先輩風なぞ吹かせられないほど優秀であることを思い知らされた。彼の謙虚な姿勢で分かりにくかっただけで、史学は勿論、政治、社会、哲学、文学、芸能に至るまで幅広く人文学の素養を蓄えているさまは、正しく博学才穎と評するに値する。
なるたけ楽をしようという学生と対照的に、彼は努力の人でもあった。史学徒らしく先行研究を丁寧に洗い、批判的思考の先に論理的な積み重ねをするといった基本を忠実に守り、そしてその先を直向きに追究していた。
彼の尊い所は、それらの要素をコメディカルに自嘲し、扮飾していることであった。口癖に「チャップリンのような男になりたい」と言っていたが、恐らくはそのあたりに起因するのだろう。オフの彼は道化であることを心がけていたように思える。
実際、彼が醸し出す人間的魅力は、接する多くの人々の心を開かせてきたに違いない。それは悲しいかな、告別式に集まった人の数で可視化された。
院進を悩んでいた頃、自分の無才さとそれを補えない怠惰を刺激され、逃げるように就職した。
少ない給料でも、彼が困ったときに本代くらい捻出できれば、それで十分だと思って。自分は一線で人類の知を切り開く探求者にはなれなくとも、彼らを応援することくらいはできる、そう思っていた。
遺された人にはありがちな思考過程ではあるが、彼が居なくなった後の世界は何も変わらなかったことが恨めしかった。まるで彼という存在を皆忘れているかのようで。
自分もそんな世界の一員だった。彼の告別式でも、その後一人で2月の寒空の下をバイクで3時間走ったときも、ひとつぶの涙も出やしなかった。次の日にはケロッと出勤した。
暫くして事後処理で窶れきった主査の先生へ手紙を書いたとき、初めて涙が溢れた。「彼の分まで生きましょう。彼もきっとそれを望んでいるから」と、宛てたのは先生へだったが、届いたのは自分のところだったのだろう。
思いきり泣いたことで随分気持ちは楽になったのだが、前よりもずっと、フラットに彼と向き合える自分がいることに気づいた。それは嬉しいことだった。少し遠いところに行ってしまった、くらいに思えて、以前よりずっと身近に彼がいるような気がするからだ。聖書にある「神に近づいた」状態と似たような心持ちなのだろう。
以来、こうやってことあるごとに彼を思い出すわけだが、そのたびに僕の中の彼が記憶のリフレインだけでなく、その先の知新を促す。僕は過去の一時点に比べて、ずっと世界に対して心を開けるようになった。
彼がやっていた南相馬の農村社会史を引き継ぐことはできないが、彼がやろうとしたことは自分にも引き継げる。今、僕が眼の前の人々を愛し、その未来へと思いを馳せることを大切にしているのは、きっと彼がそうだったからだろう。
彼の不在は世界を変えなかった。だが、彼の存在は僕の視座を変え、そして僕からまた誰か別の人へ伝播する。それが世界を変える頃に、誰も彼の名を知らずとも構わない。よもや小汚い小男から手渡されたバトンだとは世人も思うまい。彼という人間の射程の如何に大きなことか。
君がいなくなっても地球は回り続けている。コロナで世の中がひっちゃかめっちゃかになって、東京五輪があって、君の好きだった能年玲奈は今も芸能界で頑張っていて、相馬の野馬追祭りは久しぶりに開催された。国会は相変わらずだけど、安倍さんのことは、そっちに行ったから君のほうがよく知っているだろうね。
どうか、もう少しそこで待っていて欲しい。君の好きな偉人たちがごった返しているだろうから、ヒマはしないだろう。僕はもう少し僕にしかできないことを探してやってみるよ。また会えたときには色んな話をしよう。
言及待ちの鳩さんを見つけたので、恐れ多くも愛を語らせていただきます!
ついでに気になっていたドバト・キジバトまじりがちだよね問題について突っ込みながらハトの好きなところ叫ぶよ!
増田はざっくり「ペットの鳩が野生化して自然界で増えたもの」と定義しているよ!
種としてはカワラバトだと思われるけど、カワラバトとドバトを使い分ける人もいるらしく、正直増田は何が正しいか理解していない!すみません。
まあ可愛ければオールオッケーだよね!!
実は…というほどのものでもないが、ドバトの見た目を正確に説明するのも難しい。
なんせ羽の色がバリエーション豊か!
一番ベーシックなのは、袖に黒線が2本入った灰色の翼に虹色に揺らぐ首元のチャームポイントを持った姿!
黒いやつ、茶色いやつ、白いやつ、ごましおに雪解け模様…いろいろいる!
近所の公園にいるドバトの中で増田のお気に入りは、灰色ボディに翼が白いやつ!ベストを着てるみたいでおしゃれ!
もうめんどくさいし、街にいる鳩は全部ドバトだね!と思ってはいけない!
キジバトは正真正銘「キジバト」という和名を持つ野鳥で、見た目もワンパターンなのでしっかり見分けられるぞ!
確実な見分けのポイントはふたつ、「首元の模様」と「鳴き声」だ!
キジバトの首元には、スカイブルーと黒のきれいなさざなみ模様があるぞ!これがけんもほろろなキジっぽいからキジバトだ!
ドバトの首元に特徴的な模様が出るとしたら構造色の鱗模様になるはず、しましましない!
あと鳴き声!「デデッポーポー♪デデッポーポー♪デッ…………」という中途半端なあれはキジバトのさえずりだ!
対するドバトのさえずりはクルッポーとかクルッククーとか、巻き舌っぽいやつだ!
喉のところがふわっと膨らんで面白いからじっくり見てみるといいよ!
ドバトに巣を作られて迷惑している人もいるかもしれないが、いっぱい巣を作っていっぱい子育てをする生き方を選んだ鳥なんだ。どうぞ恨まないでくれ。
とはいえ人間が我慢するだけが共存する上での正解とも増田は思わない!
人間のニッチと重なりすぎないよう、ある程度の撤去や通報はお互いのために必要だ、というのが増田の考えだ!諸々の事情を考えると卵を生む前に対処してもらえると嬉しい!
狩猟のコメントついたけど(ありがとう!)、トラバのとおりキジバト先輩はともかくドバトは駄目なんだね…
興味ある人はぜひきちんと調べてみてくれ!
感染者が減ってきたんで久しぶりにサウナ行って水風呂入ったら、わけもわからず血行が加速して体が混乱したんだろうな、ポコチンが膨らんできてしまったのでヤベェヤベェっつってバスタオル巻いて退避した。
こういうときにポコチンが色んなカラーに点灯すると便利だよな、と思った。
やらしい理由でいきり立っちゃってるわけじゃないんだよ、ってのが例えばスカイブルーになってるのでわかると、他人から見ててもちょっとは安心するじゃん(そうでもねえか)。逆にクリムゾンレッドだと最大級に警戒すべき、みたいな。
あと、なんならちゃんと(?)、エロい情報の入力があって勃起してるときも、エロの種類によっていろんなカラーの勃起があっていいと思うんだよな。
例えば、AV見て勃起するのでも、おっぱい見てうすピンクに光ってるのとかは割りと健全な感じがする。うすピンクわかりづれえか。土台そもそもの色的に。
これがNTRもので紫色に点滅してます、とかだとかなり変態っぽくて、なんか見てて自制がちょっと働きそう。
おいおい、俺、紫になっちゃってるよ、って。俺ならパープルの光に自分でひくと思う。別に変態性欲=悪じゃないんだけど。
でも、暴力的な表現使ってごめんだけど、これが女優ひとりに男数人がかりでメチャクチャする、みたいやつとか強姦ものとかでテメエのポコチンが黒色の光を発し始めたら、やっぱりちょっと考えた方がいいんじゃねえか、って気するよね。視聴するポルノの傾向が現実の犯罪に関連付けられるわけじゃないけどね。
でも、ああいうクッソハードなやつ見て自慰してるときって、心の底で日常の倫理観と摩擦起こしてどっかダメージが残ってる感じするわ。勝手なこと言ってるけど。やっぱ、ムスコが黒く光り出したら自分で気を付けた方がいいっぽい。
まあ男根がいろんなカラーになったらシンプルに愉快だよね。虹色チンコだ。
村上春樹の小説ってすぐ主人公がセックスるするから揶揄されてるけど、あれって愛情と加害、許し、理解の試みと支配、謝罪とかあきらめ、あまりに多くの心情が、セックスっていう一つのチャンネルに集まっちゃう(と作家自身は思ってる)からだと思うんだよな。
だから、「またこいつセックスしてるよ」じゃなくて、入力されてるデータは多様なのに出力される行為は同じだから、必然的にセックスばっかりになるんだと思うんだわ。
まあ、上で挙げた感情の群がお互いに不可分で、抱き合わせで同時に発生するってことも、セックスばっかりになる理由の一つだと思うけど。そして、チンコにもそれと同じことが言える気がする。
増田でアイカツ!がアツいみたいなのでデータカードダス アイカツ!シリーズで元増田が好きなコーデを書くぞ。
詳しい画像とかはググって確かめてくれな。お勧めアイドルも書くぞ。増田のみんなでDCDアイカツ!を盛り上げてくれ。
ワンショルダーでカジュアルさを残しつつ、大胆に見せるホルターネックビキニがセクシーだ。攻めすぎじゃねぇか?これ。蘭に着せろ、死ぬから(可愛すぎて)。
・ハイポリストップス、ネイビーエナメルショーパン、スカイブルーエナメルブーツ
引くほどミニ丈ショーパンの効果でめっちゃ脚長く見える、姐さんの5thフェスコーデだ。どうでもいいけどあのあお蘭付き合ってるよな???
デザイナーに関しては宗教上の理由でノーコメントだがデザインはほんと好き。ネイビーブルーにピンクの差し色が大人カワイイを演出だ。やっぱあかりちゃんが似合う。
上のロイヤルスウィーティーと合わせてもいい。どっちもネイビーブルーがベースだけどこっちはCoらしく赤×金の差し色が効いてる。あかスミで是非(当方リバOK)。
・コットンシュガーコーデ
セーラー風激甘コーデだ。ののリサやまど凛に双子コーデさせよう。
元増田イチオシのアイドル、天羽まどかのPRドレスだ。祝福しろ。彼女にはそれが必要だ。
板野友美のスクドレだな。シンプルなモノトーンコーデだからだれにでも合うぞ。ユウちゃんやしおん辺りのショートカットに着せるとカッコよさを底上げしてくれる。
ニャーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!!!!!!(パープル基調なんで髪がビビッドカラーのアイドルに似合うよ。猫耳カチューシャもGOOD!)
お上品なドレスコード。スミレに着せていちあか結婚式に招待しよう(元増田はCP固定でない)。
魔夜さん、お前さ…そんなカッコいいコーデ作るの、反則。百合の紋章入りなんでもうそういうことでいいだろ。
ラブミーティアのフレンズドレスだ。いちあおに着せて挙式の準備だ。同様にダイヤモンドフューチャー、エンジェルコーデもいいぞ。ご結婚おめでとうございます!
こいつはほんとあんなツラしてこんな激かわコーデ作るとかどういうことだよクソクソ、大好きだよ。あかスミひなきにピッタリだ。ニャーーーン!!!
イロチコーデだな。まぁ、やっぱベタにCuCoの組み合わせが合う。蘭ユリでもいい。SeCuも可愛い。オーロラキス、ピュアエンジェルアクアリボンと合わせると地上に恋を振りまく天使になるぞ。
・フェアリーテイルコーデ+ブルーミングフェアリーカチューシャ
デザインレベルの高いマジカルトイの中でも特に優秀なのがこれ。超かわいい。やっぱ最初はかえでかな、隣にハニージョーカーコーデのユリカ様を添えて。
寒色系なので明るい色のアイドルがよく似合う。自分はいちごが一番似合うと思うね、髪色が丁度差し色になってるし。もちろんリリィ先輩やユリカ様、あおい姐さんみたいなCoにもピッタリだ。
・ファントムレディコーデ
オシャレ怪盗のやつ。どうでもいいけど劇場版に出てきた三代目(?)は爆発力あったよな…でも俺は蘭ユリのスワロテイル見たかったよ。あの回大好きなんスよ…。
めっちゃ好っきゃねん…めっちゃ好っきゃねん……やっぱりあかスミなんだなぁ みつを
死因:ゆめローラ
この目とこの耳と、口と肌で
途中、何気なくスマホでチェックした若林正恭の最新刊「ナナメの夕暮れ」に関するインタビューがあった。
昼に読んで、「なるほど」と思ったものだ。
再びニュースSNSを見ると、すでにそのニュースに関する話題でユーザーは盛り上がっている。
「もう直ぐマウンティングがダサいと言われる世の中になる」という彼自身の世界の見方に、「『マウンティングがダサい』っていうマウンティングですか」「金持って若い女と付き合えるご身分になって言えることだね」という意見もつく。
そういうものだろうか。
自分は若林さんの「人の評価を気にするより、自分が好きで没頭できるものを持っている方が価値がある世の中になる」という考え方に共感するものがある。
この旅行を思い立ったのは仕事で倒れて1ヶ月休暇を取ることになったのがきっかけだが、その事に恨みも後悔もない。(いや、もっと上手くやりゃ良かったなくらいはあるが)
何故かといえば、人に課されたプロジェクトではあったが、それを利用して達する使命は自ら決めたから。
己が達したいと思う使命で動くことは、自分の評価を自分で決めることであって、人の評価から自由になる事だ。
それに対して、他人との相対評価や、人からの評価を自分の評価と同一視することは、自分の人生の時間や労力の価値を人に明け渡す事だ。
他人のさじ加減で痛みも喜びもコントロールされてしまう上に、人や世の中の評価をアテにして結果が出なければ、受けたダメージに怨みが乗っかってより重くなる。
そんな危険を冒すより、自分の好きを見つけ出して、自分の見たい知りたいやりたいを基準にして自分の使命を決め、やって見て、その評価は自分でした方が、時に痛みはあったとしたも、恐れや恨みと出会う事が少なくなると思う。
人に振り回された挙句、恨みを呟きながら日々を過ごすのは人生の時間の無駄だ。
初めて乗るジェットスター成田行きに乗り、LCCの機内食を食べれば、1週間の旅でやりたい事の全ては終了だ。
この旅行で、自分はまだ見た事のなかった中国・九州の街を見て、当地の料理を食べ、東京の外の日本ではどんな国の人々がやって来ているのかを知り、大自然の中でスカイブルーの温泉に浸かった。
もっともっと、沢山の物事を、この目とこの耳と、口と肌で知りたい。
別府ん湯って最高やろ?
酸性硫化水素と鉄を含んだスカイブルーの湯は「これが温泉です」というイメージを具現化した様な姿だった。
素晴らしい湯をしばらく堪能した後、併設の食事処で再びとり天とだんご汁を頂く。
そこら辺は味のレンジに幅があるのかも知れないが、これも美味い。
下山する前に、「地獄」と呼ばれる湧泉池のひとつ、「海地獄」を訪れる。
ここは入湯施設がメインではなく、景色を見る事を主としたいわば温泉のテーマパークだ。
受付を済ませて建物を通り抜けると、98℃の熱湯を湛えたコバルトブルーの池からモウモウと湯気が上がっていた。
訪れた人が思い思い写真を撮る。
ここではよく広東語が聞こえてきた。
地元が温泉どころで、温泉リゾートが生活に根付いている台湾の人がこの地を目指してくるのはなんとなく納得していたが、香港の人も別府に多く訪れるらしい。
まだ1件いける。
市街を海に向かって下る。
地図を見ながら歩いて行くと、周りに肌も露わなアゲ嬢たちのディスプレイが。
竹瓦温泉は元々遊郭を改造したものらしが、当地は今でもバリバリ現役の風俗街だった。
歴史ある見事な佇まいの門をくぐり、入湯料を払う。
100円。
どういう価格設定だ。
男湯の暖簾をくぐると、脱衣所と一体になった空間にいきなり登場する湯船。
風俗街の真っ只中に建ち、脱衣所と浴室の仕切りも洗い場もなく、お湯は熱湯風呂。
別府最後の温泉は、東京ではなかなかできないハードコアな体験だった。