はてなキーワード: お土産とは
コロナで休日の予定がなく、撮りためた写真を整理していたら思い出がよみがえってきたので備忘録的に書く。
今じゃ考えられないが、ここ数年中国のLCCの春秋航空が片道\1,980とか異常に安い値段でセールを連発していたので土日+有給1日つけて中国旅行に行きまくっていた。
訪れた都市は上海・合肥・蘇州・南京・広州・深圳・西安・敦煌・ウルムチ・カシュガル・成都・東チベット・天津・青島・大連・丹東・ハルビン・瀋陽・香港・マカオ。
その中でも印象的だった4つのエリアについて、思い出話を書きたいと思う。
■ 丹東
国境の町。大河鴨緑江を渡るとそこは北朝鮮。中朝貿易の拠点として知られていて北朝鮮とのヒト・モノ・カネの連結点になっていると聞いていたのだが...
2019年に訪問した時には経済制裁の影響かほとんど人の往来が見られなかった。2つの国を結ぶ道路を歩いているのは巡回の兵士のみ、鉄道も全然動いていなかった。
北朝鮮レストランはまだ営業していたが、客足はまばら。冷やかしで入り口まで入ったが店員さんは塩対応。英語は話せるっぽい。
結局、中国人経営と思われる店で冷麺を食べて北朝鮮のビール、大同江ビールを飲んでみた。冷麺の味は可もなく不可もなくというところで、ビールは普通にまずかった。
大同江ビールは北朝鮮の主要な輸出品目らしいが、東南アジアのビールのように暑くて湿気の高い日に合いそうといったこともなく、無個性でただひたすらにまずいという印象だった。
ウイグル自治区。少数民族の弾圧が報道されている昨今だが、外国人の俺でも普通に自由旅行ができた。ただし、公安の警備の目は他の町よりも厳しい。
中国では地下鉄に乗るときにセキュリティチェックがあるのが普通だが、ウルムチではこれに加えてホテルやショッピングセンターの入り口でもセキュリティチェックがあった。
地元住民は中国の他の町と比べて彫の深い顔立ちで、ウイグル語表記の看板と合わせて異国情緒が強い。
町の中心部は中国語の建物が立ち並んでいるが、バスで郊外に向かうと昔ながらのバザールや家畜市場も残っており、意外に少数民族の文化が温存されているように思われた。中国政府としても(国内向けの)観光資源として金になると踏んでいるのかもしれない。
余談だが、ウイグル人のタクシードライバーは普通にぼったくってきた。この3年間、中国旅行でぼられたのはこの一度だけ。抑圧されているマイノリティといえど、常に善良というわけではないのだ。
ウイグルと違って、チベットエリアはガチで少数民族の抑圧が強い。最大都市のラサは一人旅で入ることができないため(政府公認のツアー参加必須)、成都からバスで10時間以上かかるという東チベットエリアに潜入した。
時期によって外国人の入境が出来たりできなかったりするので、ネットの旅行記を見て行けたという報告の上がった翌週に1週間休みを確保して飛んだ。多分今はもう行けない。
東チベットは山がちで人口も少ないため発展著しい都市部に比べるとインフラ整備は遅れているのだが、ここにも開発の手が及んでいるようで、日本の首都圏で言うと圏央道くらいの規模の立派な道路が建設中だった。
果たして採算は取れるのだろうか? それとも採算無視で鉄鋼の過剰生産解消のためにオーバースペックなインフラ整備をしているのだろうか?
現地の町ではヤクが放し飼いにされており、そのバターを使ったチベット料理を堪能した。いたるところでマ二車が回され、宗教が生活に根付いているような地域だった。
途中タクシーで修行僧と乗り合わせたが、日本人とわかるとフレンドリーになった。ネットで調べておいた簡単なチベット語のあいさつをすると上機嫌になり飲み物をごちそうしてくれた。
同じタクシーには家族連れも乗っており、小学生くらいの子供が、おもちゃのガラガラのようなマニ車を回していたのがとても新鮮だった。面白そうなのでお土産に1つ買って帰った。
いつか政治的抑圧がなくなって、自由に旅行に行けるようになると嬉しい。
■ 香港
デモの渦中の2019年に訪問。公安とデモ隊の衝突に巻き込まれないか不安だったが、twitterでデモ情報を見ながら移動したので幸か不幸かデモに巻き込まれることはなかった。
主要道路沿いにはデモ隊の落書きが残っており生々しさを感じた。こんな情勢でも地下鉄や船等の公共交通のセキュリティチェックは無く、ネットの接続制限も体験した限りでは見られなかった。
Google, Twitter, Facebook, Line, Fanza。すべて問題ない。アメリカや日本のWebサービスを自由に使える。なんて開放的なんだ。素敵!最高。今後もどうか香港の自由が保たれますように。
会社でラジオ垂れ流しだから耳に入ってくるんだけど、JFNのCMがおじさん目線でキモい
1.お土産を配る女性社員に対して「みんなに配るなんて律儀だな」と言う上司→「課長だけですよ」とか匂わせる女性社員→あなたのためだけに放送しています
2.はさみで何かを切る音→「何を切ってるんですか?」と聞く若い男の声→「毛よ」というセクシーな女の声→男「どこの毛ですか?」→女「ナ・イ・ショ」→(ラジオは)想像力を、刺激します
3.「部長、50歳なのにまだ一人で寝られないんですか?」と囃し立てる若い女性社員→「あぁ」と認める上司→独身なのに夜どうしてるんですか?とかバカにしてくる→ラジオを、聞いてますみたいなオチ
本当に気持ち悪い
これどっかで叩かれてないの?
同じように感じてる人がいたら気分がスッキリしそう
毛のCM初めて聞いて以来多少意識して聞いてたらJFN Radio Loversとかいうシリーズ物のCMっぽかった
確かに1の男女逆転版もやってた
逆にシリーズ全部聞いてみたくなってきた
当時高校2年生だった自分は,父ががんを患っていたことは聞かされていたが,本当に父が死んでしまうということが想像できていなかった.
そんな感じの人間だったから,父の死に目には立ち会えなかった.次の日の修学旅行で背負うリュックを見に行きたいとゴネて母を連れて店に行っていたから.
そのときのことは本当に母親には申し訳なかった.今でも謝れていないけど,いつかは謝りたい.
そして父は修学旅行の前日に亡くなった.もちろん修学旅行には行けなかった.本当に悔しかった.
本当なら修学旅行に行っている期間中に葬儀等のすべての行事が済んだため,修学旅行後の友達が登校する最初の日に自分も登校することができた.
正直少し学校に行きたくなかった.けど行ってよかった.
仲のいい友達はそうしてくれるだろうと想像はついたが,いつも厳しい先生やそんなに仲良くない友達までも自分にお土産を買ってきてくれてた.
そのときは学校に行くときよりも帰る時のほうが荷物が多くなって,ありがたいことに帰るのに苦労したことをよく覚えてる.
正直,このとき生まれて初めて友達がいることのありがたさを実感した.
悲しい出来事のあとに,人生で最も嬉しいことがあって本当に助かった.みんなありがとう.
4人兄弟の長男だった自分は,こんなことがあったから悲しいときなりに嬉しかったけど,今考えると弟たちは本当に辛かったんだろうな.
学校を1週間くらい休んでどうしたのと友達に聞かれたりしてたのかな.そんなこと当時は考えることができなかった.ごめんね.
その後の進路は,父の死をきっかけに医療系の道に進むことに決めた.頭は別に悪くなかったけど3年生の私立短大に入学した.
早く働いて母と弟たちの力になりたいとも思っていたから.
なので滑り止めが国立大学でした.もちろん滑り止めも受かったよ.
医師ではないから直接病気を治すことはできないけど,それなりに自分の仕事が患者の役に立っていることは感じれるから仕事は楽しい.
新しい家族もできた.妻と2人の息子.
妻は高校の同級生.つまり父の死を知っている.妻にも当時は本当に助けてもらった.
2人の息子もいまのところ大きな病気もなく,すくすくと成長してくれている.どんどん大きくなってね.
1人目の息子が産まれる直前に妻に大学院にいきたいことを相談したが,妻は自分のことをよくわかってくれているから快諾してくれた.
そのおかげで今は仕事をしながら研究ができている.本当に感謝している.
10年でいろいろ変わったけど,自分の根本にあるものは変わっていない.
人は一人では生きていけるかもしれないけれど,周りの人がいることで豊かに生きていける.
言い訳で短い人生を無駄にはしない.毎日したいことをして,必死に生きる.やりたいことはどのようにかしてやる.やり抜く.そして一番を目指す.
自分はこんな大切なことを知っているから,区切りの年だけど特に何も変えることもなくこれからも生きていくだろう.
きっとこの先もうまくいくと思う.父も見てくれているしね.
2人の息子もこの気持ちを大きく胸に刻んで成長してほしいな.
田舎に帰省したときに方言がブリントされたTシャツ(沖縄の「海人」みたいなやつ)を買い、戻ってきたときにお土産として友達の子供にあげた。
で、増田と同じことが起きた。書いてあった方言を連呼された。その子供はあげたTシャツを着なくなった。
事を知ったのが結構後だったので俺は何もできなかった(直後でも大したことはできなかっただろうが)。
トマトマンと言った女の子は、たまたま攻撃的感情があり、それがたまたま増田の息子に向いただけだと思う。
子供がやることは不条理で、こういうことは子供の世界ではよくあるんじゃないかな。
そこの弁当は品数が多く、一品一品が丁寧でフライ系を除いたら大体どれも美味しくて
しかしコロナ対策の影響で、しばらくの間閉まり、数日はコンビニパンで過ごしていた。
セブンイレブンのコロッケパンはコンビニパンの中でも至高といえる。
あくる日いつも通らない通りからコンビニに向かうと、そこには魚屋があり、弁当があった。
その弁当はほっけがドンと効果音が付くような分厚さで、弁当の半分以上を占めている。
弁当恋しさと縁を感じ購入を決意。少々値は張るが、炭火で焼いているらしく、少し気分は高揚。
社内に戻り、弁当をあけると確かに魚はいいものだと主張するにおいが立ち込め、気分が高揚。
食してみるとほっけは脂が乗り切った状態を冷凍保存していたらしく、非常に美味。炭火で皮の可食部が少ないのは残念だがそれを差し引いてもおいしい。
しかし気分が高揚したのもこのほっけだけで、それ以外があまりよろしくない。まず漬物は安物と一目でわかるつけ具合で
なおかつ、量が少なすぎる。付け合わせの総菜は私の記憶が正しければ業務スーパーのやつだ。気づきたくない事実というものはどこにでもある。
そしていただけないのが白米だ。私的な表現を使用すると人間味がないのである。
この味には覚えがある。デイリーヤマザキのおにぎりだ。これはただの勘だが古米を洗浄しすぎるとこういった味になるのだろうか。
米を大事にしている私は少々残念ながらあの道を通り、あの魚屋で弁当を買うことはない。
米をついばむうちに、気がかりが生まれた。ほかの魚屋の弁当はどうなのだろうか。もしくは肉屋の弁当も同じく米がいただけないのだろうか
気もそぞろに仕事が片付け、家近くの商店街にいき、専門店の弁当を買いそろえる。
まずはスーパーの中にある魚屋が出しているお寿司。ここはスーパーが改装を行う際に遠方から移転してもらっただけに
魚の品質が高いので愛用している店だ。愛用しているがここも魚は美味しい。が米はいただけない。
どうも魚屋の弁当の米はまずいということは確定してもよさそうである。
次に口直しにお寿司屋さんで買ってきた弁当を食べてみる。うまい。シャリという違いがあるにせよ。雲泥の差は間違いなくあり、食べてみるだけで幸福である。
次は肉屋の弁当を食べてみる。ここのトンカツは遠方の友人が来るたびにお土産に買う一品で肉はだいたい美味しい。
しかし専門店だからと期待していなかったが、期待に反して魚屋よりは味があった。なんとも言えない気分になった。
最後にオーガニック野菜専門店の弁当で占めにする。野菜は甘みをあまり感じられず、野趣あふれる弁当なのだが
肝心の米がいまいちである。完全に予想外だが、これは察するに炊飯器古いのを使用している。変ににおいがついている
米そのものはたぶんきっとオーガニック故に質は悪くないはずだと思いたい。少なくとも魚屋よりはマシだ。ずっとずっとマシだ。
横田やけど、こういう資産家の家って、大概過去に痛い目見てるねん。税金絡みで。
そうでなくても、税理士つけてんねん。
他の増田も書いてたけど、税務署はやからやから、なんくせつけてくんねん。
やから、税理士さんのいうとおりにしとんねん。(今はしらんがうちも毎年わざと100万のひかぜいわく超える贈与して税金払った事実作ってた)
また、税務署のいうことはむちゃくちゃやから、これで万全てのはないってのは経験しとる。
ちょっと少な目に申告したりして、調査入った時にお土産(追加で税金払わせることができたで! っていう成果)もたして返したらなあかんねん。
anond:20200530164357 に便乗しようと書いていたら時間が経ちすぎて完全に出遅れた……。
34歳男研究職、既婚子なし(妻専業)、海外の田舎在住6年、年収約1200万、貯金1500万。
田舎レベルは、車は基本1人1台、野良鶏がそこらにいる、牛の声が聞こえる、程度。
額面月70万、うち税金15万。
光熱費、ネット、クレカやアマプラの手数料、サブスクなどで月に10万弱。
3LDK、約150平米、築50年越え。庭が家の5倍くらいあります。
庭は広いが木々の剪定等が必要で毎週末木こりの真似事をする必要があり、夫婦ともに虫刺されがひどい。
赴任して1年は違う家に住んでいたのですが、近くで銃撃事件があり引っ越しました。
今の家は治安が良いエリアで、家は古いですがまあ満足しています、
同僚は、妻帯者や子持ちは庭付き一戸建て、単身者はマンション住まいが多いです。
会社までは車で5分ほど、仕事終了時間は18時~20時と幅があります。
食費(酒代含む)6万、外食費6万ほど。
平日は全て妻の料理で、土日は気分転換のため外食。車社会なので酒なし。
外食でも自炊でも日本の1.5~2倍くらい、総じて物価は高め。
出張が多いのですが、1人のときは日本だとラーメン屋、吉野家、コンビニ等。学生時代とあまり変わりません。
中国に出張したときは英語の通じない露店みたいなところで毎朝肉まんみたいなの買ってました。80円くらいだったかな?
ビール党なので酒代はあまりかからず、むしろ海外に来てビールが安く歓喜。地ビールが12本入りで1600円ほど。
焼酎や日本酒は、遊びに来てくれた友達や家族からのお土産をありがたく頂いています。
田舎のため高級レストラン自体が少なく、年に1、2回くらいしか利用しません。
そういうときはシャンパンかワインを飲みますが、量は飲まないので2人で3万くらいで済みます。
都心のほうに住めばもっとかかりそうですが、田舎なのでこのぐらいです。
月に1万ほど。
基本ユニクロ。
7枚持っていて、順ぐりに着て、ボロくなったら捨てて出張のときに空港とかで買い足します。
ボトムや下着類は帰省したときにイオンとかで買います。スーツ不要の職種なので楽です。
髪の毛は現地で切ったらひどい目に遭ったので日本出張時にQBハウスへ行きます。
コロナのせいで出張が全部なくなったので髪の毛がだいぶ伸びました。
服にはお金をかけていませんが妻はそれなりにかけてそうです。
月3万くらい。
ルンバやダイソンといった家電や、携帯(Pixel初代とiPhoneX)・PC(Serface go初代×2台、Serface Laptop初代×2台)をあまり躊躇なく買えるようになったのは、確かに裕福になった証拠なのかも。
洗濯機、乾燥機、ガスレンジ、冷蔵庫など大型家電は備え付けで大家さん負担です。
月6万くらい。
普段は月に1回車で遠出する程度。
車社会なので飲み会は少なめで、月に1、2度程度。ホームパーティーだと2000円くらいですが店だと5000円くらい。
出張のときに夜後輩と飲んだりなんかすると多め~全額出します。2、3万くらい。
2人で月10万ほど。
本や趣味にかかるお金、高いから買えない、ということはなくなりました。レンズ買うときだけ悩みますが。
車は夫用妻用の2台ありどちらも日本車のSUVを所有。外車を乗り回している……のは嘘にはならないw
居住国では、日本車は丈夫で燃費が良く、そこそこ人気でよく見かけます。
日本車ではない高級車を乗り回している車好きな同僚、
自分の船を持っていて週末はマグロを釣りに行き釣ったマグロをさばいてホームパーティーで振る舞ってくれる同僚、
バイクを何台も所有している同僚など、車(乗り物)にお金を使う同僚は多いです。
月6万ほど。
医療費は日本のほうが圧倒的に安いので、緊急性がなければ基本日本で医者にかかります。
月7万ほど。
プライベートの飛行機、新幹線、Suicaチャージ、レンタルカー代、タクシー代など。
去年は妻がプライベートで何度も日本に帰る機会があったため、予算オーバーしました。
居住国にいる限りはかからない費用なので、今年はぐっと減ると思います。
興味がないまま海外在住になってしまったために一切していません。
子どもがいないためか、けっこう放漫な消費の仕方をしているな、と書きながら思いました。
今年はコロナで支出が絞れそうなので、そのまま少し節制しようかと思います。
普通とは思いませんが、学生時代の同期などもそれなりに収入がある人が多いので、突出して裕福だとも思いません。
人込みが大嫌いで都会には絶対住みたくないです。タワマンに住むなんて拷問に感じます。
何を贅沢と感じるのかは結局人それぞれなんだろうなと思います。
・国際情勢
日本のGDPは5位かそれ以下まで低下。代わりにインド、シンガポール、タイ、韓国、台湾などが上昇。
GDPのトップ5は中国、アメリカ、インド、ドイツ、日本(or 台湾 or 韓国 or タイ or シンガポール)の順に入れ替わる。
日本の経済力、生産力は少子高齢化により慢性的に低下を続けるが、一方で外国からの投資は積極的に行われる。
鉄道会社や電力会社をはじめとするインフラ関係各社は外国資本となる。JRは「繁華デリーレールウェイ株式会社」に改組される。
中国を中心勢力とするパターナリズム勢力と、アメリカを中心勢力とするリバタリアニズム勢力が新たな冷戦構造を作り上げている。
この二つの勢力は法令や憲法、理念、外交などを共有する緩やかな共同体を形成しているが、日本は2060年現在どちらにも加盟していない。
この時代では「共産主義」「資本主義」「民主主義」「独裁」などの単語が持つニュアンスは後退し、おおむね「パターナリズム」か「リバタリアニズム」にそれぞれ収斂している。
日本はそのなかにあって「パターナリズム・リバタリアン政治」を自称し、両勢力の良いところどりを模索しようとしているが、実態としてはあまりうまくいっていない。
コンタクトレンズ型の情報端末が普及している。神経系と接続して思考インターフェイスで操作することができる。
ここ10年の間に普及が進んだが大脳と直結することから個人のプライバシーが侵害されるとの声が強く、リバタリアニズム勢力下ではアナログ操作型の情報端末を選好する者が少なくない。
しかし広告業界にとっては非常に都合がよいのでコンタクトレンズ型の普及は時間の問題だとアナリストは指摘している。
一方、パターナリズム勢力下では健康情報をはじめとする国民のデータ収集と、それをもとに国民へ「指導」を行う必要性から積極的に用いられている。
特に中国では満五歳児から全国民の常時装着が実質義務付けられており、特に理由のなくこれを外すことはよからぬ嫌疑を生むことになる。
今後20年以内に「国民の安全保障と人生設計の精度を高めるため」に全国民の視界を無差別録画し、収集する機能実装を目標としている。(中国政府発表)
日本ではパターナリズム勢力の支持を受ける推進派とリバタリアニズム勢力の支持を受ける反対派、どちらともつかない日和見、もとい、慎重派の三すくみとなっていて、よく国会論争のタネになっている。
そのほか、電源は必要な電力が低いものはおおむね無線電源が普及しており、自動車や鉄道、バイクなどは電力での駆動が前提で設計されるようになる。電動航空機もだいぶ普及してきている。
発電はどの勢力下でも改良された原子力発電と自然エネルギーの二つが主で、火力発電の全体に占める割合は環境への配慮から大幅に減少傾向にある。核融合発電は目下研究中である。高速増殖炉は先進国に限り実用化されている。
宇宙開発は民間が主体となって行われている。中国は2032年に初の月面有人飛行、2044年に初の火星有人飛行を達成し、アメリカも同年に成功させるがそれ以降、国家規模での目立った計画は特にない。
2060年現在では月面開発が各国民間企業によって進められている。既に定期往復宇宙船と宇宙港もいくつかの国に設置されており、往復120万新元ほどで月面旅行が楽しめる。
ただし行動可能区画はかなり制限されているため観光の自由度は低い。定番のお土産は月の石。
リバタリアニズム勢力下は当然のことながら格差が激しく、最下層の人々の暮らしはその日の食事にも差し支えるほど困窮している。
アメリカの中流階級以上の平均寿命が90.2歳(2058年保健省統計)なのに対し、低所得者層のそれは75歳を下回っている。
国民皆保険制度がいまだ存在しないので中流階級以上であっても重病や大怪我などにより多額の支払いを迫られ、貧困層に転落することが珍しくない。
ただし食事の内容や日々の生活について政府から指導や管理を受けることはなく、マクドナルドやケンタッキーは2060年現在でも健在である。
他方、パターナリズム勢力下では実のところ格差がないわけではないが低所得者層に対する生活保障制度があり、すべての国民は健康的な食事と生活を送ることができる。
ただし睡眠時間、食事の内容をはじめとする生活のほぼすべてにおいて当局の「指導」に従わなければならず、そもそも政府が健康に益しないと判断した飲食店の開業は許されていない。
パターナリズム勢力下の国ではマクドナルドもケンタッキーも存在せず、ラーメン二郎は特定有害飲食物として政府認定を受けている。蘭州ラーメンは政府認定の優良飲食物とされている。
当然、タバコや飲酒も厳格に禁じられており、カフェインの摂取にも一定の制約が加えられている。レギュラーコーヒーは1杯150mlを1日3杯まで。
これらの徹底した管理によりパターナリズム勢力の中心である中国都市部の平均寿命は97.2歳(中国政府発表)にまで伸びている。
・教育
パターナリズム勢力下ではどの学校も学費が無償であり、すべての教育機関は公立または国立である。私塾の開設は特例を除き禁じられている。
すべての国民は各々の学力に応じていつでも学びを得ることができる。高卒程度までが義務教育とされ、卒業試験も課されている。
卒業後は成績にもとづいて大学に進学を推奨(実質強制)されるか、または適性のある職業に就くことになる。無就労かつ無就学で、特定の期間以内にどちらかの準備をはじめていない者は「指導」の対象となる。
他方、リバタリアニズム勢力下ではあらゆる方針の私立学校が無数に存在し、詐欺同然の無意味なものから1000年を越える歴史を持つ由緒正しい学校まで選択肢の広さにはこと欠かさない。
ただしこれらには多額の学費が必要であり、中流階級であっても借金しなければ通えない。特に優れた大学・大学院の研究力はパターナリズム勢力下における最高の国立大学・大学院のそれをしのぐと評されている。
なお、義務教育制度は廃止されているので本人の選択によっては小卒のままでいることも可能だがまず間違いなく職には就けない。
産学連携が盛んで、民間人が教授職に就いたり、民間企業の出資を受けた講義、あるいは教育機関そのものの運営もリバタリアニズム勢力下ではごく当たり前である。
パターナリズム勢力下では99.9%が最低でも高校を卒業し、その中の7割が大学まで進学しているが、リバタリアニズム勢力下では高校卒業までで8割ほど、大学進学はその中の4割程度に留まる。
パターナリズム勢力下において文化芸術は認可制であり、なにが正しい表現かは政府が厳格に定めている。
ただし「時として刺激的な表現物が市民の精神衛生に益する場合もある」との見地から、特定の年齢に達し、必要なリテラシー試験をクリアした市民に限り部分的に「刺激的な表現物」の閲覧が許されている。
とはいえ過度に反社会的であったり、反体制的な表現物が認められる余地は一切ない。「1984年」(ジョージ・オーウェル作)はもちろん発禁である。
対してリバタリアニズム勢力ではあらゆる表現が無制限に認められている。ヘイトスピーチですら可能。国旗を燃やしたり、大統領の写真を切り裂くことも可能。VR空間でバーチャル・ドールとまぐわうのも自由。
パターナリズム勢力下ではインターネットが厳しく検閲されているが、一定の知識がある者はこれらの規制を技術的な工夫でくぐり抜け、リバタリアニズム勢力産のコンテンツを密かに閲覧して楽しんでいる者も少なくない。
1時間ほどでここまで書いたがさすがに飽きてきたので後は任せた。
僕は駅ビルが好きだ。
特に用事もなく30分くらい電車に乗ってふらっと行く位好きだ。
本屋で立ち読みして、ファストフードで昼飯食べて、帰る。それだけしに行く。
なぜ好きなのか理由を考えてみた。
・アクセス最強
・迷宮感がある
駅直結の建物で買い物ができるのがなぜか安心感がある。すぐ帰れるからなのか、人の存在を感じるからなのか。
それでいて駅ビルにはなぜかあまり人がいない。快適にうろうろできる。
駅ビルには何もないが何でもある。スーパー、本屋、ドラッグストア、クリニック、チェーンのカフェ、ファストフード、100均、カルチャー教室、謎のショップなど生活感満載の店舗が入っている。
僕は出張先や旅行先の通過点にあるような何でもない街を見て、ここにも人の暮らしが続いてるんだなあとか、ここに住むとしたらどんな暮らしかなあなど考えるので
もし、この駅が最寄り駅でこの街に住んでいたらと想像しながらブラブラするのが大好きなのだ
そして、駅ビルは古い建物が多いからなのか、天井が低く構造が複雑だ。自分がどこにいるのかわからなくなる。このレトロ感を感じるのもたまらない。
逆にちょっと古めの商業施設って今は駅ビルくらいしかないんじゃないだろうか?都会にはあるか。
こういった点から僕にとって駅ビルはたまらないスポットなのだ。
ただし読んでわかる通り、ルミネとか名古屋駅、梅田駅のようなオシャレな駅ビルは当てはまらない。
地方の駅ビルがいいのだ。高崎、宇都宮、熊谷、長岡、郡山あたりは好きです。お土産とかもあるので。もう少し小さい、神奈川全般の駅ビルも好きです。
いい駅ビルあったら教えてください。レトロな商業施設もコロナが落ち着いたら開拓したいので教えてください。中野ブロードウェイ的な。
全ての原因。こいつらのおかげで春節で外国人がやってきた。そして昨日の会見で「緊急事態宣言解除≠自粛終了」を強く言えなかったのもこの業界のせい
ワクチン出来るまで苦しめば良いし、自分の生活にさほど影響ないのでぜひとも潰れて欲しい
いつまでも部屋ではなく人数での料金でボッタクってたくせに新型コロナでいの一番で泣き言言い出した業種。そもそも多すぎ。正直半分で良い
なんでお前ら助けるために7月に税金投入して旅行しないといけないんだよ。高くてまずいお菓子やしょうもないお土産等を売る社会に不必要な業種。現状の支援で充分だから勝手につぶれるか意地で生き残れ
山小屋と違ってボッタクリの極地。盗まれるよとか脅してくるけどたぶん盗んでいるのはコイツら。最近は自前客が多いから謎ルールでレンタルを強要してくる所も多い。従業員の知能レベルの最底辺。時代遅れの業種だしこれを機に潰れればいい
会社に出入りしてる保険の営業の若い女の子が妹に似ていた。大嫌いな妹にそっくりで、話を聞いて、何度も提案を受けて、たぶん私はこの子の提案してくれた保険に加入する。新卒1年目でも一生懸命頑張っていて、にこにこ笑っていて、話し上手。妹と似てるのは顔だけ。この子なら好きになれる。好きになれば、きっと妹のことも許せる気がする。妹のことを好きになれたら、おかあさんももしかしたら私のこと1ばんの娘にしてくれるかもしれない。むりか。
私だっておかあさんにやさしくしてもらいたかった。家を出て一人暮らしするようになって、ようやく母と妹との距離感をつかめるようになってきた。たぶんそれは向こうも同じで、最近お母さんがやさしい。優しいというか、妹と私をちゃんと別物として扱ってくれようになったというか、私がお母さんに妹と同じように見てもらうのをあきらめたからかもしれない。
お母さんにとって、娘は妹と私しかいなくて、2人の中で1番になりたかったけどどうしてもそれは無理で、お母さんは妹のほうが好きで、大切で、それが悲しくて私は妹のことを好きになれなかった。今もそんなに好きじゃない。お母さんだってまだ55歳の女の人で、子供に対して優劣なく接することは難しい。家を出て働いて、私も多少大人になれたからようやくわかった。
今朝、夢で大泣きして目覚めた。起きてからもしばらく声を出して泣いた。
夢もちゃんと覚えている。家族4人で海外旅行に行こうと誘われた。私はパスポートを持っていなくて、でもなんとなく夢だとわかっていたからパスポートがなくても一緒に海外旅行に行けると思っていた。すごい楽しみにしていた。そのために辛いことでも頑張れた。でも出発直前の空港でパスポートがないと海外に行けないことに気が付いて、空港で泣き喚いた。どうして妹は持っているの、お母さんが手続してあげたから、妹だけずるい、仕事で平日時間が取れないから代わりに行ってあげたのよ、でもそんなの私だって平日どころか土日だって仕事しているよ夢なんだからそれくらいどうにかしてよ。
東京にいるけど実家に戻るなと言われたから一人暮らししていて、正直生活はきつくて、でもそれを悟られたくなくて、母の日にはまあまあいいものをプレゼントした。見栄でどうにかこうにか自分を支えている自覚はある。パスポートも海外旅行も金銭的に無理がある。でもね楽しみにしてたんだよ。聞かなくてもわかる、妹のパスポート手続きも、料金も、旅行代もママが工面したんでしょ、って泣いた。空港で泣き喚いて、困った顔をされて、そこで起きた。ベッドの上で泣きながら、でもパスポートないのは仕方ないよね、3人で行ってきてね、お土産楽しみにしてるね、パスポート手配しなかった私が悪いんだから、私に罪悪感なんて持たないで帰ってきたらお土産話聞かせてね、って言った。
やっぱり私の根本的な弱みは、お母さんと妹と、家族のことなんだろうなと最近益々思う。自立ができるほど子供でいさせてもらえなかった気がする。でも母から暴力を振るわれたわけでもないし、大学まで出させてもらった。世の中にはもっと恵まれない家庭環境の人もたくさんいる。でも、分かってるけど、分かっているけど割り切れない。だから今こんなにも泣きながら文章を書いている。
きっと誰とも結婚できない。このままひとりで死んでいくんだろうなとは思う。金銭的にも精神的にもそんな余裕がない。子供どころか結婚ですらこのご時世贅沢品だ。万が一誰かと結婚して子供ができる機会に恵まれたとしたら、絶対に1人しか生まない。平等に接してあげられないことが、とてもかわいそう
そうそう、人間的にどこか欠けているけれど、研究だけはすごい博士って憧れるよねー。そういう人たちに近いところに行ってみたくて、私♀も博士課程に進んで博士になってみたよ。
そして研究活動を通じて知り合った、この人は若いのにすごいと思った博士を落として結婚した。子供もできた。
でも、すごい博士は共働き生活のパートナーとしてはまるでダメだ。まず、食事が作れない。食事を作るより論文を書く方が楽というレベル。それならスーパーで惣菜でも買ってくればいいと思うだろ?何度か頼んでみたが、ちんまりしか買えない。痩せの大食いでしっかり食べるのに、なぜこの量?てか、家族の分は?適切な分量というのがわからないらしい。
あと子供の世話もダメ。新生児の頃の大(緑色のやつ)の処理は「気持ち悪いからムリ」と拒否。いやそんなこと言ったって、出たらおむつ換えないとお尻荒れるから!なぜか、幼児期になったらやってくれるようになったけど。
子供(幼児)と二人で近所のスーパーにおつかいを頼んだら、かくれんぼをしながら行ったそうで、子供が行方不明になったこともあった。「みつからないんだけど、どうしよう」と電話が。子供は先に無事スーパーに着いていて、幼児が一人でいるのを心配した店員さんが保護。夫は店員さんにすごく怒られたらしい。
あと最近あったのは、プレゼント事件。私の誕生日プレゼントは、出張先の韓国の観光客向けお土産屋さんで買った小物入だった。私の誕生日だというのを思い出して慌てて買ったらしい。修学旅行先の京都で、中学生がお母さんにおみやげを買うみたいな?激怒して受取拒否。その後、プレゼントは相手が喜ぶようなものを買うべきであることがわかった、と言ってた。ロボットか。
私はといえば、夫のサポートと、ほぼワンオペ共働き生活にエネルギーを吸われて(というのを言い訳に)、いまいちな研究者だよ。ダメなハカセは私か。
ほぼ同じ方法で未就職、未経験、高卒フリーター30代から数年で正社員年収4桁になった。
ただしプログラミングではなく、最初はネットワークインフラ屋。今はちょっと違う
自分のバイト経験から、プログラミングを集中して取り組むよりも、インフラ屋として、多くの社内部署や顧客の間に入り、
話を親身に聞きながら、インフラを整備する方が性に合ってると思ったから。その流れだとしてもこの内容でOK。
→完全に同意。スクールだの長期間の自己学習などいらない。正直PC持ってないのに入社するやつもいる。
→ITパスポートはマジで簡単だが、元日記の通り未経験者は勉強しないと合格できないので勉強して合格する。
基本とか応用とかは別にいらない。受験時期が固定されているのでモチベ的にも難しいがあればもちろん良い。できれば入社してから受けれると楽。
他にはLinux系、ネットワークのCisco CCNA、IT管理のITILなどは初心者向け。
→ITパスポートは覚悟を決めて、1-2か月もあれば、たとえIT未経験でも、仕事の合間の数時間の勉強で受かるはず。
4択の神が降りず、ITパスポートが受からないのであれば、自頭や向き不向きというよりも、IT業界のエンジニア、つまり、
”専門技術を持つ職人”を、未経験から目指す自分、という心構えの仕方に問題があるのかも。
大工でも刀匠でもいいので、未経験から職人になる自分をイメージして鍛錬する。
⇨年齢によっては、CCNAやLinux関連が無いとNGと言われるかもしれないので、複数の面接先で年齢と資格の少なさを指摘され続けたらやりはじめるで良い。
サーバ系資格であればクラウドでもサーバがあれば触りながら勉強できるのでなんとでもなるが、
CCNAは企業向けルーターやスイッチ、ルーティングなどの知識習得が必要で、未経験者の個人プレイ自己学習は結構ハード。
レベルとしては超初心者向けだが、工夫して手に入れないと触ることもできないし、スタートアップだけきつい。
費用も必要知識の範囲も跳ね上がる上、普段の日常生活でかかわらない。できれば入社してからが良い。
だが、なんとなーくで若者に目指されやすいWeb系、プログラマー系よりライバルが少なめで、需要は同じレベルで仕事が見つかりやすい=職人に進化しやすいのがポイント。
相手もわかっているので、CCNAや他の資格は入社してから早めに合格してください、研修します、時間あります、の会社が多い。
研修が無くても、突っ込まれた派遣先で教えてくれる、またはその時間をくれる企業も多い。が、実際にはわからないので派遣元で研修有の方が良い。
という事で最初はITパスポートで問題ないと思う。必要なのはITに未経験で入るための努力を事前に一人でできる奴なのかが伝われば良いのかと。
ただし年齢、時世次第な面もあるし、ハードルの高い会社に応募するなら基本情報やもっと専門的な資格が必要になると思う。
例えるなら、料理人に未経験から目指すために、簡単な調理方法を自宅で勉強してレストランのバイトから転職前提で始めるのか、
学校や教室で時間とお金をかけてじっくり覚え、本格料理屋の板前見習いからやるのかに近いのかも。未経験者の妙齢であれば前者を勧める。
今の状況をIT業界で変えてみたいなら、最初は欲張らずにとっとと転職してしまおう。また転職するので。
→特に未経験者の周回遅れは超本気を出さないと厳しい。資格、実務、コミュニケーション、転職を想定した立ち回り、
ビジネススキルなど、正直気が休まる時は最初の1年はないと覚悟してもいい。
でも、結果として高卒フリーター30台の周回遅れを一年で挽回できたと考えるとかなりお得だった。
→オススメ。だが、派遣元、派遣先、先輩後輩、仕事付き合いなどでそのような機会があるケースもあるので、
無理には時間を割かなくても良いのかも。たまに行く程度で構わないかもと個人的に思う。だが参加した結果誰とも会話しなくても、
良い発見やお土産、数年後にお客さんとその話で盛り上がったりと、有益なケースがほんと多い。
→どんなに慣れて居心地良くて未練があろうとも、少し給料が上がっても、最初の未経験募集中の会社に居すぎないことが大事だと思う。
自身の努力ペース、経験ペースによっては1年ちょっとで転職しても全然構わない時代。転職しないと給料や待遇はそうそう上がらない。
転職活動を少しするだけで、自身の客観的な評価も気付けたりする。
→資格については、インフラの場合、いろんなメーカーの資格が有る。大抵が短めの有効期限付きで、面接官が知らない資格も膨大にある。
だからといってミーハーに国家資格の高難易度だけ取っても面接でアピールできない事が多い。みんな持ってるし。オンリーワンが狙いにくい。
このメーカー資格って何?知らんけどすごいの?って聞かれた時に、実務経験を加えたエピソードを語れるようになると良い。それは別に自分が全部やった事でなくても構わない。
実案件がベターだが、研修で社内で誰よりも一生懸命勉強し、社内でこのメーカー製品は俺に聞け!クラスになった。とかでも努力と知識のアピールになる。
あと、面接官はメーカー資格の有効期限なんてそうそう見ない。マジで聞かれたら数日でさくっと取り直せばよろしい。
その頃には一度取ったメーカー資格の多くは無勉強や短時間で取り直せる実力がついてる。
→最初のうちは全く勉強せずにGoogle翻訳やアプリなどを駆使。最初からそこにリソースを割くぐらいなら、エンジニアの勉強に使う事に完全に同意。
→が、大手企業の中途採用のリーダーやマネージャーなどの幹部候補や、外資系の多くが、ある程度の英語力や、英語の抵抗の少なさが必須になる。
数年後にキャリアアップや収入アップを狙うなら、余裕が出てきたら合間に少しずつ勉強した方が潰しが効く。
50代になってもプログラミングやエンジニアリングを極めていくつもりならいらない。でもなんかそういう人は10代からのめり込んでる気がするし、
若い頃から特化してた人との周回遅れが取り戻しにくかったりするので、ふらふらしてた自分の幅広い経験や柔軟性を活かそうとする人が多い気がする。なんとなく。
海外出張/研修や外国人との打ち合わせがある仕事なら、いずれ少しでも積極的に参加した方が良い。
ペラペラである必要はない。英語で話したりメールしたりしてくる期間限定イベントが開始された時に、最低限意思疎通できればいい。
→英語のソースややり取りに抵抗を減らしていく。むしろ英語のソースから調べる癖を徐々につける。Google翻訳前提でも構わない。
日常生活でも、欲しい商品が海外ブランドや日本未発売なら、輸入品を楽天やメルカリで必死で探さずに、まずはブランドサイトや
海外のショッピングサイトなんかを眺める。日本発送OKなら英語で頼み、来たメールを読み、
気になる事があれば英語(by Google翻訳)で間違いだらけのメールを送りあうぐらいになっておけば、
仕事で突然メールやら挨拶やら電話やらを求められても抵抗が少ない。
まともな会社であれば、いきなり英語の大勝負は求められないので。
大の英語嫌いの人だと、いきなり英会話教室、アプリ、動画で勉強とかもハードルが高いので、
このぐらいの低レベルの英語のやり取りからだと楽な気がする。あとは英語圏の海外旅行。そんなお金があればですが。
こういう必要性が求められる系だと、割とできちゃったりするかなと。最初のITパスポートの時のようにね。余裕が出てきたらし始めるといいかも。
英語よりも日本語での意思疎通やコミュニケーションを少しでもあげた方が良い。
おしゃべり力雑談力も大事だけど、苦手なら社会人コミュ力をあげておく。
困った時にいろんなアドバイスをしてくれる、自分の専門外だった時にも知っている人を紹介してくれる、昔の話や顔と名前をよく覚えている、なども社会人コミュ力。
九州の田舎から関東に出てきた自分がスーパーで見かけてびっくりした食べ物ランキング
1位: 8枚切り食パン
お土産に実家に持って帰ろうかと思うくらいびっくりした(親にいらんて言われた)
2位: すあま
たれぱんだの世界じゃん…って思った。小さいころたれぱんだのカバン使ってたからうれしかった。
味は素朴な味だった。
3位: はんぺん
九州にないことはないと思うんだけど、実家で出てきたことないから関東きて初めて食べた。
スーパーじゃなくてコンビニだけど、おでんに浮いてるのが発砲スチロールに見えて正気を疑った。
【追記】
たくさんコメントがついていた!わーい!
1位から書く→3位から発表して1位が8枚切り食パンだとしょぼくてがっかりするかなと思った。しょっぱいびっくり体験でごめんなさい。
九州のどこ?→福岡県の北のほうの田んぼばっかりあるところ。あまりド田舎ではないかな…。豊かな自然も無いがたいした文化的施設もなく、パチンコ屋はだけはある、みたいな町。
全部九州に売ってる→世間知らずなだけでした…すみません。でも、コンビニおでんにはんぺんは絶対入ってないよ…ね?おでんは丸天が好き。丸天だけ食べたい。
買い物したことない?→実家では母の買い物について行って荷物持ちくらいしかしてない。料理もしなかった。一人暮らしを関東で始めて3年。
ちくわぶ→マジで知らん。名前聞いたことあるけど、たぶん見ても認識する回路が備わってない。今度探してみる。
醤油は?→関東は辛いと散々忠告されていたので心構えがあった…あと、味音痴なのでよくわからん。実家はナカマル醤油っていうのを使ってた。今は料理の味付けはクバラのあごだしてりたれとあごだしつゆばっかり使ってる。料理に砂糖は多めに入れます。
うどん→これも話に聞いていたので、黒いなーって思ったくらい。黒いのより、丸天うどんが無いほうがショック。
肉まんに酢醤油ついてない→関東に来てから肉まん買ったことない。でも、酢醤油ついてなかったら醤油で食べるのか?
サイゼリヤ→サイゼリヤは天神のど真ん中にしかないと思ってたけど(調べたらほかのところにもあった)関東は歩けばサイゼリヤに当たるのでびっくりする!!母が遊びに来た時連れて行ったら安くておいしいって感動してた!サイゼリヤはすごいぞ!
チート→初めて聞いた!食べたい。
5年くらい前までの祖父は仕事ばっかりで、趣味と言ったらお酒を飲むことくらい。しかも酔うと怒りっぽくなって母と喧嘩ばかりしていたので、私も弟も困らせられた。家事もしないし、家のどこに何があるかもわからない。文句ばっかりで、世間知らず。工場のようなところで働いていて体から機械の油や人間の汗のような匂いがが混じった変な匂いがいつもがしている。いつも私達にお土産だと買ってくるアイスは、なんかバニラの、見たことないような変なやつだった。ガリガリ君がいいって言ってるのに、全然覚えてくれないのだ。仕事のせいでおじいちゃんのくせにムキムキで変だったし、腕相撲で全然勝たせてくれなかった。私が初めて料理をして、ハッシュドビーフを作ったとき、カレーなのにカレーよりうまい、なんだこれって言いながら三皿も食べた。おじいちゃんなのに大食漢なのだ。あとだからカレーじゃなんだって。仕事で使う大きなトラックに乗せてやるぞと言われ、連れていってもらえたのは仕事の取引先ばかりでそこは小さなわたしにとってはあまりにも退屈だった。そこにはおじいちゃんみたいなおじいちゃんが沢山と愛想の良いお姉さんがちょっといて、仕事に使う変なペンとか、見たこともない変な味の飴とかくれたけど、ほんとはクーピーとミルキーがよかったのだ。
私はいつも、いつもそんなことを言いながら、祖父の後ろについて回った。祖父の工場の大きな機械から出る歪んだ音や、鈍い匂いになによりも安心した。3トントラックの窓からながれる、いつもより少し高い景色は本当に綺麗だった。私の体の何倍もあるそんな大きな車を運転して、俺はどこまでも遠くへ行けるんだぞ、というような顔をする祖父はカッコ良かった、私は祖父が大好きだった。
そんな祖父が、仕事をやめた途端はっきりと呆け始めた。私が大学進学と共に上京するのが決まった頃だったと思う。もともと仕事が全ての人だった。一日中魂が抜けたようにぼんやりとしている。体を動かすこともなくなったので、筋肉は衰えてよぼよぼの普通のおじいちゃんになった。退職と同時に免許を返納したので、もうどこかに連れていってくれることも何かを買ってきてくれることも無い。ただ、お酒の量は増える一方だ。色々なことをすぐに忘れてしまうおじいちゃんは何故だかいつもニコニコとしている。帰省するたびにそんな祖父の痴呆はますますひどくなっていく。わたしはそんな祖父を見ているのが辛い。大好きだったおじいちゃんの殻に何か幽霊が入りこんでしまったみたいなの、と小さい私が言う。でも本当に1番辛いのは、それは幽霊でもなんでもなく、ちゃんとあのおじいちゃんであるということなんだ。
わたしはもう、おじいちゃんに買ってきてもらわなくても自分でアイスを選んで買うことができる。今のおじいちゃんより、力だって強いだろう。あのトラックが決してどこまでも行けないことだってもう知っている。わたしはもう、自分でものを選び、食べたいものを食べ、行きたいところへ行ける。でも、何故かあの窓からの景色や甘ったるいバニラの味がやっぱり何よりも好きだったような気がするのだ。弱った祖父をそばで見守ることもできずに遠いところに来てしまった自分を恨む、1人の部屋で寝むる時、布団に入って、ふと祖父の顔が浮かび、人間ってなんで、"こう"なんだろう、というどうしようもない気持ちで眠ることが増えた。こういう人類のサイクルの中で、ぐるぐる、ぐるぐる…目が回ってしまうようだ。わたしもおじいちゃんもその流れに乗ってここからどこへ向かうのだろう。その先が死だけだったら、だけだったら、もうどうしたら良いのかわかんない。息をすることだって忘れてしまいたいよ。
4月頭から自宅勤務、休日も自宅待機が続いてて、普段からあまりアクティブではない自分もそろそろ外でパーっと活動したい欲求に駆られたので、ど平日に札幌に旅することにした(妄想)。
・リュックの中身
・洋服
ジーパン、長袖Tシャツ、フルジップパーカー、フード付きアウター、コンバース
・午前中
・お昼
新千歳空港に到着。
FM North WaveとかAIR-G'とかSTVラジオとかを適当に回して、北海道弁をナチュラルに使いながらメールを読んだり、つっこみをいれたりしているガヤガヤ系の番組をセレクトする。
札幌に向けて36号線を走る。
・お昼ご飯
https://www.sushi-hanamaru.com/store/details/s04.html?p=b
ラジオに飽きてたらスマホに入ってる曲をランダムで流して歌いながら230をドライブ。
途中コープとかマックスバリュとかあれば寄って、ちょっといいビール(インドの青鬼とか)を2本くらい買う。
16時前。
もしくは
女性のための宿 翠蝶館
・とりあえず部屋でゴロゴロする
ビールとバタサンドを冷蔵庫にしまったら、キツキツな靴を脱いでしばしゴロゴロタイム。温泉に行ってみるのもよし、スマホポチーするもよし。
定山渓のお土産屋さんで卵を買って、温泉が流れる川で温玉を作るなどしてもよい。
・夕飯
キンキンに冷えたサッポロクラシックで自分を労い、ご飯が終わったら本格的に温泉に浸かりにいく。
・お風呂上がり
飽きたら部屋に戻って冷やしておいたビールを飲みつつバタサンドを大人食べする。
眠くなったら寝る。
・朝風呂
・朝ごはん
ホテルの朝食をいただく。
食べたい物いっぱいあるから控えめに…とか言いつつお腹いっぱい食べちゃう。
・チェックアウト
・プランその1
帰りに果樹園でアップルパイかチェリーパイを買う。お昼ご飯は銭函の餃子屋さん。
・プランその2
https://samurai-curry.com/shop_nishino/
あたりでランチ。
・新千歳空港へ
ランチまで終わったら、ゆっくりドライブしつつ新千歳空港へ向かう。
http://miyakoshiya-coffee.co.jp/
http://www.hokkaido-michinoeki.jp/michinoeki/2684/
https://estisola.com/gigi/menu/
レンタカーを返却したら空港まで送迎してもらい、お土産屋さんが無限にあるので見て回る。
疲れてて脳みそ働かなかったら、
あたりを適当に買う。
・最後の〆(の準備)
保安検査場締切時刻の30分くらい前になったら最後のシメにおにぎりを握ってもらう。
保安検査場通過後の売店でサッポロクラシックかとうきび茶を買って案内開始までぼけーっとする。
・最後の〆(本番)
飛行機に乗り込んで離陸したら買い込んだおにぎりを食べたり自分用のお土産をつまみ食いしたりする。
お家に着いたらぬるいクラシックを冷凍庫に入れてお風呂に入る。
次はどこにしようかな。