はてなキーワード: 背中とは
タイトルには悪くないとは書いたが、
これは、「監督と選手との認識の違い」という件に関して考察したいものであり、
自分自身が教育者としてかつて行ってしまった、誤りを改めて見直す事を目的としたものだ。決して本件が悪くないとは思っていない。
問題なのは、対人に対して成果を求められる、あるいは成果を求める教育者がこういった状況に陥りやすい事について是非知ってもらいたいからである。
仮に監督・コーチが「ぶっちゃけていうと」どうなったのかを教育者としての経験とそこで起こった状況から、考えたいと思ったからだ。
したがって、私自身がどういう愚かな言い訳をするのか、客観的に見てみたいのだ。
この問題を考えずして、情熱をもって指導をすることを辞めてしまいそうになることが、どうも納得がいかないからである。
もう一度言うが、本件は明らかに指導者が悪い。恐ろしい事だと、そう断言する。
私はサッカーを少々やっていたことがあるが、サッカーというスポーツはとてもえげつない側面を持っている
(もちろん、この件をしっかり考えて、事実に基づき、その正当性について考える必要はあるが、ここでは「えげつない」という簡単な言葉を使ってしまう事にする)
イエローカード程度に調整された意図的なファール、移動が困難になり、転倒寸前まで引っ張られるユニフォーム、
次のファールを軽くしてもらえる、あるいはファールを取ってもらいやすくする審判への講義
これは、ファールを取ってもらう為に痛がるパフォーマンス、絶妙な位置で転ぶ等に対して、審判がファールを取らない事から、
その行為自体が存在している事をが広く認知されている事を証明しているだろう。
よく、ユニフォームを掴んでしまうことに対して「とっさに掴んでしまう、ゲームに熱中していたからだ」という言葉を聞くが
何千男百との試合を経験している中で、こういった行為を抑制する事など出来ないはずは無い。
これが行われるという事は、試合の中で審判の判断の範囲内で裁かれないグレーゾーンを上手に渡り歩いているからだ。
この問題にはゲームの進行を止めてしまうとゲームのスピード感を損なってしまうし、ロスタイムの増加に繋がるといった、
観戦者やスポンサー等に対するショービジネス的な要素も関わっているはずだ。
ともかく、どんなスポーツも「紳士的に行う事」が大前提とする中で、こういったグレーゾーンを戦術的に行う事は、だれしも考える事だろうと思われる。
そこで、今回の件を思い出したい。
「選手を潰してこい」といった、事がどのように行われるべきだったかという事だ
アメフトについて、無知である私がこのゲームについてどこまで許されるものかを書いて良いものではないが
すくなくとも、アメフトではボールキャリアに対してとびかかる様なタックルを行って良いものだと多くの人は認識していると思う。
前記したサッカーのグレーゾーンについて考えると、監督が指示したのは「全身全霊をかけた、相手を破壊する事を厭わないような危険なタックルを行え」という指示だという事になる。
試合中にこの様なタックルをしたとして、審判や相手チームは選手に対して警告を行ったとしても、今回の様な事態にはならなかったであろう。
それでは、なぜこの様な事が起こったのか、ここでもう一つの「監督と選手の認識の違い」について考えたい、この件が今回私が考えたい本題なのだ。
選手の記者会見で本人は「試合に対するやる気が見えない」と指摘されているまた、この件に対して選手自身に「その自覚が無い」と言っている。
ここからは私自身の勝手な推察であるが、もしかすると監督やコーチには、選手が以前からこう映っていたのではないだろうか?
「選手に対するタックルに躊躇いが感じられる、有効な一撃を逃している」
といった、選手が考えてもいなかった側面、特にメンタル的な要素が起因した問題を何とか排除すべきだったのではないか?
これは、学生に対する教育者が特に悩む問題で、大きな肉体的、あるいはセンス・テクニックを持った学生がメンタル的な要素で、その才能の邪魔をしてしまっている場合だ。
それを証拠に、試合後、選手に「やさしいから」等といった言葉をかけている事から、メンタル的な要素に何か起因する問題があったのではないかと推察される。
こういった時、二次的に集団的にどういった事が起こるかというと、指導者の意図を察知した仲間が、悩む仲間に対して助け舟を出すのだ。
特に誰もが認める優秀な人物に対しては、熱心にそれをする場合が多い、自分の夢をアドバイスにして託す事は親にも指導者にもある、もちろん同じ夢を志す同士であればなおさらだ、
問題なのはその仲間が本人に対して適切なアドバイスをしない事があるからだ。
今の私と同じように、ありもしないことを勝手に想像し、相手に対して最善だと思う事を自分の中で構築するのだ。まるで親友の恋愛話を親身に答えるように。
どうなったかというと「相手の選手が潰れれば試合が楽になる」というアドバイスになった。
これは、チームメイトとして、この問題について解決すれば、大きな成長になることを信じて、一歩踏み出せない相手の背中を押す行為だったのではないだろうか?
もちろんこの時、アドバイスを与えたチームメイトは、まさか、試合中断中にタックルをするとは考えていない。あるいは、この様な大事になるとは考えていない。
そして、最後に念押しして指示される「やらないではすまされない」といった指導
この時、いよいよ思考は停止する。
この選手は、20歳の学生だ、学生の中には指導者の指導は絶対である、大人は正しい、先生は何でも知っている、そういった考えを持つ物がいる。
選手の記者会見で再三「理不尽だと思う事もあるが、指導者に対して言う立場にない」等といった発言が出るのは、こういった側面があるからだと考えられる。
自分が未熟だから、考えも及ばない所で指導が行われている、そう考える学生がいるのだ。
一方で指導者はどうか、ほとんどが恵まれているのに、あと一つの所で伸び悩んでいる、何度も場数を経験させた、そんな選手をどう思うかだ。
こうした者に対して考えてしまう事は、自分の才能が認められたという事に対する慢心だ、その慢心から、向上心を失っているという事だ。
もう一つは、先に挙げたような、メンタル的な要素だ。
この問題に対してやりがちな事は、対象を悔しがらせる事だ、まだ未熟だ、やる気を取り戻すまで、練習をするな等と、相手を奮い立たせるような挑発をする。
実際に、練習に参加させないといった、理不尽と思われる事を行っている。
これは、現実は思っているより厳しい、大人はもっとえげつない、社会は間違っている、世界には間違っていることもある、そういった事を伝えたいというものだ。
とても紳士的で優しい人物であれば特に、この厳しい現実を伝えたくなるのだ、そんな時、自分の分野を引き合いに出すのだ。
厳しい勝負の世界にどれほど立ち向かう覚悟があるのか、と考えた末に「殺れ」という言葉が口から出るのだ。
もし、荒くれ物の選手だったら、真逆の事を言っていたのかもしれない。
こうして、自分自身はおかしいと思う行為の決行を判断する事になる。
本人は、この問題を理解していないのだ、練習も頑張った、代表にもなった、指導のおかげだ、ほかに何が足りないのか
なぜ、自分をないがしろにするのか?なぜ、急に指導が厳しくなるのか?なぜ、特別な指示が出されるのか?
指導の通り頑張った。タックルの踏み込みが浅いと指導されているので、きちんと踏み込みには気を付けている。
そんな時に、「確実に潰せ」という簡単な課題を出されたときに、その問題を解決できると信じてしまうのだ。
多くの人が同じことを言えば、決して紳士的ではないグレーゾーンの問題と同じように、問題ない行為に思えてくるのだ。
事実、幾人かの学生と向き合ったときに、もとい、人と本気で向き合ったときに、自分の意図とは全く違う行動をする者がいる。
これは、自分の意図という秤が自分を基準にしている事が問題である事が分かった、自分だったらこうするだろう、こう伝えたら分かるだろう
といった、自分の秤は、どんなに水準を一般化させて展開させたとしても、学力や能力の同等な人間を集めたとしても一致しないという事だ。
特に教育者は、複数の人間を相手にしなければいけない、問題は彼だけではないのだ。
多くの問題を抱えていて、すべて平等に行われなければならない。
簡単かつ誰でもわかりやすい単純な物が良い、ただし、簡単であるが上に矛盾が生じる、一人だけ変更すれば他の物が混乱する、その為に強引に行うのだ。
時には、問題因子を排除する事も厭わない。個別に指導するよりよっぽど管理しやすいからだ。
次に、指導者を増やすことだ、自分の代理を複数立てる事だ、しかし、代理は自分自身ではない、
どんなに忠実な代理だとしても、伝言ゲームの様に指導内容が違って受け取られてしまう。
それならば、同党の指導者を置けば、本来想定したものと違う指導内容になってしまうことになる。
そうなると、自分の手柄を作って信頼を得なければならなくなる。
その為には、多くの学生を指導して、信頼を勝ち得なければならない。という悪循環が起こる。
正直自分にはこのスパイラルをどう解消するべきなのか分からない
今は、教育は平等でなければならないという考えを変え、学生の自発的な活動を見守り、問題は早期に発見して対処するといった事をしている。
しかし、熱心に、あるいは強制的に行う教育の効果には遠く及ばない。問題はなくなるが、才能の開花を促進させる手伝いはできない。
適材適所、バランスよく相手に合わせて状況判断して実施するという事が望ましいに決まっているが。
自分以外の人間をどこまで知りえる事ができるだろうか?それも複数人も。
何もしないで見守れば、育つ物も当然いる、同じように、愛情を注がなければ開花しないものもいるのだ。
そもそも、学生に何らかのきっかけを与えるのが教育者なのではないだろうか?
35歳、既婚者、子有りのボヤキ
最寄駅の近所に個人経営のプラモ屋があるので、仕事帰りに立ち寄ることが多い。
という感じなので、amazonやヨドバシと同程度の価格ならここで買う事にしていた。
だが、個人経営のプラモ屋である以上、仕方の無い事なのだが、常連は居る。
こんな奴らが同時では無いが、絶えずレジ前に居る。店主も暇なのか会話を楽しんでいる。
もちろん、彼らが定期的に安定した利益を店に落としている可能性もあるが、残念ながら彼らが買い物している姿を見たことは無い。
こちらも別に常連の一員にはなりたくは無いが、聞きたくもない自慢話を聞かされながらプラモの箱を開けて中を見たり、塗料を探したりし、気まずそうにしながらレジに行って、盛り上がっている会話を中断させて会計を済ませ、話を中断させた罪悪感と品定めされるような常連の視線を背中に受けつつ店を出る。
もちろん、amazonやヨドバシというより安く、気楽な購入方法はあるが、カードを持てない子供にはハードルが高過ぎる。自分も小中学生の頃から街のプラモ屋に通い、買ったりショーケースの見本を見て育ったし、何より通販とは違い、『実物を持ってその場で買う』楽しみは子供の頃には重要だと思っている。なので、街のプラモ屋は今後も頑張ってほしいし、子供が将来プラモに興味を持ったら、安い通販より実物を見れる実店舗で買わせたい。
ただ、今通っているプラモ屋の雰囲気に子供の頃の自分は果たして入れただろうか?レジに商品を持って行けただろうか?記憶は曖昧だが、自分の子供の頃はレジを占拠する常連は居なかったと思う。居たとしても空気を読んで粋に立ち去っていたのだろう。(もしくは時間帯が合わなかっただけか)
プラモ屋に来る人なんて、自分も含めてほとんどが内向的で承認欲求に飢えている人が多いと思うが、もし可能なら自分の話を聞いてくれる店員がいる居心地の良いプラモ屋のレジを、少し開けてくれないか?それが、次世代の育成にも店全体の雰囲気改善にもなると思う。
個人経営の居酒屋のカウンターに座って、常連と盛り上がっている店主に注文出せるだろうか?多くの人はそれならチェーン店に行くという。もし、プラモ屋に行く人みんなが、常連と混じって盛り上がれる人ばかりなら、あと100年は模型業界は安泰だろう。
大学2年生になった春。
夜を歩き、自己開示を積み上げ、当然のように唇を重ね、
私とAさんはその時すでに熱く愛し合っていました。
「ああ、私はこの人とセックスがしたい」
そんなことを思った正直者の私は、Aさんにその願いを率直に伝えてしまいます。
私のありのままの傲慢を認めてくれた寛大なAさん。今思っても素敵な人です。
------
すべてを曝け合い、求め合い、受け入れ合い、
まさに愛情を確かめ合うような、幸福なセックスをたくさんしました。
デートもたくさんしたし、そのどれもが幸福に満ちたものでした。)
1年半ほどの関係を通して、幸福とセックスとが私の中で結びついていきます。
3年生の秋、膨れ上がるすれ違いに関係が大きく歪み、Aさんとの仲が終わりました。
次のAさんはどこにいるだろう。
「私を愛し、すべてを受け入れてくれるAさん」は、誰の中にいるだろう。
Aさんの影を追うように。Aさんとの幸福な思い出に縋るように。
------
その後、やっと巡り会えた、心の底から愛し合える人。Bさんです。
気付くのが遅すぎました。
------
Aさんとの別れの後──
肉体的な欲求だけをぶつけ合う日々。
もはやどこにも無くなってしまっていたのです。
------
網膜に棲み憑いた亡霊たち。
だめ、今はどうにかBさんとのセックスに集中しないと。
あ。
無理。
今日はごめんなさい。
大好きだから。本当にごめんなさい。
------
早く生まれ変わりたい。
悔やみきれない。早く気付けよ。
あんなことするんじゃなかった。
私が、憎い。
セックスが、憎い。
私には恋人がいる。
「大人になってから恋をはじめるのは難しい」と周りの人は言うけど、そんなことはない。
彼と出会ったのは、去年の冬だった。彼は友人の友人だった。この世で最も邪悪な空間である新宿三丁目の居酒屋のボックス席で、彼と私は邂逅した。はじめまして、お仕事は何されてるんですか、今おいくつですか、どちらにお住まいですか。あたりさわりのない会話は、私たちの距離を縮めない。彼は私よりひと回り年上の会社員で、東横線沿いに暮らしているらしかった。2時間ほど飲んだあと、彼のほうから私に電話番号を聞いてきた。私はここで初めて、はじめから彼のことを好ましく思っていたことに気がついた。
彼とふたりで出かけたのは、出会って1週間目の、土曜の晩だった。彼が選んだ店には一枚板のカウンターがあり、真っ赤な丸椅子には背もたれがなかった。くるくると回転する丸椅子は座りにくかったので、私はしばしば彼の膝に自分の膝をぶつけてしまった。机上に置かれたスプーンはよく磨かれていて、私たちの横顔が曲がったまま映っていた。彼が食べたいと言うので、私たちは牡蠣のアヒージョを頼んだ。私は牡蠣にいちど当たったことがあり、普段自分からすすんで牡蠣を食べることはないが、その日は無理をして牡蠣を食べた。食事を初めてすぐ、私は牡蠣に当たる不安に苛まれ、ソワソワしながら彼が酒を飲む様子を見ていた。よかったらもう一軒行きませんか。食事の最後に彼はささやいたけれど、私は断った。おなかの中に牡蠣がいると思うと、なんだか落ち着かない気分だったからだ。こんなに牡蠣を気味悪く思っているのに、彼の好みに合わせて3つも食べてしまった自分のことが滑稽で、帰りに中央線の車内でこっそりと思い出し笑いをした。この日から1週間たって気が付いたのだが、私はアヒージョに入っていた牡蠣に当たっていないようだった。
2度目のデートは突然だった。仕事が早く終わったんだけど、よかったら飲みに行きませんか。私はふたつ返事でOKし、彼が待つという駅近くの居酒屋に足を運んだ。彼はカウンターで生ビールを飲んで私を待っていた。改めて遠目から見ると、彼は背が高く精悍な顔つきで、グレーのスーツもよく似合っている。私も彼に倣って生ビールを頼み、厚揚げと出し巻き卵も注文した。彼は牡蠣フライを食べたそうにしていたが、私はそれを遮った。
すると、彼はニコニコしながらメンチカツを注文してくれた。カウンターはつるつるとした塗装で細長く、真っ黒の丸椅子には背もたれがなかった。くるくると回転する丸椅子は座りにくかったので、私はしばしば男の膝へ自分の膝をぶつけた。三度目の接触のあと、男の手のひらが私の膝をぎゅっと押さえた。私たちは、居酒屋のカウンターの下で膝を合わせながら、このあとのことを考えた。よかったらもう一軒行きませんか。食事の最後に彼がささやくのを聞いて、私はふたつ返事でOKした。今日はおなかの中に牡蠣がいないからだ。その日はなにも分からなくなるまで酔おう、と思っていたが、お酒に強い私にはそれは叶わないようだった。
彼がふたたびシャツを着ようとしている後ろ姿を見ていると、さっきまで膝を合わせていた居酒屋のことが急に思い出された。
「今、2人のおなかの中にはメンチカツが2つずついるのね」
彼の背中に抱きつきながらそう言うと、彼は笑いながら「厚揚げと出し巻き卵もいるよ」と答えた。私はここで初めて、彼にすっかり恋をしてしまったことに気が付いた。
数日にいちどだったLINEのペースは、いつのまにか毎日になった。彼はきまって、早朝と夜遅くに1度ずつ連絡をくれる。通勤時間と帰宅時間に返信をしているようだった。ときどき、お昼休みや外まわりの合間に返信が来ることもあった。彼の仕事はひどく忙しく、帰宅時間が24時をまわることもたびたびあったが、翌日の早朝には時報のように朝のLINEが来る。私は夕方近くになると心の中で「センター問い合わせ」をするようになった。彼は忙しい仕事の合間を縫って月に2、3度は会ってくれた。仕事終わりに飲みに行くこともあれば、土日に映画に行ってくれることもある。私とのデートのために有休をとってくれたことさえあった。デートの後はだいたいラブホテルにも行ったが、食事をしただけでお互いの家に帰宅することも時々あった。
たった半年の関係だから、私は彼のことをまだあまり知らない。彼の部屋に行ったことはないし、彼の友人に会ったこともない。好きな食べ物や応援している野球チームは知っているけど、彼が牡蠣を好きなことも、ジャイアンツを応援していることも、私とは無関係に思える。私には決まった時間に返信してくれるLINEを、別の相手にはもっと頻繁に送る彼がいるのかもしれない。私以外にも、有休をとって遊びに行く相手がいるのかもしれない。これはあくまで私の直観にすぎないのだが、私と会っていない時間、彼は私の恋人ではないような気がする。彼が他のだれかの恋人なのか、それとも単に私の恋人ではないだけなのか、それは分からない。ただ、どんなに楽しい時間を過ごしていても、どんなに肌が触れあっていても、私はいつも思うのだ。手をつないでパルテノン銀座通りを歩き、発車前のホームで口づけする私たちは、誰がどう見ても恋人に見えるだろう。でも、この人は、私の恋人じゃないかもしれない。私の恋人は、私と会っているときだけ、私の恋人なのだ。
私には恋人がいる。
「大人になってから恋をはじめるのは難しい」と周りの人は言うけど、そんなことはない。こんな恋に夢中になるのが、ちょっと難しいだけ。
※ネタばれ注意※
初代が20周年なのに配信を終了されてしまったグランディアIIIちゃんは
どうすれば許されたのかって考えるつもりで比較対象として初代を振り返ってたら思いの外ヤバい
いや、たぶん気づいてた人はプレイしてた当時から気づいてたんだろうけど俺はいまさら理解した
■テーマの一貫ぶりがすごい
・物語が動き出すきっかけは冒険者である父親の形見(精霊石=これがキーになって古代文明の遺跡に導かれる)
・「精霊石は冒険者の魂」と主人公に語らせた後、「軍」が精霊石を狙う展開になる
つまり自由vs規律の暗喩と子供vs大人の暗喩をまとめてこなしてる
「探求心は悪にもなる」「大人からの抑圧」「偉大な父親からの抑圧」「探求心の喪失は死に繋がる」
・「真理にたどり着いた者」だけに開かれる「精霊の聖地」で主人公は「精霊石」を提示された後、それを否定して「精霊の剣」を受け取る。
・「精霊の剣」はプロローグ直後のごっこ遊びで集める勇者の証として一度登場する
あえて説明するまでもないぐらいわかりやすい暗喩だろうと笑われそうだけど
「少年が男になる物語」がここまで丁寧にゲームで描かれてるのすごくね?
■シナリオの置き方が丁寧
3.母親が子離れして独り立ち
4.でも幼馴染はついてくる(=まだ子供)
5.ほぼ同い年の女の子に認められる
6.軍(大人)を出し抜く
7.閉鎖的な村の村長に認められる
8.巨大な壁を越える
9.勇者として認められる
ここでdisc1終了、先の精霊石メインの話=父親殺しの流れに。
■メタファーの置き方も丁寧
・登場人物の見た目が東に行く(=主人公の冒険が進む)ほど動物に近づいていき、自然も険しくなる。
幼馴染がリボン代わりにつけてるのは主人公の父親が見つけてきた「虫」とも「動物」ともつかない生き物。
…あれ、てかガイアはラストダンジョン攻略中羽化しようとしてたよね?
羽化しようとしたガイアは精霊石を破壊するとデカい樹(=世界樹)に。
敵ボス(将軍=仮置きの父親)が企てていたのは「ユグドラシル(世界樹)計画」。
ヒロインが虫ってことはそれよりデカい虫は母親としか考えられない気がする。
つまり世界樹=大人としての人格というメタファーになってるようにしか見えない。
どうやらガイアは悪の象徴ではなく「制御できない感情」のメタファーらしい。
いやいやこえーよ書いた人何者だよ
・敵将軍(=野望に囚われた父親)は「ガイアの芽」によっておかしくなった。
・「霧の樹海」の中にある村も「未開の森」の中にある村も閉鎖的
「石の森」の中に滅びた村が存在している
光翼人に力を注がれると蘇って石ではないロボットのような姿になる。
光翼人の力で制止されると石に戻る。
精霊=意思 であり、意思がなくなる=石になる と表現されている。
人→動物→植物→石の流れは意志の強弱も暗喩しているらしい。(街や村のあり方を見るに)
精霊石=眠っている意思とも受け取れるし、父の遺志=精霊石でメタファーが完璧。
深読み苦手な自分がここまで読み取れるってことは読解力高めな人はもっといろいろ読めるだろう。
いや、怖!
キャラクターの一人がヒロインを参考にしていると明言されているし、
某深読み系ロボットアニメの影響は多少あるにしても十分冒険譚として独自性を構築できていると思う
「女の子も楽しめるように王道冒険活劇書きました」でここまで色々仕込める人の後釜、務めようと思うか?
てか一介のゲーム会社の社員がこれに「原点回帰」できるのか??
この織り込みに織り込まれた上でほどほどに読み取りやすいメタファーの数々、
これを「16歳の飛行機乗り」「空」をベースにして再構築できるかって言われてホイホイできちゃうひとはどれぐらいいるんだろうか。
しかもここまでメタファーてんこ盛りなのにパッと見ただの冒険活劇を装うとか
出来上がってきたIIIはひどすぎたけどこの初代を踏襲したうえでパクリにならないような王道冒険活劇って、
ゲームシナリオ界にオリンピックがあったら確実に金メダル級の超難易度だと思う
話づくりに自信がある人、「俺が作るグランディアIII」にチャレンジしてみてほしい
「空」「飛行機」「(ヒロインが空から)落ち(てくる)物」ベースで
「16歳の少年が親離れして一人の男になる」話を「ただの冒険活劇」に見せかけて
初代相当のクオリティでかつ初代化とラピュタ化を回避しつつ完成させる。
初代のシナリオ作った人たちはすごいし
個人的にはIIIのシナリオにチャレンジした人々も十分敢闘賞もらっていいんじゃなかろうかと思ったりする
IIIのシナリオを見るに、おそらく思いついたシーンを組み合わせるだけで精一杯だったんだろう
メタファー仕込む余裕なんかなく、「青年主人公が長旅を経て強敵を倒す」話を構築するのがやっとだったように見える
ミランダとユウキのバックボーンから「父親殺し(母親殺し)」を実現するにはエメリウスでは役者不足もいいところ、
子供をほぼ捨てたユウキの父親と妹を守ろうとするエメリウスではシンクロするところがほぼなく
仮にエメリウスの行動原理が完璧にゲーム内で表現されていたとしても何の暗喩にもなっていない。
暗喩の有無は別にどうでもいいっちゃいいけど、問題は「父親殺し」が行われていないといけないのに
それをユウキが成し遂げていないところ。
暗喩はあるとカッコいいとか文章表現的な技巧を披露して俺つえーするとかそういう余剰ではなく、
本来物語の外にいる読み手に己との共通点を無意識に物語から見出してもらい、より感情移入してもらうための道具だろうと思う。
手だけでも布を縫い合わせることはできるが、ミシンを使えばもっときれいに縫製できると言う話だ。
血縁のない飛行王シュミットを「父親」に仕立てるために実の父親を物語から消し、アロンソを途中退場させたのだということはさすがに読み取れる。
そういう小細工で作り上げた「父親」をいくら「腰抜け」と罵ってもその「父親」が作った飛行機に乗って空を飛んでしまっては何の意味もない。
それは父親の敷いた線路を辿っているだけであり、まだ子供のままであることの証左になってしまう。
むしろこの状況での「腰抜け」呼ばわりは
「何故お前は父親を全うしていないのだ」という糾弾になっている。
つまりグランディアIIIには「殺すべき父親」が存在していないのだ。
父親を精神的に「殺し」て、別個の人間=大人になっていく成長物語のはずなのに。
これではラスボスがどこにもいないのと一緒だ。
それを見定めずにシナリオ作りに移行してしまったことなのではなかろうか。
テーマソングを聞いてもわかるが「見果てぬ夢」なのか「素晴らしい場所」なのか「行き着く先」なのか定まっていない。
初代が「死にゆく先、生まれくる源」を「大地(地母神)」と定義したことで
芋づる式に様々なものを定義付けすることに成功し、植物の根が土を抱き込むように物語を包括したのとは対照的に映る。
また、成長とは生から死の一過程であり、生と死の描写から逃げては成長を描き出すことはできないのだと逆接的に証明しているようにも感じられる。
もしかすると、初代を見上げたまま物語を模索した結果、「初代=空」になってしまったのかもしれない。
ユウキは映画の中で活躍するシュミットの姿に憧れを抱いたようだが、
言うまでもなく、何のメタファーも仮託されていない空はただの背景であり景色である。
景色は人を動かしたりしない。
これは続編がふがいなかったというよりは初代が「偉大な父」になりすぎてしまったんだろう。
ジャスティンが大変な苦労を伴って「父殺し」を成し遂げたように、
「偉大な父」を乗り越えるのはそれだけ困難だということなのかもしれない。
2018/5/12に開催された「THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC♪GROOVE☆」の如月千早主演公演第3部に参加してきました。この公演では如月千早が体調を崩し、歌うことが困難になるというトラブルが起きました。ここでは、その公演で私が感じた感情とその後考えたことを整理するためにまとめた文章を公開します。
レポートや感想というよりは感情の吐露です。また、如月千早は私が一番好きで応援したいと思っているアイドルです。そういった人間が書いたということを念頭においていただけると全体のめんどくささを予想、納得いただけるかと思います。
・公演の詳細に触れますので内容を知りたくない方はご注意ください。
・基本的に自分の千早観丸出しなので独善的解釈を多く含みます。
●公演の概要
●感情の整理。
●少しだけ理性を取り戻して。これから出来ること。
今回はMRという技術を用いた新しいライブイベントで、簡単に言うと765ASの3Dモデルが舞台上で歌って踊るというものです。
youtubeのとっても短い公式紹介動画 https://www.youtube.com/watch?v=jHwXIrJKr3s
私は真ん中より後ろのほうでしたが、舞台上の3Dモデルは立体感、存在感、躍動感共に想像を超えるもので感動しました。特にPS4向けのリッチな3Dモデルと豊富なダンスモーションを持つ765ASとは愛称バッチリだと感じます。また、その性質上、本当に765のアイドル自身が出演しているという体と演出で行われており、ここでしかない貴重な体験が味わえます。
2018/4/30-2018/5/27の土日祝日を中心に開催され、ひとつの公演時間は1時間、1日に3公演が実施されています。開催日それぞれに「主演アイドル」が1人選出されており、主演アイドルはMCとソロ曲を披露してくれます。セットリストは基本的に下記の構成のようですが、曲については公演日によって変わっているみたいです。
今回まとめる2018/5/12如月千早主演公演第3部(以降3部公演と表記)についての詳しいセットリストなどは他に正確な情報をまとめていただいているのでここでは触れないことにします。
ここでは3部公演で体調不良というトラブルに見舞われながら舞台に立つ“如月千早”に対し、私が感じた感情とその変遷を時系列順にまとめたいと思います。私の感情主体なので、客観的に出来事を知りたい場合には適切ではない参考資料になります。
前日から「如月千早に会える」と興奮気味の私でしたが、MRは初めて体験するものだったのでどんなものか期待していました。
結果としてはそれはもうすごいもので、アイドルがまさにそこに“存在”し、活き活きと踊り歌う姿を見ることが出来ました。
1曲目のライブ革命で千早が出てきてから彼女から目が離せなくなりました。
他のユニット曲もかわいく美しく楽しく魅力的でした。立体感と存在感と躍動感と身長差がすごい!765ASの魅力が存分に発揮される新しいフィールドの登場に胸が熱くなりました。
千早のソロ曲がどうなるのか! という期待がよりいっそう高まっていたのを覚えています。
数曲ユニット曲が披露された後、とうとうソロ曲がやってきました。
曲は「arcadia」。私が始めて買ったアイマスのCDに入っている曲です。好き。
皆さんもご存知の通り、この曲は出だしの第一音から歌詞があります。
静かなBGMの立ち上がりと共に千早の透き通る歌声が一節をつむいだ後、激しい曲調へと移り変わるアグレッシブな曲です。
その出だし、音が入りませんでした。千早の歌がよく聴こえない。
マイクの不調かな?音響のスイッチングでちょっととちったかな?と思いましたが様子がおかしい。
開始数秒で私を含め、会場全体が何か異変が起きていることに気付いたはずです。
高音が出ない。声量も安定しない。ロングトーンも伸びない。ところどころ音程がとれず、声がかすれる。
単に調子が悪いとか音響がおかしいとかではなく、何か身体的な問題が彼女ののどに、歌声に発生している。
私はすぐにそう思いましたし、他の参加者も同様だったでしょう。
激しいダンスとは裏腹に、彼女の実力からは程遠い、痛々しさすら感じる苦しい歌声。
私は「はやく千早が歌うのを止めさせなくては」という思いで頭がいっぱいになりました。
彼女の搾り出すような歌声は“無理をして歌っている”と言うことが明白に感じられるものでした。
このまま歌い続けては彼女の声によくない。
無理に歌った負担で万が一にでも後に悪い影響が残るような事があってはならない。
彼女を守らなくてはならない。
どうやってとめればいい? どうやったら彼女を守れる?
そんな思いが頭の中をかけめぐりました。
したがって間奏はいわゆるコールが入るタイプの楽曲といえます。
混乱し立ちすくみ、ただ千早を見つめる僕の周りで、力強くコールをあげるプロデューサーが居ました。
彼らの気持ちは痛いほど分かりました。
如月千早の体を、声を案じて歌うの止めさせたいと思う一方で、もがきながらも何とか舞台に立ち、歌おうとする千早を支えなくてはとも感じていたからです。
何か強い意思や覚悟を持って舞台に立ち向かう千早の思いを私も感じていたからです。
「arcadia」が披露されているときの会場の空気は今まで経験したことのない異様なものでした。
私のように混乱し動揺しているプロデューサー達の感情と必死に歌い続ける千早の声が交差し、緊張感とも焦燥感とも付かない何かが充満していました。
声がかすれて歌声が途切れ途切れになっても。
そんな苦しみながらも「ステージ」を作ろうとする千早支えるために出来ることなんて私達には驚くほどなくて、大きいコールで「ちゃんと“ライブ”が出来てるぞ!」「千早は1人じゃないぞ!」ということを伝えようとするぐらいしか選択肢はなかったように思います。
果たして他のプロデューサー達が何を思いペンライトを振り、コールをあげたのかは分かりませんが、同僚達の行動を通じて「ここで千早を支えなくてはいつ支えるのだ!」という思いが自分にもあることを少しずつ自覚し始めました。
それでもなお、血をにじませながら(比喩表現です)歌い続ける如月千早を止めなくてはという思いと、大きく声を上げて応援することがさらに千早を追い詰めることになるのではないか?と言う不安から、コールを上げることも出来ず、かといって何も打つ手立てのないまま、私はただ青いペンライトを握り締め祈るような気持ちで彼女を見つめることしか出来ませんでした。
「arcadia」を奇跡的に最後まで歌い終わり、会場は拍手に包まれましたが、緊張感は増すばかりでした。
水を打ったようににわかに静寂が訪れた会場で、千早は話し始めました。
如月千早はそんなことをはじめに私達に問いかけたと記憶しています。
その声は本当に弱弱しく、彼女が抱える不安が内包されたその言葉は会場に居るプロデューサーの胸に深く突き刺さったと思います。
彼女は自分の体調が悪く、そのために歌を満足に披露できなかったことを謝罪し、体調管理が出来ずパフォーマンスを発揮できない自分はプロ失格だと自らを叱責しました。
「そんなことはない!」そういった声が会場から上がりますが、その声も如月千早と会場全体を包む後悔・悔しさ・不安・動揺といった感情を払拭するにはいたりませんでした。
自分の責で満足いく歌を披露できなかった、期待にこたえられなかった、楽しいライブを提供できなかった。
そうやって自分を責め、後悔や悔しさや申し訳なさを抱え、傷つき、心で血を流している千早を目の当たりにして、私は胸を締め付けられるような思いになりました。
彼女はつづけます。最後にもう一曲ソロ曲を歌う予定だと。その曲は「眠り姫」だと。
今の状態ではちゃんと歌うことは出来ないかもしれない。ライブとして成立させられないかもしれない。
「私はどうしたらいいでしょうか?」
震える声で助けを求める彼女に、私達はどんな手を差し伸べてあげたられるのか?
このときの会場の空気は本当に危ういもので、何かが間違えばすべてくだけっちってしまうような、細い糸一本で支えられているような緊張感がありました。
自分達に何が出来るのか?
プロデューサー達の迷いを含んだ重苦しい沈黙の中、「大丈夫だよ!」、「千早ならやれる!」そういった千早の背中を押す声がちらほらと上がり始めました。
プロデューサーとして絶対に彼女を支えなくてはいけないまさにその瞬間に、この危うい空間の中で必死に。
私の中ではまだ2つの気持ちが別の方向を向いてせめぎあっていました。
「もういい。今は休もう。次のチャンスを一緒に作ろう」そういって彼女を休ませてあげたい。
でもそれは体調不良を押してまで舞台に立つことを選択した千早の意思や覚悟を否定することになってしまうのでは?
「大丈夫だ! 思う存分やればいい!」そういって今日“舞台に立ち歌う”という選択をした彼女を最後まで応援したい。
でもそれは本当に彼女のための選択なのか? 体に負担をかけ、無理をしないと歌えないのは明白なのに、それを彼女に強いるのか?
私はどうしても「がんばれ!」、「負けるな!」といった強い言葉を選ぶことは出来ませんでした。
彼女を追い込みたくない、無理をさせたくない、守ってあげたい、という思いの大きさがそれを拒みました。
ただそれでも、覚悟と意思を持って、様々なものを賭して、ぼろぼろになっても舞台に立っている彼女を支えたいという方向に気持ちが傾きました。
ここまで来てたった一人の“プロデューサー”の発言でライブを中止する事なんて出来ないだろうという思いもありました。
なら何とかして彼女を守りながら「ライブ」を最後までやりきれるような言葉を捜さなくては。
声が途切れてもいい、無理はしなくてもいい、千早は1人じゃない、俺たちが居る、足りないところは補うから、ライブを一緒に作ろう。
そんな思いを表すような、短くてぱっと言える(長ったらしく話すことは出来ないしそんな場合でもない)何か一言はないか。
色々と思考がごちゃつくなか、誰かがまた千早を鼓舞する声を上げました。
それを追うように私も声を上げました。
「俺が歌う!」
会場に笑いが起きました。
私の素っ頓狂な発言に千早が少し今までと違う調子で「大丈夫ですか?歌詞は覚えているんですか?」と答えてくれました。
その千早らしい返答にまた会場に笑いがおきました。
少し空気が変わりました。
「千早が歌えないところは代わりに歌ってやる!千早が中止にしたくないと思ったこのライブを無理やりにでも成立させてやる!一緒にライブをやりきろう!だから無理するな!」みたいな意図を中心とした様々な感情がない交ぜになった結果の言葉の暴発でした。
ただ私の声に続いて「一緒に歌おう!」、「みんなで歌おう!」といった声を上げてくれるプロデューサーが居てくれたのは本当に救いでした。
きっと彼らの言葉を通じて私の言いたかったことも千早に伝わっていると思います。
おそらく台本があり1部2部公演でも類似のやり取りがあったであろう会話。
それに体調不良に起因するいくらかのアドリブや変更を加えつつ、進むMC。
正直このあたりの事は詳細をあまり思い出せません。
どういう流れであの問いかけからMCパートに移っていったのかも覚えていません。
声を上げ、千早が答えてくれた後、私はしばらく顔を上げることが出来なくなっていました。
ほとんど前情報を仕入れなかった私も、「MCはアイドルと会場で直接やり取りがある」といううわさは聞いていました。
それを知ったとき私が思ったのは「絶対に何も言うまい」というものでした。
ここまで読んだ方はお分かりの通り、私は如月千早の行動に対し、自分に都合のいい思いやら意図やらを好き勝手に妄想し盛り上がるタイプの人間です。
そんなヤツが如月千早の大事な舞台で変なこと言おうものならもう目も当てられません。
私が嫌われるのは仕方がないですが、如月千早に被害が及ぶのはあってはなりません。絶対に。
そう思って挑んだのですが、感情を抑えきれずほとんど反射的に声を上げていました。
後悔と恥ずかしさと、申し訳なさでしばらくの間顔を伏せていました。
公演後は興奮していてそのあたりの後悔は吹っ切ったつもりだったのですが、時間がたつとやはりまずいことをしたんじゃないのかと言う思いが顔をもたげます。
私の発言のせいでMCを進める流れになったとしたら、結局ライブを続けることを千早に強要してしまったのではないか。
本当はもっと理性的なプロデューサーが千早に何か言ってくれるのを妨げてしまったのではないか。(もしかしたら私が頭を下げている間に言ってくれていたかもしれません。)
私の変な発言で千早の大切で守りたかった舞台をかき乱してしまったのではないか。
何より千早自身や765プロとはぜんぜん関係のない馬の骨のせいで、千早の大切な舞台でいやな思いをするプロデューサー(ここでは私の発言がその人を不快にさせ楽しみ方を奪ってしまうということ)が出るようなことは許されないと思います。
いずれも大変自意識過剰な問いですが、でかい声を上げてしまった以上、考えざるを得ません。
もし本当に誰かを傷つけたのなら批判は受けるべきでしょう。
答えは出ませんが、一生付き合っていくしかないのだと思います。
少なくともあんなふうな声を公式イベントで上げるのは金輪際やめようと思います。
長すぎて途切れたのでその2に続きます。
大学の体育会に入ったことの無い人たちが大半だろうからこの文章を書こうと思った。
少なくとも私の部は異常だと思った。ここでの話は地方の田舎大学での数年前の出来事だ。どうやらそれは今でも続いているようだ。
ちょうど今頃は、ある程度の新入部員が入部し終えていることだろう。もう少ししたら、その部のご作法を叩き込まれるはずだ。ここで言うご作法とは部の本質的な活動とは全く関係がない。
新入部員たちは基礎練習をしているだろう。上級生たちも今はやさしく指導しているはずだ。あと1ヶ月もすれば部の大きな行事として新歓コンパがやってくる。これが厄介だ。
新歓コンパとは歴代のOB・OGたちも集めて今年度はこんな部員が入部しました、と報告する会のことである。決して新入部員が歓迎されているとは限らない。彼らはOB・OGたちに粗相がないような行動を求められる。その代表例として、自己紹介と酒のマナーについてである。それを紹介しよう。
新歓コンパでの新入部員の役割はOB・OGたちに個別に挨拶回りに行くことだ。まず、挨拶回りに行くときの姿勢は中腰だ。OB・OGの前に着いたら、「〇〇さん、お隣よろしいでしょうか」と一言挨拶して座る。まあこれはふつうのことだ。自己紹介が終われば、OB・OGにビールを注ぐ。ちなみに、新歓コンパでの飲み物はビールかウーロン茶だけだ。ビールを注ぐときは必ずラベルが上にあって見えるようにしなければならない(もちろん、手でラベルを覆ってはならない。ラベルは神聖な何かか?)。注ぎ口は相手のコップにできるだけ近づける(コップに当たってはいけない。注いだときにビールがはねないようにする。まるで化学実験のようだ)。OB・OGに注ぎ終わったら、次は自分のコップに飲み物を注いでもらう(未成年ならウーロン茶、成人ならだいたいお酒)。注がれた飲み物は「ありがとうございます」と言って一口でもいいから飲まなければならない。その後、談笑をする(そんな状況でできるはずがない)。その最中にビールが無くなったと気づいたらビールを注ぐ。区切りがいいと思ったら、ひと声かけて別のOB・OGに挨拶にいく。これを時間の限り続ける。目の前に料理はあるがほとんど食べれないと覚悟することだ。そんな時間はない。
入ったばかりの新入生にこんな芸当すぐにできるわけがない。だから、新歓コンパの1ヶ月ぐらい前から講義がない空いた時間にみっちり練習することになる。部の基礎練習は二の次だ。まずは酒のルールを身に着けなければならない。何時間もかけて。部の練習ではやさしい上級生もこのときになると態度を豹変する(講義のときはやさしい教授も研究室では……みたいな)。恐怖政治の始まりだ。これが1年に4回行われるから、新入部員たちもすっかりその部活動の思想に染まる。これで晴れて部員の仲間入りだ。
新歓コンパで完璧にこなせる新入部員はほとんどいない。「もっとしっかりしろ」とコンパが終われば影で上級生たちはOB・OGに注意されていたところを見たことがある。そのときの上級生たちの背中は小さく見えた。下級生は上級生に逆らえないし、上級生はOB・OGには逆らえない。結局、その部活動の思想を作っているのはOB・OGの年寄株となる。変えようと思っても変えられない構造になっている。
今話題となっている大学もこんな構造なのだろうと推察している。上には逆らえないし、上もその上には逆らえない。ただし、一番上はやれとは言ってない。みんな"伝統だから"という不文律のなかで動いている。しかし、実質その伝統を変えられるのは一番上の人物だけなのだ。当分この構造は変わらないのだろう。
※これはフィクションです。実在の人物、団体、界隈などとは一切関係ありません。
そのひとが描く、すらりと伸びた手足が好きだった。
何にも染まらない白い肌が同じように白い肌と重なっている。草原の中に佇む、少年とも少女ともつかないその姿は確かに静止画としてそこから動かない筈なのに、きっと誰にも捕まえられない。吹き抜ける風のように自由で追いかけても追いかけてもすり抜けていくだろうから。
「尊い」
そんな私の口から零れたのは、たったそれだけ。ツイッターで回ってきた、その美しすぎるイラストについて、私はそれ以上語る言葉を持たなかった。
いや、持てなかった、と言うべきだろう。私のような語彙力のない人間がありふれた陳腐な言葉で褒めちぎっても何にもならない。
だからただ「尊い」とそれだけ言っていればいいのだ、そうだそうだ、それが正解だ。
残念なのは、一回しかふぁぼが出来ないこと。見た瞬間に無意識に1回ふぁぼって、見入って息をするのを忘れて、それからやっと呼吸を再開した時に手癖でもう一度ハートマークを押したら、ふぁぼが解除されてしまった。正直あと億万回押したい。ツイッターの仕様変えられないの?
これだからツイッターはなんて思いながら、絵についてるツイートに目をやった。
なるほど、確かに見たことないキャラだと思ったけど、やっぱりオリジナルだったんだ。そして”久しぶり”という言葉から察するに、普段は二次創作をやっている人のようだ。
ツイ主のアイコンは、知らない2頭身の金髪の女の子キャラのイラストだ。アカウント名は@noanoa_hc、スクリーンネームはNoa。
初めて見る人だ。世の中にはまだまだ私の知らない素晴らしい絵師さんがいるんだなぁと思いながらその人のプロフィールページに飛んだ。
固定ツイートを見てぎょっとした。
女の子と女の子がキスをしているイラストだった。一人はアイコンにもなっている金髪ロングの女の子、もう一人の子は茶髪のポニーテールだ。
オリジナルの中世的で絵画的でもあった雰囲気とは全く印象が違う。女の子らしさを凝縮したふわふわキラキラした世界。可愛らしい色合い。
でも確かに絵柄は同じだった。すらりとした手足のタッチは同じ。間違いなくどちらもNoaさんが描いたものだということは分かる。
そうかそうか。なんだ、その、普段は百合?をやってる人、なんだ。え、それってどういうこと?
っていうか百合って男向けのだよね?そういえば時々BLとか少女漫画の作家さんが百合描いてるの見かけるけど、正直仕事として依頼されたからだよね。好き好んで男のために消費されるようなものを作る女なんていないでしょ。
だったら何?このひとは一体何なの?bio見る限り商業作家さんではなさそう。お仕事用別アカウントもないみたいだし。趣味で百合をやってる女のひと、ってこと?
ああ、そうだ、きっとそうだ。それを収入源にして本当にやりたいオリジナルやってるひとなんだ。なんかそれってすごい。女を消費したがる男を食い物にして自分の好きなことの肥やしにしてるってことだよね。格好いいな。
私は男子の絡みを主食にしているし、可愛い受けより美人で男前な受けが好きだから、こういういかにも”かわいい”を強調したイラストを見ていると少し居心地が悪い。だけどやっぱり絵柄自体は好みだから、不思議とずっと見ていられた。もうフォローするしかなかった。
Noaさんのツイート頻度はそんなに高くなかった。2~3日に一回つぶやけばいい方。おはようとか疲れたとかの一言だけだったり、突然おいしそうな飯画を上げたり、内容はまぁ普通だ。口調は結構乱暴な感じだけど、名前からしても多分女のひとだろう。あんなに繊細で美しくて尊いイラストを描ける人が男であるはずがないと思う。
そんな普通なツイートに混じって、週に1回平日(後にそれが毎週水曜日であることに気付く)に何かのアニメの実況をしているらしいことも分かった。
最初は何のアニメなのかよく分からなかったけど、ツイートがやけに熱いなと思っていたら、その日のうちにワンドロを上げたりすることも多くて、例の固定ツイートにしている女の子達が出てくるアニメのようだった。
イラストはワンドロにも関わらず、毎回クオリティが高くて、知らないアニメだけどNoaさんのは別だ。即座にハートマークを押して、でも少し考えてそれを取り消した。
内容が内容だから、自分のフォロワーさんにこんなのが回ったら絶対迷惑になる。みんな百合の耐性ないもんね。
だから私はNoaさんを追うためだけのアカウントを作り、改めてフォローし直した。ふぁぼ欄がNoaさんのイラストやツイートで埋まっていくのが嬉しかった。
Noaさんは週末には時々オリジナル絵も上げてくれた。キャラは私が初めて見た時のものと同じだったりそうじゃなかったり。とにかくもうNoaさんの絵が全部好きだった。
というかNoaさんのことを好きになっていた。低めのテンションから自ジャンルの話題に食いつくときのギャップが最高だし、普段の砕けた乱暴な口調も格好良い。何か自カプについて考察みたいなことをツイートして界隈からのふぁぼリツをかっさらっていったかと思えば、オリジナルの儚げなイラストで私達を殺しにくる。
ツイート頻度が高くないことは重々承知の上で、それでも今日は呟いているかどうかと、毎日のようにアカウントを見にいった。
そうしていると段々話しているジャンルの内容が気になってきた。気になりすぎて動画サイトで探して、アニメを前クールから全部追った。
正直そこまで私には刺さらないアニメで、男同士でやればいいのにと何回も思ったけど、ツイートの中身がスラスラ分かるようになったのは本当に良かった。
TLを読解出来るようになると、それまで見えていなかった色々なものが見えてくる。
ジャンルの界隈の人でいつもNoaさんの考察に空リプしてる人、それに丁寧に対応するNoaさん。時には長めの議論に発展することもあるけど、いつもNoaさんが綺麗に論破してしまう。
そして、Noaさんをしきりにご飯に誘ってくるのはいつも同じアイコンだった。休日の度に何度も何度も図々しい。でもNoaさんは優しいからその誘いに乗ってあげていた。
TLに流れてくる二人分のスイーツ画に吐き気がした。Noaさんはお前のSNS映えのための道具じゃないんだぞ。
無事に現行クールの話数に追いついた私は、水曜日にはリアルタイム視聴もするようになった。Noaさんの実況を見ながら見るアニメは格別だ。離れているのに、お互い顔も本名も知らない関係なのに、一緒の時を過ごしている感じがする。
そして、見ているうちに私はある思いが日に日に強くなっているのに気が付いた。
Noaさんの自カプ、BLじゃない?と。
女王様系の金髪ロングと、従者的な幼馴染の茶髪ポニーテール。BLじゃ王道中の王道の関係性じゃない?断然金髪が受け。大人っぽいのに可愛いところもあって女王様な美人受け、最高じゃん。茶髪の方は幼馴染だからってこともあって、金髪の傍若無人な振る舞いを上手いこと扱っていて、なんかちょっと熟年夫婦感があるんだよね。もしこの二人が男の子だったら私の好みどストライクだ。本当になんで男同士じゃないんだろう。もったいなさ過ぎる。
いよいよ私は我慢が出来なくなって、その思いをNoaさんのマシュマロにしたためた。Noaさんが私の考えをどう思うのかが知りたくなった。
メッセージを送った瞬間は正直冷や汗が出た。これまでイラスト好きですとか応援してますとかそんなことしか送ったことはなくて、CPについて聞くなんて初めてだったから。
百合のことなんか全然分からないけど、やっぱり男体化って話題はよくなかっただろうか。でもでもNoaさんの普段の発言じゃ、金髪と茶髪に付いて嫁とか夫だとかいう言葉だってよく出てくるし、彼氏面とかも頻繁に言ってるし。それにオリジナルの時はどちらかというと少女より少年っぽさの方が強調されたりもする。”男キャラ”についてそこまで拒否感はないはず。いやでも。そんな考えが頭の中をグルグル巡って、やっぱり送らなければよかったとさえ思った時、それは起こった。
『男体化!その手があったかー!ありがとうございます!!』
TLに現れたその文字列を見た瞬間、私の体温は5度くらい上がったんじゃないかと思う。
その後Noaさんは続けざまに男体化について3ツイートくらいのツリーを形成して思いの丈を語った。もちろんマシュマロのお返事含め、それらは全部スクショした。
Noaさんが、あのNoaさんが、私の意見を拾って、それに賛同、私と同じように萌えてくれたのだ。
自分の性癖にとことん刺さるBLを読んだ時くらい嬉しかった。嬉しすぎて文字通り部屋の床をゴロゴロ転がり回ってしまった。
数時間後に男体化イラストが上げられた時には確実に一度心臓が止まったと思う。
これだと思った。二人の少年はばっちりNoaさんの絵柄にハマっていた。そうなのだ、これが金髪女王改め王子と茶髪従者の真の姿だ。彼らはその女性性を捨てることで、真に美しい姿に、概念にまで昇華したのだ。
その後もNoaさんは度々男体化イラストをUPしてくれた。それに触発されて界隈の他の絵師が同じように描き始めたけどやっぱり全然だめ。Noaさんじゃないと、”少年”のリアルな質感は描けない。絶対に。やっぱりNoaさんは男同士を描くために生まれてきたんだと思う。これまでの百合をやってきたのは金髪王子と茶髪従者に出会うための布石だったんだ。私はそう確信してさえいた。
自ジャンルのオンリーイベントのサークル参加募集が始まったのはちょうどそんな頃だった。Noaさんがサークルカットと共に『新刊男体化漫画やります』とツイートした時は、見間違いじゃないか5度見くらいした。
大好きなNoaさんが、他でもない私が布教した大好きな男体化カプで新刊を出すのだ。信じられない思いだった。というかこんなにいいことばかり続いていいのか?とさえ思った。
そして、一番重要なことはイベントに行けばNoaさんに会うことが出来るということだった。一体どんな人なんだろう。いや素敵な人に違いないとはもちろん思っているけど。これまで飯画や上げられる写真には本人は全く映り込んでいなくて、顔もそうだが服装や雰囲気なども一切分からなかった。でも、会えるのだ。せっかくの機会、Noaさんと自カプについて話がしたい。
そのためにも私はもう一度アニメを隈なく見返した。金髪王子と茶髪従者についてやれるだけ考察を重ね、解像度を上げることに専念した。
いよいよイベント当日。
一般入場が開始された瞬間に私はまっすぐNoaさんのスペースを目指した。15分前にTLをチェックした限りでは設営完了とのこと。新刊表紙の茶髪従者にお姫様抱っこされている金髪王子を目印に人の波をかき分けて進んだ。
パンフレットとスペース番号を何度も見比べながら場所を確かめる。ああ、私Noaさんに会うんだ。そう思うと心臓はがなり立て、喉はカラカラに乾いてくる。歩みを進めながらも深呼吸してごくんと唾を飲み込んだ。
スペースには大きな列こそ出来ていなかったものの、既に5~6人並んでいた。開始直後にってすごくない?やっぱりNoaさんって人気作家なんだ。
声の主の方を視線で辿って息を飲んだ。めちゃくちゃ美しいひとがそこにいたからだ。可愛い、ではなく、キレイなどでは足りず最早「美しい」という言葉しか適さない顔の造形だ。
身長は170cm近くあるだろうか、きれいめのジャケットをクロップドデニムでカジュアルダウンしている姿が様になりすぎている。
耳が見えるくらいの明るい色のショートカットの髪が、さらさらと額の上で揺れていた。
一見して男か女か分からなかった。どっちと言われても信じることが出来そうだ。確かなのはその人が美しいということ。
そしてそのひとの胸元に名札がついているのに気が付いた。
”Noaだょ”
崩した文字だけど、確かにそう書かれている。Noaさんだ。Noaさんなのだ、この人が。この美しいひとが。
聞こえてくる「ありがとうございました」の声は見た目の印象よりも少し高め。それに何より名札から下をよくよく見ていると、柔らかそうな身体つきが見て取れた。Noaさんは女のひとだ。メンズライクだけど確かに女のひと。男装カフェとかにいても不思議じゃないタイプの。私だってあんな風に顔が良かったら男装コスだってしてみたいと思ったことが1度や2度くらいある。もちろん鏡を見てすぐに諦めたけど。
Noaさんは私の理想のひとだった。あんな風になりたかったと思えるひとだった。最高のイラストが描けて、TLでも人気者でその上顔やスタイルまで美しくて格好いいなんて。すべてが私の理想通りだ。こんな素敵なことがあってもいいのだろうか、本当に。
私はの緊張はいよいよピークに達し、息が上手く出来なくなってきた。
無情にもNoaさんの客さばきは高速で一気に私の番になってしまう。
「あ、あの、しんかん1部、くださひっ……」
噛んでしまった。
やばい恥ずかしい。一気に顔に血が上ってくるのが分かる。今すぐにでも逃げ去りたい。そんな私を気にも留めずにNoaさんは新刊1冊ですね、と私の震える手から500円玉を受け取った。
何をしているのだ。こんなことで怯んでどうするのだ。何のためにここへ来たのか、何のために夜通しアニメを見返したのかも分からなくなってしまう。
私はNoaさんのから新刊を受け取ると、「あの」と切り出した。
「あの、実は私、Noaさんに最初にマシュマロで男体化よくないですか?って言った者なんです……!」
よかった。今度は噛まずにちゃんと言えた。少しだけほっとする。
「そうなんですか!?えー、ありがとうございますー」
Noaさんは目を見開いて驚いて、すぐさまぱぁっと明るい笑顔を浮かべる。
「うわー、じゃあこの新刊出せたのもあなたのおかげじゃないですかー。えー」
「いえいえそんな全然です!あの、やっぱ二人の関係はちょっと少年的というか、男体化すると無垢な感じがめちゃくちゃ出るというか、それがNoaさんの絵柄に合うんじゃないかってずっと思ってて」
やばいなと思いながらも一気に捲し立ててしまった。やばいな、Noaさん引いてるかな。ちらりと顔を見ると、Noaさんは先程から変わらずニコニコとした笑顔のままだった。
「いやぁ嬉しいなー。マシュマロもらった時私もその手があったかー!って思って興奮しちゃって。ほんと”少年”って儚げな感じがこの二人っぽくもあっていいですよね」
なんてことだろう。私が思い描いたような展開が繰り広げられている。本当に夢かもしれない。それなら覚めて欲しくないけど。
そう思っていると、隣のスペースの人がNoaさんに声を掛けた。
「るかちゃーん、今ソラリよんさんからラインきて、今日の打ち上げ来れるかって言ってっけど、参加でいいよねー?」
「ん?ああだいじょぶー」
「りょ~!」
背中まである長い髪を綺麗に巻いたその女は、Noaさんの返答を聞くが早いかキラキラしたネイルの指先ですぐさま返事を打ち始めた。
なんだこの女。やけにNoaさんに馴れ馴れしくないか?あのNoaさんだぞ?分かってる?
隣のスペース誰だったかな、ほとんどNoaさんしか見てなかったからよく覚えてない。でもお品書きポスターの新刊表紙に見覚えがあった。
こいつ、毎週末NoaさんをSNS映えの餌食ににしているクソ女じゃないか。いつもこんな風に馴れ馴れしくNoaさんに絡んでるんだ。最悪。胸の中にモヤモヤした感情がくすぶり始める。
でも同時にそれが正しくない感情であることも私には分かっていた。だって私はオフラインのNoaさんのこと、ほとんど何も知らないのだ。隣のクソ女の方がずっとずっとNoaさんを分かってる。他にも打ち上げの連絡をしてきたソラリよんか誰か知らないけどそういうやつとか、打ち上げに来る他のメンバーなんかの方がよっぽどNoaさんを知っているはずなのだ。
それでも、それだけで私がこの人たちに負けていると思いたくなかった。私はそんなみんなから慕われている神絵師同人作家Noaさんに布教してそれをNoaさんも気に入って新刊まで出したのだ。それをさせたのは、間違いなくこの私。
気が付いたらNoaさんが再び私の方を見ていた。
「え!?」
いきなりのことにひっくり返ったような声が出てしまった。
「あ、お時間あればいいんですけど」
Noaさんは白い歯を見せながらニカッと笑った。笑顔があまりにも眩しすぎる。Noaさんはクソ女の方を振り返る。
「ねー、もりーぬさん、打ち上げもう一人追加でいいー?えーっと」
そしてもう一度私の方を振り返って聞いた。
「あ、双樹、です」
「りょーかいです。もりーぬさーん、”そうじゅ”さん、追加で。そ、1人。あ、そうじゅさん終わったら連絡するんでライン教えてもらえません?」
それが私がNoaさんと”繋がった”瞬間だった。
Noaさんのスペースを後にして、会場をぼんやり歩く。正直百合がメインのジャンルだから男体化で本まで出しているサークルは少なかった。打ち上げの時にNoaさんと話すネタになるだろうと買い込みたかったが、Noaさんに触発されて突発で出したコピー本みたいなのが数冊だけしかなかった。それでも収穫は収穫だ。
どこかでご飯食べて戦利品に目を通して、打ち上げの連絡を待つとしよう。
Noaさんのスペースは会場のだいぶ奥だったから入口まで地味に距離がある。それにまだ一般入場が始まって30分も経っていないわけで、色んな列が進路を阻み、色んなスペースに向かう人が色んな方向を目指して進むに進めなくなって新たな混雑を生んでいる。ぼーっとしていたら人の波に攫われてしまいそうだ。
そういえば今までBLのオンリーやオールジャンルには参加したことがあったけど、百合がメインなのは初めてだ。どこもかしこも女の子のイラストのポスターやらなんやらが目につく。そしてそんな会場にいるひとの8割くらいは男性なのだった。確かに女性はいるし、サークルで参加している人には女性が多いようには思うけど、客はみんな男性だ。こういう男女比のところに初めて来たから余計にそう思うのかもしれないけど。やっぱり百合は男性向けなんだ。男女ものの男性向けほど直球のエロじゃないにしても、キレイな理想の女の子と女の子の世界ってやっぱり男の考えた理想郷で、男のための消費物に他ならない。
よかった、Noaさんが男体化をやるようになって。あの美しいひとが、例え売れるからってこれ以上男のための消費物を作り続けるなんてもったいなさ過ぎる。、
そういえばさっきNoaさんのスペースに来てたのもほとんど男の人だった。男体化でもちゃんと買ってくれるってことはやっぱりNoaさんの画力と漫画の上手さだよね。
いや、待てよ。もしかしてNoaさんガチ恋勢なんじゃないの?だってあれだけ美しいひとなんだし、それもない話ではない。だって元々百合が好きなのに男体化の本を買うなんてありえない。絶対あいつら内容なんて見てないんだ。ああやっぱり男って最悪。Noaさんもこのまま男体化続けて、早くBLにきたらいいのに。
人込みの中、男がこっちにぶつかってくる度に聞こえるように舌打ちしてやりながら、私は何とか会場を出た。
連絡を受けて、打ち上げ会場となる居酒屋に集合より少し早い時間に到着した。既に店の前でNoaさんとクソ女、それからいかにもな感じの男オタクが2人いた。Noaさんはすぐに私に気付いてくれて、私をそこにいた人達に紹介してくれた。一通り自己紹介が終わるとクソ女が男達に身内的な話題を振って私以外の4人で話し出した。何これ居辛ら過ぎる。私が死んだ魚のような顔になってもクソ女と男共は全く気付いていないようだった。最悪。
するとNoaさんが、急にこちらを向いた。私は慌てて生き返った顔に戻る。ヤバイ、見られたかな。Noaさんはこちらを見てにっこり笑うと、クソ女と男共に「そろそろ時間だし先はいっとこ」と言った。流石Noaさん。きっと私を気遣ってこう言ってくれたんだ。まだ来ていない人が2~3人いるらしかったが、その人達にはクソ女が連絡することになり、私達は店の中に入った。
ビールで乾杯した後、早速みんなアニメや今日のイベントの話をしたり、戦利品について語り始めたりする。
席順は奥からクソ女、Noaさん、私。そして向かい側に男が二人。男のうち1人は赤髪と紫髪の姉妹が自カプらしくてその話をNoaさんに振ってくる。
「82話のお姉ちゃんの妹への眼差しがやっぱりすべてを表してるんすよ」
「あれはね。流石に言い逃れ出来ない」
「っていうかソラリよんさんの新刊が、全部やってくれたからなー」
「空白の8時間!!」
「いやまじで空白の8時間ってなにっていう」
そんな会話が次々と展開されていく。なにこれ。っていうか赤髪と紫髪のカップリングって何で人気あるのか不思議なんだけど何で?今日のイベントでも島が出来て
最近肩こりがひどく、背中が痛むし、吐き気まででてきたので、きょう整骨院ににいってきた。
これまで整骨院(整体?)というものにほとんど行ったことがなく、予備知識もほぼない。
とりあえず徒歩圏内で、評価星4.5くらいの整骨院を予約した。
▪️来院
昼頃来院。
平日は基本ひとりで回しているらしく、私が帰るまで整骨院には彼だけだった。
▪️着替え
予診表をかいて、症状をつたえて施術の大まかな内容を説明受ける。
内容は、施術(ストレッチ?整体?)、電波(筋肉をほぐす)、電気治療(血行をよくする)。
「下半身も施術が必要ですので、こちらでご準備したものに着替えていただいても大丈夫ですか?」と促され、もちろん承諾。
カーテンを閉めたあと、受け取った着替えを見て焦った。
勝手にハーフパンツを想像していたのだが、ショートパンツだった。しかも思ったより短い。
完全に一分丈。しかもスパッツのようなタイプではなくて、ゆるゆるタイプ。普通に横たわっているだけでも足が全部出ていて、ちょっとでも膝を曲げると下着が丸見えだった。
Tバックはお尻部分だけが紐状態になってるのが特徴と思う方もいるかもしれないが、そうではない。
多くのTバックは前方から後方にかけてだんだんと細くなるため、フルバックのそれと比べて、陰部部分も布面積が小さいのだ。
念のために書いておくが、整骨院に行くからコレにしようとか一切考えなかった。ラインが出るスカートだからとかいうわけではなく(今日はデニムだったし)、ただ単にタンスから適当に手にとっただけだ。ただ何も考えずに履いてただけ。
膝を曲げただけで外陰唇が見えるスタイル。なんだこれは…と思い直した。
「女性のお客さんも多いわけだし、ここが見える施術をするわけがない。そんなことしてたら大問題だ。何かで見えなくしてくれるんだろう…」となぜか思い込み、着替えが終わったと声をかけた。
うつ伏せになりタオルをかけられて施術開始。やはり下半身隠してくれるじゃないか。よかった。
上からふくらはぎ、太もも、腰、背中…とグイグイ押されはじめた。
ところが中盤から、そのタオルを腰あたりまでまくられてしまった。足が丸出しだ。
恥ずかしい、恥ずかしいが、「いや、ちょっと、あの」と声をかける勇気は出なかった。
そして膝を曲げてそのまま上へ持ち上げ、前ももを伸ばすストレッチ。
ベッドの横に立ち膝を持ち上げているであろう院長。いやもうこれ完全に見えているのでは….いや、でもまさか、目をそらしてるだろ。
きっとそんなやり方していたら他の患者に訴えられるだろうし、そんなわけはない…。なるだけ何も考えないようにした。
今度は仰向けに。顔にタオルをかけられたので様子は見えない。
違和感。なんで直接触るの?タオルの上からじゃダメなの?太ってるし恥ずかしいし、なんで旦那以外の人にうち太ももやら足の付け根の肉を触られないといけないんだろう?しかも足の付け根をやる時、ちょっと指が外陰唇に触れたりしている。どうしたらいいんだ。怖い。
正直もう帰りたい気分だった。
しかし、密室、初めての場所、男性と二人、というのは普段は意識しないけど、結構怖い状況だ。
大抵の男性には全力を出しても腕力でかなわない。「もう帰ります」と言って、もしニコニコした顔が一転して、怖い形相で腕を掴まれたらどうしよう。言えなかった。
「えーと……はい…」
コレより際どいことやんの?マジで?という気持ちでいっぱいだったが、そのまま電波治療へ。
どうやら手では強くマッサージできない筋肉である内ももから足の付け根までを、電波の出る器具で優しくマッサージするというものらしい。
両足を曲げて足の裏同士をくっつけるように指示された。
引き続きタオルで目を隠されているため自分では見ることができないが、
お察しの通りすでにショートパンツのゆるゆるの隙間からパンチラどころかマンチラしているはずだ。外陰唇が見えているはずだ。泣きたい。
内ももからローションのついた美顔器みたいなやつ(施術前に見せてもらった)をくるくるとマッサージされる。
恥ずかしさも頂点というその時、
ショーツの前部分を数センチ浮かせたようだった。
かろうじて隠していた小陰唇部分が空気に触れ、あらわになっているのがわかった。
私は何をされているのだ。それ浮かす必要あるのか?そのTバック、足の付け根部分まで布ないよね?そのまま下着に触らなくても治療できるよね?浮かさなくてもローションつかないよね?もう嫌だ、どうしよう。パニックだった。
にも関わらず、「痛くないですか」と聞かれ「大丈夫です…」とただ普通に返事をしていた。
院長は変わったそぶりもなく、丁寧に保険の説明と会計をしてくれて、整骨院をあとにした。
▪️これは一体なんだったのか
が、さっきお風呂に入る時、下着を下ろすときに手が震えている自分に気づいた。
どうやら自分が思っているよりも傷ついてたみたいだ。
モヤモヤする。
いや、いやいやいや。
改めてサイトを見ると、口コミはどれも星3.5以上で、ざっと見た感じ、誰もそのようなを書いている人はいなかった。
院長はおおよそ口コミ通り、親切で優しく丁寧な人物なのだと思う。
実際会話した印象もほぼその通りだった。
そんな院長だからこそ、私が何も抵抗しないので、院長も「見えてるからやめます」とは言えないし、そのまま続けざるを得なかったのだろうと思う。
そうか、こんなにつらいのに、私が悪かったのか。
あーあ。
ショートパンツに履き替えるの、断ればよかった。
そこ触らないでください、って断ればよかった。
ちゃんと断ればよかった。
こんなの夫に言えない。
きっと、そんな格好で行ったことや、途中で拒否しなかったこと、すごく怒ると思う。
ごめんね。ごめんなさい。
中学生の頃、絵を描く仕事に就きたいと考えて、高校は美術科のある高校へ通った。一時期は絵の予備校にも通っていたし、高校の授業外の絵の講習も3年間行って、課外でもみっちり描いてきて、今、美大に通っている。
高校一年で出会った時、既に私よりずっとイラストも、デッサンも上手かった。
魅力がある絵とは、この事なのか、と思った。
私が見ても、なんとなく形がズレていたり、プロポーションがおかしいことはあったが、そのズレや歪みすら、魅力的に見えた。
彼女とは約2年半仲良くしていた。
精力的に絵を描いて、絵に関する努力を努力と思わず、全力で楽しんで制作している姿を私は間近で見ていた。
しかしながら、私は仲良くする反面、なんとなく僻んでもいた。努力を苦と感じず、グイグイ絵にのめりこめるその才能が、欲しかった。
私は高校の同学年の中ではよく言って中の上レベルの実力しかなかった。
自分では、しっかり頑張っているつもりだったし、なんなら彼女と同じ練習メニューをこなしてもいた。それでも足りなかった。
周りはみんなコンクールで賞を取る中、私は3年間一度も、何の賞も得られなかった。
コンクールの搬入手伝いと、作品選考手伝いをした後、私の作品は落選と分かり、先生からかけられた「頑張ったね」の言葉が重かったし、悔しかった。
自分は自分のペースで、と思いつつも、近くにいる天才の力を感じずにはいられず、焦ってばかりいた。
今も、焦っている。
私が大学で、迷って、悩んで描いている間も、多分彼女は進化しているし、何かしらのアクションをしている。
私はというと、この一年、新しい環境に疲れ切ってしまって、制作に身が入らなかった。
夢に向かって邁進する彼女と、同じところをぐるぐるずっと回って迷っている私。
このままではダメだと何度も思って焦った。
彼女とは、三年の夏頃からあまり話さなくなった。なんとなく、合わなくなったのでお互い離れたという感じだった。
合わなくなった理由としては、多分受験だろうと思う。それだけとも言い切れないが。
彼女は国内で一番難関の国立美大を目指していたので、春の一般受験まで気が抜けない状態だった。
対して私は比較的難関と言われる私大を秋の推薦で受けるつもりでいた。
この頃から、なんとなく、絵に対するモチベーションや、考え方が合わなくなったのだと思う。お互いに、それは違うんじゃないの?と、思うことが多くなった気がする。
私は推薦入試で、なんとか合格を勝ち取れた。クラスの他の推薦組も、殆ど合格していた。
それを感じ始めた彼女は、余裕がないのもあって、一般入試を控えた人達と推薦入試を批判し始めた。
噂で聞いただけなので、本当に批判を言っていたのかどうかは定かではないが、彼女の放つ雰囲気でなんとなくそう言いたいのは私にもわかった。
推薦で楽して受かる貴方達と私は違う、と言いたげな態度を取られた。
私の主観なので、なんとも言えないが。
私は、行きたい大学に行くチャンスが増える、という理由で受けた推薦入試を批判される筋合いは無かったし、受かったあとの過ごし方をとやかく言われる筋合いも無かった。推薦には、推薦の大変さがあった。推薦も、一般も、自分の決めた道だ。
彼女とは卒業式前に顔を合わせてから今まで、一度も会っていないが、浪人したらしいと風の噂で聞いた。
彼女の絵は、私も好きなので、頑張って欲しいと影ながら思っている。
多分、これから先も、彼女より魅力的で上手い絵を描く人とは出会わないと思うし、心から尊敬している。頑張ってほしい。
出会ってからずっと、彼女の背中を追いかけたり、彼女と自分を比べて苦しんだりしたが、もう踏ん切りをつけたいと思って、気持ちを整理するという意味で、この文章を書いた。
これから私は、彼女の歩いた道をあとから追いかけるのではなく、私の道を歩く。私にしか描けない作品を楽しく描いていく。そう決めた。
ブランドは知らないが高いらしい椅子に座り、真剣そうな顔で仕事的なことをしてるっぽい振りを演じている私(36歳)だがーー
実は2時間前から、斜め前の秘書(♀27歳)の子の秘所(おまんこ)をぺちょぺちょ舐めてぇぇぇ!とばかり、考えている。
想像の中では、もう500万回舐めてる。
本人が書棚にファイルを取りに行くときは、個室で基本は二人きりなのを良いことに、背中に向かって存分に性的な視線を投げつけている。
こういうのは、セクハラになるんだろうか。
また私には、妻子がある。
妻のおまんこは毎日舐めたいし、妄想の中では毎日舐めたいが、実際に舐められるのは3週間に2度ほどの頻度だ。哀しい。
私は妄想の中で、妻と、秘書の子の秘所を、何度も代わる代わる舐めることを日課としている。
秘書の子に恋愛感情はない。それは妻にしかない。だが肉欲はある。しかし今までも、そしてこれからも口や手を出すことはないだろう。
こういうのは、浮気というのだろうか。
通称テニミュ、今年で15周年を迎えた、2.5次元舞台の火付け役とも言われる舞台である。
そのテニミュでは、大体2年ほどの周期で、主役校の青学キャストが代替わりをする。
いわゆる卒業というやつだ。
その中の、とある代の座長、越前リョーマくんに、私は心を奪われた。
力強いダンス、ぶっきらぼうなセリフの端々に丁寧に織り込まれた感情、目線や仕草で表現するキャラクターの気持ちの揺れ動き…例を挙げていけばきりがないが、大好きだった。
でも、どれだけ大好きでも、いずれ終わりがやってくる。
"卒業公演"
始まれば、終わる。
世の常である。
バイバイ、と言って消えていった彼。
わかっていたことだったが、子どものように、みっともないほど泣いた。
それから数ヶ月後。
顔も見えないような距離の席だったが、一目見て、違うと分かった。
同じ白キャップを被り、同じジャージを着て、同じラケットを持っていても、私がずっとずっと背中を追いかけてきた、彼とは違う。
頭ではわかっていたつもりだったのだが、実際に見て、唐突に理解した。
もうリョーマくんは、彼ではないのだ。
そして、わかっていても、現リョーマくんにどこか彼の姿を重ね、面影を探してしまう自分が嫌で、大好きだったテニミュから少しずつ足が遠のいた。
そして、時は流れ、その現リョーマくんの代も、卒業が発表された。
もう卒業なのか、早いな、距離ができるとそんなものなのかな、というのが率直な感想だった。
そして、その卒業ライブが近くで行われるとのことで、友達に誘われたこともあり、じゃあ行ってみるか、とチケットを取った。
久しぶりに触れるドリライは、あの頃と変わっていることも、変わっていないこともあって、懐かしかった。
現役の子のオタクがワクワクした面持ちで、名前入りのキンブレを用意したり、推しの名前を背負ったお手製Tシャツに袖を通したり。
そして、複雑な気持ちを抱えたまま開演を迎えた。
もちろん選曲等で懐古して涙してしまうこともあったのだが、しかし、以前よりなんだか素直な気持ちで、現青学、現リョーマくんを見れている自分がいた。
自分でもびっくりしたのだが、現リョーマくんの曲で、自然とペンライトを青にして、現リョーマくんを見て振っていたのだ。
成仏、とはまだ言えないが、少し、ほんの少しだけ、現リョーマくんと歩み寄れたような、和解できたような、そんな気持ちになれた。
私にしては、これは大きな一歩だった。
嬉しかった。
私はこの日、力士が相撲を取っている姿を、生まれて初めて生で見た。
この増田では、ネガティブな感想のほうを2つ書いてみようと思う。
といっても、たいしてネガティブでもないんだけど。
まず、国技館の1階の座席がメインターゲットであるジジババに優しくない。
1階席はフェルトみたいな生地が張られた1畳分くらいの座敷に靴を脱いで上がるようになっているんだけど、四方を鉄の柵で区切られていて、足腰の弱ったジジババが入りづらいし、背もたれも何もないので、朝一(なんと7時)から来てるジジババは、後半「腰が痛い、足が痛い、尻が痛い」とかわいそうだった。
そして、ぶつかり稽古の時の白鵬の行為に、世間ズレを感じて残念に思った。
会の後半、突然遠藤と白鵬のぶつかり稽古が始まった。遠藤が白鵬の胸を借りるかたちで、両者の気迫を感じる熱いぶつかり稽古だった。しかし、途中スタミナが切れて立ち上がれない遠藤を、白鵬は足で蹴って鼓舞したのだ。
だけど。
頑張らなくっちゃ。
そんなCMが昭和の頃にあった。「頑張らなくっちゃ」の言葉がいい意味でしみるのだけど。
今なら自称「鬱」の人に「不快」と言われるのだろうか。「頑張れ」はタブーであるらしい。
それっぽい病んでいる人の前では特に言葉遣いは気を付けているけれど、つい励ます意味で使いたくなる言葉だ。
まさか「頑張ろう」が「嫌な言葉」になるなんて、このころ誰が思ったろうか。
私たちは、上ばかり見て、それを目標とするように、誰かの背中を追いかけて生きるんだと思っていた。
1つハードルを飛べれば、次には少し高くなってゆく。それは当たり前で、みんなそうなんだと。
それは、成績だったり、考え方だったり、要領の良さだったり、ピアノの巧さだったりもした。
タイトルどおり。二回も行ってわりとハマったのでご紹介。
なお当方子持ちではありません。
首都圏から無理のないアクセスにもかかわらず、ゼロ距離で動物たちと触れ合える。
一回目行ったときはヤギ、ペンギン、サイチョウなどを至近距離で確認。
二回目はカンガルーとずっと戯れていた。
種類も多いが、とにかく動物の数が多い!!!
コアラも相当いたし、カンガルーは子どももいてかわいくてよかった。
繁殖に力を入れているのか、かなりの種類の動物たちの子どもがほぼ毎年生まれているよう。
あまり知られていないわりには?他園との交流も盛んなようです。
わたしはあまり動物に関心はないほうだったが、ここは混んでいなくて本当に良い。
唯一のデメリットとしては、極めて園内が広大で、足が死にそうになることですかね。
一応園内周遊バスのようなものはあるのでそれを利用するとよいかも。
みなさんお越しください。