はてなキーワード: 役者とは
元増田です
本来こういった際、後から本人が出てくるのは宜しくないことかと思いましたが沢山の優しいお言葉にどうしてもお礼申し上げたく、またいくつか訂正したく改めてこうして筆を執らせて頂きました
おそらくまた長くなってしまうかと思いますが先にお詫び申し上げておきます
正直申し上げまして、まさか夜中に思い付くままに書いた愚筆にここまで反応頂けると思ってもみなかったため本当に驚きましたし感謝しきりです
まず「甘えてない」「頑張っている」といって下さった皆様、本当にありがとうこざいます
昨日の夜改めて自分はなにが不安で不満であったのかと考え直してみたとき、恐らく「社会の中でなんの役割も果たせていない」という状態が不安だったのだと理解しました
元記事にて在宅で仕事をしていると書きましたが、恐らく皆様察されている通りアルバイト程度の賃金と仕事量に過ぎず
親の介護といっても転ばないように気を配るくらいのもので、一緒に出かけて遊んでいるようなもの、それこそ完全に甘えている状況
私は持病の関係で子供の頃から「仕方ない」が口癖となっておりました
「今は仕方ない」「しょうがない」と、この歳まで続けてしまった、抜け出そうと努力せず
その結果良い歳して自分が社会の中のどこにも入ることが出来ていない子供のまま甘え続けている状況が不安だったのだと思います
逆に、「ようするに甘えてないって言って欲しいんだろ」という言って下さった皆様
私は誰かに甘えを叱って欲しいし、誰かに甘えを許して欲しかったんだと思います
今まで、「でも歩けるし、そこまで酷いわけではないし」でサポートなど想像したことも無かったので目から鱗が落ちました
次に訂正となりますが
「一人暮らしをして一人前」と言われた際の話ですが
大変申し訳御座いません私の説明不足があり誤解を生んでしまいましたが
こういったアドバイスをくれた人は皆夢があり
そういった世界では「実家にいると甘えてしまって大成しない」という通例があるそうで
そのため、なにも夢もなく日々をなんとなくで過ごしているようにみえる私への親切心からアドバイスをしてくれたのだと思います
(勿論私も聖人君子ではないので、言われたときは「うるさーい!」とは少し思ってしまいましたが笑)
また、そういった際は介護をしてるからと伝えるべきというコメントも頂きましたが
後出しとなってしまい申し訳御座いません、こちらもはじめの頃何度かは親の介護をしてるからと伝えたのですが
母がまだ60代である事、世間の60代はまだまだ元気なこと、などからうまく理解いただけず
「言ったって歩けるんでしょ?」「親の体調が悪いなら余計面倒かけちゃ駄目だよ」など言われる結果となり
私の説明も下手なため説明を諦めてしまうようになった現状でございます
これは、介護に限らず何事も自分の見聞きしたことのないことを正確に判断するのは難しく、逆に私が無理解から失礼な発言をしていることもあるだろうと思いそういった発言をされてもなるべく気にしないようにして参りましたが昨日はついこぼれてしまいました
そして、逆に兄弟や母が私に甘えているという点ですが
それは本当に間違いです
母は常に私にやりたいことがあるならいつでもそれを優先してくれと言ってくれております
兄弟も、仕事が忙しいため直接手伝うことは出来ずとも常に相談には乗ってくれて、必要なものがあればすぐに送ってくれます
また、本筋とは外れますが私は幼少の折りより心臓に持病があった為、酷いときは学校の行き帰りすら一人ではままなりませんでした
そんなとき母は仕事もしている中で常に付き添ってくれており、それがどれほど大変なことかは今となってもなお想像を絶する程です
兄弟も、そんな私のせいで制限されたことも沢山あるでしょうにいつでも私の心配を第一にしてくれました
母も兄弟も私も、きっとあえて教えたりしないだけでホームで電車が通り過ぎるのを眺めるような日もあるのだと思います
私はたまたまそれが昨日であり、たまたまそれを文章にしたに過ぎません
年の瀬や 水の流れと 人の身は 明日待たるる 匿名ダイアリー
ファミマのフラッペ飲んで泣いた話 | 851 | 2018/06/05 20:49 | 暮らし |
仕事辞めて牛タン食べた | 400 | 2018/06/19 15:46 | 暮らし |
午前4時 | 222 | 2018/06/17 07:35 | おもしろ |
ドリフェスのおかげで応援してた俳優が●にました - kousseoeaのブログ https://kousseoea.hatenablog.com/entry/2018/12/05/093628
(●は不適切な単語である、と判断される可能性があるので伏せました)
「役を演じる=役者」というカテゴリーの中に「声で演じる=声優」というものがある、と認識している自分から見ると「役者から声優に転進するなら引退してくれ(意訳)」と受け取れてしまい、なんともモヤモヤ…
雑にまとめるなら「本音として、最近の推しの活動には個人的に違和感を持っていて、大手の芸能事務所を辞めて声優事務所(声優事務所としては大手)に移籍した事を機会に推しとの距離を再検討しました」って事でしょ?
本当に役者本人に惚れ込んだのであれば、新しい表現の場をいちファンとして理解出来ずとも今までとは異なる環境で活躍する役者として見守ることは出来ないものか、と老婆心ながらに思う。
役者本人の顔出しが少ない?声優事務所に移籍したから、と言っても役者本人の御尊顔を拝める機会が全滅という訳ではないのだから、昨今の声優さんが出演するイベントの状況を鑑みるに「何かのイベントで顔が拝めるかも?!」と「一縷ののぞみ」に賭ける事は、決して「分が悪い博打」じゃないと思う。
推しが芸能界から完全引退してSNSやblogから近況が追えない状況の方がツライ気がするのは、感受性or応援スタイルor考え方が古い?
佐野静代「西郷菊次郎の来歴に関する再検討 : 横浜・米国・台湾・京都 」(『人文学』202号、2018年11月)
以下のURLに全文ファイルあり
【西郷菊次郎に関する史料の発掘と基礎的な分析を行い、その前半生における経歴の空白部分の解明を試みた。特に海外所蔵の新史料の検討により、横浜居留地での生活実態や、ジョンズ・ホプキンス大学での留学時代と恋愛、新納家との養子縁組、台湾淡水・基隆での近代水道事業の実施など、これまで知られていなかった彼の来歴の一端をうかがうことができた。さらに、京都市長時代の邸宅が、聖護院門跡内の「北殿」であったことを史料から裏付けた。 】
人文地理学や地誌学で業績ある同志社大学の佐野静代教授による新報告。
新渡戸稲造と西郷菊次郎との関係など、今まで知られていなかった事実を史料から明らかにされている。
昨今、大河ドラマ「西郷どん」でも、西郷菊次郎は注目の的である。
西郷菊次郎の子ども時代は、注目の役者今井悠貴が演じ、またナレーションの西田敏行が市長時代の菊次郎を演じる演出でも話題になった。
ドラマとか音楽とかゲームでもそうだけど、とにかく公式サイトが重すぎる。
トップを開くのに十秒、スタッフとか、放映情報とかのコンテンツとかに飛ぶのにそれぞれ十秒。
たかが十秒されど十秒、今のネットではその待ち時間がダルすぎる。
「この役者見おぼえあるけど誰だっけ!」「このキャラのフルネームなんだっけ!」といった小さな疑問を見るためにそれだけ待たされるのはダルすぎる。
それでついついWikipediaとかニコニコやpixiv大百科とかで調べようとしちゃってネタバレを踏んで「わかってた!ネタバレの危険があるのはわかってた!わかってたのに!」ってなることが一ヶ月に一回はある。
プロモーションのためには、動画流れたりクリックで何か飛び出たりFLASH使ったりカーソルに星屑がついたりMIDIが再生されたり、サイト自体をコンテンツとして楽しめる物にするのが大事なのはわかる。
そしてこの問題提起はネットで何回も見たけど未だに変わらない。
推しに関わってほしくない、受け入れられない、上演中止になってほしい
https://torchlight.hatenablog.com/entry/2018/11/19/202015
私は2.5もなにも関係ない演劇界の端っこにいる役者の一人であるが、この記事や『メゾン・マグダレーナ』上演に関して炎上と言っていいほどの反応があるにも関わらず、演劇を創る側にいる人達がまるで危機感を抱いていない事に絶望的な気持ちを感じている。
そんな中、関連があるのか?と思うようなタイミングで、某劇団主宰が「演劇人にモラルや常識を求めるのは表現の幅を狭くするだけ」と呟いていて、本人が上記ブログの炎上から呟いた内容でないことを私はひたすら祈っている。
本人の意図はわからないが、今回の炎上を『.5俳優ファンの感情的な暴走』と見ている一部の観劇おじさんがしてやったりという感じでリツイートしている事に余計に暗い気持ちにさせられた。
ほかに何も出来ないような、世の中でロクデナシと呼ばれる人間こそ芸術に救われるべきだと私も思っている。だからこそ、そのような人間が搾取されない環境も守らなくてはならない。
市原幹也が告発された時の方がまだそれぞれ意見を発していた。#metoo の勢いもあった。あの件もキャスティングを餌に女性に性加害をした点は似通っている。なぜ今回、さほど騒がれないのか。
『推しに関わって欲しくない』という気持ちが強く出た見出しに対する、ある種拒否反応を起こしているのか、制作会社や関係者に対して顔色を伺う必要があるのか。
誰も手を上げないのに自分だけ騒いで今関わっている関係者やスポンサーに煙たがられたくない…これは私が表立って反応出来ない理由。他の人たちもそうなのか、それとも他人事と思っているだけなのか。
既に実刑を受け、罪を償った人間を締め出すのかとか、私刑だと言うならば、平田オリザが市原幹也の件で出したコメントを何度でも読み返してくれ。
生徒に性的暴行を行った教師が教職に戻って来ることは歓迎されるべきか?
じゃあ横領で実刑を受けた銀行員は再びお金に触れるポジションに勤めるべきか?
界隈の近い遠いもどうでもいい。
これを演劇界全体の問題と捉え、演劇界が社会に対してどのような姿勢を見せるのか考え、意識をアップデートし続けないならば、私達は時代に取り残されて当然である。
立場を利用した犯罪歴を黙認し、演劇界が不透明であり安全でない事に開き直り、時代を逆行し、観劇はごく限られた人間のマニアックな趣味になり、私達は再び河原乞食と呼ばれ、有能な人材は海外へ出ていき、日本から演劇文化は消滅する。このままならそうなってしまえ。それほどの事だと感じている。
自分のブログにでも書こうかなと思ったけど、だいたい https://www.metacritic.com/pictures/oscar-best-picture-contenders-for-2019?ref=hp からのパクリだしそんなに力いれて調べてないので増田に放流します。
本命は『スター誕生』、『BlacKkKlansman』、『グリーンブック』あたりか。ノミネーションだけなら『ファースト・マン』や『女王陛下のお気に入り』も。
今年のカンヌで『万引き家族』の次点でグランプリを獲得した、黒人映画永遠のトップランナーの最新作。
黒人なのにKKKにもぐりこんでしまった潜入捜査官の実話を描く。
スパイク・リー監督作のなかでは『ドゥ・ザ・ライトシング』や『マルコムX』をも凌ぐ評価を獲得している(そして興行的にもここ十年で自己最高)。
公開時期が夏季であることと、ややコメディよりのタッチがノミネーションに不利に働くかもしれないが、トランプ政権下において「ブラック・リブス・マター」運動はまだまだ意気軒昂。「黒人映画」枠競争を勝ち抜くポテンシャルは十分だ。
ブラックパンサー(ライアン・クーグラー監督)
解説は不要だろう。今年米国内で最高興収をあげた作品にして、マーベル映画史上でも最も支持された傑作ヒーロー映画。
アメリカ国内外の黒人問題や歴史的視点にめくばせしてオスカー好みの社会性もばっちり備えているものの、やはり「アメコミ映画」のレッテルがネック。
まだまだ白人・男性・おじいちゃんが大勢を占めるオスカー会員にあっては弱い。ギリギリノミネーションがあるかどうか、といったポジションだろう。
余談だが一時期新設されそうだった「ポピュラー映画賞」部門はブラックパンサーを受賞させるために作られるのだという噂だった。裏返せば、作品賞本選に選ばれる格ではない、と会員からみなされているのだろう。
Can You Ever Forgive Me?(マリエル・ヘラー監督)
落ち目のライターが有名人の手紙や文章を捏造して高値で売る詐欺に手を出し、それが嵩じて博物館から実物を盗みだそうと企む実録犯罪コメディ。
日本ではあまり知られていないけれど主演のメリッサ・マッカーシーはアメリカで今いちばんアツいコメディアンのひとり。
夫のポール・フェイグと組んで『ブライズメイズ』、『SPY』、『ゴースト・バスターズ(リメイク版)』などの陽性の笑いでヒット作を飛ばしてきた。
そんなマッカーシーが一転してシリアスでブラックなコメディに挑戦し、見事大成功。本年度の主演女優賞ノミネートが確実されている。
演出したヘラー監督の手腕も高く評価されており、初の監督賞ノミネート、さらには作品賞も夢ではない。
とある気難しい現代っ子少女の中学生活最後の一週間を描いた青春コメディ。
中学生版『レディ・バード』にもたとえられる(中二病的な意味で)痛々しくも切ない、みずみずしくもどんよりとしたフレッシュなローティーンライフの描写が広範な支持を集めている。
監督は若干28歳のコメディアンで、なんとユーチューバー出身。アメリカ映画界における新世代の台頭を予感させる一本。すでに数多くの映画祭や映画賞にピックアップされている
オスカーはコメディを敬遠する一方で、サプライズ的なインディー作品を好む傾向にあるが、はたしてこの作品の出目は吉とでるか凶と出るか。最悪でも脚本賞ノミネートは固いか。
『ロブスター』、『聖なる鹿殺し』と強烈かつキテレツな作風で知られるランティモス監督最新作にして初の時代劇。
アン女王を演じるオリヴィア・コールマンを巡る二人の家臣(レイチェル・ワイツとエマ・ストーン)のバトルを描く百合時代劇……たぶん百合だとおもう。
すでに巨匠の地位を確立したランティモス監督の過去作のなかでも群を抜いて評価が高く、今年のベネツィア国際映画祭でも第二位にあたる審査員賞を勝ち取った。オスカー前哨戦となる各種賞レースにももちろん名前を連ねている。
今年の本命作のひとつとも目されるが、ランティモス特有の変態さ加減が(今回は脚本までは書いてないとはいえ)どこまでお上品なオスカー会員たちに受け入れられるか……。
『ラ・ラ・ランド』で幻の作品賞受賞というなんともかわいそうな結果に終わった(それでも本人は史上最年少で監督賞を獲っているが)デイミアン・チャゼルとライアン・ゴズリング。
そんな彼らのリベンジマッチが実録宇宙開発物語『ファースト・マン』だ。人類で初めて月面に降り立ったニール・アームストロング船長にスポットライトを当て、彼の視点からドラマを描く。
企画段階から作品賞ノミネートは当然、という空気のなかでプレッシャーを跳ねのけて見事高評価を集めた。ノミネーションはほぼ確実といっていいのではないだろうか。反面、今度こそ受賞なるかというと、今ひとつパンチがきいてないようで不安が残る。
オスカー前哨戦の最も重要とされるトロント国際映画祭で観客賞に輝いた作品。ここ十年で同賞を得た作品でオスカー本選にノミネートされなかった例はたった一回しかないのだ。
黒人差別が法的に是認されていた時代のアメリカで、自分もちょっとレイシスト入っている用心棒の白人男が南部へコンサートを開きに来た黒人ピアニストを送迎する仕事を命じられる。最初は「黒人のくせに上等なスーツを着てお上品にピアノなんぞひきやがって……」と反感を抱く用心棒だったが、行く先々で差別待遇を受けるピアニストに対してだんだんシンパシーが湧いてきて……という内容。
ほろ苦くもユーモアとメッセージ性に満ちた内容はまさしくオスカー好み。「分断されたアメリカ」というテーマのタイムリーさもある。ちなみに監督は『メリーに首ったけ』などのロマコメで知られるファレリー兄弟の兄。このところは過去のヒットコメディのリメイクなどで仕事に恵まれなかったが、もともと潜在的に持っていた社会派なセンスが一挙に花開いた。
If Beale Street Could Talk(バリー・ジェンキンス監督)
『ムーンライト』で一昨年の作品賞を獲得したジェンキンスの最新長編。今度こそはチャゼルにかっさらわれた監督賞もいただいて完全制覇を目論む。
原作は今年日本でもドキュメンタリー映画『私はあなたのニグロではない』が公開された、黒人小説家ジェームズ・ボールドウィンによる短篇。濡れ衣をきせられて収監された夫を助け出すために奮闘する若き妊婦のお話。
テーマの重厚さも話題性も十分だが、公開が当初予定していた11月から12月にのびたことが若干きがかり。クリスマス狙いのブロックバスター大作のなかで埋もれてしまう恐れがある。
Mary Queen of Scots(ジョージィ・ルーク監督)
互いにイングランド王位をかけてあらそったスコットランド女王メアリーとイングランド女王エリザベス一世を、それぞれシアーシャ・ローナンとマーゴット・ロビーという旬な女優が演じる。
脚本を担当したのは『ハウス・オブ・カード』や『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』などの現代政治劇の名手、ボー・ウィリモン。
いずれもオスカーノミネーション歴を有した名前ぞろいでクオリティも保証されている。同じくイギリスを舞台にした時代劇である『女王陛下のお気に入り』がライバルか。
ROMA(アルフォンソ・キュアロン監督)
世界的に見れば今年最も評価の高い映画といっても過言ではない。ベネツィア国際映画祭の最高賞。
1970年のメキシコ・シティで家政婦として働く女性とその一家のドラマをモノクロで撮る。
評価の高さと『ゼロ・グラビティ』でオスカーを獲ったキュアロンの知名度があれば当然作品賞も……となりそうなものだが、障害は多い。
まずスペイン語映画であること。長いオスカーの歴史のなかでこれまで十作品の外国語映画が作品賞にノミネートされてきたが、受賞にいたったものは一つとしてない。
次に Netflix 映画であること。カンヌみたいに公に締め出すことはしないにしても、アカデミー会員のなかでも動画配信サービス勢に対する反感は根強い。一昨年の『最後の追跡』やドキュメンタリー作品を例外として、『ビースト・オブ・ノー・ネーション』『マッドバウンド』といった作品たちもその年最高クラスの称賛を受けながらもオスカーノミネートには至らなかった。
いちおうネトフリも『ROMA』については配信に先駆けて劇場公開を行うなどの「オスカー対策」をやっているが、はたしてどうなることやら。
ちなみに Netflix でも来月に配信される。驚くべき時代になったものだ。
アリ― スター誕生(ブラッドリー・クーパー監督)
ショービズ映画の古典のリメイク。この八十年で三回目の映画化です。
本年度大本命に数えられる一本。批評家・観客からの圧倒的な支持率もさることながら、商業面でも大ヒット(現時点で世界興収三億ドルを突破)を飛ばした。主演のブラッドリー・クーパーとレディ・ガガの演技もさることながら、これがイーストウッド降板を受けての初監督となったブラッドリー・クーパーの演出にも嬉しい驚きが満ちているとかなんとか。
だが、一昨年の『ラ・ラ・ランド』、昨年の『スリー・ビルボード』と「早すぎる大本命」はかならずバックラッシュに晒されるのがオスカーという場。12月以降に猛然と差してくるであろう後続期待作たちを振り切れるかどうか。
Widows(スティーブ・マックイーン監督)
2013年にアカデミー作品賞を獲得した『それでも夜はあける』のスティーブ・マックイーン最新作。オスカー獲得後の第一作でもある。
シカゴでヘマをやらかして死んでしまった強盗たちの四人の未亡人(ヴィオラ・デイヴィス、エリザベス・デビッキ、ミシェル・ロドリゲス、シンシア・エリヴォ)が亡夫の後を継ぎ女だけの強盗団を結成するちょっと変わった犯罪映画。
マックイーンとヴィオラ・デイヴィスというアカデミー賞受賞コンビで鉄板の出来。
そのパワーでジャンルムービーを嫌うオスカーでノミネーションを勝ち取れるかが見どころだ。
Boy Erased(ジョエル・エドガートン監督)
厳格なキリスト教である両親のもとで育ったゲイの少年(ルーカス・ヘッジス)が教会の同性愛矯正プログラム(いわゆるコンバージョン・セラピー)に放り込まれ、セラピストとバトルする青春ドラマ。
近年では『ダラス・バイヤーズ・クラブ』のジャレド・レトがそうだったように、LGBTものは俳優にとってオスカー像への近道だ(スカーレット・ヨハンソンみたいに非LGBTの俳優がLGBTの役を演じることに倫理的な非難が高まりつつあるにしても)。
批評家筋からの評価的には作品賞には届かないかもしれないが、演技賞ではノミネートが有望視されている。
トランプ政権下でLGBTに対する抑圧が増しつつあるだけに、時事性も捉えているかもしれない。
GWブッシュ政権下で「史上最悪の副大統領」とも呼ばれたディック・チェイニー元副大統領をクリスチャン・ベールが激太り(何度目だ)+ハゲという負の肉体改造で演じたブラックコメディ政治劇。
他にも妻リン・チェイニー役にエイミー・アダムス、ラムズフェルド国防長官役にスティーヴ・カレル、GWブッシュ役にサム・ロックウェルなどアカデミー賞級の芸達者がずらりと並んでいる。
題材としてはなかなかトリッキーだがマッケイ監督の前作『マネー・ショート』がそうだったように、ツボにはまれば一挙にアカデミー賞ノミネートまで行ける。
同じく政治ネタでライバルだった『フロント・ランナー』(ジェイソン・ライトマン監督)の評判がいまひとつ芳しくないのも本作にとっては好材料。
The Old Man and the Gun Now(デイヴィッド・ロウリー監督)
名優にして名監督ロバート・レッドフォードの引退作。15才で逮捕されたときから人生を通じて強盗を繰り返してきた70才の犯罪者(レッドフォード)と彼を追う刑事(ケイシー・アフレック)、そして彼に惹かれていく女性(シシー・スペイセク)を描く実話犯罪コメディ。
作品賞ノミネートは微妙なところだが、レッドフォードはまず間違いなく主演男優賞候補入りするだろう。
ちなみにデイヴィッド・ロウリーの前作であるゴースト・ラブストーリー『A GHOST STORY』は今日から封切り。観に行け。
一方で、実話犯罪・老人・名監督にして名俳優と共通する要素の多い作品としてクリント・イーストウッド監督の『The Mule』にも注目しておきたい。こちらは80才の麻薬の運び屋をイーストウッドが演じる。映画祭などでもまだ未公開なため、どう転ぶかはまだわからないが、近年のイーストウッド作品に対するアメリカ人の冷め方からすると賞レース的な意味での期待はあまりできなさそう。
その他有望そうな作品
『シカゴ』でアカデミー賞作品賞をさらったミュージカルの名手ロブ・マーシャルがディズニーの伝説的名作の続編を制作。
エミリー・ブラント、ベン・ウィショー、こりん・ファース、ジュリー・ウォルターズといった英国の名優たちでがっちり固めつつ、リン=マニュエル・ミランダやメリル・ストリープといったミュージカルで定評のある俳優陣をフィーチャーし、万全の Permalink | 記事への反応(3) | 16:07
基本的によく言われる「嘘つくのはローコスト、それを検証するのは高コスト」的な構造を利用してるのだと思っています。
議論を理解して熟考するなんて高コストなこと多くの人はあまりしないから、とにかく余裕ぶった大物っぽい雰囲気で相手をバカにしまくれば「パッと見た感じ相手を圧倒している山本一郎」を演出できる。
相手を攻めている内容に中身がなくても「わかりやすい嫌味」とセットでそれを並べ立てれば、何となく全体の雰囲気で相手の信頼度が下がる。それによって相対的に自分は上がる。ちゃんと考えれば「関係ない悪口言いまくってるなー」とかわかるはずなんだけど、ネットコンテンツって基本流し見しちゃうので騙されちゃう。
人間にとって人の悪口って超面白いので、その悪口と筆力の高さに引っ張られて「バカな相手を賢い山本一郎が叩き斬ってる」みたいに捉える人が一定数でてしまう。「隊長さすが!」とか「役者が違う!」みたいなコメントがあるんだよなあ。
山本一郎は闇属性(総会屋系)の人だと思っているんだけど、わりと表で堂々と発言してたり、普通に有識者みたいな認識されているような気がします。
だから、どんなマジックで今の立ち位置を得ているのか仕組みを知りたい!
↓あまりこの辺のことが知られてないだけ?それとも光属性なの?(本当にすごい人なの?)
http://kurikindi.hatenablog.com/entry/2016/12/28/090000
https://togetter.com/li/1080385
経歴詐称とか
芸能人なんて「顔」だって売りもんなんだから「顔が好きで応援してるファン」をそうじゃないファンが軽く見るヲタク同士のマウンティング本当に意味わかんない。
っていうか、芸能人なんて本当の性格分かんないでしょ。顔はよっぽど正確な情報だ。顔で好きになって何が悪い。
演技だって結局ヲタクのほとんどが素人目なんだし、好みってことに尽きるでしょ。
それを言うなら顔だって好みの一環だ。
なんで、「○○の顔が見たくて通ってる」って言ったら「これだから顔ファンはねぇ」って馬鹿にされなきゃいけないの?
下に見られなきゃいけないの?
「顔ファンは無理」とか言われなきゃなんないの?
執着して通ってる時点でそれが「顔」への執着だろうが「演技」への執着だろうが同じでしょ。
通ってる役者本人に言われるならまだ分かるけど、ヲタクにマウンティングされなきゃいけない理由が本当に分かんない。
その役者の何を応援しているかでヲタクの上下とか決まんねぇから。
黙って金払え!!!
テレビとインターネットを比較することでテレビがいかに素晴らしいかを説明する。
テレビ:基本的に製作責任者の名前は小さくクレジットされるか、あるいは全く表示されない。また製作に多数の人が関わる。出演している役者が(正論のような誤ったことを言っても)意見をうまく丸めて、番組全体としてみごとな調和をもたらす。編集結果の責任を取るのは出演者なので製作者は責任を取らずに自由な言論が可能となる。
インターネット:昨今のインターネットの情報は殆どがアカウントやドメインにひも付いている。発言者責任がに伴うため無責任な言論をしづらい。
よってテレビは優れている。
テレビ:テレビの視聴者はテレビを観る際になにもする必要がない。わずかなチャンネルの中からみたいものを選ぶだけでよい。
インターネット:インターネットを使う人間は、自分で観るサイトを選んだり、不快なものをスキップしたり、自分の意志でアプリをインストールしたりしなければならない。そのような手間を必要とするインターネットは完全なメディアとはいえない。
よってテレビが優れている
3、思想について
インターネット:玉石混交な様々な情報から正しいものを見分ける必要がある。
よってテレビは優れている
4、広告について
テレビ:広告は視聴率に基づいて料金が決まる。テレビを観ない者を省いた完璧な数字である。また、効果計測の手法もなく、夢を見ることができる。
インターネット:リーチ、コンバージョンが絶対数で表示され、夢を見ることができない。
よってテレビは優れている。
テレビ:一つの組織に関連する人間だけでコンテンツが作成され、後からの編集も行われており統一されている。受信者は悩む必要がない。
インターネット:多様な発信者がおり、様々な思想が混ざる。受信者は自分の頭で思想について考えることが要求され、完璧なメディアとは言えない。
よって、テレビは優れている。
テレビを讃えよ。
アマチュアだが劇団に入って演劇をやっている。やってみて面白かった事を挙げていく。
・顔はメイクでどうにかなる!
俺は男だが、人の容姿はメイクでこんなにも別人に変身できるのかとビビった。
イケメンにもブサイクにもなれるし老いたり若返ったりもなれる。
いや、乱暴な感想だとは思う。メイクと言っても舞台メイクと日常のメイクは全然別物だし、メイク映えするかしないかは個人差があるのも解る。
でも普段化粧なんかしない男からすると、メイク面白ぇ!っていう衝撃を味わえた。
地顔の造形に拘って悩むのが下らなく思えた。
思うんだけど、何で男は化粧しない文化なんだろう?男がファンデ塗る程度でも気持ち悪がられたりするよな?
眉毛描くだけでもちょっとイケメンになるやん。男性メイクが流行れば顔面コンプから救われる人もいるんじゃないだろか。
素人劇団なので役者は稽古に数ヶ月かけるんだけど、数ヶ月の間ずーっと同じキャラクターに向き合い続ける事になる。
最初は、ソイツがどんな理由でそんな台詞を吐くのか、どうしても心情が理解できず納得できない台詞が一つや二つ、必ずある。
一言を言うのがすげー大変だったりする。
たった一言に納得できないだけで、そこの芝居がマジで上手くいかなくなるのだ。
それやってると、理解できなかった台詞が理解できるようになる。というか自分の中で辻褄が合う解釈が出来上がって、その台詞に必然性が生まれるっつーか。
そうすると初めて芝居に血が通った気になり、意味不明だった他人に歩み寄り同一化できたような気になる。
そこで、この脚本書いた人はここまで深く考えていたのか、スゲーな!!と物書きへの畏怖を覚える。
・異世界に没頭できる。
リアルな大道具と小道具と衣装とメイクと照明と音響の力で、そこが現実ではなく芝居の中の世界になり、自分は別人に変身し、作った感情がリアルに胸に湧く。
これが凄く気持ちいい。
テレビも映画もゲームも無かった昔の人達でもこういう体験はできたんだなぁ…
他のキャストの演技が上達すると、それに呼応して自分の演技が上達する事が往々にしてある。
相手の台詞に力が宿って自分に届き、それまで出せなかった感情を引き出して貰う事がある。
逆にこちらの台詞にも力が宿って相手の芝居が変わる瞬間がある。
これがなんつーか、日常には無いコミュニケーションであり濃い感情のやりとりって感じなんだ。凄く面白い。
・不平等なんだけどそこがいい
例外もあるけど、男の役は男が、女の役は女が、老人の役は老人が務める、みたいに、自分の性別や年齢や容姿、あらゆる面で配役が制限されまくる。
それに演技の上手い人よりもハマり役の人が主役に選ばれる事もある。
でも、主役が美味しくて脇役が不遇って訳じゃ無い。物語に登場する人物は老いも若きも男も女も悪人も善人も色んな役所にそれぞれ作り込む余地があり旨味があって、各人が一生懸命になる。
むしろ嫌われ役とか小心者の役の方が面白かったりする。またどんな大根役者にも必ず「ソイツにしかできない芝居」がある。
顔やスタイルや頭や性格がいい人が正義とかいう一元的な価値観とは違った、もっと多面的に人間の魅力に目を向けないと芝居が完成しない。
前より人間に優しくなれた気がする。
①
元々ミュージカルや観劇が好きだった人(or ミュージカルファンかつオタクの女性)が
少なくなった舞台演劇の穴埋めに2.5次元に流れてきてその人がオタクの女性を誘ったって流れじゃなかったっけ?
男性は元々のミュージカルや舞台好きが少ないから最初の部分で凄い苦労すると思う。
②
アンケートとらないとわからないけど、多分舞台も映画と同じでイケメンの役者目当てに女性客がきてるよね。
男性は(あくまで優先順位って意味で)役者目当てで観にいかないと思うから今のやりかただと男性向けはこれ以上の拡大がかなり難しいと思う。
監督がどうだとか、音響がうんたらとかストーリーラインがどうだとか。
まぁやっぱライブとかは見に来るのを考えると"歌の技術"かもしれない。
③
記事にもあったけど日常系とか女子高生ものみたいなの多いけど、のんびりすぎて舞台に向いて無さ過ぎる。
④
アニメだとテレビで放送してたりソロで見れるから男性ファンも多いけど
現実の舞台で会場まで行ってセーラー服とかブレザー着た女性に興奮してる男性って絵面はきつすぎる(役者が大人前提だよ)。
男性オタクも基本的に社会的に圧力を受けてるし、そこまでいくと見に行く人が相当減ると思う。
はっきり言うけど、これで来る男性客は社会的な立場を完全に捨ててる人しか来ない(まぁようはコアなオタク)
イメージ的に華やかな立ち位置の舞台演劇でこれだと、女性役者側も嫌がると思う。
女性側はテニプリでも明らかなようにショタコン癖はあんまり叩かれないからなぁ。
⑤
正直、かなり難しいと思う。
まぁ地道にやるしかないのかもねぇ。
海外で男性向けのミュージカルとか舞台ってのは何があるんだろう?
それがヒントになるかもしれない。
推しが大好きです。
けれど、推しの事を好きだと、大きな声では言えません。
もしかしたら、殆どのオタクはそうなのかも。ただそれが私にはストレスでした。
今でも変わらず推しのことが大好きです。それは恋では無く、私を楽しい気持ちにさせてくれる人として。
共感してくれる人がいるならしてほしいし、同情してくれる人がいるならしてほしい。
でも、どうかこれを反面教師にして幸せなオタクライフを送って欲しい。
新しい公演が始まる度に日本の隅っこから飛行機に乗り、都内から電車で小一時間の田舎の劇場へ通いました。
通う為にほぼ毎日睡眠時間を削って放課後から早朝までアルバイトをしました。学校が長期のお休みの期間や公演日数が少ない時などは、都内でウィークリーマンションを借りて全部通いました。
そこは小さな小さな劇団で、開演前も終演後もお客さんと役者は直接お話が出来て、皆さんとても親密にしていました。
お客さんは皆優しく私をすぐに仲間として受け入れてくれました。
その劇団の公演は本当に素敵で、もっとたくさんの人に見て欲しいと私は思いました。だから私がチケット代や電車賃を負担して、たくさんの友達を呼んで一緒に観に行きました。皆その劇団の事を好きになってくれました。嬉しかった。
その劇団の団長は私に「いつもありがとう」とか「あなたが友達を呼んでくれるお陰で今までよりも良い公演が出来るようになった」なんて言葉もかけてくれました。なんてファン冥利に尽きる言葉なんだろうと思いました。
その中でも私の親友のAちゃん。彼女は一人でも劇場に通うようになりました。彼女の推しは団長。私の推しは歴が長めの団員。
そうやって何年も応援している内に、劇団も少し人気が出てきました(まだまだ小劇団の域を超えませんでしたが)
増えたお客さんも皆良い人ばかりでした。本当に毎日が楽しかった。
え?と思いました。
たったそれだけの一言で、複雑な気持ちがワッと押し寄せてやがて怒りに変わりました。
「それ、本当?」一応冷静を取り繕ってまずは真偽とどういった経緯での発言かを確認しました。
Aちゃんは「私だから本音を言えるって言って、団長は仕事の愚痴しか言わない。私はそれ聞くのが面倒くさくなってきた。」
「何それ。だったら出なくて良くない?」私はAちゃんに同調したつもりでした。
それがAちゃんの癖で、自分の納得のいく返事が貰えなかった時にその素振りを見せます。私は他に彼女の納得いく返事なんて浮かばずそこでその話を終わらせていつも通りそれぞれ帰宅しました。
その次の公演を観に行くと開演前にAちゃんが泣きながら団長と話をしていました。その時団長に睨まれたような気がしていました。何かがおかしいのを感じて私はそこに近付けませんでした。
その日の公演は団長が役を全うしませんでした。普段来ているファンは、普段と違う事を面白がりましたが、初見の人は「意味が分からない。何あれ?」と口々に文句を言って出て行きました。
終わった後、私の推しが私の所に駆け寄って来ていつもと同じように笑顔で明るく、楽しい話をしてくれました。
その日AちゃんにTwitterもLINEもブロックされました。
その次の公演に行きました。開演前に団長に睨まれながら言われました。
「もう来ないで」
なんだこいつ。
それ以外に何も思わなかった。
終演後、推しが私に「団長の事は気にしないで」と言ってくれました。私は推しに余計な心配を掛けたくなくて、何も聞けず、Aちゃんの事は黙ってました。
その日が終わってから暫く考えました。何で私が「もう来ないで」と言われたのか?
理由は私がAちゃんに納得のいく返事をしてあげなかった事しか浮かびませんでした。そして彼女の性格を鑑みて今思えば、あれはただの自慢だった。
「団長はあなたにそんなに心開いてくれてるんだね」それが正解の言葉だった。
けれどそれを言えなかった事で払う代償が大きすぎると思いました。Aちゃんと団長は何を話してこうなったのか?それは今でもわかりません。
Aちゃんが泣いていたあの日の前までは優しく笑顔だった団長が、急に、どうして。
私は悩みに悩み、次に行ったらその後は劇場に足を運ぶのをすっぱりやめることにしました。
推しには最後に手紙を出しました。ただただあなたのお芝居が大好きだという旨を何十枚もの便箋に書き連ねました。それ以外の事は書かなかった。
次の公演に行ったら、終演後に団長に「あなたは仲間じゃないから」と言われました。
推しに申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、いつも通りの推しを見送った。
私はこの事を誰にも言いませんでした。私以外の人は幸せにファン活動しているから。
でも、私が行かなくなって不思議に思った他のお客さん達が私にDM等でメッセージをくれました。私はそれらに対して「Aちゃんと喧嘩して、もう来ないでほしいと言われた」と返しました。
それから暫くして、Aちゃんも劇場に足を運ぶのをやめたみたいです。理由は知りません。
これまで数年この劇団にたくさんのお金と時間を費やして、こんな終わり方で、自分は一体何していたんだろうという虚無感。
私の手元にはもう二度と目にしたくない劇団のグッズやパンフレット等が大量に溢れていて、それをゴミだと認識してしまうともう何も残りませんでした。
今すぐ死にたい、何も無い、あの幸せな日々を返して欲しい、憎い、殺したい、自暴自棄…
そんな中、支えてくれたのが他のお客さん達でした。
DMでAちゃんの悪口を言ってくれたり、実は状況を察していたという人が団長の悪口を言ってくれたり、それが大きな心の支えでした。私は悪くないと思えたから。
そして私が行くのをやめた3ヶ月後、推しは劇団から離れました。
それが推しにとって良かった事なのか、良くなかった事なのかはわかりません。私は、少なからず嬉しかった。
月日が過ぎ社会人となり、小劇団を追わなくなって出来た貯金で上京をしました。
私には新しい推しができました。今度は小劇団ではない、2.5次元などにも出るキラキラの若手俳優。
恐らく、好きになった当時は同担拒否という言葉はまだ存在していなかったと思います。同担同士でTwitterをフォローし合うのが当たり前。情報交換したり、チケットを連番したり。
私は以前の劇団のトラウマが有りファン活動は控え目な方でした。
とは言っても公演半分は行って地方に遠征もして、ブロマイドはセンチ買いするし推しにも認知されていたと思います。
でも周りが「推しの為に全公演通います!」「推しの為にグッズ買い占めます!」等と宣言していると、不安でした。
私の応援の仕方じゃ推しに貢献できていない?私はファンとは呼べないのではないだろうか?
マウントを取られる事はよくあり、けれど荒波立てたくないから私は自ら下手にまわりました。
推しからファンサを貰った事が無い事にして、オキラのふりをしていました。
私がそう言うと皆幸せそうに私はこんなファンサしてもらえたよ、と自慢してくる。それで良いと思いました。
そのお陰か私は多くの同担に囲まれており、よく「私実はあの同担が苦手なんです」とぶっちゃけられることもあった。
理由はわかりませんでした。私には皆普通のファンに見えたので。
あまり自分の話をしないように気を付けていて、推しの現場は毎回とっても気を使いました。
私は推しにファンが増えてほしいから、Twitterは公開にして推しの良い所をたくさん言葉にしてツイートをしました。皆が良い反応をしてくれたし、推しも生き生きしているように感じました。承認欲求が満たされたようで楽しかった。
けれどどうやらそれが悪目立ちする原因にもなったのと同時に、「同担拒否」という言葉が一気に流行り始めました。
すると、一部の同担に過剰にマウントを取られるようになりました。マウントを取ってくる人達は全通当たり前の熱狂的なオタク達。
私は彼女らに勝とうなんて思った事はなかった。
彼女らは私がツイートをする度にそのツイートに対する意見のようなツイートをしていました。
「推しのブロマイド今回は何枚買おうかな」なんて言えば「何枚買おうかなんて考えてるようなのはダメだよね。限界まで買わないと」と言い、「推しへの手紙書き終わったけどもうこんな時間だ!」なんて言えば「推しへの手紙はオールで書くもの」とか。
最初は偶然だと思ったけれど、私が何をツイートしても彼女らは私のツイートした話題に必ず触れていました。
それで息苦しくなりました。何もツイートが出来ない。
私はTwitterをやめました。
推しの現場にもひっそりと通う事にしました。良席は取らないし髪型や服装やメイクも変えて。同担に見られたくなくて。
それまで推しは私を見つけては、私が手紙で書いた好きなセリフや好きなシーンは、私の目を見てやってくれていたように感じていました。
しかし、そういった事が一切無くなってしまいました。見つけられなくなったからでしょうか。
そのせいか通っても楽しいと思えることが少なくなり、モチベーションが下がり、通う回数も減って行きその内に手紙も書かなくなっていました。
推しはブログ更新が段々と活発になっていきました。それから手紙やプレゼント等に言及したり、今までしなかった事をしました。
私が送っていた時は手紙にお礼なんて言ってくれなかったのに…。もしかして、本当にオキラだった…?
私がいなくても推しを推す人はたくさんいる。私は推しとどうなりたいわけでもない。ただ推しの演技が好きだから、見たい時に見られれば良い。
そう思って、長いこと手紙も送らず接触もせず、ただ静かに彼の芝居を観に行きました。
暫くしてTwitterを覗いたら、私に過剰なマウントを取っていた同担がいつの間にか全員降りていて驚きました。
気になって遡ると私がTwitterをやめてからすぐに皆、推すのに疲れたというような旨のツイートをしており、
それは私がいなくなって張り合いが無くなった事で急激に冷めたのかそれとも元々私がいなくなる前からそのつもりでいたのかわからないけど、いつの間にかお金をたくさん使う同担がごっそり減っていたのです。
それに続けてマウントを取っていなかったファンの中にも静かに降りている人もいました。
もしかして、ブログの更新が活発になったのはこれ以上ファンが減ったら困るから…?
その状況に危機感を覚えた私は慌ててチケットを増やして、ブロマイドもいつもの倍以上買いました。地方にも遠征した。
ただ、手紙だけは書けませんでした。長いこと書いてなくて、なんて書けばいいのかわからなかった。それから、私が手紙を送らなくなってからのブログの内容の真意がわからなくて、私は送らない方が良いのではないか?などとつい考えてしまうから。
当然、通っても推しは見てくれない。
誰が座っているのか、前方席を見て笑顔になる推しを遠くから見る私。
ドッと寂しくなりました。
推しは何を思っているんだろう。
そして私は何を求めているんだろう。
私の推し方はずっと間違っていたのだろうか。
大規模な実写化案件を調べると彼の名前が浮上することがよくある。
日本文化に影響を受けたパシフィック・リムは彼の作品だし、銃夢をキャメロンに紹介したのは彼。
また、進撃の巨人の監督を務めるアンディ・ムスキエティはMAMAという作品でムスキエティが監督を勤めデル・トロが製作総指揮を勤めた
ご存知、ヤッター!の人。
ガチガチの理数系であり、映画などのSFXを制作するデジタルアーティストでもあった。
同時に役者でもある。
オタクを表明していて、日本の漫画が好き。※きまぐれオレンジロードや浦沢直樹の作品が好きらしい
デスノート、ロックマン、進撃の巨人は彼がプロデューサーとして参加している。
日本語と英語をどちらも高レベルで喋れる裏方で有名なのはおそらく近年だと彼くらいしかいない。
脚本家。
本業は脚本家のため、あまりニュースにはならないのだが深く調べると彼女の名前がちょくちょく出てくる。
ただし、これはハリウッドではよくあることではある。
・東宝
ゴジラ及びアニメ・ゲーム・漫画案件を武器に海外へ打って出ようと画策。
従来の日本映画の海外進出は映像をそのまま買ってもらうか、翻案件を売る程度であった。
近年アニメ業界への進出が熱心なのもこのためだと思われる。※ヒロアカはTOHO製作
はたして吉とでるか凶と出るか。
パシフィック・リム(これは日本製ではないが)、ゴジラ、ポケモン、ヒロアカ、ガンダムはすべてレジェンダリー製作及び製作予定である。
中華系企業が買収したためアジア圏での和製IPの影響力の強さを買っているのかもしれない。
今の所成功を収めた和製IPの作品はAll You Need Is Killとゴジラとバイオハザードくらいしかなく、特にゴジラは大成功と言っていい。
同じようにHITする作品がでるだろうか?
君の名は。はそのなかでもJJエイブラムスがプロデュースするとのことで期待。
誰かが言っていたのだがハリウッドには日本製IPのマニア連合みたいのが存在するらしい。
出ている情報で推察すると
デル・トロ、キャメロン、タランティーノ、レータ、マシ・オカ辺りが該当する用に見える。
それぞれSFや時代劇など分野は違うが好みの作品があるように見える。
しかし、気になるのはこれまでに日本製IPの大ヒットがゴジラくらいしかないのにあまりに次々と実写化がニュースになることだ。
銃夢は制作費200億円だし、ポケモンも相当お金をかけているようだ。
進撃の巨人はプロデューサーだけではなく監督、制作会社まで既に決まっているため、実写化する確率が高いのではないかと見られている。
一体何が起こっているのだろうか?
まぁハリウッドの脚本不足がそこまで激しくなっているということなのかもしれない。
マーベルに代表されるスーパーヒーロー映画は大盛況だがあまりに立て続けに実写化されたため一部ではクソマント物(capeshit)などと揶揄する人も出てきた。
「アクアマン」って誰だよ。
MEGやロック様のような少し前のダイ・ハードのようなアクションものの作品が大ヒットしているのを見るに若干アメリカ人も飽き始めているのかもしれない。
それでも大ヒットはするんだけど・・・
いずれにせよ、これらの作品の内どれかが大ヒットすれば和製IPの実写化案件はさらに加速するとみられる。
期待したい。
----------------------- 過去の海外調査案件記事 ------------------
https://anond.hatelabo.jp/20170807163708
https://anond.hatelabo.jp/20181025161748
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あえてアマチュア役者を揃えたみたいな事がどこかで書かれていた気がするが、今検索しても出てこない。
http://d.hatena.ne.jp/cinema-technica/20100708/1278535527
https://www.sankei.com/west/news/150508/wst1505080033-n2.html
私は舞台役者が多く所属する芸能事務所で働いている。マネージャーではなく、内勤のスタッフだ。
業界のことをあまり知らない状態で就職したが、業務上ある程度の知識をつける必要があった。そこで業界や役者個人のことを調べ、実際に舞台を見に行くうち、ある役者(以下、Aさんとする)のファンになった。
予め断っておくと、Aさんは弊社の役者ではない。と言うより、私の立場で弊社の役者のファンになってしまうのはいろいろと問題がある。公平な気持ちで業務に当たれなくなってしまうかもしれないし、役者との繋がりどうこうで疲弊したり、他のファンをピリピリさせたりするのは本意ではない。
話を戻す。私がAさんを好きになった理由の一つに、強い個性がある。Aさんは舞台上での振る舞いやネット上での発言が少々突飛で、賛否両論がある(が、炎上はしないくらいには加減されているのがすごい)。私はそんなところも含めてAさんが好きなのだが、合わない人には本当に合わないようだ。突飛な言動に惑わされずに彼の演技を見て! というファン心理の一方、合わないと思う気持ちも理解できないわけではない。それくらい強烈な個性を放っているのだ。
そんな彼をうまく制御しているのが担当マネージャーさん(以下、Bさんとする)だ。彼の言動を個性と認め、ある程度自由に振る舞わせつつも、やりすぎそうになってしまったときにはギュッと手綱を締めてくださっている。
本来マネージャーという立場は黒子なのだろうが、Aさんのファンの間では、BさんのTwitterアカウントは有名だ。プロフィールに会社名や肩書きが書かれているわけではないが、担当している役者の宣伝をしているので、分かる人が見れば分かるというやつだ。
そんな折、Bさんが地元のご友人と思われる方とリプライでやり取りされているのを見た。詳しい会話の内容は割愛するが、やり取りの中でBさんは自身の仕事への向き合い方について語っていて、その姿勢にファンとしても、同業界で働く者としても深く感銘を受けるような内容だった。
自分も同業界にいるので何となく分かるのだが、いくらAさんに優れた演技力があろうとも、癖の強い言動の彼を売り出すのはきっと難しい。おそらく弊社なら持て余してしまうだろう。しかしAさんは近頃大きな役を演じる機会が少しずつ増えてきている。あの事務所で、そして担当マネージャーがBさんで良かったね……などと思ってしまう。お前はいったいどの立場なんだ? というセルフツッコミを入れながら。
Aさんのファンにならなければ、Bさんの存在はまず知り得なかった。しかし今やAさん関係なく、同業者としてBさんにお会いしてお話してみたいという気持ちがある。仕事へのスタンスや、実際に出されている結果を本当に尊敬しているのだ。まさかBさんもこんな風に思われているとは露ほどにも思わないだろう。
自分もやってることがけっこう似てるんだけど、ちょっと元増田の言いぶりには引っかかるものがある。
同じ穴のムジナからみると、まったく選べてないよ。
例えばさ、アニメのDVDを「とても高いDVD」と表現するというのはさ、作品に価値を感じてないように見えるわけですよ。あくまで中の人が出るイベントだけが目当て、みたいに。
「外れるリスクを負ってDVD買ったり」だもんね。作品のためじゃなくて、シリアルコードのために買ってる、ということだと解釈しますよ。
で、シリアルコードのために買ったDVDはその後どうしてるんです? 金策のために手放してたりするのかな。
アニメって声優さんにとってはメインの一角といっていい仕事ですよね。イベントに出るほどの方だから、メインどころのキャラクターをご担当ですよね。その推しさんの素敵な仕事をじっくり堪能できるDVDが、「とても高い」?
そういう感じ方をするようになってしまってるなら、それは、やばいよ。少し疲れてるどころじゃないよ。
推しさんの役者としての仕事には(相対的に)興味がない、という状況じゃないのか、それは。
だったら、推しさん個人の仕事をメインに追ってたほうが絶対に満足度が高いだろうと思いますよ。役者以外の、いわばタレント方面のやつを。
最近は、声優さんが自分の名前を前に出してるオリジナルコンテンツも数多いし、そのコンテンツ同士でゲストも呼び合っているから、機会はそれなりにあるんじゃないですか。歌手活動をしているなら、単独ライブやフェス系の出演の機会もあるでしょう。最近は音ゲー系アプリも多いし、キャラソン方面の新曲も期待しやすい。
作品ベースの現場は、よっぽど作品自体にほれ込んだ、ほれ込めたものだけにしぼってさ、作品関係ないイベントとかさ、朗読や演劇の出演とかさ、フェス系を中心にしてさ。費用対効果を上げていこうよ。
……まあ、今はたぶんそういうハンドリングもできない心持ちなんだろうなあ。ほとんど自動的にチケット確保しにいってるんだろうし。
元増田が自分で言ってるけど、それこそ病気みたいなもんだよな。
諦めて、たびかさなる数万の出費なんて屁でもないぐらい、思いっきり稼ぎまくる方面を模索したらいいんじゃないかなあ。金の心配がとりあえずなくなれば、すがすがしく満喫できるよ。ついでに、仕事が忙しくなると、物理的にイベントに行きにくくなったりするかもね。「全部行かなきゃ」というつきものが強引にでも落ちれば、すこんと気持ちよく楽しめるんじゃないかと思うけど。
レッツエンジョイ。