はてなキーワード: 園長とは
彼は私に無言で一枚の絵を手渡しました。
渦中の絵
→ https://d.kuku.lu/8276af3257
苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
(絵をテーブルに広げつつ、、)
渦中の絵
→ https://d.kuku.lu/8276af3257
私「あのさあ、今日幼稚園で描いたこの絵について教えてくれないかなあ」
娘「あ、その絵お気に入りなんだ!パパはその絵好き?」
私「うん、好きだよ! これどうしたんだい?」
私「へえー! そうなんだ! で、何を描いたの?」
驚いた妻は両眉を釣り上げ、
私は眉間にシワをよせながらも必死に平静を装い、
注意深く絵を鑑賞しているふりをします。
私「そりゃ楽しそうだね。で、ここに描いた大好きなものって、何だい?」
娘「もうパパったら! わかってるくせに! テーブルに置いてるマフィンに決まってんじゃん!」
(妻、爆笑)
私「もちろんわかってるさ!すっごく上手に描いたよなあ!」
(ふぅ~)
色んな人に向いてると思う!とかぽいぽい!とか言ってもらって励ましてもらったのにやめた。
親に学費の面でたくさん助けてもらったのにやめた。
子どものころからなんとなく「なりたい!」と思ってた、そんな夢の職業をやめた。
きっかけは本当に小さかった。
園長に言われた
このたった一言でわたしの保育士として頑張ろう!という気持ちもちっちゃなちっちゃなプライドも少しずつヒビが入ってどんどん積み重なってしまった。
この一言は何度も言われた。
その度に涙を流したし先輩に愚痴や相談も聞いてもらっていたのに心のモヤモヤは一向に晴れなかった。
どんどんどんどんやる気がなくなって、子どもたちと向き合うのも怖くなって毎日出勤するのが怖くて出勤しながら毎日泣いてた。
死んでやろうとも思った。今死ねば園長に責任が問われてやめさせられるんじゃ?とも思ったし何らかの形で心に傷を負わせたかった。最低だけどそれくらいしないと釣り合わないって思ってた。たぶん地元の保育園じゃなくて電車通勤だったら色んな人に申し訳ないけど飛び込んでたと思う。
他にも色々言われた。
気が利かないとか(それはごめん)コミュニケーションとる気ある?とか(それもごめん)人のために何かしようと思ったことある?とか(これは言いすぎだよ)
面と向かって言われてショックと怒りで凄い嫌な態度を取った。
保護者の方に言われた先生新卒さんなのにすごい頑張ってるねって言葉に救われてた。先生いつもありがとうって笑って伝えてくれる言葉に救われてた。わたしの今日1日の報告に笑ってくれる姿に救われてた。気にかけてくれる先輩たちに救われてた。毎日の連絡帳でのやりとりが大好きだった。
子どもたちの笑顔が大好きだった。今でもこれは変わらないし、ずっとわたしの中のキラキラした思い出として胸に残ると思う。本当に大好き。許されるならもう一度会いたい。
でもこんなに救いがあったのにもう限界だ。って思った。
集中力も判断力も落ちた。締切も守れなくなった。朝起きれなくなった。ごはんをいくら食べてもおなかは満たされなかった。涙が止まらなくなった。死にたくてたまらなかった。
もうだめだ休もうって思ってお医者さんに行ってそこでも涙が止まらなかった。優しくお話を聞いてくれたお医者さんには今でも凄く感謝してる。ありがとう
お医者さんにはとりあえず1ヶ月休んでみようかって言われて休もうと思ったその日のうちにまた園長に言われた
なんで?わたしはあなたが前に言っていただめなことはただダメじゃなくて言葉を分かってなくてもしっかり理由として伝えてくださいって言葉に納得しておもちゃはお友達にあたったら危ないから投げるのはダメだよって伝えてただけなのに。それのどこが虐待なのか教えてほしい。保護者の方の前で言わないで。これ以上わたしを責めるのをやめてくれ。わたしはお前のストレス発散の玩具じゃない。ふざけんな。
こう思った。その言葉でわたしはもう一生保育士として働かないと心に誓った。
少ない時間だったけど厳しくも暖かい先輩たちと大好きな子どもたちと一緒に過ごせて死ぬほどしあわせだった。ありがとう
本当に苦しかったから匿名という形で誰かに見てもらえればいいなって思って書きました。
読みづらい文章ですが、はーんこんなやつもいるんだなぁって思ってくれたら嬉しいです。
今悩んでるすべての人がしあわせになれますように。
子ども子育て支援法では、特定保育・教育施設として、認可保育所、地域型保育事業(小規模・家庭的・事業所内)、認定こども園、幼稚園(給付型)などがある。
運営事業者は、株式会社、社会福祉法人、NPO法人、個人(個人運営は、都市部だと、家庭的保育事業でもない限りないと思う)など様々だ。
また、運営している園の数もまちまちで、株式会社だから多くの園を運営しているというわけでもない。(割合としては多いけど)
子ども子育て支援法は、個人給付のため、園数が増えれば増えるほど収入が増える。
また、株式会社は人件費比率が低めな傾向があり、利益を上げる。
認可保育所ではこの利益を30%以上保持することは許されない。
(そもそも、そこまで余る設計にしていないし、余るなら職員の給与や施設充実などに充てろということ)
しかし、弾力運用という制度があり、自治体と協議することで、新設園の整備資金などに回すことが出来る。
(確か、地域型保育事業だと協議すらいらない。これが地域型保育事業の増えた理由ともいえる。)
その場合、多くの園を経営することで、規模のメリットを享受し、利益を上げ続けることが出来るという算段なのかもしれない。
そのため、現在、株式は有象無象の勢力がひしめき合って、新規開所を競っている。
【良いところ】
株式会社の園は、組織的経営をしていることが多く、園運営に対する費用対効果で効果の方が高ければ、費用徴収はするが、保護者へのサービスも結構してくれることがある。(例えばオムツの処理など)
そのため、保護者と園側のルールが明確で、延長保育料などの費用負担が明確なことが多い。
【悪いとこと】
・保育士不足になると一気に回らなくなる。
採算性の点から、各園の保育士の配置をギリギリにしている傾向がある。
保育所は子どもの大きさに合わせた狭い設備のなかで、大人が働いており人間関係によって、大量退職などが起きることがある。
そうなったときに、一時の赤字を被ってでも保育士を配置するということが出来ない法人が多い気がする。
たぶん、貯めた給付費を前述した新規園の整備費用に回していたり、事務費とか委託費とかいう名目で本部へ吸い上げているからだと思う。
拡大路線を取っている法人がほとんどのため、営業推進部隊はいるが、管理部門が脆弱だったり、前述の人材確保能力・資力がない本部のことがある。
特に子ども子育て支援新制度(H27)以降に、拡大しはじめた法人はその傾向がある気がする。
昭和時代から運営している事業者などは比較的、安定した経営基盤があり、また地元にも根ざした園が多い。
新しい法人も比較的しっかりしていることが多いが、余裕は無い場合がある。
東京近郊以外の法人(京阪神や九州・四国)、一部北関東の法人が都内近辺に進出しているイメージ。(社会福祉法人に限らないか。)
【良いところ】
・余裕のある考え方をしてる。
古くからある園では、運営が安定していることが多く、余裕を感じる。(特に単園または2~3園位を運営している法人)
【悪いところ】
・トップの考えが古かったり、組織として機能不全を起こしていることがある。(特に組織としてのコンプラ面)
福祉とはこういうものだという考えが強い園や、逆にビジネスライクを超えたルールへの厳格性を求めてしまうことがある。
その場合、雇われ園長や主任が問題であるならいいのだが、法人のトップや実務担当者がそういう考えだった場合に、修正することが難しい。(株式のように風評や採算などを超越することすらある)
複数の園を運営している場合、本部機能が脆弱なことがある。また、地方の法人は株式会社に比べてレスポンスが遅い気がする。
また、東京都近辺のニーズを把握しきれていないことがある。(例えば園のルール。株式だとそこは考慮してくる。)
ここで気を付けてほしいのは、株式だからダメ、社福だからダメということではないという点。
認可保育所と幼稚園が違うように、地域型保育や認定こども園も全く違うものであることを知ってほしい。
①幼稚園
一義的には教育施設のため、教育カリキュラムが充実しています。特に絵画や図工、音楽系は保育所などに比べると熟す回数の差だけの効果は期待できます。
一方でほとんどの幼稚園は私立のため、児童が付いていけなかったとしても、徹底的にフォローするということ点では認可保育所に譲る気がします。
これは先生のスキルというよりも、幼稚園はあくまで私立学校であり、出来なかったり、したくないのであれば、園に来なくてもいいですよというスタンスが見受けられるためです。
そのため、事前に保護者にも行事への協力や費用負担を求める園が、認可保育所に比べて多い傾向です。
なお、預かり保育を行っている園が多くありますが、夏休み期間中はやっていない園も多くあるので、働きながら幼稚園に通わたい場合は注意が必要です。
幼稚園と認可保育所のいいところどりのような位置づけですが、結構曲者です。
確かに教育をしつつ、保育も行うという高い理想があり、それを実践している園もあります。
気を付けなければいけないのは、認定こども園は昔は幼稚園だった園が多いということです。(認定こども園は民主党政権時代に高い理想と待機児童解消に生まれた制度です。)
①で書いた考えの法人が認定こども園になった場合、産休を取るときに、実質的な退園勧奨をしてトラブルになったりしています。
今は下の子が生まれて育休を取ったとしても、育休が終わったら復帰するんだから、上の子は育休中も継続して同じ園に通えるというのが現行制度です。
しかし、3歳児神話でもないのに、「一義的には子どもは親が見るべき」という考えのもと、トラブルになったりします。
…何考えているんだろうね、こういう法人。そんなことしても少子化が加速するだけで、最終的には園が運営できなくなるのに寄与するだけなのに。
(この考え、保育園の運営法人でも持っている人がいて、考えを変えるのは大変なことなんだなと思うことがあります。)
いわゆる保育園です。入所可能年齢が低く、預かる時間が長いこともあり、一義的には生活の場であり生活を覚え、人とのかかわりを経験していく場と考えられています。
そんなの当り前だろうという人がいるかもしれませんが、例えば育休明け1歳児で預けたとして、一日12時間くらいいたりするのです。
しかも、大人のように社会のルールや、人との会話・接し方、食事の仕方、靴の履き方…
(もちろん一日の食事のうち2回は家だからとか色々ありますが、働いている親が土日にしていることを毎日保育士がしているわけです。)
そのため、教育(幼稚園のところに書いた絵画や音楽とか)という点では、どうしても熟す回数に差があります。
近年はそこに力を入れる園も増えましたが、一日12時間いる中で、そういったことを行うには、子どもも慣れる時間や訓練が必要ですし、保育士側にも相当なスキルや経験が求められます。
ということは、登園前やお迎え後、土日の保護者にもそれなりの余裕やスキルが求められるという点に注意してください。
(幼稚園は保護者に対して、元々求めています。保育園だけでやれば幼稚園並みの経験、教育が出来るというわけではないということです。)
つらつらと書いてしまいましたが、要は保育所や幼稚園を申し込むときには口コミや友達の話だけでなく、ちゃんと見学に行くんだよ!ってことです。
はてな匿名ダイアリーにおいてパート2というのはアリなのでしょうか…? 文化が分かりません。もし痛々しいようでございましたら申し訳ございません。
以前投稿した記事(https://anond.hatelabo.jp/20190926105149)にて私見を交え自分の持つ症状について解説いたしました。が、「タイトルとイメージが違う」とのご指摘がありそういえば元々は自分の人生について書いてみようとしたのだということを思い出しました。前振りだけでいい具合にまとまったのでそれで良しとしてしまっていました。
というわけで本題の発達障害者である私の自分語りをさせていただきます。自閉症と多動症を持って生まれた私がいかように生活してきたのか、振り返って書き連ねていきます。詳しい症状につきましては省略いたしますので、不明点がございましたら上述の記事を参考にしながらお読みください。
出生の頃から追って話しましょう。さすがに私の記憶は流石に薄れていますが、当時から私が育てるコツのいる子であることは母には察しがついていたようです。
目を合わせて話さない。集団行動ができない。特定のモノに極めてこだわる。このような特徴が見られたようです。もちろんこれらは赤ん坊であるならば持っていても変ではない特徴も含まれますが、私の場合は幼稚園年長くらいまで続いていたらしく「他の子とは明らかに違っていた」と言います。
集団行動の苦手さを表す具体例としては、前回の記事にも書きました幼稚園から脱走していたことが主だったモノとしてあげられます。とにかく放っておくといなくなる。あまりにいなくなるものだから、見失わないように私だけ違う色の帽子を被せられていたり園長先生が抱っこして確保していたり特別な措置が取られていました。「差別的ではないか」と保護者会で話題になったとか。まぁ当の両親は正しい判断であると先生にいたく感謝をしていたようですが。
まぁ幼い子であれば”ひょうきん”だとか”手のかかる子”という表現だけで済むのです。迷惑はかけましたが面倒な問題にはなりませんでした。
ここであげておきたいことが”目を合わせて話さない”という点とそれに対する母の対策です。
子供は成長しながらコミュニケーション能力を身に着け、その一環で「目を合わせて話す」ということの重要さを学ぶものです。大人の真似をし、後々意義を理解するというのが発達の基本ですからコミュニケーション能力もそうやって身に着けるのでしょう。
ただ私はとにかく誰かが話しかけてもそちらの方を見ないし、私が誰かに話しかけるときもこちらを見ない。私には会話中に相手の顔を見るという発想がなかったらしいのです。おそらくですが、やる意味は分からなかったのでしょう。「そういうものだからそうする」とか「みんなそうしてるから」といった発想は私には薄いのです。ゆえに真似をせず、発達が遅れる。この性分が字のごとく発達への障害になっています。
今思えばこちらを見ずに話しかけるサマというのは、やや気味の悪いように見えたことは想像に難くありません。
この悪癖を放っておいたらいけない、と母が実践したことが「とにかく自分から顔を見て話す」ということ。
子は親を見て育つ、それで覚えないならもっと見せていくしかないという発想のようです。とにかくちょっとした会話でもしゃがみ込んで目線を合わせる。呼びかけられたら自分から私と目が合う位置に移動する。意図が分かりやすいよう、たまに口でも「目を合わせて話してね」と言う。母の行動は徹底していました。
そうしているうちに、私は目を合わせて話すようになったんだとか。
つまるところ、覚えが悪い子もちゃんと教え込めば理解できるようになるのです。特に口で言うことは大事です。「こっち見てくれないと誰に言っているのか分からないから」など理由もつけましょう。意義が理解できればやるようになります。言い過ぎると逆効果という例もありますから、難しいところではありますが…。
また今更なのですが、ハッキリ言って私は親に恵まれています。「うつ病ブログ見てたら”恋人が助けてくれて~”とか書いてあった」とか「食費節約の記事見てたら”米は実家から送ってもらって~”とか書いてあった」などに近い事案かもしれません。ご了承ください。うつ病患者にとっての恋人とか、米を送ってくれる実家みたいな存在に自分がなるんだという気持ちで知識をつけることにこの記事が役立ってくれるなら幸いです。
問題が徐々に起き始めるのはこの頃からです。先生から露骨に出来ない子という扱いを受け、いじめを受けたりいたします。もう”ひょうきん”で済む年齢は終わってしまったのです。
実際私は色々なことができませんでした。運動は大の苦手で、漢字テストは毎回落第し、常識はずれな行動も多く、そして正直に色々言い過ぎます。私としては何がなんだか分からないまま先生に怒られ続ける日々でした。本当に何がいけなかったのか分からないので、具体的な問題の例を挙げられません。ただ先生から見たらよほど出来の悪い子だったのでしょう。そんな私がクラスメイトに標的にされるのは自然なことでした。
いじめのトドメになったのは噛み癖があったことです。どうも私は触覚に安らぎを覚えるようで、自分のモノは噛みたくなるし顔にこすりつけたがります。鉛筆他色んな所有物をよくかじっていました。正直言って、これに関してはいじめられる側の原因と言えます。
私に触れることはアウト、私の触ったモノはアウト、しっかり拭けばセーフになる。他の生徒からはそのような扱いを受けていました。
さてまぁ壮絶な過去に見えますが、我ながらこの時期はずいぶん気丈に過ごしています。
まず絶対親にこのことを言いませんでした。というのも、大事な人が傷つくのは嫌だったのです。偉いとか優しいとかではなく、それが破ってはいけないこだわりの一つだったのです。
学校でいかように過ごしていたかと言えば、とにかくクラスメイトに話しかけました。嫌な顔をされたりするのは当然ですし、拒絶された記憶もいくつかあります。
なぜそんなことをしたかと言えば、話していい人と悪い人を判断するためです。クラスメイトが全員いじめに参加していましたが、それが全員の本心というわけでもないのです。心底私が嫌いな人、みんながやっているからいじめに参加している人、実はほぼ嫌悪感を持っていない人など色々います。なんというか、これが分かっていないと学校生活で困るのです。分からないことや授業中など、学校生活では会話は必ず必要になります。ですからこの人は話しかけていい、この人は絶対ダメという判別をする必要があったわけです。給食の配膳なども私が配るものを受け取る人受け取らない人がいるので、それも覚えていた方がスムーズでした。
それで大丈夫だったのかなんて思う人がいるかもしれませんが”私に触ることはアウト”なので殴る蹴るは絶対にされないわけで、だから私もこのような行動をとっていました。ちなみに話しかけていい人にも必ず距離を置いて話していました。これらのおかげで嫌悪感をぶつけられることも減りましたし、触らなきゃ話せる相手もできたので大成功だったと言えるでしょう。
今思うと自分でもやや呆れる行動ですが、このような割り切った行動ができるのは発達障害者の強みだと理解しています。
ちなみにダメージが無かったかと言えばまったくそんなことはなく、ストレスが振り切れて”触ったらアウト”をということを使って逆襲したりもしました。本気で泣かれたことがよりショックで私も泣きました。発達障害者も人なのです。無関心でいられるのはよかろうとも嫌悪は精神的に来ます。
はてさてそんなのが一年ほど続いて、私の噛み癖も抑えられた上にクラス替えでいじめがウヤムヤになった頃の話です(子供のいじめなんてそんなものです)。
いじめが無くなったとはいえ、私が色んな事が出来ない状況は変わりありません。未だ先生の心証は良くなかったようで、三者面談では母が怒りかけるほど小言を言われたそうです。
これではいけないと判断した母は育児について調べ初め、発達障害について知るやいなや私を児童精神科に連れていき、正式に診断を受けることになりました。診断結果を話した結果、先生の対応は一変。連絡帳を通してたくさんの配慮をしてくれるようになったそうです。
診断を受けるということは自分が症状を理解することはもちろん、相手に配慮を求めることにも役立つのです。
私の母などもそうですが、先生の態度について色々思うことがある人もいるかと思います。ただ実際にいじめを目の当たりにしてできることはあまりにも少ないですし、しつけのなっていない子が存在するのも事実です。ですからやはり自分で自覚して問題を起こさないためにも、ただ出来ない子と思われないためにも診断は大事なことなのです。診断には強い説得力があります。少なくとも小学校教師になれるほどの英才の方であれば、医師の判断の重大さは分かるはずです。
さて通院や教師の配慮を通して自分が他の子とは違うことを十分に理解し、列から抜け出さないとか家に勝手に帰らないだとか当たり前のことは覚えながら成長していました。大人の方はみなそうですが、私の問題を挙げても存在否定はいたしませんでした。今自分のことが大好きなのはこのおかげであると考えております。
中学生になった頃には自閉症的な特徴がプラスな要素になることも多くなっていました。他人に無関心という点などは特に強かったですね。
なにせ中学校はけっこう面倒な社会です。どこのグループにいて、誰と誰が喧嘩して、あいつはどこに受験して、あの先輩はあんなことしてて…などなど。面倒です。そして誰もが面倒と思っているのに、多くの人はこの面倒な風評を気にしてしまいます。ただ自閉症患者としてはこれは本当にどうでもいいことなんですよね。立ち位置とか気にするの面倒なのです。知らんわ。
そういうわけで私は特定のグループにいることはなく、基本的に面白い人なら誰だろうと話しかけていました。それのおかげか誰とでも平等に話すなどと評価されることが多かったです。よく気軽に話せるなどと言われました。あとは趣味に偏見がなかったのも大きいでしょうか。バント、小説、アニメにスポーツ、変わったところではジャニーズなどの話を聞いていました。自分が知っているわけではないものも多くありましたが、楽しく話せる分には何でも歓迎でした。しがらみがない人間というのは中学校においてはとても貴重な人材だったのでしょう。ゆえに”他人に無関心”はお気に入りなのです。健常者に自閉症マウンティング取れますね。
また他人からしてみれば強烈に個性的に見えるようでけっこう人気がありました。良くも悪くも目立つ人だったのでしょう。
さてかなり上手いこと発達障害を個性にできたと書けば見栄えは良いようですが、決して楽なだけではありません。
とにもかくにも自己分析を続ける日でした。「お前は客観視ができない」と両親からひたすら言われ、客観視とはなにかから始まり自分がどういう特徴があるのかズラズラ考え続けていたものです。あるモノにどういう特徴があるか知る時の基本は、他のモノと比較することです。障害の本もいくつか読みましたが、自分は平気でやるが他人がやろうとしないことを色々見て知ることが一番客観視につながったのだと今では思います。まぁおそらくそんなことは小学生の頃にやっておくのが一般的なのでしょうが…。
意義が分からない限りやらないのが私でございます。自分を理解しないと人に迷惑をかけることになると知って、ようやくこういったことを始めたのです。
まず自分が失礼なことをたくさん言う人であると理解いたしました。ウケ狙いとかではなく、何とも思わず指摘するのだからタチが悪い。特に女性の容姿については言うべきではないと学びましたね。
それに自分は集中すると周りが見えなくなるし、やると決まったことは徹底的にやるし、陰口は言いたがらないし、ツッコミで強く手を出しやすい方だし、婉曲な言い方が理解できない。こういうことをとにかくたくさん知りました。この記事を書くこと自体も客観視の一環ですね。
しっかり向き合ってみれば結構分かるものです。ただまぁ前回の記事の通り「~~という特徴であるらしい」とか上手く自覚の出来ない特徴も多くありますが。ただ、これを知るだけでも行動は変わるものです。怒られたり驚愕されることはずいぶん減りました。
月並みではありますが、大事なのはとにかく障害に向き合うことです。なんでも知っておけば「あっこれやったらダメかも」と分かるモノです。「これはしちゃダメ!あれはしちゃダメ!これはしろ!」といったようにルールを決めるのではなく、特徴を知ってその都度対応しましょう。ルール決めが必要な時があったとしても、第一優先はそこではありません。
ここまで書いて気付きましたが、中学校でのエピソードに欠けていますね。強いて挙げるなら友人がバカにされてハチャメチャに怒ったことでしょうか。
やけに他人を見下す阿呆がいまして、彼奴が私の友人を散々に罵倒したと聞いて教室に殴りこんだことがあります。結局ロクな解決にもなりませんでしたが、他人に無関心というのは「他人がどうでもいい」のではなく「自分が好いている人以外がどうでもいい」のだと知ったキッカケです。友人は他人に入らないらしく、むしろ思い入れが強いのかもしれません。
前回の記事で発達障害者がストーカーになったなどと反応がありましたが、なるほどと少し納得いたしました。
高校時代についても書こうと考えましたが、エピソード不足でありますし少し疲れたのでここで筆をおきます。
さて前回にて「アスペで友人がいるなど詐欺だ」などという反応がございましたが、実のところ私も不思議に思っていた時期がございます。おそらくはとにかく正直で、フラットで、好きな人にはそれなりの接し方をしていたからではないかと結論付けています。20年生きてきて分かりましたが、正直は美徳と言うわりにそういった人は案外少ないものです。外面を固めるのが上手い友人が私の前では豹変したようにドサドサとキツイ言葉を吐くサマは中々愉快でございます。私が楽しいから友人といるのと同じく、彼らも私といて楽しいからいてくれるのでしょう。友人への敬意と多少のユーモアがあれば、あとは個性として楽しまれるのではないでしょうか。
記事の中では母についてはいくつか触れましたが、父の出番はありませんでしたね。というのも父は私のことを本当に放っておいたのです。好きなことをしていればそれでいい、とそれだけは言っていましたが強く干渉することはありませんでした。実際に父も自分の好きなことをたくさんしていました。食事が大好きで今ではメタボなほどですが、誰の忠告も無視してまだ食べ歩きを続けています。子は親を見て育ちます。私が自分に正直に、好きなように生きているのは父が影響しているのでしょう。結局両親ともども私のために色々してくれたのです。
ご参考になれば幸いです。
ふと生まれ育った町の情景を夢で見て、多少思うところがあったので気持ちを書き留めようと思う。
静かな入り江から小さな漁船が海の彼方へ消えゆくような、そんな夢だった。
最近よく見かける「田舎で非知識階層に囲まれて育ったけど、地元に馴染めずなんだかんだで都会に出てきて過去やホームタウンを思い返すたびに多少絶望する」という散文的な自分語りであることを先に断っておく。
ただの個人の経験であり、エスノグラフィのようなものだと思って読んでもらえれば嬉しい。
確かに「東京の人間が想像することも出来ないような社会」が日本のどこかには必ずあって、学ばないことが規範と化して社会が再生産されているということ。
名古屋まで電車で1時間半以上、文化的な施設といえば聞いたことのない演歌歌手がたまに来る小さな市民ホールと、小さな本屋が2軒あった。
2軒の本屋は万引きの被害額が大きすぎて自分が町を出た後に潰れた(跡地はセレモニーホールという名の葬式場になった)。
1時間に一本しか電車のこない駅から伸びるメーンストリートで今でも開いている店は、年金暮らしの年寄りが趣味でやっている畳屋と宝くじ屋しか無かった。
街中でスーツ姿の人は見たことがほとんどなかったし、そもそも人が出歩いている記憶すらない。
高卒で一度も町から出たことのない母親は、漁師を相手にする場末のスナックで働いて自分を育てた。
同じ町で漁師をしていた父親はフィリピンパブで出会ったフィリピーナに入れ込んで、小学2年生くらいの頃に母親と離婚した。
それより前には「キミの父親は不倫をしているんだ」と小学校の同級生の母親から聞かされた。
相手は近所に住んでいた太ったおばさんだったので、あんなデブとなぜだろうとその時は疑問に思ったけどすぐに忘れた。
最後に父親と会ったのは、父親が家を出て半年後くらいに小遣いをやるからと呼び出された紫煙で視界の悪い雀荘だったと記憶している。
その後は行方不明で、風の噂では今はマニラに住んでいるらしい。
こんな家庭環境は、東京の自分が属するコミュニティでは聞かない。
なぜそんなことにわざわざ触れたかというと、自分の家庭は何も特別ではなく、周囲を見渡せば程度の差はあれどどこもそんなものだったから。
親が大卒の同級生なんてクラスに1割も居たかという感じだったし、自分が通った地元の中学校には200人くらい同級生が居たがそのうち大学に進んだのは20人くらい。
自分は博士まで進んだが、マスターレベルですら聞いたことがない。
あとで詳しく触れるが、そもそも勉強をするとか考えること自体を忌避するという一貫したスタイルがあらゆる局面で通底していた。
さて、シングルマザーの家庭はクラスに3割は居たし、両親が揃っていても母親・父親違いの兄弟姉妹が居るなんて話も珍しくない。
親世代の職業は漁業か水産加工、町工場、自動車修理で、小中学校教諭や公務員の子息は格の違いを醸し出すスーパーエリートの家庭扱いだったし、家も小綺麗だった。
スーパーエリート以外は、トタンの壁が海風で茶色く錆びて、汲み取り式のトイレから伸びる煙突の先がクルクル風で回っている文化住宅か、古民家カフェを思いきりボロボロにしたような都内なら廃屋だと思われるような家に住んでいた。
町工場に勤めている人たちで指が無くなったなんて話もよく聞いたし、どこそこの家が生活保護受給とかという話もよく聞いた。
クラスメートが学校を翌日休む理由が、その前に起こした暴力事件で家裁に呼び出されているからとかもよくある話だった。
そんな彼らが余暇にすることといえば、スナックかフィリピンパブ、ギャンブル、セックスくらいしか聞いた限り思いつかない。
確かに、成人した兄がいる同級生の家に遊びに行った時には、真昼間から居間で同級生の兄と派手な格好をした若い女性がセックスをしていたし、パチンコ屋には毎朝人が並んでいた。
ギャンブルはパチンコか電話で投票する競馬が主流だったが、甲子園の季節になると地元の暴力団が元締めをする高校野球賭博も流行っていた。
暴力団は偽ブランド品も売りさばいていて、軽自動車にスウェット姿だけど鞄は高級ブランド(偽物)という出で立ちの女性をよく見かけたものである。
まぁこんな感じでつらつらと思いつくまま挙げてみたが、自分の身の回りで溢れていたのは、キーワードでいえば貧困、性、暴力、ギャンブルだった。
そもそも大人たちがそんなスタイルだったので、子供達も似たような社会をフラクタル図形のように構成していた。
小学校の頃には駄菓子屋やコンビニでの万引きが横行していて、後に刑務所に入るような子供たちはその時代からすでに盗んだタバコを吸って、やっぱり盗んだバイクに乗っていた。
暴走族(ゾク)に入って大人たちを殴ったり大怪我するほどのゾク同士の喧嘩をする中学生たちが小学生のヒーローで、ゲリ便が出る時のような音を撒き散らすバイクに皆憧れていた。
そんな時に暴力的な彼らは、異質な存在を排除することが大好きで、異質とみなされた同級生は徹底的に排除された。
小学6年生のとき、教室に入ったらメガネをかけている子が素っ裸で椅子に縛り付けられて頭にバケツを被らされていた。
メガネは弱いものの象徴で、勉強や議論をするような人間は排除の対象だった。
文革かって感じ。
反対に、野球が上手いか、足が早いか、ケンカが強ければヒエラルキーの上部に君臨できる。
動物的に強弱を判別できることがそのままヒエラルキーの源となっていたし、意思の合意は感情とその時の雰囲気で決まっていた。
そして中学生になると、今度は成績が良い人が排除の対象となる。
真夏に水を飲まずに走りこんで泣きながら試合に負ける部活に打ち込むことがすべてに勝り、もしくは非行に走ることがある種の中学生らしさであるというコンセンサスを伴って正当化されていた。
授業中には廊下を自転車が走り、思い出した頃に校庭に暴走族や野良犬があらわれる。
トイレにはタバコの吸い殻が落ちているし、たまに窓ガラスは割られていた。
教師はたまに殴られたり、殴り返したり、車を壊されたりしていた。
一方で登校している生徒にとっては、校則はフーコーのパノプティコンも真っ青な規律を自動化させるもので、髪型は男子は坊主、女子は肩まで。
他にも細かい校則がたくさんあって、破れば容赦無く教員から殴られる世界だったし、皆が一緒であることを望んでいたので、逸脱すれば容赦無く告げ口されていた。
校則を破らなくても、目立てば排除の対象になりうるので、いつしか自分も誰かが見張っていると意識して、いかに溶け込むかを重視するようになっていた。
そして積極的に学んだり考えることが嘲笑の対象であったので、そこでもやはりセックスをしたことがあるかとか、バイクの知識があるかとか、そういう分かりやすい尺度でヒエラルキーが構成されていた。
授業中に教師から指名されて小難しい答えを言ったり、発音記号通りに英単語を発音しようものなら3日は真似をされてイジられるのは御多分に洩れず自分の地元も同じだった。
テスト期間は早く帰れるので皆喜んで下校後に遊ぶレベルの勉強に対する姿勢で、将来は男子は工業高校、女子は商業高校に通ってそのあとのことは何も考えないのが一般的だった。
ここまでは自分がライブで触れた15歳くらいまでの環境の話で、せいぜい15年くらい前の話だ。
はっきり言えば、そのような環境はまっぴら御免だし、そんなところで自分の子供を育てたくはない。
さて、経緯は知らないが、自分は幼稚園の頃にIQテストを受けた。
そのあとに、あなたの息子は知能指数が高いから相応の教育を受けさせてあげてくださいと園長先生から母親はコメントをもらったらしい。
大学のことすらよく知らない専門学校卒の母親だったが、自分を都内か海外の全寮制の学校に小学生のうちから預けようとした。
だが、当時の自分はこともあろうに泣き叫んで拒み、結局は地元に残ることを選んだ。
当時のことはよく覚えていて、理由は友達と離れたくなかったから。
その時に知りうる限りの世界を取り上げられることに対する極端な不安が何よりも勝っていて、母親は息子の気持ちを優しくも汲み取って折れた。
小学校に上がった時、小1か小2くらいの頃から、本を読み始めた。その頃に三島由紀夫や島崎藤村やら、古い作品から新しい作品まで縦横無尽に慣れ親しんだ。
早朝に登校して空いた時間や、ジャンケンで負けて押し付けられた図書委員の時間、図書室でひたすら本を読んだ。
そのうちに、自分が生活する社会と根本的に異なる社会、つまり学び、考えることが重要であるという社会が存在することを知った。
哲学や思想系の本はもちろんのこと、西洋美術の画集や建築の写真集に心を揺さぶられたし、マーラーのCDを初めて聞いた時の感動は死ぬまで忘れないと思う。
めちゃイケを好むふりをして、自分は加藤周一の羊の歌に感銘を受けて、とりあえず東大に行こうと中学の頃には考えていた。
そして周囲に迎合しつつも高校に進んだ。いわゆる地方の公立トップ校だった。
他にも理由はあったと思うが、中3の時には成績が良いという理由でものを隠されたり上履きにガムが入っていたこともあった。
入学から1ヶ月もしないうちに、明らかに新たな社会、社会階層に自分は組み込まれたと自覚した。
同級生の親の職業は、医者、弁護士、会計士、大企業の社員ばかりだった。
誕生日には名古屋のデパートの上層階のレストランだったり、どこぞで伊勢海老を食べるだのとそんな話もたまに聞いた(成金的な家はあまり無かったけど)。
彼らの親は旧帝国大学出身はざらにいたし、兄が東大、今はオックスフォードに留学中とかそんな話も当たり前にあった。
幼い頃からピアノやバイオリン、書道、バレエ、スイミングなんかをやっているのがマジョリティだったし、週末に美術館やコンサートホールに足を運んだという話も決してレアな話ではなかった。
彼らと出会ってとかく感動したのは、好きだった本や芸術の話を初めてリアルの人間とできたことだった。
そして何より彼らは、自身の解釈や、見解を示してくれたし、自分のくだらない議論にも向き合ってくれた。
もちろん性やギャンブル、暴力、ワンピースの話もたまにはあったが、それ自体を享受するだけでなく、思考の対象としても話題を取り上げることががあった。
高校以来、自分は学び、思考する人しか存在しないかのように振る舞う社会に身を置き続けている。
今にして思えば、もっと早く外の世界に出た方が良かったのではと素直に思う。
なぜなら、受動的に与えられたその社会が自分のすべてだったから。
母親が母親であるように、生まれ育った社会は生まれ育った社会であって、代替がきかない。
自分はたまたま、自分が立っていた社会と違う社会を知りうるきっかけを子供の頃に得たから今があるのであって、その機を逃せば一生地元に居ただろう。
なぜなら、考えることや知ることを拒むことが規範となる社会では、外の世界があるということ自体を知りようがないのだから。
自分は考えることも、こうして頭の整理をすることも好きだ。
パチンコの新台や、友達の奥さんが不倫をして旦那が相手と殴り合いの喧嘩をしたとか、そういう動物的な話題を「それ自体」をただ消費する社会に少なくとも自分は興味がない。
もちろん、そういった社会(自分が経験したような)を否定する理由はどこにもない。
ただ、自分が故郷を捨てたように、その社会に残るのは、その社会に適応しきった人々である。
有り体にいえば、将来の選択肢の存在すら意識できないのが自分の体験した社会であり、どのような選択肢があるのか獲得しようする営みそのものが封建的に否定される強い構造を伴っている。
だからこそ、自分の田舎はいつまでも同じ姿を留めることに成功しているのだと思う。
もちろん、その社会自体が恐ろしいぬるま湯であり、外には異なる社会が存在することを予期している人も稀にはいることだろう。
幼い息子を外の世界に出そうと考えた母がそうだったように、おそらくそれに気付いた時に自身を好転させるにはあまりにも遅い場合が大半であると自分は思う。
そして、自分は今更何があったとしても、地元の彼らと交流することはできないし、するつもりは一切ない。
母はもう二度と戻ってくるな、お前の居場所はもうここにはないと電話口でことあるごとに言う。
一方で、開成や筑駒から東大に進んだ都内組は何も捨てることなく、安定的に自分が望んだ社会を享受してその上に今も生活を営んでいる。
それは誰でもそうであるように、最後の最後に拠り所となり得る自らの地域的なアイデンティティをきちんと持っているということである。
自分は依拠すべき地域(地元)を自己実現と引き換えに失ったのであって、願わくば我が子には地元を与えるか、もしくは地元がなかったとしてもサバルタンとなり得ない思想的な土台を築いて欲しいものである。
俺、前からうすうすは感じてたんだよ。
「こいつらインテリ風に装ってるけどちょっと長い文章読める人間は2割もいないな」って。
つまりある程度以上長いと本文読まずに、ブクマページの見出しや他の人のブコメだけ見てブコメしてるの。
これだってそうだよ。
保育士には二度と戻らない
けど
理由は現場仕事なんかしないくせに「どんなことにも暖かみを感じる園に!」がモットーの園長、行事のプログラムも遠足のしおり、園だより、全部手書きにしろの指示。全部だよ、全部。配布枚数分を全部。ありえる?そんなこと。
それ以外にも壁面装飾や行事の衣装、セット、日々の保育で使う制作物も勿論オール手作り。
1週間でボールペン5本消費した
ここを読んでずっこけた。
これどんな作業量になるんだよ。
忙しさの大半これだろ。
だってこんな異常なことを命じられたら職種が何でも仕事おわらねえよ。
実際の保育業界の厳しさは知らないけど
この元増田に関しては、こんな目に遭ってる理由の大部分はこの異常な命令のせいで、
これさえなければ作業量は激減するのでもっとずっと早く帰れる。
また、保育業界が全体にブラック気質なのだと(知らんけど)仮定しても
こんな何の儲けにもならない全手書き令を出す園が他に多くあるとは思えない。
保育業界に問題がないとはいわんけど、この事例については、業界問題ではなく個別の異常者問題だ。
なのにだーれもこの部分に突っ込んでない。
ちゃんと全文読んでたらこの部分に突っ込まずにはいられないはずだ。
「何この園w」って。
でもだーれも触れてないの。
ほとんどの奴が本文読んでないんだよ。
同情深く元増田をいたわるコメントやら思慮深く業界を憂うコメントやらしてるけど、
本文読むのはめんどくさい、読めない、という程度の奴らなの。
知人に仕事のことを聞かれ、残業だらけだし給料も少ない、生きていくのがやっとだと愚痴をこぼしたら、
「でも保育士の給料が少ないなんて、もう何年も前から言われてたでしょ?」
「それでも、自分で選んだんでしょう?」
と言われた。
その通りなんだよ。働く前から、保育士を目指した頃から、知ってたよ。
でもね、
毎日6時半には出勤。
タイムカード打刻出来るのは早番の人でも7時半から。中番は8時半からだし、遅番だと9時半とか10時にならなきゃダメ。
休憩時間は子どもたちの午睡の時間。それも呼吸の確認や寝ている子どもの見守りをしながら、書類仕事や制作物。
退勤打刻は全員定時に押される。
そんな中で20時に退勤出来たらなんて良い日なんだ!、スーパーに寄れる!と大喜び。
それでも人手不足なおかげで、早朝に出勤しないと終わらない仕事量。
理由は現場仕事なんかしないくせに「どんなことにも暖かみを感じる園に!」がモットーの園長、行事のプログラムも遠足のしおり、園だより、全部手書きにしろの指示。全部だよ、全部。配布枚数分を全部。ありえる?そんなこと。
それ以外にも壁面装飾や行事の衣装、セット、日々の保育で使う制作物も勿論オール手作り。
1週間でボールペン5本消費した。
これだけアホみたいに、奴隷のように働いた給料が、手取り13万。手取りね、手取り。
誰がこんなに酷いと思ってた?
誰がここまで腐ってると思った?
新卒で入った1つ目の職場も、ここまでではないけどサビ残持ち帰り当たり前で研修の段階から定時に帰れたことなんてなかった。
私に職場選びの運がないだけかもしれない。
大学の同級生を見てても、いい園はいっぱいある。みんな大変ながらも楽しそう。
でも事前の見学や面接だけじゃ分からないことだらけ、結局は入ってみなきゃ黒か白かの実態は分からない。
こんなクソみたいな場所だから、保育士の配置基準は今現在で1人でも辞めたらアウトになります。なので無意識のうちに、牢獄に閉じ込められた気分でした。そしてそれが自分の使命だと勘違いしてしまっていた。
もう、どうでもいいです。
知人と話していて、ああ、保育士って仕事は、もうそんな風に言われるような仕事なんだと、絶望しました。
たった3年でと咎められようが、もう無理です。
園長はきっと今の職員数からして止めるだろうけど、何としてでも辞めます。
さようなら、可愛くて大好きな子どもたち。みんなに罪はないから、これからも素直な気持ちを忘れずに強く生きてください。
そしてさようなら、保育士に憧れ、理想の保育を目指し、夢で溢れていた学生時代の私。
もう二度と保育士にはならない。
1 ヒーローショーの聖地「シアターGロッソ」でショーのお姉さんを務めていた女性が卒業、その理由をTwitterで告発 - Togetter
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1369283
2 ふらいと0013 on Twitter: "定年後保育士に転職した親父。4月から働くも突然解雇。子供好きな彼は母親達から人気あったが背景聞くと女性職員達から壮絶なイジメを受け女性園長から通達された最終的な解雇理由は「おじさんだから」…完全な性差別で保育士不足に悩む世の母親達… https://t.co/Wn2t7RVbji"
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/doctor_nw/status/1143038125695889408
2は固定で、もっとゆかいな比較対象1があれば、ご教示くださいませ。
政治 海保ともみ合い、女性けが 辺野古掘削再開2015年3月13日 08:05辺野古新基地建設
https://ryukyushimpo.jp/movie/prentry-240276.html
https://www.youtube.com/watch?time_continue=19&v=e10wypiGco4
https://www.youtube.com/watch?v=RN4quKDmf3s
「米軍落下物は自作自演」とネットで誹謗中傷を浴びた保育園。園長が伝えたいこと
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/okinawa-ch53e-hoikuen
3歳になって最初の4月1日以降は幼稚園。これは誰でも入ることが出来る。
生後3か月から3歳までは保育園。これがいわゆる待機児童問題の戦場。
なぜ家で保育できないのか、といった事情を役所がポイント化して各世帯を比較して,高い方から入れる。
実際にはフルタイム以上で働く世帯もいるので普通の家庭はなかなか入れない。
認可外保育園はポイント計算とか無いので,役所を通さず相談して,ワクが空いてりゃいつでも入れる。
もちろん保育士の人数とか施設的な条件を満たしてないので不安感はある。
保育士不足,だとされている。
給料上げればいいんじゃね,と思うけど,それができない。
A:国が決めた「この地域でこの規模なら人件費込みで何千万円」みたいな補助金。
B:市町村(つってもほぼ国が)が決めた保護者の自己負担額。貧困層なら無料,高所得者なら約10万円。これが上限。
だから,保育士確保のためにうちの園はよそより高く募集するぜ,みたいなことができない。
※おれの間違いだったら指摘してほしい。
給料を高くするなら別の経費を削るしかない。じゃあどの経費だよ。
こんな具合だから,民間企業が積極的に参入してワクを増やしていく環境ではない。
諸外国はどうやってんだ。
先日、大津市で散歩中の保育園児の列に自動車が突っ込む事故が発生した。この保育園の記者会見のようすから、報道への批判が高まっている。
事件と会見の詳しい内容はもう各自ニュース記事を見ていただきたい。
このような被害者への過熱報道や無遠慮な態度をめぐってマスメディアが「マスゴミ」と揶揄される事態は頻繁に起きている。少し前にはジャニーズグループ嵐の活動休止会見でも、記者が「無責任ではないか」と質問を投げかけたことに怒りの声が集まった。
SNS上でみられる批判の内容のほとんどは、現場にいる記者に対して「良いニュースや写真を得たいあまり良心を失っている」と指摘するものだ。しかし、記者らはいったい何のためにこのような人道に反しているとも思える行動をするのだろうか? 「お金になるから」と多くの人は答えるだろう。ではどうして被害者の悲しむ姿がお金になるのか。
それは「閲覧数が増えるから」に他ならない。マスコミは情報を売る仕事であるのだから、当然、たくさんの人が見たがる情報を積極的に記事にする。過熱報道を批判する声はもう何年も何十年も前から絶えることがないにもかかわらず、彼らは被害者や被害者遺族への取材を一向に辞めない。誰にも求められていないのに、人々のニーズを無視してまでこのような記事を書き続けるほどマスコミも愚かではないだろう。ということはやはり、これらの記事は「求められている」のだ。
おそらくきちんと考えれば、説明するまでもなく誰でも分かる理屈だろう。しかし最近のマスゴミ、マスゴミと騒ぎ立てる人々を見ているとどうもこのことを忘れているように思えてならない。もちろん、「いくら稼げるからって良心に反していいわけがない」という主張は尤もである。ただ、SNS上でみられる批判の多くからはまるで記者自身が被害者の悲しみを見たがっている、とでも言うようなニュアンスが感じられる。先の嵐の会見の場合でも、記者自身が「無責任だ」と感じているためにそう発言したわけではないと個人的には思う。(ファンを除く)一般大衆が薄ぼんやりと抱くであろう疑問。彼らは直接話ができる立場としてそれを代弁しているに過ぎないのではないだろうか?
一番最初にあるのは大衆の需要であり、マスコミは望まれるとおり供給を与える。どちらが悪かという問題でもない。ただそういう形でうまく歯車がかみ合った結果、今回の園長先生のように泣かなければならない人が生まれてしまう。これはシステムだ。「極悪非道の記者」や「極悪非道の編集長」というドラマのように分かりやすい巨悪が存在するわけではない(だいたい最近はドラマにすらそんな明確な悪はいない)。
きっと多くの人は、その事実をはっきり意識しないにしろなんとなくは理解しているはずだ。だがそれを認める前に、心のどこかが声を上げる。
「じゃあこの怒りをいったい誰にぶつければいいんだ」。
需要がなくなればこんな痛ましい過熱取材も報道もなくなるかもしれない。だがその需要とは? 「ついついセンセーショナルな記事を読んでしまう」程度の人々は本当に弾劾されなければならないほどの悪なのか。私は被害者の苦しみを糧として制作された記事を読むのが好きですなんて主張する人はいないはずだし、そもそもそれ程の自覚もないだろう。
だから誰に怒ればいいのか分からない。なんとなくこんな報道が間違っているということだけはわかっても、その正体までは考えつかない。
そういうとき、ぱっと目について直接的に悪を為しているように見えるのは現場の記者なのである。
繰り返すが、彼らにまったく罪がないとは言わない。この文章を書いたのはマスコミを擁護するためではない。しかし、考えてほしいのだ。ものごとの本質とは何なのかを。
こう言っちゃ何だけど、保育園の事故のせいで池袋の事故の母子のインパクトも薄れて
余計に忘れられてる感
痛ましい事故が起きた。
泣きじゃくりボロボロになる園長を追求するマスコミが今まで以上に叩かれている。
被害者の側を責めてどうする、と。
わかるが、追求すること自体を叩くのはちょっと違うんじゃないか。
そもそも園長側が被害者だとわかったのはマスコミの追求あってこそである。
保育園側に落ち度があったなら、そこを周知すれば他に救える命があるかもしれない。
結果今回は防ぎようのない事故だった訳だが、それを知ることができたのはマスコミがいたからではないだろうか。
「どう見ても保育園側は被害者だ」という者もいるかもしれない。
でもその理論で追求をやめるのだとすれば、
極論を言えば権力者の不正も、印象操作一つで追求の目を掻い潜れてしまうかもしれない。
だから少しでもホコリがでる可能性があるところは心を鬼にして叩かなくちゃいけないのではないか。
私は今回の件で問題にすべきは、園長を追求する姿勢だと思っている。
最近保育所の審査、調整にAIを導入したというニュースが流れてきたので、保育所の審査・調整はどのようにやっているのかを書こうと思う。
やり方は同じ自治体でも区によって違ってくるので、あくまで一つの事例として捉えてほしい。ついでに私はそこで病んでしまったので、ある程度記憶は曖昧。
窓口で受付。受付けた人が申請書類にチェックをして、保育の必要度を仮にランク付けする。
案外書類が不足している人が多いので(就労時間の証明、納税書類とか)、ここで催促の手紙を書いて渡す。
審査の行われるギリギリまで待つので、書類が不足している人がたくさんいると、ランクが確定しない人がたくさん出ることになる。
仮ランクを付けた書類は、それぞれの保育園の担当者に渡される。保育園は一人3~10園を受け持っている。
入所が決まる前だけでなく、入所してからも書類を出していない保護者はたくさんいるので、そういう保護者への催促の手紙・電話をしたり、園長先生から相談を受けたりする担当だ。
その書類を担当者が再チェックをしてランクを確定し、締切までにシステムに入力する。
件数としては、月にもよるけど、合計で50件くらいになる月もある。申請があった人のすべてが入所できるわけではないので、持ち越し分もある。
前の月で出ていなかった書類が出てきてランクが上がる人もいるし、逆に何か月かして、何も追加書類を出さなければランクが下がる人もいる(例えば勤め先が決まった人で、のちに就労時間を提出する必要があった人など)。
そういう人たちはシステムで管理しているわけではなくて、担当者が一つひとつチェックリストを作って手作業で管理している。
ランク付けは係長同席で行う。担当者、まとめ役、係長で個室に入り、読み上げながら書類のチェックを行う。
担当者は終わったら次の担当者を呼ぶが、まとめ役と係長はずっと会議室にこもりきり。非正規職員が来る曜日がバラバラなので、2日間に分けて行う。
担当者は確定したランクをシステムに入力する。すべてが確定したところで、保育所ごとに子どもの名前を並べてリストを作成する処理を実行する。
この処理がむちゃくちゃ重いので、まとめ役が誰もいない時間を狙って行う。
リストが作成できたら印刷して配布する。簡単にいうけど、枚数が半端ない。
第10希望まで書いてあったら、やっぱり第10希望の園のリストにまで名前が書かれるからだ。
それを担当者ごとにホチキスどめをして配布。係長とまとめ役は全員分のものを使う。
配布されたら園長に連絡を取り、最終的な空き人数を確定する。
いきなり退所することになったとかで、突然空くことはよくあること。可動式の壁や先生の担当年齢をアレコレして、受入人数を増やすこともたまにある。
リストには、いわゆる福祉的要件のものも含まれる。虐待ぎみとか、そういうのもこのなかだ。事務方から上がってくるのではなくて、ソーシャルワーカーの専門職から上がってくる。
たいていは事前に担当者・まとめ役・園長に相談があるが、彼らも忙しいので漏れがないか最終チェックをまとめ役が行う。チェックをしたら、もうその人は確定になる。残りの枠で調整を行う。
調整会議も2日間程度かかる。ランク付けと同様の人数で行う。だいたい申請人数の多い園を受け持っている人からやることになっていたと思う。
最終的な空き人数を担当者から聞き、空きが3人なら上から順に3人が内定となる。
ただし決まった人が第1希望の園でなければ第1希望の調整が終わってからでないと、補欠の内定が出る可能性がある。
会議が終わった担当者は同じ人が希望している他園の担当者に「この人決まったよ」と声をかけていく。
しかし他都市が絡んでくると厄介で、上位の希望が他都市であれば、他都市の審査結果がわかるまで、確定ができない。
システムが賢くなって同じ自治体内であれば他の区の園を選んでいても、自動で「この人が内定になると思うよ!」って選んでくれるようになったが、他都市絡みはそうもいかない。
「住んでるところはこっちだけど、最寄り駅はあっち」ってのはどうしたってあることだ。無理だけど、全国で同じシステムを使えればいいのに、と何度思ったことか。
入所が決まったら、まずは園長に報告し、保護者のフォローをお願いする。その後なる早で保護者の方に連絡を入れる。
決定通知書の決裁は部長だったかな…ちょっと記憶があやしいが、時間がかかることもあり、○日以降と決まっている。
他都市だと、住んでいる自治体が、保育所のある自治体からの回答文を添えて、通知書の決裁を回さなければいけないので、余計に時間がかかる。
原則的に○月1日入所と決まっているので、準備するためにもいち早く伝えてあげなければいけない。なので保護者がつかまるまで電話掛けしまくる。
仕事で日中は出られない方も当然いらっしゃるので、そういう方には夜かける。正規職員は保育所からの請求書のチェック等で残業漬けなので、問題ない(?)
(※ 保育所からの運営費等の請求書は、月が変わったらすぐに役所に送ることになっているが、株式会社以外だと事務が苦手な先生や理事長が作っているので、毎月作成に時間もかかるし、間違っている。認可、認可外、認証、こども園すべてで計算式が違い、それぞれが殺せるくらいの分厚いマニュアルだから仕方ない。子ども一人ひとりのタイムカードみたいなので、何時間利用したかとか計算したりするタイプもある。手動で何百人もやってたらそりゃあ計算がずれる。)
ちなみにここで「やっぱり入るのやめます」みたいな人もいる。
人によって事情はそれぞれだが、たいていは「保育所に申込んだけど、入れなかった!」という証明が会社宛にほしかったから申込んだだけであって、本当に入れたら困るパターンだ。
そうなるとその人より下の人が繰り上げで内定するので、また調整のし直しだ。
申請書類はその人ごとにファイルを作って保存。園ごとの鍵つきロッカーに収納する。
その子の家庭環境が変わるたびにファイリングしたり、メモを書き残したりすることになる。言うのは簡単だけどやっぱり数が数なので、「しまう」「さがす」がとても大変。
残念ながらどこにも入れなかった方にも当然通知を出す。
アフターフォローとして、すぐにでも必要そうな方だったという情報を窓口で担当した人が聞き取ってくれていたら、小規模保育など別の保育施設もご案内する。
月末で退所する人数をファイルと園長への聞き取りから判断して、サイト・配布資料を更新する。
毎月の処理では、8時間程度は減ったんではないかと思う。結局審査・調整以外のボリュームが結構多い。
紙で申請がきて、紙で書類を出すわけだから、入力・印刷・郵送、ダブルチェック・トリプルチェックなどにとても時間がかかる。
電話掛けも丁寧にしていったらキリがない。大方がペーパーのやり取りで行われる以上、多少システムが賢くなった程度ではさほど負担は変わらない。
むしろ毎年毎年書類や計算方式のバリエーションが豊かになるばかりなので、トータルとしては負担増だ。
しかし焼け石に水でもないとあるとでは、ぜんぜん違う。システム改修の予算を組んでくれた部署には感謝しかない。
私の自治体では、入所申込センターみたいなのが作られて、そこで一斉に審査をしていた。
審査をする人は非正規職員だけど、各区で数ヶ月の審査の修行を経て、秋からセンターに配属になる。監督役で正規職員もいるけど、大半は非正規職員。
ランク付けと入力が済んだ書類が1月くらいにまとめて各区に届いて、チェック・調整をすることになる。一週間以上缶詰だった気がするけど、記憶が定かでない。
それよりも、年ごとの収入によって保育料が変わるので、そっちの処理のほうがハードだった記憶がある。
住んでいる自治体と保育所の自治体がイコールでない場合は、書類の提出を求め、手入力だ。
※ 追記
A.少なくとも観測範囲には認可でコネはなかった。役所が大勢で決裁してて、結果に納得できなかったら審査請求できるようなところでそんなものはできないよ。
でも園が保護者に「入れてあげる」って言うことはあったし、役所に「この人入れて」って言ってくることもあった。
「そういうのは認可外でやってくださいね」「認可で役所からお金をもらっている以上、そういうことはできませんよ」って説得する。なんなら偉い人に説得してもらう。
A.人によるとは思いますが、私はそういう人も救ってあげたい。悪いのは、こうしないと休めない社会のほうだと思うんだ。
すべての会社が育児中の人に優しいわけじゃないからね。保育園が空いてなかったって言い訳しないで、気楽に休めるようになればいいのにね。
A.反応で書いてくださってる方がいるけど、福祉施設である以上、できるだけ多くの人を救わなきゃいけない。障害がある人も、なんとかひらがなで名前と住所が書ける外国の人も。だからやったとして、紙を残しつつ電子申請というふうにはなる。
制度も複雑だから、窓口で説明やチェックを受けながら申込みたいって人は多いと思う。抜本的な見直しが必要です。はい。
で、国で一括してってのも、なかなか現状難しいと思う。もちろんお上の号令があれば一気に変わる可能性はなくはないけど、社会問題にならなきゃそんな予算はつかない…。
急に思い出したし放置すると多分また忘れてしまうので、ここに書いておく。
別段お高いところじゃなかったんだけど多分子供個人個人を詳しく知ろうという意図だと思う。
子供である自分と母親の二人で園長さんから色々質問を受けるんだけど、子供の自主性を見るためってのは最初に言われて母親は控えめにってことだった。幼児である自分は、こういうシーンの経験がなかったので、すごく責任を感じて張り切っていた。ちゃんとしなきゃ!という気持ちが強かったのを覚えている。
そこで園長先生に「食べられない食べ物はなんですか?」と聞かれた。今思い出せば当たり障りのない、ふつうの、世間話的な質問だ。
でも当時の自分は健康優良児で今は嫌いな納豆も普通に食べられていた。つまりは嫌いなものはなかった。だからごく当たり前に「ありません」と答えればよかったし、周囲の期待はそれだったと思う。
でもこの時自分はすごく責任感を感じていて「ありません」は非常に無責任な、考えることを放棄した返答だと感じてしまった。つまり、無駄にやる気をだしたのだ。よせばいいのに。
そこで悩んだ挙句「ナスのヘタの部分は食べられません……」と告白した。トゲトゲしてるし、間違えて口にして怪我をした記憶があったから。
面談は終わり、母親と帰るとき、すごい説教を受けた。この説教は、折りに触れ数年続いた。
なんでも面談が終わったあと母親は園長と(自分を除いた)二人で話したのだが、その席で子供に対してナスのヘタを食べさせるという虐待を行っているという疑いを持たれたのだそうだ。もちろんそんな虐待の事実はない。「私はお前にそんな酷いものを食べさせているのか?」という説教は、だから今にして思えば極めて妥当なものだと思う。素直に謝罪したい(もうできないが)。
もうね、めんどくさいんだよ、こういう親。
「自分の子は好きだけど、よその子キモイ、来んな。」って言ってる親。
いやいやいや、お前らの方が来んなよ。家から出て来んな。キモイのそっちだから。
あんた達が外部と接触切ってくれたら、それで世間は平和になるんだよ。
こういう親の子が幼稚園や小学校入ってきたら、担任や園長校長は、全校生徒の前でこう宣言した方がいいよ。
「◯◯さんの親御さんは、皆さんのことが大嫌いです。◯◯さんと、その家族には近づかないようにしましょうー。」って。
イジメじゃなくって、こうしてほしいんでしょ?他人の子が嫌いな親ってさ。
あんたの子供もあんたも、『子供近寄るな』って書いてるタスキを肩からかけとけよ。
つーか、人と関わるの嫌なのに、なんで外出てくんの?
安月給なのは昔からなのに今になって保育士不足が悪化してるのはモンペが増えてますます労働環境悪化してるからだし
人が足りないから問題がある人もクビに出来なくなるし、そうなるとますます人が減るの悪循環だし
出産に順番があるのも人が足りない&年度途中で担任が妊娠すると親が園を叩くから妊娠予定の人は予め担任外すとかの対策しなきゃならないからだし
ってのを無視して「いじめがあるのは女社会だから」「ブラックなのは園長やお局が悪い」とか言ってるモンペだらけなのも