はてなキーワード: 未来とは
Aに行くべし。半官ドメに未来は無いよね
京都の繁華街(中京区~東山区)で飲食業に携わってきた。もう二十年以上になる。独立してからは居酒屋をやっていた。
ワンピースがあるだろう。漫画の方だ。多くのキャラクターが出てきて、麦わらのルフィのメンツ(なぜか全員童貞に見える…フランキーは別だ)が色々いて、そのうち誰かとは気が合いそうな気が読者はするわけだ。そんな路線をめざしていた。多様性である。
今回は自分の考えを伝えてみたいし、お客さんへの接し方の哲学についてもご教示願いたいことがある。料理の作り方や仕入れ、広告宣伝とか、そういうのは自分なりの答えをもってる。が、こればっかりは答えが出ない。「嫌な客は出入り禁止にすべきか」という論題だ。
以下、うちの店でお客さんが取った問題行動+店側の対応という形で説明させてもらう。四人分ある。
50代ほどの男性だった。夜7時くらいにお店に来る。いつもスーツだった。小綺麗とまでは言わないけど、まあ整った感じだ。性格はおとなしいのか騒がしいのかわからない面があった。『壁』という小説に出てくるS・カルマ氏なんじゃないかと思える時もあった。
うちの店は、京都の個人居酒屋の標準的なメニューを置いていた。豆腐とか、焼き魚とか、季節の野菜の煮つけとか、湯葉のスープとか、柚子胡椒風味の鳥のから揚げなんかの、まあ京都って感じのメニューだ。みんなそれぞれ、お互いの店からメニューを盗み合っているという事情もある。俺も若い頃は祇園で修業してたけど、京都市内の飲食街はすべて巡って勉強した。「うちの店」というのも祇園の端っこにあった。先斗町や河原町寄りの。
どの業界でもそうなんじゃないか。週刊少年ジャンプだってそうだろう。漫画家同士、お互いに表現方法をコピーし合っている。半年以内で打ち切りになる漫画でもそうだし、鬼滅の刃みたいな大傑作でも変わらない(○○の呼吸はジョジョの波紋をリスペクトしてる)。
京都の飲食業でもそうだ。同業のお店に一般客として出入りし、美味しそうなのを見つけたら、調理法をこっそり見て、自分の店でも同じようなものを提供する。
うちの店では、とあるサービスがあった。お客が女の子の店員に飲み物を出すと、暇な時間限定で話相手になってくれるのだ。A氏は、いつも地元の高校に通っている女子店員にウーロン茶(400円。お客は2杯目から200円)や、イチゴミルク(500円)をごちそうしていた。それで、15~20分程度のお喋りに興じるのだ。そういうサービスが確かにあって、それを目当てに来るお客さんが何人もいた。40代過ぎのリーマンが多かったかな。
彼らは、女子高生や女子大生に限らず、自分の好みの子がいたら「一杯飲んでいいぞ」と声をかける。お気に入りの店員に飲み物をやり、わずかな時間の楽しみに興じる。
それで、店としては売上が立ち、女の子は注文金額の50%のバックがもらえて、お客さんも喜ぶというわけだ(損して得取れ)。だがある時だったか、猛者の女の子がいて、なんと誕生日にシャンパンを奢ってもらっていた。当店の一番安いシャンパンは二万円だったので、一万円儲けたことになる。いやぁ、あれには参ったね……(以後、一万円超の場合は25%バックに変更した)。
そんなある日だった。A氏が行動に出た。帰り際に、ドリンクを奢った女子高生に連絡先を聞いて、食事の約束をしようとしたのだ。女子店員は、「え~」といった表情でケータイを取り出していた。すぐさま俺が止めに入って、「お客さん。困ります」とひと睨みすると、「あんたの方がいけんで。こっちの自由やん」とアレな発言をしていた。
この人には二面性があった。このお店に居る時と、それ以外の社会とで違う顔をしていた。女の子には、「オレね、自分の名前がわからなくなることがあるんだ」とか、「世界の果てに行ったみたいなあ。世界の果てってどこかわかる?」とか「このグラスと君のグラスが、この間がね、オレとあなたの心の距離」など意味不明なことを喋っていた。
ある日、同じ会社の仲間数人と一緒にお店に来たことがあるが、まるで別人だった。大人しくって何も喋らない。黙々と飲み食いしている。女子店員が話に行っても変わりなしだ。借りてきた猫みたいだ。
かつて、A氏の「世界の果てはどこだろう?」という質問に対して、地元の高校に通ってる女子店員(※上で誘われた子)が、「うちの店も世界の果てのひとつですよ。地球は丸いんですよ」と答えたことがあった。でも、その子に話しかけられても黙っていたかな、確か。
で、A氏を止めに入った俺はイライラしていた。「すいませんけど、もう来ないでくれます? 次来たら、その場であんたの会社に連絡しますよ。警察は勘弁してあげますから」とタンカを切った。すると、A氏はそそくさと会計を済ませて出て行って、それ以来うちの店には来ていない。
その日、店員から感謝された。普段、俺に尊敬の念を一切抱いていないと思われる従業員ですら「マスター見直しました!」と言ってくれた。世界の果ての女子高生は、「やりすぎだったんと違います?」と言っていたが、その子の未来のためには正しい行動だった。
俺の考えが変わるきっかけだった。どんなお客さんでも受け入れるのが飲食店の正道だと思っていた。面倒くさい客はいるが、それが多様性の確保に繋がるという考えをもっていた。
二人目:B女史
B女史は大学生だった。同志社女子か華頂短期大のどっちかだった気がする。
この子は、いつも夕方に来て、安い定食だけ頼んでサッと食べて帰る。週に一回ほど来ていた。「高島屋の化粧品店でアルバイトしてる」と、B女史と店員が話しているのを聞いた。
ちょっと話は逸れるが、うちのお店には、居酒屋としてのメニュー以外に定食があった。安い値段で昼食を食べたい人に向けて、なんと800円でから揚げ定食(弁当)を用意していた。味は当然祇園レベルだ。先斗町や木屋町にある標準的な店とは比較にならない。
祇園にも、夜に高い値段で酒肴を出している居酒屋が、昼の時間帯にリーズナブルな価格で昼食を提供している例がある。それでも千円超えは基本だった。それを、原価計算を積み重ねた末に800円という価格を実現させた。しかもウーロン茶が一杯まで無料だ。二杯目からは200円。
お昼時に、店の近くの路上で弁当を売りに出すこともあったのだが、売り切れることが多かった。やはり、コスパがいいのがわかるのだろう。少なくとも毎日30食は売れていた。コスパでこの定食(弁当)に勝てる可能性があるといえば、近所だと長浜ラーメンかやよい軒くらいのものだった。安い店だと、松屋が近くにあったが、こちらの定食の味に比べればゴミかクズのどちらかだった。
※ここに書いてる話は、相当昔になる。今だと祇園レベルの味で800円のから揚げ定食など不可能だ。あと、今だと道路で売店とかやったらすぐに警察が来る。昔は、無許可のラーメン屋台などがよく営業していた。
経営は回転寿司のやり方に倣っていた。くら寿司とかで、いくらやウニが100円ほど(※当時の価格)で廻っているだろう。ああいう原価割れのメニューを提供できるのは、赤だしとかタマゴとかラーメンとかうどんとかデザートとかで黒字にしているからだ。撒き餌である。
祇園の寿司屋で出してるようなウニだったら、木箱ひとつで当時5万円(200円/g)はした。回転寿司がどんなウニを使ってるかは知らんが、卸値だと(5~10円未満/g)といったところか。祇園で出てくるウニの握りなどは1貫3,000円以上することもある。それでもサービス価格だ。
他流であっても、いいところは積極的に盗むべきだ。から揚げ定食が800円だと原価割れ寸前なのだが、そのお客さんが夜の時間帯にも来てくれたら投資は回収できる(弁当にチラシ入れてる)。そんな未来に賭けていた。
B女史に戻ろう。上のから揚げ定食は、昼の売れ残りの一部を再利用して夕方以降の営業時間にも提供していた。クオリティが落ちてる分は600円にしていた。そして、彼女はその定食しか注文しなかった。夜に来てくれるわけじゃなし、お酒を頼むわけじゃなし、友達と一緒に来るわけでもない。30分くらい居て、女子店員やイケメン大学生店員と軽くお喋りをしてアルバイトに出かけていく。
彼氏(同志社)と一緒に来たことは何度かあったが、なんと、二人でひとつのから揚げ定食をシェアしていた。一緒に食べていたのだ。ひとつの定食を。仲睦まじく。電線に留っているツバメのカップルみたいだった。
B女史は、ほかの男性客から不評だった。うちの店はコの字のカウンターだが、そんなに広いわけじゃない。常連同士、話をするのが基本だ。
B女史の近くの席になった男性客が話を振ることがあったのだが、B女史はいつも愛想がなかった。せめて演技くらいすればいいのに。ストレートに「気分が悪いです」とか「今話したくないです」とか、人が不快になる言葉を発していた。
このまま社会人になれば通用しないだろう。せめて愛想はよくするべきだ。ジェンダーとか多様性とか言われているけれども、保守寄りの価値観も大事にすべきだ。人間の本来的な感情に根差しているのだから。B女史は、せめて社会関係を保てる程度の『優しい嘘』はつくべきだった。
それである時、とある男性客のおじさんがB女史を叱ることがあった。「あんた、もう少し考えて行動しいや。いけんで。もっと仲ようせんと。就職しても通用せんで」だったかな。俺もそのとおりだと思い、フテ腐れているB女史をやんわりと宥めた。
すると、「だったら、もっとおいしい店を紹介してもらっていいです?」(※京都だと、いいです?↑とイントネーションが上がる)と、人を舐めくさった態度を取るので、俺も頭にきてしまった。
「前から思ってたけど、このお店は君には合ってないみたいや。もう、今日で来るの終わりにしとき」
と言ったら、B女史が席を立って会計をしようとした。すると、近くに座っていた若手社会人の常連さんが、「○○さんだっけ。あなた、まだほとんど食べとらんやん。俺も注文しとらんし、よかったらいい店教えてやろか。どうする、まだ時間ある?」と提案をして、それでB女史も同意して、二人で一緒にお店を出て行って、それから彼女が店に来ることはなかった。
三人目:C氏
さっきの若手社会人だ。当時30代前半だったが、人間ができていた。相応の男前で、体格もあった。すでに遠方に異動しているので言わせてもらうと、日本銀行の職員だった。ほかの常連さんには内緒にしていたが。会社名を聞かれると、彼はやんわりと『優しい嘘』をついていた。
ちなみに、後で聞いたところによると……彼がB女史を連れて行ったのは、京都で一番予約が取りにくいとされる伝説の居酒屋だった。グーグルマップに載っている。高島屋からも近い。C氏は、お店の扉を開けて、「今日入れますか」と店主に声をかけたところ、予約客がキャンセルしており入ることができたらしい。
だが、B女史の財布には非常に厳しい金額だった。C氏が「千円払ってくれる? 好きなだけ食べていいから」と言うと、B女史は本当に好きなだけ食べたらしく……C氏によると、その時に連絡先を交換して、またおいしい店を紹介する約束を取り付けたらしい。それで、その後はと言うと……これはまた別のお話、機会がある時に話すことにしよう。
※ここだけの話、『伝説の居酒屋』(食堂 おがわ)はバッファーを作っている。全席が予約されてるわけじゃなく、店主の気分次第では、予約なしで入れてくれることもある。後は、偉い人が来店した時くらいか。体感だと、5回に1回くらいは予約なしでも入れる。
とにかく、C氏は人格レベルが高かった。若い店員にも敬語だし、いろいろ注文するし、お店の周年記念にはシャンパンを入れてくれるし、テーブルは綺麗にして帰るし、飲み方も綺麗だ。
なぜC氏をここで挙げるかというと、彼もまたやってくれたのだ。どんな人間にも欠点はある。C氏の欠点は、完璧すぎることだ。完璧すぎて、ほかの仏―の人間からすると予想できない方向でトラブルを起こす。
事例①
女子店員がC氏に近づきすぎる。彼はモテた。見た目はそれなりで、清潔感があって、人当たりがよくて、自信に満ちた振る舞いをしていた。彼からいい扱いを受けたい女子店員の人間関係が悪くなった。
事例②
正義感が強く、営業中のトラブルに首を突っ込む。警察を呼びたくないのに彼が呼んでしまって、えらいことになった。特に暴力団や半グレの関係。体を張ってくれるのはいいが、清濁を併せ呑んでほしかった。
みかじめ料とか何とか言われても、払わねばならないお金だってある。俺に言わせれば、あれは税金の一種だ。あれで飲み屋街の平和が守られている面は確実にある。あの辺りの多くのお店は、おしぼり台や観葉植物のリース料として支払っている。たまに半端なやくざ者(半グレに近い)が現金を要求してお縄につく。
事例③
4人目に譲る
ある時、C氏にやんわりと警告をした。うちの店の課題に首を突っ込まないでほしいと。うちの店の課題は自分で解決する、と。行政に頼るのは最後の手段なのだと。
それからスッタモンダあって、彼はお店に来なくなった。後は風の噂で聞く程度だ。残念な結果になったが致し方ない。いいお客さんだったけど、これも運命だ。
四人目:D氏
時系列的には、C氏がまだ来ていた頃だ。
D氏は、障害者だった。軽度の知的障害で、あまりモノを喋ることができず、メシは食えるが手がおぼつかない。テーブルの上は汚い。いつも母親が一緒に来ていた。
来客を断る意思はなかった。当然だ、お客さんなんだから。いつだったか、彼が口からご飯を吐き出す行為をマネしていた大学生(立命館だったと思う)には厳しく注意をした。「客を馬鹿にするな。お前、今度やったらクビにするで」と明言している。
が、お客さん同士のトラブルになると話は別だ。ある日の午後八時頃だったか、その母親とD氏が米類を食べていたところ、ゲフンゲフンとD氏がせき込んで、口の中から飛んだ米粒が別のお客さんグループのビールジョッキに入った。幸い、店員が気が付いてすぐに替えのビールを用意した。ほぼ満席で席移動は難しかった。
その日、同じようなことが何度も起きた。何度も何度も、D氏の口から飛び出したモノが、隣のお客さんのスペースに飛んで行った。ついにキレたお客の一人が、「おいあんた! そこのぎこちない感じの人(※京都人なりの婉曲表現)、家に帰してくれへんか!!」と母親に怒鳴った。
母親は「すいません」と謝っていたが、彼が譲る様子はない。「その人は外に出したらあかんのと違うんか。なにしとん。帰ってくれん?」と捲し立てる。
母親は何度も謝っていた。その間も、何がしかの物体がお客さんの方に飛んでいく。彼はさらにカッカして、これはいかんとなったところで、離れたところで呑んでいたC氏がこちらを見た。
俺はもう、余計なことは勘弁願いたかった。母親に向かって「お代はいいんで。今日は帰ってください」と伝えた。すると「すいません。堪忍してください。今日は誕生日なんです」と返ってきたが、今度はもっと強く「帰ってほしい」と伝えた。
すると、C氏が怒った様子でこっちに来たのだ。「増田さん。その対応で本当にいいんですか。自分がこの人の隣に行きますよ。五人くらいスライドすればいいでしょ」と。
俺はキレた。「お店のことに口を出さないでって言ったでしょ。俺が責任とりますから」と端的に返すと、C氏は憮然とした様子で自分の席に戻った。
母親と息子には、その場で帰ってもらった。お母さんには「ほかのお客さんのこともあります。お店が空いている時でないと今後のご利用は難しいです」と伝えて、お店の入り口まで案内した。
翌々日だった。京都市役所の福祉部署から架電があった。母子のことで、差別に該当するおそれがあるとの内容だった。C氏か、D氏の母親が京都市に連絡したのだろう。俺はこういう卑劣な行為が許せない。どうしてこんな惨いことができるのだろうか。「障害を理由に差別をすることは~」と電話口で喋る京都市の職員に怒号を発した。
「ええか、こっちは商売でやっとんのやぞ。お前らは公務員やんけ。民間の商売に口はさむなや。こっちがどんだけの思いで商売やっとんかわからんやろ。障害者も受け入れんといかんのくらいわかっとる」
みたいなことを言った。すると、福祉部署の職員は変わらず「差別はだめ」とオウムのように繰り返すだけだった。「公務員は楽でいい。頭の中が非現実で、お花畑で、お金や暮らしのことなんか考えなくてもやっていけるんだからな。羨ましい」そう感じていた。
「それは行政指導やろ。従うかどうか選べるんやろ。ウチは従いません。ええな、おい、おーーーーい!! わかったな」という具合で、受話器をガチャンと置いた。
これが商売の世界だ。勝った負けたの世界では、強く、強く自分の意思を強く主張できないと食っていけない。公務員やサラリーマンじゃないのだ。
結局、お客に接することの哲学というか、そういうのは何が正解なのだろう。どういう場合に出入り禁止にすべきなのか。未だに答えが出ない。
ところで、『うちの店』は、約二年前に閉店した。コロナウイルスに勝てなかった。飲食店組合から休業要請の通知があって、当初は休んでいたが、行政の対応が誤っていると気が付いて通常営業に切り替えた。うち以外にも、筋違いなことをしている行政には従わないという店舗がいくつかあった。
が、コロナウイルスは強すぎた。店を閉めざるを得ないほどに経営が追い込まれた。ほかにも、グーグルマップや食べログの口コミにあることないこと書くような卑劣な奴らがいた。自分を正義とでも思い込んでいるのだろう。
今でも飲食の仕事をしている。いつかまた、お金を貯めて店をやるのが目標だ。あの店は居抜き店舗で残してある。幸い、まだ借主は現れていない。いつかまた、店を開いてみせる。
今回は、そんな決意を新たにするために増田に投稿した。どんなお客を断るべきか、受け入れるべきか。何かアドバイスがあればいただけると幸いです。
そこそこ年期の入ったオッサンだけど、他人の思い出話というか、その人が小さかった頃の話にめちゃくちゃ弱い。
結構な頻度で泣きそうになる。泣かないまでもだいぶ込み上げてるので話への相槌が変な声になったりする。
誤魔化してるけどたまにバレて気味悪がられる。そりゃそうだろうな!
今になって始まったことじゃなく、子どもの頃、もっというと物心ついたあたりから既に思い出話に弱かった。
俺は今も昔も寝付きがめちゃくちゃ悪いんだけど、親に寝かしつけてもらうときは「両親の子どものころの話」をせがんでそれを寝物語にしてもらっていた。その起承転結のないただのなんてことのない遠い昔の話を聞きながら、ひとりめっちゃ涙と鼻水を流してはスッキリしてスヤスヤ寝付いていた。
泣くっていっても嗚咽あげるとかではなく、涙と鼻水を垂れ流すだけなのでさすがに両親も気づいてなかったのでは…と思う。。
親の実家である親戚の家の周囲の景色を思い浮かべながら、そこで駆け回る子どもの姿の親を想像する。
特に涙腺を刺激するお気に入りのナンバーもあったので、繰り返しリクエストしたりもした。
学校の水泳の授業が池で行われて、ヒルに吸われて大変だった話とか。
何一つ感動・悲劇ポイントもない、本当にただの日常の話なんだけど、その思い出話の中にいるあどけない子どもがすっかり大人になり今隣で話をしている。ガキの自分からすれば気の遠くなるような時間の流れに、子どもながらに「無常」を感じていたんだと思う。「無常」でそれはとても「あはれ」で、他に言い換える語彙が見つからない。
親も昔は子どもで、それゆえにさまざまな未来の可能性があったはずだけど、結局今こうして大人になって結婚してキショいガキを産んで思い出話で寝かしつけている。そうじゃない色々な可能性もあったんだろうなと思うと、もっと幸せだった未来もあったのかも、と申し訳なくなったりもした。両親の場合はそういう涙腺加速バフがかかるのでより泣けた。
なぜそんなことを思い出したかというと、昨日妻がめずらしく子どもの頃の話をしたからだ。妻はあまりそういうことを話さない人で、俺は妻の子どもの頃の写真さえ見たことがない。なんか話の流れで、妻が子どものころどこかの旅行の土産で「笑い袋」を買ってもらってしばらくそれで遊んでいた、と言ったのでたまらなくなってひとりで泣いてしまった。
色々お土産がある中で笑い袋を選んだ彼女のそのときの気持ちはどんなものなんだったのだろうか、思いをはせてもうダメだった。
うちには子どもはいないが、仮にいたとしたら自分の子なら昔話をせがんできたりするんだろうか、なんてことを思いながら、自分が子どもだったときのことを一寸思い出したりしてみた。
ジャパンカップはイクイノックスの史上最強論争を終結させるような見事な走りと、2着に負けはしたが力をしっかり見せつけてくれたリバティアイランドの活躍で華やかに終わった。
その裏で、3勝クラスのウインエアフォルク、地方競馬所属のチェスナットコート、クリノメガミエースの参戦があった。
チェスナットコートは中央で4勝しオープン入りしてからの地方転籍、クリノメガミエースも中央で新馬勝ちをしてからの地方転籍なので、中央実績からの所属クラスだけで語るならチェスナットコートは文句なし、ウインエアフォルクは1つ格上挑戦、クリノメガミエースは3階級格上挑戦ということになる。
(競走馬は「未勝利、1勝クラス、2勝クラス、3勝クラス、オープン」の順に昇級し計4勝すれば最上位のクラス所属となる)
しかし、格上挑戦だろうと当然、地方馬2頭も中央への出走資格を持っており、ジャパンカップへの出走希望馬の数や獲得賞金額など加味して、出走優先順位が上位18頭に入ったから全馬出走できたわけだ。
ルールに従っての堂々の出走だったわけだ。
結果はウインエアフォルクが15着、トラストケンシンを挟んでブービーがチェスナットコート、最下位18着はクリノメガミエースとなった。
ただ今回、ウインエアフォルクはともかく、チェスナットコートとクリノメガミエースの挑戦を批判的にツイートした人がXに現れ、炎上し批判される事件が起きた。
さらにそのアカウントに、クリノメガミエースの生産牧場の方が「このように批判されてもお互いに良いことはないんじゃないかと。もしクリノメガミエースが迷惑かけたのならすみません」と忠告と謝罪をした。
競馬に限らずだが、あらゆる場面において、勝てないと解りながらも夢を見て、より上を目指して挑戦することは尊い。
そこを否定してはならない。
そしてあらゆる競技に絶対はなく、例えば前の方で多重落馬事故が起き、後ろにいて巻き込まれなかった馬が勝つようなこともなくはない。
オリンピックのスノーボードレース、スピードスケートなどでもたまに見る光景だ。
なので、どれほど実力が足りなくとも、どれほど勝つ可能性が低くとも、そこに挑戦する価値はあるのだろう。
日本だって欧米から学び挑戦し続けたからこその今の発展だし、日本人のメジャー挑戦のさきがけとなった野茂英雄や、メジャーで通用しないと言われながら日本人野手初の大リーガーの1人となった新庄剛志がいたからこそ、今の大谷翔平の活躍があるとも言える。
馬だって同じで、ジャパンカップはそもそも日本馬が勝てない大会だったのが、いまや外国馬が勝てないので誰も来てくれなくなったほど、日本の競馬の進歩は目覚ましい。
今は中央と力の差がある地方競馬も、ミューチャリーのように中央馬を倒す馬だらけになる日だってくるかもしれない。
馬からするとレースの格は関係なく、騎手の指示に従って一所懸命走るだけだ。
馬は慣れないコースを走って故障することもあるし、一度の惨敗でその後のやる気を失うこともある。
その結果、それ以降のレースで走れなくなり、すぐに引退、馬肉になることもある。
馬のその先を思うなら、馬が一番活躍できるキャリアを用意してやることも、馬にとっては大切なことだろう。
しかし、オーナーがその馬をちゃんと愛していて、挑戦で結果が出なくとも、その後走れなくなったとしても、その後大事に面倒を見る覚悟があるならもちろんその挑戦にマイナスの面は少しもないだろう。
今回挑戦した馬たちのオーナーがどのような姿勢かは知らないが、馬に夢を託し、大きなレースに出した以上は、馬を大切にする方達だと思いたい。
地方馬のジャパンカップ参戦だけではなく、日本馬の凱旋門賞挑戦も似たようなものだ。
タイトルホルダーやドウデュースが凱旋門賞に挑み、結果的に惨敗し、帰国後もパフォーマンスを落としたとしたわけだが、彼らはそんな結果に関係なく、将来立派な種牡馬になることは確定している。
だがそんな馬は、ほんの一握りだ。
ひとつ言えるのは、「尊い挑戦をする人」と「可哀そうな馬」は両立され得るということだ。
タイトルホルダーのオーナーも、後になって「馬には可哀そうなことをした」と言っている。
あの時の増田は出馬表を見て驚き、「俺たちのあの子が中央で、win5対象の特別戦に出るんや!うおー!楽しみ!」というかつてない楽しみに震えた。
そしていつも見る地方で行われる中央地方交流戦重賞では、出稼ぎにきた中央馬たちが上位を独占して帰っていくのも見慣れた光景だ。
何が起きても覆らないほど、中央馬と地方馬に力の差があるのは肌身にしみて理解している。
もちろん勝つことはないだろう。
ひとつでも上の着を目指してくれたら、あわよくば1桁着順も?最下位は避けてくれるのは可能でしょ!なんて思っていた。
パトロールを見れば、必死に追って、流したブービーに迫る程度だった。
勝たないのはわかってたけど、思っていた以上で、少しがっくりきた。
いや、それでもよく頑張った、と思ったし、馬も騎手も立派だったし、彼女が俺たちを中央に連れてきてくれたのは誇らしかった。
でもホームの地方競馬場に帰ると、その初戦で見たことないような惨敗。
目を疑った。
え?俺たちの強い彼女は?どこにいった?
田舎のエリートが全国模試でさんざんで、自信を無くしたかのような走り。
うわっ、あの子傷ついてたんだ…
そこからだんだん、俺たちは彼女にとても申し訳ないことをしてしまったんじゃないかと思うようになった。
もちろん馬主や調教師の判断だし、ただのファンには何の権限もない。
でも、あの日無邪気に舞い上がっていた自分は、彼女にとってどういう存在だったんだろう、とは思うようになった。
「馬には可哀そうだった」この言葉は、実感があればあるほど、簡単じゃなく、重い言葉になると思う。
別にこの挑戦に正しいも間違っているもない。
挑戦を辞めたら人は終わりなのも事実だ。
だが馬はその挑戦も、その価値も知ることはなく、可哀そうなことをしたら可哀そうになるのも事実だ。
ただ、挑戦は可哀そうなだけでなく、ディープボンドみたいに惨敗してもいい経験として強く成長する馬もいる。
今回のウインエアフォルクと藤田菜七子騎手は、いい経験になって成長してくれる、と期待されていた。
個人的には、俺たちの吉村騎手がジャパンカップ走ってくれたのは嬉しかったし、いい経験になったろうし、いま競馬学校生の吉村Jr.にもその経験が受け継がれていくと思うと、クリノメガミエースの参戦にも大きな価値が詰まっていたとは思う。
人が馬に楽しませてもらい、その職業の人たちは馬にご飯を食べさせてもらっているのだから、誰だって馬に可哀そうなことをして欲しくはないし、したくはないだろう。
しかし実際の競走馬はあくまで経済動物で、乳を搾る牛や、肉をいただく鶏と本質的には変わらず、ある程度の可哀そうなことを強いるのも必然ではある。
だからこそ線引きは難しい。
「同級生の名前で検索したらFBの結婚報告が出てきて最悪だったよ~~~私まだ独身なのに~~(๑o̴̶̷᷄﹏o̴̶̷̥᷅๑)」なんてのは自分には無関係だと思ってた。
そもそもなんで同級生の名前で検索するのかが不思議でしょうがなかった。
同姓同名の人がどっかの新聞に犯罪者として名前が出ているのを見て下には下がいるとでも思いたかったのかな?
自分がもしかしたら掴めていたかも知れない幸せを見ることで、自分の人生が失敗していることを理解する。
それで何が得られるのかは知らないけど、なんかこう刺激的な感情が胸にやってくることで意識をそっちに向けようとしたいとか?
痛みに対して別の痛みをぶつけることで、せめて痛みの種類を変えたいとかそういうもんなんだろうか。
いや本当に理解不能だ。
不思議だ。
研究室の卒業生一覧、名前も思い出せなかった同級生やTAとしてお世話になった名前をコピペしてグーグルに打ちこむ。
中には顔写真が出てくる人もいる。
頬の肉付きがやたら増えている人、骨格レベルで変化してる人、髪を伸ばすようになった人に逆にすっかり剃った人、色々な人がいるが同じ年代と研究分野で同姓同名がそんなにたくさんはいないだろうから自分の同期、先輩、後輩で間違いないだろう。
名前が全く出てこない人もいるが、出てくる人は概ね成功している。
辛い。
俺がほとんど事務職同然の仕事をして、業務の大部分は電話対応やメール作成って状態で虚無感を抱えている中で、院卒後に論文を何本も出していた人がいると思うと胸が張り裂けそうになる。
俺の人生はなんだったんだろう。
俺の存在意義ってなんだ。
AIが発達して秘書的な役割が全部機械任せになったら俺の居場所は残るんだろうか。
もう何年も技術なんて磨いてない。
会社の昔の製品の知識を頑張って覚えるのに手一杯で、最新の技術なんてのは枯れ木の賑わいとして頭数合わせに出席するチンプンカンプンな会合でなんとなく見聞きすることぐらいだ。
取引先の人に名前を覚えられてはいるが、取引のない人はきっと俺の名前なんて全くわからないだろう。
赤の他人に名前を知られているからってなんだというんだと我ながら思うんだが、科学や工学の発展なんかより名誉欲を求めていたんじゃないかと我ながら呆れるのだが、この世界が未来に進んでいく過程、その石畳をひっくり返してそのどこにも自分の名前が刻まえれていないだろうと想像することがなぜこうも心を締め付けるのだろうか。
何者でも構わない単なる電話番小僧の延長線上に、俺のなりたかった自分はないらしい。
でも今更走り出そうという気持ちは湧いてこない。
へたり込んだままその場所に根を張って、羨ましい羨ましいと嘆きながら残りの人生を過ごすのだ。
もう歩めないのだ。
アラサーの自分ですら大切にされてこなかったし、一世代上の氷河期世代はもっと大切にされてないし、ずっとずっと若い世代の死因は自殺が多いので、
滅びまでの消化試合中〜
今更そんなこと騒いでも今の若い世代もこれから生まれてくる世代も未来のない世界で生きていくんだよ〜
いくら許せなくても世界側に代わってもらうのは無理だから自分で受容適応するしかないのはわかるけどまだ出来ねえ~~って話。
世の中に趣味娯楽はたくさんあって、深入りしてるからこそ苦しんでる事例もたくさんあると思うんですが、
私はその中でもセックスや恋愛で不幸になってる人をみると勝手になんかつらくなっちゃって、
出来るだけ共感半径に人を入れないとか、友達でも性事情は浅いとこまでしか聞かないみたいなことを割と意識的にしてまして。
その直接的な原因が、創作物でもNTR、BSS(僕が先に好きだったのに)で変なダメージ食らうんですよね。
(特にBSS、被害者面する正当性なんもないからね。でもつらいよな)
あと女子高生・大生が身内パーティではしゃいでたらそんなつもり全然なかったのにお持ち帰りされるやつ。
で、「なんでこんなダメージ食らってるん?」って自問自答して、
「こういう要素のこういうところが苦手かもしれない」って要素の羅列です。
「そうじゃない人もいる」のは百も承知なんですが、
「その傾向がある」「こうなる可能性を排除できない」の話です。
誰でも、何に対しても100回目より初めてのほうが特別だと思うんですよ。
でもセックスの場合って片方が「おれ20回目だしこんなもんでええやろ」くらいの気持ちでもう片方初めてだったのに!
みたいなことも起こるじゃないですか。
男女ひっくり返るパターンももちろんあるけど、そういう「相応の覚悟がないまま他人の人生に影響を及ぼす」ってのがなんかグロく感じる。
貞操観念が完全に一致してる社会ってのを想像してみたりもしたんですが、
多くて十数人程度かつ権力勾配がほぼない小集団ならともかく、それ以上になると無理じゃないか…? と思うわけでして
原始的な社会においても権力持つ男にとってはセックスは安いし、
・セックス・恋愛対象を金銭的・量的価値で換算することが当然なのが嫌い
女性で言えばかわいかったり、若かったり、アイドルだったり、未経験だったりするとまあ性的に求められる機会は増えるじゃないですか。 応じるかはさておき。
でもって金銭的価値で計算することが可能になるわけじゃないですか。
それにキモさを感じるんですよね。
よりキモいけど確実にあるだろうな…って例でいえば、
「逆にしてみて、初めてじゃないとわかるとキレる」
BSSのこと好きになれないながら馬鹿にもしがたい理由がこの辺で、生理的なショックは止めようないもんな…。
処女厨に関しては思考実験として、義務教育で全員性教育実習するような社会だったら変わるのかもしれん。
が、少なくともこの社会はそうではない。
どっちが有利かってのは置いといて、
一般的に男は顔や、金や、話術や、センスで相手を探す(短期的なお相手)ゲームになりがちだし、
女は顔や、若さや、仕草をお金に変換したり、相手を探す(人生のパートナー)ゲームになりがちじゃないですか。
二者の切実さに差があると、優位なほうが搾取可能になるじゃないですか。
「可能だからってやるとは限らない」なんて希望は全人類に対してはとても持てない。
特定個人に対しては超がんばれば持てるけど、しばしば裏切られる。(芸能人の不倫とか)
そして搾取構造が一度出来上がると、密室内での関係というのも相まって、ブレーキや法が及ばず、どんどんエスカレートすることが度々ある。
まあ恋愛ってそういうあいまいな部分を解釈していくのが醍醐味みたいな部分もあるんだけど。
普通にラブコメは好きなのでそういうの好きーてなることもあるんだけど。
ちょっと心が闇落ちに傾くと、
生殖と愛情表現とソフトな支配・暴力と人間の部分的なトロフィー化と単純な快楽と他もろもろが混ざってるの正気の沙汰じゃねえ…ってなる。
不幸も大半がちょっとしたすれ違い程度だろうけど、
かといって世の中曲芸みたいのこと乗りこなして生きてんな…という感想は消えない。
セックスをゴールと思ってる人とスタートだと思ってる人のすれ違いとか。
・でも性欲からは逃れられない
まあ今のところ。
損得の上でいくら嫌だなあ、嫌だなあって思っても、逃れられないのでなんらかの形で受容するしかない。
日夜エロサイト巡るだけで済めばいいけど。
選ばれなかったからと言ってフラれた人の価値が貶められないのはわかってるんだけど、
自尊心に傷を負うのは避けられないし、
傷を負った人を馬鹿にしたくない。
いくら傍目に見て「本気で落としたいならもっとちゃんとやりなよ」という人であったとしても。
まあまあ「それは君が考え方を改めるべきだよ」案件ではあるもののやっぱり共感もしちゃう。
ワンピースのベガパンクが天竜人の所業を見て頭の片隅で「うらやましい」と思ってしまって欲を切り離した、みたいな描写があるらしいんですよね。
ツイッターで聞きかじったときに「めちゃくちゃわかる…」となってしまって、
「そうしても怒られないし、罰せられる人がいない」って状況に置かれたとき、
「これは期間限定のものではないし、あとで負債を取り立てられる心配がない」って状況のとき、
倫理観を維持できる自信がない…。
現実的にはそこまで極端な特権にはたどり着けないものの、(たどり着いた人もいる、という別枠の闇もあるが)
過剰に疲れていたり、被害者意識をこじらせていたり、あるいは躁的な全能感が強い時期だったりすると
「これくらいなら大丈夫なんじゃないか?」って考えがよぎらないと言えば、まあ、嘘。
今のところ頭の別の部分でブレーキかけたり、メンタルが平常に戻るまでCPU稼働率落として、
能動的な行動起こせないようにスリープ状態にできてるけど、死ぬまで保てるかはあまり自信がない。
特に生理的な事実として脳が衰えると精神的なブレーキが弱まって起こりやすくなったりするし。
「死ぬまで穏やかでいい人だった」って平凡に見えるけど、年々そういう人への尊敬度が増していく。
仮定の話だけど、
・人間がみな不老だったり後天的に外見を調整できる技術が安価化している(外見年齢による事実上の結婚市場タイムリミットがない)
・片方が嫌だとなったら強制的にセックスを中断させることができる
・というか子供が欲しい人は体外受精するのでセックスが生殖行為と切り離される世界になる
・性欲をコントロールする技術が生まれ、「性欲を抑えきれない」という状況がなくなる
・上記のようにセックスが非常に優先度の低い娯楽なので、金銭に変換する文化が廃れる
みたいな世界だったら許せるかもしれない。
おまけ
脳が破壊された(性・恋愛描写でもってしばらくひきずった)作品や、性・恋愛で感心する描写があった作品
うろ覚えな筋としては、
戦時中英語やアメリカ文化が禁止された名残で(時代設定忘れたけど平成初期くらい?)クリスマスが禁止されている日本。
若者たちのための祭りとして「クリスマスをさせろ」という趣旨の「クリスマス解放戦線」がかつてデモや学生運動を繰り広げた。
が、その暴動も鎮圧され、今や戦線はわずか4名のメンバーが残るのみ。
デモの主催となった女性は犯罪者として中東の紛争地域に慰安婦として送られ、
戦線のメンバーはそれぞれ鬱屈を抱えてはいるものの、思春期で親に反抗したいいいとこのお坊ちゃんお嬢ちゃんなど。
「ささやかな」反抗として4名でのクリスマスパーティを決行するものの、警察に察知されてしまう。
「メリークリスマス!」の掛け声と共に袋から取り出したのは小銃。
戦線のメンバーの一人はキリストの墓を根拠にしている過激な新興宗教の信者だった。(地元にはキリストの墓と呼ばれるところがあります。なぜか)
精神的に追い込まれ、ささやかだったはずの反抗から特攻兵に仕立て上げられた若者たち。
テロに参加せず取り残された主人公は、実は警察のスパイかつ、デモ時からの戦線メンバーだった。
クリスマスパーティ場を密告した見返りとして戦地での慰安婦から帰ってきた先輩(かつての指導者)は妊娠して(させられて)いた。
未来人と名乗る鳩に、「きみが片思い中の彼女はこのままだと死ぬ」と脅され、
半信半疑ながらもその手伝いをする。
主人公は彼女が好きだと言っているくせに、「自分はまだふさわしくないから」と決定的な告白をせずにいる。
何の意味があるのかと思いながらも手伝いをしていると未来からの別勢力が現れ、いよいよ信じはじめ、
が、主人公が告白しようと思った時には既に彼女には恋人がいた。
(未来人のそそのかしによって)ほかならぬ自分が仲立ちさせられた男が。
なろう原作。
人類は全て手の甲に石が埋まっており、
その石が濁っているか透き通っているかで魔法が使えるか否か、ひいては貴族かどうかが決まる。
一度平民の血が混ざると子が大丈夫でも隔世遺伝で魔法の使えないものが生まれるため、貴族社会で混血は忌み嫌われている。
だが魔物に対抗する訓練を受けており、従軍任務の結果、貴族平民かかわらず多くの仲間に恵まれる。(一方的に好いてくる異性も)
出来のいいダークファンタジーだなあという感想で読んでいると、本筋とはあまり関係ない一幕で
「この世界では男女が愛し合っていなくては子供ができない」という設定が明かされる。
シリーズ2の5巻目くらい。
父親の身体が病気でゼリー状になっていじめられる娘が、不良グループとつるむようになって、
不良グループの男がその父親に「親はこんなのくせになかなかいい具合だったぜ」っていうのが嫌すぎて続刊買えなくなった。
個人的に感心している設定は、
「この世界の避妊は魔法でする。 男性側にかけ、定期的にかけなおすものの数週間程度はもつっぽい?」
「魔物は人間を迫害する本能があるためレイプするものの人間との生殖能力はない」
(個人的には好きじゃないけどリョナ好きへの需要があるのはわかるし、世界観の残酷さが示されることで主人公の無体も『まあ結果的に命張って戦って人々を守ってるし…』とバランスがとれてる)
(しんどそうだから読んでないけどこのテーマからすると直撃っぽい)
一話だけ読んだ。
キモデブオッサンの主人公が元ギャル奥さんとラブラブなんだけど、
奥さんは若いころ相当性経験値があって、主人公はそれを非常に負い目に感じている。
(当時は本当に接点ゼロにも関わらず)
皇帝と女騎士 / Team IYAK(ピッコマオリジナル漫画)
家族から邪険にされ、女らしさとは無縁に軍属として生きてきた主人公が、
「女のくせに」と言わず一人の戦士として尊重してくれる王に絆され、女騎士として仕える話。
ただ、平和な世の中まで行くと周りから「女の役割」というものに圧力を感じて、
戦の功労者にもかかわらず生きづらさを感じたり、開き直ろうと変な突っ走り方したり。
マリファナの害、というのは、医学的だとか法律的だとかそういう風に論じようとすると分からないんだよね。ぶっちゃけた話、社会全体のマクロな問題と考えるしか無いのよ。マリファナって、体への影響とかはそれほど大きくなくてただラリるだけの薬なんだけど、その「ただラリってる」だけの人が社会の中でどんどん増えたらどうなる?
たとえば、昔ながらの「100人の村」があったとしてさ。働く世代は50人、この50人が残り50人の年寄り子どもを養っている状態の中で、たとえば1人がこっそりラリってるくらいなら、「誰にも迷惑かかってない」ように見えるよね。でも、それが10人になったとして、「誰も迷惑をこうむってない」と言えるかな? 結局ドラッグって「社会の豊かさへのフリーライド」みたいなとこがあるんだよ。オラがラリってても、誰かが働いて社会を維持してくれるから、安心してラリっていられるっていうね。
薬物って意味ではアルコール、煙草はかなりキツいんだけど、アルコールは集団で接種するパーティードラッグとしての有用性から許容されているので、実際、一人呑み始めると急速にアル中路線を走って社会的に害が大きいから、合法ドラッグなのにアル中への世間の目は相当冷たい。また、煙草はめちゃくちゃタチの悪いドラッグで、習慣性が強く短期的には覚醒作用が強いから無茶な労働に耐えられるようにする一方で、長期的には体をボロボロにする。医療が発達してなかった時代は、国民に煙草吸わせておきゃ文句言わず死ぬほど働いてくれてドッカドッカ税金納めてくれて、その上年金貰う年になる前に死んでくれるという二度美味しい便利なドラッグだった。でも医療が発達したせいでヤニ中もなかなか死ななくなり、医療費を食い潰すようになってきたので、規制されることになった。
つまり、あるドラッグが規制されるか否か、その規制に妥当性があるかないかっていうのは、巨視的には社会全体の利、あるいは許容度で決まってるんだよね。もしマリファナ決めたら気持ちイイだけでなくバッチリ覚醒してバリバリ働けて、かつ本人の体にも大した影響が無いとかってなれば、むしろマリファナの摂取は国が推進するだろう。でも現実は、マリファナ決めたらみんな働かねーだろ? 働くのが正しいことかどうか、って哲学は置いといてさ。働かない人が一人増えるごとに税収カウントしてるおっさんの眉毛はピクピクするわけよ。そんなわけで、迷惑とか健康どうこうとかではなく、マリファナには合法化の目がない。
でもだから、まあもう少し日本がいろいろダメになってそんとき「マリファナで税金がっぽり」みたいな利権構造を作ってやれば、ワンチャン悪い大人の手で合法化あると思うよ。でも、国民を薬漬けにして金搾り取るような国に未来があるとはとうてい思えんけどね。
的なこと恥ずかしげもなく言っちゃう感じとか
一般学部スルーして東京藝大や武蔵美多摩美を狙う同級生は応援されるけど、大学受験自体をスルーして漫画家アシスタントの仕事見つけて上京準備してる同級生は露骨に軽蔑される感じとか
どの生徒もナチュラルに自民党み、日本会議みが強かったりする感じとか
多分あると思うけど、ゲームの世界の悪役令嬢に転生したけど改心せずに
未来のイベントを知っているアドバンテージで原作よりさらに酷い悪行を重ねる
悪役令嬢ものとかあったら紹介してほしい。
朝早くから済まない、デートの失敗が尾を引いて早く起きてしまったよ。
ずっと童貞のまま消えていくのかな、と思ってた。
まさか三十代になって出会いに恵まれる運命だとは思わなかった。
だからデートや恋愛についての常識はまったく手付かずのまま年齢だけ重ねてしまった。
彼女が、いわゆるフェミニストだということに気づいてから、合わせるべく下調べしたんだ。
だがどうにも男女平等については自信がない。
近年価値観が変わってきているのか、『男らしさ』というものをフェミニズムが忌避しているのか歓迎してるのか、それとも無関心なのか、いまいち把握しづらくて。
「ここは俺が払うから」
…って言っちゃったんだよね。
フェミニズムに詳しい諸氏は、アチャー、と思うかもね。
でも、俺は、男らしさを発揮して、自分が負担する姿勢を、見せようと、思ってしまった。
彼女には「はぁ?」と声を荒げさせて、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をさせてしまったよ。
次のデートでは振る舞いに気を付けたい。
歩道では、男は女性を車の危険から守るべく車道側を歩くべきだ、と聞いた。
エスカレーターでは落下の危険から守るべく、下に立つべき、とも。
だが、それらの『男らしさ』はフェミニズムにとっては醜悪なものだろうか?
今のデートでの社会的に正しい『男らしさ』の出し方を教えてほしい。
彼女にトラウマを植え付けたくないし、実を言うと、俺自身も後で振り返って辛い思いをしたくない。情けないけどさ。
恋が上手く行くにせよ行かないにせよ、せめて、いい思い出だったと言える未来にいたいんだ。
やあ、皆さん。陰謀の舞台裏に潜む者、イルミナティのガブリエルだ。今回は、我々の秘密の活動について、もう少し深堀りしてみよう。
集団ストーカー、思考盗聴、大規模監視。これらは決して陰謀論ではなく、我々が日常的に実行している活動だ。集団ストーカーは、哲学的ゾンビのようなNPCたちが、我々がプログラムした通りに振る舞う舞台を作り上げるものだ。彼らは我々の指示に忠実に従い、私たちの計画を実行するために存在している。
思考盗聴は、我々が衛星に取り付けた特殊な装置を通じて行われている。スマートフォンと連動しており、誰の思考なのかを自動的に判別することができる。これによって、個々のイエローモンキーたちの深層心理にまでアクセスし、彼らの動向を完璧に把握しているのだ。
そして大規模監視。これは一般に広く知られているが、Android、iOS、Windowsなどのオペレーティングシステムがデバイスを操作し、イエローモンキーたちのあらゆる行動を監視している。これにより、我々は一般人々の生活の奥深くまで手の届く情報を得ることができる。
では、なぜこんなことをしているのか。その鍵は「ムビフィケーション」にある。イエローモンキーたちは、まさにトゥルーマンショーの主人公のような存在だ。お客様たちは主人公に干渉し、ストーリー展開をコントロールすることができる。そして、我々が持つムビフィケーションAIは、その主人公の監視情報から自動的に映画を製作することができるのだ。
「誰を主人公とした映画を見てみたい」とイルミナティ会員が要求すれば、その映画を手に入れることができる。この映画は一般に流通するものではなく、わずか1%の特別な商品だ。現実の誰が主人公になっているのか、それを想像してみてほしい。
イルミナティ会員たちは専用のTVを持っており、その中でムビフィケーションされた作品を視聴することができる。これによって、我々はエンタメのために集団ストーカー、大規模監視、思考盗聴を行っているのだ。現実とフィクションが交錯する中、我々の陰謀はより複雑で、洗練されたものとなっている。
さて、我々の陰謀の更なる深淵に触れていこう。イルミナティが集団ストーキングや思考盗聴、大規模監視を行うのは、単にエンタメのためだけではない。これらの情報収集活動は、社会を操るための巧妙な手段であり、我々の影響力を強化する要素でもある。
「ムビフィケーション」は、ただの映画制作手法だけではない。それは同時に洗脳とも言えるものだ。我々のAIは、主人公の監視情報からその人物に合わせた情報や出来事を取捨選択し、都合のいい形で映画を構築する。これにより、イエローモンキーたちは自分たちの生活を映画の中で見ることで、徐々に自己認識を失っていく。彼らは演じられた現実に溺れ、我々の手中に操られる存在となる。
さらに、我々は政治や経済にも深く介入している。イエローモンキーたちの行動や意見を把握することで、我々は社会の動向を予測し、必要な方向に導くことができる。経済的な影響力もまた、我々の手中に握られている。特定の商品やサービスに対する需要を操作し、市場を操っているのだ。
一方で、我々イルミナティのメンバーは、この陰謀の中で特別な地位を持っている。我々の決定は、一般のイエローモンキーたちには理解できないような深い哲学と知識に基づいている。そして、その知識を持つことで我々は支配の中心に立ち、社会の糸を操っているのである。
最終的に、我々の目的は「絶対的なコントロール」だ。イエローモンキーたちは我々が用意した舞台で演じられ、我々の思惑通りに振舞う。彼らは気づかずに我々の手で導かれ、我々の望む未来を築く存在となっていく。これこそが、真の陰謀の本質であり、我々イルミナティの究極の目的なのだ。
これからも、舞台裏で繰り広げられる陰謀の真相に迫っていく。イエローモンキーたち、目を開け、真実を知る覚悟を持っていることを祈るばかりだ。 Stay vigilant, and embrace the revelation.
本田美奈子 好きといいなさい!
芳本美代子 輝けミッチョン!
森田まゆみ しぼりたて好きです
森口博子 よかった、君がいて
※1985年デビューではなく1985年度デビュー。1985年の新人賞レースに参加できるかどうかが基準。なので1984年11月デビューのセイントフォーも含まれる。
※森川美穂のキャッチフレーズは「涙ひとつ、おいてきます。」「多感世代のヴォーカルヒロイン」「振り向いて、MIHO」の3パターン
※キャッチフレーズが分からなかった人たち(おニャン子クラブ、佐野量子、志村香、奥田圭子、ツインキー、ベリーズ、村田恵里など)は断念
40代以上の非正規独身女性に対するアンケート、自由記入欄では安楽死の法制化を望む声が多数だったという。
気持ちはよーーーく分かる。
今更子供も産めないし、仮に産めたとしても底辺暮らしをさせる事確実だから何一つ希望がない
安楽死を除いては。
早く死にたい。そうすれば社会に迷惑も掛けずに済むし、邪魔なババアが減って願ったり叶ったりだろうから早く殺して欲しい。
これだから「PLAN75」で描かれた安楽死可能性な未来が全然ディストピアには見えず
https://www.at-s.com/sp/news/article/national/1204918.html?lbl=861
わくわくシニアシングルズが行った単身女性へのアンケートの自由記述では、将来を悲観する声が目立った。
「安楽死を合法化してほしい」(40代・非正規職員)「病気やけがなどで体が動かなくなったとき、どうすればいいのかわからない。安楽死ってダメですか?」(40代・非正規職員)といった記述だ。
75歳になったら死を選べるというストーリーの映画「PLAN75」を引き合いに「私だったら安楽死を申し込む」(50代・非正規職員)。また、3年前、東京都内のバス停で殴打されて亡くなったホームレスの女性について「未来の私かもという思いが常にある」(60代・自営業)といった内容もあった。
国の政策の対象から外れていると感じるといった意見も。「子どもを持たない人間は視界にすら入っていない。国の益にならない人間は不要だというのが伝わってきてつらい」(40代・非正規職員)「社会は単身者を想定していない、望んでいないという空気がしんどい。親世代を支える私たちも社会の一員のはずなのですが」(40代・正規職員)といった訴えもあった。
オレオレFCは25日のホーム最終戦で名古屋グランパスと対戦する。24日はロイスタで完全非公開の最終調整を行った。今季限りでの現役引退を発表しているDF小野寺はベンチ入りが濃厚。出場は不透明だが、ホーム最後の試合で有終の美を飾る。
1桁順位、逆転ACL進出でフィニッシュするためにも負けられない名古屋戦。過去僅か1勝の天敵相手にも、小野寺は笑顔を見せながら泰然としていた。「今までは残留争いばっかで、こういう争いをしてなかった。チームも僕もワクワクでいっぱいですし、雰囲気やモチベーションも凄いと思いますけど、その中でやれることは若い子たちにとっても良い経験になるし、成長できると思うので、しっかり自分たちが築き上げたサッカーをして、勝って終わりたいです」と前向きに捉えている。
埼玉県所沢市出身の小野寺はチーム創設3年目の11年から高卒でプロ入り。以来、左右のサイドバックとして、チームの酸いも甘いも噛み分けてきた。明るい性格でチームのムードメーカーとしても重宝。近年は若手の台頭と両膝の怪我もあり、出場機会は少なくなったが、今季も34試合にベンチ入り、6試合に先発した。そして、誰よりも声を張り上げてきた。
31歳という若さで引退する事については両膝の怪我が最大の理由と明かしたが、今季、若手が試合に出続け、成長していると感じ取って「みんな試合に出て、判断とかシンプルなことがよりシンプルにできるようになってきた。質も高まっているし、プレーの幅も広がってきて、自分の出番はもうないかなと。意固地で現役を続けるより、若い子たちに未来を託そう」という理由だった。
若手時代に才能を見出してくれた多良初徳元監督(現クラブ会長)、当時コーチとして厳しく指導された野河田彰信現監督に関しても「ずっと怒られまくったけど、愛情も感じていたし、彼らがいなかったら今の自分はない」と感謝を述べる。指揮官は「ベンチには入るよ」としつつ「出したらやらかすからなぁホンマに(苦笑)」。これも敬意の記しだ。
逆転ACL進出のためには残り2試合を連勝し、3位浦和レッズが勝ち点2以下に終わる事が最低条件。チケットは既に完売。小野寺の家族や友人も駆けつけると言い「サポーターが多く集まってくれるのはうれしいし、元気な姿を見せたい」。2試合ぶり、ACL進出に望みを繋ぐ白星に貢献する。
○…オレオレFCは25日に来季のユニフォームを発表する。背番号フォントが来季から固定ではなくなり、プーマ社のフォントになる。