はてなキーワード: 雀の涙とは
そもそも管理職に「なる」ってのがおかしいんだよ。管理職は管理が仕事なんだから管理を専門に学んだ人間にやらせろよ。「一般職の仕事に理解をもち適切にマネジメントできて成果を上げられる人間」を雇えよ。なんで自分の仕事を好んで専門性を高めた人間からピックアップして全然別の仕事やらせようとすんだよ。そんなことさせて、もらえるのが雀の涙の手当てって、もう罰ゲームじゃんか。キャリアに研修としてノンキャリの仕事させるのはまだ合理性あるけど、生粋のノンキャリを、本人が望みもしないのにキャリア職につけようとすんなよ。
……とはいえ、給料が倍ほどに増えるか、せめて裁量権がものすごく拡大するなら、それはそれで考えますけどね。つまり、どう転んでも「金」の問題ってことっす。
女性は産休育休と断る側も理由をつけやすく、任命する側もその理由を受け入れやすい。なんなら女性だからというバイアスでダメ元で打診したりするし。
これが男性だとそうはいかない、ポジション上がりたくないなんて真正面から言ったらやる気の欠如だと思われる。し、男性育休がこれだけ取りにくい世の中ではその手の理由では管理職のオファーを拒みにくい。
男性はファミリーの最大の収入源にもなっている場合がまだまだ多いので、昇進したほうが家計にもメリットがある。
(ブコメのアホどもが管理職手当なんて雀の涙笑みたいな話してるがそういうブラック企業や名ばかり管理職の話は今してないだろが)
もらえる金も安いのに、必死に残業しまくった挙げ句に変換される給料は雀の涙。
頑張って作画をあげても作画がボロボロだ、ちょっと崩れてるだなんだとケチをつけられてどうしろというのか。
作る方は必死なんだよ。
それでも子供の頃に見ていたアニメを自分で作れると頑張っているのに、視聴者もどきにその気持を踏みにじられたら
そりゃ制作側はやる気がでないよ。
言いたい放題言うだけの視聴者もどきは、こういう風に頑張ってるって叫びを上げた所で「嫌ならやらなければいい」って言い始めるだけ。
無責任に他人を傷つける言葉しか言わない奴らがアニメファンを自称してるだけでも、本気でむかつくよ。
こっちも本気でやってきてるんだ。少ない給料もらってね。
給料も少ないのにクオリティばかり高めろってのは無理なんだよ。
相応のクオリティに仕上げるのが適切なわけ。無茶ばかりいってんじゃねーよ。
【追記 2021/02/03】
半月ほど前、初の匿名ダイアリーを書きましたところ、様々なコメントをいただきました。誠にありがとうございます。本当の自分を客観的に評価していただく機会は少なく、肯定的な意見・批判的な意見、全て嬉しかったです。全て読ませていただいており、こちらで簡単に返信させていただきます。
自分の現状を詳細に記したかっただけで、自慢の様に受け取られる書き方になってしまった点は大変申し訳ないです。
しかし、私の勤め先は大企業ではあるものの成果主義で、出来る人と出来ない人とで年収差が非常に大きいです。更に、深夜まで残業必須、土日は休日出勤や業務の勉強で潰れます。そして、私自身まだ若手なのでそこまで年収は高くなく、近年業績が伸び悩んでいる事もあり、私がこのまま働いて平均年齢に差し掛かっても、1000万貰える可能性は限りなく低いです。
②「筋トレしろ」「髪型変えろ」「整形・脱毛しろ」というコメントについて
筋トレに関してですが、実はSNSのインフルエンサーに触発され、数ヶ月ではありますが週6で1時間ジムに通っていた事がありました。しかし、身体が少し大きなコミュ障になっただけで、自分に自信がつく事は無く、ある日突然布団から身体が動かなくなってしまいました(1度目の鬱発症時の事です)。ジムは、コロナと人目が怖いので、ひとまず先日から、勉強の合間に朝ランと夜の宅トレを軽く始めてみました。
髪型に関しては、仕事の関係上、髪色含め奇抜には出来ませんし、「そもそも変えてもイケメンになれるわけでも無し、意味なくね?」って考え方で完全に諦めてました。奮発して少し高めの美容院へ行って、相談して来ようと思います。
整形や脱毛については、「遺伝子や性格がゴミだし、料金高いし、そんな事やっても仕方なくね?」といった考え方だったのですが、コンプレックスである歯の治療も含め、勇気を出してまずは一度相談だけでも行ってみようと思います。
どれも、今後の人生にどう影響してくるかは分かりませんが、空っぽな自分の人生が少しでも豊かになる可能性があると信じ、頑張ってみます。
心理学については、何か宗教っぽい気持ち悪さがあって(失礼)、これまで全く手を付けていませんでした。読書は挫折する事が多いですが、まずはアドラー心理学(?)に関する軽めの本を、図書館や本屋で軽く立ち読みでもしてみようと思います。
④文章を褒めていただいた方へ
恐らく、会社で報告書を書いたり、学生時代SNSにのめり込んでいたおかげだと思います。ありがとうございます。
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【以下本文】
20代半ば。男。
起床。枕と布団が臭い。抜け毛あり。身体が怠い。朝日を眺めながら、軽く絶望。
眼鏡を探り当て、何とか装着。目がとても悪い。自分の家はゲーム禁止家庭だった。皆の話題についていけない事がコンプレックスで、親の金を盗んでゲーム購入。夜に電気もつけず、隠れてやっていたら3か月で視力が0.1以下になった。
散らかった部屋をかき分ける。片付けが出来ない。幼少期は極端な潔癖で、好いていた姉の机まで片付けていたら怒鳴られた事がある。良かれと思ってやっていたのだが、完全な有難迷惑だった。それ以来、片付け=悪と刷り込まれてしまった。言い訳ですかね、はい。
洗面台へ。毛深く醜い容姿と対面。「気持ち悪い...」。そう、ポツリと呟く。この容姿で、学生時代はよく虐められた。整形や脱毛を考えたが、金が無いのと遺伝子は変える事が出来ない事実に打ちひしがれた。歯は虫歯だらけ。裏には小4から無理やり通わされていた矯正歯科の器具。大事に磨いてきた歯を、何本も抜歯させられた。痛い。怖い。苦しい。矯正をしてくれた両親に本来は感謝すべきなんだろうけど、結局自分で全て無駄にしてしまった。歯並びが絶望的な家庭に生まれた自分を呪った。もう5年は行っていないか。他人に歯を見せるのが怖い。
軽くシャワーを浴びて、新聞とニュースを見る。何を言っているのか、さっぱり分からない。
着替え。体型もファッションセンスもダメダメだ。「チビでガリガリで顔もキモい。ファッションなんて雀の涙。あんな布切れに何前何万も出したって無駄だ。努力したところで自分はダメなんだ」と全て放棄してしまった。
会社に到着。平均年収1000万超えの大企業だ。何故、こんな所にいるのだろう。自分でも不思議だ。学生時代、極度の学歴コンプレックスで、結局院でロンダリング。学部からいなかった事と、周りとの実力差で更にコンプレックスは悪化。教授やラボメンバーには裏で悪口を言われ、研究も苦しくて2度の鬱発症。仕事で続ける気は無くなった。就活は、これまで馬鹿にしてきた奴らを見返したくて、色んな業界の大手だけ受けた。合計90社近く落ちたが、この会社には就活面接で適当な嘘や綺麗事を吐いていたら内定を貰えた内の1社だった。
学歴ロンダリングや大手企業へ入社した理由は、異性にモテたいといった理由も大きかった。でも、これからもし自分に寄ってくる異性がいたとしても年収狙いは確実。自分の中身まで見てくれる方はいないだろう。そして、これまで、イケメンでコミュ強で気の効く強そうな男を愛し抱かれていたのだろう。そんな過去の男達と自分は比べられるのだ。怖い。果てしなく怖い。それに、無理やり年収だけ上げても、そこでは更なるハイスペ達が競争相手だ。勿論、容姿端麗コミュ力抜群みたいな上位互換はゴロゴロいる。そんなことを考えていたら、もう疲れてしまった。
仕事、開始。自分は無能だ。作業が遅い。よく怒られる。まともなコミュニケーションが取れない。人が怖い。かといって、人と関わらなくて良い職業には、当然ながら実力不足で就けない。頭がキレ、他者と良好な関係を保ち、仕事が出来る社員たちはどんどん成果を出していく。上司も、雑用以外で自分を頼る事は無くなった。きっと、裏で自分は馬鹿にされているに違いない。針の筵だ。最近は資格取得を推奨されているが、どうせ落ちるし、無能な自分と向き合わなくて済むから、何も手をつけていない。
昼休み。当然ながら、友達は0。デスクで1人の昼食。学生時代からそうだった。必死になって部活やサークルに入った事もあったが、皆の話題についていけず、周囲との溝を感じて苦しくなって、結局何処も続かなかった。そんな中、自分に優しくしてくれる人もいたが、関係が深まると、自分すら認識していなかった醜い性格や行動が出現した。そんな自分が嫌で嫌でたまらなくて自分から距離を取るか、相手が愛想を尽かして去っていった。
LINE交換してくれた人達もいたが、卒業する度にアカウントを削除し、中途半端な縁を断ち切ってきた。巷では、これを人間関係リセット癖と呼ぶらしい。
そんなこんなで、仕事終わり。今日も何の進捗も無し。「お疲れ様です」と呟いて、退社。誰からも返事は無い。「無能は疲れなくて良いな」とでも思われているのだろう。
帰宅途中。街を歩くカップル。楽しそうな親子連れ。いいなぁ。自分は、一度も恋人というものが出来た事が無い。学生時代、マッチングアプリに2年程度手を出した事もあったが、誰とも会話が続かなかった。相手の話はある程度聞き出せても、肝心な自分自身にアピールできる事が無かったから。3回ほど、女性と会う機会があったが、全員が「たくさんの男からアプローチされる」と言っていた。「無料で、色んな男から誘いを受け、ご飯やプレゼントを奢ってもらえる。何て羨ましいんだ」と思っていたが、彼女らは彼女らで何かしら悩みを抱えているのだろう。
帰宅。自己研鑽はしない。自分がやったところで、どうせ無意味だから。成功した試しが無いから。何もかも、中途半端に放棄して逃げてきたから。
コンビニで買ってきたご飯を食べ、服を脱いで布団に潜り込む。最近、脂っこいものがキツく、食も細くなってきた。無能のまま、立派に歳だけは着実に重ねている。
SNSを閲覧。陰キャ御用達、Twitter。同じ業界のインフルエンサーや海外のニュースアカウントをフォローしているが、自分の知識不足で、何を言っているのかサッパリ分からない。また、これまで色んな界隈にいたが、結局誰かとイザコザを起こし、アカウント削除。しかし、依存症から何度もアカウントを作り直し、現在に至る。時たま、Instagram。同級生をフォローだけしている。皆、幸せそうなキラキラした写真をアップしている。友達や恋人との旅行、煌びやかな料理、結婚している人たちもいる。幸せそうだ。
YouTubeを閲覧。最近は、ひろゆきさんの生放送編集版や、外国人が編集したであろうタイトルやカット割りのアニメを脳死状態で眺めている。時たま、イケメンや美人の実況がおすすめで流れてくると、凄く悲しくなる。何て神様は残酷なんだろう。人間は、生まれながらに不平等だ。
SNSの影響で、他人と比べる事がより増えた気がする。凄く辛い。止めれば良いのにと自分でも思うが、依存していて止めれない。昔から、リアルでは社会と繋がっていないに等しいから、拠り所を求めて居座ってしまうのだろう。
そんなこんなで深夜。電池が切れるかの様に、いつも勝手に眠っている。薄れゆく意識の中で思う。「誰か寝ている間に殺してくれないかな」。「パッと存在ごと消えないかな」。皆、何をモチベーションに生きているか不思議だった。自分が消えたところで、誰も悲しむ人なんていない。むしろ、Co2排出が抑えられて、感謝されるだろう。これまで、何度も自殺しようと思った事があったが、結局自分1人で実行出来なかった。森の奥の木にくくった縄。果てしない大海原が広がった断崖絶壁。いざ目の前にすると、無様に生にしがみついて涙を流した。
こんなくそったれ人生を送っている自分にも、2つの夢がある。1つ目は、同窓会で、自分を虐めたり馬鹿にした奴らに、「どうだ!自分はこんなに立派になったぞ!」と見せつけてやる事だ。相手は覚えていないだろうけど。
2つ目は、「普通を享受して幸せになる事」だ。"普通"とは、自分の目に映る同世代の上位50%が体験するイベントと定義している。これがまあ難しい。凄く難しい。凄まじい量のコンプレックスを持っている反動で、他人の良い所を見抜く癖があり、それらを逐一比べて。どんなコミュニティに属していも、自分は最底辺だと感じている。一生、幸せに何てなれないだろうな、自分は。
人生初の匿名ダイアリー、3,000字超え。こんな感情任せに書いた歪で長く乱れた文章など、どうせ誰も読んではくれず、山のような記事の内の1つとなって消えるのだろう。それでも、良いんだ。こんな寂しい夜は酒を飲みながら、何か書きたかった。何事も中途半端で、何も成しえた事が無かった自分が、自分の気持ちを文章にして書き終えた。凄く小さな、誰でも出来る事かもしれないけれど、1つの物事を完結させる事が出来た。見ている皆さんには、「こんな事で(笑)」と笑われるかもしれないが、ちょっとだけ誇らしい。
◎前置き
X日後に死ぬことが分かっているとしたら、僕は残された日々をどう過ごすだろうか。
いくつかの仮定を置いたうえで思いついたことを書き連ねてみる。
・X日後に死ぬことは確実であり、僕はその事実を受け入れている
この前提がなければ、僕は何とか生き延びる手段を探すだけで、残りの時間を使い切ってしまうかもしれない。
何か災害や天変地異で多くの人が死ぬわけではないということだ。僕以外の人々や環境は、僕の死以外は何一つ変わらず日々が続く。そのため、他の人を救うために時間を費やす必要もない。
この2つの前提を置くことで、僕は残りの時間を純粋に自分が満足するためだけに使うと想定する。
◎1日後に死ぬ僕
平日なら、仕事を休まなくてはならない。仮に大事な仕事があったとしても、何かと理由をつけて休むだろう。残念ながら、僕にとって今の仕事は、24時間しか残されていない状況で時間を割くには及ばない。事情を説明して別れを惜しむほど、会社の面々とは親しくない。みな僕の死を知ったら驚くだろうと思いながら、事務的に部長に有休申請を行うまでだ。
明日死ぬと思って毎日を生きよう、そんな格言を聞いたことがある。そう思うことで、本当に望むことに取り組むことができるという意味だそうだ。しかし、本当に1日しか残っていないとしたら?できることはあまりに少ない。選択肢はとてつもなく刹那的になってしまいそうだ。僕には好きな友人や家族はいるが、特別日々を一緒に過ごす類のパートナーはいない。仮に恋人や妻がいれば、最後の1日を普通に過ごして見送ってもらうだけで終わるかもしれない。だが、そんな相手はいない以上、個人的に満足に過ごす方法を考える必要がある。
僕はきっと24時間を一人で過ごすだろう。もうすぐ死ぬことが分かったうえで、友人を呼びつけて一緒に過ごしてもらう気まずさには耐えられそうにない。両親との関係は悪くないが、この状況では会うには気が引ける。そんなことができる距離感の相手なんて、それこそ恋人か妻か子供ぐらいしかいないのではないか。残念ながらそんな相手はいない。誰かに電話くらいはするかもしれない。でも、友人には普段電話などしないので、何か問題ごとでもあるのかと勘繰られてしまいそうだ。何かの用事にかこつけて、母親の声でも聞ければそれで十分だろう。
最後の1日を刹那的な快楽のために使うか、何か意味のあることに使うか、悩むところだ。刹那的な快楽を得るならば、とにかく美味しいものを食べるとか、綺麗な景色を見るとか、性欲を満たすとか、そんな過ごし方になるだろう。できるなら最後の食事は美味しいものが食べたい、でも一人で食べるなら何でも一緒に感じてしまう気もする。そもそも残り時間を考えれば、栄養にもならない食事に時間と労力を割くのはもったいない。食事に限らず、もう何も思い残すことがないと思えるほどの快楽なんてあるのだろうか?どんなに刹那的な快楽を満たしたとしても、最期の1分1秒には、どこか虚しい気持ちになってしまうのでは?
そうだとしたら、死ぬ瞬間に満たされた気分になる1日の使い方とはなんだろうか。やはり「善いことをした」「この世界に良い影響を残した」と思うことで、自らの人生を肯定できるようになることではないか。残念ながら、僕が仮にこの文章を書いている今この瞬間に死ぬとして、僕は何かこの世界のために役に立ったのかと問われると、自信をもってイエスとは言えない。たいして他人に迷惑をかけずに生きているという自負はある。しかし、周囲との干渉が少ない故、特別人助けをしているわけでもない。仕事だって、給料に見合う働きを提供するだけの等価交換で、社会に対してプラスを与えている気はしない。そんな認識を塗り替えるようなことが、24時間で成し遂げられるだろうか?
一つ、すぐに取り組めそうで最も「自分が」やる意義がありそうなことは、近しい友人たちに手紙を書くことだ。僕は29歳で、同年代の友人たちの多くは、若くして死ぬということに実感がないと思う。僕自身もそんな実感はない。そんな友人たちに向けて、身近にいる人間として、心を込めたメッセージを残せば、きっと彼らは限られた生を実感して、より有意義に過ごしてくれるのではないか。そう思いながら昇天するのは悪くない気がする。
一応、死因は自殺ではないことが皆に分かるように手配しておきたい。僕の世代の死因に占める割合は自殺が多いはずなので、事情を知らない人には勘違いされる可能性もある。僕自身はこの際どう思われても構わないが、勘違いのせいで周りの人が嫌な思いをしてしまう事態は避けたい。
◎1か月後に死ぬ僕
1か月は新しいことを始めるには短いが、1か月はちょっと長い。休まず有意義に使い切ろうとしたら息が詰まりそうだ。それでも、1日でも労働に費やすのは惜しいと思ってしまう。やっぱり仕事は無理やり辞めるしかない。お金が必要でないのなら、働かないに越したことはない。そもそも現状で何故僕は、嫌だと感じている労働に多くの時間を割いているのだろうか。
別に誰かに命令されるわけでもなく、僕は自分の意志で一挙一動を選択してきたはずだ。その積み重ねで生きてきたはずなのに、何故不本意な結果となっているのだろうか。僕は必要に駆られて働いているのであって、労働から精神的な充実を得られると期待するのが筋違いなのかもしれない。とはいえ、身の回りを見渡してみれば、仕事を楽しんでいる人はそれなりにいる。今の職場に就職した理由に思いをはせると、僕は仕事の内容や会社の状況について多くの誤解をしていた。さらに言えば、自らが求めているものもよく理解できていなかった。分からないものが多すぎたので、正しい選択ができていなかったのだ。そして、今も自分が求めているものはよくわからない。
1か月もあるのなら、できるだけ面倒を残さないように、いろいろな手続きを済ませておきたい。仕事を辞めて、部屋を片付けて、もろもろのサービスを解約しておけば、あとに残された人も困らない。ついでに恥ずかしい日記を処分しておこう。あと、年に1度ぐらいしか帰省はしていなかったが、顔ぐらいは見せておこうと思う。
口座に200万円はある。これを一体何に使えばいいだろう?1週間で使い切るとすれば、なかなかの贅沢ができる。どうせならぱーっと使ってしまいたい。僕の貯金は社会に影響を与えるには雀の涙すぎるし、このお金を寄付するほどの聖人ではない。それに、個人的に残してあげたい相手がいるわけでもない。しいて言えば、会社勤めをしながらイラストレーターの夢を追う弟にはちょっと残してあげてもいいだろう。全部残すと重たいし、あぶく銭は彼のためにもならないかもしれない。残高を気にせずに、旅行したり、いいものを食べたりして、残った分は弟に渡すくらいでちょうどいいかもしれない。
僕はかねてから死ぬ前に一度バンジージャンプに挑戦してみたいと思っていたが、1か月のうちの半日ほどを費やすに値するほどではなさそうだ。リストに入れるべき項目は、手紙を書くよりは重要でなくて、バンジージャンプよりは重要なことにしよう。残り1か月があるなら、無理を言ってでも友人たちに会って、直接思うことを伝えることができる。
そういえば、残り24時間しかない場合を考えているときは、お金のことには思い至らなかった。僕にとってお金は最優先事項ではないのかもしれない。ある程度長い期間生きるとして、なくてはならないものであって、それ以上のものではないのだろう。少なくとも、残されたお金の使い道を考えながら死にたくないとは思う。
◎1年後に死ぬ僕
1年残っているなら、少しはきれいに仕事を辞めてもいいかもしれない。2週間ぐらいは引き継ぎに費やしてもいいし、そのほうが残りの1年間をすっきりした気持ちで過ごせるだろう。残りの期間で仕事の関係者に出くわす可能性が上がるので、あまり気まずい思いをせずに済ませたい。これくらいの長さがあると、「将来のために今は多少我慢をする」といった発想が生じてくる。
きっと、仕事を辞めた理由を誰もに聞かれるに違いない。親しい人たちには正直に話すほうが良さそうだ。残り1週間ならともかく、1年間あれば段階的に別れを受け入れることができる。何度か会ったとしても、そう重苦しい雰囲気にならずに済みそうだ。でも、どうやって伝えたらいいのか分からないし、伝える瞬間の気まずさに耐えられなさそうだ。Twitterにでも書き込もうか。
貯金を取り崩すだけでも、何とかやりくりして生きていけるだろう。まず、会社に行かなくていいなら、家賃はできる限り節約しよう。決して余裕があるわけではないので、計画を立てて、慎重にお金を使っていくことになるだろう。食事だってそんなに贅沢はできない。それでも、僕にとってはお金よりも時間のほうが大切であって、贅沢をするためにより長く働こうという発想にはならない。
1年もあるならば、全く新しいことを始めたとしても、何かを成し遂げられる気がする。果たして僕は特別に何か成し遂げたいことがあるのか?と考え始める。そして、今までの日常の延長線上でしか考えられないことに気づく。思うに僕は無趣味なのだ、無趣味な故、急に働かなくてよくなったら、何をして過ごしたらいいのかわからなくなる。働きながらだって休みはあったけれども、寝て体力を回復したり、家事をしたり、友達と遊んだり、ランニングしたり、漫画やアニメをダラダラと見たりしていたらあっという間に時が過ぎた。漫画やアニメを見るのは好きだが、あと1年で死ぬとしてずっとそれに時間を費やしたいとはあまり思いつかない。それはリラックスを兼ねた娯楽であり、積極的に取り組んでいるというよりは、消去法的な時間の過ごし方だった。
もともと、人生を捧げられるような対象が欲しいと思っていた。しかし、そんなものは見つからず、とにかく生活のために労働し、疲労と惰性で考え事をするのもままならず、暇な時間ができたら途方に暮れる有り様だ。そんな対象がなくても、愛すべき人がいて、その人と過ごすだけで楽しく満ち足りた日々になるなら、それまた幸福だ。しかし、1年しか残されていないのが分かっていながら、新しく親密な関係の相手を探すのは残酷めいている。残される相手のことを考えると、残り1年で愛すべきことを見つけるなんてハナから期待すべきでない。
愛する人もいないし、やりたいこともない。そんな自分の現状は不甲斐ないが、ないものはないので仕方ない。とにかく何がしたいのか考えてみよう。かといって急に机に向かって考え始めたからといって、何か思いつくわけではない。12か月もあるのだから、1か月ぐらいは思い切って、考えるために時間を使ったっていいではないか。いったん、何もかも放り出して、どこか海沿いの旅館にでもこもって何をしたらいいか考えることにしよう。それ以上のことは今は思いつかない。
10年間生きるならば、すぐに仕事を辞めるわけにはいかない。自分がやりたいこととは別に、生活費を稼いでいくということを主軸に据える必要がある。仕事をどうすべきか、という問題に正面から向き合わなくてはならない。この問題については、大きく二つの方向性を考えることができる。一つは、多忙でもハードでも、とにかく給料の高い仕事に転職してお金を稼いで、一日でも早く仕事を辞めようとすること。もう一つは、仕事をしている時間を無駄と感じずに済むくらい、意義のあるものにすることだ。残念ながら、現状の仕事はどちらにも当てはまらず、ただ金を稼ぐため、辞めて履歴書に傷をつけないために惰性でぶら下がっている状態だ。よって、残り10年間を前提とするならば、すぐにでも転職活動をして、より有意義な時間を過ごせるようにしたい。
例えばかなり無理をして、3-5年間ハードな場所で働いて、残りは働かずに暮らせるのなら、悪くはない。この選択肢は、どう転んでも仕事をすることは苦痛なので、とにかく短期間で済ませるという考え方に基づく。貴重な10年間のうち多くの時間を割くに値するような労働はあるのだろうか?そんなものが見つかりさえするのなら、すぐにでも飛びつきたい。そもそも、そんな仕事があれば、残り10年とか関係なくやってみるべきなのではないか。
10年あれば、適当な理由をつけて別れることを前提に、恋人を作ってもそこまで罪深くはないだろう。すべてを語るような深い関係にはならないかもしれないが、一人で過ごすよりは日々に彩りが生まれそうだ。それとも、ふとした瞬間に虚しい気持ちになるだろうか?
◎30年後に死ぬ僕
10年ではなしえず、30年かけてしかできないものというのはそう多くはないはずだ。仮に僕が職人か何かで、同じことを一筋やり続けるのであれば、その時間の差は歴然となって現れるのだろうか。そんなことを考えると、今すぐ何かの道に入門して、極めてみたいものだという気持ちが湧くが、僕は飽きやすい人間であることをすぐに思い出す。僕はタイムマシンがあればすぐに30年後に行って、知識と経験の蓄積による果実を得たいと思う怠惰な人間だ。その蓄積の過程自体を楽しみ、こなしていくことができるなら、とっくに僕は何かを身に着けているはずなのだ。
残念ながら職人道を極めることはできなさそうだが、それでも少なくとも2つほどは新たな可能性が思いつく。まず、結婚して子どもを育てることが選択肢に入る、30年あれば、子どもが成人するまで面倒をみることができる。そして、家を買うかどうかも真剣に検討する必要がある。
僕は子どもが欲しいのだろうか?正直、残りの人生の期間について考えなければ、そんなことをまじめに自分に問う機会もなかった気がする。具体的に結婚するような相手ができて初めて、欲しいかどうかを考えればよいと思ったのだ。しかし、成人するまでは面倒を見ておきたいという条件を付ければ、残された時間は結構短い。相手ができたとして、すぐに子どもができるかどうかだってわからないのだから、30年のうちの最初の5年くらいで、一連の仕込みを済ませておく必要があるだろう。そのような前提を置くと、恋愛や結婚は残り時間から逆算したうえで、極めて計画的で無駄のないプロセスで行う必要がある。そう考えると窮屈に思えてきたが、女性であれば出産できる年齢が限られている故、同じような考えを持つのだろうか。一通り考えを巡らせたところで、そもそも子どもが欲しいかどうかすら分からないことに気づく。別に、残りの30年を考えたうえでそれが最優先事項というわけでは無ければ、窮屈な思いをしてまで計画的に「仕込み」を行っていく理由もない。
30年もあると考えると、途端に今すぐには現状を変えなくても良いかという思いが芽生えてくる。僕は現状の生活に満足しているわけではない。それなのに、変えなくてよいと思うのはなぜだろうか?変化にはきっかけとエネルギーが必要なのかもしれない。そこそこのストレスや孤独があるにせよ、安定しており、ある種の均衡状態となっている僕の生活を変えるには、何らかの外的なショックが必要なのだろう。
◎53年後に死ぬ僕
今29歳の僕は、52年後に日本人の平均余命といわれる81歳になる。すなわち、52年後くらいに死ぬという前提は蓋然性が高く、それをもとに人生の計画を立てることはひとつ筋が通っている。しかし、正直なところ、年老いた自分がどう過ごすかなんて、今から計画を立てるのは馬鹿げている。そこに至るまでの不確定要素が多すぎる。
とはいえ、一つ考えるに値することは、日本にずっと住み続ける前提で人生を考えるか?ということだ。何せ、この時期までに日本の人口は2-3割くらい減る推計になっている。今だって、社会保険料と所得税と消費税が大きな負担になっているが、今後ますますその負担が増えることは間違いない。5-10年先の未来だけ気にすればよいのなら、別に自分にとっての影響は大きくない。でも、より長い期間を考えると、例えばまともに医療が受けられなくなったり、預金が没収されたりするリスクだってあるかもしれない。少なくとも、今現在の高齢者が受け取っているのと同等の価値の年金をもらうことは全く期待できない。
僕は家族や友人たちがたくさん住んでいて、最高のアニメや漫画を生み出す日本が大好きなので、できることなら日本に住み続けたい。しかし、生活があまりに苦しくなるようなら、泣く泣く国を離れるというのは、世界中のどこにでもある話だ。かといって今すぐに海外に移住することが賢明というわけではない。とにかく英語くらいはできるようになっておき、いざとなればよその国でも食べていけるような能力は身に着けておく、それくらいの「投資」は残り53年くらい生きるなら、多少今を犠牲にしてでもやっておいたら老後の安心に繋がるかと思う。
◎あとがき
現在僕は、感染症が広がり外に出られない状況で、友人と会う機会も減り、社会とのつながりが徐々に切れていく感覚を味わっている。もともと、仕事に追われて、生活のために生きているような感覚を覚えていたが、そこから抜け出すことを難しく感じていた。一日中家で仕事をして、終わっても何もしたいと思えることがない。あまりに空虚な自分の生活に一種の絶望を感じている。
そんな中いつものようにTwitterを目的もなく眺めて時間をつぶしていると、「友人は少なくていい、3か月後に死ぬとしたら一緒に過ごしたいと思えるような相手さえいれば十分」というような記事にたどり着いた。そこから着想を得てふと自分の生活を振り返ってみると、3か月後に自分が死ぬのならやらないであろうことであふれていた。短い間に自分が死ぬことを考え出すと、僕は気が楽になった。これは僕自身にとってのセラピーになった。ある種のミニマリズムや断捨離に近い感覚で、「3か月後に死ぬのであれば不要」と思えることを生活から切り捨ててみる。例えば僕はいつか読んでおこうと思っていた大量の本をその基準に従って捨てた。すると、僕の人生は前よりも少し方向性が定まったように感じたのだ。
とはいえ、それと同時に、自分の空虚さを改めて実感するきっかけにもなった。自分の寿命の想定をどんどん伸ばしていくほどに、可能性は広がっていくはずなのにやってみたいと思うことが思いつかないのだ。まるで、遠方ほど霧が濃くなっていくような感覚だ。この問題は僕が、「いつかは役に立つだろう」と思われる仕事や資格の勉強に時間を費やしがちだったことと関係があるかもしれない。その時々に自らの欲求に耳を研ぎ澄ませてこないできたら、欲求をとらえることができなくなってしまっていた。
平均寿命から想定して、老後の安心や家庭を持つ可能性なども考慮した貯金やらライフプランとやらをある程度は考えなくてはならない。それでも、僕のようなタイプの人間は、3か月後に死ぬというぐらい過激な想定をしてでも、素直に最もやりたいと思えるようなことを考えていくべきでは、というのが今のところの結論だ。
僕の文章は思いつきを並べただけでまとまりのないものになってしまったが、もっと多くの人にこの思考実験をやってもらって、その結果を読んでみたいと思う。ぜひこれを読んだあなたも試しに3か月後に死ぬとしたら何をするか考えて、記事を上げてみてほしい。
27歳の時に手取り450万から200万ほどの仕事に転職した。
心理職に憧れて大学院まで出たけれど就活で業界の待遇の酷さを知り、新卒では全く関係ない業種に就活。仕事がかなりヘビィだったこと、やっぱり憧れを捨てきれないことから思い切って転職した。
転職後の仕事は非常勤の掛け持ちで手取りは月13万ほどだった。もちろん賞与もない。当然家賃は払えず実家に頭を下げて戻った。入れる生活費も雀の涙ほどだった。
食費は相当切り詰めた。オフィス街で900円のランチを食べて喫茶店に行ってたのに、転職後はスーパーの冷凍パスタや安い丼物ばっか買ってた。
セレクトショップで衣服を買うのは諦めた。H&Mかユニクロ、GUあたりにしか目が向かなくなった。以前の勤務先の友人との飲み会やゴルフは断ることが増えた。そもそも車も手放した。遠方での結婚式は泣く泣く断ってお祝いだけ送るか、親にお金を借りて参加した。
恋愛は正直絶対に無理と思ってたけれど、低所得に理解のある同業界の人と付き合うことができ、慎ましく交際を重ねて結婚できた。この点は本当に運が良かったと思う。
今はようやく転職前の年収に近づきつつあるものの、ここまでくるのに8年ほどかかった。生活のQOLが上がったので全く後悔はないけど、最初の2-3年は正直きつかった。当たり前であったことを諦めざるを得ない、少しずつ選択肢が狭まっていく選択肢はじわじわ心身を蝕むので、転職直後をスタート地点に年収が上向く展望を持てるのが大事だと思う。
20代半ば。男。
起床。枕と布団が臭い。抜け毛あり。身体が怠い。朝日を眺めながら、軽く絶望。
眼鏡を探り当て、何とか装着。目がとても悪い。自分の家はゲーム禁止家庭だった。皆の話題についていけない事がコンプレックスで、親の金を盗んでゲーム購入。夜に電気もつけず、隠れてやっていたら3か月で視力が0.1以下になった。
散らかった部屋をかき分ける。片付けが出来ない。幼少期は極端な潔癖で、好いていた姉の机まで片付けていたら怒鳴られた事がある。良かれと思ってやっていたのだが、完全な有難迷惑だった。それ以来、片付け=悪と刷り込まれてしまった。言い訳ですかね、はい。
洗面台へ。毛深く醜い容姿と対面。「気持ち悪い...」。そう、ポツリと呟く。この容姿で、学生時代はよく虐められた。整形や脱毛を考えたが、金が無いのと遺伝子は変える事が出来ない事実に打ちひしがれた。歯は虫歯だらけ。裏には小4から無理やり通わされていた矯正歯科の器具。大事に磨いてきた歯を、何本も抜歯させられた。痛い。怖い。苦しい。矯正をしてくれた両親に本来は感謝すべきなんだろうけど、結局自分で全て無駄にしてしまった。歯並びが絶望的な家庭に生まれた自分を呪った。もう5年は行っていないか。他人に歯を見せるのが怖い。
軽くシャワーを浴びて、新聞とニュースを見る。何を言っているのか、さっぱり分からない。
着替え。体型もファッションセンスもダメダメだ。「チビでガリガリで顔もキモい。ファッションなんて雀の涙。あんな布切れに何前何万も出したって無駄だ。努力したところで自分はダメなんだ」と全て放棄してしまった。
会社に到着。平均年収1000万超えの大企業だ。何故、こんな所にいるのだろう。自分でも不思議だ。学生時代、極度の学歴コンプレックスで、結局院でロンダリング。学部からいなかった事と、周りとの実力差で更にコンプレックスは悪化。教授やラボメンバーには裏で悪口を言われ、研究も苦しくて2度の鬱発症。仕事で続ける気は無くなった。就活は、これまで馬鹿にしてきた奴らを見返したくて、色んな業界の大手だけ受けた。合計90社近く落ちたが、この会社には就活面接で適当な嘘や綺麗事を吐いていたら内定を貰えた内の1社だった。
学歴ロンダリングや大手企業へ入社した理由は、異性にモテたいといった理由も大きかった。でも、これからもし自分に寄ってくる異性がいたとしても年収狙いは確実。自分の中身まで見てくれる方はいないだろう。そして、これまで、イケメンでコミュ強で気の効く強そうな男を愛し抱かれていたのだろう。そんな過去の男達と自分は比べられるのだ。怖い。果てしなく怖い。それに、無理やり年収だけ上げても、そこでは更なるハイスペ達が競争相手だ。勿論、容姿端麗コミュ力抜群みたいな上位互換はゴロゴロいる。そんなことを考えていたら、もう疲れてしまった。
仕事、開始。自分は無能だ。作業が遅い。よく怒られる。まともなコミュニケーションが取れない。人が怖い。かといって、人と関わらなくて良い職業には、当然ながら実力不足で就けない。頭がキレ、他者と良好な関係を保ち、仕事が出来る社員たちはどんどん成果を出していく。上司も、雑用以外で自分を頼る事は無くなった。きっと、裏で自分は馬鹿にされているに違いない。針の筵だ。最近は資格取得を推奨されているが、どうせ落ちるし、無能な自分と向き合わなくて済むから、何も手をつけていない。
昼休み。当然ながら、友達は0。デスクで1人の昼食。学生時代からそうだった。必死になって部活やサークルに入った事もあったが、皆の話題についていけず、周囲との溝を感じて苦しくなって、結局何処も続かなかった。そんな中、自分に優しくしてくれる人もいたが、関係が深まると、自分すら認識していなかった醜い性格や行動が出現した。そんな自分が嫌で嫌でたまらなくて自分から距離を取るか、相手が愛想を尽かして去っていった。
LINE交換してくれた人達もいたが、卒業する度にアカウントを削除し、中途半端な縁を断ち切ってきた。巷では、これを人間関係リセット癖と呼ぶらしい。
そんなこんなで、仕事終わり。今日も何の進捗も無し。「お疲れ様です」と呟いて、退社。誰からも返事は無い。「無能は疲れなくて良いな」とでも思われているのだろう。
帰宅途中。街を歩くカップル。楽しそうな親子連れ。いいなぁ。自分は、一度も恋人というものが出来た事が無い。学生時代、マッチングアプリに2年程度手を出した事もあったが、誰とも会話が続かなかった。相手の話はある程度聞き出せても、肝心な自分自身にアピールできる事が無かったから。3回ほど、女性と会う機会があったが、全員が「たくさんの男からアプローチされる」と言っていた。「無料で、色んな男から誘いを受け、ご飯やプレゼントを奢ってもらえる。何て羨ましいんだ」と思っていたが、彼女らは彼女らで何かしら悩みを抱えているのだろう。
帰宅。自己研鑽はしない。自分がやったところで、どうせ無意味だから。成功した試しが無いから。何もかも、中途半端に放棄して逃げてきたから。
コンビニで買ってきたご飯を食べ、服を脱いで布団に潜り込む。最近、脂っこいものがキツく、食も細くなってきた。無能のまま、立派に歳だけは着実に重ねている。
SNSを閲覧。陰キャ御用達、Twitter。同じ業界のインフルエンサーや海外のニュースアカウントをフォローしているが、自分の知識不足で、何を言っているのかサッパリ分からない。また、これまで色んな界隈にいたが、結局誰かとイザコザを起こし、アカウント削除。しかし、依存症から何度もアカウントを作り直し、現在に至る。時たま、Instagram。同級生をフォローだけしている。皆、幸せそうなキラキラした写真をアップしている。友達や恋人との旅行、煌びやかな料理、結婚している人たちもいる。幸せそうだ。
YouTubeを閲覧。最近は、ひろゆきさんの生放送編集版や、外国人が編集したであろうタイトルやカット割りのアニメを脳死状態で眺めている。時たま、イケメンや美人の実況がおすすめで流れてくると、凄く悲しくなる。何て神様は残酷なんだろう。人間は、生まれながらに不平等だ。
SNSの影響で、他人と比べる事がより増えた気がする。凄く辛い。止めれば良いのにと自分でも思うが、依存していて止めれない。昔から、リアルでは社会と繋がっていないに等しいから、拠り所を求めて居座ってしまうのだろう。
そんなこんなで深夜。電池が切れるかの様に、いつも勝手に眠っている。薄れゆく意識の中で思う。「誰か寝ている間に殺してくれないかな」。「パッと存在ごと消えないかな」。皆、何をモチベーションに生きているか不思議だった。自分が消えたところで、誰も悲しむ人なんていない。むしろ、Co2排出が抑えられて、感謝されるだろう。これまで、何度も自殺しようと思った事があったが、結局自分1人で実行出来なかった。森の奥の木にくくった縄。果てしない大海原が広がった断崖絶壁。いざ目の前にすると、無様に生にしがみついて涙を流した。
こんなくそったれ人生を送っている自分にも、2つの夢がある。1つ目は、同窓会で、自分を虐めたり馬鹿にした奴らに、「どうだ!自分はこんなに立派になったぞ!」と見せつけてやる事だ。相手は覚えていないだろうけど。
2つ目は、「普通を享受して幸せになる事」だ。"普通"とは、自分の目に映る同世代の上位50%が体験するイベントと定義している。これがまあ難しい。凄く難しい。凄まじい量のコンプレックスを持っている反動で、他人の良い所を見抜く癖があり、それらを逐一比べて。どんなコミュニティに属していも、自分は最底辺だと感じている。一生、幸せに何てなれないだろうな、自分は。
人生初の匿名ダイアリー、3,000字超え。こんな感情任せに書いた歪で長く乱れた文章など、どうせ誰も読んではくれず、山のような記事の内の1つとなって消えるのだろう。それでも、良いんだ。こんな寂しい夜は酒を飲みながら、何か書きたかった。何事も中途半端で、何も成しえた事が無かった自分が、自分の気持ちを文章にして書き終えた。凄く小さな、誰でも出来る事かもしれないけれど、1つの物事を完結させる事が出来た。見ている皆さんには、「こんな事で(笑)」と笑われるかもしれないが、ちょっとだけ誇らしい。
最後に。ここまで読んでいただけた酔狂な方々へ。幸せになれる呪いをかけておきます。どうも、ありがとう。
【追記 2021/1/27】
様々なコメントをいただき、誠にありがとうございます。肯定的な意見・批判的な意見、全て嬉しかったです。全て読ませていただいており、こちらで簡単に返信させていただきます。
自分の現状を詳細に記したかっただけで、自慢の様に受け取られる書き方になってしまった点は大変申し訳ないです。
しかし、私の勤め先は大企業ではあるものの成果主義で、出来る人と出来ない人とで年収差が非常に大きいです。更に、土日出勤が多い、私自身まだ若手なのでそこまで年収は高くない、近年業績が伸び悩んでいる事もあり、私がこのまま働いて平均年齢に差し掛かっても、1000万貰える可能性は限りなく低いです。
②「筋トレしろ」「髪型変えろ」「整形・脱毛しろ」というコメントについて
筋トレに関してですが、実はSNSのインフルエンサーに触発され、数ヶ月ではありますが週6で1時間ジムに通っていた事がありました。しかし、身体が少し大きなコミュ障になっただけで自信がつく事は無く、ある日突然布団から身体が動かなくなってしまいました(1度目の鬱発症時の事です)。ジムはコロナと人目が怖いので、ひとまず今日から、朝ランと夜の宅トレを軽く始めてみました。
髪型に関しては、仕事の関係上、髪色含め奇抜には出来ませんし、「そもそも変えてもイケメンになれるわけでも無し、意味なくね?」って考え方で完全に諦めてました。奮発して少し高めの美容院へ行って、相談して来ようと思います。
整形や脱毛については、「遺伝子や性格がゴミだし、料金高いし、そんな事やっても仕方なくね?」といった考え方だったのですが、コンプレックスである歯の治療も含め、勇気を出してまずは一度相談だけでも行ってみようと思います。
どれも、今後の人生にどう影響してくるかは分かりませんが、空っぽな自分の人生が少しでも豊かになる可能性があると信じ、頑張ってみます。
心理学については、何か宗教っぽい気持ち悪さがあって(失礼)、これまで全く手を付けていませんでした。読書は挫折する事が多いですが、まずは軽めの本を図書館や本屋で軽く立ち読みでもしてみようと思います。
④文章を褒めていただいた方へ
緊急事態宣言が発令しても給付金を国民に支払うかはわからないし、支払ったとしても飲食店などの店をもつ人たちへ雀の涙的な額かもしれない。
リモートワークが出来る会社は給付金を支払う必要はないだろうという考えに至るかもしれないし、人が必ず必要な業種は緊急事態宣言が発令しようが出勤するので給付金は支払われないかもしれない。
そもそも医療機関が一部の馬鹿な患者共のために崩壊寸前でいくら医療機関のリソースを強化しようと医療従事者たちがすでに安い報酬でさらに一部のクソ患者のせいで疲弊しきっていて強化もクソもない状態なので回復しない。
いくら感染者を隔離しようとしても馬鹿だから外に脱出する屑がいるから減らないし、もう今さらどうしょうもないんだよね。
入国制限すらろくに出来ないし、アクシデント対策は常に後手に回るのは当たり前の流れとしても、もうわかりきっている事ですら、政府は後手でしょ。これじゃ何も変わらないし、さらに一部の馬鹿な国民が自粛しろやって言っても渋谷でワイワイと騒ぎ立て、お参りは控えろやって言っても理解できないサル以外ばかり、動物園から逃げたゆかいな動物たちがあちこちにいたら、一度減らせた事もあったのにも関わらずまた減らすのは無理でしょ。
タイトルの通りなんだけど、コロナのおかげで化けの皮が剥がれはじめたなって。
年齢層を限定的にして自粛しろという発言。違うでしょ、全体に対して言うべきでしょって。活動的な年齢層だけ自粛しろっていうのは、じゃあそれ以外は自粛はほどほどで活動していいんだねって言ってるようなもん。
自民党にするわとかバカなの?バカなの?何一つ貢献できていない党の存在の意味の無さ、そろそろ気づけばどう?ってね。目立ちたいだけの輩はバカYouTuberと何ら変わらない。ああ、そうかそうだよなって。
例えば財務省
給付金10万で1ヶ月生活できるかって。家賃などを考えたら一瞬で溶けるでしょってのが理解できていない。国の自粛要請に従って10万という雀の涙程度の金で生活できるわけもなく、
貯金がある人は貯金を崩して、借金を背負う人もいるし、そうやってやりくりしているにも関わらず、オッサンが「また給付金配っても貯金か預金するだろ」って言う。バカなの?貯金じゃなく崩した金に補填するんだよ。
つーか、また自粛促されたら補填すらできないんだよ。いい加減分かれよ。何年政治家やってきてるんだよ。
例えば各県・各市のおえらいさん
自粛しろっていうが、県の建造物や市の建造物は自粛しないやん。そもそもコロナ対策してますって言う割に入り口に検温器も置いてないってどういう事なの。
それで何の対策を。アルコールだけ置いておけば対策してるとでも?
あれだけの症状を見て、実際に症状で苦しんだ人を見て、後遺症もある人を見て、それでも風邪と言い張るバカ。
風邪って言い張って路上でデモを行っている姿は人間にすら進化できなかったサル未満の生き物なのかなってね。
コロナは風邪なんだろ?絶対に医者に行くなよ。そして苦しんでくたばれと。
コロナのせいで、隠れていたクリーチャーどもがどんどん表に出てきて、軽めの地獄状態じゃん。
自殺者もどんどん増えてて、なにこれ。
その一報を父から聞いて胸中に去来したのは、幼き日の思い出ではなく、むしろ長じてから度々意識した故郷の衰退のイメージだった。
元より地場産業として誇れるものが取り立ててあったわけではない地元は、緩やかだが確実な経済的衰退と人口減少の影響を受け、公共施設の老朽化や各種インフラの経年劣化という形で自治体としてのほうれい線を隠す術を失っていった。
それでも、いや、それゆえに明確な転換点などなく、ただゆっくりとした老化から鈍感なふりをし続けた首長、自治体、そして何より住民が半ば共犯のように地元の腐敗と死滅とを看過していった。
だからこそ、いまさら太陽光発電などで延命を図ろうとする醜さにほとほと嫌気が差した、その実感があった。
それでも友人の結婚式に出席するために数年ぶりに帰省してみると、どうも聞いていた状況と乖離があったために改めて確認を取ったところ、どうやらこの度設置が決まったのはソーラーパネルではなく、例の宇宙太陽光発電の受電設備ということらしかった。
年齢を重ねたが故に知識と語彙の更新をやめた父をいまさら責める気も起きず、数か月前にニュースサイトで多少話題になっていたトピックに思いを馳せることで2次会の無聊を慰めていた。
令和4n-21年に決定された第n次エネルギー基本計画では、ついに原子力発電の占める発電電力量の占める割合が0%になった。
平成の震災とそれに連なる事故以降窮地に立たされていた原子力産業はついに時勢に降参し、明るい未来のエネルギーから歴史の教科書上の記述となることを選んだ、という建前を本気にしている奴は少々イデオロギーに傾倒しすぎているきらいがある。
現実は、国内ソーラーパネルメーカーの開発した、そこまで安価とは言えないまでもそこそこ効率改善の図られた新型パネルを推したい産業界が、細々と開発を続けていた国産ロケットのペイロードの使い途を探していた経産文科省に仮託した、おままごとのような科学技術的国威発揚の煽りを受けた全廃、と言ったところだ。
どこまで行っても消極的な退場に、却って日本という国を感じざるを得ず、左派メディアのこじんまりとした勝利宣言にわざわざ難癖を付ける余力もなかったと見え、平成後期から令和初頭に掛けてあれほど紙面を賑わした役者とは思えぬほど粛々としたレームダック期を享受していた。
実際、人々とメディアの関心は、中国による、気前の良い提供と、経済協力を人質に取った押し付けの中間の様な形で供与された受精卵遺伝子改変技術をどれだけ受け入れるかという議論にあった。
(科学技術という側面において現代日本が中国に対して如何にサブジェクト・トゥしているか、という話だ。宇宙太陽光発電所はさながらパクス・シニカに立ち向かうドン・キホーテのようだ、と明に暗に揶揄された。)
日米原子力協定の次回更新がないことは誰の目に見ても明らかであり、山のように余っているMOX燃料の行き先はIAEAも知らないようだった。
そんなことだから、中間貯蔵施設という名目の、事実上の最終処分場たる六ヶ所にすべてを押し付け、政府と行政と大多数の国民はNIMBYの精神を遺憾なく発揮することで各々の精神の安寧を獲得していった。
とにかく、ことの主犯たる国産宇宙太陽光発電所は「ひかり」という、加齢臭むせ返る横文字の候補群からはなんとか逃げ果せた通称を拝命し、20GWもの大電力を供給し始め、東京万博会場の灯りが一斉に点った日をもってひとまずのプロジェクト成功と見る向きもあった。
(日本による宇宙開発の数少ない世界的成功に肖って「はやぶさ」なんてネーミングを推す動きもあったが、流石にこの国にも一抹ながら恥の概念は残っていたらしい。また、「まりし」などという旧動燃の残留思念、いや怨念が具現化したかのような案も提出されていたもと聞くが、真偽の程は定かではない。)
実際、こんな大規模プロジェクトを実行する能力とエネルギーをこの国がいまだに持っていたことに驚いた。
ただ、ひかりから降り注ぐ高密度のマイクロ波を分散して受電する設備、すなわち受電所の立地が不足していると言う問題は依然として解決の目を見ていなかった。
安全よりも安心を求める国民性に変わりはなく(「焼き鳥デモ」の映像を見たときは流石に乾いた笑いしか出なかった)、電源交付金も雀の涙と来れば宜なるかな、積極的に手を挙げるごく少数の自治体は奇異の目で見られた。
とはいえ、大流量の循環水系のために沿岸部であることが求められる汽力発電でもなく、大規模な河川と高低差が求められる水力発電でもなく、只広い土地さえあれば良いというだけの必要十分条件は今まで大規模電源立地となることなど考えもしなかった自治体の目には福音として映ったらしく、それらの首長は新たな時代の権益ホルダーとなることを選んでいった。
反対に、新規制基準適合審査の遅々とした進展と繰り返される住民訴訟、そして最終的な結論としての廃炉の影響をもろに受けた原子力立地の反応はさっぱりであり、政治の影響をもろに受ける歳入に頭を悩ませられるエネルギー立地はもう懲り懲りと言った風情で、役人の誘いをアイリスアウトの向こう側に押しやっていた。
結局、ひかりの設計容量のすべてを受電するに必要な30GW分の受電所を運開当初から用意することを諦め、漸次募集という名の先送りを決定した政府は経産文科省を矢面に立たせることを選び、自らは飄々としていたというのだから大したものだ。
結局、運開から5年が経過した段階でもひかりの擁する200k㎡に及ぶパネルの3分の1は折り畳まれたままであり、白衣十人黒衣五人などと不必要な比喩を披露した大臣はメディアの総バッシングを浴びる権利を恣にしていた。
そうした、古式ゆかしい伝統的な時勢の中で、2次立地募集に手を挙げた自治体の内の1つが、我が郷里だったのである。
「親父が色々動き回ってたみたいなんだけど、さ。正直言うと、あんま関わりたくないなってのがあって」
私の友人であり本日の助演男優、またの名を新郎が、半分ほど空けたアサヒビールのジョッキをテーブルに慎重に据えながら、疲労を隠さぬ赤ら顔で言う。
彼の父親は町議を務めており、「太郎」というシンプルすぎる名前も出馬を見越して付けた名前だと言っていた。
(国政選挙に出るわけでもないのにな、とは彼の自嘲だ。)
その親父さんはどうやらこの度の誘致に際し懸命に旗を振っていたという。
しかし、僅かばかりとは言え受け取る交付金と、"多少の"造成による環境破壊と、電源立地になるという誇り(この価値観だけは共有が出来なさそうだ)と、それら3つをとりまく可愛らしい権力闘争の予感に、父親の説得と説教とに玉虫色の回答を重ねることでのらりくらりと回答の明言を避けてきたのだという。
彼のこの手の身のこなしは素直に凄いと思うし、そうした人付き合いに嫌気が差していた、というのは私の上京に係る動機の半分を占める。
「でもお前、今更そんなこと訊いてくるだなんて、本当にここの人間じゃなくなっちまったんだな」
この地でこの話題が取り沙汰され始めたのは軽く2年以上は前だという。
誘致か否かで侃侃諤諤の論争があり、どこに建てるかでまた侃々諤々の論争があり、さらに用地買収に係るあれやこれやのトラブルがあり、それでも最終決定がなされたのがひと月前というのだから、どれほど地元の世情に疎くなっているかを実感させられる。
あるいは、上京して好き放題やっている(ように見える)私に対する軽蔑と嫉妬の念が多少なりとも混じっていたのかも知れない。
なるほど、確かに私には家庭もなく、親族との濃密な付き合いもなく、仕事周りの土地付き合いもなく、自由気ままにやっていると言われても反論する材料がないことに気づく。
であるなら、こんな日くらい友人の愚痴と誹りを受ける義務も果たすべきだろう。
そう思って、コークハイを傍らに、言葉少なに彼の言葉に相槌を打つことに決める。
まったく、本当に大変な役回りだと思う。
返す返す、自分には出来る気がしない。
翌朝、久々に実家の自室で目を覚ますと(物置と化していなかったことに驚いた、こうした面に関する母の義理堅さには感謝しても仕切れない)、やはり気になっていた裏山に足を伸ばした。
アルコールが多少残ってはいたが、丁度良い運動だと体に言い聞かせて路を辿っていく。
子供の時から変わらない、というのはフィクションの中にだけ許される情景で、長らく人の手が入っていないことを伺わせる荒れ様には流石に心のどこかが痛んだ。
…いや、いや。
よそ者同然と化したお前が捨て犬に見せるような仏心を発揮して碌なことになるのか?
もはや何も言う権利などないことに遅ればせながら気付き、せめて在りし日の遊び場の記憶が損なわれぬよう、路の途中で踵を返した。
もう2度と見れぬであろう山の景色を視界から追いやり、そういえば客先から急ぎの問い合わせを受けていたな、などと頭からも追いやり、足早に帰路に就いた。
帰路。
実家への帰路か、東京への帰路か、自問せずとも回答は明白だった。
思い出深き裏山は、もはや私の裏庭ではない。
デブス女への恨みで生きてきた
デブスは私より5歳年上
五年以上恨みを抱いていたほどのことをされた
私は泣き寝入りせず、デブスを見下せられる立場になることを決意し、
まずダイエットを始めた
デブスは絵を描いていたので
デブスよりも良い立地にあるアパートを借りて一人暮らしを始めた
そんなこんなをしていたら良縁に恵まれ、
つい先日入籍した
正直私も生涯独身だろうと思っていたので
自分で言うのもなんだがかなり仲が良い
私の手元にお金が二倍溜まっていった
収入が低いことを清貧だ、仕事を減らすことで自由時間を得ていると
自慢していた覚えがある
親元離れているのに援助を未だに受けているくせに
入籍と同時に学生時代からコツコツと貯めてきた一千万ちかい額を頭金にし
土地を買い、ローンを組んで憧れていたハウスメーカーと契約を終えたところだ
つい最近、ほっといていたハングアウトを見たらデブスの連絡先が残っていた
五年前のデブスのアカウントはハンドルネームと漫画キャラのアイコンだったが、
デブスのTwitterアカウントを見つけた
デブスは失墜していた
よりデブになり、
下手な絵は斜め上に成長し一層歪みを増し、
いいなわんちゃん
でも私は新築を動物の糞尿で汚されたくないから飼わないと決めている
現にデブスの部屋着は汚かった
私は脱力した
五年前のデブスと同い年になった私はデブス以上の立場になったことが分かったからだ
こんな形でデブスの現状を知るとは思ってもいなかった
それからというもの、私は勉強や仕事に身が入らなくなってしまった
何を目標にすればいいのか
私はデブスの二次創作アカウントのブロックを解除して覗いてみた
デブス、あの下手くそな漫画の制作動画をYouTubeに公開していた
うそだろ
本人は気づいていない
絵も前述した通り、お世辞にも上手とは言えない
再生数も一桁がざらだった
私もニコ動にうpっていた動画を移植しただけの動画を挙げていたが、
勝ったとは言えないな、と思った
頑張る意味をまた見つけた
・縁切り寺に行け
そうしたい。
他にも縁切りしたい物あるし
でもそれでデブスがタヒったら私のせいになりそうだしやだなぁ
・ストーカーだよ
そうだよ
自覚している
これで自覚なしだったら怖いわ
・なんで結婚できたんだ?
・愛
やめろ気持ち悪い
・癒えていない
全部の行動がデブスにつながって辛い
・デブスに何されたんだ?
多少私にも否があるのだが、
・百合
いいぞマンガにしてくれよ
COVITー19のパンデミックによって世界の大部分は一変したし、当然ただの一市民でオタクの私の生活も一変した。二月に推しのコンサートに行った帰りに、いつものライブ友達と美味しいイワシの刺身を食べながら「新型コロナって春には落ち着いてるといいね」と話していた。春から推しのカバー曲ツアーが始まることになっていたのだ。当然春のコンサートツアーは飛んだし、私は他の大勢と同じく早春のころからほぼ生活圏から出ていない。会社も元々自転車通勤圏にあるから、繁華街にもいってない。
高齢の家族がいて、気管支炎喘息をずっと治療しているから感染リスクは出来るだけ減らしたい、となると出かけないが最適解となる。夏に昔懐かしい映画のリバイバル上映があり、秋になると鬼滅やTENETや羅小黒戦記がオタクの話題を席巻しても、上野や六本木で特設展が開催されても、繁華街に出てウィルスを家に持ち帰るリスクと自分のストレスを少しでも解消したいという欲望を比べると常に「リスクを考慮して出かけない」となる。なにより息抜きをしたいと思う自分が浅ましいし情けないと思っいた、正確に言えばいまも思っている。寄付もしているが私の収入では雀の涙で、するとコロナの感染拡大を極力抑える行動をすることが、医療関係者含む最前線の人たちに向けて出来る精一杯のアクションだから。
これで会社が電車に乗っていく距離にあれば「通勤出来るのだから映画館にぐらいいける」と推し量ることも出来たのだろうけど、実際はずっと家から会社まで自転車を漕いで往復するだけだからなにもつかめない。ツイッターを見ると映画に行く人、たまに外食をする人、ハンドメイドグッズや鉱石のイベントに行く人たちがいて、適度に好きなものに触れて息抜きをして、あるいは興奮気味に映画の感想を述べたり久しぶりの舞台の空気を満喫したりしてるが、私はそれを見ながら皆息抜きが上手いし、罹患しないという判断が出来るだけのなにかがあったんだな…と思っていた。そんな感じで半年以上TLの文字だけでたまに人とやりとりし、たまの散歩以外で外には行かず、そのころ推しは秋から改めてツアーを開始して、ありがたいことに配信があったから、仕事と家事をすべて終えた真夜中に見ては「これがあるだけで十分に贅沢だ」と拝んでいた。
そうしたら、ある日突然、ガス欠とエンストとパンクが一変に来たように、エネルギーが尽きて、壊れた。
初めて生々しく希死概念というものを抱いた。推しのライブだろうがまだ発刊されていなかった鬼滅の最終刊だろうがすべて価値がなくなり、ただ、明日がないということがどれほど魅惑的て楽になる唯一の解決法に見えるか、ということを身をもって知って、私は幸い数日で落ち着いたときすぐ心療内科に電話をして、あとは診察日まで泣きながら耐えることでどうにかなったが、波のようにあの感情に襲われて、それと戦っている方は本当に頭が下がる。とにかく、日常の認知が壊れ、TL越しの人が何を考えているかが全くわからなくなり、人とのコミュニケーションはすべて恐怖と不安を増幅させるものとなり、「これがコロナ鬱か…」と推測しながら初診のその日を待っていた。
そうしたら、コロナでの環境変化が大きな要因だけど、おそらくそのストレスはASDの傾向によって生まれたもの、ときたもんだ。高めのIQのアスペルガー障害、っていうのはオタクがキャラクターを作るときに一回ぐらい適当な夢を込めるか、5ch文化どっぷりなら侮蔑する存在だが、自分がその存在になるとは先月までは思っても無かったよ。
グレーゾーンとはいえASDと言われて思い至ることは山ほどある。なにより上で書いたようステイホーム時代の思考があまり柔軟じゃないように見えるし、オフ会で直に顔を合わせても人の情感を読み取るのは苦労していたのだからましてやツイッターなどでのみ、となったときのコミュニケーションの難しさといったら。しかしなにより驚いたのは、これまで世間の人も同じように苦労しながら人とコミュニケーションを取っているのだから、それが出来ない私が劣っている、というわけではなく、世間の大抵の人は言語、非言語、空気というのもを普通に読み取り、普通に処理し、普通に適度なコミュニケーションを取れる、ということだった。なんならいまも信じられない、うそでしょ。
でも嘘じゃなさそうなのだ、世間の人は突然歌い出したくもならないし踊りたくもならないし買い物で数が3つか5つ以上になるように数を調整しないし気になったことをどこまでも調べたりしないしトラウマもフラッシュバックも起こりにくいし出来事はそんなに覚えてないようなのだ。本当にびっくりだよ。
お医者さんいわく、私は、「言語で論理的に理解する」ことに特化している脳らしく、確かにASDのグレーゾーンと言われて、自分で厚生労働省やNHKや心療内科医による解説などと読んだら、自分のいまの状態がどういうことが納得出来て心がストンと落ち着いたので、なるほど私にとっての言語で論理的に理解出来ることの重要さはこれか。余談だけどNHKによる発達障害のトリセツは便利なので、ASDやADHDじゃないかと疑っている人は検索して読む価値はあるし、自分で思い込んでるだけなら早めに心療内科に予約を取って調べてもらうほうがいい。当事者になってまだ一ヶ月経ってないけど、発達障害、私の場合アスペルガーは自分と切り離せないものだし、唯の特性で素敵なものじゃないぞ。あとASD当事者や周辺の人の苦労を他人事として処理して、楽しい罵倒として「アスペか?」とか書き込むやつらは全員スマホとPC壊れろ。
そしていま困っていることは「ASDの傾向があることをカミングアウトしたほうがいいのか、黙っているほうがいいのかわからないので誰かに相談をしたいが、もともと空気を読みにくいな…と思っていたら本当に空気を読む能力があまりなかったため。誰が相談に乗ってくれるか、そもそも誰が自分に対して好意的かがわからない、ということを人に相談して、話を聞いてくれると嬉しいがそもそも誰が相談に乗ってくれるのかがわからない、ということを」という円環に完全にはまっていることで、友達に話してみてもいいのかどうかすらわからないので、今日はとりあえずはてぶに書き散らして気持ちを落ち着かせた。
本当にどうしたらいいんだろうね
体調の問題もあり、正社員ではない仕事を6月から続けて来た。コロナ禍の中、外に出るのは正直怖かったがずっと室内にいるのも辛かったからだ。
今まで正社員であろうと無かろうと、ボーナスなんてまともに貰った事も無かった。ある時はiPadの現物支給(退社時に返還する)で、ある時は雀の涙で、悲しくなるレベルだった。
就職したのは氷河期でブラック企業しか残っていなかったのだ。5年務めあげたが、送別会すら開いて貰えない、寂しい赤字企業だったのを覚えている。
そんな私が、コロナ禍を経てようやく人並みにボーナスが頂ける事になった。
「あの人はボーナス無しで!」と総務に言われた事もある。失業保険でなんとか食いつないで来た。
けれど、10月から働き始めた人は言う。「ボーナス貰えない人だって沢山いるわよ」
その人はまだ支給対象ではない。ミスも多く、完璧とは程遠いその人。先輩職員はこちらだと言うつもりはないが、成果物にいちゃもん付けて直させて来たりもした。
うちの会社には51歳を超えると退職金を割増してくれる制度があるので、55歳ぐらいで退職したいと思っている。
今まで有無を言わさず2〜3年に一度異動させられ、やっと慣れたと思った仕事から切り離されて新しい仕事を覚えないといけない生活を繰り返した。私は何か特定のジャンルに秀でた専門家になるのが憧れだったし、異動するたびに新しい仕事を覚えないといけないのと、仕事を選り好みできないのがすごい苦痛だった。代わりに給料はそれなりにもらえた。扶養家族を抱えているとあっという間になくなってしまうレベルだが、バツイチ独身の自分には充分すぎるぐらいだ。
で、それなりに貯金もしたし、住宅ローンも終わらせたので、私はこの仕事を辞めたいのだ。が、今の会社に勤めているというのがうちの親にとっては非常に安心感を与えていたらしく、「給料が下がっても良いから、今の仕事をやめて好きな仕事をやりたい」というと訳の分からないことを言って反対してくる。
50歳が近づいてきて、だいぶ退職が現実的になると、理解ありげなことを言うようになってきたんだが、やりたい仕事に近い職場の名前を出して、「あ〜ここでアルバイトでも募集してないかな」とか言うと、「お給料すごい下がるわよ」「通勤が遠いじゃない」とケチをつける。
元々あまり金儲けにならなそうな業界なので、給料が下がる覚悟がないならそもそも転職を考えてはいけないのだ。そもそも雀の涙でも良いからその仕事でお金を稼ぎたかったら、業界関係者とコネがあるところに行くのが早道ではないか。それに通勤が遠いと言ったって同じ東京23区内だ。別に移住とか新幹線通勤をしなくてはいけない距離ではない。実家はかなり便利な場所にあるので、母の距離感覚はちょっと狂っているところがあり、電車一本30分以内におさまらないとすぐ「遠い」となる。
本当は住宅ローンが終わった時点でもう辞めたかったのだが、結局退職金の割増が当てにできる歳まで我慢したので勘弁してほしい。私には財産を残すべき子どももいないので、自分の貯金は自分で使い果たして良いのである。葬式代程度の生命保険には入っているので、誰かが私の死の後始末をしてくれるなら最低限の葬式をして、あとは自分の懐に入れてくれて良い。私には弟と従姉妹がいるが、どっちともそんなに積極的に連絡しているわけではないので、後始末をしてくれるかどうか分からんけど、血縁関係的に彼らのどっちかにとばっちりが行く可能性が高いと思う。
転職したい先も本当に私に向いている仕事かは分からないけど、とりあえずやりたいことにチャレンジしてみたいんだよ。何だかんだと実家の両親を精神的な支えにして生きてきたので、両親の言うことに反対しにくいんだが、早く今の職場から自由になりたい。
暗黒面に落ちそうならで今ここに書いておく。
おみくじを引いた時、
ハタと気付いてしまう。
私には今願い事がないんだということ。
知りたい将来もない。
少なくとも2年ぐらい前までは、
ここにそんな出会いないし、
もちろん探せばいるんだろうけど、
そこに行き着くまでの努力をしたくないと言うか。
そもそも乗ってもなかったのかもしれないけど。
かといって仕事で何かしたいわけでなく。
今の仕事すごく満足してるし、働けるだけで
私が欲しい未来はない。
ただ何となくこのまま年取って死んでいくような気がする。
すごく寂しい。
素敵な出会いが欲しいとか、
〇〇になりたいとか
このまま50になって60になって
これはコロナがあってもなくてもきっと同じだったと思う。
恵まれてるのはわかってるけど。