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2019-05-02

[]2019年5月1日水曜日増田

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2017-02-26

ほぼ30年経ってみて

2017年2月

オザケン19年振りに復活!」的な文言が界隈を踊っているけど

ソロデビューからファンだった自分としては

パーフリ=89年デビューな訳で、

村上春樹は2冊同時刊行するし

斉藤由貴連ドラ2番手につけるし(母役だが)

南野陽子コンサート映像の新作出すし(アイドルコンサートとしては打ち止めらしいが)

今月を振り返ると「ここだけ87~89年感」ハンパない

あくまで、自分の目に映る範囲としてだけど。

ほかにも、東京ラブストーリー続編が刊行されたり、

松本伊代早見優世間を騒がせてしまったりして、

90年代00年代をすっ飛ばして、タイムリープしてしまたかのよう。

オザケンと同年齢だが、当時アラフィフの人たちが

こんなに活躍してたかな? と考えると、「同世代、元気だなー」と思う。

いないのは岡崎京子だけだ。

2013-09-26

マスダ80年代女性アイドル論~総論

80年代女性アイドル格付

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論

マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論

マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論

マスダ80年代女性アイドル論~インターバル

マスダ80年代女性アイドル論~薬師丸ひろ子論

マスダ80年代女性アイドル論~南野陽子論

マスダ80年代女性アイドル論~斉藤由貴論


こんにちは。8月後半からはてな匿名ダイアリー80年代女性アイドル論を連投したマスダです。この総論では、最初にお知らせ、そしてコメントに対する返答、最後80年代女性アイドル歴史性の話をします。


お知らせと言っても大した話ではなくて、記事をまとめる意味いからも、ブログを開設しました、という話です。

はなぶさときいちブログ

です。

先日読んだ、

http://anond.hatelabo.jp/20130920220312

こちらの記事に共感します。例に出されていた人がどうだと言うのではなく、政治クラスタの人たちが、相手を叩き潰すのを目的罵倒し合っているのは、なんだかな、といつも感じています。もちろん、それも含めて政治と言うか、そういうものから完全に逃れられるとは私も子供ではないので思っていませんが、今度開設したブログでは、楽しい話を中心に書きたいと思います。

自分で言うのもなんですが、今回のシリーズ割合好評でした。中には政治ジャンルでは私の考えとは絶対に相容れない人たち、私が書いた政治向けの記事では私を魑魅魍魎のように罵倒した人たちも好意的なコメントを残していました。思うに、それが文化の力でしょう。

私たちは他人なのですから、親子や夫婦であっても別の人間なのですから100%考えが一致することはないし、100%違うこともありません。違って当たり前、それが人間ですし、そのことをやっぱり心のうちではわきまえておきたいですね。その、つながれる余地の部分を重視したい、今度のブログでは、そういう話をメインにしたいと思っています。


1.なぜランキング形式にするのか

これに限らず、私は自分の考えの整理のために、ランキングを作ったり、ベスト何々を選ぶ、というようなことをよくします。はてな匿名ダイアリーで言えば、

5大天才漫画家

これも私が書いた記事です。

アイドル論に絡めて言えば、かつて郷ひろみが「歌に順位をつけるのは違うと思うので、ランキング番組には出演しない」と言って、「ザ・ベストテン」「ザ・トップテン」に出演拒否したことがありました。当時私は、そもそも滅多にベストテン入りしなくなってから言い出すのは、ヒット曲が出なくなったのを誤魔化したいのだろう、毛色の違ったことを言ってアーティストぶりたいのだろうと思っていましたが、それは邪推であるかも知れず、歌い手立場としてはそういう意見が出るのも分からなくもありません。それに対して確か黒柳徹子が、確か「ザ・ベストテン」の番組中で、「その週ごとのチャートであって、楽曲のいい悪いを言っているのではありません」と反論をしていましたが、ランキング形式そのものにある種の不遜さ、失礼な要素があるのは確かだと思います。

しかしそれだけに、相当な論理客観性がなければなりません。単に自分が好きだから、嫌いだから、というのではなく、なぜ2位の人が1位でないのか、少なくともご当人にもご納得いただけるような、出来得る限りでの冷徹さを目指さなければなりません。それが私にとっては、ランキング形式を採用する意味です。

2.はてなおっさん向けか

まあ、おっさんホイホイの記事ですからね。そう思うのも無理はありませんが、私世代団塊ジュニア世代)より前の大人と、それ以後の大人ではいろいろと違う部分もあります。私が子供だった時の、アラフォーの大人たちは、漫画も読みませんでしたし、アニメも見ませんでした。歌謡曲だってほとんど聴かなかったのではないでしょうか。大人向けと子供向けにははっきりと境界があり、現在日本メインストリームになったサブカルバブルから私たち世代にかけてが消費者となって育成して来たものです。これは80年代ポップカルチャーが未だに「権威」として残っていることにつながっています。

ガンダム」も「中森明菜」も「ファミコン」も境界のこちら側だったからあちら側では評価もされなかったのです。そういう悔しさを、私たち世代はそれぞれに経験しているはずです。そして今の文化状況は、こちら側が肥大化した世界であるわけです。いや、そうした境界のもの無意味だということを知っている世代です。

はてなおっさん向け、LINEは若者向け、こう言う言い方が奇妙だと思うのは今のおっさんLINEを使うからです。今のおっさんはAKBもモー娘も知っている、そのうえで80年代女性アイドルを評価している、あるいはその限界も知っているのです。今の若者は、クリエイティヴフォーマット自分で作っているわけではありません。単に過去を知らないだけです。

3.斉藤由貴尾崎は同志発言

この発言は私も聞いたんですが、不倫発覚の時か、尾崎が亡くなった時のコメントちょっと記憶が定かではないですね。どちらにしても時期的にはそう離れてはいないんですが。

私は地方出身者ですが訛りがないんです。今では実家に帰っても、方言で話すのはかなり難しい。けれども実家にいた中高生の頃からその傾向がありました。当時はかなり乱読していましたので、話し言葉が書き言葉みたいになってしまうんです。読書家に一般的な傾向化どうかは分かりませんが、斉藤由貴ちょっとそういうのを感じます。同志って、実際に人間が発語しているのを見たのはあの時が最初最後でしたよ。赤旗でも見かけないんじゃないでしょうか。既に相当にフィクショナルな言葉で現実の人間関係を構築した斉藤尾崎、非常に彼ららしいと思います。80年代と言う特に即物的な時代にあって、尾崎はああいう形で決着をつけました。斉藤由貴はフィクショナルな部分を、穏やかに現実に着地させていったように見えます。これは男と女の違いでしょうか。

3.作詞家としての斉藤由貴

浅香唯の『セシル』で知られる作詞家麻生圭子さんは「京都評論家(?)」としても知られ、いけず京都人から「なんでよそから来た人にあれこれ言われんといかんのやろ」とか言われているらしいですが、彼女が作詞家をやめたのはアイドルたちが猫も杓子も作詞をして、ならば作詞家なんていらないじゃんと思ったからと以前、言っていました。作詞日本語の読み書きができるなら誰でもできるわけですよ。一応の形にはなる。ではなぜ作詞家という職業が成り立つのか。作詞家の作品のレベルが圧倒的に優れているからですね。特に楽曲としても文学としても優れているのは阿久悠松本隆の作品だと思います。どれをとりだしても、素人には絶対に書けない、優れた言語感覚が裏打ちされています。

しかし考えてみれば、シンガーソングライターほとんどは作詞も手掛けているわけで、書かせてみれば相当に良い詞を書ける人は意外といるのかも知れません。

斉藤由貴アイドルの手すさびレベルではない詞を書きます。しかも曲に調和するように書かれている。無作為に抜きだしてもどれもはっとする、面白い作品ばかりですね。彼女に文学者としての才能があるのは間違いありませんが、主に後期のアルバム曲で書いているので、一般には知られていないのがもったいないですね。彼女の作詞作品としては『あなた存在』『うしろの正面だあれ』が好きですね。

4.なぜ映画『野菊の墓』の相手役を伏字にしているのか

一般の方だからです。

5.マッチ明菜を騙したのか

例の金屏風会見ですが、本当のところは知りませんが、どういう形であれ釈明会見をすべきであったとは思います。やはり他人の家で自殺未遂をするのは尋常ではありません。百歩譲って自殺を試みるとしても自分の家でやれ、と言われても仕方がないでしょう。あの件に関してはマッチ被害者だと思います。

6.松田聖子歌唱力について

私が聖子を初めて見たのは確か小川宏ショーではなかったかと記憶しています。逆算して考えると私は当時すでに小学生だったのですが、どういうわけかその日、その時間は家にいて、母と一緒に朝のワイドショーを見ていました。デビュー直後、聖子のお母さんが娘のプロモーションのために共演することが多くて、その時もお母さんと一緒にゲスト出演していたと思います。そして『裸足の季節』を歌ったのですが、スタジオ空気が変わったのを感じました。私の母が「この子は大スターになるね」と言ったのを覚えています。ですから聴いてみればたちまち、聖子歌唱が優れているのは誰の眼にも明らかだったのですが、それでもアイドルなので下手扱いされることが多かったのです。なんで淡谷のり子なんかに、むかしはいざ知らずあんなに声量も出ない、表現力もない下手くそ歌い手聖子が下手呼ばわりされないといけないのか、理不尽を感じました。これはパロチンなんて何の効力もないとみんな知っていながら、発見者が東大の偉い先生だったって言うんでずっと使われ続けてきたというのと同じ問題です。当時はサブカル全体がこういう扱いを受けていました。宮崎駿だってまともに大人が論じるような作品とは捉えられていなかったんですから。今はそういうのよりはずっと良い時代ですね。

7.ナンノ代表曲は『話しかけたかった』だろうにjk

その通りでございます。はねた髪っ!!!

私はあの曲を最初に聴いた時、ユーミンの『DESTINY』を思い出したのですが、『DESTINY』は振られた男に万が一、会った時のためにいつでも小奇麗な恰好をしてたのに、実際に再会してしまったその時に限って安いサンダルを履いてた、という話なんですが、『話しかけたかった』は髪がはねていたので話しかけられなかったという話、全然違いますね。


さて、総論として、80年代アイドル特に女性アイドルとはなんぞやという話です。

アイドルと言う言葉が出始めたのは、70年代初頭、1962年フランス映画に『アイドルを探せ』というものがありますから、それ以前からスターの置き換え語としてアイドルと言う語はあったのかも知れません。アイドルとは何ぞやと言えば、それは芸ではなく、存在によってファンの憧憬を集める存在、そのうち、特に歌や演技を表芸にしている人たち、ではないかと思います。

天地真理以後の言葉だろうと思いますが、それ以前からアイドルと言うべき存在はいたわけですが、彼らはスターと呼ばれていました。しかし表芸としては、俳優歌手であるわけで、最初期のアイドルである天地真理小柳ルミ子らは「歌手」がメインであって、アイドル性は付加価値でした。その付加価値肥大化したのがそれ以後の流れです。

ここで男性アイドルに簡単に触れておきますが、男性アイドルはなかなかビジネスとして成立しにくい傾向があります。これは単純に、女性女性アイドル消費者になるけれども男性男性アイドル消費者にはならないからです。この構造は基本的には変わっていません。ジャニーズ事務所市場を寡占することで、規模の利益を上げているだけです。70年代男性アイドルのうち、ビジネスとして成立したのは新御三家フォーリーブスくらいでしょう。80年代には市場を寡占したジャニーズでさえ、ソロ売りは難しくなり、近藤真彦以後、ソロで売ったのはほとんどいません。

アイドルが、存在自体でスター性を獲得するのが特徴だとすれば、本格的にアイドル時代が訪れるのは、石野真子大場久美子榊原郁恵あたりの世代からです。山口百恵桜田淳子ではまだ歌がうますぎます。

そう言えば、以前、NHKの番組で、さだまさしが司会をしていて、歌を作りましょう、みたいな講座があったのですが、あなたが作った歌をプロの歌手が歌いますと言っていて出てきたプロ歌手西村知美だったのでのけぞったことがありました。それ単に、さださんの仲良しで選んでいるだけでしょう、と思いました。西村知美も確かにプロ歌手と言えばプロ歌手ではあるわけです。しかしプロ歌手と言う言葉と彼女の実態は大きくかけ離れています。そういう意味では南野陽子西村知美新田恵利らが出てきて、アイドルが完成したのだと言えます。

80年代アイドルは、芸人として表現者劣化した時期かと言われればある程度はそうです。劣化すること自体に意味があったわけではなく、付加価値のウェイトが強まった結果、歌唱力のウェイトが弱まったのです。そういう中で、トップアイドルたちは、アイドルとして「見せる」方向に特化していきました。


アイドルはなぜいなくなったのか。

いや、今でもいるよ、という声はあるかも知れません。しかし、彼らは明らかに80年代アイドルとは受容のされ方が違います。どう違うのか。

本田美奈子が「私はアーティストです」宣言をした時、松任谷由実が「本田がアーティストなら私は神様だよ」と本田のアイドル性を揶揄して言いました。この時すでに、アーティスト性の方がアイドル性よりも上という認識が両者にあった、ということになります。この話はこれでおしまいではなく、音楽雑誌ライター松任谷のこの発言を批判して、「自分だってアイドル時代があったのだから他人のことをとやかく言える立場か」と書いたところ、松任谷は「私にはアイドル時代なんてないんだからね!」と激怒していました。そりゃそうでしょう。松任谷ソングライターにはなれてもアイドルにはなれません。

おそらくそライター竹内まりやあたりと勘違いしていたのではないかと思います。アイドル不在の70年代末期、いわゆるアーティスト系の女性シンガーアイドルのように遇された時期がありました。竹内まりや桑江知子、それとこぶ平のお姉さんとかです。このことは、エンターテイナーとして実力があることと、アイドル性は決して矛盾しないことを示しています。90年代以降のミュージックシーンは、70年代への回帰アイドル性とエンターテイナー性の両立が生じました。

まり純粋アイドル性が生じたのは80年代のみと言っていいかと思います。AKB48エンターテイナーとしての水準が低いのは、80年代集合アイドルであるおニャン子クラブ模倣しているからです。


英米圏にもニューキッズオンザブロックとかバックスリートボーイズ、ベイベベイベと歌っている子とか、アイドル性の強いタレントはいます。しかエンターテイナーとしての水準が極端に低く、そのため純粋アイドルとして成立しているタレントほとんどいません。現在K-Popでも、アイドル性を訴求しながらも歌唱ダンス、肉体表現おいて、プロの水準に達していて当たり前です。80年代日本おいてのみ、純粋アイドルが成立した、これは特異な現象ではないでしょうか。

もちろん80年代アイドルでもほとんどはエンターテイナーとしての水準が高く、その高度なアーティスト性のために聖子明菜純粋アイドルとは言えないでしょう。しかし彼女たちの付加価値はあくまで当初は付加価値であり、商品としてのコアはアイドル性にありました。「まず歌手であり、次にアイドルであることと「まずアイドルであり、次に歌手であることは似ていながら全然違います。このアイドルという現象がなぜ80年代日本で進んだのか、なぜ90年代初頭に終焉したのかを考えると、私が思うに、70年代末期から80年代にかけて、日本人国民的自信が強まったこと、同時に世界標準への憧れが消えたこと、その結果、日本的な「縮み志向」が進展したこと、バブル崩壊とともにその前提条件がなくなったこと、等々が要因ではないかと推測しています。


では、一応ここまでにしておきます。長々とありがとうございました。

2013-09-19

マスダ80年代女性アイドル論~斉藤由貴

80年代女性アイドル格付

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論

マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論

マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論

マスダ80年代女性アイドル論~インターバル

マスダ80年代女性アイドル論~薬師丸ひろ子論

マスダ80年代女性アイドル論~南野陽子論


マスダ女性アイドルシリーズですが、今回で一応の区切りとなりますが、あともう一回、総論とお知らせを書く予定です。


人生山あり谷ありと申しますが、浮き沈みの激しい芸能界、これまで取り上げたトップアイドル5人ですが、プレミアム感を維持しながら、それぞれに生き残っているのはさすがです。80年代に小話のネタで「ミナミヨウコミナミヨウコ、一字違いで大違い」というのがありました。南田洋子さんは若い時は大変な美人女優で、当時も上品美しい人ですから、この言い方はずいぶん失礼だったのですが、まあ若いからすればおばさんには違いない、敢えて南野陽子比較すれば、それは南野陽子の方が当時としては全然いいわけです。でも考えてみれば当時の南田洋子の年齢と、今の南野陽子の年齢はそうものすごく違うというわけでもない。それでいて、今でもテレビバラエティに出てくれば、「あのアイドルナンノちゃんが来てくれました!」みたいなハレの日感を維持していますね。

これは80年代女性アイドルに限った話ではなく、80年代に登場した/有力になった人物、フォーマットは未だに影響力があります。例えばお笑い界で言えば、60年代クレイジーキャッツ70年代ドリフターズ萩本欽一はそれぞれ続く10年では息切れしていましたが、お笑いBIG3は未だにお笑いBIG3です。これと似たような現象が、80年代についてはありとあらゆる分野について見られます

もちろんそうは言っても、人そのものは年齢を重ねてゆくわけですから80年代トップアイドルたちもそれぞれ見せ方を変えてきています。一貫してアイドルである松田聖子でさえ、もう聖子ちゃんカットにはしてくれません。デビュー当初の松田聖子はとてもキュートでしたが、映画野菊の墓』で前髪を上げた時、キュートさがびっくりするくらい無かった、彼女にとって前髪がものすごく重要であることを多くの人が認識したのですが、結婚以後、どういうわけか彼女はかたくなに前髪をオールバックにしていますね。

そういう小さなことから歌唱スタイルをまったく変えてきた中森明菜に至るまで、プレミアム感を維持したトップ芸能人という立場は同じでもその内容は違う、そういう変遷をそれぞれに辿っています

しかほとんどアプローチの仕方が変わっていない人もいて、斉藤由貴がそうです。

彼女場合路線変更や、あれこれ小ネタを仕込む必要もないほど、順調だった、彼女人生行事に合わせて、芸能界仕事がいいように流れて行った、だから流れに身を任せれば良かった、そういう特に恵まれた境遇にあるのが見てとれます

アイドルとしてはもちろん、芸能人として斉藤由貴ほど恵まれた立場にある人はそうはいません。もちろん、アイドルとして彼女よりも成功した人たちはいるのですが、その人たちから見てさえ、斉藤由貴境遇は出来れば替わって欲しいものでしょう。これまで取り上げてきた5人のアイドル斉藤由貴のうち、事務所を移ったことがないことがないのは小泉今日子斉藤由貴だけです。聖子明菜も、薬師丸も南野も、それぞれに苦闘と逆境がありました。小泉は天下のバーニングプロダクションの、郷ひろみと並ぶ最古参タレントのひとりとして安定した立場にありますが、その立場は結果であって、トップアイドル上り詰めて維持するためには試行錯誤セルフプロデュースを試みなければなりませんでした。斉藤由貴のみ、ただ流れに乗っているだけで、他の人が垂涎するような仕事に恵まれて、その流れがずっと維持されています

自分人間関係では子供の時からずっと不器用で苦労しているけれども、こと仕事に関しては順調だった。運動神経もあんまりよくないので『スケバン刑事』の仕事の時はあんまり乗り気じゃなかったけれど、その仕事好調視聴率もよかった。あんまりこの仕事はしたくないというのがないので、来る仕事をそのままこなしていたら、思う以上にいい結果が出て、それがずっと続いている感じです」

斉藤由貴は述べています

ただし、単に流れに身を任せているだけではなくて、彼女場合は結果を出しています。来る仕事来る仕事ホームランで打ち返している、だから次につながっているのです。こと彼女に関しては、東宝芸能と言う事務所マネージメントが的確だったのは確かでしょうが、無理やり事務所ねじこんだタレントではなくて、確実に結果を残してきたから順調であったのです。結果として彼女タレントとしての個性と、東宝芸能と言う事務所芸能界での立ち位置マッチしたとは言えますが、彼女以外のアイドル東宝芸能マネージメントを受けても同じような結果を残せたはずがありません。一方で、やはり他の芸能事務所では斉藤由貴と言う才能を活用しきれなかったでしょう。


斉藤由貴が恵まれたアイドルであるのは間違いありません。恵まれていると言うのは、女優としていい流れで仕事サジェストされてきた、歌手として楽曲の水準が高かったという点においてです。そして最初からずっと順調でした。斉藤由貴デビューが遅いアイドルで、高校三年生の時から芸能活動を開始していますが、1984年春に東宝シンデレラオーディション準グランプリに選出されたのが芸能界入りのきっかけです。よく、ミズマガジンコンテストグランプリから彼女の経歴が書かれることが多いのですが、ミスマガジン東宝シンデレラオーディションの後です。そういう経緯から彼女東宝タレントであるわけです。

東宝は言うまでもなく、大手映画会社の一画を占め、現在は業績においては圧倒的に日本トップ映画会社です(ただしそれはTOHOシネマズなどの映画館チェーンが好調からですが)。それだけではなく阪急東宝財閥中核企業であり、宝塚歌劇団グループ内に抱えていますマネージメント業務を担当する東宝芸能は、数ある芸能事務所の中でも、一番安定していると言えるでしょう。

東宝シンデレラオーディションは、東宝が久しぶりにスター発掘のために開催したオーディションで、第一回のグランプリ沢口靖子準グランプリ斉藤由貴でした。彼女たちは今では東宝の顔になっています東宝マネージメントある意味タレントの自主性を重んじる傾向もあるのですが、東宝シンデレラオーディション出身者、特に第一回の出身である沢口と斉藤については社運をかけているという面もあって、脇をがっちりとサポートして、手塩にかけて育てた、本格派を目指させた、ありとあらゆるチャンスを与えた、そういう感じです。

沢口はデビュー作が、当時、東宝看板映画だった『刑事物語』の三作目、続く二作目がやはり東宝看板作品であるゴジラ』です。沢口は『ゴジラビオランテ』にも出演していますから堂々たるゴジラ女優ですが、こういう売り出し方がアイドル売りの王道とはかけ離れていることは言うまでもないでしょう。沢口や斉藤は、学生、もしくはついこのあいだまで学生だったのですから、学園ものを演じさせればそれなりにはまったはずですが、「身近な経験から演技を構築してゆく」のではない、物語のものからキャラクターを構築してゆく演技を最初から要求されています。そういう演技が難しいのかどうなのか、演技の資質がある人にとってはかえってやりやすいのではないかと思いますが、そうではない人にとっては真夜中に霧の中を進むようなものでしょう。とにかく、日常の「女の子から演技を積み重ねてゆくような、私小説的なアプローチを封じたわけで、これは斉藤由貴についても同様です。

斉藤由貴ドラマ初出演作は『野球狂の詩』で、その次が『スケバン刑事』です。いずれも東宝制作ではありませんが、非日常的と言う点では、十分に非日常的なお話から斉藤は演技をスタートさせています


斉藤芸能活動の開始は1984年からですが、高校三年生であったこの年、彼女神奈川の県立高校に在学していたので、大きな活動はありませんでした。ミスマガジンマガジンの表紙を飾ったのと、伝説的なCM『青春という名のラーメン』に出演したくらいです。続く1985年1月月曜ドラマランド枠で『野球狂の詩』が放送され、2月にファーストシングル『卒業』が発売されました。

『卒業』が発売された時には、斉藤由貴はもうかなり話題になっていたので、『卒業』はいきなりベストテン入りして、最高6位までチャート順位を上げていますデビュー曲ベストテン入りしたアイドルは既に映画女優として実績のあった薬師丸ひろ子原田知世おニャン子の流れでデビューした工藤静香を除けば、「80年代女性アイドル格付 」ベストテンの中では斉藤由貴だけです。

そして1985年4月からスケバン刑事』の放送が始まります


ここで彼女異端性について触れておきましょう。ご存じのとおり、彼女信仰心がある人です。現代日本では信仰信心があること自体が異端で、それも仏教系・神道系ではなく、外来キリスト教信仰しているのは異端の中の異端、更にキリスト教の中でも、末日聖徒イエス・キリスト教会モルモン教)の信者であることは異端です。キリスト教新宗教派の中でも、その教義戒律おい異端性が特に濃厚なセクトです。エホバの証人統一教会比較しても、特に異端性が強いと私は見ているのですが、最近はあたりが緩やかになっているのでしょうか。2012年アメリカ大統領選挙で、共和党の候補にモルモン教であるロムニー氏が選ばれたのは意外でした。現在キリスト教おいては、全体がリベラル色を強める中、保守回帰宗派転向する人も増えていますイギリスカトリック転向する人、中南米カトリックから更に原理主義的な新教系原理主義転向する人、そういう例もかなり見られます教皇フランシスコが先日、同性愛を容認する方向についに踏み込みましたが、カトリックからキリスト教原理主義転向する人も増えるかも知れません。

そういう中でモルモン教異端であるがゆえに、より濃厚な保守主義を維持したい人たちの受け皿として浮かび上がっているのかも知れません。

斉藤由貴宗教おいても特に異端性が強いセクト信者であるわけですから、どうしても異端性を自覚して生きてこなければならなかったはずです。それが彼女に他の少女とはまるで違う、ゆらぎのような魅力を与えています。それは純粋さ、純潔さであるように見えますが、要は世界観のずれ、であるわけです。西洋人ジャポニズムに感じたような世界観のずれから生じる「発見」「新感覚の体験」、斉藤由貴はそうした未知の体験を触れる者に与えるのです。

彼女社会おい異端であることを踏まえれば、彼女ある意味おいて「生きづらい」のも当然なのですが、それでいて彼女信仰のものを相対化するようなゆらぎをも抱えています彼女が単純に敬虔信者というならば、二度に及んだ不倫など出来るはずがないのです。彼女自身はその不倫正当化はしていません。そういう意味では信仰を維持しているのは確かですし、その行為があったからと言って「魔性の女」扱いするのは不適当ですが、それほど信仰する宗教の中にあってさえ、時にやむにやまれぬ衝動に突き動かされる、異端性を彼女は持っているということなのです。

そのセクト信者であることによって社会生活おい彼女異端なのですが、彼女自身のキャラクターによって信仰仲間の中にあっても異端なのです。それが彼女の「生きづらさ」になっていますが、事が彼女信条性格に由来するために、それこそ生まれ落ちた時点から彼女はこの異端性を抱えています。だからそれが当たり前なので、ある意味、「もはや問題ではない」のです。空が青いのと同じく、生きづらいのがデフォルトなので、もちろんそれに伴う苦労はあるにしてもそれで悩むことはもはや意味がない、だから悩まない。彼女には異端でありながら底抜け楽天主義があるとしたらその根っこは諦めの境地です。


斉藤由貴特に楽曲に恵まれたアイドルです。シングルはいずれの曲も神曲レベルにあります

作詞では松本隆森雪之丞谷山浩子作曲では筒美京平玉置浩二亀井登志夫原由子らが担当していますが、いずれも彼らのキャリアの中でも一二を争う水準の作品を提供しています。これはおそらく斉藤由貴創作意欲を掻き立てる何かがある、ジャポニズムに触れたゴッホのように、斉藤由貴によって創作トリガーを引かれる何かがあったということなのですが、デビュー曲『卒業』を例に、見てみましょう。

続く

http://anond.hatelabo.jp/20130919170745

2013-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20130912100737

承前

アイドル寄りの話をしましょう。

80年代半ばに究極の選択というお遊びが流行りました。「ウンコ味のカレーカレー味のウンコ、どちらを食べるか」みたいなものです。そのひとつに、「南野陽子と一回やって死ぬのと、林真理子毎日やって100歳まで生きるのとどちらがいい」という、いかにも男子中高生的な下世話で思いやりのないお題がありました。

ここで南野陽子ティーンズアイドルとして最大公約のセックスアイコンとして扱われています。これが他のアイドル四天王だとしっくりいきません。中山美穂だと妙に生々しいし、工藤静香では好き嫌いが多そうです。浅香唯はアピール層が南野よりはずっと狭い。

ここでは南野セックスアイコンではありますが、何も実際にセックスをしよう、したいというわけではなく、男子同士が下世話に社交として名前を出すのにちょうどいい、ニュートラルな感じがあるからここで用いられているのです。

まりセクシャルな印象がないからこそ、社交としてのセックスアイコン向きなのです。この、女子でありながら女性ではない感じがアイドル向きなのです。

南野陽子は『楽園のDoor』からフィルムの向こう側』まで11連続してオリコン1位もしくは2位を達成しています。そうでありながら、人口に膾炙した楽曲ほとんどありません。一番有名なのははいからさんが通る』『吐息ネット』でしょうが、同時代小泉今日子工藤静香中山美穂のようには、カラオケ女子が歌う定番にはなっていませんでした。『秋の Indication』のように楽曲として優れたものもありましたが、おそらく南野以外の人が歌った方が楽曲の魅力を引き出せていたでしょう。

南野陽子は素材の時点でアイドルとして完成されているので、アーティスト性は無いのです。試しに、南野楽曲南野以外の人が歌っていたらと想像すると、どうもそちらの方が魅力的に見える。南野楽曲が持つポテンシャルをむしろアイドル歌謡の域にまで引き下げているのではないか、私は南野のファンですがそう思わなくもありません。

私は工藤静香を実はそんなに歌が上手いとは思っていませんが、まあ80年代女性歌手としてはパンチのきいた歌い方をする、「」付の歌唱力はあります工藤静香はその歌唱力によって訴求力があったのも事実でしょう。

中山美穂フェミニンロールモデルとしてアイドルの枠を超えて同性に支持されました。

他のアイドルたちがアイドル性の中核とは別の部分で武装していたのに対し、アイドル性そのもの、それだけでトップアイドルになり、長期間その地位を維持した、その点が南野非凡なところです。

それは素材として彼女が圧倒的に優れているから出来たことでした。

マスダ80年代女性アイドル論~南野陽子

80年代女性アイドル格付

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論

マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論

マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論

マスダ80年代女性アイドル論~インターバル

マスダ80年代女性アイドル論~薬師丸ひろ子論


南野陽子と言えば、『はいからさんが通る』です。『はいからさんが通る』は少女漫画代表的作品を挙げる時には必ず名前が挙がる作品ですが、70年代中頃の作品です。

薬師丸ひろ子論の中で、70年代にはマルキシズムの影響で、「女性男性のようにリーダーシップを執らなければならない」という思想が、少なくとも先進的な意識を持つ若い女性学校にはあった時代だったと言いました。その「あるがままの私」が80年代おい現実との軋轢の中で鍛え上げられていきました。70年代の「あるがままの私」が実は女性に無理を強いているのではないか、それは本当に「あるがままの私」ではないのではないかという問題意識体現し、生き方としてロールモデルを提示したのが松田聖子です。

しか70年代以前は、松田聖子はまだ存在せず、女性は無理を承知で男の真似事をしなければならなかったのですが、その時代ロールモデルフィクションの中にありました。

はいからさんが通る』もそのひとつです。この流れから80年代少女小説家たち、氷室冴子らが出てくるのですが、氷室冴子理想としてのフィクションいかに守ろうとしたかいか現実との狭間で苦闘を強いられたか彼女の作品と同時に、諸々の葛藤を描いたエッセイをお読みになればあの時代少女意識彼女たちが直面した現実が分かるのではないかと思います

アイドル論を無理やりフェミニズムで語るつもりはないのですが、結果的にそれに近い感じになっていますね。それはアイドルたちが、時代ロールモデル少女たちの在り方を反映しているからです。

薬師丸ひろ子には王道的な、「党中央本部の作成したスローガン」のような無菌的な匂いを感じますが、南野陽子もっと現実寄りの人です。しか評論家的ではありません。南野陽子には確かにフェミニズム寄りの感性があるように見えますが、フェミニズムがその成り立ちから逃れがたい、アンチとしての批判性を濃厚に持っているとしたら、南野陽子にはそれはありません。

フェミニズムの到達地点が南野陽子にとっては当たり前の状況、出発点であるような、そういう印象があります

70年代にはフィクションで切り取られるしかなかった『はいからさんが通る』的な在り方が、現実に当たり前のように南野陽子の中には存在しています南野陽子は『はいからさんが通る』の作者の他の作品である菩提樹』にも映画主演していますが(『菩提樹』はおそらく大和和紀最高傑作です)、自分の足で立つヒロイン南野自身のキャラクター投影して演じています

 

南野陽子女子校出身ですが、プロフィールを見る前から私はおそらくそうなんだろうと思っていました。女子校出身者はしばしば、男性がいない状況で、ジェンダーとしての女性を内在化させないことがあって、すべての女子校出身者がそうではありませんが、自然独立心を持っている女性のかなりが女子校出身者です。

そうした女性社会への眼差しアンチでもなければ評論家的でもありません。あくまで自分もその一員であると言う、責任感を持っている、部外者性をあらかじめ排除しています

たびたび引用している松任谷由実の評ですが、彼女南野陽子について、

彼女自分を持っているから好き」

と言っています自分を持っていない人なんているんでしょうか。誰しも逃れがたく自分を持っています。けれどもその自分は幾層にも思惑や配慮や自分がこうなりたいというロールモデルによって塗り固められていて、剥き身の自分自分でさえ分からなくなっている、特に女性はそういう人がほとんどです。

この場合南野自分を持っているというのは、剥き身の自分を隠すことさえ考慮にない、そのある種の無鉄砲さ、清々しさを指しています。それは絶対的に、かつ盲目的に自分を肯定する、傲慢さとは似て非なるものです。その種の傲慢さは実は絶対ではないからです。

例えば自分が美しいということについて、南野はもちろんそれを自覚しているでしょう。多くの場合、それは自意識リンクして、自分をも値ぶんだうえで、他人を侮蔑することに直結します。それは多くの女性が、自分の武装と自意識を切り離して捉えることが出来ないからです。そうすることが出来ない、ということがジェンダーなのかも知れません。

南野場合は、要素として自分が美しいことは承知している、だからそれを活用しようとする、しか自意識はその要素とは別のところにあるのです。自意識は要素とはまったく無関係に絶対的に肯定されるものです。なぜならば自分自分であるのですから

比喩的に言うならば、南野自己に対する捉え方は企業家的です。アイドル南野陽子は商品であるので、南野陽子当人とは別のものです。これはアイドルを演じている、別人格というのではなく、南野陽子の商品性客観視しているということです。

表層に現れるアイドル南野陽子が、アイドルとして非常に典型的であるだけに分かりにくいかも知れませんが、南野陽子当人は理性的な、理が勝った女性です。そしてテレビアイドル南野陽子を見つめる南野陽子をも映し出すのです。

商品としての自分自分当人を分けて考える、このことを自分についても他人についても理解できない人がたくさんいます

今年の初めに亡くなった十二代目市川団十郎の父の、十一代目市川団十郎は腰が低い人でしたが、団十郎襲名してからは打って変わって尊大になりました。多くの人は彼当人が尊大になったと見たのですが、そうではなく、彼は団十郎と言う暖簾に対して敬意を要求したのです。歌舞伎役者ならば団十郎に最大の敬意を示すのが筋、悪評がたつことで彼個人には不利益になっても、団十郎の暖簾を守ろうとしたのです。

南野陽子も、尊大だと悪評が立つことが多い人でしたが、南野陽子と言う暖簾を大事にしろスタッフに言ったのだとしたら理解しやすい話です。非常に友人が多い人で、素が出やすい場面では気さくな人ですが、素のキャラクターアイドル南野陽子アイドル南野陽子経営者としての南野乖離があるのだとしたら、それは自分を見つめる目が極端に理性的からです。

 

素材として南野アイドルとして最高のものを持っています美人ではあるけれども、親しみやすキュートな顔立ちで、声も鈴が鳴るように可愛らしい。アイドルとして最高なので、それ以外では大成しにくいという弱点もあります

松田聖子中森明菜歌唱力で、小泉今日子は斬新なパフォーマンスで、薬師丸ひろ子は演技で大成したように、実は彼女ら、スーパーアイドルであっても純粋アイドルとしての性格を維持した期間はそう長くはありません。例えば中森明菜は、デビュー直後は肉感的な身体を水着を着て晒すなど、いかにもアイドル的なことをしていましたが、シングル3作目くらいからもう、歌唱をメインにした、アーティストとしての性格を強めています。『TANGO NOIR』の頃は皇后エリザベートもびっくりするくらいウェストが細くて折れそうなほどですが、デビュー直後はむしろやや太めなくらい、それくらいの方が男子には人気なのですが、性的アイコンとしての価値を斬り捨てて、表現を高めていった、そういう路線に入ったから「単なるアイドル」を越えた時代アイコンになったのです。南野にはそういう「先」はありませんでした。それはアイドルとして完成されていたからです。

何万人にひとりの逸材で、顔と名が知られるや否やあっという間にトップアイドル上り詰めたのは不思議ではありません。不思議なのはこれほどの逸材が長らく飼い殺しにされていたことです。意外とプロフェッショナルスタッフも分かっているようで分かっていない、そう思うことが時々あります南野が「下積み」を強いられたというのにもそういう感想を持ちます

角川三人娘のひとり渡辺典子美人系の女性アイドルとして人気が出るタイプではないのですが、オーディションでは彼女グランプリ原田知世が特別賞でした。むろん、人気も実績も原田知世の方がはるかに上の結果を残しました。

南野陽子大手所属すれば事情は違ったのかも知れませんが、彼女所属したのは、エスワンカンパニーという弱小事務所でした。この会社ピンクレディー楽曲で知られる作曲家都倉俊一氏が立ち上げた芸能プロダクションで、売り込みのノウハウがありませんでした。

堀越学園での彼女同級生本田美奈子岡田有希子高部知子石野陽子らがいましたが、彼女たちが仕事に忙しく早退してゆく中で、南野は焦らざるを得ませんでした。事務所があてにならない中、南野は一人で売り込みを開始し、自分プロフィール名刺作成して、テレビ局出版社を回りました。彼女にとって最初のチャンスになった週刊少年マガジングラビア仕事は、そうやって彼女自分で営業を行って獲得したものです。

このグラビア仕事から、『スケバン刑事Ⅱ』の仕事が決まり、一躍彼女トップアイドルになってゆくのですから、売れるうえで事務所には何の世話にもなっていないと彼女が思ったとしても当然でしょう。

エスワンカンパニー作曲家の個人事務所のようなもので、音楽業界はともかく演技に関しては指導育成のノウハウがありませんでした。器楽的な意味おいて、南野アーティストとして魅力に欠けるため、売出しに熱意が無かったのかも知れません。

横道の話になりますが、エスワンカンパニーには他に太田貴子所属しています彼女アニメ魔法の天使クリィミーマミ』に声優として主演したため(救いようがないくらい下手でした)、オタク層に支持されるアイドルになりました。しかし、自らの支持層であるオタク層を「気持ち悪い」と評したため、急速に勢いを失くします。アイドル親衛隊と言えば、ヤンキーが多かったのですが、80年代後半からオタク層が目立つようになり、以後、アイドルオタクのものになってゆくのです。

太田貴子南野はその端境にいたアイドルです。

女優業についてはエスワンカンパニーではマネージメントが出来なかったので、青年座マネージメント外注する形になりました。この結果、南野エスワンカンパニー青年座に両属するような形になってしまい、急速に売れっ子になると、彼女スケジュールを巡って両事務所が争い、頻繁にダブルブッキングが発生しています

南野スタッフに対して当たりが厳しい、厳しく叱責しているという噂はずっと以前からあったのですが、それを公に最初に示したのは浅香唯です。浅香唯芸能界裏話のような話で、

自分スタッフに大声で怒っていて、テレビ全然印象が違った。芸能界は怖いところだと思った」

みたいなことを言っています。一応名前は伏せてありましたが、誰がどう見ても南野とすぐに分かるように作ってありました。

後に南野週刊文春インタビューにてそれが事実であることを認めています。その理由として、クライアント迷惑をかけるダブルブッキングが頻発していたことを述べています

また、そのインタビューの中で、当初はまともにマネージメントを受けられなかったこと、転機になった仕事自分で営業活動を行ったこと、事務所独立時の確執についても述べています南野陽子独立を契機としてエスワンカンパニー負債を背負って倒産しているのですが、その負債南野が知らないうちに南野名義になっていて、数億円と言うそ負債南野が背負ったそうです。それが事実ならば刑事事件にもなるような話で、裁判に訴えれば南野負債を免れたはずですが、アイドル南野陽子がそんなお金にまつわる醜い振舞をしては、ファンを傷つける、だから裁判には訴えなかったと述べていました。

これは南野陽子側の言い分ですが都倉氏から反論がなされていないため、大枠では事実と考えていいでしょう。

その後数年、テレビから干された、と南野は言っていますが、プロフィール年表を見る限り映画の活動は活発でしたから、余り干されていたという印象はありませんが、90年代特にテレビドラマの影響力が強い時代でしたから、彼女ほどのコンテンツテレビドラマでは活用されていなかったのは事実です。

この時期、南野は状況を打開するために、単身、ハリウッド渡りユニバーサルスタジオの門の脇に立って、プロフィール写真関係者に配っています。誰にも知らせずに自分一人で行ったことですが、もちろんカリフォルニアにも日本人大勢いるわけですから、すぐにあの南野陽子がと噂になりました。とにかくものすごい行動力です。実際、オファーもいくつかあったらしいのですが、ちょうど日本での映画仕事がたてつづけに入ったため、その仕事は友人知人に回したそうです。彼女プロデューサーになっても大成したでしょう。

 

自分を持っている南野ですが、それが如実に表れたのは主演映画『私を抱いてそしてキスして』の完成記者会見での発言です。この映画は当時、日本でも広がりつつあったエイズ、その患者患者に対する偏見を描いた作品で、啓蒙映画的な意味合いがありました。日本でのエイズ患者の大半は実は薬害エイズによって感染していたのですが、当時、厚生省によって患者第一号に認定されマスコミにも登場したのは同性愛者の患者でした。これは、エイズ同性愛者の病気であり、薬害エイズを覆い隠そうとした当時の厚生省の思惑があったと見られています

橋本内閣厚生大臣を務めた菅直人によって薬害エイズ被害が厚生省ぐるみでの怠慢によって引き起こされたと明らかになったのが1995年、この映画はその3年前の制作ですから厚生省がまだ性病としてのエイズに焦点を合わせていた頃の映画です。

この映画ではヒロインが前の恋人によってエイズうつされ、エイズであることにショックを受けるけれども、新しい恋人にはそのことを言えずに性交渉を持ってしまう。その結果、妊娠して出産するけれども、その恋人の愛に包まれながら死んでゆくという内容です。

あり得ないと言うかほとんど犯罪なのはエイズと知りながら他人と性交渉を持つ」ことを「あなたを失いたくなかったの、許して」みたいに処理している点です。この「愛がすべてを癒す」みたいなご都合主義的な展開についてはこの映画社会問題を取り扱っているだけに記者から厳しい批判がなされました。

それに対して南野は、

「私もそう思います映画の内容はご都合主義です」

と言うような内容の発言を行い、映画のコンセプト自体を批判する形になり、同席していた映画プロモーターは狼狽し激怒していました。ことここに至るまでに、内部で南野は批判を口にしていたのでしょう。

 


続き

http://anond.hatelabo.jp/20130912100847

2013-09-01

マスダ80年代女性アイドル論~インターバル

これまでの記事。

80年代女性アイドル格付

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論

マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論

マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論


こんにちは。来週の「あまちゃん」を見るのが怖いマスダです。今日インターバルで補足説明や修正をします。


・文章のこと

文章のことを幾人かの方々にお褒めいただいて恐縮です。確かに文章は私にとっては飯の種ですが、別の記事を書いた時には(批判が多かった記事ですが)、文章も幼稚だと批判されたものです。ですから文章の良し悪しも内容に興味を抱くか抱かないか、内容に共感するかしないかで印象も随分違ってくる、そういうものだと考えています。これらの記事を増田で書いているのにはそれなりの事情もあるので、どうぞ私のことは詮索無用にお願いいたします。

業界人かどうか

業界の範囲をどの程度とるかにも拠るかも知れませんが、少なくとも芸能業界とは何の関係もなく生きてきました。ただの一視聴者に過ぎないというのは謙遜でも誇張でもありません。それどころかアイドルオタクでさえないと思います80年代おいても洋楽も聴けばニューミュージックも聴いていましたし、アイドルのことはファンクラブに入っていたアイドル別にして、普段は月曜日に「トップテン」と「夜ヒット」、木曜に「ザ・ベストテン」を見るくらいの関わりしかありませんでした。ここで書いているようなことは既知の情報であって、特に目新しいことを書いているつもりはありません。ただ80年代アイドルのことはかれこれ30年間の蓄積があるわけで、当人たちを含めていろんな人たちが当時について語っています。私は芸能界裏話みたいな、そういう話が大好きなので、好き好んでそういうのに目を通していたらそれも30年分の蓄積がある、ということです。好きな話なので、一度聞いたら忘れないだけです。

・根拠のある話なのか

わりあい根拠のある話を選んで書いています雑誌インタビュー記事やテレビ番組で当人が話したことや、ゴシップ系ではない、書籍や記事を参考にしていて、ソースを示すこと自体はほとんどのエピソードについて可能です。例えば、「秘密の花園」は最初作曲が気に入らなくて松本隆が改めて松任谷由実作曲を依頼した、と言う話ですが、これは旧バージョンの曲も確認しています。なお、この曲を当初、「小麦色のマーメイド」と誤記していました。複数の方のご指摘の通り、「秘密の花園」の間違いです。失礼いたしました。「小麦色のマーメイド」は詞・曲ともに全体として完成されていて、個人的には松任谷由実松田聖子提供した楽曲としては「蒼いフォトグラフ」と並ぶ最高傑作だと考えています。詞、曲、歌い手、微塵も変えられない最高の品質調和した作品なので、これが旋律が後ハメだったらえらいことですね。

・一方の視点に立ち過ぎていないか

そのきらいはあるかも知れません。例えば中森明菜の項目で、結果的に松本伊代を悪役みたいに描いてしまったのですが、彼女テレビ番組という公開の場所ではっきりと明菜を「嫌い」と言ったのは事実で私はそれに強い反感を覚えますが、松本伊代には松本伊代の言い分がおそらくあるでしょう。明菜にも社会的意識が欠落した言動がしばしばあったのは事実で、90年代末期には公演を巡って、公演は中止される、チケットは払い戻されないという詐欺まがいの事件も起こして、当時の所属事務所社長から芸能界に置いていてはいけない人」とまで言われているのですから松本伊代なりの正義感からすれば許せないことがあったのかも知れません。ただ意地悪な人だったら松本伊代もあんなに友人に囲まれるはずもないですから。そうした欠落を踏まえても、明菜不世出パフォーマーとして評価している、評価せざるを得ないというのが私のスタンスです。芸能界に置いておくかどうかは事務所社長が決めるのではありません。民衆が決めるのです。一方で舌足らずに書いてしまった点もありました。研ナオコ聖子を「挨拶もしないで」と批判したことについて、それを批判的に書いたのですが、もちろん「挨拶をしない」のは社会的には批判に値することですから、そこだけを抜き出せば研ナオコの言い分も必ずしも間違っているわけではありません。しかしその状況を踏まえれば、言いがかりに近いと私は判断したのですが、状況を書くのを忘れたので一方的に聖子の肩を持っているように見えたかも知れません。芸能人が何百人と集まっている大きなパーティーで、おそらく聖子は顔出しだけでもと頼まれたのでしょう、わずか数分、会場にとどまって、皆に手を振って、義理を果たすとそのまま退出しました。スターにはよくあることです。これを個々人に挨拶をしていない、と難癖をつけるのは、別格のスターである聖子であるがゆえにやむを得ない行動についても理解を受け付けない、依怙地さが目立つ態度です。似たような話はよくあって、例えば山口百恵テレビドラマに主演していた頃は過密スケジュールだったのでどうしても百恵中心の時間配分になりますベテラン共演者がそれに不満を抱いて降板した、ということがありますが、そういうことを「先輩を蔑ろにした」みたいに処理されても、だからと言ってどうしようもない話です。だから研ナオコのあの批判は小姑根性のくだらない批判だと私は思いました。同年、研ナオコ紅白に久しぶりに出演していますが、声はガラガラで、歌手として鍛錬していないのはみえみえ、聖子に難癖をつけるようなくだらないことに気を使っているならその前にプロ歌手としてやることがあるだろうに、その点、いつまでも衰えない聖子はさすがに立派だとの思いを強くしました。これについては名前は出していませんが、同じく聖子ファンである作家林真理子が激しい口調で研ナオコを同様の趣旨で批判しています

酒井法子を取り上げていないのはどういうことですか

チャーリーはよほどノリPが好きなのかもしれませんが、80年代を通しで見て、本当にここで名前が挙がっている人たちよりも酒井法子が実績を残したと思いますか?私だって涙を呑んで、南野陽子を7位にしたのです。酒井法子ランキングで取り上げていないのは彼女の生い立ちのせいでもなければ事件のせいでもありません。80年代アイドルとしてはそういう評価しか下せないからです。彼女90年代にむしろピークが来ました。女優として本当に傑出した、才能あふれる人だと思います大河ドラマはいろんな人が北政所を演じていますが、私は彼女が演じた北政所が歴代の中でベストだと思っています。だからこそあの事件のことは残念でしたが、それでも立ち直って復帰して欲しい。そう強く願うくらい、酒井法子を評価しています。それでも80年代アイドルとしては、ベスト16の中に入れるわけにはいきません。

女優フォローしないのか

しません。女優としてアイドル的な人気を得た人としては、伊藤かずえ沢口靖子富田靖子などがいます世代の性(さが)で、今でもこの人たちが出てくるとすごく嬉しいですね。「ナースのお仕事」では伊藤かずえばっかり見ていました。沢口靖子の「科捜研の女」は欠かさず見ています沢口靖子彼女も年相応に老けてきましたが、老けたなりにありのままの姿をさらすことを選んでいるようで、撮りようによっては皺も隠せるのにしていませんね。それでいて今なおあの美しさ。ほれぼれします。でも、「ザ・ベストテン常連というのが一つの判断基準なので、彼女たち女優プロパーは対象外です。

森高は?宮沢りえは?

森高アルバムは全部持っていて(森高作詞の才能は本当にすごい。松任谷由実は「あんな中学生みたいな歌詞印税貰えていいわね」と評しましたが、作為を感じさせず強烈に印象を残す作詞力は並の芸当ではありません。大槻ケンジと同じくらいの天才だと思います)、宮沢りえちゃんは「ぼくらの7日間戦争」以来のファンで、児ポ法的には危険なあの写真集も未だに持っていますが、イメージ的には90年代スターです。「ザ・ベストテン常連でもありませんし。

・どこまでやるんだ?

一応の目安として第8位の斉藤由貴まで順繰りに書こうと思っていましたが、小泉今日子を書いていて、熱意が足りないように感じました。小泉今日子は好きか嫌いかで言えば好きですし、おカネを払って彼女の作品を買ったことも何度もあるんですよ。でも聖子明菜に対して程、思い入れが無いのも事実です。だから書いていて、愛よりはテクニックに頼ったところがあります。で、正直言って中山美穂についてはなおのこと思い入れがありませんし、工藤静香に対してはむしろネガティヴな印象があって、対象に愛情が無いのに論評を書くのも苦痛ですし、なにより失礼だと思うんですよね、当人に対してもそのファンに対しても。で、中山美穂工藤静香飛ばして、斉藤由貴まで取り上げようかと考えています


では、もうしばらくお付き合いくださいませませ。

2013-08-31

承前

http://anond.hatelabo.jp/20130831065322

小泉アイドル時代がいつまでなのか、その線引きが難しいのは小泉がずっと売れているからです。

歌手一年総理二年の使い捨て」と言いますが、アイドル歌手普通一年、保って数年で売れなくなります百恵聖子明菜の3人のトップアイドルが、特に別格の印象が強いのは、売れなくなる前に結婚や事件などでキャリアに区切りをつけたからです。セールス的には百恵よりもピンクレディーの方が遥かに「別格」でしたが、ピンクレディー落ち目になってもだらだらと数年、活動を続けたために敗残の印象も残してしまいました。

アイドルファンではない、普通の人にとっては近藤真彦の「愚か者」以後の曲は知らないでしょうし、田原俊彦は「抱きしめてTONIGHT」で"オシマイ"でしょう。小泉場合セールス上の好調12年以上続いているため、区切りがつけにくいという事情があります1984年の「渚のはいから人魚」と1985年の「なんてたってアイドル」では意味が違います。もちろん1993年の「優しい雨」は全然意味が違います

アイドル時代が、アイドルを相対化した「なんてたってアイドル」で一つの区切りをつけたのだとしたら、それ以後の彼女は、誰によって、どういう理由で、支持されていたのでしょうか。小泉への支持は、経済的な支出を伴っています90年代に入って、ミリオンを2曲輩出し(その2曲の合計ではトリプルミリオンを達成しています)、映画好調、何よりもCM女王として圧倒的な影響力を誇っています。単に好感度が高いから、CMに起用されているというだけではなく、小泉を起用すればそれは爆発的なセールスに直接結びついています

圧倒的な支持はある。不思議なのはその支持層が全然見えてこないことです。見えてこないと言いながら考えてみたら私自身、小泉の「消費者」のひとりでした。彼女の「オールナイトニッポン」を聴いていましたし、ポストアイドル期のCDも何枚か購入しています。これはアイドル時代映画ですが、「生徒諸君!」も劇場に観に行きました。ではファンであったのかと言えば、もちろん好きではあるけれども、聖子明菜南野陽子に対するほどの思い入れはありません。ファンとまではいかないけれど、非常に強い好感度がありました。しかしそれだけで、人は消費行動に走るのでしょうか。

例えば、ベッキー最近では特に好感度が高いタレントですが、それだけで彼女CDが売れることはありません。90年代、同時期にアイドル出身としては例外的セールス上の好調を維持した中山美穂場合、溢れ出るようなフェミニンな魅力があって、女性からロールモデルとして支持されていました(フェミニズムが当然になったのを前提にして、同時に女性性を担保したいという女性の欲求を投影する象徴になった、ということです)。小泉場合は、その魅力の実態が捉えにくいように感じられます

小泉は先端音楽の動きに敏感でハウスミュージックいちはやく取り入れていますが、そういう層が果たして小泉アーティストとして消費するかは疑問ですが、その周辺部にはイケテルとして消費を促す要素にはなったでしょう。小泉の特徴は記号的、ということで、他のアイドル場合、そのアイドルのファンたちがアイドルの何に思い入れを抱いているか、わりあい明瞭です。例えばLGBT性的マイノリティ)の人たちで中森明菜のファンは多いのですが、明菜の持つ「孤高性」に強く反応しているのは想像に難しくありません。それだけに、強い思い入れがあるものですが、小泉に対してはアイドル時代からポストアイドル期になってからもそのような思い入れを見出すことは出来ません。

私は彼女を評して、「そこそこ」の人だと言いました。これは単に技量的なことだけを言っているのではなく、中核を持たないということを指して言っています愛情と好感は違います小泉への支持は愛情にまではいきません。行きませんが相当に強い好感を広範囲に長期に及んで維持している、そのこと自体に小泉キャラクターがあるのです。これは単に「人がいい」というような話ではないのです。

善人で言えば、例えば坂本九は善人の代表的なキャラクターでしたが、裏が見えないこともないですし、ある種の美意識から、むしろ坂本九を激しく嫌う人たちもいたでしょう。小泉は全方位に好感度を維持しているのが特殊なのです。こう言う人は他にはちょっといないですね。ある意味、一番、非人間的なアイドルです。

2013-08-27

マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜

80年代女性アイドル格付

http://anond.hatelabo.jp/20130821065806

を書いたマスダです。

今日中森明菜について。

(追記)

こちらを見落とされている方が結構いらっしゃるようなので。

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子

http://anond.hatelabo.jp/20130825215309

今回は松田聖子論に続く「第2回目」です。「80年代女性アイドル格付」の順位順に書いています。次回は小泉今日子です。


松田聖子もずいぶん批判されましたが、今になってみれば、いったい何が批判されたのか、よく分からないところがあります恋多き女性という印象もありますが、婚約結婚を含めて彼女は4人の男性と法的なパートナー関係を結んだ経験がありますが、いちいち結婚という形をとりたがるのは彼女価値観の基盤が実は案外保守的からです。パートナーに対して彼女が求めるのは第一に学歴を含む社会的な地位で、判断基準は「父親が認めてくれそうな男性」というところにあります郷ひろみ芸能人の中ではインテリ志向であるし、大学中退英語も話せるので、聖子は父親の眼鏡にかなうと思ったのでしょうが、結果的には無理で、それで両者の関係は破綻したのでした。聖子はそういう時には、しょせんは他人である恋人よりは父親を選ぶ女性です。

久留米に在住していた高校時代彼女久留米付属高校男子生徒と交際していたという説と、暴走族男性と交際していたという説がありますが、後者はまず考えられません。父親が許すはずがないからです。

聖子に対する批判は「女性が主体的に取捨選択をする」という生き方に対する批判で、そういう生き方一般的になった現在松田聖子批判は一体何だったんだろう、という思いがします。人格や対人関係において聖子が批判されることは少なく、あるのは分かりやす嫉妬、あるいは批判者の自分価値観において相容れない部分があるからでしょう。聖子に対する批判者として有名だったのは(後に和解していますが)和田アキ子で、基本構造スケバンぶりっ子を毛嫌いするという分かりやすい形をしているのですが、和田アキ子は実はそんなに単純な人ではなく、ホリプロ代表するタレントとしてホリプロ経営者的な視点で批判を強めたり弱めたり、批判しなかったりしています。かつてホリプロに所属し、後に独立した石川さゆりに対して、独立後ににわかに批判を繰り返したのもその例です。大手芸能事務所タレントを批判することは基本的にはしない人なのですが、サンミュージック所属タレント例外で、サンミュージック創業者相澤秀禎氏がホリプロとたもとを分かって、ホリプロをいわば「裏切って」独立したことからホリプロサンミュージックの間には静かな確執関係があります和田アキ子による聖子批判は基本的にはその文脈で理解されるべきでしょう。

研ナオコパーティー聖子挨拶をしなかったことについて、「私はあんたたちとは格が違うとでも思っているのかしら」と揶揄していますが、実際に格が違うのですから、これは現実を受け入れられない研ナオコの側の問題です。研ナオコは悪口しか言っていないと言っていいほど、この種のレベルの批判を全方位的に繰り広げていますが、そういう人なんだというしかないですね。

聖子時代象徴になってしまったため、時代に対する批判までをも彼女は引き受けざるを得なかったのですが、他の女性アイドルで批判されることが多かった人と言えば、第一に中森明菜で、第二に南野陽子です。ふたりとも弱小事務所に所属していたというところに共通点があります

けれども、南野陽子はともかく、明菜への批判は、単に事務所が小さかったからでは済まされない、執拗で熱意のこもったものでした。中森明菜はそんなに問題がある人なのでしょうか。

先日、松本伊代堀ちえみバラエティ番組で、82年組は仲が良かった、中森明菜はそうでもなかったけれど、という話をしていました。明菜とは仲が悪かったんですかと話を振られて、堀ちえみフォローしようとして、「仲がいいも悪いも、あんまり接点が無かっただけなんですよ。だから好きも嫌いもないんですよ」と言ったのに対して、松本伊代は「私は嫌いなの」と明言しました。30年以上前のこと、しかも相手は現在病気療養中の人に対してああまで悪意をむき出しにして言うほどのことが果たしてあったのでしょうか。

82年組の中で中森明菜孤立していたのは事実です。明菜と親しかったのは小泉今日子くらいで、初年度の賞レースが終われば、82年組の中で歌番組常連として生き残ったのは明菜小泉今日子くらいでしたから、明菜としては松本伊代に嫌われても何の実害もなかったでしょうが松本伊代がかなり執拗に激しく明菜を嫌っていたのは数々の証言があります

松居直美は、彼女スタッフに対する暴言などで評判があんまりいい方ではなかったのですが、「明菜とは親しくするな」と松本伊代から言われたことを明言しています。そうは言っても明菜普通にいい子だったので、そんな助言は無視した、と言っていましたが。松居直美欽ちゃんファミリーだったので、松本伊代意向など無視できたのです。

松本伊代は区切りでは82年組で、実際のデビューは81年の10月であり、82年組の他のアイドルにとっては既にスターであり、先輩格であったので、82年組の中では自然リーダーシップをとる存在になっていました。明菜孤立したのは松本伊代意向によるところが大きかったのは確かですが、明菜が自ら壁を作るような面があったのも確かでしょう。同じく批判されがちなアイドルであった南野陽子は、後から事情を聞けばもっともな事情もあり、それが彼女パーソナリティの問題ではない傍証としては友人も非常に多いことが挙げられるのですが、明菜には誰とでもうまくつきあえる小泉今日子以外には友人と言うような人はいませんでした。

新田恵利歌番組明菜と一緒になった時、挨拶に行ったら無視されたのだけれど、別のパーティー会場であった時、やたらなれなれしく親しく接してきたのでその豹変ぶりが怖かったと言っています社会人一般の社交として明菜の態度が独自基準で動いている、少なくとも一般的ではないのは確かでしょう。

ただし彼女仕事上のことは別として誰かを攻撃したり、悪口を言ったりするようなことはしていません。仮に「性格に難がある」のだとしても、彼女が関心があるのは自分生き方に限られていて、他人にどうこう干渉することは一切ありません。明菜を見ていると、果たして性格がいい」とか「性格が悪い」とは一体何なのだろうと考えさせられます。他人のことにあれこれ指図するような真似もまた性格がいいに含まれてしまうのか。ひとつだけ言えるのは、明菜のことが嫌いなら嫌いで放っておけば、何の害ももたらさない人だと言うことです。誰かを攻撃するような真似はしないのですから

ザ・ベストテンプロデューサーはこの番組を心から愛して、リハーサルから熱意を以て付き合い、他の歌手が歌っている時も熱心に聴いていたアイドルとして、中森明菜南野陽子の二人の名を挙げています80年代アイドル黄金時代を心から愛していたふたりアイドル、私は単に視聴者として二人を見ていただけでしたが、確かにこの二人にはアイドルとしての「生真面目さ」が際立っていたように思います


中森家のルーツはどこにあるのでしょうか。今一つそこに触れた文章は無く、今のところ不明ですが、中森家のありようを見ていれば、社会からやや孤立している印象を受けます中森明菜東京都清瀬市出身ですが、土着の家系なのかどうか、それが気になります。と言うのは、田舎から出てきて、転職を繰り返したような人の場合地縁血縁会社縁が切れている人が多く、創価学会はそういう人たちを対象にして成長してきたのですが、宗教によるつながりもなければ、家族でこじんまりとまとまっているケースが多いからです。「亡命者家族風景」であり、コルシカ島と言う故郷を失ったボナパルト家排他的家族的結束を強めたように、中森家にはどこか亡命者マインドがあります

明菜には友人が出来ないのではなく、作らない、通り一遍の社交以上の価値を見出さないのは、家族という単位が直接世界と向き合っている、そういう世界観を持っているからです。明菜は適性に合った役ならば、天才的と言うほどの演技を見せる、そういう才能もあります1998年テレビドラマ「冷たい月」ではかつて自分の夫を結果的におとしめた専業主婦に友人のふりをして近づき、その主婦の家庭を乗っ取って崩壊させる女を演じていましたが、おそろしいほどのはまり役で、役と役者が同一視されてしま危険すら感じさせるものでした。その後、明菜役者からは遠ざかったので、結果的にその懸念は杞憂に終わりましたが。1992年に放送された「素顔のままで」では安田成美演じる女性親友になる女性を演じていましたが、最終的には安田成美演じる女性の子を、自分の家庭的幸福を捨てて引き取って育てるという結末でした。「素顔のままで」は友情を描いた作品ですが、友人を必要としない明菜には一見合わない役のようですが、「非常に親しい人は友人と言う中間的な領域ではなく家族に組み込まれる」という中間的な領域の欠如した明菜世界観に沿った役でした。

90年代の終わりにトーク番組に出場した時、明菜は許せない相手として「共演者にはそういう人はいないんですが、スタッフはいますね」と述べています松本伊代からどれほど冷たくあしらわれようとも、松本伊代の側がどれほど強く明菜意識していようとも、明菜には伊代は視界にも入っていないことが伺えます家族ではないからどうでもいい存在なのです。スタッフある意味家族の周縁部にある存在で、ここに対して仕事をしてゆくうえで中森明菜は無条件の理解を当然のこととして要求したのではないでしょうか。それが軋轢になったのでしょう。


中森明菜は「スター誕生」末期に出てきた人で、小泉今日子もほぼ同時期にその番組から輩出されています。両者とも圧倒的な高得点合格したので、複数の選択肢の中から所属事務所を選べる立場にありました。小泉今日子は最大手バーニングプロダクションを選びましたが、明菜は弱小事務所研音を選んでいます研音はいまでは大手大手、最有力の一画を占める芸能事務所ですが、当時はめぼしいタレントがいなくて明菜に社運をかけていました。明菜研音を選んだ理由は定かではありませんが、おそらく収入等の条件が他よりも良かった、それで親がそこを選んだのではないかと思います

アイドル収入ですが、驚くほど少ないのが実態です。南野陽子は、「ベストテンで1位をとっていた頃でも月収が3万円だった。あんまりだろうと直談判したらケタが二つ上がった(100万円台になった)」と述べていますし、堀ちえみは「自分もしばらくは3万円くらいで親から仕送りをしてもらっていた。スチュワーデス物語がヒットしてようやく月収30万円に上げて貰った」と述べています

明菜は早い段階で親兄弟に店舗を持たせるなどの経済的支援をしていますから経済的な条件が他のアイドルよりは恵まれていたのは確かでしょう。ただし弱小事務所に所属したハンデはあって、賞レースでは明菜は初年度はほぼ無視されていますデビューの年にはすでに「少女A」をリリースして、メガヒットもあり、82年組の中でもトップの実績を示していたのですが、その年のレコード大賞では優秀新人賞も得ていません。最優秀新人賞を獲得したのはシブがき隊で、優秀新人賞を得たのは、松本伊代堀ちえみ石川秀美早見優でした。今から見れば冗談みたいな結果でしたが、このことは相当な物議をかもし、いくら賞が事務所の力関係が反映されると言っても、中森明菜無視しているようなら上辺だけの公平さすらないではないかと言って、作詞家阿久悠審査員を辞任しています


明菜は不良少女路線で売り出されたと思っている人は多いのですが、実際にはそうでもありません。明菜本質は「非」であって「反」ではないからです。独立しているということは何か支配的なコミュニティアンチであることを意味しません。アンチコミュニティにおいても明菜は非であることによって孤立するでしょうから明菜聖子を芸能として愛でていますが、ただ彼女とは同じことは出来ないのでした。

デビュー作「スローモーション」は来生姉弟の作詞作曲ですが、この「非」の部分を上手く捉えています明菜には主張はないのです。しかし主張がないというのは非常に分かりにくいので、「少女A」では流通やすい不良少女の側に寄り添った装飾がほどこされています

このことは、明菜には楽曲世界観彼女キャラクターにはあまり関係が無いことを示しています。もちろん聖子的な世界観を歌えば、無理があるのですが、それは聖子楽曲世界観ニュートラルではなく、それなりの主張をはらんでいるからです(何を「可愛い」とするかはそれ自体が価値判断の表明です)。

聖子の曲、に対して明菜の歌、とも言えます。これは聖子に「歌う」能力がなく、明菜楽曲楽曲としての質が担保されていないということを意味しませんが、極端に言えばそういうことになります聖子彼女歌唱力で以て楽曲表現するのです。明菜楽曲世界観に拘泥せずに自身の歌唱自体を表現するのです。ですから明菜楽曲はむしろ世界観は薄い方がいい、ステレオタイプな理解され易さがあればそれでいい、ということになります。極論をすれば架空言語で歌った方がむしろいい、ということです。明菜には異国風楽曲が多いのですが、実際、意味が分からない歌詞がしばしばサビで出てきています

明菜歌唱本質は強弱にあります。そのコントラストが激しすぎて、音割れを防ぐために強の部分に合わせると弱の部分では何を言っているかさっぱり聞こえないということもしばしば発生しています。強弱はむろん、歌詞の流れに沿っていた方がいいわけで、おおむねそういう構成の作詞になっています。逆にそれをやり過ぎると、「聞こえない」が発生してしまうわけです(「難破船」がその例です)。「DESIRE」が明菜にとって代表曲であり、一番資質にあっているのは、尖った表現が全編にちりばめられていて、弱の強調をやり過ぎていないからです。彼女の力強いロングトーンが、弱が強調されていないために強の中の強として印象付けられる構造になっています

スローモーション」でも声は幼いのですが、「やはりあなたと一緒にいたい 一言 書きあぐね」の部分で、既に彼女歌唱本質を見せています。(失礼しました。これは「トワイライト」の一節でした)

中森明菜楽曲には歌唱を見せる工夫は必要なのですが、それはプロ作詞家作曲家ならば心得ていることです。統一的な世界観のようなもの必要が無い、むしろあってはならないのですから松田聖子プロジェクト匹敵するようなサポート体制を明菜必要しませんでした。

様々な作家彼女楽曲提供していますが、聖子における財津和夫細野晴臣松本隆大瀧詠一佐野元春松任谷由実のような「企画者」はいませんでした(それにしてもちょっとあり得ないような豪華な面子です)。

ある評論家は、松田聖子プロデュースにおいては基本的に松本隆がひとりで担当した、だからいろんな面を出そうとして聖子楽曲には多様性がある、しか中森明菜は複数の人がそれぞれ別個に担当したため、マスイメージ中森明菜に沿った同系統楽曲ばかりになった、と述べています。私も基本的にはそういうことなんだろうなと思います


成功者家族で平常心を維持できない人は結構ます。大きなマネーが動くだけに、親と子は別人格、別世帯、別会計ということが分かっていない、仮に頭で分かっていても「これくらいしてくれてもいいのに」となってしまう人は多数いますアイドル歌手に限った話ではありません。子供への影響力が自分経済力イコールになるのですから子供結婚独立を嫌う人もいます名前は出しませんが、そういう例はたくさんありますよね。浪費型には娘に対する母親が陥ることが多く、管理型には父親が陥ることが多いようです。男性芸能人場合は、結婚は「嫁を取る」という形にまだまだなりやすいので、結婚を機に別世帯であることをはっきりさせるのもやりやすいのですが、女性芸能人場合は、私のものである娘、うちの財産である娘を結果的に婚家と争って取り合う形になりやすく、娘は夫をとるか実家をとるかの選択を迫られることになります

http://anond.hatelabo.jp/20130827181234

(続き)

2013-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20130821065806

いろいろ腑に落ちる文章。

南野陽子は俺も好きだったなー

80年代女性アイドル格付

ブログ開設しました。

http://hanabusatokiichi.hatenablog.com/

あまちゃん」見ていた甥っ子が、キョンキョン薬師丸ひろ子を見て、「この人たち、松田聖子より人気があったの?」と聞いてきた。

そんなゆとりな彼のために、80年代女性アイドルの当時的な感覚での格付けをやってみる。

第1位 松田聖子

代表作品:「青い珊瑚礁」「チェリーブラッサム」「赤いスイートピー」/『野菊の墓』など。

言わずと知れたアイドルの中のアイドル。絶対正義。高度経済成長から、安定成長へ、そしてバブルへと向かう世相の中で、松田聖子が時代を代表出来たのには彼女の生い立ちによるところも大きいと思う。一点の曇りもない地方の中産階級、そんな彼女には貧困も、学園闘争も、無縁だった。60年代加山雄三的なるものから70年代の四畳半フォーク時代を飛ばして直結していると言えるが、加山雄三が曇りが無いように見えても階級社会的な側面や敗戦国国民のてらいのようなものがあるのに対して、松田聖子徹頭徹尾能天気であった。彼女は日本が初めて獲得した、先進国アイドルであった。

第2位 中森明菜

代表作品:「少女A」「DESIRE」「難破船」/『素顔のままで』など。

80年代の曇りのない時代性に松田聖子シンクロしたのに対して、中森明菜は裏シンクロしていたと言えるだろう。彼女の性向が松田聖子的なるものにアンチであったわけではない。彼女自身、松田聖子シングルアルバムはすべて聞き込んでいることを公言しているように、彼女は松田聖子的なるものの渇望者であった。しかし彼女の生育環境が、松田聖子的なるものから遠い場所に彼女を置いてしまった。松田聖子は唯一の兄が普通に私立の進学校を経て早稲田大学を出ているが、中森明菜の家族の中には四年制大学を出た者はいない。松田聖子が家庭の教育方針も含めて「きちんとした家」の出であったのに対して中森明菜はそういう家の出ではなかった。山口百恵母子家庭で育ったゆえに貧しい環境の生い立ちであったが、後に彼女を利用しようとした父親を早い段階で義絶するなど、厳しい倫理観を持っていたのに対し、中森明菜の家庭は「四年制大学に行くのが当たり前の時代にあって、方法を求めれば大学に行けなくもないのに、大学に行くという選択を考慮しない家」であった。60年代、70年代における低学歴80年代における低学歴は意味が違う。中森明菜は貧困ではない、戦争でもない、家庭環境のキャラクターのせいで、80年代メインストリームから取り残された層を代表するアイドルであった。ヤンキー映画「ハインティーンブギ」に主演した近藤真彦に対して見せた彼女の執着も、中森明菜のそうしたキャラクターに由来している。

第3位 小泉今日子

代表作品:「真っ赤な女の子」「ヤマトナデシコ七変化」「なんてたってアイドル」/『生徒諸君!』『あんみつ姫』など。

彼女は「そこそこ」の人だった。演技力もそこそこ、歌唱力もそこそこ、下手ではない。デビュー曲カバー曲であったことからも分かるように、バーニングプロダクションは彼女が聖子に匹敵するようなアイドルになるとは期待していなかった。小泉今日子は結果的にセルフプロデュースで大きくなった人であるルックスは82年組の中でも特に可愛らしかったのだから、トップアイドルになったのは不思議ではなかったが、アイドルたちのひとり、から抜け出してきたのは、松田聖子が日本社会の経済面を担い、中森明菜が社会面を担ったとすれば、文化面を担うと言う決断をある時期に、彼女がなしたからであった。そういう意味では、オタクの愛玩的な性格を強めてゆくその後のアイドルの先駆けをなした人であるが、彼女が直接のターゲットにしたのはニューアカデミニズムであった。それが下世話にならない選択であり、それは社会にまだハイブロウ雰囲気があればこそ可能なのであった。それがバブル崩壊で日本経済が自信不信になり、社会世相が暗くなってから、むしろそれ以後に、ハイブロウライフスタイルを体現する生活アイドルとして彼女が支持された理由だった。

第4位 薬師丸ひろ子

代表作品:「セーラー服と機関銃」「メンテーマ」「woman~Wの悲劇より」/『野生の証明』『翔んだカップル』『ねらわれた学園』『セーラー服と機関銃』など。

薬師丸ひろ子アイドル歌手と言うよりは角川映画の女優であって、立ち位置的には他のアイドルとやや異なるが、彼女にとっては余技であったアイドル歌手としての実績も十分である。系譜的にはアイドル的な先駆者はおらず、むしろNHKの少年ドラマシリーズのようなジュブナイル的なものの延長に彼女はいた。小学生などからの支持は無かっただろうが、中高生の理系的な男性が支持層の中心にいた。2010年テレビドラマ『Q10』では彼女は化学教師を演じているが、教師を演じるなら彼女は理系だろうなと思わせる雰囲気があった。

第5位 中山美穂

代表作品:「生意気」「派手!!!」「You're My Only Shinin' Star」/『毎度お騒がせします』『BE BOP HIGHSCHOOL』『ママはアイドル』など。

中山美穂は路線的にはきつい顔立ちであることもあって当初は「不良少女路線」であり、『毎度お騒がせします』『BE BOP HIGHSCHOOL』もその路線に沿った出演作品だった。11作目のシングル「501/50」あたりからフェミニンな路線に入り、以後、5作連続してオリコン1位を獲得している。デビュー時と路線を変えて大きくブレイクしたというのは小泉今日子もそうだが、中山美穂の場合は、キャラクターまで変えてきたのが大きかった。

第6位 工藤静香

代表作品:「抱いてくれたらいいのに」「黄砂に吹かれて」「慟哭」など。

工藤静香おニャン子出身であり、うしろ髪ひかれ隊でも堅調なセールスを示していたが、ソロになってからは一躍トップアイドルになり、聖子、明菜、小泉今日子がそれぞれアイドルというステージを脱してゆく中で、アイドル四天王のひとりとして遇された。彼女の特徴はCDセールスが非常に高いことで、これは90年代にかかって、いわゆるカラオケブームに伴うCDがやたら売れると言う時代に差し掛かったことにもよる。シンガーの作品として楽曲が評価されていた、ということでもあるが、彼女には映像作品にはこれという代表作は無い。(南野陽子の最高売上シングルは「吐息でネット」で30万枚。工藤静香の最高売上シングルは「慟哭」で94万枚)。

第7位 南野陽子

代表作品:「楽園のDoor」「話しかけたかった」「はいからさんが通る」/『スケバン刑事(第2期)』『はいからさんが通る』『熱っぽいの』など。

勢い的には、第5位につけてもよかったし、個人的にはファンであったので、そうしても良かったのだが諸々を考慮すればこうなるのかなと思う。第6作のシングルから8作連続でオリコン1位を獲得という快挙を成し遂げているが、その記録の割には、記憶に残る楽曲が少ない。実際、彼女の歌は、中山美穂工藤静香と比較して、順位は高くまで行くが落ちるのが早い印象があり、セールス額もそれを裏付けている。中山美穂工藤静香には女性ファンも多かったが南野陽子には稀だった。そのファン層の狭さが素質的には抜群であるのに、ついに頂点を極められなかった理由だろうか。そういう意味ではアイドルらしいアイドルであり、彼女がアイドルの世界を心から愛し、自らを律していたことについては数多くの証言がある。事務所の不手際でふたつの事務所に属することになったため、ダブルブッキング等が頻繁に発生し、マネージャーを厳しく叱責していた姿も知られているが、アイドル的なものに対するプロ根性のあらわれだろう。

第8位 斉藤由貴

代表作品:「卒業」「初戀」「悲しみよこんにちは」/『スケバン刑事(第1期)』『はね駒』『はいすくーる落書』など。

東宝芸能の所属であり、アイドルと言うよりは女優のイメージが強い彼女だが、デビューから継続してシングルチャート上位に入れている。斉藤由貴が世間を騒がせた恋愛事件は二件とも不倫であったので、「魔性の女」とも言われたが、その言葉からほど遠いキャラクターである。やった行為で言えば、確かに二件の不倫の当事者なのだが、「魔性の女」という言葉を用いた人でも、その言葉から連想されるような女性とは彼女は異なることは分かっていただろう。宗教上の理由もあるのかもしれないが、彼女は世間ずれしていなくて、不必要なまでに一生懸命な印象であった。「悲しみよこんにちは」では紅白初出場で紅組キャプテンを務めたが、いつになく「由貴ちゃんのために」と紅組がまとまっていたように、芸能界特有の嫉妬や自己顕示欲とは無縁の人であった。

ブコメがたくさんついていて驚いた。とりあえず甥っ子には好評でした。

9位以下を書いていないのは疲れたからです。

個人的には、9位 菊池桃子、10位 原田知世、11位 柏原芳恵、12位 河合奈保子、あたりじゃないかと思います。浅香唯は実働が短かったので、柏原芳恵あたりと比較するとその下くらいなのかなと。

ちなみに、松田聖子中森明菜南野陽子斉藤由貴についてはファンクラブの会員でした。おニャン子からは14位くらいに河合その子が入るのかなあと思います。

9位以下を書いてみます。

そう言えばグループは書いていませんが、おニャン子クラブは全体としては、小泉今日子の下くらい、もしかしたら中森明菜の下くらい、でも明菜より上には絶対に行かないくらい(それくらい聖子と明菜は別格です。ケタが違います。聖子と明菜以外を全部足してもまだ聖子と明菜には及ばない感じです。聖子と明菜は日本芸能史全体を通しても突出しています)、WINKは実働が80年代末期に偏っているんでどっちかというと90年代の人という印象なんですが、斉藤由貴の下くらいなんじゃないかなと思います。ribbon とかは年代的に対象外です。おニャン子ユニットでは、後ろ髪ひかれ隊が斉藤由貴あたりと同格、そのすぐ下にうしろ指さされ組(高井麻巳子ゆうゆ)あたりが入る感じです。ニャンギラスは…ま、いいですよね。おニャン子ではなかじが好きでした。「じゃあね」は名曲っす。ただ今回はグループは除外と言う方向で。グループで言ったら、あと「わらべ」とかね。

第9位 菊池桃子

代表作品:「卒業」「もう逢えないかもしれない」「SAY YES!」/『パンツの穴』『アイドルを探せ』『君の瞳に恋してる』など。

彼女は東京出身なのだが、個人的にずっと北海道出身と誤解していた時期が長くて、なんでそう誤解してたんだろうと思うと、非常に素朴な、ピュアな感じがしたからだと思う。本当のところは知らないが、おっとりとした上品な感じがする女性で、『パンツの穴』なんていう映画に出ていても、下品な感じにはならない、でもちょっと男の子の側に寄り添ってくれるような、そういう雰囲気を持っていた。普通はそういう女性は女性からは嫌われるんだけれど、良くも悪くもあんまり印象に残らないというか嫌われないのはいいことだけれど、女性から見ても、妹キャラというか、強く女を感じさせる存在ではなかったのかも知れない。独特の、女性というよりは幼女のようなフェミニンな印象からか、彼女のアイドルとしての活動時期には「桃子」と言う名前が新生児の命名の上位を占めることがあった。何というかそういう親から見て良い娘的なそういうポジションに素直に入り込んだ人であった。彼女の代表曲としては、実は「アッイッはこころのーしごとよー」のアイマイミーマインなRA MU時代の楽曲が世間では一番強く印象に残っているのだろうが、それを代表曲に選ぶのはあんまりだと思った。RA MU で迷走した彼女だったが、90年代にはトレンディ女優の一画を占め、アイドル時代よりも大成功した。

第10位 原田知世

代表作品:「時をかける少女」「天国にいちばん近い島」「早春物語」/『時をかける少女』『天国にいちばん近い島』『早春物語』など。

松任谷由実薬師丸ひろ子にも原田知世にも楽曲を提供しているが、彼女が言うには、原田知世は鉛筆で例えるならば2Hで薬師丸ひろ子は2Bらしい。言い得て妙だと思う。原田知世には肉感の無い、サイバーパンクな感じがあるんですね。顔立ちもいわゆるアイドル顔ではなく、と言って和風と言い切れる顔でもなく、どこかメカニックな感じがする。たぶんここまでの人たちの中で一番、初音ミク的なフォルムがある。世俗的ではないんだけれども、宗教的な超越に向かうんじゃなくて、SFっぽい方向に行くような、そういう感じがあって、オタク的な性向のある人たちには熱狂的に支持されていた。サブカルクラスタ的には彼女がたぶん80年代を代表するアイドル。逆に言えばそこを越えては広がっていかない感じ。「時をかける少女」の頃はアイドルが歌が下手と言っても限度があるだろ的な下手さであったが、不思議なもので、シンガーとしてのキャリアは、二大歌姫(聖子と明菜)を除けば彼女が一番長いし、独自の境地を切り開いていると思う。彼女の歌には情感はかけらもないが、それがむしろユニークな歌唱になっている。

第11位 柏原芳恵

代表作品:「ハローグッバイ」「最愛」「あの場所から」「春なのに」/『ピンキーパンチ大逆転』『山河燃ゆ』など。

たぶん美人で言ったら、彼女はアイドルの中でもナンバーワンに美人なのだが、「かわいい」が受けるアイドルとはそもそも路線が違う顔立ちで、彼女のファンだと公言するのはやたら生々しい、女、に直結する印象があった。美人であるがゆえに、80年代の土壌ではトップにはなり難い顔立ちだったのだが、女性をめでる基準がアメリカ的というか、日本よりはむしろアメリカに近いアジア発展途上国アメコミが大人気、的な)では非常に強く支持されているアイドルだった。ただしアイドルとしてデビューして、数年たってから彼女はヒット曲を連発していて、みんな知っている代表曲がわりあい多いアイドルでもある。ただそれも、わりあい歌唱力が高いのと、楽曲の良さが相乗した結果であって、歌手としてのヒットであってアイドルとしてのヒットとは言い難い(歌手としてはそれは名誉なことだが)。ドラマでは早くに本格的なドラマに出演するようになったのは、彼女の素養がむしろそちらにあると考えたからだろう。大河ドラマ山河燃ゆ」では長男・自殺、三男・日本兵として戦って敗戦の傷を負う、三男・米兵としてヨーロッパで戦い失明、という天羽家にあって希望の光のような末の妹を好演していた。90年代以降は2時間ドラマの常連になる。

第12位 河合奈保子

代表作品:「大きな森の小さなお家」「ヤングボーイ」「けんかをやめて」など。

デビュー曲「大きな森の小さなお家」は女体を連想させる歌詞になっているが、ポスト百恵の時代、試行錯誤が行われていたことを示している。彼女は「秀樹の妹」コンテストから出てきたのだが、ロリコンチックな、吾妻ひでお的なオタクアイドル的な扱われ方であった。「ヤングボーイ」の振り付けは彼女の巨乳を強調するもので、あきらかにセックスアイコン的な意味が含められていたのだが、当人がそれに気づいていない風な育ちの良さのようなものがあった。「おかあさんといっしょ」のお姉さん的な素朴さというか。突っ込んでいけば、気づいてないわけねえだろ的な悪態は可能であったが、そこまで抑えて抑えて、加工して加工しなければ、女性に接することが出来ない、いわばそう言う層を彼女はメインターゲットにしていた。彼女の代表曲「けんかをやめて」はそういう路線を変更する、オタク層には逆鱗に触れるようなビッチ女性の態度を優しくオブラートに包んで提出したものだったが、なにぶん、当の河合奈保子キャラクター的に素でお嬢さんであったため、路線変更はうまくいかずいったんそこでフェイドアウトしている。後に、シンガーソングライターとして一時的に復活した。

第13位 浅香唯

代表作品:「C」「虹のDreamer」「セシル」/『スケバン刑事(第3期)』

うちのカミさんカラオケに行ったら、必ず「セシル」で締めるんだが…。浅香唯は『スケバン刑事』でブレイクしたのだが、オリコン1位をとったのは4作品と、アイドル四天王の中では実績が一番小さい。ブレイクが1988年、「ザ・ベストテン」が終わるのが翌年の9月だから、いわゆるアイドル黄金時代の末期に出た人である。その活動期間の短さが、結果的にスーパーアイドルとまではいかなかった理由か。

第14位 荻野目洋子

代表作品:「ダンシングヒーロー」「Dance Beat は夜明けまで」「六本木純情派」/『早春物語』

そうだろうよ。実績から言ったら、彼女は岡田有希子よりものりPよりもアイドルとしては上だろうよ。でも誰も「荻野目洋子の名前がない!」とは言わないんだよね。そういう感じなんですよ。そういう感じのアイドルなんですよ。そもそも彼女は低迷時代が長くて、ユーロビートを歌うようになってから、ダンスミュージック的なジャンルにかかって出てきた人なんで、ルート的には長山洋子とかと同じタイプなのだが、そのわりには顔立ちがアイドルアイドルをしていて、ブレイクしてからどんどんアイドル色を強めていったという、普通は逆にアイドルアーティスト色を強めていくのだが、彼女は逆だったという珍しいパターン

第15位 本田美奈子

代表作品:「Sosotte」「1986年のマリリン」「the Cross ~愛の十字架」/『ミス・サイゴン

シンガーとしては本物の天才であり、そのことはアイドル時代を脱してから、ミュージカルスターとなってから証明されたが、アイドル時代は「アイドルにしては歌が上手い子」程度の扱われ方だった。それは売り出し方が適切ではなかったからではないか。歌が上手いと言っても、情感があるとか、テクニックがあるとかいろんな意味合いがあるが、彼女の場合はフィジカルポテンシャルに負う部分があって、言い方は悪いが「歌う機械」としてはロングトーンの能力はたぶん人類史上最高の能力を持っていた。それを活かす楽曲ではなかった。本田美奈子は元は演歌歌手志望であったように、彼女の適性を活かせる楽曲を探し求め続けた半生であったと言えるかも知れない。なまじ顔立ちが愛らしかったため、小悪魔的なアイドルとして売られたのは彼女にとっては不幸なことだったかも知れない。『ミス・サイゴン』のオーディションではしょせんアイドルくずれと鼻で嗤っていた者たちも彼女の歌を聞いて圧倒されて身動きも出来なかったと言うが、あれほどの才能にして、アイドルと言うパッケージに入れられれば、そのパッケージしか見ない者がどれだけ多いのかということを示している。聖子や明菜についてさえ、「歌が下手」と言ってはばからない不見識の者が多かったが、あれから30年が過ぎて、何もわかっていないのはどちらだったのか、歴史が証明している。時が過ぎるのは悪いことばかりではない。

第16位 岡田有希子

代表作品:「ファーストデイト」「Love Fair」「くちびる Network」/『禁じられたマリコ』

彼女はこれからというところだった。徐々に売り上げを伸ばしていて、8作目のシングルくちびる Network」(事務所の先輩の松田聖子の作詞)でついにオリコン1位を獲得して、ようやくトップアイドルになったばかりだった。ポスト聖子を担う、サンミュージック大黒柱になるはずだった。おそらくアイドルの中では傑出して頭がいい子だっただろう。ノーベル賞受賞者を輩出している、愛知県でも有数の進学名門高校を彼女はアイドルになるために中退している(そして堀越学園に転校)。進学校にいる女子生徒は、もちろん頭もいいのだが、男子の場合は野心のようなものがあるのに対し、むしろ野心の欠如というか、従順性の結果として勉強をしている子も多い。岡田有希子も基本的にはそういうタイプの子で、彼女は望みさえすればキャリアウーマンにもなれるような道を選ぶことが出来たのだが、そちらの路線には価値を見出さずに、小さな女の子の時の夢のままに、アイドルになるという選択をした。ああいうことになって親御さんはどれほど悔んだだろうか。彼女は天然ボケというか、悪意があって周囲が彼女にセクシャルなことを言わせようとすると笑顔でなんにも気づかずに、それを言ってしまうようなところがあった。お笑い系のいじりでは「またー、変なことを言わせようとしてー」みたいなうっふきゃはは的なのりを期待していたのだろうが(そういうのが一番うまいのは松本伊代だった。天性のチーママである)、岡田有希子はうかつにいじれない、危険物っぽいところがあった。その純粋さが、衝撃に直面した時に、他人の何倍もの痛みになって彼女を殴打したのかも知れない。合掌。

というわけで、8の倍数ということでここまで。

15位が抜けていたので、入れました。本田美奈子です。河合その子や、82年組のその他の人たちが入っていないのは、「おニャン子を排する」「ママドルっぽい人たちを排する」とかそういう基準があるわけじゃなくて、評価としてこの下だということです。標題をつけました。

数字は敢えて重視していない

客観的な数字としてはレコード売上があるけれど、参照はしてもそれだけを基準にしていないのは、80年代、活動時期を90年代に延ばしても、それなりの時間幅があるからです。ちなみに筆者は1971年の生まれで、正確に言うならば、松田聖子ファンクラブの会員だったのは筆者の姉です。南野陽子の最初のアルバムレコードで買って、それ以後をCDで買ったという世代です。松田聖子はあれほど売れながらもミリオンは90年代の「あなたに逢いたくて」しか出していません。中森明菜はゼロです。一方、小泉今日子は90年代にミリオン2枚(合計すれば300万枚を越えます)、中山美穂ミリオンを2枚出していますから、シングルセールス的にはひょっとしたらキョンキョン中山美穂は二大歌姫を上回るのですが、時代が違うから同じ基準では較べられません。より客観的な基準でレコードセールスを示している人もいますが、それだとかえって評価が歪められるのです。レコードセールスなどの記録は後からも参照できますが、歴史的な要因を補正して提出できるのは同時代人の見方だけです。これは個人の主観ではありますが、そうであるがためにかえってセールス記録を見るよりも客観的だと思います。

自分としてはアイドル黄金時代の終わり=ザ・ベストテンの終焉だと思っています。ザ・ベストテンは、音楽の趣味が多角化して、バンドブームの時代に対応できなくなったから終わったわけですが、逆に言うと、それ以前は日本人全体がひとつの文化環境を共有していた、そういう最後の時代だったということです。ですから80年代を生きた人なら、特別その人のファンではなくても、ここに上げられている楽曲のほとんどを歌えるはずです。

2011-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20111218151740

違うでしょ。

美人けが売りの女性でも、その美をある程度保って年齢なりの美を売り物にして一生過ごせる女性は間違いなくいる。

その最高峰吉永小百合40代でも石田ゆり子南野陽子、いくらでもいる。

逆に、男でチビブサメン成功する人には、努力する才能、頭脳根性、闘争心といった先天性の資質が備わっている。

年齢とともにそれをどう磨き上げていくかが問題であって本質的には女性美人と同質。

所詮生まれつきの才能をどう鍛え上げるかのゲーム男と女プレイしているゲームは違わない。

2011-05-18

遺書の代わりのプレイリスト もしくは無人島に持っていくプレイリス

茉莉(昆蟲白)、Happy New-Yearが言いたくて(南野陽子)、一直到底(Nipples)、赤い戦車ヤプーズ)、南方蝶道(甜梅號)、

一個人的水道(甜梅號)、Air on the G stringBach)、春夏秋(チャットモンチー)、激光中(羅文)、Merry Christmas Mr. Lawrence坂本龍一)、

恋愛スピリッツチャットモンチー)、安眠藥(歐陽靖 陳奐仁)、甜蜜蜜(薛凱琪)、MAY斉藤由貴)、ダンシングヒーロー荻野目洋子)、

雙失情人節(Twins)、青山黛瑪(何韻詩)、汽水樽裡的咖啡(何韻詩)、情歌(側田)、when i listen to the field mice(my little airport)、

習慣失戀(容祖兒)、糖不甩(薛凱琪)、VALON-1(Salyu)、戀人未滿(S.H.E)、美空雲雀(何韻詩)

東風Yellow Magic Orchestra)、Lucky(スーパーカー)、我有一段情(吳鶯音)、曙(ゲルニカ)、2EM12_KK_A09(ヱヴァ破)、

光榮之家(何韻詩)、北歐是我們的死亡終站(my little airport)、隆重登場(容祖兒)、電力組曲 C:電化の暮らしゲルニカ)、妮歌(何韻詩)、

Komm, Susser Tod/甘き死よ、来たれ(Arianne )、ホープ(testpattern)、給十年後的我(薛凱琪)、安靜了(S.H.E)、女朋友(歐陽靖 陳奐仁)、

体操YMO)、You Only Live Twice(Nancy Sinatra)、小茉莉楊丞琳)、Oh!(少女時代)、圓謊(容祖兒)、

管他什麼音樂(范曉萱&100%)、Blue Paradise(Martin Denny)、泡泡(魏如萱)、Sunny Road To Salina(Christophe)、Be True(容祖兒)、

しいたそがれ(南野陽子)、最後的歌(楊千嬅)、Le premier chagrin d'amour(France Gall)、眼球綺譚(戸川純ユニット)、愛しのキッズ小島麻由美)、

月世界旅行アポジー&ペリジー)、韻律泳(何韻詩)、飛べない翼(Lily Chou Chou)、手のなるほうへ(チャットモンチー)、ヒステリヤ(ヤプーズ)、

Green Grass Of Tunnel(Mum)、夢伴(梅艷芳)、舊約(何韻詩)、再見...露絲瑪莉(何韻詩)、AXIA~かなしいことり~(斉藤由貴)、

就算世界童話(衛蘭)、점핑(Kara)、夢のスキマ(鷺巣詩郎)、空しき流れ(鷺巣詩郎)、閉塞の拡大(鷺巣詩郎

那年夏天寧靜的海(王心凌)、痛愛(容祖兒)、落寞莉(昆蟲白)、憤怒の河(戸川純)、惚たる蛍(チャットモンチー)、

愛一個上一課(容祖兒)、最後一課(容祖兒)、時不與我(容祖兒)、Dear. Mom少女時代)、男孩像你(薛凱琪)、

沙堡壘(容祖兒)、A Wishful Way(Hopscotch)、ONE斉藤由貴)、拳銃チャットモンチー)、脆弱(謝安琪)、

立つ鳥跡を濁さず(トップをねらえ2!!)、時の河を越えて(トップをねらえ!)、親知らずチャットモンチー)、媽媽我考試考100分(selfkill)、搜神記(容祖兒)、

想想(何欣穗)、リフトの下で逢いましょう(南野陽子)、ギルガメッシュヤプーズ)、Roller Coaster Rock(selfkill)、a love songEGO-WRAPPIN')、

愛將(梅艷芳)、手のなるほうへ(チャットモンチー)、petsounds(the beach boys)、香格里拉(魏如萱)。

2010-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20100829235513

元増田です。

なんか勝手レス入ってるけど、元の文章は

「捨て猫いたので保護しました。里親募集中です。とかのPOSTってなんのなの?」

と書いてるとおり、南野陽子なの?と聞いている質問ですので、今ついてる他のレス

お門違いもはなはだしいと思います。

南野陽子であるかどうかについてだけ議論してください。

2009-03-11

http://anond.hatelabo.jp/20090311154451

キイナ

占い師

何か、変だと思った。

なんで、女の人がの方が死んでるって、南野陽子はわかったの?

2008-12-09

Perfume妹が酷い商売をしている件

2008年12月2日音楽ニュースサイトナタリー』にてこんな記事が配信された。

Perfumeあ〜ちゃんの妹がエレポップユニット結成

http://natalie.mu/news/show/id/11396

9nineのCha-ponこと西脇彩華が、GOATBED石井秀仁とエレクトロポップ・ユニットORDINARY VENUSを結成。12月17日デビューアルバム「ORDINARY VENUS」をリリースする。

このユニットでは石井トラックメイキングアートワークを手がけ、Cha-ponボーカル担当松田聖子工藤静香Wink南野陽子中森明菜宮沢りえ早見優などの1980年代名作アイドルポップスが、GOATBEDならではのキラキラした艶やかなサウンドで蘇る。


どうやらperfumeメンバーの一人である西脇綾香の妹がメジャーデビューするらしい。

perfume妹+電子音? これはもろに便乗じゃないか……。そんな考えが脳みそに掠める。

プロデュースする人物はGOATBED石井秀仁という人物が行うという。石井秀仁? いったいどんな人間だろうか。

ヴィジュアル系バンド『cali gari』のボーカリストで解散後の現在は『GOATBED』の名前ソロ活動中……。調べてみると2chテクノ板にスレッドがあったりとやはりそちら寄りの人間らしい。「perfumeみたいのを作ってくれ」と頼まれたのだろうか?

しかし、楽曲を聞かずに便乗だ、パクりだと言うことはできない。

それに80年代アイドル歌謡カバー、とそれなりの一捻りは加えてある。全然違う雰囲気のものになる気もする。

そして、ついに楽曲試聴が開始された。

では、聞いていただきたい。

http://jp.youtube.com/watch?v=5GoY0wnE8xY

こ れ は ひ ど い 。

わざわざ全曲ボコーダーで声を変えてperfumeパクリであることを強調している。

身内がこんなに堂々とパクリ楽曲を出していいのだろうか? 臆面もなくよくできるものだ。トラックも安っぽくてチープ。

それともこれは中田ヤスタカ音楽近未来感を皮肉って

ポストモダンな状況では既存のピースの組み合わせこそが創作であり未来を思考するならパクりまくるべき、

これは「新ジャンル近未来パクリポップ」だとでも言うつもりだろうか?

最近音楽業界斜陽だと聞く。様々な要因が考えられるがこのような志の低い作品リリースしてしまうのも一因なのではないか。

──最近中田さんのフォロワー存在も増えてきましたが、それはどう捉えていますか?

中田ヤスタカ:好きでやってるんだったら良いと思いますけど、売れると思ってるんだったらいらない(笑)。あと、作ってる奴がインタビューとか受けた方が良いと思う。それは歌ってる人じゃダメって訳じゃなくて、作ってる人が好きなのかが気になる。「今はそういうのやっとこうぜ」ってやってんだったらもう死んで欲しいね(笑)


中田ー、うしろうしろ!

2007-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20070307121424

デジタルホン時代は「トランシーバ」とか言われたけど、あれはあれでよかったんだ。

あれはきっかけだったんだ。

確かに・・

J-PHONE時代が全盛期だったような気がする。

SkyWebをすぐに導入し(パケット通信じゃなくて回線交換方式だったけど)、写メールを開発、SH03もすごかったし、SH04のカメラは30万画素、それでも出た当初はすごかった。画期的だった。ロングメールで3000文字(全角)送信できるって便利だったよ。

SH51のSDカードMP3SD-JUKEBOXを使って入れて、携帯プレーヤーとして使うなんて考えもよらなかった。

PE-02やDNシリーズKENWOODなんかも画期的な機種ばかりだったな、考えてみれば時代が早かったのかも知れない。

Webページ言語MML(今はメインXHTMLになってしまったが)で小さな携帯電話でも少量のデータでページが表示できる言語を採用してたし、Javaアプリの登場も早かったような気がする。



藤原紀香CMタレントに起用、今でのタランティーノ南野陽子じゃなく新しい感じがした。

フェイ・ウォンは失敗したけどね)

ああ、サーバは弱かったね。というか、爆発的にユーザが増加したからついていけなかったんだな。あの頃は。

特に夜間輻輳が激しくメールは送れない、通話はできない。基地局レベルで交換機がダウンしまくってたよ、毎日障害速報が出てたような気がする。

それでも今と比べたら料金プランもわかりやすかったし・・J-PHONEの時代は良かったな・・。

 
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