はてなキーワード: クリスチャン・ベールとは
[断食18日目](https://anond.hatelabo.jp/20240529095136)の続き
1.男、体重82.1kg、身長175.5cm、今年最高重量95.5kg、減量開始時の体重94.9kg
2. 30日で12.8kg減少(-13.5%)
3. 午前中は空腹感が沸かない。15時以降は空腹感が酷い
4. 断食開始時は盛大に体重が減少したが(1.2kg/day)、最近は0.2kg/dayになる
6. 1日に摂取するもの: マルチビタミン、ヘム鉄、マルチミネラル、アマニ油(あさイチオメガ)、ペプシゼロ、お茶、塩砂糖レモン汁、フルーツジュース
8. 4-5時に起きて22時前に寝る生活。TOEIC Part3, 4の音声を聞きながら散歩をあさイチに行う。
10. 米国俳優に役作りのために体重増減させるのがいる(e.g. [クリスチャン・ベール - Wikipedia](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB))。今回の経験で脂肪の蓄えがあれば30日間の断食では体調を壊す事は無いと解った。
11. YouTubeにも30日の断食体験を紹介する動画が見つかる。今後更に50日程度の体験を語る動画が出現するだろう。
レオナルド・ディカプリオ:48歳
クリスチャン・ベール:49歳
ヒュー・ジャックマン:55歳
ウィル・スミス:55歳
ジェイソン・ステイサム:56歳
ヴィン・ディーゼル:56歳
キアヌ・リーヴス:59歳
ブラッド・ピット:59歳
ドニー・イェン:60歳
ジョニー・デップ:60歳
トム・クルーズ:61歳
デンゼル・ワシントン:68歳
リーアム・ニーソン:71歳
なかなか……
つーか、ディカプリオ意外に若くて草。
クリスチャン・ベールも50後半かと思ってたわ。
若手も出てきてるっちゃ来てるけど
マイケル・B・ジョーダン:36歳
クリス・エヴァンス:42歳
ライアン・ゴズリング:42歳
ジェイク・ギレンホール:42歳
クリス・プラット:44歳
ジェイソン・モモア:44歳
ライアン・レイノルズ:46歳
それでもなかなか。
トム・ホランド:27歳
くらいしか思いつかんな。
Joker見てきた。
多少のネタバレを含む不満とか物足りなさを書いた。
なんか評判の割に…って感じだった。
面白いなーって思ったのが、
「海外の地下鉄って治安悪いイメージあるけどお金持ってそうなにーちゃんとか一人客の若いお姉さんとかも使うんだなー」とか「やっぱり銃社会こわいねー」とか、せいぜいそんなもん
えっ…これでおわり…?
これだけなの…?
CABINとかヘレディタリーとかITを観たときよりは全然マシだったけど、でもやっぱり「え、これでおわり?????」感が強かった。
貧困とか将来の無さとか病気とかが引き金で狂っちゃう人も、無差別殺人する人も頻度は低いけど、ニュースで見るでしょ…?
でも別に精神病んだからって、よっしゃ殺るぞー!って全員そうなるわけでもないじゃん…
どっちかって言ったら、まぁ人間追い詰められたらこうなることもあるんじゃない?明日は我が身かもしれないねーみたいな。
まぁ別に現実でもあるかもしれないし、ないかもしれないし、自分が知らないだけであるのかもしれない話って感じで、別に何か驚くほどのことでもないし、別に映画にするほどのストーリーでもなくない…??
犬を飼ってればこんなことには…みたいなツイートもあったのを見終わってから真っ先に思い出したんだけど、凶悪犯って大体手始めに身の回りの犬猫を虐待して殺すイメージあるから犬いたらかわいそうだな、犬いなくてよかったな、って思った。
大絶賛してる人たちはどういうところがよくて大プッシュしたんだろう?
ツイッターでRTされてきた4桁超えの感想をみて、評価良さそうだと思ってたけど、実はそんなに評判良くない…とかってことあるのかな…
感想探してみよう…
私の感性が死んでるのかもしれないし…
とはいえ、映画自体には、悪役に人間らしい苦悩とかを与えてはいけない決まりとかあるのかなーヒーロー物だし。って思って納得してる。
ほどよくまとめてありますね、って感じ。
多分、もっとドロドロした人間の苦悩とか懊悩とか悲壮感とか、見終わった後に吐き気のしそうなタイプの暗い映画を求めてた。
そういう意味だと、クリスチャン・ベールのバットマンのシリーズの方が求めてたものに当てはまるかもしれない…
いま、めちゃくちゃ物足りない気持ち。
愚行録が好きなので口直しに見ます。
ダンサーインザダークとかも自分的には求めてるタイプの映画です。
ミッドソマーは気になってるので見てみる予定です。
ブラッド・ピット……むしゃむしゃ食べながら話す。もしくは指パッチンして指差しして話す。
マット・デイモン……特殊な技能や才能を持っている。もしくは彼を助けることが映画の主題になる。
エド・ハリス……軍人やNASA職員等として指揮統制を図れる立場にいる。
クリスチャン・ベール……体形が自由自在。
ジェイソン・ステイサム……いつもハゲ。
フォレスト・ウィテカー……悪人になりきれないか、不幸な目にあっている。
トム・ハンクス……うまくいかないこともあるが、色々な体験をする。
ゲイリー・オールドマン……悪役の時は死ぬ。非悪役の時はよき理解者となる。
サミュエル・L・ジャクソン……説教を垂れる。そして死ぬ。
自分のブログにでも書こうかなと思ったけど、だいたい https://www.metacritic.com/pictures/oscar-best-picture-contenders-for-2019?ref=hp からのパクリだしそんなに力いれて調べてないので増田に放流します。
本命は『スター誕生』、『BlacKkKlansman』、『グリーンブック』あたりか。ノミネーションだけなら『ファースト・マン』や『女王陛下のお気に入り』も。
今年のカンヌで『万引き家族』の次点でグランプリを獲得した、黒人映画永遠のトップランナーの最新作。
黒人なのにKKKにもぐりこんでしまった潜入捜査官の実話を描く。
スパイク・リー監督作のなかでは『ドゥ・ザ・ライトシング』や『マルコムX』をも凌ぐ評価を獲得している(そして興行的にもここ十年で自己最高)。
公開時期が夏季であることと、ややコメディよりのタッチがノミネーションに不利に働くかもしれないが、トランプ政権下において「ブラック・リブス・マター」運動はまだまだ意気軒昂。「黒人映画」枠競争を勝ち抜くポテンシャルは十分だ。
ブラックパンサー(ライアン・クーグラー監督)
解説は不要だろう。今年米国内で最高興収をあげた作品にして、マーベル映画史上でも最も支持された傑作ヒーロー映画。
アメリカ国内外の黒人問題や歴史的視点にめくばせしてオスカー好みの社会性もばっちり備えているものの、やはり「アメコミ映画」のレッテルがネック。
まだまだ白人・男性・おじいちゃんが大勢を占めるオスカー会員にあっては弱い。ギリギリノミネーションがあるかどうか、といったポジションだろう。
余談だが一時期新設されそうだった「ポピュラー映画賞」部門はブラックパンサーを受賞させるために作られるのだという噂だった。裏返せば、作品賞本選に選ばれる格ではない、と会員からみなされているのだろう。
Can You Ever Forgive Me?(マリエル・ヘラー監督)
落ち目のライターが有名人の手紙や文章を捏造して高値で売る詐欺に手を出し、それが嵩じて博物館から実物を盗みだそうと企む実録犯罪コメディ。
日本ではあまり知られていないけれど主演のメリッサ・マッカーシーはアメリカで今いちばんアツいコメディアンのひとり。
夫のポール・フェイグと組んで『ブライズメイズ』、『SPY』、『ゴースト・バスターズ(リメイク版)』などの陽性の笑いでヒット作を飛ばしてきた。
そんなマッカーシーが一転してシリアスでブラックなコメディに挑戦し、見事大成功。本年度の主演女優賞ノミネートが確実されている。
演出したヘラー監督の手腕も高く評価されており、初の監督賞ノミネート、さらには作品賞も夢ではない。
とある気難しい現代っ子少女の中学生活最後の一週間を描いた青春コメディ。
中学生版『レディ・バード』にもたとえられる(中二病的な意味で)痛々しくも切ない、みずみずしくもどんよりとしたフレッシュなローティーンライフの描写が広範な支持を集めている。
監督は若干28歳のコメディアンで、なんとユーチューバー出身。アメリカ映画界における新世代の台頭を予感させる一本。すでに数多くの映画祭や映画賞にピックアップされている
オスカーはコメディを敬遠する一方で、サプライズ的なインディー作品を好む傾向にあるが、はたしてこの作品の出目は吉とでるか凶と出るか。最悪でも脚本賞ノミネートは固いか。
『ロブスター』、『聖なる鹿殺し』と強烈かつキテレツな作風で知られるランティモス監督最新作にして初の時代劇。
アン女王を演じるオリヴィア・コールマンを巡る二人の家臣(レイチェル・ワイツとエマ・ストーン)のバトルを描く百合時代劇……たぶん百合だとおもう。
すでに巨匠の地位を確立したランティモス監督の過去作のなかでも群を抜いて評価が高く、今年のベネツィア国際映画祭でも第二位にあたる審査員賞を勝ち取った。オスカー前哨戦となる各種賞レースにももちろん名前を連ねている。
今年の本命作のひとつとも目されるが、ランティモス特有の変態さ加減が(今回は脚本までは書いてないとはいえ)どこまでお上品なオスカー会員たちに受け入れられるか……。
『ラ・ラ・ランド』で幻の作品賞受賞というなんともかわいそうな結果に終わった(それでも本人は史上最年少で監督賞を獲っているが)デイミアン・チャゼルとライアン・ゴズリング。
そんな彼らのリベンジマッチが実録宇宙開発物語『ファースト・マン』だ。人類で初めて月面に降り立ったニール・アームストロング船長にスポットライトを当て、彼の視点からドラマを描く。
企画段階から作品賞ノミネートは当然、という空気のなかでプレッシャーを跳ねのけて見事高評価を集めた。ノミネーションはほぼ確実といっていいのではないだろうか。反面、今度こそ受賞なるかというと、今ひとつパンチがきいてないようで不安が残る。
オスカー前哨戦の最も重要とされるトロント国際映画祭で観客賞に輝いた作品。ここ十年で同賞を得た作品でオスカー本選にノミネートされなかった例はたった一回しかないのだ。
黒人差別が法的に是認されていた時代のアメリカで、自分もちょっとレイシスト入っている用心棒の白人男が南部へコンサートを開きに来た黒人ピアニストを送迎する仕事を命じられる。最初は「黒人のくせに上等なスーツを着てお上品にピアノなんぞひきやがって……」と反感を抱く用心棒だったが、行く先々で差別待遇を受けるピアニストに対してだんだんシンパシーが湧いてきて……という内容。
ほろ苦くもユーモアとメッセージ性に満ちた内容はまさしくオスカー好み。「分断されたアメリカ」というテーマのタイムリーさもある。ちなみに監督は『メリーに首ったけ』などのロマコメで知られるファレリー兄弟の兄。このところは過去のヒットコメディのリメイクなどで仕事に恵まれなかったが、もともと潜在的に持っていた社会派なセンスが一挙に花開いた。
If Beale Street Could Talk(バリー・ジェンキンス監督)
『ムーンライト』で一昨年の作品賞を獲得したジェンキンスの最新長編。今度こそはチャゼルにかっさらわれた監督賞もいただいて完全制覇を目論む。
原作は今年日本でもドキュメンタリー映画『私はあなたのニグロではない』が公開された、黒人小説家ジェームズ・ボールドウィンによる短篇。濡れ衣をきせられて収監された夫を助け出すために奮闘する若き妊婦のお話。
テーマの重厚さも話題性も十分だが、公開が当初予定していた11月から12月にのびたことが若干きがかり。クリスマス狙いのブロックバスター大作のなかで埋もれてしまう恐れがある。
Mary Queen of Scots(ジョージィ・ルーク監督)
互いにイングランド王位をかけてあらそったスコットランド女王メアリーとイングランド女王エリザベス一世を、それぞれシアーシャ・ローナンとマーゴット・ロビーという旬な女優が演じる。
脚本を担当したのは『ハウス・オブ・カード』や『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』などの現代政治劇の名手、ボー・ウィリモン。
いずれもオスカーノミネーション歴を有した名前ぞろいでクオリティも保証されている。同じくイギリスを舞台にした時代劇である『女王陛下のお気に入り』がライバルか。
ROMA(アルフォンソ・キュアロン監督)
世界的に見れば今年最も評価の高い映画といっても過言ではない。ベネツィア国際映画祭の最高賞。
1970年のメキシコ・シティで家政婦として働く女性とその一家のドラマをモノクロで撮る。
評価の高さと『ゼロ・グラビティ』でオスカーを獲ったキュアロンの知名度があれば当然作品賞も……となりそうなものだが、障害は多い。
まずスペイン語映画であること。長いオスカーの歴史のなかでこれまで十作品の外国語映画が作品賞にノミネートされてきたが、受賞にいたったものは一つとしてない。
次に Netflix 映画であること。カンヌみたいに公に締め出すことはしないにしても、アカデミー会員のなかでも動画配信サービス勢に対する反感は根強い。一昨年の『最後の追跡』やドキュメンタリー作品を例外として、『ビースト・オブ・ノー・ネーション』『マッドバウンド』といった作品たちもその年最高クラスの称賛を受けながらもオスカーノミネートには至らなかった。
いちおうネトフリも『ROMA』については配信に先駆けて劇場公開を行うなどの「オスカー対策」をやっているが、はたしてどうなることやら。
ちなみに Netflix でも来月に配信される。驚くべき時代になったものだ。
アリ― スター誕生(ブラッドリー・クーパー監督)
ショービズ映画の古典のリメイク。この八十年で三回目の映画化です。
本年度大本命に数えられる一本。批評家・観客からの圧倒的な支持率もさることながら、商業面でも大ヒット(現時点で世界興収三億ドルを突破)を飛ばした。主演のブラッドリー・クーパーとレディ・ガガの演技もさることながら、これがイーストウッド降板を受けての初監督となったブラッドリー・クーパーの演出にも嬉しい驚きが満ちているとかなんとか。
だが、一昨年の『ラ・ラ・ランド』、昨年の『スリー・ビルボード』と「早すぎる大本命」はかならずバックラッシュに晒されるのがオスカーという場。12月以降に猛然と差してくるであろう後続期待作たちを振り切れるかどうか。
Widows(スティーブ・マックイーン監督)
2013年にアカデミー作品賞を獲得した『それでも夜はあける』のスティーブ・マックイーン最新作。オスカー獲得後の第一作でもある。
シカゴでヘマをやらかして死んでしまった強盗たちの四人の未亡人(ヴィオラ・デイヴィス、エリザベス・デビッキ、ミシェル・ロドリゲス、シンシア・エリヴォ)が亡夫の後を継ぎ女だけの強盗団を結成するちょっと変わった犯罪映画。
マックイーンとヴィオラ・デイヴィスというアカデミー賞受賞コンビで鉄板の出来。
そのパワーでジャンルムービーを嫌うオスカーでノミネーションを勝ち取れるかが見どころだ。
Boy Erased(ジョエル・エドガートン監督)
厳格なキリスト教である両親のもとで育ったゲイの少年(ルーカス・ヘッジス)が教会の同性愛矯正プログラム(いわゆるコンバージョン・セラピー)に放り込まれ、セラピストとバトルする青春ドラマ。
近年では『ダラス・バイヤーズ・クラブ』のジャレド・レトがそうだったように、LGBTものは俳優にとってオスカー像への近道だ(スカーレット・ヨハンソンみたいに非LGBTの俳優がLGBTの役を演じることに倫理的な非難が高まりつつあるにしても)。
批評家筋からの評価的には作品賞には届かないかもしれないが、演技賞ではノミネートが有望視されている。
トランプ政権下でLGBTに対する抑圧が増しつつあるだけに、時事性も捉えているかもしれない。
GWブッシュ政権下で「史上最悪の副大統領」とも呼ばれたディック・チェイニー元副大統領をクリスチャン・ベールが激太り(何度目だ)+ハゲという負の肉体改造で演じたブラックコメディ政治劇。
他にも妻リン・チェイニー役にエイミー・アダムス、ラムズフェルド国防長官役にスティーヴ・カレル、GWブッシュ役にサム・ロックウェルなどアカデミー賞級の芸達者がずらりと並んでいる。
題材としてはなかなかトリッキーだがマッケイ監督の前作『マネー・ショート』がそうだったように、ツボにはまれば一挙にアカデミー賞ノミネートまで行ける。
同じく政治ネタでライバルだった『フロント・ランナー』(ジェイソン・ライトマン監督)の評判がいまひとつ芳しくないのも本作にとっては好材料。
The Old Man and the Gun Now(デイヴィッド・ロウリー監督)
名優にして名監督ロバート・レッドフォードの引退作。15才で逮捕されたときから人生を通じて強盗を繰り返してきた70才の犯罪者(レッドフォード)と彼を追う刑事(ケイシー・アフレック)、そして彼に惹かれていく女性(シシー・スペイセク)を描く実話犯罪コメディ。
作品賞ノミネートは微妙なところだが、レッドフォードはまず間違いなく主演男優賞候補入りするだろう。
ちなみにデイヴィッド・ロウリーの前作であるゴースト・ラブストーリー『A GHOST STORY』は今日から封切り。観に行け。
一方で、実話犯罪・老人・名監督にして名俳優と共通する要素の多い作品としてクリント・イーストウッド監督の『The Mule』にも注目しておきたい。こちらは80才の麻薬の運び屋をイーストウッドが演じる。映画祭などでもまだ未公開なため、どう転ぶかはまだわからないが、近年のイーストウッド作品に対するアメリカ人の冷め方からすると賞レース的な意味での期待はあまりできなさそう。
その他有望そうな作品
『シカゴ』でアカデミー賞作品賞をさらったミュージカルの名手ロブ・マーシャルがディズニーの伝説的名作の続編を制作。
エミリー・ブラント、ベン・ウィショー、こりん・ファース、ジュリー・ウォルターズといった英国の名優たちでがっちり固めつつ、リン=マニュエル・ミランダやメリル・ストリープといったミュージカルで定評のある俳優陣をフィーチャーし、万全の Permalink | 記事への反応(3) | 16:07
分からない用語とかいっぱい出てくるので調べて少し驚いたのが、リーマン・ショックってほぼ日本だけの用語らしいってこと。
リーマンブラザースが破綻して消えてしまったからだろうけど、そっちはどちらかといえば些細な事で、巨大保険会社AIGの巨額債務問題の影響の方がはるかに馬鹿でかいものでもっぱら問題はこっちの方だったってこと。
マネー・ショートはなかなか面白かった。話が割とてきぱき進むので、2時間くらいだけどそんなに長いとも思わなかった。
難しい金融用語をコミカルに説明してくれるというのもあり、ある程度の前提知識は要るものの大雑把に話を掴むにはそれで十分という感じだった。
驚いたのは俳優のクリスチャン・ベール。バットマンのダークナイトシリーズで見せた演技とは全く異なるあんな演技も出来るんだと、アメリカ俳優の凄さってものを改めて感じさせた。最初あのクリスチャン・ベールとすら気付かなかったくらいだ。
ブラピはブスっとしてただけなので大したことはなかったが。
ストーリーは、リーマン・ショックの説明はあんまりなくて、サブプライムを含むモーゲージ債権の暴落を予想出来た極少数の人達が結果的に大儲けをするって話なのだが、大儲けしたにも関わらず別にそんな喜ばしい話でもないって感じにしてあった。映画の中でも触れられてたが、そりゃそうだよね、何百万人もの失業者と破産を生み出したわけだし、今でもその影響を世界経済は引きずってるからね。
格付けとかが実態はかなりいい加減であったりとか、何かすっごい難しいことやってそうなウォール街の連中って意外と適当なんだなぁって思ったり。
四ヶ月前に失恋したわけだけど、その頃の俺の精神状態のやばさったら無かった。朝は朝でやる気が起きず、夜は夜で可愛いあの子のことを妄想して眠れない。ぶっちゃけ5kg痩せた。ガリガリです。タダでさえ痩せ型の俺は、それこそマシニストのクリスチャン・ベールくらい痩せてただろう。ひゃー薄い薄い、折れてしまいそうだ。
おい教えてくれ。
そもそも、なんで恋なんてするんだ。そんなに必要なもんなのか? 人間はどうして恋なんてするんだ。何で他人を好きになるんだよ。俺は一体、何を求めてたんだっけ。一緒にいられる時間が欲しかったのか? どっかに遊びに行って感動を共有したかったのか? たんにキスしたかったのか、身体重ねたかったのか? どーしたかったんだ本当に。だけどきっと、本当は本当に抱きしめたかっただけだった。単純に両腕で受け止めたかった。とか綺麗事が出てくるが、そんなの、きっと嘘だ。多分、前述した理由の全部が本当だったんだ。俺は気付く、彼女に対しては理屈とかじゃなくて、感覚とか理性とか抜きにして、本来的な意味で本能が貪欲に求めてた。めっちゃ彼女のことが欲しいと思ってた。俺はきっと、愚かだったんだ。
彼女はメンヘラで俺は共依存の気があって、あっちは男遊びが激しい夜の蝶だが、俺はビールが大好きなだけの梟で、どっちも夜な夜な遊び歩くタイプではあるが意味合い的には180度違う。俺はバタフライを追い掛けて捕まえられない。捕まえられそうなのに捕まえられない、自由奔放な彼女に見取れて、常夜灯に群がる虫みたいに引き寄せられていった。その瞳に吸い込まれた! とか臭いことも言っておこう。寒いぞ、夏なのに。きっと俺は彼女が羨ましかった。
それじゃ、なんで好きになったのかをちゃんと考えたいと思う。なんたって、いい機会だから。
俺のどうしても駄目ところは、コレは増田諸氏に指摘を受けたとおりだ。俺は共依存だ。間違いなく共依存体質だ。共依存テストをしたら簡単に共依存判定を受けてしまった。最初は精神疾患だと思ったけど、違って、ただの傾向に過ぎないんだけど、俺は自分で自分のことをちゃんと認識できたのは良かった。みんなにありがとうと言いたい。俺は共依存だったんだ!
俺の自尊心が低いのは、きっとまともな恋愛をしていないことに加えてまともな恋をしていないからだと思う。俺が好きになるのはいつもいつもいつもいつも不倫してる女だったり、ドメスティック・バイオレンス受けてる女だったり、セックス依存症だったり、兎にも角にもどこかに問題を抱えている奴ばっかだ。リストカット女子を好きになったこともある。だけど、人は自分の鏡で、俺が問題のある子を好きになるのは端的に俺にも問題があるからだ。なるほど、だって俺には自傷癖がある、リストカットとかじゃあないが、俺は俺を痛めつける。俺はいつだって血を流してる(比喩抜きにして)。
結局は大切なのは『問題を抱えてる』ってことなんだと、俺は不意に気が付く。彼女を救いたいとか守ってやりたいとか話を聞いてやりたいとか、いつも受け身の立場で、俺は俺の立ち位置を見定めてしまっていた。だけどそれは俺が救われたかったからだろう。救いを求めてない他人を救いたいなんて、馬鹿馬鹿しい道化に過ぎない。救われたかったのは俺だった。そんな俺がいたのは相手の手の届く安っぽい場所。枕元にある目覚まし時計くらいの距離、叩けば止まる。俺はいつだって静止してる。だけど分かって欲しかった。ちゃんと俺の好きだって真っ当な気持ちを理解して欲しかった。だから俺の胸の奥にはそんなふにゃふにゃな気持ちが今だって張り付いたまま剥がれない。
前に好きになった子が結婚したらしい。俺と同棲してた女だ。俺は付き合ってなかったけど、彼女は不倫してて妻子持ちとセックスばっかしてて、妊娠して堕胎して、世界がなんでこんなにワンダーランドなんだって俺に気が付かせてくれて、俺は離れてから別のことに気が付いた。もう恋とかしたくないって。なのに俺は学ばない。好きな子が出来る。出来てしまう。スパンは長くても、どうしても人を好きになってしまう。なんで焦げ付いた気持ちは死んでくれないんだろう。俺はどうして生きたままちゃんと恋をしてしまうんだ。
人を好きになったら、灼ける。灼熱だ。その人しか見えなくなって、その人のことしか考えられなくなって、ちょっとした会話やメールのやり取りや少なくない時間の享受ってのが俺の目を曇らせる。盲目に好きで好きで堪らなくなる。いつだって結末は後悔なのに、俺は後悔を迎えてからはじめて間違ってたって気が付く。どうしようもないのだ。でもそれがサガだ。俺のサガは変えられない。どうしたって阿呆な自分からは逃げられないんだ。俺が俺を変えられないから。
凝り固まった俺の考えが、誰かと話したときにも噴出する。俺には止められない。A(という女)の話なのだが、彼女は処女で、男性と付き合った経験もなくて、とにかく恋がしたい恋がしたいの一点張りで、しかも「したい」じゃなくて実際に『してて』、でもおかしいのは好きな男がコロコロ変わる。なんでだ? 俺が知ってるだけで、そのAは半年くらいで10人くらい目まぐるしく好きになっている。でもさ、俺はやっぱり変だと感じる。これは俺の考えだけど、好きな相手ってそんなにどんどん見付かるか? 恋愛対象一週間に一回も変わるか? なんだよそれ、それは恋じゃなくて「ちょっといいな」って思ってるだけなんじゃないか? でもさ、もしかしたら俺は勘違いしてるだけで、恋なんて崇高なものなんじゃなくて、本当は安っぽくて、ただその「ちょっといいな」ってのが上手いこと結実して付き合ったりしちゃったりして、それから世間一般でいわれる恋が始まるってのが本当は正しいのだろうか……。俺みたいに数年に一回しか恋しないで、それが実を結ぶのを待ってるなんてことが滑稽なことなのだろうか。
前々から思ってたが、どうしても恋愛話を弄ぶと妙だと感じることがひとつあるんだけど。どうして恋愛をする時ってこんなに世界が狭いんだろう。小さなコミュニティで普段接する人にしか恋が出来ないんだ。たとえば中学生の頃なんか、俺の周りなんてみんな同じクラスの女子に恋をしてたよ。でもそれは魅力があるとか、会話が合うとか可愛いとか美人とか気高いとかそういう副次的要素を抜きにして考えてもやっぱり世界が狭すぎる気がするんだ。小コミュニティで恋愛が罷り通るのが、俺は気持ち悪くて仕方がなかったのに、なのに俺はやっぱりそっから抜け出せない。俺も小コミュニティで恋しちゃってる。だが、そんな風に分かってたって無理なんだ。感覚とか思考回路は簡単につなぎ替えることは出来ない。俺は結局、俺を俺自身の手ですくい上げてやらなくちゃいけないんだ。同時に、俺は振られたってことを自分自身で納得して、こっからちゃんと自分の足場を固めて、目覚まし時計みたいなもんじゃなくて、もっと本当に必要だと他人に思わせるような人間に成長しなくてはいけないんだ。俺の世界が狭い、だからもっと世界を広げようと思って最近はなるべく外に出てる。クラブイベントで踊ったり、俺はラッパーだからUMBに出たり、海に行ったり山に行ったり、オフ会に行ったりしてもいい。とにかく沢山の人と出会って沢山の経験をして沢山の思い出を作らなくちゃいけない。方向性だとか、心が打ち震えるような感慨なんていらない。重ねるべくは経験なのだと思う。だから失恋だって沢山したらしただけ成長出来るし、そこで立ち止まってうだうだしてちゃ意味が無い。何も始まらない。ならジョギングとかして少し身体鍛えよう。俺はまだまだ頑張れるはずだ。
今日で25歳になる。もう周りを見渡しても俺は若くない。でもいいから、それでもいいから、もうちょっと人生楽しんでみようと思う。恋なんて人生の一要素だって思えるようになりたいもんだ。