はてなキーワード: 風景とは
以前香川の文化というか観光地を紹介した増田(anond:20230804232647)だけど、今度は香川県でオススメできる喫茶店を居住者目線で紹介してみる。下に行くほどオススメ度が高い。☆は3段階評価。
味 | 内装 | 長居できる度 | 本をゆっくり読める度 |
☆☆ | ☆☆ | ☆☆☆ | ☆☆☆ |
スタバなんてどこでも同じだろ? という声が聞こえてきそうだけど、東京都心部のいっつも勉強する学生さんやら仕事するリーマンやらで埋まってて空席を探すのも一苦労だったスタバしか知らない民としては、広々とした店内でゆったり座って本棚の本を読みながら滞在できることに感動した。ここは市民の交流スペースとして作られた建物に入っているので、本棚に置いてある本(『NUMBER』みたいな雑誌や編み物の本みたいなやつから、地方自治や環境問題に関するマジメ系の選書、さらには香川に関する本まで、割と充実している。喫茶店の本棚として見ればSSRでは)を自由に読むことができるし、空席も適度にあるので座る席を自由に選べる。窓際の広々とした席に座ってフラペチーノ啜りながら本をめくる時間は至福。
味 | 内装 | 長居できる度 | 景色がキレイすぎる度 |
☆☆ | ☆☆☆ | ☆ | ☆☆☆ |
荘内半島の真ん中辺り、フラワーパーク浦島のすぐ近くにある喫茶店。ランチメニューは(割とすぐに売り切れちゃうのでありつけないこともあるけど)普通に美味しいし、デザートのケーキは凝った飾り付けをしてくれて素敵。内装も海沿いなことを意識した外国の船乗り風でオシャレ。だが何よりも、テラス席に座って眺める瀬戸内海の絶景が素晴らしい。ちなみにフラワーパーク浦島っていうのは端的にいうとお花畑なんだけど、地図見てわかるように海沿いにあるから、お花が咲き誇る様子と風光明媚な瀬戸内海を同時に見渡すことができてすごくすごいきれいです(語彙力)。関東地方で育ち、海といえば見渡す限り水平線しか見えない太平洋、という人間にとっては、島がアクセントを添える瀬戸内海の景色はすごい魅力的なんだよな……
味 | 内装 | 長居できる度 | 和風喫茶に求めてるのはこういうのだよ度 |
☆☆☆ | ☆☆ | ☆ | ☆☆☆ |
高松市内、宮脇書店本店の近くの和菓子屋さんの2階にある喫茶コーナー。店内がなんかこう、時代劇に出てくる甘味処みたいな雰囲気してる。和菓子屋直営なのでもちろん甘味はクッソ美味しい。クリームあんみつ、わらび餅、抹茶ぜんざい、とオーソドックスな和風スイーツが勢ぞろいしているので、なんか和風の甘いやつを食べたくなったらここに行くことにしている。気に入ったら1階の和菓子も見てみよう。名物かまど美味しいよ。
味 | 内装 | 長居できる度 | 現代建築を堪能できる度 |
☆ | ☆☆☆ | ☆☆☆ | ☆☆☆ |
山本忠司、という建築家をご存知だろうか。詳しくはWikipediaの記事を見てほしいのだが、香川県庁に奉職し、丹下健三による香川県庁舎の建設に携わった後、瀬戸内海固有の風土に根ざした現代建築を志向し、県内でいくつもの建築を手がけていった……という経歴の持ち主だ。讃岐の石材を大胆に活かした設計が特徴で、香川県各地で学校や体育館などの公共建築を手がけてきた。そんな彼の作品の1つが、高松市美術館や宮脇書店本店のすぐ近くにあるこのお店。外観が非常に特徴的な石造りの建物で、言われてみればこういう石造りの現代建築を県内でいっぱい見かけるな……! と香川の風景に解像度が上がる。これってそういう美術的背景があったんだ……! そして内装も石材を活かしたデザインになっていて最アンド高すぎる.これだよこれこそが俺の好きなタイプの現代建築だよと急にテンションが上がるというか、内装がもうセンス良すぎて居心地良すぎるんだよな……
ケーキやお茶の味は……普通……いやマジで出てくるものは普通というか、あっケーキからちょっとアルミホイルの風味がするな? ってくらい(あかんやろ)。まあ飲みもんや食いもんを期待して行くところではないです。讃岐の風土に根ざした現代建築の中でゆっくり座って茶をすする体験にカネを出していると思いましょう。実際それだけの価値はあるので、現代建築好きなら足を運んで損はない。
味 | 内装 | 長居できる度 | 娯楽へのアクセスが良い度 |
☆☆☆ | ☆☆ | ☆☆☆ | ☆☆☆ |
宇多津にはイオンモールがあり、県内の数少ない映画館の1つであるイオンシネマ宇多津にはよく行くのだが、そこから歩いて数分という超便利な立地にある喫茶店がこのお店。コーヒーにこだわってるんだけど、地味にアイスティーも美味しいのでオススメ。飲み物に100円くらいプラスすると小さな甘味をセットでつけられるのがお得感あって嬉しい。さらに店員さんが基本客に無干渉なので割と長居できる。休日はこのまわりで映画見て昼飯食ってお茶を啜りつつ読書して、ってやると良い感じにリフレッシュできるんだよな。
味 | 内装 | 長居できる度 | バリアフリーが行き届いてる度 |
☆☆☆ | ☆☆ | ☆☆☆ | ☆☆☆ |
ショコラトリーに併設されている喫茶コーナー。パッケージされたチョコはお高いのでまだ買ったことないけど、喫茶はお手頃価格。ショコラトリーだけあってチョコを使ったスイーツが何種類もあるけど、個人的なオススメはチョコムースかな。内装はシンプルイズベストというか、地味にバリアフリーが行き届いていてすごい。トイレもかなり広々としてて車椅子利用でも何ら問題なさげ。いや、いつも徒歩だけど。あとあちこちに電源が設置されてるのも配慮を感じる。基本的にあんま客がいなくて席が余ってるので長居しても気が咎めないのが最高(採算大丈夫なのかな)。
味 | 内装 | 長居できる度 | 高松の商店街を見下ろせる度 |
☆☆☆ | ☆☆☆ | ☆☆☆ | ☆☆☆ |
このお店については元増田で書いたけど、付け加えるなら、家具メーカ「カリモク60」のショールームも兼ねていて、落ち着いたセンスの良い内装で統一されているから居心地がめちゃくちゃ良い。お茶もスイーツもバリエーション豊富だし(高瀬茶っていう県内産の銘茶を推してるのが好感度高い。季節のショートケーキはいつ行っても最高)、店員さんが適度に放っておいてくれるし、他のお客さんもそんな多くないしで、心地よく長居できる良いお店です。
味 | 内装 | 長居できる度 | お手頃に高級感を味わえる度 |
☆☆☆ | ☆☆☆ | ☆☆☆ | ☆☆☆ |
高松の商店街にある老舗和菓子屋「くつわ堂」総本店の2階には喫茶室があり、前々から存在は知ってたんだけど行ったことはなかった。なぜかといえば和菓子屋なのに表に出てるメニューがコーヒーやショートケーキというありふれたものだったからで、わざわざ行くこともないかなー、とも思ってたのだが、前増田のブコメで絶賛してる人がいたので、じゃあ1回くらいは行ってみるかと思って行ったところ内装が高級感あって最高だった。和菓子屋の上層階にこんな建物が隠れていようとは……一生の不覚……!
さらに名物のサバヨンクリームが美味。全然聞いたことない言葉だったからググったら2番目にこのお店の紹介が出てきて笑った。卵黄を使ったクリームらしく、絶品。この雰囲気とこのお味にしては庶民的なお値段なので地元民の客足が絶えない良い喫茶室だと思う。もっと早くチャレンジしておくべきだった……!
上に書いたのはあくまで「居住者目線」なので、長居できるかとかそういうのが基準になってるけど、旅行者目線(物珍しいものが見られる/食べられるか)でいうなら、
になるだろうか。
あとは粟島にもいくつか良さげな喫茶店があるっぽいんだけど、まだ「あわろは食堂」(夏にしか営業してない。限定パフェウマー)以外は行けてないんよな。きちんと訪れたい。小豆島は土庄町の中心部をちょっと回っただけで、喫茶店の開拓とかはできなかった。残念。喫茶店ではまったくないけど、長尾寺のおはぎは美味しかった。あ、瓦町フラッグにあるジュンク堂書店高松店に併設されてるブックカフェもよく行きます。でも池袋とかにあるのとなんも変わらんからなぁ……あのお店は無料でコーヒー飲めるからいいよね!(いい加減電子書籍にしろ)
Bean’s Cafe(高松市)を忘れてた。駅でちょっと休みたいときに良い立地。ケーキや季節のスイーツが充実しているので、季節ごとに違った味を楽しめる良いお店だと思います(ただ、うーん、たまに店員さんがポカミスをすることがあり、うっかり本をテーブルに置けない雰囲気がありますね)。近くに立ち食い寿司屋もあって、そっちもリーズナブルで美味しい。カフェ ポーズ(さぬき市)はなんか隠れ家的な魅力がある割に新しい店なので設備が充実していて、そしてもちろんスイーツが美味しい。抹茶プレート最高でした。
皇帝(高松市)を勧めてくれるブコメがあるけど、喫煙可なので行ったことないんや。すまんな(喫煙可な店を作る権利は擁護するし、規制を厳しくするのは賛成できないけど、それはそれとして自分では通わない、というスタンス)。
ぶどうの木(高松市)URL: https://www.budounoki-sanuki.com/は、香川の伝統的な雑煮を味わえるという意味ではすごい良いお店なので、旅行者にはオススメ。ただ、店の構造的にまったく長居できる雰囲気がないのでここには含めてない(ここで挙げた「長居できる度」が☆のお店より更に長居できそうにない)。小ぢんまりとした落ち着いた雰囲気の良いお店なので、旅行で行く分には良いと思います。
Shika(高松市)、スタート(綾川町)、名物かまど 総本店(坂出市)、umie(高松市)、gaouv rabari(観音寺市)、ワールド(土庄町)はどれも行ったことなかった! 教えてくれてありがとう! 実は『からかい上手の高木さん』の聖地巡礼で近くまで行ったんだけど、ワールドを見逃していたのは痛恨の極み……!
人生、宇宙、そしてすべての意味とは何か?「銀河ヒッチハイク ガイド」では、答えは 42となっている。
科学の質問の範囲は、一部の分野では縮小し、他の分野では急増した。
宇宙がある意味数学的であるという考えは、少なくとも古代ギリシャのピタゴラス派にまで遡り、物理学者や哲学者の間で何世紀にもわたる議論を生み出してきた。
マックス・テグマークはこの考えを極限まで推し進め、宇宙は単に数学によって記述されるのではなく、数学自体であると主張している。
この議論の基礎は、人間とは独立した外部の物理的現実が存在するという仮定である。
これはそれほど物議を醸すものではない。物理学者の大多数はこの長年の考えを支持していると思うが、まだ議論されている。
形而上学的独我論者はそれをきっぱり拒否し、量子力学のいわゆるコペンハーゲン解釈の支持者は、観察のない現実は存在しないという理由でそれを拒否するかもしれない。
外部現実が存在すると仮定すると、物理理論はそれがどのように機能するかを説明することを目的としている。
一般相対性理論や量子力学など、最も成功した理論は、この現実の一部、たとえば重力や素粒子の挙動のみを説明している。
対照的に、理論物理学の聖杯はすべての理論、つまり現実の完全な記述である。
現実が人間とは独立して存在すると仮定する場合、記述が完全であるためには、人間の概念をまったく理解していない、人間以外の存在、つまりエイリアンやスーパーコンピューターなどに従って、現実が明確に定義されていなければならない。
言い換えれば、そのような記述は、「粒子」、「観察」、またはその他の英語の単語のような人間の負担を排除した形で表現可能でなければならない。
対照的に、教えられてきたすべての物理理論には 2 つの要素がある。
それは数式と、その方程式が私たちが観察し直観的に理解しているものとどのように関連しているかを説明する言葉である。
理論の結果を導き出すとき、陽子、分子、星などの新しい概念を導入するが、それは便利だからである。
原理的には、このようなバゲッジがなくてもすべてを計算できる。
たとえば、十分に強力なスーパーコンピューターは、何が起こっているかを人間の言葉で解釈することなく、宇宙の状態が時間の経過とともにどのように進化するかを計算できる。
もしそうなら、外部現実における物体とそれらの間の関係のそのような記述は完全に抽象的でなければならず、あらゆる言葉や記号は何の事前の意味も持たない単なるラベルにならざるを得ない。
代わりに、これらのエンティティの唯一のプロパティは、エンティティ間の関係によって具体化されるものになる。
ここで数学が登場する。
現代数学は、純粋に抽象的な方法で定義できる構造の正式な研究である。つまり、数学的構造を発明するのではなく、それらを発見し、それらを記述するための表記法を発明するだけである。
人間から独立した外部の現実を信じるなら、テグマークが数学的宇宙仮説と呼ぶもの、つまり物理的現実は数学的構造であるということも信じなければならない。
そのオブジェクトは、十二面体よりも精巧で、おそらくカラビ・ヤウ多様体、テンソル束、ヒルベルト空間などの恐ろしい名前のオブジェクトよりも複雑である。
世界のすべてのものは、あなたも含めて純粋に数学的であるはずだ。
それが本当であれば、万物の理論は純粋に抽象的で数学的でなければならない。
理論がどのようなものになるかはまだわからないが、素粒子物理学と宇宙論は、これまでに行われたすべての測定が、少なくとも原理的には、数ページに収まり、わずか 32 個の未説明の数値定数を含む方程式で説明できる段階に達している。
したがって、すべての正しい理論は、T シャツに書ける程度の方程式で説明できるほど単純であることが判明する可能性さえある。
しかし、数学的宇宙仮説が正しいかどうかを議論する前に、外部の物理的現実を見る 2 つの方法を区別することができる。
1 つは、上空から風景を観察する鳥のような、数学的構造を研究する物理学者の外側の概要。
もう一つは、鳥によって見渡される風景の中に住むカエルのように、構造によって記述される世界に住む観察者の内面の視点。
これら 2 つの視点を関連付ける際の 1 つの問題は時間に関係する。
数学的構造は、定義上、空間と時間の外側に存在する抽象的で不変の存在である。
宇宙の歴史を映画に例えると、その構造は 1 コマではなく DVD 全体に相当する。
したがって、鳥の視点から見ると、4 次元時空内を移動する物体の軌跡は、スパゲッティのもつれに似ている。
カエルには一定の速度で動く何かが見えますが、鳥には調理されていないスパゲッティのまっすぐな束が見える。
カエルが地球の周りを回る月を見ると、鳥は絡み合った2本のスパゲッティが見える。
カエルにとって、世界はニュートンの運動と重力の法則によって記述される。
2 つの視点を関連付ける際のさらなる微妙な点には、観察者がどのようにして純粋に数学的になることができるかを説明することが含まれる。
この例では、カエル自体は厚いパスタの束で構成されている必要がある。
その非常に複雑な構造は、おなじみの自己認識の感覚を引き起こす方法で情報を保存および処理する粒子に対応している。
まず、自然界ではさらなる数学的規則性がまだ発見されていないことが予測される。
ガリレオが数学的宇宙の考えを広めて以来、素粒子の小宇宙と初期宇宙の大宇宙における驚くべき数学的秩序を捉える素粒子物理学の標準モデルなど、その系譜に沿った発見が着実に進歩してきた。
長年にわたって多くのタイプの「多元世界」が提案されてきましたが、それらを 4 つのレベルの階層に分類することが役立つ。
最初の 3 つのレベルは、同じ数学的構造内の非通信の並行世界に対応します。レベル I は単に、光がまだ到達していない遠い領域を意味する。
レベル II は、介在する宇宙の宇宙論的膨張により永遠に到達できない領域をカバーする。
レベル III は「多世界」と呼ばれることが多く、特定の量子事象中に宇宙が「分裂」する可能性がある、量子力学のいわゆるヒルベルト空間の非通信部分が含まれる。
レベル IV は、根本的に異なる物理法則を持つ可能性がある、異なる数学的構造の並行世界を指す。
現在の最良の推定では、膨大な量の情報、おそらく Googolビットを使用して、観測可能な宇宙に対するカエルの視点を、すべての星や砂粒の位置に至るまで完全に記述する。
ほとんどの物理学者は、これよりもはるかに単純で、T シャツには収まらないとしても、本に収まる程度のビット数で特定できるすべての理論を望んでいる。
数学的宇宙仮説は、そのような単純な理論が多元宇宙を予測するに違いないことを示唆している。
なぜなら、この理論は定義上、現実の完全な記述であるからである。
宇宙を完全に特定するのに十分なビットが不足している場合、星や砂粒などの考えられるすべての組み合わせを記述しなければならない。
そのため、宇宙を記述する追加のビットは単にエンコードするだけである。
多世界の電話番号のように、私たちがどの宇宙にいるのか。このように、複数の宇宙を記述することは、単一の宇宙を記述するよりも簡単になる可能性がある。
極限まで突き詰めると、数学的宇宙仮説はレベル IV の多元宇宙を意味し、その中に他のすべてのレベルが含まれる。
宇宙である特定の数学的構造があり、その特性が物理法則に対応している場合、異なる特性を持つそれぞれの数学的構造は、異なる法則を持つ独自の宇宙である。
実際、数学的構造は「作成」されるものではなく、「どこか」に存在するものではなく、ただ存在するだけであるため、レベル IV の多元宇宙は必須である。
スティーヴン・ホーキング博士はかつてこう尋ねた。
「方程式に火を吹き込み、それらが記述できる宇宙を作り出すものは何でしょうか?」
数学的宇宙の場合、重要なのは数学的構造が宇宙を記述することではなく、それが宇宙であるということであるため、火を噴く必要はない。
レベル IV の多元宇宙の存在は、物理学者のジョン・ウィーラーが強調した混乱する疑問にも答える。
たとえ宇宙を完全に記述する方程式が見つかったとしても、なぜ他の方程式ではなく、これらの特定の方程式が使われるのか?
他の方程式が並行宇宙を支配しており、観察者をサポートできる数学的構造の分布を考慮すると、統計的に可能性が高いため、宇宙にはこれらの特定の方程式があるということだ。
並行世界が科学の範囲内なのか、それとも単なる推測に過ぎないのかを問うことは重要である。
並行宇宙はそれ自体が理論ではなく、特定の理論によってなされた予測である。
理論が反証可能であるためには、そのすべての予測を観察および検証できる必要はなく、少なくともそのうちの 1 つだけを検証できれば十分である。
たとえば、一般相対性理論は、重力レンズなど、私たちが観察できる多くのことを予測することに成功しているため、ブラックホールの内部構造など、私たちが観察できないことについての予測も真剣に受け止めている。
多くの並行宇宙に存在するのであれば、我々は典型的な宇宙にいると予想されるはずです。
ある量、たとえば、この量が定義されている多元宇宙の一部の典型的な観測者によって測定された暗黒エネルギー密度や空間の次元の確率分布を計算することに成功したと仮定する。
この分布により、我々自身の宇宙で測定された値が非常に非典型的なものになることが判明した場合、多宇宙、したがって数学的宇宙仮説が除外されることになる。
生命の要件を理解するまでにはまだ程遠いが、暗黒物質、暗黒エネルギー、ニュートリノに関して私たちの宇宙がどの程度典型的であるかを評価することで、多元宇宙の予測のテストを始めることができる。
なぜなら、これらの物質は銀河形成など、よりよく理解されているプロセスにのみ影響を与えるからである。
これらの物質の存在量は、多元宇宙のランダムな銀河から測定されるものとかなり典型的なものであると測定されている。
しかし、より正確な計算と測定では、そのような多元宇宙は依然として除外される可能性がある。
おそらく最も説得力のある反対意見は、直感に反して不安を感じるということである。
数学的宇宙仮説が真実であれば、科学にとって素晴らしいニュースであり、物理学と数学の洗練された統合により、深い現実を理解できるようになる可能性がある。
実際、多元宇宙をもつ数学的宇宙は、期待できるすべての理論の中で最良のものであるかもしれない。
なぜなら、規則性を明らかにし、定量的な予測を行うという科学的探求から現実のいかなる側面も立ち入れないことを意味するからである。
どの特定の数式が現実のすべてを記述するのかという問題は見当違いであるとして放棄し、その代わりに、鳥の視点からカエルの宇宙観、つまり観察をどのように計算するかを問うことになる。
それは、宇宙の真の構造を明らかにしたかどうかを決定し、数学的宇宙のどの隅が私たちの故郷であるかを理解するのに役立つ。
東京のカスヤローどもが、「アテクシ、美術館とライヴのない生活は無理でしてよ!」とか抜かしてんのを見ると、なんかスゲ〜ムカつくので、じゃあ家の周りに美術館がねえこの俺が、キサマより美術や音楽に詳しくなったるわ!という気持ちをもってのことです
やり方については詳述しねえ
詳しくは言えねえけど、ある海外人気の高い大型SNS(って言ったらもう分かりそうだけど…)で、美術とか食とか旅行とか写真みたいな、そういう徳の高いコミュニティ(5chでいうところの板みたいなものがメインのSNSなので、タイムラインを個人ではなくジャンルで作ることになる)をまとめたフィードを作って、それを毎日みる
カザフスタンの旅行写真とか、デトロイトスタイル・ピザとか、マックスフィールド・パリッシュの絵とか、Coq au vinっつうカッコいい上にうまそうなフランス料理とか、そういうものの知識が毎日流し込まれる
マックスフィールド・パリッシュの絵なんか、実際結構気に入った 名前を覚えるくらいに気に入った
冬の風景画の、明朝の深い青色の空の感じが非常に「わかる」感じで、大変よろしい
こういう風景、実際に目にして感動して、あとで見返そうと思って写真にとっても、ぜんぜん感動を切り取れないんだよな
絵で味わえるのはホントにありがてえ
今日見た中だと、秘密ですよ、Alex Colvilleという人のPacificって絵、これがマジで超カッコよかった
オーシャンビューの、開放的で生活感のない部屋で、上半身裸の男が気だるげに海を見ている、のを後ろから見ているって絵なんだけど、なんといっても手前の机にぽつんと置かれた拳銃が目を惹く
この銃はなんなのか、既に使われたのか、これから使うのか?男は何者なのか?何を思っているのか?
男の方から上がフレームアウトしていて、表情なんかがまったく伺えないのもシブい
この絵にインスピレーションを受けた映画があるっていうのも頷ける話だ これはカッコいいよ
いい絵を見ましたねえ!
実際、旅先で美術館行っても、あーこれモネなんだあ、モネって誰だっけ?マネと関係あるんだっけ?とか思って、ただ見たって事実に満足してしまって、画家のこととか個別の絵のエピソードなんて全然覚えないことが多い
まあそれはそれで贅沢なことで、非常に文化的であることは否定できねえが、しかし、東京野郎がそうしている間に俺は俺の組み上げた電子美術館で文化資本を積み上げていくぞ
そんで、東京から来たんスよ、とのたまう野郎のTシャツを見て言うんですよ、「あれ?この絵ってコルヴィルの"パシフィック"じゃないですか!カッコいいですよねえ」とかってさあ!「えっ…ああ、このシャツですか?へー…そんな名前の絵なんだ、気にしてなかった」「あら、そうなんですか?残念、マイケル・マン監督がお好きだったりするのかなと思ったんですけど!」
ウゼー 書いてて嫌になってきた
こんな瞬間は訪れなくていいんだけど、しかし、カードとして切れるものが増えるのは嬉しい
カードとして切るっつうのはなにもマウントを取るだけのことじゃねえ 適当に行った美術館で偶然見かけた絵の青色に見覚えがあって、これはパリッシュ・ブルーなんじゃねえの?!と思って作者名を見たら実際にそうで、ヨッシャ〜とか小声で言って、だれに共有するでもなく、ただマスクの下でニヤつきながら観光を続行、そういう瞬間に俺のもつカードは確かに切られているということになる
・ワイは、ひょっとして
心がせめぎ合ってる
・途中までは混じり気なく本当に面白かった
魅せてくれるアクション、
少し引き込み力は弱くなった
城潜入回でスタッフが楽しんでるのは、
よく、伝わってきた
・明美ターン、大体全てとてもいい
これは偉大になれる女性や
柔よく剛を制して女傑になってくれ…
もし続編があったら旦那と睦まじいとこ
もっとみてえ
・関の 気持も わかる
親こころ…
・泰造と明美の濡れ場しながら決闘やり返すのよの口上シーン、「少年漫画のライバル関係は少女漫画の恋愛と同じ論」の核を視覚的に伝えてきてくれて助かる
・水と泰造のドキッなシーンを…もっと…いやでもこれくらいがいい…いやもっと…いやでも…
「男性と男装した女性」のもだもだは女性バレしたらもう無いと思うとぼくは…ぼくは…
・登場人物のハンディキャップ率高いけどポリコレ臭く感じなかった
・海外の何百年も前を舞台にしたこんな大規模な話を作れるスタッフすごすぎ
時代劇無知勢だからだけど江戸城をここまで広範囲に舞台移動する映像初めて見た
・(クリフハンガーで終わったが多分…続編は…
でももし作られたら見させて頂きたい…)
アニメから入ったけど、見ていてこの感じが実に居心地が良い作品…
「葬送」ってそういう意味かって考えさせられて味わい深い
SNSに流れる情報だけで異世界日常系かと思ってたから暇な時に後でまとめてみようと思ったけどリアルタイムで見ても良さそう
主人公の冷めてるけど沁みる演技も良い
旅の雰囲気も良い
1970,80年代生まれの人間が娯楽として消費していた、安倍政権下における日本の政治風景
批判「2だろアホか」
「アホとか言った時点で聞く気なくすよ?」 (口調警察)
「"2だろ"とかじゃなくて、対案出したら??」 (対案カルト)
「批判してる人は単に叩きたいだけに見える、批判だめ!」(やさしいせかい)
「少数糞野党が何言っても与党を支持せざるをえないんだよなぁ…!」(ゲハ対立モード)
「多数決で選ばれた総理に向かって批難ばかりするのは反・民主主義的な行為だ!」(政治教育の失敗)
「一方的なレッテル貼りにウンザリ…! 5-1だって3ですよ?議論は冷静中立に」→ 何か賢そうな為10万RT
「【悲報】"2"を主張してしまった極端な人達の意見がこちらwww」 ← 大手まとめ世論誘導
「【拡散】"2"を主張する人たち、やっぱり○国人だった!【陰謀】」 ← 検索のヘイト汚染
総理「あのですね野次はやめてくださいよw内閣支持率はまさに2より高いんですからw」←?
まとめサイト 「【堂々論破】"1+1=2"派、完全沈黙!やっぱり正論だった!」
バラエティ 「与党がどうこうより野党の体たらくもどーなんですかね?」「もう、野党はしっかりして!」
ネット知識人 「そもそも騒ぐ事自体不毛であって自分は決して"3"とは思わないにせよ野党は支持できない」
官房長官 「野党は反対ありきではなく、"1+1=3"を前提にした上で建設的意見を…はい次」
批判「」
野党「」
まとめサイト「【与党】野党、正論に沈黙してしまう!!【勝利】」
ちなみに、
猫は日本で幸せに生活しています。彼女は私の家族の一員であり、毎日の生活に楽しさと活気をもたらしています。彼女は快適なベッドで寝ており、美味しい日本のキャットフードで満腹になります。また、彼女は日本の庭で遊んだり、魚の形をしたおもちゃで遊んだりすることを楽しんでいます。猫は日本の文化や習慣にも触れ、和室でくつろいでいます。彼女は私たちの生活に癒しと楽しみをもたらしており、日本の風景や季節の変化を一緒に楽しむことができる、忠実な仲間として私たちの一部です。.bkdi9v.c3s
なんでスチムーに書かないのかって?顕名で残したくないからだよ!
さっそくいってみよう!
おすすめできるか?→今はまて。いろいろ不具合やゲームバランスの問題があってある程度以上発展させることが難しい。半年後なら安心して楽しめるかも。正直今は先行レビューくらいのクオリティ
もともと都市シミュレーション系のゲームが好きで楽しみにしていたので俺は楽しむことができた
できる都市もディテールに凝っていて、車からの景色を眺めると田舎から都市へシームレスに風景が変わっていきおおーってなる。俺はわざわざOBSで録画しちゃったもんね
達成レベル最高のメガロポリスに到達するまでのプレイ時間はだいたい100時間くらい。メガロポリス到達時点の人口は30万人くらい。日本の政令指定都市が50万人以上だからメガロポリスという名称には少し違和感がある
道路と線路が引き放題、曲げ放題→CSの魅力といったらこれでしょうと思う。時々日本の高速の複雑なジャンクションのことが話題になるけど、あれに勝るとも劣らないキチガイジャンクションが作り放題ですよ。俺は絶対住みたくない笑
不具合さえなければ永遠に遊べる盆栽ゲー→今作はいろいろ不具合があって成長に限界があるけど、それさえなければ永遠に手を入れることができる盆栽ゲー。ヌルっと遊びたいエンジョイ勢から細部にこだわるみなさんまで時間が無限に溶ける。渋滞対策とかはこれの極みで、丁寧に丁寧に遅さの原因を取り除いてスムーズに流すことができる快感を覚えると時間が無限に溶けていく。俺みたいなマイルドアスペ過集中ガイに与えると寝食を忘れてやる。これ老人ホームに入れたら老人が幸せのままにポックリ逝くんじゃないか
Clipperが使えない→Clipperってのはゲーム内のTwitterみたいなSNSなんだけどこれが全く意味がない。住民が一部でも不満をもったらバカバカ投稿されるので、ある程度都市が大きくなるといちいち聞いてらんないとなって最終的には表示をオフにしてしまう
ラジオが英語→ゲーム内にラジオがあって、交通事故や停電があるとしゃべってくれるんだけど英語なので日本人にはきつい。BGMのように音楽も流してくれるんだけど、数曲しかないので結局これもオフにしてしまう
小学校と公園が大量にできる→就学率の向上と住民の満足度を向上させるために異様に小学校と公園を建設することになる。1つの小学校あたりの定員が1500人で、いやもうちょっといけるだろという日本人の感覚から少しズレがある。ほんと1つの通りに1個小学校と3つの公園があるような感じになってゲームバランス的にこれはどうなん
カメラ機能がイマイチ→機能がやたら複雑でスクリーンショット1枚取るのに一苦労。俺は断念してOBSでやったw
車の方向転換がイマイチ→CS1からだけど、車の方向転換や車線変更が意味不明におおげさ。で後続の車がつまってあっというまに渋滞発生。高速道路で4レーンまたぎ車線変更とかバックして切り返しとかしないでしょっていう
公共交通のツールがイマイチ→1つの道路に複数の路線が走っていると路線を選択するのがわかりずらい。いったん作った路線に停留所を加えるとルーティングがおかしなことになることがある。路線から停留所を削除することができない。変更の反映にタイムラグがあり、変更結果を確認しようとして実車ビューにしているとその車や電車が突然消えたりする(その後車庫から新たに生成されて出てくる)
もうボロボロ出てきてるんだけど気を長くして修正を待とうというか俺は待つ
パフォーマンスの問題→これはいろいろな人が書いているので割愛。開発元も最優先で取り組んでるので現状待つしかない
住民が異様にゴミを捨てる→プレイエリアの20%程度をゴミ捨て場が専有するようになって夢の島もびっくりのゴミだらけ都市ができあがる。これおかしいだろという指摘がある
https://steamcommunity.com/app/949230/discussions/0/3937895474112080034/
郵便処理施設のバグ→郵便局の上位施設に郵便振り分け施設というのがあるが、それがまともに機能しないので郵便が貯まりまくる。で、郵便がうまく動いていないと住民の満足度がバカ落ちして都市から住民が逃げていく。最終的に発展が不可能になる。お前らそんなに郵便好きかよメールでいいだろうが
https://steamcommunity.com/app/949230/discussions/0/3877095833479248137/
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私は神戸で生まれて育ちました。昔は裏六甲の北区で、今は海側の住宅街に住んでいます。
他の街は分からないけど、神戸は海も山も都会も田舎もあるいいところだと思っています。
子供のころはよく洋裁が得意な祖母が作ってくれたワンピースを着て、祖父に連れられて王子動物園と須磨海浜水族園に連れて行ってもらいました。
この夏は本当に暑くて、灘湾にもくもく立っている入道雲が憎たらしかったです。
神戸都市部の排熱が、全部六甲山から吹く風に淡路島の方まで流されて、雨雲になります。
こないだ、三宮でコーヒーと紅茶を買って、南京町で老祥記の豚まんを買いました。
山か海が見えると方角がわかるのですが、ビルに囲まれてしまうとたいてい、南北逆になってしまっています。どこにいても山が見えたらなあ。
湊川商店街は学生の頃と変わらずにぎやかで元気があります。湊川公園の、ちょっと怖い通路も実は好きです。
ずーっと下って新開地まで歩くと、西方面に大開通という道があって、とても懐かしかったです。高校生の時の通学路でした。
別の日。山に行きたくなって北区に行きました。
といっても地下鉄一本抜けたとこ周辺です。六甲山と丹生山系に挟まれた地域です。大切な風景です。
空が高くて、藁葺の屋根と田んぼの彼岸花を見ているとギューッとした気分になります。水路には赤とんぼがいました。
別の日。川に行きたいと思ったので住吉川を歩くことにしました。この川は地域の人達の協力もあってとてもきれいな川です。カモとかサギとかがのんびりしています。夏は子供さんが水遊びしてます。
別の日。山歩きがしたくなったので、少しだけ六甲山に入りました。新神戸駅の横から入ったけど、運動不足が祟って1つ目の滝をみてギブアップです。また、登りに来るねえ。
その日はフロインドリーブの焼き菓子を買ってバスで帰りました。
別の日。山に行ったら次は海!と思っていたので、海へ一目散。着いたのは六甲アイランドのマリンパーク。久しぶりに動いているガントリークレーンを見ました。子供のころはこれをキリンと思っていました。
阪神淡路大震災で、港は随分元気をなくしてしまったけど、まったく機能しなかった時からすれば、よく動いてくれてるなあと思うんです。
この日は帰るのが少しめんどくさくて、石段に座ってボーっと夕日が落ちていくのを見てました。
その日の夕飯は、スーパーで買ってきたコロッケと、作りおきの切り干し大根、卵のお味噌汁にしました。
お風呂に入っていると、夜、ボーーーーッという大きな汽笛の音が聞こえます。
昔祖父母の家に泊まった時も聞こえました。
別の日。買い物でハーバーランドへ行きました。神戸駅は東海道線の西終着駅です。大阪の梅田が終着駅だと思ってる人がいるんだとか。
それにしてもまた海です。ここはできた時からガラッと変わった部分が大きくて、まだ慣れません。
「かつてデートで来ていた二人がファミリーになってもう一度来る場所に」という感じのコンセプトでリニューアルしたそうですよ。
私、大きなモールの西側入口にあるディンドンというからくりが子どもの頃から大好きで、うっかり立ち止まってしまうとずーっと眺めてます。
ホールの東出入り口の近くに、モザイクに行くためのエスカレーターがあります。このエスカレーターは途中で平らになるんですよ。私のお気に入りです。
買い物を済ませて高浜岸壁に行くと、大きな船が入ってきていました。コンチェルトだったでしょうか。
夜は花火が上がるとのことだったので、混雑に巻き込まれないよう、早めに帰りました。
別の日。友達が来ることになったので、自分でパウンドケーキを焼きましたが、いまいち地味に仕上がってしまったので、急遽ケーキを買いに出ました。
日が落ちると友達が「今から夜景見に行かへん?!」というので、車に乗せてもらって、六甲山から夜景を見ました。お車代は断られたから、作ったパウンドケーキの半分をお渡ししました。
別の日。旦那と喧嘩しました。些細なことです。お箸たてにお箸をさすとき、どっちを上にするかで喧嘩しました。
現実逃避したくて、ずーっと部屋で犬を飼う構想を練っていました。朝起きるのが苦手な自分のことは棚に上げました。
犬がいたら、一緒に色んなところに行けそうなのになあ。
別の日。異国の寺院が見たくなって北野へ行きました。最初に頑張って北野神社に参りました。階段でいきなり足ガタガタです。
北野にはイスラム教寺院があります。とてもきれいな建物ですが、いまいちきれいに撮れるポイントがないです。でもここのモスクは日本で一番古いモスクなんですよ。
ジャイナ教の寺院があるのは日本でここだけです。どうしたらいいのか分からない度がすごいです。
輸入食品店でハルヴァという中東のおかしを買って、ちょっと西にそれながら坂を下って栄光教会を見上げました。この教会は阪神淡路大震災で崩れた煉瓦をもう一度組み立てて再建したという根性エピソードがすきです。
生田さんにお参りして終わりです。日本の神様は、他の神様にも参ったことを褒めてくれたらいいなあ。
この日は早めに帰って旦那と家で食事をしました。鶏モモを照り焼きにしたやつと、スーパーの高野豆腐と、トマトサラダと、卵の味噌汁です。
旦那の出身は神戸ではないので、こっそり、早く神戸好きにならんかなあと思っています。無理強いはできないけどね。
嫌な事件も多いし、どないなっとんねん!と思うこともあるけど、まあまあのどかで楽しいですよ。
ここまで読んでくれた人に、平和さが伝わってたら嬉しいです。
いろんな反応やコメントがあって嬉しいです。ありがとう。夜中に日記を読み返しながら書いたものなので、恥ずかしいはずかしい。
今日はいい天気なのもあって、嬉しかったし、なんとなくレスしたい気分なので、レスさせてください。
・固有名詞全部わかる~の人
→ありがとう。摩耶埠頭は私も好きです。県美のりんごには一人ではたどり着けません。なぎさちゃんもです。
・住んでたから分かる~の人
→ありがとう。住んでると身近なものばかり書いてしまいました。
・箸立て~の人のひとたち
→お箸の先が底になったら底の汚れが先に付きますよね。でも上にしてたら空気中の汚れが付きますよね。
そんな感じです。蓋付きのお箸立てを買えばいいことに気づきました。先端恐怖症ではないんですよ。
→怖い人とは関わりたくないなあと思いながら暮らしています。中学校は遠い昔の話ですけど、全員坊主はアカンかったなあと思います。関西弁、ごめんねえ。他地域の人にわかりやすく話したいとは思ってるんですよ。
・センタープラザ~の人
→カード屋も多いけど、最近はガチャガチャコーナーも増えてますね。うっかりすると小銭すぐなくなっちゃう。
シャッター、寂しいです。昔はもっと中古CDとか古本とかの店が多かったですね。
・イノシシの人
→ありがとう。夜道で遭遇すると「あれ?犬?」ってなります。うりぼうは可愛いけど近づきません。油断大敵です。
たまに小さい川の方に降りてきててカモと一緒にいると、鍋コンビやなあと思ってます。
・長田に行って~の人たち
→悲しい気持ちになるのは嫌だけど、切ない気持ちにはなります。シューズプラザの赤い大きなハイヒールを高校生の時に見て、もっと子供だったらすべり台にしてそう、と思ってました。
靴の青空市場で、一袋靴詰め放題1000円!というのがあって、さすがケミカルシューズの町!って思いました。
歌は謎だけどそばめし美味しいよね。長田は美味しいお好み焼き屋さんも多いんですよ。
・良い街なんだけど~の人
→ごめんなさい。そういう話し方をしたいわけではないんですけど、兵庫の言葉は押しというか、圧が強いみたいです。
敵意も悪意もないんです。私が話すのは神戸弁ですが、怖がらせてたら申し訳ないです。
・生まれ育った街が~の人
→いろんな街に住んで、それぞれの魅力が知れるのは、嫌だなと思う経験があったからかもしれませんね。
死ぬほど羨ましいと思ってくれるのはちょっと鼻が高いけど、でも死なないでください。いつか神戸に遊びに来てください。
・移住者だけど~の人
→住んでこそ楽しい街、本当にそうです。移住してきた方に言われると嬉しくなってしまいます。嬉しいなあ。
一緒に神戸に骨を埋めましょう。でも時々、生まれた街のことも思い出してくださいね。
あまりこういう日記を書かないので読みづらかったらごめんなさい。
エスカレーター、間違ってた!いやー!はずかしい!
【16:55 再追記】
こんなつたない散文がホットエントリに入ってしまったようです。念のため身バレを防ぐためにいくつかの箇所をいじりました。
内容は若干虚実入り交じっているし、別の日なだけで、時系列は過去未来様々です。
ブコメで懐かしいと思ってくださる方、良い文章だと言ってくださる方、本当にありがとうございます。
あまり他の都市のことは書かないようにしたいですが、神戸は近くに京都や大阪という大きな都市がある分、そしてそれ以外にも周辺に魅力的なまちがたくさんある分、旅行で神戸だけに長く滞在してもらうにはむつかしいのかなと思います。
でも暮らしていると、まあまあ平凡でぼんやりできるとこですよ、ということが書きたくて日記を読み返しました。
書いてない区のこと(西、垂水、須磨などなど)もちゃんと神戸です。読み返した分の日記の中には偶々なかったり、書くと身バレの危険がある部分だったりしたので内容には入りませんでした。
名谷駅のタイルの壁がなくなったの、ちょっとさみしいですよね。でも地下鉄の駅前はどこもにぎやかになっててすごいですよ。
書いていたら本当にキリが無くなるのでこの辺で。
慣れない郊外の街で車を走らせていたせいか、すっかり道に迷ってしまった。行き止まりに車を停めて同乗者と運転を代わる。砂埃の舞う頭上を見上げると、夕闇を背景にハイウェイの高架がいくつも交差している。迷ったとはいえ、この場所を特定する手がかりがないわけではない。まずは世田谷区内であること。それから京王線と新幹線と高速道路が交差する場所であること。地図を調べればすぐに分かりそうだ。
一服しようと同乗者に煙草をもらって休んでいると、突然後ろから走ってきたトラックに追突され、車体はそのまま目の前の柵を突き破ってしまう。さらに数十メートルほど押し出され、鉱山の掘削地らしき場所に入ってようやく止まった。工事車両や運搬車両が無数に行き交い砂埃を舞いあげている。このままでは邪魔になってしまう。仕方なく一周して敷地の外に出ようとすると、同乗者が「こういうときは一言謝りに行くんだよ」と言って車を降りていってしまった。追突されたのはこちらの方なのだから謝りに行くもなにもないだろうと思いつつ、帰りを待っていると、どこからともなく職員らしき制服の男か現れ、一枚のパンフレットを手渡してきた。そこには「人工温泉掘削事業出資者公募要項」という文字とともに、未来的なユートピア都市の想像図が描かれている。どうやらここは空想都市建設の企業で、この場所はそのための実験施設かなにかであるらしい。
同乗者はいつまでも帰ってこない。かといってずっとこの場所に留まるわけにもいかない。仕方なく一人で引き返して出口を探す。辺りは駅の構内のような人混みで、とても車で走り回れる様子ではない。辛うじて改札口の片隅に「車両専用」と書かれた小さなエレベーターを見つけた。先ほどのトラックもここを通ってやって来たのだろうか。とにかくそのエレベーターに車を押し込んで一階のボタンを押す。一階のラベルには「カフェ野草」という店名が記されている。おそらく先に出た同乗者は隣にある人間用のエレベーターで降りていってしまったのだ。ここは三階、駆け下りれば追いつけるかもしれない。エレベーターのボタンから手を離すと同時に階段を探して走る。だがどこにも階段は見当たらない。ようやく見つけた玩具のようなプラスチックの階段は身ひとつがやっと通るだけの狭さで、しかも二階までしか通じていない。二階はショッピングモール。やはりどこにも階段がない。ここでも散々探し回ってようやく従業員用のバックヤードに下りの階段を見つけた。そこを駆け下りてゆくと例のカフェとやらの厨房らしき場所に辿り着いた。裏口のガラス戸をこじ開けてようやく外に出る。
打って変わって周囲には静かな田園の風景が広がっている。あれほど人波でごった返していたというのに、この閑散とした様子は何だろう。エレベーターの出口はどこだろうか。しばらく歩き回ってようやく納屋のような場所の奥に錆びた鉄扉を見つけた。同乗者は干し草の山に埋もれて待ちくたびれていた。車は取り出していないという。ということはまだエレベーターの中にあるはずだ。煤に汚れたボタンを押す。出てきたのはもう何年も放置していたかのような埃の積もった古びた車体だった。
テロリストが武器輸送に使っていた救急車をイスラエルが攻撃した件をはてサどもが叩いているけど、どう考えてもイスラエルは悪くないでしょ。
武器輸送に使ってた時点で軍事補給車両みたいなものなんだから被害を拡大しないために破壊する必要がある。
もし素通りさせてしまったら、その後その武器で何十人何百人ものイスラエル軍兵士が殺されてしまうんだよ。
100歩譲って、それでも救急車を攻撃するのはよくないという主張をのんだとしても、やっぱり悪いのは救急車を攻撃するしかない状況にさせたテロリストのほうだよね?
本来武器輸送に使ってはいけない救急車をルールを破って隠れ蓑にしたのはテロリストたちなのだから。
さらに言わせてもらうけど、はてサたちはイスラエル軍を野蛮だとかジェノサイドとか散々いうけど、そんなのは出鱈目の難癖でしかない。
これは今回救急車を攻撃した場所であるアル・シファ病院に滞在して取材してる記者のVlog風の動画。
前半に10月29日時点の病院周りの日常風景があって、後半に今回の攻撃直後に付近にいた記者の映像がある。
これを見ればわかるように今回の攻撃があった現場付近ではものすごくたくさんの人が避難生活を送っている。
これはイスラエル軍の攻撃の精確さと被害をできるだけ最小限に抑えようと努力していることの表れだよね。
断っておくと、ここはガザ地区の北部に位置していて、何週間も前から南部に逃げるようにとイスラエル軍が通告している場所。
そんなところに留まっているってことは、ちょっと言い方悪いけど、この人たちも半分テロリストみたいなものなわけで、きっとロシア軍だったら問答無用の絨毯爆撃で徹底的に破壊してるよ。
にもかかわらず、必要最小限の攻撃にとどめているイスラエル軍。大したものでしょ?
眼の見えない偏屈な琴の先生の話で、検校ってのは盲人の最上級の官名のことらしいので、主人公はわりとえらいおっさんなんだと思う
この柳のおっさんは全盲で、柳の一人称視点で進むから、この作品では視覚情報は描写されないんだよ
この風、草の香りすんなとか、この女生徒しとやかに戸を閉めたな(推測)とかそんな感じ
柳のおっさんは昔は目が見えていたらしく、子供の頃見た夏の風景を思い出しながら、今もそんな花が咲いてる季節なんかなみたいなこと柳は語るけど、実際に花咲いてるかどうかは読み手にもわかんないわけ
御付きの人に手引きされながらも自分の家と教え場の行き来をするから、「渡り廊下」とか「庭」とか「校門」とかの言葉は柳の語りには出てくるけど、そこがどんなところかという視覚情報は描写されない
もちろん先に述べたように聴覚、触覚、嗅覚などを介しての描写はあるけど、具体的にどんなところなのかはよくわからないんだよ
でも小説としてすらすらと読めてしまって、読者である自分にとって「渡り廊下」ってただの言葉でしかないんだよと自分で証明してしまったようで気落ちした
何も描写が無くても問題がないってことは、いつも小説の中の世界を想像せずに、場所や風景を読み飛ばしているということだろう
もっとこう『指輪物語』とか『はてしない物語』とか『死のロングウォーク』を読んでいた中学生の頃は一つ一つの情報に目を凝らして小説の中の世界や登場人物の顔を想像してどきどきしながらページをめくってなかったけか
NHKの20minという20分の短いドキュメンタリー番組の『見えない人の見る世界』の回で、とある全盲の女性が自分は脳内に偏見スタジオがあると言っていたことを思い出した
今いる場所が商店街と聞いて、周りの音や活気を感じて、自分の脳内の偏見スタジオにパーツを組み上げてどんな場所かを作り上げていくとのこと
両側の白線は掠れていて、敷かれているタイルはモスグリーンでみたいな想像風景を、同伴者の話や新たに出てきた情報で間違っている部分を修正し、偏見スタジオで組みなおしていくみたいに世界を見てるんだってさ
目の見える自分とは違うなとか、面白い話だなってドキュメンタリーを見た直後は思ってた
でも、『柳検校の小閑』を読んでから、小説を読むときだけは小さな情報から世界を予測して組み上げて修正してのスタジオが自分の脳内にもかつてあったよなと思った
先日先行上映が始まったシャニアニ
私は現行ミリオンライブを追っているミリPであるが、シャニマスも2年ほどかなりのめり込んでやっており、アイドル園田智代子と放課後クライマックスガールズというユニットを愛しているため、初日の朝8時、劇場へ視聴しに行った。
ここから数行は本筋とは関係ない私の感想であるため読み飛ばしてもらって構わない。
視聴した感想だが、今は半引退状態だがシャニマス熱を再燃させられる、そんな良いアニメだった。懸念していたCGも本編と劇場スクリーンで見る限り、さほど違和感なく見れ、アクションシーンやライブシーンなどダイナミックな動きも多く、見ごたえがあった。
よく比較対象に上げられるミリアニについてだが、2Dになるべく近づけようとする作風であるミリアニと、3Dの良さを生かしたシャニアニという感じでどちらが良いとは一概には言えず、好みによって別れる、そんな出来となっている。
原作を準拠したキャラデザに、人数を絞ったおかげか衣装差分も各キャラに複数あり、汗をかいた時や雨に濡れた時の髪の毛差分などモデルは凝っている印象だ。
だが横顔の描写が時々怪しいときがあり、観客モブのCGもザ・ポリピクといった感じであまり出来は良くない。しかし、それを含めてもCGアニメとしては中々高クオリティとなっている。特にライブシーンは各アイドルの個性が振り付けに現れており、音響も含めてかなり良かった。
ストーリーもシャニマス初期の空気感そのままを上手く表現しており、ゲームのイベントコミュに近い感触を受けた。
クスリとなるような細かい小ネタ(飲み物がシャニマスのスタミナ回復アイテムであるソーダになっていたり、千雪のダンボールから雑誌、”アプリコット”が出てきたり等)も多く、カードイラストの再現のようなカットや表情も複数あり、既存ファンからしたら憎い演出だろう。
ユニット単独回もそれぞれクオリティが高く、好印象。個人的にはMVの撮影やトークショーでの姿などライブ以外でのアイドルのお仕事風景をじっくり見ることができたのが嬉しかった。
また推しびいきではあるが、放課後クライマックスガールズ単独回である4話は特に良く、終盤のヒーローショー、ライブシーンでは思わず手を強く握ってしまった。
総じて、元シャニPである私からするとかなり満足度の高い作品であり、2章以降も行きたいと思うような作品であった。(感想ここまで)
ではタイトルにも描いた通りなぜ感想が賛否両論で両極端になるのか、それは”あまりにシャニマス初期のコミュの雰囲気をそのまま映像にしてしまった”のと”新規視聴者にはあまり優しくない内容だった”からだ。
まず前者に関して、そもそもシャニマスのシナリオが評価されだしたのは今回シャニアニに登場していないストレイライトやノクチル等の後発ユニットがゲームに登場し始めてからなのである。
飽くまで筆者がプレイしていた時に抱いた印象なので、話半分で聞いてほしいが、後発ユニットが登場するまでの一年間のコミュは後発ユニットが出てからの所謂”攻めた”内容の話でなく、かなりゆっくりアイドルの人間性や関係性を描写していくものだった。
後者の新規視聴者に優しくないという点にもつながるのだが、それからの個別コミュやイベントコミュをしっかり視聴している既存Pなら十分楽しめる内容ではある、が言ってしまうと少し冗長なのである。
後発ユニットも初期ユニットと同じ数に増え、再序盤から刺激が強いコミュを見てきた2年目以降のユニットが推しのPからしたら初期のゆったりとした雰囲気流れるコミュは少し物足りなさがあるだろう。
今のコミュを見て期待したら思ってたのと違うといった感じか、これが1、2年目に放送されたアニメだったらもう少し評価は変わっていたであろう。
そして後者に関して
感想にも書いた通りユニット個別回はクオリティが高く、ミリアニ7話、8話やアニエムのユニット個別回と遜色ない出来だと思っている。
ではなぜ新規視聴者に優しくないのか、それは各ユニット個別回が正確に言うとイベントコミュの”2話目”に該当する話だからだ。
もちろんそれ単体で話は成立しているものの、アルストロメリアの最初のお仕事、放課後クライマックスガールズの合宿などアニメ作中で語られるのみの”1話目”が意図的に抜かされている。
ではその”1話目”がどこにあるのか?既存Pならご存知だろうが、各ユニットのゲーム内最初のイベントコミュにそれが該当している。
なのでゲームをプレイしていない新規視聴者には存在している”1話目”が把握できておらず、評価が著しく下がってしまったのではないか、と考えている。
なぜこのような構成なのか?恐らくだが近々リリースされるであろうシャニマス初の音楽ゲームである”シャニソン”が関係していると思われる。
シャニソンのリリース日は1月あたり、それに対してシャニアニの放送日は来年の4月、3ヶ月の空きがある。
シャニソンで入った新規ユーザーはそれぞれ気に入ったユニットのイベントコミュ"1話目”を見て、それからシャニアニを見る。そういう流れを想定しているのではなかろうか。
またシャニアニからシャニソンに触れる新規ユーザーもそれぞれ各ユニットのイベントコミュ"1話目”を見ることができる。シャニソンがある前提の作品なのではないかと感じた。
そう考えると内容がシャニマス初期に近い雰囲気なのにも多少納得がいく。
長々と書いたがある程度前提知識がいる作品で且つ今と少し違う初期シャニマスを再現した雰囲気の作品なので感想が両極端になるのではないかと思った。
しかし、今回単独回がなかったイルミネーションスターズはイベントコミュ"1話目"になる話を幕間で描写しようとしているし、まだ全体の3分の1しか公開されていないので作品そのものに適性な評価を下すのは難しいと思われる。
2章以降の展開に期待したい。