はてなキーワード: 学問とは
非常に面白かったが、やはり政治学・法学・倫理学という片方の視点からこの問題を論ずるのは限界があるとも思う。
生物学や医学、環境学、自然科学といった視点も取り入れないと包括的な議論はできないし、
さらに本件は人類の農耕史と狩猟の歴史にも関わってくるうえ、仏教・ユダヤ教・ヒンズー・イスラムといった視点も必要になる。
かろうじてホッブスの契約の概念などが出てくるが、これもやはり近代以降の西洋哲学上の定義のひとつにすぎず、
それだけをもって菜食主義を議論するは素材が少なすぎると言わざるを得ない。
人間を中心にすえた議論においては、菜食の可否は議論の俎上にすら登らないのが当然だし、
標題は「~理由を国際関係論という学問の用語を使って説明したい。」とした方が正確である。
しかし、それでは読んでもらえないと予想したので標題のようにしている。
自民支持されるのはおかしい( https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/DocSeri/status/1342720709873692672 )というエントリが人気だ。
それでも自民党が支持されるのは、外交と安全保障政策を任せることができる政党が自民党しかないからだ。
学術的に言うと国際関係論という学問では、High and low politics ( https://en.wikipedia.org/wiki/High_and_low_politics ) という言葉がある。
High politics とは、外交や安全保障といった分野を指す。
Low politics とは、High politics 以外の分野を指す。
High politicsでの失敗は、国としての存在に関わる。
Low politics もまた重要であるが、Low politicsが成功するには、High politicsの領域で国が安定していることが必要不可欠である。
そのためHigh politicsはLow politicsにまして極めて重要である。
High politicsで失敗するとどうなるかは、パレスチナ、イエメン、アルメニア、ウクライナ、ウイグル、チベット、【イラク】(2020-12-28 10:48追記)、そういった国々ないしまたは"地域"から学ぶことができる。
立憲民主党・その母体である民主党系の政党は、High politics を軽視している。
例えば鳩山首相(当時)は、日本中央政府・沖縄県・アメリカのいずれもが同意していた辺野古移転案を白紙化し「最低でも県外」を推し進めようとした。
それは失敗に終わり、期待を裏切られる結果となった沖縄県は辺野古移転案さえも拒否する結果となった。
例えば蓮舫副代表(当時)は2019年、F35の105機の購入計画を爆買いだと批判した。
2020年の数字になるが、中国は第4・第5世代機を1080機保有していることに対して、日本は309機しか保有していない。
( https://www.gyoukaku.go.jp/review/aki/R02/img/s2.pdf )
これを踏まえれば、必要な装備水準について現実的な対案を提起することなしの批判は支持できない。
こうした例から、立憲民主党とその母体はHigh politicsを軽視していると私は判断している。
不祥事を繰り返す自民党の議員たちは実に不快であり有害であると個人的には思う。
だからといって、High politicsを軽視した政党を支持することはできない。
そのためHigh politicsの分野で信頼できる政党ができるまでは、自民党を消極的に支持するしかない。
2020年9月10日の毎日新聞によると安倍政権への世論調査で
「最も評価が高かったのは外交・安全保障政策で、「評価する」が57%で、「評価しない」の27%を大幅に上回った。」という。
( https://mainichi.jp/articles/20200910/ddm/012/010/100000c )
2020年9月3日の朝日新聞でも、世論調査で最も支持されたのは「外交・安全保障 (30%)」であった。
(https://www.asahi.com/articles/ASN937F3RN92UZPS005.html)
こうした調査からも、自民党が支持される理由がHigh politics を重視し現実的な安全保障政策を取ってきたことにあると考える。
いただいた人気コメントと、新着コメントのうちいくつかにたいしてコメントしたい。
そんな大上段の話ではなく、ドブ板(冠婚葬祭や学校・地域の式典・イベントに顔を出す等々)と地盤(後援会)の過去からの累積が効いてる、って話では。単純接触効果は偉大ですよ。天下国家論じるだけでは選挙勝てない。
ドブ板地盤看板鞄が55年体制から現在まで自民党を支えたことは、私もそう思う。
しかしドブ板地盤看板鞄では、安倍政権が終了時に世論の支持率が上昇し、その評価する政策として「外交・安全保障政策」が一位となったことを説明できない。
北方領土が返ってこなくなったり,拉致被害者が返ってこなくなったり,Googleマップでミサイルサイト決めたり,自衛隊幹部一同が会食して一斉感染したり,high politicsってスゲェな!
4つの反論のうち拉致被害者の奪還の困難さを評価するのは難しいが、その他3点について言及する。
まず一般論として他国が実効支配している領土を交渉で返還できるのは極めて稀なケースで、北方領土が返還されなかったからと言ってただちにhigh politicsを軽視しているということにはならない。
ただし安倍政権がロシアのナイーブな善意を期待して対露譲歩(2島先行返還論への転換)をしたことが何ら成果をあげなかったことは特筆すべきであり、安倍政権が対露外交で大きな失敗をしたことに同意する。ロシアには善意や信義は通じない。国際関係論でいうところのrealism学派の外交理論を全面採用すべきであったし、せめて今後はそうあるべきである。
イージス・アショアの配備予定地の選定に防衛省担当者がGoogleマップを使用したか、及び自衛隊幹部一同が会食したかどうかについては、自民党がhigh politicsを重視しているか否かという論点には関係がない。
具体的な反論または質問の形に書き換えていただければ、解答したい。
「学術的に」という言葉に違和感を覚える方がいるのは理解できる。
というのも、「学術的に」とは曖昧な表現であって、この場合は「国際関係論という学問の用語を使って」という方が適切なのが正しい。
そうしなかったのは、そのタイトルだとたぶん読まずにスルーされてしまうだろうと予想したため。
例として挙げた辺野古政策、F-35、世論調査結果の全てにおいて議論が単純化され過ぎていて、「学術的??」となる。居酒屋の隣の席のオッチャンが言ってた。
単純化しなかった場合の議論とはどのようなものか説明してほしい。
「学術的に」は先述のとおり。
3点の反論にそれぞれ解答する。
1点目、普天間基地問題の解決は日米安全保障条約の運用の安定性に寄与することであり、日米安全保障条約の運用の安定性を向上させることはhigh politicsな課題にあたる。
2点目、戦闘機について。蓮舫氏は35に変わる代替機種などの提案した上で批判したのではなく対案なき批判となっている。
蓮舫氏が代替機種、あるいは戦闘機の購入よりも安全保障を向上させる装備体系の提案をしたのであれば、その内容に応じて賛成または反対をする。
3点目、防疫は安全保障の問題ではないか、という指摘はそのとおりだと思う。
具体的な反論または質問の形に書き換えていただければ、解答したい。
結論から先に考えてないかな?書かれていることは仮説でしかない気がします。データの根拠が弱い(30%って)ので、追加のレポート期待しています。
ただ、実験のできない、さらに統計もとれない分野ではこれ以上の根拠を持ってくるのは難しい。
「それでも自民党が支持されるのは」ではなく「それでも俺が自民党を支持するのは」だろう。太宰メソッドだ。Objectだけを分析してもSubjectの行動の理由を説明したことにはならないだろう
元国際関係論の学徒だが、もう大学の図書館にも電子ジャーナルにも入れない、本も経済的な事情で売ったので
そこは多めに見てほしい。
①筆者の挙げるパレスチナ、イエメン、アルメニア、ウクライナ、ウイグル、チベットの置かれている状況を日本に当てはめるのが妥当と言えるのかどうか。(経済力・人種・宗教・資源・地理)
High politicsに失敗した場合、例えば北朝鮮の核攻撃を主要都市に受けた場合に
それらの国々と日本の状況に大差はなくなると私は考える。
②外交・安全保障をHighとして、内政をLowと位置付ける概念は、政治学の中でメインストリームなのか、またそれは軍事関係者などのイデオロギーに影響されてないものなのか(引用にWikipediaっていうのも?だし、Wiki自体にも引用文献が少ないから疑問に思った)
国際関係論には、大きく分ければ2つの学派がある。1つはrealismで、もう1つはliberalism。
realism は、High politicsだけに関心がある。
liberalism は、High politics以外にも関心がある。だが、最も重要視するのはHigh politicsであるという見解はrealismと共通している。
これはliberalismの中心人物であるJoseph Nyeという学者が「安全保障とは酸素のようなものであり、それが希薄になり息が苦しくなるまでは、人々はその重要性に気づかないが、実際にそうした状況になれば、それ以外のことは考えられないほどに重要なのである。」と著作である「国際紛争ー理論と歴史」という本で述べている事実が端的に説明している。
「政治学」まで広げた場合はメインストリームかどうかはわからない。
「日本の、国際関係論を除く、政治学者」の間でのメインストリームではないとは感覚的には思う。
民主党政権時、外交側を軽視していた事例があった、としか書いてないような…。自民党が外交を重視しているとも、その結果が支持に繋がるという根拠もちとわからず…。
ご指摘のうち、「自民党の外交が支持されている」のは朝日・毎日の世論調査の結果で説明できていると思う。
「自民党が外交を重視している」例がないのはそのとおりだと思ったので追記する。
例として最も適切なものは、「自由で開かれたインド太平洋」構想の定着だ。
「自由で開かれたインド太平洋」構想は、麻生外相が2006年に行った演説にある「自由と繁栄の弧」 (https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/18/easo_1130.html) 構想、ないしは2007年の安倍首相のインド国会での「2つの海の交わり」「安全保障ダイアモンド」(http://www2.jiia.or.jp/kokusaimondai_archive/2020/2020-01_003.pdf?noprint) に起源がある構想だ。
これが、例えば2020年のアメリカ共和党の国家安全保障戦略報告書でも日米豪印(Quad)協力の継続・支持が提言(https://jp.reuters.com/article/idJP00090300_20200618_00220200618)され、アジア版NATOであるかと議論されるまでに定着した。
国際政治学者の細谷教授は、自由で開かれたインド太平洋に対して「過去1世紀半の日本外交の歴史の中で、これほどまでに日本が提唱した外交構想が国際社会に浸透して、幅広い支持を得たことはなかったのではないか。(https://apinitiative.org/en/2020/12/21/14345/)」と述べている。
「自由で開かれたインド太平洋」構想は自民党外交の最大級の成功であり、自民党が外交を重視している根拠としては最も適切なものだと考える。
「ないし」は漢字では「乃至」と書く.
最近の辞書には「または」の言い換えとしても見えるが, 「または」とか「やら」を使っておくのが賢明だろう.
「ないし」を使うと高尚で学問的な感じが出るためかネット論客はむやみに使いがちだが, 諸君, 漢字の意味をきちんとわかってて使ってるだろうか.
ご指摘ありがとうございます。修正しました。
140字以内ではなく、1000字以上書かなければならないという方向にするべきなのだ。
短文投稿を許可するから、ただ単に荒らすだけの、それでいて荒らす目的だけには有効な文章が混入してしまって、意味のある議論ができなくなるのだ。
基本的に、長文を書くことと短文を書くことを比較すれば、長文を書くほうが時間がかかるし知的能力も必要である。
もちろん文字数を稼ぐためだけの文章を書くことも可能だが、そういった文章は読んでいるうちに内容がないことに気づくし、論理の破綻もわかりやすい。
しかし、人間の感情に訴えかける短文には論理の破綻がないし、解釈の幅が広くなるので、その文章自体の間違いを指摘することも困難になる。
これは蛇足だが、このように考えると「言いたいことはわかるがもっと短く」といった要求が必ずしも正しくないことがわかる。
もしも、実りのある議論が活発に行われるSNSなどというものをつくるとするなら文字数制限は設けるべきだし、それは何文字以内ではなく、何文字以上とするべきだ。
という意見は今までは有効性が多少なりともあった主張かもしれない。
しかし、今やAIが紡ぎ出した文章を人間が読んでも機械が書いたと喝破されない時代に突入している。
時代が進むごとにAIが論理的には破綻していない文章というものを人間以上にうまく書ける存在になることは間違いない。
そうすると議論をより複雑化して、それでいて自説に有利な展開に持ち込むようにAIを調整するといった、ある種のコンピュータゲームのようなものへと、その長文SNSは変化していくことになっていくのだろう。
そうなったときに人間は考えるという行為を機械に負託することになる。
ある議論を、肯定する、否定する、中立的におさめる、などといった感じで何種類もの論文を機械に書かせて、それを人間が読んでもっとも正しいと感じる文章を選択することになる。
おそらく、機械は無限に近い文章を構成することができるだろう。
それを読んで、人は人では考え出すことが出来ない新たな知見を発見することになる。
そういった学問というのが成立するのではないだろうか。
→ここ10年でスポーツ生理学どころか解剖学や心理学含めてもはや学際領域の学問分野並のバックボーンが必要で、それらを習得して理解したコーチングを受けられるだけの資本と、それらを理解できる学歴と身体がいるので、プロスポーツのトップは家が金持ちの奴らばかりでひしめき合うようになっている
→ここ10年で高学歴芸人やら高学歴声優やら、普通に余所行っても通用するような学歴を持ち、それらを身に着けるまでの教育資本を投下できるので収支が黒字になる層はほぼすべて実家はそれなり含めて金持ちの奴らばかりでひしめいている、ユーチューバー?Vtuber?稼げる生涯賃金計算しなおして、サラリーマンの平均生涯賃金から引けば血の気が引くような答えがでてくるんっすけどぉ
起業分野
→ここ10年どころかはるか昔から、家が経営者一家とかで資本バンバン補填できるところや銀行から上手く金借りる方法知ってるノウハウ持ってる金持ちたちの独壇場、東大工学部の天才たちが設立したベンチャーですら。Googleに拾われて掌ガンダムF91みたいに回転するまでは、はてなやネットでゴミ・クズ・カス・チー牛・日本の恥ださっさと死ねとボロクソ言われるくらい苦境に立たされていた、一方パパがお金持ちの経営者ってだけで現役女子高生社長が、経営計画書を出せば鼻で笑われて失笑くらうレベルのゴミ会社立てても資本パワーで無理矢理黒字に乗せられてまた私なんかやっちゃいました?ぴえん☆状態
IT分野
→リーマンショック以降ギフテッド目当てで一芸特化のヒキニートや発達障害入れてみたら、破壊工作に等しいくらい足引っ張られまくるわ散々な目にあったので、さらにコミュ力重視が業界で進み、結果コミュ力とITスキルを持つ機能不全家庭になんぞなってない円満な金持ち家庭出身者のエンジニアたちがパイを独占、ビンボーで人生若くして詰んでるオタクエンジニアやアスペたちはフリーランスという名のほぼ無職で昭和のドヤ街の如きその日案件に群がり、将来の不安と高すぎる願望の壁に狂って糖質化してネットで陰謀論やIT業界への憎悪を書き連ねて低能先生化
結局最後は資本持ってる奴らや、そこサイドにいる層に独占されて、ビンボー人や訳アリ物件な人間が一発逆転できる方法が、もはや犯罪以外にはなくなっているのが現状だ
だからネットでは今日も、そんな「持ってない側」が現実逃避をして脳を委縮させている
格差社会の本質は、技術の向上とともにあるし、技術を理解する素地はちゃんとした学歴もってないと最低限スタートラインにさえ立てないということか
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最低の環境相丸川 (4)
それはもう、彼こそ現代のオタクの帝王。オタクエンペラーだと思っている。
ストライクゾーンがすごく広い。
そして、作品を語るときは誠実に語る。こういう人に作品を語ってもらえることはファンとして幸せなことだ。
好きなものを捨てることなく、あのオタクに対して生きることが困難な青春時代を送った人物だ。
政治とか運動とか学問とかサブカルとか、そういう脇道にそれることなく、オタクとして生きているひとだ。
なんか下ネタを言ってるおちゃらけた人だと思ってたが、AGRSチャンネルを観てると「とても誠実で実直な人だ」と好きになった。
先週はブルマーの紺色の起源について調べた。ブルマーはアメリカでも紺系統の色だったが、現在の色になる過程で日本の伝統色の影響を受けた可能性について検討した。本記事では、臙脂色・小豆色・赤色のブルマーがいつごろから存在しているかについて調査する。また、他の色のブルマーについての情報があった場合はそこにも触れる。
主として https://www.buruma-joho.com/という個人サイトに掲載された、映画やドラマに出てくるブルマーの色について調査し、おおよそ何年までさかのぼれるかを検証する。ただし、あまりにも近い年代のものは省いた。すべてを引用しても年代の特定の役には立たないし、2000年以降のブルマーはほぼファンタジーに属するからだ。ブルマーにまつわる映画作品を網羅したい方は、ぜひ上記サイトをと参照していただきたい。どうして個人の記録ではなく映像作品で確認するのかといえば、ブルマーが日常的に存在していた当時の映像作品には、コスプレ的で奇抜なブルマーは出てこないと考えられるからである。また、個人のサイトやツイートは消える可能性があり、文字による証言だけだと正確さが担保できないためである。また、盗撮画像を使うわけにはいかないのはもちろんだ。
なお、バレー部のブルマーとそのほかの学生のブルマーについては、分けて考えたい。
加えて、プロのバレー選手の映像は多くなるので、赤ブルマーについては泣く泣く割愛した。
「オシャレ泥棒」1989年 https://www.youtube.com/watch?v=COpUgdGuoLE
「としごろ」1973年 https://www.youtube.com/watch?v=zRDoJFgS_wA
「青春の構図」1976年(女子大生。乳房の露出があるので直リンはしていない。各自で探してください)
「燃えろアタック」1979年 https://www.youtube.com/watch?v=qHFnZx0LT6Q
「転校少女Y」1984年 https://www.youtube.com/watch?v=li46Tlzuz_w&list=PLVxbaLcthhB1CAwMgrZhIykFQHl4rya9-&index=37
「挑戦」1963年 https://www.youtube.com/watch?v=krbJ1MBYXTo&list=PLVxbaLcthhB1CAwMgrZhIykFQHl4rya9-&index=5赤、青、緑三色のブルマー。
「典子は今」1981年 https://www.youtube.com/watch?v=Eh-8MVOJ6Ig濃緑で、芋ジャージの緑とは違う。障害者の社会参加を訴えたドキュメンタリー。
「蘇れ魔女」1980年(バレー選手)。Youtubeに動画はあるが緑ブルマーは確認できず。
「時をかける少女」1983年 ttp://wainn.jugem.jp/?eid=1364
ところで、先ほど両腕のない女性の映画を紹介したので、せっかくだから話そうと思う。以前NHKで「アニ×パラ」と称して https://sports.nhk.or.jp/paralympic/video/81d717ec76b544d8922c17f10889dee6/ 車いすの少女が陸上選手になるショートムービーを放映していた。また、警視庁か何かのポスターでも、ブルマー姿の義足の選手が被写体として用いられていた。義足の陸上選手を扱ったポスターはイラストも実写も検索すればいっぱいあるし、中西麻耶選手はセミヌードも披露している。
僕は素直に美しいと思ったし、義足の機能美にも魅力を感じた。義足は隠すべきもの、障害は隠蔽すべきもの、そうした空気がなくなっていくのを感じるのは、僕としても嬉しい。しかし、そこに難しさがないわけではない。美しいと思うこと、セクシーだと思うこと、障害者に対する態度、こうした扱いの難しい問題がぎゅっと凝縮されているからだ。障害のある選手が自分の身体や努力を誇りに思う気持ちと、そうした選手に憧れ、称賛すると同時にどうしてもブルマー姿に萌えてしまう自分の率直な気持ちとの間に、どのように折り合いをつけていくか。あるいは、特にアスリートではない障害者に対してどうふるまっていくか。特段「美しい」わけではない多くの障害者にどんな態度を取るか。様々な障害を抱えた人々と関わりながら生きていくうえで、考え続けばければならない問題だ。麻痺した身体を公共の場で堂々と見せた、とある活動家のことを思い出す。特段「美しい」わけでなく、それどころか「痛ましい」という印象すら与えてしまう身体。痛ましいと思うのはこちらの上から目線だが、スポーツで称揚される「美しい」身体とは別の身体が、隠蔽されてはいないだろうか。
今の職場は身体障害や聴覚障害のある人、あるいは精神障害のある人と働く機会があり、毎日が学ぶことの連続である。意外と「普通」だなと思ったり、逆に思いがけないところにつまずきポイントがあったりで、どうやったら一緒に働けるかは調整の連続だ。でも、いろんな人と働ける機会があると、気づかなかった偏見から自由になれる機会も多く、ダイバーシティってそのためのものなんじゃないかって思う。みんな仲良く、というきれいごとよりも、もめたり話し合ったりして、どうやったら一緒にやっていけるかを考えるのがきっと大事だ。そうしたら、道ですれ違った障害のある人により上手に配慮できるんじゃなかろうか。
本当のバリアフリーとは、障害があっても普通に隣で働くことだけでなく、ブルマーと義足の組み合わせに何の屈託もなく素直に萌えることなのか。茶化したような問いだが、パラリンピックにおける障害のある身体の宣伝的な側面も含め、真剣に考えたい。パラリンピックに出ることのない、大多数の障害者はパラリンピックをどう感じているのだろう?
前回の記事では、スク水がハイレグ化した90年代(ttps://www.footmark.co.jp/about/id001575.html)に臙脂ブルマーが生まれたのではないかと推測していた。だが、実際にはそれ以前に臙脂ブルマーは存在していたことが確認できた。その後、バレーボール選手のブルマーが学生のブルマーに影響を与えたのか、さらにブルマーの色が自由になる雰囲気があり、それが同時にスク水のハイレグ化を生んだのか。おそらく前者は正しいと推測されるが、後者の確証はない。そして、ファンタジーだと思っていた白ブルマーの存在も確認した。
今後は、同じ赤色でもどのような幅があったかについて調べたい。臙脂、赤、小豆色は少しずつ色が違う。現に、個人がアップロードした写真には、蛍光色に近い青・赤・緑のブルマーが確認できるものがあり、上記映像作品には登場しない色のブルマーが一定の範囲で分布していた可能性が検討できる。また、企業の公式情報や新聞紙などの証言から上記内容を補足し、フィクションからのデータだけに頼らない、実際の臙脂ブルマーが誕生した年代についても調べたい。新聞は白黒が多く、苦労しそうではあるが。
さらに、イギリスなど諸外国には赤ブルマーがなかったかも調査せねばなるまい。
加えて、身体障害が憐れみの対象やスティグマではなくなっていく過程についても気にかかるところである。美しかろうがそうでなかろうが、「健康」であろうがそうでなかろうが、そして「猥褻」であるかどうかにもかかわらず、自分の身体を見せる権利を改めて問い直したい。
まず言うまでもなく、二次試験を行う場合、問題作成・管理・試験実施・採点のコストがかかる。単純にセンター試験の点数順に合格者を決めれば、これらのコストはかからない。
次に、二次試験には悪問が多い。大学入試には毎年、ほぼ全ての大学で、手をつけなくても合否に影響の無い難問奇問が出題される。これは試験の役割を全く果たしていない。入試問題は、高校の勉強の習熟度を図るために作成されるべきであり、一部の入試マニアの嗜好を満たすためにあるのではない。
勉強熱心な受験生諸君には残念なお知らせだが、二次試験の対策は、大学で学ぶ上で何の役にも立たない。大学入試の問題は、上に述べたような入試マニアを興奮させるための難問奇問にかなり偏っており、現実的に入試対策の大部分はそれらの対策となる。この入試に出てくる難問奇問は、大学で学ぶ学問とはほとんど何の関係もない。実際、たとえば経済学部生が高校数学を復習しようと思ったとして、東大や京大の過去問を解こうとする奴は一人もいない。
採点のコストとも関係するが、入試問題の採点には採点者の主観が大いに関係する。どう言うことかと言うと、採点者によって採点基準が異なるので、採点基準にズレが生じると、採点者間で議論をして全体の出来とか諸々を考慮して、その都度採点基準が変わる。その基準は全く公開されない不透明なものである。だから、たとえば受験生が極限の問題をロピタルの定理を使って解いたとして、それがマルになるかバツになるかは状況によって変わる。「この問題はほぼ全員できていたから、点差をつけるために、相加平均・相乗平均の不等式を使うところで、xとyが正の数であることを明記していない答案は減点する」などということは普通にある。マークシートならば、このような不透明さは無い。
そもそも現実問題、二次試験が必要な大学は日本に存在しない。東大ですら、合格者のセンター試験の得点は8割弱〜9割後半まで、200点近いばらつきがあり、単純に点数順に合格させるだけで意味のある選抜になる。その上、センター試験には上記に述べたようなデメリットは無い。
カゴトリ
@e_yuttie
最近の「オタク」ってこういう論点ずらしばっかで本当レベルが知れるわ…
事実今のポケモンにいないでしょ「きんのたま」おじさん、アホなん??
https://pbs.twimg.com/media/EpDOphVUwAA7R_Q.jpg
https://twitter.com/e_yuttie/status/1337796305582583814
こいつも…
https://pbs.twimg.com/media/EpDPEr9UcAACKFr.jpg
https://twitter.com/e_yuttie/status/1337796772723232774
奴とは昔はそんな事しない関係だったのに、今は僕の自転車を池に投げている。奴の仲間うちのノリ。
まあ、あの空気を吸ったらそうなるのもわかる。
ただ、奴の友達。自分とは面識のないあいつからは純粋な「お前は俺より下の人間だ」という何かを感じる。
あいつが居なければ、奴とは友達のままで悪ふざけされていたのかもしれない。
成績がそこそこ良かった僕は、私立のわりと進学校へ進んだ。中学校の友達は誰もいない世界へ。
そっちではそんな人間関係の問題は起きなかったけど、中学生の頃にあった「そこそこ成績が良い」という周りからのリスペクトは失った。
さらに、受験勉強としての学問に疑問を抱いていた思春期の僕にとって、進学校という空気に微妙な居心地の悪さを感じていた。
結局しっくりとした居場所を見つけたのは大学生になってからだった。
あいつと小学校の時同じクラスだった女子が話す所によると、小学校の時ちょっと色々あって女の先生が泣き出してしまう事があったらしい。
その時、あいつがその女の先生に励ます言葉をかけたそうだ。それも結構男らしい言葉を。
「中学校であいつ不良になったでしょ。でもこの事覚えてるから悪い人に思えなかったんだよね」
歴史があると見え方が違ってくる。
同じ事されても、小学校の頃遊んだ事のある奴と、無いあいつとでは、こっちの受け止め方が違ってくる。
そんなちょっと思い出した昔話。
家が貧乏だったので私立に行く選択肢はありませんでした。公立の高校を卒業してそのまま就職しずっと働いています。
真面目が取り柄で勉強もまあまあ出来た方でした。喫煙も飲酒も万引きもいじめも器物損壊もやりませんでした。
私が知る限りでは、校内暴力や学級崩壊や生徒の妊娠や警察沙汰といった大きな問題は、少なくとも私の在学中には起きていない学校でした。
家の裕福さ成績を鼻にかけて人を中傷する傲慢で陰湿な男子はいました。人を揶揄って相手の反応を楽しむ頭の悪い男子もいました。人に醜悪なあだ名をつけて悪びれもせずそれを呼ぶろくでもない女子の集団もいました。
そうした人間を動物と呼ぶなら私の通う中学は動物園だったのでしょう。
しかし私はそうした人間が私立にいないとはどうしても思えないのです。
私は私立校に通った事がないので本当の事はわかりませんが。
幸い本人が私立に通いたいと言えば何とか行かせられる程度の家計に恵まれています。
もし子供が学問に適性があって、もし本人に通いたい学校があるなら私立も選択肢に入るかも知れない、程度の事しか言えません。
本人に意欲や適性がなければ受験をせず公立の中学へ通う事になると思います。
親御さんや先生方の日頃のご尽力のおかげか、幸い大きな問題も起こる事なく、子供は毎日楽しそうに過ごしています。
以前は何人か危うい素振りのお友達も見受けられましたが、成長につれ落ち着いてそうした事もほとんどなくなりました。
私の目から見てそう見えるだけかもしれませんが、少なくとも私から見て「この子さえいなければ」と思わせる子は誰もいません。
それがいつから、裕福で賢い人達が眉をひそめ、排除して見えなかった事にしたい鼻つまみ者に変わってしまうのでしょう。
確率的にこの子達の半分以上は公立の中学へ行くはずなのですが。
「あなたにもあなたのお子さんにもお子さんのお友達にも悪口は言ってない、私の通った学校は間違いなく動物園だったのだ」とあなたがたは言うでしょう。
「自分が経験した事実を述べただけで差別じゃない」と言うでしょう。
それでも私は傷つきました。
私の過ごした場所、これから子供が行くかも知れない場所を、犯罪と無法の蔓延る動物園だと決めつけられて大変不快でした。
差別でないと言うならそれでも構わないので私に謝ってください。
その動物園で真面目な中学校生活を過ごして来た私と私の同級生たちに謝ってください。
いずれ動物園に通うかも知れない私の子や子供のお友達に謝ってください。
私の子がいじめる側に回るにせよ、いじめられる側に回るにせよ、特に何も起こらず起こさず過ごすにせよ、あなた方はそれを自己責任と呼びました。金と教育を子供に与えなかった自己責任だと。
そういう人間の子供が、親からそうした考えを教えられて育った子供が、私立に行って本当にいじめを起こさずにいられるのですか。