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2024-06-26

anond:20240626133432

お盆に、親父と長野の親戚の家にいった。

伯父(高卒市議)も来ていた。



伯父「○○君も大学生か!小さい頃よくだっこしてやったんだぞ!がっはっはー」

俺 「覚えていますよ」

伯父「どこの大学に行っているんだ?」

俺 「東工大、あっ、東京工業大学です」

伯父「そうか、工業大か!高校時代遊びすぎたんだろ!でも浪人しなくてよかったな!」

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

親父「無言・・・(瞳が潤んでいた)」

伯父「おい、信大生こっちこい(息子の××を呼ぶ)」

「○○も大学生だ。○○と昔よく遊んだだろ!」



向こうでも大学の話をしていたらしい××が鼻高々でやってきた。

××「(馴れ馴れしく)○○、久しぶりー、元気!」

「あっ、叔父さん、こんにちは、俺、今年から大学生になりました。」

親父「そうか、大きくなったな」

××「信大に行っているんですよー(勝利者宣言)○○君はどこに行ったの?」

俺 「東工大w」



ニヤついている伯父を尻目に、一瞬にして××の顔色が変わった。

伯父「○○に勉強教えてやれよw」

××「(しばし、絶句・・・みっともないからやめてくれよ親父」

伯父「?」

動揺しまくりの××は伯父を速攻連れだした。

以後、伯父親子は、俺達のいるテーブルに加わらなかった。



久しぶりに無口な親父の晴れ晴れとした顔をみた。

帰り際、充血した目をした伯父と目があった。

2024-06-23

不登校から美大生になった

私は小学校低学年から不登校高校通信制に進学した。

通信制友達を作る気持ちもなく誰1人も友達はできなかったけど今はすごくいい選択をしたと思う

不登校勉強も全くできない人間だけど、小学生の頃想像していた自分よりも今居る場所が良いから今までのことを書いてみる。

小学校中学校ではずっと勉強もしていないし、何も分からない授業に参加されられて泣いたり

別室登校ができるようになったら次は教室に入ろうと言われて行かなくなるの繰り返し。



中学生になり、学校に通えるようになりたいと思い1週間わからない宿題もして毎日登校した

規律性調整障害になって学校には行かなくなった。


高校に入ってバイトを始めて、週3日10からシフトに入った

親の金銭的な束縛から抜けられ精神が安定して親の機嫌も良かった

私がレポートちゃんと出してちゃんバイトに行ってるかららしい


2年生から美大受験のための予備校に通い始め、バイトシフトは週3〜5ぐらい入った

予備校は楽しかったし、自由だった

授業中に眠すぎたら寝てもよくて、気持ちが楽で週2日1時間かけて通う予備校に一回も休まずに行けた


3年生はバイトを辞めて受験に身を入れて浪人生が通う昼間部に所属した

最初半年はすごく体力的にキツかった、寝付きにくくて薬を飲んで寝たり

寝不足になって体がずっと眠かったりして授業中に寝てどうにか毎日通う

スクーリングに行った時に体力がついたのか、お昼頃に充電切れになって寝るようなことがなくなり

朝起きれるようになった

数回電車吐き気と冷や汗の症状(おそらく規律性調整障害)が出たけどだいぶ付き合えるようになった。

受験直前にストレスで低音性突発性難聴になった、無理もできずストレス溜めると難聴になる

再発しやすく聴力は回復しないと聞いて絶望


浪人 受けた大学全て落ちたので浪人生活になった

だいぶ昼間部の生活に慣れたのでバイトを始めることにした、全く違う自分になりたくて周りが殆ど会社員というバイトを始めた

緩くて時給も高く土日祝日だけのバイトだったので休日はほぼ消え

社会人をすぐそばで見られて色々教えてもらえた。

冬にまた難聴再発×2 数ヶ月病院に通い続けた

受験当日も全く眠れなくて薬を飲んだけど眠れなくて睡眠時間3時間で受けに行った

受かった

通院はなくなった


私は自分ストレスを感知しづらくてすぐ体を壊すことを知り

体を慣らしながら少しずつやることを増やすことでだいぶいい方向に修正できた気がする。

起立性調節障害の症状は今でも出るけど、朝ごはんを必ず食べてちゃんと水分を取って外に出て

毎日同じ時間に起きて予備校に行く生活になってから生活リズムが整ってだいぶ良くなった

こんな風に体のことも全部には向き合わなくてはいけないけどほどほどに離れてみないと生きれないなと思います

私は美術世界の緩さが合っていたしすごく好きです、何もかもがこうであれとは思わないけどもう少し高望みしなければ楽かもしれません


追記

学費とかお金のことを書き忘れていたので書く

高校私立通信制高校で大体3年で40万

高2に通っていた週2日と夏期講習などの費用が大体50万

この時は画材費、交通費バイトから出していたので除外

高3と浪人

予備校の昼間部は大体1年で画材費、講習費込みで150万を2年

大学

私は受験頑張って国公立系なので年間100万

大体これぐらい出せないと美大受験を諦めることが多い、受験生や大学で関わった人の親の大抵は大企業サラリーマン自営業が半々ぐらい

たまに自分で稼いで全てを賄っている人がいる


私の家はサラリーマンの良い方(中の下)ぐらいの稼ぎで美大界隈ではかなりお金がない方、平均から見ると中の下

関東出身実家から大学に通える人でない限り

就職に有利な名前の売れている私立に進学できる人は大体親が自営業か、1000万円ぐらいの奨学金を借りてる

私も関東出身でもなく実家から大学に通える人ではなく

下宿費用学費画材私立に行くと

年300万以上かかるので私立受験しなかった

受験生の大半が浪人1年で受験から消える

エリートサラリーマンでもないただのサラリーマン家庭は大体1年までしかお金を工面できず受験できなくなる

私も1年までで諦めるつもりで受験して公立に受かって、名前を知られている大学なので美術界隈でなくとも就職できるかな

甘い考えだけど

美大受験学費高い問題は大体就職を考えると名前がある大学に入らないといけない

でもそのためには受験をしっかりしなくてはならず

早めに受験対策を始めたり、浪人するから予備校費用お金が飛んでいく、という所もあると思う

国公立大学の量も少なく競争率が高く、大学上層部と下層部の間がほぼないのも問題

中層部あったら私も浪人しなかった

受験とか美大について余計なこと書いた

ここまでお金を出してくれた親には感謝しているし、おそらく不登校心配をかけていたので頑張ってくれているのかなと

大体そもそも美大受験をできる時点で

ある程度親の稼ぎがあり、そこからお金を出してくれるという点で恵まれています


超絶金持ちでもないけど、親が頑張った分少しぬるま湯で頑張らせてもらっています

2024-06-21

練習生について

Twitterじゃつぶやきたくないしもうあんまなんも考えたくないか視聴者なんていなさそうな増田に失礼します。知ってる人しかからないように固有名詞はだしません。

悔しい。悔しいよ。彼女選択肯定したいし、素直に応援したいけど出来ない自分が悔しい。まだまだ未練たらたらでオーデ終わってから大学受験があって浪人したけどその間もずっとスマホ壁紙には彼女が微笑んでた。いつだって。悔しいときとか苦しいときとか、彼女のおかげで乗り越えられた。浪人決めたときだってそう。オーデでファイナルまで頑張ってた彼女を見て、自分もやろう。成し遂げよう。って思った。

水商売が悪いとかじゃなくて、自分が望んだ未来押し付けて、ファンダムとして彼女神聖視していた自分気持ち悪かった。そしてそういう選択肢とるに至った今までの炎上やら彼女の最大の魅力でもあった不安定さを鑑みて、すごく悲しかった。申し訳なかった。2日くらいずっと何もできなくて、予備校いる間もクヨクヨしてずっとTwitter見てた。大好きだから、置かれた場所で、というか彼女がいる場所では、常にずっと彼女が一番輝いていてほしい。少しずつ彼女について言及するツイート検索で引っかからなくなって、大手垢も少しずつ正規グル派生グル格差の麿をとりあげるだけに戻り始めて、現実をみられない私達ファンダムけがまだ彼女の話をして、見えるはずのないバックボーン想像して、ギリギリ精神を保っている。家庭環境なんてわかんないよ。多分みんなが言うような毒親じゃなくて、思ってるより普通で、少し厳格な家なんだろうと思う。もう下品考察とかはやめよう。

とりあえず彼女が傷つかなければ、嫌な思いをしなければ良い。ただとりあえず、なんでもいい、いつになっても良いから、どうか潰れないで夢を掴んでほしい。あなたは私の希望から。他の練習生がどれだけいい未来を勝ち取ったって、これからどんどん新しい練習生がでてきたって、私が感動したのは、泣くほど応援したのは、熱狂したのはあなただけです。もう花道だけを歩こうなんて私には言えないし、多分お店までは会いに行かないけど、応援してる気持ちは変わらないつもりです。自分勝手でごめんね。

2024-06-16

38歳年収550万円残業年1000時間弱全国転勤ありだと流石に婚活は難しい

職業欄は「公務員」だ。

安定施行の人とよくマッチするような気がするんだが、2年おきの全国転勤に加えて月80時間残業と聞くと「あっ、この人と子育ては無理だな」と去っていく。

単に自分人間として魅力がないだけな気はするが、マッチングが最後まで行かなかった理由の欄には人間的な部分よりもそういった空間時間的制約の部分についてのアンマッチを何度も指摘されている。

就職氷河期に晒されて面接は全滅。

当時まだ残っていた圧迫気味の面接風土に苦しめられた俺は、面接から逃げ出し公務員浪人の道を選んだ。

今更誤魔化しようのないガクチカと比べれば、レンタルルームに籠もってひたすら勉強すれば積み上がっていく一般教養知識には救いがあった。

あの時代であっても、理系なのに公務員になるという選択をするのは同じような負け犬だらけで、案外スルスルと受かってしまった。

からなければよかった。人生について考え直すチャンスがまだあったのに。今はそう思う。

2年転勤というのが曲者だった。

その職場ちゃんと状況を把握している人がほとんどいない。

ツギハギを繰り返した非公式の引き継ぎ(引き継ぎやマニュアル作成業務計画に入れられない(国民の益になる行為ではないから(でもなぜかレクリエーション計画で決まっているから必ず実施している)ので、あらゆるマニュアル非公式となる)と関連する法規比較してなんとかかんとか仕事をやっていく。

効率が悪い。現状なんて全くわからない所に放り込まれて、まともな引き継ぎ資料もないままで働き、1年・2年で転勤するのを皆で繰り返しているから全てがグチャグチャだ。そのくせして責任を取りたくないトップはすぐに完璧を求めたがる。

残業時間の上限とやらのせいで時給換算すればバイト以下になる給料でずっと働いていた。

さっさと辞めれば良かったのだが、初っ端から地元を遠く離れた場所に飛ばされたせいで就活の身動きがかなりやりにくくなっていた。

そうこうするうちに世間では就職氷河期が少しずつ過去の話になっていき、いっそ地元適当バイトでもしてから就活をやり直していればとも考えてしまう。

年1000時間残業に加えて慣れない土地での生活2年おきに来る転勤のための手続き、とてもではないがこの上で面接のために新幹線地元近くまで戻るような就活不可能だった。

全部言い訳だ。さっさと辞めてとにかく他を受けまくるのが正解だったんだろう。だけど、辞めたはいいけど結局どこも受からないのでは大失敗だ。辞めることなく働きながら転職活動を続ける地獄のような二重生活けが正解だったのか。無理だ。詰んでいたんだ。

婚活で「なんで公務員になったんですか?」と聞かれると、こういったことが頭をよぎって目が泳いでしまう。

生活を安定させたかったら公務員に鳴りました。とにかく受かればどこでも良かったけど、面接を受けまくる気力がなかったので試験勉強で点を稼いでなんとかしようとしました。そう素直に言ったこともあった。

そのあとに残業時間だとかについて指摘され、今度は「なんで公務員を辞めないんですか?」と質問される。聞かれても困る。根性がなかったからですとしか言えない。

婚活なんてする前に転職活動をするべきなんだろうな。俺自身がそう思っているのがにじみ出ているのだろうか。

転職活動か。

38歳 年収550万円(残業代込み(残業毎月約80時間)) 経験業務公務員のみ 

どこに向かえば良いのだろうか。失敗してしまった人生をどうすればいいのだろうか。

2024-06-13

[]anond:20240613200534

https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83

h抜きする意味が解らないのでリンクしておくね

地方母子家庭出身の女さんが東大博士号を取るまで

生活保護博士号ニキとか授業料値上げの報道かに触発された。

残念ながら、いわゆる理解のある彼くん要素がある。

長いと思ったら一番最後だけ読んでくれるとうれしい。

東大に入れたのは単純にペーパーテストがめちゃくちゃできたからだが、目指すようになったのは模試の結果を見た高校教師が勧めてくれたことがきっかけ。たぶん高2の春。

それから東大意識するようになって、現国問題で毎回おもしろ文章読めて最高〜、図書館で出典探して著者経歴を見ると東大出身者多いな〜、東大に行けばこういうおもしろい考えにもっと出会えるのかな??ぐらいの浅い動機東大第一志望にし始めた。

金のことはあんまり考えてなかった。

高校私立だったが奨学生として学費は全額免除してもらっていた上に(その条件で入学した)、民間団体が県住民対象でやっていた給付型奨学金支給されていた。

学力も授業だけで問題なかったので予備校に通う必要もなく、教育費はほぼゼロ

大学も同じように学力さえあれば行けるし、貧乏人にはそれ相応の奨学制度があってそれで何とかなると思っていた。だってそうあるべきじゃないか?

父親ギャンブルによる借金が原因で離婚し、母親非正規雇用で働き始めていたというのが数年前から我が家の状況だった。養育費もなく、突然働かざるを得なくなった母親は当然ストレスを抱えていた。その捌け口になったのが私。

自分の娘が東大に行けるはずがない、父親似の目つき・言葉存在その全てがとにかくムカつく、おまえもどうせ父親と同じだ、あんたは地頭が悪いからだめ、性根が良くなければ勉強なんてできたってなんにもならない。色んな言葉をぶつけられて、まあ限界でしたわ。

A判定しかない模試の結果を見せ続けてもだめ(ふーん、だから?)、日本学生支援機構の貸与奨学金の話をしてもだめ(あんたも父親と同じで借金踏み倒すんだろ!)、年収400万円以下が対象になる授業料免除の話をしてもだめ(ちゃん免除される保証がどこにあるの!?)、格安学生寮の話をしてもだめ(入れなかったらどうする、女なんだから余計な下宿費がかかる!)。

給付型奨学金地方のしょうもねえ高校全然情報はなく、先生たちも諦めるなぐらいしか言ってくれない。

自分で調べろって? 調べた上で給付型奨学金勘定から外していた。

募集人数がめちゃくちゃ少ないのに、「学業優秀」で「経済的に困難を抱えている」学生自分が「絶対に」該当するなんてどうして言い切れるんだ?

そんな不確かなものを頼みにできるわけがない。

地方、女、貧困が混ざるとこうなる事例としてぜひ参考にしてくれ。

制度存在することと、使えると認識することは違うんだ。うちの場合だけかもしれないけど。

結局「何とかなる」でゴリ押して、受験すること自体同意を得たのは高3の12月浪人なんてできるはずもないので、東大に落ちたらすでに受かっていた防衛大に行くつもりだった。とりあえず家から逃げることが第一目的に変わっていた。その上で大学おもしろそうなことを勉強たかった。そうじゃなきゃ生きている意味がないと思った。

無事に受験できて、合格した。合格たからってごちそうが出たわけでも金一封が出たわけでもなかった。

翌日に大震災。見事に被災して、なーーーーんも調べることもできないまま、ほぼ丸裸で上京した。

大学のこともなんもわからんし、クラスなんそれ、語学ごとに性格あるんだへー、五月祭なんてものがあるのかー、演習ってなんだ?

こんな感じ。臆病な自尊心合格発表前に色々調べておかなかった私も悪い。

ていうかみんな発言ちゃんとしすぎ、英語喋れすぎ、そしておしゃれすぎ。それに対して私は何もかもが終わりすぎ。

慣れない電車通学、週20コマの授業、母親言葉フラッシュバックで病んだ。健康診断の段階で精神科を勧められて受診はしたけど、医師震災サバイバーズ・ギルトですねで終わらせたのもあってその後の通院には結びつかなかった。

毎日何とか自殺先延ばしにして、大学に通い続けた。おもしろ講義を聞いている時だけは生きている感じがした。

そんな感じで大学と寮の往復で友人もできないまま夏学期が終わり、冬学期が終わった。試験対策が高度に制度化されているおかげもあって、単位には困らなかった。ぼっちこそ東大に行け。

2年生になって少しメンタル回復してようやく友人ができた。ようやくふつう大学生に近づけたと思った。3年生のときには友人の繋がりでのちの彼くんとの付き合いも始まった。

優秀かどうかは分からないけれど、友人になったのはみんな良い人たちだったし、私が母子家庭であることを公言していないせいか、友人たちが気を遣ってくれていたおかげか、対等な付き合いができたと思う。劣等感のようなものもそれほど感じなかった。仲良くなったのが都市部出身ゴリゴリ強者ではなく、地方中流〜上流家庭出身者ばかりだったというのも大いにあると思う。父親教授とか銀行員とか(母親は当然専業主婦)、そんなのばっかりだったけど。


仕送りは当然なかった。しかし、授業料全額免除家賃が月1万円程度の学生寮、さらには運良く引っかかった給付型奨学金のおかげで、経済的に困窮することもなかった。自分でも意外なぐらいに何とかなってしまった。

毎年授業料免除のために母親源泉徴収票を手に入れていたのだが、当時の母親年収200万に満たない程度である。たまに母親仕事が嫌になって無職になったり、転職を繰り返したりしていたので、提出書類をそろえるだけでも一苦労だった。

ちなみに震災の影響で提出できなかった書類を改めて提出するために訪れた奨学係で、たまたまリストを渡してもらえたか給付型奨学金に応募できた。


3年生になるとあっという間に就活ですよ。院進も国家公務員試験留学も考えてなかった。そういうのはタフでグローバルなふつう東大生がやるものなので。

自己分析しているとまた病んで眠れなくなった。家と大学図書館の往復の日々を過ごしてきた私に書けることなんてなかった。どうして自分ふつう東大生になれなかったのか。私と彼ら彼女らで何が違ったのか。

考えるのが嫌になって、手持ちのタマが切れた段階で就活をやめた。留年ぼんやり意識し始めて、さてどうしようとなったのが生活費授業料

特に遊びに行くわけでもなく、自炊を続け、節約しまくっていたのと、貸与型・給付型奨学金と細々としたアルバイトのおかげ何とかなりそうな貯金はすでにあった。

しか留年すると、奨学金は止まる上に、いくら世帯年収が低くても授業料免除対象から原則として外される。授業料分までの貯金はなかったし、家に頼ることはできなかった。

結局めちゃくちゃアルバイトをして授業料相当額を稼いで、留年に備えた。


「とりあえず留年」の先に何か目指している進路があるわけではなく、毎日自殺を考えていた。しかし、たまたま履修したゼミに救われて、大学院進学を考え始めた。もっと救われたかった。

成績だけは相変わらず良かったので、無事に合格できた。また、ようやくメンタル問題と向き合う決心がつき、学内カウンセリングに通った。留年した年の学費はこのために支払っていた気がする。

院進後は授業料免除奨学金も復活し、博士課程では生活費研究費付きのプログラム採用してもらえたから何とかなった。


博論書けない無理とふつう院生のように悩んでいたところ、身体を壊してしばらく入院することになった。標準年限の3年で上がれないのが確定したこと生活費のあてがないこと、研究アルバイトを両立させるような体力はないこと、その状況でまた授業料を支払わなくてはならないこと。何度も自殺は考えてきたけど、ついにその時が来たなと思った。

彼くんに頼ることは全く考えていなかった。しかし、結婚し、しか授業料も出すことをあっちから提案してきた。実は親戚に博士号持ちが多く、本人もかなり稼いでいたこと。これが「博士号取得にやたら理解のある彼くん」の背景にあった。

それまでは割り勘だったしお互いの家の話もロクにしていなかったので、そこそこお坊ちゃんであったことに驚くとともに、これが東大生の家庭なのかと惨めな気持ちになった。

しかし、自分人生にここまで賭けてくれる人がいるという事実は単純に嬉しかった。自分の救いのためだけではなく、応援してくれる彼のためにもさっさと博論を仕上げようと奮起し、かなり短期間で博論を仕上げて博士号を取った。

これがいかにして地方母子家庭出身の女が東大博士号を取ったかだ。要するに学力幸運に恵まれていたから。

高校民間公益財団法人東大の奨学制度博士課程学生向けプログラム、そのすべてに感謝している。うまくやれてる限りにおいて、選ばれる限りにおいて、多くを望まない限りにおいて、意外なほどに制度は充実しているというのが一当事者感想


まれながらに貧困だったわけではなく、しばらくはそれなりの生活を送り、両親もそろっていたので、ガチ不利層というわけではない。だから代表者ヅラする気はない。あくまで一つのケースとして見てもらうのがよい。また、学力自体最初から備わっていた。だから学力格差と関連する機会の平等の話ではない。

学力があっても受験自体が危うかったこと、経済的に一度でも詰んでいればそこで諦めていたであろうことが私がお伝えしたかった点である。詰まなかったのは単なる偶然。


博士課程の最後一年ふつう東大生が過ごしてきた環境なんだろうなとも思う。教育のために金を惜しまず、授業料を払い、衣食住が保障されて、何よりも心から応援してもらえる。率直にずるい。それなりにプレッシャーはあるし、生活保障されていても勉強研究が大変なのは分かったけど、でもずるい。

もちろん、そうじゃない人たちもたくさんいた。授業料免除申請の大行列、寮の住人たち、親との折り合いが悪く仕送りもないのに授業料免除から奨学金から対象外にされて私なんぞよりよっぽど厳しい経済状態にあった知人たち。彼ら彼女らと連帯することはなかったけれど、どうにかそれなりの人生を歩んでいることを願ってやまない。



授業料の値上げの必要性は理解している。国立大学法人改革はクソ。競争資金はクソ。

しかし、値上げの代わりに経済的に困難を抱えた層への支援を充実させる案には、次の5点の問題があることから反対の立場だ。むしろ授業料免除制度なんていらないくらいに、学生アルバイトで賄える範囲授業料を下げるべきだとさえ思う。

第1に、書類準備の手間。住民票、源泉徴収票アルバイト先・RA先生に書いてもらう収入関係書類、とにかく書類が多い。家族に提出をお願いする書類も多い。私の母親書類に関しては協力的であり、私自身の事務処理能力もそこまで低くないので何とかなったが、自分家族書類準備能力が不足している場合、あるいは家族が非協力的な場合、容易に詰む。しちめんどくさい書類を準備させる手間を経済的困難層に課すことは正しいことなのか? その手間を背負わされる学生たちを増やすことは正しいことなのか?

第2に、スティグマ。本当に困っている人の授業料免除されるならいいけどという言説はキャンパス内にも普通に存在した。生活保護と同じようなもので、授業料免除されているということは「恥ずかしい」。払えるものなら、こっちだってすばらしい授業と指導の対価として気前よく授業料を払いたかった。

第3に、高い授業料を払う層と授業料免除される層の発生による、「合格さえすれば平等であり対等なコミュニティの仲間である」という虚構崩壊

第4に、親との折り合いの悪い人々が制度狭間に陥る。学部生の場合独立生計を認められるハードルはめちゃめちゃ高かった。つまりたとえ親から仕送りが全く存在せず、世帯から恩恵を全く受けずに自分アルバイト等のみで生計を立てていたとしても、授業料免除対象に入れてもらえない。個人的にはこれが一番の問題。「親との折り合い」を判定条件に入れて、不正を見逃さずに、本当に支援必要学生を正しく判別できるのか? できるなら教えてくれ。そしてすぐ実行しろ。もしかしたらすでに改善されているのかもしれないけど。

第5に、留年すると原則対象外になるので、失敗・留年覚悟の挑戦ができなくなる。


他方で、なぜ高卒の人々には支援が行われずに、同じ年齢の大学生に対してのみ支援が行われるべきなのか、私には分からない。日本社会の発展に繋がるから? 勝手に期待して我々の未来を決めないでくれ。

高卒の人が一足先に社会で働いて収めてくれた税金が巡り巡って私の就学を支えていてくれていたこと、しか学歴理由に彼ら彼女らが下に見られること、さら生涯年収に大きな差が生まれることを考えると、勉強ができて大学入学できたというだけで大学生が優遇されていて非常に不公平だと思う。若者支援というくくりで全員に対して支援をやらないとおかしい。

最後、一番言いたかたこと。

結局東大に金がないのが悪いんだから、「貧しい家庭出身でも能力があるなら東大に行ける」、そういう理想を守りたいんなら自分で金を出してくれ。つまりみんな直接東大に寄附すればいいよ。「修学支援事業基金」っていうまさにその目的のための基金もある。

ttps://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83

ちなみに税額控除対象政府に回る金を減らして直接自分の思う公益のために金を投下できるすばらしい制度税額控除だ!

理想を実現するためには金がいる。金もさないくせにごちゃごちゃ抜かすな。口だけの偽善者になるな。

6月13日現在の今年度の寄付総額は約130万円、寄付件数は80件だ。

この数字が増えることを楽しみにしている。

2024-06-09

anond:20240609224404

あんさんのその口の立ちよう、ほんまに立派やなぁ。まるで浪人さんが七本も八本も斬って廻るんちゃうかいうぐらいや。ほんま、人生脚本をいただいてる感じですわ。

2024-06-05

毒親じゃなかったのに幸福に思えないか子供要らない

毒親に育てられ、子供のころ不幸だったけど、自分育児を上手くやると思って子供作ってる人がいる。

毒親を恨んでるけど、自分毒親に似ている自覚があって、同じことを自分も繰り返しそうだから子供作らないという人もいる。

まり考えずに子供作って、案の定虐待連鎖させ、あまり考えずに自分欲求充足のことだけを考えてる人もいる。

子供を持つ持たない、反出生主義の賛成派反対派、などの界隈には毒親関係する人が多い。

私の親は別に毒親ではない。虐待されてないし所得は高いほうだったと思う。海外旅行にも連れて行ってもらった。

習い事も塾も行っていた。今考えると結構コストが毎月かかっていた。

でもなぜかうっすらと小4くらいのころから、生きていたい気持ちが薄かった。

消滅したいというか、死ぬのは痛くて苦しそうだし、はじめから存在しなかったことになりたいような気持ちがうっすらとあった。

いじめられてもいない。いじめターゲットにされるような目立ち方をしたことが無かった。

クラスメイト部活の先輩、先生、誰にも悪い印象は持ってない。部活の後輩にはなんかナメられてた気がしたけど、どうでもよかった。

社会のレールから脱落したこともない。中学受験メジャーではない地方都市高校受験をして進学校へ、そこから駅弁正社員就職

大学浪人就職浪人のような所属のない時期を過ごしたことがない。

うっすら憂鬱ではあるけど、明確な鬱状態になって勉強仕事ができない、部活に行けないなどのダウンをしたこともない。

恋人いたことも数回ある。周囲の人間に対して不満がない。周りの人間のせいで幸せが無いんだというふうには思わない。

生きていてよかったとか、子供を作り子供にも幸福を感じさせよう、という強い欲求を感じる器官が無いという欠損が、こちら側にあるから駄目なんだと感じる。

異性叩きや若年世代叩きや老害叩きや政治叩きや外国人叩きなどに熱心な人たちは敵を殲滅すれば幸福が得られると期待をもっていそうだ。

他人に怒るエネルギーを持っている人間のほうがよほど子供を持ちそうに思う。子供を持つには負のもの攻撃的なもの、害あるものを含めて「エネルギー」が必要だ。

何も考えずに子供を持ち虐待連鎖させる人間は「子孫をのこすタイプ人間」だ。

自分はとりあえず生きているだけで、怒ったり期待したりすることができない。

不幸でもない。生きていて金に困ったり暴力を受けたりしたことがない。

死ぬまで生きているだけなのだろう。交際は向こうから来たパターンしか発生していない。自分からは何もできない。

意欲が持てないのだ。恋人ができれば、結婚すれば、子供ができて育てばそこに幸せがあると期待できない。期待しないから怒らずに済んでいるのだが。

今の状態でも不幸は感じていないし、子供が夢を叶えただので親として強い幸福を感じる、といったことを求める気にならない。

子供が重度障害で生まれたり、子供犯罪を起こしたりして、強い不幸を味わうのも嫌だ。

要するに意欲がない。感情上下に耐えられるだけの元気がない。

2024-06-04

anond:20240604201836

浪人したところまでしか読んでないけど、自分の中のアラートが、「理解ある彼君出現警報」を発したので、読むのを止めた

2024-06-02

田舎者貧乏人を初めて見た話

東京に生まれた。

新宿区で生まれ、その後は23区外に引っ越したが、ずっと東京都内からたことはなかった。

小学校受験をし、私立小学校卒業し、そのまま中学受験をして、いわゆる御三家合格し、中高一貫女子校卒業した。

中高時代都心まで通学し、遊ぶところは新宿渋谷だった。

1年間浪人し、そのまま地方国立大学医学部に進んだ。

まさかそこでここまで大きなカルチャーショックを受けるとは思っていなかった。

私は自分いか世間知らずだったかということを全く知らなかった。

まず、初めに、医学部生同士での「親って医者なの?」という会話に驚いた。

「え?むしろ親、医者じゃないの?」

喉元まで出かかって飲み込んだ。

私の周りの医学部志望生は、7〜8割は親が医者であり、親が医者であるかどうかを確認する文化がなかった。また、親が医者でなかろうと、会社社長だの外交官だのばかりなので、「あ、そうなんだ。」くらいで終わりだったのであるが、ここでは違った。

医者かー。いいなぁ、金持ちで。」

非常に面食らった。

まず今までの人生で親の所得の話になったことが一切なかったことに気がついた。

なんとなくタブーのような、下品なような、お金の話をするという文化存在しなかったし、他人を「金持ちから羨む」という人に初めて出会った。

そして気がついてしまった。私が今まで通ってきた道は、『子供教育費に月7-8万の学費を払い、かつ年100万近くかかる塾に通わせることのできる所得の親を持つ人間しかいない世界』であったということに。

加えていうと中高一貫女子校ではバイト禁止されていた。(している人は一人もいなかった。)

私自身小4〜6まで塾に通い、高2〜浪人1年間もまるまる予備校通いをしている。

かかった学費のことを親は何も言わない。

医学部に受かってよかった。」

それだけである

またさらにびっくりしたのが、

どこかに遊びに行こう!となった時に

お金がないか予算の安い店で」

と言われたことだ。

お金がない」という理由を遊ぶ時に持ち出すという文化に触れてこなかったように思う。

遊ぶ時にかかるお金は、その思い出に対して支払うものであり、いくらになろうと楽しければ構わないし、やりたいことをしてきたと思う。(というと高級ホテルランチビュッフェに行きまくっていたかのような印象だがそういう意味ではない。)

遊びたい時に、「何をしたいか」ではなく「予算」が先に来る文化

そんな文化があることも知らなかった。

というかむしろ、うちの親は常に「うちは開業医でもないし貧乏から節約しないと」と言っていたので、私はどっちかというと貧乏なんだな。と思って生きてきていたのである

現にユニクロ大好きだし、特売も大好きだし、ポイントカードもめちゃくちゃ持っていて端からポイントを貯めている。

また、私は田舎というものをナメていたことも分かった。

田舎とはいえ、本気の田舎では多分ないのだろうが、はっきり言って今の暮らしは本当に耐えられない。

友達と遊ぶ時はテレビ雑誌特集していた店に行き、大きくなってから食べログ評価が高い店を探し、予備校終わりに疲れた伊勢丹に寄って化粧品を買ったり、ルミネセール爆買いしてみたり。

そう言った文化が何一つないのである

この田舎で、夜することは飲み会カラオケか男女の営みのみ。

店が存在しないか開いていないのだから仕方がない。

レビューがなさすぎることで、食べログで店を探すことがこんなに困難になるとは知らなかった。

地方都市なんだからデパートくらいあるでしょうというが、私は新宿伊勢丹で先行発売の化粧品を、エムアイカードポイント10%還元を利用して購入したいのであり、そのついでにフェラガモの靴を物色したり、グッチの新作にケチつけたりしたいのである

前にトリーバーチの靴(一番スタンダードな、黒の革靴に金のトリーバーチロゴが大きく付いているやつ)を飲み会に履いて行ったら、「その靴イトーヨーカドーで売ってるみたいだなww」と男子に言われて本当に驚いた記憶がある。

他人の持ち物(しかも靴などという少しこだわっていそうなもの)を平然とけなす神経と、トリーバーチすら知らないということに対する、二重の驚きである

その男の子は、地元出身の子だった。

地元でずっと一番で、県で一番の高校を出て、この医学部に入ってきていた。

私は自分を賢いと心から思ったことがない。

小学校でも上から20番くらいだったし、

中高一貫では下から数えた方が早かった。

でも、地元の子は違うのだ。

小さい頃からずっと「頭いいね!」「すごいね!」と言われ続けて、ピノキオみたいに鼻が伸びて育ってきている子ばかりなのだ

何か言えば尊敬され、常にリーダー格として君臨してきた人たちばかりなのだ

でも私は知っている。

たかだか地方医学部に、賢い人間なんていないのだ。本当に賢い人は、理三だの、ハーバードだの、そういうところにいるのであり、

医者になるとか、ならないとか、そんな次元のところにはいない。

私たちちょっとだけ努力するのが上手だったかちょっとだけ記憶力が良かっただけなのだ



夜になると一人暮らしの部屋で本当に世界から取り残されたような気持ちになる。

私が今まで「当たり前」だと思ってきたことは、当たり前ではなかったのだと思う。

田舎は苦しい。常に誰かに見られている気がする。

学生外車に乗るなんてと言われたことがある。

うちの親が「危ないから、事故った時に死なないように、強度のある車を」と言ってくれたから乗っている車でも、「目立つこと」の方が悪なのだ

「昨日、コンビニにいたね」

いちゃダメなんだろうか。どこで何してもいいでしょう。万引きしてるわけじゃないんだから

東京は、何をしてもいい。

何をしても、誰も何も言わない。

近くに住んでいても、知り合いに会うこともない。

早く卒業したい。

早く東京に帰りたい。

まれ育った土地自分には一番合っているというだけなのに、田舎東京の話に置き換えている私はきっと性格が良くないのだと思う。

こんな人間医者になるなんて、と言われると思う。

からこっそり、ここに書く。

医者はいつでも人格者で、正しくないといけないから。

偏見なんてないですよ、という顔をしなくてはならないから。

からせめて、匿名世界でだけは。

anond:20240602102316

「そうか、工業大か!高校時代遊びすぎたんだろ!でも浪人しなくてよかったな!」

2024-05-29

学校嫌いで勉強が身に入らなかった奴いる?

人が多い教室が苦手だったりいろんな臭いとか声とか物音すげえ疲れて、中学の頃に勉強頑張れば良い高校行けるとか言われてもそもそも学校行きたくないから勉強モチベーションどこにも置けなくて、まったく勉強せずFラン高校行った後ニートしたんだけど、地方初級相当の公務員になるために浪人して小学生範囲から勉強し始めたら1年半で県職員高卒枠に滑り込めた

その時勉強すげえ楽しかったんだよな、俺ずっと勉強についていけないような馬鹿から学校も辛いと思ってたんだけど、学校が辛いか勉強に身が入らないだけだったことをその時悟った

の子でも俺の他にこういう子いるだろうし、義務教育でもリモート授業選択できるような世界になれば俺みたいな子供ってもっと早く救われたんだろうな

2024-05-22

指定校推薦理系はやめとけ

出身九州田舎自称進。

模試ではE判定だったけど評点平均が何故か4.8だったこともあり、しれっと高3で私立コースに行き指定校の枠をGETして都内理系大学へ進学。現在大学一年

周りは旧帝東工落ち、早慶落ちの秀才しかいなくてまず基礎学力で負けてる。

授業もわりと理解できているが、今までしっかり記述をするタイプ模試試験をあまり受けてこなかった事もあり考査となるとどうしても点が伸びない。平均点60点の中間考査で30点取ってしまった。

あと意外と肩身が狭い。どこ落ち?浪人してる?という話題では影薄くしていないことにしてる。

指定校でーすwwwwww高2冬から勉強してませんwwwwwww」とは流石に声を大にして言えん。

2024-05-19

私はYOASOBIや米津玄師解釈を丸投げしない

近年、アニメタイアップ曲に作品への解像度の高い楽曲提供されることが増えてきた。タイトルに挙げたYOASOBIや米津玄師はそんな解釈一致アーティストとも言えるような、作品ちゃん解釈して曲を作ってきてくれているアーティスト代表者だと思う。

しかし私は決して彼らに解釈を丸投げしない。私達にはイメソンという文化がある。古来より私達は往年のラブソングや悲哀の歌に推しを重ねてきた。解釈歴史で言えばこちらも負けていない。人斬り浪人アニメに甘い恋の歌が当てられようと、それが作品鑑賞に当たって大きなマイナスになることはなかったのだ。

から私は解釈を丸投げしない。もちろんアニメに合った曲を作っていただけるのはありがたいが、私は私のイメソンを追求させていただく。悪く思わないでほしい。私は、あるいは私たち解釈の鬼なのだ

2024-05-17

足掻いても足掻いても人生が上手くいかない

先日兄が逮捕された。

いつも通り家に帰ると両親が項垂れた様子でそう語った時、もう無理だと思った。

ブログに書くのは、もう周りに吐き出せる人間がいないからだ。身バレが怖いなという気持ちがあるので、少しフェイはいれつつ身の上話を聞いてほしい。

私は仲睦まじい両親と、優しい兄がいる家庭に生まれた女だ。両親は中卒であったが、真面目に仕事もしていて母が専業主婦をしていけるほど稼ぎもあったように思う。

ただ、我が家貧乏だった。

理由は単純で、土日になると両親はハマっているパチンコ屋に出かけて行くからである。小さい頃はこの事を不思議に思わないどころか、むしろ子供を入れても黙認してくれていた店もあったりして、連れていってもらったときにはテーマパークに遊びにきたかのような気分にすらなっていた。

現実は他の子家族で色んな場所に連れて行ってもらっているにもかかわらず、私達は私が5歳を迎えた以降の家族写真がない。写真を撮るような場所に行っていないから。

それでも小学生くらいになると規制が入ったのか兄と家で2人留守番をすることが多くなった。留守番をしている間は、兄からちょっかいをかけられて始まる喧嘩が絶えなかった。パチンコ屋の閉店時間である23時を過ぎるまで両親は帰ってこないことを分かっていながらも、一度だけ喧嘩に負けた私は窓を開け、「お母さん帰ってきて」と泣き叫んだことを今でもはっきりと覚えている。現代なら児相案件かもしれない。

そんなことがありつつも、寂しいと感じなかったのは兄だって土日に友達と遊びに行ったりしたかっただろうに、私の面倒を見るために家にいてくれていたことも何となく感じ取っていたし、平日学校から家に帰ると母は笑顔で迎えてくれ、ご飯は必ず4人揃って食べていたからなのかもしれない。

余談ではあるが、今SNSで嫌な呼び方をされている某スナックパンや、最近内容量が減った某薄皮クリームパンにいたっては、本当に毎日朝ごはんで食べていたためその投稿を見たときには苦笑いしたものである

話を戻してそんなある日、父が仕事をやめて起業すると言い出した。普通起業するとなると辞める前に運転資金を準備するところだが、前述のとおりパチ狂いの父にそんなお金があるはずがなかった。

そんな状態起業するものから、もちろん手元にお金なんて残るはずもなく。貯金なんて夢のまた夢な話で、税金保険料年金関係は滞納、市役所からの督促やらの封書は毎週のように届く。この時期から母は専業主婦をやめ、働きに出るようになった。

そしてとにかく両親の喧嘩が増えた。

よく究極の質問で「愛かお金どちらが大事か」というものがあると思う。お金があっても愛がなきゃ意味がない、愛を選ぶ人はみんなそう言う。確かにその考えもあると思うが、私はやはりお金だと思う。お金さえあれば、本来しなくていい喧嘩はあるからだ。

この頃どれくらい貧乏だったかというと、私の高校入学制服代が足りないからとパチンコいったら大当たりしてなんとか入学できたという最低なエピソードがある。

高校入学後はバイトをするようになった。このあたりから自分の家の経済状況はなんとなく分かってきていたから、自分のことは自分で、と皆に迷惑をかけてはいけないと思うようになった。それとはまた別に先にバイトを始めて自由に使えるお金がある兄が羨ましかたからだ。

この頃にはパチ屋に行く金すらも無くなっていたので、両親はパチ屋に行くことを意外にもあっさりやめた。

そして高校生活も後半、進路について考えることになりふとどうするか考えた。

兄は高校卒業後、働きに出ていたため自分も働く前提で考えたがそれが本当に正しいのかと思ったからだ。

この頃の私は我が家普通の家庭ではないと分かっていたので、私の望みは私は低収入でもいい、毎月給料が入ってくる職種男性普通生活がしたい。たとえ1人で生きていくことになっても困ることがないように自分も食いっぱぐれない職種につかなければと思うようになっていた。

高校生が思う浅はかな思考回路で思いつく安定した職業とは。

公務員である

公務員になろうと思った。どうせ働くなら世のためや人のためになる仕事がしたいと思っていたので、思いついた時には天才かと思ったぐらいだ。

だが思いついたはいいが高卒枠で公務員になるにはあまりにも準備が遅すぎたため、進路を大学進学に変えた。あんまり出席日数も成績も良くなかったのもあって、当時の担任には大変心労をかけたと思う。

だが勉強するにも塾へ行くお金がない。時間がない。参考書がない。それでも必死携帯参考書について調べ、貯めてたバイト代で参考書を買って勉強した。嫌いではないが両親のようにはなりたくないと反面教師にしていたところもあった。

そして受験。もちろん落ちたが奇跡的に補欠合格となったので、家族でお祝い騒ぎになった。後でこっそり「落ちててもお金はなんとかするから浪人させてあげようと思った」と、某有名塾のパンフレットか案内文かをどこから調達して見せてきた母と、合格後の入学金が必要なことを同業者から聞いていた父が一括でお金を用意していた時は反面教師にしてごめんと心の中で謝った。普通入学金をすぐ払わないといけないなんて知らなかったか人生終わったと思った。

そして私はここから出会う人々と育ってきた環境のあまりの違いに愕然とすることになる。

頭が良くなかったので大学私大

学費については親が負担してくれるのは基本で、奨学金を借りるとしてもいざと言う時の保険でか少し借りる程度くらいのもんで、卒業後は一括返済、そこの心配なんて全くしていない人達だらけだった。もちろん車の免許も親が出してくれる。

それに対し私はもう4年間分の学費を全部そこから出す気持ち奨学金を借りていた。頭は良くなかったので有利子。友達は何にも悪くないのに、なんとなく場違い感を感じていた。

とにかく大学バイトと並行して真面目に勉強し、3回生の頃には大学で用意されている公務員コース(別料金)に入って就活対策も始めた。予備校に通うお金はなかった。

父の会社はというと、相変わらず上手く行っていなかった。支払いがやばい月には家族からお金を借りることが増えた。高校卒業から勤めていた兄はブラックだった会社を辞め、父のところで働くようになった。極端な話、大人が4人もいるにもかかわらず、まともな収入が母が派遣で稼いでくるお金だけだった。しかも兄はいつの間にかパチ狂いになっていた。兄は本当に優しかったのでそれを知った時には複雑な気持ちだった。

就活については、事前準備を頑張ったのもあって結果公務員になれたのでここらへんは省略。

さて同僚の方達はい人達なのだが、ここでも育ちの違いをまざまざと思い知らされることになる。

まず親の職業公務員だったり医者だったりと更に金銭面に苦労したことはまずないんだろうなという人達が多い。もちろんみんながみんなそうではないことは強めに言っておきたい。そんな人達が多いから滞納者の必死の訴えなんて伝わるわけもない。だって所得から計算されている税金なんだから払えない額ではないでしょうと市民に直接言わないがそう思っている様子だ。

それはそう。

それはそうなんだが。

貴方は払いたくても払えない立場になったことがあるのか。

我が家は車がなかった。

厳密にいうと4人で乗ってどこかに乗っていける車がなかった。軽トラはある。

から4人でご飯を食べに行く時もいつも兄は原付で店に向かっていた。冬は寒そうに信号待ちをしている兄を見ていた。

せめてみんなが乗れる車が欲しかったので、私は中古アウディを買った。

わざわざ外車にしたのは、父の仕事で商談やらで軽トラで行くのはって場面が会った時に恥ずかしい思いをすることがないようにと思ったかである

ただ外車はとにかく維持費がかかる。中古なのでローンやら修理費やら車検代やら保険代やらで、今度は私の手元に残るお金がなくなっていくことになった。

父と兄は毎日仕事をしている。休みなんて概念はなかったので、ついに父は体調を崩してしまい、癌になった。抗がん剤治療が始まり、家でのサポート必要になったため母は派遣をやめた。

いい大人が4人合わせても中で手元に残るお金はごく僅かとなる有様だ。

そして話は最初に戻り、兄が逮捕された。父との会社金銭管理は兄がやっていたようで、働いても自分にまともな給料が入ってくることはない、友達と遊ぶのも1ヶ月に1回あるかないか。もちろん鬱憤は溜まるだろう。会社お金を少しだけ使い込んでいたらしく、お金を下ろしにいくといって兄が帰ってくることはなかったそうだ。

毎日働いているのに稼ぎが出ないことを何か原因があるんじゃないかと私と母はよく父を責めていた。お金が足りない時には私と母にお金を貸してくださいと頭を下げる父を、兄はどんな思いで見つめていたのだろう。優しい兄のことだからお金がないことを私や母にバレたら、父がまた責められるので言い出すことが出来なかったんだろうと父は今も項垂れている。

SNS結婚したと、子供が何歳になりました、大型連休彼氏家族と○○に行きました。みんなの素敵な投稿を見る度に、素直に祝うことが出来なくなっていく。そんな自分が嫌になる。人は人にあった人生レベルで生きるべきなのだろうか。現に今の私には素敵な投稿をするレベルになんていけそうもない。必死に足掻いても足掻いても私の人生は一向に良くなる気配がないし、まるで底なし沼にいるような気分だ。きっとこれからもっとお金がかかる。公務員になってしまったので副業をすることもできない。申請すれば通る状況なのだろうが、周囲にバレてもかまわないと思う覚悟ができない。

私はどこで道を間違えたのだろうか。

高校卒業して働くべきだった?

車は買わずお金を貯めるべきだった?

それとも逃げるように一人暮らしをするべきだった?

私はかつての夢だった結婚して普通の家庭を築くことは叶わないにしても、ただ4人で普通暮らしたいだけだ。4人で家族旅行に行ってみたいだけだ。

それがどうしてこんなにも遠いんだろうか。

2024-05-15

初恋女性結婚式に参加して一年が経った

初恋女性結婚式に参加して一年が経った。

こんな文章を綴る気になったのは丁度そんな時に夢で思い出させられたからだ。

僕はきっとこれからもこの思いに蓋をして、また何でもない時に思い出して苦しんで。

そんな気持ちを引き摺らない為にこうしてここに思いを吐き出し、決別しようと思う。

今まで文章らしい物なんて書いた事がないから読みにくいかも知れないが、もし、もしも貴女に読んでもらう事が出来たなら最後に伝えたい事がある。

届くかも分からない、届いても実らないラブレターだがそれは貴方がそれ程素敵なひとだった何よりの証拠から胸を張って読んで欲しい。

僕は小学校の時から給食が嫌いだったか母親の作るお弁当を食べられる学校に進みたくて中高一貫私立校受験勉強に努め無事進学した。

そこにはマイナースポーツ部活があり、勉強しかせず好きな人なんて考えたことも無かった僕は「スポーツ活躍すれば漫画世界みたいなモテモテ人生が送れる!」と思いその部活に入部した。

そこで出会ったのが貴女だ。

最初は同じ部員というだけで一目惚れもなく、部活自体が楽しかたこともあり当初の目標からかけ離れたレベル部活にのめり込んでいた。

その熱を同期に伝播させたかった僕は貴女や同期の仲間に練習に誘い、共に高め合っていた。

秋になって自分達の道具を揃える為に顧問の車に皆で乗りこみ遠出をしたあの日

僕が貴女に恋をしたのはあの日だと思う。

車の中で部活の話だけでは時間が余ってしまった時、恋話にもつれ込んでいった。

僕は浮いた話など全く無かった。

だが、貴女には既に彼氏ができていた。心底驚いた。

部活漬けで時間など無いだろうと言うのに相手ができるなんて…

今思うと羨ましかったんだと思う。

時間を上手に使えて、同じ様に努力できる事が。

そんな貴女に負けたくない、いや、仲間なんだから同じ様になれれば。付き合う事ができれば。

僕はそんなに器用では無かった。

なんなら自身好意を上手く隠す事もできず、性に目覚めた中学生らしい助平な男のままアプローチをしていただろう。

日夜布団の中で見ていたAVからしか恋愛の仕方を学んで来ていなかった僕にはどうしようもなかった。

でも、部活の方では少しでも格好をつけられる様に毎日努力をして、いつしか地方大会全国大会にまで届くレベルになっていた。

僕の最初プラン活躍すればモテモテ作戦」だ。

どこまで行っても僕の恋愛フィクションの中だった。

そんな折、貴女彼氏と別れた事を知った。

と言うのも僕はその彼氏とも仲が良く、僕が貴女の事を好きな事も伝えており応援されながらも大きなライバルとして存在してくれていたのだ。

彼曰く、将来の為に勉強して良い大学に進む為に集中する、との事だった。

彼は僕に対して「次に彼女幸せにできるのはお前だと思う。絶対に逃すなよ。そのまま大人になって結婚まで行ったらスピーチは俺がしてやるから!」なんて激励までしてくれた。

男泣きを経験したのはこの時が初めてだった。

僕は彼の将来を応援する為に、また彼の心に報いる為に真剣貴女に恋をしようと決心した。

僕はまたここで失敗した。

心中貴女を慰めるだけで終わってしまった。

振られたらどうしよう、と傷つくのを恐れて一歩を踏み出せなかった。

傷ついていたのはあれだけ素敵な彼氏と別れた貴女だというのに。

僕に残っていたチャンスはここで無くなったんだと今思う。

つの間にか高校に進級した僕は個人枠で全国大会に出場が決定した。

全国に行ける嬉しさで更に部活にのめり込んでいった僕とは裏腹に貴女や同期の皆は県予選で敗退してしまい、勉強に段々と集中する様になっていき距離が段々と広がっていった。

結局全国では何も結果を出せないまま、貴女に何も伝える事ができないまま、部活引退シーズンまで向かった。

引退してから貴女が同期の異性と付き合っていた事を知った。

かなりショックではあったが妙に納得してしまった。

貴女と同じ立場で考え行動できる人だったから。

僕は大会で結果を出したくて(貴女に見てもらいたくて)練習を頑張り(勉強を怠け)その結果、何も得ることは無かった。

貴女気持ちがどこにあるのかを考えず、ただただ自分幸せを追い求めていただけだった。

僕の事を応援してくれていた彼には何をしていたんだ、と呆れられたが慰めてはくれた。

本当に貴女の周りには相手気持ちを汲み取り行動する事のできる、それでいて自分の夢の為にも努力できる人達で一杯だった。

僕はやっぱり不器用だ。

僕は運良く現役で大学に受かったが、貴女甲斐なく浪人してしまう。

気持ちに踏ん切りをつけられていなかった僕は何とかしたくてもう一度貴女アプローチした。

まだ浪人中で勉強を頑張っている貴女を無理矢理誘って告白した。

どこまで行っても僕は一方通行感情を伝える事しか出来ていなかった。

結果はNO。当然である

当時の僕は理由を何度も聞いたが貴女は教えなかった。

僕の性格を知った上で「あえて」言わなかったのだろう。

やがて貴女は無事大学に進学しそのまま就職した。

恋愛がうまく行かない僕はそのまま無気力になり、大学中退

何とか中途採用で有名企業就職する事はできた。

就職してから自己研鑽の為に本を読む様になった僕は過去の至らなさに気付き始め、相手の事を慮る努力を始めた。

だが恋愛に対しては自身欠点に気付いた事により奥手になっていた。

その為、彼女はできず。

偶に帰省して貴女と同期の皆と会った時には昔の性格を引きずり、「彼女は勿論、セフレだっている」なんて見栄まで張っていた。

本当の僕は風俗遊んだ位の素人童貞だ。

きっと皆は察してくれていたんだと思う。

「こいつの事だから仕方ない」

「僕が傷つかない為には仕方ない」

全国転勤で飛び回る中、地元の近くに異動が決まった。

ラストチャンスがあるかもしれないと考えた僕は貴女に連絡をした。

そこで貴女から結婚する事を知らされ、式に招待してもらった。

遅かった。いや、スタートラインに立っただけでアプローチができると思っていた自分が愚かしかった。

相当参ったのか酷い風邪を引いた。

ただただ泣いた。

自分性格を治せば追いつけると思っていた。

だがそんな事は無い。

部活でも、勉強でも、仕事でも同じ様に。

皆等しく頑張っていた。

自分が一つ努力をした所で皆と何ら変わらない同じ努力だ。

マイナスゼロにした、というだけだ。

元々貴女の周りにいた異性は須く相手の事を慮り、努力ができる人達だった。

結婚式披露宴の間、僕はずっとビール煽り続けていた。貴女と顔を合わせる事なく。

素面のまま貴女幸せを祈る事はできなかった。

僕はここで貴女を諦める。

その為に来たのに最後最後まで自分が傷つく事を誤魔化すためにアルコールに逃げたのだ。

恋愛を諦めて一年経った今、僕に罰としてあの日記憶が夢として思い出された。

それとも、貴女諦めきれなかった未練がそうさせたのか。

逃げる為に煙草を燻らせながらこうして文をしたためる。

逃げるなら違う方向へ。

違う誰かに恋をする努力をしようと思う。

最後に。

僕は貴女のことが好きでした。

この恋が実る事は無いけれど、僕も貴女と同じ様に素敵な人達に囲まれ人生を目指してもう一度頑張ろうと思う。

誰かと結婚する時には貴女の事を招待します。

貴女に負けないくらい新しくできた友達、伴侶と幸せに生きていきます

からその時には顔を合わせて乾杯して下さい。

そして「今まで沢山の事を教えてくれてありがとう結婚おめでとう」と直接伝えさせてください。

最後一方通行言葉と祝福を貴女へ。

2024-05-13

親戚に32歳の司法浪人がおるんやけど

仮に33歳で司法試験受かったとしてそこから逆転優勝可能なんか?

社会経験ゼロ33歳でも司法試験受かってればそこから年収1000万狙えるの?

俺だったら絶対依頼したくないんだけど

2024-05-12

地方公立大で見かけがちなプチ不幸エピソードを語る

勉強はきっとウチらに平等だ!」を読んで、学生時代を思い出したので語る

地方公立には例の漫画の後日譚or受験失敗のアナザーストーリーゴロゴロ転がっているので思い出せる限り語る

入学理由は以下の2パターン

ギャルのその後みたいな人(学力的には他の選択肢もあったが、家庭の事情により家から通える地元公立に進学)

※家庭の事情金銭面、親の思想介護などバリエーション豊か

※男兄弟東京で稼がねばならんからお前は地元我慢してくれ系(親の合理的?な取捨選択)もある

おさげちゃん受験失敗バージョン(前期で出願した高偏差値大学不合格になり、私立進学や浪人ができない事情から合格確実な国公立に後期試験入学


また貧困は以下のパターンがある

ギャル系…シンプルに金がないので奨学金を貰っている。貧乏ながら比較的恵まれているパターン

おさげちゃん系…ネグレクト系。世帯収入はあるので奨学金は貰えない。借りるにも奨学金は親の署名必要なので無理。地方なので家賃生活費格安であるためなんとかなる。女子キャババイトしがち。

③多兄弟系…兄弟が多く、上の兄弟私立に進学したなどで世帯収入があるにも関わらず学費が足りないパターン。わりと多い。有利子の奨学金を借りがち。

2024-05-10

今の時代現役大東亜帝国浪人ニッコマは相当ひどい

関西なら現役摂神追桃浪人産近甲龍

少子化で倍率が低下している今、MARCH関関同立地方国公立大学未満の学生20年前のFラン並の学力層になっていると思う

名の通っている大学でもマーカン未満は相当にやばい

現役ニッコマで本当に社会でやっていけるギリのギリだと思う

2024-04-28

anond:20240428142109

浪人でもしない限り高卒からすぐなんだしそんなに環境変化ないだろ

急に朝遅くなるわけじゃなし

2024-04-15

日大麻薬流行ってるんですねー

親戚が日大に行ける学力ですが

合否にかかわらず候補から外しています

親が許さない。

わざわざそこ行くくらいなら

浪人してワンランク

あるいは別の大学にいってほしいと。

日大麻薬流行ってるんですねー

親戚が日大に行ける学力ですが

合否にかかわらず候補から外しています

親が許さない。

わざわざそこ行くくらいなら

浪人してワンランク

あるいは別の大学にいってほしいと。

日大麻薬流行ってるんですねー

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合否にかかわらず候補から外しています

親が許さない。

わざわざそこ行くくらいなら

浪人してワンランク

あるいは別の大学にいってほしいと。

日大麻薬流行ってるんですねー

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合否にかかわらず候補から外しています

親が許さない。

わざわざそこ行くくらいなら

浪人してワンランク

あるいは別の大学にいってほしいと。

2024-04-14

裕福な女子が余裕を持って格上受験するから医学部合格率が低い

表題のことを書き残したい。

医学部入試男性のほうが合格率が高いのは差別の結果、というのは数年前よく見かけた。上野千鶴子2019年東大入学式"祝辞"でも冒頭で以下のように触れられている。

「全国医学部調査結果を公表した文科省担当者が、こんなコメントを述べています。『男子優位の学部学科は他に見当たらず、理工系文系女子が優位な場合が多い』。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。」

しかし、慶応医学部医学科 ("祝辞"では”事件”のあった東京医科大や順天堂大と混ぜて紹介された)は、点数操作無しで合格率男女比1.37で、上野の母校である京大("祝辞"には登場しなかった)も1.27だ。こちももちろん点数操作は無い。根本的な原因が点数操作以外にあることは、文科省調査結果が出たときから明らかだった。

医学部と他学部合格率男女比が異なることへの私の説明表題の通りで、詳細に言うと以下になる。

受験者の全体平均と医学部など難関大学受験者に多い富裕層では、受験選択の傾向が異なる。富裕層女性偏差値的格上校を積極的受験するため、合格率は男性なみかそれより下になる。》

難関大学は、特に理系医学部以外でも男性のほうが合格率も高い(ことが多い)

2019年4月時点で、一般人でもweb複数年・多数の学部の男女合格率を拾えたのが早稲田 だ。

学部ごとに'13~’18年の6年間の一般入試合格率男女比平均値を出すと

政経0.92, 法学0.97, 文化構想0.94, 文学1.03, 教育1.02, 商学1.22, 社会科学1.22, 人間科学1.20, 基幹理工1.47, 創造理工1.17, 先端理工1.57

となる。文系は男女拮抗が多いが、理工系3学部男性のほうが合格率でもはっきりと高い。

女子枠創設が話題('24年春時点)の京大理系は、‘22年、’23年の合格率男女比が理学部で1.55、1.79、工学部で1.38、1.29となかなかの値だ。

'23年の教育学部(理)も合格率比0.45とすごい値だが、ここは約10名という定員数の影響が大きいだろう。

裕福な家庭の女子学生には余裕がある(?)

 

学部日本大学全体の平均を見ると文系理系女性のほうが合格率が高く (あるいは男女拮抗)、難関大学では男性合格率が高いなら、普通大学難関大学では合格率の男女比がはっきり違うことになる。

よく知られているように難関大学学生受験生の学力面以外での特徴は、経済的に余裕がある割合が高いこと。大学受験で難関大とフツーの大学で違う、はだいたい、リッチ受験生とフツーの受験生の行動が違う、になる。

リッチでそこそこ以上に成績が良い高校生が難関大を挑戦的受験するときは、都市部の中堅以上の私大を滑り止めにしていることが多い。

また、滑り止め大学受験・進学が容易な富裕層大都市居住者女性大学進学率が男性並みか、それ以上で、日本大学受験生の全体平均、ましてや就職コースを含む高校生の全国平均とは状況が大きく異なる。

富裕層女子学生でも進学についてのプレッシャーが強い、とも言えそうだが、"祝辞"では

女子学生浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります

と言ってこれが絶賛されたのだから、フツーは買えない余裕を高い家庭経済力で買っている、という認識が良いのだろう。

たぶん、都市から地方への進学がカギの一つになっている

逆転に至るさらなる要因として、都市から地方大への進学者数が男女で大きく異なることが挙げられる。例えば以下の調査結果

ttps://www.ipss.go.jp/publication/e/jinkomon/pdf/19823104.pdf

都市から地方公立大に進学する動機で大きいのは、一人暮らしをしたい・学費を低く抑えたい、だろう。男性理系との相性がいい。

女性が格上大学記念受験する傍らで男性都市部から地方に進学すると、男性の難関大合格率が相対的に上がる。

社会学徒的には初歩の初歩?

詳細な検討にはデータ (滑り止めと、進学実績水増しのための多数校受験区別とか) が足りない。

しかし書いていて、家庭経済力の差・都市地方における滑り止め確保のコスト差・男女の自主的な行動の違い、が組み合わさって自然難関大学では女性合格率が下がる、というのはむしろ社会学の知見としては当然の結果に思えた。

ただ、そう明記しているものを見つけられなかった。

難関大学における女性学生や志望者の少なさを問題視する論文はすぐ見つかるが、一般社会では数年前に問題視され、"祝辞”でも触れられるくらい話題になっていた合格率は、あまりアカデミック社会学では考察対象になっていないようだ。

かに、人気になれば下がる合格率にやっきになるほうがおかしい。しかし、余計な男女分断を避けるためにもそう言ってくれれば、文科省も何年も調査しなかっただろうとも思う。せっかくなので、ここに書き残しておく。

借金やきついバイトをさせないのは性差別” と上野千鶴子に言われたくない

あの"祝辞"は冒頭の後、こう続く。

2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。『息子は大学まで、娘は短大まで』でよいと考える親の性差別の結果です。」

原因がやはり家庭経済状況と、それへの対処の男女差に要因があることは明白だろう。例えば2014年に発表された調査では、奨学金借金している割合男性理系50%、女性理系46%、男性文系44%、女性文系41%だった。

学生数は男性が文:理 =約1:1、女性が同4:1なので、調査結果の数字を当てはめると借金率男女差は約5ポイントとなる。そして借金だけでなく、きついバイト貧乏生活、長距離通学など、大学進学の金銭面をどうにかするのは基本、男性のほうが適性がある。

借金などムチャをして進学できるのは男性有利な構造があるため、と主張はできる。ただ男性のムチャの動機は、自分より高所得パートナーを得るルートが無い、社会保障も届かない、という要素が強い。

エリート女の泣き所はエリートしか愛せないってこと、主夫 (ハウスハズバンド) を養うなんて現実的じゃない」

という上野本人の有名な言葉が、そしてこの発言をした上野がこの「祝辞」を述べる栄誉を与えられ、なおかつ今も権威として君臨している現実が、男性女性よりも進学や労働でムチャをする理由、ムチャせざるを得ない原因を端的に示している。
一方でそれらのムチャは、よく死ぬ(もちろん同じルート突入たからには男女問わず)、という副作用と、それでもそれがマシ、というつらい現実を伴っている。

上野の主張は、彼女ほど親の経済的援助(大学近くに住居を準備し、かつ博士課程修了までの学費生活費も支える)に恵まれていない子と、そこまではできない親の苦労と苦悩を無視している。また大学進学以外のキャリア視野に入っていない点でも同じ傾向で多様性を欠いている。

そして、大学進学率の低さを解決するために非エリート家庭への経済的支援模索するのではなく、エリート女性を含む女性全体に対する性差別解決せよと主張するのは、自らの指導地位を利用して非エリート女性被害者性を奪う行為だ。

他人の苦難に親身になるのは素晴らしいが、"彼女たちは苦労させられている" を "私たちは苦労させられている" に変換して他者非難し、自己権益を主張する行為を、私は当時も今も好きになれそうにない。

2024-04-05

スポーツ推薦で入学したけど失敗したな、という人と、その親御さんへ

【240407編集しました】

当初はベタ打ちの記事でしたが、あまりにも可読性が低いので見出し記法を用いました。

今見返すと修正したいところは多々あるのですが、明らかな誤記(退学届→退部届)の修正追記日付の補記を除き、情報陳腐化している箇所なども含め、そのままにしています


スポーツ推薦で高校に行く人がどれくらいいるか知らないが、行ったはいいけど馴染めない、中退して想定していたルートから脱落する、最悪の場合自ら命を絶ってしまうという人は(残念ながら)少なからずいる。

私もスポーツ推薦で高校に行った。

中学スカウトにきた顧問は、週に1日は休み練習も平日は2時間、勉学の時間大事にする、著名な大学にも推薦で行けると熱弁した。

私は技量はあったが体力がなく、すぐ高熱をだすようなひ弱な中学生だった。スポーツ推薦なんか到底無理と思っていたが、休みがあるなら、その先があるなら、三年間だけ頑張ってみようと決意した。

結局のところ、顧問説明は全て嘘で、三年間がんばった先輩たちは浪人就職で、推薦で大学に行くのは極めて少数、かつ、いずれも著名とは言い難いところだった。

それでも、しばらくは頑張った。もがいた。40度の熱を出しながら罰走を走らされ倒れた。水を被ってまた走った。自分決断と、それを支持した親の思いを無碍にしたくなかったからだ。

だが、夏頃に怪我で数日通院し、練習に出られなかったことをきっかけに上級生による苛烈イジメまで始まった。

大学に行きたかったので、高校は辞めるわけにいかない、と私は思っていたが、あの恐ろしい部室に行くと思うだけで、ボロボロと涙が溢れ始める。

夏休み明け、糸が切れたように不登校になった。

推薦で取った生徒の不登校というのは、顧問には痛手らしい。手をかけ品を変え、顧問から登校するよう連絡があった。それでも私が応じないと、両親揃って呼び出され、強い口調での退学勧奨を受けた。

子の不登校に加えて、顧問による叱責がよほど強いストレスだったのだろう。両親まで懇願するように、それが受け入れられないと怒鳴り声をあげて退学を求め始めた。この世に味方はいないのかと絶望した。

が、結局のところ、私は図々しくも高校卒業した。部活も半分以上ボイコットした。そして大学に通い、やりたかった仕事に就いた。

今思えば辞めても大検を取れば良いだけだったのだが、大人の不当な圧力に負けなかったという経験は、今でも自分を支えているように思う。

数は少ないかもしれないが、同じようにスポーツ推薦で進学するも、クラス部活に馴染めなかった方と、その親御さんのためになればと、私の経験を書き残しておく。

なお、なるべくなら普通に通学して部活やって卒業した方がいいに決まっている。

それができない我々のための話と思ってほしい。

大学には行きたいなら大検でもいい

大検はそんなに難しい試験ではないが、履歴書卒業高校が書けないのが嫌なら、なんとかして卒業を目指すことになる。

こだわりがないなら大検とって大学に行けばいい。

卒業したいなら単位はとる

卒業には単位必要で、単位取得には出席とテストでのスコア必要になる。

だが、毎日真面目に通う必要はない。

欠席、早退、遅刻の日数を管理しながら授業に出ればいい。

テストのほうは、まあ、頑張って取るしかない。こういう所を読むくらいの「ナード」なあなたなら、スポーツ学級向けの試験赤点回避するくらいはなんとかなると思うが、どうでしょう

クラスで浮いてしまうのは仕方ないと割り切るしかない。授業が始まれ別に気にする必要はないし、休み時間は寝ればいい。だって眠いでしょ?

単位はなんとかなる。では、部活はどうしたらいいのか?

「退部=退学」を信じない

行かなきゃいいのだ。授業に出て、終わったら帰る。

スポーツ推薦入学者は、部活を辞めることはイコール退学だとよく言われる。実際、そういう前提での退学勧奨が横行している。それに応じる人も多い。本人が納得できるなら、それも別に間違いではない。

でも、そんな約束はどんな書類にも書いていないはずだ。

あなたは正当に入学し、保護者学費を納めている。あなたの進路はあなたが決められる。退学勧奨はあるだろうが、応じる必要はない。

(もし、念書とかを書かされていたのならごめんなさい。でも、そんな念書有効なのかなぁ。)

そして、部活に行かないこと、やめたことを理由とする退学処分なんて、通常なら出しようがないはずだ。ナードあなた暴力を振るうことはないし、成績も悪くない。わざわざ制服タバコを吸うこともない。

生徒手帳を開いて校則を読もう。あなたならちゃんと読み取れる。なにか退学に値することをあなたはしているか?していないはずだ。

とはいえ、退部届を出すのはポイントオブノーリターンを超えてしまう。私は退部届けは出さず、部活に出ないに留めた。

時折顧問に呼び出されたが「いじめがあるなか部活には行けません。すみません。」ということを述べ続けた。

顧問はいじめがあること自体を認めたくないので解決に動くこともしない。なので、一生平行線だ。

あなた学校に行けない状態なら、少なから精神的にダメージがあるといえる。心療内科などで相談して、その結果を伝えるのも一考と思う。

もし、やりとりのなかで、あまりにも酷いことを言われたら日時とともに覚えておくこと。それはあなた自尊心を大きく傷つける表現かもしれないが、受け止める必要は一切ない。相手の不当性を立証する強力な武器になるのだから、内心喜んでもいい。

呼び出されたときに一番怖いのは密室での暴力だろう。

顧問はすぐに手を出す人間だったが、私は幸い暴力は受けなかった。ポイントは、表面上反抗しないこと。

無抵抗で頭を下げる人間一方的に殴っちゃまずい、という計算大人はしている。クソ野郎ほど損得計算した上で手を出しているのだ。

賢いあなたは内心、大人バカしまくっているだろうが、それは心の内にとどめておこう。

万が一、暴力を振るわれるようなことがあれば、それは警察に届け出ていい。仮にあなたの態度が反抗的であっても罪は罪だ。

引退

多くの部活は3年の夏頃には引退なので、そこまでいけば逃げ切り。あとは高校生活満喫してやろう。

暇なら部活と同じスポーツ部活以外でやってもいい。部活じゃないから声出しを強いられることも、ミス咎められてランニングさせられることもない。

個人的オススメ大学に行く準備をすること。

大学は相応の学力があれば入れる。内申点関係ない。顧問権力は全く届かない。

大学では、ちゃん勉強しておくとよい。案外、飯の種を拾えることがある。捻くれ人間あなたと馬の合う、もっと捻くれた人間がたくさんいる。楽しいですよ。

そんなんで人生大丈夫なのか?

もしあなた部活をサボれば、顧問は「そんなんでは社会でやっていけない」「人間失格」など言いたい放題いうだろう。言われ続けるとそんな気もしてくるかもしれない。

けど、大丈夫です。私はいま、普通に暮らしている。なんなら、十分恵まれ生活を送れているくらいだ。

正直、一部のブラック企業を除けば、イかれた高校部活のほうが「社会」よりよっぽど理不尽だ。認めたくはないが、部活地獄を見た分、多少のことには動じない。それは一つの強みになっている。

あなたも、実はすでに一般人の平均よりも理不尽耐性が育まれているし、一度は推薦を受けるだけの身体能力ないし学習能力があり、こんな長文も読みこなせるのだから世間からみれば優秀な人材だったりする。

あなた社会通用しないわけではない。むしろ活躍の機会があると思っていい。

それから、一度逃げたら逃げぐせがつく、みたいな言説もあるが、逃げぐせ、結構じゃないですか。私は激務で殺されかけたこともあったが、逃げぐせのおかげで死なずに済んだ。より良いポジションをとれた。適切なとき自分を守れるのは恥でもなんでもない。

一度死んで死にぐせがつくよりいいんじゃないですか。

最後

小学校中学高校とくると、高校世界のすべてのように感じるし、高校でうまくいかないと人生の全てがうまくいかないように感じる。私はそうだった。

でも、実際は高校なんて人生のごく一部にすぎない。思い出せば色々あるが、思い出すこと自体少ない。どうでもいいんですよ。

あなたが真っ当に部活に出なくなると、顧問をはじめ、高校側はあなたに対して色々言ってくる。でも、高校別にあなた人生責任を全うするために何かを言っているわけじゃない。向こうは向こうの都合があり、そのためにあなたを退学させたり登校させたりしたいだけなのだ

ならば、あなたあなたの都合で行動したっていい。

正直、イージーではない。同級生に蔑まれたり、恨まれたりすることもあるだろうし、親の協力も得られないかもしれない。

でも、騙されたとはいえ自分で選んじゃった道なので、まあうまくやるしかない。何度も言うけど、高校の知り合いなんか一生会わないこともできるから適当でもいい。

なんにせよ、スポーツ推薦が体に合わなかった人は、大変だけど、とにかく死なないことは徹底してほしい。

死ぬことに比べれば、一瞬しか関わりのない人間に嫌われるのなど無傷に等しい。常にいい人でいる必要はないんだから高校時代まるまる、いい人を封印したっていい。

あなたの善性はイかれた部室の中でではなく、将来出会う真っ当な環境で、真っ当な仲間に対して発揮すればいい。今は図々しくあれ。サバイブすることに全力を傾けていい。頼れそうなら親に頼れ。高校関係ない友達大事しろ

健闘を祈る。

親御さんへ

お子さんの状況に心を痛めているのではないかと思います。思うようにいかない毎日に強いストレスを感じていることでしょう。

私も今は二人の子父親です。親御さんのお気持ちも今となっては察することができているつもりです。

大変ななか心苦しいのですが、ひとつだけお願いがあります。お子さんの人格や将来を否定するような言葉だけは止めてください。

はいま、十分に幸せ生活を送っていますが、不登校時代高校を辞めさせたくなった父が絶叫した「お前の人生はもう終わってんだよ!」という言葉が忘れられません。

私が学校に行けず、さりとて辞めることもできなかったのは、私自身が人生をどう打開すべきか、悩み続けていたからです。

そんなことを知ってか知らず投げつけられたその言葉はかなりのショックでした。親に叱られることこそあれ、将来を否定されることなど想定もしていなかったからです。

私は全くの無意識に「いつか必ずお前を殺す」と口走りました。

から出た言葉が己の耳に入った瞬間、私は後悔しましたが、謝罪なり撤回なりの言葉を紡ぐ前に、父は「おう、そうしろよ!やってみろよ!もうとっくにお前は終わってんだよ!」と叫び続けました。

私のなかで父への信頼、敬愛が全く失われたことをよく覚えています

このやり取りを思い出すたび、未だに激しい怒りに身を任せそうになります

子供を連れて実家に帰るとき、父は人生が終わったはずの息子が連れてきた孫を心から歓迎して、膝に乗せておしゃべりをしています

父の心底幸せそうな顔を見ると、今この瞬間、父を殴りつけてあのやり取りを思い出させ、徹底的に謝らせて、痛めつけた挙句に殺めれば、いくらか救われるだろうと思う自分がいます

こんな頭のおかし妄想に浸りたくはありません。

しかし、父の笑顔を見るたびに、お前のいうとおりにしてやるよ、と告げたくなるのです。おそらく、私は父が死ぬまで、父を殺す機会をうかがい続けることでしょう。

父と会わなければよいわけでもないのです。

子供たちはしょうもない私に対して無償の愛を向けてくれます。この子達のように率直に父を愛せたのならどれだけ気楽だったのだろうと考えてしまます。そして、あの日の怒りを思い出してしまうのです。

ベビーベッド、バウンサー公園砂場保育園の帰り道、アイスを食べながら休むベンチ、初めてのランドセル幸せに満ちているはずの至る所に父への殺意が頭を顔を覗かせるのです。

そして、いずれ私自身が父のように、子供否定する日が来るのかもしれないと怯え続けています

結局のところ、私の傷は社会に受け入れられても癒えることがありませんでした。20年近く前の親の一言で、私の人生の一部は壊れてしまっているのです。

親も人である以上、感情衝動もあります

しかしながら、どうか、どうか、お子様の人格と将来を否定しないでください。

長文、乱筆失礼しました。

以下追記(240405)

(なんかうまくいかず、再投稿してしまっていたようです、ごめんなさい。こちらに改めて記載します。)

このような長文、悪文にも関わらず、想定を遥かに超える反応をいただき、驚いています。読んでくださった皆様、ありがとうございます

疑問点もあると思いますが、身バレはしたくないのでこれ以上の説明は避けます

スポーツ推薦で入ってもサボれば大丈夫

かいコメントや反応が多いことはとても嬉しいのですが、想定外でした。

ここまで好意的意見が多いと、私の手法がみんなに支持される、定石や必勝法のように思う人(特に危険なのは中学三年生)が出てくるのではないかと、少し不安になってきました。

その点について、もう少し書かせてください。

私の対応あくま緊急避難であって正攻法ではありません。私のパーソナリティ顧問間抜けさ、高校の意外な寛大さが合わさったという偶然の部分が大いにあります

また、同じようにスポーツ推薦で入学し、日々理不尽と闘う同級生、先輩後輩からすれば、私のような立ち回りをする奴は完全なクソです。皆さんが顧問に対して抱いてくださった反感と似たような感情をぶつけられる対象になるのが普通です。

必勝法でもなければ、周囲に褒められるやり方でもないのです。

「とりあえずスポーツで行って、ダメならサボればいいか」というのは絶対にやめたほうがいいです。実力で行ける高校に行きましょう。

もしあなたが極限状態にあるなら、私は何度でも自分本位と言われてもいいかサバイブしてね」と伝えます。これは全くの本音です。大人迷惑をかけてもいい。生きましょう。一般社会より厳しい世界あなたは知っている。あなたは人に優しくなれる。あなたの優しさを、まともな世界にまで運びましょう。

でも、あなたがまだ選択余地を残しているのであれば、最初からこんなことを狙っちゃダメだ。

父とのこと

ここで文章したことで、少し整理ができた部分があります

愚かで幼稚な父のために、私と子供達の幸せ犠牲になるなんて絶対おかしい。

高校時代出来事など、人生のうちの一瞬のことに過ぎない。俺自身、そう書いたではないか

許すことはできなくても、忘れること、思い出さないことは努力できるんじゃないか

というところです。話し合いは正直怖いんですよ。年老いた父は幼い孫たちには優しいですが、母や私のきょうだいにはますます頑迷になっていて、本当に手をかける結果になりかねない。

もう一度、最後

心配してくださったみなさん、労ってくれたみなさん、本当にありがとうございます

この文章が、必要とする人に届いて、悩む学生さん希望する進路へ進む契機や、良好な親子関係の構築の一助になれたとすれば、これに勝る喜びはありません。

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