いろいろな考察が出ていて、それぞれに説得力もあり、なるほどと得心したりしている。
私はエヴァをTVシリーズから全部見てすげーすげーと楽しんできたが、考察にはあまり興味はなく、いろんな謎にも詳しくないが、庵野さんの同窓生ということで、主に宇部高校とシン・エヴァンゲリオンとの関連を考察したいと思う。(かれこれ40年以上前のことなので、記憶違いや勘違いはご容赦を)
エンディングに出てきた宇部新川駅や宇部興産の工場群を見て、あ、庵野さん、宇部を許したんだな、と唐突に浮かんだ。なぜそう思ったかは分からない。そもそも「許す」って。
宇部は山口県の瀬戸内にある工業都市。美しくもなんともない味気ない街で、明治以降炭鉱で栄えるまでは寂しい漁村だったとか、歴史も文化も無縁のところだ。
宇部新川駅は宇部市の繁華街にある駅で、庵野さんの育った地区に近く、少し海側に行くと宇部興産の工場がある。
庵野さんは地元の進学校、宇部高校の出身だ。あれだけアニメの才能(空間認識力)がある人だから、頭が良くて、中学ではろくに勉強しなくても宇部高に入れたろうと思う。高校生活は1年生から受験中心。2年生までに3年生の教科書を消化して、3年生の1年間は受験勉強のみという方針だった。勉強に価値を見いだせないタイプは授業について行けない。当時の校長のキャッチフレーズは「国立300、野球は甲子園」。ちなみに、ノーベル賞の本庶佑さんは宇部高出身で、伝統的に京大を目指す生徒が多い。民主党の菅元総理やユニクロの柳井さんも宇部高。
そんな文化不毛、受験偏重の宇部高で庵野さんを魅了したのが、宇宙戦艦ヤマトやアルプスの少女ハイジなど、ポップカルチャーとしての黎明期にあったアニメではないか。一番好きなのは特撮かもしれないが、当時はウルトラマンもゴジラも低迷していた。
庵野さんは宇部高にあって勉学はともかく、生徒会長の中村さんを主人公にしたナカムライダーや、文化祭用に短編アニメなどを作って校内有名人だった。
短編アニメは、宇宙戦艦ヤマトが爆発しながら太陽に突っ込んでいく、というような内容で、セル画のために美術部の予算をひとりで全部使ってしまったといううわさだった。アニメの出来は素晴らしく、「高校生がこんなプロのようなアニメを作れるんだ!」と驚嘆したし、校内では数少ないアニメファンたちの間で天才として知れ渡った。
だが、庵野さんの才能がその活躍の場を見出すのは大学に入って以降で、たぶん、庵野さんにとって宇部での暮らしや高校生活は、灰色の鬱屈とした、愛せない時間と空間だったのではないか。
漠然とした印象だが、庵野さんは宇部がきらいなんだと思っていた。それが、シン・エヴァンゲリオンでは、聖地にしてもいいよ、的な振る舞い。なんか、ずっと嫌っていた宇部高時代の自分を、ほかのもろもろのトラウマとともに昇華、あれで良かったんだよと受け入れたように思う。
ちなみに、聖地巡礼なら観光起点として山口宇部空港から入り、レンタカーで宇部新川駅へGO、車で約10分。駅を見学したら190号線から宇部湾岸道路で山陽小野田方面に向かえば、車窓から宇部興産の工場群が見学できる。あとは秋吉台とか角島大橋、萩、山口など、観光地へ赴くのが吉です。