はてなキーワード: ポップカルチャーとは
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 112 | 14012 | 125.1 | 35.5 |
01 | 63 | 6003 | 95.3 | 52 |
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1日 | 2819 | 295183 | 104.7 | 41 |
小山田氏(6), 小山田(73), 鬼畜系(8), 小山田圭吾(85), コーネリアス(18), 複製権(4), 金田淳子(3), QJ(6), サマウォ(4), デザインあ(5), 旗本奴(3), オウム信者(3), イジメ(39), 90年代(20), いじめっ子(12), いじめ(100), 虐め(9), インタビュー(23), カースト(8), 男児(12), 謝罪(44), ひろゆき(18), 謝っ(16), 障害者(45), 雑誌(27), 五輪(36), 立憲(10), オリンピック(65), 音楽(39), 反省(28), 小(17), NHK(18)
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【悲報】 アメコミ関係者「助けて!!アメリカのコミック売上ランキングが日本の漫画に占領されちゃったの!!!!!」 [426633456]
令和3年度最新版『アメコミは売上でも日本の漫画に押されている』という言説に対する反論集+α - Togetter
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いろいろな考察が出ていて、それぞれに説得力もあり、なるほどと得心したりしている。
私はエヴァをTVシリーズから全部見てすげーすげーと楽しんできたが、考察にはあまり興味はなく、いろんな謎にも詳しくないが、庵野さんの同窓生ということで、主に宇部高校とシン・エヴァンゲリオンとの関連を考察したいと思う。(かれこれ40年以上前のことなので、記憶違いや勘違いはご容赦を)
エンディングに出てきた宇部新川駅や宇部興産の工場群を見て、あ、庵野さん、宇部を許したんだな、と唐突に浮かんだ。なぜそう思ったかは分からない。そもそも「許す」って。
宇部は山口県の瀬戸内にある工業都市。美しくもなんともない味気ない街で、明治以降炭鉱で栄えるまでは寂しい漁村だったとか、歴史も文化も無縁のところだ。
宇部新川駅は宇部市の繁華街にある駅で、庵野さんの育った地区に近く、少し海側に行くと宇部興産の工場がある。
庵野さんは地元の進学校、宇部高校の出身だ。あれだけアニメの才能(空間認識力)がある人だから、頭が良くて、中学ではろくに勉強しなくても宇部高に入れたろうと思う。高校生活は1年生から受験中心。2年生までに3年生の教科書を消化して、3年生の1年間は受験勉強のみという方針だった。勉強に価値を見いだせないタイプは授業について行けない。当時の校長のキャッチフレーズは「国立300、野球は甲子園」。ちなみに、ノーベル賞の本庶佑さんは宇部高出身で、伝統的に京大を目指す生徒が多い。民主党の菅元総理やユニクロの柳井さんも宇部高。
そんな文化不毛、受験偏重の宇部高で庵野さんを魅了したのが、宇宙戦艦ヤマトやアルプスの少女ハイジなど、ポップカルチャーとしての黎明期にあったアニメではないか。一番好きなのは特撮かもしれないが、当時はウルトラマンもゴジラも低迷していた。
庵野さんは宇部高にあって勉学はともかく、生徒会長の中村さんを主人公にしたナカムライダーや、文化祭用に短編アニメなどを作って校内有名人だった。
短編アニメは、宇宙戦艦ヤマトが爆発しながら太陽に突っ込んでいく、というような内容で、セル画のために美術部の予算をひとりで全部使ってしまったといううわさだった。アニメの出来は素晴らしく、「高校生がこんなプロのようなアニメを作れるんだ!」と驚嘆したし、校内では数少ないアニメファンたちの間で天才として知れ渡った。
だが、庵野さんの才能がその活躍の場を見出すのは大学に入って以降で、たぶん、庵野さんにとって宇部での暮らしや高校生活は、灰色の鬱屈とした、愛せない時間と空間だったのではないか。
漠然とした印象だが、庵野さんは宇部がきらいなんだと思っていた。それが、シン・エヴァンゲリオンでは、聖地にしてもいいよ、的な振る舞い。なんか、ずっと嫌っていた宇部高時代の自分を、ほかのもろもろのトラウマとともに昇華、あれで良かったんだよと受け入れたように思う。
ちなみに、聖地巡礼なら観光起点として山口宇部空港から入り、レンタカーで宇部新川駅へGO、車で約10分。駅を見学したら190号線から宇部湾岸道路で山陽小野田方面に向かえば、車窓から宇部興産の工場群が見学できる。あとは秋吉台とか角島大橋、萩、山口など、観光地へ赴くのが吉です。
もしも総選挙が一人一票という決まりだったなら、三年ぐらいで企画が終了していたのではないかと思わせる出来事がごく最近二つあった。
まずはアイマス15周年企画の一環として行われた、ポップカルチャー/ライフスタイル情報誌「BRUTUS」とのコラボである「アンバサダーアイドル推薦企画」だ。
https://asobistore.jp/content/title/Idolmaster/Idolmaster_ambassador/
すでに結果は出ているのでこちらを見てもらったほうが早い。
https://twitter.com/BRUTUS_mag/status/1360529192132235266
一位・高垣楓。雑誌では二位と三位も公表されていて、今後の話のために必要なので書くが、二位・北条加蓮、三位・一ノ瀬志希となっている。
つまらない。つまらなすぎる。シンデレラガール総選挙の上位常連と一切代わり映えのしない面子だ。
自分から日記タイトルに異を唱えることになってしまうが、これは企画自体が悪いせいもある。
「推薦文」を要求しておきながら、内実は一人一票の定例外総選挙であり、そうなると自身の担当を推薦したくなるのが人情というものであろう。
それは仕方のないことなのかもしれない。だがここで、先述したBRUTUSのツイートに掲載されている高垣楓のトップにある推薦文を見てみよう。
また、6代目シンデレラガール(年に1度の「シンデレラガールズ」内総選挙1位)であり、過去の総選挙の平均順位も1位と、知名度もアイドルマスターの中で上位です。
そうじゃない。そうじゃないだろう。
自担を推すことについてはもう何も言わないが、「どうしてそのアイドルがポップカルチャー/ライフスタイル誌のアンバサダーに相応しいと思うのか」が推薦理由であるべきではないのか。
多少ごり押しであっても、担当のために悩み抜いてどうにか関連性を引き出して理屈をつけ推薦するのがプロデューサーの姿ではないのか。
こんな推薦文が掲載される時点で彼女に寄せられた(公開されていない)他の推薦文も同レベルだったのだろうと想像できてしまうし、これを選ぶ羽目になったBRUTUSの編集者もかわいそうである。
二位と三位に関しては、担当Pには悪いがBRUTUSへ送り出すアンバサダーとしてそこまで相応しいとも思えない。
つまるところだたの人気投票に堕してしまっているのは他のアイマス四ブランドでも傾向として見られるが、シンデレラガールズはとりわけ酷い。
自分はあまり詳しくないため恐縮だが、その次に酷いのはSideMだという声をちらほら聞いたし、なるほどと思わされた。ミリオンライブ!でロコが一位になったことは誇っていい。
シンデレラガールズが持つ他のブランドにはない強みは、百九十人もの個性豊かなアイドルたちによる多様性であり、幅広いニーズに応えられるという層の厚さである。
そして相手は「食・カルチャー・旅・ファッション・アート等を扱う、男のポップカルチャー誌」である。わざわざ名前を出さずとも、シンデレラガールズのPなら、
「特定の食べ物にこだわっている」「特定の文化に造詣が深い」「旅が好き」「アートに全力」で思い浮かぶアイドルが必ずいるはずである。
ブランドから適任者を送り出すのではなく、ただ自分の担当が目立てばそれでいいのだ、という考えは、自身の担当アイドルも、それ以外のシンデレラガールズのアイドルも馬鹿にしている。
(そういった流れを防止するために、得票数でなく推薦文を吟味してBRUTUSの編集者が独断と偏見でもって決定すべきだったのだが。一体推薦文の存在意義とは何だったのだろう)
次に、YouTubeのアイマスチャンネルで行われた「みんなで選んだ、もう一度見たい!TVアニメ『アイドルマスター シンデレラガールズ』セレクション」である。
https://twitter.com/imas_ch/status/1354763025224355841
シンデレラガールズのアニメから好きな話を三つ選んで投票し、その上位三話を配信するというものである。結果は以下の動画で発表された。
https://www.youtube.com/watch?v=f-Y6w_Hz5hE (アニメ本編が配信されているため、今後非公開になる可能性もある)
結果は二十三話・二十四話・二十五話。最終話とその手前の二話が選ばれただけである。
つまらない。つまらなすぎる。どうすればここまでつまらなくできるのかというぐらいの現代アート的つまらなさである。
「話数順に流します」と言われて最初に二十三話が流れた時の「え、もしかして23,24,25か?」というコメントが忘れられない。
あの唖然とした空気。白けた薄ら笑い。大学入試で九九が出題されたかのような間抜けさだ。
企画したAPも「まあまあまあそういうことなのかな、とはね、なるんですけど」と取り繕わざるを得ない状態。
最終話とその手前に投票して一体どうしようというのか。最終話が一番盛り上がるのは古今東西どのアニメでも同じである。
とは言え、二十三話に関しては投票するPの気持ちも分かる。主人公である島村卯月のクライマックスとも言えるシーンだからだ。泣かされたPも多いだろう。
だから問題は、二十四話と二十五話に投票したプロデューサーのセンスの無さに集約される。
人の感動にセンスの良し悪しでケチをつけるなという意見もあるだろうが、少しは企画内容を斟酌してやってはどうかと反論せずにはいられない。
アイマス五ブランドの中で唯一、毎年恒例で人気投票をやっているシンデレラガールズのPが、最も投票が下手で盛り下げ役にしかなれないというのは皮肉な話である。
あるいは、総選挙の存在が「何をおいても自担に投票しなければならない」という一種の強迫観念を植え付けてしまったのかもしれない。
総選挙もそうだが、シンデレラガールズのP(特に、上位常連や既にシンデレラガールに輝いた経歴のあるアイドルを担当しているP)はもっと余裕を持って、お祭りだと思って楽しむ気持ちが重要なのではないか。
特定の属性を褒めそやすと荒れる元になるのであまり言うべきでないのかも知れないが、パッションは比較的上位常連の固定がゆるく、
なるべく多くのアイドルにボイスをつけよう、出番を与えようという気持ちでやっているように見受けられる。
シンデレラガールズは担当のアイドルだけがすべてではない。百九十人全員でシンデレラガールズである。そのことをどうか忘れないで欲しい。
(1)はこちら。anond:20210212080317
好き。ただし、当時の人にしかわからないパロディやジョークが多く、というかこの本を通じてしか残っていないのもあるので、純粋に笑えるかどうかはわからない。とはいえ、わからないなりにナンセンスさは楽しく(「ぽっぺん先生」シリーズにも引き継がれている)、トーベ・ヤンソンなどいろいろな人の挿絵も楽しめるし、こじらせ文学少年・文学少女とも仲良くなれるかもしれない。大学時代の読書サークルは楽しかったなあ。
ドストエフスキーの小説は基本的に頭がおかしい。ドストエフスキー自身がギャンブル依存症でユダヤ人嫌いのヤバいやつだし。
登場人物は基本的に自己主張が激しくて感情に溺れやすく、数段落数ページにまたがって独白する。プライドが無駄に高くて空想癖がひどく、思い込みが激しくて人の話を聞いちゃおらず、愛されていないのに愛を語る。そしてそんな奴らが大好きだ。
ぜひとも増田をロシア文学沼に落としたいのだが、いかんせん「悪霊」を含む五大長編から挑戦するのはハードルがあまりにも高いので、「永遠の夫」か「賭博者」か「地下室の手記」か「白夜」からがおすすめ。ロシア文学はいいぞ。
ところで、高校時代の友人曰く「ドストエフスキーにはまるのは自己愛と自己嫌悪の衝突を必死にプライドで支える人間、言い換えるとモテない」とのこと。ひどい。
こっちはスマートなほうのロシア文学。一家が没落して家や土地を売らないといけないのに、家の経済状態をわかっておらず(認めず)すぐに物乞いに金貨を上げちゃう、現実の見えていないお母さんのキャラが強烈。ギトギト描写するドストエフスキーに対し、勘所をびしりと抑えるチェーホフ。
実家のお母さんと(特にお金関係で)うまくいっていない人におすすめ。
未読。怪作「木曜日だった男」は読んだんだが。ミステリはあまり読んでいないのでそのうち読む。
誰もが冒頭のマドレーヌの香りから想起されるママンとの思い出についてしか語らず、たぶんみんなちゃんと読んでないからなのだが、実は無職のマザコンが自分の性の目覚め(野外オナニーを含む)やソープ通いや失恋の思い出について延々と語っている話で、何度語り手に向かって「働け!」と言いたくなったことか。
しかし、実のところ登場人物の九割がLGBTという当時としては非常に先進的な小説で、さらに当時炎上していたドレフュス事件という両陣営を真っ二つに分断した冤罪事件をネタにもしているので(今でいえばMeTooやBLMに相当する)、実は差別反差別についていろいろ語っている増田たちにすごく刺さる内容だと思う。俺差別してないし~、あいつは〇〇人だけどいいやつだよ~、的な態度もぐさりとやられている。最高でしかない。
ちなみに、金に苦労しないボンボンがうだうだ恋愛で悩む小説が好きになったのはこの本のせい。「アレクサンドリア四重奏」とかね。
不条理ギャグすれすれで訳もわからずひどい目に合う小説。いきなりこの小説にチャレンジするのはしんどいので、まずは「変身」か岩波文庫の短編集を読んで、カフカのノリが気に入ったら読むといいんじゃないかな。
読んでいるとカフカがお父さんのことめちゃくちゃ苦手だったってのがびりびり伝わってきて気の毒(カフカは線の細い文学青年、父は叩き上げのビジネスマン。想像できるでしょ?)。お父さんとの関係がこじれている人におすすめ。
最高のダメ人間小説。精神勝利法なることばはどこかで聞いたことがあるんじゃないだろうか。作者は当時の中国人の意識の低さを批判したつもりらしいが、万人に刺さる内容。
ちなみに自分はダメな人間、情けないやつ、どうしようもないやつが大好きなので「指輪物語」のゴクリ(ゴラム)だとか、「沈黙」のキチジローだとかが大好きです。
さえないおっさんが妻の浮気を知りながら一日中ダブリンの町をウロウロするだけの寝取られ小説で(途中で女の子のスカートをのぞいて野外オナニーもする)、このリストの前に出てきた「オデュッセイア」のパロディでもある。
これだけだと何が面白いのかよくわからないのだが、実は当時の反英的な機運の高まっているアイルランドの空気を活写している。それだけではなく小説の様々な実験的手法の見本市みたいになっており、和訳もすごい。たとえばある章では英文学の様々な文体を歴史順に真似て英文学の発展をパロるのだけれど、和訳ではその章は祝詞に始まって漢文になり、漱石や芥川の文体を経て現代小説になるという離れ業で訳している。これがもっと無茶苦茶になると「フィネガンズウェイク」になるのだけれど、すでに言語の体をなしていないのでまだ読めてない。
上記の説明でドン引きしないでください。「ダブリン市民」をお勧めします。
結核療養サナトリウム小説。北杜夫ファンの間で有名な「ねーんげん的」の元ネタ。あらゆる知識を山のサナトリウムで吸収した主人公の運命やいかに! 「ノルウェイの森」で主人公が京都山中の精神病院にこの本を持っていくのは村上春樹なりのジョークか。
ただし、やっぱり長いので美少年萌えな「ヴェニスに死す」か陰キャの悲哀「トニオ・クレーゲル」にまずチャレンジするのがおすすめ。
はまったら「ブッデンブローク家の人々」や「ファウストゥス博士」を読もう。
洗脳エンドのディストピア小説なんだけど、増田で「一九八四年」が古いと言われてしまうんだったらこれはどうなるんだろ。読むんだったら他の「すばらしい新世界」とか「ハーモニー」とかと読み比べて、ディストピアの概念が現実の社会の変化に合わせてどんな風に発展してきたからを考えながら読むと面白いのかも。
未読。長すぎる。
未読。
文学サークルの友人に勧められて読んだんだけど、とんでもない小説だった。あらすじとしては、野望に取りつかれた南部の人種差別主義者が自分の帝国を作るために理想の女性と結婚するが、その女性に黒人の血が混じっていたために離婚して別の女性と結婚することから始まる、二つの家系の因縁話なのだが、時系列がしっちゃかめっちゃかなのでとにかくその男の妄念とその子孫の不幸ばかりがじりじりと迫ってくる。あまりにもすごかったのでフォークナーの他の作品は読めておらず、黒人差別を扱った小説も怖くて読めていない。
未読。
読んだがよくわからなかった。うつ状態のときには時間の経過さえも苦痛で、それを救ってくれるのは音楽だけだ、的な話だったか。とにかく本を読み漁っていたころ、新潮文庫のサルトル短篇集を意味も分からず読んでいたのを思い出す。わけもわからないままヌーベルヴァーグを観ていた頃だ。さっき出てきた高校時代の友人曰く「フランス映画のあらすじはセックスして車で逃げて殺されるだけだ」とのことだが、起承転結に還元できない小説を楽しむようになったのはこの頃からだった。
未読。
短いのですぐ読める。ゴドーはいまだに再臨しないキリストのアレゴリーだという説もあるが、実際のところはよくわからない。意味の分からない話だけど、僕らの人生も結構意味不明だよね、みたいな感じか。
未読。「愛人」は読んだが記憶のかなた。まだ幼くて没落する富裕層とその爛れた愛を十分に楽しめなかった。
どうでもいいが自分が年上萌えに目覚めたのは「海辺のカフカ」のおねショタシーンです。
レムの作品の中では一番好き。たとえ出てくる科学技術の描写が古くなっても(SFだとこういうことはよくある)、理解できない対象として立ちふさがるソラリスという惑星の描写は古びない。
SFは考えうるあらゆる可能性を検討し、人類の達成しうることや宇宙の中での意味について想像力の境界をどこまでも遠くまで広げていく文学だ。中には人類がろくでもない理由で滅亡してしまったり、人間など取るに足りないという悲観的なヴィジョンに至ってしまったりするものまであるが、それでさえ美しい。なぜなら、想像力がヒトという種の肉体に縛られまいと羽ばたいた結果なのだから。
最近SFをろくに読んでいないが、元気が出たらまた読みたいものだ。
初めて読んだラテンアメリカ文学。起こりえないことが起こり、名前がややこしいので誰が誰だかすぐに混同され、しかもそのすべてが意図的である。混乱してもとにかく読み進めてほしい。目の前で起きる不可解な出来事をまずは楽しもう。
慣れてきたら、これが不条理としか言いようのない南米の歴史の縮図だとかそんなことを考えてみるのもいいかもしれない。この本のおかげでボルヘスに、バルガス=リョサに、ドノソに出会うことができた。
一説によるとこの本が文庫化されるとき世界の終末が近づくという本の一つ(未確認情報)。新潮社がなぜか頑なにハードカバーしか出さない。ちなみに「薔薇の名前」にもそうした風説がある。
インド独立の瞬間に生まれた子供たちが全員テレパシーの使い手だった! こんな話があの岩波文庫に収録されるんだから世の中わからない。
主人公は裕福な家で育つが、じつはそれは出産時の取り違えによるものであり、誤って貧しいほうで育ってしまった子供が復讐にやってくる。それも、真夜中の子どもたち全員を巻き込む恐ろしい方法で。
インドとパキスタンの分裂、人口抑制政策、そういったインドの歴史をちょっと頭の隅っこに入れておくと面白いが、昼ドラ的な入れ替わりの悲劇の要素のあるSFとして娯楽的に読める。権力を持った強い女性に対する嫌悪感がほんのりあるのが難点か。
ちなみに、「悪魔の詩」も読んだが、(亡くなった訳者には本当に申し訳ないが)こっちのほうが面白かった。あれは当時のイギリスのポップカルチャーがわかっていないと理解が難しい。
独自の神話的なヴィジョンで有名らしいんだが、邦訳あったっけ?
未読。
卒業旅行でパリに持って行った。たぶん時期的には最高だったと思う。とにかく血だとか死だとか堕落だとか退廃だとかそういうのに惹かれる人生の時期というのがあり、まさにそのときに読めたのは幸せだった。もっとも、所詮自分はそれらを安全圏から眺めていただけだったが。
同じく卒業旅行でパリに持って行った。残念ながらフランス語はわからないのだが、フランスのサンドイッチは最高だった。当時はまだピュアだったのでキャバレーやフレンチカンカンは見に行っていない。
未読。
未読。
ドストエフスキーの作品がカーニバル的、つまり一斉にいろんな出来事が起きてしっちゃかめっちゃかになって、日常の価値観が転倒する、みたいな内容。確かにドストエフスキーの作品は爆弾抱えた人間が一か所に集まってその爆弾が一斉に大爆発、的な内容が多い。
ただ、これ以上のことは覚えていない。実はあまり文芸批評は読まない。
未読。
疲れたので続編をやるかは不明。日本文学や哲学・思想は海外文学ほど読んでないし。まとめてみて、遠ざかっていた文学に久しぶりに手を伸ばしたくなった。
神名とか怪物とかの固有名詞で。さすがにロゴスで、なんたらロジーとかポリスで、なんたらポリスとか一般名詞の複合語はなしで。英語読みとかはアリアリで。
ゼウスとか神の名前はそれなりにあるだろうけど、やっぱりミノタウロス、ケルベロス、メデューサ、グリフォンあたりは特にギリシア風でなくてもRPGの敵とかで結構でてくるよね?ペガソスはちょっと微妙かな?
神の名前より英雄たちの方がでてくるかも。オデッセウスのユリシーズはラテン語経由でスペルもかなり変わってるのでセーフかアウトか難しい。ヘラクレスのハーキュリーズやヘルキュールあたりはありかな?
地域柄もあるが、僕が小学生の頃ピアノを習っている男子はクラスに1人いるかいないかくらいだった。当時「男のくせにピアノかよ」「ピアノとかお坊ちゃんかよ」みたいな、今風にいうと”ハラスメント”を受けていた記憶がある。
だがピアノという楽器を取り巻く世の中は大きく変わってきた。状況を整理したくなったので書き留める。
中高の頃バンド活動に興味を持った時にはじめに手に取った楽器はギターだった。僕は小さい頃からピアノをやっていたが、バンドで鍵盤を弾くという選択肢は頭に浮かばなかった。バンドといえばボーカル・ギター・ベース・ドラムという編成が主流だと思っていたからだ。当時の僕の周りではバンドでやる曲といえばアジカン、バンプ、エルレなどが主流だったし、もっと前から人気があったミスチルやラルクなんかもキーボードは正規メンバーにはいない。
しかし数年後にはバンドにキーボードがいるのが当たり前という感覚になっていた。東京事変などのバンドやボカロ曲、アニソンを演奏する人が増えて、大学のサークルではキーボーディストが引っ張りだこになっていた。「けいおん!」の影響もあるのかもしれない。さらにゲス極、セカオワ、ヒゲダンなどピアノが目立つバンドは増えていった。
YouTubeやニコニコ動画でピアノを弾いている人は10数年前からいたが、そういう動画を見るのはネットに入り浸った一部のオタクという感じだった。だがここ数年で状況は大きく変わってきている。
スマホを全世代のほとんどの人が持つことにより、ネット動画を見るのは一部のオタクの趣味ではなくなった。YouTubeで音楽を聴くのはどの世代でも当たり前のこととなっている。そして、今までテレビだけ見ていたような人たちでも自然に楽しめるような「顔出しアングル」、「観客の反応」、「解説テロップ」、「ドッキリ」等の要素を持つストリートピアノ動画が2019年に流行った。
2020年には外出自粛の影響もあり、それまでコンサートをメインでやっていた演奏家もYouTubeチャンネルを持つことが当たり前になった。メジャーアーティストも「無観客ライブ」を行うことが増えて、ネット配信を見ることがどんどん一般的になってきている。
僕が小さい頃ピアノは教育ママが女の子に習わせるお稽古で、ピアノコンサートは一部の金持ちが見る高尚なもので、流行りの音楽に含まれるピアノは縁の下の力持ちポジションだった。ピアノを弾くといえばほとんどクラシックかジャズの二択しかなかったように思う。
それが今や、ピアノを弾きたがる男の子も(実感としては)増え、アニソンやポップスのピアノを弾くYouTuberを一般大衆が聴き、バンドのMVでは派手にピアノを弾くカットが流れる世の中になっている。クラシックでもジャズでもないポピュラー音楽を耳コピしてアレンジしながら弾く人も増え、彼らは発表会やコンサートという閉じた空間ではなく誰でも気軽にアクセスできるYouTubeやストリートピアノで、プロとアマチュアやジャンルという垣根もなく演奏を楽しんでいる。
質の低い演奏が蔓延しているとか、正統派のプロよりYouTuberが持て囃されるのはどうなのかとかネガティブな考え方もあるけど、個人的にはピアノをより多くの人が多様な形で楽しめるようになっていくのは嬉しい。
僕の狭い視野で感じたことなので「昔からサザンとかX JAPANとかいたじゃん」等の反論もあるかもしれないが、なんとなく思っていたことを整理できてスッキリした。今後はどうなっていくのだろうか。ピアノ演奏者にとっては、披露する機会も多いがライバルも多いという状況になっていきそう。
V関連の列の長さが猛烈に伸びる
Vデビューした作家やVの親をやっている作家の列が開始前と比べて数倍に跳ね上がる
コミケが「Vの中の人にリアルで会える場」という認識をされるようになる。
殆どのクリエイターが何等かの形でインターネット上で当人のキャラクター性自体を売るようになり、
コミケ会場はアイドルの握手会総合会場と化す。ここに来て、オタク向けに「アイドル本人と出会える+アイドル本人が作ったグッズが買える」という商法を取るのがとても金回りの良い商売だという事が世の中に認知され出し、既存のアイドル経営事務所が参入を計画し出す。
病気の人じゃん
一時期、ブームになった「自分探しの旅」や「ていねいな暮らし」も、羨望まじりの激しい揶揄とバッシングを受けたが、どちらも女性のためのセルフケアの方法論だったからというのがあんなに叩かれた理由かもしれない。
女性も男性に追随して金星的欲望を蔑視しており、その発露の究極が韓国起源の「脱コルセット運動」である。女性たちが、家父長制に反抗するために化粧もおしゃれもやめて男性と同じ装いをする。男性と同じじゃないかといわれると、これは男性の装いでなく、装飾を抜いた、人間として標準の装いだと彼女らはうそぶく。男=人間の標準と定義している。
先に書いたように金星は生存に関係ないむだやぜいたくをも象徴する。芸術文化に関しても、ある程度人間の心に余裕がないと、つまりむだなものを許容する余裕がないと生まれないし、発展しない。もう数十年もの間、経済が地盤沈下しつづけて、貧困国に転落した日本では、その心の余裕もない。国が豊かになり時代が安定すると、無力なものや弱いもの、かわいいものをそのままで肯定し愛するポップカルチャー(=女性的文化)がさかんになるという説がある。日本はその逆をいっていて、すべてが男性的になっていると感じる。女性や、フェミニストの間ですら、おしゃれや外見にこだわることを恥でダサいとする風潮が広まっている。男ウケファッションはダメ、愛されコーデはダメ。抑圧された女性たちが自己表現のかわりに女体消費のストリップを見に行って、金星を託している。強引なイケメンに少女が押し倒される少女漫画が規制される。いまどきは、BL漫画の中ですら、受けキャラがレイプで感じるのは倫理的によくないと論じられる。だれもが金星を殺されている。
殺された金星はどこに行くのか。
金星はどこへ行くのか/フェミニズム占星術序論 - 宇宙の産み落とした私生児
https://astrotoyokawa.hatenablog.com/entry/2020/09/27/180713
数日前、『終末のワルキューレ(伝説や伝承に出てくる神と人間がタイマンする漫画)』に対して、ヒンドゥー教の聖職者がシヴァ神を軽視しているとクレームをつけたというネットニュースを見た。
ジャパニーズポップカルチャーでは宗教上の神話の登場人物(登場神物?)をキャラクター化するのは当たり前と化していて、その宗教に属する人々から批判を受けるということは今までもたびたびあった。
ただこうした批判自体が宗教的価値観特有の傲慢さに基づくものに感じて、俺は昔から気に入らないと思っていた。
まず第一に思うことが、どれだけその宗教の人々が心から信じようと神話はあくまでただの一”物語”に過ぎないということだ。
著作権に国際的な統一法はないが、何百年、何千年も前の物語が著作権保護の期間の範囲内だと主張する人は流石にいないだろう。
であるならば、神話だって著作権の切れた他の創作物と同じように後世の人が自由に使って良いだろうと思うのだ。
そして第二に思うのは、現代の宗教家は著作者本人でもなければ、委託を受けた権利の管理団体でもなんでもないだろうということだ。
宗教なんて大抵どこも宗派で分裂したり争ったりしていて、神話が創作された当初と同じ組織体系を維持しているところはほとんど存在しないだろう。
現代の宗教家なんてキリスト教だろうが、ヒンドゥー教だろうが、イスラム教だろうが、どこも勝手に正当後継を名乗っているだけで、神話の創作された頃の人々が自分たちの後継と認めるかどうかも分からない、その程度の集まりに過ぎないのだ。
そういう意味では彼らも日本の漫画家と同じで、許可も取らずに勝手に神話を使用している”利用者”に過ぎないわけだ。
日本の漫画家はキャラクター原案に神話を使い、宗教家は自分の信仰に、あるいは統治に神話を利用している。そこにあるのは使い方の違いだけだ。
物語というのは、過去の物語が人々に読まれ、そこから発想や知啓を得た人々が新たな物語が作り、そうして連綿と生み出され続けるものだと思う。
かつて神話を語った人もきっと、それまでに聞いた物語を参考にしつつ、自分なりのオリジナリティを加えて神話を綴ったのだろう。
であればいい加減、宗教家は神話を独占して自分たちだけに使用権があるかのように主張するのではなく、次世代の物語のために神話を開放するべきでないか?
ちなみに一応、言っておくが、俺のこの主張は別に、例えば『終末のワルキューレ』のような神や偉人をキャラクター化する創作物を擁護するものではない。
俺個人としては「別に良くね?」と思うが、それはなんとなく世間で許されてまかり通っているだけで、論理的な正当性を主張することは難しいと思う。
一次創作である神話に対するリスペクトが足りないという批判は当然あるだろうと思うし、だから、宗教家の人たちが解釈違いとして文句を言うのならそれは一つの意見だと思う。
宗教家が、自分たちだけが神話という物語の神を”使う”権利があると思って批判をしてくるのならば、それは大きな驕りだと断じたい。
何するんだよってうっとおしがられながらも
叶わぬ夢。
中学生の頃、じゃれ合っている同級生の男子を遠巻きに見ていた。自分はそういうものに何も興味はないと思っていた。私はもっと高邁で、奇抜で、愉快で、進歩的なことを考える人間だと思っていた。
高校生のころになると私は(主観的な認識としては)原因不明の寂寥感に苛まれていた。このままではまずいと思った私は、世間に対する警戒を緩め、私の世界にポップカルチャーやら何やらが流入してくるのを受け入れた。そのころ、私はようやく、抽象的観念的な理想は、自分が具体的他人とどう付き合っていきたいかということとあまり関係がないことに段々と気がついていった。
そして、私が友情という観念に仮託していた自分の感情は、大人の友人関係では叶えられないものであることを知った。むしろ、私が欲しているのは、愛、しかも痴なる愛であることを悟った。
私を慕う部活の後輩がいた。そして、彼の声には甘えるような響きがあり、回りくどい冗談には愛着が示されていた。時がたつにつれ、彼の声に私は痺れるようになった。私のそんな気持ちは伝えてしまいたかったが、うまくいかなかった。そうならないように、彼が会話の雰囲気を操作しているような気がした。私の胸は焦がれた。
私は自分の目的を達するためにもっとも良いと思った遠方の大学に入学した。私には野望があまりに多かった。一方で、私の心は干からびているようだった。自己肯定感あふれる鬱病患者のような奇妙な状態に陥った。私の自己実現欲求は空転し、私は留年した。
大学生になっても、課外講義をとると、キラキラした笑顔で川の水をかけあっている一年生の男子がいた。とても眩しく見えた。留年生の私だが、そんな彼にも普通に話しかけることができたし、彼は自然に仲間のように接してくれた。でも、私は関わろうとするのを辞めた。「友情」に素直に満ち足りる彼らは、最初から、別世界の存在のように思えたからだ。私が人間で、彼らが天使であるかのような。
そういうことがあったせいからか、親密な感情を全く想起させないが、冗談や興味深い話はするというような「好ましい」人間関係が、これまで以上に、勝手に構築されるようになっていった。相手は居心地が良さそうにしていた。私もまあ居心地は良かった。でも、それを破壊したくて仕方がなかった。私は飢えのために闘わなければならなかった。不道徳で、実りの無い戦いを。
今、私はそれから何年も経って、いろいろなできごとを起こしていったし、巻き込まれていった。しかし、未だにこんな文章を書いているほどに、何も進歩がない。
https://i-d.vice.com/jp/article/8xeg4b/does-it-matter-who-writes-queer-stories
欧米におけるヤングアダルト小説(こちらでいうライトノベルのような枠組みだろうか?)で、LGBTQを取り扱った作品が隆盛していることについての話だ。
そういうポップカルチャーで多様性が描かれるのって、良いことじゃない?
多くの腐女子はそう思うのではないだろうか。
売れたLGBTQ小説は、ストレートの女性によって書かれたものが多いそうだ。
そのことについて「また女性作家がゲイの少年モノという流行に乗っかって利益を得ようとしている。本物のゲイ作家もいるのに、その人たちは取り沙汰されない」という批判が起こっているという。
いつも描かれるのは「シスジェンダーの性的マジョリティが同じマジョリティの読者に向けて描いたセクシャルマイノリティ」。
これが問題だという。
ようは同性愛描写が単なるコンテンツとしてマジョリティに消費されているということを言いたたいのだろう。
これを読んで思ったのは、これって日本でも議論できることだなぁということ。
日本の腐女子って自分のことを「マイノリティ」かのように認識してる人が多い気がする。
自分がBL好きという"特殊性癖"を持っていると自己認識して、たまにBLを嫌う人をミソジニストと呼んで戦ってたりする。
腐女子の描くBLは「性的マジョリティがマジョリティに向けて描いたセクシャルマイノリティ」というものが大半だと思う。
私は二次創作BL作品は極力隠れたほうがいいと思っていて、その理由は上記の一点に尽きる。
「BL作品好きを腐女子と呼ぶのはゲイの人に対する差別だからshipperを自称する」という運動が一時期起こっていたが、私にはそれもできない。
私自身はたぶんストレートだし、専門的にその方面の勉強もしてないし、マイノリティの人たちに関する活動をなにかしてるわけでもない。
おそらくヘテロであろう作者がヘテロとして描いたのであろうキャラクターを、その解釈の範疇から大きく逸脱しない範囲内でセクシャルマイノリティに改変して創作してる(例えば普段はヘテロだけど相手にだけはゲイということにしたり)。
この創作がゲイの人への理解を促進するとか心を救うとも思わない。
ゲイに向けたものではない作品群を肯定することが、ゲイを肯定することとはイコールで結ばれない。
話はそれるが、でもBLが好きという自分の趣味を肯定したい、だから腐女子という貶めた呼び方ではなくshipperと呼びたいという気持ちなのであればそれは共感できる…
自分たちのために自分たちを肯定するのはとても良い事だし、そこにゲイの人達への配慮みたいなものを挟むのは筋が違うと思う。
うまいことネットとかを使って未来人としての地位を確立し、新型コロナに言及するだけでも随分変わってきそう
でも今なんの準備もなく放り出されたらけっこう何もできない気がするんだよな
覚えてる災害系のニュースが全然ない 一番未来人ぽさがある地震も最近でかいのがなかったような気がする
政治芸能系ニュースも覚えてねえ Brexitなんかデカいけど別にここ一年でなんかが決まったって感じではないし
逆に流行るミームとかポップカルチャー系を予言しとけばいいのか?でも漫画のネタバレとかやるのは害悪だし、なんつうか出方が難しい
武漢に出かけて市場でコウモリ食うな!って叫びまくるヤバい日本人になったらバタフライ効果でなんとかなったりするのかな 報われなさすぎる
AKB系列、ジャニタレの適当なダンスとは比べものにならないぐらい上手い。昔の指原のこの発言には本当に幻滅した。
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/8159790/
当然整形で治してるわけだから、その甲斐もあって顔は整っているのだと思う。(個人的な好き嫌いは別として)皆同じ顔という批判もあるし、実際そうだが、ファンには区別がつくならまあ整形成功だろう。
個人的には5人ぐらいがベストだと思うが、AKS系列のように48人もいないところは良いと思う。人数が多いの、キモい。
東アジア文化の最先端、という虚構で見事に若者を騙せたと思う。カンナムスタイルの再生数詐欺は有名だが、そこまでして「流行っている」と押し切って実際にそれなりに流行らせているのだから、まあ勝ってると言っていいだろう。短期留学に何度か行って思ったのだが、白人国家に住むマイノリティアジアンにとってKPOPスターは、アジア人の自尊心を満たす拠り所なのではないだろうな。東南アジア、オーストラリア、アメリカ、中国人と薄い関わりを持つ機会が点々とあったのだが、どの国の人の中にもにもKPOPファンがそこそこいた。日本のアイドルは世界展開する気も、する能力もないが、そこに成功している点は素直に凄い。国内市場の狭さ故なのだろうか。
大東亜共栄圏のような夢をアジア人ファンに見せている気がする。
日本にもダンスの上手い世界進出アイドルはいる。ハロプロだ。しかし、ハロプロはもう一般知名度はない。あそこにはドルオタしかいない。また、AKSも若い女の子ファンはそこそこおりファッション誌でモデルもやっているが、実際に金を出している層はおっさんである。おっさんから金をむしり取るビジネスとかした日本のアイドル文化より、かっこよくて可愛い韓国アイドル(という虚構)に若者が心惹かれる気持ちもわからなくはない。
KPOPファンの友人がいるので、なんとなく内情を把握してはいるが、実際に名前と顔が一致するアイドルはいない。KPOPファン、armyとかonesとか名乗ってる彼女らは独自の(韓国から発信されてくる)文化を受け取り、再発信している。「ハングルが可愛い」「韓国語はわからないが発音が可愛い」など難解なコンテキストの上でガラパコス化した可愛い文化を築いていて、まあ理解不能なんだが、凄いと思う。水を差す奴らがいないので、加熱されやすいのだろう。好きじゃない奴にとっては微塵も興味を持てない対象であるが、好きな奴にとっては神様、という分断を少し感じる。
若い子のトレンドはkpopっていうのが嘘で無くなってきていると思う。日本の文化のリバイバルが韓国の最先端と一致したのと、「かっこいい西洋」がアジア人賛歌への立ち還りによって「かっこいい韓国」への移り変わりが起こったのが上手く言ったのかなーと思う。
若者間でも左翼と右翼のように「kpopが好きで親韓の人々」「普通に日本のポップカルチャーが好きな保守的な人々」っていう分断が起きているのが、なんとなく怖いところだと思う。kpopファンはkpopファン同士固まるからそこでヒートアップしやすいのだよな。
個人的にはkpopファンは妄信的でうざいので嫌い。「日本文化sage、韓国文化age」が彼女らには根付いてて、ジャニオタなどとの軋轢を生んでいるところも頻繁に目にしてきた。
まあ政治には全く関係ないが、かつてセーラー服を着ていた頃に見てきて思ったことを書いてみた。田舎者なんでこれでも韓流オタク少ない方だったと思う。都会はみんなオルチャンメイクとか地獄かよ。椎木里佳みたいなのがインフルエンサーなんでしょ。きついっすわ。