「教室」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 教室とは

2024-11-21

anond:20241121004956

絵を描けるようになりたい、という強い思いが伝わってきました。コンプレックスを克服しようとするその気持ちは素晴らしいです。ここでは、初心者の方が「絵を描くことが苦手ではなくなる」ための具体的なアプローチ提案します。

1. 「描くこと」に慣れるための第一

気楽に始める

完璧を求めず、「描くこと」に慣れるのが最初目標です。簡単な図や模写から始めましょう。

例えば、手元にある日用品(コップ、ペンなど)を描いてみる。輪郭だけでもOKです。

毎日少しずつ描く

毎日5分~10分で構いません。小さなノートを用意して、「今日は何でもいいから1つ描く」を習慣にしてみてください。

2. 「描き方」の基本を学ぶ

初心者向けの本や動画活用

書店図書館で「初心者向けのデッサン本」を探してみてください。YouTubeには無料でわかりやす解説動画がたくさんあります

おすすめキーワード:「初心者 デッサン 基本」「簡単スケッチ入門」。

模写から始める

写真シンプルイラストを見ながら、真似して描いてみましょう。最初トレース(なぞる)でもOKです。

例えば、子供向けの絵本キャラクターイラストを選ぶと、形が簡単で描きやすいです。

3. 自分の絵を記録して成長を実感

描いた絵を保存

描いたものを日付と一緒にノートファイルに保管しましょう。

毎月自分の絵を見返すと、成長を実感できます

他人と比べない

あくま過去自分との比較に集中。周囲の上手い人を見ても焦らないでください。

4. 絵を描くことを楽しむ工夫

簡単目標を設定

例えば「好きなキャラクターを描けるようになりたい」など、小さなゴールを決めると楽しく続けられます

デジタルツールも試す

iPadタブレットを持っていれば、無料アプリ(例:メディバンペイントやアイビスペイント)を使うと便利です。消しゴムや色塗りが簡単にできます

5. 外部の力を借りる

初心者向けの教室に参加

地域で開催される絵画教室ワークショップに参加すると、基礎を楽しく学べます

SNSコミュニティを探す

同じく絵の練習をしている人が集まるグループハッシュタグ(例:「#初心者練習」)を見つけて、刺激をもらうのも良い方法です。

6. 具体的な練習方法の例

線を引く練習

真っ直ぐな線や円を何度も描いてみてください。手のコントロールが上手くなります

簡単な形を描く

四角、丸、三角を組み合わせて、リンゴや家のような形を描いてみましょう。

影をつけてみる

物に影を描くだけで、絵が立体的に見えるようになります

応援言葉

最初は誰でも不安になるものです。でも、少しずつでも「描く」という行動を続ければ、必ず慣れてきます完璧でなくて大丈夫。絵を描くこと自体を楽しめるようになる日が必ず来ますよ!

絵を描けるようになりたい、という強い思いが伝わってきました。コンプレックスを克服しようとするその気持ちは素晴らしいです。ここでは、初心者の方が「絵を描くことが苦手ではなくなる」ための具体的なアプローチ提案します。

1. 「描くこと」に慣れるための第一

気楽に始める

完璧を求めず、「描くこと」に慣れるのが最初目標です。簡単な図や模写から始めましょう。

例えば、手元にある日用品(コップ、ペンなど)を描いてみる。輪郭だけでもOKです。

毎日少しずつ描く

毎日5分~10分で構いません。小さなノートを用意して、「今日は何でもいいから1つ描く」を習慣にしてみてください。

2. 「描き方」の基本を学ぶ

初心者向けの本や動画活用

書店図書館で「初心者向けのデッサン本」を探してみてください。YouTubeには無料でわかりやす解説動画がたくさんあります

おすすめキーワード:「初心者 デッサン 基本」「簡単スケッチ入門」。

模写から始める

写真シンプルイラストを見ながら、真似して描いてみましょう。最初トレース(なぞる)でもOKです。

例えば、子供向けの絵本キャラクターイラストを選ぶと、形が簡単で描きやすいです。

3. 自分の絵を記録して成長を実感

描いた絵を保存

描いたものを日付と一緒にノートファイルに保管しましょう。

毎月自分の絵を見返すと、成長を実感できます

他人と比べない

あくま過去自分との比較に集中。周囲の上手い人を見ても焦らないでください。

4. 絵を描くことを楽しむ工夫

簡単目標を設定

例えば「好きなキャラクターを描けるようになりたい」など、小さなゴールを決めると楽しく続けられます

デジタルツールも試す

iPadタブレットを持っていれば、無料アプリ(例:メディバンペイントやアイビスペイント)を使うと便利です。消しゴムや色塗りが簡単にできます

5. 外部の力を借りる

初心者向けの教室に参加

地域で開催される絵画教室ワークショップに参加すると、基礎を楽しく学べます

SNSコミュニティを探す

同じく絵の練習をしている人が集まるグループハッシュタグ(例:「#初心者練習」)を見つけて、刺激をもらうのも良い方法です。

6. 具体的な練習方法の例

線を引く練習

真っ直ぐな線や円を何度も描いてみてください。手のコントロールが上手くなります

簡単な形を描く

四角、丸、三角を組み合わせて、リンゴや家のような形を描いてみましょう。

影をつけてみる

物に影を描くだけで、絵が立体的に見えるようになります

応援言葉

最初は誰でも不安になるものです。でも、少しずつでも「描く」という行動を続ければ、必ず慣れてきます完璧でなくて大丈夫。絵を描くこと自体を楽しめるようになる日が必ず来ますよ!

Chat GPT

2024-11-20

AV先生が出てきた

今日も昼からAVを見てたら、中学の時の先生が出てた。

女優じゃなくて竿役。はげて、肌は油で光っているけれども、痩せて弱そうなおじいちゃん

まあ、よくみたら他人の空似だったんだけれども...

ただ、なんか萎えしまって、体も重くてベッドから起き上がれないから、布団の中でぼーっと先生のことを思い出していた。

数学を教えていたその先生は、生徒から教師からも評判が良くなかった。教え方は下手だし、何よりやる気がなかった。

しかし、数学試験で何度も落第していた私は、成績についての面談で少し仲良くなっていた。面談先生は怒らず、雑談ばかりした。

職員室の隅に席を持つ先生は、教室の隅にいるような生徒にやさしかった。

「どんなことでも、6年間、毎日続けてやったら、モノになるよ。君のガラなら、将棋とかだな。今日からやるんだぞ。」「じゃあ、先生はやったことあるんですか」「うるせえ、それができたら、教師なんかもうやめてるからな」

飄々と笑う先生言葉が思い出された。

それからもう7年たつ。

結局私はほとんど何もしなかった。

運動は下手だからとやらなかった。本は多少読んだが、集中力が続かず、完読したものは少なかった。将棋は、せっかちな私にまるで向かなく思えた。

何事もやるなら一番になりたかったが、そのためには、どんなことも今更やるには遅く思えた。

ただ一つ、続けていたことがある。

自慰行為だ。

部活にも入らず、趣味も持たず、親にゲームテレビを禁じられていた私は、自宅に帰ると自慰に励んだ。想像でも十分だし、時代小説サービスシーンも役に立った。

同級生部活帰りにみんなで眺める夕日を、私は賢者タイムの中一人で見ていた。行為後の散歩で眺める地元景色は美しかったが、役に立ちはしなかった。

残ったのは、伸びたチン皮だけ。しっかり剥けはするけど、本当に情けないその見た目が恥ずかしく、銭湯温泉も行けたものでない。快楽怠惰に逃げ続けた私にふさわしい成果だ。

何度、行為後に自分を情けなくなったろう。助けてくれと思ったろう。でも、それも今日までだ。明日からは、無理なら明後日から。こんなことはやめて、何かをやろう。勉強をしよう。人と話そう。勇気をもって銭湯に行こう。そう思いながらもチン皮をくちゃくちゃ揉んでいる私を、思い出の中からよみがえった先生が「どうせ今回も同じだよ。お前はそういうやつだからな」とケタケタ笑っている。

anond:20241120185832

ちょっとワイの話聞いたってや

最近の曲は男性ボーカルなのに高い曲多いよね

いつからこんなに高くなったのか

ワイの体感やと、Official髭男dismの影響が大きいと思うやで

ヒゲダンが軽〜く高い音を出すようになって、みんながこぞって高い声を出し始めたやで

その後、Mrs.GREEN APPLEが出てきて、これまた高い音を軽く出し始めたやで

他にも、サウシードッグやVaundyも声が高いやで

そいでワイはヒゲダンが売れ始めた頃に、色々ネットで調べたやで

そしたら、高い声を出すには「ミックスボイス」が必要と書いてあったやで

ミックスボイスというのは、裏声地声を混ぜた音らしいやで

裏声地声をうまく混ぜれば、高音が出るらしいやで

でもこれはちょっと罠やで

結論から言うと、ワイは4年練習して、下手なりに高音は出るようになったやで

ヒゲダンやミセスが出す高音が出るようになったやで

でも、ミックスボイスというのはよく分からんやで

裏声地声を混ぜる?うーん、やっぱり意味不明やで

でも、わかったことがあるやで

それは、高音を出す歌い方っていうのがあって、その練習をひたすらすればいいってことやで

で、その歌い方というのは、「裏声地声みたいに歌う」ってことやで

でも普通の人は裏声地声みたいには歌えんやで

それは「喉が育ってない」からやで

まり、高音を出す練習というのは、「喉を育てる」ってことやで

から時間がかかるやで

喉の筋肉(と言っていいか分からんが)や神経系が育って、高音でも地声みたいに喉が育つには、時間がかかるやで

特訓してコツを掴んだら出る、というものではないとワイは思うやで

男性一般的な音の限界は、高いソやで

少し高い人なら、高いラやで

でも喉を育てたら、この限界は軽く超えるやで

高いソからソラシドレくらいまでは簡単に出るやで

その出し方というのは、高いソの手前くらいから、歌い方を変えるんやで

ちょうど地声から裏声に変わる箇所、これを換声点(かんせいてん)というやで

これがだいたい高いソになるやで

そのソの手前から裏声にならないように、声を出して、うまく高い音へ繋いでやるやで

ボイトレスクールとか行ったら多分分かりやすく教えてくれるやで

ワイはネットで調べたりYouTubeボイトレ動画とか見てやったけど、効率は悪かったやで

長くなってすまんかった

まり何が言いたかたかというと、

高音で歌う男性ボーカリストが増えてきて、

ボイトレ教室とかYouTubeによってそのノウハウが広まり

結果高音の曲がカラオケランキングでも上位に出るようになった、ということを言いたかったやで

色々脱線してすまんかったやで

anond:20241119215603

クラシック教室だとそうなっちゃうかもしれませんね…。

今どきの音楽教室には大人初心者向けポピュラーピアノ講座はたくさんあるので、そういうところに行くとよいですよ。

中高年のおじさんおばさんたちに混じってグループレッスンするもよし、月謝は少し上がるけど個人レッスンにするもよし。

課題曲自由に選ばせてくれるし、ひとりひとりの技量志向に合わせた教え方をしてくれるはず。

しかアドリブがしたいならジャズピアノ講座のほうがよいかもです。コードスケール理解に応じた教え方をしてくれます譜面が読めない人でも大丈夫)。

アドリブはまずはブルースペントニックから教わるはずですが、できるようになればそこまででも十分楽しいはずだしギターなどほかの楽器への応用も十分に利きます

コードの基礎も、それこそトニックドミナントサブドミナントからきちんと教えてくれるはずです(ジャズはそれ抜きでは成立しませんから)。

どんな調でも即座にアドリブができるようになると、音楽の楽しさはぐっと広がります。よく使われる調なんてたかが知れているので、全部を覚える必要もありませんし。

あと、ギターピアノの両方でコードスケール理解できているのは強みです。

ギターは調が変わっても運指が変わらないのがよいところですが、反面、構成音(ノートルートとの関係)が直感にわかりづらいのが弱点です。その点、鍵盤でコード構成音やスケールがわかっていると〈ギターしかやってこなかった人〉よりもずっと上達が早いしフレーズも幅も広がると思いますよ。

Copilotに「大喜利のお題出して」と投げてみた

もちろん、面白いお題を考えますね!以下から選んでみてください:

未来教室、こんな授業があったら…」

コンビニの新商品、ありえないほど面白いものとは?」

「もし動物選挙立候補したら、どんな演説をする?」

スマートフォンが突然しゃべりだした!その第一声は?」

宇宙旅行に行ったら必ず持っていきたい意外なものとは?」

これらのお題で思いっきり笑わせてください!どれが気に入りましたか? 🐸✨

これらのお題で思いっきり笑わせてください!どれが気に入りましたか? 🐸✨

めっちゃ煽ってくるな……

2024-11-19

調号が3つ以上ついてる楽譜だと頭処理落ちするけど、あれはスケール理解すればどうにかなるもんなんだろうか。

五線からはみ出た音は慣れるしかなさそう。

というかギター始めて思ったけど、ピアノ教室って全くといっていいほど基礎的な音楽知識を教えてくれなかったな。実際に通ったのは3つくらいしか知らんし、ガチガチプロ志向とか音大受験対策ならやるのかも分からんけど。

楽譜見てその通りに弾くのを繰り返すばっかりだし、本質的音ゲーあんまり変わらない気がする。ミスなくやるのが天井

演奏者による表現ニュアンスがどうたらとかはあるんだろうけど、ピアノ教室でそこまでやるかって言ったらな。自分、こう弾きたいんスけど。的な提言をした覚えはないし。こう弾けという指示こそあっても。

あとはやれ背筋が悪いだの手はボールを握るようにだの、そんなんばっかりだった気がする。

こう弾いた方が良い演奏に聴こえるでしょう?とか言って、明らかにわざと弾き方を変えた比較デモストレートがあったり。思い出したら腹立ってきたな。

ガキ相手と言えど、条件も揃えない比較正当性を示すのは不誠実ではなかろうか。

技術的な必要性を感じたレクチャーって指の跨ぎ方ぐらいのものだったかもしれない。あと指使いの番号振りか。左右の手を独立させるのは教わってどうこうというより慣れって感じだったし。

ギター教室は通ったことないからしらんけど、まあ自分で始めようってなったらyoutubeで好きな曲のTAB譜漁って、秒で挫折したり、食らいついたりして。

そこまではピアノ教室と変わらないな。模倣の繰り返し。

コードフォーム練習とかしてる内に、自分なりの使い方でそれを鳴らしてみたくなったりもしてきて、その使い方を知るためにコードの種類なり運びのセオリーなりを知りたくなって。

それが手癖の即興演奏に繋がって、拙くとも気分を音にする感覚を味わって、それに取り憑かれたり飽きてしまったり。

まあガットギター教室とかだとピアノ教室と大して変わらんのかな。

楽譜通りの音ゲーばっかりじゃなくて、折角楽器をやるならそういうアドリブピアノ教室にもあったっていいんじゃんねって思う。

なんだろうな。ピアノならクラシッククラシックなので保守的保守的なのでアドリブなど不要。とかそういうアレなのかな。そういうのは別方向の教室があっても良さそうだけど。

ジャズピアノ教室とかはクラシックに比べたら大分少なさそうだし、そもそも別にジャズに限る必要もないし。

anond:20241119212447

技術的なトレーニングか…

自然な態度や表情、声色を学びたいと思ってるんだけど、そういうのも学べそうかな

3000円で体験できる教室があったからそこに行ってみもいいかもね

話し方教室コミュニケーション講座みたいなのに行ったことがある人いたら感想を教えて欲しい。

いい歳して雑談もまともにできないことが恥ずかしいのだけど、もう個人努力じゃどうにもならないわ。

だけどこういった教室って60分1万円とかするから尻込みしてる。

ちなみにオンラインの30分1000円くらいのやつもいくつか受けてみたけど、内容が薄くてあまり参考にならなかった。

2024-11-17

もし無免許ダイビング教室があったら

「あそこモグリ教室らしいよ」って噂されるのかな

2024-11-14

アオのハコがキラキラ青春アニメすぎて見てて辛くなる

俺は教室の隅で淫夢語録使って会話しているような奴が主人公アニメを見たいよ

エーミール少年の日の思い出を語る

 正しい人でありなさい。

 それが、僕に課せられた唯一にして最大の教条だった。

 幼い頃から、僕は常に「先生の家の子であることを意識させられてきた。両親は僕を品行方正な模範少年に仕立て上げることに腐心していたし、周りの人(大人子どももだ)は皆、僕の素行や成績の優秀さを褒めそやした。

 今思えば、僕は他人眼差しに見張られ、他人の期待に縛られて暮らしていた。だが、当時の僕は、それに不満や苦痛を感じることは(少なくとも意識の上では)全くなかった。むしろ、どんな時も「正しい人」として振る舞うことに、ある種の誇りすら感じていたように思う。

 友達をえり好みするのは「正しくない」ことだ、という両親の教えに従って、僕は誰にでも人当たり良く接していた。その甲斐もあってか、ほとんどの級友は僕に好意的だった。先生たちも僕を気に入っていたようで、贔屓と言われるような特別扱いを受けることも少なくなかったが、誰も文句を言わなかった。僕は何の迷いもなく、己に与えられた特権享受していた。それが自分の「正しさ」に支払われた報酬だと受け止めていたからだ。

 そんな僕が、一人だけ「友達」と呼べない少年がいた。隣の小さな家に住んでいた彼は、見た目も成績もパッとせず、不器用どんくさい、いわゆる劣等生だった。当時の僕にとって「優れていること」と「正しいこと」はほとんど同じ意味だったから、僕は「正しくない」彼のことをうっすらと見下していた(そしてそれを「正当な評価」だと信じていた!)。

 だが、もし彼がただの冴えない少年だったら、僕は彼とも親しくしようとしただろう。僕に「誰かを嫌う」という悪徳を犯させた(当時は本気でそう思っていたのだ)のは、彼の蝶に対する異常な情熱だった。

 あの頃の僕たちにとって、蝶の収集最大級の関心事だった。少年たちは蝶を捕まえては標本を作り、互いに自慢し合っていた。

 はじめのうち、僕はあまり熱心な収集家ではなかった。捕らえた蝶を完璧な標本に仕上げる作業は楽しかったけれど、蝶を捕まえること自体にはさして魅力を感じていなかったのだ。

 だが、彼は違った。彼は「蝶狂い」としか言いようがないほど、生活のすべてを蝶捕りに捧げていた。「蝶を探していた」という理由遅刻して先生に怒られるのは日常茶飯事で、彼の母親が夜に戸口の前で息子が戻ってくるのを待っているのを見たのも一度や二度ではなかった。

 それほど蝶に入れあげているにもかかわらず、彼は自分の標本を他人に見せようとしなかった。標本を級友たちとの「社交」の手段と捉えていた僕は、そんな彼に不気味さすら感じていた。こいつは一体何のために蝶を集めているんだ? 遅刻の罰として教室の前に立たされている彼の、何を考えているかからない顔を見るたび、僕は疑問に思わずはいられなかった。

 ある日、僕は虫取り網を片手に近所の森に出かけた。新しい標本を作るために蝶を仕入れに行ったのだ。あらかじめ目星をつけていた場所で狙い通りの蝶を捕まえ、さっそく家で標本にしようと帰りかけた時、近くでガサガサと物音がした。音の方を見ると、一人の少年が森の奥へ向かっていた。彼だ。彼は僕に気づくこともなく、上の方を見ながら歩みを進めていく。僕はほんの少し迷ったあと、彼の後を追いはじめた。誰かのあとをつけるなんて全く「正しくない」ことだと思いながらも、なぜかそうせずにはいられなかったのだ。

 十分以上歩いただろうか。少し開けた川べりで、彼はようやく足を止めた。僕は木の陰に隠れて、彼の様子をうかがった。彼は静かに網を構え、宙の一点を凝視している。彼の視線を追った先には、一匹のコムラサキがいた。生きたコムラサキを見るのは、これが初めてだった。

 彼はじっと、コムラサキの隙を狙っている。爛々とぎらついた瞳には、きっと蝶の姿しか映っていない。こんなにも獰猛空気を纏った人間を、僕は見たことがなかった。

 不意に、彼が動いた。突き出された虫取り網がひらりと宙を舞い、すぐに地面に伏せられる。彼はかがみこんで網の中を確認した。僕からは蝶の姿は見えなかったが、狩りの結果はすぐに分かった。彼が、長い安堵の息とともに、うっとりと微笑んだからだ。

 彼が立ち上がる前に、僕は踵を返した。早足はいつの間にか駆け足になり、何度も転びかけながら、それでも走り続けた。「逃げなければ」という言葉が、身体の中に繰り返し響いた。何が怖いのか、そもそも全身に満ちたこ感情が恐怖なのか、何もわからないまま、僕は家まで走り通した。捕まえた蝶がいなくなっていたことに気づいたのは、自分の部屋に戻ってからだった。

 それから二ヶ月ほど経った頃、紙箱を手にした彼が僕の家を訪ねてきた。彼が何か言う前から、僕には箱の中身が分かっていた。彼はあの日コムラサキを見せに来たのだ。僕は彼に気づかれないよう息を整えてから、紙箱の蓋を開けた。

 箱の中のコムラサキは、お世辞にも良い状態とは言えなかった。展翅には粗が多く、足も欠けている。褒められたものじゃないな、と思いながら顔を上げると、彼は得意げな笑みを浮かべていた。驚嘆と賞賛を欲しがっている顔だ。それに気づいた途端、胸の中にどす黒い感情が湧き上がった。

 せっかくのコムラサキがこんな不完全な標本になってしまたことへの落胆、その粗雑さに全く無頓着で恥じる素振りもないことへの呆れ、そして何よりこんなやつに一時でもおそれめいた感情を抱いてしまった自分への怒り。そういったものが渾然一体となった感情だったと、今にして思う。だが、子どもだった僕は、それらを「不快もの」として一括りにすることしかできなかった。そして、その不快感を、標本への批判という形で吐き出したのだ。

 僕は、彼のコムラサキ欠点を、ことさら辛辣な言い方で並べ立てた。彼の顔はみるみるうちに曇っていき、最後にはすっかり不機嫌な表情になった。

 紙箱をひったくって部屋を出ていった彼の後ろ姿を見て、僕はかすかな罪悪感を覚えた。人を傷つけるのは、明らかに「正しくない」ことだ。

 違う。僕は彼を傷つけたわけじゃない。僕はただ事実を述べただけなのに、彼が勝手に傷ついたのだ。直すべきことを指摘するのは「正しい」ことだから、僕は何も恥じる必要はない――

 僕は自分にそう言い聞かせた。都合の良い言い訳だと、心のどこかでは分かっていたけれど、気づかないふりをした。僕はただ、「正しい人」でいたかったのだ。

 彼のコムラサキの標本を見てから、僕は本格的に蝶の収集に取り組み始めた。少数の個体完璧に仕上げることで満足していたのが、より多くの種類の蝶を捕まえたいと思うようになったのだ。

 勉強友達付き合いに割く時間限界まで減らし、僕は蝶の採集に出かけた。珍しい蝶も、そうでもない蝶も、とにかく片っ端から捕まえた。両親は泥だらけの服で帰ってくる僕を見て顔をしかめ、級友たちは僕と遊べないことに不満げだった。採集自体も、楽しさより苦痛のほうが大きかったが、やめようとは思わなかった。

 僕の目的は、彼よりも優れた収集家になることだった。彼が捕まえるよりも多くの種類の蝶を、彼が作るよりも美しい標本にする。それは僕にとって、ほとんど初めての私的欲望だった。誰に求められたわけでもないのに、「正しい」ことでもないのに、せずにはいられない。自分でも理由のわからないまま、僕は取り憑かれたように標本作りを続けた。

 時折、蝶を探しに行った先で、彼の姿を見かけることがあった。彼はいつでも心底楽しそうに野山を駆け回っていて、その姿を見るたびに嫌な気持ちになった。僕が彼に声をかけることはなかったが、彼が僕に気づくこともなかった。彼はいつも蝶しか見ていなかった。その事実もまた僕を苛立たせていたのだが、あの頃はそんなことは思いもよらなかった。

 季節がいくつか過ぎる頃、僕は蛹の採集にも手を出していた。森に分け入って成虫を捕まえるよりも、自分の部屋でじっくりと蛹や繭を羽化させる方が性に合っていると気づいたのだ。時には予想外の成虫が出てくることもあったが、それもまた楽しみの一つだった。

 そんななか、とんでもないことが起こった。偶然手に入れた繭からクジャクママユが羽化したのだ。クジャクママユといえば、僕たちの間では秘宝のような扱いの、まさに幻の存在だった。ゆったり広げられた翅に浮かぶ特徴的な斑点を確認した時には、全身の震えが止まらなかった。

 何も考えられない興奮状態の後に、真っ先に頭に浮かんだのは彼の顔だった。彼が教室の片隅で、級友のクジャクママユの話に目を輝かせていたのを見たことがある。あの様子だと、きっと彼はまだクジャクママユを見たことがない、ましてや持っているはずがない。

 千載一遇の好機だと、僕は思った。このクジャクママユを完璧な標本にして、彼に見せるのだ。何が「正しい」標本なのか、誰が「正しい」収集家なのか、彼に見せつけてやるのだ。この思いつきは、僕をひどく高揚させた。

 僕はこれまでにないほど慎重かつ丁寧に、クジャクママユの展翅に取り組んだ。その出来栄えは、今までのどんな蝶よりも素晴らしいと自負できるものだった。もうしばらくすれば、非の打ち所がない美しい標本が仕上がるはずだ。僕はすっかり舞い上がっていた。

 常に地に足をつけていることこそ「正しい」。そう知っていながら、浮かれきった僕は級友にクジャクママユのことを話してしまった。噂はあっという間に広まり大勢少年たちがクジャクママユを見せてくれと押しかけてきた。

 僕は彼らの頼みを「完璧状態で見せたいから」と全て断った。それも嘘ではなかったが、一番の理由でもなかった。最初に見せる相手は彼だと、最初から決めていた。

 僕は実のところ、彼がどうしてもと乞うならば、未完成状態でも見せてやってもいいとさえ思っていた。にもかかわらず、彼は何も言ってこなかった。コムラサキの一件以来、彼が僕を避けているのは分かっていたが、彼の僕への嫌悪感クジャクママユへの興味を凌駕していると考えると、妙に胸がモヤモヤした。

 その日は、何ということのない平凡な一日になるはずだった。少なくとも、蝶の採集を終えて帰宅し、自室に入るまではそうだった。だが、そこで僕を待っていたのは、変わり果てた姿のクジャクママユだった。

 翅がもげていた。触角も片方取れていた。展翅板の上には、粉々になった翅の残骸が散らばっていた。

 どうして。何で。誰が。どうすれば。

 絶望的な言葉の断片が、次々と頭の中に浮かんではぼろぼろと崩れていく。早く直さなければ、と震える手で修復道具に手を伸ばす。今までの経験は「これは無理だ」と告げていたけれど、その声さえ聞こえなかった。

 日が落ちかけた頃、僕はとうとうクジャクママユの修復を諦めた。僕は絶望的な気持ちのまま寝台に倒れこみ、腕で目を覆った。このまま何も考えずに眠ってしまたかった。そして朝になって、すべてが夢だったと気づきたかった。

 そんな幼稚な空想を打ち砕くように、女中さんが僕の部屋の戸を叩いた。彼が来ていると言うのだ。僕はのろのろと起き上がり、玄関に向かった。

 僕の酷い顔を見て驚いたのだろうか、彼は何も言わずこちらを見ていた。僕は半ば操り人形のような心地で、クジャクママユが台無しになったことを告げた。すると彼は、それを見せてくれと言った。僕は頷き、彼と共に重い足取りで階段を上っていった。

 僕はクジャクママユの残骸を彼に示した。ろうそくの明かりでも、彼の顔に全く血の気がないのがわかった。彼はしばらくクジャクママユを凝視していたが、ゆっくりと僕の方を向いて、言った。「ぼくが、やったんだ」と。

 僕は耳を疑った。意味がわからなかった。彼が、これを?

 僕が凍りついていることに気づかず、彼は堰を切ったように喋り始めた。どうしてもクジャクママユが見たくて、僕がいない間に部屋に入ったこと。見ているうちに魔が差して、クジャクママユを盗んだこと。返そうとした時には、クジャクママユがつぶれてしまっていたこと。

 彼の話を聞くにつれ、僕は胸がどんどん冷たくなっていくのを感じた。同時に頭に浮かんだのは「彼は裏切ったのだ」という言葉だった。何を裏切ったのかはわからない、ただ彼が裏切り者だという考えだけが、強く強く繰り返された。

「そうか、そうか、つまり君はそんな奴なんだな」

 そう告げた声は、自分でも驚くほど平板だった。こんなに誰かを軽蔑するのも、こんなに誰かに失望するのも、初めてだった。

 彼は必死に許しを乞うてきたが、僕はありったけの皮肉を添えて彼の謝罪を切り捨てた。彼は一瞬、殺さんばかりの形相で僕を睨みつけた。そんな表情を誰かから向けられたのは初めてだったので、僕はほんの少したじろいだ。だが、彼はそれに気づくことなく、何も言わないまま、僕の部屋から出ていった。

 僕はろうそくを吹き消し、再び寝台に横たわった。毛布に繭のようにくるまると、両目から涙があふれだした。

 僕はどうして泣いているんだろう。当然、大事クジャクママユを失ったからだ。でも、本当にそれだけだろうか。僕は、何を失ったんだろう――嗚咽の合間にそんなことを考えながら、僕の意識ゆっくりと沈んでいった。

 次の日、僕は級友たちに、不手際クジャクママユが駄目になってしまったと話した。彼らは、ぜひとも見たかったのにと嘆き、僕らしからぬ失態に戸惑った様子だった。だがそれも一時のことで、しばらくすると彼らの興味は別のものへ移っていった。

 そして、その日以来、彼を野山で見かけることはなくなった。遅刻することもなくなり、真面目に授業を受けるようになった。ほどなくして、彼が蝶の収集を一切やめて、標本もすべて捨ててしまったらしいという噂が聞こえてきた。級友たちが、あいつとうとう正気に返ったのかとか逆におかしくなってしまったのだとか好き勝手を言っているのを聞き流しながら、僕は教室の隅でぼんやり座っている彼を盗み見た。

 彼は罪を犯した、言い逃れできないほど「正しくない」人間だ。彼の罪を糾弾し、正当な罰を与えることこそが「正しい」行いだ。そう考えながら、僕はそうしなかった。彼をかばうためでも、ましてや許すためでもない。僕はただ、逃げたかったのだ。

 あの夜、僕はまぎれもない被害者で、彼は明らかな加害者だった。誰もが、僕が彼を非難するのは「正しい」ことだと思うだろう。けれども僕はあの時、「正しい」ことをしようと思ったわけではなかった。正しいとか正しくないとかい基準から外れた場所あるむきだしの感情――「彼に裏切られた」という気持ちにまかせて、僕は彼を言葉で刺したのだ。

 思えば、彼に関わる時の僕は、いつも「正しい人」から遠ざかっていた。標本箱の中の蝶のように完璧優等生はいられなくなり、破れた翅で不格好に飛び回る、身も心も薄汚れた自分になってしまうのだ。そして、その先にはいつも彼がいた。僕よりはるかに劣っているはずの彼は、森の中では僕よりはるかに美しく羽ばたいていた。にもかかわらず、彼は自ら泥の中に墜ちていった。それらすべてが許せなくて、耐え難くて、そう感じる自分自身を認めたくなかった。だから、僕は彼との関わりを絶ち、自分が「正しい人」でいられる場所へと逃げ出したのだった。

 結局、僕は逃げ切れなかった。「正しい」ままで生きることな不可能だということを悟り自分の中の「正しくない」ものを受け入れて飼いならすことを覚えた。世間ではそれを「大人になる」と呼ぶのかもしれない。

 彼とは、学校卒業してから顔を合わせていない。今では蝶への興味もすっかりなくなって、作りためた標本はほとんど全て人に譲ってしまった。

 それでも、一つだけ手元に残したものがある。翅のもげたクジャクママユだ。痛々しくて不完全で、なのになぜかひきつけられる。そんなクジャクママユこそ、僕にとっての少年の日の思い出なのだ

スパイスカレーレシピ本を作った。Kindle無料配信しているかダウンロードしてほしい。

(追記)今Kindleランキングを見てみたら無料カテゴリ総合で1位になっていた。初めての増田投稿でこんなことになるなんて夢にも思わず、ほんと皆んなには感謝している。嬉しすぎてコメント全部読んだので、鬱陶しくならない程度に文末に追加する。

----

自分としては「これは面白いものを作ったぞ!」と自信満々だったのだが、思ってたほどダウンロードされてないのでぜひ見てみてほしい。はてブではカレー話題がちょくちょく上がるから、もしかたらここに書けば俺らが届けたい人に届くんじゃないかと思った。

https://www.amazon.co.jp/dp/B0DJX32B2G

416種類のスパイスレシピを載せていて、1700ページを超える分量を無料配信している。といっても、著者は俺じゃなくて近所の友達なんだけども。

ーーーー

言いたいことはこれだけだったんだけど、ついでに、ここにいたるまでの自分語りさせてほしい。

7年前ぐらいに友達の紹介で、インド人出会った。今回の本の著者だ。インド人と言っても、お母さんが日本人で、日本でずっと育っているので中身はほぼ日本人だ。彼の実家日本で70年続くスパイス問屋をしていて、彼はその3代目として色んなミックススパイスを作ったり、料理教室をしたり、カレー業界ではそこそこ名が知れている人らしかった。

当時の俺はマンネリ化した会社員生活にうっすらと嫌気がさしていて、何か人生に刺激が欲しかった。登山趣味にしようとしてみたり、哲学の本を読み漁ろうとしてみたりしていたが予想通りどれも長続きしなかった。そんな時に渋谷中華料理屋で彼とその友達と飲んでいて、全くの思いつきで「お前んちのスパイスインターネットで売るから、俺に手伝わせてくれよ」とお願いしたのだった。

というのも、彼のスパイスは主にデパートレストランに卸していて、一般の人が気軽に手に入るところには流通していなかったし、Webサイトもあるにはあるが、なんというか阿部寛HPみたいなかんじで、商品ページに飛んでも「注文はFAX電話で」と記載されている化石のようなものだったからだ。

俺はエンジニアではないが、学生時代HTMLホームページは作ったことあったし、ちょっとしたECサイトなら今どき簡単に作れるんじゃないかと思って彼に提案した。(実際は作るのめちゃくちゃ大変で、後で後悔した。)

で、その中華料理屋にいた別の友達3人とチームを組んで、完全に飲み会のノリのまま、彼の家業サポートすることになった。

後日、Webサイト商品撮影を兼ねて彼の実家に遊びに行った。当時俺は全くのカレー素人だったのだが、そこで彼はせっかくだからといって手際よくスパイスカレーをつくり、「さわやかチキンカレー」と名付けたカレーを振る舞ってくれた。

・・・

正直、めちゃくちゃ驚いた。まず作り方が全然イメージと違った。カレーって玉ねぎをできるだけ長い時間で炒め続けるのが良いものだと思っていた(そういうレシピももちろんあるらしい)が、彼はガンガン強火で炒めて、20分ぐらいで完成させてしまったし、なんか煮詰め方?というか水を入れる順番も普通ルーで作るカレー全然違う。

あと味も、確かにインド料理屋で食べるようなカレー香りがするんだが、レモンの酸味がビシッと効いていて、チキンや油のコクと調和していた。酸っぱいカレーって食べたことなかったし、これならむしろライスなしでもルーだけでも食べ続けたいぐらいだ、と思ったのを強く覚えている。

以来、すっかりスパイスカレーにハマってしまい、Webサイト商品を売るのだけではなくて、スパイスを使ったレシピを紹介するのを主軸にしよう、と彼を説得した。毎月7〜8レシピを一度に撮影し、それを毎週一つずつ公開していく。そうすれば、彼にとっては自分スパイスの使い方をお客さんに教えるコンテンツになるし、俺にとっては毎月彼のスパイスカレーを食うことができる。WinWinだ。

実は、今回のスパイスレシピ本はこれまで7年かけて毎週ウェブで公開し続けてきたレシピ電子書籍にまとめなおしただけだ。これだけの量のレシピ本を無料で公開する、というアイデアを周りの人に自慢げに話した時に「なんか裏がありそうで気味が悪い」と言われて若干凹んだのだが、我々からしたら元々Webで公開しているレシピなんだから無料が当たり前だっただけだ。

Webサイトを見てくれたお客さんからは、Web検索できて便利だけど手元におけるものが欲しい、と言われていたし、我々としても創業70年の節目で何か形になるもの作ってみたかった。(多分、手元におきたいと言った人は物理的な本で出版して欲しいという意味だったと思うんだけど、総ページ数が1700ページで、ペーパーバック版のページ上限を超えたので断念した。上下巻に分けたりして物理的な本もオーダーできるようにしてみたいとは思ってる。)

ちなみに、どうしても無料で出したかたから本の編集自分たちでやった。Wordpress上でテキストベタ打ちされているレシピ構造化して、InDesignデータ結合(Wordでいうところの差し込み印刷みたいなやつ)で流し込んだのだが、大量のレシピデータ校閲して、さら構造化する作業にチーム3人で2ヶ月かかった・・・

デザインだけは近所に住んでいたプロのエディトリアルデザイナーちゃんお金を払ってお願いした。これは大正解だったと思う。俺らが作ったらこんな旨そうな表紙は作れない。

正直、本としての完成度はまだまだだと思っている。InDesignも初めて使ったし、プラットフォームごとの電子書籍フォーマットの違いにもウンザリするぐらいハマったし、今から作り直せばもっといいものも作れると思う。でも本の中身自体は割と自信がある。なぜなら俺はこの416レシピを全部喰っていて、大体の料理がおいしいことを知っているから。

なお一部自社商品ミックススパイスやキットがないと作れないレシピがあるが、そこは目を瞑って欲しい。ただ単純にそういうレシピを除外するのがめんどくさかっただけで、特定商品販促したいわけではない。

当然彼のビジネスがうまくいけばいいなと思っているし、俺がスパイスに驚いた体験を色んな人に知ってもらいたいとは純粋に思うけど、俺個人の儲けはあんまりどうでもいいというか、この文化祭の準備のワクワク感みたいなのを友達同士で楽しめればそれで十分だと思っている。(公平を期すために言うと、一応Webサイト経由でスパイスが売れると俺らに手数料が入るようになっているが、いまんとこ副業にもならないぐらいのレベルだ。)

この本が誰かにダウンロードされて、どこかの食卓ちょっとした非日常に変えることができていたら、とリアル想像するとニヤニヤしてしまう。(なのでダウンロードしてください!w)

----

(追記)

Webのほうは各レシピに「4人分」と書いてるけど、Kindle版は何人前か書かれてないように見える。まあ全部Webと同じで4人前だと思うが

これは完全に見落としていた、、、!はい、4人前です。改訂します。

サイトでも買おうと思ったんだけど,カレーパウダーストロングが何かの説明がなかったり,フォントが細くて読みにくいなど,気になったので改善してもらえると,より買いやすいかも!

ECサイトの方もデザイナーいれたらバケそう

サイト商品情報とかデザインがイケてないのは自覚している。ここ数ヶ月は電子書籍にかかりきりだったので、これから手をつけたい。たしかに、外部のデザイナーにお願いするのは良いアイデアかもな。アテも金もないけど検討してみます

PR TIMES にもガッツリ出稿してるし、なんか「増田にだけこっそり教えるヨ!」みたいな雰囲気気に食わないな

そんなつもりは無かったんだが、気分を害してしまったならすまない。俺としては、これのリリースを打ったらTVとか新聞取材殺到ちゃうんじゃないの??!とか勝手テンション上がって出稿したんだが、そんなことはなくてちょっと落ち込んでたんだ。

でも1件だけWebメディアから詳しく話教えてほしいと言われてて、明日インタビューを受けるので出して良かったと思ってる。

ちなみにPR Timesは1件3万円の出稿料で、だいぶ悩んだんだけど、xやinstagram広告出稿と見比べてコスパ的に良さそうだったか採用した。でもなぜか請求が来てないっぽいので謎。スタートアップ支援プログラムみたいなのに元々登録してて、それが延長されているのかな。(創業間もない会社期間限定リリースが打ち放題って言うアツいプラン。そのためだけにわざわざ法人格まで取得した)

増田が初めてそのインド人の彼の実家で食べたカレーはどのレシピ

>416レシピ食べた中で特に気に入ってるものとか印象に残っているものを教えて欲しい

初めて食べたのは「さわやかチキンカレー(P.410)」。

個人的には「チキンニハリ(P.142)」「牡蠣アチャール(P.1090)」「チャナチャット(P.1458)」「ポークヴィンダルー(P.418)」「ダブルオニオンチキンカレー(ドピアザ)(P.470)」「秋刀魚ビリヤニ(P.962)」あたりが好きかな。

--

実は明日バラッツとデザイナーの人と俺らのチームで打ち上げをする予定なんだよね。鎌倉の予約の取れない(そしてちょっとお高めの)スペイン料理屋で2時間ランチコースを2ヶ月前から予約してて、だいぶ楽しみにしてたんだ。

というのも、デザイナーの人は本当にすごい仕事をしてくれたので、対価の支払い以外にもせめてメシぐらい奢りかたかったし、バラッツとも出版祝いをちゃんとやりたかった。

俺らとしては満足行くクオリティの本が作れただけで充分打ち上げするに値するなとは思ってたんだけど、ブクマカの皆んなのおかげで、さらに最高の華を添えることができそうだ。本当に本当にありがとう

2024-11-13

小中不登校高校中退大学中退

自分は駄目な人間だった。小学校の高学年のとき心因性頻尿になって外に出られなくなった。

金曜の、ピアノ教室の直前だった。その日突然トイレが近くなって、結局家の周りをぐるぐる車で回った挙句に帰った。

それからの日々は地獄だった。家から出ることすらできなかった。私自自分に何が起こったのか理解できなかった。

学校は、授業は嫌いだったけど友達は好きだった。学年みんな友達だと思っていた。みんなの名前と顔を覚えていた。

学校に行けなくなった。

学歴主義権威主義の父は、私のことを人間じゃない何かを見る目で見ていた。

私は当時の記憶があまりない。ただ、下手くそに隠された不登校に関する解説本や、

リビングで両親が自分について語り合ってるのを察するのがつらかった。

そのあと数ヶ月してから学校に復帰したけど、結局私は中学校不登校になって、高校も退学した。

大学受験は当然するものだと思っていたので、高校退学前に高認を取って、

中退後は勉強のやる気が出るまで少し時間をもらった。結果的には一浪という形で

MARCHの少し下くらいの大学に通うことになった。みんなが最初受験をしていた年は、何も勉強していなかったが。

田舎を出て、東京で姉と二人暮らしをすることになった。

大学に行き始めて数ヶ月でやっぱり行けなくなって、2年ほど休学した。

自分は何故生きているんだろうとよく思った。死ぬ勇気は無く、事故で死なないかな、と妄想していた。

復学後は配慮申請をして、出られなかった授業のプリントを貰ったりしていた。

私の時代不登校発達障害時代最先端社会問題で、まだ数が少なく、学校大学側も対応に苦慮していた。

体調が悪くなりやすいので、保健室を使う許可をもらい、授業の隙間はベッドで寝るようにしていた。

大学地獄だった。面白い授業もあったと思うが、何の目的もなく社会学勉強し、

ヴェーバーやデュルケム、フーコーマクルーハンなどを習った。個人的にはヴェーバーが好きだった。

大学時代地元に帰ったときに暇で仕方なく、日経ネットワーク初心者用のTCP/IP解説本を買った。たまたま立ち読みして面白そうだったからだ。

それから何冊か自分ネットワークに関する本を読んだ。面白かったし憧れたが、

自分文系だし人生に夢も希望もなかったので、これはただの遠い憧れだな、と思いながら過ごした。

しばらくして、最初に買った日経ネットワークの本以外ほとんど捨ててしまった。読んでも意味がないと感じていた。

大学も結局中退した。3年にやっと上がれるという冬の試験で、起き上がれなくなった。

毎日天井を見て過ごした。今日は○○の試験だったのに…と思って、泣きながら過ごした。

ここで単位を落としたことで、卒業まで想定より1年だか2年かかりそうだなと自分計算し、心が折れた。

何度目の挫折か数えるのも嫌になっていた。

大学中退後は、大学時代にできなかったことをしようと思い、

画家さんの絵の手伝いに行ったり、フォトコンに応募したりしていた。絵と写真けが自分が唯一続けてきたものだった。

それも当然上手くいかず、暫くして、父から障害年金手帳をとるように言われた。父には逆らえなかった。

父に逆らえる人は家族の中で誰もいなかった。とても怖い人だったから。

父は節税になる!と喜び勇んで説明し、私は、やっぱり自分は道具なのだなと思いながら、そのまま手帳年金を取得した。

初めて自由に使えるお金を手にした。20代後半で、初めて自分家具を買っていいことに気づいた。

家の中を、好きだった祖父母の家を模すような感じに作り変えた。

友人が美術館バイトを紹介してくれたので、小さな美術館で週3日のバイトをすることになった。

が、その直後にコロナ禍になって、半年ほど美術館は閉鎖することになった。

休業補償?だか何だかで、一応もらえた。その年の秋から再開した美術館スタッフを少しやって、年末年始地元に帰った。

両親に、戻ってくるように言われた。

父の会社が上手くいっておらず、母方の祖父母から大変な額の借金をしていた。

利益なんて10年ほど出ていなかったらしい。元々何をしているのかわからない

人に説明するのが困難な父の会社だったが、父はとにかく経営センスがなかったらしく、酷いことになっていた。

私は一度地元に戻る決意をしたが、やはり怖くて直前になって無理だと母の前で泣いた。

地元に戻っても居場所はないと感じていた。東京にもなかったけど…。

それからバイトを増やしたが、結局駄目になって初夏に辞めた。

すぐに次のバイトを探したが、それも2ヶ月しか続かなかった。秋からまたバイトを始めた。

小さめの不動産会社事務をしていた。年始にまた、今度は以前より強めに、帰ってくるよう説得された。

私はすぐに市の生活相談窓口に駆け込んで、就労移行支援ギリギリ間に合ったコロナ関連の貸付金を紹介してもらった。

課税世帯なので、返済する必要はないか安心して、説明された。

自分決断は、生活保護になってでも東京にい続けるというものだった。コロナの貸付金で一時的に数十万のお金が手に入ったので、

それを使い生活保護でもやっていける物件引っ越しをした。不動産も一人で回ったし、引越しの手配も手続きも全て一人でやった。

就労移行支援は少し通ったが、この時間バイトをした方がマシに思え、すぐに辞めてバイトを探した。

並行して勉強を進め、基本情報技術者試験合格した。その後障害者雇用で小さなコンサル会社資料作りのバイトをし、

その間にMOSExcel Expertを取った。お金をかなり切り詰め、貯金を始めた。結局生活保護にはならなかった。

翌年バイト契約終了になったので、ネットワーク仕事チャレンジすることにした。

人生で初めてのフルタイムバイトだった。倒れる前提で、駄目元でやってみることにした。

柄谷行人の『探究』で読んだ、暗闇の跳躍だか飛躍だかを思い出した。

価値は、価値がついたあとにしかその意味を読み取れない。価値がつくには暗闇を跳ばなきゃいけない。

それから3ヶ月ほどは、毎日法人向けのNW開通をしていた。

薄給の上に業務量がえげつなくて、人がすぐに辞めていく環境だった。

ある程度初心者ができるように自動化されていたので、1ヶ月を過ぎる頃には一通りの業務を覚えていた。

毎日現地作業員電話を繋げながら、色々な試験をし、NWを開通した。たまに撤去もあった。

障害を隠して仕事をしていたが、ある日電話中にパニック発作が出て、電話を保留にした後しばらくトイレにこもって薬を飲んで休んでいた。

ここでもこうなるのか…、とトイレの中で泣いた。結局その職場も居づらくなって辞めてしまった。

ネットワークエンジニアになりたかった。

諦めきれずに、次の仕事を探した。ベンチャー企業で、またネットワーク仕事をやることになった。

今度は客先常駐仕事に出る前に第一陸上特殊無線技師資格を取った。

高校数学赤点だったので、選抜試験養成講座も地獄だった。何年振りかの座学だった。

そのあと1時間半ほどかかる場所夜勤をすることになり、私はすぐに壊れた。

夜勤明け、ふらふらになりながら漫喫に入ってひたすら寝続けた。またパニック発作が出て、帰ることができなくなっていた。

心が折れて、障害者雇用仕事を探し始めた。

大手IT企業の子会社で、採用仕事をした。面接はいずれIT仕事を回してくれると言っていたが、

一向に果たされる気配がなく、半年で辞めた。ここまでの失敗で辞めた後に空白期間があるとメンタルに来ることはわかっていたので、次の仕事はすでに探してあった。

障害者雇用契約社員として、またIT企業に入った。1ヶ月の待機期間の間にCCNAを取って、

今はそこで仕事を続けている。何故かPython人員になってしまったので、毎日ツールを作っている。

ChatGPTのおかげでなんとか仕事ができている。

今の案件は年内で終了するらしい。

数週間前に正社員登用の話があり、面接を受けた。周りからは多分行けるんじゃないかと言われている。

貯金はやっと130万ほど貯まった。将来は…できれば健常者として生きていきたいが、まだ暫くは難しそうだ。

まだ何も安心できない。実家の父母は離婚問題でめちゃくちゃになっているし、

リモートから仕事ができているのでは?という懐疑が常にあって、次の案件でどうなるかわからないと思っている。

私は障害について色々思うところがあるが、30ぐらいの時にはっきりと

自分は才能が無いのだから、せめてコミュ力を伸ばそう。自分は一人で生きていけると思えない。

から、人から助けてもらえる、助けようと思ってもらえる人間になろう」とずっと考えてきた。

今の時代障害者健常者に関わらず、みんなにとってつらい時代だと思う。

何かを抱えているのはみんな同じだと思っている。そんな時代に、

マイノリティ自分を救ってくれ!と叫ぶことはとても怖いことだと思っている。

社会に余裕がなくなれば、一番最初に切り捨てられるのは自分たちじゃないだろうか。

今までたくさん人に迷惑をかけたけど、少しでもそうでない自分になりたい。生きていていい自分になりたい…。

------------------------

私は今もたくさんの問題を抱えているし、色々上手くいっていない。

人生を呪っているし、楽しくはない。たまに楽しいこともあるが。まあしかし、こうやって足掻いている人間もいるよ、と思って書いてみた。

特定されようが、もうプライドなんて無いからどうでもいいのだ。

私を見下して、自信をみんな持って欲しい。こんな見苦しくみっともなく足掻いてる人間もいるのだから

小中不登校高校大学中退でも、なんとか生きてるよ。

…まあ今後どうなるかはまだわからんけど。

------------------------

追記

思ったより反響があって驚きました。

タイトル自分人生象徴するような言葉ですが、実際そういう境遇にある人間がどのように生きていくのだろう?という

素朴な疑問から読んでくださった方がいるのかなと思います。あるいは下層にいる人間の惨めな人生を期待した方もいるでしょう。

励ましの言葉アドバイス叱咤を下さった方、それぞれありがとうございます。全部読んでます

わーっと書いてしまったのでちょっと読みにくかったかもしれませんね。申し訳ないです。

障害については一応ASD…ということになってます。診断が下りたのは大学生のときでした。

ご存じの方も多いと思いますが、当時はアスペルガーと呼ばれていて、空気が読めない・人の感情がわからないだとか、まあ散々なことが書いてありました。

カサンドラ症候群の話もありますし、今でもややADHDよりASDの方がイメージは悪いのかも、と思うところはあります

高校生の頃にWAIS-Ⅲを受けた際には、言語IQ動作IQ結構な隔たりがありました。

当時の記録だと言語理解111、知覚統合99、作動記憶105、処理速度84。PARSの結果は幼児期が25点、思春期成人期が34点です。

一昨年だかにWAIS-Ⅳを受けたときは色々マシになっていて、言語理解119、知覚推理107、ワーキングメモリー117、処理速度111という結果でした。

今は人から障害を持っているようには見えないとよく言われます。体力がないのは相変わらずですが…。

慢性疲労症候群の診断も下りていて、当時医師からは「あなたは将来生活保護か専業主婦しか生きていけないと思います」という

大変メンタルに来る言葉をいただいていました。それから一気に体調が悪くなり、何も自信が持てなくなった後に

自分はそんな未来を信じないし、絶対にあの言葉を覆してやると決め、もう一度立ち上がりました。

大学でも発達障害中退した人たちの予後が悪い、まともに働けていないという話を聞かされていたので

これについても、だったら最初の一人になってやる、と思った記憶があります

自分は女ですが、文章が怖いと言われることもあったので、その辺も徹底的に直しました。

人を観察して、絵文字顔文字ちゃんと使って明るく取っつきやすイメージを持ってもらえるよう修正し、

見た目もパーマをかけたりと柔和な雰囲気を心掛けました。そういう仮面は、今は自分の皮膚のようになって

人格の中に融合されたのかな、と思う部分もあります

人の気持ちがわからない、共感性がないという部分については、周囲から指摘はそこまでなかったのですが

とにかくできるだけ人のことを想像するようにしました。自分を取り巻く多くの人たちや、ニュースになっているゴシップエッセイなどからたくさんのことを学べたと思います

お金があっても、賢くても、健康な体を持っていても、それでもみんな裏では色々あるのだな、と。つらいのは自分だけではないと言い聞かせてきました。

まれて見える他者が、実は苦しんでいるという話をちゃんと覚えておくようにしていました。

人生が大変だと、どうしても被害者意識が強くなってしまものですが

そのように思う瞬間はあっても、絶対客観性を失わないようにしようと常に思っています

同時に、自分自身をあまり障害者として扱い過ぎないようにも心掛けました。単純に、心がすり減るので。

自分もまだまだこれから乗り越えなければならないことがたくさんあります

同じように大変な境遇の方の励ましになったらいいなと思います

人生で一度も下層の人と接したことのない人々

アメリカの分断が一層鮮明なものとなった大統領選だが、日本でも分断は進んでいて、それについて思ったところを書いてみる。


俺が幼少期を過ごしたのは80~90年代地方農村だ。そこは受験といえば高校からで、中学受験やまして小学受験なんて概念はなく、その地域に生まれ子供は誰も彼もが同じ小中学校に通っていた。


そのため中学までは実に様々な子供が同じ教室で授業を受けていた。俺の同級生には、医者になった人や地方議員になった人もいれば、暴走族に入った人、少年院に入った人もいる。

小学校の頃には、同じ校舎内の養護学級に、言葉を喋れないレベル知的障碍の子母親と共に来ていて、よく廊下で奇声を上げたりしていた。

スネ夫花輪くんのような極端な人はいなかったが、そこでは「中の上」から「下の下」ぐらいまでの人々が共に過ごしていたと思う。


そこは子供を育てる場として理想的環境ではなく、いじめとか、不良に授業が妨害されたりなど、様々な問題もあった。

俺は就職を機に上京して、いまでは昔の同級生と会うこともほとんどなくなったが、しか自分と異なる世界に進んだ人々と一時でも共に過ごしたことは、俺にとって、彼らのことを最低限理解するための一助に今でもなっている。


一方、俺は大人になってから上京した身で、子育てもしていないので東京学校事情にはあまり詳しくはない。

現在住んでいる場所の近くには有名大学の附属中があって、育ちの良さそうな子供が通っており、中学から受験なんて都会の子は大変だなぁ、なんて呑気に思ったりするが、

ふと彼ら彼女らは人生の中で、どれだけ「下層の人」と接したことがあるんだろうと思ったのだった。


彼らの親は、子供をそうした人々から遠ざけるために附属中を受験させたのであって、そちらの方が子供を育てる環境としては理想的だ。

だって子供がいたならば、荒れた学校には行かせたくないし、不良と関わらせたくないと思うだろう。それはそれで理解はできるし否定できない。


一方彼らの中には、医者政治家教師などになる人も多く、そうした職業はどうしても下層の人々と接する必要が出てくるはずだ。

その時に、もし人生で一度も下層の人々と接したことがなかったらどうなるのか。特に福祉などに関わる場合、その福祉支援には、下層の人々に対する実感がどこまで籠っているのか。


暴走族に入ってしまった俺の同級生も、幼少期はごく普通の子供で、一緒に遊んだこともあったものだ。

知的障碍の子が奇声を上げる姿や、その横で世話をする母親疲弊した表情は正直見たくないと思える光景だったが、それを見てきたことで子供なりに障碍者現実を学ぶことができた。

それらの経験は、彼らも同じ人間なんだという実感を俺に与えてくれた。


しかし下層の人々と接したことがない人々にとって、彼らはどこまで同じ人間に思えているのか。架空存在想像上の存在に過ぎないのではないか

そんなことを考えた。

anond:20241113135037

教室内でバレーボールで遊ぶのが当たり前になりすぎて今の若者はそこに疑問を持たなくなってるのか

ダンダダンにおける若者リアル

オカルンがいじめられっ子として描かれ、とあるいきさつでターボババアの力を得て超人になるところがカタルシスな部分があるけど

そのオカルンをいじめてるクラスメイトというのが「ぶつかってきておいて気を付けろと声を荒げる」「教室のなかでバレーボールで遊んでてオカルンにボールがぶつかっても謝りもしない」というステレオタイプな不良として描かれてはいるが名前のあるキャラではない(自分が知らないだけか)のでごく普通モブとしてそういう育ちの悪い高校生がいるのが当たり前の学校って事なのだろうか

あいうのが普通って事はその後社会に出て花火大会路上ゴミを捨てていくとか砂浜や河川敷BBQやって片付けもせずに帰るとかスポーツ国際試合ハロウィンバカ騒ぎするとかっていう常識の無さが不思議と思っていたけど、むしろそういう事に疑問を持つ方がマイノリティだよって言われてるような気がするくらい日本民度って低いんだって事になる

私文院生地主一人っ子アイコス吸ってる25歳イケメン

何回か海外留学経験があってパーソナルトレーニング通っててサウナには否定的で。

酒好きアイコス(アイコスじゃないやつかも。あれ区別つかない)好きで、学部時代に一瞬インターンしたことあるけどバイトみたいなことは一回もしたことないって言ってた。

富裕層ってヤツ、なんだろうなと思う。でも本当に不思議なんだけどイケメンなのに性的な魅力を一切感じなくて、話してる間何度も「この人は男より女に生まれてたほうが絶対モテた」って繰り返し思った。

明治時代大正時代貴族階級女性無職家事お手伝いさんやらせていたけど、男性資産で食っていけたとしても職があることが多かった。

自力で歩けないほど足が小さい女が最も性的とされた纏足のこととか、「戦争は女の顔をしていない」に出てきた兵隊として国のために戦った女性復員後に男性から女性から忌避されたエピソードを思い出した。

小学生の頃に通ってた自宅教室型のピアノ先生のことも思い出した。今思うと、音大を出て自宅に有孔ボードが貼られた防音室作って良いピアノを置いて、安い月謝とって、単体で生活成り立つわけがなかった。

こういう人って、強者男性奥さんしかいない。強者男性自身が、お姫様とかお嬢様かいう、高貴な生まれ教養だけをやっている女性に魅力を感じる傾向でもないとこうはならない。

女は金で男を選ぶ!みたいに言われるけど、稼ぐ能力があって男性から認められている男性性的に反応するのであって、仕事ができなさそうな相続人だと違うんじゃないかって思ってしまう。

金持ちイケメンなのにこんなに何も感じないとは、って思った。叩き上げ的なバックボーンを持つ人に対してのほうが反応してしまう。

2024-11-12

こんにちは!私は恐竜なっちゃった12歳の女の子

草食恐竜トリケラトプスみたいな姿なんだけど、毎日いろいろ大変なこともあれば、楽しいこともあって、ちょっと話してみるね。

まず、一番の悩みは「大きさ」。

学校の机なんて小さすぎて座れないし、ドアも通れなくて教室に入れないから、仕方なく校庭で授業を受けてるんだ。

先生がわざわざ外に来てくれて授業をしてくれるんだけど、友達は私のことを気にしながら、ちょっと離れたところで座って聞いてるんだよね。

なんだかみんなと一緒にいる気分にはなれなくて、少し寂しいな。

それに、食べる量もかなり増えちゃって、給食じゃ全然足りない!

今では学校のお庭に専用の「恐竜ごはんゾーン」みたいな場所があって、そこに毎日新鮮な葉っぱや草を植えてくれているの。

学校が協力してくれてるのは嬉しいけど、友達給食野菜を少し分けてくれるとき申し訳なくて、少しだけ気まずい。

でも、いいこともあるよ!体が大きいから、友達背中に乗せて遊んであげるとみんな大喜び。

ちょっとしたミニ遊園地みたいで、特に小さい子たちはすごく喜んでくれるんだ。

運動会でも、私が大きい体で走るから、チームのアンカーとしてみんなに期待されてるのが嬉しかったな!

そんな感じで、恐竜としての生活は思ったより大変だけど、ちょっとした楽しさもあって、毎日をなんとかやりくりしてるよ。

2024-11-11

虚空に向けて話す

10年ほど前、私がドクターコース学生だった時に一度だけ教壇に立ったことがある。

私があるラッキー発見学会で発表した時に、ある教授が声をかけてくれて講義に呼んでくれたのだった。

学生達と当時の私は年も近く親しみやすいはずで、また教科書を読み合わせるだけの授業よりは、シンプルながらも効果的な測定に繋がった最新の事例はいくぶん興味を引くのではないかと思っていた。

いざ授業をしてみると、私の話す内容にも私自身について学生わずかの興味をも持った兆しを見つけることができなかった。

私の問いかけに対して学生たちは応答を全く返してくれず、聞いているかどうかさえわからない、まるで真空宇宙空間に向かって問いかけているかのようだった。

その様子を描写する説明をこの行に書いていたが、やめた。各位にも馴染みのある光景であるはずだと気がついたからだ。

余談だが、岩にしみいるセミの声でも、もう少し積極的に聴いてもらえてるのではないかと思われて、「静けさや 岩にしみ入る セミナー…」 と詠んだりした。

授業を進めるにつれ、私の気持ちは無反応への焦りから、無反応への怒りへと移った。

しかし思い返してみると私が学生の時も教室には同様の雰囲気があったし、ある授業ではそんな雰囲気に対して教師が苦言を呈したこともあった。

きっとこれは、おれごときになんとかできるような代物ではないと思った。

それで、やがて私の気持ちは無反応への諦めへと変わった。

準備した内容をチャチャっと話し終えると、教授は私の表情を見てとったのか、笑って2、3の質問をしてくれた。

教壇の前に広がる虚空、教師孤独垣間見て、これは洗礼踏み絵だと思った。

学位を取った後も私は教員を目指すことはなくメーカー就職したが、もしかするとあんな風に授業をし続ける職業人生が嫌だったのかもしれない。

今日石破茂さんが国会で重大な場面にも関わらず、居眠りしているという趣旨映像を目にして、ふと上記のような経験を思い出したので書いた。

起こしてくれない官房長も、あきれ顔の元首相も、茫然自失の元首相も、ひたすら時が過ぎるのを待つ学生のようになんとなく思われた。

しかし思うのである

一生懸命選挙活動をしても半分しか投票してくれない様は、あちら側から見ると、真空宇宙空間に向けて話しているかのような経験なのかもしれないと。

そう思うと、少し親近感が沸くのだった。

2024-11-10

僕はロボットのロボ太です

僕はロボットのロボ太です

僕はロボット小学校に通っています

クラスのみんなは、先生の出した問題を1.2秒で計算しま

僕は3.2秒かかります

僕は計算領域プロセッサ3世代前なんです

最新のプロセッサを積んでいる子は0.7秒で計算できるんだから、すごいよね

クラスのみんなは、50mを9秒で走ります

僕は、10.5秒かかります

僕は身体モーターが3世代前なんです

最新のモーターを積んでいる子は0.6秒で走れるんだから、すごいよね

僕は家に帰ってお母さんに聞きました

「なんで僕はプロセッサモーターも旧世代なんですか?」

お母さんは「まだパーツが回ってきてないからね」と困ったように言いました

神様は最新型パーツをランダムで配布しているため、うちには無かったのだそうです

「なんでランダムで配布してるんですか?」

お母さんは「もう晩ごはんができますよ」と困ったように言いました

ある日、すごく変わったウイルス流行りました

無理矢理に高速で莫大な数の計算をさせて、プロセッサショートさせてしまうというウイルスです

たくさんの同級生が壊れてしまい、クラスには数人だけが残りました

2世代以前のプロセッサは、そもそもショートするほど膨大な数を扱えないからね」

先生は、人数に合わせて小さくなった教室で、気まずそうにぽりぽり頭を掻きました

「ねえ、一緒に帰ろうよ」

声をかけてきたのは、50mを9秒で走った彼でした。

「あれ、君、旧型プロセッサだったんだね」

「僕は5世代前のプロセッサなんだ、モーターは最新だけどね」

「ふうん、そのモーター、そんなに前のプロセッサでも動くんだ」

互換性があるのはv13までだけどね。君はモーターもプロセッサ3世代前なんだね、計算が早かった」

「そうだね…すべてのパーツが3世代前だ、僕は」

「良いスペックだね」

数日後、例のウイルス対応したパッチが配布されました。

リリースノートには、「テスト導入失敗したかバージョン戻すンゴ」と書いてありました。

2024-11-07

トランプ氏に投票した人たちの声

r/Trump より

(注:ここのサブレルールトランプ批判禁止。つまり支持者しかいません)

投票した理由が書いてありそうな真面目なスレを拾っています

 

トランプ投票してバックラッシュにあってる

スレ主)

生きている家族はもうあまり残っていないけど、残った家族も私に腹を立てて絶縁されちゃった。彼ら曰く、経済悪化するし女性としての権利はなくなるって。とにかく参っているわ。私は「トランプ投票した」としか言っていないのに。

 

前回、トランプ大統領になったときは、ガソリン食料品も買えた。ヴァージニアに住む余裕も今のところどこにもない。誰かがこのバイデン引き起こした混乱を解決しなければならない。コンスタントに働いて自分お金を稼ぐのが恋しいけど、今は娘が就学するまでは専業主婦よ。私たちのためにがむしゃらに頑張る夫を見続けるのはもう嫌なんです。週40時間以上働くなら本来そんなに苦しむ必要はないはずでしょ。育児にはお金がかかるし、あらゆることにお金がかかる。いつかより良いポジションで働けるように、学位取得を目指して働いているの

 

誰か、私がおかしいんじゃないって言ってよ!前回はもっと良かったんだよ。そうでしょ?ここが精神的な支えにふさわしいサブだと思ったんだ、笑

(+648)

 

私の娘と彼女大学ルームメイトトランプ軍隊を使って彼らを追い詰め、避妊拒否し、ゲイの友人を監禁するつもりだと一日中部屋で泣いています。この狂気はどこから来るのだろう?彼女たちは皆来年には科学教育数学学位を優秀な成績で卒業する、とても知的女性たちなんです。彼女たちが何をそんなに怯えているのか、誰か教えてください。

(+64)

返信:

もしトランプがそんなことをするつもりなら、どうして1期目でやらなかったんだ?

この人たちの頭お花畑な考え方(mindset fantasy land) は理解できないよ

(+40)

 

17歳だけど投票してくれた人に感謝しま

スレ主)

17歳ですがトランプ投票した全ての人に感謝しま

大人になり、これからの4年間を成長するため真のアメリカ人が立ち上がり、私の英雄トランプを選んでくれたことをとても嬉しく思います。これから経済はよくなりまた働きやすくなり、素晴らしい統一国家樹立するでしょう。トランプ投票した真の愛国者の皆さん、私は投票できなかったので、感謝気持ちでいっぱいです。あなた私たち若者のために自分役割果たしてくれました。私の国、私の本当のアメリカを誇りに思います

(+294)

 

私も同じです。17歳だけど国に未来があることを望んでいますトランプ私たち未来を与えてくれるでしょう。平和繁栄の次の4年間を楽しみにしています 🇺🇸

(+8)

 

何で負けたのかあいつらには決して解らないだろう

私たち国境解放を望んでいない。私たちは何百万人もの不法入国者蹂躙され、取って代わられることを望まない。外国人ギャングに町やアパートホテルを乗っ取られたくない。インフレはごめんだ。バイデノミクスはいらない。子どもたちが学校や「メンタルヘルス専門家」によって洗脳され、オッパイ性器を切り落とされるのもごめんだ。私たちはお前らのトランスデタラメを望んでいない。代名詞もいらない(訳註:性的マイノリティは they/their といった代名詞をBioに記載します)。ドラッグクイーン学校読み聞かせをするのもいらない。女性スポーツロッカールームバスルーム男性はいらない。言論の自由を抑圧されたくない。私たちキャンセル文化を望まない。終わりのない戦争はいらない。ウクライナに何十億ドルも送りたくない。白人至上主義者やナチスと呼ばれたくない。多様性(DEI)の雇用も望まない。何百万人もの赤ん坊を殺せるようにしてほしくない。リベラル戯言は一切いらない。

 

君らは異常者だ お前らは変人だ。お前たちは変人だ。お前たちはゴミだ。民主主義を脅かすのは、1票も得票しなかった候補者だ。トランプ投票から排除しようとするお前こそ民主主義への脅威だ。お前らは政敵暗殺しようとし、トランプが生き残ると泣く。政敵を投獄しようとする。

我々はアメリカを取り戻し、再び偉大になるのだ ( WE TOOK AMERICA BACK AND WE WILL BE GREAT AGAIN.)

 

 

トランプ政権24時間以内に・・・

Within 24 hours under Trump…

 

スレ主)

トランプ政権下で24時間以内に...

これが彼を選んだ理由

 

 

長らく民主党支持者だったけどトランプ投票した

今年、私は初めてトランプ氏に1票を投じた。私は生涯民主党所属し「団結 」と 「国民のために働く 」という公約を信じていた。しかしここ数年のトランプを見てきて、彼が口先だけでなく実際にアメリカのために戦っている唯一の指導者であることは明らかだ。他の人たちが空疎な話に忙殺されている間に、トランプ雇用を取り戻し、国境を守り、中国に立ち向かいアメリカ労働者を優先させるために大胆な行動を起こしている。たとえメディアエリート極左対立することになったとしても、行動を起こすことを恐れない政治家を見るのは、正直言って新鮮だ。

一方、現実カマラハリスに取って代わられたたらどうだろう。完全に悪夢だ。彼女は急進的な共産主義イデオロギーにどっぷり浸かっており、彼女リーダーシップ選択肢の1つだったと考えることさえ恐ろしい。カマラビジョンは、過剰な規制成功への罰、アメリカ経済の息の根を止める極左アジェンダ推し進めるという大失敗だっただろう。彼女のもとでは、私たちお役所仕事に溺れ、政府管理下で息苦しくなり、その一方で彼女象牙の塔から私たち説教するのに忙しくなるだろう。彼女は平均的なアメリカ人ことなど気にしていない。彼女が気にしているのは、急進的なエリートサークルと、アイデンティティ政治社会主義計画に執着する彼らのことなのだ。

 

トランプは、この国が築かれた価値観のために実際に立ち上がっている唯一の人物だ。彼は堂々としていて誇り高く、中国でも国連でもそして間違いなく急進的な左翼でもなく、アメリカが誰にも屈服することを拒否している。私は生まれて初めてトランプのおかげでこの国の未来純粋希望を抱くことができた。彼は権力地位のためではなくすべてのアメリカ人のために戦い、その過程で誰を怒らせようとも気にしない。

 

今年トランプ投票したことは、アメリカへの投票であり、強さへの投票であり、自由への投票であり、常識への投票であると感じた。2024年、そしてその先も、私は皆さんとともに立ち、誇りを持って彼を支持します。

 

 

涙が出てきた。僕は黒人トランプが勝って本当に嬉しいんだ・・・ 泣いてくる

Y’all😭 I’m actually about to tear up. This is a beautiful day❤️🫶🏾 IM BLACK AND IM SO GLAD TRUMP WON YALL….. IM GONNA FUCKING CRY😭

スレ主)

やったぜ。そしてドナルド・トランプ投票した仲間の黒人たち。君たちを誇りに思うよ!民主党奴隷プランテーションメンタリティから抜け出したんだ💯 僕は君たちを信じていたよ❤️💕 ここからは上がるだけだ! (+2.3k)

 

ミシガン州黒人女性がここにいるよ!私もめちゃ嬉しい!民主党プランテーションから解放されて最高でしょ?お前らのクソ綿花はお前らで詰めよ

 

 

トランプ投票した全ての人へ

To those who voted for Trump

トランプ投票した皆さん、ありがとう。主流メディアの嘘に惑わされず、見出し鵜呑みにせず、批判的な思考を持っていてくれてありがとう。今回の選挙は少数者の団結ではなく全員の団結を選ぶ、私たちの生涯で最も重要選挙でした。民主党はよくやるように分裂キャンペーンを展開した。民主党の目には私たち白人であり、黒人であり、ヒスパニックであり、トランスであり、ゲイであると映る。アメリカ左派民主党によって分断され、LGBT民族的アイデンティティと引き換えに、アメリカ人としてのアイデンティティを忘れさせられてしまった。私はアラブ系アメリカ人だが、民主党左翼が何を言おうとも私はたまたまアメリカに住んでいるアラブ系ストレート男性に過ぎなかった。トランプアメリカでは私はただのアメリカ人だ。彼らは私たちの団結を消し去り、アメリカ文化を消し去ろうとして失敗した。女と男、老人と若者白人黒人ヒスパニックアジア人ゲイストレート民主党レッテル貼りに執着し、私たちが皆違っていて共存できないかのように分断する。彼らは多数派を分断しようとしている。私たちの子どもたち、教室政府を、分裂させるようなレッテル汚染し、アメリカの結束を壊そうとしている。私たち共存することができ、アメリカ人として団結している。肌の色、セクシュアリティ宗教民族関係なく、私たちは皆、憲法に生きるアメリカ人であり、憲法私たちの国を全力で守り続ける必要があるのです。アメリカ人のために投票した7400万人以上の皆さんに感謝します。

anond:20241106132816

その、"女子は「普段はパッとしないけどいざ本気出すと…!」的な展開に憧れを持っている" ってのが単なるゲスの勘繰り過ぎて、

現実の女に全然あてはまってないぞ。

自分場合洒落をしないのは、ブス過ぎるので何をやっても無駄からだよ。髪や眉を整えたところでイエベブルベ骨格ストレート一重二重涙袋Eラインジャッジされて馬鹿にされるんだから

馬鹿馬鹿しくてやってられなくなるもの


あと、どちらかっつーとそれって男に当てはまらいか教室テロリストが来たら、みたいな妄想典型例。

2024-11-06

今のキッズに学園ものアニメが作れるのか?

少子化同級生3人とかだろ

子どもが少なすぎて上級生と下級生が同じ教室で学んじゃうんだろ

こんな環境で育った子どもが学園ものアニメを作れるわけないんだよな

学園ものアニメは今の時代劇みたいな、リアリティのない、なんとなくこういう感じだろ?って作られた

なんちゃって学園ものにならざるを得ないんだよなあ!

anond:20241106013732

anond:20241106051417

公衆便所扱いされてた女を不良たちが教室で輪姦して停学沙汰になった、とかい投稿高校時代に読んだエロ本に載ってたなとロクでもない記憶を思い出してしまった

2024-11-05

子ども料理教室に参加したときに一緒のグループになった独身っぽい女の人

うちの子もの新しいお母さんになってくれないか???

なんとなく徳光アナウンサーの親戚に似通っている人だったけど、

子どもと話があいそうだし・・いいかもしれない

現在の妻ちゃんをどうするかという問題存在するが( ^ω^)・・・

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん