2018-11-18

ツイッターで擬似的な死を楽しんでいる

ツイッターアカウントをいくつか持っていた。

どれも五年以上前に作ったものだ。それぞれに繋がりはなく、名前も違うしツイートの毛色も違う。趣味で切り分けた独立アカウント。そしてそれぞれによく話す仲の良いフォロワーがいる。

半年前、仕事生活上の様々な不安小学生の頃から持っていた希死念慮がぐちゃぐちゃに混ざって、その中の一つのアカウントで死亡宣告をした。

遺族になりきって、「〇〇の親族です。〇〇は先日逝去いたしました。生前〇〇と親しくお付き合いいただいた皆様、どうもありがとうございました」

というふうに。亡くなった芸能人ツイートを参考にしてそれっぽい文面にして、葬式など様々なドタバタを暗に臭わせるために死亡設定日より期間を開けたりなんかもして巧妙に。

ツイートした直後、後悔した。なんでこんなことしたんだろう、意味がわからない、でももう呟いてしまたから消すわけにはいかない。

でも、そのアカウントで仲良くしていたフォロワーの一人がそれを拾った途端、後悔がぞくぞくとした快感に変わっていった。

「〇〇さん!? 嘘だ......」「そんな......よく話していたのに亡くなるなんて......」

私のために悲しんでいる。リツイートが増え、私の名前を見たことがある程度の人までご冥福をお祈りしている。彼ら彼女らにとって、私は死者になったんだ。

すごく気持ちが良かった。私が死んだだけなのに、こんなに多くの人がその死を悼んでいるのだという快感

私の冥福を祈っている人たちのツイートを見ながら、私はにやにや笑っていた。

以来、私は一定の間隔をあけながら、私自身を死なせている。何度も死なせていたら当然アカウントが足りなくなってくるから、新しくアカウントをつくってまた別の関係を構築し直す。タグをつけているツイートを探してその人の作品趣味共感してあげたり、まめにいいねリツイートをしてあげたり、「おもてなし」をしてあげさえすれば、ツイッターで人と仲良くなるのは簡単だ。もちろん、悼んでくれるような人を作るまでは時間がかかるから簡単といっても短期間ですぐに作り上げられるというわけでもないけれど。

ともかくそうやってコミュニティに参入したら、頃合いを見計らって私は死ぬ。死因は様々だ。事故死、病死自殺はうまくやると本当に気持ち良い反応が返ってくる。

何で気づいてあげられなかったんだろうとか、そういえばあの時のツイートは、とか、まだ若いのに、とか色々好き勝手に私の自殺の要因を想像している。愉快でたまらない。そういうツイートを見ているときがたぶん私にとって一番幸せ時間なんだろうと思う。

この前もまた私は死んだ。平成が終わるまでに、あと何回死ねるか。次はどんな死因にしようか。どんな訃報の文面を作ろうか。今日もそんなことを考えてわくわくしながら、私は呟いている。


追記

こんな日記なんて早々に流れに飲み込まれて消えると思っていたから、反応があって驚いている。賛否はともかくとして自分の書きなぐったものに反応してもらえることは、ご冥福を祈られるのとはまた違った嬉しさがあると知った。

趣味の悪いことだというのは自分でも重々理解しているのでそれは脇に置いておいて、私がアカウントを作る際に心がけていることとして、「ヘイトを溜めない」ことがある。

ツイッターにおける人間関係は、実社会よりはるかに作りやすいことはすでに書いたが、同時にそれはきわめて脆くもある。

ミュートやブロックという形でその人をいなかったことにできる機能があるし、訃報に触れる心持ちにしても、ネット上だけで関わりがあった人の訃報は、実際に対面したことのある人の実感的なそれより軽い。

からこそ、人が(本当に)死んでいるというのに、その人に対してヘイトを持っていた人は、ネット上においてはその死を平気で喜べる。実生活でそんな態度を露骨に表に出す人はほとんどいないことを考えれば、この点は了解してもらえると思う。

そして、そのような反応は、私の求めているものではない。

良質な冥福は、良質なユーザー死ぬことでしか起こりえない。私が平穏に悼まれるためには、関係悪感情を挟んではいけない。

から私のアカウント平和ツイートばかりだし、センシティブ話題には触れないよう心がけている、ということを追記しておく。

  • 一種のライトなストックホルム症候群では。 あんまりいい結末を辿りそうには見えない。

  • その醜いにやにや、顔に張り付いてないといいね。

  • デジタル自傷。立派な病気です

    • ある意味自傷。ただしホントは痛くなくて快楽を得ている。 淋しい人なんじゃないかな。情報砂漠、人間砂漠で辛いんだろね。

    • 自分が育てた匿名アカウントを殺して愉悦に浸る、ということで「デジタル自傷」って言葉を当てはめるには違和感ある。顕名・実名でやってるアカウントならともかく。   これはデジ...

  • 増田で擬似的なツイッターの擬似的な死を楽しんでいるんですね、わかります

  • 遺族からのツイート見るたび 「遺族にアカ教えてたんか…」って気持ちにかられる

  • 正直分かる。俺も職場をすぐに辞めてしまうけど、心理学的に言えばこれは擬似的な死と別れを演じる一種の代償行動なのだと自分で薄々気が付いてる。

  • それだけなんども同じことやってて「線香あげさせてくれ」とか「お墓まいり行かせてくれ」みたいなリプは来なかったのかな。来なかったとしたら、その程度の悼みでよく快感に浸れ...

  • 悪趣味だけどこういうこと思い付くやつ嫌いじゃない。 実害がなけりゃこういう不健全な人間を許容してこその多様性。真面目で正しい人間しかいない世界じゃあまりに退屈だ。

  • わかるよ。死は装わないけどアカ引退宣言した時に来る自分の引退を惜しむ言葉はSNSの最後の楽しみになってる。 もうこの趣味の話で繋がるの飽きたし、人間関係も澱んできたし、綺麗...

  • 人間関係リセット癖にゲスさが足されただけのマイナーアップデート版だろ?

  • 他人を巻き込んで、不幸の連鎖を起こさないようにして下さい。

  • 良い死に方しないと言われても やんなかったらいい死に方出来るかってーと出来ないし そもそもが大した人生じゃないしなあ

  • 創作活動のような。 役者さんが毎回舞台でマチネとソワレ、一日2回も亡くなったりすることと 少し似ている気がしました。 他者との関係性を「死」で確認するという悪趣味ではある...

  • 承認欲求を満たしたいだけの馬鹿かな

  • ネット上の親しい人が急に亡くなったら寂しいし なおかつ死を身近に感じさせるから良くない。

  • 小説とかならこの後不思議なことが起こって本当に死んじゃう、って展開が待ってる。

  • 構ってちゃんの究極版。 関わりたくない人物だわ。

  • ツイッターにアカウントをいくつか持っていた。 どれも五年以上前に作ったものだ。それぞれに繋がりはなく、名前も違うしツイートの毛色も違う。趣味で切り分けた独立のアカウ...

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