2020-08-12

うたた寝してる男の子の首を噛みたい

うたた寝してる男の子の首を噛みたい。

何するんだよってうっとおしがられながらも

自らに向けられる愛情困惑する顔を見たい。

叶わぬ夢。

中学生の頃、じゃれ合っている同級生男子を遠巻きに見ていた。自分はそういうものに何も興味はないと思っていた。私はもっと高邁で、奇抜で、愉快で、進歩的なことを考える人間だと思っていた。

高校生のころになると私は(主観的認識としては)原因不明寂寥感に苛まれていた。このままではまずいと思った私は、世間に対する警戒を緩め、私の世界ポップカルチャーやら何やらが流入してくるのを受け入れた。そのころ、私はようやく、抽象観念的な理想は、自分が具体的他人とどう付き合っていきたいかということとあまり関係がないことに段々と気がついていった。

そして、私が友情という観念に仮託していた自分感情は、大人の友人関係では叶えられないものであることを知った。むしろ、私が欲しているのは、愛、しかも痴なる愛であることを悟った。

私を慕う部活の後輩がいた。そして、彼の声には甘えるような響きがあり、回りくどい冗談には愛着が示されていた。時がたつにつれ、彼の声に私は痺れるようになった。私のそんな気持ちは伝えてしまたかったが、うまくいかなかった。そうならないように、彼が会話の雰囲気操作しているような気がした。私の胸は焦がれた。

私は自分目的を達するためにもっとも良いと思った遠方の大学入学した。私には野望があまりに多かった。一方で、私の心は干からびているようだった。自己肯定感あふれる鬱病患者のような奇妙な状態に陥った。私の自己実現欲求は空転し、私は留年した。

大学生になっても、課外講義をとると、キラキラした笑顔で川の水をかけあっている一年生の男子がいた。とても眩しく見えた。留年生の私だが、そんな彼にも普通にしかけることができたし、彼は自然に仲間のように接してくれた。でも、私は関わろうとするのを辞めた。「友情」に素直に満ち足りる彼らは、最初から別世界存在のように思えたからだ。私が人間で、彼らが天使であるかのような。

そういうことがあったせいからか、親密な感情を全く想起させないが、冗談や興味深い話はするというような「好ましい」人間関係が、これまで以上に、勝手に構築されるようになっていった。相手は居心地が良さそうにしていた。私もまあ居心地は良かった。でも、それを破壊したくて仕方がなかった。私は飢えのために闘わなければならなかった。不道徳で、実りの無い戦いを。

今、私はそれから何年も経って、いろいろなできごとを起こしていったし、巻き込まれていった。しかし、未だにこんな文章を書いているほどに、何も進歩がない。

  • 私が男であるって書かないと伝わらないものがあるなこれ

  • これが増田文学?

  • 硬いけどうまいですね。 もうちょっと流れるような文体に崩したやつを見てみたい。

  • 男が欲しい。

  • 要約するとオイラはド凡人でちょっと天然入ってると。 わかってるならよろしい。 感想としては、私に似ている。

  • ほめてくれてありがとう。 ただ自分の鬱屈とした内面を開放したくて書いたただの自分語りなので、文学的に批評されると恥ずかしい限りです。増田では普通じゃない文体なのは承知し...

  • 色々聞きたい

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