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はてなキーワード: ホッブスとは

2024-02-18

小学生読書感想文、本はホッブスリヴァイアサンを読ませなさい

数か月かけて読みこませるもよし

夏休み最後に、名前だけは知っている本でしたが、2週間で読み終わると思って舐めていました。4巻すべてを夏休み期間で読めませんでした。いろいろな概念がよくわかりませんでした、知識不足を感じたので僕はこれから歴史政治経済勉強で気になった本を読んだりしたいと思いますいかがでしたかと書かせるもよし

2023-04-01

ナッシュビルLGBTが大量殺人することを称賛するものたち:LGBT利権に群がるもの

Arag_on

@arag_on

3月28日

ナッシュビル小学校乱射事件監視カメラ映像。Audrey Elizabeth Hale, 28才、トランス女性が校内で乱射しています

https://twitter.com/arag_on/status/1640629463389175808?s=20

あまのじゅく (amanojuku)

@amanojuku

3月30日

#ディープステート は、皆つながっているからね

#アリゾナ州 知事 #ケイティホッブス報道官が辞任。#トランスジェンダー 容疑者による #テネシー州 ナッシュビル銃撃事件を受け、同報道官トランスアジェンダに反対する人々への暴力擁護するツイートをしていた

Charlie Kirk

@charliekirk11

3月30日

BREAKING: Arizona Governor Katie Hobbs's press secretary has resigned after posting a tweet advocating violence against those who oppose the radical trans agenda.

LGBT差別禁止法とか理解促進法とか多様性推進とはLGBT殺人事件を起こしても称賛される世界になります

𝕬𝖒𝖚𝖑𝖊𝖙 𝕸𝖎𝖗𝖗𝖔𝖗

@ATC555555

3月28日

NEW 🚨 マドンナセレブレーションツアーナッシュビル公演を発表、テネシー州LGBTQ+コミュニティ対象とした2つの法案が可決された後、収益トランス権利団体寄付されるとDaily Mailが報道

https://twitter.com/ATC555555/status/1640548310204428288?s=20

MahinaMelia🏝

@MeliaMahina

マドンナは、数人のキリスト教徒殺害された後、ナッシュビルで「トランス権利」のためにコンサートを行っています.悪魔的。起きろ」Nashvilleでやったらしいけど本人"人身売買告発されてますからね🤣🎬🍿

https://twitter.com/MeliaMahina/status/1641421782568804354?s=20

マドンナは仁藤と同じ公金チューチュースキームの仲間ですね。

buvery

@buvery

3月30日

ナッシュビル学校で、乱射女(自称トランス)が射殺した女の子の一人。乱射女に気がついて、火災報知器を鳴らしたんだって。乱射犯の邪悪な女(自称トランス)を擁護するのが、裁判森奈津子さんにしばかれまくったゲイのしばかれ隊の人物であることは、覚えておこう。

Charlie Kirk

@charliekirk11

3月30日

BREAKING: Arizona Governor Katie Hobbs's press secretary has resigned after posting a tweet advocating violence against those who oppose the radical trans agenda.

https://twitter.com/buvery/status/1641162128261525504?s=20

○色即是

@shikisokuze91

·

3月29日

ナッシュビル銃殺犯人、結局はトランス男性”だったの?はなっからトランス女性だと決めつけてあとは知らんふりの連中の下劣さも酷いけど、そもそも犯罪トランスという属性を直結させて騒ぐこと自体が、ネトウヨと同レベルからな? #トランス差別に反対しま

高機能自閉症女性に無理やりホルモン療法をするのが反差別なのでしょうか?

大阪カンレイ

@Kanreihaku

3月29日

ナッシュビル銃乱射犯人高機能自閉症トランス男性らしい。

ほんで特定不能情緒障害とな。

計画的犯行だけど視界に入ってきた人は無差別に撃ったと。

ナッシュビル警察署長は、動機不明だが恨みによる可能性が高いと発表してる。

https://twitter.com/Kanreihaku/status/1640936068148232195?s=20

まりトランス男性男性と言いはる女性)は高機能自閉症なんですね。

Moja Mojappa🪬Against 包括的性教育❄️

@MojaMojappa

3月31日

💬「トランス権利」を要求するトランス活動家の群集がテネシー州都を襲撃。

ナッシュビルで殺された6人への共感はない。

いつものように自分のことばかり。

🤖性自認思想って「なりすましOK思想」だもん、自動的ヤバい人が集まっちゃうよねぇ…😨

https://twitter.com/MojaMojappa/status/1641553335059877888?s=20

被害者にしたてた上に警察を襲う。これを批判したら差別ですか?受け入れるために理解促進法が必要でしょうか?

全くありえない話です。

岸田✝️🇯🇵非接種を貫く会

@anthus153

3月28日

"ハリースクラッグス (チャド牧師の娘) は、今日ナッシュビルトランス過激派オードリー・ヘイルによって殺害された 3 人の子供の 1 人でした。

コヴナント学校でのキリスト教徒に対するテロ攻撃犠牲者であるスクラッグス家と他のすべての人のために祈ってください."

https://twitter.com/anthus153/status/1640679463808815105?s=20

この他、5名の犠牲者に謹んでお悔やみを申し上げます

2022-10-16

anond:20221016142809

ナショナリズム定義がよくわからんからナショナリズムと、個人権利との対応がわけわからんことになってるぞ。

ホッブスの「万人の万人に対する戦い」と消極的自由と、積極的自由の話ぐらい踏まえてるよな。

個人自由をフルで認めると権利同士の衝突となるから共同体に一部権利を預けて衝突を回避する。共同体のことをナショナル= 国 全体 または 国家 に属するとするならそれもよかろう。

君の言う左派ののナショナルな団結と、右派ナショナリズムを前提としてその権利を認めるという話の違いはないように見えるがな。

その上で、「「縛りや邪魔がない」という自由」を指向する消極的自由主義と「「自分意志で好き勝手にできる」という自由」を指向する積極的自由主義のどちらを取るかだ。

消極的自由主義金持ちが好き勝手できるということで強者寄りで右翼とも言えるが、もはや右翼左翼なんて対立校は邪魔なだけだ。

2022-04-17

地域単位分析を前提条件を無視して国単位拡張する馬鹿

■「ファストフード店や酒屋といった健康を阻害する施設が、社会経済的に恵まれない地域に不均衡に多い…」

日本はもうおわりだ

anond:20220417122007

元増田タイトルの一文ってGIGAZINEのこの記事から抜粋だろ?

「人が住んでいる環境肥満に影響している」と主張する研究者が住環境健康度を示す指数を考案

https://gigazine.net/news/20220417-cities-making-us-fat-unhealthy/

「HLIが作成した全体像は、ファストフード店や酒屋といった健康を阻害する施設が、社会経済的に恵まれない地域に不均衡に多いことを強調するこれまでのエビデンス裏付けています」と述べています

地域ごとの社会経済的な差によって施設に違いが現れる現象は、環境法の実施および施行・開発・規制政策の不平等に起因する「環境的不公正」だとホッブス氏らは主張。

この研究で述べているのはあくまで、同じ国の中での地域別でのこと。

単位ファストフード店娯楽施設の数で集計比較したら、先進国社会経済的に恵まれない地域になってしまうじゃないか

2021-11-08

anond:20211107232054

大抵の野生動物無意味同族殺しをしないので、人間だってわざわざルールで定めなくても社会が成り立たなくなるほど殺し合うわけないんだよなあ。

万人の万人に対する闘争」は社会契約を正当化するためのホッブスの例え話でしかないんやで。

2021-08-09

anond:20210808115958

犯罪という概念の無い社会なら根本的に犯罪は起こり得ない。例えば殺人自体合法化すれば殺人罪は無くなる。速度制限を無くせばスピード違反は無くなる。ホッブスの言う自然状態(万人の万人に対する戦い)だろうか。

2020-12-28

anond:20201228220146

非常に面白かったが、やはり政治学法学倫理学という片方の視点からこの問題を論ずるのは限界があるとも思う。

あくまで上の3つの学問人間定義するものである

生物学医学環境学自然科学といった視点も取り入れないと包括的議論はできないし、

さらに本件は人類の農耕史と狩猟歴史にも関わってくるうえ、仏教ユダヤ教・ヒンズー・イスラムといった視点必要になる。

かろうじてホッブス契約概念などが出てくるが、これもやはり近代以降の西洋哲学上の定義ひとつにすぎず、

それだけをもって菜食主義議論するは素材が少なすぎると言わざるを得ない。

人間を中心にすえた議論においては、菜食の可否は議論俎上にすら登らないのが当然だし、

結論として肉食を続ける」というのは論者の研究分野の選択肢からしても、予期できるものと思う。

余談だが宇宙研究したり数学研究してつきつめる人は、菜食に興味を持つことが多いという。

続 肉を食っても(倫理的に)かまへんやんか

anond:20201228215958

限界事例の人たちにも人権があり、危害を加えてはならないを削除する

 ホッブスの言う「自然状態」を考えよう。これは自分他人倫理的な制約に縛られない状態で、誰を殺そうが誰に殺されようが文句は言えないという社会である。こんな状態では暮らしていくことが出来ないので、人々は「契約」を結んでお互いを拘束し合う。人々は「契約」によって自分自由に行動する権利を一部放棄してお互いの権利尊重あい権利を守り合うための制度規則を共同で守ることにする。もちろん、このような「自然状態」と「契約」が本当にあったのか?という疑問はもっともなものなのだが、それはまた大きな話になるので、ここではとりあえず人々は何らかの「契約」をしたという立場から動物権利を考えていくことにする。

 さて、このような「契約」を結ぶためには、例えば自分権利認識したり、その権利放棄/移譲したり、約束責任持って守ったりなど、それなりの程度の能力(以下では契約能力と呼ぶ)が必要になる。大型類人猿などの研究が進み、それらがかなりの認知能力を有していることは確認されつつあるが、それでも上記のような契約能力を持っているとは言えないだろうし、ましてや牛や豚や鳥に契約能力を認める人はいないだろう。したがって、人間動物との関係はいまだ「自然状態」であり、お互いを好きに殺して食べて良い関係だということになる。もちろん、「自然状態」だからといって牛や豚や鳥が人間を襲ってくるわけではないが、それは動物たちが「契約」を尊重しているからではない。

 一方で、人間契約能力があるといっても、その大きさは各人で異なるのは確かである。私のような凡人と、高潔思慮深い偉人との間には契約能力に差があるはずであり、それでは我々が動物を好きにできるように、偉人は凡人である我々を好きにできるとも考えられる。この問題解決するために、範囲性質(range property)という概念を導入する。これは、ある最小限の契約能力を有していれば、その差は考えずに同じだけの権利が認められるという考え方である。ここでいう最小限の契約能力がどのようなものかは議論があるだろうが、リバタリアンである私としては、「"個々人が別々に存在し、自分人生自分責任で辿る"ということを認め、お互いの権利判断尊重し合う」能力としたい。この能力から、お互いの権利尊重すること、そのために自分自由の一部を放棄することなどが直接的に導かれる。また、個々人が別々に存在してお互いの権利判断尊重することから、そのような最低限の能力を有していればその差を考えずに同じだけの権利が認められるという範囲性質も満たすことができる。

 しかし先にも書いたように、最低限の契約能力(それがどのようなものであれ)を持った人間けがお互いの権利尊重し合うという主張からは、上記のような最低限の契約能力を持たない限界事例の人たち(例えば乳児、重度痴呆症、ある種の知的障害者など)の権利制限しても良いという主張が直接的に導かれてしまう。この問に、私は「そのとおりである」と答えたい。

限界事例の人たちと動物たちをどのように扱うべきか

 ここでは、限界事例の人たちから将来に契約能力を有すると見込むことができる相手(例えば子供)とできない相手(例えば重度の痴呆症、ある種の知的障害者動物)とを区別する。

 将来に契約能力を有すると見込まれ相手に対しては、相手契約能力を有した将来のある時点から現在を見たときに、その権利制限にある程度の妥当性が有ると判断できる範囲でのみ権利制限することができる。これは別に現在日本でもおかしな話ではなく、例えば20歳になるまで飲酒喫煙禁止されているし、18歳になるまで選挙権は無い。端的に言えば、嫌がる子供を押さえつけて歯を磨くことは許されても、レイプすることは許されないということである。このため、子供についてはたとえその子供が契約能力を有する人間大人)が保護していないとしても子供本人に権利があり、契約能力を有する人間と同様の制限なしに殺したり人体実験に供したりすることは倫理的に許されない。

 一方、将来に契約能力を有すると見込めない相手については、その相手保護する契約能力を有する人間の"被保護者"としての従属的権利しか有しないとするのが妥当だろう。つまり、本人の同意ではなく保護者の同意によって本人の"扱い"を決めてよいということである。この"扱い"には子供とは違い、「その権利制限にある程度の妥当性が有ると判断できる範囲でのみ」という制限は無い。なぜなら、その判断をする将来が存在しないかである。したがってもちろん、殺して食べるという扱いでも構わないことになる。しかしながら、どんな動物も誰もが自由に殺すことができるわけではない。"被保護者"としての権利は有している以上、自由に扱ってよいのは"保護者"が居ない相手だけである。牛や豚や鳥を食べて良いと言っても、他人保護している(ペットとして飼っている)動物保護者の意見無視して食べることは出来ない。また"被保護者"に対して殺すなどの本人に害のある何らかの重大な判断を下そうとする保護者は、自分の代わりに保護したいという契約能力を有する人間が居ないことを確認する倫理的義務がある。もし、限界事例の人たちや動物たちが殺されそうになったなら、契約能力を有する人間福祉団体なども含む)は誰でも、以後は自分責任を持って保護すると約束して必要なら金銭的な保証なども含めて以前の保護者と合意することで、殺すことを止めることができる。(食べるために)殺してよいのはそのような保護者が名乗りでなかった相手だけである

まとめ

倫理判断普遍可能である

遺伝差異自体差別をする理由にはならない

動物人間と同じように苦しむ

認知能力契約能力等、動物人間区別する道徳的重要な違いとされている違いは人間同士の間にも存在する(すなわち、限界事例の人たちが存在する)

限界事例の人たちにも人権があり、危害を加えてはならない

これらの組み合わせから容易に「動物にも「人権」があり、危害を加えてはならない」という結論が導ける

ことを認めた上で、⑤を削除して肉食を擁護した。

 限界事例の人たちや動物から、将来契約能力を有すると見込まれ子供とそれ以外を区別した。前者はその子ども自身契約能力を有するようになった将来において権利制限にある程度の妥当性が有ると判断できる範囲判断するだろうと見込める範囲)でのみ権利制限が許されるとし、後者契約能力を有する人間の"被保護者"としての従属的権利しか有しないとした。ただし、"被保護者"としての権利しかさないとしても保護者が自由に扱えるわけではない。"被保護者"に対して殺すなどの本人に害のある何らかの重大な判断を下そうとする保護者は、自分の代わりに保護したいという契約能力を有する人間が居ないことを確認する倫理的義務があり、(食べるために)殺してよいのはそのような保護者が名乗りでなかった相手だけである

 最後に、この結論を受け入れた社会がどうなるかを現在との比較から想像してみたい。子供については、現在と変わらないことは説明した。それ以外の限界事例の人たちについては、現在広く受け入れられている「人権」よりも若干制限されることになる。しかし、実質的には扱いは変わらないだろう。現在でも彼らの扱いは最終的には保護者の意思で決められる。上記のような社会で誰も保護しようとしない限界事例の人たちが殺されたとしても、現在でも誰も保護しようとしない限界事例の人たちは死んでいるので同じである上記のような社会では限界事例の人たちが捨てられることになり問題だと言う人が多いならば、その人達積極的保護するだろうし、少なくとも福祉団体寄付をするだろう。介護疲れから無理心中が起こっているような現在に比べて、福祉団体に大きな人的・金銭支援がなされる社会は、現在よりも限界事例の人たちにとって生きやす社会と言える。


 以上、倫理的観点から肉食を擁護した。この結論について、私を差別主義者であり倫理的に許されないと批判したい方々はもちろん居るだろう。ただし、もしあなたが肉を食べているなら、私を差別主義者と批判しながら肉を食べることについて、その判断をどう倫理的に許容しているのか一度考えてみてほしい。

2020-03-06

ホッブス言葉って現代でも通じてる

ホッブスが言った「万人の万人に対する闘争」という言葉本来は法や国家がなければ人は傍若無人に振るまうであろうということなんだけど、この言葉を聞いたとき「昔の人は乱暴だなぁ」程度にしか思ってなかった。

けれどホッブス言葉のうちにある「闘争」、その理由を「承認欲求」と捉えれば現代人にもそのまま当てはまるじゃん!と気づいてハッとした。

特にネット見てるとそれが顕著だなと思えたりもする。

2018-01-03

そもそも「笑い」自体が「いじめ」「差別」と同じ構造である

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%91%E3%81%84

対象

笑いが快感にだけ伴って起こるわけではないが、感情体験と深くかかわっていることは明白である人間の心の働きを理性と感情という二分法に従えば、しばしば理性に価値が置かれ、感情は下に見られがちである。理性は人間特有のものであり、感情動物であるとされるためだが、このような考えに立つ人は感情を表出することははしたないと考え、それをできるだけ排除すべきと主張する。笑いがすぐれて人間である理由として、笑いには「笑う者」と「笑われる者」という分離があり、その意味において何かを「対象化」する心の働きが存在する事実があると、河合隼雄は指摘している。

この「対象化」は人間けがなしうることで、自と他を明確に分離し、自が他を「対象」として見る。その際に、自分対象に対し突然の優越を感じる際に笑いが生じると、トマスホッブスマルセル・パニョルなどは主張した。河合優越感と言ってしまうのには限定が強過ぎるが、笑うためには笑う主体がある程度の安定感を持つことが必要であるとし、不安定な時には恐怖や不安が先行するため「笑っている場合じゃない」という状況になると説明し、さら優越とまではいかなくても、対象の中に見出した「ズレ」の感覚を楽しむとでも表現する方が広く笑いを説明しているのではないかとする。

芸人が痛い目に遭っているのが笑えるのは、自分が同じような痛みを受けることがないと確信しているから。痛い目に遭っている芸人に同情したり共感したら笑えなくなる。

この「対象化」を現実生活において特定個人に向け続けたら「いじめ」になるし、特定属性に向け続けたら「差別」になる。

2017-02-27

小川隆ポウです。今日は、ホッブスさんを私の身体に降ろします。

みなさん、こんばんは。ホッブスです。

Twitterはてブ見ました。

やっぱおれの言うとおりじゃん?

ルソーのクソがドヤ顔でσ(゚∀゚ )オレにツッコんできやがったけど、

やっぱりおれの主義主張が正しいぜ!

万人の万人に対する~と、う、ボフ!そ、う!

イエエエエエエエエ!ジャスティス

2016-11-06

ネットにおける平日昼間民主主義危険性について

インターネットやばい

はてなしろ2chしろ、00年前後ははわりとぽわぽわしてて礼儀正しく、害があっても広がりにくかったし、各ポータルサイトゲスさは無かった。

2ch便所の落書きと言われてはいたが、馴れ合いによる相互承認や、情報を求める意識を持った参加者たちで良い空間を作ろうみたいな意識もあったし、クソくだらないジャーゴンオマエモナーなど)を共有して生まれるゆるい一体感もあった。

今はそうではない。

陰湿で、攻撃的で、快楽主義であり、セクト意識裏切り者を許さない)はあるけれど共同体意識助け合い相互承認)はほぼなくなった。

2chで「氏ね」ではなく普通に死ね」と使われ始めて久しい。もうみんな心のブレーキがなくなっている。

2chはてブコメント辛辣になっている。

ネットは「叩くことで上に立ったかのように振る舞う、安上がりな自己欺瞞他者へのアピール」でありふれている。

中には「叩くこと」への快楽に目覚め、それを目的化し、それを正当化するための言い訳としての「誰かの失敗」と「正論」を求める人もいるように見受けられる。

なんでこんなになっちゃったんだろう?

被害者ぶる気はない。僕も加害者の一人だからこそよくわかる。

平日昼間の言論空間ネット平和破壊したのだ。

ネットは真昼に炎上する。

00年代頃はまだ限られていたインターネット利用者だが、格安ブロードバンドで普及を見せ、その後スマホを介して国民ほとんどがネット参加者になった。

社会に出て一生懸命働いている人たちや真面目な学生は平日昼間にネットに入り浸ることは少ない。

平日昼間のネット支配しているのは、無職ニートである。その中で暗い要素を持った集団を抜き出すと「仕事にあぶれて苛立つ求職者」「世の中を諦めた世捨て人無職」「登校拒否の延長の引きこもり」「うつ病神経症統合失調症といったメンヘル」「発達障害などで社会適応できなくなった人たち」「終わらない家事と身近なストレスで心の許容量が狭くなった鬼女」「世の中舐めてる陽キャのニート」「レールからそれて戸惑っているニート」「世の中に喝を入れたいリタイア組」・・・。まあ、とにかくたくさんいるわけである

もちろん、悪意のある抽出であり、心のきれいな方々もたくさんいるのだが、悪貨は良貨を駆逐するものだ。

そういった人々は暗い感情や怒りを、炎上快楽で気晴らしするのである。いわばweb放火魔だ。

火を生み出す力の喜び、何かが燃えていく光景を見つめる陶酔、生贄を取り囲む祭りの高揚感・・・

彼らは毎日ネットに入り浸るうちに中毒になり、炎上目的化する。

また、中には承認の場をネットに求める人も出てくる。

ニコニコ黎明期のようにクリエイティブな方向で承認を求めていれば平和だったのだが、今のニコ生DQNのほうが受けやすい。

はじめしゃちょーヒカキンみたいな発想力とパフォーマンスを持っているわけでもない人たちは、過激な毒のショッキングさで目立つしかない。

これはネット言論空間にも言えることで、有吉や張本みたいに「きっつい毒舌」「鋭いお叱り」を出来る人間承認されやすい。

何かを褒めている人間承認されることはほとんどない。

熱心な語りもいらない。消化しにくいからだ。

まり、ワンフレーズで響き、嘲笑と「俺たち情強だよな」といった満足感を生むネガティブ言論をしたがり、見たがるようになっているのだ。

問題は、そういった平日昼間の言論が「ネットの声」「ネット常識」とされて一般層へ輸出され、ネット文化となり、新たな放火魔教育してしまうことだ。

本来ただの過激派愉快犯にすぎない言論が、いつの間にか「民主主義」になってしまう。

現実でも起きうる/起きているかもしれない事態が、ネットではものすごい勢いで波及している。

誰かが火を消さなければいけないのではないか、誰かが防火壁を作らなければいけないのではないか

ホッブスによれば自由とは混沌であり、万人の万人に対する闘争なのだネットはそちらに向かいつつある。

東浩紀ネットルソー社会を求めたが、あんもの絵空事である

言葉を聞かない悪意の力の前に理想は役に立たない。

悪意は急速に感染し、ネット支配する。

「私達には関係ないこと」と高みの見物を気取る人たちは、いつか自分たちが悪意の生贄にされるかもしれない未来を予期していない。

自分のところまで悪意が登ってくる可能性を考えていないのだろう。しかしすぐとなりをよく見てみると良い。

シェルターの中にいる隣人が、悪意の炎を瞳の奥に隠しているかもしれない。

こんな空間に、子どもたちを晒すことが出来るだろうか? 

大人たちが壊れてしま空間なのに、子供リテラシーかいう頼りない防御策を教えて何とかなると?

ネット治安を維持するための善意言論を発信していくべきだろう。強硬的な手段ではなく、新しいモラルを共有できる仕組みを考える段階に来ている。

それと同時に平日昼間勢の心を癒やす必要がある。彼らの本当の問題ネットではなく現実にある。現実が変わらなければ彼らは変わらないだろう。

ネット現実リンクしており、ネット日本未来実験である。このまま手をこまねいて見ていれば、現実社会も今よりさらに厳しいものになっていくだろう。

2014-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20140706001105

ごめんなさい。

本当に多少です。

親が団塊の世代なので身に付いた程度です。

無理してリベラル的な本を挙げると、

丸山真男、親が持っていたので読みました。

自由主義というよりは日本民主主義についてですが。

ロックホッブスも凄く斜めに読みました。

あとは北欧政策南米政治農業新書を読みました。

経済の話はついて行けず読んでいません。

所謂リベラルっぽい読み物」という意味では、

吉本隆明の「共同幻想論」は理解できなくて止めました。

と、親に言ったら、当時の若者ほとんどは

持っているだけだったと言っていました。

今思うと、親に好かれたくて

親の持っていた本を読んでいたという感じかもしれません。

2007-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20071108000005

多様性がある、というのと多様性が尊重される、というのは別問題だってことだな。

ホッブス状態ってやつだ。気持ち悪い。

 
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