社会の爪弾き者として修羅道を行く覚悟があるならレール下りちゃえばいいよ。
他の増田のレスにあるように「ワナビーwww」とか言って嘲笑してくる奴は後を絶たないので、そういうのを全無視して孤軍奮闘できる胆力が必要。
あと親に泣かれたりもすると思うけど、そういうのも気にしないでいられないと難しい。
間違ってやってしまったならともかく、故意にやらかしてるからなぁ
ニコ動で謝罪会見でもやれば収まるんじゃね?
焼き土下座でもやれば許してくれるさ
いろんな側面あるかもしれないけど、その人の一生を壊すほどの罰って与える必要はあるのかな。
店舗閉鎖とかさ、そこまでやんなくてもいいじゃない。
ちゃんと消毒すりゃあいいじゃない。
そいつの名前とかネット上に晒されて、人殺しちゃったくらいの勢いで罵倒されまくってさ。
やってることはただのリンチだよ。
魔女狩りとかとやってること変わらないよ。
馬鹿なことやってる奴ら擁護するつもりはないけど、罰が過剰すぎるよ。
こんなことがエスカレートしてたら相互監視の恐怖社会になっちまうよ。
白か黒かの判断だけしてないで、赦してやることもしなよ。
踏み外したら戻れないどころか、線をすこしでも踏んだら戻れないなんて最悪じゃないの。
現代の若者は飲食店の冷蔵庫に入った写真を公開して馬鹿だバカだと叱られているが、昔は大学や山荘に立てこもって仲間を暴行したりして警察に突入されて、それをテレビで全国中継されていたのだから、大幅な洗練と進歩があったと言える。
http://twitter.com/masah/status/371855268063084544
学生運動もコンビニの冷蔵庫に入るのも同じ「自作自演の通過儀礼」であるとみなす考え方は、大枠は外していないと思う。問題はその自作自演の通過儀礼を行う層の学歴の低下だが、これには「大卒就職活動の激化」と、それに歩を合わせた「家庭的小規模産業の衰退」を原因として見て取ることができるのではないかと思う。
どういうことか。
まず、現代の大卒就職活動はじつに「通過儀礼」としてうまく働いている。「日常=大学生活」を離れ、「危険な場所=面接会場」に赴き、「宝=内定」を得て帰還すれば「大人=社会人」として認められる、という一連のプロセスは、多くの民族に見られる通過儀礼の構造そのものだ。これが多くの学生に普及した結果同年代の学力上位半分(大学進学者)にとって過剰な自作自演の通過儀礼は必要ではなくなった。これがひとつ。
もうひとつは、生活の隅々にまでロードサイドの大企業が進出した結果、これまで多くの低学歴な若者の雇用を吸収していた「家庭的小規模産業の衰退」を招いてしまった。彼らを雇い教育するのは血縁あるいは地縁でつながった「知り合いのおっさん」ではなく、本部から派遣されてきた「よく知らない兄ちゃん」に変わったのである。その結果「大人」であることの説得力は遥かに低下し、「ポカをやっておっさんにドヤされ、許される」という職業人としての通過儀礼もうまく提供されなくなった。よって彼らは「仲間内に過激なネタを提供する」という自作自演の通過儀礼に走らざるをえなかったのである。
この分析がある程度正しいとするなら解決策は一つしかない。すなわち、「職業教育の復権」である。学力階層の低い若者には、早いうちから「大人」に混じって働く機会を与え、あるいはまとまったスキルを与えてマックジョブ的な雇用ではなく「大人」の職場に吸収されるようにすることによって、彼らが「大人」になるのを待つしかない。
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「ローソンのアイス用冷蔵庫に入る男→契約解約及び当該店舗の休業を決定!」
http://matome.naver.jp/odai/2137384951250882101
もちろん話はそう単純なことばかりではない。この事例では馬鹿をやった若者は店長の息子だった。これは「家庭的小規模産業に吸収されたとしても、ちゃんと条件が揃わなければ通過儀礼は発動しない」ということをはっきりと指している。
加えて、大学生のアルバイトについてはここで述べた議論以外の対策が必要になる。
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ここで展開されている議論というのはすなわち、「社会全体が彼らにとっての教育の場となれ」ということである。むろん佐々木俊尚氏自身が著書で書いているように、国民国家が崩壊に向かっている現在ではそのようなことは不可能である。
乙女の可能性もあるわけだが
プログラミングとか、Web サービスの開発に興味がありました。
特に Ruby を使って色々なことができると聞いて、少し勉強しました。
さくらのVPSも借りて、サーバの勉強や Web サービスの勉強をしようと意気込んでいました。
しかし、ついこの間まで勉強意欲を燃やしていたのに、最近楽しくなくなりました。
というか、何をすれば勉強になるとか、どういうことをやってれば Ruby とか、周辺の技術が身につくのだろうか、ということを何も知らない素人の頭で無理に考えようとするあまり、どうすれば楽しくなるのかわからなくなって、結局何もしていません。
自分の作りたいものを作るのがいいというアドバイスをもらったこともありますが、何を作れば楽しくなるのかそもそもわかりません。
プログラミング入門の本とか、dotinstall.com の真似をすることならできますが、それ以上のことは自分でできません。
つまらぬ。
死にたくないなああ最近。そしてもっとも恐ろしいところは!死にたくないと思いつつ自分が死ぬとは全く思っていないところなのだ!!むしろこう書きながらもいやいや死なねえだろと何言ってんだ状態ですよ。あれだよねーなんか色々みんな言うけれども、いやなんかそれ死なない前提じゃね?お前?みたいなときばかりで心底おちんちん。いや、そうじゃなくて死ぬよ!どうすんのバカ!
イエモンの「ニュースキャスターはうれしそうに乗客に日本人はいませんでした」ってのはさ、糾弾してるとかそういうわけじゃなくて、そういう事実があったときどう思えばいいだろうっていうね。もうよくわかんねえからそんな夜は君に会いたいっすっていう単純かつ素敵なラブソングなけわけじゃん?そう、もうよくわかんないんだよ何を思えばいいのやら・・・
もはやクソして寝ることしかできず、せめてツイッターでちょっとウマイこと言っちゃったりでもして溜飲を下げようとしている僕らのささやかな営みには何らバカにされる要素はないのだけれども、俺以外は全員バカだからしんでくれ!もうホントさ・・・ジャンプも風俗も陶芸も一緒だと何回言ったら分かるんだよお前らは!観客がいないだけであって、僕等の日々はある意味オリンピック!おっ君は風俗代表かい?奇遇だね〜僕はクソして寝る代表さ〜要はそういうことだよ!
おっぱいとかそういうのって山が高いってのと基本的には分野は同じだから、よくよく考えるとこんなクソ名クソアリーやらクソッターやらなんやらのほうがよっぽど成り立ちとしては汚らわしいよ!大きな握り飯をくわえながら和太鼓を乱れ叩き、おっぱい!おっぱい!と高らかに言えたのならば、それはきっと遥かに気高い領域であり、そのときのぼくらの存在は正に愛!子どものころわたしたちは皆愛であり死なない存在であった!
臆病になるばかりだなぁ、ホント。以上。
失敗の原因追及は質問をする側の力量も非常に問われる。何故ミスしたのか本人が一番判っていない場合も少なくないから。
一緒に考えるのがいいかもね。もちろん、下手をして一方的な押し付けにならないようにしないといけない。威圧的な態度で「~~~が原因だろ? お前はどう思う?」と言われるとミスした当人は納得していなくても頷いてしまうことだってある。そうするとまた失敗する。
好きな人と話をしてるんだけど
どうしても好きと伝えられない。
まあ、だいぶ前に振られているからなんだけど。
仕事のあともちょいちょいやりとりあって
それがやっぱり楽しくて、そんな毎日で
どーやって諦めろっていうのか。
優しくしないでほしいとおもったりするけど
恐怖でそこから先を考えられない。
でも、なんでそんなに親しげなんだか。
期待をしてしまう。
嬉しすぎて、振られた実感がもてない。
会社の後輩がSNSに私の悪口を書いています : キャリア・職場 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
これさあ、やられるとマジで辛いんだよな。
見ても良いことないからこれ以上見るのやめようと思いつつ見るのがやめられないしさ。
なんでこういうツイートする奴って非公開アカウントにしないんだろうな。
しかもそういう奴に限ってどうぞ特定してくださいって位に個人情報ばらまいてるし。
数年前のことだけど思い出してまた落ち込んできたわ…。
おっしゃるとおり。最終的には廃止する方向に持っていくべきだと思う。
ただ残された妻子が生活できないなどの不都合が多すぎて現状では廃止できないので、当面は相続制度を前提にするよりない。
そして相続制度を前提とした場合、婚内子と婚外子で法定相続分が異なるのは、子自身が関与できない事情によって婚外子を不利益に取り扱うもので許されないという話。
俺にとってはね。最高裁の理屈は少しニュアンスが違うので、興味があれば決定を読んでみな。
あと、うざいから「?」は1つでいい。
俺は昔から出来が悪くて勉強もできない宿題も忘れるスポーツできない、仕事でも失敗続きなんだが、怒られる時に一番嫌な言葉が「何でこんなことしたんだ?」なんだよな。
「何で?」って言われてもなあ。何で宿題忘れたの?って言われても、「うーん、単純に忘れていたから」としか答えられない。「なんでこんなミスをしたんだ」といわれるのも困る。人によっては逃がしてくれないから。
俺「えっと、うっかりしてて」
俺「いや、集中が足りなくて」
俺「いやあ、確認作業をもっとしっかりしてたら」
上司「前も言ってたよな、それ? 確認作業したんか?」
俺「したんですけど」
上司「いーや、してなかったんだ」
俺「メモ帳にも手順書いてるんですけど」
まあ流石に俺も学んでここまで適当に答えることはなくなってもっとまともにはなったけど、どちらにしても「なんで?」が一番答えにくい。しかも、「なんで?」を何弾も重ねて撃ってくるタイプが一番怖い。「なんで?」に答えたら、答えに対して「なんで?」を重ねてきて、さらに答えたらまた「なんで?」とくる。「なんで?」を3回繰り返すと本質に行き着くというが、近づきすぎる気がするんだよ。結局は「俺の頭が悪いからです」としか言えないじゃん。もう「なんで?」は辞めて。
フォロー、フォロワー数はTwitter社が手動入力している - Togetter
これを見て、いろいろと考えさせられた。
普段我々プログラマはHTMLやそれに類するものを書くときに、
ソースコードをユーザに見られてもいいように、クラス名やIDをちゃんとしたり不要なコメントを残さないようにしたりしているが(もちろんコーディングルール等もあるが)、ユーザがそれを見たときにどう思うかについては配慮が足りないのではないかと思った。
たとえば、
<span>1234</span>
というHTMLを見たら、手入力していると思われても無理からぬことだ。
巷ではUIだ、UXだと言われているが、次世代のUI/UXはここまで踏み込むべきではなかろうか。
つまりHTMLやJavascriptのソースを見たユーザのことを考えるべきではないかと。
先程の例でいえば、
<span id="hoge"> <script type="text/javascript"> $("#hoge").text("1234"); </script> </span>
ちなみに、こんなとこにscriptタグ書いてるのは位置が対応している方が分かりやすいというユーザへの配慮である。
ただし、これでもちょっと勘の良い人なら、"1234"ってテキストをただ出してるだけじゃないの?と思ってしまうだろう。
それならば、もうちょっと飾り付けすればいい。
<span id="hoge"> <script type="text/javascript"> var foo = String.fromCharCode(49) + String.fromCharCode(50) + String.fromCharCode(51) + String.fromCharCode(52); $("#hoge").text(foo); </script> </span>
これだとどうだろう?ぐっと、それっぽさが増したのではないだろうか?
そしてこれが一番大事なことだけど、最初の例に比べて温もりが感じられるようになった。
私は普段Rails(erb)を使っているのだが、
<span><%= "1234" %></span>
1,2日ならまだしも、それを長期でやるのは最早人の暮らしとは呼びたくないけどね。
増田ははてブでチヤホヤされることが目的なので技術的なことはどうでもいいの。
技術的なことどうこう言うんならこんなとこ使うわけ無いじゃん?
匿名掲示板を使いたいが2ちゃんねらーを何故か敵対視してる意識の高い人達と、
入・退室に役所の手続きもいらず、駅近で、いつも人目があり防犯面もある程度配慮されている。
駅から遠い、古くて汚くて治安が悪いアパートにたった一人で帰り
狭いブースとはいえ銭湯と違って24時間入れるシャワーブース。
これで漫画読み放題のネット使い放題で、フリードリンクで食事も頼めて
そりゃ大所帯が気にならなければ住みたくなるよね。ホテル住まいの廉価版みたいだ。
近隣に長期割引きつきの大型コインロッカーがあればなおよい。
おどろくべきことに、googleの検索窓に「日曜でもやってる」と入れると「日曜でもやってる歯医者」「日曜でもやってる整形外科」「日曜でもやってる産婦人科」…というリストが表示される。
でもそれが、あんまり一般的な状態でないのは、どうしてだろうね。
医療機関の競争が激しくなれば日曜診療も増えるのかもしれない。それがわれわれにとって望ましい状態かどうかはなんともいえないが(たぶんサービスの低下に直結する)。
数日前、朝の7時頃に電話が鳴った。まだ、こちらは布団でまどろんでいる時間。「また糞上司か?」と少し面倒臭がりながらも携帯を見ると、ディスプレイには「父」と表示されていた。
「県外に住んでいる父親から朝早くに電話がかかってきたこと」その意味は電話に出なくとも判った。緊張しながら電話を取る。「かあちゃん亡くなってもうたわ」と第一声から聞こえてきた。母親はしばらく前から入退院を繰り返し、医者からはいつ亡くなってもおかしくないと話を受けていた。できるだけ家で最後を迎えたいということで、今は実家にいるはずだった。父親は少し声が震えていたが、事実と事務的な事をこちらに手際よく伝えてきた。朝、母を起こそうと思ったら冷たくなっていたとらしい。こちらも会社での受け答えのように事務的に答えていたと思う。声が震えていたかは判らない。父親に何か声をかけようかと思ったが、俺の白い頭から何も出ず電話を切った。とにかく出来るだけ早く、実家に帰る。こちらにできることはそれだけだと思った。
できるだけ早く帰る。そう頭で思ったが、身体は動かなかった。今母と父は実家に二人暮らし。父が、母が亡くなっているのを見つけたという事実がすぐにある記憶を思い起こさせた。
俺が実家にいた頃、それもちょうど朝七時くらいだったろうか。俺が寝ている部屋に父親が入って来て「かあちゃんが起きん!」と言った。いつも父親は七時頃に母親を起こして介護の1日を始める。起きないとはどういうことだ、と俺は慌てて母の部屋に向かった。そしたら、普通に母親は身体を起こしていた。
俺「え?」
父「あれ、お前何で起き取るんや?」
母「起きちゃ悪いんかい」
父「いや揺さぶっても全然起きなかったから死んだかと思うたで」
母「勝手に殺すなや」
というちょっとした笑い話があったのだ。
俺は母が亡くなった報せを聞いたあとすぐにそれを思い出し、今日父親が朝起こそうとしたら母親が亡くなっていたという事実と重なりあった。
父親はまず普通に揺さぶっただろう。当然母は起きない。次には優しく声をかけたかもしれない。「朝やで。起きいや」と。でも、それでも起きない。次は強く揺さぶる。でも起きない。父親は何度も何度も、揺さぶったと思う。父親も以前、母親を強く揺さぶっても起きなかったことを覚えているだろうから。揺さぶればいつか母親が起きて「起きちゃ悪いんか」とまた悪態をついてくることを期待して何度も揺さぶったと思う。
でも最終的には気づいたと思う。もう起きないと。
このくだりは完全に俺の想像である。だが、間違ってないだろう。後で、父に聞いたところ、脈の確認はしなかったと言っていた。気が動転してそこまで気が回らなかったといっていたが、本当は死を確認するのが怖かったのかもしれない。
父親が亡くなった母を揺さぶる光景が頭にはっきりと浮かんで来て、早く実家に帰らないといけないという思いながらも、俺はしばらく動けなかった。布団の中で俺は少し声を上げて泣いてしまった。
疲れた。葬式は一昨日終わった。頭の中の整理がつかないから増田に一部始終を書いてやろうと思ったが、疲れた。近頃の若者は母の死の気持ちの整理をつけるために増田に書くのか、と怒られそうだな。
死は自宅で迎えたいという声は多いらしい。でもその死を見つける側にしてみれば大変な話だと痛感した、と少し教訓めいた言葉を残し、それっぽく文章を装飾して寝る。
お母さんさよならー。僕寝るよ。