はてなキーワード: 通貨とは
544 ソーゾー君 2014/12/24(水) 21:52:58 rWRkw0y6
1「消費税増税は売国政策で民主党の圧力で、自民党は渋々実行した」
2「消費税増税=売国政策の影響を軽減または無効化する為に軽減税率を導入した」
↑これで間違いないよね?これで行くの?事実は>>535だけどこれで良いんだな?
キャバ嬢の尻や乳を見てないで>>537の警告を読めよ?これで行くんだな?
捻れ国会や野党時代ならまだその屁理屈は成り立つ可能性はある・・絶望的だけどねw
その証拠は議会の投票結果を見りゃ解る・・自民党は満場一致で全員賛成
民主党は反対して離党するわ、反対票入れて揉めるわで酷いものだった・・
そして、衆参単独与党になった後の導入の時の投票も自民党は満場一致で全員賛成w
http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/52031618.html
↑そしてこれが三党合意の投票結果w消費税増税法案は自公案だから自公は盤石w
このアホブログは百式のように(>>536>>538-539参照)これを好機と民主党をボロカスに批判しているがね
消費税はその名の通り「消費に対する税」である。デフレなのにこんな事やって良いと思う?
https://www.youtube.com/watch?v=5TqbGL-EnTo
作ったのは「自民ネットサポーター=陰謀論者=反陰謀論者=ネトウヨ」です。
2「日本人の富を奪う事」
↑2は嘘です。1がメインです。
何度も言いますが「欧州の銀行家は通貨発行者です。だからお金を稼ぐ必要はないのです」
「欧州の銀行家=通貨発行者=債権者」「国=政府=国民=債務者」
↑独自性を有した=民間の中央銀行家や市中銀行が存在したらこうなります。
金持ちなど居ないのです・・「負債総額=資産総額」となるからです。
これは無利子での例えです。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1414594539/
年寄りが強いせいで好きなことできない?
バカだろお前。
そもそも、好きなことができる奴の席が少ないんだよ。マクロ経済的に。
お前みたいなバカの視界に入っている現象は、ミクロ経済って奴で扱われる範囲なんだ。
お前の頭の中には、日本全体の様子なんて入りきらないんだよ。
分かる?分からないよね。んでマスコミに騙されて、景気を悪くします!って言ってる議員に投票するわけさ。
ミクロの世界をどんなに効率よく改革したところで、それで得するのはごく少数。
特にお前みたいなバカは、他のやつらの改革に負けて仕事を奪われる。
円安になって景気がよくなる…。
そんな単純な話ではないでしょう。
このサイクルに入って景気が上向くのが経済の基本。
需要の増加が伴っていません。
そして、給料は上がらず物価が上がるという状況になっています。
しかし、円安にしても輸出は伸びませんでした。
バブル崩壊(日米とも)によって銀行のバランスシートが毀損したときに
金融緩和(非伝統的な手法による量的緩和)は非常に効果的でした。
しかし、サブプライム危機では日本の銀行はリスクをとっていなかったので
バランスシートは毀損していなかった。
(逆に欧米の銀行は不良債権を抱えていたため、量的緩和の効果があった)
しかし、現在の黒田バズーカは過剰なまでの国債市場に介入して買い占めることで
短期的にはそれに仮儒(投資や各国のインフレ率など)が加わることになります。
しかし、黒田緩和がなくても日本は東日本大震災以来貿易赤字国になっており円安圧力がかかっていました。
さらに、米国の量的緩和のテーパリングを行っていたためドル高の下地はできていたので黒田緩和がなくてもドル高円安になっていたでしょう。
しかし、今回の量的緩和で円の信認を毀損してしまったために想像以上の円安になってしまいました。
そして、それが輸入物価の上昇という形で悪影響を及ぼしています。
また、景気回復はアベノミクスのおかげといった論調ですが、阿部政権が誕生した時には米国の景気回復は確かなものになりつつあったのでどのような状況でも景気回復していたと思います。
サブプライム危機のとき円高になったのも日銀が金融緩和しなかったためではなく
調達通貨として売られていた円売りポジションが解消されて円高になったためです。
そして量的緩和を行わず円高不況を招いたとありますが、日銀は売られすぎた資産に対応するために
REITとETFの購入を始めており、何もやっていないわけではなく十分すぎるほど動いていました。
結局サブプライム後の円高不況の原因は、右往左往を続けた民主党政権の経済運営がひどかったためと思います。
通貨高で採算が取れなくなることはよくあることです。しかし、企業努力をしてより付加価値の高い代替のない商品を
作ることで通貨高を苦にせず商売ができます。実際、円高でも円安でも輸出が変わらなかったということは、
今日本に残っている企業はそれを達成した企業であり、企業努力の賜物だと思うのです。
しかし、逆に円安になって採算が取れるようになればどうなるでしょうか。
円安という麻薬により企業努力をしなくなり技術革新が遅れて最終的には他国に抜かされることになるでしょう。
重要なことは通貨の価値を高めて国民の購買力を高めることが国民の生活に質を高めることになると思うのです。
問題は通貨高を生かすような政策がこれまでなされてなかったことではないでしょうか。
人口減少による総需要の低下は避けられないので、デフレ圧力からは逃れられないのです。
だからといって円を刷って政府が国民の代わりに株(ETF)や不動産(REIT)を買ってインフレを起こすなどといった
歪な方法は即刻やめた方が良いでしょう。最初のうちは株価や不動産が上がって賞賛を受けるかもしれませんが、
次の危機のときに大幅な損失を抱えて日本の年金が吹っ飛ぶことになると思います。
そうしたら残るのは債務だけなので本当にインフレで全部チャラ(財政破綻)にするしかなくなります。
デフレ脱却はお金を刷れば解決といった単純な話ではないと思います。
結局は少子化対策もしくは移民の検討などから地道に始める必要があります。
そして何より需要の創造が必要です。需要がなければ企業は設備投資もしないですし、
内部留保も増えます。それにケチをつける政治家は企業に文句を言うのではなく
規制緩和をして新しい需要の創造のために真剣に取り組むべきです。
結局のところアベノミクスの泣きどころは、成長戦略がまったく期待はずれだったことです。
政府にできることは人の金で相場を張ることではなく規制緩和を行い企業活動が円滑に行うことができるように法整備することだけです。
私は経済学についてきちんと修めたことはありませんが、これらの内容は日々の金融取引の中で学んだものです。
結局のところ私は相場屋ですので今後の動きについてお話して終わりにしたいと思います。
米国の景気回復は確かなものですので、それに付随して日本も景気回復することになります。
当然、株価も上がり日経はバブル最高値の38000円を超えるでしょう。何せ親方日の丸が提灯をつけているわけですから(苦笑)。
しかし、成長戦略の第3の矢は放置されることになると思うので、庶民の生活はあまり変わらないと思います。
むしろ悪化するのではないでしょうか。恩恵にあずかるのは国民の10%と見ています。
為替相場は常に行きすぎるものです。黒田バズーカの弊害で160円ぐらいまでいくでしょう。
2020年東京オリンピックあたりに高値をつけて日経38000円、ドル円160円あたりでしょうか。
ただこの後、大きな危機が起きて日本の年金は吹っ飛ぶでしょうね。
そして125円ぐらいまで円高になったあと大幅円安になって破綻する可能性が高そうですね。
もし破綻しなくてもその後高インフレで苦しむことになるのではないでしょうか。
タイトルを記事内容に合ったものに変更しました。内容は変えていません。
http://twitter.com/InsideCHIKIRIN/status/535980176283566080
「円安が好きな人ってほんとーにわからない。自分の国を安く売って何が嬉しいのかな。」
http://twitter.com/InsideCHIKIRIN/status/534181673152565248
「消費税が逆進的だ(所得の低い人に厳しい)という人は多いけど、円安もかなり逆進的だよね。円安で利益がでるのはトヨタなど大企業ばっかり。
その一方、格安な輸入食材&商品が軒並み、円安で値上がりして、低所得者層は出費が増える。」
この2つのツイートへの返答をマクラにしつつ、アベノミクス(このダサいネーミングはなんとかならないのか)の良い点と悪い点、
民主党執行部への愚痴(これがメイン)なんかを書いていこうと思います。
ここ15年ぐらいずっと言われてきた「デフレ不況」、デフレとは、物価が持続的に下落している状態を指します。
単純に考えればモノの値段が下がることはうれしいはずなのに、なんでデフレが問題なんでしょうか。
そんなことわかってるよと思われるかもしれませんが、順を追って説明するために書いておきます。
物価が下がって企業の売上が減ると、企業収益が減ります。企業は利益を出すためには費用も減らさなければいけません。
今回はこのうち、人件費を抑える、というポイントにしぼって話をします。
物価が下落したのと同じ割合で社員全員の給料を減らせれば何の問題もないのかもしれませんが、そういうふうにはできないですよね。
正社員の給料は、物価が下落する割合ほどには下がりません。これを「賃金の下方硬直性」と言います。
リストラされずにすんで定収入がある人たちはデフレで少しずつ得をしますが、その分をリストラされて収入が無くなる人がかぶるんです。
結局この被害を一番受けるのは、これから社会に出て仕事をしようとする若い世代です。求人が減って有効求人倍率が下がります。
企業はすでに雇用している人を解雇するよりも先に、新しく入ってくる人を減らすので失業率が高くなります。真っ先にこの影響を受けるのは若者です。
これがデフレを問題視するべき大きな理由です。若年失業者が増え、世代間格差が拡大していきます。
物価上昇率と失業率にははっきりとした相関関係があって、フィリップス曲線と呼ばれていますが、物価上昇率が低いと失業率が高くなります。
ここまでに書いたとおり、景気変動によって不況時にはデフレによって失業という経済問題が起こります。
また、好況時にはインフレーションという問題が起こってしまいます。だから過度のインフレもデフレも望ましくないのですが、
経済は常に循環してるのでほっておくと景気変動は避けることができません。
金融安定化政策とは、このような景気変動を平準化するために政府がとる政策のことです。
インフレ時には世の中に出回るお金の量を減らすことで景気の過熱をおさえて、デフレ時には出回るお金の量を増やすことで景気を温めます。
この政策の効果がよくわかるのは、リーマンショック以降の各国の金融政策です。
中央銀行(日本だと日本銀行)が供給している通貨の総量をマネタリーベースと言います。
リーマンショック以降、アメリカは大規模な金融緩和によってマネタリーベースが急増しました。
それに対して日本はあまり増えていません。不況下でも出回るお金の量を増やさなかったことでデフレ不況が加速していきました。
また、出回るドルの量が増え円の量が増えなかった影響で円高ドル安も加速しました。
ドルはたくさん出回っているから安くなり円はあまり出回ってないから高くなります。
ここで大事なのは、通貨の交換レートというのは出回っている量の比率で決まるものでしかないということです。
最初に紹介したちきりん女史のツイートでの誤解はここにあって、円が高いか安いかと、自国を高く売るとか安く売るとかはなんの関係もありません。
その国の通貨がどのぐらい出回っているかは金融政策によって決まりますが、それは好不況の影響を平準化するための結果でしかありません。
リーマンショック前には1ドル110〜120円だったのが、2011年には1ドル70円台というとてつもない円高ドル安に突入しました。
円が高くなったからと言って日本が豊かになったわけでないのはご存知の通りです。
アベノミクス(もう一度言うけどこのネーミングはダサすぎると思う)ではこのデフレ不況に対して、やっと金融緩和をして出回るお金の量を増やしました。
今まで金融緩和をしてこなかったのが異常なだけで金融政策に関してはごくごく普通の政策なんです。
ここからが本題です。というか民主党支持者としてのただの愚痴です。はぁ…
日本銀行には、第一次石油危機の時の高インフレや、バブル経済の時代に金融緩和をしすぎた記憶から、インフレは悪だという認識が根強くあります。
デフレでも良いからとにかくインフレにならないような金融政策を行ってきました。
38度の熱を出してしまったトラウマが忘れられなくて体温を34度に保って体を鍛えようとしている人がいたらまず36度ぐらいまで体を温めろよと言うと思うんですが、
体温を上げるのは絶対に許せないと言う考えが日本銀行には強くあります。
それと、マスコミや知識人に多いのがイデオロギー的に金融緩和にアレルギーを持っている人たちです。バブル時代、自民党政権は好景気の中で金融緩和を進め
赤字国債を発行し財政支出を増やしていきました。この時期の「自民党的」な政策に対するアレルギーから、金融緩和政策に対して脊髄反射的にバブルの再来、
という言葉を使いたがる傾向があります。バブルを知らない私にはこの感覚が全くわからないんですが、バブルのトラウマはこんなにも大きいのか、と心から思います。
ただ、ここまででも書いたとおり金融政策はイデオロギーとは関係ない技術的な問題です。
インフレ時には引き締め、デフレ時には緩和する、それ以上でも以下でもありません。
国の経済政策についての学問であるマクロ経済学には、大きく分けて二つの考え方があります。「新古典派」と「ケインズ学派」です。
おおざっぱにいうと新古典派の経済政策というのは、経済活動は市場に任せていれば最適化されてうまくいくから国はなるべく介入すべきではない、という考え方です。
それに対してケインズ学派の経済政策というのは、新古典派経済学は特殊な環境でしか成立しないから、国が環境をうまく整えるべきという考え方です。
金融安定化政策というのは、ほっといたら物価は勝手に上がったり下がったりしてひどいインフレやデフレになったりするからそれを安定させようとする政策なので、
当然ケインズ学派に属する政策です。ケインズという経済学者が書いた「雇用・利子および貨幣の一般理論」という本の中で提言されていて、
アベノミクス(ry)が設定した3つの論点は1,金融政策2,財政政策3,成長戦略です。経済学的にも妥当な論点の設定だと思います。
タイトルにも書いているように私は民主党を支持していますが、現政権の政策で経済政策に限らず私が唯一支持しているのが1の金融政策です。
そしてこの点についてずっと民主党に不満をもっています。金融緩和アレルギーの項で、金融政策を体温の上げ下げに例えましたが、とにかく36度ぐらいまで体温を
上げないと何も始まらないという現政権の金融政策を否定する理由は特にありません。ただ、その上でどんな栄養を取るかだったりどういう風に体質改善するかについて
は全く支持できません。金融緩和は短期的(2~5年)に企業収益を押し上げ失業率を低下させます(個人的にはこの失業率低下が超重要!)。
そして長期的(10年以上)なスパンで考えると制度疲労がおきている仕組みを変更したり不要な規制を撤廃するための体質改善やトレーニングが必要です。
この体質改善の部分については民主党を支持しています。だからこそ民主党に金融緩和をしてほしかった。そして実際にそのチャンスもあったと思っています。
でも結局できなかった。なぜなのか私なりに感じていることを書いてみます。
民主党政権時代に民主党議員を中心とした超党派のデフレ脱却議連というのがありました。遅すぎるだろうという不満はともかくとして、
デフレ脱却のために金融緩和をすべきということを民主党内にも真剣に考える議員達がいました。2010年6月と7月にはこんな記事がでています。
新政権で金融緩和、円安進む-民主のデフレ脱却議連事務局長http://www.bloomberg.co.jp/news/123-L3GOBZ0D9L3501.html
民主デフレ脱却議連、インフレ目標導入など財務相に提言http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-16524520100730
でも結局政策として実現することはありませんでした。民主党の最大の問題点はガバナンスだと思います。人材がいても執行部のイデオロギー的な好みで実現しない
ことが多すぎるのではと思っています。デフレ脱却議連の人達は今の海江田代表&枝野バカヤロウコノヤロウ幹事長体制をどう見てるんでしょう。
2012年に民主党の野田首相と自民党の谷垣総裁、公明党の山口那津男代表が三党合意によって10パーセントへの増税をおまけみたいな景気条項つきで決定しました。
実際には景気の悪い時に増税して、財政再建が成功した例は世界的にみてもありません。この後、年末の解散で安倍政権が誕生して金融緩和が始まりましたが、
あのタイミングで金融緩和をせずに増税してたらと思うと本当に恐ろしいです。
歴史的に見ても、名目GDPが増えない限り、財政再建には成功しません。日本でもかつて2005年から2008年くらいまで、名目GDPが多少増えた時には、
一番大事なのは、まず経済が成長することです。成長することで税収を増やしていく。
実際に2013年度に関しては、経済成長のおかげで3.6兆円ほど税収が増えています。
こういう話をすると結局カネかよ、という反応をされることがあります。正しい政策を主張しているのはこっちなのに景気さえ良ければいいのかと。
リベラルに一定数いるこういう浮世離れした反応が正直に言って一番苦手です。安倍政権は大嫌いだし自民党には投票しないけど支持が落ちない理由は理解できます。
自民党に投票する人を見下して笑ってれば支持が増えると思うならそうすればいいですよ。安倍首相は表舞台からいなくなってる間、デフレ脱却のために真剣に
マクロ経済の勉強をしたおかげで、いまだに支持率が40パーセント以上あって長期政権になりそうです。このことを民主党の政治家はを本気で考えてほしいです。
最初に書いたとおり定収入が保証されていたり資産が十分にある人にとってデフレは得なんです。
そして何度でも言うけどデフレ下での金融緩和は直接的に失業率を下げる効果があります。実際に下がっています。
あまり報道されていませんが、中小企業景況調査報告書を見ると中小企業の景況感も良くなっています。
http://www.chusho.meti.go.jp/koukai/chousa/keikyo/137keikyo/137sokuho.pdf
定収入がある人達の賃金アップはその後に来ます。金融緩和は上位3パーセントだけが得をする政策だと一生懸命に主張している人達には
下位5パーセントは見えていないのか、それともイデオロギーのほうが大事なのかどっちなんでしょう。
私が民主党を支持する理由をあえてイデオロギーを強調して書くと、保守が再分配に興味を持つよりもリベラルが金融緩和するほうが可能性があると
今でも思っているからです。それなのに、実際にこの二年間でデフレ脱却のための道筋をつけた現政権の支持者を馬鹿にしてる人とケンカになったりすると、
一回まとめておきます。私が望む経済政策は、金融政策によって過度なインフレやデフレを抑えつつ、子育て世代や社会的弱者への厚い再分配や余計な規制の緩和、
同一労働同一賃金を実現して世代間格差の緩和や財政健全化を目指すことです。そんな政党があれば今すぐ飛びつきます。飛びつきたくてしょうがないです。
それなのに現状デフレ下で金融緩和に賛成している政党は自民党以外だと維新の党や次世代の党、もうなくなったけどみんなの党みたいに
再分配に興味がない政党ばかりで泣きそうです。どんなに失業率が少なくなっても失業者がゼロになることはないです。
この二年で雇用を増やして失業者を減らしたけど、それでもまだ失業している人への再分配には興味がないのが現政権で、
再分配に興味はあるけどその原資のために景気を良くしたり失業率を下げるための政策を最後まで採らなかったのが前政権です。
知らん。誰か教えてください
人類学って言うのはどうしても「実例」の丹念な積み重ねになるので、その「解釈」つまり読み解き方には差が出る。
で、「物々交換なんか無かったんや」てなエントリーが話題をさらって、それに対する反論に引っかかるところがあったんでソレについて。
人類学の宿命とも言える所に、「やっぱ珍しいところから入るだろJK」問題というのがある。
「日本人って、デートは神社の縁日で金魚すくいで彼女が浴衣を着てくるのが普通なんだろ?」とイギリス人から言われたらどう応える?
まあ、厳密に言えば間違いとはいえないがそれはほぼファンタジーだぞ、という説明は難しい。
例えば、物々交換はあったと言う例でスターを集めているコメントに以下のものがある。
いやいやいやいや。ヤップ島の例だけを根拠に学説を全否定するのはどう考えてもおかしいでしょ。トロブリアンド諸島のクラとか、ポトラッチ(蕩尽)とかどう説明するの。人類学の成果を無視しすぎ。
『トロブリアンド諸島のクラ』とは、ザックリ言えばパプア・ニューギニアの島々で行われている儀礼的な交易を言う。
Kula ringなんかでググると出てくるから省略するが、これはgift economies、つまり贈与経済とされる。
というかだ、仮にも人類学という単語を発するからには、近代人類学の父と呼ばれるブロニスワフ・マリノフスキを避けては通れないし、
彼がその名声を確立したクラをめぐる『西太平洋の遠洋航海者』を読んではいなくても概要ぐらいは触れたことがあるだろう。
単なる装身具にすぎない腕輪や首飾りを交換するためだけに危険な海洋交易を行う理由が、経済的な財物の交換ではなく、政治的な権威とその維持を含めた儀礼的な制度であるという主張だ。
また、『ポトラッチ(蕩尽)』も同様だ。これも「贈り物」が語源とされる北米インディアンの伝統的な贈与経済だと言われている。
ザックリ説明すれば、その構成グループの中でイベントがあると、一番持っているヤツが振る舞うという、風習だ。
簡単に例えよう。
日本には古来物々交換なんぞ無かったと言われて「おいおい、お中元やお歳暮を無視する気かよ」と返しているのと同じだ。
普段のお買い物の話に対して、儀礼的な相互贈与で反論するのは、控えめに言っても筋が悪い。
というかだ、人類学をチョコっとでもかじったことがある人間なら、クラ、ポトラッチとくればピンとくる。
フランスの文化人類学者である、マルセル・モースの代表作とも言える「贈与論」だ。
文化人類学では「お返しを期待する贈り物」を「互酬」と言い、リターンを期待しない「真の贈り物」とは区別して語られる。
で、この互酬のうち、遅延して交換するものは、基本的に儀礼的だったり政治的だったりする。
そして、即時の交換(その場で交換する)ものを、Barterつまり物々交換と呼ぶ。
で、この物々交換をお金の起源として(比較的悪しざまに)主張したのが、アダム・スミスの国富論(The Wealth of Nations)だ。
ただ、さっきまでの話で判る通り、文化人類学者は常々「いや、物々交換って基本的には部外者とのやりとりに使ってただけで、村人同士では儀礼的なものだよ」と言ってきた。
言葉が通じる同じ仲間同士で、物々交換が行われていたという強固な証拠は無い。というか見つけづらい。
が、沈黙交易(Silent Trade)と呼ばれる、言葉の通じない(場合によっては通じても姿を見せない)相手との物々交換が行われていた記録はある。
信用も無く関係性も希薄なので、その場で交換する必要があって、社会的な義務や政治的な権威とは切り離される。
この場合、お互いに価値が有るものとして砂金や塩を用いることはあった。
古代エジプトにおいても、鋳造貨幣は対国家のような対外取引でしか用いられなかった事からも、貨幣は信用と切り離されて当初存在した。
それがそのうちに、「金銀を持ち歩くの危ないから、金庫に入れておいて引き出せる札だけやりとりしようぜ」となった。
これが紙幣発生の一形態だ。(他の発生形態もあるので、調べてみると面白いよ)
つまり、「この札を持っていけば金に交換される」という信用がトレードの基礎になっているのは、
「オレが今日は魚をやったけど、こんど家の建て直し手伝ってくれよな」という顔なじみの村民にある信用と、本質的には同じだ。
その村でその信用を裏切る行動を取れば、適切に制裁されるという「村秩序に対する信用」が、村人間の普段のお買い物の基礎になっている。
譲渡することのできる信用がマネーだと言っているが、人類学はそれに反論はできない。
文化人類学者が積み重ねてきたことは、単純な物々交換とクラ交易とは違うという反論だ。
あるグループ内で通用する単位が、他のグループにおいても通用するとされた時に、マネーが産まれると言われれば、
そういう定義もあるかも知れないな、と思うだけだ。
極端なことを言えば、「1シナモン」という単位を作って、はてなで流通させても良いわけだ。
ある人が「これ釣りか解説欲しいんですけど」→「これは釣り記事です」と解説するのが10シナモンで
ある人が「これほんとかなあ」→「これは科学的にこうオカシイ」と解説するのが5シナモンだとしても良い。
これが、スポンジボブとお姑サンの間で行われている間は、単なる貸し借りの単位でしか無い。
「今回は私が解説したので、3シナモン分相殺ですね」とかできるわけだ。
それが「5シナモンくれたら、Microsoftの戦略について語るよ」とか
そして、そうならないだろうと素朴に想像できることが、お金の本質になる。
シナモンという評価価値は無限に生まれるが、それを適切に流通させるには、信用が必要になる。
この「信用」とは何か、「1シナモン」で記事を依頼したり、記事を書いたりする為に何が必要か考えると、お金とは何かという答えになる。
ニクソン・ショック以降、(正確にはニクソンよりちょっと後だけど)通貨が金本位制でなくなった時点から、お金とは信用とそれを担保する何かによって支えられている。
沈黙交易に代表される「信用出来ない相手との物々交換」は行われていたし、証拠も記録もある。
ある集団内での資産(獣や魚や穀物)を再分配する機能が、巨大化するにつれて歪んだ記録もある。
しかし、クラ交易やポトラッチは、単純な物々交換と異なる「互酬」つまり、信用や政治的な権威を背景にした贈与文化であるとされている。
それどころか、文化人類学者であったモースは、経済的な取引は社会的な価値交換の一部に過ぎなかったとすら言っているのだ。
つまり、大昔に物々交換は無かったのだ!と言われた時に、物々交換はあった!として例示する対象として、全く相応しくない。
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Unixという考え方という本を読んだ。もう図書館に返してしまったので、これから書くことはあまり正確じゃないと思う。〜的なという表現が多くなってるのはそのためだ。
この本で最も印象に残ったのが、梃子(てこ)の話。著者の叔母がちょっとしたマルチ商法で大金を稼いだ話を例にとり、「プログラミングもこういうもんさ、梃子を使うんだよ」的なことが書かれているが、倫理的な問題はおいといて、そういう感じでプログラミングをすることってどうすれば可能なんだ?と疑問が湧いた。自分のようなクズ野郎はもちろんのこと、たとえ修行僧のように淡々と技術を磨いているプログラマでも、本節を読めば自分の技術を使って著者の叔母のように大金が欲しいと思うはずだ。
プログラミングの梃子らしい部分は自動化だ。少なくとも、本にはそう書いてあった。梃子の具体例としてシェルスクリプトがあげられて、たった一行のスクリプトが賢いプログラマたちが作った何千行のプログラムを実行するんだ。これこそ梃子だ、的なことが書いてあった。いや、でもちょっと待って欲しい。こっちは叔母のように大金が欲しいわけだ。Unixの素晴らしさは他の章でも散々書いてあるし、ここでシェルスクリプトの話をされても困る。話をそらさないで欲しい。
著者が言いたいことはわかる。この節ではあくまでもシェルスクリプトの凄さを語りたかったわけで、叔母が大金を稼いだ話はそのための撒き餌に過ぎないんだろう。でも、ほとんどの人間にとって、本気で考える価値があるのは大金の方だろう。優秀なプログラマが生産性を上げた結果、それだけで幸せになれると思うか?むしろ仕事が増えているじゃないか。資本家はいつだって労働者を限界までこき使う。プログラマが創造的な仕事だということは、プログラマにしか理解されない。梃子をプログラマの幸福につなげるには、どうしても社会で使える通貨にしないといけない。
さあ、シェルスクリプトの梃子を使って金を生み出すとして、どういう具体的な手段があるんだ?
ソフトウェアで大金を稼いだやつを思い浮かべろ、と言われたら真っ先にビル・ゲイツの顔が浮かぶだろう。彼がやったことはなにか。ソフトウェアを作って、ライセンスを刻んだ。そのソフトウェアがどこのメーカーのハードウェアで動作しても、ソフトウェアはMicrosoft社のものだということがはっきりしている。そこから、利益を得るわけだ。これはまさに本に書いてあった梃子(著者の叔母はタッパを販売して、さらにその販売先の客に販売を勧め、その利益の一部を手にしていた。マルチ商法だ。)と同じ類のものだろう。
「I'm CEO, bitch.」
学生時代にFacebookを作り上げたマーク・ザッカーバーグは、FacebookがダサいSNSになった今でも、若い起業家の憧れの的だ。
彼がやったのはなにかというと、広告だ。
学生たちが楽しめるようなプラットフォームを無料で提供し、そこに広告を掲載することで大金を生み出した。広告のどこに梃子があったかというとソーシャル・ネットワークだ。広告で稼ぐにはたくさんの人に見られる必要があるわけだが、SNSという特性自体が梃子になり、ユーザー数がみるみると増大していったことが、広告による大金を生み出した。
主に日本で見られた現象が、ソーシャルゲームだ。これは偶像を売る商売だ。一度イラストレーターが作成したものは、いくらでも複製できる。それを消費者の射幸心に訴えかけながら売っていく。この電子的な麻薬が、なぜか日本では異常なほど受け入れられる。梃子の力は複製が容易ということだけでなく、消費者の脳内でも起きている。消費者自身の購買行動が次の購買を促す仕組み、中毒性こそがこの商売にユニークな梃子だ。
___
飽きた。ブクマがたくさんつけば書き足す。
ブクマの伸びがゆっくりなのでここらで書き足しておく。上に書いたのは、本を読んで率直に感じた疑問と、それに対する、偏見なども大いに含んだ主観的な考察だ。しかし、こんなことをしたのは、他の誰のためでもない、自分のためだ。興味本位でプログラミングを始めてしまって、それが楽しくなってしまった自分の行く先を少しでも認識したいという切実な願望があったからだ。
ちょうど他の増田に漫画家の話が書かれていたけれど、ソフトウェアエンジニアだってああいったことになりかねない。いや、もうなっているかもしれない。創造的な人たちがつくりあげた偉大な製品が、資本家に食い尽くされることが、平気で行われている。以前ネットで知り合ったインドネシアのプログラマーは、自分の仕事が不当な扱いを受けていると嘆いていた。「海外の安い人件費」として働く彼らは、高度な技術を持っているにも関わらず、正当な報酬を手にすることができない。
まどろっこしいので言いたいことを言おう。梃子は生産性を高めるために使うだけじゃだめだ。自分や他の創造的な人々の権利を守るために使わないといけない。でなければ結局、プログラミングを始めたときに感じた魅力や全能感、思考力を捨てて、資本家の歯車になるような未来しか待っていない。
軍隊が通貨の代用として使用する手形であり、最終的には、その軍隊が所属する政府によって軍票所持者に対し債務支払いを行う必要があるが、敗戦国の場合、支払能力がないため反故にされる場合もある。
ということは軍票がクズになって慰安婦に十分な報酬が払えなかったのは
負けたくて負ける国はないわけで
「軍票をクズにして充分な報酬が払えなかった」ことは故意ではなく過失といえる
よって報酬に関しては加害(とされている)側にある程度の斟酌は必要だろう
「慰安婦の問題点は報酬など関係なく人権侵害であるからだ」という態度にも疑問である。
”何をもって人権侵害とするか”慰安婦に対して補償せよという立場の人間はここで足並みがそろっていない。
すなわち「女性自身が体を売り物にする権利」を認めているか否かである。
契約として「わたしは体を売ります」「あなたの体を買います」となった時、
(その後の報酬は「関係ない」のだから)売ること、買うことについての同意自体には全く瑕疵が無い。
人権侵害は性を売り物にしたことではない、軍が強制的に徴用したこと、または悪質な労働環境etcであるというのならば
「比較対象として公務員を選ぶことについて、誰かも覚えていない人が批判していた」から、その点だけは反論するけど、慰安婦の収入自体についてはなにも述べず、換算もせず、リンクも張らない。でも、当時の物価を現在の通貨価値に換算することはやってみる、という行動は理解が困難だけど、それはさて置く。
軍票は戦中から強烈なインフレ起こしていたから、「額面」で比較することは不可能。そもそも単位が「円」でなかったり、日本円への換金がそもそも想定されてなかったりとか。
慰安婦の収入を日本の公務員と比較するなら、どの慰安所のどの時期の収入がどのような通貨(軍票だったなら、どの軍票か)で支払われたかを確定し、さらに日本円との当時の換算レートをまず確定する必要がある。確定しないで比較するのは、リラやウォンや円と米ドルを「単位を無視して数字の大小だけで比較する」ようなもので、有害無益だ。
そして、慰安婦は固定給貰ってなくて、出来高制だったこと。料金を兵士が通えない金額に設定することはそもそもありえない、ということにも留保が必要。慰安婦がもの凄い高給取りだ、という計算結果になった場合、計算結果がどこかおかしい。そんな高給の出所はどこにも無いんだから。
生活費の天引きも行なわれ、強制貯金もさせられて引き出しは禁止されたことも無視しちゃダメだよ。「戦後紙くずになった」というのは、「戦後は皆財産を失なったので、しょうがない」という連想を生むんだけど、生活費の天引きも強制貯金も、戦中に行なわれたことだからね。
お世話になっております。
本日ドタキャンされて暇になってしまったため本文を提出するに至りました。
昨年 デフレ大学 から リフレ大学 に 転学した スズキと申します。
円通貨は 資産の20%ほど現在でも保持し円建てで見るとキャピタル部分が年間12%くらい増えている今日このごろいかがお過ごしでしょうか?
自国通貨切り下げ は 功利主義の側面からすると大変歓迎できる事象ですが日本共同体の一員としてとても悲しく感じています。
光通信やリクルートのような大変危険な戦場で責務をまっとうする戦闘員の給与が 経済破綻寸前でサッカー賭博に勤しみ食後のシエスタを2時間ほど楽しむご夫人達よりものより低いのです。
東京大学を卒業しDENAやサイバー等上場企業に煽られ、一日15時間働いているスーツのご貴族さまの可処分所得が 四則演算もろくにできないデトロイドの工場員様方より 低いのです。
必死に学問に勤しみ司法試験に合格し兄弟ご家族を興奮に導いたイソ弁様達の給与が スイスのマクドナルドの店員より低いのです。
ワンオペで 一日30万売り上げるすき家の店員様の給与が。。。。。。。。
頑丈なインフラと教育、勤勉性、止めどない博愛思想を持たれた日本国民の能力と実利の差分に 気持ち悪さを感じ喉元が詰まる所存でございます。
まあ俺はどうでもいいけどね。みんながんばれ貧乏人。
こんばんは。連投です。要はヒマなんです、仕事が。
なんで、今晩は昨今の有料出会い系サイトを利用して感じた事を書いておきます。
そもそも遥か昔。まだ援交なる言葉も無かった時代からテレクラ愛好家でした。と言ってもテレクラ創成期の早取りシステムの時代は知らないんですけども。自分が始めた頃はフロントの取り次ぎ制というシステムが主流になってたんだと思います。あと同時期に流行っていたのが「伝言ダイヤル」と言うシステム。NTTの伝言ダイヤルではなく、これまた有料のアダルト伝言ダイヤルみたいなのがあったんですよ当時は。詳しくはググって。声の掲示板みたいなものね。そんな時代だったので、美味しい思いも多々あったけど、やっぱり必然的に「売り」の温床にはなっていた訳ね。その辺は今と変わらず。バブル前後のギャル援交...そして規制の繰り返し。今やテレクラは死滅したけど、もっと簡単に、若い娘が円出来る、ハードルが下がっちゃった気がします。
さて、前置きが長くなりましたが。そんなことで当時を思い出しつつ、最近流行ってる(よく宣伝してる)有料出会い系SNSとでもいうのか?にいくつか登録してみて数ヶ月使ってみた感想を書いておきます。まず当然だけど援交の温床ですよね。言うまでもなく。ただ大概のサイトは「ピュア掲示板」と「アダルト掲示板」と言うのを分けていて、アダルトな出会いを求めてる人はアダルトに書く訳ですが、そこはもう完全に即求めてる人の募集板です。ところで有料SNSはほとんどが、異性のプロフィールを見たり、メールを出したりするのに「ポイント」というSNS内通貨を消費します。男性は少なくともなにがしかのお金を払ってポイントを買い、女性のプロフィールを見てメールを出すのにもポイントを消費します。この時点でそこそこ出費します。「大人の出会い」を求めている女性のプロフィールや掲示板には、たいそうそそられる事が書いてあります。新婚なのにレスでしたい、とか、SF探してます、長期の交際を求めてますとか... 美味しそうに見えます。しかもこんなのがいっぱいいます。心ワクワク、ポイント使ってメールを出すと、意外と簡単に返事は返ってきます。さて問題はここから。一番わかりやすいいわゆるサクラは、サイト内でのメールのやり取りを引き延ばしてポイントを削りにきます。これはわかりやすいサクラです。そこは適当にあしらって、直メやLINEなどを聞き出すのがいいでしょう。これに乗ってこなければ、ポイントを削りたいだけのサクラです。首尾よく直メ等を聞き出しても、この先いくつかのパターンがあります。自分は東京近郊に住んでいるので、必然的に会うのは都内か周辺になる事が多いですが、これがまた会いたい場所が(相手が指定してくる場所が)ある程度決まっています。新宿、渋谷、池袋などの超繁華街はまあ何となく納得できます。が、意外と多い指定場所に、上野、錦糸町、西川口なんかがあります。さて、何か見えてきたような気がしませんか? 誘い方にもパターンがあります。代表的なのが要約すると「長期的にお付き合いしたいです。ただ、初回から信用は出来ないので、今回だけ○円預けると思って頂けませんか? 次回からは割り勘にしますから、今回だけはお願いします。会ったら直接の連絡先も教えます。」と言う感じ。とりあえず約束をすれば会えます。少なくとも自分は会えました。さて、実際会ってなにがしかの行為のあと、メールの交換をしますが、相手が教えてくれるメアドは聞いた事も無いドメインの本当に通じるかもわからないアドレスです。旦那の関係で直電は出来ないと言うし、仕方なくそのアドレスを受け取ります。確認しようとしても、転送に時間がかかるかも、とか、分かれてからメールしてね、とか言われます。あとは推して知るべしです。お察しの通り、この商売はおそらく「デリヘル」の逆営業みたいなもんだと思います。あくまでも推測ですが。これだったら、普通にデリヘルの方が一応女の子の写真も見れるし全然お得だと思います。(基盤できるかできないかはおいといて)
長文になったので、次回へ続きます。
※匿名につらつら書いててもまとまらない事に気がついたので、あとで役立つまとまりやすいブログに引っ越しを思案中。引き続きどなたかいい方法を、募集中。
4月http://anond.hatelabo.jp/20140423220014
5月http://anond.hatelabo.jp/20140622185028
「 会ったこともないお方をどうして信じられるのだろう 」という記事を書いた増田。はてブやトラックバックに寄せられた意見をみて、そもそも自分の疑問に根本的な誤りがあり、もう一度別の視点から考え直す必要があるのだということがわかったので再度記事を書いてみる。
そもそも信じるということは自明ではないものを真だとみなしてみる行為なのだ。はてブでは数名の方がAmazonで商品を注文することや通貨の価値を信じる例を挙げられていたが、生活をおくる上で直接出会ったことのない人との取引や自明ではない価値を信用するという行為は必要不可欠な行為である。つまり、信じるという行為は生存する上で誰もが行っている行為ということができる。
これを元々の疑問にあてはめてみれば、会ったことのない存在を信じるということは何の不思議もない。むしろ、会ったことがない=自明な存在ではないから、そこでは信じるという行為につながるということになる。
するとここから新たな疑問が湧いてくる。自明ではないものを真だとみなすことが信じるということなのだとして、あるものを信じてあるものを信じないという区分けはいかにして行われるのか、人は何を判断基準として信じるという行為を為すのかという疑問にいたる。
これに対する答えはいくつか考えられる。
ひとつは、そもそもそれを信じるということがその人の生活を支える基盤となっているかどうかである。キリスト教の家庭に生まれて子供の頃からイエスをキリストだと信じることが当たり前だと考えているキリスト教徒がこれにあてはまる。地動説といった科学的学説にしても、それを真とする社会に生きているがために、検証したことはないけれども真だとみなしている。
もうひとつは、それを真だと考えた場合、自分にとって都合が良いか悪いかということである。ある貨幣の価値を信じるということは、その貨幣が流通する市場に参加する資格を得るために必要なので、人は自分の利益のために貨幣を信用する。この貨幣のケースがここに分類されるだろう。
最後に、これは判断基準とは異なるかもしれないけれど、それを信じる以外に自分が人として生きる選択肢が残されていない場合が考えられる。合理主義者が死の間際に死後の世界を信じる場合、自分の基盤であるかとうことや損得の問題を越えて、もはやそれを真とするしか自分を保つ方法が存在しないのである。
このように様々な判断基準を挙げてみたが、ここで新たに疑問が湧き上がってくる。
神を信じるということ、キリスト教徒にとってはイエスをキリストと信じることと、日常世界で何か信仰と関わりのないものを信じるということは同じなのだろうか。上に上げた判断基準のどれもが、キリスト教の信仰を成り立たせる基準になりうるのか。さらにいえば、既に信じるための環境が用意されている中で、主体的に選ぶこともなく信じるということは、本当に神を信じるということ、イエスをキリストだと信じるということになるのか。
こう色々考えてはみたものの、自分の考えのどこに誤りがあるか、ポイントとすべきところがあるのかてんで分からないので、このあたりで増田に載せてみることにする。
97:名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/08/06(水) 21:08:51.77 ID:VO12Yr4A0.net
>>66
通貨の発行量を増やしても、使う人がいなければ銀行に貯金しているのとなんらかわらない。
不必要な用途に無理やり円を使えば、それは不必要な公共事業投資とかわらない。
不必要な用途に無理やり円を使えば、それは不正の温床となり、優秀な人材が海外に逃げ国家インフラの基盤をぶっ壊す。
円の使い道、つまり、他国との競争に勝てるまっとうな企業なしに、通貨の発行量は伸びない。
公共事業系企業は国家のいいなりであり、他国との競争には勝てない。競争力が育成されない。(社会主義的だから)
国家が通貨の発行量を増やすと、リーマンショックなり、エンロンショックなりそういう不正の返済が起きて、マイナス成長が起きる。(日本の場合はバブルの清算)
小学生の頃、友達の作ったカードゲームがクラス内だけで大流行した。
給食の牛乳瓶のフタを通貨にして、各々自由に作ったカードを交換しあった。
僕は、転校してきたばかりで、うまくその輪に入っていけなかったが、
夕方の優しい日差しが満ちる教室で、演劇の大道具を急ピッチでみんなで作った。
誰かがコンビニでアイスを買ってきて、男女混じって手をベタベタにして食べた。
僕は、部活を掛け持ちしていたせいもあり、クラスの演劇にはあまり参加できていなかった。
それでも、僕は、その光景を、今も鮮明に覚えている。
ゼミ旅行の話だ。ゼミ旅行なんて、近県の旅館に行く程度で、徹夜で飲んで、麻雀するだけのつまらないものと思っていた。
ゼミの同期の女の子は、安い缶チューハイを両手で持って僕に言った。
大袈裟な。こんな旅行は、来週には他の旅行に上書きされてしまう。
「あなたにとっては、ただのつまらない旅行かもしれないけど、私には大切な思い出なんだよ。
その後、僕はビールを何回か一気飲みして潰れた。彼女の楽しそうな顔は、今でも当然覚えている。
たくさん昔話をした。
あの頃に戻りたいとは違うのだが、この懐かしい思い出にずっと浸っていたくて仕方がない。
そして、昔の家族のことを思い出して、涙が止まらなくなるのだ。
馬鹿だね、僕は。
ちょっと追記も含めて書きなおした。
・メールがLINEやその他のインスタントメッセンジャーアプリに置き換わる。
・インスタントメッセンジャーのなかにも、迷惑メールにあたるものが来るようになる。
・最初はSNSが統合され、次第にタクシー配車や、レストラン検索、地図アプリなど実用的なアプリがメッセンジャーに内包されていく。
・売りたい人と買いたい人をつなぐ、楽天的なサービスが拡充。工場直販が増加。中抜き専門の中間業者が死んでいく。
・ここまで完全無料。クリックして処理完了までの間、広告がちらっと見えるだけ。
・銀行口座直結でのオンライン決済システムや送金システムを内包。決済や送金用のオンライン上に少額口座が開けるように。
・最初はバーコード認証だったが、次第に非接触式ICでスピーディーに。
・普及はクレジット決済システムが普及していない途上国が先行。特に、中国では検閲を煙たがりクローズドなSNSに走る人が続出。
・オープンなインターネットを志向する先進国では普及送れる。グーグル帝国の支配は緩まず。
・当然、中国当局は検閲してる。それでも追いつかなくなるほど普及。13億人の会話を全部検閲するには常識で考えて無理。
・バーチャル通貨、バーチャルクレジットカードを経由して、金貸しまでできるようになる。ノウハウを活かして、利用者同士で借りたい人と貸したい人をつなぎまくる。
・ここまでも完全無料。クリックして処理完了までの間、広告がちらっと見えるだけ。
・中国当局、銀行もクレジットカード会社もぶっ潰す可能性に今頃気づく。当然規制しようとするが、大きすぎて潰せない。国家戦略として積極的に輸出する道を選ぶ。
・Google焦る。矢継ぎ早にパクリまくる。新サービスの会社を買収しまくる。
・Apple、iPhoneにNFC搭載。日本では思ったほど普及していかない。iTunes経由じゃないとチャージ出来ないSuicaはやっぱり使いづらい。
・意外と信販会社は生き残る。2020年でも米国はクレジットカード会社の天下。貧乏人は安いし便利だけど大雑把すぎて不具合だらけの中華アプリとGoogle謹製アプリは庶民。中間層から富裕層はみなアメリカンエキスプレス。
・LINEが頑張るが、前例のない新ビジネスはすべて所管省庁からお叱りを受けてすぐ撤退。スタンプがGifアニメになる程度の進化にとどまる。
・日本の戦略はクールジャパン、HENTAIの国の路線。男の娘だからロリじゃありません!的な寝言を言い続ける。
・中国がITで躍進。韓国とインドが米国のIT下請け。GoogleとAppleの帝国の支配力は弱まるが、それでも米国は好景気続く。金融業も潤って100年後も金持ち。
・米国と中国がネットの2大勢力としてしのぎを削っている頃、経産省が国産スマホOSの開発に乗り出す。富士通に投げる。
・国民健康保険と住基ネットカードと年金手帳と運転免許証を統合した情報端末!というのが売り。
・年金と健康保険は厚労省、運転免許は内閣府ということで折り合いがつかず、頓挫。
・運転免許情報と住基ネット情報だけ入った端末がdocomoから発売。結局、OSはAndroid。ただし、役所じゃないとOSはアップデート出来ないという仕様。
・21世紀はイスラムが躍進するかのように見えたが、そんなに躍進しない。利権を争ってイスラム国同士でもめる。宗派同士の争いを煽って収集がつかない。
・中華アプリの決済システムはイスラム法に抵触しないと中国人が売り込む。米国がイスラム過激派の口座を差し押さえるとかなんとかで中華アプリの使用停止に乗り出したり、出来なかったり。
・日本、左派が政権をとり、日米安保を捨て、中韓ともっと…みたいな寝言を言う。
・その矢先、中国と米国が金持ち同士仲良くやろうぜと接近。日本と韓国が困る。台湾、もっと困る。
・いつか破裂すると言われ続けた中国経済は順調に成長、急激な高齢化だけが悩み。
考えてみた。
即売会内でのやりとりは、全てそこでのみ有効な仮想通貨で行う。
仮想通貨が単なるオモチャだと、読み手が本にどれほどの価値を認めたのか分かりにくいので、通貨の購入は現金で行うこととする。
これにより、読み手は自分の懐から対価を払って本を手に入れる、という図が成り立つ。
サークル参加者やカタログ購入者には、参加費に応じて仮想通貨がある程度支給される。もっと欲しい場合はいくらでも購入可能。
仮想通貨から現金への逆換金は行えないこととする。そうすれば描き手の現金による儲けはない。
通貨としてはメダルのようなものを最初考えたが、これだと会場外に持ち出す奴が必ず出るので、1日だけ利用できるポイントカードのような形にする。
イベントへの参加証がポイントカードを兼ねており、仮想通貨はここにチャージしておく。
システム全体の設置やランニングコストは、参加者が通貨を購入したお金で賄う。
オンリーイベントなどであれば、このシステムを使ったイベントには原作が承認を与え、そのイベント内では頒布物の数に上限を設けないようにする。
この場合、イベント側は原作の権利者に対して一定のロイヤリティ料を払う。これも購入された通貨の分のお金で賄う。
843 ソーゾー君 [] 2014/06/27(金) 16:24:38 ID:7DE8mOxM Be:
http://nozomi.2ch.net/test/read.cgi/eco/1392892023/
↑工作員の手口が良く解るだろ?
懐疑やコレキヨのような「発行権を欧州の銀行家にこのまま任せて支配維持派」も
「キャッシュレス派」も同じアナルの穴兄弟♂で現状放置派である。
キャッシュレスの誘導先は「お金を使いたい奴は使えば良いし銀行=発行権は放置で良い。」である。
「キャッシュを口座から下ろしたり使ったりしたら課税する」と言うが通貨発行者は困らんよ?
何度も言うが「国=国民が銀行を保有せず国家に属さない民間人=機関に保有させた時点で
国=国民は債務者となり国の1機関である政府が国民に課税して徴税しても
キャッシュレス信者の最終結論は「パソコンもスマホも必要ない!」と誘導する。
雑談3
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1385328487/
それ生物学的にも間違ってるから。きちんと性淘汰に関する本を読んだ方がいいと思うよ。
生物全般にとって性淘汰がオスにかかる、メスがオスを選ぶというのは傾向的にはそう。この傾向は繁殖速度の差に由来している。
つまり卵子を作る速度と精子を作る速度に圧倒的な差があるから、精子に対して卵子が供給量が少ないため需要と供給の法則でメス側が選ぶ立場にたつから。
ただし中には性淘汰がメスにかかる種もあって、これもまた繁殖速度の差に由来している。
つまり卵子と精子の製造以外に、繁殖に関わる要素があって、それがオスに対して負荷を与えて、全体としてはオスの負担がメスの負担を上回る場合には繁殖市場においてオスの供給量の方が減る。
具体的には、繁殖に際して自分の身を削って精嚢をメスに栄養源として渡すコオロギとかはそう。メスが卵子を作るよりもオスが精嚢を作る速度の方が遅いので、オスがメスを選ぶことになる。
魚類で割合広範囲に見られるのは、オスが子育て行動をするので、オスの方がより長く繁殖に拘束され、繁殖市場においてオス不足が生じ、メスが性淘汰を受ける側に立つこと。
理論的に性淘汰が生じない場合もあって、それは一夫一婦制を採用している場合。夫婦共同で繁殖→夫婦共同で子育て、をする場合は、子育てが終わるまでが繁殖ターンなので、オスとメスに繁殖速度の差が生じない。この場合は、両性に対して性淘汰が生じない、双方が双方をお互いに選ぶんだけど、実際には鳥類で一夫一婦制なんだけど明らかに見た目がオスの方が派手、つまりオスに性淘汰がかかっている場合も多い。これは、繁殖において不倫行動がけっこう多いから。不倫行動が生じる、つまりオスが生まれた子の育児に関与しない状況が生じると、卵子と精子の繁殖速度の差が意味を持ってしまうから、オスに対して性淘汰がかかるわけ。
で、哺乳類の場合は、メスは必ず育児行動をとるわけ。メスが育児行動を取るからオスはとらないでいい、とらない場合が多く、必然的に一夫多妻制になりやすく(一夫多妻制ってのはオスが子の面倒を全くみないから可能なんだからね)、オスに対して強い性淘汰がかかるの。オスだけに牙がある、ツノがある、鬣があるなんてのが多いのは哺乳類が一夫多妻制を原理原則にしているからです。
これは社会学的にというだけじゃなくて生物学的にも基本、一夫一婦制になっている。なんでかと言うと、要はヒトの場合は幼児期間が長くて、育児コストが膨大なんですね。メスだけでは賄いきれんわけです。メスだけでは賄いきれんのでもしメスだけで子育てをするとたいていの場合は子供は死ぬわけです。
脳の肥大化、ヒトのネオテニー化、幼児期の長期化に伴う学習期間の長さ、学習期間の長さに伴う知識のアウトソーシング化(非遺伝化)、一夫一婦制、ヒトの社会性の獲得、すべてつながっているわけです。そのどれが欠けてもヒトはヒト集団を維持できないわけです。
で、一夫一婦制においては、性淘汰がかからない、かかりにくい、両性が双方を選ぶことが生じるわけです。結果的にオスとメスの形態に限りなく差がなくなってくる。実際、類人猿の中ではヒトは一番、男女の性差が無い種です。そうなんですが、形態的に言えばヒトはむしろ例外的にメスの方に異形化が強く生じているんですわ。肥大化した臀部と胸がそうですね。これ、性淘汰の結果ですから。
これはヒトが単に一夫一婦制を採用しただけではなく、社会化した結果であって、社会化っていうのは、血縁関係にないオス同士が共存するホモソーシャルな共同体を作ることによってのみ可能なんです。つまりオスがメスを管理する、メスを通貨として扱う、メスをやり取りすることによってオスが結束を強め、本来共存できないオス同士の共存を可能にして強力な集団、生産性が非常に高い集団を作り上げその中で子育てを行う、そういう方向で進んできたのがヒトなんです。
だから男社会なんてものはない。正確に言えば社会と言うものは男社会しかありません。
これっていうまでもなくフェミの理念からは真っ向からぶつかるので、フェミが力を持てば、この自然な人間社会は崩壊します。少子化はまさしくその一例です。でもその方向に向けてヒトが進んだのも、「進化」の結果であるので、「自然に帰る」ってこと自体、自然な進化運動からの逸脱であるわけです。
まあある意味、ヒトとその社会は進化してきた結果、生物的な土台から逃れるステージにようやく到達しつつあるとも言えるわけで、それは問題を生物学的にではなくて、社会学的な手段で解決する、乗り越える力がヒトに備わってきているとも言えるのです。
だからこういう話になると、必ず生物学的にはーって言いたがる人がいますが、それって参考程度の話であって、それに拘泥しなければならない必要はまったくないんですよ。ヒトはすでに生物学上の限界をある程度は超越した種なんですから。