私は関東郊外の住宅街にて信用金庫勤務の父親とパートの母親の間に次男として生まれた。
兄と姉がいる。
平凡な家庭で幸福に育ち、両親にも兄や姉にも不満はない。それどころか家族には感謝してるし今でも大切な存在である。
それでも昔から家庭に鬱陶しさを感じ根無草な人間に憧れていた。
一仕事を終えた後にバーで時間を過ごし、帰る場所もないのに夜の都会に消えて行く。
未来を案じてくれたり、身体を心配してくれたりする肉親はいない。
そんな人生に憧れていた。
私の家庭は門限だってうるさくなかったし、四六時中勉強しろあれしろと口うるさく言われる家庭でもなかった。彼女や将来についてあれこれと口を出されたり詮索されることもなかった。大学時代から一人暮らしをさせてもらった。
それでも家族、親戚、親しい友人、地元の近所の人たちなど自分にとっての「根のようなもの」に煩わしさを感じる時がある。
社会からのはみ出しものになる度胸もなかった私は大学卒業し警察官となった。
警察学校を卒業し地域課へ配属。休みも惜しまず空いた時間には署の刑事課の手伝いや下働きをして刑事課へ。
しかし、既にわかっていたことだが、優秀な日本の警察における刑事というものは杉下右京や銭形のようなハードボイルドな存在ではなく、先代たちに築き上げられた流れに沿って捜査を進め、情報を集め、書類を作成し、機械的に被疑者を拘束し送検する作業員であった。
バーで過ごす時間などなく、怪しげな路地裏を歩くこともなく、場当たり的な張り込みもなく、ほとんどの時間を署内での書類作成に費やしていた。
給料もよかったし、同期や先輩、後輩との人間関係もよかったが拘束時間に悩み結局退職。
年齢制限ギリギリで地元自治体の公務員試験を受け、現在は地元で彼女と同棲しつつ役所勤め生活を送っている。
幸福で充実した日常を送っているが、ふとした瞬間にやはり自分を囲む人や関係や縁に対して煩わしさを感じる。
だからと言って根無草にはなれない。
彼らのような人間は現代日本にはいないし、彼らのような生き方は現代日本ではできないのだろう。
根無草な人生への憧れや根に対する煩わしさを感じた時、私は繁華街のバーに行って一人でオールドパーをロックで数杯飲んで過ごしたり、首都高までドライブに出かけ「ルパン三世のテーマ’89」、TM NETWORKの「Get Wild」、Vaundyの「トドメの一撃」を流したりしている。
根無草に憧れた凡人の自分語りでした。
浮草みたいな人生に憧れてるとか言いつつ、郊外にローンで戸建て立てるかマンション買って、SUV乗って、子供中学受験させてそう
自虐風自慢やろなぁ。