Unixという考え方という本を読んだ。もう図書館に返してしまったので、これから書くことはあまり正確じゃないと思う。〜的なという表現が多くなってるのはそのためだ。
この本で最も印象に残ったのが、梃子(てこ)の話。著者の叔母がちょっとしたマルチ商法で大金を稼いだ話を例にとり、「プログラミングもこういうもんさ、梃子を使うんだよ」的なことが書かれているが、倫理的な問題はおいといて、そういう感じでプログラミングをすることってどうすれば可能なんだ?と疑問が湧いた。自分のようなクズ野郎はもちろんのこと、たとえ修行僧のように淡々と技術を磨いているプログラマでも、本節を読めば自分の技術を使って著者の叔母のように大金が欲しいと思うはずだ。
プログラミングの梃子らしい部分は自動化だ。少なくとも、本にはそう書いてあった。梃子の具体例としてシェルスクリプトがあげられて、たった一行のスクリプトが賢いプログラマたちが作った何千行のプログラムを実行するんだ。これこそ梃子だ、的なことが書いてあった。いや、でもちょっと待って欲しい。こっちは叔母のように大金が欲しいわけだ。Unixの素晴らしさは他の章でも散々書いてあるし、ここでシェルスクリプトの話をされても困る。話をそらさないで欲しい。
著者が言いたいことはわかる。この節ではあくまでもシェルスクリプトの凄さを語りたかったわけで、叔母が大金を稼いだ話はそのための撒き餌に過ぎないんだろう。でも、ほとんどの人間にとって、本気で考える価値があるのは大金の方だろう。優秀なプログラマが生産性を上げた結果、それだけで幸せになれると思うか?むしろ仕事が増えているじゃないか。資本家はいつだって労働者を限界までこき使う。プログラマが創造的な仕事だということは、プログラマにしか理解されない。梃子をプログラマの幸福につなげるには、どうしても社会で使える通貨にしないといけない。
さあ、シェルスクリプトの梃子を使って金を生み出すとして、どういう具体的な手段があるんだ?
ソフトウェアで大金を稼いだやつを思い浮かべろ、と言われたら真っ先にビル・ゲイツの顔が浮かぶだろう。彼がやったことはなにか。ソフトウェアを作って、ライセンスを刻んだ。そのソフトウェアがどこのメーカーのハードウェアで動作しても、ソフトウェアはMicrosoft社のものだということがはっきりしている。そこから、利益を得るわけだ。これはまさに本に書いてあった梃子(著者の叔母はタッパを販売して、さらにその販売先の客に販売を勧め、その利益の一部を手にしていた。マルチ商法だ。)と同じ類のものだろう。
「I'm CEO, bitch.」
学生時代にFacebookを作り上げたマーク・ザッカーバーグは、FacebookがダサいSNSになった今でも、若い起業家の憧れの的だ。
彼がやったのはなにかというと、広告だ。
学生たちが楽しめるようなプラットフォームを無料で提供し、そこに広告を掲載することで大金を生み出した。広告のどこに梃子があったかというとソーシャル・ネットワークだ。広告で稼ぐにはたくさんの人に見られる必要があるわけだが、SNSという特性自体が梃子になり、ユーザー数がみるみると増大していったことが、広告による大金を生み出した。
主に日本で見られた現象が、ソーシャルゲームだ。これは偶像を売る商売だ。一度イラストレーターが作成したものは、いくらでも複製できる。それを消費者の射幸心に訴えかけながら売っていく。この電子的な麻薬が、なぜか日本では異常なほど受け入れられる。梃子の力は複製が容易ということだけでなく、消費者の脳内でも起きている。消費者自身の購買行動が次の購買を促す仕組み、中毒性こそがこの商売にユニークな梃子だ。
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飽きた。ブクマがたくさんつけば書き足す。
ブクマの伸びがゆっくりなのでここらで書き足しておく。上に書いたのは、本を読んで率直に感じた疑問と、それに対する、偏見なども大いに含んだ主観的な考察だ。しかし、こんなことをしたのは、他の誰のためでもない、自分のためだ。興味本位でプログラミングを始めてしまって、それが楽しくなってしまった自分の行く先を少しでも認識したいという切実な願望があったからだ。
ちょうど他の増田に漫画家の話が書かれていたけれど、ソフトウェアエンジニアだってああいったことになりかねない。いや、もうなっているかもしれない。創造的な人たちがつくりあげた偉大な製品が、資本家に食い尽くされることが、平気で行われている。以前ネットで知り合ったインドネシアのプログラマーは、自分の仕事が不当な扱いを受けていると嘆いていた。「海外の安い人件費」として働く彼らは、高度な技術を持っているにも関わらず、正当な報酬を手にすることができない。
まどろっこしいので言いたいことを言おう。梃子は生産性を高めるために使うだけじゃだめだ。自分や他の創造的な人々の権利を守るために使わないといけない。でなければ結局、プログラミングを始めたときに感じた魅力や全能感、思考力を捨てて、資本家の歯車になるような未来しか待っていない。
私は、ソフトウェア関係なく、「梃子」というのはビジネスモデルと同じことだと思っている。 簿記3以下の知識さえないが、ビジネスモデルとはバランスシートの左右をぐるぐる回転...