はてなキーワード: とびかかるとは
犬なんて誰でも買えるけど、ちゃんとトレーニングして飼育出来てる奴は、正直5割は余裕で切ってんじゃねぇかなぁって思う
うちは子供時から結婚して自分の家庭を持つ今に至るまで3頭ほど育ててきてるけれど、他所の犬を見て犬が可哀そうって思う事がよくありますね。
人間が環境を整えてやることも、散歩やトレーニングなど必要な運動をするとか、日々のケアから病気になっても最後まで面倒見てやる事も大事だし、
無駄に叩いて過剰な恐怖を与えない躾の仕方についても正しく経験を積むことも大事だと思うが、何を禁じて許すのかって接し方もとても大事だと思う。
犬は家族だが、あくまで犬であって子供ではないし、人間じゃない。その区別をつけてない奴が多すぎる気がします。
人間が区別をつけてやらないと、犬の方で勝手には分かってはくれないですよ。
うちで飼ってた先代の甲斐犬が、躾を入れた後に夜中に吠えて飼い主を起こしたのは2度のみで、1回目は泥棒に敷地内に入られた時、二回目は蛇が家に侵入した時でした。
飼い主が一緒にいるタイミングで、知らない人が近づいて来たとか、友人・恋人が飼い主に近づいたとかで吠えるとか
何かを要求して唸ったりするのは、人間を下に見て自分が群れのリーダーとして振舞ってるだけなんですよね。
なので、うちでは、無駄吠えと平時に人に唸る行為は絶対に許しません。
あなたの犬、撫でろって要求してきて、撫でるのを止めたら唸ったり吠えたりしませんか?それが可愛いとか思ってませんか?それ、俺の方が上だ、それを証明してくれって不安がって言ってるだけです。
上の立場だと思ってるのに、人間が自分に従わないからストレス感じてるだけなんですよ。言われるままに撫でて、勘違いを補強してどうするんですか?
(叩かなくても、目を見据えて、首を噛むように掴むとか、マズルを鷲掴みにして横倒しにすれば、怒られた事は理解します。)
これも人間を舐めてる行為なので許さないですね。散歩中はリードを持った人間の横を人間と同じペースで歩くか走る。
歩く道を決めて良いのは人間だけです。
いつ走って、いつ歩くかを決めるのも人間だけです。ただし、大便小便がしたい時は、人間にお伺いを立てても良い。
自分が好きな方向に好きなペースで引っ張れると犬は勘違いをするし、第一に首輪にリードを付けてるだけだったりすると首に負担がかかってよくない。
飛び出して車に轢かれる、見知らぬ人にとびかかる、散歩中の他の犬に向かっていくなどを防ぐために、犬の事を考えれば必須のはずです。
どこの狼の群れが、αの寝床に下っ端が寝る事を許すかって話ですよ。
上下関係が崩壊する原因にしかならないので、これをやろうとしたら首根っこを掴んで、腹見せて降伏するまで許しません。
人間の衛生面の問題を考えても、人間と犬の間でテリトリーの違いは明確にしておくことは、室内飼いの基本だと思います。
(叩かなくても、目を見据えて、首を噛むように掴むとか、マズルを鷲掴みにして横倒しにすれば、怒られた事は理解します。)
人間が食ってる時、あるいはその前に飯を与える事はないし、食べてるものを欲しがっても与えない。
これも上下関係を壊さないため。犬のご飯は人間が食べ終わった後に、殆どの場合は妻でも子供でもなく俺が与えます。
我々が給料を与えてくれる会社を程度の差こそあれ尊重するように、犬に取っては食事を与えてくれる人間は尊重する対象になります。
多くの場合は決まった人が食事を与えてくれることで、誰を尊重すべきか理解します。それを混乱させない様にすべきでしょう。
暴れてるから宥める為とか、そういう理由で食べ物を与えない。おやつはトレーニングや、遊びの際のご褒美として使うくらい。
宥める必要がある時は、ちゃんと怒ります。うちの犬は、名前を読んで指で鼻っつらに触ろうとするだけで大人しくなります。
要求すれば食べ物が貰えるのではなく、人間が要求した事をすれば、人間と一緒に遊べば、嬉しい事がある様にしておくべきです。
トレーニングを遊びだと、楽しいことだと感じさせるためにも、メリハリをつけたほうがいいでしょう。
待て、来い、ハウス、伏せ、お座りは、最低限できないとダメでしょう。
うちの犬は、待てと言った後に10分くらい放置しても餌の前でも動かないですよ。
飼い主を舐めてなければ、それくらいはできます。基本的なコントロールが通ってない犬は、人を噛むなどするリスクが高まります。
特に中大型犬が人間の子供を噛めば、それが他人の子であれば、犬の処分は避けられなくなります。
犬の為にも、人間は指示を与える側であって、犬は従う立場であるということを理解させておきたいものです。
挙げた事が全部守れないとダメな飼い主って言いたい訳ではないんですよ。ただ、主従関係が明白になっていれば出来て良い事ばかりだし、それだけ犬のトレーニングに時間を割いた証拠でもある。
しっかりトレーニングして人間と自分の立場の違い、自分が所属する群れの範囲を理解した犬は、挙動も表情も常に落ち着いてて可愛いものですが
こいつ人間舐めてんなぁ・・・って犬を見ると、凄く可愛そうになりますね。毎日、人間との上下関係が揺らいでストレスしかないでしょう。
その能力も権限もないのに、何故か肩書だけは課長ってことになってて、部下に舐められっぱなしの窓際族やらせてるようなもんですよ。落ち着いて生活できるはずないでしょ。
女性飼い主にそういうストレスにさらされている犬が多いと感じてますが、なんで馬鹿犬にしちゃうんでしょうねぇ。あんなんで教育を伴う育児なんて出来るはずない。
それは次回の予定でしたがしかたないんですなwww
まずなんといっても技の範囲が広すぎますぞwww今作では新たにパワーウィップを習得しましたなwww
そしてなんといっても交代戦にて交代するだけで発動するいかくで物理耐久にすぐれていますぞwww
今作追加のダイマックスも相まって高い耐久力に加えて多くの相手に役割を持てるのが強みですぞwww
また苦手な相手がはっきりしているのも論者の貴重な脳リソースの削減にも繋がりますぞwww
ヤャラドスが苦手な電気・岩を半減で受け止めますぞwww逆にヤットレイが苦手な炎・格闘をヤャラドスは半減で受け止めますぞwww
そしてそれでも有利が取られる相手が着たら3体目で対処するだけでよいですなwww
異教徒ども「ギャラナット」と呼んで使っておりますなwwwもっとも変化技を採用したり自信過剰を採用したりと無駄が多すぎて相手になりませんがwww
しかしながらそれなりに広い技範囲と受け出し性能を持ちますぞwww
まずは特性のもらいびですなwww
上述のヤットレイを使うと結構炎技が飛んできますぞwwwそれに合わせてヤルヤクデを出すとこちらの火力が上がり更に相手の行動を潰すことができるので非常に有利ですぞwww
そして炎技は有用なサブウェポンなので多くのタイプが採用しており炎技を撃つ相手が必ずしもほのおタイプとは限りませんなwww
そんなサブウェポンとして炎技を採用している相手にとってヤルヤクデが後ろに控えているかも知れない状況は判断を鈍らせサイクルに乱れを生じさせ有利対面を作ることも可能ですなwww
タイトルには悪くないとは書いたが、
これは、「監督と選手との認識の違い」という件に関して考察したいものであり、
自分自身が教育者としてかつて行ってしまった、誤りを改めて見直す事を目的としたものだ。決して本件が悪くないとは思っていない。
問題なのは、対人に対して成果を求められる、あるいは成果を求める教育者がこういった状況に陥りやすい事について是非知ってもらいたいからである。
仮に監督・コーチが「ぶっちゃけていうと」どうなったのかを教育者としての経験とそこで起こった状況から、考えたいと思ったからだ。
したがって、私自身がどういう愚かな言い訳をするのか、客観的に見てみたいのだ。
この問題を考えずして、情熱をもって指導をすることを辞めてしまいそうになることが、どうも納得がいかないからである。
もう一度言うが、本件は明らかに指導者が悪い。恐ろしい事だと、そう断言する。
私はサッカーを少々やっていたことがあるが、サッカーというスポーツはとてもえげつない側面を持っている
(もちろん、この件をしっかり考えて、事実に基づき、その正当性について考える必要はあるが、ここでは「えげつない」という簡単な言葉を使ってしまう事にする)
イエローカード程度に調整された意図的なファール、移動が困難になり、転倒寸前まで引っ張られるユニフォーム、
次のファールを軽くしてもらえる、あるいはファールを取ってもらいやすくする審判への講義
これは、ファールを取ってもらう為に痛がるパフォーマンス、絶妙な位置で転ぶ等に対して、審判がファールを取らない事から、
その行為自体が存在している事をが広く認知されている事を証明しているだろう。
よく、ユニフォームを掴んでしまうことに対して「とっさに掴んでしまう、ゲームに熱中していたからだ」という言葉を聞くが
何千男百との試合を経験している中で、こういった行為を抑制する事など出来ないはずは無い。
これが行われるという事は、試合の中で審判の判断の範囲内で裁かれないグレーゾーンを上手に渡り歩いているからだ。
この問題にはゲームの進行を止めてしまうとゲームのスピード感を損なってしまうし、ロスタイムの増加に繋がるといった、
観戦者やスポンサー等に対するショービジネス的な要素も関わっているはずだ。
ともかく、どんなスポーツも「紳士的に行う事」が大前提とする中で、こういったグレーゾーンを戦術的に行う事は、だれしも考える事だろうと思われる。
そこで、今回の件を思い出したい。
「選手を潰してこい」といった、事がどのように行われるべきだったかという事だ
アメフトについて、無知である私がこのゲームについてどこまで許されるものかを書いて良いものではないが
すくなくとも、アメフトではボールキャリアに対してとびかかる様なタックルを行って良いものだと多くの人は認識していると思う。
前記したサッカーのグレーゾーンについて考えると、監督が指示したのは「全身全霊をかけた、相手を破壊する事を厭わないような危険なタックルを行え」という指示だという事になる。
試合中にこの様なタックルをしたとして、審判や相手チームは選手に対して警告を行ったとしても、今回の様な事態にはならなかったであろう。
それでは、なぜこの様な事が起こったのか、ここでもう一つの「監督と選手の認識の違い」について考えたい、この件が今回私が考えたい本題なのだ。
選手の記者会見で本人は「試合に対するやる気が見えない」と指摘されているまた、この件に対して選手自身に「その自覚が無い」と言っている。
ここからは私自身の勝手な推察であるが、もしかすると監督やコーチには、選手が以前からこう映っていたのではないだろうか?
「選手に対するタックルに躊躇いが感じられる、有効な一撃を逃している」
といった、選手が考えてもいなかった側面、特にメンタル的な要素が起因した問題を何とか排除すべきだったのではないか?
これは、学生に対する教育者が特に悩む問題で、大きな肉体的、あるいはセンス・テクニックを持った学生がメンタル的な要素で、その才能の邪魔をしてしまっている場合だ。
それを証拠に、試合後、選手に「やさしいから」等といった言葉をかけている事から、メンタル的な要素に何か起因する問題があったのではないかと推察される。
こういった時、二次的に集団的にどういった事が起こるかというと、指導者の意図を察知した仲間が、悩む仲間に対して助け舟を出すのだ。
特に誰もが認める優秀な人物に対しては、熱心にそれをする場合が多い、自分の夢をアドバイスにして託す事は親にも指導者にもある、もちろん同じ夢を志す同士であればなおさらだ、
問題なのはその仲間が本人に対して適切なアドバイスをしない事があるからだ。
今の私と同じように、ありもしないことを勝手に想像し、相手に対して最善だと思う事を自分の中で構築するのだ。まるで親友の恋愛話を親身に答えるように。
どうなったかというと「相手の選手が潰れれば試合が楽になる」というアドバイスになった。
これは、チームメイトとして、この問題について解決すれば、大きな成長になることを信じて、一歩踏み出せない相手の背中を押す行為だったのではないだろうか?
もちろんこの時、アドバイスを与えたチームメイトは、まさか、試合中断中にタックルをするとは考えていない。あるいは、この様な大事になるとは考えていない。
そして、最後に念押しして指示される「やらないではすまされない」といった指導
この時、いよいよ思考は停止する。
この選手は、20歳の学生だ、学生の中には指導者の指導は絶対である、大人は正しい、先生は何でも知っている、そういった考えを持つ物がいる。
選手の記者会見で再三「理不尽だと思う事もあるが、指導者に対して言う立場にない」等といった発言が出るのは、こういった側面があるからだと考えられる。
自分が未熟だから、考えも及ばない所で指導が行われている、そう考える学生がいるのだ。
一方で指導者はどうか、ほとんどが恵まれているのに、あと一つの所で伸び悩んでいる、何度も場数を経験させた、そんな選手をどう思うかだ。
こうした者に対して考えてしまう事は、自分の才能が認められたという事に対する慢心だ、その慢心から、向上心を失っているという事だ。
もう一つは、先に挙げたような、メンタル的な要素だ。
この問題に対してやりがちな事は、対象を悔しがらせる事だ、まだ未熟だ、やる気を取り戻すまで、練習をするな等と、相手を奮い立たせるような挑発をする。
実際に、練習に参加させないといった、理不尽と思われる事を行っている。
これは、現実は思っているより厳しい、大人はもっとえげつない、社会は間違っている、世界には間違っていることもある、そういった事を伝えたいというものだ。
とても紳士的で優しい人物であれば特に、この厳しい現実を伝えたくなるのだ、そんな時、自分の分野を引き合いに出すのだ。
厳しい勝負の世界にどれほど立ち向かう覚悟があるのか、と考えた末に「殺れ」という言葉が口から出るのだ。
もし、荒くれ物の選手だったら、真逆の事を言っていたのかもしれない。
こうして、自分自身はおかしいと思う行為の決行を判断する事になる。
本人は、この問題を理解していないのだ、練習も頑張った、代表にもなった、指導のおかげだ、ほかに何が足りないのか
なぜ、自分をないがしろにするのか?なぜ、急に指導が厳しくなるのか?なぜ、特別な指示が出されるのか?
指導の通り頑張った。タックルの踏み込みが浅いと指導されているので、きちんと踏み込みには気を付けている。
そんな時に、「確実に潰せ」という簡単な課題を出されたときに、その問題を解決できると信じてしまうのだ。
多くの人が同じことを言えば、決して紳士的ではないグレーゾーンの問題と同じように、問題ない行為に思えてくるのだ。
事実、幾人かの学生と向き合ったときに、もとい、人と本気で向き合ったときに、自分の意図とは全く違う行動をする者がいる。
これは、自分の意図という秤が自分を基準にしている事が問題である事が分かった、自分だったらこうするだろう、こう伝えたら分かるだろう
といった、自分の秤は、どんなに水準を一般化させて展開させたとしても、学力や能力の同等な人間を集めたとしても一致しないという事だ。
特に教育者は、複数の人間を相手にしなければいけない、問題は彼だけではないのだ。
多くの問題を抱えていて、すべて平等に行われなければならない。
簡単かつ誰でもわかりやすい単純な物が良い、ただし、簡単であるが上に矛盾が生じる、一人だけ変更すれば他の物が混乱する、その為に強引に行うのだ。
時には、問題因子を排除する事も厭わない。個別に指導するよりよっぽど管理しやすいからだ。
次に、指導者を増やすことだ、自分の代理を複数立てる事だ、しかし、代理は自分自身ではない、
どんなに忠実な代理だとしても、伝言ゲームの様に指導内容が違って受け取られてしまう。
それならば、同党の指導者を置けば、本来想定したものと違う指導内容になってしまうことになる。
そうなると、自分の手柄を作って信頼を得なければならなくなる。
その為には、多くの学生を指導して、信頼を勝ち得なければならない。という悪循環が起こる。
正直自分にはこのスパイラルをどう解消するべきなのか分からない
今は、教育は平等でなければならないという考えを変え、学生の自発的な活動を見守り、問題は早期に発見して対処するといった事をしている。
しかし、熱心に、あるいは強制的に行う教育の効果には遠く及ばない。問題はなくなるが、才能の開花を促進させる手伝いはできない。
適材適所、バランスよく相手に合わせて状況判断して実施するという事が望ましいに決まっているが。
自分以外の人間をどこまで知りえる事ができるだろうか?それも複数人も。
何もしないで見守れば、育つ物も当然いる、同じように、愛情を注がなければ開花しないものもいるのだ。
そもそも、学生に何らかのきっかけを与えるのが教育者なのではないだろうか?