はてなキーワード: 社会科とは
学生時代の昔語りをしてはいけないと言われているから、匿名で書く。
俺は小中学校通じていじめられっ子で、毎日他の生徒に引っ叩かれ、学ランには毎日スリッパの跡がつくような楽しい学校生活を送っていました。部活動は体育系に強制加入で、そこでもサンドバッグでした。首の神経がどうにかなる寸前だった時は、加害者の方が自宅にニヤニヤしながら謝罪に来てくれましたが。でも、すぐに元の状況に逆戻りでしたね。
体育会系の教師が生徒指導の役割を担って体罰を加えて統治することは、昔はけっこうザラにあったと思うんですよ。俺はエリートが集う運動部に加入していたわけじゃないけど、桜宮高校で行われていたことが「あるある感」とともに過去の記憶を蘇らせるくらいの実感があります。
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http://anond.hatelabo.jp/20130122033549
その支配の構造は上記の記事と、そのブクマにある「自主性=言われなくても俺の思う通りに動け」のとおりだと思うのです。剣道部出身の社会科の先生が担任だったけど、気に食わないことがあると授業を中断して職員室に帰っちゃうわけです。それが5回に1回はあるわけですよ。それをねー、いじめられっ子兼学級委員長の俺が「お願いですから帰ってきてください!」と三文芝居しなきゃいけないんですよ!俺を殴っている態度不良な生徒の不始末を抱えて、こんな幼稚な教師の筋書き通りにいい子を演じるのは耐えられないけど、そういうもんだと思ってやってました。「いい子」だったから。それが役割だもん。
大津のいじめ問題でも同様のことを感じたんだけど、「学校を治める」ことは「生徒を健全な状態に保つ」こととは全く別の問題なんですよね。あたりまえか。生徒に対してプレッシャーを掛けて正しい指導をしていると思っている人が、現実を解決してくれるわけではないのです。
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【体罰問題】大阪市立桜宮高校の生徒・OBの声 まとめ - Togetter
学校の中で発言力が高い生徒が何の疑いもなくこういうことを言ってしまう環境の中で、俺がいじめのターゲットにされていたら、マジでやばかったんじゃないかと。学校の教育方針とそれに同調する生徒が甘ったるい美学で包囲する世界じゃないですか。生徒同士の「指導」がひとつの機能として認められかねない環境ですから、体罰やいじめが運動部だけの問題に収まっていたとはとても思えないんですよね。
もし、俺が桜宮高校の中にいたら、あの過去よりもさらに深い絶望に陥っていただろう。もし、桜宮高校で「攻撃してもよい生徒」になったとしたら「俺をこの地獄から一刻も早く救ってくれ!」と祈ったよ。
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橋下の政治手法がどーだこーだと言う人がいます。学校に圧力を掛けているだの、入学まで止めなくても、過去に体罰を容認していただろとか、大人の責任を子供に押し付けているだの。そのとおりだと思います。普通科への看板の掛け替えをしただけ、とも言われます。根本原因を解決していない。全くそのとおり。仰せのとおりでございます。
だけど、俺が追い詰められて死ぬ生徒の立場なら、そーんな政治や中・長期的な視野なんて、ク・ソ・ど・う・で・も・い・い!!こんなアホだらけの学校に自浄作用や自主性を促されて、平和な環境がいつできるの?つーか、殴られ続けている最中にそんなことを周りから聞かされたら、さらに絶望してビルの屋上に足がススム君だわ。
殴られて絶望している生徒は、一般の生徒と同じ仲間じゃないんです。殴られて絶望している生徒は、一般の生徒と同じ仲間でいなければならないからこそ絶望するんです。ミソもクソも一緒にして、生徒の自主性だの、大人が子供を騙しただの、なんていうロジックで、自殺したキャプテンとTogetterに出てくるような糞餓鬼をひとつのカテゴリに入れている場合か?何よりも優先して救うべきなのは、今暴力に押しつぶされようとしている生徒だろ?
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この糞餓鬼共にキチンとした人権意識を持たせたり、学校に行動を改めさせるのは、乱暴に言うと今すぐじゃなくていいんです。まず、手を出せない環境を作ること、手を出したら損をするという状況を作ることです。優先順位を誤って対策をすれば、初動で効果的な対策が延び延びになるだけですよ。まず初動、そのあとで誤った教育を行わないシステムの改修をするべきです。初動対策が終わったら、視野を広げて考えればいいし、むしろそうしなければいけません。そこで初めて、生徒というカテゴリを前提とした一般論が必要になるのだと思います。
30歳サラリーマン
彼女が欲しい。
求めるのは下記スペック。
160cmないのに60kg以上はぽっちゃり系ってよかデブだと認定してる。
ヒップホップにもレゲエにも恨みはないが、なぜかヒップホップ好きの女、レゲエ好きの女は刹那的な思考してて合わないという印象。
ロック好きは認める。むしろ好印象。
ジャニーズ好きは出来れば避けたい。
高卒だっていいけど、高校レベルの社会科の知識がないと、話がすごく面倒くさい。
困るだろ普通に。
そもそも、金持ちは金持ち同士、貧乏人は貧乏人同士のほうがいいと思うんだ。
俺にとって贅沢が彼女にとって当然だったり、その逆って嫌だし。
財布が一緒になった時に「どっちが稼いだ金だ」「使ってるのはどっちのほうが多い」等々で揉めたくないし。
やっぱ重要じゃね?
床上手な処女とまで贅沢は言わない。
どのくらいの頻度で、どんなふうにするかとか。
下は二十歳までオッケー
なんで女って悪口と噂話ばっかなの?
ブコメだとネタにマジレスとか言われたり賛否があるんだけど、自分はすごく感動した。自分も「こんなこと勉強して何の役に立つの?」とか聞いちゃう子どもだったから、妙に心に刺った。
それは小学生とか中学生のころの話じゃなくて、高校生にもなってそんなことを聞いてた。個人面談で先生に聞いてた。その時の答えは、
「今はそんなことを考えて立ち止まってる場合じゃないだろ。勉強の意味なんて勉強すればわかることだ。いまはとにかく勉強しなさい」
というものだった。
で、自分はその答えに全然納得がいかなかった。わかってるなら、どういう意味があるのか言えよ!と思った。だから上のエントリが刺さった。あのとき先生がそうしてくれたらよかったのにって思った。コメントとかに勉強は役に立たつ必要はないっていう意見もあったけど、これも違うと思う。役に立つと思ってやったことの方が身につくし、楽しい。実際に、知識がお金に化ける場合もある、人を助ける場合もある。役に立たないより立つ方いいに決まってる。
上記エントリによると『大人は「知識はどんな風に生きてくるのか」ということを力説し、また「役に立つこと」を実感させてあげないといけない。』らしい。まったくもってそのとおりだ。自分は高校時代に「勉強が何の役に立つか」を本気で考えていたから、普通の人よりこの質問により多くの解答を出せる。だから、今度はこの質問に答える側になってやろうと思った。
『多くの子どもに、「将来」という言葉は刺さらない』らしいが、勉強が最も直接的に役に立つフィールドは仕事だと思う。だから、勉強が役に立つ職業の説明から入る。職業という点で考えると、教科ごとに役に立つ職業は異なる。
建築家(どのような構造が壊れにくいのか計算するのに必要)、研究者(物理、化学、工学、情報系などは直接的に使うが、その他、心理学、経済学、生物学などほぼすべての研究に統計は必要)、ゲームプログラマ(3DのCGなどは特に計算が難しい)、その他のシステムエンジニア、プログラマ(どうやったら計算量が少なくできるか考えたり、負荷を分散できるか考えたり色々)、機械の設計をする人間(船、飛行機、車、エレベーターなどなど動くものの設計には計算が欠かせない)、弁理士(特許の手続き等を行う人。こういう文章http://kantan.nexp.jp/%E7%89%B9%E8%A8%B1/a2007272629/を書いたり読んだり)。
ガソリンスタンドの店員(危険物を取り扱うため)、研究者(主に化学と生物学。医学、薬品や農薬の開発、試験、コンピュータ、発電、蓄電、建築などに応用できるような新素材の開発)、官僚(農林水産省や経済産業省など。農薬、食品添加物、産業廃棄物の基準をきめたり色々)、医者、看護師、獣医、畜産家、農家、栄養士、薬剤師、保健師、衛生管理者(食品工場など)、水道局員。警察(科学捜査系)。
海外に行く人。外国人がいる職場で働いているひと。英語の資料を読まなきゃいけない人。論文とか書く人。
翻訳家、記者、作家、漫画家、企画職、コピーライター、検事,裁判官,弁護士,政治家,官僚(法律の難解な文章を読んだり、条文を作る際により正確にものを伝える)、システムエンジニア,プログラマ(ソフトウェアの利用規約はだいたい難解、仕様を作る際もわかりやすく伝えないといけない)。
自分が思いつくもので、わかりやすく役に立つ職業はこんな感じだ。自分が理系だし、理系の方が役に立ってることが分かりやすいので理系科目に力を入れている。国語とか社会科とかは広く薄く役に立ってる気がするのでこの仕事で役に立っているというのが少しわかりづらい。
さて、この職業のリストを見て自分はこの職業につかないから関係ないやと思ってる人も多いんじゃないかと思う。しかし、実際にはこのような職業を評価する側の人間も同様の知識が必要となる。たとえば、雇用主、人事、取引先の人間。このような人は上記に挙げた職の人間を評価しなければならない。その人の態度や風貌で評価をするのはあまりよろしくない。それ相応の専門的な知識が必要だ。上記に挙げた職の人と取引のある人間というとその範囲は一気に広がる。そして、取引先には消費者も含まれる。
家電を買うにしたって食品を買うにしたって知識は必要だ。これまでマイナスイオンのような科学的に根拠のないものがブームを生んだ例もあるし、健康食品だってそういうものがあふれている。これからも第2、第3マイナスイオンが生まれるかもしれない。どういう理論で効果があると主張されているのか、実験は正しい条件で行われているのか。そういうことを判断するのには科学の知識が必要になる。
答えはNOだと思う。具体的に、勉強嫌いな高校生S君を想像してみると、すぐに反論されてしまうのが目に浮かぶ。
学力を必要とする職業は多いが、あまり必要でない職業も一定数存在する。土木作業員、コンビニ店員、居酒屋店員、服屋の店員、料理人、バス,タクシー,トラックの運転手、芸人、音楽家、デバッガー、清掃員。もちろんこれらもある程度の学力がいるが、せいぜい中卒レベルの学力があれば学校の勉強よりももっと役に立つことをするべきだというのも筋が通る。そして、それが学力が必須でない職業につくのが、学力が必須の仕事に就くのより大変かといわれるとそうとも言えない。学力が必須でない職業に就いた人は幸せになれないわけでもない。学力が必須の仕事についたからといって幸せだとは限らない。医者は多忙だし、貧困な生活を送るポスドクの研究者もいる。社長や政治家より、責任のない立場の人間のほうが気が楽かもしれない。
マイナスイオンの話にしたって、科学に詳しい友人が一人いれば済む部分が大きい。高校時代にやるべきことは勉強よりも友達作りなのかもしれない。
簡単だ。ほぼすべての仕事が仕事として成立しなくなる。ほとんどの日本人が生きていけなくなる。
そもそも、学校の勉強というのは「ある人が勉強をしたとき、その人が得をする」ようにではなく、「みんなが勉強をしたとき、みんなが得をする」ように作られているはずだ。例えば、騙されやすい人間が増えれば騙す人間も増えやすい。集団の中にいる知識を持った人間がガセや嘘がはびこるのを防いでいる。日本人全体の語彙が増えれば、説明のとき使える言葉も増える。先進的な科学技術がみんなの生活を支えている。ある人の勉強によって、周りの人が得をする例と言うのは山のようにある。
このことがいわゆる『囚人のジレンマ』の状態を作っているので、ひとりの人間を勉強させるように説得するのは難しい。自分で手間をかけて勉強するより、他の人にやってもらったほうがはるかにお得だ。
勉強が自分でやるより他人にやらせるほうが得なことを踏まえると、自分は勉強しないけど人には「勉強をしろ」と言う人間や、「理由は言えないけどとにかく勉強しろ」という人間の多さにも納得がいく。自覚のあるなしに関わらず、周りの人間が勉強しないことへの危機感をもって行動ができている。つくづく人間って賢いと思う。生命の神秘すら感じる。
自分でやるより他人にやらせるのが得なら、子どもがやるべきは「たくさん勉強する」ことよりは「周りに勉強をさせられるような人間になる」ことなんじゃないかと思う。だから、どうすれば人に勉強をさせることができるかを考えてみる。
子どもには勉強をしろと言いつつ、官僚を馬鹿にしたり、科学者に「お前の研究は役に立ってない」と言ったりする人がいる。こういうのは明らかにダメだろう。これでは子どもが「なぜ勉強をするの?」と思うのは当然だ。勉強をたくさんしてそれを生かしている人たちは褒めなきゃいけない。これこれこういうところがすばらしいということを具体的に言えれば、子どもが勉強と尊敬される人間になることを関連付けられて、勉強への意欲がわきやすい。
また、たくさん勉強をしている人間を「がり勉」などといって馬鹿にするのも良くない。これは大人より子どもがしてしまう。あまりそういう人間を馬鹿にして減らしてしまうと結局は自分が損をすることになる。
人は同調圧力に弱い。周りに勉強している人が増えれば、勉強は楽しくなるし。自分が勉強していることに対する疑問も持ちにくい。
誰かが勉強している時はその質を上げられるといい。楽しく勉強できるようにするとか、短時間でもより多くのことが身に着くように勉強法やテキストを改善してやったりするといい。どうゆう勉強が役に立つかを教えてあげるのもいいと思う。勉強は役に立つほうが面白い。
志の高い人にとって、役に立つ勉強はたくさんある。簡単ものでもプログラミングができれば、何時間もかかる作業を一瞬で終わらせられたりする。デザインについて学ぶのもいい、デザインは人に伝えるためのものなので人に物事を伝える手助けになる。こういうのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6やこういうのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81を知るのもいい。学校の授業でも英語、理系科目、地理、政治・経済などは役に立つ場面が分かりやすい。
勉強にも大学受験では評価はされないものがある。役に立つ勉強をしてきた人間をしっかり評価するということも重要だ。役に立たない勉強がもてはやされれば勉強はつまらなくなる。
給料が高い方がやる気が出るし、そうなりたい人が増える。雇用主だけが考える話じゃない。消費者がしっかり価値のある技術にお金を払うのも大切だ。消費者がキャッチコピーや広告に流されてその製品に使われている技術が見れないと、会社はキャッチコピーや広告の制作に熱心になって技術者に対する対価が増えない。お金に余裕のある人が、大学研究、素晴らしいオープンソースソフトウェアの開発、政党に寄付をするのもいいと思う、なかなかそんな人はいないかもしれないが。でも、科学雑誌なんかを読んだり最新の技術研究に注目する人が増えるだけでも、その研究が陽の目を見る可能性は増す。
それは自分が勉強をすることだ。周りに勉強している人を増やすには、自分が勉強するのが手っ取り早い。勉強している人間をほめるのも、対価を増やすのも、勉強している人を見分けられる必要がある。十分な学力がなければ、支持している人間が似非科学者であってもそれを見抜くことができない。勉強をしなければ、勉強の質を高める方法もわからない。
「勉強って何の役に立つの?」は答えるのが難しいが、「勉強を役に立てたいのですがどうすればいいですか?」という質問なら少し話が変わる。幸い、今はインターネットがあり勉強を役に立てる方法は身近になっていると思う。単純なものだと、学習サイトでも作ればいい。上でも言ったとおり職業上、勉強を必要としている人がいるし、昔習ったことを復習したいという人もいる。そういう職業になりたいという人もいる。そういう人に向けてサイトを作ればある程度需要はあると思う。 楽しいものが好きならばゲームを作ることもできる。高度なものとなると少し難しいが、ミニゲームであれば中学レベルの数学で通用する。ブロック崩しあたりだとちょうど中学の座標やグラフの交点とかの知識が役に立つ。ブロック崩しなんて作ってもぱっとしないかもしれない。それは、もうすでにあるものだからなんだと思う。重要なのはちゃんとした知識があれば、今はまだないものもできるということだ。
勉強の役にたつすばらしい場面というのは今はないものを生み出せる、新しい勉強の役立て方を見つけた時だと思う。印刷機だって、テレビだって、洗濯機だって、パソコンだって、FaceBookだって、スマートフォンだって、十分な知識があったから生まれた。それが生まれる以前は勉強がそんなことに役立つことは知られていなかった。
有名な動画Did you knowによると2010年の需要のある仕事Top10は2004にはなかった仕事らしい。
勉強がどう役に立つのかは時代ごとに変わっていくし、勉強の新しい役立て方というのは次々と見つかっている。勉強の新しい役立て方が見つかると、世の中の仕組みが爆発的に改善されることだってある。勉強にははそういう夢がある。見つけるのは多少むずかしいかもしれないが、それをできた人はたくさんいる。勉強を役に立てたいのならその方法を探してみるといいと思う。
これを読んでも勉強に乗り気にならないという人はいると思う。人にやらされる勉強っていうのはどうしてもやる気がわかない。
正直、学校の勉強の質はさほど高くないと思う。歴史はもっと現代史に力を入れるべきだろう。カエサルが死に際に「ブルータス、お前もか」と言ったなんて話は何の役にも立たない。フランス革命のころにナポレオンがどうこうしたという話ですらも大して役には立たない。南アメリカ、アフリカ、東南アジアなども含めて、ここ100年の歴史を詳細に学んだほうが役に立つ。昔の人間より今の人間の方が身近だ。より正確な記録もあるので嘘も少ない。古代の話は教訓を学ぶには記録が少なくて曖昧すぎる。また、古文は考古学者か歴史作家にでもならないと役に立たない。もっと役に立つ勉強をするべきだと思う。小説は人の気持ちを考えるのにあまり適してないと思うし、教科書に取り上げられる論説文は論理的に穴だらけの文章も多い。
それでも、詰め込み教育、ゆとり教育を経てだんだん良いものになっていると思う。テキストも改善され、勉強はより楽しくなっているようにみえる。
自分は詰め込み教育からゆとり教育への変遷は改善だったと思っている。円周率を3.14で計算することは小数の筆算の能力を高めるが、現在では紙とペンより計算機の方が身近にある。筆算よりは、およそ3として暗算で計算できる能力のほうが有用だ。総合的な学習は調べ学習や、クラス内の発表練習、英語の学習などに割り当てられた。時代の変化に学習指導要領が追いつくまでにはラグがあるが現場の人間が内容を決められる授業がそのラグをうまく埋められるようになっている。初めて、パソコンに触れたのも、検索エンジンに触れたのも(当時使ったのはgooだった、なつかしい)、htmlに触ったのも総合の時間だったと思う。この勉強は間違いなく役に立っている。そして楽しかった。
学問も進歩してるし、教育も進歩しているんだと思う。でも、まだ無駄は多い。それは、これからもっと改善されていくんだと思う。
個人的な意見だけど、学校の勉強にやる気のわかない人は別のことをやってみるのもありだと思う。いま目の前にある勉強よりもっと役に立つことがあると思うなら、それをやればいいと思う。学校の勉強よりも役に立つことを見つけたいと思ったらそれを探してみればいいと思う。自分は学校の勉強より、プログラミングの勉強してゲームとかつくってた。それは学校の勉強よりももっと役に立つことだと思ったから。そういうことを続けていたら、IT系の会社に就職することが決まった。自分で役に立つと考えてやったことを評価してくれる人はいた。
ちょっと長くなったのでまとめる。
自分が考えた勉強の意味はこんな感じだ。勉強の意味は考える人ごとに多少違うものになるんだと思う。勉強には他にもこんな意味があるんだという人がいたら、ぜひその意見も聞いてみたい。勉強の意味は多い方がいい。一人の人が勉強の意味をたくさん感じられるようになったらそれだけ勉強をする人は増えるはずだ。
除染に自衛隊、便利屋扱い? 防衛省に波紋 「民間でも十分できる」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111120/plc11112000420000-n1.htm
自衛隊の任務は国民の安全と財産を守るためであって、便利屋では無い。
自衛隊の特徴は、初動の「即応」と自己完結能力にあるのであって、この時期になってもはや除染に自衛隊は必要無い。
恒常的に「放射性物質」を扱っている民間企業(例:東京電力、原子燃料等)があり、常日頃から「除染」を行っているのだから、既に自己完結能力の必要の無い今は、自衛隊を出す必要は無い。
>一川保夫防衛相は18日の記者会見で「除染事業開始までに拠点場所(の除染)を早急にやるとすれば自衛隊の能力が期待される。民間には難しい」
一川保夫防衛相は、自ら「素人」発言をしていなかったか? 素人なら自衛隊の活動に口出すな。
確か、同防衛相は、国賓の宮中晩餐会よりも、自分の政治資金の方を優先した人だったな。
>「直後に(地元に説明に)行くべきだった。常に国民の目線で物事を判断したいといってきたが、防衛省にそういう観点が浸透していない感じを受けている」
とか言っていたが、その防衛省のトップはいったいどこの誰だよ、と問いたい。
もっとも、某党の元総理大臣閣下は小学校の社会科で習うはずの自分自身が自衛隊の最高指揮官である事すら知らなかった閣下もいらしたからな。
あれだ。
きっと、この某党の防衛相は、愛すべき中華人民共和国様と南朝鮮様のために、まず最初の厄介者になるであろう自衛隊を潰したいに違いない。
http://anond.hatelabo.jp/20110831064251
英語教育だけど国語よりも社会科よりも物理よりも重要だと思う。それは現代を生きるための情報ソースという意味で。
日本のメディアも、日本のネットを日本語で検索しても、ある分野では左、ある分野では右に偏向が激しい。
つまり、日本人が得られる情報というのは日本の状況、文脈、都合によって情報に一定のバイアスがかかってる。
それを、google.comで英語で検索すれば、そのバイアスから逃れられる時代に幸運なことに僕らは生きている。
もちろん、英語には英語圏のバイアスが情報にかかっている。しかし、それは日本圏内の情報バイアスの重力から脱出するには十分だし
英語圏は日に日に広がりを増していて、圧倒的に情報ソースの量と広がりが違う。
例えばCNNがKPOPの偏向報道を批判したというまとめサイトが話題になってる。もちろん大部分は、その英語の元記事を読まない。
要はそれすらも日本のバイアスがかかっていて、そのCNNではなくCNNgoのそのページがどの程度の重要性を持つのか、単なるフリーの記者のコラムかということも分からないし
KPOPがアジアで世界でどのような受け取られ方をしているのかを英語でググればずいぶん違った情報を知ることができるのに英語が読めなきゃできない。
つまり、日本語で都合のいい言葉でググって、都合のいいバイアスのかかり方をした情報しか受け取らない。だって、それしかできないからしょうがない。
バカな奴は英語なんて学ぶ必要ないというのは、愚民化政策そのものだ。英語を教えないことによってファイアーウォールを設けているようなものだ。
あるいは、フィリピン人は日本に対してどういう感情を持っているのかなとふっと思った時に、日本語でネット上を調べたってバイアスがかかりまくりだけど、
google.com.phで英語でググれば、中国に住むフィリピン人が語る中国とフィリピンの日本に対して持つ感情の違いについて書かれたこの記事をたまたま読んで
思ってもいない新鮮な発見があったりする。http://propinoy.net/2011/03/20/tohoku-earthquake-and-nipponophobia/
こんな些細なことだけじゃなくて、英語が読めるだけで視野が広がったり日本じゃ信じられない様々なリソースが利用できることがいくらでもある。
だから、バカな奴に英語は必要ないじゃなく、バカな奴こそ英語をやれって言いたいし、かつての俺にもそれは正しかったよと言いたい。
英語ができれば金になる仕事になるといった金勘定ではなく、英語もしくは外国語ができるというのはものすごく人間の判断に広がりを持たしてくれるものだと思うし
日本圏の偏向報道、偏向教育、偏向情報の重力に抗う武器として、外国語はネットが発達した現代において重要さをどんどん増しているように感じる。
あと、英語はもちろん外国語ができる人はもっと翻訳をネット上でしてほしいという希望がある。
もちろん、すでに色々と貴重な情報を翻訳してくれる人がネット上にはいて、ものすごく感謝している。
翻訳というのは日本バイアスに包まれた人間の頭をぶち破ってくれる非常に重要なものだ。やはり母語で読めるというのは大きい。
いまメジャーな翻訳サイトの大部分は「海外の反応」というジャンルにあたるものだが、これは結局「(日本に対する)海外の反応」という意味であり
海外が日本のことどう見てるのかなという自意識が日本アゲに用いられ、これもバイアスがかかっていることが多い。
純粋にバイアスのかかっていない情報など存在しないが、僕らは日本バイアスという強大なものに否応なく囚われていて、破るべきバイアスというのはまずそれであり、
その日本バイアスを破るべくそれとは違ったバイアスがかかったものを持ってくることで盲点を探すしかない。盲点は気づかないが故に盲点なのだから。
かつて必死に翻訳を行ったインテリが持っていたような日本バイアスに囚われていることへの危機感というのは、発展した日本に住む僕らには理解できない。
高校からは英語は選択科目の一つとして、興味のある人だけが学べる形とする。
これに伴い、センター試験の受験科目から英語を完全に排除する。
以下に理由を述べる。
・英語というのは、教養としては国語や社会科よりも意義が薄い。思考の練習としては数学や物理よりも意義が薄く、立ち位置がとても曖昧。
・大学や職場で英語が要求されるようなインテリジェントな作業をする人は全体の数%程度しかない。
・日本での英語教育は現状、TOEIC業界や英会話業界のお金儲けにしかなっていない。
ただし、英語が必要な人も全国民の数%は存在するのは承知している。
彼らには論文を読んだり、インテリジェントな作業をする為の英語チカラが必要だ。
そこで、この弱点を補うために、
そうすれば、
底辺大学の学生は英語をまったく勉強しない生き方で大学に入れるようになる。
彼らは生涯、英語を必要としないのでこれで問題ない。
一方、旧帝大の学生は2次試験で英語を必ず受験しなければならない。
彼らは将来、論文の読み書きなどインテリジェントな作業をするのに英語が必要なので英語をサボる事は許されない。
底辺大学を目指す非インテリ = 高校からは英語は選択科目。受験でも英語は全く不要。
どうだろうか。
「英語」を選択科目としても何の不都合もない事が分かる。
日本が外国人に乗っ取られたって別に構わないと思ってしまう自分は売国奴かもしれない。
ローマ帝国はゲルマン人の流入がなかったとしても、やっぱり滅んだと思う。
「外国人に乗っ取られる!」
とネットで力強く叫ぶ人たちがいるけれども、まあ、このまま行くと外国人抜きに、どのみちこの国がゆっくり沈むような。
ローマ帝国の場合、自作農の没落、農奴化とかいうふうに説明されたりしたけど、その説明も間違ってはいないけど正解でもない気がする。
中流層が没落しなくたって、やっぱり滅んだと思う。
社会科の教師ってマルクスにかぶれてるからそういう説明が好きだけど。
とにかくとして、今の日本にあてはめて
も間違いだと思う。
じゃあどうすればいいんだよってとこだけど、なるようになるというか、なるようにしかならんというとこじゃないだろうか。
まあいいじゃん。
じゃあ民主党もそれを菅に突きつければいいんだよな。
「菅は民意を反映してない! 解散して信を問うべきだ!」って。
だから、
・菅さんは軟着陸でおやめください
これさっきも書いたはずなのに変だなとおもったら
あれれー????wwww
っていうことを書いてる部分を引用して
なにが「あれれー????wwww」なんだ…
お前は自分が何言われてるかもわかってない馬鹿だと示してるだけ。
ついでに
じゃあ民主党もそれを菅に突きつければいいんだよな。
なんで民主党がんなことやるんだよ。
菅と心中はごめんだと思ってるよ。
(菅の後釜ってもう弾ないけどな)
以上明らかに!
お前は頭が糞悪い上に基礎的な知識が欠損しまくっているともうはっきりしてるので
現代文は楽しんで教科書を読み、論理学の練習だと思って問題を解くといいと思う。
古典は少しの単語力と助動詞と助詞の解釈が分かれば得点源になるからおいしい。
といっても、助動詞と助詞の解釈に重きを置く文法理論は受験のため以外の何者でもない。
嫌なら学ばなくても…
やっとけ。数学的思考とかそんなんじゃない。単純に受験で確実にセンター試験で点が取れるというのはおいしい。
理工系だと微積、それ以外の学部に進む場合は線形代数と統計をよく使う。
ま、高校の時にそれを頑張ったからって使うときになったときに使いこなせるというわけでもないから、高校生にそれを言ってもしょうがないんだけど。
選択で一科目なら物理だろうな。
就職したけりゃ物理。そっちに進まなくても、点が取れておいしいから物理。
役にはたたん。
同じく誰しもがかぶれる量子論のほうはまだ分野によっては関わることがあったりするが、高校生はとにかく古典力学を叩き込むべき。
調理が楽しくなったり、スポーツが楽しくなったり。
選択科目じゃ世界史かな。
高校卒業程度の世界史知識は、普通に生活する上でないとあるとじゃかなり違う。
近代史をある程度知らないと、新聞やニュースを読んでも半分も理解出来ないと思う。
中学卒業程度の日本史知識ないすごーく困ると思うんだが、高校日本史はちょっと重箱の隅をつつきすぎてる感がある。
これからの時代英語は重要って言われるけどさ、必要に迫られてその気になってガツガツやらないとビジネスで使えるレベルにはならないし。
ある程度やっときゃメールのやりとりや英語記事をすらすら読める程度にはなれるとは思うが、それ以上はまた別の要因がないと無理。
夫の精神状態がヤバイ。
特に原発関連ニュースを見ては「政府は情報を隠してる!」「もうヤバイ、日本終わりだ!」とかぶつぶつ言ってる。
被災地からは遠い地方に住んでるから、もうちょっと落ち着いててもいいような気がするのに、エラい落ち方をしている。
理系脳で普段はもうちょっと数字とかシステムとか客観的に判断出来る人なのに、今回に限り反応がおかしい。
プチパニックになっていて、「ニュースや政府発表なんて全部ウソだ!」といいつつ毎日テレビとネットにかじりつく。
…自分も昔そうだった。
同年代の夫同様、もっとも教育熱心で洗脳熱心だった日教組教師に反核、反戦、反米をたたき込まれた。
原爆関連の映画とか写真とかドキュメントとか見せられまくり、修学旅行ではお決まりの広島。資料館から出てきたときには立派なPTSD(当時そんな言葉しらなかったし、診断されたわけでもないけど)。
ちょうどそのころ地元も原発建設問題で揺れたり、米ソ冷戦で核戦争間近とか言われたりしてたから、無駄に想像力のたくましかった私なんぞ夜中に窓の外が火の海になる悪夢を何度見た事か。小学生時代に不眠症になり。担任の先生にどうやったら眠れるか相談したりした。今考えると矛盾している気もする。
もういい加減大丈夫になったかと思った高校時代に、やっぱりそっち系の社会科教師に原子力爆弾の威力とかのビデオを鑑賞させられ、一人教室で貧血起こしてぶっ倒れて恥ずかしい思いもした。
あの当時こんな事故が起こってたら、本当に恐怖で心を病んでいたかもしれない。
職業柄(医者だ)いつまでも怖い怖いといってられず、勉強して知識もある程度身につけ、仕事で普通に放射線扱うようになって私の場合は「放射能怖い」は自然にある程度は克服されたんだけど。知識が付いた分、そして夫が先にパニクった分、ある程度客観的に情報収集できている気がするけど。
大災害なんてそれが自然災害だろうと人災だろうと防ぎきれるもんじゃない。
孫を抱えて地震倒壊家屋から逃げ出したおばあさんが、向こうから迫り来る津波を絶望的に眺めたのと同様、私達が精神に異常をきたしかねないほどニュースを見て原発の事を心配しても、現時点で私達がそれに対して出来る事なんてほとんどない。何かあったらあったときにその対策を考えるのが関の山で、先回りして心配しても心を病むぐらいで良い事は一つもないんだよ。
ひまなので憲法の判例(憲法にかんする事件について裁判所が出した判断のこと、憲法というのは中学校の社会科でさんざん習ったあのギョーギョーシイ条文です)をみていますと、何でこんなよくない判断が堂々と出るのかと、ふしぎに思ってしまうものがあります。
一つにはポポロ事件というのがあって、大学生が大学で政治のことについて研究集会をしていたら、近くの警察の人が一般人のふりをしてその集会にもぐりこんだり、学生や先生を尾行(ストーカー)したり、盗聴(!)したりして、何を考えているのか情報収集していたそうです(ちなみにポポロとは集会を開いたサークル名だそうです)。こりゃかなり怖いですよ。なぜ警察がそんなことができるのかわからない。
これについては、憲法に「第23条 学問の自由は、これを保障する。」という条文があるので、警察が学問の自由を侵害しているということで、裁判になりました。
しかし、裁判所は、くだいて言えば「政治集会は実社会の政治問題の研究であって、まじめに真理を研究する学問じゃないから、23条に当てはまらない。なので警察が活動していたとしても、憲法に反しない」と言いました。
こりゃかなりひどいですね。大体、法学や政治学という学問には、真理はないと言われているし、政治そのものを研究することが学問である、と言えるわけです。法律や政治だけじゃなくても、政治を研究することが学問と言える分野はたくさんあります(経済学、社会学)。なのにそれを言わずに、「政治集会は実社会の政治問題の研究であって、まじめに真理を研究する学問じゃない」などと、誰が見てもトボけたことを言って、警察を勝たせました。これが最高裁判所(裁判所の一番上で、最高のケンリョクを持っています)なのだから、あぜんとします。ちょっと考えれば、政治集会だって学問の範囲だと思い至るのに、警察を勝たせたいがために、考えないふりをして、その一歩手前で考えるのをやめているのです。
憲法というのは、こういうとぼけた都合のいい判断が、判例100選などと言われて、権威のある書物に堂々と載っているような学問です。
ちなみに、上の事件だと、学問の自由だけでなく、プライバシー権の侵害にもなります。たかだか政治思想がどうのこうのというだけで、警察の人に尾行されたり、情報収集されたりするのでは、安心して生活も出来ません。あなたが誰にも見られていないと思っていることでも、この社会には本当はすべてお見通しということがあるようなのです。上の事件は、あなたには関係ないよその世界のことではないんですよ。言ってみれば、知らないうちにあなたの生活が(自室でやっていること、風呂トイレまで全て)全部見られていたにひとしいような事件なんです。「へー、そうなんだー」なんて言っている場合じゃありません。
どうしてこんな明らかに憲法違反なことが、この社会にはまかりとおっているんでしょうか。みなさん、もっと真剣に考えてみてはどうでしょうか。
基礎科学好きは、多かれ少なかれ、変人奇人の集まりである。というか、変人奇人でないと、務まらない。そして、日本は昔から基礎科学に冷たい。そんなものが、何になるのか。そんなことしたって、食えないよ。はっきりとは言わないまでも、暗黙に社会がそういっている節があるのは、社会に敏感になれば枚挙に暇がない。しかも、変人奇人というのは、融通が利かないから、世間から疎外されると、折り合いをつけられずに怒り出す。大人しい人もいるにはいるが、たいていの人は怒っているのではないか。周りがポカポカした陽光の下で、法律や医術で順調に人を食っていて、社会でもそれが奨励される。そんなところで、独りだけ「自然対数の底の超越性の証明」などと格闘していても、今ひとつ満足が行かない。基礎科学でニコニコしているのは、生まれつき温和な性格な人で、ほとんどは、胃に穴を開けているのではないか。
私も、そちらの方である。何だか世間がむかつく。もう「大人」だから、昔に比べたら我慢しているが、ときどき爆発しそうになる。あまり考えつめていると、ノイローゼになるから、最近では開き直って、何事も自分に都合よく解釈し、元気があれば世間を変えてやろうなどと考えている。なに、人間は元々「自分の帝国」の中で生きているものである。世間に合わせるというのが、考えてみれば異常な事態である。自然社会では、「俺のものは俺のもの、お前のものは俺のもの」が正義であるし、自然たる子供の頃だって、思い出せばそんな感じだった。それが初期設定なのである。社会規範を守るのは、仕方がなくてそうするのである。何も日頃から法律条文の精神を理解し、品行良くしている必要はないのだ。実害さえなければ、好きに考えていたっていい。あるときは、喧嘩も辞さない。
世間に言いたいことは、基礎科学という、変人奇人でなければ勤まらない分野があること、そうした分野が長いスパンで社会の根本部分を転轍(大転換)すること、金や時間といった短期的な価値ばかりに目を向けるな、ということ。
日本の教科書は第二次世界大戦の記述が少ないって中韓は言うけれど、そもそも歴史の授業って中学も高校も、世界史も日本史も、古代史でちんたらしすぎて一番理解が困難で時間をかけるべき、かつ現代社会の常識ともいえる近代史現代史について割く時間が少なすぎる。
高校生の歴史知識、社会科知識はムバラクとムシャラフを混同するくらいのレベル。
ナセルもサダトも知らない人が多い。
前から高校進学率が95%を超えていて義務教育化しつつあったけど、無償化したこの際、中高で一貫したカリキュラムにしよう。
現在のカリキュラムだと、中学校は中学校で古代史からやって中世、近代で力尽きる。
高校は高校で世界史も日本史も古代史からやって近代手前で力尽きる。
それをやめて、中学校は世界史(日本史でもいいけど)、高校は日本史ってふうにして、とにかく現代史までは世界史からか日本史からかどちらか一方からでもいいから通して触れるようにしたほうがいいと思うんだ。
高校の必履修科目でさ
「日本史A」(2)または「日本史B」(4)または「地理A」(2)または「地理B」(4)
公民:「現代社会」(2)1科目または、「倫理」(2)と「政治・経済」(2)の2科目
理系でも受験に社会科をつかう場合、まあ国公立を受ける場合はほぼ必然だが、このうち一科目以上をBをとっとかないといけない。
理由はしらんけど受験校では現代社会よりも倫理と政治経済を履修させる傾向にある。
したがって大半の受験校では3~4科目、少なくても一つは4単位(週4日授業または2学年にわたって週に2回授業)の科目を履修する。
世界史はAかBか選べるとはいえ、全員が必修してるにも関わらず、国民の知識レベルはこんなんだからまともに守られていたとは思えないんだが、必履修科目未履修問題が起きて以来、ちょんぼは出来なくなってるはず。特に公立高校では。
コース分けが細分化するまえに、受験に必要ないが単位数として必要な科目は履修させたいから、どうしても1、2年は公民(現代社会、倫理、政治経済)の授業数が増える。
理科:「理科基礎」(2)、「理科総合A」(2)、「理科総合B」(2)、「物理I」(3)、「化学I」(3)、「生物I」(3)、「地学I」(3)のうち、「理科基礎」または「理科総合A」または「理科総合B」を含むたった2科目
やっぱ社会科は受験で使わなくても世界史は受けないとならなかった。
http://b.hatena.ne.jp/articles/201101/2253
テスト動画のコメントで「社会をまとめる辺りが理系」というコメントがあったんだけど、そうなんだろうか。というか現代社会ってなんだ?と古い記憶を辿ってみたのでここに書き記しておく。
私と高校のスペック等
・1学年1000人くらいの大きさの私立高校
私が通っていた高校の社会科は、2年生から世界史・日本史・地理の中からひとつだけ選択し、それを元にクラス分けを行っていた。
世界史と地理はそのまま2年間継続するが、現代社会は日本史を選択した場合に3年の途中から突然現れる仕組みで、日本史だけだと思っていたやつは3年で腰を抜かすことになる。
文系では、数学など理系の授業は2年の1学期までで完了する。さらに理系の授業時間もかなり少なく、数Iで言うと教科書の30%程度しか習わない。もちろん数IIなんて存在しない。
その代わり国語などは芥川龍之介や夏目漱石の句読点の打ち方や漢字とかなの比率など文章構造を解析して、当時の心理状況を推測するなど興味深い授業もあった。また、2万字~3万字の書き取りの宿題が出される度に徹夜していたことも懐かしい。時々この話をすると、ネタだろ?とか夏休みの宿題か?と言われるが、これは一晩の宿題だ。
みなさんの通っていた高校と比べてどうだろうか。
そんなわけで何が言いたいのかというと、
ということ。
追記など
分かりにくくてゴメン。
書き取りは漢字の書き取りで、年数回行われる全校一斉漢字テストの対策です。
ついに謎が解けた!
教育の目的が社会的ニーズに合わせた個人の形成にあるならば、小中学校で歴史、理科、国語を教える意味はまったくないだろうね。
まず歴史。アホの一つ覚えみたいに旧石器時代からネチネチとどうでもいい知識を詰め込んでいく。しかも小、中、高と重複も多い。近代史だけで十分だろ。そもそも現在の日本のあり方語る上で、聖徳太子とか小野妹子とかもう、どうでもいい(聖徳太子は最近教科書には載っていないらしいけど)。明治から現代までの歴史を、くだらない年号とか一切抜きにして、さっと流せば十分。半年もあれば浚える。それだったら大学の教養課程でやりゃーいい。
国語はいらん。ここ参照。http://d.hatena.ne.jp/filinion/20090214/1234584728
理科がいらないっていうのはわけがある。それは後で書く。
んで、空いた時間で何をするかっていうと、算数(数学)をばっちりと教え込む。課程の全時間をそれに当てる。あー、体育、音楽はあってもいい。家庭科はいらん。あんな包丁の持ち方とかお裁縫とかは家で教えろ。そもそもミシンの使い方なんぞ大部分の人間にとって必要ない。総合学習は即刻廃止。うちの学校では「一輪車の乗り方」を教わったわけだけども、人生においてまったく何の役にも立っていない。習字もいらない。もう毛筆なんぞ日常的に使う人間はいない。ユーキャンのペン習字でもやらせておけ。コンピュータは数学の実習という形で触れさせる。フィルタリングなんぞ必要ない。
高校入学後は、これに加えて経済、理科(生物学中心)を英語で教え込む。現代の経済学、科学はほとんど西洋で作られたから、わざわざどこぞの教授が自分の研究室の大学院生に編集させたり、ろくな知識もない学歴だけ無駄に高い高校教師が作ったような教科書を読む必要性はない。教える内容も、基礎中の基礎で十分。日経新聞や、日系サイエンスを読んで、とりあえず8割くらいわかる、という程度でOK。
大学では最低1年、望ましいのは2年間ほど教養教育に当てる。ここで初めて各人の選択で、古文やりたいやつは古文やったり、旧石器時代を習いたいやつは習えばいい。哲学やろうが、地政学やろうが自由。それを通過して初めて専門課程に進ませればいい。
今の日本で高校進学率の高さは異常。中学校までの義務教育で、「とりあえず社会で労働者として生きていくのに必要な知識」を与えておいて、そこからはもっと人数を絞り込んでやっていけばいい。明治時代のエリート教育みたいに。たとえば東大の数学科だとしたら、定員は10人もいれば十分。それでも多いくらい。その10人に対して3倍の数の教員が質の高い教育を提供すればいい。大学での教養課程も、「やりたくなければやんなくていいよー。ただし国際社会で恥かくのは君だからねー」でいいじゃん。無理やり必要もない人間に「人間の安全保障」とか教えても意味がない。自己責任でやっていけばいい。
小学校の教員も、最低博士課程を出た人間じゃないとなれないようにする。進級をアメリカの大学並みに厳しくする。必要な知識を身につけていない子供は容赦なく留年させる。勿論能力によって厳密にクラス分け。子供が「数学なんてやっても意味ねー」と言い出したら、「そうだね。君の人生にとっては意味がないよね。義務教育終えたらそこらへんの工場で労働者として頑張ってね!」でいい。
関係ないけど、修士課程も廃止。日本の修士課程は世界の中でもかなり独特で無意味な制度。博士課程4年、の一本でいい(MBAは例外)。
反発が予想されるのは、「楽そうだから」「若い女の子と触れ合えるから」って理由で教職に就いた、理科、社会科、国語科(古文、漢文)、保健体育の教員からだけども、かれらも頑張って労働者として働いていただけばいい。本当に熱意があれば、大学の教養課程で、エリート対象に教えればいい。
こう思ったのは、昔塾で勉強を教えていたときに、あまりに無駄が多いと感じたから。小学生が花崗岩を見分ける能力、名称を覚えることがまったく無意味だ、とは言わないけれども、もっと他に大事なことはいくらでもあるはず。種子島鉄砲伝来と、キリスト教伝来、どっちが先だったか覚えるのは、もうまったく無意味。何の流れも関連性もないだろ。センター試験を見てみても、本当に無意味な問題が多い。
まあ凡人には理解できないかもね。
歴史の授業では、過去に起こった出来事を教える。しかし、「なぜそのような事が起きたのか?」「どのような法則性があるか?」などの解釈はほとんど教えられない。これは、小学生の理科と似ている。小学生までの理科では、観察される事実や実験結果を覚えることが中心で、「なぜそのような事が起きたのか?」「どのような法則性があるか?」などの解釈はあまり教えられないからである。歴史だけを学ぶのは、非効率であり、簡単な歴史を学んだ後は、経済学・政治学などを中心に教えるべきだ。
歴史の授業では、過去に起こった出来事を教える。しかし、その出来事に対する解釈はあまり教えられない。そのため、戦争があった事を学んでも「残酷ですね」くらいの感想しかもてない。下手をすると感想文を書かされる。
社会科の教育として、そんなことをしているので、下記のリーマンショックの解釈のように、中二・大二病的解釈をする”歴史好き”な教員・生徒を発生させる。
不況の機構などは、歴史を研究することで発展した経済学である程度理解することができる。しかし、歴史好きほどそのような学問を学ぶことなく、自分勝手な中二・大二病的解釈をする。
歴史は、理系科目でたとえると、小学生の理科と似ている。小学生までの理科は、観察される事実や実験結果を覚えることが中心だからだ。理系科目では、それらを覚えた後、中高と進むにつれて観察される事実や実験結果の解釈方法を学ぶ。観察される事実や実験結果は無数にあり、それを覚えていくのは非効率だからだ。
同様に、過去に起きた出来事を覚えることを中心とする歴史を学ぶのは非効率である。歴史は小中学生までに薄く広く教え、以降は、経済学・政治学等の過去に起きた出来事の解釈を中心として教えるべきだ。理科が、物理学・化学と名前を変えて、事実の解釈方法を学ぶようになるように。
指定校推薦は、それこそ「有名高校」で評点が高かった連中のこと。学校の評点が高いタイプなので、真面目で優秀な奴が多い。
付属上がりは、要領がいい奴・地頭がいい奴が多い。慶應の付属高の偏差値見てみれば分かるが、そんじょそこらの「有名高校」よりも優秀じゃないと入れない。社会に出ると、コツコツ真面目にやるタイプじゃないかも知れないけど、成果を出せるタイプ。人脈の利用とか上手い。親のコネで入ってくる奴にも、優秀な奴と馬鹿な奴がいる。前者はいわゆる本物の上流階級。後者は確かにクズだが、数は意外なほど少ない。あと数少ない「本当の馬鹿」は付属高の段階で進級できずに退学になる(これは中等部・普通部から上がってきた馬鹿に多い)。
なお経済B方式の社会科は、年代こそ狭いものの日本史と世界史を組み合わせたような問題が出るなど、明らかに東大・京大を受験する人狙いの出題。
俺自身は、ニセ科学のどこがニセかを探るために英語の論文当たるような、そういう地道な努力はしてない。パッと見て理屈がおかしいとか、他の熱心な人が探してきたデータと矛盾してるとか、その程度の基準で批判ぽいブクマをつけてる奴。いわゆる尻馬ライダー。
ただ、それは楽しいからやってるわけじゃない。身の周りにニセ科学に結構はまっちゃってる人が居て、そのせいで病気の治療に支障をきたしてる例を見てるから、やってる。
身の周りの人といっても家族じゃないので、俺が無理やりやめさせたりはできない。「それ怪しいと思うよ」とやんわり伝えるのが精一杯だ。当然その程度じゃ全然効果なくて、すごくもどかしい。本人達は病気が辛くて、できることは何でもやろうとしてるだけだって分かるから、嘘っぱちの効能で彼らから金を取ってる怪しい健康グッズが、余計に憎らしい。その憎らしさが、ニセ科学批判の動機になってる。
それならネットなんかで吠えてないで、もっと社会に働きかけろよ、という指摘は正しいとは思う。でも、俺にも一応仕事があるし、一方でそういうノウハウは全然無い。ネットで吠えるくらいしか今できることが無いんだ。
いや、ネットで吠えるのも、結局自分の腹立ちを収めるだけで、何の効果もないのかもしれない。
ネガコメが一気に沢山つくのは、内容と無関係に気持ち悪いってのは分かるので、人によっては俺のブコメのせいでニセ科学批判が嫌いになっちゃって、むしろ逆効果ですらあるかもしれない。
だから言い方はよーく考えようと思う。説得力があって、なおかつ感じ悪くないようにね。
でも、おかしいと思うサイトを見て黙ってるのは嫌だ。
ちょっと話が逸れるけど、俺は社会科は理科以上に苦手だった。特に近代史はまるで駄目だった。
だから、南京大虐殺の話なんかも、前後関係とかどの説が信憑性あるのかとか、全然わからない。
殺された数は何十万人と言ってる奴もいれば、そんな事件自体なかったと言ってる奴も居る。熱心に語ってる奴の中には、そりゃあ酷い言い草のも居る。ただ尻馬に乗ってワーワー言ってるだけのも沢山居ると思う。正直、何だアイツら、と思う。
だけど、南京大虐殺という事件が歴史的に見て重要な意味があること、そして人によって言う内容にすごく差があるから、読んだ話をすぐ信じないほうがいいのは、彼らの紛糾ぶりを見るとよくわかる。
俺は、ニセ科学問題もまずはそうなって欲しい。今は変な健康グッズや眉唾の健康法がそこら中に溢れかえっていて、それがデリケートな問題だなんて一般的には思わないだろ?
騒ぐ連中が一定程度いることで、「これはもしかしたら、ホイホイ信じないほうがいいのか」って誰かに思ってもらえたら、大きな前進だと思うんだ。
南京大虐殺の話については、俺が意見を求められる事はまずないし、直接生活に関わってこないので、態度を保留しておく事もできる。
でも健康関係のニセ科学はそうじゃない。少なくとも俺にとっては、今目の前にあってどうにかしなけりゃいけない問題だし、誰にとってもそうなる可能性は十分ある。っていうか、人生を通してみれば多分かなりの確率で問題になる。だから、保留にはできないんだ。
まあ、今の所関係ない人は保留しててもいいかもしれないけど、冷静な判断ができる立場のうちにちゃんと考えて欲しいとも思う。いざ病気になると、本当に判断力って落ちるからさ。
それでもって、やっぱりニセ科学批判が気に入らんて人も、実際にその健康法とか健康グッズがどうかってのは、ちゃんと判断して欲しい。批判者自体は「脳味噌空っぽのイナゴどもめ」と馬鹿にしてもいいから(よくないけど)、不誠実な商品は不誠実だって見抜いて欲しいんだ。
安心を与えてればいいって訳じゃない筈だ。セコムに金払って家のあちこちにセンサーつけてもらったけど、実はそれは中身の無いただの箸箱でした、じゃ酷いだろ? 「安心は得られたはずだし、ステッカーが泥棒避けになってるから無意味ではない」とか言われたって、納得できないだろ? そういう話と、ニセ科学を同じに扱って欲しい。
何だか取り留めない長文になっちゃったけど、こういう言い方のほうが伝わる事もあると思って書いてみた。
ちゃんとデータを調べてくださってる、ちゃんとした批判者の皆さんには、いつも感謝してます。なるべく足を引っ張らないようにしますから、どうかこれからもご活躍ください。