COVITー19のパンデミックによって世界の大部分は一変したし、当然ただの一市民でオタクの私の生活も一変した。二月に推しのコンサートに行った帰りに、いつものライブ友達と美味しいイワシの刺身を食べながら「新型コロナって春には落ち着いてるといいね」と話していた。春から推しのカバー曲ツアーが始まることになっていたのだ。当然春のコンサートツアーは飛んだし、私は他の大勢と同じく早春のころからほぼ生活圏から出ていない。会社も元々自転車通勤圏にあるから、繁華街にもいってない。
高齢の家族がいて、気管支炎喘息をずっと治療しているから感染リスクは出来るだけ減らしたい、となると出かけないが最適解となる。夏に昔懐かしい映画のリバイバル上映があり、秋になると鬼滅やTENETや羅小黒戦記がオタクの話題を席巻しても、上野や六本木で特設展が開催されても、繁華街に出てウィルスを家に持ち帰るリスクと自分のストレスを少しでも解消したいという欲望を比べると常に「リスクを考慮して出かけない」となる。なにより息抜きをしたいと思う自分が浅ましいし情けないと思っいた、正確に言えばいまも思っている。寄付もしているが私の収入では雀の涙で、するとコロナの感染拡大を極力抑える行動をすることが、医療関係者含む最前線の人たちに向けて出来る精一杯のアクションだから。
これで会社が電車に乗っていく距離にあれば「通勤出来るのだから映画館にぐらいいける」と推し量ることも出来たのだろうけど、実際はずっと家から会社まで自転車を漕いで往復するだけだからなにもつかめない。ツイッターを見ると映画に行く人、たまに外食をする人、ハンドメイドグッズや鉱石のイベントに行く人たちがいて、適度に好きなものに触れて息抜きをして、あるいは興奮気味に映画の感想を述べたり久しぶりの舞台の空気を満喫したりしてるが、私はそれを見ながら皆息抜きが上手いし、罹患しないという判断が出来るだけのなにかがあったんだな…と思っていた。そんな感じで半年以上TLの文字だけでたまに人とやりとりし、たまの散歩以外で外には行かず、そのころ推しは秋から改めてツアーを開始して、ありがたいことに配信があったから、仕事と家事をすべて終えた真夜中に見ては「これがあるだけで十分に贅沢だ」と拝んでいた。
そうしたら、ある日突然、ガス欠とエンストとパンクが一変に来たように、エネルギーが尽きて、壊れた。
初めて生々しく希死概念というものを抱いた。推しのライブだろうがまだ発刊されていなかった鬼滅の最終刊だろうがすべて価値がなくなり、ただ、明日がないということがどれほど魅惑的て楽になる唯一の解決法に見えるか、ということを身をもって知って、私は幸い数日で落ち着いたときすぐ心療内科に電話をして、あとは診察日まで泣きながら耐えることでどうにかなったが、波のようにあの感情に襲われて、それと戦っている方は本当に頭が下がる。とにかく、日常の認知が壊れ、TL越しの人が何を考えているかが全くわからなくなり、人とのコミュニケーションはすべて恐怖と不安を増幅させるものとなり、「これがコロナ鬱か…」と推測しながら初診のその日を待っていた。
そうしたら、コロナでの環境変化が大きな要因だけど、おそらくそのストレスはASDの傾向によって生まれたもの、ときたもんだ。高めのIQのアスペルガー障害、っていうのはオタクがキャラクターを作るときに一回ぐらい適当な夢を込めるか、5ch文化どっぷりなら侮蔑する存在だが、自分がその存在になるとは先月までは思っても無かったよ。
グレーゾーンとはいえASDと言われて思い至ることは山ほどある。なにより上で書いたようステイホーム時代の思考があまり柔軟じゃないように見えるし、オフ会で直に顔を合わせても人の情感を読み取るのは苦労していたのだからましてやツイッターなどでのみ、となったときのコミュニケーションの難しさといったら。しかしなにより驚いたのは、これまで世間の人も同じように苦労しながら人とコミュニケーションを取っているのだから、それが出来ない私が劣っている、というわけではなく、世間の大抵の人は言語、非言語、空気というのもを普通に読み取り、普通に処理し、普通に適度なコミュニケーションを取れる、ということだった。なんならいまも信じられない、うそでしょ。
でも嘘じゃなさそうなのだ、世間の人は突然歌い出したくもならないし踊りたくもならないし買い物で数が3つか5つ以上になるように数を調整しないし気になったことをどこまでも調べたりしないしトラウマもフラッシュバックも起こりにくいし出来事はそんなに覚えてないようなのだ。本当にびっくりだよ。
お医者さんいわく、私は、「言語で論理的に理解する」ことに特化している脳らしく、確かにASDのグレーゾーンと言われて、自分で厚生労働省やNHKや心療内科医による解説などと読んだら、自分のいまの状態がどういうことが納得出来て心がストンと落ち着いたので、なるほど私にとっての言語で論理的に理解出来ることの重要さはこれか。余談だけどNHKによる発達障害のトリセツは便利なので、ASDやADHDじゃないかと疑っている人は検索して読む価値はあるし、自分で思い込んでるだけなら早めに心療内科に予約を取って調べてもらうほうがいい。当事者になってまだ一ヶ月経ってないけど、発達障害、私の場合アスペルガーは自分と切り離せないものだし、唯の特性で素敵なものじゃないぞ。あとASD当事者や周辺の人の苦労を他人事として処理して、楽しい罵倒として「アスペか?」とか書き込むやつらは全員スマホとPC壊れろ。
そしていま困っていることは「ASDの傾向があることをカミングアウトしたほうがいいのか、黙っているほうがいいのかわからないので誰かに相談をしたいが、もともと空気を読みにくいな…と思っていたら本当に空気を読む能力があまりなかったため。誰が相談に乗ってくれるか、そもそも誰が自分に対して好意的かがわからない、ということを人に相談して、話を聞いてくれると嬉しいがそもそも誰が相談に乗ってくれるのかがわからない、ということを」という円環に完全にはまっていることで、友達に話してみてもいいのかどうかすらわからないので、今日はとりあえずはてぶに書き散らして気持ちを落ち着かせた。
本当にどうしたらいいんだろうね