痛ましい事故が起きた。
泣きじゃくりボロボロになる園長を追求するマスコミが今まで以上に叩かれている。
被害者の側を責めてどうする、と。
わかるが、追求すること自体を叩くのはちょっと違うんじゃないか。
そもそも園長側が被害者だとわかったのはマスコミの追求あってこそである。
保育園側に落ち度があったなら、そこを周知すれば他に救える命があるかもしれない。
結果今回は防ぎようのない事故だった訳だが、それを知ることができたのはマスコミがいたからではないだろうか。
「どう見ても保育園側は被害者だ」という者もいるかもしれない。
でもその理論で追求をやめるのだとすれば、
極論を言えば権力者の不正も、印象操作一つで追求の目を掻い潜れてしまうかもしれない。
だから少しでもホコリがでる可能性があるところは心を鬼にして叩かなくちゃいけないのではないか。
私は今回の件で問題にすべきは、園長を追求する姿勢だと思っている。