はてなキーワード: 説明責任とは
ヤフオク!アプリ(以下、iPhoneアプリを前提にして書く)には「隠れ機能」と呼べるような機能がある。これは悪用が可能であるため、注意喚起したい。
(実は、私自身に、これに関わる取引トラブルが起き、それについてヤフオクに問い合わせをしたのだが、ヤフオク側の対応があまりに杜撰だったため、ここで「注意喚起」という形で文を載せることにしたという事情がある。トラブルの内容については最後のほうに書きたいと思う)
ヤフオクでは、出品者が商品画像にコメントをつけられる。このコメントは、入札者側が、アプリで開いた商品ページの画像をスライドしただけでは表示されず、タップしてやっと表示される。
フリマサイトやショッピングサイト一般(例えば、メルカリ、ラクマ、Amazon)において、画像をタップしたらコメントが表示されることはないし、一般のブログやウェブサイトでもそのようなことは基本的にない。そのため、入札者側が、(スライドして確認できる画像をわざわざタップして)この機能に気づくことは、難しいであろう。
この入札者側が気づきにくい「隠れ機能」を利用して、商品の欠陥を「見えにくく」することができる。たとえば、最初の3ページが破れて紛失している書籍を出品するとしよう。この書籍の「欠陥」を、画像コメントに書くことによって、出品者側は「説明責任」を果たすことができる。
商品のあらゆる欠陥を、画像のコメント機能を用いて記載すれば、その機能を知らない入札者が集まり、商品の欠陥を認識させずに、商品価格を高騰させることが可能であろう。
商品到着後に欠陥に気づいた落札者は、出品者にその旨を連絡するだろうが、出品者は、画像のコメントに欠陥部分をちゃんと記載したと強弁するかもしれない。特に、落札者が取引に慣れてない新規ユーザーの場合は、それがヤフオクの常識だと主張すれば、「泣き寝入り」してくれる可能性は高いであろう。
以上の内容が、ヤフオクの「隠れ機能」を悪用する方法であり、注意喚起したい内容である。
以下では、私がどのようなトラブルに巻き込まれ、それに対してヤフオク側がどのような対応をしたのか参考情報として書きたい。
(特定されるのも好ましくないため、以下では、被害額等の数字を若干控えめに書いている)
今回の件において私は落札者であり、出品者とのあいだでトラブルが起きた。
実は、私に起こった件において、出品者側に上記のような悪意のある方法を用いようとした意図はない(はずである)。(出品者は、良い評価が99.7%以上ある「優良」ユーザーでもある)
実は、上記の「画像をタップしてやっとコメントが表示される」という機能は、iPhoneアプリにおける話であり、PC上では、コメントは画像をタップしなくても画像の下部分にすぐに表示され、誰でも気づくような仕様になっている。
今回の件において出品者側はヤフオクPCユーザーであり、iPhoneアプリを使用したことはないようである。そのために、出品者は、画像コメントは誰もが気づくものとして考えて記載していた。この画像コメントに、商品内容を誤解しないための注意書きが書かれていたのだが、iPhoneユーザーの私はそれに気づかず入札してしまった。
案の定、(おそらく他のユーザーもそのコメントを気づかずに)入札競争で商品の値段は高騰し、いつでもAmazonで6000円程度で購入できるような商品が、18000円程度まで高騰したのである。
商品が手元に届いてから上記の内容に気づき、出品者とも連絡を取った上で、PC上の表示とiPhoneアプリ上の表示の相違が大きいために起きたトラブルだと結論づけた。この表示の相違は、出品者にも落札者である私にも責任がないため、ヤフオクサポートに連絡することにしたのだが、それに対するヤフオク側の対応は不満が残るものであった。
まず、「このたびいただきました「画像のコメントがヤフオク!アプリでは画像を
タップしないと確認できない」点については、今後のヤフオク!アプリの
改善検討課題とするため、担当部署にしっかりと申し伝えます。」とアプリに改善の余地があると認めながらも、
「なお、商品画像や商品説明は、出品者の判断で掲載いただいております。」とし、
「そして、ヤフオク!でのお取引に関わるやり取りにつきましては、すべて
お客様同士の責任と判断で行っていただくようお願いをしております。
弊社でお取引について何らかの対応を行うといったことはできませんため、
引き続き出品者に直接ご相談くださいますようお願いいたします。」と返答している。
PCユーザーである出品者が、iPhoneで画像コメント機能が「隠れ機能」的なものになっていることを知るはずもないのだから、「商品画像や商品説明は、出品者の判断で掲載」したところで、このアプリの「隠れ機能」についての配慮をすることは不可能であろう。
したがって、今回のトラブルは、iPhoneアプリの機能の不備によって生じたものであり、ヤフオク側が責任を取るべきものだと考えている。このような公式アプリの機能の不備によって生じたトラブルまでも、ユーザー側に責任を押し付けるのなら、何のために高額な手数料を課しているのだろうか。メルカリに市場を奪われてしまった理由がなんとなくわかってしまった瞬間であった。
(もし、この記事をヤフオクの中の人が読んで、筆者に連絡する必要があると思いましたら、ヤフオクサポートにお問い合わせした件(お問い合わせ番号200226-005068)に返答する形でお願いします)
誰に選ばれた代表でもないですけど社会を構成する一個人として、コロナ騒動に関する所感を表明します。
なぜなら、今、生活・人生・命が脅かされているからです。私たち一人ひとりに関わることであり、右とか左とか、性別は関係ありません。
情けないことに私には医療の知識がないので科学的なことについては語れませんが、理不尽に対しては人一倍敏感なので、思うところを述べます。
①予防する上で、対応が後手後手であった事
大きく括るとこの3つです。
皆なんだかんだ勉強したり働かないと生活が前に進まないから、怖いなと思いつつマスクをして学校行ったり会社行ったりまだしてますけど、それどころじゃなくなることもあり得る。
そこまで事態がまだ悪化してないだけなのでは? あるいはもうそうなりつつあるのに見えていないだけの可能性もある。
もしそこまで大げさな話じゃないって言うのであれば、根拠をきちんと納得できるように説明してほしいんですよ。
都市を完全に封鎖するって、オオゴトだと思うんですよ、内戦下のサラエボレベル。
中国のデトロイトって言われるような工業都市、経済的に大事なエリアを何が何でも封鎖するって事は、あの中国共産党がそれだけ危機感を持たざるを得ない状況になったってことですよね。
それを受けてその時点で中国からの渡航者を入国拒否した国は結構あった。そこで日本政府は二の足を踏んで、断固たる措置を取らなかった。チャンスはあったはず。
確かに中国は日本との経済的結びつきが強い、メーカーも物流も観光も中国抜きでは考えられない部分がございます。それでも考えを変えないと。
歯止めをかけないで、水際対策も何もないですよね。
検査をすべき人にしないまま帰らせる、隔離を一定期間しないまま放出
飛行機の帰国者にしても客船の下船者にしても、お願いベースでご協力を依頼する形、
他の国では国の権限で人権をある程度制限した上でとっている処置がまるで日本では見受けられない。
中途半端に人権を尊重しているふりをして結局公共の福祉を損ねている。
一定期間隔離して安全性を確かめる必要があるのは素人にだってわかる。現に他の国の政府は強行している。
そこで個々人に断られたら機能しないようなら、対策として成り立たない。
ちゃんと頭で考えればわかることが判断できない組織が多すぎる。ルールに自縄自縛になっていませんか。
結局自分の頭で考えて責任を持って決断を下す事から逃げてるんですよ。これは政府だけの問題じゃないと思います。
私が仕事で関わった官公庁の対応を通して得た感想を述べますが、政府の方針に沿ったルールを増やしていくだけで、防疫について何ら根本的な対策を立てない。
そのお触書を下に丸投げして責任を押し付けている。結局どの組織も責任を取りたくないだけで、自らの職務領域で行使できる本質的な対策を考えない。
頭に血が上りすぎて、政治に対する怒りと行政に対する不満がごっちゃになってしまいました。すみません。
本当に現場で命を賭して頑張ってくださっている人には頭が下がるし、みんなそれぞれの立場で板挟みになってるとは思うんですけど。でも現場の頑張りとはまた違う話。
政治に求められている役割っていうのは、法律とか経済とか学術だけでは前に持っていけないことを利害調整して問題解決していくことにあるはずです。
でもそれができてないから、極端に言うと不信感しか残らない、頼れない。
何のために国民が税金を納めて政治を託しているかというと、我々1人1人では対処できないようなことを運営してほしいから。
大いなる力には大いなる責任が伴う。政府には個人ではなしえない権限と責任があるはずで、それが及び腰になっているのは無責任なのでは?
国家は国民の健康で文化的な最低限の生活を守る義務があるはずですよね。それが今脅かされている。最優先で解決すべき問題のはず。
ここまで危機管理・対応ができていない時点で、日本社会にとって国難、未曾有の事態ちゃうんかと。地震とか台風とかそういったものに匹敵する事態。
政府が旗を振って最優先で解決しないといけないし、一方で社会の知見、国際社会と協力して解決に当たるべきだと思うんですよね。
今回のウィルスは人類共通の敵ですから国際的に協力して対応してるわけですが、悪意を持った主体に対してこんな体たらくで対応できるんでしょうか。
このままオリンピックを迎えられるような状態に持ってていけるんですか。
抱え込んで結局出来ませんでしたとなる前に、助けとか協力を求めたほうがいいんじゃないですか。
もっと民間とか学術とかそれぞれの知見や経験を持っているような人々に協力とか仰いで、なりふり構わず問題解決に動かないといけないんじゃないですか。
それぞれ縦割りの組織の論理でなんとかしようとして結局うまくいってないんじゃないですか。
そりゃ利害調整は大変だと思いますけど、何をしないといけないのか客観的に見極められる人材はいるんですか?
もっと方針を明確に打ち出して、指摘をどんどん吸収してブラッシュアップしていかないとまずいんじゃないですか。
果たして適切にマネジメントできてるか素人目でも不安になる。問題を抱え込んで爆死してない?っていう。
国民に対してホウレンソウもできてないしPDCAも回せてるように思えないし、
超絶優秀な人々であることは承知していますが、それでも頼りないです。
しっかりしてほしい。ついていけるだけの方針と根拠を説明してほしい。説明責任を果たしてほしい。
対応が場当たり的で、根拠が不透明、適切な処置がなされているとは思えないようなグダグダした説明。
原発の時も似たような違和感を抱いたのですが、パニックを起こしたくない心理からなのか
国民の危機感を中和させるのに躍起になっているように映る。正常性バイアスを助長したいだけのような印象を受けます。
侮っているのか、内心焦ってるのを隠してるのか、それとも半ば諦めてるのか、政府の発表に危機感を感じない。本質をぼかしたまま声明を出す癖がある。
ミスをミスとして認めず、追求を交わすことに全力を尽くしている。リーダーシップというものをどう捉えているのか?
エラーが起こるのは不可避、想定が甘かったこともあると思う。何かが起きてしまった後にどう動くかで真価が問われます。
失敗を認めてもう一回想定を修正して後動きますって伝えてくれれば、こっちはそれに同意するかどうか別として、状況を把握できるんですよ。
そうしてくれれば国民が疑心暗鬼に襲われず各自で対応をとりやすくなるのに、メッセージを発信しないから皆不安なまま。
ミスや失敗を認めることは、自分の生涯を懸けて守ろうとした国の社会や人々がボロボロになることよりも恐ろしいことなんでしょうか。
であるとすれば、個々人というよりも組織風土や文化に問題があるのかもしれませんね。ちゃんとコミュニケーションとろうとしてますか。
昨年の台風のときは、政治家の対応こそお粗末でしたが、気象庁からの情報提供や指示はタイムリーかつ的確だと感じていました。
なので、命の危機こそ感じても、個人的に不信感は少なかった。皆さんは今回、どうお考えですか。
私は日本死ねとは思わないです。私は生きたい。大切な人たちにも生きてほしい。
これまで希望とか特に持って生きてたわけではなかったけれど、もう一度日々を安心して過ごしたいし、将来を設計できる世の中に戻って欲しい。
今回は、政府に望むことを書き連ねました。次は、社会として我々が何ができるのか考えたいので、皆さんご意見ください。
“そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この 憲法はかかる原理に基くものである。”<<
“【生存権、国の生存権保障義務】 1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び 増進に努めなければならない。”<<
“政治は国民のもの、即ちその使命と任務は、内に民生を安定せしめ、公共の福祉を増進し、外に自主独立の権威を回復し、平和の諸条件を調整確立するにある。
われらは、この使命と任務に鑑み、ここに民主政治の本義に立脚して、自由民主党を結成し、広く国民大衆とともにその責務を全うせんことを誓う。”
今の世の中はデマを流すほうが圧倒的に強い。
センセーショナルな内容は拡散されやすいが、小難しいデータの詰まった信じは受け入れがたいからだ。
訴訟によって流した側の責任は問えるとは言え、個人がそう簡単に訴訟できる世の中ではない。
過去、拡散の手助けをした人間が罪に問われたこともあるが、情報源も、またそれを拡散しようとする人間も、目先の情報に対してリスクがなさすぎるのは問題だ。
ならば、もし流した内容について説明やデータの明示を求められたのならば、それに答える義務を背負わせてみてはどうだろう。
一つでも問い合わせがある度に義務が生じていては切りがないが、SNSであれば自分からどれほど拡散したのかが数値化できるのだから、そのうちの何割以上かから説明を求められたときに義務が生じるようにすればよいのではないか。
往々にして、こういった問題に対して個人に倫理を求めても解決することはない。
https://anond.hatelabo.jp/20200118002721
たくさんのコメント、少数ながら同意など、本当にありがとうございます。
いくつか質問が寄せられているようだし、これだけ賑わせてしまったからには説明責任はあると思うのでいくつか答えさせていただきたいと思います。
元記事を読んで不快になった方や、謎は謎のままがいいという方はUターンを推奨します。
まさにこれです。この記事にリンクを貼ると万が一バズってしまったときに謎のアクセス集中が起き、総本山(ニトリ)に激震が走らないかという危惧があったのだが、その結果がこれだよ!
そうこれを恐れているのよ。でも今のところネットニュースになったりみたいな騒ぎにはならなかったようで胸を撫で下ろした。
なんかもう1万回再生行ってるが俺が初めて見た3日前はせいぜい2000回だったような気がするけどそれとこれの因果関係は気にしないことにした。
記事への反応の中の指摘にもあるように、おそらくこのYouTubeの動画は時期が来れば消えるだろう。
そうなったあと、CMの内容を知らない人が一体どんなCMだったのか永遠の謎をさまよう事態になり、たとえ真実に辿り着いても、それを知った瞬間の失望を考えるととても哀れになる。
いやどう見てもお姉さんでしょうこれは…間違いない。
いや間違いがあると俺が困る。いろんな形の愛があっても構わないとは思っているが、こんな俺でも開きたくない扉はある。たとえもし間違いだとしてもその事実は俺が墓に入るまで俺の耳には入れないでくれ。
正鵠を射た指摘だ。マネキンを使うのではなく、血の通った生身の人間を人形のように捉えているところが良い。
ソファに着地した瞬間にわずかに体が揺れて人間らしさが現れるところが、頑張って人形してるなと思えてポイントが高い。
なんというか、ほんと、ありがとう…でも無理しないでねホントに。
俺の性癖を振り返ると、現実ではありえない非現実的なシチュエーションに置かれている女性という通底するひとつのテーマがあって、そのシチュエーションが謎であればあるほどツボを刺激されるようだ。
モノによります。たとえばこれなんかすごく良い。
Twitterで時間停止AVというものが流れてきたんだけど、なんか違った。それは、「時間を停止しますよ」と企画として断っているから、なるほどそういう話なのねと脳が納得して完了して冷めてしまう。
それに対しこのニッセンのCMは、何の説明もなく香里奈が停止していたり、香里奈が増殖してワチャワチャしている。この荒々しい世界観が素晴らしい。
同一人物が増殖するというのはフェチとして有名なのでわざわざ触れないが、増殖は特殊なシチュエーションとして非常にポイントが高い。
たぶん例のニトリのCMよりはわかりやすいと思う。ニトリとかニッセンとか家具屋フェチってわけではないよ。これで答えになったのかな。
ラピュタかあ。いいよね。普通に好きですよ。期待に応えられず大変申し訳ないが、特に下半身が反応したりはしない。
こうした質問があるのは当然だと思う。あんなCMでムラムラしたとか言ってたら、女性がふわりと下りてくるのに興奮する特殊性癖と思われても仕方あるまい。
たしかに空から女の子がってシチュエーションは唐突だ。しかし、ペンダントの石が光り輝いたことで空を飛べたというのは絵として十分な説明になっており、話として納得できるので、特に俺のフィルターに異常は起きない。
ちなみにラピュタで一番好きなのはシータをムスカのところから救出するシーンです。無駄な一般の感性アピール。
確かに変形というのもやはり非現実的なシチュエーションとしてポイントが高い。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm28454420
このCMで女性がぞうきんをかけているとスーッと掃除機がけに移行していくさまが、妙に機械的な動きをさせられていて実に良い。
これも十分いいのだが、これと別に、細身の普通の女性が掃除機をかけているとぞうきんがけに移行した瞬間モーフィングで力士に変身するというバージョンがあって、その動画が残っていないのが返す返すも悔やまれる。力士のぞうきんがけのようなパワフルさをもった掃除機というコンセプトは理解できるが、女性が自身の体を力士に変身させられるというあまりありがたくはない役回りをさせられているところに強く心を突き動かされたものだった。
さっきから質問の答えになっていない気がしてならず大変申し訳ない。
さっきから例に挙がるものが全部CMだと言われそうだけど、CMはアピールの塊だからそれだけ注目を集めることしてくるからCMは危険よ。
このベッド欲しいな。掛け布団を片しておく空間を用意しないと駄目だけど。
お世話になってしまっといてアレなんだけど、家のスペース的にこのソファベッドは買えないかなぁ。同じ寝る&座るなら俺はコタツ派です。最後にしつこく一般の感性アピール。
sonzincさん
あなたは何も悪くないよ!いつかは貼られると思ってたから気にしてないよ!てか第三者が貼るならともかく俺本人が貼ると必死でキメェなと思ってたからむしろありがたいよ!
https://twitter.com/ishikawa_yumi/status/1198387884580954112
客を呼ぶという行為を他者が描いていること。を問題視してるんだけど、言っても言語化できていないと言われる
あとそこに意図は関係ないよね。プラダやGUCCIの黒人さんマスコットなどが批判され取り下げられたのと一緒だと思う。黒人さんの身体的特徴を他者が表現したからだよね。
https://twitter.com/ishikawa_yumi/status/1195488600361562112
他者がひとつの属性を取り扱う時はその属性がこれまで受けてきた差別や背景に配慮しなければいけないはずです。今回でしたら関係の無いところに女性の身体的特徴を強調したものを使い客寄せをする、という行動です。
https://anond.hatelabo.jp/20191016152840
表現主体に性的な意図がなくても発生するのが消費でしょ。性的消費を問題にするなら、セーラームーンの作者の意図も宇崎ちゃんの作者の意図も関係ないの。
https://twitter.com/a_kitada/status/634752310435037186
①差別は作り手の意図の問題ではない、②今回の絵自体が身体性を前面化したものである点について、担当者がどのような審議を経て選択したのか、公的機関としては市民から異議が出ている以上説明責任がある、③記号的表現は「デフォルメ」であるがゆえに訴求力を持ち相応の注意が必要
いまとなっては(身内の中では)ほぼネタと化している2018年のアフタヌーンティーランドの思い出を忘れないように綴っておく。
乱文なので読むには値しない。
アフタヌーンティーランド(The Afternoon Tea Land)とは名古屋にある植田ラティスという店と日本リビングコーディネート協会(どちらも代表者は同じ)が主催しているイベントである。
ノリタケ社のカップ&ソーサー(以下C&S)を使用し、さまざまな種類の紅茶をいただく。また使用したC&Sはお持ち帰りが出来るという主旨のもと開催される。
2018年は第4回アフタヌーンティーランドとして11月3日、4日にノリタケの森で開催された。
チケットは
・返金不可
・小雨決行
・雨天中止
※中止時にはランダムで告知されているC&Sをチケット購入者に送る
という条件で事前に販売された。
配布されるC&Sは通常3種(カーニバル各色、AMIS各色、レースウッドゴールド各色)と抽選限定3種(1日目:エセックスコート、エイダン、オーチャードガーデン 2日目:ブルーソレンティーノ、花更紗、ジャルダン フルーリ)が告知されていた。
例年では2日間あわせて400人程度の参加だったようだが、2018年はこちらのツイート(https://twitter.com/tealandJP/status/1032761462614253568?s=20)がバズった為にチケット抽選への申込が殺到し、結局4000人にチケットをばら撒いたようだ。
チケットに日付指定はなく2日間どちらかに参加出来るという形式だったため、雨予報だった2日目を避け多くの人が1日目に参加する事になった。
4000人にチケットをばら撒いた割に仮設トイレは2つで手洗い場はなし、ゴミ箱は明らかに足りておらず芝生はゴミの山と化していた。
1日目は先述したとおり人が集中し、開始直後にフードは売り切れ続出&長蛇の列。
主催である植田ラティスが販売していたスコーン類は個数制限を設けていなかった為にお昼前には完売した。
保健所の関係上参加者が食べ物を持ち込むことを禁止されていたため、多くの参加者が空腹のまま紅茶を飲むイベントとなった。
肝心の紅茶も列形成に人員を割いておらず、善意の参加者が自発的に列形成を手伝うという始末。
また、スタッフ間で情報共有が一切出来ていなかった為スタッフに聞くよりも周りの参加者に聞くほうが正確な情報が得られるという事態に陥った。
目玉であったC&Sの抽選時には音響機器に不備があり、集まった人たちが聞き取れずザワザワすると主催から「皆さんがギスギスするならもう抽選やめますよ」という脅しとも取れるような発言も飛び出した。
2日目は朝から雨が降っていたが強行、1日目に人が多かったため現場判断により2日目分のC&Sを配っており2日目開始時点で通常全種が揃っていなかった。
午前の時点でチケット販売時に告知されていた通常C&Sは全滅、いつの間にやら文言が付け足されていた"シークレット"という名目の真っ白なリズモホワイト、コティホワイトのみとなる。
チケット購入時の条件と違うため当然返金を求める声が上がるも主催は対応しない。
人によって対応を変えていたことが明るみになり、また返金不可のチケットだったのにも関わらず開催前にイベントに関する不満をツイートした方に返金するといった旨のDMを送っていることが発覚した。
主催と話し合いをした方ももちろん数名おり、その方たちのツイートから主催の発言をまとめると
・想定外の客の多さだった
・3000円でやれるのはこのレベル
・こんなに荒れるなら来年以降は開催しない
というものであった。
そも3000円で4000人にチケットをばら撒いたのは自分たちなのにさも客が悪いと言わんばかりの態度には本当にあきれ果てる。
イベント終了後に公式ツイッターアカウントに非難が殺到するも当の担当者は主催店所属じゃないのでわかりません、広報担当だからわかりませんの一点張り。
挙句の果てにイベント参加者に捨てアカウントでの問い合わせには応対しないといった旨の発言をしていた。
結局4日ほど経ってから希望の方にC&Sとチケットの返送を条件とした参加費の6割ほどを返金するプランを提示したお知らせページが作られ当時のツイッターアカウントは更新を停止した。
お詫びといえるような言葉もなく(当該ページでは苦情が多かったためといった文言が使用されていた)、なぜこのような事態になったのかという経緯についてもろくに説明がないまま返金期間が終了し、お知らせページも年明け前に削除された。
もちろんツイッターで問い合わせのあった"2日目開始時点でのC&S残数の内訳はいかほどのものか"といったものにも返答はない。
そうして参加者の不満を押さえつける形で2018年のアフタヌーンティーランドは終結した。
ちなみに、"シークレット"という名目のC&Sだが、1日目はアンテプリマ(ダマスコ キアーヴィ)、2日目はロイヤルオーチャードが用意されていたようだ。
では2日目に配布されたリズモホワイト、コティホワイトはどのような位置付けだったのだろうか。疑問である。
リズモホワイト、コティホワイトも正式な"シークレット"であるというのなら、センスがないとしか言いようがない。
誤解がないよう付け加えるが、リズモホワイト、コティホワイトの品質が悪いという意味ではない。
通常C&S、限定C&S共に色や柄、金銀といった装飾がなされたものを事前に告知している中、遠目に見たら同じような真っ白のC&Sを2種も"シークレット"とするセンスがないという意味である。
1日目にもリズモホワイト、コティホワイトのどちらかが”シークレット”と出されるならまだしも、2日目だけに2種出した真意を聞きたいものだ。
ノリタケ社の製品は素晴らしい。しかし、このような運営の不手際で瑕疵がつくのは非常に遺憾である。
蛇足であるが、2019年6月に新規アカウントを取得しひっそりと次回イベントについて告知をしていた。
捨てアカウントで問い合わせるなと発言していた割に炎上したアカウントを捨ててちゃっかり新規転生しているのには笑うしかない。
今年は2018年と同じような日程の11月2日、3日に開催されたようだ。
3000円から5000円に値上げし、午前・午後のセクションごとにチケットを分けるといった工夫があったようだがあまりにもツイートしている方が少ないため当日どのような様子だったのかは分からない。
しかしイベント開催前にツイートをRTしてくれた方に茶葉をプレゼント!(ただしフォロワー1000人以上に限る)というキャンペーンをしていたようだがいつの間にかツイートが削除されているので、まあ、そういうことであろう。
いまからでもいいので2018年アフタヌーンティーランドについてのきちんとした経緯を説明し、イベントを主催したものとしての説明責任を果たしてほしいものだ。
蛇足の蛇足:2019年12月4日に前回の公式アカウントがContinue…Restartというツイートをしている。(https://twitter.com/tealandJP/status/1202025616020664320)
どうやら年明けに松坂屋で新たにCLUB TEA VALLEY(クラブティーヴァリィ)というイベントを開催するらしい。
お気持ち表現規制派を殴るついでに社会構築主義殴られても困るんだよねぇ,正直.
私は人文系で別にジェンダーの問題には関心ないけど,構築主義的な考え方は別にフェミニズムに限られた概念でもないし,社会学だけじゃなく人類学や歴史学でも受け入れられてる.
「民族」が構築されたもので云々みたいな話はさんざんされてきていているわけで.きちんと実証的にやろうとすればするほど構築主義の考え方を取らねばならない局面って多いんだよね.
社会構築主義への批判もあるにはあるけど部分的修正を促すものだし(たとえば「老人」というカテゴリの特殊性から社会構築主義の大前提を疑った論文もあり,これはかなり面白い),本質主義に戻れるかといえば戻れないので,まあ構築主義を受け入れた上でどうやって実証に活かすかという話になるわけだけど,そもそも社会構築主義はおかしいって言われると「ええ……」ってなるよな.
社会構築主義批判が悪いわけではなく,きちんとした論を立てて批判してくれるなら全然大歓迎なわけだけど,一部のアンチフェミな方々の議論は耳を傾けるべき水準に達していないので.
正直もう本当にうんざりなんだけど,お気持ちフェミニストを殴りたかったらお気持ちフェミニストをピンポイントで殴ってほしい.社会学批判とか始めるならネット上の断片的な社会学についての解説だけじゃなくてちゃんと社会学の本やら論文やらをちゃんと読み込んでほしい.当たり前のこと言ってるはずなんだけどなぜか通じない.いやキズナアイを叩くなら彼女の配信をちゃんと見ろとか宇崎ちゃんポスター批判するなら漫画を読めよとかと同じことを言っているはずなんだが? という.
表現規制を求めるお気持ちフェミニスト批判ならオタクとして賛成するけど,雑きわまりない構築主義批判を始めるならそれは文系の学問に喧嘩を売っているに等しいわけで,こちらも文系アカデミシャンとして「は? お前何言ってんの?」というモードに入らざるを得なくなるんだよな.
だからまあ私の感想は,去年キズナアイが叩かれてたときに書いたの(anond:20181011062902)と同じになるわけだけれど.
とにかく私は両側にもうウンザリ.ろくに事実関係を調べもせずVTuberについて基本的なことを知りもせずキズナアイを叩く連中にも,ろくに文系について知りもせずどんな研究をしているか理解もしないできないのにクソバイスを垂れ流す連中にもウンザリです.オタク叩きも文系叩きもクソくらえ.どっちも私の敵.
仕事仲間から趣味を貶められ趣味仲間から仕事を侮蔑されるのそろそろ勘弁してほしいわけですが,まあこの流れは収まらないんですかねと諦めモード.どっちの陣営にも話通じない人がいて辟易.
まあせめて自分が誰に喧嘩を売っているのかはちゃんと把握してくださいね.表現規制派を批判するためにフェミニスト全体を殴ると性の解放を唱えるフェミニストに流れ弾が当たるし,社会構築主義にまで戦線を広げるならフェミニズムや社会学だけじゃなく人類学とか歴史学にまで喧嘩を売っていることになるわけだけどそこはちゃんと自覚してます? 自覚がないなら攻撃対象はもうちょっと限定しようね.もしそれらの分野に喧嘩を売るなら各分野の基本書はちゃんと読んで勉強してねという話になるけど,その覚悟はありますか?
(もちろんこれは男性向けジャンルの潮流とか文化とかについて碌に知らずお気持ちで批判してくる一部のフェミニストや社会学者にも当てはまることだけどね.よりにもよってそのジャンルでデータベース消費論に基づいた雑分析をやりますか? ほんと勘弁してくれ.男性向けだからどうせ女体目当てのポルノだろうみたいなその偏見をどうにかしろ.オタク,というよりも男のセクシュアリティを単純化するな.参与観察なり文献調査なり統計なりの実証手法を使いこなせ.表象分析やるならちゃんと作品に向き合え)
ところで献血行って冴えカノのクリアファイルもらってきたんだけど,今期アニメで白衣着て献血のポスターに採用されてほしいキャラって誰? 僕は,クリーブランドちゃん! アズレン未プレイなんだけどアニメは見てます.出来いいよね.さすが艦これより先にアニメ化されるだけはある.ユニオンとロイヤルと鉄血と重桜でそれぞれ1種類ずつナース服のクリアファイルとか作って献血ルームで配布してほしい.あ,『放課後さいころ倶楽部』も捨てがたい.翠ちゃんいいよね……仮にコラボやるならやっぱり京都府内限定とかになるのかな……(やると決まったわけじゃないだろ起きろ)(もう一回『ヤマノススメ』とコラボしてほしいよぉ……)(いま気づいたんだけどアズレンの鉄血って「血」って字が入ってるから献血にちょうどいいんじゃないか? プリンツ・オイゲンが上から目線で献血を要求してくるポスターとか,どうすか)
似たような話題を似たような面子で似たようなコメントで殴り合うの見てるのは正直言って苦行なので、色々な所に飛び火するのは割とありがたい
勘弁してください.俺は楽しくオタ活や研究して気分よく献血したいだけなんです.献血ポスターを燃やされ趣味を踏み躙られた挙げ句に仕事にケチつけられるとかただただ迷惑でしかないんです……一部のフェミが放火してまわって一部のオタクが焦土作戦しかけてきてるのは巻き込まれた村人Aとしては消耗するだけなんだ……
これはっきり言っておくけど,去年のキズナアイバッシングに付随しての文系バッシングのときにも,私が書いた増田を読んで「こういうのが読めたのはよかった」と言ってる人大勢いたけど,私まだ根に持ってるからね.なんもよくねーよ.水が言葉を記憶しないことについてやたら解説が充実していたり数多の歴史的事件のなかで南京大虐殺にだけやたら詳細なFAQがあったりするのはちっとも良いことじゃねーよ.文系バッシングはこれっぽっちもありがたくないです.一部のフェミに好きな作品を燃やされてもちっとも嬉しくないのと一緒.宇崎ちゃんの売上は上がったらしいけどそれを素直に喜べるかといったら喜べないでしょ.宇崎ちゃんバッシングなんてない方が遥かに良かったわけで(もちろん表現の自由というものがあり,作品への批判をするなとは言わないのだが,しかしその批判をどう思うかというのはまた別の話で……).
社会学部に運動家が集中しすぎている。法学部や経済学部や文学部とは比較にならないほどに集中して存在する。社会学と社会学部全体がうさんくさいものとして見られるようになった。
社会学部なんて設置してる大学は少数派なんですが本当に印象論でしか語ってないんですねというのがよくわかる.偏見を正当化したいだけのノイズ.
この世界は全て物理法則に従って動いている、というのが本質主義なら実際それは多分正しいんだよなぁ…そこに戻れないのは単に人間の知性が追い付かないから「仕方がない」だけなので/クリーブランドはロリだから叩
学問的良心からはたかだか門外漢との対話なんぞのために本質主義を採用するなんてできませんわ.
社会学部を設置してる大学は少数派でたいていの大学に社会学部なんてものはないわけですが本当に印象に基づいたお気持ちで社会学を叩いているんですね(それとも,ひょっとして社会学部がある大学の卒業生なのかな?).
人によります.普通の句読点使う人とかカンママル好きとかコンマピリオド派とか.出版社だと東京大学出版会は横書きの本は基本コンマピリオドですね.岩波もそうだっけ?
「お気持フェミが自分のお気持の裏付けとして使用していますがそもそも関係ありませんし用法も間違っています」というならわかる。フェミニズムと深い関連があるなら批判に耐えるだけの論拠が欲しい
耐える以前の問題で批判側が雑すぎてマトモに相手してやる価値もないというだけの話なんですが.社会構築主義を批判するなとはもちろん言わないけど,批判の質が悪ければ歯牙にもかけないよ.当たり前でしょ.
というかそもそも,社会構築主義の是非と一部のお気持ちフェミの表現規制要求の是非って無関係だし.勝手にその2つを結びつけたのはアンチフェミの側.一部のお気持ちフェミには自由主義とか哲学とかのツールを使って対抗すればいい話で,社会構築主義を疑う必然性はどこにもないし,疑うっていうなら俺の立場は表現規制反対派のオタクから文系研究者に変わりますよというだけの話.文系研究者としては雑なアンチフェミの議論なんて支持できるわけないでしょ.一介の市民としてなら喜んで性的解放とか表現の自由とかを叫ぶけどさ.
本来ならそこは互いに削り合ってこそ信頼性が担保されるはずなのにおフェミさん達は互いにお手々つないで仲良しするからこうなの。社会構築主義の信頼性を担保したかったらおフェミがそれを乱用するのをたしなめろよ
マジで社会構築主義がフェミニズムのあいだでしか通用しない概念だと思ってんの? 馬鹿じゃないの? もう何度でも言うけど本当に馬鹿じゃないの?
文系の学問について無知なのは別に悪いことじゃないけど無知なのにこんな勘違いしたままでドヤ顔で物申すのは馬鹿で恥知らずだと思う.勉強しろよ.
社会構築主義はポスター批判側から確かにあんまり出てなかったけどいなかったかといえば居たような…。「表象」とかゆってた人はソレとは違うの?教えてください!
表象の話は『世界』5月号に載ってた小宮さんのやつかな? あれは社会構築主義とはあんまり関係なくない? いやもちろん関係ないということはないんだけど,小宮さんが言ってるのは表象と女性差別の問題だよね.
実のところ社会構築主義ってマジで社会について分析する上でのベースとなる考え方だから社会構築主義が滲み出てくるのはある程度仕方ないところはあるんだけど,anond:20191104014500でも書いたように社会構築主義の是非以前の問題だなと思うことはあるんだよね.ジェンダーは(というかセックスも)社会的構築物だけど,それは議論の前提であって,じゃあその上でどの程度の女性表象を許容すべきかみたいなそういう話は倫理とか哲学とか思想とかの領分じゃないですか.そこに社会構築主義はどうなんだみたいな話を持ってくるの不毛すぎない? ロールズとかの話しません?
ちなみに私は小宮さんの主張には反対するんだけど『世界』掲載論文の注10(236ページ)には同意する.みんなもっと本質的な話しよ.「そもそも男性だって公共空間で性的消費されてるんだから架空の女性が多少公共空間で性的消費されてたって別にいいじゃないですか」「性的自由の拡大が目指されるべきであって表象を制約しようとするのはおかしいでしょ」「医療のための広告には高い倫理性が求められるのだとしても,人気マンガの多少えっちなイラストを使った広告すら問題とされるのはおかしい.それは医療のための広告に求められる倫理の範疇に収まるはずだ」みたいな話しよ.
……この規制反対増田を多数の「お気持ち棍棒」で殴り倒して口封じし「パワフル表現規制」した方が、学問で論破するより遙かに低コストって事は確実そう。だから規制派は扇動するのか。なるほど、俺でもそうするな。
それは過大評価ですよ.私はフェミニズムに学問的反論を加えているのではなく,フェミニストの一般社会に対する主張の一部に対して一人の市民として反対しているだけだもの.私は知の体系としてのフェミニズムにはちっとも触れていないので学者としてフェミニストに勝つことはできません.それはジェンダー研究の偉い先生が私の専門分野で私に勝てないのと同じ.
気持ちはわかる。が、賛成批判両側ともに多数の人間がいる以上、雑でなんも考えてない意見は出るだろうし、そういう意見は大体過激でツッコミ所が多いから目立つんだよねえ。正直、どうしようもない気がする。
フェミニストのお気持ちで趣味を殴られるのもオタクのお気持ちで仕事を殴られるのも正直疲れ果てたというお気持ちがあるけど,でも流石に今回は献血ポスターが叩かれたということで全血献血15回以上行ってるワイもちょっとプチッと来たよね.これまでは割とフェミの言い分もわからなくもないという感じだったけどキズナアイバッシングと献血ポスターバッシングで「こいつらの主張は基本聞く必要ないな」くらいにまで変わった.メチャクチャすぎるものこの2件.でもこの2件でオタク界隈に吹き荒れた文系バッシングの嵐も忘れてないからね.キズナアイバッシングや献血ポスターバッシングを主導したフェミと社会学叩きや文系バッシングを煽ったオタクはどちらも僕の中では絶許という扱いです.あとpixiv論文事件での学問叩きのことも忘れてないぞ……(しつこい)
まあフェミのことなんて無視して表現の自由を満喫してオタクのことなんて気にせず学問の自由を謳歌すべきなんだろーけども,オタクであることも学者であることも私の重要な一部なので,そう簡単に忘れることはできないんだよなー.
あー、キズナアイの時と同じ人か。私の感想としては当時のこちら(https://anond.hatelabo.jp/20181010204115)の増田とほぼ同じです。ていうか、学問の重要さを訴えたいなら匿名じゃない場所でやったほうが効果的でしょうに。
ネット上の有象無象が学問をdisってるときになんで納税者様への説明責任みたいな話になるのか理解できんわ.科研費の報告書とかはちゃんと出してますし論文も書いてます.納税者様への責任はそれで果たしてるはず.はてブ民とか棘の米欄住人とかに丁寧に説明して差し上げる義理はどこにもないよね.
というかそういうこと言うなら同じ口で二度と民主党政権の事業仕分けを批判しないでほしいんだが……
匿名じゃない場所でやれ? 嫌です.自分の専門分野を誠実にさらけ出して物申した先生方がいたけど,どうなったかといえば物知らずの連中が学問分野ごと燃やしに来ただけでしょ.私は私の専門分野に無知と思い込みでケチをつけてくる連中を招き入れるつもりはありません.
あのさ,それは何一つ否定してないじゃん? 法学部や文学部と並んで社会学部って書くのはおかしいよねって話じゃん? 誰も社会学専攻は置いてないなんて言ってないじゃん? 学部の名前と学問分野の名称は往々にして乖離するもので,そんな肌感覚もなしに批判してるのかよって話じゃん?
ただ関西の方だと有名な私大には社会学部を設置しているところが多いので,関西の有名私大を出た人だと社会学部があるのは当たり前って思っちゃうかもしれない.関東の大学でも,例のキズナアイバッシングの急先鋒だったセンセの勤務先は社会学部だしね.けど繰り返すように全国的には社会学部を設置してる大学は少数派です.
「社会学部」と「社会学専攻」を混ぜて論じてよいと思っている人につける薬はありません.文学と文学部,法学と法学部を区別できないってことでしょ?
歴史学者や政治学者や文学研究者もヒウィッヒヒーには生息して色々発言しているわけだけど,社会学者への偏見があるから社会学者が目立っているように見えるだけでは???
前提として、まず吉本興業経営陣のお粗末な記者会見がネット・テレビで大々的に生中継されたことを思い出していただきたい。
そして、その映像を受けてギャラの配分についての所属芸人のTwitter上でのつぶやきが話題になったことも覚えているだろう。
以下の記事を読めば、公共機関の広報は吉本興業ではなく他の企業に仕事を渡すべきだ、という私の主張はこの時点で理解できるだろう。
(7月22日の記者会見)https://www.youtube.com/watch?v=linB0yJditc
(7月22日の弁護士ドットコム記事)https://www.bengo4.com/c_23/n_9914/
(7月24日の弁護士ドットコム記事)https://www.bengo4.com/c_5/n_9922/
ここでは吉本興業が国連広報とのSDGsの推進で連携していることを取り上げて、吉本興業の問題点を浮き彫りにしようと思う。
まず、SDGsとは何かと言ってしまうと「地球で皆が持続可能に発展しながら生きていけるように世界規模で果たすべき目標を決めた。」という話で、
17の目標と169のターゲットが示すように、食糧問題・人権・労働問題・環境問題など多岐に渡り取り上げられている。
そしてその決めた目標、すなわちSDGs推進のために広報として国連広報センターが吉本と連携をしているのだ。
上述した前提の状況があり、その上様々な不祥事の続報があるにもかかわらず、今も国連広報センターは吉本興業と連携を続けている。
皮肉なことにSDGsの周知が浸透すればするほど、国連広報が吉本興業と連携していること自体がより大きな問題になってしまうのだ。
例えば7月の記事で、国連は吉本興業に動画を発注しているが、吉本興業へ支払った金額は「公表できない」としている。
さらにこの国連広報センター長が吉本興業と連携を存続すると発言した記事が出てからまともな続報が無い。
10月中ごろに出た記事では、「吉本興業の大崎洋社長に協力を直訴」した旨が語られておりセンター長自ら責任を強調した。
しかし、7月の記事でも10月の記事でも連携を存続する理由の説明や根拠についての説明責任は果たされていない。
国連広報センター長に個人攻撃をしたいのではない。ただ説明責任を果たしてほしいだけであることは明確にしておきたい。
(7月23日のHUFFPOST記事)https://www.huffingtonpost.jp/entry/yoshimoto-sdgs-un_jp_5d367df2e4b020cd994883f1
エロさの基準は人それぞれなので、議論して線引すればいいのではないだろうか。4ページ使った割には1行で済んでしまった。
問題がある表現を指摘する場合は、より具体的な問題点を定量的あるいは定性的に指摘すると良いだろう。あやふやな指摘に終始すると、対抗陣営はもちろんのこと、中立派からの目にもイチャモンを付けているだけに見えがちである。説得材料を強化するにはより丁寧な指摘が必要であるといえる。実際のところ、「総合的に勘案して性的であるかどうか判断する」という理屈は分かるのであるが、その基準は曖昧になりがちである。乳袋のような明白な表現であればある程度の基準が作りやすいが、表情だったり、姿勢だったりと言ったものに対しては基準化が難しいのも理解できる。なんとか頑張ってほしい。
「お気持ちですよね」一点突破は作戦としては脆い可能性に留意されたし。仮に「お気持ち」が理由だとしても、多数派のお気持ちが一致するのであれば、自主規制ルールは発生しうる。人の気持をバカにしてはいけない。
さらに、「批判派は明確な基準を示せ」という意見も、筋が悪いと考える。擁護派はベースラインを「表現の自由(=すべて自由)」に置いた上で、対抗陣営には、ラインを引き直すのならば説明責任を果たせ、と迫りがちである。しかし、実際ところ、表現者(今回の件で言えば赤十字)にとっては、自主規制こそが全てであり、表現の自由は関係がない。そのため、ベースラインは両陣営の真ん中から始まると言ってもよく、赤十字にとっては、基準を示さなければいけないのは、批判派も擁護派も同じである。ポスター擁護派は、表現者や中立陣営に対して「この表現(今回の例では乳袋)は広く認められた一般的な表現である」ということ示し、社会通念上の合意を得る必要がある。乳袋を性的に見なさない、あるいは性的であっても過度に性的ではない、という世界を作るのはポスター擁護派の責任である。
究極的には乳袋ネイティブ世代が増えるように頑張るのが良いのかもしれない。オタクコンテンツを増やせばなんとかなる?
天皇の写真←ヘイトではないが、ヘイトと勘違いしても仕方ない。展示側に説明責任がある
放射能最高←見ればヘイトじゃないとわかるのだが、デマに騙されてしまうことは人間ならあり得ること
慰安婦像←「ヘイト」と「政治的偏り」の区別がつかないのは単純に認知が歪んでいるのでは
以上、宇崎ちゃんを全力擁護した表現の自由戦士による三文解説でした。
補足だけど、天皇の写真もそうだし「日本しね」もそうだけど、元の表現自体にヘイトの意味合いはなくても、それを援用する第三者の中にはヘイトだと言われるのが妥当な人もいただろう。しかしその例にしても「流行語から死語にしたい」と言った政治家を叩くのはおかしいよね。
オリンピックの件だけど。
オリンピック招致委員会と、 大会組織委員会と、日本オリンピック委員会と、都と、文科省スポーツ庁と、オリンピック担当大臣と、森元と、責任ぐるぐるたらいまわしで絶対責任取らない体制だけは完全に準備されている。
これがうんこなのは当然だけど、組織というのは下からではなく必ず頭から腐るわけで、下から腐っても上はそれを切り捨てられるから当然なんだけど、こいつらを最終的に首にする権限があるのは結局国民一人一人なわけだ。
それでもって、本件を通じてみるに、一般国民であるお前らが結局無責任すぎるのではないか。
オリンピック反対とか言いながら、会社の付き合いでとか子供にせがまれたからってチケット買ったなんてのは論外中の論外で万死に値するし、オリンピック終わるまではオリンピック関係はもとよりスポーツ番組見ない、TOTOくじ買わない、ふるさと納税で都に税金払わない、オリンピック関係の仕事は断る、オリンピック協賛企業は当然不買、きっちり責任をもってやれと。選手を応援したくてとか、いい歳こいて勝手に責任をアウトソースするな。
オリンピック応援というなら、まさか反対の人間からの施しを受けるような無責任なことが無いように。いますぐ全財産処分して都に寄付一択。子供に「お前を大学に入れてやる金はなくなったが、オリンピックを応援する以上責任のある大人として必要なことだ」と説明すれば子供への説明責任も完璧だ。
一時期、自己責任とかいう言葉がはやったけど、結局は他人の責任を追及するばかりで自分の責任など考えてもいない人間ばかりだからこんなざまになる。
よし、不買頑張るぞ!
だいぶ前も書いたが、捜査や逮捕・起訴や書類送検と言った、警察が出来る法的手続きは、警察の義務ではない。警察に認められた職務権利に過ぎない。
そして何かするメリットもない。日本経済に多大な功績を残した叙勲者であるので、もし書類送検なんてやった日には、警察は各方面への説明責任が生じる。
何もしないことでごく一部の国民から「上級国民に逆らえないのか」と非難されるというデメリットはあるが、例の署名活動が1か月でたった20万人しか集まらなかったのだから、超局所的と言えるだろう。N国の参議院選挙得票数をはるかに下回る数であるのだ。
働き方改革が叫ばれている中、今の警視庁がそんなことやったらただのバカである。正義感に駆られてやったところで「お前が責任取れ」と360度から恫喝されて追い込まれ、年度末の人事査定で「日本のためにならない行動をした」という理由で最低評価がつけられるのがオチである。
もしも、韓国がフッ化水素など行方が問題視されてる品目の行方をしっかり明らかにして、それが問題なかった場合どうなるだろう?
道理で言えば、日本は韓国をホワイト国リストに戻して輸出入は元通り。一連の流れの始まりが丸く収まったことでGSOMIA破棄もなし。また仲良くやりましょう。……となるはずだ。
でも、なんか日本、拳振り上げまくっちゃってるから、もう品目の行方を明らかにされても沈静化することできないんじゃないかと不安だ。
今は韓国がなぜかごくシンプルな行方の説明責任を誤魔化してるから、向こうに非があるって感じでやってけてるけどさ。
万一、今更ながら情報公開してきた時に、「なんだ、それならいいんだよ」とスマートに矛を収めず、他の諸々について政治家や国民がネチネチ言い続けてしまったら、日本に非がある、ダサい、筋が通らない、ということになってしまう。
大丈夫だろうか……。
Twitterなどで今回を最後にスタッフをやめるという報告が相次いでる。原因は様々だがどれも上層部と現場の意識乖離が根本にあるように見える。一方で我々サークル参加者や一般参加者とも離れていっていると感じざるを得ないところも確かにある。
米やん(米澤前代表)が亡くなってから3代表制に移行したころから、崩壊の序曲は始まっていたと思う。
米やんは確かに独裁的ではあったけど、「コミケの理念」に沿って多くの参加者が納得できるような行動をしていた。たまに納得できないこともあったけど、それでも説明責任は果たしていたと思う。それが三拡(現在の拡大準備集会)であり反省会であった。私が参加し始めた30年前位は、三拡の質問コーナーは質問したい人がマイクで直接米やんに質していくスタイルで、質問だけじゃなく意見表明もあったり、米やんなどの返答に対してさらに疑問をぶつけることも多々あった。だから質問した人も納得できたり、納得できなくても彼の意見には一定の評価をしていた。対話はとても大切である。だけどこんなのを何人もやっていたら時間が足りないので質問用紙形式になってしまったのだが、それでも彼は回答に対して更に再質問されることも見越して答えていたのはさすがだと思う。何よりもすごいのは、おそらく用紙形式になってからすべての質問に答えていたこと。つまらない質問、コミケと関係のない質問、既に前半で説明した内容、そういうのも省略することなく時間を多少オーバーしてでも回答していた。
しかし3代表制になってから徐々に「同様の質問」という枠でまとめられたり、コミケと関係ないからと省略されることも出てきた。集会終了後に質問に触れられなかった人がスタッフに詰め寄ってるのを目撃したことも1度や2度ではない。それでも最初は12時終了という時限があったから仕方がないと自分を納得させていたと思う。しかし運営に関わる自分の質問が他の質問とかぶっていないのにも関わらず紹介されないことが出てきて代表に対して疑念を持ち始めた。
サークル参加していると一般参加のときとは違ってじっくりスタッフを観察できることもある。(弱小なので暇(滝汗
例えば突発的な待機列の発生。昔は階級役職関係なく、むしろ古参で役職についているような人が積極的に整理にあたったりしていたこともよく見かけた。全員が汗をかいて動くのが当たり前だった。そうした中でOJTによって後輩に技術が継承されていく。コミケに限らず組織が継続するための基本だ。
ところが先日の夏コミで見かけた光景はまるで違っていた。無役、おそらくほとんど初心者のようなスタッフが外周大手サークルの大行列を試行錯誤しながら切ったりつなげたり弄り回していた。その様子を何人もの上級スタッフがすぐそばのテントで涼みながら指差し笑ってくつろいでいる。休憩かと思ったら何時間もテント内で待機している。連絡係なんて1,2名もいればいいのにおかしい。たまに下部スタッフを呼んで列整理かなにかの指示をしたりしているが、彼らは何のためにコミケにスタッフ参加しているのだろうと疑問に思った。人身御供以外でスタッフの経験はないので組織の内容は知らないが、半日テントでのんびりできるほど人が足りているのか。
列の整理方法も、以前なら横移動は厳禁だったのに今回は何度も経験した。おかげで崩壊しかかったこともあった。中堅らしきスタッフがハラスメントばりのきつい口調で指示しているのも見た。その他いちいち挙げないが、とにかく空気が悪い。この原因の一端は、Twitterで書かれていたスタッフ待遇の改悪にあるだろう。
サークル参加していても、参加費の値上げは仕方がない部分があるにせよ、参加証の発送方法の変更で不達や遅延が増えたり、前述のような三拡の対応など、徐々に不満を積まらせる要素が増えてきたが、なんといっても黒バス事件での準備会の対応は、コミケの理念を自ら曲げてしまった悪手だったと思う。三拡では「場を維持するため」と言い訳を繰り返していた。長くなるので書かないが、あのような措置をとらなくても場は維持することが可能だった。もしくは場の維持はコミケの理念には元々入っていなかった。「年2回開催の維持」こそが黒バス事件や今回の夏コミにおける諸問題の元凶である。もうちょっと言えば年2回のコミケで生計を立てている人(企業)が増えてしまったことが問題。
「オリンピックがあるから1回(2回)パスします」と準備会が宣言すればそれでよかった。
(もしくは「黒バスで脅されて特定のジャンルだけサークル参加させないように警察などから言われたけど理念に反するので拒否したら会場借りられなくなった」とでも)
メインの東館が使えず西と南に無理やり詰め込み、中途半端にリストバンドを売ったり(これも理念に反する行為)東駐車場待機列の事故も「年2回」のための無理が祟ったと言わざるをえない。こんな状況で冬はともかく来年の春に他のイベントと共催してまで無理やり行うのはどうかと思う。オリンピックじゃなく災害で会場使えなくなったらどうするんでしょうね。それでもどこかで無理やり開催して「年2回」を意地でも通そうとするか。ちなみに詳しくは言わないけど津波でビッグサイトが浸水する可能性は十分ある。来年夏か冬まで休んで万全の態勢で再開することを検討するのはまだ遅くない。特に東駐車場では危うく死者を出しかねない状況だった。それを報道されたら
コミックマーケット準備会 @comiketofficial 8月12日
コミケットには「お客様」はいませんが、一方で「運営」もいません。我々が、そしてみなさんが参加者の一人として、それぞれの声に真摯に耳を傾けて対話していきたいですし、互いに新たに協力をお願いすることもあると思います。
などと自らの責任を放棄する始末。真摯に耳を傾けるのなら、まず三拡の質問に全部答えるところから始めたら?運営じゃないのならリストバンド売るのもおかしい。こんなちぐはぐなことしていたらスタッフが離れていくのも当然の成り行き。昔のような分裂騒動が起きてもおかしくない。もしかしたら3代表はもう割れているかもしれない。そう思わせる場面を何度か見たことがある。
冬までに問題が収束するとは思えないし、春は更に大きくなっていよいよ存続問題に発展するかもしれない。そうなったらクールジャパンとか言ってる連中もオリンピック前に冷や水浴びせられることになるかも。そうでなくてもスタッフだけでなくサークルや一般も準備会の態勢が嫌になってコミケから離れていくことは十分予想の範囲。未確認だが今回徹夜組が大幅に減ったという情報もある。これは企業ブースが青海に飛ばされた影響だけじゃないだろう。
高齢化、若い世代の人口減少、ネットの普及、頒布手段の多様化など、何もなくても近い将来参加者数が減少傾向に転じることは予測できる。
(一方で外国からの参加者が増えているのでまだ伸びしろがあるという見方もあるが)
同人誌自体も、アニパロなど二次創作の規制が進む流れがいつ厳しくなってもおかしくない。残念ながらそういう時代になりつつある。準備会は「場」を守ったけど参加者や同人界を守らなかったというオチが見える。